娘の麻耶は、4月から大学に通うことになりました。おなじく4月から小学校に入学する息子と幼稚園の年長になる娘を持っている28歳。幼児教育を学ぶんだそうですが、果たしてどんな学園生活になることでしょう。
入試の面接では、
「あなた、その年齢になって幼児教育を学んだって、就職は難しいですよ」
と露骨に言われたとかで、合格発表があるまで不安になっていましたが、何とか合格。私に言わせれば、少子高齢化のこんなご時世。潰れてしまう大学がある中で、ごく一部の大学を除けば、学生の質はどんどん下がっているわけだから、幼児教育を学ぶ学科にとって、子どもがいて高齢(大学で学ぶという点については)で、それでも大学で学ぼうなんていう学生は、むしろ歓迎。わざわざ幼稚園、保育園に行って実習をしなければ聞けない保護者の話が、毎日だって聞けるわけだし、教材としても最適。「受からないわけないだろ」ということになるわけなんです。推薦入試だったので、まあ最終的には、大学側の選択ですから、当然「そんな遠回りをした学生はいらない」ということになれば、落ちることだってあったのですが、なんとか合格しました。
大学に入学すると“遊んでしまう”学生が多いからなんでしょうかねえ、まだ入学しないうちから論文提出。1本提出するとしばらくして添削されたものが返却され、それと同時に次の課題が出題されるという具合で、計3本の論文を書かされていました。
「おまえ論文なんて書けんの?」
「書けるわけないでしょ! だから代わりに書いてよ」
「いきなりそれかよぉ。おまえねえ、大学でだって書かされるんだよ。家で書いて提出するやつだけ手伝ったって、大学で書くやつはどうすんだよ!?」
「女装でもして書いてきてよ。そうしないと“あれっ、こいつ、この前の文章とずいぶん違うなあ…”って変に思われちゃう!」
「バカ言ってんじゃないよ! だから、最初から全部おまえが書けばいいだろっ!」
「まあ、しょうがないか…」
というわけで、麻耶が3本の論文を書くことになりました。(当たり前のことなんですが)
それでも一応提出前には、妻と私に「これでいいかなあ?」と見せるので、適当に目を通しては、「はぁ、まあいんじゃん」なんてやっていたのですが、「あれっ、割と書けるんだぁ」とちょっと意外な感じも受けました。妻もそう思ったらしく、「おまえ、私よりうまいかも」なんて、麻耶に言っていました。
3本ともEメールのコミュニケーションについての論文で、麻耶なりに自分の経験を織り交ぜながら、書いていました。1本目も、2本目も「大変よくできました!」みたいな評価をもらったので、3本目もそれなりの期待があったのだと思うのですが、3本目は「誤字には気をつけて! ~中略~ 図書館の本を読破してください」なんていう評が書いてあるものだから、麻耶は「字も書けないようじゃあ、図書館行って勉強しろっ!だってさ」とちょっとがっかりしたような、「やっぱりなあ」というような微妙な様子。
「へーっ、字が違ってたんだぁ。でも、図書館の本を読破しろなんていうのは、褒めてんじゃないの」
なんて言いながら、私が答案を見ていると、誤字というのは麻耶が息子の蓮をつれて小学校に「就学時健診」に行ったくだりのその「健診」という言葉。「健診」に×がつけられて、その脇に「検診」と書き加えられています。その瞬間は何も考えず、
「ふーん、“検診”を間違えちゃったんだぁ」
と麻耶に答案を返しながら、
「でも、おまえ、最初にパソコンで打ってなかったっけ? 何で間違っちゃったんだろうな? 写し間違ったのかねえ?」
「それはないと思うよ。だって“けんしん”って言われたって、私全然漢字なんて書けないから、健康の“健”なんて思いつかないもん」
それで私が“はっ!”として、もう一度答案を眺めながら、
「就学時“けんしん”て、健康診断だよなぁ? だったら“検診”じゃなくて“健診”でいんじゃないの?」
すぐにモバイルサイトの広辞苑を開いて確かめてみると、「検診」は「胃検診」とか「胸部検診」のように病気を発見するための「けんしん」で、やはり健康診断は「健診」。麻耶は麻耶で、そのときの資料を持ってきて、「就学時健康診断」と書いてあるのを確かめると、
「やっぱり“健診”でいんだぁ! 変と思ったよ、パソコンが間違うなんてさぁ」
「大学始まったら、その人のところ行ってこいよ。“先生! これ、やっぱり健診でいいんですけどぉ”って」
「なんて言うかねえ? 真っ赤になっちゃうかねぇ? ×つけて書き直してある程度ならともかく、“健診”だけなのに“誤字には気をつけて!”なんて書いちゃったからね」
まるで鬼の首を取ったような大騒ぎ。
たまたま間違ってしまった准教授(らしい)には、申し訳ないけれど、そんなつまらないことから、28歳にもなる子持ちの娘が、大学に行くということの意義や学ぶということの意義を、肌で感じているように思います。
「目当て」を見失い、事件を起こしてしまう少年少女が増える中、家庭の果たす役割と同時に学校の果たす役割も重大です。教師と生徒の関係が、血の通った人間対人間の関係になり、信頼関係を取り戻すよう、強く願っているこの頃です。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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