【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第495回「桃太郎 その2」
「温羅」(うら)が吉備国の英雄であったという話は、移動に利用していた観光バスのガイドさんの話の中に出てきました。
「へーっ、そうなんだぁ」
ガイドさんの話は、「百済から海を渡ってやってきた大男たちの「かしら」が「温羅」で、やがて北の山に住みつき、そこで鉄の道具を作りそれを利用して生活していた。それをうらやましく思った吉備人(きびびと)たちも一緒に鉄を作るようになった」というような話でした。
鉄を作っていた温羅たちを恐れたのが「やまと」。大和朝廷です。朝廷から、温羅を倒すために送られたのが、「吉備津彦命」(きびつひこのみこと)。吉備津彦命が桃太郎だとすれば、温羅が鬼ということになります。
総社市観光ガイドには、
鬼ノ城(きのじょう)は、古代の正規の歴史書には登場しないが、後世の文献である鬼ノ城縁起などにでてくる。それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・」。これが、一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来している。
と記されています。
「鬼ノ城」の名が古代の正規の歴史書に登場しないということであれば、「温羅」の存在そのものが「鬼」につながっていたのではなく、まず「鉄」を恐れた大和朝廷の吉備征伐があり、そのため「鬼ノ城」という話が生まれたと考える方が自然のように思います。
岡山の人たちに「温羅」が、「鬼」として恐ろしい存在と捉えられているだけではなく、「英雄」としての存在として捉えられている(?)のは、「温羅」が吉備に繁栄をもたらしたという事実があるからなのかもしれません。
備中国分寺を訪れた際、そこで「新・吉備路のおはなし“温羅と桃太郎”」という小冊子を見つけました。編集・発行は「県立博物館を誘致する会」で、それによると、
桃太郎を呼べ! やまとの王が言いました。
吉備の鬼を退治せよ
鉄を奪うのじゃ
鉄を持つ吉備の国が、大和よりも強い国になっては困るのです。
そんなくだりがあり、吉備国の長(おさ)が戦いのため集めた民衆に向かって、温羅が
「私たちは父母の恨みを晴らす武器をひそかに作り、それを持っている。だが、戦争は新しい恨みを生むだけだ。真のしあわせとは何か。吉備国の平和のために、私は戦わない」と言ったとあります。
温羅は、鉄の武器を大和朝廷に差し出すことを条件に、桃太郎に吉備人を滅ぼさないよう頼み、桃太郎もそれに大きくうなずくのですが、家来の放った矢が温羅の胸を射貫いてしまいます。温羅は吉備国を戦場にしないため、雉子に姿を変え飛び立ち、桃太郎も温羅との約束を誓うため、鷹に姿を変え温羅に追いつきますが、温羅は力尽き、川に落ち鯉になり、その血が川を真っ赤に染めたんだそうです。
桃太郎は、大和の王に使いを出し、鬼は亡びたと伝えます。そしてたくさんの武器を王に差し出した桃太郎は、吉備国を治めることを許され、温羅との約束通り、吉備国と人々を大切にし、のちに「吉備津彦命」と呼ばれたとなっていました。
もちろん伝説ですから、どちらの内容がより史実に近いのかはわかりません。でも私は、温羅は英雄であってほしいし、岡山の人たちもそう思っているんだろうと思いました。
桃太郎の話は、子どものおとぎ話ですが、実はそのもとは遠い昔の国と国との争いだったと考えると、ちょっと寂しい気がします。
やっぱり桃太郎の話は、川上から流れてきた桃を拾ったおばあさんが、その桃を持ち帰り、切ってみると中から元気な男の子が生まれ、桃太郎と名付けました。
そんなお話のままがいいですね。
おとぎ話は、おとぎ話で存在することに意味があるのかもしれません。
2012/02/27(月)
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
掲載された元のページも現在ご覧いただけるようになっています。
https://www.amatias.com/bbs/bbs_list.asp?current_page=50&forum_id=13


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