2022年6月13日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第288回「異住所交流会」

「そちらに中山紀正(仮名)さんが入院していると思うんですが、何号室ですか?」
「そういうことにはお答えできないんですよ」
「えっ、親戚のものなんですが…」
「規則ですから」
「すぐそばまで来ているので、これから伺おう思うんですが、入院はしてるんですよね?」
「それもお答えしかねるんですが…」
「えーっ!入院してるかどうかも教えてもらえないの?」
「はい、規則なので…。どなたかご親戚の方にご確認ください」
「だからぁ、私がその親戚だっちゅーの!」
水戸の近くの病院に義理の弟(正確に言うと元義理の弟)が癌で入院し、放射線治療を受けていると甥から聞いて、お見舞いに行こうとしたときの病院との電話のやり取りです。「元」なので、正確には親戚ではないし、普通だったら「お見舞い」でもないのですが、義父の通夜にもわざわざ水戸から駆けつけてくれて、義母が「今までもお世話になったし、孫の父親なんだからこれからも孫のことではお世話になるんだし」と言うので、婿と元婿というやや関係の遠い私が、病院を訪ねることになったのでした。
「どうしようかなあ?」と思いましたが、わざわざ水戸まできて、用も足さずに帰るわけにもいかないので、ややこしい関係でお見舞いに行く前から甥に負担をかけるのは嫌だなあと思いつつ、甥に電話をかけて、確かめることにしました。
個人情報保護法が施行されてから、こんなことがよく起こります。
先日、病院内で人違いから射殺されるという事件が起きました。あの場合は確認ができていれば、事件に巻き込まれなくてすんだケースでしたが、他人に教えてしまったことで、事件に巻き込まれるということも考慮してのことなんでしょうか。
あまりそういった事件を聞いた覚えはないのですが…。
私の住んでいるマンションの管理組合の定時総会で、「名簿に電話番号を記載しないでほしい」という意見が出されたことがありました。個人情報保護法が制定される前のことで、管理組合では、毎年部屋番号と電話番号が記載された居住者名簿を作成して、全戸に配布していました。売られた名簿を元に頻繁に電話がかかってくるということが社会問題化していたときで、名簿の問題に敏感な人たちが出始めたころのことです。総会では、様々な意見が出ましたが、それまで、名簿があっていろいろな連絡やコミュニケーションが取れていたということもあり、電話番号はそれまで通り載せるということで決着しました。
その後、個人情報保護法が施行となり、現在では電話番号だけでなく、名簿そのものを作らないことになっています。
今年も、そろそろ年賀状の季節。孫の通う幼稚園では「異業種交流会」ならぬ「異住所交流会」(そんなもの本当にあるわけはないですが)があるらしく、なにやら住所を書いた名刺のようなものを作っては、年賀状のやり取りをする人に渡しているようです。
私も会社をやっている関係で、生命保険会社やこのエッセイでもお世話になっている商工会議所の「異業種交流会」には、何度か出席させていただいていて、名刺を交換することの意味・意義は充分に理解しているつもりですが、幼稚園までそんなことをしなくてはならなくなっているとは…。
どうやら、電話の連絡網だけはあるらしく、運動会や遠足といった行事の時には、電話がかかってくることはありますが、住所がわからない。そのため、年賀状を出すには、住所の書いてある名刺様のものを交換しておくのが手っ取り早いということなのでしょう。昔は名簿を見ては、「この人とはあまり関係がよくないから、年賀状を出しておこうかな?」なんて、関係改善を図ったりもしていたんですけれど、いまでは仲のいい人とだけのやり取りになっているんでしょうね。
確かに住所や電話番号が漏れるということのリスクもありますが、それが行き過ぎると「地域社会の崩壊」につながります。うちは10階建てマンションの1階にあるので、たまに上の階から物が落ちてくることがあります。さすがに下着が落ちてきたりしたときには、何も言ってこないこともありましたが、これまではほとんどの場合落とした本人か管理人室から連絡があり、取りに来ていました。ところが、名簿がなくなってからは、連絡があることが少なくなりました。これまでだったら、管理人室を通して連絡があったような場合でも、たいていは、直接謝罪の電話くらいはあったものですが、今では各階に1人いる理事を通さなくては連絡が取れないので、「落とした」という連絡そのものもなくなりましたし、謝罪の電話があることもなくなりました。
もちろん、「どこの部屋にどんな人が新たに越してきた」などということもわからないので、廊下や駐車場で顔を合わせ、「こんにちは!」なんて声をかけても、「あれっ?あんな人いたっけ?」ということも…。「これで不審者を見分けられるのかなあ?」と不安になることさえあります。
以前小学校での防災訓練では、電話が通じないという想定で、家から家へ直接伝えるという方法で、安否の確認や避難の仕方、誘導などを行うという訓練を行っていました。ところが、ここまで住所が非公開になってしまうと、ごく限られた、しかも普段自分に心地のいい人間関係しか存在しなくなっているので、地域の連携などまったく考えられません。
行き過ぎた個人情報の保護を改めようという動きもあるようですが、子どもを守るという観点から考えれば、何が本当に重要なのか、もう一度考え直す必要があるのではないかと思います。
つい先日、
「年賀ハガキ、買ったよねぇ? 何枚かもらってもいい?」と娘の麻耶が私に聞きました。
今年も娘と孫は「異住所交流会」で名刺(?)交換をしたお友だちと年賀状のやり取りをすることになるんでしょうね、きっと。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年6月11日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第287回「就学前検診」

最近のランドセル販売戦線は相当過酷ですね。塾や私立校というようなものは、単純に子どもの数が減ったから、経営が厳しくなるというものでもなくて、これまで塾や私立校に通っていなかった子どもたちをなんとか通わさせることができれば、これまで通りの経営は成り立つわけです。ここのところの公立学校離れというか、公立学校不信というか、もしかして、政府もぐるになって塾や私立校を後押ししているのではないかと思うくらいひどいものがあるので、受験熱が上がって、塾や学校によっては、むしろ経営状況がいいと言っても過言ではないのかもしれません。
ところが、ランドセルの業者は、少子化がもろに経営に響きますよね。私立小学校、中学校の台頭というようなものも、これまでのランドセルや学生カバンといったものとは違った指定カバンになったりするので、厳しい状況にさらに拍車をかけているのかもしれません。
娘の麻耶の話では、ランドセルの業者が幼稚園近くの集会所を借りて、予約会を開いているとか。ちょうどそれくらいのお子さんをお持ちの皆さんは、別になんとも思わずそういった予約会に参加していらっしゃるのかもしれませんけれど、私くらいの年齢の者からすると、大変驚きです。予約会そのものは、あったような気がするのです(たしか中学校入学前には、小学校で制服とカバンの販売会があったので)が、驚くのはその中身というか、戦略というか…。

「麻耶ぁ、お前もう蓮(れん)のランドセル買ったの?」
「買わないよ」
「だってここに、ランドセル背負ってる蓮の写真あるじゃないか」
「あっ、それね、幼稚園のそばの集会所でね、ランドセルの予約会があったんだけど、予約しなくても写真撮ってくれるんだよ。子どもが“これ”って言えば好きなランドセル背負わせて、写真を撮って、そういう皮のスタンドに入れてくれるの」
「へぇーっ。これ、スタンドだけだって、けっこう高そうじゃないか」
「まあね。でも、ランドセル屋さんて、皮は専門でしょ」
「なるほどぉ。そう言われてみればそうだな。ランドセルを作った切れ端ってことかな?」

その写真には恐れ入りました。なんというか、祖父母としては、そういう写真を見せられては、早速買ってやろうかなという気持ちになってしまうというか…。
とは言え、私が麻耶に言った言葉は、「4月近くなれば、もっと安くなるだろっ!」だったんですが。
とまあ、そんな具合に孫の蓮本人も、娘の麻耶も、そして妻も私も、蓮の入学を楽しみにしているわけです。そしてこれはきっと、どこのうちでも同じなんじゃないかと思います。
ところが、あるお母さんから、就学前検診のこんな話を聞きました。

まず受付時間に昇降口に行く。先生と5年生のお兄さんが「こんにちは!」と元気に声をかけてくれる。次にお姉さんが親子を控え室まで連れて行ってくれる。ここまではいい感じ。
ところが教室に入った途端、年輩の女の先生が、「皆さ~ん、いいですかぁ!椅子にはお母さんが座ってください!子どもを座らせないでください!5年生、いいですかぁ!」と何度も大声で叫ぶ。「いいですかぁ!机の上の封筒に書類が入っています、中身を確認してください!ありましたかぁ!いいですかぁ!わからない人は手を挙げて!」これで子どもが小学校に上がるというワクワクした楽しい気分がいっぺんに冷めてしまった。この「いいですかぁ!」というのは、どうやら「静かにしろ!」という合図らしい。途中で5年生の男の子が入ってきて、「○○さんという人いらっしゃいますか?」とお母さんたちに呼びかけると「“○○さんという方”と言いなさい!」と注意する。
それでもこれくらいは序の口。問診票に予防接種のことを書くと、保健室の先生らしき人(何も紹介がないのでわからない)が、「エッ、お母さん、この回まだしてないんですか!?これは1回では意味ないんですよ!」と強い口調で言う。「そんなことはわかってるけど、2回ほどあったちょうどその接種の日に熱を出してしまってできなかった」という事情を話す暇も与えない。さらに、配られた紙に「学校へのご要望や心配事などありましたら、どんなことでもお書きください」と書いてあったので、「子どもは学校は楽しいところだと思っているので、入学後もその思いが続くよう、よろしくお願いします」と書いて先生に渡すと、その場で読んで「お母さん、最初が大事です。お母さんが潰さないように気をつけてくださいね。お母さんが学校を嫌いにさせないよう気をつけてください」と逆に注意されてしまった。なんでも要望を書けって言うから、書いたのに!

お母さんは、とにかく教えてやろう、学校に従わせようという、その凄い勢いに腹が立ったそうですが、検診を終えて帰ってくる子どもが、「私の感情を察知してしまうと心配してしまうだろう」と気を取り直して「子どもは小学校に入学することをとても楽しみにしています。朝の散歩も小学校の通学時間に合わせてしているくらいですので、よろしくお願いします」と再度頭を下げてきたんだそうです。
いやいやいや、全ての先生が悪いわけではないけれど、学校というところがどれくらい子どもや保護者にプレッシャーをかけているのかということを充分理解して、親が学校と張り合わなければならないような関係にならないためにも、先生方には子どもや保護者の立場にたった声のかけ方をしてほしいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第284回「子育ては都会、それとも田舎?」

今朝(11月11日)の朝日新聞に俳優の柳葉敏郎氏が、昨年春から故郷の秋田で暮らすようになったという記事が掲載されていました。「子育ては秋田で」というのが、ずっと夢だったとのことで、小学校2年生のお嬢さんのPTAの学年部長も務めているそうです。
柳葉氏は、秋田県の中央よりやや南に位置する、仙北郡西仙北町(2005年、大曲市などの1市、6町、1村との合併により現在は大仙市)の農家の長男として生まれました。その後、小学校、中学校、高校と地元で育ちます。秋田県立角館高校卒後、18歳の頃に日本テレビの『スター誕生』に応募しますが落選。それがきっかけで上京して、劇団ひまわりに入団しました。その後は皆さんご存じの通り、「一世風靡セピア」のメンバーとしてデビューし、'88年以降、トレンディドラマに数多く出演し、「元祖トレンディ俳優」と呼ばれるようになりました。「踊る大捜査線」シリーズの室井慎次役は、一番の当たり役で、彼の俳優としての地位を確固たるものにしたと言えると思います。(ウィキペディア参考)
俳優という職業なので、仕事の中心は東京ということになるのでしょうが、1年の半分以上を秋田で過ごしている(逆に俳優だからできるということなのでしょうが)とか。その話からも、柳葉氏の「子育ては秋田で」のこだわりがわかるような気がします。
今から、25年ほど前、「田舎暮らし」を考えたことがありました。今でこそ、ポピュラーになった「田舎暮らし」ですが、当時はまだそれほど注目されていたわけではなく(というより、むしろ田舎暮らしは敬遠されていた)、月刊だったか、季刊だったかの「田舎暮らし」を扱った本と機関誌が数種類あっただけでした。そういう刊行物を見ると、「借り賃 0円」とかいう家や、数百坪の土地と家屋(かなり老朽化はしていますが)で「売値 20万円」なんていう物件がたくさんあって、心がときめいたものです。過疎地の物件がほとんどですから、中には廃校になった校舎や元旅館なんていうものまであります。私が一番心を動かされたのは、1,800万円はするものの、敷地6,000坪で、宿泊施設あり、工房(一度に10人くらいが電動ロクロで作陶ができる)あり、竹藪あり、雑木林あり、なんていう物件でした。しかも、庭には小川が流れているんです。
少子高齢化が進み、今では退職後にそういったところで生活する人たちが増えてきて、生活に適した格安の物件というのは、手に入りにくくなりました。ある程度の年金がもらえていれば、生活に困ることはありませんが、若いうちに「田舎暮らし」をしようとすれば、収入の確保と子育てをどうするかで悩みます。妻が高校の教員でしたので、「埼玉県内であれば」と、秩父音頭で有名な皆野町やさらにそこから北側になる児玉郡神泉村(現在は合併により神川町)に、実際に物件を見に行ったこともありました。結局、収入よりも、子育てのことで断念(学校まで徒歩で1~2時間なんていう感じでしたので)しました。
柳葉氏の生活は、PTA役員の話や野球チームの話、町内会の話などが登場するので、それほどの「田舎暮らし」ではないのだろうと思いますが、「子育ては秋田で」という意味は、都会のあわただしい生活ではなく、ゆっくりと時が流れていく、人と人とのふれあいが残る、伸び伸びとした子育てがしたかったということなのだろうと思います。「友達を5人も6人も連れてきたり、自転車で出かけて日が暮れるまで遊んできたり。秋田の子どもは東京より100倍元気だ」という表現から、柳葉氏の目指す子育ての方向が見えてきます。
あわただしく流れる時間の中で、塾に通わせ詰め込み教育をするのも一つの子育て、ゆっくりと流れる時間の中で、のびのび育てるのも一つの子育てです。学力向上のため、ゆとり教育が見直されている今、「ゆとり」ということが目指したものはなんだったのかもう一度じっくり考え、子どもを大切に育てていきたいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年4月30日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第272回「不登校、再び増加に転じる! 後編」

うちの陶芸教室にも、不登校の子どもたちが何人か通ってきていました。一つは陶芸というものが作業として不登校の子どもたちにも受け入れられ易いこと、もう一つは教室に通ってきている他の会員の皆さん(不登校の子どもたちが訪れる時間帯というのは、ほとんど主婦を中心とした50代後半から上の方たちが中心ですが)が、不登校児というものを意識せず、差別することなく受け入れていること。そんな理由から不登校の子どもたちも居心地がいい(というよりは、他のところよりは居心地が悪くないといったくらいかもしれません)のだろうと思います。
カウンセリングや教育相談といった、カウンセリング研究所における不登校についての直接的な関わりではないので、うちの陶芸教室としては、他の会員の皆さんと同じようなサービスを提供し、それがその子に合えば通ってくるし、合わなければやめていくという単純なことで接するようにしています。もちろんスタッフは陶芸を教えることはできますが、教育やカウンセリングのプロではありませんので、そういう意味ではおそらく扱いは雑です。「不登校児」という扱いではなく、「やや若い陶芸教室の会員さん」という扱いです。日常的に「不登校」であるということを意識し、あるいは意識させられている子どもたちにとっては、陶芸教室にいる時間は「不登校」から意識が離れられるほんのわずかな時間なのかもしれません。おそらくそれが「居心地が悪くない」という状況を作り出しているのだろうと思います。
入会時にあまりプライベートなことには触れませんので、スタッフは不登校かどうかも詳しくは知りません。ただ、なんとなく隠しているようになってしまうのは本人にとっても苦痛でしょうから、私は率直に「学校、行ってないの?」と聞いてしまいます。学校に行けるようになることが目標ではなく、うちとしては陶芸を長く続けてくれさえすればいいことなので、「不登校である」ということを開示してしまってくれれば、こそこそして居心地が悪くなることもないので、率直に聞いてしまった方がいいかなあと考えているわけです。私としては、「いつ続かなくなっちゃうだろう」と常に心配をしているわけですが、そういう事情ではない一般の会員さんより、むしろ定着率がいいようなくらいで、中学校で不登校になった女の子や高校で不登校になった男の子たちが、就職が決まり仕事を始めるまで通ってくる例も少なくありません。まあ、週に1~2回程度ですから、学校に比べればはるかに負担が軽いわけで、そういったことも影響しているんだろうとは思いますが…。
前回も少し触れましたが、不登校が問題として取り上げられ始めたころというのは、「子どもは悪くない」という発想から、子どもたちに対する学校の対応の悪さも指摘され、子どもを救う場所、その子の持っている個性を大切にする場所として、各地に多くのフリースクールができました。これは、子ども自身の持つ内面的な要因は認めながらも、学校の状況や対応の悪さに直接的原因を求め、その原因を取り除くことで、子どもの心を救おうとしたものでした。居場所がないことを実感している子どもたちにとってフリースクールは、自分たちの居場所としての存在を示し、ある一定の大きな成果を生みます。そして、今もそこに通っている子どもたちにとって、大きな存在になっていることは確かです。
けれども、最近の不登校事情を見ると、それだけでは対応できないような不登校が増えているように感じます。
26、7年前、学校が荒れたことがありました。うちの子どもたちの通っていた中学校でも掃除の時間中に「窓から火のついた雑巾が降ってきた」というようなことがありました。暴力がはびこり、授業は成り立たず、当然のことながら不登校も増えました。大きな原因の一つに「管理教育」があったことは間違いありません。その頃、「大学のような高校を作ればいい」(今の単位制高校のような)というのが私の持論で、実際に県から学校設立に関する膨大な資料を取り寄せたりもしました。まだ規制が厳しい時代で、資金繰りにめどが立たず断念するのですが、その数年後、伊奈に公立の単位制高校が開校しました。当時とすると画期的な発想で、荒れた教育に対する救世主的な存在でした。不登校対策というよりは、むしろ中途退学や“やる気”に対する対応策という要素が大きかったと思います。そして、その後規制緩和がどんどん進み、単位制の高校が開校しやすくなりました。私はそれが、不登校に対する考え方を変えなければいけない転機に結びついたのだろうと考えています。
もちろん、その後も「居場所のない子どもたち」は増え続けます。それに対して、多種多様な形態、内容の学校も増えていきました。そしてそこへ少子化の波。当然のことながら、学校間で子どもの取り合いが始まります。その結果、学校が子どもにこびる結果となった。
「ここの学校が嫌ならこっちの学校、こっちの学校が嫌ならあっちの学校」というように、決められた場所に適応しようとせず、今の自分を受け入れてくれるところを探すという状況が生まれます。それは、ある部分では正しいのですが、ある部分では子どものわがままを助長することになります。そこへよく言われる「80年代」世代の子どもたちが、学校に通い出し…。
これからの不登校対策は、以前のような「子どもの居場所」作りではなく、ある一定の閉ざされた(閉じた)場所で、子どもたちがいかに人間関係を築けるよう育てていくかにかかっているんだろうと思います。
県も親を教育することに力を入れはじめたようですが、県のやっていることはどうも復古的過ぎる。社会構造が多様化しているにもかかわらず、父親、母親の役割を限定的に捉え、「昔の親子関係に戻す」的な発想で、進めようとしているように感じます。とは言え、親子関係を見直すことが必要な時期にきているというのは、私も感じていることで、今後の不登校対策は親子関係をどう構築していくのかにかかっていると思います。
親子関係の作り方も、陶芸教室に通ってきた不登校の子どもたちの様子の中に、ヒントがあるような気がするのですが…。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第268回「モンスターペアレント 後編」

親からの理不尽なクレームで学校が困ってしまうパターンには、いくつかのパターンがあるように思います。まず、とにかく自分の子どもがかわいいので、「私の子どもには××させてくれ」あるいは逆に「私の子どもには××させないでくれ」というパターン。次に、子どものことというより、親自身が自分の満足のために学校にクレームをつけるパターン。そしてもう一つは、内容の問題ではなくとにかく学校不信に陥っているため、大したことではないにもかかわらず、まったく学校には相談することも無しに学校を飛び越して、教育委員会などへ激しく抗議をしてしまうパターン。
他にもまだまだ、いろいろなケースがあるとは思いますが、おおむねそんな分類に属するのではないでしょうか。
「悲鳴をあげる学校」(旬報社)の著者の大阪大学大学院人間科学研究科の小野田正利教授は、
「子供がひとつのおもちゃを取り合って、ケンカになる。そんなおもちゃを幼稚園に置かないでほしい」
「自分の子供がけがをして休む。けがをさせた子供も休ませろ」
「親同士の仲が悪いから、子供を別の学級にしてくれ」
「今年は桜の花が美しくない。中学校の教育がおかしいからだ」
などの実例を挙げています。「ほんとかよぁ!」と耳を疑いたくなるような内容ですが、実例と言うことですから驚きです。
最近、給食費未納の問題も大きく報道されました。一昔前は、給食費が未納ということは、経済的に「払うことが困難」という状況で未納になっていたと考えられますが、最近の状況はそれとはまったく違い、どうやら「無理矢理払わされるまでは払わない」という身勝手な親もいるようです。
この連載の中でも、何度も述べてきていますが、最近の親子関係は、非常に近い関係になってきています。毎朝のようにファミリーレストランに朝食に訪れるニートと思われる子どもと母親。いつも一緒に腕を組んで買い物をしている母娘。手をつないで通勤・通学をする父と娘…。本来なら、関係が近いからこそ子どもを叱り、しつけができるという関係であったはずなのに、ここのところの状況は、その近さの質が変わり、子どもを叱り、しつけるどころか、子どもの悪事に対して、それをかばい続ける傾向が顕著になってきています。また、個人主義的傾向の高まりは、子どもに対する親としての責任すら果たさず、自分を守るためなら子どもをも犠牲にする親まで現れてきています。親子関係のまずさから子どもが精神的ダメージを受けているにもかかわらず、自分の対応の悪さはさておき、「子どもが病気」という言い方をする親などがこれに当たるでしょうか。
モンスターペアレント出現の原因を「教師への尊敬の念の薄さ」という人もいます。けれども、それは結果であって原因ではない。前回も少し触れましたが、私はモンスターペアレントの出現の原因の一つは、「自分たちの力では、どうあがいてもどうにもできない人たちの存在」と考えています。小泉内閣誕生以来、格差社会が広がったと指摘されています。弱者は強者に対して無力です。学校も、子どもや親から見ると圧倒的強者。そんな強者に対して「尊敬の念」を持っていたら、とてもじゃないけど、やってられない。一見、一人の教師に向けられているように見えるクレームも、実は教師個人に向けられたものではなく、もっと漠然とした「“教師”という権力」に向けられていると考える方が正しい見方ではないかと思います。もちろん、多種多様なケースがあるので一様ではないと思いますが。
これも再三指摘していますが、もう一つの大きな原因は、間違いなく“地域社会の崩壊”にあります。政治や行政の大きな方向の間違いが、地域のコミュニティを崩壊させてしまった。学校や教師に対する不満は、一旦親同士の中で話され、強い不満を持っていた人の気持ちがやや落ち着いたり薄まったり、あるいは自分と反対の考えの人がいたりすることで、とりあえずある程度消化されたものが学校に届いていた。ところが、地域社会が崩壊したことで、個人vs学校、個人vs教師という構図に変わってしまって、まったく未消化のまま、直接学校や教師にぶつけられるようになった。このことは、とても大きなことだと思います。それは時に、地域の権力の象徴である学校というものに個人で対抗するため、教育委員会というさらに上の権力に向かっていくことになる。
私が思うに、この状況を変えて行くには、信頼関係を回復するしかないと思うのですが、どうも政治や行政が向かっている方向は、まったく逆な方向のようで、学校の問題を弁護士やカウンセラーといった、直接、教育と関わりのない人たちに任せようとしている。実は、学校にはもともとそういうふうに子どもや親たちと向き合うことを嫌う傾向があった。現状を変えて行くには、信頼関係を回復すること。それには、誠実にたくさん話をすることしかありません。それがモンスターペアレントをなくす唯一の方法だと思うのですが…。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第267回「モンスターペアレンツ 前編」

最近、マスコミが頻繁に取り上げている問題に「モンスターペアレント」の問題があります。
「モンスターペアレント」っていうのは、ご存じの通り、“担任教師や学校に対し、自分の子に関する「理不尽な苦情」や「無理難題な要求」を突きつける保護者”(もり・ひろし=新語ウォッチャー)のことです。1ヶ月ほど前、港区教育委員会が保護者のクレームに対応するため、250万円かけ、5人の弁護士と契約したという報道がありました。
それに続いて、つい先日は「文部科学省が本格的な学校支援に乗り出す方針を固め、来年度の予算要求に盛り込みたい考えである」という報道がありました。地域ごとに外部のカウンセラーや弁護士らによる協力体制を確立して、学校にかかる負担を軽減することを検討しようとするもので、各地の教育委員会にも対策強化を求めるとしています。
こうした親の存在というのは、かなり前から指摘されていて、それほど目新しいものではありませんが、安倍内閣の教育改革が進むにつれ、報道が過熱感を増しているように感じます。私も、モンスターペアレント(イチャモン親)や故意に給食費を払わない親など、非常に問題だと感じていますが、最近の流れは、小泉内閣時代の「官から民へ」の流れに逆行するもの(というより、“強者はより強く、弱者はより弱く”という小泉内閣の本質が引き継がれたものと言えなくもないのですが)、まさに揺り戻しというふうにも感じています。
官僚組織への批判は公務員批判となり、教員バッシングへとつながっていきました。私は、ある意味(仕事の内容、民間との賃金格差など)、その流れは正当であると考えていますし、今後もそうあるべきだろうと思います。けれども、その流れによる“利益”が国民の末端にまで行き着く前に、大企業や民間の権力者のところで止まってしまい、流れが逆転してしまったら、大変怖いことです。最近の報道の過熱ぶりは「世の中の強者にとってちょうどいいタイミング」、そんな危惧さえ感じさせます。
産経新聞社がネット上に配信している記事によると、「なぜうちの子が集合写真の真ん中ではないのか」「子供がけがをして学校を休む間、けがをさせた子も休ませろ」「子供から取り上げた携帯電話代を日割りで払えと保護者から毎晩電話がかかり、その日の子供の活動を細かく報告させられた」「(運動会の組み体操をめぐり)なぜうちの子がピラミッドの上でないのか」「体育祭の音がうるさい」などが、親の無理難題として取り上げられています。単純に何の理由もなくこんなクレームが親から寄せられれば、それはもちろん「モンスターペアレント」でしょう。けれども、何も理由がないということは、あまり考えられない。ほとんどの場合、そうなるまでにいきさつがあり、それに対する対応の悪さから、そういう結果になっているとも考えられる。
それを明らかにせず「モンスターペアレント」として、大騒ぎするのはどうも意図的にしか映らない。
「先生の訴訟費用保険加入が急増」という見出しで取り上げられているのは、公務員の訴訟費用保険は、職務に関連した行為が原因で法的トラブルに巻き込まれた際、弁護士費用や損害賠償金などを補償する保険。医療関係者が、個人で保険に加入するというのはよく聞きますが、教員までという感じはします。学校に対する保護者の理不尽な要求が問題となる中で、仕事に関するトラブルで訴えられた場合に弁護士費用などを補償する「訴訟費用保険」に加入する教職員が、東京ではすでに公立校の教職員の3分の1を超す2万1800人に達したんだそうです。都福利厚生事業団が窓口となり平成12年から都職員の加入を募集し、保険料は月700円だそうですから、その加入のし易さから、当然(学校行事などで子どもがケガをしたり、死亡した場合、業務上過失致死傷などに問われ、損害賠償請求される場合もなくはないので)かなとも思います。事業団によると、加入者は教職員が突出して多く、全体の約7割を占めるそうですが、産経新聞の記事でも、「実際に都内で同保険が適用され、弁護士費用などが支払われたケースは過去7年間で約50件といい、不安が先行している面もあるようだ」とまとめています。50件の内訳が学校関係だけによるものなのか、全体でなのかもよくわからりませんからコメントは難しいですが、何が正しいのかきっちり見極める必要はありますよね。
とは言え、私も増えていると感じる「モンスターペアレント」。次回は、親の愚行について考えます。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年3月21日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第256回「選挙」

「今日ね、ダイアモンドシティに行ったら、あそこの川のところでKさんが選挙カー止めて演説してたよ。だからね、車の中から手を振ってあげたら、“お車の中からのご声援、ありがとうございます”って言われた」
「あれっ、おまえ、直接知らないんだっけ? 降りていって声かけてあげれば喜ぶのに。“大関の娘です”って言えばわかるだろっ」
「だって、川の反対側で、こっちとあっちだったんだもん」
「そうかぁ。じゃあしょうがないな」

Kさんと初めて会ったのは、旧浦和で市会議員をしていたAさんが中心となって開いた環境保全の市民運動の会でした。そしてその後、たびたびAさんの事務所で顔を合わせるようになりました。妻が、浦和市立南高校で長年教師をしていたことや浦和市立三室小学校でPTA会長をしたとき、かなりマスコミから注目されたこともあり、Aさんの会では、妻も私もよく意見を聞かれたり、話をしたりすることが多かったので、Kさんは私たちのことをよく知ってはいたようでしたが、私たちはと言えば、あまり自分から口を開かないKさんのことは、顔を知っているという程度で、視線が合えば軽く会釈くらいはしますが、それ以上の関係でもなく、話をしたこともありませんでした。
今考えれば、Kさんは川口在住だったので、浦和のAさんの会では一歩引いていたということだったんでしょうね。
私にとって、Kさんの存在がクローズアップされたのは、突然私の地域の小学校のPTA会長になったときでした。私は、すでに真(まこと)、麻耶(まや)が在校中にPTA会長をしていたのですが、Kさんの存在はまったく知らず、KさんがPTA会長になったとき初めて、「ああ、あの人、Aさんのところでよく見かけた人だ! 同じ地域に住んでたんだぁ」というような具合でした。
翔(かける)の学年で再びPTAの役員をやることになり、その後何年間か、K・PTA会長の下、私は学年委員長をやらせてもらいました。Aさんのところで、よく顔を合わせていたとはいえ、実際に具体的な活動をやってみると、考え方ややり方にかなり違いがあり、ぶつかることもしばしばでした。そしてKさんは市会議員に。当選後もPTA会長を続け、お子さんの卒業後、再び私がPTA会長を引き受けることになりました。
Kさんとの関係は、それにとどまらず、なんと今度は息子さんが妻の教え子に。妻の元の職場も含め、狭い地域に住んでいるので、麻耶の担任だった先生の息子さんが妻の教え子になったり、私がPTA会長をしていたときの副会長や専門部長のお子さんが妻の教え子になったりと、よくあることではあるのですが、ちょっとビックリしました。
ところが、昨年、妻の教え子であったKさんの息子さんが、交通事故で亡くなってしまったのです。今回の選挙は、その息子さんの一周忌前。先日、ポストに入っていたKさんの出陣式のお知らせには、「息子さんの死」についての心境も語られていました。
金曜の朝、選挙事務所に陣中見舞いに行き、Kさんご夫妻と話をしていると、やはり一緒にPTAで役員をやっていたSさんがやってきました。手には、Kさんの出陣式のチラシを握っています。
「犬の散歩してたらさぁ、こんなのが小学校の前の掲示板のポスターの上に貼ってあったから剥がしてきた」
チラシには、赤いマジックで書き込みがしてあります。文章の細かい部分にいちいち文句が書いてあり、息子さんについて触れた部分には、「選挙の具にするな!」というような書き込みがしてありました。確かに一つの主張として、言っていることもわからなくはないですが、「こんな書き込みをして、わざわざ掲示板のポスターの上に貼るかなあ」という感じ。1丁目、2丁目しかない本当に小さな地域ですから、町会の広報誌にKさんの息子さんが亡くなったことは載っていました。Kさんの市会議員という立場からすれば、町会内では周知の事実。Kさんは、「字を見れば、誰だかわかるんですよ」とは言っていましたが、まだ癒えない息子さんのことに触れられたのには、やや参った様子でした。
選挙で誰を推すかは、それぞれの考え方もあるので、違うのは当然。けれども、地方選挙での誹謗中傷のやり合いは、溝を作るだけで何も生まれません。
かなり昔のことですが、旧浦和市のある学校では、PTA会長が保守系の市会議員、副会長が共産党の市会議員ということがあったり、PTA会長選が市議選の前哨戦になるというようなことがありました。PTAを政治に利用するのも「いかがなものか」(もちろんどこのPTA会則にも政治的中立を謳った文言があると思います)と思いますが、どちらを指示するということではなく、政治的意識が必要なこともまた確かです。政治的に相容れない部分はあるでしょうが、思想信条の違いだけがクローズアップされ、誹謗中傷のやり合いから、教育現場の混乱や不信感を増大させるのではなく、違いを認め合い、違いを越えた部分で地域の教育を進めたいものです。
朝9時ごろ、孫の蓮(れん)を連れて、選挙に行ってきました。投票用紙に名前を書き、投票箱に入れた瞬間、蓮が小さな声で、
「捨てちゃうの?」
と聞きました。私は思わず「ぷっ」と吹き出してしまいましたが、蓮の言葉に「確かに!」とえらく納得がいきました。立会人の皆さんは、いつも地域の集まりでご一緒させていただいていた方々なので、大声で笑うわけにもいかず、私の顔を見てニコニコしています。一応説明はしましたが、蓮は投票所を出るまで、ずっといぶかしげな表情を浮かべていました。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年1月14日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第240回「教育基本法改正」

とうとう教育基本法が改正されました。今回の改正は、タウンミーティングのやらせ問題が発覚したにもかかわらず、その責任を安倍首相を始め、タウンミーティングに関わりのある閣僚が、給与の一部を返納するという形で処理をし、やらせ問題に一応の幕引きを図った上で、半ば強引に成立させたものでした。改正自体は、衆議院、参議院において審議に費やした時間等を考えれば、手続き上問題のあるものではありませんが、タウンミーティングで、国民の声を聞くことが改正の大きなきっかけ作りであっただけに、賛成の世論形成が、多額の税金を使ったやらせにより法案提出側の政府によって画策されたとすれば、法案制定の過程に大きな瑕疵があったわけで、給与の返納という一時的な責任のとり方ですませていいわけがありません。筋からいえば、当然タウンミーティングはやり直すべきでしょう。こういうことが繰り返されると、これまで以上に教育行政に対する信頼は揺らぎます。たまたまテレビの国会中継を見ていたときに、神本議員の「お金で解決するのか?」の質問がありました。ちょっと興奮気味に「お金で解決するという言い方は失礼じゃないですか」と答えた安倍首相の態度にはがっかりしました。

学校で事件が起こると、加害者になった児童・生徒に、被害者になった児童・生徒のところに菓子折か何かを持って謝りに行くよう、学校から指示されることがよくあります。私も親として謝りに来られた経験が2回あるんですけれど、「おいおい、菓子折で解決するんですか?」(加害者になった子どもに対してではなく、学校に対して)と言いたくなります。ほとんどの場合、加害者になった子どもと学校との関係性の問題から起こっていることなのに、菓子折を持ってこさせてすまそうとしたところで、何も根本的な解決につながらないからです。

今回の安倍首相の答弁は、それとよく似ているなあと思いました。大切なのは、責任論ですませることではなく、タウンミーティングを真に有効なものにすることです(もっともタウンミーティングという手法を「認める」「認めない」の問題はありますが)。そういう視点の欠けている今回のやり方、これが、今まさに「教育」(行政も現場も含めて)に問われている問題なのだと思います。にもかかわらず首相からしてこれでは…。

私は、これまでの教育基本法を絶対に改正するべきではないと思っているものではありません。以前から、何度か言ってきましたが、時代は変わります。最近では、そんな話も出ないでしょうが、真(まこと)、麻耶(まや)が小学生のころは、「鉛筆をナイフで削れない子がいる」「風呂敷を縛れない子がいる」なんていうことが、PTAの中で大問題だったわけですから、おかしなものです。ひょっとするとこれを読んでくださっている方の中にも、「風呂敷」がわからなかったり、「ナイフ」をカッターナイフと思っている方がいますよね。「ナイフ」っていうのは、「ボンナイフ」ですよ。よく「不良」って言われた子たちが喧嘩のときのために持っていたんです。もちろん「不良でない子」も筆箱の中に入れていましたが。

子どもの遊びはどんどん変化し、大人の生活も変わりました。私が子どものころにはなかったファミレスやコンビニが登場し、いろいろなものが機械化され、一日中、一度も人と話をしなくても生きていかれる社会になった。この急激な変化の時代に、変えてはいけない法律があるというのもナンセンスだと思います。もちろん、教育基本法もその例外ではない。
が、それでは、時代の流れに合わせて改正すべき部分が教育基本法に本当にあったのか、また改正をしようという国民的議論があったのかと言えば、どうもそこには疑問がある。今回の改正で、いくつかのの問題点が指摘されています。皆さんよくご存じの、愛国心や道徳心の問題、男女共学の問題…。そういうところも問題だと思いますが、私が今回の改正で最も危惧しているのは、法律の方向性ということです。これまでの教育基本法は、国民の教育のために国が果たす責任を明確化したものでした。けれども、今回の改正でその方向性はまったく逆になり、国のために国民はこうあるべきという方向性になってしまった。これは明らかに文明の退化です。

これまで繰り返し述べていますけれど、子どもの成長にとって最も大切なことは、自ら選択し、自ら獲得すること。大人の価値観を押しつけるのではなく、「選択できる幅をいかに広げ、いかに獲得しやすくしてやるか」が大人の責任だと思うのですが、国家がこれではね。国旗・国歌やいじめに特化したこんな目先の法律を作るより、半世紀以上がたっても古さを感じないこれまでの教育基本法のような、遠い時代を見据えた、真に国民のための法律を作ってもらいたいものです。


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年1月13日 (木)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第233回「未履修ついに発覚!」

各地の高校で、必修科目の未履修が明らかになっています。現場を知っている者からすると、「なにを今さら」という感じ。今日(10月29日)の段階で410校という報道もありますが、まだまだかなりの高校がビクビクしているのでは?
息子が男子高に通っているとき、家庭科共修が大きな問題になりました。PTA広報部の企画で座談会が開かれ、私も参加したのですが、「県からの指導で調理室を設けることになるが…」というテーマに対して、座談会に参加していた先生が発言したことといったら、
「うちの生徒は実習なんてしなくても、机の上で本を開けば何でもわかるんだから、調理室なんて作ることないですよ。実習はやったことにしておけばいい。調理実習なんて偏差値の低い学校の生徒がやればいいことで、あんなことは無駄」
ですからね。
この先生は、県の教育委員会からの評価も高い人だと思うんです。その後、女子の進学校に勤めてますからね。
さて女子高に行って何と言っているのでしょう?
これは、家庭科のことですが、他の授業についても受験に関係ないものはやることないという発想は、いくらでもあります。必修クラブなんていうのは、その最たるものだったんですよね。教員間では「やったことにする」という共通認識があった。
私も必修クラブがそれほど重要な役割を果たしていたとも思わないので、「やったことにする」というだけなら、まだその気持ちは理解できなくもないけれど、「やったこと」になっているわけだから、それに対する予算は付くわけで、「もらうものはもらって、使っちゃえばいい」なんてことになっちゃう。普通の感覚なら犯罪といってもいいような大変なことなんだけれど、結構やってたところが多いんじゃないかな。
教員の感覚って、そんなもんですよね。
今回の社会科の履修問題も、一つは「俺たちの勝手にやればいい」という感覚の産物ですね。教員はルールを守ることが下手な人種だから。いろいろなところでいろいろなものが改ざんされているわけで、公文書偽造になるんだろうけど、いったいどう処分するんだろう?
刑法は公文書偽造を、
第百五十五条   【 公文書偽造等 】
第一項 行使の目的で、公務所若しくは公務員の印章若しくは署名を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造し、又は偽造した公務所若しくは公務員の印章若しくは署名を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造した者は、一年以上十年以下の懲役に処する。
第二項 公務所又は公務員が押印し又は署名した文書又は図画を変造した者も、前項と同様とする。
第三項 前二項に規定するもののほか、公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造し、又は公務所若しくは公務員が作成した文書若しくは図画を変造した者は、三年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。

と定めているんです。私は、厳罰主義を唱えるものではないので、本来刑罰によって悪事をただすという考え方をあまり好きではないし、特に教育の中身については、杓子定規に対応することには大反対ですが、「教育現場」ということだけを盾にとって、こういうことがゆるんでしまうのはどうかと思えてなりません。わいせつな教員に対しても、せいぜい職場の移動とか数ヶ月の停職くらい。もっとひどい例だと「もう少し気をつけろ」なんていう校長の言葉でおしまいとかね。

まあそれはさておき、私は今回の未履修問題を、受験競争の問題、個々の学校や地方の問題として捉えるだけでなく、教育行政の仕組みの問題、教員という職業的な意識の問題としても捉えています。すでに3県の教育長が高校の校長時代から、未履修について認識していたのに、行政のトップである教育長になってからも黙認していたことを認めているそうですが、そんなこと当たり前です。教諭から管理職になろうとするとき、まず管理職試験を受けます。それに受かると、一旦教育委員会に籍を置く人たちが多い。その後、校長・教頭の退職者に応じて各学校に移動になっていくわけですから、委員会は現場と切り離されているわけではありません。特に各学校を直接管理している指導課は、管理職試験に合格して教諭から人事異動で上がり、教頭・校長予備軍となっている人たちが多いことは、子どもを学校に通わせたことがある人なら皆さんご存じかと思います。
以前にあまりにもひどい校長のことで、教育委員会に電話で相談したときのこと。電話に出た主事さんはとても正直な方らしく、
「大変申し訳ないんですが、校長の指導は我々にはできないんですよ」
と答えてくれました。当たり前ですよね。その校長は主事さんがお世話になった先輩かもしれないし、その後、自分がその校長の部下になってしまうかもしれないわけだから。もちろん、唐突に民間から校長や行政職の長を出せばいいなんて考えてはいませんけれど、現場と行政が一緒になって自分たちの保身をしていたのでは、教育に対する信頼なんて回復するわけがありません。こういう仕組みも、問題を隠蔽し、問題が発覚したときにはとてつもなく大きな問題にしてしまっているんだろうと思います。
今回の未履修の問題も、そんな仕組みの中で起こっていることなので、「教育委員会が把握していなかった」なんていう報道も一部ありましたが、そんなはずがないじゃないですか。委員会が隠していたんです。
ここのところの報道を見ていると、「受験競争のあおり」とか「地域格差」とかいう視点だけで議論がなされていて、「必修科目の見直し」や「受験制度の改革」といった方向に進んでいきそうな気配です。一つの方向としてそういうものが必要であろうとは思いますが、不登校やいじめ、教員の不祥事など、次から次へと起こってくる教育問題を考えるとき、未履修の問題をそれだけにとどめるのではなく、もっと根本的な教育行政の見直しが必要なんだろうと思います。
政府も教育改革を最重要課題と位置づけているようですが、私は、小泉内閣以来の教育改革はまさに多くの問題を吹き出させた元凶だと考えています。経済主導で進めていくような教育改革ではなく、もっと「人の心」に立ち位置を移した教育改革を実行してほしいものです。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年12月28日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第230回「保育園の責任」

先日、駐車場に車を止めて、ニュースを見ようとテレビのスイッチを入れると、
「今朝、10時ごろ、埼玉県川口市で、散歩中の保育園児の列に乗用車が突っ込み、保育園児2名が死亡…」
というニュースが流れてきました。
「どこだろう?」と詳しく見ていると、私の経営する東川口陶芸教室のすぐそばとわかりました。映し出される映像もなんとなく見覚えがあるように感じます。自分の知っていると思われるところで、事故があるというのはとても気になるもので、小鳩保育園という名前から、場所を確かめてみました。カーナビに示された場所を見て、「ああ、あそこかぁ!」と思い出しました。ときどき買い物をしたり、食事をしたりするために、車でうろうろしている一角にある保育園です。緑区大門から東川口駅前を通って鳩ヶ谷に向かう旧道と、オープン間もない美園のショッピングモールから川口市安行へ向かうけやき通りに挟まれた住宅街。けやき通りは道幅も広く、両側には商店が建ち並び、美園のショッピングモールができて以来、もともとそれなりには多かった交通量がますます多くなって、土・日ともなれば、ちょっとした渋滞を招くほどです。その南北に走っているけやき通りを東西に突っ切るように何本かの幹線道路が走っていますが、それ以外の路地はまったく住宅街の中の、交通量の少ない静かな通り。小鳩保育園はそんな住宅街の中にあります。所々に公園や畑があり、散歩を楽しむ人たちもたくさんいます。今回の事故はそんな中で起こりました。
ただ、私には不思議に思えたことがありました。それは、小鳩保育園の所在地は「川口市戸塚」なのに、事故が起こった場所は「川口市戸塚東」だったということです。たかが”東”がつくかつかないかの違いじゃないかと思うかもしれませんが、あの辺りの地理に詳しい人なら、”東”というのが、かなり交通量の多い「けやき通り」の東側で、「戸塚」というのは「けやき通り」の西側。「戸塚」から「戸塚東」に行くには、その「けやき通り」を横断しなければならないということに気づきます。2歳児から5歳児までの30人を超える集団が、道幅が広く交通量の多い「けやき通り」をなぜ渡らなければならなかったのか…。
実際に事故の現場を見てきました。現場に供えられたたくさんの花を見ると、悲しさが込み上げてきます。そこは、けやき通りに面したホームセンターの近くで、ホームセンターから北へ向かう路地。私もときどき通る道ですが、道幅は狭く、対向車とすれ違うのに、充分な道幅があるとは言えないくらい、交通量はそれほど多くはなさそうに見えますが、ホームセンターの駐車場があったり、小規模ではありますが、倉庫や工場のようなものがあって、そこそこ車は通ります。
「どうしてわざわざこんな道を、保育士が大きなカートを押しながら30人以上の園児が列を作って通らなくちゃならないんだろう?」
どうしても私には納得がいきませんでした。保育園のある場所は、事故現場に比べて交通量の少ない場所で、「けやき通り」を横切って東へ向かうより、保育園から西に向かった方が道幅は広く、交通量も少ないのです。

ここまで打ったところで、保育園の周りの状況をもう一度確認しておこうと思って、小鳩保育園のHPを開いてみたら、「えーっ!」とびっくりしました。小鳩保育園て、南浦和にもあったんですね。どこかで聞いたような名前だと思ったら、私の陶芸教室が南浦和にあったころ、毎日のように小鳩保育園の前を通っていたんでした。それが東川口の保育園と同じ経営とはね。ニュースの報道か何かにもあったんですかね? 私はたった今知りました。
事故があった日、娘の麻耶(まや)と話をしました。
「南浦和にも散歩させてる保育園があるよね。駅のそばのすごく交通量の多いところをカートを押しながら散歩してるから、いつも”危ない危ない”と思ってたんだけど、やっぱりあれって危ないよね」
「そうだよなぁ。陶芸教室が南浦和だったころよく見かけたけど、なんでこんなところ散歩させてんだろうって思ったよ。車が多くて、大人だって渡るの大変なようなところをカートを押しながら渡ったりしてるんだからね」
という、まさにその保育園が今回事故にあった小鳩保育園だったのです。
いやー、びっくりしました。「これは、まったくの偶然ではないな」。ますます保育園の責任は重大だと思いました。
小鳩保育園のHPの中に「保育士を目指す人のページ」というコーナーがあります。理事長が「保育士は斯くあるべき」ということを述べているのですが、はっきり言って幼児教育に携わるものとしては失格です。子どもを一人の人格ある人間としてとらえていない。子どもたちに対するそうした園の姿勢が、今回の事故を招いたのではないか。私は強くそう思います。事故を起こした運転手の責任は語るに及ばず、園は自分たちの姿勢を猛省すべきです。
川口市は、保育園の散歩コースをチェックすることにしたようです。もう二度とこのような痛ましい事故が起こらないよう、幼児教育に携わるすべての者が、子どもの安全とは何か、幼児教育とは何かということを考えてほしいと思います。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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