2024年4月 5日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第312回「喫煙」

最近、「禁煙」あるいは「分煙」の動きが加速しています。公共の施設はもちろんレストランや喫茶店、果ては路上まで、あらゆるところで喫煙者は肩身の狭い思いをする羽目に。
うちの陶芸教室が現在の浦和駅前のエイペックスタワーに移ったのが5年前。それまでの南浦和の教室では、教室内につい立てで仕切った喫煙場所が決められていて、たばこを吸う人は、そのつい立ての陰で吸っていました。一応、窓のそばに設置してあったので、たばこを吸うときは窓を開けて吸います。とは言え、煙は上に上がりますから、天井を伝わって教室全体に広がるし、風の向きによっては、窓の外に出るどころか、逆に教室の中に入ってくることもあります。会員全体の割合からいうと、圧倒的に吸わない人が多いにもかかわらず、どちらかというと「吸わない人が我慢をしている」という感じ。
ところが、エイペックスタワーに移ってからはというと、建物も新しい上、教室の内装も真っ白。特に「禁煙」ということを私の方から強く指示した覚えはありませんが、何となく自然に「禁煙」の流れができて、たばこを吸う人は教室を出て、タワーの通路で吸うようになりました。もちろん通路にも屋根はありますが、冬になると北風は吹くし、時にはまるで台風のような突風も吹きます。そんなことで今は、すっかり「吸う人が我慢している」という感じ。そういう状況なのに、吸う人にとってはさらに逆風が吹いて、まずエイペックスタワー敷地内の共用スペースはすべて禁煙に。さらにさらに、駅周辺の道路も「路上喫煙禁止地域」に指定されて、歩きたばこはできなくなってしまいました。皆さんなんとかどこかで吸ってくるようですが、人目をはばかりながらの何とも「まずい」たばこを吸っていることだろうと思います。
私はもともとたばこを吸いませんが、15年ほど前から花粉症になり、その後はとにかくひどいアレルギー症状が出て、ちょっとたばこの煙を吸っただけでも喉は痛くなる、くしゃみは出る。電車に乗れば洋服や髪の毛についたたばこの臭いが気になって、帰宅した途端、頭からシャワーを浴びて臭いを落とさないといられない始末。昔はここまでたばこを拒否してたわけではないんだけどなあ…。
さてつい先日、たばこ自動販売機成人識別ICカード「taspo」(タスポ)を福岡のたばこ販売の自営業者が、家族名義のカードを自動販売機にぶら下げ、誰でも購入できるようにしていたことが問題になりました。未成年者の喫煙をなくすという「taspo」導入の目的をまったく無視するやり方で、非難されるのも当然のことと思います。ただ、自営業者側にいわせると、「taspo」導入以来、売り上げが激減し、経営が成り立たない状況と言い、経営を維持するための最終手段ということのようです。もっとも、もともと対面販売を中心に行ってきた一部店舗やコンビニエンスストアといったところでは、逆に売り上げが何倍にも伸びているそうですが。
「たばこ」というのは、子どもから見ると大人の象徴です。成長過程で親離れをしようとする年齢になると、自然に「大人」にあこがれ、何でも大人の真似をしてみたくなります。「たばこ」もその一つで、たばこを吸うことの意味(そんなものがあるかどうかはわかりませんが、私が以前勤めていた法律事務所の弁護士は、「相手方と話をしていて間が持たなくなったり、間を取りたくなるときがあるんだよな。そういうときにたばこは都合がいいんだ」と言っていました)もわからないまま、とにかく吸ってみる、そんな時期があるものです。もう時効ということでお話しすると、実は私も、中学3年生の時に1箱だけ吸ったことがあります。それ以来たばこはまったく吸うことはありませんが、ちょうどその頃は、一人で喫茶店(今はなくなってしまった浦和駅西口の「tomorrow」に毎週通っていました)に行っては「モカ」を飲んでみたりしていた時期で、思春期まっただ中というところでしょうか。誰しもそんな時期があったのではないかと思います。
未成年者に、健康に害のあるたばこを吸わせないのは大人の責任。とは言え、一日も早く大人になりたいと思うのは、子どもの常。19歳11ヶ月29日と20歳とのたった1日の差で、身体に与える害に違いがあるわけもなく、「taspo」で未成年者の喫煙を防ぐというような発想ではなく、まず率先して大人が禁煙の努力をすることが未成年者の喫煙を防ぐ最良の手段なんだろうと思います。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第306回「海軍飛行予科練習生」

「おい、俺が死んだらなあ、ヘリコプターで鹿島灘に骨を撒くんだぞ。おまえたちに頼んでおくからな!」
昨年亡くなった父は、何度も私と妻にそう告げていました。
海軍飛行予科練習生(予科練)に志願して、土浦海軍航空隊にいた父としては、特別攻撃隊(特攻隊)として鹿島灘に散った多くの仲間たちのところへ行きたいという気持ちが、ずっと消えなかったんでしょう。土浦から三沢(青森県)に移動になった直後、土浦が爆撃を受け、三沢でも同じように、移動の命令を受け三沢を出た直後に、三沢も爆撃に遭いました。父はたまたま難を逃れた数少ない生き残りなんです。(第266回参照)
「俺の人生は、余生なんだ。あの戦争で、俺の人生は終わったんだ」
と口癖のように言っていました。
そして昨日(20日)、先に逝った戦友たちのそばに父(ほんの一部だけですが)を葬ってきました。強い風で大きく荒れた海は、細かい粉になった父の遺骨を、戦友たちの眠る遙か鹿島灘の沖に、運んでいってくれたことと思います。
父の骨を撒く前に、父が予科練時代を過ごした土浦海軍航空隊跡を訪ねました。現在は陸上自衛隊武器学校となっており、中には、予科練記念館「雄翔館」、記念庭園「雄翔園」、予科練の碑「予科練二人像」などがあります。物心が付いて間もないころ、一度だけ父に連れられて来たことがありました。小さいながらもそのときの印象は強烈で、敷地内におかれた戦車、死んでいった若者たちの遺品の数々が、未だに記憶の中にあります。今回は、それを確認するように見学してきました。
入り口で簡単な受付をすれば、誰でも入れます。(平日、土・日とも午前9時~午後4時30分 茨城県稲敷郡阿見町大字青宿121-1 陸上自衛隊武器学校内)
予科練の卒業生は約24,000名。そのうちの約8割、18,564名が戦死しました。「雄翔館」には、戦死した若者の遺品や家族宛の手紙(遺書)などが、展示されています。両親に宛てたもの、叔父や親戚に宛てたもの、どの手紙を見ても、しっかりとしたとてもきれいな字で、これまで育ててくれた感謝の気持ちが綴られています。まだ二十歳にもならない若者の手紙を見ると、とても心が痛みます。
「長い間育ててくれた…」「これが最後の…」といった言葉の数々。この若者たちに「長い間」「最後の」などという言葉を誰が言わせたのだろうと怒りがこみ上げてきました。
「戦争の時は、みんなこう考えてたのっ」「戦争だから仕方ないの」という母の言葉が、まるで人ごとのようで(もちろん母も戦時中の大変な時代を生きていたわけですが)、父の「鹿島灘に骨を撒くんだぞ」という言葉とは、遙か遠いところの言葉のように感じました。
「もし、これが私の子どもたちだったら…」そんな思いが、涙をにじませます。
父がお酒を飲むたび歌っていた、「四面海なる帝国を 守る海軍軍人は 戦時平時の別ちなく 勇み励みて勉べし」という「艦船勤務」や「若い血潮の 予科練の 七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でかい希望の雲が湧く」という「若鷲の歌」が自然に口をついて出てきます。
日本は、平和を取り戻しましたが、世界各地で多くの若者や幼い命が戦争によって奪われていることを思うと、平和のために何が出来るだろうかと考えさせられます。
雄翔館の入り口に二人の男性が椅子に座っていました。父と同じ予科練第14期だそうです。父同様、戦死はしなかったけれど、このお二人も戦争が人生のすべてだったんだなあと、なんだか寂しい気持ちになりました。
 
 
 
 
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2024年3月30日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第291回「2007年から2008年へ」

明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。
まず新年1回目は、昨年から今年への変わり目の話。
 
12月31日
妻と戸田のそば店で生のそばを買い、板橋で一人暮らしをしている叔母(一昨年他界した義母の妹)の家へ(「私はアレルギーでそばは食べないんだよ」と叔母に言われ、なんとなくそんな気はしたんだけど、あまりにも叔母のことがわかっていない自分に愕然としました)。その後、私の実家へ行き、紅白歌合戦(これという見所、聞き所はなかったけれど、鶴瓶の司会でやや雰囲気が変わったかなと率直に思いました。でも、小林幸子の衣装?にはもう飽きました)を見ながら、年越しそばを食べる。年が明けて、除夜の鐘が鳴る中、自宅へ。
 
1月1日
普段よりはゆっくり起きて、雑煮(浦和近辺の雑煮は醤油味のシンプルなもの。こういうところに育ってきた環境が出るもので、私の作る雑煮は、鶏肉、小松菜、なると、八頭を入れた醤油味。餅はもちろん角餅の焼いたものを入れます。四国かどこかで、あんこの入った大福を雑煮に入れているのを見てびっくりしたことがありました)を食べる。カウンセリング研究所と陶芸教室を一応覗いて(どちらももちろん休みですが、陶芸教室がまだ南浦和にあったころ、ビル荒らしにあって数万円を盗まれたことがあったので)、調神社へ初詣。午後調神社へ行ったのは初めてでしたが、あまりの混み方にビックリ。夜中ももちろん込みますが、あれほど長い行列を見たのは初めてでした。孫も連れていたので、結局、遠くから拝んで、公園で孫を遊ばせて、おしまい。その後、再び私の実家へ。
実家でも雑煮が出てきたけれど、母曰く「お父さんがいなくなったから、東京の(「東京」というのは早稲田にある母の実家のことで、祖母が富山の人なので、大根や人参、そしてブリの入った具だくさんの雑煮)にしたんだ」ということで、いつもの年とは違った雑煮になっていました。深谷から来ていた妹の家族と母と一緒に実家にいる弟はすでに食べたらしく、「みんなよく食べたからもうあんまりないけど」と言いながら母は私に「東京の雑煮」を勧めました。実は私は魚が入った汁物というのは、あまり好きではなく、ほとんど食べないということを母は知らないみたいでした。一時いろいろあって家を出ていたとはいえ、「おいおい、もう50歳になる息子だぜ」という感じです。おそらく母の意識の中では「自分が食べてきた雑煮が一番美味しい」という勝手な論理が働いていて、私が浦和で生まれ、浦和で育った、根っからの浦和っ子なんだということを理解できていないんでしょう。私と父とはずいぶん仲が悪いように周りには映っていたようですが、そういう点では、ことごとく父のやり方というか、好みというか、踏襲しているように思います。父は、ブリの入った雑煮を「生臭い」と言って好みませんでした。2年くらい前から父がやや呆け始め、昨年父を亡くしてみると、何につけても父のやり方を踏襲している自分に気付きます。それが文化ということなんでしょうね。もちろん雑煮の具と味付けは譲れないものがあります。妻は、母に勧められ母の作った東京の雑煮を「美味しいですねえ」とお世辞(?)を言いながら食べていましたが、私はまったく食べませんでした。「自分が食べてきた雑煮が一番美味しい」と思っている母には、なぜ私が雑煮を食べなかったかなんて、まったくわかっていないと思います。
2007年から2008年にかけてはそんな具合でした。毎年毎年、同じようなことをしているわけですけれど、何で毎年同じようなことをやっているのかなあとつくづく考えてみると、こういうこと全てが親から子へ、子から孫へという文化の伝承なのだと思います。特別、文化を大事にしようという意識があるわけではないけれど、何気ない日常の中に文化の伝承はあるんですよね。そういったものが消えていってしまう世の中は、子どもの心から優しさを奪ってしまうのだろうと思います。
2007年は子どもが絡んだ暗い事件がたくさんありました。2008年は、どうか子どもたちが幸せに暮らせる1年でありますように!
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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2022年6月13日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第289回「インフルエンザの予防接種を初めて打ってみました」

今年、初めてインフルエンザの予防接種を受けてみました。インフルエンザの予防接種は、副作用の危険がある上、効かないというもっぱらの定説で、大阪赤十字病院小児科医師の山本英彦氏や子どもの健康相談などでも有名な毛利子来(たねき)氏を始め、予防接種そのものの中止を求めている方々や団体も数多くあります。
(http://www.ne.jp/asahi/kr/hr/vtalk/infl_appeal0311.htm)
医療に関する考え方は、人それぞれで、発熱の場合でも、どの程度の熱がどれくらいの期間続いたら、薬を使って下げるかという判断も、医師によってもまちまちです。もちろん、名のあるような重病がはっきりしている場合は別として、風邪やインフルエンザといった症状の場合は、とても難しい判断を迫られます。脳炎や脳症も、インフルエンザそのものより、圧倒的に解熱剤が原因ということも言われており、子どもへの薬の使用は、極力慎重であるべきことは言うまでもありません。
11月28日配信のロイター通信の記事でも、ワクチンよりも手洗い、マスクの有効性を伝えており、ネット上のフリー百科事典『ウィキペディア』にも、
「一般的な方法として最も効果が高いのはワクチンの接種であると言われていた。しかし2007年11月28日、ロイター通信社の配信ではインフルエンザや新型肺炎(SARS)などの呼吸器系ウイルスの感染を予防するには、薬よりも手洗いやマスクの着用といった物理的な方法が効果的との可能性を示す研究結果が明らかになった。国際的な科学者チームが51の研究結果を精査。所見を英医学会会報で発表した。研究チームでは「山のような証拠は、ワクチンや抗ウイルス薬がインフルエンザの感染を予防するのに不十分であることを示した」として、国の流行病対策プランはより簡単で安価な物理的手段に重点を置くべきだと提言している。」と記載されています。
そういうことを考えると、インフルエンザ予防接種の有効性といったものに対しては、疑いを持たざるを得ませんね。もちろん、有効性を示すデータというのは存在するわけですが、データの採り方そのもの(作為があるという意味で)に疑問を呈している人たちも多く、やはり少なくとも子どもには打たない方が無難ということでしょうか。
そんな考えの中で私が今年予防接種を受けたのは、「もし、効いたらラッキー!」という程度のことです。ある意味、人体実験とも言えなくはないですが、私の仕事も妻の仕事も身体が資本。特に妻のやっているカウンセリングは、妻でないとできないことがほとんどで、もし、インフルエンザで何日か寝込むことになれば、その分売上に響くのはもちろん、万一クライエントさんやカウンセラー資格取得講座にお見えの研修生の皆さんに移してしまったら大変です。私の陶芸教室の方はと言えば、私自身のインフルエンザが妻ほど売上に影響することはありませんが、70代、80代の会員さんも多く、年輩の会員さんが重いインフルエンザや肺炎とかいうことにでもなれば、命にも関わってしまうことだってあります。そんな状況の中でも、基本的に休みはないし、私がいないと困ることもあるので、去年や一昨年などは、点滴をしながら仕事をしていたなんていうこともありました。
有効性を信じていないにもかかわらず、「もし効いたら…」なんて、矛盾だらけですが、ほんのわずかな期待を込めて、打ってみたというわけです。
問診票の裏を読んでサインをするよう書いてあるので、問診票の裏に目を通すと、とにかく副作用のことが延々と書いてある。これだけのことを読んでも、あなたは予防接種をしますか?ということなんでしょう。副作用については充分に説明はしましたよ、それでも打つって決めたのはあなたですよっていうことなんですね。私は、そこをビクビクしながらクリアして打ったわけですが、とりあえず私には副作用は出なかったようです。
卵とゼラチンにアレルギーのある方は要注意とか。私はいろいろなアレルギーを持っていますが、卵とゼラチンは大丈夫なんですよね、幸いなことに。
もし家族中が罹っても私がインフルエンザにならなければ、来年は妻も打つことになるのかな? まあ、人体実験はあまりしない方がいいですよね。もし効いたとしても、孫たちに打つことはないと思います。
ドイツでバレエダンサーをしている努がまだ小さいころ、ペニシリンの注射を打ったことがありました。アレルギーがあるとはまったく思えなかったにもかかわらず、腕は腫れ、大きなしこりがかなり長い間消えませんでした。私も、まったくアレルギーはないと思っていたのに、10数年前に花粉症が発症してからというもの、スギ、ヒノキはもちろん、切り花もダメ、ポプリ、アロマ、ハーブもダメ。アレルギーの怖さは充分に知り尽くしたので、今年は大変なリスクを冒してしまいましたが、孫たちにだけは、大きなリスクは背負わせたくありません。
肝炎訴訟の解決が長引く中、国には製薬会社の利益を優先させることなく、国民の安全に対する最大限の配慮をしてほしいものですね。

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2022年6月11日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第284回「子育ては都会、それとも田舎?」

今朝(11月11日)の朝日新聞に俳優の柳葉敏郎氏が、昨年春から故郷の秋田で暮らすようになったという記事が掲載されていました。「子育ては秋田で」というのが、ずっと夢だったとのことで、小学校2年生のお嬢さんのPTAの学年部長も務めているそうです。
柳葉氏は、秋田県の中央よりやや南に位置する、仙北郡西仙北町(2005年、大曲市などの1市、6町、1村との合併により現在は大仙市)の農家の長男として生まれました。その後、小学校、中学校、高校と地元で育ちます。秋田県立角館高校卒後、18歳の頃に日本テレビの『スター誕生』に応募しますが落選。それがきっかけで上京して、劇団ひまわりに入団しました。その後は皆さんご存じの通り、「一世風靡セピア」のメンバーとしてデビューし、'88年以降、トレンディドラマに数多く出演し、「元祖トレンディ俳優」と呼ばれるようになりました。「踊る大捜査線」シリーズの室井慎次役は、一番の当たり役で、彼の俳優としての地位を確固たるものにしたと言えると思います。(ウィキペディア参考)
俳優という職業なので、仕事の中心は東京ということになるのでしょうが、1年の半分以上を秋田で過ごしている(逆に俳優だからできるということなのでしょうが)とか。その話からも、柳葉氏の「子育ては秋田で」のこだわりがわかるような気がします。
今から、25年ほど前、「田舎暮らし」を考えたことがありました。今でこそ、ポピュラーになった「田舎暮らし」ですが、当時はまだそれほど注目されていたわけではなく(というより、むしろ田舎暮らしは敬遠されていた)、月刊だったか、季刊だったかの「田舎暮らし」を扱った本と機関誌が数種類あっただけでした。そういう刊行物を見ると、「借り賃 0円」とかいう家や、数百坪の土地と家屋(かなり老朽化はしていますが)で「売値 20万円」なんていう物件がたくさんあって、心がときめいたものです。過疎地の物件がほとんどですから、中には廃校になった校舎や元旅館なんていうものまであります。私が一番心を動かされたのは、1,800万円はするものの、敷地6,000坪で、宿泊施設あり、工房(一度に10人くらいが電動ロクロで作陶ができる)あり、竹藪あり、雑木林あり、なんていう物件でした。しかも、庭には小川が流れているんです。
少子高齢化が進み、今では退職後にそういったところで生活する人たちが増えてきて、生活に適した格安の物件というのは、手に入りにくくなりました。ある程度の年金がもらえていれば、生活に困ることはありませんが、若いうちに「田舎暮らし」をしようとすれば、収入の確保と子育てをどうするかで悩みます。妻が高校の教員でしたので、「埼玉県内であれば」と、秩父音頭で有名な皆野町やさらにそこから北側になる児玉郡神泉村(現在は合併により神川町)に、実際に物件を見に行ったこともありました。結局、収入よりも、子育てのことで断念(学校まで徒歩で1~2時間なんていう感じでしたので)しました。
柳葉氏の生活は、PTA役員の話や野球チームの話、町内会の話などが登場するので、それほどの「田舎暮らし」ではないのだろうと思いますが、「子育ては秋田で」という意味は、都会のあわただしい生活ではなく、ゆっくりと時が流れていく、人と人とのふれあいが残る、伸び伸びとした子育てがしたかったということなのだろうと思います。「友達を5人も6人も連れてきたり、自転車で出かけて日が暮れるまで遊んできたり。秋田の子どもは東京より100倍元気だ」という表現から、柳葉氏の目指す子育ての方向が見えてきます。
あわただしく流れる時間の中で、塾に通わせ詰め込み教育をするのも一つの子育て、ゆっくりと流れる時間の中で、のびのび育てるのも一つの子育てです。学力向上のため、ゆとり教育が見直されている今、「ゆとり」ということが目指したものはなんだったのかもう一度じっくり考え、子どもを大切に育てていきたいものですね。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第283回「興毅と大毅、藍とさくら」

亀田親子のことがこれほど大きくなるとは…。
揺れに揺れた大相撲問題もどこへやら。すっかり影が薄くなって、そのかわりに亀田大毅と内藤大介の世界タイトルマッチ問題が大きな問題になっています。
2005年7月1日、野村克也楽天監督(当時はシダックス監督)の古稀を祝うパーティが赤坂プリンスホテルで開催されたとき、たまたま私も出席させていただいていて、そこに来ていた亀田興毅を間近に見ました。パーティには、中曽根康弘氏をはじめ、亀井静香氏、中川秀直氏などの政治家や原辰徳氏、細川たかし氏といったスポーツ選手や芸能人など、多くの有名人が出席しており、大盛況でした。
そういう中だったせいか、亀田興毅は、すでにかなりの注目を集めてはいましたが、昨今のような不遜な言動はまったくなく、スポーツ界の先輩たちにあいさつをして回っている彼に対する私の印象は、今ではすっかり定着した感のある「悪役」のイメージではなく、プロのアスリートを目指す少年という印象でした。どちらが彼の真実の姿かということは別にして、なぜ彼や弟・大毅があそこまで「悪役」になってしまったのかというと、スポーツにやたらといらない演出を施す民放各社の責任もとても大きいと思いますが、私は父親の存在があったからだと思います。
「誰が見たってそうだろっ」とお思いになるかもしれませんが、私の言っているのは、よく世間で言われている「父・史郎氏のひどさ」のせいということではありません。私は、史郎氏がどんな父親であったにしろ、おそらく「何らかの形で亀田兄弟には問題が起こった」という意味で、「父親の存在があったから」と言っているのです。たまたま史郎氏のキャラが“ああいう人”でしたし、TBSや世の中が求めた親子像、ボクサー像というものが、“ああいうもの”だったのでしょう。政治の世界で小泉氏や安倍氏が支持されたのとも呼応しているのだろうと思います。もし、世の中の流れが違えば、もっといい“キャラ”はだったかもしれませんが、いずれにしろ亀田家には、何らかの「挫折」や「スランプ」といったものが待ちかまえていたのだろうと思うのです。
米国女子ゴルフツアー公式戦(国内女子ゴルフツアー第33戦)の「ミズノクラシック」は、上田桃子のアルバトロス(1ホールをパーより3打少ないスコアで回ること)を含む6アンダー(通算13アンダー)の活躍で、米国ツアー初優勝で終わりました。
激しく賞金女王争いをしていた横峯さくらは、スコアが伸びず24位タイ、注目の宮里藍は、ここのところのドライバーの不調を引きずり、通算8オーバーで、78人中68位タイとこれまでの宮里からすると考えられないような結果に終わりました。
ゴルフというスポーツは非常にメンタルな部分が影響を与えるスポーツなので、宮里くらい技術が優れている選手でも、一度調子を崩すとなかなか立ち直れません。ここのところの宮里の不調の原因はどこにあるのか…。わが家では、宮里のスランプを、力を出し切れずに終わった全英女子オープンのインタビューの時から予想していました。
宮里の言葉を一語一句はっきりと覚えているわけではありませんが、
「あまりいい結果は残せなかったけれど、何よりもこの一週間、お父さん、お母さんと一緒に過ごせたことがよかった」という内容の話をしました。
「宮里は、さくらとは違うと思って期待してたのに、あんなこと言っているようじゃ、もうダメだね。きっとスランプになるよ」
日大でゴルフをやっている翔(かける)とそんな会話をしていました。
宮里のインタビューからは、それまでの闘争心にあふれた“強い宮里”のイメージがすっかり消え、ただの“いいお嬢さん”になってしまっていました。
横峯さくらも一時、父・義郎氏に甘えているようなそぶりが気になったことがあり、ややスランプに陥っているようにも見受けられましたが、義郎氏が参議院議員となり、その後の不倫騒動を経て父娘関係に変化があったようで、精神的なダメージがなかったわけはないと思うのですが、かえって成績が向上し、賞金女王争いをしています。
亀田兄弟にしろ、宮里藍にしろ、ここのところの大きな試練は既定路線。親が“いい親”であろうと“悪い親”であろうと、問題は“いい”か“悪い”かではなく、「親子関係にどうけりをつけるか」です。
子育ての問題点の多くは、親子の距離のとり方です。それが、自営業者の跡取りでも、サラリーマンでも、スポーツ選手でも、まったく関係ありません。親子の距離がしっかり取れ、子どもが自立してこそ活躍できるのであり、またその逆に、距離が近過ぎれば、どんなに非凡な能力を持っていたとしても潰れてしまいます。
亀田兄弟や宮里藍、横峯さくらも、しっかりと親子の距離を保って、非凡な才能を発揮してもらいたいものです。(プロ選手の敬称略)

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第282回「幸せのレシピ」

10月10日にパルコがオープンして、浦和の映画館が復活!
特に映画ファンというわけではないけれど、近くで簡単に映画が観られると思うと、ちょっと嬉しいです。
毎日、忙しい生活を余儀なくされているので、上映時間に合わせて、行き帰りの時間を含め3~4時間を確保するのは至難の業。パルコの中にユナイテッド・シネマが入ってくれたおかげで、シネマの入り口まで5分弱。「見たい映画に合わせて」というのはもちろんですけれど、「ちょっと時間が空いたから」という映画の見方が可能になりました。
子どものころから「映画は好き」という意識はありましたが、実際に映画を見たのは、中学、高校のころに、テレビの深夜番組で見たというのがほとんど。映画館で見たなんていうのは、学生だったころ「授業が休講になったから」観た経験くらいしかないので、「ちょっと時間が空いたから」なんていう映画の楽しみ方ができるというのは、私の人生の中で、とても画期的なことです。
20歳前後から子育てに追われていたので、喫茶店や映画館でデートなどというのは皆無。なんだか人生ががらっと変わったような(ちょっと大げさ?)気さえします。
というわけで、オープン翌日の11日に「エディット・ピアフ」、そして26日に「幸せのレシピ」を観てきました。
いやぁ、何年ぶりかで観た映画は、やっぱり楽しいですね。エディット・ピアフは、シャンソン歌手で、皆さんご存じの
♪あなたの 燃える手で あたしを抱きしめて♪(訳・岩谷時子)の「愛の讃歌」で有名ですね。テレビのコマーシャルでも、「愛の讃歌」が流れていたので、「愛の讃歌」を歌うシーンが出てくるのかなと思いきや「愛の讃歌」はたった2回(?)バックに流れるだけで、むしろ「La vie en rose」(ラヴィアンローズ)(タイトルからはわからない人が多いかもしれませんが、聞けば“この曲かぁ”ってなる有名な曲です。音が出ないので、うまく説明できなくてすみません。http://edith-piaf.narod.ru/piaf1950.html でダウンロードできます)の方が強く印象に残りました。この映画の見所は、たくさんありますが、子どものころのピアフの生活には、インパクトがありました。
「幸せのレシピ」は、完璧主義の料理長、ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が、突然の姉の死により一緒に暮らすことになった9歳の姪ゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)との関係を必死で作ろうとしていく中で、ケイトとは正反対な性格の陽気で自由奔放な副料理長、ニック・パーマー(アーロン・エッカート)と恋に落ちるというストーリー。
ドイツ映画「マーサの幸せレシピ」をハリウッド・リメイクしたものです。
まったく意表を突くことのない真っ直ぐな展開で、楽に観られます。映画マニアの間では「ベタ」と言われて、あまり高い評価を得ていないようですが、私はとても楽しく観ました。
「子育て」から、とても遠いところで生きてきたケイトが、ゾーイとの関係を築いていこうとする中に、子育てのとても大事な部分を見た気がしました。高級レストランの料理長であるケイトは、自分の料理に対する価値観で、ゾーイに食事を作りますが、ゾーイはまったく口にしません。高級食材を使った一流の料理より、素朴で飾らない魚のフライやスパゲッティがいいのです。ケイトもニックとの関係の中でそれに気付いていきます。子どもの人格を認めること、大人の価値観を押しつけないこと、子どもの自主性を尊重すること…。様々な子育ての要素をこの映画中にはありました。
涙がこぼれそうになる場面もたくさんありましたが、オペラ好きなニックのおかげで、バックに流れるヴェルディの歌劇「椿姫」の「乾杯の歌」や1961年にトーケンズの歌で大ヒットした「ライオンは寝ている」などもとても楽しく聞けました。はまり過ぎていて、これも「ベタ」の一部なんだろうと思います。

もちろん子育ての映画ではありません。けれども、こんなところにも子育てのヒントはあるんですね。私はそんなところも気にしながら見ていましたけれど、こういう映画をそんなふうに見ていると、おもしろさも半減しちゃうかもしれませんが…。

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2022年6月 6日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第281回「鳥取県倉吉市から その2」

この道の駅は、1階が売店、2階がレストランになっています。
1階の売店には、よくあるお土産品、地場産の野菜や手作りのお菓子や味噌といったものの他、山陰の海らしい魚介類が、生けすで泳いでいました。
2階のレストランは、刺身定食、天ぷら定食など、海の幸中心のメニューです。
中に入ってメニューを見ながら注文をしようしたのですが、メニューに載っているのにないものばかり。いちいち口元に付けたマイクで厨房に確認しています。
結局「イカの刺身定食」に落ち着きました。
そんな有様でしたが、出てきた料理には大満足。見ただけで活きのよさがわかります。「要するに、その日によって捕れる魚が違うので、メニューはあってないようなもの」ということのようでした。

その晩は、三朝(みささ)温泉に泊まり、翌日の午前中、倉吉の町を散策しました。
倉吉という町は、けっして大きな都市ではありませんが、山名氏が最初に居城した地で、南総里見八犬伝の発祥の地でもあり、その歴史の重さを充分に感じることのできる町です。現在も打吹山(うつぶきやま)に城趾があります。
観光に大変力を入れており、「倉吉レトロ」をキャッチフレーズに、白壁土蔵群の保存に力を入れたり、「赤瓦」(あかがわら)と称する9つの建物で、様々な特色あるレトロなショップを展開しています。(http://www.apionet.or.jp/kankou/index.htm)
私が訪ねた日は、午前中ではありましたが、土曜日ということもあり、ちらほら観光客の姿も見受けられました。
「観光のお客様無料」と書かれた契約車両とのスペースが混在した未舗装の駐車場に車を止め、町のなかを散策しました。
ミニ鯛焼きを売っている店の前で、買おうか買うまいかと見ていると、店の主人らしき人が「どうぞ、試食してみて」と鯛焼きを差し出します。餡の種類が何種類もあるので、次から次へと違った種類の鯛焼きを試食させてくれました。
「今買っちゃうと、持って歩かなきゃならないので帰りに寄ります」と約束し、さらに町の散策を続けていると、醤油を製造販売しているところを見つけました。
中に入るとセンサーで「ピンポン、ピンポン」と音がしました。ところが、しばらく待っても人が出てくる気配がありません。再び入り口付近まで下がって「ピンポン、ピンポン」。
店に並んだ商品を見ながら、どれくらい経ったでしょうか。まったく出てくる気配がありません。「すいませーん!」店の奥に向かって声をかけましたが、なんの返事もありません。
「誰もいないのかねえ? これじゃあ、盗まれてもわからないよねぇ」
再び、「ピンポン、ピンポン」。ようやく、おばさんが奥から出てきましたが、まるでスローモーションを見ているよう。
なんとか、薄口醤油を買って、再び散策。
今度は、造り酒屋があったので、時季外れとは思ったのですが、酒粕を買いたいと店の中へ。
ところが、またまた、誰も出てきません。ここでもどれくらいの時間が経ったでしょうか。何度も何度も店の奥に向かって声をかけ、ようやくおばあさんが出てきました。
「今は漬物用しかないんですよ」
その返事を聞くために、どれくらいの時間を要したか…。
道を歩いていると、車庫から車が出てきました。のろのろしているわけではないのでしょうが、とにかくもたもたしています。じっと待って、車を先に出してやりました。
もし、東京やさいたまでこんなことが起こったら、腹が立ってしようがないのでしょうが、不思議とこの倉吉では腹が立たちません。それどころか「倉吉っていいところだなあ」、そんな気持ちが湧いてきました。
午後からは講演です。翔誕生の出産ビデオ「素敵なお産をありがとう」を見てもらい、その後私が30分、妻が30分話をしました。私の話は、ほぼいつも「それぞれの違いは違いとして認めること、そしてその違いを乗り越えるため時間と体験を共有すること、主夫としてこれまで私がやってきたこと」、そんな話が中心です。ところがこの日は、「倉吉っていいところですね。午前中に町のなかを探索したら、醤油屋さんで…」。そんな話をしているうちにあっという間に30分が経ってしまいました。講演が終わると妻が、
「あなたの話、いつもと全然違うから、どうフォローしようか困っちゃったじゃない!」
講演会後、主催者の皆さんと喫茶店で1時間ほどお話をしました。講演の時よりも詳しく醤油屋さんの話をすると、みんな大声で笑いました。
酒屋さんの話をすると、さらに大笑い。皆さんが言うには、「倉吉ってそんなところですよ。のんびりしていて。ちょっと出かけるのに鍵なんてかけませんから。悪い人なんていません」。
その話を聞いて、倉吉という町が、なぜ私の心をくすぐったかがわかりました。今では、なかなか感じることのできなくなった「人を信じるという心がここにはあるからだ」そんな気がしました。
講演会の前に控え室を訪ねてくださった倉吉市の教育長さんもとても腰の低い方でした。その腰の低さも「市民を信じる」そんなところにあるのかなあと思います。
「倉吉ってのんびりしていて、ぎすぎすしていない、すごく住みやすいところじゃないですか?」
「ええ、とっても住みやすいところです。なんにもないですけどね」
「なんにもない?とんでもないですよ、歴史と文化があるじゃないですか、そして何よりも地域社会が崩壊していない。貴重なところだと思いますよ」
こんなところで子育てをしたら、子どもはずいぶんのびのび育つんだろうなあと、強く感じる2日間でした。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年4月30日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第270回「定員割れ大学のターゲット」

先日テレビを見ていたら、少子化により定員割れの大学が、今春4割を超えたというニュースが流れていました。
読売新聞によると、
「今春の入試で、入学者が定員に満たなかった4年制私立大学の割合が前年度の29・5%から40・4%に急増し、過去最高となったことが24日、日本私立学校振興・共済事業団の調べで分かった。私立短大の定員割れも前年度比10・2ポイント増の51・7%に達した。同事業団では、18歳人口が減る一方、大学設置認可の緩和などで大学や学部の新設が相次ぎ、定員自体は増えているためと分析している。少子化に伴い、私学経営が厳しさを増している状況が、改めて裏付けられた」そうです。
大学の生き残りをかけた営業活動も活発化していて、営業活動の矛先は、受験生本人ではなく、授業料を負担する親に向かっているとか。テレビの映像でも、受験生本人と学校説明会に参加する母親の姿が映し出されていました。
その映像を見ていて、おもしろいなあと思ったのは、どの親子も必死になっているように見えるのは受験生本人ではなく母親の方。何組かの親子の映像が流れていましたが、私の見る限り、どの親子にも共通して言えるので、見ているうちにだんだん滑稽に見えてきました。
「あの子は大学に入って何を学びたいのかねえ?」
と私が思わず疑問を投げかけると、娘の麻耶(まや)が、
「別にやりたいことなんて、ないんじゃないの」
「やっぱりそう見えるよなあ。じゃあ、何で大学行くんだろう?」
「学生でいたいんじゃない?! 親にお金出してもらって、遊んでいられて、楽だし…。すごく無責任でいられるしさあ」
「まったく」
そんな会話をしていたら、その親子のインタビュー映像が流れました。
「息子は何をやりたいかはっきりしていないんです」
という母親。“だから私が決めてやってる”と言わんばかりです。
「僕は、まだ何をやりたいかよくわからないんです」
“だから母親に決めてもらってる”と言わんばかりの息子。
“何をやりたいか”はさておき、とにかく“大学”というところに入れたい母親、“何をやりたいか”はさておき、親が言うから“大学”というところに入りたいと思っている息子。そんな様子がとてもよく表れていました。
昔も今も“大学”というところを目指す理由に、いい会社に入社(難しい資格を取得)し、より多くの収入を得、いい暮らしがしたい(させたい)というのがあると思いますが、テレビのニュースで流れていたのは、定員割れに悩む不人気の大学が、定員割れ対策として親をターゲットに営業戦略を立てているというもの。どう考えても、最終的に“いい暮らし”という目標を持てるとは思えない。とうとう“大学”までもが、消費志向を満たすための商品になってきてしまったんだなあ、という印象です。
そして、親が子どもを自分の元に縛っておくために大学を利用し、子どもは子どもで、親の傘の下から出ないための道具として大学を利用し始めたということのように感じます。そうした親子のニーズと定員割れに追い込まれている大学のニーズとがピッタリとマッチしたということのなのでしょう。
けれども、大学本来の目的やあるべき姿を見失ったこうした状況は、未来に大きなツケを残すことになる気がしてなりません。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第269回「家族って何?」

ドイツ・ミュンスターの市立劇場で専属ダンサーとしてモダンダンスを踊っている長男・努(つとむ)が3年ぶりに、夏の休暇を利用して帰ってきました。前回、一時帰国したときも、ここに登場させたような気がしたのでバックナンバーを調べていたら、なんと「第120回」(ちょうど3年前だから当たり前だけど)。「早いもんだなあ」というか「ずいぶん長かったなあ」というか…。私とは12歳違いで、12月で38歳になります。19歳で渡欧して、一時期日本に戻ったこともありましたが、20年というもの、ほとんどヨーロッパ暮らしです。
前回の帰国は4年ぶりでした。そして今回は3年ぶり。1年というのは長いようでそれほど長いわけではなく、その1年の間に何か大きなことが起こるというのは事故でもない限り少ないのですが、3年、4年というのは、短いようで長くて、その3年、4年の間に、生活に大きな変化が起こったりします。前回努が帰国したときは、努がドイツにいるうちに、妹の麻耶が結婚し、二人の子どもを出産し、そして離婚をし、家に出戻っていました。努にとっても、麻耶の子どもたちの蓮と沙羅にとっても、初めて会うわけですから、ちょっとくらいは人見知りでもするのかなあと思いきや、会ったとたんに蓮も沙羅も努にべったり。伯父さんと甥・姪の関係ってこんなもの?とびっくりしました。
そして今回の帰国までの3年間に、祖父と祖母の二人が亡くなってしまいました。前回の帰国の時には、一緒に海水浴に行ったのでしたが、その約1年後に祖父、さらにその1年後に祖母。努の意識の中には、一緒に海水浴に行った元気な祖父と祖母のイメージ(とはいえ、その時すでに祖父は91歳、祖母は88歳でしたから、次回帰国の時には、二人とも亡くなっているかもしれないという気持ちもすでにあったと思いますが)があったのでしょう、翌年、祖母が亡くなったことをメールで知らせると、大きなショックを受けた様子のメールが返ってきました。
そして次の年、祖母の死を電話で告げられた努が返した言葉は、
「次はお母さんかあ…」。
その時はみんな、努の言葉をとても唐突な、大げさな言葉として受け止め、
「まったく何言ってんだろうね、努は!」
と、あまりにも飛躍したと思える努の言葉を、ちょっとバカにした感じで受け止めていたのですが、今回戻ってきた努に翔が「次はお母さんかあ…」の受け止め方の話をすると、「お前たちはさあ、いつもそばにいるだろっ。だからわかんないんだよ。ずっと離れていてみろっ。おじいさんが死んで、おばあさんが死んで、次はお母さんかあって、必ず順番考えるから!」
と努は言いました。
努が成田に着いた6月25日には、私の父がかなり悪い状態でした。私の父と努とは血のつながりはないわけですが、成田に着いたその足で私の実家へ寄った努は、疲れを口にすることもなく、父の介護の手伝いをしてくれました。休暇で、身体と心を休めに帰国したはずの努でしたが、私の父が亡くなるまでの10日間というもの、とても積極的に父の介護にかかわり、看取ってくれました。義理とは言え、努にとって「おじいちゃん」と呼べる最後の存在であった父の最期を見届けることで、実の祖父母の死に立ち会えなかったという自分の気持ちの寂しさを、少しでも埋めようとしているようでした。
「せっかく休暇で帰ってきて、楽しい夏休みを過ごそうと思ってたんだろうに、父のことで休暇の半分を使わせちゃって悪かったねえ」
と私が言うと、妻は、
「いいんじゃないの、あの子にとっても。熊谷の父と母の死には立ち会えなかったわけだから。あの子にとって家族として、家族の死に立ち会う経験ができたっていうことは大事な経験だったと思うよ」
と言いました。

ドイツへ帰る前日、努と妻が話をしていました。
「家族っていいよねえ。どんなに離れていても、こうして帰ってくれば無条件で受け入れてくれる。もちろん、僕も受け入れる。そういう関係なんだよね。僕も今まで、そういう関係のものを作ってこなかったけど、やっぱり作りたいなって思うよ」
「ふーん。そんなふうに考えてたんだぁ…」

成田空港で、搭乗者のゲートをくぐった努に、蓮と沙羅が一生懸命手を振っていました。そして努も一生懸命手を振り返していました。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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