2025年4月 5日 (土)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第487回「北風小僧の寒太郎」

「ほんとに軽井沢のアウトレット行くの?」
「行くよ」
「やめた方がいんじゃないの?!」
「なんで?」
「半端じゃなく寒いよ」
「何言ってんの! 平気、平気。このコートあるから」

鹿児島県鹿児島郡十島村の平島(たいらじま)に留学中の孫の蓮が、冬休みの間、帰宅するので、23日に母親の麻耶と妹の沙羅が平島まで迎えに行き、2人が蓮を連れて戻ってくるのは26日ということになりました。
それじゃあその間に軽井沢にでも泊まりに行こうということになり、今日(25日)は軽井沢です。3人が明日午後の飛行機で羽田に到着するので、明日はチェックアウト後、我が家を通り越して羽田まで迎えに行きます。まあ、ちょっとハードスケジュールですけど、タイトなスケジュールはいつものこと。雪大丈夫かなあ、と思いつつ、北軽井沢までやってきました。

23日にタイヤをノーマルからスタッドレスに替えて、「雪はどうですか?」と何度も何度もホテルに問い合わせて、少し前に着いたところです。
ちょうどクリスマスや年末ということもあり、軽井沢とは言ってもスキー場以外にほとんど行くところも思いつかなかったので、妻はホテルに行く前にアウトレットに行くと言って張り切っていました。
もっとも、何かを買おうというわけではなく、カウンセリング研究所のクライエントさんやカウンセラー養成講座の研修生の皆さんの間で何かと話題になるアウトレットというものを見ておこうというようなことなのですが。
そんな話を妻が息子の翔に話すと、最初の会話の通り、翔は寒いからやめろ、と…。

妻は誰かのお古の毛皮のコートを着て、「これがあるから平気」と啖呵を切っていたのですが、いざ軽井沢のアウトレットに着いてみるとあまりの寒さに悲鳴を上げて、
「もう無理! 他の店はいいから、ここに入って入って!」
と大騒ぎする始末。確かに北風が強く、建物の陰になっているところはまだましなのですが、建物の切れ目では、首をすくめてコートの襟で風を遮っても震えてしまう寒さです。それでも私は、高速道路のサービスエリアでホットドッグを食べてきたからいいようなものの、妻はこんにゃく玉の串刺ししか食べなかった(しかも一月ちょっとで10キロ以上体重を落としたせいもあって)ので、体の芯が暖まっていないらしく、人から見たら相当暖かそうなコートを着ているにもかかわらず、「寒い、寒い」の大騒ぎでした。
結局アウトレットはそこそこに、ホテルに向かうことに…。

軽井沢の市街地を抜け、浅間山の方へ向かうと、雪がちらちらと舞い始め、あっという間に吹雪の様相。
12月初旬までは暖かい日が続いていましたが、半ば過ぎくらいから寒い日が多くなり、ここ数日はすっかり真冬になりました。こんな季節になるといつも思い出すのが「北風小僧の寒太郎」という曲。

♪北かぜ~ 小僧の寒太郎~
今年も~ 町までやってきた~♪

この歌、11月5日の朝日新聞の紙面(beの「歌の旅人」)で松原湖(長野県南佐久郡小海町にある湖)の紅葉の写真と共に紹介されていました。
この歌、大好きなんです。演歌のようなこぶし回しで歌うとちょっと雰囲気が出るのですが、やっぱり子どもの歌なんですよね。1972年、NHKテレビ「うたのえほん」という番組の担当だった近藤康弘さんが「子どもの演歌があってもいいよね」と作詞家の井出隆夫さんと作曲家の福田和禾子(わかこ)さんに声をかけて、できたのがこの曲なんだそうです。作詞をした井出さんは風の通り道になっている松原湖周辺で育ちました。それがこの歌の「今年も町までやってくる」ところにつながっていたんですね。

当初、うたのお兄さんだった田中星児さんが歌っていて、「北かぜ~ 小僧の寒太郎~」と歌うとうたのお姉さんだった小鳩くるみさんが「カンタロさ~ん」と合いの手を入れていました。その後は堺正章さんや北島三郎さんに引き継がれていったのです。田中星児さんが歌っていたのをよく覚えているので、一番最初の時から知っていたんですね。もっと古くからある曲だとばかり思っていました。よく考えてみれば、曲の作りはかなり新しいものでしたけれど。

吹雪の中を♪北かぜ~ 小僧の寒太郎~ 今年も~ 町までやってきた~ と歌っていたら、あっという間に今夜泊まるホテルに着きました。
なんだかすっかり子どもに返ったようで、雪道でちょっと怖かったけれど、とても楽しいドライブでした。
北風は寒いけれど、寒太郎と遊んでいると思うと冬も楽しくなりますね。
2011/12/26(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第482回「オズの魔法使い」

Somewhere over the rainbow Way up high・・・(虹の向こうのどこか空高くに…) で始まるジュディ・ガーランドの「Over the rainbow」(虹の彼方に)。

・・・ 子守歌で聞いた国がある
虹の向こうの空は青く
信じた夢はみんな現実になる

なんていう感じで続くんですけど、虹の向こうのその国では悩みごとはレモンドロップのようにとけてしまうんだそうです。
この曲は、ジュディ・ガーランドが主演の映画「オズの魔法使い」の主題歌です。
「オズの魔法使い」は皆さん、よくご存じだと思いますが、
そう!
脳みそ(知恵)のない案山子、心のないブリキマン、勇気のないライオンが、カンザスの家に帰りたいと願うドロシーとドロシーの愛犬トトと一緒に、それぞれの願いを叶えるためオズの魔法使いを訪ねるという物語です。
ドロシーが履いている魔法の赤い靴を奪おうと4人(ドロシー以外は人間ではないので正確には4人とは言わないのかもしれませんが)は再三悪い魔女に襲われますが、その度に、知恵と勇気と優しさによって魔女の襲撃を跳ね返して、オズの魔法使いのところにたどり着きます。ところがオズの魔法使いは、ただのペテン師。でも、そのペテン師によって、案山子、ブリキマン、ライオンは、それぞれ、知恵が、心が、勇気があることに気づかされるんです。
まあ、そんなストーリーですよね。

これは子ども向けの映画とも取れますが、大人にとってもとても心に訴える力がある映画です。
今度、オープンした「カウンセリングルームOZ銀座」は、そんな「オズの魔法使い」からもらいました。
カンザスに帰るという夢を叶えてもらえなかったドロシーは北の国のいい魔女にカンザスに返してもらうのですが、ドロシーの夢を叶えるときの魔女の台詞が感動的というか、心にグッと来るんです。
ドロシー「私を助けて」
魔女「あなたはいつでも帰れる力を持ってるのよ」
ドロシー「私が?」
案山子「最初から言ってよ」
魔女「自分で学ぶべき事だもの」
と。
この後の台詞も重要なんですけれど、細かいことはぜひ映画を見てください。

この「ドロシー自身が夢を叶える(家に帰れる)力を持っている」ということと、「自分で学ぶべき事」っていうところがとっても大事なところなんですね。人間て、苦しくなると、つい他力本願になったり、その苦しい状況を他人のせいにしたりしますけれど、70年あまり前に作られたこの映画は、そこの部分をしっかりと指摘していたわけです。「自分の持っている力で夢を叶える」「夢を叶えようとする力は自分自身の中にある」。
この考え方は、まさにカウンセリングにおける「自己理論」「来談者中心療法」の考え方ですね。

そんなこともあって、名前に使わせてもらったんですが、様々なことで悩んだり、苦しくなったりしたときは、そこから逃げるのではなく、「自分自身の中にある力で解決できる」と信じ、行動してみてください。
きっと悩み事はレモンドロップのようにとけて流れてしまって、願い事はみんな叶うはずです。
2011/11/21(月)


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2025年4月 4日 (金)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第471回「人生の分かれ目 その2」

そのコメントには「その後、僕は北海道帯広市の中学・高校と進み、音楽の道へ進みました。キャデラックスリムというバンドでプロ活動をしてからバンド解散後は東京の会社に就職し、現在は埼玉県の東川口に在住です。キャデラックスリムで検索するといろいろと出てきます」
と書いてありました。

はぁ? 音楽? バンド? プロ? わけわかんない!
ほんとにあの葛西君?
でもあの葛西君だよなあ…
他に葛西君は知らないし、「バレー部に居た」って言ってるし…

でもよーく思い出して、よーく考えてみると、当時中学生としては珍しく確かにギターは弾けたような気がする、確かに目立つことが好きだったような気もする。ごめん葛西君!悪い意味じゃないので…(笑)
ほんの10ヶ月足らずとはいえ、葛西君には本当にお世話になりました。
葛西君のコメントに私は返事を送りました。

コメントありがとう。
驚きました。
あの葛西君?
あの葛西君なんだよねえ?
ちょー有名人?
とにかくビックリしました。
よく私のブログにたどり着きましたねえ?
名前も変わってしまっているし、原山中関係のキーワードではなかなか検索に引っかからないと思うのですが…。
懐かしいです。
よく一緒にパスの練習をしてもらいましたよね。
私は1年生の10月くらいにサッカー部からバレー部に移ったんです。
あの頃のサッカー部は現ガンバ大阪監督の西野朗さんが3年生にいて、同級生にオシムジャパンと岡田ジャパンでコーチをやっていた加藤好男君がいて、サッカー部も強かったんです。

ただ私は2年生の先輩がどうも苦手で、不登校気味になっていたのを、学年主任だった設楽先生が拾ってくれたんです。
バレー部に入ってからは、葛西君に一番面倒を見てもらったと思っていますよ。
よく「おかめや」に行って、いろいろ食べましたよね。餃子パンとか、コロッケパンとか、焼きそばとか…。いつも調理パンを5、6個と焼きそばと食べて、牛乳3本飲みました。
今じゃとても無理ですね(笑)

あの頃の私は、葛西君といる時間が一番長かったように思います。葛西君がいなかったら、バレー部も続いたかどうか…。私は2年生の最初の大会からエースをやらせてもらっていました。葛西君には本当に感謝しています。

結局私たちは、2年生の秋の新人戦が浦和市で2位(岸中学校に負けてしまって)で県大会に出場、県大会で2回戦負け(?)、3年生春の大会が浦和市で優勝、県大会でベスト16(?)、最後の夏の大会が浦和市で優勝、県大会3位。準決勝で優勝した大宮植竹中学に負けてしまいました。試合中もいろいろなドラマがあって、涙をいっぱいにためながら試合をしていたのを覚えています。でも、何回戦で負けたかなんて忘れちゃうもんですね。

あのころのメンバーは皆、「葛西君がいたら…」って思っていたと思います。
おそらくそれは確かで、葛西君がいたら、もっと成績がよかったと思います。
(略)

葛西君がなぜ私の人生にとって重要な一人なのかというと、彼が私の子どもから大人への脱皮に一役買っていると思うからです。中学生の葛西君は、私から見るとずいぶん大人に見えました。叔父叔母が大勢同居する大家族の中で直系として育てられた私は、思春期を迎えても、今ひとつ自我が確立できていなかったように思います。やや大人びて、やや不良っぽいというか、とてもまじめで正義感が強いのですが、それがまた自分が正しいと思えば大人にでもくってかかりそうな雰囲気を醸し出し、その自立した姿が、不良っぽいという印象に映っていたのかもしれません。

彼と行った「おかめや」は私の自立を促すのに充分な場所でした。「おかめや」がなかったとしたら、私の精神的自立心は遙か彼方に追いやられたような気がします。もし葛西君との出会いがなかったら、自分の考えや自分の生き方を貫こうとする「人としてのパワー」は生まれてこなかったろうと思います。今自分のそんな姿を想像しても、想像がつきません。

8月の終わりに葛西君と会いました。さすがにメジャーデビューをした風格がありました(笑)。でも、彼の生き方は中学生の頃の彼そのもののように感じました。お昼に会い、気が付いたときには、もう5時半でした。
「ジャンルは違うけど、私も高校では音楽部だったんだよ」
「もし、あのとき僕が転校しなかったら、同じ高校に行って一緒に何かやってたかもしれないね」
今回は、私の話ばかりをしてしまいました。今度会う時には、「キャデラックスリム」の話をゆっくり聞かせてもらおうと思います。
2011/09/05(月)


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2025年3月30日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第411回「ピアノのお稽古」

「こんなに負担になってるんだったら、もうピアノはやめさせろよ」
ピアノの発表会が近づいた蓮と沙羅は、毎日のように泣きながら練習をしています。
続けたいのか続けたくないのか、その泣いている様子を見る限り、どう考えてもこれ以上続けるのは、親にもじいちゃん、ばあちゃんにも、そしてもちろん本人たちにも負担になるだけで、いいことないなあという感じ。こんなにやりたくないものを無理にやらせても意味がない、どうしてもそう思ってしまいます。
ところが当の本人たちは泣きながら、
「やめないもん!」
と突っ張っている始末。
「だったら泣かないで練習すればいいだろっ!」
と言っても、益々声を張り上げて泣くばかり。いったいこいつら何を考えてるんだ!別に無理にやらせているわけじゃないんだから、やめるか、泣かないで練習をするか自分たちで決めればいいのに、なぜか「やめない」と言っては泣き騒ぎながら、弾いているような弾いていないような練習の繰り返し。
「ん~~~」
困ったもんです。

昨日(土曜日)は、その発表会でした。午前中から夜まで発表会は行われているのですが、仕事があるので聴くのは、孫二人と前後数人だけ。音楽教室の本音は子どもを舞台に上げることで生徒をつなぎ止めておくということでしょうから、自分の子ども以外の演奏を聴くということに大きなこだわりはないようなので(人の演奏を聴くのも勉強と、逆にそこにこだわっている小さなピアノ教室もたくさんあることと思います。
どちらかというとそちらの方が正しい気がしますが)、失礼とは思いつつ、去年も今年もそうさせてもらっちゃいました。集合写真の撮影が1部、2部、3部の最後に組まれているので、演奏した子どもたちは、基本的にはそれぞれの部については全員の演奏を聴くように構成はされています。
そうは言っても、聴くということに重きを置いている感じがしないので、子どもたちもあまり真剣に聴かないということなのだろうと思います。子どもたちにも教室の本音が伝わってるわけですね。

孫の蓮も沙羅も演奏はボロボロ。明らかに練習不足です。「毎日最低2時間は引かないとうまくならない」と豪語していた、以前この連載にちょっと登場してもらった我が家全員が習っていたO先生なら、演奏会に弾かせることはあり得なかったでしょうね。蓮も沙羅も、そんなレベルでした。

ところがみんなそんなレベルかというと、これが全然違います。蓮の次に登場した女の子Hさんは、途中指を引っかけて変な音が出ているところはありましたが、「この子、持ってるな」っていう感じ。技術はともかく、とにかく音楽センスがいい。そして(「だから」かな?)、楽しそうに弾いている。これは大事なことです。楽しいと思って初めて表現したいものが出てくるわけで、その意味ではこの子は特別なものを持っている感じがしました。O先生は、
「持ってるものを持ってる子は、どこで習ってても関係ないの。ヤマハ音楽教室のように厳しくないところでも、ちゃんと芽が出てくるのよね」
と常々おっしゃっていました。蓮と沙羅が通っているところは、まさにそういった音楽教室なんですが、Hさんに比べたら、蓮も沙羅も「持ってない!」のは歴然。
本当にそろそろピアノも潮時なのかもしれませんね。
「ピアノは大人になって弾きたいって思っても、子どものころからやってないと弾けないんだよ」
と麻耶は言います。もちろんそんなつもりで子どもたちにもピアノをやらせてきましたが、うちの子どもたちの中で、大人になってからピアノを弾く子は無し(長女が多少キーボードを弾いていますが)。大人になって「弾きたいって思う」こと自体が、ほとんどないんですよね。

蓮の何人かあとに男の子の名前が呼ばれました。
蓮の他にも男の子がいたんだあと、どんな子が出てくるかじっと舞台を見ていると、出てきたのはおじいさん。大人になってからピアノを弾くか弾かないかは、子どものころにピアノを習っていたかいないかではなく、弾きたいと思うか思わないかなんですよね。

とはいえ、明らかに子どものころにピアノを習っていなかったと思えるおじいさんは、一生懸命さは伝わってくるものの舞台の上で何度も立ち往生。最後は舞台のそでから先生が駆け寄って口ずさんで助けることに…。それはそれで感動のシーンなんですけど、麻耶の言う「ピアノは大人になって弾きたいって思っても、子どものころからやってないと弾けないんだよ」ということの象徴的な出来事でした。

孫たちにピアノを続けさせるかやめさせるかは、なかなか難しい判断になりそうです。結局最後は本人たちの意志ということですかねえ…。泣き騒ぎながらの練習にならないことを祈りましょう!
2010/06/21(月)

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2025年3月27日 (木)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第390回「入試に失敗したときは…」

「××日の6時っていうことでどうですか?」
「はい」
「何か嫌いな物とか食べられない物とかありますか?」
「いえ、特にないです」
「そう。じゃあ、こちらで適当に…」
「すみません。ありがとうございます」
「じゃあ、××日の6時にお待ちしていますね」
「はい。お邪魔させていただきます」

もう30年以上も前のことです。私は私立大学の法学部に入学していましたが、どうしても音楽を志すことに未練があり、法学部に籍を置いたまま、1年間ピアノと声楽のレッスンに通い、国立大学の教育学部音楽学科を受験しました。
高校での3年間は音楽部に在籍して、部長もやらせてもらっていたので、毎日指揮は振っていましたが、我が家は幼少から男の子にピアノを習わせるような家庭ではなかったので、ピアノは全くダメ。受験のため先生についてピアノを習い始めたのは、7月に20歳の誕生日を迎える年の3月でした。

とりあえずバイエルを1番から始めて、途中を多少省略したものの、3ヶ月くらいで何とか終わらせ、その後はひたすら試験で弾くソナタを弾き続けました。そんな間に合わせのピアノで大学受験を乗り切るのはやはり大変。本番の試験では、弾き始めたと思ったら、練習では一度も引っかかったことのないところで、すぐに引っかかってしまい、必死で次へ進もうとするのですが、焦れば焦るほど指が固まって、あっという間に、
「はい、そこまでで結構です」
と止められてしまう始末。

そのピアノはもちろんですが、それよりもむしろ、ピアノに時間を取られたことで、高校3年からの3年間ブランクのあった数学に全く歯が立たず、見事不合格。音楽の実技試験は、他の人の演奏も聴けるのでレベルも知ることが出来るんですが、どう考えても特に劣っているというようなことはなく、つっかえてしまったピアノを入れても、合格のレベルに達していたように思います。
「ああ、数学かあ…」
数学は、小中高と得意な教科だったので、何とも皮肉なもんですね。
私がピアノを習っていたO先生は、レッスンが厳しいことで有名な方でした。音楽大学や国立大の音楽学科を受験するとき、声楽の先生にレッスンに付くときなどに、
「ピアノはどなたに付いているんですか?」
と尋ねられることがあります。そこで、
「O先生です」
と答えると、
「じゃあ、ピアノは心配ないですね」
と言われるくらい、O先生は音楽関係の方たちからの信頼の厚い方です。ピアノのレッスンはとても厳しいのですが、レッスンが終わるとガラッと態度が変わり、掃除、洗濯、料理など家事全般を完璧にこなし、生徒への対応もとても優しくなります。

「私はね、合格した人には特別なことはしないんですけど、不合格になったときは、必ず一度我が家でお食事をしてもらうんですよ。今度、ご都合のいいとき、お食事にいらしてくださいね。家族で歓待しますから」

そんなわけで、私はO先生宅に招かれたのです。大変美味しいお料理とO先生ご家族からの暖かいお言葉をいただいて、ずいぶん心が癒され(ご主人は大学教授で妻の大学時代の音楽の恩師なので、本当のところ緊張しまくりだったのですが)、法学部に戻る決心がつきました。

この土曜、日曜とセンター試験が実施されました。いよいよ入学試験シーズン到来。皆さん合格目指して頑張っていることと思います。合格したときのお祝いは、当たり前のようにすると思いますが、その後のことを考えると、合格した人よりも「不合格になった人をどう慰めるか」の方が大事なのかもしれませんね。
皆さんの合格を祈ります!

2010/01/18(月)


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2025年3月 5日 (水)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第345回「とうとううちの近くの不二家が…」

「今日のお母さんの誕生日、どこでやる?」
「蓮と沙羅は不二家でやりたいって言ってるよ」
「はっ、また不二家!?」
「うん、沙羅はもうその気になってるけど…」
「しょうがないなあ。じゃあ、7時に不二家な。翔(かける)にも連絡してみろよっ」
「わかった」
2007年の不祥事発覚以来、足が遠ざかっていた不二家。去年の夏くらいから「そろそろいいかな」っていう感じで、誰かの誕生日の時は不二家レストランを利用するようになりました。とはいっても誕生日以外は行かないので、7月の私の誕生日に続いてこの時(12月の妻の誕生日)が2回目。久しぶりの不二家です。帰りにケーキも買えるので、誕生日にはうってつけ。でも、不祥事って人の心を冷めさせてしまうんですね。どうしても普段は足が遠ざかってしまいます。あんなにファンだったのに…。

にもかかわらず、なぜ誕生日は不二家レストランかというと、誕生日だということを告げると、ろうそくを吹き消すためのケーキ(本物ではないので食べられませんが)と踊るペコちゃん人形を持ってきてくれて、店内には「ハッピーバースデイ」の曲が流れ、店内全体が誕生日を祝っている雰囲気になる(全員が拍手をしてくれるあの一体感は何とも言えない)ことが一つ。「本日、××さんがお誕生日を迎えられました。おめでとうございます!」という店内放送までしてくれます。そして二つ目は記念写真を取ってくれること。さらにさらに3つ目は誕生日の人には、デザートが付くこと。

六本木や赤坂、渋谷といったところの小洒落たレストランやパブなら当たり前のサービス(六本木のレストランでは、10人くらいの外国人スタッフがテーブルの周りに集まって、まるでオペラでも聴いているような声で「ハッピー バースデイ トゥ ユー」と店内全体に響き渡る歌を歌ってくれたところもあった)ですが、ファミレスとなるとやはり不二家。デザートのサービスだけではない、あのペコちゃん人形の踊りと歌に引きつけられてしまうわけです。

7時に全員が不二家に集合すると、おのおの好きなものを注文しました。不二家と言えばデザート。私は、ファミレス界では不二家とデニーズがデザートの双璧だと思っていますが、不二家の場合、食事はやや若者向きで私の年齢にはちょっとというところはあります。まあ、そう言う人が多いのか、店内は若いお父さん、お母さんに連れられた子どもたちが中心。明らかにおじいちゃん、おばあちゃん(顔がそっくりなのですぐわかる)と思える人が一緒のグループもあります。どうやらほとんどのグループが誰かの誕生日で来ているよう。店内放送は入らなくても、どこからともなく、ペコちゃん人形が奏でる「ロック、ハッピーバースデイ」が何度となく聞こえ、その度に「おめでとう!」という声が響きます。
でも、ちょっとお客さんが少ないのが気がかり。やっぱり不祥事が影響しているんでしょうか。元気なペコちゃん・ポコちゃんは、子どもたちも元気にするんですがねえ…。

2月12日は沙羅の誕生日でした。
「沙羅ちゃん、どこかで食事する?」
「うん。不二家!」
沙羅はそう言ったものの、長女の弘子夫婦が最近横浜からうちの近くに越してきたので、一緒にお祝いをということになり、ちょっと奮発してロイヤルパインズへ。ちょっと贅沢な誕生パーティになりました。

昨日、たまたまその不二家の前を車で通りかかりました。すると辺りはは真っ暗。窓にはベニヤ板が貼られ、閉店してしまっていました。
「閉店しちゃったんだね。この前来たとき、ちょっとそんな感じしてたんだよね。沙羅の誕生日には、もう閉まってたのかねえ。閉まってるところに来ちゃったら、がっかりするところだったねえ」

ドラえもんやアンパンマンやその他の様々なキャラクター同様、ペコちゃん・ポコちゃんも子どもたちの人気者。子どもたちの心をしっかりと受け止めて、いつまでも元気なペコちゃん・ポコちゃんでいてほしいものですね。

2009/02/16(月)

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第341回「子どもの歌声で癒される」

今日(1月18日)は、孫の蓮(れん)の通っている小学校の公開授業と音楽会。午前中が公開授業で、午後からが音楽会でした。

私が子どもを通わせていたころは、日曜日の授業参観を、父親参観とか両親学級なんていう言い方をしていましたが、家族形態が複雑化する流れの中で、参観日の呼び名も変わってきました。
現在では、離婚による一人親家庭があったり、未婚のシングルマザー家庭があったり、単身赴任による母子家庭状態の家庭があったりと、地域によっては呼称が、差別感を招いたりするような状況が生まれて来ているため、学校では呼称に配慮をしているようです。
学校というのは、子どもの心に大きく影響を与えるところだけに、当然のことなのですが、これまではあまりにもそういったことに無頓着だったんですね。そこの姿勢が、学校というところが抱える問題の根本なんだろうと思います。

たぶん呼称を替えたのは、それだけの理由ではないですよね。近年、経済の仕組みが大きく変わり、休日が必ずしも日曜日ではなくなりました。製造業中心の社会においては、週休が1日なのか2日なのかについての違いはあっても、曜日についてはほとんど土・日ということで決まっていましたが、サービス業中心の社会においては、土・日がメインの営業日なんていうことはよくあることです。百貨店やショッピングモールなんていうのは典型です。
レジャー産業もそうですね。シフト制の仕事も増加し、曜日とは無関係に月に何回の休みという労働形態や在宅なんていう労働形態も増えつつあります。私がやっている陶芸教室も、休みは祝祭日だけ。
主婦を中心とした皆さんやリタイアした男性の皆さんは平日の昼間にいらっしゃいますが、サラリーマンやOLの皆さんは、夜間や土・日にいらっしゃいます。平日昼間と夜間、土・日の会員数の割合はほとんど変わりません。
また、カウンセリング研究所は、予約制の年中無休、「盆も正月もない」状態。仕事をお持ちのクライエントさんは、土・日限定でいらっしゃる方も少なくありませんし、リストカットやOD(過量服薬)に曜日や時間はありません。そんなことも、父親参観、両親学級なんていう言葉が使われなくなった一因ですよね。

午後からは音楽会でした。子どもたちののびのびとした声は、こころに暖かい風を運んできてくれます。ベタな言い方をすれば、癒されます。川口市内でも規模の小さい小学校で、昨年春に同じ中学校区にある隣の小学校と合併したばかり。
合併により規模は大きくなりましたが、規模の小さい学校の良さは、そのまま引き継がれていて(合併した今でも、市内ではかなり小規模校であることに変わりはないのですが)、子どもたちに萎縮したところがなく、のびのびと学校生活を送っている感じ。孫のクラスなんて、まだまだ身体の小さい一年生なのに、19人しかいないわけですから、教室はがらがら。
単純に教室のスペースを考えただけでも、のびのび行動がとれるわけですから、気持ちも自然にのびのびしてきますよね。それが歌声にも反映されているという感じがしました。もちろん、そこで教師集団がどういう指導をするかということも重要なことですけれど…。
規模が倍近くなったということで、「らしさ」というものがなくなってしまうかと思っていましたが、私が子どもを通わせていたころとほとんど変わらない「らしさ」そのままでした。

子どもたちの演奏が終わった後、音楽大学の大学院でオペラを学んでいるというテノールとソプラノのお二人が「合併記念」ということで、歌を数曲披露してくれました。お二人とも大変いい声なんですけれど、これがちょっと…。妻はもちろんのこと、教育の様々な場面で音楽に関わってきた私とすると、何をどう子どもたちに伝えようとしているのかが、伝わってこない。
大切なことは、「歌っていいな」「音楽っていいな」と子どもたちに思わせることだと思うんですが、二人でたった5曲の時間が保たない。子ども(だけでなく大人も)が飽きてしまっているわけです。
「千の風になって」で始めたのはまだいいけれど(まあ「合併記念」だし、小学生なんだし、「私のお墓の前で…」っていうのもね。ちょっと場違い。もう少しなんかないのかなあとは思いますが)、そのあとが「からまつ」(知ってますか? 一度くらいは聴いたことはあるとは思いますが…)「オ・ソレ・ミオ」ではね。
女性のほうはもっといけない。「皆さんもご存じだと思いますが…」と話したわりに、「はっ? この曲何?」という感じ。声楽をやっていた私ですら、知ってはいるけれど「タイトルなんだったっけ?」と今思い出せないくらい。
クラシックの歌を聴かせようということなんだから、子どもに媚びる必要はないけれど、「からまつ」や「オ・ソレ・ミオ」よりは、教科書で取り上げられている日本歌曲とか、「サンタ・ルチア」や「フニクリフニクラ」や子どもたちが楽器で演奏した「ラ・クカラチャ」だろうし、私にも思い出せないオペラのアリアじゃなくて、「カルメン」(主役のカルメンはメゾソプラノだけどね)とか「魔笛」の中から選んだりじゃあダメだったのかなあ?
ソプラノだったら日本歌曲のなんだってよかったんだろうに…。ソプラノの自分の声にあったものということだったんでしょうけれど、ちょっと残念でした。そういう自分の歌いたい曲を選ぶんだったら、せいぜい衣装を派手にして、「オペラってこんな世界なんだよ」と伝えてくれたらよかったのにね。
ピアニストも含めて、衣装も地味地味。先生方の方が派手なくらい。教育の中で、文化を伝える難しさですね。まだまだ若い歌手のお二人だから、今後の成長に期待というところですかね。子どもだからって手を抜いたわけではないんだろうけれど、ちょっと勘違いがあったか、あるいは学校側の依頼の仕方に問題があったんでしょう。

それにしても、子どもの歌声っていいですね。身体を揺すりながら、一生懸命歌っている男の子。プロさながらにボンゴを叩いている男の子。派手な動きで楽しそうにアコーディオンを弾いている男の子。
そんな男の子たちの目立つ音楽会で、音だけでなく見ても楽しい音楽会でした。うちの孫はというと、楽しそうにはしているものの、歌詞がよくわからないのか途中でもごもご。
あらあら、「もっとしっかり歌えよぉ~!」

2009/01/19(月)

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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2022年6月11日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第282回「幸せのレシピ」

10月10日にパルコがオープンして、浦和の映画館が復活!
特に映画ファンというわけではないけれど、近くで簡単に映画が観られると思うと、ちょっと嬉しいです。
毎日、忙しい生活を余儀なくされているので、上映時間に合わせて、行き帰りの時間を含め3~4時間を確保するのは至難の業。パルコの中にユナイテッド・シネマが入ってくれたおかげで、シネマの入り口まで5分弱。「見たい映画に合わせて」というのはもちろんですけれど、「ちょっと時間が空いたから」という映画の見方が可能になりました。
子どものころから「映画は好き」という意識はありましたが、実際に映画を見たのは、中学、高校のころに、テレビの深夜番組で見たというのがほとんど。映画館で見たなんていうのは、学生だったころ「授業が休講になったから」観た経験くらいしかないので、「ちょっと時間が空いたから」なんていう映画の楽しみ方ができるというのは、私の人生の中で、とても画期的なことです。
20歳前後から子育てに追われていたので、喫茶店や映画館でデートなどというのは皆無。なんだか人生ががらっと変わったような(ちょっと大げさ?)気さえします。
というわけで、オープン翌日の11日に「エディット・ピアフ」、そして26日に「幸せのレシピ」を観てきました。
いやぁ、何年ぶりかで観た映画は、やっぱり楽しいですね。エディット・ピアフは、シャンソン歌手で、皆さんご存じの
♪あなたの 燃える手で あたしを抱きしめて♪(訳・岩谷時子)の「愛の讃歌」で有名ですね。テレビのコマーシャルでも、「愛の讃歌」が流れていたので、「愛の讃歌」を歌うシーンが出てくるのかなと思いきや「愛の讃歌」はたった2回(?)バックに流れるだけで、むしろ「La vie en rose」(ラヴィアンローズ)(タイトルからはわからない人が多いかもしれませんが、聞けば“この曲かぁ”ってなる有名な曲です。音が出ないので、うまく説明できなくてすみません。http://edith-piaf.narod.ru/piaf1950.html でダウンロードできます)の方が強く印象に残りました。この映画の見所は、たくさんありますが、子どものころのピアフの生活には、インパクトがありました。
「幸せのレシピ」は、完璧主義の料理長、ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が、突然の姉の死により一緒に暮らすことになった9歳の姪ゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)との関係を必死で作ろうとしていく中で、ケイトとは正反対な性格の陽気で自由奔放な副料理長、ニック・パーマー(アーロン・エッカート)と恋に落ちるというストーリー。
ドイツ映画「マーサの幸せレシピ」をハリウッド・リメイクしたものです。
まったく意表を突くことのない真っ直ぐな展開で、楽に観られます。映画マニアの間では「ベタ」と言われて、あまり高い評価を得ていないようですが、私はとても楽しく観ました。
「子育て」から、とても遠いところで生きてきたケイトが、ゾーイとの関係を築いていこうとする中に、子育てのとても大事な部分を見た気がしました。高級レストランの料理長であるケイトは、自分の料理に対する価値観で、ゾーイに食事を作りますが、ゾーイはまったく口にしません。高級食材を使った一流の料理より、素朴で飾らない魚のフライやスパゲッティがいいのです。ケイトもニックとの関係の中でそれに気付いていきます。子どもの人格を認めること、大人の価値観を押しつけないこと、子どもの自主性を尊重すること…。様々な子育ての要素をこの映画中にはありました。
涙がこぼれそうになる場面もたくさんありましたが、オペラ好きなニックのおかげで、バックに流れるヴェルディの歌劇「椿姫」の「乾杯の歌」や1961年にトーケンズの歌で大ヒットした「ライオンは寝ている」などもとても楽しく聞けました。はまり過ぎていて、これも「ベタ」の一部なんだろうと思います。

もちろん子育ての映画ではありません。けれども、こんなところにも子育てのヒントはあるんですね。私はそんなところも気にしながら見ていましたけれど、こういう映画をそんなふうに見ていると、おもしろさも半減しちゃうかもしれませんが…。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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