2022年6月13日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第289回「インフルエンザの予防接種を初めて打ってみました」

今年、初めてインフルエンザの予防接種を受けてみました。インフルエンザの予防接種は、副作用の危険がある上、効かないというもっぱらの定説で、大阪赤十字病院小児科医師の山本英彦氏や子どもの健康相談などでも有名な毛利子来(たねき)氏を始め、予防接種そのものの中止を求めている方々や団体も数多くあります。
(http://www.ne.jp/asahi/kr/hr/vtalk/infl_appeal0311.htm)
医療に関する考え方は、人それぞれで、発熱の場合でも、どの程度の熱がどれくらいの期間続いたら、薬を使って下げるかという判断も、医師によってもまちまちです。もちろん、名のあるような重病がはっきりしている場合は別として、風邪やインフルエンザといった症状の場合は、とても難しい判断を迫られます。脳炎や脳症も、インフルエンザそのものより、圧倒的に解熱剤が原因ということも言われており、子どもへの薬の使用は、極力慎重であるべきことは言うまでもありません。
11月28日配信のロイター通信の記事でも、ワクチンよりも手洗い、マスクの有効性を伝えており、ネット上のフリー百科事典『ウィキペディア』にも、
「一般的な方法として最も効果が高いのはワクチンの接種であると言われていた。しかし2007年11月28日、ロイター通信社の配信ではインフルエンザや新型肺炎(SARS)などの呼吸器系ウイルスの感染を予防するには、薬よりも手洗いやマスクの着用といった物理的な方法が効果的との可能性を示す研究結果が明らかになった。国際的な科学者チームが51の研究結果を精査。所見を英医学会会報で発表した。研究チームでは「山のような証拠は、ワクチンや抗ウイルス薬がインフルエンザの感染を予防するのに不十分であることを示した」として、国の流行病対策プランはより簡単で安価な物理的手段に重点を置くべきだと提言している。」と記載されています。
そういうことを考えると、インフルエンザ予防接種の有効性といったものに対しては、疑いを持たざるを得ませんね。もちろん、有効性を示すデータというのは存在するわけですが、データの採り方そのもの(作為があるという意味で)に疑問を呈している人たちも多く、やはり少なくとも子どもには打たない方が無難ということでしょうか。
そんな考えの中で私が今年予防接種を受けたのは、「もし、効いたらラッキー!」という程度のことです。ある意味、人体実験とも言えなくはないですが、私の仕事も妻の仕事も身体が資本。特に妻のやっているカウンセリングは、妻でないとできないことがほとんどで、もし、インフルエンザで何日か寝込むことになれば、その分売上に響くのはもちろん、万一クライエントさんやカウンセラー資格取得講座にお見えの研修生の皆さんに移してしまったら大変です。私の陶芸教室の方はと言えば、私自身のインフルエンザが妻ほど売上に影響することはありませんが、70代、80代の会員さんも多く、年輩の会員さんが重いインフルエンザや肺炎とかいうことにでもなれば、命にも関わってしまうことだってあります。そんな状況の中でも、基本的に休みはないし、私がいないと困ることもあるので、去年や一昨年などは、点滴をしながら仕事をしていたなんていうこともありました。
有効性を信じていないにもかかわらず、「もし効いたら…」なんて、矛盾だらけですが、ほんのわずかな期待を込めて、打ってみたというわけです。
問診票の裏を読んでサインをするよう書いてあるので、問診票の裏に目を通すと、とにかく副作用のことが延々と書いてある。これだけのことを読んでも、あなたは予防接種をしますか?ということなんでしょう。副作用については充分に説明はしましたよ、それでも打つって決めたのはあなたですよっていうことなんですね。私は、そこをビクビクしながらクリアして打ったわけですが、とりあえず私には副作用は出なかったようです。
卵とゼラチンにアレルギーのある方は要注意とか。私はいろいろなアレルギーを持っていますが、卵とゼラチンは大丈夫なんですよね、幸いなことに。
もし家族中が罹っても私がインフルエンザにならなければ、来年は妻も打つことになるのかな? まあ、人体実験はあまりしない方がいいですよね。もし効いたとしても、孫たちに打つことはないと思います。
ドイツでバレエダンサーをしている努がまだ小さいころ、ペニシリンの注射を打ったことがありました。アレルギーがあるとはまったく思えなかったにもかかわらず、腕は腫れ、大きなしこりがかなり長い間消えませんでした。私も、まったくアレルギーはないと思っていたのに、10数年前に花粉症が発症してからというもの、スギ、ヒノキはもちろん、切り花もダメ、ポプリ、アロマ、ハーブもダメ。アレルギーの怖さは充分に知り尽くしたので、今年は大変なリスクを冒してしまいましたが、孫たちにだけは、大きなリスクは背負わせたくありません。
肝炎訴訟の解決が長引く中、国には製薬会社の利益を優先させることなく、国民の安全に対する最大限の配慮をしてほしいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年4月29日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第262回「父子家庭の増加」

「おまえ、今どんな生活してんの?」
「ん、オレ? オレはね、息子と二人暮らし。高校生の息子と二人で住んでんだよ。息子ってかわいいよなあ。ほんと、もうかわいくってさあ!」
「!? ほんとに高校生の息子と二人で住んでるの?」
「ん、そうだよ。ずっと。もう10年かな」
「父子家庭?」
「そう」
「なんで?」
「んー、なんでって言われてもなあ…。別れちゃったからさあ。子ども渡すのイヤじゃん。やっぱさあ、育てたいじゃん。オレの子だよ。それに、なんかさあ、奥さん、子ども育てたくなさそうだったんだよなあ。だから、引き取ったんだ。でもね、最近親離れって言うかなあ、そろそろもう大人だろっ。ちょっと寂しいよ。けっこう仲のいい親子なんだぜ」
「へーっ! おまえってさあ、高校時代から変なやつだったけど、ますます変なやつになってるなあ!」
「そう? オレはオレ。昔からそうだったんじゃん。あんまり、変わってねえよ」
今から4年ほど前のことです。20数年ぶりに会った同級生のK君から、一人で息子を育てているという話を聞きました。彼は、高校1年生の時のクラスメイトで、特別仲がいいというほどの関係かと言えば、そういうわけではありませんが、どういうわけか話をしていると、気持ちがスッと通じるところがあると言うか、そんな感じの変な友人です。私は、自分から積極的に“友達を作りにいく”というような性格ではないので、男友達と一緒に何かをしたという経験は皆無なのですが、このK君とだけは、高校1年生の時参加した伊豆大島への地学巡検(火山や地質、地層などの学習のため、地学の授業の一環として1年生の希望者が参加して毎年行われていた学校行事)で、丸3日というもの自由に行動できる時間は、すべて二人で行動していたという経験があります。牧場で牛乳を飲んだり、整髪に使う椿油を買ったり、三原山を二人で駆け下りたり、溶岩の色が反射して真っ赤に染まった雲を眺めたり…。今から30年以上も前のことですが、私はあまりそういう付き合い方をする方ではないだけに、大島で過ごした3日間は今でもよく覚えています。
その頃は、別にそれほど仲がいいというわけではないのに、どうして気持ちが通じるのかよくわかりませんでしたが、父子家庭で長く過ごしているという彼の話を聞いて、「子どもに対する思い」という点で、かなり価値観の近い部分があって、そういうところが私と彼をつなげているんだなあと、えらく納得がいきました。
彼の話は4年前のことですが、昨日(10日)ネットに、「『シングルファーザー』急増のわけ」というタイトルのニュースが流れてきました。総務省のデータによると、幼い子どもを抱える49歳までのシングルファザーは、05年に20万3000人で、00年からの5年間で、1万2000人も増えたそうです。
理由は、離婚が15万7000人、死別2万7000人、未婚1万9000人。もちろん離婚が最も多いわけですが、“未婚の父”がこの5年間で4割以上も増えたそうです。
“未婚の母”っていう言葉はよく使うけれど、“未婚の父”とは…。
シングルファザー支援に取り組む横須賀市議の藤野英明氏は、
「育児放棄が社会問題となっているように、子育てできない女性が増えているのが大きい。私がかかわった共働きの公認会計士とスッチー夫婦は、妻が『子育てにのめり込めない』と言い出したため離婚した。また、男性にも『パートナーはいらないけど、子どもはほしい』という考えが広がっているせいもあるでしょう」と言っているそうです。
私のあまり好きではない本に「父性の復権」なんていうのがあったけれど、近いうちに「母性の復権」なんていう本が登場するかも…。いやいや、もしかして、もうある?
今、ネットで調べたらもうありました! もっとも、「父性の復権」も「母性の復権」も“林道義”著でしたが。
私は、母親が失ってしまった母性を父親が補うのは大いにけっこうと思います。けれども、子どもを一人の人間として扱わず、まるでペットのように扱う母親のように、子どもを一人の人間として扱わず、まるでペットのように扱う父親が増えてしまうことを懸念しています。両親揃って子育てができることに越したことはないけれど、様々な事情で一人親家庭になってしまった場合でも、大人のエゴによって、子どもが不幸になることがないよう子どもの権利をしっかりと守った子育てをしたいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第259回「再び、赤ちゃんポスト」

毎週日曜日になると、どんな話題を取り上げようかと迷います。基本的に、月曜日の朝8時半までに原稿をテキストファイルで商工会議所の担当者の方にお送りしているのですが、何らかの事情で遅れてしまう(ある時は外出先で電波の状態が悪く送信できなかったり、ある時はメールに原稿のファイルを添付し忘れたり…ということがこれまでにもあったんですけど)と穴があいてしまうことになるので、極力入稿の遅れだけはしないようにしています。以前に「一週間前に送ってほしい」(来週の分を今週に)というお話もあったのですが、毎週の連載エッセイという性質上、話題はできるだけタイムリーにと思い、結局、月曜日の入稿直前に原稿を仕上げることにしています。
ここのところ、取り上げたいことがたくさんあり過ぎて困ります。その都度取り上げてはきているつもりですが、教育改革、代理出産、離婚後300日問題、少年犯罪、いじめ・不登校、子どものうつ、子どもの自殺、子どもの虐待、赤ちゃんポスト…。
明るい話題がないことがとても残念です。本来なら一つ一つを丁寧に取り上げ、数回にわたって述べた方がいいのかもしれないのですが、そういう余裕もないくらい様々なことが起こります。ここ数日でも、赤ちゃんポストへの3歳児の遺棄、母親殺害事件。それと時を同じくして教育改革関連3法案が衆議院を通過したのも何かの巡り合わせでしょうか。
母親殺害事件にも触れてみたいのですが、まだ事件の概要がはっきりしてこないので、あらためて。
今日は再び、赤ちゃんポスト。
赤ちゃんポストへの3歳児の遺棄は、慈恵病院にとっても想定外のことだったようですが、この程度のことが想定外であったということが、そもそも問題なのだろうと思います。私は、この連載の第248回で『ポストがなければ捨てられないのに、ポストがあるから捨てられるということは起こるでしょう。それを「ポストのせいだ」と証明するのは難しいことですけれど。慈恵病院は「ポストがなければ、この子は死んでいたかもしれない」というような言い方をして、ポストに入れられる子が多ければ多いほど、ポストの正当性を主張するのだろうと思います。ポストがなかったら、捨てられないですんでいたかもしれない赤ちゃんなのに…。』と述べました。3歳児というのは、この時点での私にとってもちょっと「想定外」ではあったのですが、今回の件は、「ポストがなければ捨てられない」というのは、ほぼ間違いなかったのではないかと思います。そして、“言葉をしゃべれる”3歳児であったために、「ポストがなければ、死んでいたかもしれない」といういかにも正当なような慈恵病院の主張もできませんでした。
もちろん「育てられないと思っている両親に育てられることが幸せか」という議論はあるでしょう。けれどもそれでは、「両親に捨てられて育ったということが幸せか」ということになってしまいます。
私たちが考えなくてはいけないのは、「両親の元で育てられるような環境を社会がどう提供するか」ということです。私は、どこまでもどこまでもそういう方向で努力をすること以外に、社会の取るべき道はないと考えています。「それでは死んでいく子どもは救えない」という人がいるかもしれませんが、だからといって「子どもを棄てる」という行為が正当化されるわけではないのです。「子どもを死なせない努力」というのは結局のところ「子どもを棄てさせない努力」なのです。だとすれば、「棄てる場所」が必要なわけはありません。
ドイツで暮らしている息子が6月か7月に一時帰国することになっています。ドイツでは「赤ちゃんポスト」が社会的にどう見られているのかを聞いてみようとは思いますが、先日見たテレビの報道は、慈恵病院の認可の前の報道とはかなり隔たりのあるものだったのに、びっくりしました。認可前には、ドイツではあたかも赤ちゃんポストが社会的に受け入れられているような報道(慈恵病院の会見での内容がそうなっていたということかもしれませんが)が先行していましたが、3歳児がポストに入れられてからのドイツでの街頭インタビューでは、設置自体を知っている人がほとんどおらず、しかも設置についての意見も賛成、反対で2分しているようでした。さらに、ポスト設置を周知させるためのキャンペーンを賛成派のグループが企画したところ、遺棄を助長するということでキャンペーン自体が中止に追い込まれたという報道もありました。
どちらが正しいのか息子によく聞いてみようとは思います。まあ、ドイツの状況がどうであれ、私の考えが変わるわけではないのですが…。
安易に救いの手を差しのべることで、生まれなくてもすむ不幸な子どもたちを増やすのではなく、本来私たちが行わなければならない救いの手を差しのべて、一人でも不幸な境遇に置かれる子どもたちを減らしたいものです。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年3月21日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第255回「代理出産」

最近の出産医療の現場にはとても強い懸念を持っています。
大きく取り上げられるようになったのは、やはり高田延彦、向井亜紀夫妻の代理出産の件からだと思います。
つい先日も、最高裁判決がありました。
「タレントの向井亜紀さん(42)夫妻が米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子の男児(3)について、夫妻を両親とする出生届けを東京都品川区が受理しなかったことの是非が問われた裁判で、最高裁第2小法廷は23日、受理を区に命じた東京高裁決定を破棄し、出生届受理は認められないとする決定をした。
 古田佑紀裁判長は「現行の民法では、出生した子の母は懐胎・出産した女性と解さざるを得ず、代理出産で卵子を提供した女性との間に母子関係は認められない」とする初判断を示した。向井さん夫妻側の敗訴が確定した。(3月24日 読売新聞)

もう少し最高裁判決を詳しく見てみると、
「実親子関係は,身分関係の中でも最も基本的なものであり,様々な社会生活上の関係における基礎となるものであって,単に私人間の問題にとどまらず,公益に深くかかわる事柄であり,子の福祉にも重大な影響を及ぼすものであるから,どのような者の間に実親子関係の成立を認めるかは,その国における身分法秩序の根幹をなす基本原則ないし基本理念にかかわるものであり,実親子関係を定める基準は一義的に明確なものでなければならず,かつ,実親子関係の存否はその基準によって一律に決せられるべきものである。したがって,我が国の身分法秩序を定めた民法は,同法に定める場合に限って実親子関係を認め,それ以外の場合は実親子関係の成立を認めない趣旨であると解すべきである。以上からすれば,民法が実親子関係を認めていない者の間にその成立を認める内容の外国裁判所の裁判は,我が国の法秩序の基本原則ないし基本理念と相いれないものであり,民訴法118条3号にいう公の秩序に反するといわなければならない。」
と述べています。
最高裁判所としては、「単に私人間の問題にとどまらず,公益に深くかかわる事柄であり,子の福祉にも重大な影響を及ぼすものである」ということが大変重要なわけで、大変良識的な判決であったと思います。
私のように子どもがいたり、孫がいたりするような者には、不妊の問題を語るのは大変難しいのですが、生殖医療の問題も含め、強く懸念しているのは、代理出産や生殖医療が、大きくお金と関わっていること、子どもができるということばかりが前面に出て、危険を伴うことだという報道が非常に少ないこと、子どもができないということがまるで犯罪被害者や交通事故の被害者のように「かわいそう」といった悲劇のヒロインに祭り上げられている(今は「かわいそうな女性」となっていますが、これが行き過ぎると「子どもを産めない女は女ではない」となりかねないと心配しています。1月の「女性は産む機械」という柳沢発言などとも重なって…)ことなどです。
最近の生殖医療の報道を見ていると、産む側あるいは親になる側の権利というか選択というか、そういうことを大きく報じ、「かわいそうだから救ってあげよう」という雰囲気を必要以上に演出しているように感じます。もちろん報道にだけ言えることではなく、世論の方向もそちらに傾きかけている。けれども、子どもが生まれ育つということの中心は、子どもであって、親の満足ではないはず。どうもそこの根幹部分が抜け落ちて、まるでペットを飼うとか、ぬいぐるみや人形をかわいがるというような感覚で、子どものことが語られているようにさえ感じます。
昨日(15日)、「体外受精による妊娠は妊娠異常が多い」という報道がありました。産婦人科学会でもさまざまな意見がある中、何が正確で、何が公平な発表・報道なのかということも、われわれには判断しにくい部分はありますが、単純に感情に惑わされることなく、子育ての本質を忘れないようにしたいものだと思います。
やはり、出産・子育ての主役は親ではなく、あくまで子どもなのですから。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第254回「砂場の檻」

4月8日(日)は、統一地方選。私の住んでいる川口市では、埼玉県議会議員選挙が実施されました。投票所は、子どもたちが通った小学校の隣にある公民館。
小学校と公民館の敷地は、小さな鉄の扉でつながっていて、行き来は自由。公民館で何か行事が開催され、子どもたちが公民館に集まっているときなどは、その小さな扉を行ったり来たりしながら、子どもたちは遊んでいました。
「蓮、沙羅。おまえたちも、一緒に選挙に行く?」
「うん!」
いよいよ来年の4月には、孫の蓮も小学生。最近、小学校に強い関心を示すので、「選挙にでも連れて行きがてら、小学校も見せてやろうかな」などと老婆心を働かせ、一緒に公民館まで連れて行くことになりました。
投票が終わって、投票所になっているホールを出たあと、公民館の庭から小さな鉄の扉を通って、小学校の校庭に入ってみました。扉を入ったところは、プールになっていて、フェンス越しにプールに貯めてある水も見えます。
蓮、沙羅の母親の麻耶は、
「懐かしいなあ。ママはこのプールに入ったんだよ」
と、蓮と沙羅に話しかけます。少し前からスイミングスクールに通い始めた蓮と沙羅は、最近ではなんとか水に顔をつけられるようになり、ほんのちょっとだけ自信が付いたらしく、
「このプール入りたい!」
「蓮くん、このプールに入りたいんだぁ?」
「うん!」
「そうかぁ。今は入れないけど、来年は、蓮くんも小学生だから、来年の夏は、このプールに入れるよ。沙羅ちゃんも、その次の年には入れるからね」
「うん!」
「さて、来た道を帰るんじゃあおもしろくないから、こっちの道から帰る?」
と私が言ったときには、蓮はもうすでに来た道をどんどん戻りはじめていました。
「私と自転車で買い物に来るときは、いつも行きも帰りも今来た道を通るんだよ。だから、蓮は、他の道で帰れるって知らないんじゃないかなあ? ほら、来年ね、通学路をよく知ってる方がいいかなって。だから、いつも同じ道を通ることにしてるんだよ」と麻耶が言いました。
「ああ、そういうことね。じゃあいいよ、来た道を帰れば」
小学校の正門の前を右に曲がると、あとはわが家のマンションまで真っ直ぐです。
蓮は、私たちよりもはるか前を、どんどん家に向かって歩いています。
「蓮くーん! パンダ公園で少し遊んでいこうか?」
妻が前を行く蓮に声をかけました。
「うーん!」
元気な返事が返ってきました。
小学校の正門の前にあるパンダ公園には、おじいさんが3人、子どもが3人遊んでいました。おじいさんたちは、ゲートボールの練習をしています。子どもたちは、自転車にまたがり、話をしていました。公園の入り口の正面には、大人の腰くらいの高さに焦茶色のフェンスで囲んだたたみ2畳分ほどの場所がありました。久しぶりにパンダ公園に来た私は、その囲いを初めて見ました。
『ペットの糞害から守るため、フェンスをしてあります。中に入ったとき、外に出たときは、入り口を閉めてください』
とあります。
中に入った沙羅が、
「じいちゃん、お山作ろう!」
と言いました。幼稚園のお迎えに行ったとき、幼稚園の近くの公園で、よく一緒に「お山」を作ります。沙羅は、それと同じように、私と一緒に「お山」を作ろうとしたのですが、とても私が一緒に入って「お山」を作るスペースはありません。
「じいちゃんも作りたいけど、じいちゃん入るには、ちょっと狭いんだよ、沙羅ちゃん」
沙羅が「お山」を作るしばらくの間、動物園で動物をフェンス越しに見るように、沙羅を眺めていました。
孫と一緒に家を出、投票をし、公園に来るまでの間、とても温かい心でいたのですが、フェンスの中にいる沙羅の姿を見たとたん、まるで大きな氷を飲み込んだときのように、私の体の中をとても冷たいものが上から下へと広がっていくのがわかりました。
「夕方になると、犬を連れてきて、放す人がいるんだよ。そりゃあ、確かに大きな犬じゃないよ。それに飼い主は、噛まないと思ってるんだろうけど、小さい子どもたちは、遊べなくなっちゃうんだよ。噛まないまでも、小さい子に飛びつくことだってあるし…」
沙羅は、とっても楽しそうに「お山」を作って、フェンスから出てきました。
蓮は、ブランコに乗っています。
「じぃーちゃーん! ほらっ、一人でこげるようになったんだよぉ!」
大きく揺れるブランコの上で、蓮は得意そうに笑っていました。
我が家のあるマンションの前まで来ると、蓮と沙羅が言いました。
「じいちゃん、またパンダ公園、行こうね!」
「うん、行こうね」
私は、答えました。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第253回「日本の親と中国・韓国の親 その3」

さて、3回目でやっと各論まで行き着きました。
「その1」でも述べたとおり、産経新聞の意図は、「日本の子どもたちは親のしつけがなっていなくて、子どもたちの中にいじめを容認する風土がある」っていうことですよね。もちろんそれは、日本青少年研究所の調査の意図ともつながるわけです。
「日本の小学生は中国や韓国に比べて家庭で注意を受ける割合が際立って低い」「家庭での教育力の低さが浮き彫りになっている」「最近の日本の親は、親と子は別個の存在と考える米国型の価値観に変化してきているため、子供に注意をしないのではないか」「「先生・親の言うことをよく聞きなさい」とよく言われる子供は2割前後で、両国の半分。先生と親の権威低下がうかがえた」などなど、日本は子どもを甘やかしている、と…。
私は、必ずしもそうは言えないと思うんです。注目する質問の項目がどこかということ、加えてその結果をどう見るかということで、それに対する評価が違ってきます。典型は「先生・親の言うことをよく聞きなさい」なんていう項目ですよね。「注意を受ける割合」ということを考えると、文化の違いによる「善」と「悪」の価値観はどうか、そしてその価値観に照らして「子どもたちは注意を受けるようなことをしているのか」が問題になります。まあ、ちょっと皮肉った言い方をすれば、「日本の子どもは、先生からも、親からも注意をされないくらい、いい子なのかもしれない」ということだって言えるわけでしょ。もっとも、「全体的な回答を見て判断しているんだ」といわれるかもしれませんが…。
ここで、調査項目をすべて挙げるわけにはいかないけれど、私はこの調査の結果わかったことは「中国」vs「日本・韓国」という構図だと思います。かたや今まさに経済発展をしようとしている超大国、かたや発展がある程度なされて持続的発展をどうするかという段階の、国土の小さな国という構図ですから、そういう区分けになることは当然です。
とはいえ、それも文化の違いや現在置かれている政治的状況等に埋没して、確実に言えることではないように感じますが。
教育や子育ての根底に儒教的精神が共通して流れている、日・中・韓だけを比べようというところから、すでに世界標準ということにはまったく当てはまらない、つまらない調査なわけです。もし世界的な基準で考えるとすれば、少なくとも、ヨーロッパ、北米、南米、アジア、アフリカというような比較がまずあるべきで、どうしても日・中・韓で比較をしたいのなら、それをふまえてその後に、儒教的精神に基づいた日・中・韓があるべきなんでしょうね。誰だって、今の中国の教育が厳しい国家管理の中に置かれていると感じているのではないでしょうか。今まさに、大きな経済発展を成し遂げようとしている国ということを考えれば、ある意味当然なことです。そこに、日本の教育を戻そうとしている意図が強く感じられますよね。教育の参入への規制は緩和しつつ、教育の中身への関与は強くしていこうという政府の意図までが見え見えです。教育基本法の改正や、つい先日、報道された「道徳」の教科への格上げ問題など、こういう調査に対する発表が、布石になっているわけですね。
さて具体的に調査の結果で私がおもしろいと思ったのは、「朝、洗顔をする」という問いに、「いつもする」という回答が、日本・66.9%に対し、中国・92.8%、韓国・93.7%。ところが、「その1」でもあげましたが、「朝ごはんを食べる」との問いに「いつもする」は、日本・86.3%、中国・84.7%、韓国・62.5%。単純に生活習慣と捉えていることが意外にそうでもない。
日本では、「朝食抜き」の問題が、学力低下の原因の一つとして取り上げられることがよくあります。ところが、この数字を見ると、日本が一番朝食を摂っているわけで、韓国では3分の1以上の子どもが「朝食抜き」ということになる。これを見る限りでは、「日本の子どもの学力が落ちている」ということと、「朝食抜き」は学力低下の原因というのは、矛盾してますよね。しかも「朝食抜き」の原因は、「朝食さえ作らない最近の母親」という問題になっている。
帰宅時間もおもしろい。韓国は15時前が51.4%、15時~16時が33.3%、日本は15時~16時が51.8%、16時~17時が37.0%、中国は16時~17時が44.0%、17時~18時が20.5%。この結果からすると、学校での授業時間が短いという最近の学校教育に対する批判が、必ずしも当たっていないことになる。もっとも、帰宅の時間は質問項目にあるのに、登校の時間はないのですが。
学校への遅刻についても、かなり開きがあります。日本と中国は、「全くない」が過半数なのに、韓国では、「たまにある」「ほとんどない」「全くない」で3分されています。
家庭での生活で興味深いのは、男女の役割。
家事は、日本・韓国で、ほとんど母親の負担であるのにもかかわらず、中国では「ほとんど母親」という回答は、家事のすべてにおいて約半数。どうしてこういうところを産経新聞は取り上げないんですかねえ。これは、家庭での生活を端的に表していると思うんですが。
項目数が多すぎて、すべてを取り上げるわけにはいきませんが、どこを見るかでずいぶん印象が違うもんですよね。
私は、この調査ではっきり言えることはあまりないと思いますが、強いて私流に解釈すれば、国家的な管理の中に置かれている中国に対し、もっとも自由なのが韓国。日本はというと、学校の管理が家庭にまで入り込んでいる部分があること(最近ではさらにそれを推し進めようとしているわけですが)、中国・韓国に比べて、資本主義が成熟していて、消費志向が強いということは言えるのではないかと思います。この結果から、直ちに母親や教師を批判することは到底無理。むしろ、批判されるべきは、教育や子育てにまで入り込んでいる国家の管理や子どもの心を無視した利益優先の財界主導の教育改革だと思うのですが、もしお時間があったら、すべての調査項目に目を通し、皆さんなりの判断をしてみてはいかがでしょうか。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第252回「日本の親と中国・韓国の親 その2」

さて、前回の調査です。
「日本青少年研究所」は、1975年設立の団体で、青少年の意識調査、国際交流、さまざまなコンクールなどを行っています。所長は教育畑の出身の方ではなく、検事出身の千石保氏で、設立時から現在まで、ずっと所長を務めています。大変多くの大企業から協賛を受けており、これまでの調査でも、客観的とは言えないような、かなり大企業に都合のいい調査結果を発表してきています。
日本青少年研究所が調査の目的を発表していますので、ちょっと長くなりますが、ご紹介します。
「中国の北京、韓国のソウル、それに日本の東京は、3ヶ国の首都である。それぞれの小学4・5・6年生を対象にする調査は、これまでに実施されたことはない。
北京の子どもたちは、勉強漬けで大変な毎日を送っている、と伝え聞く。またソウルの子どもたちも、日本以上に激しい受験勉強を戦っているという。なにしろ、親の厳しさは、とても日本の比ではないとも言われている。
もっとも日本の小学生たちも例外ではないらしい。小学生たちは、とても忙しいといわれている。子どもが忙しいとは、どんなことなのか、大人にはよく分からないものがある。子どもの忙しさは、なんとなく勉強をめぐってのことと想像できるものの、不透明である。
次の時代を引き継ぐ子どもたちの日常生活を掴んでおくことは、大人たちの責任だろう。やがてどんな社会になるのか、どんな子どもに育てるかは、基本的な生活習慣がはっきりしないため、調査する必要がある。
子どもたちは、大きくなったら、どんな人間になりたいと思っているのか。仲好しの友達がいるのか。学校外ではどれほど勉強しているのか。放課後や休み時間は何をしているのか。
日本では、親と先生の権威がとても低下したといわれている。親と先生の関係はどうなのか。頑張ろうという気持ちがどれほどあるのか。物事に対する「やる気」はどうなのか。親のしつけは、時代とともに変わっているのか。しつけの理念というものがあるのだろうか。食べるのに困らない時代のしつけは、どんな目的があるのか。
こういったことを想像してみると、不透明さが次第にふくらんでくる。
まず、生活習慣の調査からはじめねばならない。起床時間、就寝時間、食事や生活習慣、親のしつけ、家事の手伝いなど子どもたちの日常生活の実態を把握するのはこの調査の目的である。」
これを読んだとき、ちょっと私の中に驚きが広がりました。
「この日本青少年研究所というのは、民? それとも官?」というような驚きです。前回、ご紹介した産経新聞の記事を読んだとき、財団法人としか冠が付いていないので、民間の研究機関かなあとは思ったのですが、産経新聞の記事の書きっぷり(「調査報告書で分かった」とか「家庭での教育力の低さが浮き彫りになっている」)から、民間だとしても当然何か学術的に調査をしているところなんだろうと想像しました。
ところが、この目的を読んでみると、なんだか最初から前提があるように感じる。小さな規模ではありますけれど、私も何度かアンケートを採ろうと思って、アンケートの案を作ったことがあります。一番気をつけるのは、自分が描いた目標に対し「誰に対して、どのような内容のアンケートを実施したら、より正確な結果が得られるか」ということです。そのあと、アンケートの結果をふまえ何かをやろうとすればなおさらのこと、内容を丁寧に精査します。
ところが、今回の日本青少年研究所の調査は、どうもその辺から、乱暴に見える。冒頭の「中国の北京、韓国のソウル、それに日本の東京は、3ヶ国の首都である。それぞれの小学4・5・6年生を対象にする調査は、これまでに実施されたことはない」というあたり、子どもの生活を比較するのに、なぜ中国、韓国、日本なのかが見えてこないし、あたかも国際的な比較のような雰囲気を醸し出してはいるのに、それぞれの首都の子どもたちを選んだことが、どうしてその国を代表する一般的な子どもたちを選んだことになるのかの説明もない。この目的だけを読んだだけでは、わかりにくいかもしれませんが、研究所の「最近の日本の親は、親と子は別個の存在と考える米国型の価値観に変化してきているため、子供に注意をしないのではないか」というコメントと合わせて読むと、疑問がふくらみます。米国の子どもが標本にないにもかかわらず、「日本の親は米国型価値観」と決めつけている。
また、今回の調査は、昔のデータは含まれないのに「日本では、親と先生の権威がとても低下したといわれている」「親のしつけは、時代とともに変わっているのか」と時代の流れにより変化したという日本の状況だけを取り上げ強調することで、中国、韓国に比べ、日本は「親と教師の権威の低下している」「しつけがあまい」ということを引き出そうという意図が見えます。
こんなふうに子どもたちに対する調査が進められていて、それがいかにも客観的事実であるかのようにマスコミを通して報道されている現実に、驚くとともに怖さを感じました。

前提をきっちり把握してもらいたくて、またまた、引用が長くなり、具体的内容まで入れませんでした。
次回こそ、内容を細かく見ていきます。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第251回「日本の親と中国・韓国の親 その1」

産経新聞(ネット上の配信記事を読んだので、紙面ではどうなっていたのかはわかりません)によると、

日本の小学生は中国や韓国に比べて家庭で注意を受ける割合が際立って低いことが7日、財団法人「日本青少年研究所」の調査報告書で分かった。家庭でよく言われる注意事項23項目のうち21項目について3カ国中最下位で、家庭での教育力の低さが浮き彫りになっている。同研究所は「最近の日本の親は、親と子は別個の存在と考える米国型の価値観に変化してきているため、子供に注意をしないのではないか」とみている。
昨年10~11月、東京、北京、ソウルの3都市の小学4~6年生を対象に、各学校で書面形式で生活習慣を調査。計5249人から回答を得た。同研究所によると、同種の調査は初めてという。
親のしつけに関する設問では、家庭でよく言われる注意事項23項目のうち21項目で、日本の子供は中韓より注意される割合が低かった。特に「先生・親の言うことをよく聞きなさい」とよく言われる子供は2割前後で、両国の半分。先生と親の権威低下がうかがえた。
「よく勉強すれば、将来いい仕事がある」も17・8%と低く、中国(53・8%)、韓国(41・7%)と対照的。「好き嫌いしないで全部食べなさい」「嘘(うそ)をついてはいけない」「友達と仲良くしなさい」なども大幅に低かった。
一方、日常的な生活習慣では、毎朝歯磨きをする比率が63・9%、毎朝洗顔するのが66・9%にとどまり、それぞれ中韓より2割下回った。テレビを見ながら食事するのは46・0%と半数弱を占め、いずれも11%台だった中韓の4倍に達し、「ながら食事」の浸透ぶりをうかがわせた。
友人関係では、親友の有無や友人の数では3カ国とも大差はなかった。だが、「友人の喧嘩(けんか)を止めるか」との質問に、「必ずする」と回答したのは15・9%と中韓より10~15ポイント低く、「しない」(22・5%)は5~15ポイント上回った。

「へぇー、そうなんだぁ!?」
と興味深く読んでいたんですが、調査の集計結果がすべて掲載されているページ(http://www1.odn.ne.jp/youth-study/reserch/2007/tanjyun.pdf)があったので、アクセスしてみたら、
「???」
確かに、上の数字はその通りなんだけれど、大きな設問の中の小問も含めると120問を超える質問の中で、どこを取り上げるかで感じ方が全然違ってきてしまいます。
例えば、起床時間なら中国の子どもたちは、おおむね6時~7時の間、日本は6時半~7時半、韓国は7時~8時の間です。「朝ごはんを食べる」との問いに「いつもする」は、日本・86.3%、中国・84.7%、韓国・62.5%。「寝る前に、歯磨きをする」は、日本・74.3%、中国・74.3%、韓国・69.2%。おもしろいものでは、「家から学校まで何で通っていますか」との質問に、「歩いて」が日本・96.0%、韓国・81.0%、中国・38.2%。中国では、「親の車で」という回答が23.7%(日本・0.3%、韓国・3.9%)もあるのです。
「友人」ということで見てみると、「喧嘩を止める」という日本の子どもは少ないことになっているけれど、「仲よしの友だちの人数」ということでは、「1~2人」「3~5人」「6~10人」「11~15人」(この上は5人刻みで30人までとそれ以上に分類)という括りで、中・韓は「3~5人」と「6~10人」に山が来るのに対し、日本は「6~10人」「11~15人」に山が来る。
産経新聞の意図は、日本の子どもたちは親のしつけがなっていなくて、子どもたちの中にいじめを容認する風土があるっていうことを強調したかったんだろうけれども、全体的に見て、文化の違いはあるけれど、親のしつけがなっていないとか、いじめを容認する風土があるなんていうことは、とても言えるものではありません。驚くなかれ、学校に行くのがとても楽しいと答えている割合は、韓国の22.4%に対し、日本は36.9%(もっとも中国は59.2%ですが)。

産経新聞の最後に付いている「親からしつけを受けていない「団塊ジュニア」が親になり、子どもに何を伝えればいいのかがわからなくなっているのではないか。学力は重視するが、人格形成はおろそかになっている。子どものうちにきちんとしつけないと、将来の自立を妨げることになりかねない。親だけでなく、社会全体でしつけていく視点も必要だ。」という斉藤哲瑯(てつろう)・川村学園女子大教授(教育社会学)のコメントに至っては、
「?????????????????」
「団塊の世代」って言うのは1947~49年(場合によっては1952年、55年生まれまで含めることも)に生まれた人たちのことを言うんだけれど、今年58~60歳になる人たち。この調査は小学校4年生(9~10歳)から6年生(11~12歳)を対象に行ったものだから、出産した年齢を25~30歳として、母親の年齢はと言えば、一番若い人は25歳で出産した4年生の母親ということになるから34歳、一番高齢の人は、30歳で出産した6年生の母親ということになるから42歳。斉藤教授の話によれば、「団塊ジュニア」(1971~74年の第2次ベビーブームに生まれた子を指すのが一般的ですが、おそらくここでは団塊の世代から生まれた子という意味で使っているものと思われる)が親になり、子どもに何を伝えればいいのかがわからなくなっているのだそうだから、34~42歳の母親(父親の場合は一般的に言ってもっと年上。私のようなのは滅多にいないので)の親たちが58~60歳?微妙なところだけれど、ちょっと無理があるんじゃないかなあ?
だいたい、“子どものしつけ”をしていなかったのは「団塊の世代」なんだぁ!?
「う~ん、なるほどぉ」
そうなると「今どきの若い親は…」と最近の子育て事情を批判している「団塊の世代」の人たちは、自分たちの責任を痛感しなくてはいけないことになる。
こんなこと言っちゃっていいのかな? 私のエッセイじゃないんだから、感覚ではなく、学者は学者らしく、もう少し裏付けのあることを言ってほしいと思うんだけどなあ…。

報道をどう見るかっていうのもなかなか難しいですよね。この調査をした「日本青少年研究所」っていうところも、どうも意図的にいろいろなことをやっているところのようで、調査自体にもやや問題はあるようですが、調査結果を見るとなかなかおもしろい部分もあるので、次回は調査の内容について、もう少し深く掘り下げて、「大関直隆の感覚で見る日本、中国、韓国の子育て事情」について述べたいと思います。

つづく

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年2月 1日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第248回「赤ちゃんポスト」

熊本市の慈恵病院が、「赤ちゃんポスト」の設置を市に申請している問題で、厚生労働省は、市に対し「医療法や児童福祉法などに違反しない」として設置を認める見解を示したそうです。
厚労省の辻哲夫事務次官は22日の定例会見で、「赤ちゃんの遺棄はあってはならないが、遺棄されて死亡するという事件が現実にある。今回は十分な配慮がなされてポストがつくられれば、認めないという理由はない」と述べたということです。
刑法施行当時のことから考えると、「子どもを捨てる」ということは想定内、「子どもを捨てさせる」ということは想定外ということだったのでしょう。だから、「捨てる」という行為は罰せられても、慈恵病院の行為のように「救う」ということが前提の「捨てさせる」という行為に対しては認めない理由がないと…。
そうは言っても、専門家の中には、保護責任者遺棄幇助に当たると考える人たちもいるようです。子どもの捨て場所を作るという行為が、「救う」なのか、「捨てさせる」なのか、いずれ法の場で裁かれることになるかもしれません。
多くの赤ちゃんポストが設置されているドイツがよく引き合いに出されますが、歴史も宗教観も違うところを単純に引き合いに出すことは、どうかと思います。
テレビを見ていると、この問題について、ニュースキャスターやコメンテーターが、様々な意見を言っています。おおかたの意見は、「反対だけれど、捨てられて死んでしまう子どもを救うためって言われると…。難しい問題ですね」というような感じでしょうか。
賛成という人たちの考え方というのは、「ポストの設置によって一人でも赤ちゃんが救えるのなら」ということでしょう。そして反対という人たちの気持ちの中にも、「遺棄を助長するから」という気持ちはあるけれど、「死んでしまうよりはまだましかも」という迷いがある、「じゃあ遺棄されて死んじゃってもいいの?!」と言われると、なかなか有効な手段が提示できないだけに、「絶対反対」とは言いづらい。
私は、こういった議論の中に、決定的に欠けていることがあると思います。それは、「子どもが死んでしまうような遺棄の仕方をする人が、わざわざポストまで行って子どもをそこに入れるのか」という議論です。これまでの赤ちゃんの遺棄事件を考えたとき、「もしポストがあったら救えた」というような事例があったでしょうか。いくら考えても、押し入れの中の段ボールに生まれたばかりの赤ちゃんを入れてしまうような人や道端に赤ちゃんを放置してしまうような人たちが、果たしてポストまで赤ちゃんを入れに行くのか、という疑問にぶつかってしまいます。
「捨てる側」と「救う側」の意識のずれは、相当大きなものなのではないか…。
赤ちゃんが死んでしまうような捨て方をする人たちの中に、「子どもを助けて!」という叫びがあるのだろうか、と疑問を抱かずにはいられません。
おそらく、今回のポスト設置で、殺される子どもたちは減りません。私が懸念しているのは、むしろ「赤ちゃんをポストに捨てる」ということを国が認めるということで、命を軽んじる風潮が広がり、殺される子どもが増えるかもしれないということです。多くの人が心配しているように、ポストがなければ捨てられないのに、ポストがあるから捨てられるということは起こるでしょう。それを「ポストのせいだ」と証明するのは難しいことですけれど。慈恵病院は「ポストがなければ、この子は死んでいたかもしれない」というような言い方をして、ポストに入れられる子が多ければ多いほど、ポストの正当性を主張するのだろうと思います。ポストがなかったら、捨てられないですんでいたかもしれない赤ちゃんなのに…。以前、病院やお寺の前などに子どもが置き去りにされるということがよくあった。もしかすると、子どもが死んでしまうかもしれない、でも死なせたくない、そういう葛藤の中で、子どもが生き延びられる可能性が高いところを選んで遺棄した。そこには、「子どもが死んでしまうかもしれない」という遺棄に対する歯止めがあった。絶対死なないとわかっていたら、かなり遺棄はたやすくなる。
子どもは、「社会のもの」、「地域や国の宝」という考え方があります。私もそれには賛成です。子どもは夫婦が育てるというより、国民すべての総掛かりで育てるといった方が正しいのだろうと思います。けれどもそれは、子育てのすべてを地域や国といった社会が負うという意味ではありません。子育ての責任を負っているのは、当然のことながらまず第一に両親です。親が親として子どもを育てられるよう援助していく、それが政治や行政や国民すべてに負わされた負担だと考えるべきです。
ポストの設置によって守られるのは、いったい誰の権利なのか。一見、「死から子どもを守っている」ように見えるけれど、仮にポストで子どもを死から守れた(私はそう考えませんが)としても、やはり犠牲になっているのは子どもに他ならないのです。結局保護されるのは、親の無責任とエゴだけです。
社会全体に、「辛くて苦しいことはイヤ!」という風潮が蔓延している現在、また一つ「大人が楽をする」という流れを作ってしまうことがとても心配です。親が親としての責任をしっかり背負って、それでも楽しく子育てができるよう援助をするのが、あらゆる社会資源の責任。対処療法的スタンドプレイに走るのではなく、遺棄される子どもを守るために、もっと子どもの立場に立った、地に足の付いた援助の仕方を真剣に考えるべきだろうと思います。赤ちゃんポストの設置以外に子どもの命を救う方法がないというほど、日本の子育てに対する支援がやり尽くされているとは、到底思えないのですが…。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第247回「穏やかな春の風景」

「麻耶(まや)に電話してよ。こんな日のこんな時間に来たってダメだと思ったよ。この車の列。20台くらい並んでるでしょ?」
妻が助手席で麻耶の携帯に電話をしました。
「駐車場に入るのに凄い車の列だけど、どうする? 今、列のところを通過しちゃったんだけど、どうしてもグリーンセンターがよければ、戻るよ」
妻の携帯から時折漏れる麻耶の声は、別にグリーンセンターに固執しているわけではない様子。携帯電話での妻と麻耶の会話に聞き耳を立てながら、ゆっくりと車を走らせ、グリーンセンターから離れました。
「麻耶はどこでもいいってよ。列に並んでまで、グリーセンターでスケートにこだわってないって」
2月12日の振り替え休日、笠間での穴窯焼成(第246回参照)に5日間を見ていたのが、たまたま温度上昇がうまくいき、4日間で済んだために生まれた私の休日。孫の蓮(れん)と沙羅(さら)が、アイススケートをやりたがったので、川口グリーンセンターに向かいました。グリーンセンターでのスケートは、未就学児の入場には、原則子ども一人に対し、大人一人の付添が必要です。前回初めてスケートのためにグリーンセンターを訪れたとき、麻耶が一人で蓮と沙羅を連れてきてしまったので、入場してから(原則は子ども一人に大人一人ということになってはいるらしいのですが、このときは何も言われずに入場はできたんだそうです)わざわざ翔(かける)を呼んだということがあったので、めずらしく私と妻そして翔までが一緒に出かけられたこの日は、麻耶一人では連れて行くことができないグリーンセンターでのスケートということになったのです。
「蓮くん、沙羅ちゃん、グリーンセンターは混んでるから、今日は大崎公園(さいたま市(旧浦和)郊外の市立公園)に行ってみよう!」
「うん!」
蓮と沙羅の元気な返事が、後ろの座席から返ってきました。暖冬のためか、すでにいろいろな花が楽しめる今年は、遊具有り、花有りのグリーンセンターのようなところは、小さい子ども連れから年配の人たちまでもが押し寄せるので、混んでいるのは当たり前。ちょっと見通しが甘かったようでした。
妻は、大崎公園も混んでいるのではと心配していましたが、さすがにグリーンセンターとは違い、すぐに車も止めることができました。
蓮と沙羅のお目当ては、有料の遊具。真っ先に二人乗りの足こぎのモノレールとバッテリカーのところへ向かいます。たまたま足こぎのモノレールには列がなく、すぐに乗ることができました。
「バッテリーカーは、どこに並ぶのかなあ?」
「並ばなくてもいいみたいよ。ほら、あの子みたいに自分の乗りたいやつを狙ってて、空いたら急いで走っていって乗ればいいみたい」
「取りっこになっちゃたりしないように、列を作った方がいいんじゃないの?」
「それほど混んでるって判断してないんじゃないの、係のおじいさんたち。待ってる子のことは気にしないで、乗ってる子たちに注意がいってるもん」
シルバーの人たちが整理に当たっていましたが、周りで待っている子どもたちにはまったく意識がいっていない様子。でも、しばらく見ていても、取りっこになっている様子もなく、みんな適当にそれぞれが目指す車に乗っています。パトカー有り、消防車有り、二輪車有り…。ここの周りで子どもに付き添っているのは、お父さんが多いのですが、どうやらお父さんたちが取りっこにならないよう、子どもの気持ちをうまく抑えているようなのです。
「たっくん、ほら待ってる人がいるんだから、早くどいてあげようね」
「マーちゃん、あの車はあの子が乗りたいんだよ。こっちの車に乗ろうね」
まったく大人の怒鳴り声もなく、子どものぐずる声もなく…。
バッテリーカーに何度も何度も乗ったあとは、隣の遊具へ。ジャングルジム有り、滑り台有りの遊具です。私がベンチに座って、子どもたちの遊ぶ様子を見ていると、
自分の子どもがケガをしないように見ているお父さん、お母さんたちが、ここでも他の子どもたちに気を遣って、
「順番だよ。一度やったら、後ろに並ぼうね」
「小さい子がそばにいるんだから、乱暴に遊んじゃダメだよ」
と自分の子どもに注意を与えていました。
「最近の若い親」という言われ方をしている若いお父さんやお母さんたち。いやいや、とんでもない。一生懸命いい子育てしてるじゃないの。日本の未来も捨てたもんじゃないかな。それに比べて、最近の政治家は…。
子どもを育てるお父さんやお母さんたちの優しい心に、ほのぼのとさせられた久しぶりの休日でした。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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