2025年4月 8日 (火)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第500回(最終回)「蓮くん、我が家に戻る!」

「蓮はどうしたいの?」
「この前、電話で話した時は、帰るって言ってたよ。でも、まだ気持ちが揺れてるみたいだね。蓮以外の4人の男の子のうち、担任の先生のお子さんは先生の移動でどうなるかわからないんだけど、後の3人の男の子は島に残ることに決めたんだって。それを聞いたら、戻るって決めてた蓮の気持ちも揺れちゃったみたいよ。学年は違うけれど、蓮が一番下で、みんな弟みたいにかわいがってくれてたから。レストランもない、コンビニもない、お店もない、レジャー施設もない、とにかく何にもない中で、島の人たちの心の温かさはどこにもないくらいいっぱいだから、蓮にとっては新鮮で、居心地もよかったんだと思う」
「やっぱり、迷うだろうなあ…」
「そうよね」

昨年の4月に「鹿児島県鹿児島郡十島村平島」(としまむらたいらじま)(http://www.tokara.jp/index.html)に留学した孫の蓮は、1年間の留学を終え、我が家に戻ってくることになりました。留学の仲介をしてくださった十島村教育委員会の教育長さんをはじめ、教育委員会の皆さん、蓮を温かく迎えてくださった平島の皆さん、そして里親を快くお引き受けくださった日高さんご一家にはお礼の言い様もないくらい感謝しています。
1年間、平島小中学校の最上級生として蓮の面倒を見てくれた日高さんのお嬢さんも、無事鹿児島市内の高校に合格し、4月から自宅を離れ新たな生活の一歩を歩み始めたそうです。
まさか孫の蓮がこのような出会いを作ってくれるとは…

「ばあちゃん!? 今、鹿児島に着いたよ。今日帰るからぁ!」
妻と携帯電話で話す蓮の声が、隣にいた私にも聞こえてきました。平島に渡った時、弾んだ声で電話をかけてきた蓮。1年前と同じように、鹿児島からの声は弾んでいましたが、その声の調子からは1年前とはまったく違う、成長した蓮を感じ取ることが出来ました。

3月29日午後8時40分羽田着。
「蓮、おかえりー!」
「ただいまー!」
蓮が帰ってきました。お正月にも戻ってきてはいたのですが、帰宅を決心して戻ってきた蓮には、親元を離れ1年間一人で平島で過ごした自信のようなものがみなぎっていました。
この1年間の経験は、蓮にとっても、母親の麻耶にとっても、妹の沙羅にとっても、そして私たち祖父母にとっても、大切で貴重な経験になりました。

蓮が戻った翌日、妻が食卓の上にあるビニール袋を手にとって、
「これ、なあに?」
と聞きました。
「それ、するめだろ?この前、原山のばあさん(私の母)がよこしたの」
「これがぁ?」
不審そうに妻が袋から取り出したものは、40センチくらいの白い板のようなもので、ラグビーボールをつぶしたような形をしています。
「あれっ? 違う違う。それはどう見てもするめじゃない。それ、何っ?」
と私が言うと、遠くの方から蓮が、
「イカの骨だよ」
イカの骨かあ…。こんなもん、見たことない!
そういえば、平島から釣り上げたイカの写メを送ってきたことあったっけ。
「10キロ以上あるんだよ」
蓮が言いました。
私がしたこともない経験を小学4年の蓮がしてきたんだなあ、とつくづく感心しました。
子どもや孫の成長は私たち大人の想像をはるかに超えています。子どもが自ら育つ力を信じ、そっと見守ることが子育てなんですね。

昨年から我が家にはいろいろな動きがありました。長男の努は、20年間所属していたオーストリアやドイツの市立劇場の舞踊団を退団してフリーになり、三男の翔は、初めて日本アマチュアゴルフ選手権の決勝ラウンドに進み、国体での団体優勝も果たしました。そして、今日、4月1日は、昨年32歳になった娘の麻耶が3月に大学を卒業し、新たな一歩を歩み始め、孫の蓮は前述の通り…。
そして私は、10年、500回を迎えた連載を終え、今日、ペンを置くことにしました。いや、パソコンを閉じることにしました。かな?

ご愛読いただいた皆様、本当に長い間ありがとうございました。
また、違った形でお目にかかれる日が来ることを楽しみにしています。
よしっ! 連載も終わったことだし、明日から長~い旅に出るぞーっ! 
2泊3日ですけどね! 
それでは、(⌒∇⌒)マタネー!!

2012/04/09(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第499回「教育はどこへ行く その3」

2002年3月12日にこの連載を始めて10年あまりが経ち、ちょうど区切りのいい次回第500回で「子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-」を終了することにしました。これだけの字数の文章を毎週更新するというのはけっこう大変で、私の生活にかなり変化を与えましたが、それはそれで、楽しい機会を与えていただいたと思っています。

さて、ちょうど10年目、まさに連載を終えようとしている時に、今後の「教育行政」に大きな影響を与えるかもしれない大阪府の教育基本条例案が可決成立したことは、何か因縁めいたものを感じます。今回まで3回連続で取り上げている「教育はどこへ行く」は、実は朝日新聞の記事を見て、それを基に1回で完結させるつもりだったのですが、「落ちこぼれゼロ法」と「大阪府教育基本条例」をいろいろ調べているうちに、500回にわたる連載の中で、私が述べてきたこととの関わりを強く感じて、だんだん伸びてしまい、とうとう3回目まで来てしまいました。

教育基本条例(私の含め、正しい理解がされているかは甚だ疑問ですが)については、かなり国民の意見も割れているというのが現実だろうと思います。マスコミ各社も割れていて、私がこの問題を取り上げるきっかけになった朝日新聞は反対姿勢、ネットを見ると毎日放送は報道特集で批判的な番組を放送していたらしいですから、毎日新聞、TBSは反対? 産経新聞はこういった条例を全国に広げようという主張をしていますので、賛成。読売がどうなのかは確認していませんが、日の丸・君が代の問題からすれば、当然賛成なんでしょう。朝日新聞は社としては反対なんだろうと思いますが、テレビ朝日の番組の中には連日橋下市長の動向や主張を取り上げている番組があるらしいので、社の方針だけで動いているのではなく、テレビという媒体の性質から、視聴率やプロデューサー、出演者に影響されているものもあるようです。

私は、これまでずっと述べてきたように、教育行政や学校・教師の姿勢、教育の閉鎖性などという問題については、非常に批判的なので、そこを正そうとする教育改革の方向性は理解できます。
既得権益というか、職場の環境を守ろうとする教職員の人たちの中には、この条例に強く反対する人たちが多くいると思いますが、公教育に関わる人たちの感覚と、保護者を中心とする社会一般(もちろん教員も社会一般人ですが、そういった関係の人を除く人という意味で)の人たちの感覚のずれが、今回の条例がそれなりの支持を集める結果につながっているんだろうと思います。
長年、問題を指摘されながら、なかなか状況を変えられない教育現場のツケとも言えるのでしょう。もっとも橋下市長は教職員組合だけをことさら批判していますが、私は組合であろうとなかろうと、全く同じことだろうと思います。

とはいえ、私はこの条例に大きな危惧を抱いている一人です。それは、教育が政治主導で行われていいのかという疑問を強く持っているからです。
憲法に規定する基本的人権の教育を受ける権利を覆すということでないとすれば、政治が教育に深く立ち入るということは、その時々の政党、政治家によって教育が支配されるということで、憲法上許されないと思っています。
法律論でいうとややこしい部分がありますが、まあ今の日本では考えられないことですが、たとえば社民党や共産党が政権を取ったら(市町村レベルなら絶対ないとは言えないかもしれませんが)、全く逆になっちゃっていいのか、教育ってそんなもんなのかということです。公教育は本来、普遍的であるべきと考えるのですが、どうも今回の条例はそうは思えない。それだけではなくて、公教育でどういう子どもを育てるかという部分で、経済優先の人間教育になっているように感じる。
経済優先で教育を考えた場合、たとえば米国の「落ちこぼれゼロ法」のように競争や数値化で教育行政を進めるようなことが起こるんでしょうが、それは「落ちこぼれゼロ」どころか、必ず落ちこぼれを生むという強い確信を持っています。経済優先の教育は、「人」を育てるというより、むしろ経済構造の中の一つの歯車を作ることに他なりません。

私は、教育や子育ては、思春期くらいまでは母性的(女性という意味ではなく男性の中にもある母親的な感覚)な関わりが中心であるべきと考えていますが、競争原理を中心に教育を行えば、それとは全く逆の方向に進んでいってしまいます。今回の条例は、母性的な感覚を排除していると感じてなりません。私の感覚では、それはとても怖いことです。

教育基本条例案の可決により、教育が一歩政治主導の方向に踏み出したことになるのでしょうが、競争や数値ばかりが前面に出て、ぎすぎすとした世の中にならないといいのですが・・・。

政治がこういう方向に舵を切り始めた時だからこそ、家庭の中では優しさいっぱいの子育てをしたいですね。人と人とが関わる時に、他人を思いやる優しさ以上に大切なものはないですから。
2012/03/26(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第498回「教育はどこへ行く その2」

ブッシュ政権で教育調査官を務めたニューヨーク市立大のダイアン・ラビッチ教授による、「すべての子どもたちに基礎学力をつける」と聞いた時は感激したが、現実にはそうはいかず、4年後から反対に転じたといい、「落ちこぼれゼロ法」の失敗の理由を二つあげています。

一つは、学力の低い子ほど、最寄りの学校で家の事情も知る慣れた先生に教えてもらいたがる現実を無視して学校のランク付けをしたことで、下位の子の自尊心を傷つけ、やる気を失わせたこと。
もう一つは、ノルマを果たせなかった学校の改善がうまくいかず、テストのための教育が広がり、自分で考える力を失わせてしまったこと、と言っています。

「落ちこぼれをなくす」という理念について、反対する人はほとんどいないと思います。私もまた、公教育の目指す方向の一つとして、「落ちこぼれをなくす」という理念が重要であると思います。ただ、ここで問題なのは、どんな子どもが落ちこぼれかという「定義」と、どうやって落ちこぼれをなくすかという「方法」です。
当然のことながら、落ちこぼれの「定義」が違えば、それをなくすための「方法」ももちろん違うわけですから、第一義的には「定義」が重要ということになりますね。

子育てをしていると、遺伝的にはとても近い自分の子どもたちでも、子どもによって、それぞれまったく違った個性を持っていることを感じます。遺伝的には近いわけだし、育っている環境もまったく同じ(生まれてきた順序を除けば)なわけだから、他人から見れば多くが似ているのでしょうが、親から見ればそれぞれの子どもによってまったく違った個性を感じます。食べ物の好みですら、正反対なんて感じることだってあります。
子どもたちにはそれぞれ個性があって、向き不向きが全く違うにもかかわらず、それを無視して、「落ちこぼれゼロ法」と「大阪市の教育改革」は、「落ちこぼれ」を考える基準を限りなく「学力」に限定してしまっていることが大きな問題点です。
「落ちこぼれゼロ法」と「大阪市の教育改革」について、「学力とは何か」と問えば、どちらも「テストで何点取れるか」という定義になるのでしょう。橋下市長の発言を聞いていると、「優秀な子=高偏差値な子」ということでほぼ一貫しているように感じます。

「テストでいい点を取れる」ということが、「人間の価値か」ということは、いつの時代も問題になることです。米国の母親が「学校はテストのための勉強ばかり」と言っていることや、ラビッチ教授が「教育技術を学んだ教師を送り、テストの点を上げる反復練習を繰り返した結果、一時的に点は上がった学校もあった。だが、長続きしなかった。テストのための教育が広がり、自分で考える力を失わせてしまった」と言っていることから、どうやら日本も米国も同じことのようです。

私は「テストの点の悪い子」を落ちこぼれの「定義」と考えたくはないのですが、百歩譲ってそう考えたとしても、「落ちこぼれゼロ法」が落ちこぼれをなくすことに適切な法律であるのかといえば、ラビッチ教授の話から、どうやらそうでもなさそうだということがわかります。

中学3年生の中ごろに、偏差値35~40程度に低迷している、俗に言う「落ちこぼれ」という子どもたちに勉強を教えていた経験から言わせてもらうと、明らかに学習障害と言われる子どもを除けば、こちらのアプローチ次第で、1~2ヶ月で全員が偏差値で10、順位で言えば100人中後ろから4、5番だった子がほぼ真ん中くらいまで上がります。
これには、「こつ」、言い換えれば「技術」があるわけですが、実は「技術」よりもっと重要なものがあります。それは教える側と教わる側の「信頼関係」です。信頼関係を築けない子どもは、脅しても、罰を与えても、100%うまくいきません。教える側の空回りに終わるだけです。テストの点を上げるには、本人のやる気が何よりも重要な要素であり、「落ちこぼれ」と言われる子どもたちのやる気は、脅しや罰はもちろん、教えることの技術だけでは到底引き出せないからです。

つづく
2012/03/19(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第497回「教育はどこへ行く その1」

先週の日曜日、朝日新聞朝刊に「学校に競争 米改革不評」との見出しで、10年前にブッシュ政権が作った「落ちこぼれゼロ法」の記事が載っていました。「落ちこぼれゼロ法」というのは、教育から格差をなくすという理念のもと、学校に競争と淘汰を導入するというもの。学力アップにノルマを課し、果たせなかった学校を閉校または民間委託にするというものです。

具体的には、3~8年(日本の小3~中2)に毎年英語と数学のテストを受けさせ、12年後に「良」をとる生徒が100%になるよう目標を設定。2年続けて目標達成ができなければ、保護者は子どもを転校させることができる。4年連続教職員の総入れ替え。5年なら、閉校か民間委託にします。
この方式でいけば、ダメな学校(「良」を取れない子をなくせない学校)はすべて閉校か民間委託となり、ダメな学校は残らないわけだから、落ちこぼれはいなくなる、ということだったようです。
では、実際はどうなったのか・・・。

ニューヨーク州ブルックリンの高校で開かれた教育委員会での市当局の話では、州のテストで「良」を取った子の割合が、この10年で、英語30% → 44%、数学30% → 57%になったとのことですが、教職員組合は、国のテストの成績が横ばいであることを根拠に「達成率が上がったのは州のテストが難易度を下げたから」と主張しています。
このような議論が続く中でも、学校の統廃合は進み、教職員組合によると、市内の公立小中高校の1750校のうち150校が閉校になり、市内の教職員の4分の3に当たる6万6千人が定年に加え、強制的な配置転換や激務によるうつ病で退職したそうです。(朝日新聞参考)

以前から、朝日新聞の教育問題に対する論調は、極端に教職員寄りなので、廃校や退職した教職員の数字の正確さはともかく、閉校の原因が単純に「落ちこぼれゼロ法」による基準によるものであり、教職員の退職の原因が「落ちこぼれゼロ法」による強制的な配置転換や激務によるうつ病であると決めつけることはできません。
とはいえ、格差是正を競争だけに頼って行おうとした、この「落ちこぼれゼロ法」は、まったく教育の本質を見誤ったもので、結果として閉校や教職員の退職が起こったということもかなり真実に近いものである気がします。

ある高校の体育教師は「この10年、市内はテストの数字を基に教師を責めるばかり。貧困家庭の子どもの状況は何も改善されていない」と言い、5人の子どもを持つ母親は「学校はテストの勉強ばかり」と憤る。学校では英語と数学の授業が増え、音楽、美術、体育の授業が減った。毎日同じCDを流して単語書き取りと計算ドリルをやらせる。要するに、点数を追い求めるあまり、機械的な学習を増やしているということです。

日本では、大阪市の橋下市長が打ち出している教育改革が、この「落ちこぼれゼロ法」によく似ていると指摘されています。
たとえば、「学力テスト」をどう利用するかという点では、米国は、「学校別に結果を公表し、保護者はそれを基に学校を選択」、大阪市は「保護者が小中学校を選べるよう、学校別に結果を開示」。
「教員の評価」については、米国は「テストの結果が4年連続で目標に達しない場合、教員を総入れ替えする」、大阪市は「保護者の申し立てや校長の評価で、不適格教員を現場から外して研修」。
「学校の統廃合」については、「5年連続で目標に達しない場合や卒業率が低い学校は閉校」という米国に対し、大阪市は「3年連続で定員割れした府立高校は再整備。
小中学校でも学校選択制により選ばれなかった学校は統廃合も考慮」、児童生徒の「留年」については、米国は「テストの結果が標準に達しない子は低学年から留年させることができる」、大阪市は「小中学校で、学力不足の子の留年を検討する」。
まあ、ここまででもよく似てるんですが、バウチャー制度は、米国は「テストが2年連続で目標に達しない場合、塾や家庭教師に使えるバウチャーを支給」、大阪市は「所得が低い地区のこの保護者に、塾や習い事に使うバウチャーを支給」。所得格差は、学力格差と言われていますから、結果としてはほぼ同じ内容のように思います。
教育委員会の位置づけは、米国は「シカゴ、ニューヨークなどの大都市で市長直属に」、大阪市は「教育の基本計画は首長が教育委員会と協議して作る」となっています。
全体的な方向性としては、ほぼ同じといってもいい内容です。果たして、問題はないのか、教育はこれで変わるのか・・・

つづく
2012/03/12(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第496回「子どもに何を、いつ、どう与えるべきか」

「このテーマで、この振り付けを子どもに踊らせるのは無理がある気がするなあ…。技術的には子どもたちはとっても上手いし、振り付けられた通りに一生懸命踊ってるけど、テーマや振り付けの意味を理解してるかっていうと、どうなんだろっ? たぶん、理解してないんじゃないかなあ? ただ一生懸命踊ってるっていう感じ」
「伸びゆく彩の国さいたまの子供達によるバレエ・モダンダンスフェスティバル」を観ていた時の感想です。

今年は先月行われたローザンヌ国際バレエコンクールで、21人のファイナリストのうち5人が日本人、さらに神奈川県厚木市の高校2年生、菅井円加さんが優勝したということもあって、子どもたちの通うクラッシックバレエあるいはモダンダンスの教室の指導者の皆さんも、かなり熱が入っているようで、とてもハイレベルな舞台を見せてくれました。

とはいえ、いろいろ感じることはあって・・・
「この衣装、踊っている子どもに合わせたっていうより、指導者の好みっていうか趣味っていうか・・・。子どもをかわいいだけの子ども扱いしないっていうことも大事だけれど、衣装も含めて、子どもらしくっていうか、子どもが自分の表現として踊れる次元でっていうことも大事だと思う。今の衣装は子どもの次元に合ってない。たぶん、指導している人が自分自身表現したいことや自分の好みを衣装を使って表現したんだと思う。踊り手が子どもである必然性みたいなものを感じないもん」

自分が指導したり、踊ったりするわけでもないのに、偉そうに勝手な批評ばかりしているわけですから、指導者の皆さんも、たまったもんじゃないですね。
勝手なことばかり言ってすみませんm(_ _)m
プロとして踊っている息子やプロとして演劇をやっている息子にも厳しいので、まあちょっと勘弁してもらって・・・。

金曜日に、TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ」を聴いていると、本日のニュースランキングのコーナーで「子育て支援法案の骨子を政府が決定 総合こども園を創設」という話題を取り上げていました。学習院大学経済学部教授、鈴木亘氏によると、

「当初、消費税値上げにより7000億円の予算を捻出し、すべての幼稚園を総合こども園にすることで待機児童対策とする予定だったのに、今回の決定では、消費税を上げても、あらかじめ7000億円のうち3000億円は待期児童対策に使わないことが決まっている上(消費税を上げることが前提の法案です)、残りの4000億円もすべて待機児童対策に使われるわけではない。しかも、現状の待機児童は0~2歳児が8割を占めているにもかかわらず、幼稚園は幼稚園としての存続を認め、3歳児以上を預かればいいことになっており、保育園を総合こども園にしたところで、待機児童対策にならない骨抜き法案になってしまった。待機児童対策が法案の看板ということになってはいるが、偽りの看板といった方がいいと思う」

とのことでした。なかなかここまで詳しく解説されることはないので、法案の中身が大変よくわかりました。これに関連して、首都大学東京教授、社会学者の宮台真司氏が、「幼稚園が3歳児未満を預からないというのは待機児童対策になっていない」と鈴木氏に同調した上で、幼稚園と保育園の中身の違いに言及し、

「もともと幼稚園が保育をするということだったのに、保育園を幼稚園に近づけるという話になった。私は、保育園とか保育所というところが好き。それは教育をしないから。保育園や保育所のように子どもには、預かって遊ばせるということが大事。ちびっ子に、行儀とか礼儀作法とか、集団行動みたいなうんこみたいなこと(集団行動を金魚の糞にたとえていった言葉だろうと思います)を教えているのは日本だけ。(ここで荒川強啓氏が「(行儀とか礼儀作法も)大切だよ」と言葉を挟むのですが、それを「違います!」と強く否定して)集団行動というのは、実は楽。集団行動が一切なしのところだと、朝、行ったらまず誰と遊ぶかっていうところから考えなければならない、そういうところで社交性も身につくし、依存よりも自律的的メンタリティに近づいていく。幼稚園で教育とか、ちびっ子に教育なんてどうだっていい、そんなの適当でいい。我々(大人)が、子どもたちが集団的に保護されるような社会的責務を果たすということが大事なわけで、子どもをちゃんと保護して親が安心して働けるようにすることが求められている」
と、かなり強い口調で主張していました。

これは、以前から私が主張していたことと重なるわけで、私も、宮台真司氏が子どもを通わせている「まったく集団行動のない幼稚園」とほぼ同様な幼稚園に翔(かける)を通わせていたわけです。
「幼稚園で早期教育をしないと小学校に入学した時、勉強について行けない」という人も多いわけですが、そういう幼稚園に行っていたからといって、小学校での学力が問題になったということは全くなかったわけで、むしろ子どもの発達段階に合わせて、何を子どもに与えるべきかという点で考えれば、幼児教育では、宮台氏が言うように「朝、行ったらまず誰と遊ぶかっていうところから考える。
そういうところで社交性も身につくし、依存よりも自律的的メンタリティに近づいていく」という部分なんだろうと思います。
もちろん、大人が段取りをして与えるということではなく、「教育をしない」というやり方で。逆に言えば、そこが欠けているから行儀や礼儀作法が欠けた人間に育ってしまうと言ってもいいのかもしれません。
子どもが、他者という存在を意識し、理解する前に行儀や礼儀作法をただただ形式的に教えてしまうので、行儀や礼儀作法の本当の意味を理解できない。そんなことが起こってしまうんだろうと思います。部活動でスポーツをやっている子どもたちが礼儀作法やモラルに厳しい教育を受けているにもかかわらず、しばしば事件を起こしてしまうのも似ていますよね。

バレエとモダンダンスの話に戻ると、子どもたちに、今、何を与えるのかと考えた時、振り付けや衣装など、むしろそういった芸術的なものこそ、「依存よりも自律的的メンタリティに近づいていくことが大事」という点において、子どもの発達段階に合わせた対応をしないと、個性のない物まねだけの踊り手になってしまうんだろうと思います。
2012/03/05(月)


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2025年4月 6日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第489回「子どもの興味は個性の扉」

「あんまり怒んないでやってよ。怒るから沙羅だってあんな風になるんだと思うよ」
「それはそう思うよ。怒らないで丁寧に対応すれば、沙羅だっていい子でいるんでしょ、おそらく」
「そうだよ」
「それはそうだと思うけど、じゃあ今の段階で怒らなきゃならないようなことしたらどうするのかってことでしょ。どう考えても、今のまま“絶対怒らない”なんてことできないでしょ。怒るべき場面では怒らないと、沙羅はそれでいいと思って勘違いしちゃう」
「・・・」
「“卵が先か、鶏が先か”みたいな問題なんだけど。問題は、じいちゃん、ばあちゃんってことじゃなくて、母親の麻耶が沙羅にどう接するかってことでしょ。怒ってばかりってことももちろんだけど、むしろそうなる前の段階で、ずーっと指示しまくってる。あれをやめないと・・・。沙羅も指示ばっかりされて、自分の考えで行動できないから必死でそれに抵抗してるってとこだよね。沙羅にしてみれば、それでバランスとってる」
「麻耶は待てないのかねえ・・・。朝、沙羅が玄関出て行くまで、ずっと何か言ってる。“ハンカチ持った? ティッシュは? 鍵は? 靴のかかと踏むなあ。ランドセルの蓋ちゃんと締めて。帽子は?”」
「だから、沙羅だって麻耶の話をまともに聞かなくなってる。夜は夜で、“明日の用意しなさい”って怒鳴るように沙羅に言って、沙羅がやっと用意し始めると、今度は用意してる最中に“歯を磨いてないでしょ”だからね。沙羅にしてみれば、どっちをやれって言われてるのかわかんなくなっちゃう。どうやっても文句を言われると思うから、“だったらやらない”って沙羅に開き直られてる。そういうせいかわからないけど、大人の言うこと聞かないで、自分の世界で行動してるようなことが多いよね」
「沙羅の通知表見た?」
「見てない」
「“色々なことに興味がある”って書いてあった」
「それはいい意味かねえ?」
「ん~、まあ他に書きようがなかったっていうか、“落ち着きがなくてどうしようもない”って書きたいところを一生懸命別な言葉で書いたってとこじゃないの。担任としては“ついて行けない”ってことだよ、たぶん」
「確かに沙羅の物事に対する興味っていうのはビックリするほどすごいから、学校の先生くらいじゃついて行けないだろうね。自分の孫だと思っても、なかなか大変。夜もなかなか寝ないでしょ。布団に入っても“じいちゃん、眠れない”とか言って起きて来ちゃう。何か考えてるんだよね。やりたいこともいっぱいあるから、寝たくない。まだ、そのやりたいことっていうのが漫画を読んだり、テレビを見たりっていう、そんな次元だけど、この前も“蓮くんに取ってる子ども新聞取って”って言ってたし、“スキーがやりたい”“スケートがやりたい”“バイオリンが弾きたい”“宝塚を見に行きたい”とか、まったく何の脈絡もなくなんでもやりたいって言ってた。あれ、ただ遊びに行きたいってことじゃなくて、ほんとに何にでも興味があるんだよね」
「そうそう。だからその興味を大事にして、ちゃんと対応してやれば、私たちの言うことにただ逆らうんじゃなくて、自分でやりたいことを見つけて、自分の行動にも責任を持つようになるよね、きっと。様々なものへの興味って、結局個性だから」

孫の沙羅は、私から見ても個性の強い子で、いつも目をぎょろぎょろさせて、何かを見つけています。一見、落ち着きがないように見えるときもあるのですが、二人でゆっくり話をしたり、出かけてみたりすると、決して落ち着きがないわけではありません。沙羅の口癖は「じいちゃん、××してもいい」。とにかくなんでもやってみたい子です。大人から見ると、多少無謀と思えるようなこと(危険なことは危険とわかっているようで、そういうことをやりたいとは言いませんが)にも、意欲的です。

ところが、それに大人が付いていくのが大変で、ついこちらが面倒くさくなると、怒鳴ってしまうことが多くなります。子どもの個性を伸ばすことと、社会性を身につけさせることとは、紙一重な部分があって、どちらか一方を取れば一方が潰れてしまったり・・・。
子どもたちが、油絵、ダンス、俳優、幼児教育、ゴルフと、それぞれまあ、勝手なことをやっている我が家にとっても、孫の二人はさらにスケールアップをしているようで、今後どのように育っていくのか、楽しみでもあり、不安でもあります。
さて今年一年、どんな年になりますか・・・。
2012/01/16(月)


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2025年4月 4日 (金)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第479回「学校教育はどこに向かってる?」

「沙羅ちゃん、今日音楽会だって?」
「うん!」
「何時から?」
「1時半から」
「午後からなんだぁ! じゃあ、行けるかもしれない」
「うん、わかった! でもね、演奏中は入れないから、遅れると見られなくなっちゃうよ」
「沙羅ちゃんたちは何番目?」
「1番最初。1時半から校長先生のあいさつとかがあって、それが終わったらすぐ」

おーっ、まるでクラシックの音楽会のよう。
会場の体育館は明るい上、演奏中でも会場内での移動は出来る。もちろん、私語は慎むにしても、保護者の人数分の椅子があるわけではないので、自分の子どもがよく見えるように立ち見の保護者が移動したり、ビデオ撮影、写真撮影もOK。にもかかわらず、演奏中は入場できない? 意味わかんなーい!

私も音楽をやっていたので、演奏中に会場に入られるのが気になることはわからなくはない。舞台上だけが明るく、客席がほぼ真っ暗な状態で後方のドアが開くと、舞台からはけっこう気になるし、演奏の音以外何も聞こえず、咳をしたり、ときに息をしたりするのもはばかられるような緊張感の中では、演奏中の入場が禁止なのは当然です。でも小学校の音楽会の目的は子どもたちが精一杯歌うことにもあるわけだし、それを保護者に見せることにもあるはず。沙羅の言ったことがどこまで本当かは定かではないけれど、とにかく子どもたちにそこまで厳しく感じさせる必要があるのだろうか、要するに子どもたちが騒がないようにするための脅し?と思いながら、沙羅の話を聞きました。

仕事の関係で、行けるとしても1時半ぎりぎり。沙羅の言ったことを信じるとしたら、1分でも遅れるわけにはいかないので、時間を気にしつつ、校長先生の話はどれくらいの長さかわからないので、1時半に間に合うように沙羅の通う小学校へ向かいました。そこまでぴりぴり時間を気にしていなくてはならない自分が、おかしくも思えましたが…。
1時半を目指したおかげで、校長先生の話にも間に合いました。

沙羅の演奏の前に、開会宣言、校長先生の話、教頭先生の話、演奏中の諸注意があったのですが、これがまたわけがわからない。話の内容は理解できるし、それほど変なことを言っているわけではないんですが、どういうわけかやたらと敬語を使う。ところがこの敬語が誰に対して使っている敬語なのかわからない。私も敬語の使い方は下手なので、というかよくわかっていないので、「今のおかしい」と妻にときどき指摘されるくらいなんですけれど、そんな私が聞いていても、かなりひどい。
敬語というのは、敬語を使う立場の人間と、敬語を使われる立場の人間がいて成り立つもの。にもかかわらず、それがはっきりしないものだから、保護者に対して敬語を使い、子どもたちに敬語を使ったと思ったら、今度は教員に対して敬語を使っている。そんな曖昧なしゃべり方をしているものだから、とうとう主語につく助詞までがおかしくなって、「が」なんだか「は」なんだか「を」なんだか、めちゃめちゃになっちゃって…。
演奏中の諸注意だけは子どもたちに対して上から目線だから、立ち位置がはっきりしていたけれど、校長先生の話と教頭先生の話は立ち位置が定まらない。学校の現場の混乱を象徴しているような話っぷり。誰が誰のために何をすべきで、何をしようとしているのか、そこの部分が欠落して、批判されないよう表面だけを取り繕おうとしているんでしょうね。
それが教員の質の低下をごまかそうとしているものなのか、保護者の暴走に歯止めをかけるための戦略なのかは別にして、とても心配なことですが、学校教育が芯のあるしっかりしたものではなく、うわべだけの学校ごっこのようなものに成り下がっているように感じました。
2011/10/31(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第475回「たった7人の運動会」

10月1日、平島(たいらじま)小中学校の運動会が開かれました。
孫の蓮の留学している鹿児島県十島村立平島小中学校は、小学生が3人、中学生が4人の小さな学校です。いったいどんな運動会になるのか楽しみに平島を訪れました。(第465回~第469回参照)

「やあ、やっぱり遠いなあ…」
今回の目的は、運動会だけだったので、9月30日、午後11時50分の“フェリーとしま”に乗り、10月1日、9時前平島着。その日に運動会を見て、翌10月2日午前11時、平島を出て、その日の夜9時前に鹿児島着。その時間だと自宅に向かう手段がないので、鹿児島に1泊して3日朝、自宅に向けて鹿児島を出発するというタイトなスケジュールのため、体の具合で飛行機に乗れない私は新幹線、娘の麻耶と孫の沙羅は、飛行機を利用することになりました。

というわけで、今は鹿児島のホテルでこの原稿を打っています。娘と孫はすでにこのホテルを出て、飛行機です。(現在10月3日午前7時30分)
さて、平島小中学校秋期大運動会の話。

うちも含め、留学生の保護者はみなタイトなスケジュールで平島に向かうため、運動会の開始は、その日の朝到着の“フェリーとしま”の時間に合わせ9時半開会です。教頭先生をはじめ多くの島民の皆さんが、“フェリーとしま”の港湾労働に従事しているため遅めの開始になっています。民宿(といっても、現在、民宿を経営しているご夫妻が鹿児島にいらっしゃるので空き家状態になっているんですが)に荷物を置き、運動会の服装に着替えて、学校の隣にある運動会会場“健康広場”に向かいました。

“健康広場”は7月に訪れた時に子どもたちと野球をやった場所で、そのときはとにかく草が生い茂っていて、ボールがその草の中に入ると探すのにも一苦労するような状態でした。「あそこでほんとにやれるのかなあ?」と家では話しているくらいだったんですが、“健康広場”に行ってビックリ。子どもたちが走るトラックはきっちり整備され、ラインが引いてある。そしてそれ以外の場所は、草が短く刈られ、立派な陸上競技場のよう。グランド中央に建てられたポールからは四方にロープが張られ、万国旗が風にはためいていました。

「えっ! これ島の皆さんでやったんですか?」
蓮の里親のHさんに尋ねると、
「みんなでやりゃあ、たいしたことないよ」
おいおい、こりゃたいしたことだろ!

その一言に、この島で最も大きなイベントである平島小中学校運動会を島民全員で楽しいものにしようという島民の皆さんのお気持ちが現れているように感じました。
入場行進は、子どもたち+島民全員+私たち留学生の関係者+平島小中学校を卒業して現在は鹿児島で高校に通う卒業生(私たちと同じ船で平島に着き、私たちと同じ船で鹿児島に帰ってきました)。

「えっ、入場行進も出るんですか?」
「そうだよ、当たり前じゃない! みんな出るんだよ。競技も全部出るんだからね。大関さんは白組だから、このハチマキして」

と白いハチマキを渡されました。
おーっ! 全員参加型、運動会!
たった7人を赤組、白組に分けてどうやって運動会をやるのかと思ったら、島民全員を赤白に分けて戦います。当たり前といえば当たり前なんですが、ちょー高齢の方までハチマキをしているのには驚きました。

そして始まった開会式は、入場行進に始まり、校旗の掲揚、校長先生のご挨拶、若い力斉唱、準備運動…。昨年優勝の赤組からの優勝旗の返還もありました。厳粛に進む開会式に学校や島の意気込みを感じました。
子どもたちが練習を重ねてきた応援合戦を除いて、ほぼすべての競技が「子どもたち+卒業生+島民の皆さん+保護者」で進行していきます。
「頑張りすぎて、アキレス腱でも切ったら笑えねぇ!ってなっちゃうから気をつけないとね」
そういった矢先、子どもが投げたボールを保護者がキャッチして距離を競う競技に参加した私は、蓮の投げたボールがやや前の方に落ちそうになったので、慌てて前に出てキャッチしようとした瞬間、ビシッという音がして、ふくらはぎに激痛が走りました。ボールは何とかキャッチしたのですが、ふくらはぎは肉離れ。今も腫れが残っていて、そんなこともあろうかとうちから持ってきていた包帯をぐるぐる巻きにしています。
病院がなく、医師のいない平島の人々にとって、病気や怪我は最悪の事態にもつながりかねません。一昨年は、ゴール寸前で転倒し、鎖骨が折れて、鹿児島の病院に入院した人もあったとのことでした。運動会後の大人だけの反省会で、「今年は大関さんを除いて大きなけが人もなく無事運動会を終えることができ…」と教頭先生の挨拶があった時には、穴にも入りたい気持ちでした。

たった7人の運動会はとても盛大な運動会でした。Hさんの話では、
「島民の8割は来てるだろ。今日、鹿児島で運動会があって、出かけちゃってるのもいるから」
島全体で学校を守ろうという気持ちが大変強く伝わってきました。お昼を一緒に食べながら(里親のHさんのお宅でご用意いただいたとても豪華なお弁当です)、
「本当に皆さんいい人たちで、いい島ですよねえ」
と私が言うと、Hさんは、
「ここの島の住人は、みーんな同じなんだよ。平等っていうか…」
そうなんです。私もずっと感じていたことですが、校長も教頭もない、村会議員も自治会長もない、大人も子どもも、みんな平等なんです。もちろん子どもたちにしつけはしますけれど、けっして大人が威張らない。島という特殊な環境が作ってきた伝統なんですね、きっと。

運動会の競技に、ワラで縄を結って長さを競う競技がありました。年配の方の出番です。お年寄りもとても大事にされているのが伝わってきました。私が子どものころ、暮れになると父が神棚に上げる縄をワラで結っていたのを思い出しました。島の皆さんのお心が蓮にもしっかりと伝わっているといいのですが…。

足を引きずりながら、お昼前の新幹線で東京に向かいます。妻には、うちに着くころにはウサイン・ボルトの世界記録を更新できるくらいによくなってると思うと言ってはみたものの、整形外科直行で、松葉杖になりそうです。
2011/10/03(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第474回 「ネクタイ売り場にはご用心!」

以前、子どもを連れてデパートのネクタイ売り場に行ったときのことです。私がネクタイを見ていると右後方で“ゴンッ”という音が。
売り場のおばさん(おねえさん?)がすぐに駆け寄ってきて、子どもの目線にしゃがんで、
「大丈夫? 痛かったでしょ」
状況がいまいち理解できていなかった私もその状況に、どうやら子どもがネクタイを見せるために半開きにしてある引き出しの角におでこをぶつけたらしいということがわかりました。
「“ゴンッ”って大きな音がしたもんね。痛かったでしょ」
と売り場のおばさんがさらに子どもを気遣って声をかけてくれました。
「どれどれ」
と子どものおでこを確認しましたが、泣き出すわけでもないので、おでこをちょっと確認して、抱き上げました。肩にべたっと顔をつけてべそをかいているようでしたが、痛がっている様子でもなし。しばらくすると、私も子どももおでこを引き出しにぶつけたことなどすっかり忘れ、普通に買い物をして帰ってきました。

お風呂に入ろうと、子どもの服を脱がせてやっているときに気づきました。なんと髪の毛の生え際に大きなこぶが…。そしてそのこぶには血の流れたあとまでありました。
「えっ? おまえ、これじゃすごく痛かっただろっ? ごめんな、気が付かなくて…」
ちゃんと見たつもりだったのに、どこを見ていたんだか…。
泣き出しもしない、痛がりもしないことをいいことに、対して気にも止めませんでしたが、これでは売り場のおばさんが気にするはずです。
ああ、私としたことが…。

ぶつかると言えば、人工衛星「UARS」。昨日(24日)、「UARS」は大気圏に突入し、どうやら北米上空を通過して米西海岸沖に落下したとのことです。今回は人や建物に当たるというような被害はなかったようですが、事前に報道された人に当たる確率は3200分の1、特定の一人について当たる確率は22兆分の1。これはいったいどういう意味? 数字は大きいし、ぴんとこない感じだけれど、要はまず当たらないっていうことが言いたかったのか、それとも当たることもあるから気を付けろって言いたかったのか…

宝くじの1等に当たる確率は1000万分の1らしいから、それからいうと22兆分の1はまず絶対に当たることはないっていうことなんでしょうね。とはいえ、用心に越したことはありませんから、気にしていた方も多いのでは? もちろん私も気にしていました。

「石橋をたたいて渡る」っていうことわざがあります。「非常に用心深いこと」を言ったことわざですが、妻に言わせると、私は「石橋をたたいても渡らない」タイプ。
でもそれじゃあ、川は渡れない。どうやって渡るかと言えば、石橋は渡らないのに泳いで渡っちゃいそう。他人が造った石橋は信用できなくても、自分の泳力は信用できるから(笑)

現在、カウンセリングルームの銀座進出の話が進行中で、先日銀座の物件を見に行ったときの話。
8坪ほどの狭い部屋と15坪ほどの広い部屋を見たのですが、お金もないし、無理は出来ないから私としては「8坪の部屋で」ということで話を進めていました。すると妻から、「あのとき(物件を見に行ったとき)は、銀座に出すっていうだけで満足してたけど、やっぱり広い方が良いような気がする。広い方を借りるっていうことじゃダメかなあ?」とメールが来ました。
おいおい、何言ってんだよ! そんなに簡単にはいかないよ。で、私は、
「足場がしっかりしてから博打は打った方がいい。二人とも博打が好きだから、博打は慎重に。いきなり札束をバンッて積まない積まない。しっかり見極めて、勝算があると思ったら一気に行く!」
とメールを送りました。
「博打かぁ!」
と妻には大ウケ。事業の拡大を「博打」と言った私も、えらく悦に入っていて…。
ネクタイ売り場で子どもがおでこをぶつけてしまったときの私は何だったんだろう…
石橋をたたいても渡らないくらい慎重な私と思っていたのに、大失態。ネクタイ売り場で引き出しが引き出されているのは当たり前。しかもそれが子ども頭の高さなのも当たり前。「引き出しなんて出しとくんじゃなーい!」なんて怒るわけにもいかないのだから、ならばネクタイ売り場で子どもをウロウロさせるべきではない。
石橋をたたいても渡らない私の性格とはまったく反対の、川を泳いで渡っちゃう、博打好きというのも私の一面。そんな私の一面が油断を招き、子どもをネクタイ売り場でウロウロさせてしまったのかな?

子育てに博打は禁物。慎重すぎて慎重すぎることはない。ただし、子どもが人生の分かれ目にさしかかったときには、博打を打とうとする子どもの背中を押してやる勇気も親には必要かも…。
そのあたりが子育ての難しさ、醍醐味かもしれませんね。
小さいお子さんをお持ちの方は、くれぐれもネクタイ売り場にはご用心!
2011/09/26(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第473回「学校がなくなる」

「Kさんが電話ほしいんだって。電話番号、そこに書いといたけど」
「なんだろっ? 珍しいね」
「何にも言ってなかったけど」
他人の家に電話をするのはほぼ夜9時までと決めているのですが、PTA役員をやっている時でさえ、電話がほしいなどと言ってきたことのないKさんが「電話がほしい」なんてよほどのこと。すでに午後10時を回ろうとしていたのですが、とにかく電話してみることにしました。
「もしもし、大関ですが…」
「ああ、大関さん、どうも」

PTAの役員を一緒にやった奥さんからの電話だと思い、「奥さん、いらっしゃいますか」と言おうとしたその瞬間にご主人が話し始めたので、ちょっとビックリしました。
「お電話いただいちゃってすみません。中学校のことなんですけど、聞いてますか? 今、1年生が7人しかいなくて、このままだと来年廃校になりそうなんです。来年度、40人以上生徒が集まらなかった場合は、廃校にするって。突然なんですよ。1年生が少ないのはわかってたけれど、廃校なんていう話はこれまでなかったんです。それが突然廃校なんていう話されても…。1年生が7人なのに、いきなり40人以上なんて言われたって、今の6年生が全員そのまま中学に上がったって、ぎりぎりですよ」

「今年、小学校を卒業した子もそれくらいいましたよね?」

「卒業した子はいましたけど、ほとんど別な中学校に行っちゃったんです。中学校が何も手を打ってこなかったから。中学校は選択制でしょ、だから他の学校はいろいろ宣伝してるんです。説明会を何度も開いたりして…。なのにうちの学校は何もしない。だから生徒をみんな取られちゃったんですよ」

「最近、中学校とはあまり関わってないので知りませんでした」

「廃校にならないように何とかしようっていう気がないんですよ。教育委員会から“40人以上にならなかった場合は廃校”っていう説明があっただけで、中学校も結局教育委員会側ですよね」

「教員はどこの学校に行っても同じですからね。むしろあまり小規模校だと一人ひとりの負担も多くなるし、校長先生だって、本当のところ小規模校よりは大規模校の校長の方がいいでしょ。おそらく教育委員会の既定路線ですよね、すでに。今年7人で、来年もそんなもんなら、教員の人件費とか、学校の維持費とか、市内の他の中学校と比べたら生徒一人あたりの市の負担額はかなり多くなっちゃうでしょ。そう考えると、教育委員会の既定路線をひっくり返すのは難しいですよね。財政的にそれだけの余裕はないだろうし…。この地域の人口が増える可能性があって、子どもの数もこれから増えるかもしれないっていうんならすぐ廃校っていうこともないんでしょうけど…」

「とにかく40人ていうのをもう少し少なくしてもらって、教育委員会に対して、3年でも2年でも猶予がもらえるよう運動しようって言ってるんです。それと小学校の卒業生には地域の中学校へ進学してもらえるようにって。大関さんなら何かいい考えがないかなあと思って…」

娘から一度、中学校の1年生が少ないっていう話を聞いたことがありました。
その時に、7人しかいないと聞いたような気はするのですが、50人以上の小学校の卒業生がいて、まさか7人しかいないなどということは夢にも思わなかったので、あまり本気で話を聞かなかった気がします。
確か「中国人の子どもたちは小学校統合(3年前、うちの地域の小学校が隣の小学校と統合し、うちの地域の小学校が残りました)のときにもだいぶ引っ越したみたいだから、ほとんどどこかへ移っちゃったんだろ」(統合になった団地の小学校にはかなりの数の中国人の子どもがいましたが、小規模な小学校での子どもたちの学力に不安を持ったのか、多くの家庭が引っ越してしまいました)などと言ったように思います。
ところがKさんの話を聞いて、状況がまったく違うことがわかりました。規模がどんどん縮小する地域の中学校では、好きな部活動にも入れない、学力の低下も心配ということで、中学校の選択制を利用して、地域とは別な中学校に進学してしまったということのようでした。

廃校になった場合も、隣の中学校まではそれほど距離があるわけではありませんが、間に線路があるため、我が家のある地域は、中学校のない孤立した地域のようなイメージになります。中学校の存廃は、学校だけの問題にとどまらず、地域全体の大きな問題であることは間違いありません。平島のYさんが「学校の存続は島の存続に関わる」と強い危機感をお持ちになっていたのもよくわかります(第469回参照)。
地域から中学校がなくなるということは、これまで地域の中に生活の拠点のあった中学生が生活の拠点を地域外に移してしまうということであり、それは地域内に暮らす大人の人間関係をも希薄にさせてしまうことにつながります。特に中学校の選択制により、地域からより離れた学校を選ぶ生徒が多ければ多いほど(中学校に魅力がないというよりは、むしろ小学校における楽しい学校生活の欠如がそういう状況を生むのではないかと思います)、状況は深刻です。

地域力の再生が叫ばれる中、決して商工業地域でない、東京のベッドタウン、人口密度の高い住宅街でありながら、まるで過疎化が進行しているような状況は、地域社会の危機と言ってもいいのかもしれません。果たして、来年度の中学校の存廃がどうなるのか、推移を見守りつつ、何とか存続できるよう私なりに努力をしたいと思います。
2011/09/20(火)


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