2022年6月11日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第286回「物の見え方」

またまた笠間の楞厳寺(りょうごんじ)、ヒメハル工房の穴窯(薪で焚く比較的原始的な窯)で窯焚きです。これで穴窯焼成は4回目。だいぶ慣れてはきましたが、作品を窯から出してみるまでは、出来映えはわかりません。
1回目は、そのヒメハル工房を所有している橋本電炉工業の橋本さんにT氏を紹介していただき、T氏の指導のもとで焚いたせいか、窯焚きの途中、何度かトラブルに見舞われたものの、参加した会員さん(参加費用を払って作品を出した人)は大満足。
「次はいつやるんですか?」
の大合唱で、参加した人も、参加しなかった人も、次回穴窯焼成が待ち遠しいという状況になりました。
1回目の大成功のおかげで、2回目は参加希望者が続出。ヒメハル工房の穴窯の容量(18リッターの一斗缶で、約70スペース)があっという間に参加希望者で埋まり、結局2回焚くことに。薪の手配や私の負担も相当なものなので、続けてすぐというわけにも行きませんでしたが、1回目の3月に続いて、11月と翌年3月ということで、2回目、3回目の窯焚きをすることになりました。今後は11月に毎年1回、穴窯焼成をしていく予定です。
2回目以降は、T氏の指導を仰がずに自分たちだけで、なんとかしました。2回目は、まだまだ不慣れということもあり、T氏の教えを忠実に守っていたので、途中温度が上がらずに困ったことはありましたが、1回目よりさらにいい出来映えでした。3回目は2回目の自信が奢りにつながったのか、窯焚きの途中のドタバタやトラブルはなくなったものの、出来映えはあまり満足のいくものではありませんでした。
最後は作為ではなく窯任せ、炎任せという要素が強いので、さて今回はどうなりますか。
とりあえず、今のところ順調に進行しています。前回までの反省点をうまくクリアして、うまく焚けるといいのですが…。
陶芸というのは、「一窯、二土、三つくり」という言い方があるように、作品にとって最も重要なのが釉薬も含めた最後の行程である窯焚き。どんなに優れた形のものでも、窯焚きを失敗すれば台無しになってしまいます。その次が土。土が形よりも重要とされるのは、釉薬の発色というものが、土により大きく変わるということもあるのだろうとは思いますが、それよりも、やきものの風合いというものは、土の感じ、要するに柔らかいとか、堅いとかいうイメージで決まると言ってもいいからだと思います。
そして、最後がつくりです。つくりは最後とは言え、うちのような陶芸教室で陶芸をやろうとすれば、素地に施す装飾も含め、形を作るということは、「生徒」としてはほとんど陶芸の全てと言っても過言ではないほど重要な作業ですし、皆さんそれを楽しんでいます。
入会したての初心者の方には、まず湯呑みや小鉢といった日用雑器を作ってもらいます。特にカリキュラムを定めているわけではありませんが、身近で誰でも形をよく理解していること、そしてあまりうまくいかなかったとしても、とりあえず使えるだろうということで作ってもらっています。その次に作ってもらうものにカップがあります。コーヒーカップ、フリーカップ、どんな用途でもかまわないのですが、一つの技法として「取っ手をつける」ということを覚えてもらうために、作ってもらっています。
ところがここで、ほぼ100%、とてもおもしろい現象が起こります。皆さん、取っ手が大きすぎるんです。通常市販されているものの倍くらいの大きさの取っ手をつけてしまう人がほとんどです。取っ手が大きすぎると、取っ手を持ったときに指と器の間に隙間ができてしまうため、器の重心が大きく前に離れてしまって、かなりの重さを感じてしまいます。器を持っただけでも、持ちにくさを感じますので、飲み物を入れたときにはさらに持ちにくいということになります。
人は、自分が意識をしたもの、よく見たものをその形の重要な要素として捉えます。コーヒーカップを持つとき、一番強い意識を持って見るのが、取っ手。どうしても取っ手に指をかけなくてはならないので当然のことですが、それが大きな取っ手につながっていると推測されます。
それと同じような現象を、幼児の描く絵に感じました。幼児の描く人の絵はどうかというと、まず100%実物より顔が大きい。それに加えて、手の位置が肩よりはるかに低い位置から伸びていることが多い。幼児は、人を意識するとき、その人の身体はあまり意識しません。顔を見て物事を訴えたり、その人の感情を理解しようとします。それが、あの独特な絵につながっていると考えられます。
そう考えると、コーヒーカップの取っての不思議な現象にも納得がいきます。これは、子どもの感覚を大人になっても失わない数少ない現象ですね。
子どもたちが強く持っているそうした現象、感覚を大人はしっかりと理解した上で子どもたちと接しないと、間違った接し方になるかもしれませんね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第285回「痛さをこらえる子どもたち」

さてさて今年もやってきました「エイペックスフェスタ」。
私の陶芸教室とカウンセリング研究所が入居している浦和駅西口、高砂小学校前にある「エイペックスタワー浦和」の商店会「エイペックス浦和会」では、毎年、この時期に「フェスタ」を開いています。年に一度のお祭りで、今年で4回目。
テナントのほとんどが事務所と医院という大変苦しい商店会事情はあるのですが、外部のリサイクル運動市民の会にフリーマーケットをお願いしたり、あちこちからバンドや芸人を呼んだりして、なんとかこれまでやってきました。1回目こそ、かなりの予算をつぎ込みましたが、2回目からはとんでもない低予算。なんとかやりくりはしてきたものの、予算だけでなく、とにかく人手が足りない。一昨年から始めた餅つきは、つくのが間に合わないくらいの大好評ですが、浦和会のメンバーだけではつき手が足りず、昨年からは、「エイペックスタワー」居住者の管理組合の皆さんにまでお手伝いをしていただいているのが実情です。テナントと居住者の皆さんとの交流という点では、その餅つきが大変大きな役割を果たしているので、それなりに意味のあることではあるのですが。
浦和第一女子高校マンドリン部の皆さんにも、第1回目より演奏をお願いしているのですが、定期試験や校外模試の日程と重なり、なかなか実現できませんでした。今年は、やっと実現し、フェスタにお越しいただいた皆さんにも、大変楽しんでいただきました。
各テナントのショップや「浦和会」による地場産野菜の販売、子どもコーナー(お菓子の販売や簡単なゲームなど)、フリーマーケットなど…。これまでメインのアトラクションだったのは、バンドの生演奏でした。バンド演奏を取りやめた今年、メインは「空手の演武」に取って代わった感じです。
たまたま1年半ほど前に極真空手の道場が、テナントとして入居し、昨年のフェスタから、メイン会場として使っている1階広場で、演武を行っています。子どもから大人まで、かなりの人数が参加してくれるので、それなりに賑やかです。昨年、圧巻だったのは、氷割り。分厚い大きな氷を素手で割るのにはビックリしました。今年は氷割りはありませんでしたが、塀に使うブロックを素手で割ったり、野球のバットを割ったり。
「なんか、トリックでもあるのかなあ?」
と思ってしまうほどです。今年、ビックリしたのは、4本の束ねたバットを一蹴り(正確にいうと、ひと蹴り目で1本が割れ、ふた蹴り目で全部割れた)で割ってしまったこと。目の前で割られると、
「おーっ!」
という感じにさせられます。
小さな子どもたちの演武もあります。数十人の小さな子どもたちが並んで、板を割るのもなかなかのものです。とてもかわいらしかったのは、かけ声も勇ましく、
「おーっ!」(だったかな?)
と板を拳で殴ったとたん、
「痛ぇー!」
と叫んだ子がいたこと。思わず微笑んでしまいます。
「やっぱり、痛いよなあ」
バット割りを見事成功した大人でも、しばらくびっこを引いていましたから。
バット割りを失敗して、何度も蹴っていた少年もいたのですが、さすがにこれ以上やらせるとケガをすると思ったのか、司会をしていたW氏が、止めました。
実は前日、W氏と打ち合わせの会議で同席した際、高砂小学校でその日行われた「高砂祭り」でも演武を行い、ブロックが湿気ていたせいかW氏がブロック割りに失敗してしまったという話を聞いていました。手に相当なケガをしていました。
あまりにも痛そうなので思わず、
「私にはできないなあ。痛いのは嫌です。痛いのになんでやるんですかねえ?」
と言ったら、W氏はニヤニヤしていました。
子どものころサッカーをやっていた私は、自分ではそれなりにやれていた方ではあったのだろうと思うのですが、中学の時、サッカー部に入り、「サッカーは向いてないなあ」とつくづく思いました。あの激しさにどうも性格がついて行けなかったみたいです。
息子がサッカーをやりたいと言い出したとき、性格的に無理じゃないかなあと思いました。スポーツには、体力や技術だけではない性格的な向き不向きがあります。結局、私はバレーボール、子どもたちはバドミントン、ゴルフということに。
板を割っている子どもたちを見て、
「いやーっ、大したもんだ」
と思いましたが、「やっぱりうちの子どもたちには無理だなあ」
そんなことを考えながら、子どもたちの演武を応援している、エイペックスフェスタでした。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第282回「幸せのレシピ」

10月10日にパルコがオープンして、浦和の映画館が復活!
特に映画ファンというわけではないけれど、近くで簡単に映画が観られると思うと、ちょっと嬉しいです。
毎日、忙しい生活を余儀なくされているので、上映時間に合わせて、行き帰りの時間を含め3~4時間を確保するのは至難の業。パルコの中にユナイテッド・シネマが入ってくれたおかげで、シネマの入り口まで5分弱。「見たい映画に合わせて」というのはもちろんですけれど、「ちょっと時間が空いたから」という映画の見方が可能になりました。
子どものころから「映画は好き」という意識はありましたが、実際に映画を見たのは、中学、高校のころに、テレビの深夜番組で見たというのがほとんど。映画館で見たなんていうのは、学生だったころ「授業が休講になったから」観た経験くらいしかないので、「ちょっと時間が空いたから」なんていう映画の楽しみ方ができるというのは、私の人生の中で、とても画期的なことです。
20歳前後から子育てに追われていたので、喫茶店や映画館でデートなどというのは皆無。なんだか人生ががらっと変わったような(ちょっと大げさ?)気さえします。
というわけで、オープン翌日の11日に「エディット・ピアフ」、そして26日に「幸せのレシピ」を観てきました。
いやぁ、何年ぶりかで観た映画は、やっぱり楽しいですね。エディット・ピアフは、シャンソン歌手で、皆さんご存じの
♪あなたの 燃える手で あたしを抱きしめて♪(訳・岩谷時子)の「愛の讃歌」で有名ですね。テレビのコマーシャルでも、「愛の讃歌」が流れていたので、「愛の讃歌」を歌うシーンが出てくるのかなと思いきや「愛の讃歌」はたった2回(?)バックに流れるだけで、むしろ「La vie en rose」(ラヴィアンローズ)(タイトルからはわからない人が多いかもしれませんが、聞けば“この曲かぁ”ってなる有名な曲です。音が出ないので、うまく説明できなくてすみません。http://edith-piaf.narod.ru/piaf1950.html でダウンロードできます)の方が強く印象に残りました。この映画の見所は、たくさんありますが、子どものころのピアフの生活には、インパクトがありました。
「幸せのレシピ」は、完璧主義の料理長、ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が、突然の姉の死により一緒に暮らすことになった9歳の姪ゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)との関係を必死で作ろうとしていく中で、ケイトとは正反対な性格の陽気で自由奔放な副料理長、ニック・パーマー(アーロン・エッカート)と恋に落ちるというストーリー。
ドイツ映画「マーサの幸せレシピ」をハリウッド・リメイクしたものです。
まったく意表を突くことのない真っ直ぐな展開で、楽に観られます。映画マニアの間では「ベタ」と言われて、あまり高い評価を得ていないようですが、私はとても楽しく観ました。
「子育て」から、とても遠いところで生きてきたケイトが、ゾーイとの関係を築いていこうとする中に、子育てのとても大事な部分を見た気がしました。高級レストランの料理長であるケイトは、自分の料理に対する価値観で、ゾーイに食事を作りますが、ゾーイはまったく口にしません。高級食材を使った一流の料理より、素朴で飾らない魚のフライやスパゲッティがいいのです。ケイトもニックとの関係の中でそれに気付いていきます。子どもの人格を認めること、大人の価値観を押しつけないこと、子どもの自主性を尊重すること…。様々な子育ての要素をこの映画中にはありました。
涙がこぼれそうになる場面もたくさんありましたが、オペラ好きなニックのおかげで、バックに流れるヴェルディの歌劇「椿姫」の「乾杯の歌」や1961年にトーケンズの歌で大ヒットした「ライオンは寝ている」などもとても楽しく聞けました。はまり過ぎていて、これも「ベタ」の一部なんだろうと思います。

もちろん子育ての映画ではありません。けれども、こんなところにも子育てのヒントはあるんですね。私はそんなところも気にしながら見ていましたけれど、こういう映画をそんなふうに見ていると、おもしろさも半減しちゃうかもしれませんが…。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

2022年5月20日 (金)

埼玉県の観光名所「ポピー・ハッピースクエア」

埼玉県には、けっこう日本一をうたった観光名所(いろいろな名所に行ってみると、この言い方はちょっと大げさな気もする)があります。

昨日は、仕事の帰りに少しだけ遠回りをして、埼玉県鴻巣市の「ポピー・ハッピースクエア」に寄ってきました。盛りをちょっと過ぎたところですかねえ (゚´Д`゚)

荒川河川敷へのゴミの不法投棄防止と「花のまちこうのす」をアピールする事を目的として、約125,000平方メートルの敷地に約3,000万本が栽培されている日本一広いポピー畑です。
 花の見頃となる5月には、市内外から多くの方が訪れる花の名所となっています。また、この花畑は「日本一の川幅」を誇る荒川の御成橋下に広がり、ここから望む富士山(富士見百景にも選定された)は絶景です。 鴻巣市のHPより)

 

ここを訪れるのは2回目で、とても綺麗でしたけれど、天気もいまいちだったこと、2度目ということもあり、感動が薄れた感じはします(笑)

雲間からちょっとだけ覗く夕日とポピーのコラボレーションは、充分感動に値しますけどね。

一部、ピンクの「ムギナデシコ」の畑もあります。

5月22日まで、「第12回こうのす花まつり」を開催しています。

 

Img_0206 Img_0187  Img_0175re Img_0173re Img_0232 Img_0236  

 

 

 

| | | コメント (0)

2022年4月29日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第258回「花を愛する心、虫を愛する心」

先日、車で出かけたときのこと。
赤信号で停車すると、ちょうど止まったところのお宅のフェンスに、プランターがたくさんかけてありました。
「ここのお宅って、季節に合わせていつもいろいろな花が飾ってあるよなあ」
けっこう頻繁に通る道なので、花が飾ってあるのを知らなかったわけではありませんが、信号が青だとスーッと通過してしまうだけなので、この日のようにちょうど赤信号で花の前で止まったりしない限り、なかなか花が飾ってあるということに意識がいきません。けれども、かけてあるプランターの数も一つ二つではないので、花が飾ってあるということに意識がいきさえすれば、
「へえ、きれいだなあ」
「ずいぶんたくさん花が飾ってあるなあ」
というふうに、花にかなり強い印象を受けます。
この日はしっかりと花に意識がいったので、かなり丁寧に一つ一つのプランターを眺めることに。
すると、プランターに貼り紙がしてあることに気付きました。
『花を持っていかないでください。ここの花を勝手に持っていくのは犯罪です』
と書いてあります。たくさんかけてあるプランターのきれいな花たちとは、似つかわしくない言葉です。「きれいだなあ」という感情が急に萎えて、しらけた気分になってしまいました。
「なんでこんな貼り紙するんだろう? せっかく花を飾ってるんだから、こんな貼り紙やめればいいのに…」
一旦はそういう感情が湧いてきて、そのお宅のことを非難するような気持ちになったのですが、その貼り紙をするまでのそのお宅の苦悩というか、苦労というか、そういったものが少なからず見えてきて、今度は花を持っていってしまう「花泥棒」に対する憤りを強く感じるようになりました。

陶芸教室で会員の皆さんとお茶を飲んでいるとき、「門の前に飾った鉢植えの花が3回も持っていかれてしまった」という話が出たことがありました。
「1回ならともかく、2回も3回もなくなるってことはね、ただの通りすがりの人っていうより、近くに住んでる人だと思うのよね。まったく許せない! 人の心っていったいどうなっちゃったんでしょう。盗んだ花を自分の家に飾って、気分いいわけないと思うんだけど。いったいどういう気持ちなんだろっ!」
「私も持っていかれたことあるよ。それもプランター。どうやって持っていっちゃうのかしらねえ。まさか歩きの人じゃないでしょ、あんなもん持って歩けないもん。車のトランクにでも乗せてっちゃうのかしらねえ。それも昼間なんだから、びっくり!」

ゴールデンウィークの見沼自然公園でのこと。
広い公園を、ずっと奥の方まで散歩していくと、演歌が流れてきました。
「なんでこんな公園で演歌なんか流してるんだろ? なんか全然合ってないよね」
もっと奥まで歩いていくとその音量は、どんどん大きくなっていきます。演歌の流れてくる方向に目をやると、どうも公園の敷地の中ではなく、公園に隣接している洋ラン販売のハウスから聞こえてきます。その音量といったら半端じゃない。話をするのにも不自由を感じるくらいの騒音。よく見ると、大きなスピーカーが二つ、しっかりと公園の方に向けられています。公園に来た人に注目をしてもらうための宣伝のつもりらしいのです。
「こんな大きな音で、しかも演歌なんて流して、宣伝になると思ってるのかねえ?」
「洋ラン」というイメージからはほど遠いその雰囲気に驚くと同時に、「花を育て、花を飾るという心」はどこに行ってしまったんだろうと思いました。
公園をさらに奥まで行くと、今度は5、6人で夢中になって土を掘り返している家族を見かけました。おおよそ20坪くらいの広さが掘り起こされていたでしょうか。それぞれの手に園芸用のスコップを持って、どんどん掘り起こしているので、最初何をしているのかわかりませんでしたが、どうやらカブトの幼虫を採っているようなのです。しかも、一番夢中になって掘っているのは子どもではなく、お父さんとお母さん。公園という公共の場所で、果たして許される行為なのか/…。そんなことまったく考えていないんでしょうね。
大人が子どもたちに伝えなくてはならないのは、「花がある」「カブトを飼っている」という単純な「状態」ではなく、「花やカブトを飼ったときの安らかな心」であったり、「自然を愛する心」であったりするはずなのに、そういった心はすっかりどこかに行ってしまって、残ったものは人の傲慢な欲だけになってしまったように感じました。

教育再生に一番必要なのは、競争心を煽ることでも、大人から子どもへのしつけでも、ましてや国家から国民への価値観の押しつけでもなく、「人としての優しさ」の大切さを子どもたちに伝えることです。無駄な税金を使って「子守歌を聞かせ、母乳で育児」などという笑っちゃうような提言を国民に押しつける前に、大人が「人としての優しさ」を取り戻せるよう、政策らしい政策を打ち出してもらいたいものです。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

| | | コメント (0)

2022年2月 1日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第246回「地球温暖化」

「夜、一人で窯焚きをしてるとね、薪が話しかけてくるんだよ」
「???」
「だからさ、薪がね、“フニャララ フニャララ、チャクチャクチャクチャク…”ってね、しゃべるの! だからさぁ、ほら、こうやって耳に手を当てて、よく聞いてみたんだよ」
「???」
「あぁ~、もう! だからさぁ、こうやってぇ、耳に手を当てるでしょ、それで薪がしゃべってるのを聞いたんだって!」
「言葉?」
「そうだよぉ! 薪が何かしゃべってるんだってばぁ!」
「はぁ? 大関さん、やばいよ!」
「なんで?!」
「ちょっとさぁ、あんまり寝てないんで、おかしくなってんじゃないのぉ?」
「何言ってんの! 薪もしゃべるのぉ! それだけじゃないからねっ! そこのほらっ、煙突の後ろのとこ、赤い大きな光がすーっと登っていったんだからぁ!」
「ほらほら、きたきたっ! そのうち“でた~!”とか言うんでしょ?!」
「えっ? 私は幽霊なんて信じてないもん! 無神論者だし。でも、薪はしゃべるの!」
3回目の穴窯焼成。(第203回参照)四晩の徹夜を覚悟しましたが、空気が乾燥していたせいか、温度の上昇も順調で、大きなトラブルもなく4日目の夜、火を止めて、一晩早く帰ってくることができました。窯の火以外まったく意識させない、文明から隔絶された真っ暗な闇は、人間の弱さと孤独を感じさせます。普段人間社会の中で生きていると、世界は人間で回っているとばかり思っているのですが、この笠間の楞厳寺(りょうごんじ)での窯焚きの時間は、人間は大きな自然の中のほんの小さな生命なんだということを実感せずにはいられません。温暖化の影響でしょうか、2月というのにとても暖かく、窯焚きの間一度も北風が吹きませんでした。昼は暖かく、夜中には夕立のような雨が降る。すぐ近くに落雷があったようで、ものすごい閃光と雷鳴が、孤独感を一層強くさせました。なすすべもない自分を強く意識し、孤独感は増大します。人間なんて、自然界の前では何もできない存在なんだ。
「もしこの雨が強くなって山が崩れたら、私は助かるだろうか?」そんな疑問は、疑問にもなっていません。答えは明らかなのだから。
そんなとき、自分が人間であることを止めて、自然の中に入ってしまうと、ずいぶんと気が楽になります。薪が出すさまざまな音に耳を傾け、屋根をうつ雨の音や木の葉を擦る風の音とも会話をする。自分のすべてを自然にゆだねる。
温室効果ガスの影響で、地球の温暖化が進んでいます。まるで、自然に勝ったように誇らしげに生きる人間。けれども、自然の驚異の前に人間には為す術がありません。自然に勝とうとどんなに立ち向かっても、人間の微力さを痛感するだけです。人間は、一刻も早く自然と対話をし、謙虚に自然と向き合う必要があるのではないかと思います。
子どもたちにどんな地球を残せるのか、私たち大人は少しでも世代間の不平等を埋める努力をしなければならない時がきています。
車の排ガス規制が一段と厳しくなろうとしています。これまでの文明をさらに文明を進化させることで自然を守ろうとしているのです。それもとても大切なことですが、一人ひとりがもっと自然を大切にし、人間も自然界の一員なんだという自覚を持つこと、そして自然に対して謙虚になること、そういうことが求められているんだろうと思います。
地球温暖化は、待ったなしです。異常気象が年々ひどくなっていく中、子どもたち、そしてその子どもたち、そしてさらにその子どもたちにも、平等な地球環境を渡すために、真剣な取り組みをしなければならないということを実感した、自然とのふれあいの4日間でした。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

2021年12月14日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第224回「初めての富士登山 後編」

翌々日のお昼過ぎ、娘の麻耶(まや)から、携帯電話に画像が添付されたメールが送られてきました。
[今、6合目にいます]
というメッセージと一緒に送られてきた写真は、孫の蓮(れん)と沙羅(さら)が携帯電話のカメラの方を向いて、ニコニコ笑っているものでした。
どうもあまり天気はよくないらしく、二人の後ろの方には、霧らしきものが見えます。けれども蓮も沙羅もまったく天気など気にしていない様子で、とにかく嬉しそうです。それまで写真でしか見たことのなかった富士山が“足の下にある”という実感があるらしく、ただ単純にニコニコしているというより、幼いながらも“何か達成感のようなものを感じている”、そんな表情をしています。
[蓮も沙羅も楽しそうだね。雲は取れそうか!?]
と返事を送ると、
[取れないって(笑)]
と返ってきました。
[それは残念。どんな雲が来るか楽しみだったんだけどなあ…]
[今、取ろうとしてるけど取れないって(笑)]
[あんまり無理をしなくていいよって言っといて。蓮くんのおなかにいっぱいためといてって]
しばらくすると、
[また困ってるよ(笑)]
とメールがきました。
富士山の6合目で雲と格闘している蓮の姿がとてもリアルに目に浮かんできて、思わず吹き出しそうになっている自分を感じて、さらにまたおかしさがこみ上げてきました。
そこまで私とメールのやり取りをした麻耶は、今度は妻に、
[まったくじいさん、変なこと言うんだから困っちゃうよ(笑)。ウチって、いつからそんな非科学的なこと、子どもに教えるようになったんだよ!? “雲って何?”って蓮に聞かれたって私にはうまく答えられないんだから、そういうことを科学的にちゃんと教えてやってくれっちゅーの! よけいなこと言うから、大変なことになっちゃうじゃないか! 今、必死で息吸い込んで、“口開けると雲が出ちゃう”って困ってるよ(笑)]
とメールが送られてきました。
蓮とのほんの些細な会話が、どうやら大変なことを巻き起こしちゃったみたいです。

3人が富士山から帰ってくる日は、昨年亡くなった義父の新盆の準備に、熊谷の妻の実家に行かなくてはならないので、3人を家で迎えてやることができませんでした。
麻耶から、“家に着いた”というメールがきました。
[今、着いたよ。蓮が口を開けると、雲が出ちゃうって言って、息を止めて真っ赤な顔になってるんだけど…(笑)]
家に着いてから、息を止めたってなんにもならないのにね。富士山から家まで、どうやって息止めてたんだろ?
翌日、3人も熊谷にやってきました。私の方にやってきた蓮はにやにやしています。
「じいちゃん! 雲さん出すからね!」
と言うと、“ふーっ!”と私の目の前に息を吹き出して見せました。
「あーっ! 雲さんだぁ!」
と私と妻が調子に乗って言うと、今度は、
「はぁーっ!」
と息を吹き出してにやにやしています。蓮は、雲が持ってこられないものだったことをちゃんと知っているのです。取れないものを取れると思っていた自分に対する照れと、取れないものを取ってこいと言った私に対する非難と、そして何よりも本物の雲の中に立ち、雲というものがどういうものなのかということを自分自身で悟った満足感が入り交じった複雑な表情、私には蓮の表情がそんな風に見えました。いつからこんな俳優さながらの“ごっこ”ができるようになったんでしょう。

新聞の一面に、血だらけの子どもがお父さんに抱えられているレバノンの写真が載りました。その写真をかなり長い間見ていた蓮は、なんの脈絡もなく突然、
「蓮くん、大人になったらお医者さんになって、この子を治してあげる!」
と言いました。世界のあちこちで戦争や紛争が起こり、多くの子どもたちが犠牲になっています。世界中の子どもたちが、みな幸せに、楽しく暮らせるよう、今に日本の平和を世界に広げたいなあ、つくづくそう感じました。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第223回「初めての富士登山 前編」

娘の麻耶(まや)が突然
「夏休み中にね、蓮(れん)と沙羅(さら)を富士山に連れて行こうと思うんだ」
「ん? なんで?」
「なんでってこともないんだけど、やっぱり富士山は日本一高い山じゃん。観光名所っていうか、とにかく有名でしょ。そういうとこって、小さいうちに一度見せてやった方がいいかなって」
「ふーん」
「日光とか京都とかさ…。日光はもう行ったでしょ。京都は、ちょっと遠いしね。だから、今年は富士山かなって」
「ふーん。そういうもんかねえ」
「何歳くらいからだったら、富士登山できるかなあ?」
「はっ? 蓮と沙羅を富士山に登らせようとしてる?」
「そうだよ。せっかくだもん、登らなきゃ!」
「おまえだって登ったことないのに…」
「だから、経験させてやりたいんだよ」
「かっ! まだ無理だろっ、幼稚園の年中と年少じゃあ!? せいぜい、小学校の5、6年生くらいにならないとぉ」
「やっぱりそうだよねえ…」
「あたりまえだろっ!」
「でも登らせてみたいんだよ。頂上までっていうことじゃなくて、いけるとこまででいいからさ」
「ふーん。まあ、登らせたけりゃ登らせればいいけど、おまえが大変だぞ」
「まあね。それはわかってるんだけど、登らせてみたいんだよ。もし、どうしても途中でダメになっちゃったら、私がひっ背負ってやる!」
「はあ、すごい気合いだなあ。そこまで登らせたいかねえ?!」

いよいよ富士山に出かける前日。あいにく台風が来ていて、明日の天気が心配されました。
朝、私がパソコンを開いていると、蓮が近くにやってきました。
「蓮くん、今度富士山登るんだって?」
「そだよ」
「いいねえ」
「うん」
「蓮くん、どっか山登ったことある?」
「うん、あるよ。この前、森林公園のお山、登ったよ」
「?(森林公園に山なんてあったっけ?) ふーん。じゃあ、富士山も登れるかな?」
「うん、登れるよ! じいちゃん、富士山の写真見せてよ!」
「いいよ!」
インターネット上で、“富士山”で検索し、写真をパソコンの画面に表示してやりました。しばらく富士山の写真を眺めていた蓮が、何を基準に言ったかはわかりませんが、
「うーん、高いなあ…。登れないかもしれない」
と急にトーンダウンして言うので、ちょうど中腹あたりにかかっている雲を指さして、
「これが雲だよ」
と説明すると、
「んー」
と言いながら、何度も首をかしげています。と、突然、
「蓮くん、じいちゃんに雲さんを取ってきてあげる!」
と言いました。
「うん、そうだね。じゃあ、じいちゃん楽しみに待ってるからね。お天気、いいといいねぇ」
「うん!」
そして、娘の麻耶と孫の蓮と沙羅は、三人で富士山に出かけていきました。

つづく

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

2021年12月 9日 (木)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第219回「ジダン」

サッカーW杯が終わっちゃったら、なんとなく寂しくなっちゃいました。あの心地良い(?)眠さ。予選リーグから決勝トーナメントまで、とにかく放送がある試合は、全部見た(つもり。実は画面の方に顔を向けたまま、寝たり起きたりと言うより、寝たり寝たりしていたので、気がついたら試合が終わってニュースが流れたりしてたこともあったんだよね。ドイツvsイタリア戦なんて最悪。延長後半12分まで見てて、「ああ、もうこれはPK戦だぁ」と思った瞬間、ふっと意識が遠くなったらしくて、気づいたら2対0になってた。?????てな具合で、ハイライトシーンで状況を飲み込んだ始末)ので、W杯の開催中は、とにかく眠くて眠くて、「ああ、サラリーマンじゃなくてよかったなあ」なんて考えたりしてね。
W杯は、日本戦があった予選リーグがおもしろかったって言う人もいるみたい。でも私はやっぱり決勝リーグがおもしろかったなあ…。こんな言い方をすると、日本代表を必死で応援していたサッカーファンに怒られちゃうかもしれないけれど、日本敗戦後あちこちで言われているように、「日本の実力なんてあんなもんでしょ」と正直私も思います。予選の組み合わせが決まったとき、日本の決勝トーナメント進出はないなあと感じていたので、あの初戦のオーストラリア戦以降は、すでに興味は決勝トーナメントに移っていて、いったいどことどこが、決勝トーナメントに進んで、最後にはどこが勝つんだろうと、興味津々でした。
どこを応援するでもなく、ただ単にサッカーを楽しみたいという思いで見ていたけれど、私が買っていたのは、ドイツとポルトガル。ゴール前でのクローゼの強さとバラックの何となく知的な表情(勝手に私が思っている)。「ドイツがいい線行くんじゃないの」と思わせたし、ポルトガルも、予選からフィーゴの良さが際立っていて、デコの切れの良さやコマーシャルでおなじみのクリスチアーノ・ロナルドのドリブルの早さもなかなか他にはないものを感じていたので、決勝までは勝ち進めないにしても、「なんかやってくれそうじゃん」と楽しみに見ていました。
とは言え、イタリアの優勝は、納得でした。あの守りの良さはすばらしい! 決しておもしろいサッカーとは言えないけれど、やはり守れないチームは勝てない。その証明みたいな終わり方でした。「攻撃は最大の防御」という言葉があるけれど、「防御は最大の攻撃」(これはちょっと変かな? まあ、武器というとこかな?)なんですね。
ジダンもすごかった。MVPは当然でしょ! 確かにブラジルのロナウジーニョのテクニックやベッカムのフリーキックもすごい。でも一人のテクニックではなく、チームでやるサッカーとしてみた場合、やはりジダンはすごかった。試合をまとめる巧みさは、一枚も二枚も上に感じました。「人間、一人でできることはたかがしれてる」そんなことさえ思わせるジダンの活躍でした。あれで引退? そんなことってあるのかなあ…。もうちょっと見たいなあ…。ああいうプレーを見ていると、やっぱりそう思っちゃう。
あの頭突きで退場のシーンも”ライブ”(カメラはプレーを追っていて、画面には映っていなかったので、実際はVTRだったんですけど)で見ました。突然のことで、驚きました。マテラッティがあれだけ飛ばされたんだから、相当すごい頭突きだったんでしょうね。あの頭突きがきっかけで、世界中が大騒ぎになっています。「ジダンが悪い」「ジダンがあそこまでやるには、マテラッティがひどいことを言ったに違いない」。真相はまだはっきりしませんが、どうやらマテラッティがジダンの家族について、人種差別的な挑発をしたらしい。サッカーというスポーツにそういうものが似つかわしいのか、似つかわしくないのか…。いろいろな報道を見たり聞いたりしていると、サッカーに挑発はつきものとのこと。では勝つために何はしてもよくて、何はしてはいけないのか…。どこで線を引くかは難しい問題のようだけれど、どうもこれまでの流れでは、”言葉の暴力は許されるけれど、手や足(もちろん頭も)を出してはいけない。ただし、人種差別については別”ということかな?
私は、かなり体育会系なので、スポーツは大好きです。野球、サッカー、ラグビー、バスケットボール、バレーボール、卓球、陸上、水泳、スキー、体操、柔道、剣道…。とにかく何でも見ます。息子も娘も学校の部活動でバドミントンをやったり、サッカーやゴルフをしたり…。ずいぶん遠くまで応援に行って、楽しませてもらいました。今年大学に入学した一番下の翔(かける)はゴルフでプロを目指していますが、どうなることやら…。
が、ちまたでよく言われる「スポーツをやっているから、いい子」というのは錯覚です。スポーツをとことん突き詰めれば、勝たねばならないので、今回のマテラッティとジダンのようなことは当たり前。たまたまW杯で、しかも決勝戦。さらに延長後半で残り時間は10分。さらにさらにジダンにとっても現役の残り時間は10分。だから、こんなに大きく取り上げられているけれど、これがもうちょっと注目度の低い試合だったら、スポーツ新聞の片隅に載る程度で、なんでもなく通り過ぎちゃう。もちろんそんな大事な試合に、なぜジダンがあんなことを…ということはあるけれど、それにしてもユニフォームを引っ張ってビリビリにしたり、ひじ鉄を食らわせて相手にケガをさせたり、挑発をしたり…。それがサッカー。果たして、そういうことをするような人間に育てることが、子育て・教育として正しいことなのか…。
この連載でも、何度も言ってきたけれど、スポーツと教育は、相容れないものを持っています。私もスポーツが好きだから、はっきり言うけれど、「うちの子はサッカー(あるいは野球、あるいはラグビー、あるいは柔道…)をやっているから、礼儀正しい」なんていう言い方は、やめた方がいい。私は、人間の楽しみとして、スポーツはとてもすばらしいものだなあと思います。勝つために戦っているあの真剣さ。ああいうものが、人生の中で重要なんだということも否定しません。でも、人間の成長にとって「スポーツ万能」みたいな錯覚は、やめた方がいい。子育ての中にスポーツのようなもの(物事に真剣に打ち込むということ)が必要なのは、わかります。でも、それで充分なわけではない。人と人とが結びつけるような、みんながお互いに支え合えるような心の優しさ、そういうものは、スポーツとは別な形で養ってほしいと思います。それが、未来を担う子どもたちを育てる親の役目かなあ。
高校で同じクラスだった田嶋幸三君はたびたびテレビに登場するし、中学で同じクラスだった加藤好男君も、オシムジャパンのコーチとして働くらしい。いやあ、やっぱりあのころの浦和はすごかったんだなあ…。ガンバ大阪の西野監督も含め、浦和出身の人たちが今の日本のサッカー界を背負って立ってるんですよね。4年後のW杯は、浦和パワー爆発で、ぜひ決勝トーナメントに進んでほしいですね。

 

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

2021年12月 7日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第214回「子育て・教育のコーディネイト 前編」

最近では“リフォーム詐欺”という言葉が新聞を賑わすほどポピュラーになったリフォーム。私が今住んでいるマンションの部屋をリフォームした9年ほど前は、まだまだリフォームだけを専業で行っている業者もそれほど多くはなく、わが家は知り合いで地元の建設業者にお願いしました。
知り合いの業者は、元々は解体業から出発し、不動産業、建設業と業種を広げ、うちが知り合ったころは、1店舗で経営しているさほど大きくない有限会社だったのに、あっという間に県内にいくつもの営業所を抱える大きな株式会社になりました。
そういう会社ですから、そのころはもちろん下請けも数多く、リフォームはお手の物。すべてお任せすることにして、担当の監督さんをわが家に呼び、相談することになりました。もちろん私はリフォームについては素人ですが、ちょうどそのころ専門学校の“デザインアート科”という科で教えていたり、陶芸という職業柄というか、主夫柄というか、インテリア等のコーディネートにはそれなりのこだわりがありました。
「新聞でコルクの床っていうのを見たんですけど、フローリングと比べてどうですかねえ?」
「キッチンはシステムキッチンで、私の身長に合わせて台を高く。ガス台はそれぞれ火力が違う3つ口で。リビングが油で汚れちゃうので、換気扇も大きい方がいいなあ」
「お風呂は浴槽をもう少しゆったり取りたいんですけど、ユニットで可能ですかねえ?」
「壁紙も白のビニールクロスだけっていうのはねえ。少しモダンな感じにしたいんだけど…」

「だいたいわかりました。それぞれの業者を大関さんのところに来させますから、相談してもらえますか」

そして翌日から、それぞれの業者と細かい打ち合わせです。まず壁紙と床の業者さん。
「リビングはこのコルク。子ども部屋はこれとこれで。壁紙は…、カタログってこれしかないんですか? もうちょっと派手目なっていうか、もうちょっと色の付いてるっていうか大きな柄があるっていうか…」
「それじゃあこのカタログにはないから、今度店舗用のカタログ持ってきますよ」
壁紙は店舗用の壁紙から選ぶことになって、
「この部屋はこれね。ここは子ども部屋なので楽しそうなやつがいいなあ。あれっ?この壁紙って、電気消すと光るの? へーっ、楽しそうじゃん! じゃあ、この部屋の天井はこれね。ここはエスニックっていうか、アラビアンっていうかそんな感じでしょ。こっちの部屋は純和風、洗面所は海かなあ。ああ、いいの見つけちゃった! このヨットの絵がついてるやつ」
そして次はシステムキッチンとユニットバスの業者さん。
「リビングダイニングの壁紙はこの色なので、そうだなあ…、キッチンはこの色かなあ。お風呂はこの大きさのものが付きますかねえ? 混合栓もこのタイプかなあ…」
そして最後は、ペンキ屋さん。
「それぞれの部屋の壁紙が、全然雰囲気が違うので、部屋ごとにペンキの色も替えてほしいんですよ。ここは青、ここはこげ茶かな。ここはちょっと濃いめのクリーム。全部で7色」
「大関さんねぇ、普通のお宅は、これくらいのマンションだったら3色くらいなんですよ。そんなちょっとの量をうちも仕入れられないし、こういうのって特殊な色だから、残っても他のお宅に使えないでしょ。7色は無理ですよ」
私はムッと来て、
「あなた塗装屋さんでしょ、そんな難しいこと頼んでないじゃない! 別にどこのどういうペンキ使ってくれっていってるわけじゃないんだから、ドイトだってエッサンだって買ってきて塗ってくれればいんだよ。ちっちゃい缶一つあればいいんだし、コストが上がった分なんて、うちが払うでしょ! 数百万のリフォーム代のうち、たかが数百円だよ」
「…」
「じゃあ、何色だったら塗ってくれるわけ?」
「なんとか3色以内に納めてもらえませんかねえ…」
「わかった。じゃあ、もういいよ。3色だけ塗ってください。後は私が自分で塗るから」
結局、7色のうち面積の広い3色をペンキ屋さんに塗ってもらうことにして、残りの4色は、私と翔(かける)の二人で塗ることになりました。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)