2024年4月14日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第322回「親の態度が子どもを決める」

「あなた、この間から鰻が食べたいって言ってたでしょ?」
「そうそう。この前も近くの鰻屋へ行ったんだけど、満席で入れなかったんだよ。お昼の混みそうな時間はちょっと外して行ったんだけどね。ここのところ2回続けてだよ。やっぱり夏は鰻っていう人多いのかねえ??? さすが(鰻消費量日本一の)浦和って感じだね」
「じゃあ、食べに行く? とにかく今お座敷取れるか訊いてみようか?」
というわけで、行きつけの鰻屋さんへ電話を入れると、今日はお座敷が取れないとの返事。今日は、孫もいないのに椅子席の食堂というのも風情がないから、お座敷で食べられるところということで、普段はあまり行かないちょっと離れた鰻屋さんへ行くことになりました。
入り口を入ると右側に伸びている広い長方形の和室にテーブルが5台。片一方の長辺に3台、もう一方の長辺は入り口があるため2台。私と妻は入り口側長辺の奥のテーブルに座りました。
ここは浦和近辺では最も安い(私の感覚ではそうだと思う)鰻屋です。私たちが行ったときには、私たちが座ったテーブルとちょうど対角の位置のテーブルに3人連れのお客が入っていただけで、あとのテーブルは空いていました。
「この鰻が2匹入ってる鰻重でいいよ。数量限定だし、2匹入って2千円以下ってかなり安いじゃん。たぶん鰻が小さいんだと思うけど」
「でもちっちゃい鰻じゃ脂乗ってないんじゃないの?」
前にも一度取ったらあまり美味しくなかったような気がしてやや迷いながらも、結局二人ともそれを取ることにして、鰻重が来るのを待っていると、小さい子どもを連れた夫に初老のおじいさんという4人のお客が入ってきて、隣の席に着きました。
そろそろ食べ終わるというころ、妻が私に、
「隣のおじいさん、あの夫婦のどっちの親だと思う?」
と聞きます。私は、それとなく隣の家族を見る(おじいさんは私のちょうど真横に座っているので横顔だけで表情がよく見えないのですが)と、おじいさんの鼻と女性の鼻がよく似ているので、一旦
「女の人のお父さんじゃないの」
と言ってはみたものの、ちょっと観察してみると、おじいさんの左隣に座っているのが男性、その男性の前に座っているのが女性、そしておじいさんの前には小さい孫。しかも女性は、食事の間中足を崩さず正座をしていることから、
「違う、違う。あれは男性の方のお父さん。お父さんの鼻が女の人の鼻に似てるからそうかなって思ったんだけど、もし女の人が娘さんならお父さんの隣に座るよね。それにあの女の人ずっと正座してるし、姿勢を崩してないからあれは男の人のお父さん」
と言いました。
「そうそう、そうだよね。私も男の人とお父さん、似てないなって思った。きっとお母さん似なんだね。さっき話してる声が聞こえてきたら、“~です”ってお父さんに対して全部丁寧語使ってたから、男の人のお父さんだよね」
「たぶん、そうだと思う」
「あのお子さんもおとなしいよね。2歳くらいかなあ? あんなに小さいのに声もしないよ」
「そうだね。お母さんが正座して、姿勢を崩してないから、そういうせいもあるんじゃないかな。お母さんがおじいさんにも丁寧に接してるしね。さっき帰ったけど、あっちのテーブルに3人連れのお客(対角の位置にいた客)いたでしょ。つい立てがあるから体全部は見えないけど、座布団2枚使って足を通路の方に伸ばして座ってて、つい立ての脇から素足が見えてたの。つい立てがあるから他のお客にあまり気を遣わないんだと思うけど、さすがに裸足が見えるとあんまり感じのいいもんじゃないね。もし、あのグループに小さい子どもがいたら、騒がしかったかもよ。たぶん、隣の子どもみたいじゃないと思う」
「そうだね」
小さい子どもはいなかったので、何とも言えないけれど、たぶんその通りになるんじゃないかな???
子どもは親を見て育つもの。親がどういう態度で、生きているかは子どもに忠実に反映します。子どもがどうにもならないとき、ただ子どもを叱るのではなく、一番反省しなくてはいけないのは親ということですね。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第321回「ほんとにメダル候補?」

「今度のコースはね、距離が短いし、ラフも深くないから、それなりのスコアで回れると思うよ」
「いくつくらいで回れば、予選通るんだよ」
「76くらいがカットラインかな」
「それでおまえは、いくつで回れるの?」
「74、5くらいでは回れると思うよ。練習ラウンドはパープレイ(72)だったしね」
ゴルフをやっている翔(かける)が高校生の時の会話です。
ゴルフは1ラウンド18ホールで、おおよそ72打(コースによっては72でない場合もあります)を基準(これをパーと言います)に、72よりも少なければアンダーパー、多ければオーバーパーと言い、打数を競います。もちろん少ない方が勝ちです。
ここで、「76くらい」と言っているカットラインを4オーバーと言います。それよりも少なければ予選通過、多ければ予選落ちということになります。カットラインの決め方は、あらかじめ決められた打数なわけではなく、予選通過者の数が決まっていて、上位からその人数に達したところのスコアで切るので、その日の全員のスコア次第で上下することになります。(ゴルフを知らない人にはわかりにくくてすみません)
試合から帰ってきた翔は、かなり落ち込んでいます。
「ダメだった。カットラインは77だったんだけど、おおたたきしちゃった。アウト(前半)が40、イン(後半)が42で82だった。」
「10オーバーかよ。何やってんだか…」
「ショットは曲がっちゃうし、パットも入らないし…」
翔はすっかりしょげていました。
おそらく翔の実力から言って、そんなものだったんでしょう。人は、どうしても自分の力を持っているもの以上に感じたいので、自分に対する評価は甘くなりがちです。周りの期待も同様ですね。私も予選くらいは当然通るのかと思っていました。
オリンピックが始まりましたが、いつものように報道は過熱するばかり。すべての競技で金メダルがねらえるような報道ですが、これもいつものようにふたを開けてみると惨敗の連続。もともと力が世界のレベルまで達していないことも多く、にもかかわらずマスコミがやたらとメダル奪取を強調するものだから、選手にのしかかる重圧というものはすごいものだともいます。
メダル第1号を目指した女子重量挙げの三宅宏実選手。埼玉栄高校で、翔の2年先輩ということもあり応援していたのですが、メダルを逃し6位に終わってしまいました。とても残念です。私が子どものころ見た三宅義信氏と三宅義行氏は強かった。名門一家の重圧というところでしょうか。テレビ朝日が松岡修造氏をつかって取材をしていましたが、松岡氏の勢いではまるで金メダルを取るのが当然といった様子。確かに応援する側からすれば、金メダルを取ってほしいと思うものですが、優勝した中国の陳選手の実力からすると、他の選手が優勝する可能性は、陳選手にアクシデントがない限りほぼゼロ。視聴率を考えると、「金メダルは陳選手で決まっています」なんて言ったらだれもテレビを見なくなっちゃうので、そういうわけにもいかないのでしょうけれど、朝日新聞の記事によれば、「1カ月前、母育代さんに打ち明けた。「私、最近眠れないの」。2時間おきに目が覚めた。夢の中でもバーベルを持ち上げている。― 中略 ― そのころは、練習も最悪状態だった。自己ベストの80%ぐらいの重さでも落としてしまう。「怖くてシャフトに触れなかった」。練習場の片隅で泣いた。目標の重量に追いつけない焦り。競技を始めてから書き続けてきた練習ノートも1週間、空白が続いた。「話しかけると泣きそうだから」と父でコーチの義行氏が話しかけることもなくなった」そうです。筋肉もそげ落ち、体重も軽くなって1回目の試技の重量を下げざるを得なかったとか。難しいことですけれど、もっと楽な気持ちで力を出し切ってほしかったですね。選手にとってはそれもまた強くなるために必要なことなのかもしれませんが。三宅選手には次を目指して頑張ってほしいです。
スケールは小さいですけれど、これと同じようなことが、受験の時には子どもの心の中で起こっています。「受かってほしい」「受からないわけはない」という親からの重圧。三宅選手のお父様は、「話しかけると泣きそうだから」話しかけなかったそうですが、受験の重圧に負けそうになっている子どもに、普通の親は「そんなことじゃダメ」と叱咤激励しますよね。行き過ぎは禁物。親の期待は親の期待、子どもの実力は子どもの実力。それを冷静に見つめる目が、親には大切ですね。川口の父親殺傷事件は、それがわからなかったのかもしれません。
 
 
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2024年4月13日 (土)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第320回「なくならない高校野球部の不祥事」

先日、かかりつけの整形外科に行ったら、待合室のテレビに、高校野球の入場行進が映し出されていました。
2年生の部員が強制わいせつ事件で逮捕されながら、出場が認められ注目されていた桐生第一高校の入場行進。実況のアナウンサーが何か事件のことを言うかなあと思って聞いていると、アナウンサーの口から出た言葉は、
「ひときわ大きな拍手です」でした。
事件をふまえ、「逆境を乗り越え頑張って!」という応援のメッセージを発したのでしょう。もちろんグラウンドで行進をしている一人ひとりの選手が、事件を起こした部員と同じように悪いというわけでもないし、甲子園出場のため人並み外れた努力をしてきたこともよくわかりますから、グラウンドに立っている子どもたちを事件に巻き込むことをしない、このアナウンサーの言葉も理解できないわけではありません。
けれども、2年生部員が逮捕されるという事件を起こしながら、出場を希望した桐生第一高校の判断、そして出場を認めた高校野球連盟の判断が、正しかったかどうか…。
私は間違っていたと思います。
私も、どちらかと言えば体育会系で、中学校で私の所属していた部が全国大会に出たり(私の代には全国大会出場は実現できなかったのですが)、高校の時はサッカー部が全国制覇をしたり、あるいは浦和学院の職員のときには野球部が全国大会に出たり、今は息子が大学でプロゴルファーを目指していたりもするので、それなりにスポーツの世界のことは理解している方だろうと思います。
そんな風ですから、体育会系の”乗り”や”厳しさ”も人間の成長にとって、あるいは社会生活を営む上で、大事なものだとも思っています。
甲子園を目指すそれぞれの学校の努力、そこで一生懸命部活動に励んでいる生徒たちの努力もよくわかります。
けれどもその陰で、いろいろなことが起こっているということもよく知っています。
レギュラーの子たちの奢り、レギュラーのレベルに達しない子たちに対するいじめや差別、またその子たちによる暴力や非行…。今回の桐生第一高校の事件も、一人の生徒の問題ではなく、そういう事件を生む「部」の体質の問題なのであり、そういう中で起こっている事件であるということを、そこに関わるすべての人たち(高野連も含めて)は、はっきり認識するべきです。いや、逆に認識しているからこそ、出場できないことで心に傷を負う生徒のことを強調して、出場という開き直りとも取れるやり方をするのかもしれませんが。
もちろんすべての学校というわけではないのでしょうが、校内でも全国レベルの部活、特に野球とサッカーは、学校にとっても大きな広告塔であるだけに、何か事件を起こしても、なかったことにする、もみ消すというのが当たり前になっています。
「普通の子なら停学か退学なのに、サッカー部なら万引きをしても何にも処分されないんだよ」「野球部の子がね、カバンからお金盗んだのみんな知ってるのに、先生は見て見ぬふり」。
少子化が進む中、経営優先のため、広告塔としての役割を重視し、教育がないがしろにされているとすればとんでもないことです。
根本的な原因にふたをして、個人の責任として片づけてしまうようでは、今後もこういった事件はなくなりません。事件・事故の厳罰化の流れに呼応して、学校での一般の生徒に対する指導がますます厳しくなっている折り、甲子園に出場する部や生徒だけが特別では、これからの日本を背負って立つ若者の教育としても問題が残ります。
「連帯責任」という問題ではなく、どこに不祥事を生む土壌があったのかということを指導者はきっちり見極め、そこに関わるすべての者(生徒も含め)が責任をとるという姿勢を明確にすることこそ、大切なことなのでしょう。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第319回「公立小中学校に対する親の満足度上がった?」

朝日新聞によると、
「公立の小中学校に満足している保護者は8割近くに達し、先生への評価も上昇-。朝日新聞社とベネッセ教育研究開発センターが共同実施した5千人を超える保護者への意識調査が25日まとまり、そんな結果が出た。4年前の前回、満足度の低かった都市部や高学歴の親で伸びが目立ち、公立学校への信頼回復の兆しがうかがえる。」
んだそうです。
「25都県の小学2、5年生、中学2年生の保護者計6901人に、公立の小学校21校、中学校19校計40校を通じて質問紙を配り、5399人から回答を得た(回収率78・2%)。初調査となる前回は03年末から04年1月に調べ、6288人から回答を得ている。」とのことで、かなり大規模な調査なので、それなりに信頼できる数字なのかなあと思います。
調査結果の詳細(8月末PDFにて公開予定)は、
http://benesse.jp/berd/center/open/report/hogosya_ishiki/2008/soku/index.html
ただ、この数字をどう見るかという部分では、いろいろ意見のあるところで、「開かれた学校が実現しつつある」とか「学習に対する公立学校の取り組みが評価された」という見方もあれば、「公立学校に不満を持っている層がほぼ私立に入学し、その結果として数字を押し上げた」という見方もあるようです。
まあどれも、その通りなんだろうなあと思います。
社会保険庁の年金問題をきっかけに、これまでになく官僚や公務員に対する風当たりは強くなっています。公立学校もある意味でその例外ではなく、その閉鎖性やいい加減さに批判が寄せられていました。たしかこの連載を始めて間もないころに池田小学校の事件が起こり、それまでの「開かれた学校」というスローガンがしぼんでしまい、閉鎖性を助長した時期もありました。ただ、池田小事件以前の「開かれた」というのは、以前にも述べましたが、「誰でも学校(の敷地)に入れる」とか「塀を取り払った」とかいう意味の「開かれた」ということがほとんどで、親の側が期待する「教育の内容が見える」ということとはかけ離れたものでした。「教育の内容が見える」ということは、「開かれた」ということだけではなく「学校、教師の真剣さ」にもつながるわけで、当然親からの評価につながります。学校で繰り返し事件が起こる中、門扉は閉ざされているけれども、そういう状況だからこそ、「教育の内容が見える」ような努力がなされたものとも言えるのでしょう。
とは言え、最近の傾向は、「公立学校の私立化」とも言える状況だろうと思います。そのために受験を意識した親からはある程度の評価を得ているとも言えなくはない。公教育のあるべき姿についての議論がなされたわけではなく、「私立のような教育が良く、それを真似しようとしているから公立学校もいい」ということだとすれば、教育の本質を大きく見失っていることになりはしないか…。
どちらかと言えば、地域密着の公立志向の私としては、公立学校の評価が上がることはいいことだと思うのですが、これが「公立学校が親に媚を売ることを覚えた」結果だとすれば、とんでもないことです。親にとってやや「いい学校」になりつつある公立学校が、今後子どものためにどのような方向に進んでいくのか、真価が問われるところです。
 
 
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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第317回「続・教員採用試験をめぐる贈収賄」

大分県の教員採用試験をめぐる贈収賄事件は、新人採用の試験にとどまらず管理職認容の試験にまで広がり、次々と逮捕者を出し、多くの学校で教頭、校長が不在という前代未聞の事態に陥ってしまいました。
私は、この問題には3つの大きなポイントがあると考えています。まず、採用(新人、管理職ともに)についての不透明性の問題、二つ目は、教育界のモラルハザードの問題、3つ目は、教員という職業の社会的ポジションの問題です。それぞれの問題が複雑に絡み合っているので、きっちりとした線引きはできませんが、「不透明性の問題」というのは前回も述べたように、行政における「教育」という部署の重要な部分が身内(教員)で占められていること。「あの先生は子どものことを全然見ないで、上ばかり見ている」とか「上に取り入るのがうまい」などという言い方をすることがありますが、要は先輩の教員にゴマばかりすっているということですね。民間でもないわけではないでしょうが、民間で昇進するには成果が伴わないと難しいのに比べ、教育というのは成果の判断がとても難しいので、その分ゴマをすることが利いてしまうわけです。利いてしまうから、また行う。行き着く先が賄賂ということになる。これは、明らかに行政を仲間うちに担わせている組織の問題です。
二つ目のモラルハザードは、今に始まったことではありません。いい意味でも、悪い意味でも、学校というところは閉鎖的なところです。私は「次代を担う子どもを育てる」という観点からすれば、ある意味閉鎖性があることは当然(大人社会の持っている悪い部分から子どもを守るという点で)と考えていますが、それを子どものためでなく、教員のために利用して、学校を「何でもあり」(教員にとって)の社会にしてしまっている。先日、「痴漢行為をした都立高の副校長の処分が、“接触は極めて短時間で、悪質であるとはいえない”という理由で、懲戒免職から6ヶ月の停職に軽減され、教員として復職していた」という報道には皆さんびっくりしたことと思います。痴漢を働くような教員に自分の子どもの教育を任せるわけにはいかないと考えるのは当たり前です。私の知っている例でも、暴力行為で処分の言い渡しを受ける際、教育委員会に呼ばれた先生が、「一応、処分という形を取らないわけにはいかないので、こういう形を取りましたが、“まあ、こっちの部屋にどうぞ”と別室でお茶を飲むことを促され、お茶だけ飲んで帰ってきた」なんていう例がありました。それなりの実績を残していた先生なので、何をしてもいいということなのでしょう。今、問題になっている厚労省の業務外HP閲覧なんていうものは、学校にもよるとは思いますがまったく野放し。「教育に必要」といえば、ほぼ何でも通ってしまいます。
そして3つ目。なぜ贈収賄が起こったのかという部分では、「地方と都市部の格差」ということがクローズアップされています。それも原因の一つではあると思いますが、それよりも教員の間では、子どもの教員採用について100万円の賄賂を贈ってもあまりある職業と考えられているということだろうと思います。大分県だからということはあったにせよ、都市部でも教員の子どもに教員が多いことを考えれば、教員の多くがそう考えていることは間違いありません。これほど教員の苦労ばかりが報道されているときになぜ?と思った方も多いのでは…。教員がどんな仕事をして、どんな待遇なのかといったことの公開が大変遅れているので、教員以外には、民間の職業との比較が正確にできていないという現状があります。調査をしても、申告をするのが教員では、とても正確な情報とはいえません。
そのあたりが、今回の事件につながったのではないかと思います。身内(教員)に甘く他人(子ども)に厳しい教育の現場をきちんと検証していくことが求められています。
子どもたちに関わる重要な職業だけに、学校では何が行われ、どんな待遇で教員が働いているのかをもっと明らかにして、その上で誰もが平等に教員採用試験に臨めるよう制度を確立していく必要があるのでしょう。
 
一部報道によると、教職員組合との癒着も指摘され、組合枠があったのではないかとの疑惑も浮上しています。
なぜ100万円ものお金を使っても我が子を採用試験に合格させたかったのか。
 
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2024年4月 9日 (火)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第316回「教員採用試験をめぐる贈収賄」

「大分県の現職の校長や教頭らが、わが子の採用を求めて教委幹部にわいろを贈った」という、ショッキングなニュースが流れてきました。5人の逮捕者を出したこの事件はその後、校長・教頭になるための管理職認容試験にも拡大。さらなる逮捕者が出るかもしれません。
一時、下火になっていた教員の不祥事も、市立川口高校の校長が元教え子にしつこく関係を迫った事件や武蔵村山市教育相談室相談員で武蔵村山市立第五中の元校長が所沢のマクドナルド店内で女子高生にわいせつ行為をした事件、川越市立福原中学の教諭が生徒の積立金825万円を横領した事件(比較的最近起きた埼玉県と関わりのある事件からピックアップしています)など、ここにきて教員の不祥事のニュースが頻繁に報道されるようになりました。
それぞれあきれた事件ばかりですが、これまで報道されていた事件が、一個人の事件であったのに比べ、今回報道のあった大分の事件は、教育委員会幹部までを巻き込んだ行政のまっただ中で起こった事件であるという点で、社会に与えるインパクトは大きいのではないかと思います。
毎日新聞によると、
「大分県の教員採用を巡り現金100万円を受け取ったとして県警は4日、当時県教委審議監だった由布市教委教育長、二宮政人容疑者(61)を100万円の収賄容疑で逮捕した。県教委義務教育課参事、矢野哲郎容疑者(52)=別の贈賄容疑で逮捕=から、07年度の採用試験に矢野容疑者の子どもを合格させる見返りに現金を受け取った疑い。
(中略)
 この事件を巡って矢野容疑者は妻で小学校教頭の矢野かおる容疑者(50)=贈賄容疑で逮捕=とともに、小学校校長の浅利幾美容疑者(52)=同=の長男と長女を合格させるため、当時県教委義務教育課人事班主幹だった同課参事、江藤勝由容疑者(52)=収賄容疑で逮捕=に働きかけ、現金や商品券計400万円を贈った疑いで先月、逮捕されている。」
と報道されています。
大きな問題ではありますが、「よくあること」という印象です。これまでなかなか踏み込めなかった教育界にようやく司法のメスが入ったということでしょうか。どこから明るみに出たのかはわかりませんが、それなりの額のお金が絡んでいるようなので、そのあたりが一つの突破口になったものと思います。
教育行政は、他の部署と違って大きな特徴があります。それは管理・監督をする側が、管理・監督をする側と同一人物(配置転換によってある時は管理・監督をする側、ある時は管理・監督をされる側になるという意味)であるということです。特に「指導課」の部分では、管理職試験に合格したものを一旦指導主事に採用し、その後教頭、校長として各学校に配属させるというケースがほとんどで、組織として見た場合、教育委員会が学校を管理・監督しているように見えますが、内実はといえば、管理・監督をするはずの委員会の主事が各学校の教頭・校長の後輩なんていうことばかりで、組織としての管理・監督体制がまったく機能していないという状況です。そんなわけですから、例えばどうにもならない校長に対するクレームを教育委員会に言ったとしても、こちらが行政について多少知識があると思うと「校長の指導はできないんですよ」という正直な返事が返ってくる。それが現実です。
教頭・校長ともなれば、採用試験の採点を誰がしているかなんていうことはわかっているわけで、そこに不正が起こる余地は充分にあります。お金が動いているかどうかは別として、校長先生のお子さんで、教員採用試験に落ちたという話を聞いた記憶がありません。
 
 
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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第315回「気づかぬうちのゼロトレランス方式の浸透」

文部科学省が日本での「ゼロトレランス方式」導入の調査研究を検討という報道がなされて、2年以上が経ちました。
「ゼロトレランス」とは、「トレランス(寛容)がゼロ(ない)」、「不寛容」という意味で、教育現場では「ゼロトレランス方式」を「毅然とした対応方式」などとも言っています。具体的には、学校が規則とその規則を破ったときの罰則を定め、例外なく遵守するということです。1970年代頃から深刻化した、学級崩壊や生徒による銃や薬物などによる様々な事件に対処するため1990年代にアメリカで導入された方式で、例えば「喫煙は保護者呼び出し」「万引きは停学一週間」とか、とにかく決めた規則は例外なく実行するというもので、守らないと即処分ということになります。
私立の高校などでは、かなり前からはっきりと導入されているところも多く、ある一定の成果は上げています。「毅然とした対応」ということ自体は私も反対ではありません。けれどもそれは、あくまでルールを破ったことにより処罰の対象となる生徒に対しても、教育の対象としての立場をその後も保証するという条件の下で、反対ではないのであって、処罰をするということが、単純に処罰の対象となる生徒の排除が目的であるとすれば、とても賛成できるものではありません。それは、まだ善悪の判断がすべて正しくできるとは言えない教育の対象足るべき子どもたちから、成長する機会を奪ってしまうだけでなく、疎外感、孤独感といった感情を持った子供たちを増やしてしまうという結果を生むことになるからです。
とはいえ、私立高校での「ゼロトレランス方式」導入というのは、入学試験での合格、不合格がある以上、ある意味、生徒がその学校に在籍できるのか、できないのかの裁量は高校側にあるわけで、私立高校が導入に前向きであったとしても、ある程度はやむを得ないのだろうとも思います。逆に、「ゼロトレランス方式」を導入しているからということで、その高校を選ばないという子ども側の選択もあり得るわけですから。
先日孫の授業参観と給食試食会に娘の代わりに参加して、びっくりしました。まだ小学校に入学して3ヶ月にもなっていないこの時期に「ゼロトレランス方式」とも取れる指導方法が取られていたからです。見ているそういう指導法をとっている先生方が圧倒的で、まだ6歳にしかならない子どもたちに、まるで犬や猫をしつけるように細かいことまでことごとく大声で注意し、立たせない、歩かせな、しゃべらせない(給食の最中も一切私語は許さない)ということを徹底しているのです。
「できない子は外へ出てもらいますからね」
もちろん、高校ではないので停学、退学ということではありませんが、「まじめに授業を受けようとしている他の子どもたちに配慮して、問題行動を起こす子どもたちを寛容度ゼロで排除する方式」をとっているわけです。先生方が「ゼロトレランス方式」で臨んでいるという意識を持っているかというと、どうもその辺ははっきりしませんが、子どもたちに行われていることは、まさにゼロトレランス方式。本来の目的は、まじめにやろうとしている子どもたちの権利を守ることなのに、怒鳴ることでかえって怒鳴られている子どもたちに焦点を当ててしまって、まじめにやろうとしているおとなしい子どもたちが、その怒鳴り声に萎縮し、隅に追いやられているという感じ。
私たちが知らないうちに、こんなところまでゼロトレランス方式が浸透してきているんだと大きな危惧を感じました。6歳の子どもたちには、まだまだ心の教育が必要。一律にゼロトレランス方式で排除するのではなく、むしろ寛容度100%で、優しく見守ってあげることこそ6歳の子どもたちには必要なことなのにと強く感じた2日間でした。
 
 
 
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2024年4月 5日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第314回「危機管理 その2」

ある日の小学校の懇談会。
「何日か前なんですけど、ベランダで洗濯物を干していたら、K社の社宅の屋上に子どもたちが上がっていました」
「Yさんのところのベランダからだったら、ちょうど正面だもんね」
「それがね、屋上に柵がないんですよ。だから、屋上の端まで行けば、下が見える状態」
「えーっ、うっそー!」
「本当だよ。Mさん知ってた? 4,5人だったかな? 屋上を走り回ってるからもし落ちたら大変だと思って。柵がない屋上に子どもたちが上がれるっていうことにびっくりしました」
するとK社の社宅に住んでいるMさんが、
「そうなんです。屋上には柵はないんです。前にも上がっている子どもたちがいて、注意はしたんですが…」
「屋上って、子どもたちだけで簡単に上がれちゃうんですか? 普通、屋上に通じる扉には鍵がかけてあって、上がれないようになってますよね」
「うちの建物はそういう構造じゃなくて、屋上は工事関係の人しか上がれないように、扉で通じてないんです。屋上に上がるには、最上階の廊下から壁に取り付けてある鉄のはしごで上がるんです。屋上に居住者が入るっていうことを想定していないので、柵がないんです」
「へぇ、なるほどね。でも誰でもそのはしご、上がれるんですか?」
「一応、はしごの先が床から120センチくらいは浮いていて、昇りにくくはなっているんですけど…」
「それくらいじゃあ、子どもたちは簡単に昇っちゃうんですね、きっと。K社の社宅のことだし、建物の構造の問題だから、小学校の懇談会で話し合ったからってどうっていうことじゃないけれど、Yさんの話で、子どもたちが危険な状況にさらされているっていうことはわかったから、そういう危険な場所が学区内にどれくらいあるのか、PTAで調査してもらえるよう、提案しましょうよ。K社の社宅の屋上の話は“屋上に子どもたちが上がっていた”っていうことを、Mさんから社宅の皆さんに伝えてもらえばいいんじゃないかな」
「そうですね」
この話は後日PTAの役員会に報告され、PTAで学区内の危険箇所の洗い出しと点検をすることになり、実際に何カ所か危険な箇所が指摘され、地域にも呼びかけて対策を取ってもらうことになりました。
次の懇談会のとき、K社の社宅に住むMさんから、
「社宅の最上階に設置されていた鉄のはしごの件ですが、子どもの手が届かない高さまで切ってもらうことになりました。今は、脚立を利用しないと屋上に上がれないようになっています」
懇談会全体にホッとしたという空気が流れました。
杉並区の小学校で、児童が屋上に取り付けられた採光用のドーム方カバーを破り、吹き抜けを1階まで転落するという事故がありました。普段は屋上に通じる扉には鍵がかけられ、児童だけでは、屋上に入れないようになっていたにもかかわらず、事故にあった児童以外の足跡が他のドーム型のカバーにも付いていたそうです。建築に関わった業者は、児童は屋上に入らないと聞いていたと言い、ドームの周りに柵は設けていなかったそうです。
杉並区和田にある小学校で事故があったとこのニュースが流れたとき、「あれっ?」と思ったのは私だけでしょうか。例の「夜スペ」や「PTAの廃止」で一躍脚光を浴びた「杉並区和田」だったからです。私に言わせると「何かあるんじゃないかなあと思っていたら、やっぱり」という感じ。小学校での事故ですから、直接は関係ないと思うかもしれませんが、大人たちがどっちの方向を向いて子どもたちと関わっているかということは子どもを守る上で大変重要なことです。大人が外に向けて何かを発信することに夢中になっているときは、こういうことはよく起こるものです。
K社の社宅の場合も一歩間違えば大変な事故につながったわけですが、「子どもを守る」というただそれだけの視点が末端の一人ひとりの保護者のところまで浸透していたため、大きな事故につながる前に対策が取れました。「他がやっていない何かをやる」ということではなく、日常の何でもない生活をどう過ごすか、そんなところに視点を当てた危機管理が重要なのだろうと思います。
事故にあった子どもの行動を責めるのではなく、何人もの子どもたちがドームに乗っていたことに気づかなかった学校や教育委員会の気のゆるみを厳しく糾弾すべきだと思います。
 
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第312回「喫煙」

最近、「禁煙」あるいは「分煙」の動きが加速しています。公共の施設はもちろんレストランや喫茶店、果ては路上まで、あらゆるところで喫煙者は肩身の狭い思いをする羽目に。
うちの陶芸教室が現在の浦和駅前のエイペックスタワーに移ったのが5年前。それまでの南浦和の教室では、教室内につい立てで仕切った喫煙場所が決められていて、たばこを吸う人は、そのつい立ての陰で吸っていました。一応、窓のそばに設置してあったので、たばこを吸うときは窓を開けて吸います。とは言え、煙は上に上がりますから、天井を伝わって教室全体に広がるし、風の向きによっては、窓の外に出るどころか、逆に教室の中に入ってくることもあります。会員全体の割合からいうと、圧倒的に吸わない人が多いにもかかわらず、どちらかというと「吸わない人が我慢をしている」という感じ。
ところが、エイペックスタワーに移ってからはというと、建物も新しい上、教室の内装も真っ白。特に「禁煙」ということを私の方から強く指示した覚えはありませんが、何となく自然に「禁煙」の流れができて、たばこを吸う人は教室を出て、タワーの通路で吸うようになりました。もちろん通路にも屋根はありますが、冬になると北風は吹くし、時にはまるで台風のような突風も吹きます。そんなことで今は、すっかり「吸う人が我慢している」という感じ。そういう状況なのに、吸う人にとってはさらに逆風が吹いて、まずエイペックスタワー敷地内の共用スペースはすべて禁煙に。さらにさらに、駅周辺の道路も「路上喫煙禁止地域」に指定されて、歩きたばこはできなくなってしまいました。皆さんなんとかどこかで吸ってくるようですが、人目をはばかりながらの何とも「まずい」たばこを吸っていることだろうと思います。
私はもともとたばこを吸いませんが、15年ほど前から花粉症になり、その後はとにかくひどいアレルギー症状が出て、ちょっとたばこの煙を吸っただけでも喉は痛くなる、くしゃみは出る。電車に乗れば洋服や髪の毛についたたばこの臭いが気になって、帰宅した途端、頭からシャワーを浴びて臭いを落とさないといられない始末。昔はここまでたばこを拒否してたわけではないんだけどなあ…。
さてつい先日、たばこ自動販売機成人識別ICカード「taspo」(タスポ)を福岡のたばこ販売の自営業者が、家族名義のカードを自動販売機にぶら下げ、誰でも購入できるようにしていたことが問題になりました。未成年者の喫煙をなくすという「taspo」導入の目的をまったく無視するやり方で、非難されるのも当然のことと思います。ただ、自営業者側にいわせると、「taspo」導入以来、売り上げが激減し、経営が成り立たない状況と言い、経営を維持するための最終手段ということのようです。もっとも、もともと対面販売を中心に行ってきた一部店舗やコンビニエンスストアといったところでは、逆に売り上げが何倍にも伸びているそうですが。
「たばこ」というのは、子どもから見ると大人の象徴です。成長過程で親離れをしようとする年齢になると、自然に「大人」にあこがれ、何でも大人の真似をしてみたくなります。「たばこ」もその一つで、たばこを吸うことの意味(そんなものがあるかどうかはわかりませんが、私が以前勤めていた法律事務所の弁護士は、「相手方と話をしていて間が持たなくなったり、間を取りたくなるときがあるんだよな。そういうときにたばこは都合がいいんだ」と言っていました)もわからないまま、とにかく吸ってみる、そんな時期があるものです。もう時効ということでお話しすると、実は私も、中学3年生の時に1箱だけ吸ったことがあります。それ以来たばこはまったく吸うことはありませんが、ちょうどその頃は、一人で喫茶店(今はなくなってしまった浦和駅西口の「tomorrow」に毎週通っていました)に行っては「モカ」を飲んでみたりしていた時期で、思春期まっただ中というところでしょうか。誰しもそんな時期があったのではないかと思います。
未成年者に、健康に害のあるたばこを吸わせないのは大人の責任。とは言え、一日も早く大人になりたいと思うのは、子どもの常。19歳11ヶ月29日と20歳とのたった1日の差で、身体に与える害に違いがあるわけもなく、「taspo」で未成年者の喫煙を防ぐというような発想ではなく、まず率先して大人が禁煙の努力をすることが未成年者の喫煙を防ぐ最良の手段なんだろうと思います。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第310回「公園ということの意味 その2」

前回、お話しした「ゴリラ公園」と京浜東北線の線路を挟んで反対側には「文蔵(ぶぞう)フィットネス広場」という公園があります。この公園もゴリラ公園同様、一般的な公園とはやや趣を異にしていて、アスレチック用の遊具がいくつかあり、その周りにランニングコースのようなコースが作られています。
朝日が昇り、明るくなると、毎日10名ほどの大人たちが、ランニングをしたり、ウォーキングをしたり、遊具を使ってストレッチをしたり…。
朝ではなく、夜利用する人たちもいます。人通りがあまりないので、夜の利用にはやや怖さもありますが、何人かグループでランニングをしたり、高校生がバットを振ったり、ラケットを振ったり…。外環の下ですから、多少の雨なら濡れることなく利用できるので、雨の日にも利用している人もいます。
ところが昼間行ってみるとほとんど人を見かけません。昼間の公園利用者といえば子どもたち。一応、子どもが遊ぶための遊具も少しは設置してあるのですが、ほんのお義理という程度。子どもが遊ぶための公園というにはほど遠く、子どもの利用はほとんどありません。
実際にその場に行ってみるとわかることなのですが、24時間日が差さない公園というものは、どことなく不気味で、怖ささえ感じます。日が差さないために木がないということも、そういった感情を抱かせる一因になっているかもしれません。公園ということの役割が、人々の心を和ませるものだとすれば、「この公園はいったい何なんだろう?」という疑問が湧いてきます。
沙羅の通っている幼稚園のそばには、さくら公園ともみじ公園(正式な名前は定かではありませんが、子どもたちはそう呼んでいます)という二つの公園があります。
「じいちゃん、今日はさくら公園で遊んでいこっ!」という日もあれば、「今日は、もみじ公園で遊んでいこっ!」という日もあります。
つい先日、そのさくら公園にある桜の木にサクランボが熟し、管理をしているおじさんが、収穫したサクランボを子どもたちに配ってくれました。1ヶ月ちょっと前には、八重桜の花びらが絨毯のように公園中を敷き詰め、まるでピンクの海を泳いでいるような気持ちになりました。
そんなとき人間は、自然と笑顔になるものです。子どもたちの楽しそうな歓声が、大人の心も和ませます。
公園で遊ばない子どもたちの事情は、公園側だけにあるわけではなく、子どもたちを取り巻く、社会的状況によるものも大ですが、外環の下の公園を見たとき、「果たしてこれが公園と言えるんだろうか?」どうしてもそんな気持ちが湧いてきてしまいます。
1992年11月、外環の和光IC~三郷JCT間が開通して今年で16年。私の花粉症が発症して今年で15年。外環を通ったときのあの排気ガスの真っ黒い様子を見るたびに、私の花粉症と外環の開通を関連づけて考えてしまいます。
日の当たらない外環の下の公園。北京オリンピックの環境問題が叫ばれる中、公園の環境はこれでいいのか…。
遊ばない子どもたち、遊ばせない親たち、もしかすると子どもの健康を守るための「動物的勘」を持っているのかもしれません。
 
 
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