2024年4月 5日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第314回「危機管理 その2」

ある日の小学校の懇談会。
「何日か前なんですけど、ベランダで洗濯物を干していたら、K社の社宅の屋上に子どもたちが上がっていました」
「Yさんのところのベランダからだったら、ちょうど正面だもんね」
「それがね、屋上に柵がないんですよ。だから、屋上の端まで行けば、下が見える状態」
「えーっ、うっそー!」
「本当だよ。Mさん知ってた? 4,5人だったかな? 屋上を走り回ってるからもし落ちたら大変だと思って。柵がない屋上に子どもたちが上がれるっていうことにびっくりしました」
するとK社の社宅に住んでいるMさんが、
「そうなんです。屋上には柵はないんです。前にも上がっている子どもたちがいて、注意はしたんですが…」
「屋上って、子どもたちだけで簡単に上がれちゃうんですか? 普通、屋上に通じる扉には鍵がかけてあって、上がれないようになってますよね」
「うちの建物はそういう構造じゃなくて、屋上は工事関係の人しか上がれないように、扉で通じてないんです。屋上に上がるには、最上階の廊下から壁に取り付けてある鉄のはしごで上がるんです。屋上に居住者が入るっていうことを想定していないので、柵がないんです」
「へぇ、なるほどね。でも誰でもそのはしご、上がれるんですか?」
「一応、はしごの先が床から120センチくらいは浮いていて、昇りにくくはなっているんですけど…」
「それくらいじゃあ、子どもたちは簡単に昇っちゃうんですね、きっと。K社の社宅のことだし、建物の構造の問題だから、小学校の懇談会で話し合ったからってどうっていうことじゃないけれど、Yさんの話で、子どもたちが危険な状況にさらされているっていうことはわかったから、そういう危険な場所が学区内にどれくらいあるのか、PTAで調査してもらえるよう、提案しましょうよ。K社の社宅の屋上の話は“屋上に子どもたちが上がっていた”っていうことを、Mさんから社宅の皆さんに伝えてもらえばいいんじゃないかな」
「そうですね」
この話は後日PTAの役員会に報告され、PTAで学区内の危険箇所の洗い出しと点検をすることになり、実際に何カ所か危険な箇所が指摘され、地域にも呼びかけて対策を取ってもらうことになりました。
次の懇談会のとき、K社の社宅に住むMさんから、
「社宅の最上階に設置されていた鉄のはしごの件ですが、子どもの手が届かない高さまで切ってもらうことになりました。今は、脚立を利用しないと屋上に上がれないようになっています」
懇談会全体にホッとしたという空気が流れました。
杉並区の小学校で、児童が屋上に取り付けられた採光用のドーム方カバーを破り、吹き抜けを1階まで転落するという事故がありました。普段は屋上に通じる扉には鍵がかけられ、児童だけでは、屋上に入れないようになっていたにもかかわらず、事故にあった児童以外の足跡が他のドーム型のカバーにも付いていたそうです。建築に関わった業者は、児童は屋上に入らないと聞いていたと言い、ドームの周りに柵は設けていなかったそうです。
杉並区和田にある小学校で事故があったとこのニュースが流れたとき、「あれっ?」と思ったのは私だけでしょうか。例の「夜スペ」や「PTAの廃止」で一躍脚光を浴びた「杉並区和田」だったからです。私に言わせると「何かあるんじゃないかなあと思っていたら、やっぱり」という感じ。小学校での事故ですから、直接は関係ないと思うかもしれませんが、大人たちがどっちの方向を向いて子どもたちと関わっているかということは子どもを守る上で大変重要なことです。大人が外に向けて何かを発信することに夢中になっているときは、こういうことはよく起こるものです。
K社の社宅の場合も一歩間違えば大変な事故につながったわけですが、「子どもを守る」というただそれだけの視点が末端の一人ひとりの保護者のところまで浸透していたため、大きな事故につながる前に対策が取れました。「他がやっていない何かをやる」ということではなく、日常の何でもない生活をどう過ごすか、そんなところに視点を当てた危機管理が重要なのだろうと思います。
事故にあった子どもの行動を責めるのではなく、何人もの子どもたちがドームに乗っていたことに気づかなかった学校や教育委員会の気のゆるみを厳しく糾弾すべきだと思います。
 
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第310回「公園ということの意味 その2」

前回、お話しした「ゴリラ公園」と京浜東北線の線路を挟んで反対側には「文蔵(ぶぞう)フィットネス広場」という公園があります。この公園もゴリラ公園同様、一般的な公園とはやや趣を異にしていて、アスレチック用の遊具がいくつかあり、その周りにランニングコースのようなコースが作られています。
朝日が昇り、明るくなると、毎日10名ほどの大人たちが、ランニングをしたり、ウォーキングをしたり、遊具を使ってストレッチをしたり…。
朝ではなく、夜利用する人たちもいます。人通りがあまりないので、夜の利用にはやや怖さもありますが、何人かグループでランニングをしたり、高校生がバットを振ったり、ラケットを振ったり…。外環の下ですから、多少の雨なら濡れることなく利用できるので、雨の日にも利用している人もいます。
ところが昼間行ってみるとほとんど人を見かけません。昼間の公園利用者といえば子どもたち。一応、子どもが遊ぶための遊具も少しは設置してあるのですが、ほんのお義理という程度。子どもが遊ぶための公園というにはほど遠く、子どもの利用はほとんどありません。
実際にその場に行ってみるとわかることなのですが、24時間日が差さない公園というものは、どことなく不気味で、怖ささえ感じます。日が差さないために木がないということも、そういった感情を抱かせる一因になっているかもしれません。公園ということの役割が、人々の心を和ませるものだとすれば、「この公園はいったい何なんだろう?」という疑問が湧いてきます。
沙羅の通っている幼稚園のそばには、さくら公園ともみじ公園(正式な名前は定かではありませんが、子どもたちはそう呼んでいます)という二つの公園があります。
「じいちゃん、今日はさくら公園で遊んでいこっ!」という日もあれば、「今日は、もみじ公園で遊んでいこっ!」という日もあります。
つい先日、そのさくら公園にある桜の木にサクランボが熟し、管理をしているおじさんが、収穫したサクランボを子どもたちに配ってくれました。1ヶ月ちょっと前には、八重桜の花びらが絨毯のように公園中を敷き詰め、まるでピンクの海を泳いでいるような気持ちになりました。
そんなとき人間は、自然と笑顔になるものです。子どもたちの楽しそうな歓声が、大人の心も和ませます。
公園で遊ばない子どもたちの事情は、公園側だけにあるわけではなく、子どもたちを取り巻く、社会的状況によるものも大ですが、外環の下の公園を見たとき、「果たしてこれが公園と言えるんだろうか?」どうしてもそんな気持ちが湧いてきてしまいます。
1992年11月、外環の和光IC~三郷JCT間が開通して今年で16年。私の花粉症が発症して今年で15年。外環を通ったときのあの排気ガスの真っ黒い様子を見るたびに、私の花粉症と外環の開通を関連づけて考えてしまいます。
日の当たらない外環の下の公園。北京オリンピックの環境問題が叫ばれる中、公園の環境はこれでいいのか…。
遊ばない子どもたち、遊ばせない親たち、もしかすると子どもの健康を守るための「動物的勘」を持っているのかもしれません。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第309回「公園ということの意味 その1」

四月に小学校に上がった孫の蓮(れん)の自転車が小さくなり、先日少し大きいものに買い換えてやりました。大人だって車を買い換えるとすぐに乗ってみたくなるものですが、子どもだって同様(いや順序が逆かな? 子どもが乗りたくなると同様に大人も乗りたくなる? 私は車を買い換えると夜中でも首都高の環状線を2、3周して来ちゃうので私中心の言い方になってます。地球温暖化が問題になっている折、不必要に車を乗り回すのはやめた方がいいですね。)で、新しい自転車に買い換えると乗ってみたくなるものですよね。私も小学校5年生の時、それまで乗っていた22インチの自転車が小さくなり、スポーツタイプの新しい自転車を買ってもらって、ほんのちょっとのつもりでその辺を乗り回しているうちにだんだん遠くまで行っちゃって、とうとう草加まで行ってしまったこと(うちは駒場のサッカー場の近くですから、往復で20キロくらいあります)ありました。私にとっては、初めての大冒険でした。新しい乗り物を手に入れるっていうことは、新しい自分になれたような、そんな気分になるものです。子どもにとっては、1ランク上の自転車に乗り換えると言うことが成長の証なんですね。
道路を乗り回すのは、ちょっと危険を伴いますが、幸いなことに、我が家の近くには、公園全体がマウンテンバイクのコースになっている「ゴリラ公園」があります。新しい自転車もマウンテンバイク風の5段変速。思う存分乗れるように、「ゴリラ公園」に行きました。
この「ゴリラ公園」は、東京外郭環状線ができたとき、道路下の用地を何にするかで、地元と道路公団の話し合いのもと、作られた公園です。まあよくある、「公園にしてやるから道路建設に反対するな」式のやり方によって、できた公園です。私の知り合いもどんな公園にするかの話し合いに加わっていて、当時は自転車用の公園ということで珍しかったことやイベントを開いたりしていたこともあり、子どもたちがけっこう集まってきていました。
「ゴリラ公園」という名前は、ゴリラ(キングコング?)が時計のポールを曲げている大きな像が建っていることから、つけられた名前です。子どもたちにとっては、その命名もよかったんでしょう。うちの子どもたちも、よく遊びに行っていました。
ところが先日行ってみると、人っ子一人いない状態。「シルバー」のおじさん(?)が整備をしていて、ホコリが立たないよう水を撒いたらしく、自転車コースのあちこちに水たまりができていました。上が道路のために雨がかからず、いつも乾燥しているので、水を撒かないとホコリがひどいんです。しかも、風が吹けばその乾燥したホコリが近隣のお宅にまで迷惑をかけるし、公園の土もどんどん減ってしまって、いまでは表層の土がほとんどなくなり、その下に入っていた大きな石がかなり顔を出している始末。とは言え、「ちょっと撒きすぎだろっ!」という感じです。
蓮と一緒に行った沙羅の自転車は小さいので、マウンテンバイクのコースには不向き。一生懸命こいだところで、どうしてもコースに負けてしまって、何度も足を着いたり、転んだり。そのうちぬかるんだところで足を着いてしまったために、靴はどろどろ、自転車もどろどろ。べそをかきかき、自転車を引きずりながら私のところへやってきました。新しい自転車で颯爽とコースを回っていた蓮はというと、泥を跳ね上げ背中が泥だらけ。二人ともそのまま自転車でピアノのレッスンに行く予定で、楽譜も持ってきていたので、かなり困った状態になってしまいました。
一生懸命水を撒いてくれた「シルバー」のおじさんに、文句を言うわけにもいかず、公園の水道で、泥を落としてピアノのレッスンに向かいました。
つづく
 
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

2024年4月 3日 (水)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第302回「パパ検定」

へぇーっ、パパ検定なんていうのができたんですねぇ。
ケーブルテレビのニュースで見て、ついさっき知りました。私の場合、「パパ」という立場をずいぶん前に卒業して、今やるとすれば「じじ検定」というところでしょうが、ちょっと興味を持って見ました。ネット上で検索してみたら、検定は終わってしまったんですけれども、模擬テストがあったので、早速やってみました。
ところがこれが難しい。確かに、テレビの中でやっていた問題も、内容が多岐にわたっていて難しいなあとは思いましたが、11題しかない模擬テスト(http://www.kentei-uketsuke.com/practice_guide.asp?exercise_id=papa001)も一般的な知識というだけではまったく足りず、様々な知識がないとできません。
「育児休業を取得した父親の割合」とか「ソフトバンクグループの出産祝い金の金額」とか「桃から生まれた桃太郎の別バージョンはどれか」とか、これはもう「パパ」に必要な知識というより、完全に雑学の部類ですね。中には、「離乳食に不適な食材」なんていう質問もあるので、役に立つものもあるにはあるのですが…。本当に必要な知識として聞くとすれば、「不適」というよりは、「適したもの」というような訊き方の方がいい気もするので、まあ遊びというところですね。
ニュースの中でインタビューされていた主催者側の女性も、検定の点数がどうのというよりは、「子育てに関する父親の意識を高める」というようなことが目的と話していたので、要は報道(宣伝)されればいいということなのでしょう。
いろいろよく調べていくとNPO法人ファザーリング・ジャパンというところの主催で、経済産業省、東京都、兵庫県が後援となってはいるけれど、代表の安藤哲也氏は、元々は出版社出身で、町中書店の復活の取り組みで有名で、オンライン書店を立ち上げたり、楽天ブックに関わってきた人。検定も「パパ検定」だけでなく、「ロック検」「地理検」「馬検」「メディカルハーブ検」「CAR検」「フードアナリスト検」「CMアイドル検」「猫検」「ミリタリー検」…。こうなってくると、まじめに「父親の育児参加」を考えているというよりは、「ビジネスのいいネタということか」と穿った見方になって来ちゃいます。それぞれに検定のための公式テキストが出ていたりするので、まさにメディアに取り上げてもらうための戦術といったところなのでしょう。検定ブームを利用した、とてもうまい商法だなあと感心してしまいます。
最近、父親の育児参加を呼びかけるものが多くなってきました。基本的には、私も賛成ですが、父親が子育てにどう関わるかということがとても大切です。ついさっきネット上に進学塾講師による有料受験対策「夜スペ」でも有名になった杉並区立和田中学校が、今度はPTAを廃止し、保護者をこれまで取り組んできた地域住民やボランティアで構成している「地域本部」の活動に組み入れるというニュースが流れてきました。これも男性を教育に参加させるという取り組みの一つです。校長の藤原和博氏は、リクルート出身で、次から次へと新しい試みを行ってきました。今回のPTA廃止もマンネリ化し活動に陰りが見えているPTA活動にある一定の影響を与えるだろうということは言えると思いますが、とても危険な要素を含んでいます。一つは、はっきりとした序列もなく、女性がリーダーシップを発揮することの多い、何となく曖昧で、だからこそソフトで優しいPTA活動のようなものが、体系化された組織という規格化のために男性社会のようなさめたものになり、さらに男女の役割が規定されかねないということ、もう一つは、これまでもずっと述べてきたことですが、「地域本部」のような活動は、「子どものため」ということを前面に出してはいるけれど、実はその陰に「行き場のない大人の受け皿」ということがあるということです。子どもと地域社会の関わりを語るとき、「昔はいろいろな人が子どもを叱った」という例をよく出します。私もそのあり方には賛成です。この話の根本は、まず子どもの行動があり、それがある大人のモラルに抵触した場合に怒られるという構図なわけですが、和田中学校に代表されるような地域社会再生の取り組みは、まず大人の行動があり、団体・集団としてのモラルができあがる。そしてそのできあがったモラルに子どもをはめ込み、それに反した子どもは怒られるという構図であり、そこには多様な価値観が入りにくい。この順序の逆転は子どもの成長にとって致命的です。大人の活動が先にありますから、何か活動に関わったという大人にとっての充実感は残るのですが、子どもは大人の価値観の中で行動させられるのであり、その結果、子どもは大人を越えられない上、そこの枠組みからはみ出るものも出てしまいます。大人はそのことを充分に意識するべきです。
「パパ検定」にしても和田中学校の取り組みにしても、大人の価値観の中で子どもを動かそうとする大人に焦点が当たった活動に見えてなりません。
子どもの中から湧いてくる考えや行動を待てない大人のための弊害で苦しむ子どもたち。毎日そういう子どもたちに接していると、あまりにも乱暴なこうした取り組みには疑念を抱かざるを得ません。経済を最優先にした小泉内閣以来、子育て・教育の中の優しさはどんどん失われ、少年の凶悪事件は増加しました。そろそろそれにはピリオドを打ち、経済とは切り離した、もっと丁寧で優しい子育て・教育に切り替えるときが来ているのだろうと思います。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

2024年4月 1日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第297回「またまた救えなかった児童虐待」

16日午後、寝屋川市のマンションに住む成川裕子さん(29)方から、「長女の様子がおかしい。具合を見てほしい」と、119番があり、救急隊員が駆けつけたところ、美琴ちゃん(6)がぐったりしていて、病院に搬送したものの意識不明の重体で、美琴ちゃんの全身に殴られたような跡があったことから、同居していた無職大山貴志容疑者(21)が殺人未遂容疑で逮捕されました。
 寝屋川署の調べでは、大山容疑者は昨秋ごろから、成川さんとその長男(9)、美琴ちゃんの3人と同居。成川さんはパート勤務をしており、この日は午前8時ごろ出勤。自宅には、大山容疑者と子ども2人がいたとのことです。調べに対し大山容疑者は、「言うことを聞かないので、体を前後に10回ほど揺すった。その後、様子がおかしくなった」と供述しているそうですが、それに対し9歳の長男は「妹が何回も殴られているのを見た」と証言しているようで、美琴ちゃんの体には殴られたような古いあざもあり、寝屋川署は大山容疑者が日常的に虐待していた可能性があるとみているようです。
この事件は、17日になって、寝屋川市が昨年10月から4回、長女にあざがあるのを把握し、虐待を疑いながら、保護しなかったことがわかりました。市の家庭児童相談室によると、昨年10月17日、長女が通う保育所の職員が長女のほおと太ももにあざを発見。長女が「うそをついたり、早く寝なかったりしてパパに怒られた」と話したため、女性に「しつけでもけがやあざがあれば、虐待と見なされる」と警告しました。その後、保育所は逮捕された大山容疑者と女性に、子供との接し方について指導しましたが、昨年11月に2回、今月1回、長女のひざや額などに軽いあざを確認したにもかかわらず、保護は見送ってしまいました。家庭児童相談室は、「府にも相談したが、保護が必要なひどい虐待だと判断しなかった。結果として事件が起こり残念だ」といっています。
家庭児童相談室は何を根拠に「ひどい虐待」と判断しなかったんでしょうか。私は、本来子育ての責任は、まず親にあるべきと考えていますので、行政や学校が個々の子育てに関わることには慎重でなければならないと思います。けれども、そう思う私でさえ、これだけの状況を把握しながら虐待を防げないというのは行政の怠慢ではないかと感じます。以前、うちの研究所に、児童相談所についての相談に訪れた方がいました。その方のケースでは、学校が児童相談所に連絡をし、学校から児童相談所が保護をしたというケースでしたが、これは今回とはまったく逆のケースで、私から言わせると、一時的とは言え保護が適切であったか疑問です。こういう問題は、個々のケースによって問題が様々なので、同じような対応をすることには難しさがあります。だからこそ、2005年に、厚生労働省虐待防止対策室が専門家による研究会で1年かけてまとめた児童虐待の兆候チェック指針を発表したものだと思いますが、その最低限のマニュアルすら生かされていなかったのではないか。
社会保険庁の無責任体質が問題になっていますが、子どもの虐待についても、なるべく”こと”を小さく解釈し、行動を起こさないという行政の方向が見えてきて、とても心配です。前述したように、子育てに対する行政の安易な介入は慎むべきと考えますが、だからこそ、個々のケースについての精査が必要なわけで、それを怠ったときのツケは大きなものになってしまいます。もちろん、行政の力だけで虐待が防げるものではありませんが、今回のケースのように、行政が状況を把握しているものについては、もっと丁寧な対応をすることで、必ず虐待は防げるものだろうと思います。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。  

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第294回「はじめてのお使い」

「おまえんちはいつも誰か風邪ひいてるなあ」
「まったくうるさいんだよ! 子どもがたくさんいれば、どこかから風邪でもインフルエンザでももらってくるんだよ!」
「気をつければいいだろ」
「一旦誰かが風邪ひけば、狭いうちん中だし、子どもの面倒見てれば、移るに決まってるだろっ! 麻耶や翔(かける)なら自分の部屋から出てこないようにして一人で寝かしておくってことも出来るけど、蓮(れん)とか沙羅じゃあ、そうもいかないの!」
うちで誰か風邪をひいたという話をすると、母は決まり文句のように、
「おまえんちはいつも誰か風邪ひいてるなあ」
と言います。
父は一人を好んだので、生前も自分の部屋以外で寝ることはなかったし、父と母の寝室は、その間に台所があり、リビングがあり、廊下があり…。台所もリビングもけっこう広い家なので、どれくらい離れているかなあ???
しかもその間には4カ所ドアがついているから、一旦部屋に入ってしまえば、全くの隔離状態。父は人に面倒を見てもらうことを極端に嫌う人だった(どういうわけかうちの家族だけは別で、妻と私の子どもと孫たちにはいろいろとさせたのですが)ので、風邪をひこうがお腹をこわそうが、とにかく何でも自分でやってしまって、人には見てもらわない。
もちろん、母が風邪をひいたって父が見てやるわけじゃない。そんなんだから、移るわけないじゃん。
わが家はまったくその逆。誰かが風邪をひこうものなら、とことん面倒を見る。やれおかゆだ、やれうどんだ、プリンにゼリー、アイスクリームにジュース…。まったくやり過ぎ。年明けに翔がインフルエンザにかかったから、私と麻耶が「食べ物だけ置いたら、出来るだけ早く翔の部屋を出た方がいい」って妻に忠告したにもかかわらず、全然いうことを聞かずに部屋で長い時間翔の様子を見ているものだから、結局妻もインフルエンザにかかっちゃって…。そりゃそうだよね。翔は一日だけ40度近い熱が出たけれど、翌日にはある程度下がって、4~5日でほぼ全快。移った妻は、熱はそれほど出ないのに二週間以上ダラダラと調子が悪くて、結局三度も病院で薬をもらう始末。
そして、3人目の犠牲者は孫の沙羅。39度も熱が出て、一旦下がって元気になったのに、幼稚園に行きたがるから、熱も下がったし「まあ、いいかぁ」と幼稚園に出したらぶり返しちゃって、38度。
年明けから、散々だよね。
でもそのせいで、今年小学校に上がる”蓮くん”は大活躍!
大人が具合が悪くなる中、まったく移る気配無し。うがい、手洗い、食器の煮沸(とにかく大きな鍋にお湯を沸かして、多少食べ残しがあってもそのまま食器をお湯の中へ入れちゃう。これは絶大なる効果があります)、それに徹底した隔離をしたのが功を奏したのかなあ???
そして、元気な”蓮くん”は、昨日”沙羅ちゃん”のために、はじめてのお使いに行きました。
蓮が一人で行けるほど近くにお店はないので、麻耶の話では、一番近い自動販売機までだったそうだけれど、蓮にとってはよほど大きなことだったらしく、今朝起きてくると、
「昨日ねえ、自動販売機でジュース買ったんだよ! 一人で行ったんだよ」
と大興奮。うちのマンションの駐車場を抜けて、ほんの数十歩の所までなのに、子どもにとっては”ひとり”ということは大冒険なんですよね。
麻耶の話だと、300円を持たせて、150円のペットボトルを2本頼んだら、いきなり300円を入れたらしく、「150円おつりが出てきた」と騒いでいたらしいです。自分で物を買うということをまったく教えてこなかったので、「おつりが150円出てきた」ということを、蓮が麻耶に話せたということに、私はビックリしました。
ついこの間まで、赤ん坊と思っていた孫も、ずいぶん成長したものです。今朝は、沙羅の熱も下がり、明日(月曜日)からは、幼稚園に行けるかなあ…。沙羅の熱が下がったのも、”蓮くん”のはじめてのお使いのおかげかもしれませんね。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

2024年3月30日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第291回「2007年から2008年へ」

明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。
まず新年1回目は、昨年から今年への変わり目の話。
 
12月31日
妻と戸田のそば店で生のそばを買い、板橋で一人暮らしをしている叔母(一昨年他界した義母の妹)の家へ(「私はアレルギーでそばは食べないんだよ」と叔母に言われ、なんとなくそんな気はしたんだけど、あまりにも叔母のことがわかっていない自分に愕然としました)。その後、私の実家へ行き、紅白歌合戦(これという見所、聞き所はなかったけれど、鶴瓶の司会でやや雰囲気が変わったかなと率直に思いました。でも、小林幸子の衣装?にはもう飽きました)を見ながら、年越しそばを食べる。年が明けて、除夜の鐘が鳴る中、自宅へ。
 
1月1日
普段よりはゆっくり起きて、雑煮(浦和近辺の雑煮は醤油味のシンプルなもの。こういうところに育ってきた環境が出るもので、私の作る雑煮は、鶏肉、小松菜、なると、八頭を入れた醤油味。餅はもちろん角餅の焼いたものを入れます。四国かどこかで、あんこの入った大福を雑煮に入れているのを見てびっくりしたことがありました)を食べる。カウンセリング研究所と陶芸教室を一応覗いて(どちらももちろん休みですが、陶芸教室がまだ南浦和にあったころ、ビル荒らしにあって数万円を盗まれたことがあったので)、調神社へ初詣。午後調神社へ行ったのは初めてでしたが、あまりの混み方にビックリ。夜中ももちろん込みますが、あれほど長い行列を見たのは初めてでした。孫も連れていたので、結局、遠くから拝んで、公園で孫を遊ばせて、おしまい。その後、再び私の実家へ。
実家でも雑煮が出てきたけれど、母曰く「お父さんがいなくなったから、東京の(「東京」というのは早稲田にある母の実家のことで、祖母が富山の人なので、大根や人参、そしてブリの入った具だくさんの雑煮)にしたんだ」ということで、いつもの年とは違った雑煮になっていました。深谷から来ていた妹の家族と母と一緒に実家にいる弟はすでに食べたらしく、「みんなよく食べたからもうあんまりないけど」と言いながら母は私に「東京の雑煮」を勧めました。実は私は魚が入った汁物というのは、あまり好きではなく、ほとんど食べないということを母は知らないみたいでした。一時いろいろあって家を出ていたとはいえ、「おいおい、もう50歳になる息子だぜ」という感じです。おそらく母の意識の中では「自分が食べてきた雑煮が一番美味しい」という勝手な論理が働いていて、私が浦和で生まれ、浦和で育った、根っからの浦和っ子なんだということを理解できていないんでしょう。私と父とはずいぶん仲が悪いように周りには映っていたようですが、そういう点では、ことごとく父のやり方というか、好みというか、踏襲しているように思います。父は、ブリの入った雑煮を「生臭い」と言って好みませんでした。2年くらい前から父がやや呆け始め、昨年父を亡くしてみると、何につけても父のやり方を踏襲している自分に気付きます。それが文化ということなんでしょうね。もちろん雑煮の具と味付けは譲れないものがあります。妻は、母に勧められ母の作った東京の雑煮を「美味しいですねえ」とお世辞(?)を言いながら食べていましたが、私はまったく食べませんでした。「自分が食べてきた雑煮が一番美味しい」と思っている母には、なぜ私が雑煮を食べなかったかなんて、まったくわかっていないと思います。
2007年から2008年にかけてはそんな具合でした。毎年毎年、同じようなことをしているわけですけれど、何で毎年同じようなことをやっているのかなあとつくづく考えてみると、こういうこと全てが親から子へ、子から孫へという文化の伝承なのだと思います。特別、文化を大事にしようという意識があるわけではないけれど、何気ない日常の中に文化の伝承はあるんですよね。そういったものが消えていってしまう世の中は、子どもの心から優しさを奪ってしまうのだろうと思います。
2007年は子どもが絡んだ暗い事件がたくさんありました。2008年は、どうか子どもたちが幸せに暮らせる1年でありますように!
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

| | | コメント (0)

2022年6月13日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第289回「インフルエンザの予防接種を初めて打ってみました」

今年、初めてインフルエンザの予防接種を受けてみました。インフルエンザの予防接種は、副作用の危険がある上、効かないというもっぱらの定説で、大阪赤十字病院小児科医師の山本英彦氏や子どもの健康相談などでも有名な毛利子来(たねき)氏を始め、予防接種そのものの中止を求めている方々や団体も数多くあります。
(http://www.ne.jp/asahi/kr/hr/vtalk/infl_appeal0311.htm)
医療に関する考え方は、人それぞれで、発熱の場合でも、どの程度の熱がどれくらいの期間続いたら、薬を使って下げるかという判断も、医師によってもまちまちです。もちろん、名のあるような重病がはっきりしている場合は別として、風邪やインフルエンザといった症状の場合は、とても難しい判断を迫られます。脳炎や脳症も、インフルエンザそのものより、圧倒的に解熱剤が原因ということも言われており、子どもへの薬の使用は、極力慎重であるべきことは言うまでもありません。
11月28日配信のロイター通信の記事でも、ワクチンよりも手洗い、マスクの有効性を伝えており、ネット上のフリー百科事典『ウィキペディア』にも、
「一般的な方法として最も効果が高いのはワクチンの接種であると言われていた。しかし2007年11月28日、ロイター通信社の配信ではインフルエンザや新型肺炎(SARS)などの呼吸器系ウイルスの感染を予防するには、薬よりも手洗いやマスクの着用といった物理的な方法が効果的との可能性を示す研究結果が明らかになった。国際的な科学者チームが51の研究結果を精査。所見を英医学会会報で発表した。研究チームでは「山のような証拠は、ワクチンや抗ウイルス薬がインフルエンザの感染を予防するのに不十分であることを示した」として、国の流行病対策プランはより簡単で安価な物理的手段に重点を置くべきだと提言している。」と記載されています。
そういうことを考えると、インフルエンザ予防接種の有効性といったものに対しては、疑いを持たざるを得ませんね。もちろん、有効性を示すデータというのは存在するわけですが、データの採り方そのもの(作為があるという意味で)に疑問を呈している人たちも多く、やはり少なくとも子どもには打たない方が無難ということでしょうか。
そんな考えの中で私が今年予防接種を受けたのは、「もし、効いたらラッキー!」という程度のことです。ある意味、人体実験とも言えなくはないですが、私の仕事も妻の仕事も身体が資本。特に妻のやっているカウンセリングは、妻でないとできないことがほとんどで、もし、インフルエンザで何日か寝込むことになれば、その分売上に響くのはもちろん、万一クライエントさんやカウンセラー資格取得講座にお見えの研修生の皆さんに移してしまったら大変です。私の陶芸教室の方はと言えば、私自身のインフルエンザが妻ほど売上に影響することはありませんが、70代、80代の会員さんも多く、年輩の会員さんが重いインフルエンザや肺炎とかいうことにでもなれば、命にも関わってしまうことだってあります。そんな状況の中でも、基本的に休みはないし、私がいないと困ることもあるので、去年や一昨年などは、点滴をしながら仕事をしていたなんていうこともありました。
有効性を信じていないにもかかわらず、「もし効いたら…」なんて、矛盾だらけですが、ほんのわずかな期待を込めて、打ってみたというわけです。
問診票の裏を読んでサインをするよう書いてあるので、問診票の裏に目を通すと、とにかく副作用のことが延々と書いてある。これだけのことを読んでも、あなたは予防接種をしますか?ということなんでしょう。副作用については充分に説明はしましたよ、それでも打つって決めたのはあなたですよっていうことなんですね。私は、そこをビクビクしながらクリアして打ったわけですが、とりあえず私には副作用は出なかったようです。
卵とゼラチンにアレルギーのある方は要注意とか。私はいろいろなアレルギーを持っていますが、卵とゼラチンは大丈夫なんですよね、幸いなことに。
もし家族中が罹っても私がインフルエンザにならなければ、来年は妻も打つことになるのかな? まあ、人体実験はあまりしない方がいいですよね。もし効いたとしても、孫たちに打つことはないと思います。
ドイツでバレエダンサーをしている努がまだ小さいころ、ペニシリンの注射を打ったことがありました。アレルギーがあるとはまったく思えなかったにもかかわらず、腕は腫れ、大きなしこりがかなり長い間消えませんでした。私も、まったくアレルギーはないと思っていたのに、10数年前に花粉症が発症してからというもの、スギ、ヒノキはもちろん、切り花もダメ、ポプリ、アロマ、ハーブもダメ。アレルギーの怖さは充分に知り尽くしたので、今年は大変なリスクを冒してしまいましたが、孫たちにだけは、大きなリスクは背負わせたくありません。
肝炎訴訟の解決が長引く中、国には製薬会社の利益を優先させることなく、国民の安全に対する最大限の配慮をしてほしいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

2022年4月29日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第262回「父子家庭の増加」

「おまえ、今どんな生活してんの?」
「ん、オレ? オレはね、息子と二人暮らし。高校生の息子と二人で住んでんだよ。息子ってかわいいよなあ。ほんと、もうかわいくってさあ!」
「!? ほんとに高校生の息子と二人で住んでるの?」
「ん、そうだよ。ずっと。もう10年かな」
「父子家庭?」
「そう」
「なんで?」
「んー、なんでって言われてもなあ…。別れちゃったからさあ。子ども渡すのイヤじゃん。やっぱさあ、育てたいじゃん。オレの子だよ。それに、なんかさあ、奥さん、子ども育てたくなさそうだったんだよなあ。だから、引き取ったんだ。でもね、最近親離れって言うかなあ、そろそろもう大人だろっ。ちょっと寂しいよ。けっこう仲のいい親子なんだぜ」
「へーっ! おまえってさあ、高校時代から変なやつだったけど、ますます変なやつになってるなあ!」
「そう? オレはオレ。昔からそうだったんじゃん。あんまり、変わってねえよ」
今から4年ほど前のことです。20数年ぶりに会った同級生のK君から、一人で息子を育てているという話を聞きました。彼は、高校1年生の時のクラスメイトで、特別仲がいいというほどの関係かと言えば、そういうわけではありませんが、どういうわけか話をしていると、気持ちがスッと通じるところがあると言うか、そんな感じの変な友人です。私は、自分から積極的に“友達を作りにいく”というような性格ではないので、男友達と一緒に何かをしたという経験は皆無なのですが、このK君とだけは、高校1年生の時参加した伊豆大島への地学巡検(火山や地質、地層などの学習のため、地学の授業の一環として1年生の希望者が参加して毎年行われていた学校行事)で、丸3日というもの自由に行動できる時間は、すべて二人で行動していたという経験があります。牧場で牛乳を飲んだり、整髪に使う椿油を買ったり、三原山を二人で駆け下りたり、溶岩の色が反射して真っ赤に染まった雲を眺めたり…。今から30年以上も前のことですが、私はあまりそういう付き合い方をする方ではないだけに、大島で過ごした3日間は今でもよく覚えています。
その頃は、別にそれほど仲がいいというわけではないのに、どうして気持ちが通じるのかよくわかりませんでしたが、父子家庭で長く過ごしているという彼の話を聞いて、「子どもに対する思い」という点で、かなり価値観の近い部分があって、そういうところが私と彼をつなげているんだなあと、えらく納得がいきました。
彼の話は4年前のことですが、昨日(10日)ネットに、「『シングルファーザー』急増のわけ」というタイトルのニュースが流れてきました。総務省のデータによると、幼い子どもを抱える49歳までのシングルファザーは、05年に20万3000人で、00年からの5年間で、1万2000人も増えたそうです。
理由は、離婚が15万7000人、死別2万7000人、未婚1万9000人。もちろん離婚が最も多いわけですが、“未婚の父”がこの5年間で4割以上も増えたそうです。
“未婚の母”っていう言葉はよく使うけれど、“未婚の父”とは…。
シングルファザー支援に取り組む横須賀市議の藤野英明氏は、
「育児放棄が社会問題となっているように、子育てできない女性が増えているのが大きい。私がかかわった共働きの公認会計士とスッチー夫婦は、妻が『子育てにのめり込めない』と言い出したため離婚した。また、男性にも『パートナーはいらないけど、子どもはほしい』という考えが広がっているせいもあるでしょう」と言っているそうです。
私のあまり好きではない本に「父性の復権」なんていうのがあったけれど、近いうちに「母性の復権」なんていう本が登場するかも…。いやいや、もしかして、もうある?
今、ネットで調べたらもうありました! もっとも、「父性の復権」も「母性の復権」も“林道義”著でしたが。
私は、母親が失ってしまった母性を父親が補うのは大いにけっこうと思います。けれども、子どもを一人の人間として扱わず、まるでペットのように扱う母親のように、子どもを一人の人間として扱わず、まるでペットのように扱う父親が増えてしまうことを懸念しています。両親揃って子育てができることに越したことはないけれど、様々な事情で一人親家庭になってしまった場合でも、大人のエゴによって、子どもが不幸になることがないよう子どもの権利をしっかりと守った子育てをしたいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第259回「再び、赤ちゃんポスト」

毎週日曜日になると、どんな話題を取り上げようかと迷います。基本的に、月曜日の朝8時半までに原稿をテキストファイルで商工会議所の担当者の方にお送りしているのですが、何らかの事情で遅れてしまう(ある時は外出先で電波の状態が悪く送信できなかったり、ある時はメールに原稿のファイルを添付し忘れたり…ということがこれまでにもあったんですけど)と穴があいてしまうことになるので、極力入稿の遅れだけはしないようにしています。以前に「一週間前に送ってほしい」(来週の分を今週に)というお話もあったのですが、毎週の連載エッセイという性質上、話題はできるだけタイムリーにと思い、結局、月曜日の入稿直前に原稿を仕上げることにしています。
ここのところ、取り上げたいことがたくさんあり過ぎて困ります。その都度取り上げてはきているつもりですが、教育改革、代理出産、離婚後300日問題、少年犯罪、いじめ・不登校、子どものうつ、子どもの自殺、子どもの虐待、赤ちゃんポスト…。
明るい話題がないことがとても残念です。本来なら一つ一つを丁寧に取り上げ、数回にわたって述べた方がいいのかもしれないのですが、そういう余裕もないくらい様々なことが起こります。ここ数日でも、赤ちゃんポストへの3歳児の遺棄、母親殺害事件。それと時を同じくして教育改革関連3法案が衆議院を通過したのも何かの巡り合わせでしょうか。
母親殺害事件にも触れてみたいのですが、まだ事件の概要がはっきりしてこないので、あらためて。
今日は再び、赤ちゃんポスト。
赤ちゃんポストへの3歳児の遺棄は、慈恵病院にとっても想定外のことだったようですが、この程度のことが想定外であったということが、そもそも問題なのだろうと思います。私は、この連載の第248回で『ポストがなければ捨てられないのに、ポストがあるから捨てられるということは起こるでしょう。それを「ポストのせいだ」と証明するのは難しいことですけれど。慈恵病院は「ポストがなければ、この子は死んでいたかもしれない」というような言い方をして、ポストに入れられる子が多ければ多いほど、ポストの正当性を主張するのだろうと思います。ポストがなかったら、捨てられないですんでいたかもしれない赤ちゃんなのに…。』と述べました。3歳児というのは、この時点での私にとってもちょっと「想定外」ではあったのですが、今回の件は、「ポストがなければ捨てられない」というのは、ほぼ間違いなかったのではないかと思います。そして、“言葉をしゃべれる”3歳児であったために、「ポストがなければ、死んでいたかもしれない」といういかにも正当なような慈恵病院の主張もできませんでした。
もちろん「育てられないと思っている両親に育てられることが幸せか」という議論はあるでしょう。けれどもそれでは、「両親に捨てられて育ったということが幸せか」ということになってしまいます。
私たちが考えなくてはいけないのは、「両親の元で育てられるような環境を社会がどう提供するか」ということです。私は、どこまでもどこまでもそういう方向で努力をすること以外に、社会の取るべき道はないと考えています。「それでは死んでいく子どもは救えない」という人がいるかもしれませんが、だからといって「子どもを棄てる」という行為が正当化されるわけではないのです。「子どもを死なせない努力」というのは結局のところ「子どもを棄てさせない努力」なのです。だとすれば、「棄てる場所」が必要なわけはありません。
ドイツで暮らしている息子が6月か7月に一時帰国することになっています。ドイツでは「赤ちゃんポスト」が社会的にどう見られているのかを聞いてみようとは思いますが、先日見たテレビの報道は、慈恵病院の認可の前の報道とはかなり隔たりのあるものだったのに、びっくりしました。認可前には、ドイツではあたかも赤ちゃんポストが社会的に受け入れられているような報道(慈恵病院の会見での内容がそうなっていたということかもしれませんが)が先行していましたが、3歳児がポストに入れられてからのドイツでの街頭インタビューでは、設置自体を知っている人がほとんどおらず、しかも設置についての意見も賛成、反対で2分しているようでした。さらに、ポスト設置を周知させるためのキャンペーンを賛成派のグループが企画したところ、遺棄を助長するということでキャンペーン自体が中止に追い込まれたという報道もありました。
どちらが正しいのか息子によく聞いてみようとは思います。まあ、ドイツの状況がどうであれ、私の考えが変わるわけではないのですが…。
安易に救いの手を差しのべることで、生まれなくてもすむ不幸な子どもたちを増やすのではなく、本来私たちが行わなければならない救いの手を差しのべて、一人でも不幸な境遇に置かれる子どもたちを減らしたいものです。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧