2020年1月25日 (土)

第159回「学校の復権」

昨年、公表された国際教育到達度評価学会(IEA)の学力調査結果で、日本の子どもたちの学力が低下していると公表されて以来、「ゆとり教育」を見直す方向で、文部科学省を始め各地方自治体すべてが、ほぼ足並みをそろえて進んでいます。その後、“ゆとり教育後”の子どもたちの学力が、“ゆとり教育以前”の子どもたちの学力を、ほぼすべての教科で上回っているという調査結果も発表されましたが、こちらには文部科学省や各地方自治体は反応薄。これは、中山文部科学大臣の“詰め込みというよりはたたき込み”という教育観と子どもたちにゆっくりと時間を過ごすことを許さず、隙のないスケジュールの中で何かを学ばせようとする社会的状況が大きく影響しているものだと思います。
ゆとり教育で実際に子どもたちがゆとりを得ていたかというと、必ずしもそうとは言えません。家庭の状況により、学校以外の時間をすべて自由な時間にしている子もあれば、それとは逆に学校以外の時間を塾や習い事といった別な管理形態の中に置く子もいます。ゆとり教育が当初考えられていたゆとりを子どもたちに与えたわけではなく、その是非は別として、少しずれた形で子どもたちに変化をもたらしたと言えるのではないかと思います。
埼玉県の場合、“ゆとり教育”以前に、中学校における“脱偏差値教育”があり、子どもたちに対する学校の影響力は、かなり低下していたと言えます。そこに“ゆとり教育”が追い打ちをかけるような形で実施され、保護者の学校に対する信頼が大きく揺らいだ上、子どもや保護者に対する学校の影響力は、さらに低下することになりました。その結果として、子どもに対する教育が“学校という公権力”から、保護者自身の手に移るという現象も起こりました。
けれども私は、“脱偏差値”や“ゆとり”自体が、即そういう結果を招いたとは考えていません。その間、教員の不祥事は相次ぎ、学校を標的とした事件も数多く起こりました。そして今も起こり続けています。教員に対するこれまでの信頼や学校の安全神話はすっかり崩壊してしまいました。雪印や三菱自動車、そしてJR西日本といった民間企業が起こす不祥事と何ら変わることがない性質の問題に、私たちが抱く公権力に対する不安と憤り。そういったものも含めた教育の状況が、今の結果をもたらしているのでしょう。
先日、埼玉県教育委員会が、子どもだけでなく親をも教育する方針を打ち出したという報道がなされました。子どもをどう育てていいかわからない親を支援するということなら、わからなくはありませんが、低下した学校の影響力を回復させることが目的なら、傲慢としかいいようがありません。
どちらかというと私は、学校教育に対して保守的な考えを持っているので、“学校はない方がいい”などと考えているわけではなく、学校に対する社会の信頼を回復することが大切だと考えています。学校が保護者や子どもからの信頼を回復するためには、親への教育をするなどということではなく、絶大なる権力を持つ学校の綱紀粛正から始めないと、本当の意味での信頼は獲得できないのだろうと思います。
親の教育力の低下を否定するものではありませんが、まず行政がしなければならないのは、学校が本来持たなければならない教育力を向上させること。そのことなくして学校への信頼回復はあり得ません。学校が現状から“復権”を果たすには、学校自ら傲慢さを捨て、謙虚になることが重要なのではないかと思います。


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月12日 (火)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第146回】「男の子もいるのになぜ子女なの?」

毎週木曜日は朝からカルチャーセンターの講師をする日。午前中は春日部、午後は越谷のカルチャーセンターで陶芸を教えています。会社の事務を私がほとんど一人でやっているので、カルチャーセンターで丸一日時間を取られてしまうのはちょっとつらいんだけれど、浦和から春日部、春日部から越谷、越谷から浦和という通勤の時間は、私にとって重要な情報収集の時間になっています。

なーんちゃって!
何が情報収集の手段かっていうと、テレビとラジオなんだから大したことはない。去年まで乗っていた車はテレビなし。ラジオだけだったんだけれど、約20万㎞乗った末(よくここまで乗ったよね。こんなに乗ったの初めて!)買い換えて、今度はナビつきのになりました。ナビにテレビも搭載されているので、私の情報源もラジオだけからラジオとテレビに増えたわけ。純正ナビの欠点(?)で、サイドブレーキをかけないと画像は見られないんだけれど、運転中でもとりあえず音だけは聞こえます。

曜日と時間がほぼ決まっているので、いつも情報収集の番組は同じ。朝はやっぱりニュースやワイドショー系の番組、帰りはラジオの情報番組。お昼はっていうと、そりゃーもう「笑っていいとも」。
カハハッ、“それが情報源かよ!”って感じだよね。ちょっと恥ずかしい…
というわけで、先週の話。

木曜日は視聴者から寄せられた疑問に答えるコーナーがある(なんていうコーナーだったっけ? ちっともそういうところは聞いてないらしくて全然思い出せない。いかにもバラエティらしく、出演者が質問に対するプレゼンやったり趣向を凝らしている)んだけど、先週「“帰国子女”っていうときの“子女”っていう言葉はどうして“子”と“女”で“男”と“女”ではないのか」(ちょっと言葉が違うかもしれないけれど、だいたいそんなような内容)という質問が寄せられました。

回答は文部科学省からもらったということで、「“子女”の“子”が“男の子”という意味で、“子女”で“男子と女子”という意味です」という回答でした。私はここでタモリ(敬称を付けようか迷ったけど、ちょっと失礼して)が、「じゃあ、なんで女子は女っていう文字を使うのに男子は男っていう文字を使わないのか」って突っ込むのかなあと思ったんだけれど、時間が押していたのかフジテレビの意向なのか「ああ、そうなんだあ」で終わってしまったので、ちょっとがっかり。

広辞苑によると「子(し)」は、①こども。特に、むすこ。②男子の敬称。③日本で、女の名に添える語。(光明子・式子内親王)。大辞林によると①こ。こども。②独自の思想・理論をもって一家をなした人。(ともに後略)
大辞林にも接尾語として「読書子」とか「編集子」とかいう場合には「そのことをもっぱら行う男子の意味を表す」とあります。

確かに“男”という意味がないわけじゃないけれど、“女”っていうのに対して“子”が単純に“男”っていうのは無理があるような気がする。素直に考えればやはり“男女”の方がいいんじゃないのっていう感じ。“子”って言葉には“むすこ”っていう意味がないわけではないけれど、やはり素直に考えれば“子”は“子ども”かな? だとすると”男の子が子ども“で“女の子は子どもではない”っていう意味を含んでいる。要するに女は家を継ぐ“子”ではないわけだよね。「子女」っていう言葉がいつできたか、もっと掘り下げて行かなくちゃいけないんだろうけれど、どう考えても、女性を蔑視しているとしか思えない。文化を継承することも大切だけれど、一部の人間にとって都合のいい文化だけが残っていくとしたら問題だよね。

たかが言葉ぐらいでがたがた言いたくないけれど、女性ばかりしかいないPTAで女性の権利が認められていなかったときの「父兄」はやっぱりおかしい。学校の公文書は「保護者」で統一されているのに、未だに(というより以前より最近の方が)先生方の多くが母親に向かって「ご父兄」って言ってる。いくら一般化している言葉だからといって、「父兄」っていう言葉には母親っていう意味が入っているって考えるのは、ちょっと無理がない? 相当言葉が乱れてる。漢字の意味をそこまで壊しちゃうのが文化の継承なのかなあ? 「子女」の“子”には、“女”は入ってないんだもんね。なんだかちぐはぐだし…。

“矛盾した憲法”の改正論議は進んでいくことになりそうな気配だけれど、“矛盾した言葉”の改正論議ももっと真剣にした方がいいんじゃないの? 男女共同参画社会の実現にはかなり時間がかかりそうですね。


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2019年11月10日 (日)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第142回】「学習障害と注意欠陥・多動性障害」

「県内の小中学校の通常学級に在籍する児童生徒のうち、学習障害(LD)や注意欠陥・多動性障害(ADHD)の可能性があるなど、特別な教育的支援が必要な児童らの割合は10.5%にのぼることが、県教育委員会の調査でわかった。02年に文科省が実施した全国調査の6.3%、03年度に東京都が独自に実施した4.4%を大きく上回っている」(朝日新聞埼玉版)という記事が1月8日掲載されました。

けれども10.5%なんていう数字はにわかに信じがたい。
「調査は、県内すべての公立小・中学校から全児童生徒の32%にあたる18万6180人に実施した。“集中し続けることが難しい”など、文科相の調査とほぼ同じ約75項目について、担任が3~4段階で点数化し、判定した」そうだ。

この数字を信じるとすると、40人学級だとして各クラス4人程度のLDやADHDがいることになります。多いような少ないような微妙な数字だけれど、1学年4クラスだとして学年に16~7人程度。“う~ん”っていう感じ。

調査の結果「知的発達に遅れはないものの学習面や行動で著しい困難があるとされた児童生徒の割合は10.5%だった。特に、じっとしていられないなどの多動性、衝動性については、文科相調査の約2.3倍にあたる5.7%にのぼった。“聞く、話す、読む、書くなどのいずれか複数で困難”な児童生徒は7.2%。対人関係などが著しいとされたのは1.4%だった」んだそうです。

ここまでくると“な~るほど”って感じ。
最近の子どもたちの様子を語るときに、「わがままで、自分勝手」とか「協調性がない」とかいうような言い方をしますよね。「子どもは1人」なんて決めている夫婦があったり、ゲーム機の普及で遊びの形態が変わったりで、家庭の中でコミュニケーションをとる機会が少なくなっているので、無理もないかなと思います。そう考えると、対人関係が上手くとれない児童生徒が多そうな気がするのにそれは1.4%しかない。

昨年の秋、中学校から「お宅のお子さんは、アスペルガー症候群(大まかな言い方をすると軽度の自閉症)か注意欠陥・多動性障害と思われます。学校では手に負えないので、別な機関での対処をお願いします」と宣告されたというお母さんが相談に見えました。はじめは、それなりの障害があるものと思って話を聞いていたのですが、なんとなく話がおかしい。授業中、席に着いていられず教室内をウロウロしたり、教室を出て行ったりしてしまうということなので、私が頭に描いたのは、非常に落ち着きがなく、ぶつぶつ独り言を言ったり、いつも何かをいじっていたり、辺りをきょろきょろ見回してしまうようなそんなイメージでした。当然、人とのコミュニケーションが上手くとれない子を想像します。ところがどうもそういう風ではない。授業はきちんと受けられないのだけれど、友だちも多くて仲がいい。

あとでわかったことですが、現在中学3年生のこの男の子は、1年生のころ偏差値が70くらいあり、現在の偏差値は50台半ばくらいだということでした。
お母さんは「絶対来ないと思う」と言っていたのですが、お母さんとの数回の面談のあと息子さんと直接会うことができました。

どこか話がおかしいと思いながらも、先入観というのは恐ろしいもので、一度“アスペルガー”とか“注意欠陥・多動性障害”という言葉を聞いてしまうと、当然落ち着きがないものとして見てしまいます。私の部屋のソファーに座っても、常に頭はフラフラ、手はもじもじ。「なるほど、こういうことか」とつい納得したりして。
ところが10分もしないうちにぽつりぽつりと話を始めると、とてもしっかりしているではないですか。

「授業、全然面白くないじゃん。あんなの聞いてらんねえよ。教員なんてみんなやる気ないから。特に英語の教員なんて顔も上げないで、ボソボソ言うだけ。何にも聞こえねえし、あんなんじゃあ教室にいても意味ないから、外行くんだよ」
「出ていこうとしても止めないの?」
「“どこ行くんだ?”て一度は言うけど、それだけ。本気じゃないんだ。そのあとは何も言われないよ」
「ふーん」

つづく

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2019年11月 9日 (土)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー 第136回】「親子の関係」

 皇太子妃雅子さまの祖母、江頭寿々子さんが亡くなったという報道がありました。新聞には、雅子さまが愛子さまを連れ、お母さまとの間であいさつをかわしている写真が載り、テレビでは、その場面の映像が流れました。なかなか御公務に復帰できない雅子さまですが、「こういう報道に耐えられる程度にはご回復なされたんだなあ」とご不幸のときではありますけれど、ちょっと暖かいものを感じました。
この時の写真や映像を見て強く印象に残ったのは、雅子さまのお母さまが雅子さまと愛子さまに深々と頭を下げるご様子です。
「おい、おふくろ!」とか
「くそばばあ!」とか
「おまえなんか、死んじまえ!」なんてやっている“われわれ平民”とは大違い。
”親子や孫の関係であんな風にしていなくてはならないのはなんなんだろう?”とちょっとお気の毒に映ったりもして…。もっとも、もし雅子さまが皇太子さまとご結婚なさらなかったとしても、まさか「くそばばあ!」なんて言ってたとは思えないけどね。
紀宮さまのご結婚が決まり、間もなく紀宮さまは平民に。結婚前と結婚後で一人の人間の中身が大きく変わってしまうなんていうことはないのに、平民から皇族へ、皇族から平民へとの変化は大きく人の人生を変えてしまいますね。
平民になったからって、まさか紀宮さまが自分の子どもから
「くそばばあ!」なんて言われる日がくるなんていうことは雅子さま同様、ありえないんだろうけど。

さて、親子関係の築き方ってとっても難しいよね。いろいろなことが原因で子どもが危機に瀕したときはなおさら。話を聞いてみると“そこはこう対応すべき”って思う場面がよくあるんだけれど、お父さんもお母さんも、なかなかそう対応しきれない。特に学校が絡んでいる場合は“学校に××って言ったら、××っていう答えが返ってきたのでもう学校には期待しません”ってなっちゃう。
例えばいじめに対する学校の対応が悪いとき(そもそも学校の子どもたちに対する対応が悪いからいじめが起こっているわけで)、“何を言ってもろくな答えが返ってこないので学校には期待しません”ってなっちゃうと、お父さんとお母さんはそれ以上学校と付き合わなくてもすむわけだけれど、子どもはその後も学校に通わなければならないわけだから、子どもはいじめを受けてる環境から逃れられないことになっちゃう。
こういう対応はとっても悪くて、下手をするともっとひどいいじめにも繋がりかねない。それを嫌うお父さんお母さんは、“だからあまり波風立たないように先生に対する攻撃はしないで、軽くいじめがあった事実だけをお話ししてきました”となる。それで学校がきちっとした対応を取れるのならいいけれど、そもそもいじめが起こっちゃうような対応をしている学校なんだから、それですむはずがない。
やはり親がとらなければならない態度は、学校が“いじめが完全になくなるような対応をとってくれるまでは絶対に引かないこと”。ところがこれができる両親はほとんどいない。これは学校に対する対応だけに言えることじゃなくて、子どもに対する対応にも言えることで、こういう両親は概して子どもに対しても同じような甘さがある。“厳しい”っていうことの中身の難しさはあるけれど、やはり子どもに対する厳しさは必要だよね。
“厳しさ”の中身については、また後日。

うちのクライアントの女子高生がお父さんに向かって、「他界しろ!」って言ったそうだけれど(“死ね”じゃないところがこの子のすごさなんだけれど)、愛子さまが皇太子さまにそんな言葉をお吐きになったら、果たして皇太子さまは厳しく対処するのかなあ?
まっ、そんなことはありえないんだろうね。そんな言い方って、やっぱり平民の世界でのことなのかねえ???

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー 第135回】 「権利と義務の逆転」

 11日の朝日新聞に「都立高「奉仕」必修へ」という記事が載りました。

 東京都教育委員会は07年度から、すべての都立高校に「奉仕体験活動」を必修教科として導入する方針を固めた。05年度は単位認定などに関する研究校20校を指定する意向で、新年度予算で300万円を財政当局に要求した。学校教育での奉仕活動を巡っては、森首相当時の私的諮問機関「教育改革国民会議」で義務化が検討されたが、「自発的でないと意味がない」などの反発で義務化を見送った経緯がある。
-中略-
 都教委幹部は導入の狙いについて「内容はボランティア活動と変わらない。生徒がいろいろな人と交流し、活動を通してより広いものの見方ができるようになることを期待する」と話している。

もちろん、奉仕の心を否定するつもりはないけれど、「奉仕」といえば教育改革国民会議が義務化を見送った通り、「自発的」ということが基本なのは当然です。こういった労働が義務化するということは、軽率に行われるべきものじゃなくて、じっくりと議論されるべきものだと思います。
「たかが奉仕くらいのことで何を大げさなことを言っているのか」とお思いの方もあるかもしれないけれど、私が根本的に心配するのは、既成事実の積み上げによって、しだいに権利と義務が逆転してしまうことです。「奉仕」ということを強制してしまうと、大人に科せられた「教育を受けさせる義務」と子どもの持っている「教育を受ける権利」が変質してしまって、本来守られるべき「教育を受ける権利」が「教育をする権利」へといつの間にかすり替えられてしまう恐れがある。実は、末端の教師の意識の中にはそういったものがすでにしっかりと根を張っていて、子どもの教育を受ける権利は、かなりないがしろにされている。
最近うちにお出でになる方からの教育相談で強く感じるのは、「学校のやり方が非常に乱暴で強引になっている」ということです。守られなければいけない「子どもの権利」と果たさなければいけない「教師の義務」がすっかり逆転してしまって、子どもは義務を課せられ、教師が権利を主張している。
「お宅のお子さんは病気なので集団行動には馴染めません。家庭の責任において学校に来させないでください」
「何をしでかすかわからないので修学旅行には連れて行けません」
「危険なので通学班にはいれられませんから保護者の方が学校まで付き添ってきてください」
などなど、学校が保護者を呼びつけて通告のような形で行われています。
けれども、そう“通告”されたお子さんたちに会ってみると、これが全然そんなことを言われるようなお子さんたちではない。要するに指導力のない教師が指導しきれない子どもたちを家庭の責任という名のもとに投げてしまっている。
どうも学校や教師の力量不足を表に出さないために、それに気づいた勘のいい子どもや親たちを切り捨てる方向に学校が動いているとしか思えない。
保護者は素人ですし、“子どもを人質に取られている”という意識がありますから、学校がそういった行動を起こしたときには、もうなすすべがなくなってしまいます。
基本的に権利があるのは子どもで、義務を負っているのは教師なんだから、それをきちっと意識した上で教育は行われるべきです。
今回の都教委の決定がそれとはまったく逆の方向に進むことを助長するようなことにならなければいいのですが…。

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2019年11月 7日 (木)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第133回】 「学校の水」

「最近、お母さん方の中から学校に水筒を持たせたいという意見が出ているのですが、皆さんの学校ではいかがでしょうか? 中学校ではあまりないのではないかと思いますので、小学校が中心ということになるかと思いますが」
「ウチの学校では、水に限って運動会の日までということで認めています」
「ウチは認めていません。水筒をどこに置くかっていうことがけっこう問題で、まあ机に掛けておくと授業中に飲んだりする心配もあるので。そうなると歯止めがかからなくなっちゃいますから」
「ウチの学校でも運動会までです。お茶くらいはいいのではという人たちもいますが、ジュースを入れてくる子がいるかもしれませんからねえ。やはり“水のみ”ということで限定していますよ」
「ウチの学校は9月いっぱいです。9月いっぱいまでは暑い日もあるので。一応暑さ対策ということで…。学校の水はどうしても生ぬるいんでねえ」
地域のPTA連合会の会長・校長会でのことです。
わが家の地域では、他校との情報交換のために年に数回、地域のPTA連合会主催で会長・校長会が開かれます。会についての世話役である当番校が開催の日時・場所・内容を決め、2学期はじめと3学期の中頃に開かれるのが通例です。当番校を除いて各校出席者はおおよそPTA会長・副会長・校長で、学校とPTAのトップが集まる会合です。
「会長・校長会」という名前の順序が面白いでしょ?! もちろんPTA主催ということもあるけれど、保護者と学校とでは必ず保護者が先。こんな形式的なことだけじゃなくて、学校運営もそういう意識の上で行われるといいんですけどね。

(私と私の隣に座っているウチの学校の校長とのヒソヒソ話)
「なんであんなことを真剣に議論しなくちゃならないんですかねえ? ウチの学校はお茶も認めてますけど、ジュースを持ってきちゃう子なんていないでしょ?」
「そういうことはありませんよ。ほとんどの子は水です」
「もうちょっとおおようでいいんじゃないですか、ウチの学校みたいに。親だってわかってないわけないんだから。何か言わないとまずいでしょうねえ」

私が挙手をして、
「ウチの学校は一応夏だけですけど、特別期限も定めず、お茶も認めていますが、校長先生方のおっしゃるようなジュースを持ってきたり、授業中に飲んだりというような問題は一つも起きていません。基本的には子どもたちを信じて保護者に任せるということでいいのではないですか」

それまでどう規制するかでいろいろと発言をしていた校長先生方も「うっ」と詰まって、何も意見が出なくなってしまいました。司会者が、「自由に持たせているところでも、あまり問題は出ていないようですね」とまとめてくれたので、その話題はそれで終わりになりました。

10月30日の朝日新聞朝刊に「水筒持参登校 ダメ?」という見出しの記事が載りました。「学校の水は安全か」という観点で取り上げられていたようですけれども、「安全でないから水筒持参」というのはどうかな? 本当に安全か安全でないかの検証をする前の議論としてはふさわしくないような気もします。安全でないとしたら、まずやらなくてはならないのは、安全にすることのはずだから。もちろん安全が保証されるまでは水筒持参ということになるんでしょうけれど。
安全性の問題は、それぞれの価値観の問題なので難しい問題ではあるけれど、そこまでいうなら「給食も」ってなってもいい気がします。
私は基本的に「持っていきたい人は持っていったらいいじゃない」と考える方だけれど、水筒持参のことで問題にしたいのは、「水の安全」じゃあなくて、保護者や子どもを信用しない学校の姿勢。そこの部分が変わったら、学校の水に不安を持っている人たちも水筒が持っていけて“安心”ということになるんじゃないのかな?


**11月1日(月)掲載**

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第131回】「幼稚園決定!!」

蓮(れん)を入園させる幼稚園で悩んでいた麻耶(まや)。
「私が出た幼稚園てさあ、そんなに悪い幼稚園じゃなかったよねえ?」
「そうだね。この辺の幼稚園を全部見て回って決めたからね。大きく分けると2つに別れるでしょ。一方はやたらと幼児教育に熱心で、部屋からほとんど出ないで読み書きとか英会話とかばっかりやらせてる幼稚園。もう一方は昔風のっていうか、男の子・女の子っていうみたいなしつけにこだわってるような古い感覚の幼稚園。麻耶が通ってた幼稚園はその中間くらいかな?」
「ああああ、なんかわかる」
「園庭の広さとか、遊具の種類とか、子どもたちの様子とかを見て決めたんだけど、まあまあだったかな。主任の先生が園長先生のお嬢さんでまだ若かったからけっこう柔軟で、保護者の意見も取り入れようっていう感覚があったからね。まあ、それが逆に自信のなさに繋がって変なことになっちゃうこともあったけど」
「なるほどね」
「ただ給食のことにはかたくなで、とにかく残さないで食べるように指導してたよ。全部食べないとシールがもらえないの」
「ああ、覚えてる」
「おまえはレバーを無理やり食べさせらた」
「そうそう。涙流しながら吐いちゃったんだ」
「覚えてるんだ?」
「うん。相当嫌だったんだろうね。でもそれ以外は嫌なことなかったよ。楽しかったことは記憶にあるけど、嫌だったことは全然記憶にないもん。翔(かける)の通ってたところもいいとは思うんだけど、毎日お弁当だし、延長ないし…。ちょっと用事で遅くなるっていうのもできないしなあ」
「あそこは間違いないよ。園長先生の教育に対する理念ははっきりしてるし、子どもたちも伸び伸びしてる。まあ欠点を言えば、ちょっと教育に対する理念を親に押しつけすぎるかな。その理念を信頼して入れてるわけだから仕方ないけどね」
「なるほどねえ。明日ね、説明会があるんだよ。あたしが行ってた幼稚園の願書もらってこようかなって思ってるんだ」
「おまえ、あそこに入れるの? 私は翔の行ってたところに入れてほしいけどなあ…」
「まだわかんないよ。だからそっちも見てくる」
妻と麻耶はそんな会話をしていました。

「麻耶はやっぱり自分の行ってたところがいいみたいよ」
「そりゃあそうでしょ。自分の行ってた幼稚園を悪くは思いたくないし、実際そんなに悪い幼稚園でもなかったし」
「でもねえ、やっぱり幼稚園の姿勢が気に入らなくて翔を途中でやめさせたわけだから」
「まあそうだけど、いくつかの部分で妥協すればね。どこの幼稚園にも問題がないわけじゃないから」
「“パパには相談した?”って聞いたら、“麻耶が決めればいいって言うだけだもん”て言われちゃったよ」
「まあそういうことだね」

蓮はまず麻耶の出た幼稚園に連れて行かれました。3歳児のクラスはすでにいっぱいでしたが、“ここの卒園生なんですけど、息子を入園させたくて”と言うと、とりあえず願書はもらうことができました。
受付で、
「お名前は?」
の問いに蓮は何も答えることができません。
「あれっ? お名前言えないの? お名前言えないと幼稚園に入れないよ」
いきなりこの言葉。その後の園長先生(麻耶が通っていたころの主任)のお話は、“幼稚園は厳しいところ、怖いところって教えないでください。楽しいところ、行きたいところとお話ししてください”。父母の会の会長さんのお話は“ここの幼稚園を出たお子さんは、小学校に行っても何も困ることのない、しっかりとしたお子さんになれます”。受付での対応と園長先生のお話、会長さんのお話、それぞれのギャップを感じながら、翔の出た幼稚園へ。
こちらの園では、年少・年中の子どもたちが園の中をウロウロ。中にはモップを振り回してる子までいて。

「園長先生がそばに立ってるのに、モップ振り回してる子全然注意しないんだよ。危ないっちゅうの。あそこまで徹底してるのってすごいよね。とにかく怒らない。でも、奥の方の部屋の子たちはちゃんと席について静かだったよ。あれ年長さんたちの部屋だよね。あんなにウロウロしてる子たちが年長になるとああなるんだよねえ。それがすごいよね」

この問題にけりをつけたのは蓮自身でした。
「蓮くん、かっくん(翔のこと)の行ってた幼稚園に行く」
それまでそんなことを一度も言ったことのない蓮が、突然そう言いました。受付の先生の対応にちょっと腹を立てていた麻耶も、
「よくわかったよ。ありゃあダメだ、ダメ。やっぱり翔のところだね」
どうやら麻耶は、毎朝お弁当を作る決心をしたようです。

**10月18日(月)掲載**

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第130回】「体力の低下」

子どもの体力がとっても落ちてるそうです。

昨夜(11日)、たまたま見ていたTVで、蕨の塚越小学校での取り組みを取り上げていました。体力の向上に雑巾がけを利用しているというもので、昔ながらの雑巾がけのスタイルで、教室の端から端へと一列に並んで雑巾がけをしている様子が放映されていました。そして雑巾をゆすいだあとは、ギュッと絞らせる。かたく絞れたかどうか先生がチェックします。

最近の子どもたちは、“ギュッと絞る”なんていう行為をすることはほとんどないので、絞れない子もけっこういます。たしか息子が4年生か5年生のときだったと思いますが、PTAの行事で子どもたちとかかわった際に、子どもたちが雑巾を絞るのを見ていたら、まるでおにぎりを握るみたいに雑巾を丸めて絞っている子がいました。

陶芸を教えていると後かたづけのときはもちろんのこと、作品を作っている最中にも、粘土が乾かないように使っていない粘土にかぶせておくため、濡れタオルを必ず使います。今年の夏もカルチャーセンターで親子講座を受け持たせてもらいましたが、きっちり絞れる子は3分の2くらいでしょうか。もっとも粘土が乾かないように使っていない粘土に濡れタオルをかぶせる場合は、おにぎりのように絞ったくらいの濡れ具合がちょうどいいんですが…。

もちろん絞り方自体はちゃんと出来てる子が多いのですが、昨夜TVで見たように、ギュッと絞れる子は少ないような気がします。

雑巾をギュッと絞らせることで、握力が向上するのだそうです。“なるほど、そう言われてみるとそうだよな”と納得して、“誰がそんなこと考えたんだろう”とえらく感心してしまいました。

体力の向上に外での運動を使うのではなく、日常の生活行動の中から体力の向上を図るというのはけっこういい方法かなとは思います。けれども、それを見ていて“今の子どもはかわいそうだなあ”とも思いました。それは、なんだかとっても不自然な感じがしたからです。子どもたちの生活から、体力が向上するような行動を奪ったのは大人たちなのに、今度は体力が低下したといって、子どもたちが普通に生活しているときには必要のない行動を新たにとらされる。子どもたちの生活はどんどん便利になり、そのおかげで日常生活の中から“無駄な時間”はどんどん減っています。例えば、ナイフで削っていた鉛筆は、鉛筆削りで削る(それも手動から電動で)ようになり、さらにシャープペンシルを利用するようになりました。背中を紐で縛っていた給食用のエプロンはマジックテープに取って代わられ、見えないところで紐を縛る必要はなくなりました。おそらく私が子どものころに使っていた“無駄な時間”のほとんどがなくなったんだと思います。

そういえば、昔はよく“ちょっとそこの乾物屋まで片栗粉を買いに行ってきてくれないかい”なんていうのもありましたけれど、最近の買い物は近所の小売店ではなく遠くの大型スーパーになっているので、そんな“無駄な時間”もなくなっていますよね。
そして子どもたちの浮いた時間のほとんどは塾に当てられている。そして“無駄な時間”とともに失われていってしまった体力を向上させるために“雑巾がけと雑巾絞り”が新たに入ることになった…。

体力が落ちていることの原因にTVゲームがよくあげられます。それはそれで、否定はしませんが、遊び場を奪われている子どもたちにとって、TVゲームはとても大切な遊びになっています。子どもの体力が落ちているから、体力向上のために何か工夫をするというのもわからなくはないけれど、子どもの遊び場を大人が奪っているという現状をもっと真剣に考えて、子どもたちが必要最小限(必要最大限かな?)の体力を維持できるように社会全体の構造を考える必要があるのではないかと思います。


**10月12日(火)掲載**

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2019年11月 6日 (水)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第126回】「小学生が留年?!」

どうも義務教育に対する改革のやり方は安易だね。ちょっと怖い。
河村文科相が朝日新聞のインタビューに答えて「義務教育段階でも落第とか原級留め置き(留年)とか基礎基本が身についてから次に進むという考え方を研究しなければならない」と発言したそうだけれど、今の段階でのこういう考え方がそもそも教育界の問題なんだと思う。

何らかの教育改革が必要だとは私も思うんだけれど、どうもその改革の方向が子どもに負担を強いるようなことが多くなってきてるような気がして、ちょっと怖い。6・3制の弾力化の問題にしても「弾力化」をするわけで全国一斉にやるわけじゃないから、6・3制が残っているところとそうでないところができちゃう。地域によって違うっていうことを否定はしないけれど「転校したときどうするか」という疑問に「子どもの適応力は高い。遅れていれば補習すればいい」って片付けちゃうところが気に入らない。なんで制度上の問題を「補習をする」みたいな子どもの負担にすり替えちゃうの?
確かに子どもの適応力は高くて、いろいろな問題を自分の中で消化して成長していくよね。ロシアの学校占拠事件で救出された子どもたちのインタビューには驚いた。あの極限状態の中で事細かに観察したことを正確に話す冷静さ。ああいうものって大人にはなかなかできないことで、子どもの適応力ってすごいと思った。

でもね、そういうものって偶発的に発揮されるもので、それを期待して制度を作ろうとするのはちょっとね。やっぱり適応できない子もいる。

教育相談にくる子どもたちの中には、DVの影響で心を閉ざしてしまった子や免職にしたいような「教職員の対応のまずさ」で不登校になってしまった子もいる。子どもというのは適応力は高いけれど、同時に大人よりももっと純粋で繊細なものも持ってる。
そういう子どもの心を考えたら、「適応力が高いから、補習をすればいい」なんていう言い方になるかねえ???

「落第・留年」も然り。基礎基本が身についてから次に進むっていう考え方がわからないわけじゃない。でも、基礎基本が身につかないのは子どものせい? そんなわけないよね。問題なのは身につかない子どもじゃなくて、身につくような指導ができない大人。「落第・留年」ということになれば、身につかないことの責任をとらされるのは子どもということになる。

まず、教育改革でやらなくてはいけないのは、教員の質の向上。昨日も、2つの高校の文化祭に行ってきたけれど、高校によって違うこと、違うこと。何が違うって、生徒の向いてる姿勢。別に進学に燃えてる学校がいいとは思わない。何に対しても真剣に取り組む姿勢は大事だよね。文化祭みたいな、なんだか騒いでるだけみたいなときでも、やっぱりそこの姿勢は出るもんで、1つの学校はなんだか分けわからないつまらない発表みたいなところ(誰も来る人いないだろうなって誰でも思うような)にも、ちゃんと2人の生徒がいて、「どうぞご覧ください」「ありがとうございました」って声をかけてくれるのに、もう1つの学校は、生物部や地学部みたいな、まさに文化祭の主役にならなくちゃいけないような部の展示のところに行っても、誰もいない。入ろうかな、どうしようかなって迷っちゃうくらい。入ってみたら、生徒がいないんじゃなくて、展示してあるボードの裏で何か食べながら騒いでる。一回り見ている間にも誰も出てこない。

2つの学校の違いはどこにあるんだろうって思ったら、やっぱり一生懸命やってる方は先生の姿が見える。来校する人たちに笑顔で挨拶して、子どもたちとも笑顔で話してる。ところがやる気のない学校は、どこに先生がいるのかもわからない。あれ先生かなって思うとみんなしかめっ面をしてる。

教育を改革しようとしたら、子どもに負担をかけるのではなくて、まず教員の質を向上してほしい。落第・留年なんて差別を招くだけだよ。

**9月13日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第125回】「不登校と校内暴力 その2」

8月28日の朝日新聞朝刊には「小学生の校内暴力1600件 児童間、半数超す」の見出しで、校内暴力についての調査結果が大きく報道された。

03年度に公立の小学校内で児童の起こした暴力行為の件数が前年度比27・7%増の1600件にのぼったとする調査結果は、かなりショッキングでセンセーショナルだ。文科省は「憂慮すべき事態で、感情の抑制についての指導を強めたい」ということのようだが、どうも私には「指導を強めたい」が先にありきで、それに沿った形で調査が進められているような気がしてならない。

さまざまな研修先で、児童の問題行動についての事例発表は多い。「落ち着きがなく、人の話を聞けない」「じっと席に座っていられない」「おとなしくしていた子が突然きれる」「友達の輪に入れない」「些細なことでも教師に助けを求める」など、きりがない。そういった事例がここ数年増えているというのは確かなのだろうとは思う。そういった中で校内暴力が増加傾向にあるというのもわからなくはない。しかし、02年度に比べ03年度の校内暴力件数が突然27.7%増というのも変な話だ。

神奈川県は小中高生が起こした校内外の暴力行為は都道府県別で全国最多の5321件で、なかでも小学校は前年度より80%多い237件だったそうだが、生徒指導の担当者は「一部の子どもが暴力的になっている面はあるかもしれないが、小学生全体で校内暴力が激しくなっているとは考えていない」のだそうだ。

また、沖縄県でも暴力行為件数は605件で前年度より約4割増えた。昨年7月、県内の中学2年生が友人から暴行を受け死亡した事件が発覚した結果、生徒間のいじめが一因との情報もあり、義務教育課は「事件を機に各学校が子どもたちの細かい部分に注意するようになったのに加え、トラブルを表に出すように意識が変わってきた」と件数増の理由を説明しているそうである。

大阪府は以前から些細なトラブルでも報告するよう各校に要請してきたそうである。今回の調査でも「暴言をはいた」「教員の体を触った」といったケースも「暴力行為」に数えた結果、府内の暴力行為は全国ワースト2の4358件で前年より18%増えた。
こういった調査が無意味だとまでは言わないが、調査の基準が曖昧な上、教育課程の改訂や生徒指導の強化といったようなことがまずあって、それをねらってセンセーショナルに扱われるようなことがあってはならないと思う。

この調査ではいじめの発生件数は、5.2%増の2万3351件。全体の約2割にあたる7860校で起きたそうだが、私の感覚ではいじめが全体の5校に1校にしかないなんていうことは信じられない。さらに小学生のいじめは6051件、6.9%増で、学年が上がるほど増える傾向にあるのだそうだが、03年度中に小学校で起きたいじめのうち87.6%は年度内に解消したという。 まさかいじめの9割近くが、数ヶ月で解消するわけがない。

調査結果にケチをつけるのが目的ではないが、雑な調査結果をセンセーショナルに扱っても、校内暴力がなくなるわけではない。佐世保の事件に代表されるようなショッキングな事件が多発する中で、今私たちがやらなければならないのは、子どもたちと丁寧に向き合い、一人一人の心を大切にすることだと思う。大味で派手な政策ばかりを優先するのではなく、学校の中で日々交わされる先生と子どもたちとの会話が、優しさに包まれた会話になるような政策を、ぜひ実行してほしい。

**9月6日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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