2022年3月21日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第255回「代理出産」

最近の出産医療の現場にはとても強い懸念を持っています。
大きく取り上げられるようになったのは、やはり高田延彦、向井亜紀夫妻の代理出産の件からだと思います。
つい先日も、最高裁判決がありました。
「タレントの向井亜紀さん(42)夫妻が米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子の男児(3)について、夫妻を両親とする出生届けを東京都品川区が受理しなかったことの是非が問われた裁判で、最高裁第2小法廷は23日、受理を区に命じた東京高裁決定を破棄し、出生届受理は認められないとする決定をした。
 古田佑紀裁判長は「現行の民法では、出生した子の母は懐胎・出産した女性と解さざるを得ず、代理出産で卵子を提供した女性との間に母子関係は認められない」とする初判断を示した。向井さん夫妻側の敗訴が確定した。(3月24日 読売新聞)

もう少し最高裁判決を詳しく見てみると、
「実親子関係は,身分関係の中でも最も基本的なものであり,様々な社会生活上の関係における基礎となるものであって,単に私人間の問題にとどまらず,公益に深くかかわる事柄であり,子の福祉にも重大な影響を及ぼすものであるから,どのような者の間に実親子関係の成立を認めるかは,その国における身分法秩序の根幹をなす基本原則ないし基本理念にかかわるものであり,実親子関係を定める基準は一義的に明確なものでなければならず,かつ,実親子関係の存否はその基準によって一律に決せられるべきものである。したがって,我が国の身分法秩序を定めた民法は,同法に定める場合に限って実親子関係を認め,それ以外の場合は実親子関係の成立を認めない趣旨であると解すべきである。以上からすれば,民法が実親子関係を認めていない者の間にその成立を認める内容の外国裁判所の裁判は,我が国の法秩序の基本原則ないし基本理念と相いれないものであり,民訴法118条3号にいう公の秩序に反するといわなければならない。」
と述べています。
最高裁判所としては、「単に私人間の問題にとどまらず,公益に深くかかわる事柄であり,子の福祉にも重大な影響を及ぼすものである」ということが大変重要なわけで、大変良識的な判決であったと思います。
私のように子どもがいたり、孫がいたりするような者には、不妊の問題を語るのは大変難しいのですが、生殖医療の問題も含め、強く懸念しているのは、代理出産や生殖医療が、大きくお金と関わっていること、子どもができるということばかりが前面に出て、危険を伴うことだという報道が非常に少ないこと、子どもができないということがまるで犯罪被害者や交通事故の被害者のように「かわいそう」といった悲劇のヒロインに祭り上げられている(今は「かわいそうな女性」となっていますが、これが行き過ぎると「子どもを産めない女は女ではない」となりかねないと心配しています。1月の「女性は産む機械」という柳沢発言などとも重なって…)ことなどです。
最近の生殖医療の報道を見ていると、産む側あるいは親になる側の権利というか選択というか、そういうことを大きく報じ、「かわいそうだから救ってあげよう」という雰囲気を必要以上に演出しているように感じます。もちろん報道にだけ言えることではなく、世論の方向もそちらに傾きかけている。けれども、子どもが生まれ育つということの中心は、子どもであって、親の満足ではないはず。どうもそこの根幹部分が抜け落ちて、まるでペットを飼うとか、ぬいぐるみや人形をかわいがるというような感覚で、子どものことが語られているようにさえ感じます。
昨日(15日)、「体外受精による妊娠は妊娠異常が多い」という報道がありました。産婦人科学会でもさまざまな意見がある中、何が正確で、何が公平な発表・報道なのかということも、われわれには判断しにくい部分はありますが、単純に感情に惑わされることなく、子育ての本質を忘れないようにしたいものだと思います。
やはり、出産・子育ての主役は親ではなく、あくまで子どもなのですから。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年2月 1日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第248回「赤ちゃんポスト」

熊本市の慈恵病院が、「赤ちゃんポスト」の設置を市に申請している問題で、厚生労働省は、市に対し「医療法や児童福祉法などに違反しない」として設置を認める見解を示したそうです。
厚労省の辻哲夫事務次官は22日の定例会見で、「赤ちゃんの遺棄はあってはならないが、遺棄されて死亡するという事件が現実にある。今回は十分な配慮がなされてポストがつくられれば、認めないという理由はない」と述べたということです。
刑法施行当時のことから考えると、「子どもを捨てる」ということは想定内、「子どもを捨てさせる」ということは想定外ということだったのでしょう。だから、「捨てる」という行為は罰せられても、慈恵病院の行為のように「救う」ということが前提の「捨てさせる」という行為に対しては認めない理由がないと…。
そうは言っても、専門家の中には、保護責任者遺棄幇助に当たると考える人たちもいるようです。子どもの捨て場所を作るという行為が、「救う」なのか、「捨てさせる」なのか、いずれ法の場で裁かれることになるかもしれません。
多くの赤ちゃんポストが設置されているドイツがよく引き合いに出されますが、歴史も宗教観も違うところを単純に引き合いに出すことは、どうかと思います。
テレビを見ていると、この問題について、ニュースキャスターやコメンテーターが、様々な意見を言っています。おおかたの意見は、「反対だけれど、捨てられて死んでしまう子どもを救うためって言われると…。難しい問題ですね」というような感じでしょうか。
賛成という人たちの考え方というのは、「ポストの設置によって一人でも赤ちゃんが救えるのなら」ということでしょう。そして反対という人たちの気持ちの中にも、「遺棄を助長するから」という気持ちはあるけれど、「死んでしまうよりはまだましかも」という迷いがある、「じゃあ遺棄されて死んじゃってもいいの?!」と言われると、なかなか有効な手段が提示できないだけに、「絶対反対」とは言いづらい。
私は、こういった議論の中に、決定的に欠けていることがあると思います。それは、「子どもが死んでしまうような遺棄の仕方をする人が、わざわざポストまで行って子どもをそこに入れるのか」という議論です。これまでの赤ちゃんの遺棄事件を考えたとき、「もしポストがあったら救えた」というような事例があったでしょうか。いくら考えても、押し入れの中の段ボールに生まれたばかりの赤ちゃんを入れてしまうような人や道端に赤ちゃんを放置してしまうような人たちが、果たしてポストまで赤ちゃんを入れに行くのか、という疑問にぶつかってしまいます。
「捨てる側」と「救う側」の意識のずれは、相当大きなものなのではないか…。
赤ちゃんが死んでしまうような捨て方をする人たちの中に、「子どもを助けて!」という叫びがあるのだろうか、と疑問を抱かずにはいられません。
おそらく、今回のポスト設置で、殺される子どもたちは減りません。私が懸念しているのは、むしろ「赤ちゃんをポストに捨てる」ということを国が認めるということで、命を軽んじる風潮が広がり、殺される子どもが増えるかもしれないということです。多くの人が心配しているように、ポストがなければ捨てられないのに、ポストがあるから捨てられるということは起こるでしょう。それを「ポストのせいだ」と証明するのは難しいことですけれど。慈恵病院は「ポストがなければ、この子は死んでいたかもしれない」というような言い方をして、ポストに入れられる子が多ければ多いほど、ポストの正当性を主張するのだろうと思います。ポストがなかったら、捨てられないですんでいたかもしれない赤ちゃんなのに…。以前、病院やお寺の前などに子どもが置き去りにされるということがよくあった。もしかすると、子どもが死んでしまうかもしれない、でも死なせたくない、そういう葛藤の中で、子どもが生き延びられる可能性が高いところを選んで遺棄した。そこには、「子どもが死んでしまうかもしれない」という遺棄に対する歯止めがあった。絶対死なないとわかっていたら、かなり遺棄はたやすくなる。
子どもは、「社会のもの」、「地域や国の宝」という考え方があります。私もそれには賛成です。子どもは夫婦が育てるというより、国民すべての総掛かりで育てるといった方が正しいのだろうと思います。けれどもそれは、子育てのすべてを地域や国といった社会が負うという意味ではありません。子育ての責任を負っているのは、当然のことながらまず第一に両親です。親が親として子どもを育てられるよう援助していく、それが政治や行政や国民すべてに負わされた負担だと考えるべきです。
ポストの設置によって守られるのは、いったい誰の権利なのか。一見、「死から子どもを守っている」ように見えるけれど、仮にポストで子どもを死から守れた(私はそう考えませんが)としても、やはり犠牲になっているのは子どもに他ならないのです。結局保護されるのは、親の無責任とエゴだけです。
社会全体に、「辛くて苦しいことはイヤ!」という風潮が蔓延している現在、また一つ「大人が楽をする」という流れを作ってしまうことがとても心配です。親が親としての責任をしっかり背負って、それでも楽しく子育てができるよう援助をするのが、あらゆる社会資源の責任。対処療法的スタンドプレイに走るのではなく、遺棄される子どもを守るために、もっと子どもの立場に立った、地に足の付いた援助の仕方を真剣に考えるべきだろうと思います。赤ちゃんポストの設置以外に子どもの命を救う方法がないというほど、日本の子育てに対する支援がやり尽くされているとは、到底思えないのですが…。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年12月28日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第231回「命の重さ」

また悲惨な事件が起きてしまいました。
さっきテレビのニュースを見ていたら、流れてきてのは横須賀の小学5年生が自殺したというニュースでした。まだ、はっきり自殺と断定されたわけではないようでしたが、警察は「自殺した可能性があるとみて調べている」とか。地上約1.8メートルの電柱を支えるワイヤのプラスチックカバーの上から自転車のチェーン錠をかけ、首をつっていたらしい。発見される直前に、自宅のある団地施設内で焼き芋を焼こうとたき火をしているところを帰宅した母親に叱られ、自転車で家を出たということのようなので、母親に叱られたことが原因ではないかと見られているとのことでした。
日常的な母親と子どもの関係がどんなふうにあるにせよ、たったそれだけのきっかけで命を絶つ必要があるのだろうか…。とても信じられない気持ちでニュースを見ました。
先日の北海道滝川市の小学6年女児の自殺の問題は、当初「いじめの事実は確認できない」としていた滝川市教育委員会に、遺書の内容が報道されて以来抗議が殺到し、とうとう教育長が辞任するという事態にまでなりました。
10月2日、毎日新聞北海道版の記事によると、遺書は次のようなものでした。

■女児の遺書の内容 ※一部抜粋、かな遣いなどは原文のまま
◇学校のみんなへ
この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう
私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から「キモイ」と言われてとてもつらくなりました。
6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。何度か自殺も考えました。
でもこわくてできませんでした。
でも今私はけっしんしました。(中略)
私は、ほとんどの人が信じられなくなりました。でも私の友だちでいてくれた人には感謝します、「ありがとう。」それから「ごめんね。」 私は友だちと思える人はあまりいませんでしたが今まで仲よくしてくれて「ありがとう。」「さよなら」。(後略)
◇6年生のみんなへ
6年生のことを考えていると「大嫌い」とか「最てい」と言う言葉がうかびます。(中略)
みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました。(後略)

報道によると「私が死んだら読んでください」とのメモ書きとともに計7通の遺書が教壇の上に置いてあるのが見つかったそうですが、すべてを鵜呑みにするということではないにしても、なぜここまで追い詰められた少女の気持ちを真っ直ぐに受け止めようとしなかったのか…。
横須賀の5年生の問題のあとには、11日に自殺した福岡の中学2年生の男子の問題が、子ども同士のいじめだけではなく、教師からのいじめを受けていたというニュースが流れてきました。本日(16日)の朝刊に大きく報道されているようなので教師の言動については触れませんが、教師の言動としてというより、人としてまったく信じられない言動が繰り返されていたことに、あきれるばかりです。
人が人として生きていく上での倫理観は、いったいどこに行ってしまったのか…。
先日、向井亜紀・高田延彦夫妻の代理出産による双子の出生届の受理について、品川区長に対し出生届の受理を命じる決定が、東京高裁から出されました。
昨日(15日)は、娘夫婦の受精卵を50代後半の実母の子宮に戻し出産した事例があると、長野県の産婦人科医師から発表がありました。
私には実子がいるので、子どもができない人たちの苦しみが充分にわかるとは言えませんが、正直言ってここのところの報道や世の中の動きには、かなりエゴイスティックなものを感じ、違和感があります。向井・高田夫妻の双子の出生届が受理されないという状況も、実際に子どもは生まれてしまっているわけですから、高裁の判断というのは妥当かなとは思います。けれども代理出産自体、あまりにも子どもを親の立場からだけ見てはいないか。科学の進歩とともに、いろいろな形での出産が可能になりました。私が子どものころ、妹が「小麦粉をこねこねして赤ちゃんを作る」と言ったことがありましたが、最近の命の誕生は、まるでこういった表現が当てはまるようにすら感じます。代理出産の是非を頭ごなしに非とするつもりはありませんが、もっと子どもの人権という立場での議論が必要なのではないか…。
そういう議論をどこかに置き去りにして、世の中が進んでいる現状が、倫理観の欠如を助長し、子どもの自殺にもつながっているように感じてなりません。子どもは親のものではなく、社会全体のものなんだという意識を社会が共有したとき、初めて子どもたちが大切にされる世の中が来るように思うのですが…。

 

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2019年11月 3日 (日)

第113回「素敵なお産をありがとう」

 6月10日(木)~13日(日)(昨日)まで、映画「素敵なお産をありがとう」の上映会を浦和教育カウンセリング研究所(現・浦和カウンセリング研究所)の研修室でやりました。
 この映画は、翔(かける)が生まれる瞬間を当時17歳だった努(つとむ)が撮ったビデオを編集し映画化(現在は映画がさらにDVD化されています)したもので、キネマ旬報ベストテン文化映画部門第6位、日本産業映画ビデオコンクール奨励賞を受賞した作品です。
 1990年から行ってきた講演会「メルヘントーク」の3回目に浦和市民会館(当時)で初めて公開した出産シーンのオリジナルビデオ映像に家族の紹介映像と真(まこと)によるナレーションを加え、再構成し完成しました。
 当時、出産の映像というのはとても珍しくて(今でも珍しいですけど)、しかもそれが子どもたちも含めた家族全員の立ち会い出産ということで、かなり話題になりました。このビデオの最初の公開がきっかけでTVに出演するようになるのですが、TV、週刊誌、新聞といったマスコミの取材が重なって、明け方3時くらいまで取材を受けてるなんていうこともありました。
 もともとただ単に家庭の中の記録として撮ったものでしたが、いろいろな成り行き(この辺のことは長くなっちゃうので割愛)で公開することになり、マスコミに取り上げられてしまうと、貸し出し依頼が殺到して、それにお答えするには内容が内容なだけにビデオという形よりはフィルムという形の方がいいだろうということで、16ミリ映画にしました。
 岩波映像販売(映画化のプロデュースをしてくれたところ)が主催で、六本木の俳優座劇場で2週間の上映会をやったり、その後いろいろな団体に全国各地で上映会を開いていただいたりしました。上映とセットで講演にも行きました。まだ映画化する前に鈴鹿の青年会議所の皆さんに呼んでいただいたり、青少年健全育成関係団体の方や大学、高校、教職員組合などなど、いろいろな方々に上映会、講演会を企画していただきました。
 ウチが企画したのは初めて公開したとき以来、今回で2回目です。今回企画してみて、ずいぶん時代が変わったなあと思いました。十数年前は出産のビデオを公開することはもちろんですが、立ち会い出産そのものがあまりポピュラーとは言えなくて、夫だけでも立ち会える病院はまだまだ少なかったし、ビデオ公開後1年くらいの間の出産の話題が沸騰したときにも、“夫が立ち会うと妻の出産の動物的なグロテスクさに驚愕してすぐ離婚になる”何ていうことが“成田離婚”と一緒に平然と言われていたことがあって驚きました。
 「素敵なお産をありがとう」は、もちろん出産を扱った作品ですけれど、全編に流れているものは、“出産”というよりむしろ“家族が新しい仲間をどう迎えるか”という映画です。母親にとっても父親にとっても、また子どもたちにとっても新しい家族の誕生は、人生の上でとても大きな出来事です。もちろんそれは出産というその瞬間だけにとどまるものではなく、人の一生に大きく影響を与えるものです。
 13年前と比べて今回は、映像そのものによるインパクトよりも、出産が我が家の中でどういう位置づけだったのか、あるいはご覧いただいた方の家庭において、出産がどういう意味を持っていたのか、そういったことを考えながらご覧いただけたのではないかと思いました。
 映画を見るとずいぶん幸せそうな家族に見えますが、わが家も決して順風満帆なわけではなく、しょっちゅうガタガタと揺れているし、せっかく積み上げた積み木がいっぺんに音を立てて崩れることもあります。まあ人生ってそういうものかなって思いながら生きてはいますが、頻発する少年少女の自殺や事件を思い、今回ご覧いただいた方たちは、一つの新しい命の誕生をどんなに周りが愛おしく思い、暖かく迎えるか、何かそんなものを感じていただけたかなあと思いながら、上映会を終えました。


**6月14日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。


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   ありがとうございました 2004/06/15 2:52:56  
 
                      もさく

 
  3歳の息子と参加させていただきました。
上映中、静かにできないようなら退室しますので、なんて言っておきながら
おしゃべりを始めた息子を押さえつけるようにして観つづけてしまいました。
もちろん、幼児はしゃべり続けます。
限界かな、観たいよ、なんでアイツ(夫)は日曜に仕事なんだ、と思ったところへ
「おばちゃんと遊びに行こう」と洋子先生が手を伸ばしてくださいました。
息子は笑顔で退室。別室で大関さんに遊んでいただきました。
ありがとうございました。図々しくて申し訳ありません。
洋子先生のあまりの若さに、娘さん?と思ってしまいました。本当に。

近頃「どうしてナニナニなの?」という質問をしては間髪入れずに
「ナニナニだからなの?」という答えまで用意してくるウチの子供。
「どうして今、おかあちゃんは横を向いたの?僕がうるさいからなの?」
そのとおり。うるさくて、つい適当に答えたり、怒鳴ったり、無視することもあります。

洋子先生の足元で、ヘソの緒をつけて丸まっている翔くんを観て涙がこぼれたのは
3年前の、私と息子を見せてもらえた気がしたからです。
ありがとうございます。本当に素敵でした。

夫は9歳年下。私と舅は15、姑とは14歳違いです。
婚姻届を広げて見たときの姑のゆがんだ顔が忘れられません。
面と向かって年齢差について言われたことはありませんが
嫁として認められていないことは伝わってきます。
「もうすぐ40歳だなんて。子供は産めるの?」てなことを夫に言ったそう。
また夫も正直に私に話しちゃったもんです。
洋子先生は偉いです。私は夫の親に対して「済まない」なんて思いません。
結婚してやったんだ、ばーか、って今この瞬間でも電話してやりたいくらい。
好きになったのは私が先ですけど。
洋子先生のお話を聞きながら泣いたのは少し自分と重ねたからです。

すみません。長くなりました。


 
  
元の文章を引用する
 

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   こちらこそありがとうございました 2004/06/16 4:31:28  
 
                      大関直隆

 
  本当は話を最後まで聞いていただけるとよかったのですが…。
私がもう少し隣の部屋で見ていた方がよかったですね。
お母さんのところへ早く戻してやった方がいいかな?と思ったのがまずかったみたいです。でも、私が見ている間、とてもいい子でしたよ。
年齢差と愛情は関係ないと思いますが、育ってきた環境の違い、世代によるものの見方の違いは厳然と存在します。同世代の結婚と比べて、そういう意味での難しさというのはあると思います。男性が上でも同じことが言えるんでしょうけれど、「男性がリードする」というような発想があるので、女性が上の場合よりは問題が少ないんじゃないかな? もちろんそれは女性の我慢の上に成り立っているのでしょうけれど。
人と人との違いを埋めるには、違いと真摯に向き合い、共通の体験を積み重ねるしかないのだろうと思います。結局わが家の場合には、それが立ち会い出産という形になったわけで、今回見ていただいたビデオの通りです。
また、何かの折りには是非お立ち寄りください。
  
元の文章を引用する
 

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   人と人との違い 2004/06/16 11:05:12  
 
                      もさく

 
  大関さんのお話を読んで、まずは夫との違いを埋めるべきなのかなと初めて思いました。
頭の中が少し明るくなったよう。まねっこして立会い&高齢出産するかもしれません!
ありがとうございました。
   
 

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2019年3月 7日 (木)

第93回 「性教育の難しさ その2」

前回からのつづき。

森泉先生(仮名)のお話で、保護者会の会場は一瞬ざわつき、すぐにシーンと静まりかえりました。

当時「素敵なお産をありがとう」は文化映画として高い評価を得、多くのマスコミにも取り上げられ、ビデオ化がなされたばかりの時でした。全国各地から上映会や講演の依頼が相次ぎ、幼稚園に通うお子さんから70代、80代のご年輩の方まで、幅広い年齢の方々に観ていただいていました。森泉先生とのやり取りの中で私が述べたように、このビデオは出産を取り上げてはいますが、「家族」がテーマのビデオです。「性」をどう捉えるのかによって扱い方が大きく変わってしまいます。滋賀県の青少年育成会議から上映依頼があった時には「子どもが生まれてくる瞬間だけ早送りしてはだめか」というビックリするような問い合わせがありました。最終的にはもちろん早送りなどせずに上映されましたが…。

マスコミがセンセーショナルに取り上げれば取り上げるほど、「出産」ということだけが一人歩きし、本来のテーマは置き去りにされてしまいます。それがまさに「性」ということがかかえる大きな問題なのでしょう。

それまでの性教育の授業参観で「どうすると赤ちゃんができるのか」というところまでを扱っています。今回の授業はそれを受けて「どうやって赤ちゃんが生まれてくるのか」というテーマです。

森泉先生によって、受精から出産までの胎児の様子について淡々と説明がありました。子どもたちがいるわけではないのに、保護者の反応を気にしてか、ちょっと緊張気味に、
「お母さんがこうやって産んでくれたということを子どもたちに伝え、ここで出産のビデオを見せます」と森泉先生は説明をしました。

ほんの数分間、子ども(翔)が生まれてくる瞬間の映像が流れました。お母さんたちの緊張した息づかいが聞こえてきます。
「ビデオを見せた後、出産の感動や生命の尊さなどを子どもたちに伝えたいと思います。こんな形で次回の性教育の授業は進めたいと思いますが、何かご意見がございましたらお聞かせください」

一瞬の間があって、その後数人の手が勢いよくあがりました。
「私は出産の場面を子どもに見せるのは反対です。きちっと性教育をしようとする先生方のお考えはわかりますけど、なにもここまで見せる必要はないんじゃないですか。まだ家庭の中でそんな話したことないし、子どもがショックを受けるだけだと思います」
「私はこういうものは見せたいとは思いません。だれかから教わらなくたっていずれわかることだし、もし教えるんだとしたら興味を持った時に話をすればいいんじゃないですか」

見せたくないという意見のお母さんたちの勢いに押されながらも、一人のお母さんが、
「ウチは男の子しかいないので、母親がこんなに苦しい思いをして赤ちゃんを産むんだということを教えてもらえたらとてもうれしいです」
「母親が息子に性や出産のことを教えるのはとても難しいので、これくらいの年齢から学校で性教育をしてもらいたいと思います」

顔を上げず黙ってじっとしている人も多くいましたが、意見はほぼ半々か、やや賛成の人が多いように感じられました。けれどもこういう時は反対の人たちのトーンが高いもの。反対の人たちの意見はどんどんヒートアップして、声も大きくなりました。私は黙って聞いていましたが、意見がほぼ出尽くしたところで手をあげて、
「わが家のビデオなので意見はちょっといいにくいんですけれど、今見ていただいたビデオは出産がテーマではなく家族をテーマに作ったビデオです。出産というところだけを取り上げて見てしまうとテーマが大きくずれてしまいます。私としては部分的に見ていただくよりも全編を見ていただきたかった。今ここでも意見が割れているように、性についてはそれぞれの家庭で考え方が大きく違います。そのことをよく考えていただき、先生方にお任せするということではどうですか」
と言いました。それを受けて森泉先生が、
「こういう問題は全員の方に納得していただけないと進めにくいものなので、今回はビデオは見せないことにします」

結局そういう結論になりました。
性に対する考え方は人それぞれなので、一様に学校で性教育を行うことはとても難しいことです。性に対する価値観を教えたり押しつけたりするのではなく、事実を客観的、科学的に教えることが重要なのではないかと考えます。もっとも何を客観的、科学的と捉えるかというところで考え方が違っているから東京都のようなことが起こるんでしょうけどね。

そうそう、おかしなことだけど、そのビデオを見せることに最も反対ですごく大きな声を張り上げていたお母さんは、その後のPTA活動でとっても仲良しになりました。子どもたちもとっても仲良し。「あのときすごく反対してたんだよね」って言ったら、「ワッハッハッ!」だって。今は自分の子どもにわが家のビデオを最も見せたい側の一人なんじゃないのかな?


**2003年1月19日(月)掲載**
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2019年3月 6日 (水)

第90回「いいお産 その2」

前回のつづき。

「お産」ていうのは医療なのか医療じゃないのかは難しいね。5番目の息子を妊娠した時、妻は44歳だった。近くの病院に通ってはいたけれど、とにかく三森助産院以外で産むなんていうことは考えられなかったので、三森先生に連絡を取った。かなり高齢っていうことで、妻も私も神経質になっていて、三森先生にお願いするにも「大丈夫でしょうか?」みたいな聞き方になる。そのとき返ってきた三森先生の言葉は「妊娠したっていうことは産めるってことよ」だった。三森先生のその言葉を聞いてどんなに安心したことか…。それから先は、お産のことより生まれてくる子どものことに気持ちは移ったんだよね。

ところがその後、三森先生に知り合いの32歳で初産の人を紹介したら「30歳以上で初産の人は引き受けてないの」ってきっぱり断られてしまった。後になって考えてみると、そのころの三森先生は肝臓癌の末期で、もう手の施しようもない状態。ウチの子が生まれる半年ほど前に開腹手術をしたけれどどうにもならなくて、ほとんど手を打てないまま閉じたとか…。まあ、そういう事情もあったのかもしれない。それにしても、三森先生は30歳を線引きに使ってた。要するに30歳を過ぎた初産は、「医療の分野」ってお考えになっていたのかもしれない。

妻の親戚に産婦人科医がいるんだけど、産婦人科は訴訟になるケースがとっても多いんだって。そう言われてみれば「そうかも」って感じ。「お産」て当たり前のことなのか医療なのか、よくわかんない。当たり前のことって思ってるのに事故が起こることも多い。それで訴訟になっちゃうらしい。なんでもなく生まれてくれば医療じゃないけど、ちょっとでもドクターが手を加えれば医療になる。それで逆に故意に手を加えて、治療費を稼ぐ。三森先生曰く「だからすぐ(会陰を)切っちゃうのよねえ。病院はほとんどが異常産」。

出産をするお母さんや家族のほうも揺れていて、「いいお産」の定義が難しくなってるんだと思う。なるべく自然にお産をするのか、それとも「安心」を中心に据えるのか、それともお母さんの「私、産んじゃった」的な感覚でお産をするのか…。

どんな人から出産の経験話を聞くかによっても変わるよね。安産だった人から話を聞けば、「出産は安全」って感じるだろうし、難産だった人から話を聞けば「出産は危険」って感じるだろうし…。私も出産についての講演をするような立場になっちゃったので、いろいろな人から話を聞く機会があるけれど、どうも出産っていうのは、ことの性質上あまり公にはなってない。だから、ある意味病院のやりたい放題っていうことも言える。

普通にいったらそんなに危険なはずはないのに、やたら危険を強調することで「ウチの病院は安全ですよ」って言って妊婦を集める病院、あるいは前回登場させたようなお産をすっかりイベント化させて、外から見える部分だけをやたらきれいに見せている病院…。そこの病院の看護師や助産師が言うには「最近のお母さんは自分で産もうとしないで、産ませてもらおうと思ってる」んだって。その通りだと思う。でもね、それは病院がそうさせてるか、あるいはそういうお母さんばかりを集めてるんだよね。

やっぱり本当に「いいお産」をしようと思ったら、客観的にいろいろな情報を集めないとね。何となくの評判も悪くはないけれど、基本的に出産をした人は、よほどひどいお産じゃなければ、自分がしたお産が「いいお産」だったって言うのは当たり前。だれだって一生に何度もない出産はいいものであったって思いたいに決まってるんだから。

お産についての評判がとてもいい産婦人科医を何人か知っているけれど、よくインターネットで流れている情報と私の知っているドクターの人柄とは全然違うよね。だからそこが悪い病院っていうことじゃないけれど、「いいお産」をするには、自分の目で見て、耳で聞いて、たくさん情報を集めた方がいいよ。そして何より大切なことは、何が「いいお産」なのか、しっかり夫婦なり家族なりで話し合うことだよね。

看護師さんから、お産に立ち会った話を聞いたので、2回つづきでお産の話になっちゃった。なんだかすっかり自分の子どもも赤ん坊に戻ったような気がしてきちゃった!


**2003年12月8日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2009年1月 5日 (月)

マルキューさんの釣りエサって人間も食べられるってこと知ってた?

あけましておめでとうございます

今日は、午前中に釣りエサで有名なマルキュー(株)様でDVD「素敵なお産をありがとう」の上映と講演をやらせてもらいました。

もともとは、メンタルヘルスケアについての妻の講演会ということでしたが、社長さんに「素敵なお産をありがとう」をご覧いただいたところ、「これで」ということになり、上映と妻と私の講演をやらせていただくことになりました。

やはり、出産の映像というのは相当インパクトがあるようで、皆さんいろいろと思うところがあったようです。

講演の準備もあり、何度か社長さんとお話しをさせていただきましたが、そのお話しの中で感心したのは、釣りエサではあるけれど、人間も食べられるということ。

実際に社長さんが釣りエサに使うポテトを口に入れたところを見て、ちょっとビックリしましたし、人間に良くないものは使わないという会社の姿勢にとても感心もしました。

エサを食べるのは魚。

けれども、釣れた魚を食べるのは人間です。

最終的に人間の口の中に入るものですから、化学物質は人間の身体にどんな影響があるかわかりません。

ですから、そのこだわりは当たり前といえば当たり前ですが、たかが釣りエサという気持ちが人間の中にあるのも確か。

釣りエサのメーカーがそんなふうに考えて、製造しているなんて思ったことがありますか?

信用を裏切るような企業が多い中、防腐剤さえも控えているというマルキューさんの姿勢には、とても感動しました。

ドッグフードが食べられるというのは皆さんご存じかと思いますが、釣りエサも食べられる(一部食べない方がいいようなものもあるようではありますが)なんて知ってましたか?

今度、孫と釣りに行ったときにちょっと食べてみようかな?

もちろん製造元がマルキューさんであることをしかりと確かめてからね。

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2008年1月27日 (日)

赤ちゃんポストの影響大?

埼玉県越谷市南越谷の独協医大越谷病院に生後2日の男児が捨てられていたそうです。

南越谷は、カルチャーセンターの教室があり、よく知っているところ。

もちろん捨てられていた獨協医大越谷病院もよく知っています。

知っているところに、子どもが捨てられたと聞くと、なんだかショックも倍増です。

「乳児は身長34センチ、体重1000グラムで、生後2日ほどの未熟児。灰色のトレーナーとおくるみを着て、青いバスタオルに包まれていた。おくるみの中に「平成20年1月24日 11:10分に生れ、名前が愛助くん(おとこの子) どうかこの子をよろしくお願い致します」と書かれた手書きのメモが入っていた。」(時事通信)とか。

どんな事情があったのかはわからないけれど、子どもを捨てるなんて…。

県警越谷署が保護責任者遺棄容疑で捜査中だそうですが、例の赤ちゃんポストの影響もかなりあるんじゃないでしょうか。

やはり赤ちゃんポストのようなものが出来ると、「赤ちゃんを捨てる」ということに対する罪悪感が減りますよね。

徐々に心配していたことが現実になってきた気がします。

早くお母さんが出てきてくれるといいですね。 

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2007年10月31日 (水)

DVD「素敵なお産をありがとう」本日発売開始!

長らくお待たせいたしましたが、本日、DVD「素敵なお産をありがとう」の発送を開始いたしました!

ご予約いただいた方には、大変ご迷惑をおかけいたしました。

本日、Expack500にて発送いたしますので、一部地域を除き、明日にはお届けできる予定です。

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2007年10月25日 (木)

2ちゃんねるの威力

どうやら出産のDVDということで「素敵なお産をありがとう」を「アダルト」と同様な扱いで、2ちゃんねにご紹介くださった方がいるらしく、昨日からブログへのアクセスが急増しました!

出産のDVDのことを扱う前は、1日に20~30アクセス、だいたいそんな感じでしたが、DVD化の話を載せてから、50になり100になり、昨日からは200になりました。

すごい威力です!

アダルトではないので、出産場面はもちろん無修正ですが、何度かテレビでもそのまま放映されていますし、コンクール等で入賞歴のある命の大切さ、家族の絆を扱った映画ですので、お間違いなく!

こういう状況を喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか…。

どなたにも見てほしいのですが、なかなか難しい問題ですね。

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