【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第320回「なくならない高校野球部の不祥事」
「そちらに中山紀正(仮名)さんが入院していると思うんですが、何号室ですか?」
「そういうことにはお答えできないんですよ」
「えっ、親戚のものなんですが…」
「規則ですから」
「すぐそばまで来ているので、これから伺おう思うんですが、入院はしてるんですよね?」
「それもお答えしかねるんですが…」
「えーっ!入院してるかどうかも教えてもらえないの?」
「はい、規則なので…。どなたかご親戚の方にご確認ください」
「だからぁ、私がその親戚だっちゅーの!」
水戸の近くの病院に義理の弟(正確に言うと元義理の弟)が癌で入院し、放射線治療を受けていると甥から聞いて、お見舞いに行こうとしたときの病院との電話のやり取りです。「元」なので、正確には親戚ではないし、普通だったら「お見舞い」でもないのですが、義父の通夜にもわざわざ水戸から駆けつけてくれて、義母が「今までもお世話になったし、孫の父親なんだからこれからも孫のことではお世話になるんだし」と言うので、婿と元婿というやや関係の遠い私が、病院を訪ねることになったのでした。
「どうしようかなあ?」と思いましたが、わざわざ水戸まできて、用も足さずに帰るわけにもいかないので、ややこしい関係でお見舞いに行く前から甥に負担をかけるのは嫌だなあと思いつつ、甥に電話をかけて、確かめることにしました。
個人情報保護法が施行されてから、こんなことがよく起こります。
先日、病院内で人違いから射殺されるという事件が起きました。あの場合は確認ができていれば、事件に巻き込まれなくてすんだケースでしたが、他人に教えてしまったことで、事件に巻き込まれるということも考慮してのことなんでしょうか。
あまりそういった事件を聞いた覚えはないのですが…。
私の住んでいるマンションの管理組合の定時総会で、「名簿に電話番号を記載しないでほしい」という意見が出されたことがありました。個人情報保護法が制定される前のことで、管理組合では、毎年部屋番号と電話番号が記載された居住者名簿を作成して、全戸に配布していました。売られた名簿を元に頻繁に電話がかかってくるということが社会問題化していたときで、名簿の問題に敏感な人たちが出始めたころのことです。総会では、様々な意見が出ましたが、それまで、名簿があっていろいろな連絡やコミュニケーションが取れていたということもあり、電話番号はそれまで通り載せるということで決着しました。
その後、個人情報保護法が施行となり、現在では電話番号だけでなく、名簿そのものを作らないことになっています。
今年も、そろそろ年賀状の季節。孫の通う幼稚園では「異業種交流会」ならぬ「異住所交流会」(そんなもの本当にあるわけはないですが)があるらしく、なにやら住所を書いた名刺のようなものを作っては、年賀状のやり取りをする人に渡しているようです。
私も会社をやっている関係で、生命保険会社やこのエッセイでもお世話になっている商工会議所の「異業種交流会」には、何度か出席させていただいていて、名刺を交換することの意味・意義は充分に理解しているつもりですが、幼稚園までそんなことをしなくてはならなくなっているとは…。
どうやら、電話の連絡網だけはあるらしく、運動会や遠足といった行事の時には、電話がかかってくることはありますが、住所がわからない。そのため、年賀状を出すには、住所の書いてある名刺様のものを交換しておくのが手っ取り早いということなのでしょう。昔は名簿を見ては、「この人とはあまり関係がよくないから、年賀状を出しておこうかな?」なんて、関係改善を図ったりもしていたんですけれど、いまでは仲のいい人とだけのやり取りになっているんでしょうね。
確かに住所や電話番号が漏れるということのリスクもありますが、それが行き過ぎると「地域社会の崩壊」につながります。うちは10階建てマンションの1階にあるので、たまに上の階から物が落ちてくることがあります。さすがに下着が落ちてきたりしたときには、何も言ってこないこともありましたが、これまではほとんどの場合落とした本人か管理人室から連絡があり、取りに来ていました。ところが、名簿がなくなってからは、連絡があることが少なくなりました。これまでだったら、管理人室を通して連絡があったような場合でも、たいていは、直接謝罪の電話くらいはあったものですが、今では各階に1人いる理事を通さなくては連絡が取れないので、「落とした」という連絡そのものもなくなりましたし、謝罪の電話があることもなくなりました。
もちろん、「どこの部屋にどんな人が新たに越してきた」などということもわからないので、廊下や駐車場で顔を合わせ、「こんにちは!」なんて声をかけても、「あれっ?あんな人いたっけ?」ということも…。「これで不審者を見分けられるのかなあ?」と不安になることさえあります。
以前小学校での防災訓練では、電話が通じないという想定で、家から家へ直接伝えるという方法で、安否の確認や避難の仕方、誘導などを行うという訓練を行っていました。ところが、ここまで住所が非公開になってしまうと、ごく限られた、しかも普段自分に心地のいい人間関係しか存在しなくなっているので、地域の連携などまったく考えられません。
行き過ぎた個人情報の保護を改めようという動きもあるようですが、子どもを守るという観点から考えれば、何が本当に重要なのか、もう一度考え直す必要があるのではないかと思います。
つい先日、
「年賀ハガキ、買ったよねぇ? 何枚かもらってもいい?」と娘の麻耶が私に聞きました。
今年も娘と孫は「異住所交流会」で名刺(?)交換をしたお友だちと年賀状のやり取りをすることになるんでしょうね、きっと。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
8月26日、朝日新聞朝刊に「習熟度分けても英語成績伸びず」との見出しで、全教・教研集会での和歌山県の県立高校教諭からの報告の記事が掲載されていました。
03,04年度に普通科2年生2クラス80人を対象に「英語Ⅱ」で上位2つと下位1つの3グループに分け、習熟度別授業を試みたそうです。全国模試の平均偏差値で見ると、03年度、04年度も大きな変化はなく、習熟度別の効果は確認できなかったとか。ちなみに04年度に行われた7,11,1月の3回の模試の結果は、上位が「48.7→48.0→47.7」、下位が「46.1→44.5→45.6」。
この結果を見る限り、7月より1月の方が模試の結果が悪いので、確かに習熟度の結果が出ていないようにも見えますが、標本が2クラス80名と少ないこと、そして習熟度別クラスとそうでないクラスの比較ではなく、習熟度別クラスの時間的経過だけが比較対象になっていることなどを考えれば、実際にはほとんど意味のない調査になってしまっていると言わざるを得ません。(新聞報道が、比較対象を時系列的偏差値のみに絞った可能性もあるので、すべてが無駄とは言えないのですが、新聞報道を読む限り、調査としてあるいは記事として、とても稚拙と言えると思います)
調査をした先生に、「効果がないのではないか」あるいは「効果があるはずがない」という考えがもともとあって、そういう結論を導き出すための調査であったのかなという気もしなくもないのですが。(あくまでも「報道の内容がすべて」という前提でですが)
とは言え、私も「習熟度別授業」を単純に支持するものではないので、「教師を増やした割には効果が見られなかった。同じレベルが集まると生徒は安心してしまい、成績の引き上げ効果が失われているようだ」という、この先生の後半部分のコメントにはある程度納得できます。塾をやっていた経験から言うと、短期間に特定の子の成績を上げようとすれば「習熟度別」というのは、絶対に必要です。「先に進む」あるいは「さらに難易度の高い問題をこなす」ということであれば、当然それについてこられない子どもたちは「足手まとい」になります。「足手まとい」になった子どもたちを切り捨てずに、なんとかしようとすれば、クラスを分けるしかない。一般的に言って、個別指導でない塾はそれを実践しているわけで、成績の順にクラス分けを行っています。塾の目的は、ただ単に少しでも多くの生徒の学力を、できる限り現状より良くすることが目的なので、上下の学力格差が広がり差別が助長され、ある程度の落ちこぼれが生まれようと、そんなことはお構いなしです。もっとも、経営上、低学力の子どもたちを切り捨ててしまっては「もったいない」ですから、簡単に切り捨てようとはせず、丁寧に面倒を見ているように装いますが…。
それを即公立の学校に当てはめてうまくいくかというと、そうはいきません。「習熟度別」に分けるということ自体、学力格差による「差別」という議論もあると思いますが、その後、分けることによって、さらに学力格差が広がってしまい、「差別を生む」ということをどうするのかというのが大きな問題です。
どうも日本人は、文化として、格差を広げることを好まない傾向があるように思います。今回の参議院選挙の結果を見ても、相次ぐ閣僚の不祥事や安倍さん個人のキャラクターの問題はあったにしても、やはり根本的にくすぶっていたのは、格差の問題です。置き去りにされた地方の氾濫というのは、もちろんありますが、都市部でも格差については、はっきり「ノー」です。
和歌山県の先生の言う「同じレベルが集まると生徒は安心してしまい、成績の引き上げ効果が失われているようだ」というコメントも、日本の文化として捉えた場合、とても良く理解でき、おそらくこれからも、それを打ち破るのは並大抵のことではないのではないかと感じます。単純に成績順に「習熟度別に分ける」ということではなく、もっと日本の風土にあった「新たな習熟度別」が必要なのかもしれません。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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