2024年4月13日 (土)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第320回「なくならない高校野球部の不祥事」

先日、かかりつけの整形外科に行ったら、待合室のテレビに、高校野球の入場行進が映し出されていました。
2年生の部員が強制わいせつ事件で逮捕されながら、出場が認められ注目されていた桐生第一高校の入場行進。実況のアナウンサーが何か事件のことを言うかなあと思って聞いていると、アナウンサーの口から出た言葉は、
「ひときわ大きな拍手です」でした。
事件をふまえ、「逆境を乗り越え頑張って!」という応援のメッセージを発したのでしょう。もちろんグラウンドで行進をしている一人ひとりの選手が、事件を起こした部員と同じように悪いというわけでもないし、甲子園出場のため人並み外れた努力をしてきたこともよくわかりますから、グラウンドに立っている子どもたちを事件に巻き込むことをしない、このアナウンサーの言葉も理解できないわけではありません。
けれども、2年生部員が逮捕されるという事件を起こしながら、出場を希望した桐生第一高校の判断、そして出場を認めた高校野球連盟の判断が、正しかったかどうか…。
私は間違っていたと思います。
私も、どちらかと言えば体育会系で、中学校で私の所属していた部が全国大会に出たり(私の代には全国大会出場は実現できなかったのですが)、高校の時はサッカー部が全国制覇をしたり、あるいは浦和学院の職員のときには野球部が全国大会に出たり、今は息子が大学でプロゴルファーを目指していたりもするので、それなりにスポーツの世界のことは理解している方だろうと思います。
そんな風ですから、体育会系の”乗り”や”厳しさ”も人間の成長にとって、あるいは社会生活を営む上で、大事なものだとも思っています。
甲子園を目指すそれぞれの学校の努力、そこで一生懸命部活動に励んでいる生徒たちの努力もよくわかります。
けれどもその陰で、いろいろなことが起こっているということもよく知っています。
レギュラーの子たちの奢り、レギュラーのレベルに達しない子たちに対するいじめや差別、またその子たちによる暴力や非行…。今回の桐生第一高校の事件も、一人の生徒の問題ではなく、そういう事件を生む「部」の体質の問題なのであり、そういう中で起こっている事件であるということを、そこに関わるすべての人たち(高野連も含めて)は、はっきり認識するべきです。いや、逆に認識しているからこそ、出場できないことで心に傷を負う生徒のことを強調して、出場という開き直りとも取れるやり方をするのかもしれませんが。
もちろんすべての学校というわけではないのでしょうが、校内でも全国レベルの部活、特に野球とサッカーは、学校にとっても大きな広告塔であるだけに、何か事件を起こしても、なかったことにする、もみ消すというのが当たり前になっています。
「普通の子なら停学か退学なのに、サッカー部なら万引きをしても何にも処分されないんだよ」「野球部の子がね、カバンからお金盗んだのみんな知ってるのに、先生は見て見ぬふり」。
少子化が進む中、経営優先のため、広告塔としての役割を重視し、教育がないがしろにされているとすればとんでもないことです。
根本的な原因にふたをして、個人の責任として片づけてしまうようでは、今後もこういった事件はなくなりません。事件・事故の厳罰化の流れに呼応して、学校での一般の生徒に対する指導がますます厳しくなっている折り、甲子園に出場する部や生徒だけが特別では、これからの日本を背負って立つ若者の教育としても問題が残ります。
「連帯責任」という問題ではなく、どこに不祥事を生む土壌があったのかということを指導者はきっちり見極め、そこに関わるすべての者(生徒も含め)が責任をとるという姿勢を明確にすることこそ、大切なことなのでしょう。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第319回「公立小中学校に対する親の満足度上がった?」

朝日新聞によると、
「公立の小中学校に満足している保護者は8割近くに達し、先生への評価も上昇-。朝日新聞社とベネッセ教育研究開発センターが共同実施した5千人を超える保護者への意識調査が25日まとまり、そんな結果が出た。4年前の前回、満足度の低かった都市部や高学歴の親で伸びが目立ち、公立学校への信頼回復の兆しがうかがえる。」
んだそうです。
「25都県の小学2、5年生、中学2年生の保護者計6901人に、公立の小学校21校、中学校19校計40校を通じて質問紙を配り、5399人から回答を得た(回収率78・2%)。初調査となる前回は03年末から04年1月に調べ、6288人から回答を得ている。」とのことで、かなり大規模な調査なので、それなりに信頼できる数字なのかなあと思います。
調査結果の詳細(8月末PDFにて公開予定)は、
http://benesse.jp/berd/center/open/report/hogosya_ishiki/2008/soku/index.html
ただ、この数字をどう見るかという部分では、いろいろ意見のあるところで、「開かれた学校が実現しつつある」とか「学習に対する公立学校の取り組みが評価された」という見方もあれば、「公立学校に不満を持っている層がほぼ私立に入学し、その結果として数字を押し上げた」という見方もあるようです。
まあどれも、その通りなんだろうなあと思います。
社会保険庁の年金問題をきっかけに、これまでになく官僚や公務員に対する風当たりは強くなっています。公立学校もある意味でその例外ではなく、その閉鎖性やいい加減さに批判が寄せられていました。たしかこの連載を始めて間もないころに池田小学校の事件が起こり、それまでの「開かれた学校」というスローガンがしぼんでしまい、閉鎖性を助長した時期もありました。ただ、池田小事件以前の「開かれた」というのは、以前にも述べましたが、「誰でも学校(の敷地)に入れる」とか「塀を取り払った」とかいう意味の「開かれた」ということがほとんどで、親の側が期待する「教育の内容が見える」ということとはかけ離れたものでした。「教育の内容が見える」ということは、「開かれた」ということだけではなく「学校、教師の真剣さ」にもつながるわけで、当然親からの評価につながります。学校で繰り返し事件が起こる中、門扉は閉ざされているけれども、そういう状況だからこそ、「教育の内容が見える」ような努力がなされたものとも言えるのでしょう。
とは言え、最近の傾向は、「公立学校の私立化」とも言える状況だろうと思います。そのために受験を意識した親からはある程度の評価を得ているとも言えなくはない。公教育のあるべき姿についての議論がなされたわけではなく、「私立のような教育が良く、それを真似しようとしているから公立学校もいい」ということだとすれば、教育の本質を大きく見失っていることになりはしないか…。
どちらかと言えば、地域密着の公立志向の私としては、公立学校の評価が上がることはいいことだと思うのですが、これが「公立学校が親に媚を売ることを覚えた」結果だとすれば、とんでもないことです。親にとってやや「いい学校」になりつつある公立学校が、今後子どものためにどのような方向に進んでいくのか、真価が問われるところです。
 
 
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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第317回「続・教員採用試験をめぐる贈収賄」

大分県の教員採用試験をめぐる贈収賄事件は、新人採用の試験にとどまらず管理職認容の試験にまで広がり、次々と逮捕者を出し、多くの学校で教頭、校長が不在という前代未聞の事態に陥ってしまいました。
私は、この問題には3つの大きなポイントがあると考えています。まず、採用(新人、管理職ともに)についての不透明性の問題、二つ目は、教育界のモラルハザードの問題、3つ目は、教員という職業の社会的ポジションの問題です。それぞれの問題が複雑に絡み合っているので、きっちりとした線引きはできませんが、「不透明性の問題」というのは前回も述べたように、行政における「教育」という部署の重要な部分が身内(教員)で占められていること。「あの先生は子どものことを全然見ないで、上ばかり見ている」とか「上に取り入るのがうまい」などという言い方をすることがありますが、要は先輩の教員にゴマばかりすっているということですね。民間でもないわけではないでしょうが、民間で昇進するには成果が伴わないと難しいのに比べ、教育というのは成果の判断がとても難しいので、その分ゴマをすることが利いてしまうわけです。利いてしまうから、また行う。行き着く先が賄賂ということになる。これは、明らかに行政を仲間うちに担わせている組織の問題です。
二つ目のモラルハザードは、今に始まったことではありません。いい意味でも、悪い意味でも、学校というところは閉鎖的なところです。私は「次代を担う子どもを育てる」という観点からすれば、ある意味閉鎖性があることは当然(大人社会の持っている悪い部分から子どもを守るという点で)と考えていますが、それを子どものためでなく、教員のために利用して、学校を「何でもあり」(教員にとって)の社会にしてしまっている。先日、「痴漢行為をした都立高の副校長の処分が、“接触は極めて短時間で、悪質であるとはいえない”という理由で、懲戒免職から6ヶ月の停職に軽減され、教員として復職していた」という報道には皆さんびっくりしたことと思います。痴漢を働くような教員に自分の子どもの教育を任せるわけにはいかないと考えるのは当たり前です。私の知っている例でも、暴力行為で処分の言い渡しを受ける際、教育委員会に呼ばれた先生が、「一応、処分という形を取らないわけにはいかないので、こういう形を取りましたが、“まあ、こっちの部屋にどうぞ”と別室でお茶を飲むことを促され、お茶だけ飲んで帰ってきた」なんていう例がありました。それなりの実績を残していた先生なので、何をしてもいいということなのでしょう。今、問題になっている厚労省の業務外HP閲覧なんていうものは、学校にもよるとは思いますがまったく野放し。「教育に必要」といえば、ほぼ何でも通ってしまいます。
そして3つ目。なぜ贈収賄が起こったのかという部分では、「地方と都市部の格差」ということがクローズアップされています。それも原因の一つではあると思いますが、それよりも教員の間では、子どもの教員採用について100万円の賄賂を贈ってもあまりある職業と考えられているということだろうと思います。大分県だからということはあったにせよ、都市部でも教員の子どもに教員が多いことを考えれば、教員の多くがそう考えていることは間違いありません。これほど教員の苦労ばかりが報道されているときになぜ?と思った方も多いのでは…。教員がどんな仕事をして、どんな待遇なのかといったことの公開が大変遅れているので、教員以外には、民間の職業との比較が正確にできていないという現状があります。調査をしても、申告をするのが教員では、とても正確な情報とはいえません。
そのあたりが、今回の事件につながったのではないかと思います。身内(教員)に甘く他人(子ども)に厳しい教育の現場をきちんと検証していくことが求められています。
子どもたちに関わる重要な職業だけに、学校では何が行われ、どんな待遇で教員が働いているのかをもっと明らかにして、その上で誰もが平等に教員採用試験に臨めるよう制度を確立していく必要があるのでしょう。
 
一部報道によると、教職員組合との癒着も指摘され、組合枠があったのではないかとの疑惑も浮上しています。
なぜ100万円ものお金を使っても我が子を採用試験に合格させたかったのか。
 
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2024年4月 9日 (火)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第316回「教員採用試験をめぐる贈収賄」

「大分県の現職の校長や教頭らが、わが子の採用を求めて教委幹部にわいろを贈った」という、ショッキングなニュースが流れてきました。5人の逮捕者を出したこの事件はその後、校長・教頭になるための管理職認容試験にも拡大。さらなる逮捕者が出るかもしれません。
一時、下火になっていた教員の不祥事も、市立川口高校の校長が元教え子にしつこく関係を迫った事件や武蔵村山市教育相談室相談員で武蔵村山市立第五中の元校長が所沢のマクドナルド店内で女子高生にわいせつ行為をした事件、川越市立福原中学の教諭が生徒の積立金825万円を横領した事件(比較的最近起きた埼玉県と関わりのある事件からピックアップしています)など、ここにきて教員の不祥事のニュースが頻繁に報道されるようになりました。
それぞれあきれた事件ばかりですが、これまで報道されていた事件が、一個人の事件であったのに比べ、今回報道のあった大分の事件は、教育委員会幹部までを巻き込んだ行政のまっただ中で起こった事件であるという点で、社会に与えるインパクトは大きいのではないかと思います。
毎日新聞によると、
「大分県の教員採用を巡り現金100万円を受け取ったとして県警は4日、当時県教委審議監だった由布市教委教育長、二宮政人容疑者(61)を100万円の収賄容疑で逮捕した。県教委義務教育課参事、矢野哲郎容疑者(52)=別の贈賄容疑で逮捕=から、07年度の採用試験に矢野容疑者の子どもを合格させる見返りに現金を受け取った疑い。
(中略)
 この事件を巡って矢野容疑者は妻で小学校教頭の矢野かおる容疑者(50)=贈賄容疑で逮捕=とともに、小学校校長の浅利幾美容疑者(52)=同=の長男と長女を合格させるため、当時県教委義務教育課人事班主幹だった同課参事、江藤勝由容疑者(52)=収賄容疑で逮捕=に働きかけ、現金や商品券計400万円を贈った疑いで先月、逮捕されている。」
と報道されています。
大きな問題ではありますが、「よくあること」という印象です。これまでなかなか踏み込めなかった教育界にようやく司法のメスが入ったということでしょうか。どこから明るみに出たのかはわかりませんが、それなりの額のお金が絡んでいるようなので、そのあたりが一つの突破口になったものと思います。
教育行政は、他の部署と違って大きな特徴があります。それは管理・監督をする側が、管理・監督をする側と同一人物(配置転換によってある時は管理・監督をする側、ある時は管理・監督をされる側になるという意味)であるということです。特に「指導課」の部分では、管理職試験に合格したものを一旦指導主事に採用し、その後教頭、校長として各学校に配属させるというケースがほとんどで、組織として見た場合、教育委員会が学校を管理・監督しているように見えますが、内実はといえば、管理・監督をするはずの委員会の主事が各学校の教頭・校長の後輩なんていうことばかりで、組織としての管理・監督体制がまったく機能していないという状況です。そんなわけですから、例えばどうにもならない校長に対するクレームを教育委員会に言ったとしても、こちらが行政について多少知識があると思うと「校長の指導はできないんですよ」という正直な返事が返ってくる。それが現実です。
教頭・校長ともなれば、採用試験の採点を誰がしているかなんていうことはわかっているわけで、そこに不正が起こる余地は充分にあります。お金が動いているかどうかは別として、校長先生のお子さんで、教員採用試験に落ちたという話を聞いた記憶がありません。
 
 
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2024年4月 5日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第314回「危機管理 その2」

ある日の小学校の懇談会。
「何日か前なんですけど、ベランダで洗濯物を干していたら、K社の社宅の屋上に子どもたちが上がっていました」
「Yさんのところのベランダからだったら、ちょうど正面だもんね」
「それがね、屋上に柵がないんですよ。だから、屋上の端まで行けば、下が見える状態」
「えーっ、うっそー!」
「本当だよ。Mさん知ってた? 4,5人だったかな? 屋上を走り回ってるからもし落ちたら大変だと思って。柵がない屋上に子どもたちが上がれるっていうことにびっくりしました」
するとK社の社宅に住んでいるMさんが、
「そうなんです。屋上には柵はないんです。前にも上がっている子どもたちがいて、注意はしたんですが…」
「屋上って、子どもたちだけで簡単に上がれちゃうんですか? 普通、屋上に通じる扉には鍵がかけてあって、上がれないようになってますよね」
「うちの建物はそういう構造じゃなくて、屋上は工事関係の人しか上がれないように、扉で通じてないんです。屋上に上がるには、最上階の廊下から壁に取り付けてある鉄のはしごで上がるんです。屋上に居住者が入るっていうことを想定していないので、柵がないんです」
「へぇ、なるほどね。でも誰でもそのはしご、上がれるんですか?」
「一応、はしごの先が床から120センチくらいは浮いていて、昇りにくくはなっているんですけど…」
「それくらいじゃあ、子どもたちは簡単に昇っちゃうんですね、きっと。K社の社宅のことだし、建物の構造の問題だから、小学校の懇談会で話し合ったからってどうっていうことじゃないけれど、Yさんの話で、子どもたちが危険な状況にさらされているっていうことはわかったから、そういう危険な場所が学区内にどれくらいあるのか、PTAで調査してもらえるよう、提案しましょうよ。K社の社宅の屋上の話は“屋上に子どもたちが上がっていた”っていうことを、Mさんから社宅の皆さんに伝えてもらえばいいんじゃないかな」
「そうですね」
この話は後日PTAの役員会に報告され、PTAで学区内の危険箇所の洗い出しと点検をすることになり、実際に何カ所か危険な箇所が指摘され、地域にも呼びかけて対策を取ってもらうことになりました。
次の懇談会のとき、K社の社宅に住むMさんから、
「社宅の最上階に設置されていた鉄のはしごの件ですが、子どもの手が届かない高さまで切ってもらうことになりました。今は、脚立を利用しないと屋上に上がれないようになっています」
懇談会全体にホッとしたという空気が流れました。
杉並区の小学校で、児童が屋上に取り付けられた採光用のドーム方カバーを破り、吹き抜けを1階まで転落するという事故がありました。普段は屋上に通じる扉には鍵がかけられ、児童だけでは、屋上に入れないようになっていたにもかかわらず、事故にあった児童以外の足跡が他のドーム型のカバーにも付いていたそうです。建築に関わった業者は、児童は屋上に入らないと聞いていたと言い、ドームの周りに柵は設けていなかったそうです。
杉並区和田にある小学校で事故があったとこのニュースが流れたとき、「あれっ?」と思ったのは私だけでしょうか。例の「夜スペ」や「PTAの廃止」で一躍脚光を浴びた「杉並区和田」だったからです。私に言わせると「何かあるんじゃないかなあと思っていたら、やっぱり」という感じ。小学校での事故ですから、直接は関係ないと思うかもしれませんが、大人たちがどっちの方向を向いて子どもたちと関わっているかということは子どもを守る上で大変重要なことです。大人が外に向けて何かを発信することに夢中になっているときは、こういうことはよく起こるものです。
K社の社宅の場合も一歩間違えば大変な事故につながったわけですが、「子どもを守る」というただそれだけの視点が末端の一人ひとりの保護者のところまで浸透していたため、大きな事故につながる前に対策が取れました。「他がやっていない何かをやる」ということではなく、日常の何でもない生活をどう過ごすか、そんなところに視点を当てた危機管理が重要なのだろうと思います。
事故にあった子どもの行動を責めるのではなく、何人もの子どもたちがドームに乗っていたことに気づかなかった学校や教育委員会の気のゆるみを厳しく糾弾すべきだと思います。
 
 
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第307回「何が何でも厳罰化の流れ その1」

少年の凶悪事件が増えていると言われる中で、ここのところ少年法が話題となっています。特に4月22日に広島高裁において、差し戻し控訴審判決が言い渡された「光市母子殺害事件」は記憶に新しいところで、頻繁にマスコミに登場し、極刑を求め続けた本村洋氏の意に沿う形での死刑判決ということになりました。本村氏のお気持ちを考えたとき、死刑だから納得がいく、満足がいくということではないということだろうと思いますが、今後この判決が最高裁で確定する可能性を考えたとき、これまでの判例からは一歩踏み出し、少年に対する厳罰化の流れを加速させる結果を生むかもしれない重大な判決であったのだろうと思います。
私たちは、法律の下で生活しているわけですが、あまりにもその実感がありません。そこで、少年に対する厳罰化ということをふまえ、以下に少年法の一部を抜粋してみました。
 
(この法律の目的)
第1条 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。
(少年、成人、保護者)
第2条 この法律で「少年」とは、20歳に満たない者をいい、「成人」とは、満20歳以上の者をいう。
2 この法律で「保護者」とは、少年に対して法律上監護教育の義務ある者及び少年を現に監護する者をいう。
(調査の方針)
第9条 前条の調査は、なるべく、少年、保護者又は関係人の行状、経歴、素質、環境等について、医学、心理学、教育学、社会学その他の専門的智識特に少年鑑別所の鑑別の結果を活用して、これを行うように努めなければならない。
(審理の方針)
第50条 少年に対する刑事事件の審理は、第9条の趣旨に従つて、これを行わなければならない。
(死刑と無期刑の緩和)
第51条 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する。
2 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、無期刑をもつて処断すべきときであつても、有期の懲役又は禁錮を科することができる。この場合において、その刑は、10年以上15年以下において言い渡す。
 
少年法の主旨は、少年の健全な育成にあります。教育の意義に十分配慮して構成されているもので、日本の未来を担う少年を社会の責任において育てていくんだという強い意志が感じられる法律です。18歳未満についてはその罪を本人にのみ問えるのかと、成人では認められている死刑を回避しています。ここのところの厳罰化の流れの中では「絶対に死刑にはならないんだから、人を殺したっていいんだと考える少年がいるかもしれないから死刑適用の年齢を下げろ」という議論までなされています。しかしそれは、少年法第1条の規定から考えて、あまりにも乱暴な議論であり、その目的を大きく逸脱したものだと言わざるを得ません。果たして少年にそこまでの責任を問えるのかどうか…。
「光市母子殺害事件」は、元少年が18歳になって30日しか経っていないときの犯行であり、それが一つの争点となりました。犯行時には18歳ではあったわけで、少年法の規定から死刑を言い渡せない年齢ではありません。されど「たった30日」そこをどう判断するのか、裁判所の判断が注目されていました。
次回につづく
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第306回「海軍飛行予科練習生」

「おい、俺が死んだらなあ、ヘリコプターで鹿島灘に骨を撒くんだぞ。おまえたちに頼んでおくからな!」
昨年亡くなった父は、何度も私と妻にそう告げていました。
海軍飛行予科練習生(予科練)に志願して、土浦海軍航空隊にいた父としては、特別攻撃隊(特攻隊)として鹿島灘に散った多くの仲間たちのところへ行きたいという気持ちが、ずっと消えなかったんでしょう。土浦から三沢(青森県)に移動になった直後、土浦が爆撃を受け、三沢でも同じように、移動の命令を受け三沢を出た直後に、三沢も爆撃に遭いました。父はたまたま難を逃れた数少ない生き残りなんです。(第266回参照)
「俺の人生は、余生なんだ。あの戦争で、俺の人生は終わったんだ」
と口癖のように言っていました。
そして昨日(20日)、先に逝った戦友たちのそばに父(ほんの一部だけですが)を葬ってきました。強い風で大きく荒れた海は、細かい粉になった父の遺骨を、戦友たちの眠る遙か鹿島灘の沖に、運んでいってくれたことと思います。
父の骨を撒く前に、父が予科練時代を過ごした土浦海軍航空隊跡を訪ねました。現在は陸上自衛隊武器学校となっており、中には、予科練記念館「雄翔館」、記念庭園「雄翔園」、予科練の碑「予科練二人像」などがあります。物心が付いて間もないころ、一度だけ父に連れられて来たことがありました。小さいながらもそのときの印象は強烈で、敷地内におかれた戦車、死んでいった若者たちの遺品の数々が、未だに記憶の中にあります。今回は、それを確認するように見学してきました。
入り口で簡単な受付をすれば、誰でも入れます。(平日、土・日とも午前9時~午後4時30分 茨城県稲敷郡阿見町大字青宿121-1 陸上自衛隊武器学校内)
予科練の卒業生は約24,000名。そのうちの約8割、18,564名が戦死しました。「雄翔館」には、戦死した若者の遺品や家族宛の手紙(遺書)などが、展示されています。両親に宛てたもの、叔父や親戚に宛てたもの、どの手紙を見ても、しっかりとしたとてもきれいな字で、これまで育ててくれた感謝の気持ちが綴られています。まだ二十歳にもならない若者の手紙を見ると、とても心が痛みます。
「長い間育ててくれた…」「これが最後の…」といった言葉の数々。この若者たちに「長い間」「最後の」などという言葉を誰が言わせたのだろうと怒りがこみ上げてきました。
「戦争の時は、みんなこう考えてたのっ」「戦争だから仕方ないの」という母の言葉が、まるで人ごとのようで(もちろん母も戦時中の大変な時代を生きていたわけですが)、父の「鹿島灘に骨を撒くんだぞ」という言葉とは、遙か遠いところの言葉のように感じました。
「もし、これが私の子どもたちだったら…」そんな思いが、涙をにじませます。
父がお酒を飲むたび歌っていた、「四面海なる帝国を 守る海軍軍人は 戦時平時の別ちなく 勇み励みて勉べし」という「艦船勤務」や「若い血潮の 予科練の 七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でかい希望の雲が湧く」という「若鷲の歌」が自然に口をついて出てきます。
日本は、平和を取り戻しましたが、世界各地で多くの若者や幼い命が戦争によって奪われていることを思うと、平和のために何が出来るだろうかと考えさせられます。
雄翔館の入り口に二人の男性が椅子に座っていました。父と同じ予科練第14期だそうです。父同様、戦死はしなかったけれど、このお二人も戦争が人生のすべてだったんだなあと、なんだか寂しい気持ちになりました。
 
 
 
 
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2024年4月 1日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第297回「またまた救えなかった児童虐待」

16日午後、寝屋川市のマンションに住む成川裕子さん(29)方から、「長女の様子がおかしい。具合を見てほしい」と、119番があり、救急隊員が駆けつけたところ、美琴ちゃん(6)がぐったりしていて、病院に搬送したものの意識不明の重体で、美琴ちゃんの全身に殴られたような跡があったことから、同居していた無職大山貴志容疑者(21)が殺人未遂容疑で逮捕されました。
 寝屋川署の調べでは、大山容疑者は昨秋ごろから、成川さんとその長男(9)、美琴ちゃんの3人と同居。成川さんはパート勤務をしており、この日は午前8時ごろ出勤。自宅には、大山容疑者と子ども2人がいたとのことです。調べに対し大山容疑者は、「言うことを聞かないので、体を前後に10回ほど揺すった。その後、様子がおかしくなった」と供述しているそうですが、それに対し9歳の長男は「妹が何回も殴られているのを見た」と証言しているようで、美琴ちゃんの体には殴られたような古いあざもあり、寝屋川署は大山容疑者が日常的に虐待していた可能性があるとみているようです。
この事件は、17日になって、寝屋川市が昨年10月から4回、長女にあざがあるのを把握し、虐待を疑いながら、保護しなかったことがわかりました。市の家庭児童相談室によると、昨年10月17日、長女が通う保育所の職員が長女のほおと太ももにあざを発見。長女が「うそをついたり、早く寝なかったりしてパパに怒られた」と話したため、女性に「しつけでもけがやあざがあれば、虐待と見なされる」と警告しました。その後、保育所は逮捕された大山容疑者と女性に、子供との接し方について指導しましたが、昨年11月に2回、今月1回、長女のひざや額などに軽いあざを確認したにもかかわらず、保護は見送ってしまいました。家庭児童相談室は、「府にも相談したが、保護が必要なひどい虐待だと判断しなかった。結果として事件が起こり残念だ」といっています。
家庭児童相談室は何を根拠に「ひどい虐待」と判断しなかったんでしょうか。私は、本来子育ての責任は、まず親にあるべきと考えていますので、行政や学校が個々の子育てに関わることには慎重でなければならないと思います。けれども、そう思う私でさえ、これだけの状況を把握しながら虐待を防げないというのは行政の怠慢ではないかと感じます。以前、うちの研究所に、児童相談所についての相談に訪れた方がいました。その方のケースでは、学校が児童相談所に連絡をし、学校から児童相談所が保護をしたというケースでしたが、これは今回とはまったく逆のケースで、私から言わせると、一時的とは言え保護が適切であったか疑問です。こういう問題は、個々のケースによって問題が様々なので、同じような対応をすることには難しさがあります。だからこそ、2005年に、厚生労働省虐待防止対策室が専門家による研究会で1年かけてまとめた児童虐待の兆候チェック指針を発表したものだと思いますが、その最低限のマニュアルすら生かされていなかったのではないか。
社会保険庁の無責任体質が問題になっていますが、子どもの虐待についても、なるべく”こと”を小さく解釈し、行動を起こさないという行政の方向が見えてきて、とても心配です。前述したように、子育てに対する行政の安易な介入は慎むべきと考えますが、だからこそ、個々のケースについての精査が必要なわけで、それを怠ったときのツケは大きなものになってしまいます。もちろん、行政の力だけで虐待が防げるものではありませんが、今回のケースのように、行政が状況を把握しているものについては、もっと丁寧な対応をすることで、必ず虐待は防げるものだろうと思います。
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2022年6月13日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第288回「異住所交流会」

「そちらに中山紀正(仮名)さんが入院していると思うんですが、何号室ですか?」
「そういうことにはお答えできないんですよ」
「えっ、親戚のものなんですが…」
「規則ですから」
「すぐそばまで来ているので、これから伺おう思うんですが、入院はしてるんですよね?」
「それもお答えしかねるんですが…」
「えーっ!入院してるかどうかも教えてもらえないの?」
「はい、規則なので…。どなたかご親戚の方にご確認ください」
「だからぁ、私がその親戚だっちゅーの!」
水戸の近くの病院に義理の弟(正確に言うと元義理の弟)が癌で入院し、放射線治療を受けていると甥から聞いて、お見舞いに行こうとしたときの病院との電話のやり取りです。「元」なので、正確には親戚ではないし、普通だったら「お見舞い」でもないのですが、義父の通夜にもわざわざ水戸から駆けつけてくれて、義母が「今までもお世話になったし、孫の父親なんだからこれからも孫のことではお世話になるんだし」と言うので、婿と元婿というやや関係の遠い私が、病院を訪ねることになったのでした。
「どうしようかなあ?」と思いましたが、わざわざ水戸まできて、用も足さずに帰るわけにもいかないので、ややこしい関係でお見舞いに行く前から甥に負担をかけるのは嫌だなあと思いつつ、甥に電話をかけて、確かめることにしました。
個人情報保護法が施行されてから、こんなことがよく起こります。
先日、病院内で人違いから射殺されるという事件が起きました。あの場合は確認ができていれば、事件に巻き込まれなくてすんだケースでしたが、他人に教えてしまったことで、事件に巻き込まれるということも考慮してのことなんでしょうか。
あまりそういった事件を聞いた覚えはないのですが…。
私の住んでいるマンションの管理組合の定時総会で、「名簿に電話番号を記載しないでほしい」という意見が出されたことがありました。個人情報保護法が制定される前のことで、管理組合では、毎年部屋番号と電話番号が記載された居住者名簿を作成して、全戸に配布していました。売られた名簿を元に頻繁に電話がかかってくるということが社会問題化していたときで、名簿の問題に敏感な人たちが出始めたころのことです。総会では、様々な意見が出ましたが、それまで、名簿があっていろいろな連絡やコミュニケーションが取れていたということもあり、電話番号はそれまで通り載せるということで決着しました。
その後、個人情報保護法が施行となり、現在では電話番号だけでなく、名簿そのものを作らないことになっています。
今年も、そろそろ年賀状の季節。孫の通う幼稚園では「異業種交流会」ならぬ「異住所交流会」(そんなもの本当にあるわけはないですが)があるらしく、なにやら住所を書いた名刺のようなものを作っては、年賀状のやり取りをする人に渡しているようです。
私も会社をやっている関係で、生命保険会社やこのエッセイでもお世話になっている商工会議所の「異業種交流会」には、何度か出席させていただいていて、名刺を交換することの意味・意義は充分に理解しているつもりですが、幼稚園までそんなことをしなくてはならなくなっているとは…。
どうやら、電話の連絡網だけはあるらしく、運動会や遠足といった行事の時には、電話がかかってくることはありますが、住所がわからない。そのため、年賀状を出すには、住所の書いてある名刺様のものを交換しておくのが手っ取り早いということなのでしょう。昔は名簿を見ては、「この人とはあまり関係がよくないから、年賀状を出しておこうかな?」なんて、関係改善を図ったりもしていたんですけれど、いまでは仲のいい人とだけのやり取りになっているんでしょうね。
確かに住所や電話番号が漏れるということのリスクもありますが、それが行き過ぎると「地域社会の崩壊」につながります。うちは10階建てマンションの1階にあるので、たまに上の階から物が落ちてくることがあります。さすがに下着が落ちてきたりしたときには、何も言ってこないこともありましたが、これまではほとんどの場合落とした本人か管理人室から連絡があり、取りに来ていました。ところが、名簿がなくなってからは、連絡があることが少なくなりました。これまでだったら、管理人室を通して連絡があったような場合でも、たいていは、直接謝罪の電話くらいはあったものですが、今では各階に1人いる理事を通さなくては連絡が取れないので、「落とした」という連絡そのものもなくなりましたし、謝罪の電話があることもなくなりました。
もちろん、「どこの部屋にどんな人が新たに越してきた」などということもわからないので、廊下や駐車場で顔を合わせ、「こんにちは!」なんて声をかけても、「あれっ?あんな人いたっけ?」ということも…。「これで不審者を見分けられるのかなあ?」と不安になることさえあります。
以前小学校での防災訓練では、電話が通じないという想定で、家から家へ直接伝えるという方法で、安否の確認や避難の仕方、誘導などを行うという訓練を行っていました。ところが、ここまで住所が非公開になってしまうと、ごく限られた、しかも普段自分に心地のいい人間関係しか存在しなくなっているので、地域の連携などまったく考えられません。
行き過ぎた個人情報の保護を改めようという動きもあるようですが、子どもを守るという観点から考えれば、何が本当に重要なのか、もう一度考え直す必要があるのではないかと思います。
つい先日、
「年賀ハガキ、買ったよねぇ? 何枚かもらってもいい?」と娘の麻耶が私に聞きました。
今年も娘と孫は「異住所交流会」で名刺(?)交換をしたお友だちと年賀状のやり取りをすることになるんでしょうね、きっと。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年5月20日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第273回「習熟度別って効果ない?」

8月26日、朝日新聞朝刊に「習熟度分けても英語成績伸びず」との見出しで、全教・教研集会での和歌山県の県立高校教諭からの報告の記事が掲載されていました。
03,04年度に普通科2年生2クラス80人を対象に「英語Ⅱ」で上位2つと下位1つの3グループに分け、習熟度別授業を試みたそうです。全国模試の平均偏差値で見ると、03年度、04年度も大きな変化はなく、習熟度別の効果は確認できなかったとか。ちなみに04年度に行われた7,11,1月の3回の模試の結果は、上位が「48.7→48.0→47.7」、下位が「46.1→44.5→45.6」。
この結果を見る限り、7月より1月の方が模試の結果が悪いので、確かに習熟度の結果が出ていないようにも見えますが、標本が2クラス80名と少ないこと、そして習熟度別クラスとそうでないクラスの比較ではなく、習熟度別クラスの時間的経過だけが比較対象になっていることなどを考えれば、実際にはほとんど意味のない調査になってしまっていると言わざるを得ません。(新聞報道が、比較対象を時系列的偏差値のみに絞った可能性もあるので、すべてが無駄とは言えないのですが、新聞報道を読む限り、調査としてあるいは記事として、とても稚拙と言えると思います)
調査をした先生に、「効果がないのではないか」あるいは「効果があるはずがない」という考えがもともとあって、そういう結論を導き出すための調査であったのかなという気もしなくもないのですが。(あくまでも「報道の内容がすべて」という前提でですが)
とは言え、私も「習熟度別授業」を単純に支持するものではないので、「教師を増やした割には効果が見られなかった。同じレベルが集まると生徒は安心してしまい、成績の引き上げ効果が失われているようだ」という、この先生の後半部分のコメントにはある程度納得できます。塾をやっていた経験から言うと、短期間に特定の子の成績を上げようとすれば「習熟度別」というのは、絶対に必要です。「先に進む」あるいは「さらに難易度の高い問題をこなす」ということであれば、当然それについてこられない子どもたちは「足手まとい」になります。「足手まとい」になった子どもたちを切り捨てずに、なんとかしようとすれば、クラスを分けるしかない。一般的に言って、個別指導でない塾はそれを実践しているわけで、成績の順にクラス分けを行っています。塾の目的は、ただ単に少しでも多くの生徒の学力を、できる限り現状より良くすることが目的なので、上下の学力格差が広がり差別が助長され、ある程度の落ちこぼれが生まれようと、そんなことはお構いなしです。もっとも、経営上、低学力の子どもたちを切り捨ててしまっては「もったいない」ですから、簡単に切り捨てようとはせず、丁寧に面倒を見ているように装いますが…。
それを即公立の学校に当てはめてうまくいくかというと、そうはいきません。「習熟度別」に分けるということ自体、学力格差による「差別」という議論もあると思いますが、その後、分けることによって、さらに学力格差が広がってしまい、「差別を生む」ということをどうするのかというのが大きな問題です。
どうも日本人は、文化として、格差を広げることを好まない傾向があるように思います。今回の参議院選挙の結果を見ても、相次ぐ閣僚の不祥事や安倍さん個人のキャラクターの問題はあったにしても、やはり根本的にくすぶっていたのは、格差の問題です。置き去りにされた地方の氾濫というのは、もちろんありますが、都市部でも格差については、はっきり「ノー」です。
和歌山県の先生の言う「同じレベルが集まると生徒は安心してしまい、成績の引き上げ効果が失われているようだ」というコメントも、日本の文化として捉えた場合、とても良く理解でき、おそらくこれからも、それを打ち破るのは並大抵のことではないのではないかと感じます。単純に成績順に「習熟度別に分ける」ということではなく、もっと日本の風土にあった「新たな習熟度別」が必要なのかもしれません。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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