2022年4月29日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第262回「父子家庭の増加」

「おまえ、今どんな生活してんの?」
「ん、オレ? オレはね、息子と二人暮らし。高校生の息子と二人で住んでんだよ。息子ってかわいいよなあ。ほんと、もうかわいくってさあ!」
「!? ほんとに高校生の息子と二人で住んでるの?」
「ん、そうだよ。ずっと。もう10年かな」
「父子家庭?」
「そう」
「なんで?」
「んー、なんでって言われてもなあ…。別れちゃったからさあ。子ども渡すのイヤじゃん。やっぱさあ、育てたいじゃん。オレの子だよ。それに、なんかさあ、奥さん、子ども育てたくなさそうだったんだよなあ。だから、引き取ったんだ。でもね、最近親離れって言うかなあ、そろそろもう大人だろっ。ちょっと寂しいよ。けっこう仲のいい親子なんだぜ」
「へーっ! おまえってさあ、高校時代から変なやつだったけど、ますます変なやつになってるなあ!」
「そう? オレはオレ。昔からそうだったんじゃん。あんまり、変わってねえよ」
今から4年ほど前のことです。20数年ぶりに会った同級生のK君から、一人で息子を育てているという話を聞きました。彼は、高校1年生の時のクラスメイトで、特別仲がいいというほどの関係かと言えば、そういうわけではありませんが、どういうわけか話をしていると、気持ちがスッと通じるところがあると言うか、そんな感じの変な友人です。私は、自分から積極的に“友達を作りにいく”というような性格ではないので、男友達と一緒に何かをしたという経験は皆無なのですが、このK君とだけは、高校1年生の時参加した伊豆大島への地学巡検(火山や地質、地層などの学習のため、地学の授業の一環として1年生の希望者が参加して毎年行われていた学校行事)で、丸3日というもの自由に行動できる時間は、すべて二人で行動していたという経験があります。牧場で牛乳を飲んだり、整髪に使う椿油を買ったり、三原山を二人で駆け下りたり、溶岩の色が反射して真っ赤に染まった雲を眺めたり…。今から30年以上も前のことですが、私はあまりそういう付き合い方をする方ではないだけに、大島で過ごした3日間は今でもよく覚えています。
その頃は、別にそれほど仲がいいというわけではないのに、どうして気持ちが通じるのかよくわかりませんでしたが、父子家庭で長く過ごしているという彼の話を聞いて、「子どもに対する思い」という点で、かなり価値観の近い部分があって、そういうところが私と彼をつなげているんだなあと、えらく納得がいきました。
彼の話は4年前のことですが、昨日(10日)ネットに、「『シングルファーザー』急増のわけ」というタイトルのニュースが流れてきました。総務省のデータによると、幼い子どもを抱える49歳までのシングルファザーは、05年に20万3000人で、00年からの5年間で、1万2000人も増えたそうです。
理由は、離婚が15万7000人、死別2万7000人、未婚1万9000人。もちろん離婚が最も多いわけですが、“未婚の父”がこの5年間で4割以上も増えたそうです。
“未婚の母”っていう言葉はよく使うけれど、“未婚の父”とは…。
シングルファザー支援に取り組む横須賀市議の藤野英明氏は、
「育児放棄が社会問題となっているように、子育てできない女性が増えているのが大きい。私がかかわった共働きの公認会計士とスッチー夫婦は、妻が『子育てにのめり込めない』と言い出したため離婚した。また、男性にも『パートナーはいらないけど、子どもはほしい』という考えが広がっているせいもあるでしょう」と言っているそうです。
私のあまり好きではない本に「父性の復権」なんていうのがあったけれど、近いうちに「母性の復権」なんていう本が登場するかも…。いやいや、もしかして、もうある?
今、ネットで調べたらもうありました! もっとも、「父性の復権」も「母性の復権」も“林道義”著でしたが。
私は、母親が失ってしまった母性を父親が補うのは大いにけっこうと思います。けれども、子どもを一人の人間として扱わず、まるでペットのように扱う母親のように、子どもを一人の人間として扱わず、まるでペットのように扱う父親が増えてしまうことを懸念しています。両親揃って子育てができることに越したことはないけれど、様々な事情で一人親家庭になってしまった場合でも、大人のエゴによって、子どもが不幸になることがないよう子どもの権利をしっかりと守った子育てをしたいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第261回「父と子」

たった今、東京芸術劇場から戻ったところです。
真(まこと)が初めてプロデュースと演出をしたスーパー・エキセントリック・シアター ジェネレーションギャップvol.1 「NO BOEDER」を観てきました。
「統一か分断か… 第二次大戦後、アメリカとソ連の侵攻により東西に分断された日本。戦後まもなくソ連統治下から独立した東日本は、2007年に建国60周年を迎える。そんな時代に娘は言った。「トウサンハフルイ」父は言った。「オマエハヌルイ」東西統一を主張する娘。分断継続を主張する父。ちょっとだけすれ違ってしまった、親子の物語。」だそうです。
「う~ん、なるほど」
確かにそんな感じのわかりやすいストーリーでした。もちろんおわかりの通り、朝鮮半島問題をもじったものですが、ちょうど折しも国政の世界でもいろいろなことが起きているさなか、「国家評議会議長」「官房長官」「広報宣伝大臣」という役柄は、観ていた人たちも、劇そのものの出来はともかくとして、それなりに興味を持って観られたんじゃないかと思います。初めての演出ということで、ちょっと心配はしていたのですが、“杉野なつ美”さん(広報宣伝大臣の役も好演でした)の脚本にも助けられた上、千秋楽ということもあってか、会場の拍手もとても暖かく、「まあ、よかったなあ」とホッとしました。
確かにシナリオ自体はしっかりしているし、演出もそんなに悪いとは思わなかった。
が、パンフレットのコメントはなんだぁ!


 親父と酒を飲むのが僕の夢です。
 うちの親父は酒が飲めません。
 昔から家事をやっているのは親父でした。
 (多分「主夫」ってやつの先駆けだと思う)
 だから昔気質の親父ってのを知りません。
 もしかしたらこの作品はそんな親父像への憧れかもしれません。

 本日はご来場頂きありがとうございます。
 観劇後、ちょっとだけ家族のことを
 思い出してもらえたら幸いです…
 どうぞごゆっくりお楽しみください。

 あ、酒飲めないのは僕もでした…夢叶わず…


今年30歳にもなるのに、親を越えてなーい!
劇に出てくる小学校が「さいたま市立…」であったり、待ち合わせの場所が蕨駅であったり…。
「初めての演出作品がこれ?」
そろそろ、そんなところからは抜け出てほしいと思うのですが…。
昨日、真から電話があり「最近TVの取材を受けてて、終わったあと親のコメントがほしいって言われてるんで、終わったあとほんのちょっとでいいんだけど、残っててくれる?」
なんで親?とは思いましたが、「あっ、そう」
そしてついさっきのインタビュー(どうもTVではないみたいだけど、とりあえずTVカメラみたいなものを向けられましたが)では、
「クライマックスが、父親が死んで『おとうさん、起きてよ。起きてよ、おとうさん!』っていうのはどうかなあ…。まあ一般受けはするかもしれないけれど、子どもは親を越えていかなくちゃいけないんだから、次に創る劇は、親を踏みつけても乗り越えて成長していくっていうサクセスストーリーかなんかにしてほしいですね」
と答えておきました。

つい先日、読売新聞のコラムに、「『王子の育て方』 斎藤家・石川家共著」というのが、出ていました。早稲田大学野球部の「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹君、国内男子プロゴルフツアーで史上最年少優勝を果たした「はにかみ王子」こと石川遼君のことを題材にしたジョークです。
ここのところマスコミは、すっかり「親子(特に父子)」ブーム。特にスポーツ界では宮里、横峰、亀田等々、有名なスポーツ選手の育て方や父親を取り上げています。その影響で、第2の宮里、横峰、亀田を目指して夢中になっている父親も少なくないのでは…? けれどもそれは、スポーツ界だけをとってみても稀の稀。うまく育たず潰れてしまうのが落ちです。
もちろん、今のスポーツ界で有名になっている親子関係はある意味では成功でしょう。けれども、それは非常に特殊な世界での、さらに特殊なことであって、すべての家庭での子育てに当てはまるわけではありません。「親に育てられた子」というのが、どうやって「親を乗り越える」のか…。
どの子も思春期があり、反抗期があり、親と対抗することで、一つの成長を遂げます。「親に育てられた子」には、それがない。これは、スポーツの世界ばかりでなく、受験競争の世界にも言えることです。ずっと親の庇護の下で育っていった子どもたちは、いったいどんな人間になってしまうのか…。
ニートや引きこもりといった子どもたち、また大きな事件を引き起こしてしまう子どもたち…。子育ての大きな方向を見誤らぬよう、マスコミに踊らされるのではなく、一人の人間として自立できる子育てをしたいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年1月13日 (木)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第233回「未履修ついに発覚!」

各地の高校で、必修科目の未履修が明らかになっています。現場を知っている者からすると、「なにを今さら」という感じ。今日(10月29日)の段階で410校という報道もありますが、まだまだかなりの高校がビクビクしているのでは?
息子が男子高に通っているとき、家庭科共修が大きな問題になりました。PTA広報部の企画で座談会が開かれ、私も参加したのですが、「県からの指導で調理室を設けることになるが…」というテーマに対して、座談会に参加していた先生が発言したことといったら、
「うちの生徒は実習なんてしなくても、机の上で本を開けば何でもわかるんだから、調理室なんて作ることないですよ。実習はやったことにしておけばいい。調理実習なんて偏差値の低い学校の生徒がやればいいことで、あんなことは無駄」
ですからね。
この先生は、県の教育委員会からの評価も高い人だと思うんです。その後、女子の進学校に勤めてますからね。
さて女子高に行って何と言っているのでしょう?
これは、家庭科のことですが、他の授業についても受験に関係ないものはやることないという発想は、いくらでもあります。必修クラブなんていうのは、その最たるものだったんですよね。教員間では「やったことにする」という共通認識があった。
私も必修クラブがそれほど重要な役割を果たしていたとも思わないので、「やったことにする」というだけなら、まだその気持ちは理解できなくもないけれど、「やったこと」になっているわけだから、それに対する予算は付くわけで、「もらうものはもらって、使っちゃえばいい」なんてことになっちゃう。普通の感覚なら犯罪といってもいいような大変なことなんだけれど、結構やってたところが多いんじゃないかな。
教員の感覚って、そんなもんですよね。
今回の社会科の履修問題も、一つは「俺たちの勝手にやればいい」という感覚の産物ですね。教員はルールを守ることが下手な人種だから。いろいろなところでいろいろなものが改ざんされているわけで、公文書偽造になるんだろうけど、いったいどう処分するんだろう?
刑法は公文書偽造を、
第百五十五条   【 公文書偽造等 】
第一項 行使の目的で、公務所若しくは公務員の印章若しくは署名を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造し、又は偽造した公務所若しくは公務員の印章若しくは署名を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造した者は、一年以上十年以下の懲役に処する。
第二項 公務所又は公務員が押印し又は署名した文書又は図画を変造した者も、前項と同様とする。
第三項 前二項に規定するもののほか、公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造し、又は公務所若しくは公務員が作成した文書若しくは図画を変造した者は、三年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。

と定めているんです。私は、厳罰主義を唱えるものではないので、本来刑罰によって悪事をただすという考え方をあまり好きではないし、特に教育の中身については、杓子定規に対応することには大反対ですが、「教育現場」ということだけを盾にとって、こういうことがゆるんでしまうのはどうかと思えてなりません。わいせつな教員に対しても、せいぜい職場の移動とか数ヶ月の停職くらい。もっとひどい例だと「もう少し気をつけろ」なんていう校長の言葉でおしまいとかね。

まあそれはさておき、私は今回の未履修問題を、受験競争の問題、個々の学校や地方の問題として捉えるだけでなく、教育行政の仕組みの問題、教員という職業的な意識の問題としても捉えています。すでに3県の教育長が高校の校長時代から、未履修について認識していたのに、行政のトップである教育長になってからも黙認していたことを認めているそうですが、そんなこと当たり前です。教諭から管理職になろうとするとき、まず管理職試験を受けます。それに受かると、一旦教育委員会に籍を置く人たちが多い。その後、校長・教頭の退職者に応じて各学校に移動になっていくわけですから、委員会は現場と切り離されているわけではありません。特に各学校を直接管理している指導課は、管理職試験に合格して教諭から人事異動で上がり、教頭・校長予備軍となっている人たちが多いことは、子どもを学校に通わせたことがある人なら皆さんご存じかと思います。
以前にあまりにもひどい校長のことで、教育委員会に電話で相談したときのこと。電話に出た主事さんはとても正直な方らしく、
「大変申し訳ないんですが、校長の指導は我々にはできないんですよ」
と答えてくれました。当たり前ですよね。その校長は主事さんがお世話になった先輩かもしれないし、その後、自分がその校長の部下になってしまうかもしれないわけだから。もちろん、唐突に民間から校長や行政職の長を出せばいいなんて考えてはいませんけれど、現場と行政が一緒になって自分たちの保身をしていたのでは、教育に対する信頼なんて回復するわけがありません。こういう仕組みも、問題を隠蔽し、問題が発覚したときにはとてつもなく大きな問題にしてしまっているんだろうと思います。
今回の未履修の問題も、そんな仕組みの中で起こっていることなので、「教育委員会が把握していなかった」なんていう報道も一部ありましたが、そんなはずがないじゃないですか。委員会が隠していたんです。
ここのところの報道を見ていると、「受験競争のあおり」とか「地域格差」とかいう視点だけで議論がなされていて、「必修科目の見直し」や「受験制度の改革」といった方向に進んでいきそうな気配です。一つの方向としてそういうものが必要であろうとは思いますが、不登校やいじめ、教員の不祥事など、次から次へと起こってくる教育問題を考えるとき、未履修の問題をそれだけにとどめるのではなく、もっと根本的な教育行政の見直しが必要なんだろうと思います。
政府も教育改革を最重要課題と位置づけているようですが、私は、小泉内閣以来の教育改革はまさに多くの問題を吹き出させた元凶だと考えています。経済主導で進めていくような教育改革ではなく、もっと「人の心」に立ち位置を移した教育改革を実行してほしいものです。

 

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2021年12月28日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第229回「子ども動物自然公園」

昨日(23日)何年ぶりかで、東松山にある「埼玉県子ども動物自然公園」に行ってきました。25年ほど前に妻と私が生活を始めたころ、子どもを連れてよく遊びに行ったところで、私たち家族にとっては、他の場所とはちょっと違う特別に思い出深いところ、聖地です。娘の麻耶(まや)は、孫の蓮(れん)と沙羅(さら)を連れて何度か訪れているようですが、私が最後に行ったのは、いつだったかもう忘れてしまって思い出せないくらい前(確か今19歳になる翔が、お弁当を食べているときに近くにやってきたクジャクを怖がって、お弁当を食べるのを止めて逃げ回った時が最後のような気がするので、たぶん15、6年前? そのあとに一度行ったような気もするけど、よく覚えていない)です。
関越自動車道の東松山インターを出て、鳩山方面に向かうと10分ほどで公園に着きます。駐車所に入ったとたん、
「ああ、ここだ、ここだぁ!」
と何とも言えない気持ちが込み上げてきました。ちょっと大げさに思うかもしれないけれど、ここにはそれくらいの思い入れがあります。当時の写真がアルバムに貼ってありますが、まだまだ経済的にも生活は不安定、夫婦の年齢は16歳も違う、その上私とは血のつながりのない子どもがいる、普通の家族と比べると、そうとう危なっかしい船出をした私と妻にとって、浦和レッズにとっての駒場スタジアム(レッズファンには怒られそうですが)のような、わが家の歴史はここから始まったと言ってもいいくらいの、そんな場所です。
入り口を入ってすぐの水の流れの中に建つ動物のモニュメント。
「ここで撮った写真あるよね」
そこから真っ直ぐ進むと、左側にポニーの乗馬コーナー。
「真(まこと)も麻耶も怖がって乗らなかったんだよね」
さらに真っ直ぐ進むと大きくそびえる「天馬の塔」。
「ここで翔とお弁当食べてたら、クジャクがそばに寄って来て、翔が逃げ回ったっけ」
行く先々で思い出がよみがえってきます。
牛の乳搾りができる乳牛コーナー、実物大のモニュメントがある恐竜コーナー、中に入っていろいろと楽しめるこどもの城。初めて訪れたときには、まだなかった東園。20年ほど前に、そのころ日本ではまだ珍しかったコアラが来て、見に行きました。
当時と比べると、動物の種類も増えて、ずいぶん整備されたなあという感じ。カンガルーコーナーでは、放し飼いの状態で、手の届くところにカンガルーがいるし、園内全域にマーラ(げっ歯目 テンジクネズミ科)とクジャクが放してあるので、「動物を見る」という動物園とは違い、「動物と共存」するということを肌で感じることのできる動物園だと思います。
昨日は、園で孫と待ち合わせをして、一回りしてきました。とにかく広い広い。ひとつのコーナーから別のコーナーまで相当な距離があるので、コアラとカンガルーを見て、恐竜コーナーへ行って、こどもの城、乳牛コーナーと回ると、数キロを歩くことになります。そんな広い園内に、まだまだ人の数なんてまばら。以前、平日に行ったときは一回りしても数人の人にしか出会うことがなかったのですが、昨日の祭日があの様子だと、今も昔とそれほど変わっていないのでは?
「こどもの城」の内部はずいぶん変わっていました。時代の流れのせいでしょうか、以前は子どもの力で動かすもの(手で回すとか、ペダルをこぐとか)が多かったのに、手で触れると画面が変わる、マウスをクリックしながら画面に映る質問に答えるといった”画面を見る”というタイプのものが増えていました。
昨日は、久しぶりにずいぶん長い距離を歩きました。とても懐かしく、楽しい3時間あまりでしたが、今日は床に入ってもとにかく足がだるい。日頃の運動不足が露呈した感じです。以前もこんなにだるかったっけなあ??? やっぱり年の流れを感じますねえ。きっと、私の他にも自分の歴史を刻んでいってる人がいるんでしょうね。

 

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2021年12月14日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第225回「企業の倫理と親の責任」

幼児がシュレッダーに指をつっこみ、指を切断するという事故が起こったという報道がありました。シュレッダーは紙を細かく裁断する機械なので、歯と歯の隙間が狭い上、複雑な動きをするので、指が潰れてしまい、縫合することはできないとか。ということは、事故にあったお子さんは、一生指がない状態で生きていかなければならないということ? 交通事故のように、1つの事故が生死に関わるような大きな事故ではなく、周りから見ればほんの些細な事故なのに、一人の人間の人生を大きく左右してしまうような結果を招いてしまう。そんなこともあるんですよね。
一生のうちのすべての瞬間を、身体のすべてが健康な状態でいるというのは至難の業で、前にも触れたように、わが家の子どもたちも、麻耶(まや)は腎臓と血管の血液をやり取りする腎杯が半分くらい壊れてしまっていて、爆弾を抱えているような状態だし、翔(かける)は、色弱で複雑に色が混ざったものはうまく見分けがつかないので、ゴルフコースに出たとき、キャディーさんから見えないピンを狙う目標について「グリーンの奥に丸く刈り込んである赤い木が3本あるでしょ。その真ん中の木を狙えばいいですよ」と言われて、翔曰く「色なんて言われたって全然わからないから、一生懸命丸い形の木を探しちゃったよ」という具合で、おそらく紅葉なんてただの枯れた木がいっぱいに見えているんだろうなって思います。私にしても、気圧が下がると目が回るので、飛行機はもちろん、高度の高い峠道は車の運転ですら気をつけないと目が回って危険な状態。海外に出るなんて、船で行くしかないので、韓国、中国を除けば、夢のまた夢。旅費も半端じゃなくかかるし、なかなか長期で休みを取るなんていうことは難しいし、いつになったらいけることやら…。
わが家の子どもたちや私が背負っているハンデに比べたら、指がないというハンデは、もっと根源的に“生活する”ということに直接関わる大きなハンデなので、とても気の毒に思うけれど、しっかりとそれを受け止めて、明るく生きていってほしいと願うばかりです。
今回のシュレッダーの事故の報道を見ていると、企業の責任が大きく取り上げられています。雪印や三菱自動車などから露見した企業倫理の欠如は、とどまる気配もなく、最近ではトヨタ自動車のリコール隠しが明らかになったり、パロマ工業製湯沸かし器の欠陥から死亡事故が起こったり、ついには行政のずさんなプール管理までが明るみに出て、われわれのものつくりや安全管理に対する信頼はずたずたになっています。けれども私は、今回のシュレッダーによる事故を、こうした企業や行政の倫理の欠如と単純に同一化して考えることは、間違いだと思います。
製造メーカーとして、どのようにしてものを作るかと考えた場合、より安全性の高いものを作るというのは、当然のことです。しかし、ものを作る側は、ものを使う側の要求にどう応えるかということも重要な要素なので、シュレッダーのようなものでは、安全性を取って挿入口を狭くするか、大量な紙を一度に処理できるよう挿入口を広くするかとか、安全性という付加価値を追求して高く売るか、付加価値は必要最低限に抑えて安く売るかとか、そういった点で何を選択するかは、まず企業が経営戦略的に選ぶものであって、その後に消費者がどんな製品を選ぶかという問題であると思います。
今回事故が発覚したシュレッダーは、事務機器メーカーのものだそうですが、家電メーカーの製造したシュレッダーは、もう少し安全性が高かったとも聞きました。私も小さな手回しのシュレッダーは時々使いますが、それほど危険を感じたことはありません。メーカーが、幼児が触るということを想定していなかったのは、落ち度と言えなくもありませんが、もともと私たちの意識の中にもシュレッダーを幼児の触るところに置くという意識はない。その辺のところは、子どもがいるとすれば、利用者の注意義務の範囲内ではないか…。
もちろんメーカーには、より高い安全性を求めます。けれども私は、子育てをしてきた者として、それを利用する親たちには、さらに高い安全管理を求めます。
パチンコ店の従業員が、炎天下の駐車場に止めてある車の中に乳幼児が置き去りにされていないか見回っているところが報道されました。店側にすれば、自分の店の駐車場で、子どもが死亡したということにでもなれば、相当なイメージダウンになりますから、当然といえば当然ですが、もともと炎天下の車の中に子どもを置き去りにするということが当然ではないのです。
私が子どもを育てていたころは、まず子どもの手が届く範囲の観葉植物をどかしました。土が見えないように飾ってあった石を子どもが飲み込んでしまう可能性があったからです。子どもが簡単にコンセントの近くに行けないよう、家具でコンセントの周りを囲んだり、余計なものはコンセントに差さないようにしました。家庭の中にも危険はたくさんあるのです。包丁、アイロン、針、はさみ…。大人がなんでもなく使っている箸やフォーク、ボールペンや鉛筆も、とても危険です。とは言え、まさか切れない包丁や熱くならないアイロンを作るわけにはいかない。
仕事の形態の変化により、家庭の中にどんどん仕事が入り込んできています。当然、子どもにとっては危険が増しているわけで、親にとってはより多くの注意が必要になってきています。ほんのちょっとの気配り、それが子どもを守るのです。メーカーの安全対策もさることながら、メーカーにだけ責任を押しつけるのではなく、私たち親も、もっと子どもの安全に対する認識を高め、負わなくてもいい負担を子どもに負わせないよう、できる限りの注意を払う必要があるのではないでしょうか。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第220回「うちわ祭(まつり)」

一昨年の夏(第117回)ちょっと触れた熊谷の「うちわ祭」。昨年は、義父の具合が悪くて行けなかったんだけれど、今年は孫を連れて行ってきました。
どういうわけか、娘の麻耶(まや)が、どうしても4歳の蓮(れん)と3歳の沙羅(さら)を“叩き合い”(http://www.city.kumagaya.saitama.jp/kanko/kumagayautiwamaturi/index.html を参照)の中に入れるんだと張り切っていたので、
「しょうがないなあ、じゃあ肩車でもしてやるか」
というわけで、先に叩き合いが行われる“お祭り広場”(“広場”と言うけれど、ここは普通に言う“広場”ではなく、大きな十字路なんですが、毎年そこで各地区から12台の山車が集まり、交差点の中央に向かって、祭り最後のお囃子の叩き合いをする場所になっていることから、“お祭り広場”と呼ばれています)に行っていた麻耶(蓮、沙羅つき)と連絡をとり、お祭り広場のそばで合流しました。
お囃子の叩き合いは、祭りが行われる3日間を通して場所を変え、毎日行われるのですが、最後に行われる叩き合い以外は、基本的に12台の山車を扇形に並べて行います。うちわ祭最後の叩き合いだけは、中央に舞台が設営された十字路、お祭り広場を、四方向から山車が囲んで、360度を山車が囲んだ状態での叩き合いですから、その中にはいると、とにかく圧巻です。
問題は、山車に囲まれた中にいる人の数。“山車に囲まれたい”と、早くから人が集まっているところに、さらに四方向の道から広場に向かって山車が迫ってくるわけですから、交差点内ではなく、四方向のそれぞれの道にいた人たちまでもが、山車に押されるように交差点の中に“ギューッ”と圧縮、詰め込まれてくるわけです。初めから中にいた人間は、押されて倒されないように、かなり踏ん張らないと危険です。
広場からかなり遠くで、待機していた山車が、こちらに向かって動き出したのが見えました。天気がはっきりしなかったせいか、例年よりは人手が内輪な気がしたので、蓮と沙羅を連れていても、それほど危険はないと判断して、頭の中で押し込まれたときのシミュレーションを展開して、一応広場の中心で、山車が来るのを待つことにしました。
「もうじき山車が来るぞ! 準備はいいかっ!? 蓮、気合い入れろっ! しっかりつかまってろよっ!」
もちろん、半分くらいは演技で、肩の上に乗っている蓮に声をかけると、
「おーっ、おーっ、おーっ!」
と蓮も、両手をやや下に広げて、気合いを入れて見せました。もちろん、それも蓮の演技なんですが、その仕草がいかにも本当に気合いを入れているようで、とてもおかしいので、思わず、
「ぷっ!」
と吹き出してしまいました。なかなか、蓮も演技派のようです。
山車が広場の直前まで来たとき、どういうわけかそのすごい人混みの中に、救急車がサイレンを鳴らして入ってきました。
「救急車が通過します。道をあけてください」
警備の人たちは、必死で道をあけようとしますが、とにかく危険なくらいの人混みですから、そう簡単にはいきません。けれども、そこに集まっている人たちもなんとか救急車の通る道をあけようと、精一杯後ろに下がり、なんとか無事救急車は通過することができました。自分だって危険にさらされているにもかかわらず、一生懸命道をあけて救急車を通そうとする人々の優しさ。協力して道をあけた、近くにいた人たちとは、言葉こそ交わしませんが、妙な連帯感が生まれたのがわかりました。
いよいよ山車が迫ってきます。人の波は、すごい力で外から内へ、外から内へと押してきます。その波の力を、まるで水をかくように両手で脇へ逃がし、なんとかやり過ごします。「もうちょっと。もう山車が止まるよ。ほーら、止まったあっ!」
思った通り例年よりずいぶん人出が少ないようでした。それほど危険を感じることもなく、12台の山車が止まり、叩き合いが始まりました。
交差点の中心で待つこと1時間。すごい音、すごい熱気。汗が容赦なく首筋を伝わります。そのとき、肩車をしている蓮が急に動いたように感じました。
「れーん!」
「寝ちゃってるぅ! こんなにすごい音の中でも寝られるんだぁ!」
明るいうちから、麻耶に連れ回され、大興奮の蓮と沙羅。普段歩いたこともないような距離を歩かされ、しかも今はいつもならもう眠りについている午後9時です。手には、露店で買ったおもちゃをしっかりと握りしめ、コックリコックリし始めてしまいました。
「おりたいよぉ! だっこぉ!」
仕方なく、肩からおろして、だっこしてやりました。
さすがに、蓮もぐっすり眠るわけにはいかないらしく、なんとか最後まで持ちこたえました。お祭り広場で待ち始めてから、2時間あまり。蓮君も沙羅ちゃんもご苦労様でした。さすがに大興奮ではあるようで、実家までの2キロ近くの道のりを、一言もぐずらずに、蓮も沙羅も歩き通しました。
熊谷中が大興奮のうちわ祭。とっても楽しい時間を過ごしましたが、ただ一つしらけたことがありました。それは、何人ものあいさつがあった後、ほとんど最後に近くなってからあった県知事のあいさつ。毎年県知事がみえていて、来賓代表であいさつをするのですが、なんと上田知事は「うちわ祭(まつり)」を「うちわ祭(さい)」と発音したあげく、熱気というかその情熱というかそういうものを表現しようとしたんだと思うんですけれど、「涼しいぞ、熊谷! 熱いぞ、熊谷!」と叫んじゃったんですよね。知事のいた席は、来賓用にしつらえたかなり高い舞台の上。人混みの中の暑さなどまったく、感じ取っていなかったようで、「うちわ祭(さい)」と気候の涼しさを言った「涼しいぞ、熊谷!」で、お祭り広場は、一瞬シーンとなりました。あいさつが終わった後も拍手はまばら。行政を司る人は、もっと県民の気持ちに寄り添えないとね。
お祭り広場での叩き合いが終わり、各地区へ帰っていく山車とすれ違うたび、蓮も沙羅も大きな声で「バイバーイ」とちぎれんばかりに山車の上で鉦や太鼓を叩いているお兄さん、お姉さんに手を振っていました。
もう来年は、蓮君を肩車するのは、勘弁勘弁!

 

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2021年12月 7日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第214回「子育て・教育のコーディネイト 前編」

最近では“リフォーム詐欺”という言葉が新聞を賑わすほどポピュラーになったリフォーム。私が今住んでいるマンションの部屋をリフォームした9年ほど前は、まだまだリフォームだけを専業で行っている業者もそれほど多くはなく、わが家は知り合いで地元の建設業者にお願いしました。
知り合いの業者は、元々は解体業から出発し、不動産業、建設業と業種を広げ、うちが知り合ったころは、1店舗で経営しているさほど大きくない有限会社だったのに、あっという間に県内にいくつもの営業所を抱える大きな株式会社になりました。
そういう会社ですから、そのころはもちろん下請けも数多く、リフォームはお手の物。すべてお任せすることにして、担当の監督さんをわが家に呼び、相談することになりました。もちろん私はリフォームについては素人ですが、ちょうどそのころ専門学校の“デザインアート科”という科で教えていたり、陶芸という職業柄というか、主夫柄というか、インテリア等のコーディネートにはそれなりのこだわりがありました。
「新聞でコルクの床っていうのを見たんですけど、フローリングと比べてどうですかねえ?」
「キッチンはシステムキッチンで、私の身長に合わせて台を高く。ガス台はそれぞれ火力が違う3つ口で。リビングが油で汚れちゃうので、換気扇も大きい方がいいなあ」
「お風呂は浴槽をもう少しゆったり取りたいんですけど、ユニットで可能ですかねえ?」
「壁紙も白のビニールクロスだけっていうのはねえ。少しモダンな感じにしたいんだけど…」

「だいたいわかりました。それぞれの業者を大関さんのところに来させますから、相談してもらえますか」

そして翌日から、それぞれの業者と細かい打ち合わせです。まず壁紙と床の業者さん。
「リビングはこのコルク。子ども部屋はこれとこれで。壁紙は…、カタログってこれしかないんですか? もうちょっと派手目なっていうか、もうちょっと色の付いてるっていうか大きな柄があるっていうか…」
「それじゃあこのカタログにはないから、今度店舗用のカタログ持ってきますよ」
壁紙は店舗用の壁紙から選ぶことになって、
「この部屋はこれね。ここは子ども部屋なので楽しそうなやつがいいなあ。あれっ?この壁紙って、電気消すと光るの? へーっ、楽しそうじゃん! じゃあ、この部屋の天井はこれね。ここはエスニックっていうか、アラビアンっていうかそんな感じでしょ。こっちの部屋は純和風、洗面所は海かなあ。ああ、いいの見つけちゃった! このヨットの絵がついてるやつ」
そして次はシステムキッチンとユニットバスの業者さん。
「リビングダイニングの壁紙はこの色なので、そうだなあ…、キッチンはこの色かなあ。お風呂はこの大きさのものが付きますかねえ? 混合栓もこのタイプかなあ…」
そして最後は、ペンキ屋さん。
「それぞれの部屋の壁紙が、全然雰囲気が違うので、部屋ごとにペンキの色も替えてほしいんですよ。ここは青、ここはこげ茶かな。ここはちょっと濃いめのクリーム。全部で7色」
「大関さんねぇ、普通のお宅は、これくらいのマンションだったら3色くらいなんですよ。そんなちょっとの量をうちも仕入れられないし、こういうのって特殊な色だから、残っても他のお宅に使えないでしょ。7色は無理ですよ」
私はムッと来て、
「あなた塗装屋さんでしょ、そんな難しいこと頼んでないじゃない! 別にどこのどういうペンキ使ってくれっていってるわけじゃないんだから、ドイトだってエッサンだって買ってきて塗ってくれればいんだよ。ちっちゃい缶一つあればいいんだし、コストが上がった分なんて、うちが払うでしょ! 数百万のリフォーム代のうち、たかが数百円だよ」
「…」
「じゃあ、何色だったら塗ってくれるわけ?」
「なんとか3色以内に納めてもらえませんかねえ…」
「わかった。じゃあ、もういいよ。3色だけ塗ってください。後は私が自分で塗るから」
結局、7色のうち面積の広い3色をペンキ屋さんに塗ってもらうことにして、残りの4色は、私と翔(かける)の二人で塗ることになりました。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年12月 6日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第210回「お弁当 前編」

私はもちろん給食世代なので、小学校、中学校は完全給食。小学校の時にお弁当を持って行ったなんていうのは、遠足と運動会くらい。中学校では、土曜日にも部活動があったので、土曜日は家に帰ってお昼を食べて改めて出かけるか、お弁当を持って行くか、あるいは近くのパン屋さんかなんかで買って食べるか…。
私は母の作るお弁当が嫌いで、土曜日は毎回学校の近くの“おかめや”(焼きそばや調理パンを作って売ってるお店)でパンを買って食べてました。とにかくその“おかめや”のパンのうまいこと。少ないときで焼きそばパンや餃子パン(餃子を揚げてホットドッグ用のロールパンに挟んだもの)、ハンバーグパンとかを6個、多いときはパン8個と焼きそば1人前。それに牛乳3本か4本。よくあんなに食べられたなあと思うけど、それでも全然太ってなかった(というより痩せてた)んだから、あの年代の子どもたちのエネルギー消費量って半端じゃないんですね。でもそれって、私だけ? 
幼稚園の時はどうだったっけなあって考えると、どうもはっきりは思い出せない。でも、ジャムの塗ってあるサンドイッチが楽しみだったっていうことと、当番がいてパンを配ってたっていうことは記憶があるんだよね。幼稚園のことってほとんど覚えてないのに、どうして当番がパンを配ってたっていうことを覚えてるかっていうと、たぶん休みの子かなんかがいて、配り終わって残ったパンを、廊下にあったパンを運んでくる箱の中にひょいっと投げ入れた私は、怒られてしまったからです! 私を注意した先生は、雨宮先生。カハッ! 幼稚園のことなんてほとんど覚えてないのに、名前まで覚えているんだからね。しかも、雨宮先生は担任じゃなくて、隣の組の先生。まあ、恨んでるっていうわけじゃないけど、いや~な気分になったことだけが、のどに骨が引っかかったときのように心のどこかに引っかかってるんですよ。いやいや、怒り方っていうのは難しいよね。先生が注意をするのは当たり前だし、「パンを投げちゃダメだよ」って言った程度だったのにもかかわらず、“いや~な気分になった”とか言って、50歳近くなっても、記憶の底から湧いてきちゃうんだからね。今覚えてるっていうことは、たぶんもう一生覚えてるっていうことでしょ? こりゃあ、雨宮先生にしてみれば、いい迷惑。誠実に職務を果たしただけなのにね。
雨宮先生、ごめんなさい!
さて、真(まこと)と麻耶(まや)の通った幼稚園はというと、給食というかちっちゃな箱弁でした。お金はかかる(たしか1食240円とかそんな値段で、10円、20円の値上げも親に反対されるかもしれないといって幼稚園側はピリピリしてました。親は平気で1000円以上するようなランチを食べたり、お茶したりしてたんですけどね)けど、親の立場からすると楽ですよね。“おかずは何にしようか”なんて考えるのは、とっても大変。それだけじゃなくて、もちろん買い物もしなくちゃいけないし、朝、実際にお弁当を作らなくちゃいけない。給食なら、一切そんなこと気にしなくていいわけだから、とっても楽。真と麻耶の時にはほんとに楽をさせてもらいました。
でもね、親が楽っていうことは、もしかするとその負担が子どもにかかっているかもしれないって考えてあげないとね。幼稚園のころの真は、けっこう太っていて、とにかく何でもガツガツ食べるやつだったので、給食で困ったことはなかったけれど、麻耶はねぇ…。麻耶はとにかく長いものじゃないと食べない。そば、うどん、スパゲッティ、しらたき、春雨、それにもやし。“もやし”なんて言うと、“なんだそりゃ?”ってな感じだけど、普通の食材よりも長いっていう感じのものなら何でもいいらしくて、炭水化物に交じって“もやし”まで好きなわけ。全然味の違うものなのに、長さで好き嫌いを決めてるんだから、まったく変な娘でしょ!? 
でも給食に長いものばかり出るわけがない。むしろ、今列挙したようなものは、まず出ない。麻耶は、毎日給食の時間が楽しくなかったみたいです。全部食べるとシールがもらえるんだけど、なかなか全部は食べられない。他の子は教室に貼られた表にどんどんシールが貼られていくのに、麻耶はなかなか増えていかない。それでも麻耶はまだましで、なかには1枚もシールの貼られていない子もいて、なんとその子は、先生に無理矢理食べさせられて、吐いちゃったとか…。人間にとって大きな楽しみであるはずの“食”が台無し。
そう考えると、
「ん~、親は大変でも、子どもの好きなものをお弁当に入れてやるっていうのも、いいよなぁ」
翔(かける)の通った幼稚園(今、孫の蓮と沙羅が通っている幼稚園ですが)は、給食なし。毎日お弁当でした。
つづく

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第207回「送り迎えは自転車で」

「かっくん!」
「はい!」
「かっくん!」
「はい!」
 ・
 ・
 ・
「かっくん、眠くない?」
「うん!」
「お歌、うたおうかあ?」
「うん!」
「♪南の島の大王は その名も偉大なハメハメハ…♪」
「♪あんなこといいな できたらいいな あんな夢こんな夢 いっぱいあるけど~♪」
「かっくん!」
「…」
「かっくん!」
「…」
後ろへ手を回してみると、翔(かける)の頭はすっかり下に垂れ、自転車の荷台に取り付けてある椅子で、ぐっすりと寝てしまっています。
「ああ、一生懸命、楽しそうな歌うたったのに、やっぱり寝ちゃった」
翔の通った幼稚園は、送迎バスがありません。送り迎えはいつも自転車。自転車で10分ほどの距離を、朝は元気に二人で歌を歌いながらいくものの、幼稚園でよく遊んでくるらしく、帰りは疲れて、家に着くまでに寝てしまうこともしばしばです。一応、椅子に着いているベルトで留めてはありますが、あまりにも深く前に頭を垂れるか、前後左右に頭をコックリコックリさせるので、取り付けた椅子からいつか落ちてしまうのではないかとヒヤヒヤです。あまりにも姿勢が悪いときには、一旦止まって座り直させたり、もっとどうにもならないときは、降りて自転車を引っ張ったり。
それでも後ろに乗せられるようになってからは、まだましです。もっと小さいころは、ハンドルからぶら下げるほんの小さな椅子で、寝てしまうこともよくあって、これは前なので、見えているとは言え、頭が前にうなだれて、ハンドルに付きそうになるのを見ると、とてもそのまま走り続けることはできなくて、必死で片手を離し、頭を持ち上げたり、あるいはハンドルを両手で握ったまま、両肘を中に絞り込んで、肘と肘の間に小さな頭を挟み込んだり。
兄弟二人を、前と後ろに乗せるなどというときはもっと悲惨。前も後ろも寝られてしまうと、もう手の出しようがない。“なんとか家にたどり着くまでに落ちませんように、落ちませんように”なんて祈っちゃう。まあ、ほんとに落ちたら大変なことになっちゃうわけで、“祈ってないで自転車止めろよ”って感じですが、いつも祈ってるだけで、とにかく自転車は走らせてました。
“ああ、恐ろしや恐ろしや”
孫の沙羅(さら)も入園し、娘の麻耶(まや)も蓮(れん)と沙羅の二人を自転車に乗せて、幼稚園に送り迎えすることに。自転車を買おうと麻耶はパンフレットをもらってきたり、あちこち見て回ったりしていました。昔と比べるとずいぶんと安全に配慮され、乗りやすく設計されているもんだと思ったのですが、一つ気になったことがありました。ハンドルに引っかける椅子は、太ももの中に子どもを挟み込むように乗るので、自転車がこぎにくい(女の人はなおさらだと思いますが)のですが、逆に足にも腕にも包まれる形になるので、親と子どもの一体感はある。最近の自転車は、子どもも乗りやすく、大人もこぎやすくはなっているのだけれど、親と子どもの距離が遠い。実際に乗ってみてどんな感じになるのかは、注文をした自転車がまだ届いていないので、何とも言えないのだけれど、親と子どもの間に隙間があるのは、どうなのかなあ…。何かあったときに守りにくいということももちろんだけど、心がなあ…。
思春期を過ぎて、もう成人と言えるような年齢になって、腕を組んで歩いている親子はよく見かけるけれど、以前にも紹介したように、幼児とは手をつながずリードをつけて、まるで犬のように、引っ張っている親子がいる。幼児期の親と子どもの物理的距離って大事なのに…。どちらかっていうと、私は新しい安全な自転車より、多少危険でも子どもの頭を必死で支えながら乗る、昔の自転車の方が好きかも…。
さて、新しい自転車の乗り心地はいかに…。もちろん孫を乗せるのは、娘なんだけどね。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第206回「お花さんがね…」

「じいちゃーん、いってきまーす!」
「いってきまーす! じいちゃん、バイバーイ!」
「ハーイ! 行ってらっしゃーい!」
孫の蓮(れん)と沙羅(さら)は、毎朝楽しそうに幼稚園に出かけていきます。昨年まで一人で年少組に通っていた蓮は、自分が年中組になり、沙羅が年少組に入ったことで、今まで以上に幼稚園が楽しくなったらしく、昨年の何倍も何十倍も楽しそうに出かけていきます。沙羅は沙羅で、蓮の参観や懇談のときに麻耶(まや)に連れられ、必ず幼稚園を訪れていたので、この4月に入園したとは思えない大きな態度で、幼稚園での時間を過ごしているようです。
入園式の翌日、幼稚園から戻った蓮は言いました。
「沙羅ちゃんのことが心配だから、今日は沙羅ちゃんのお部屋まで見にいってきた!」
そしてその翌日は、今度は沙羅が、
「ねえねえ、沙羅ちゃんねえ、今日ねえ、蓮くんのお部屋へいって、蓮くんのお友達と遊んできたあ!」
いやいや、こりゃどっちもどっちだ!

沙羅の入園式には、何とか時間の都合をつけて、私も妻も参加しました。
この幼稚園は、翔(かける)が卒園した幼稚園で、自由保育の幼稚園です。園服、帽子、カバンは一応決まっていますが、バスがない、給食がない、延長保育がない。当然のことですが、近所での評価は、「だから入れる」という人と「だから入れない」という人に分かれます。確かに翔のときも大変でした。毎朝必ず園まで送っていく。そして必ず園まで迎えに行く。しかも毎日お弁当。とは言え、苦になるということは全然なくて、かえって楽しい幼稚園児の親業をさせてもらったなあと思います。食物アレルギーのあるお子さんや障害のあるお子さんもいて、そういうお子さんにとっては、なくてはならない幼稚園だなあと思います。
私が思う欠点と言えば、園長先生を始め、園の先生方の話が長いこと。沙羅の入園式の園長先生の話も、
「園長先生がね、花壇の方へ行ったらね、赤いお花さんがね、“園長先生、園長先生!”って、園長先生を呼ぶの。そしてね、“今度タンポポ組さんには、どんなお友達が入ってくるのかなあ?”ってお話しするの。それでね、園長先生がね…」
ってな具合に、赤いお花さんから、黄色いお花さん、紫のお花さんまで続くわけだから、まあ結構長い。これは、園児に対するお話で、その後当然保護者に対するお話も続くわけで、3歳児がいるっていうことを考えれば、とにかく長い。さらにそれに追い打ちを掛けるように、先生方全員(規模の小さい幼稚園なので、8人だったかな?)のあいさつ(まあ、それはほんの一言ではあるけれど)、おばあちゃん先生(園長先生の奥さん)のあいさつがあるんだから、ますます長い。みなさん、一生懸命子どもたちに語りかけてくださっているので、3歳児たちもまあ何とか保つには保ったけど、
“いやあここの先生方は翔のころと変わらず、話し好きだあ!”
「お花さんがね、お話しするの」っていう園長先生のお話を聞いていたら、「おいおい大丈夫かなあ? 幼稚園児じゃあ本気にしちゃうよ」と文学の世界だけじゃなくて、自然科学の世界も教えてほしいなあとか思ったけれど、その後の蓮と沙羅の「いってきまーす!」という元気な声を聞いていると、何がどうだろうと、子どもたち全員が、登園拒否にならず、楽しく幼稚園に通えるということが一番大切なことだよなあと、改めて先生方の話の長さにも納得するのでした。
さて、そろそろ今朝も「ばあちゃん! じいちゃん! おはよう!」と蓮と沙羅が起きてくるぞっ!

 

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