2025年4月 8日 (火)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第495回「桃太郎 その2」

「温羅」(うら)が吉備国の英雄であったという話は、移動に利用していた観光バスのガイドさんの話の中に出てきました。

「へーっ、そうなんだぁ」
ガイドさんの話は、「百済から海を渡ってやってきた大男たちの「かしら」が「温羅」で、やがて北の山に住みつき、そこで鉄の道具を作りそれを利用して生活していた。それをうらやましく思った吉備人(きびびと)たちも一緒に鉄を作るようになった」というような話でした。
鉄を作っていた温羅たちを恐れたのが「やまと」。大和朝廷です。朝廷から、温羅を倒すために送られたのが、「吉備津彦命」(きびつひこのみこと)。吉備津彦命が桃太郎だとすれば、温羅が鬼ということになります。

総社市観光ガイドには、
鬼ノ城(きのじょう)は、古代の正規の歴史書には登場しないが、後世の文献である鬼ノ城縁起などにでてくる。それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・」。これが、一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来している。
と記されています。

「鬼ノ城」の名が古代の正規の歴史書に登場しないということであれば、「温羅」の存在そのものが「鬼」につながっていたのではなく、まず「鉄」を恐れた大和朝廷の吉備征伐があり、そのため「鬼ノ城」という話が生まれたと考える方が自然のように思います。
岡山の人たちに「温羅」が、「鬼」として恐ろしい存在と捉えられているだけではなく、「英雄」としての存在として捉えられている(?)のは、「温羅」が吉備に繁栄をもたらしたという事実があるからなのかもしれません。
備中国分寺を訪れた際、そこで「新・吉備路のおはなし“温羅と桃太郎”」という小冊子を見つけました。編集・発行は「県立博物館を誘致する会」で、それによると、

桃太郎を呼べ! やまとの王が言いました。
吉備の鬼を退治せよ
鉄を奪うのじゃ
鉄を持つ吉備の国が、大和よりも強い国になっては困るのです。

そんなくだりがあり、吉備国の長(おさ)が戦いのため集めた民衆に向かって、温羅が
「私たちは父母の恨みを晴らす武器をひそかに作り、それを持っている。だが、戦争は新しい恨みを生むだけだ。真のしあわせとは何か。吉備国の平和のために、私は戦わない」と言ったとあります。
温羅は、鉄の武器を大和朝廷に差し出すことを条件に、桃太郎に吉備人を滅ぼさないよう頼み、桃太郎もそれに大きくうなずくのですが、家来の放った矢が温羅の胸を射貫いてしまいます。温羅は吉備国を戦場にしないため、雉子に姿を変え飛び立ち、桃太郎も温羅との約束を誓うため、鷹に姿を変え温羅に追いつきますが、温羅は力尽き、川に落ち鯉になり、その血が川を真っ赤に染めたんだそうです。
桃太郎は、大和の王に使いを出し、鬼は亡びたと伝えます。そしてたくさんの武器を王に差し出した桃太郎は、吉備国を治めることを許され、温羅との約束通り、吉備国と人々を大切にし、のちに「吉備津彦命」と呼ばれたとなっていました。
もちろん伝説ですから、どちらの内容がより史実に近いのかはわかりません。でも私は、温羅は英雄であってほしいし、岡山の人たちもそう思っているんだろうと思いました。

桃太郎の話は、子どものおとぎ話ですが、実はそのもとは遠い昔の国と国との争いだったと考えると、ちょっと寂しい気がします。
やっぱり桃太郎の話は、川上から流れてきた桃を拾ったおばあさんが、その桃を持ち帰り、切ってみると中から元気な男の子が生まれ、桃太郎と名付けました。
そんなお話のままがいいですね。
おとぎ話は、おとぎ話で存在することに意味があるのかもしれません。
2012/02/27(月)


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2025年3月30日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第412回「行き着く先はハーバード?」

ウェッブ上に配信されたAERAの記事。

 埼玉県蕨市出身の若菜友子さん(22)は、この夏から米ハーバード大大学院に入学、教育学を学ぶ予定だ。ハーバードだけでなく、ペンシルベニア大、英オックスフォード大、ケンブリッジ大などからも入学許可を得た。
 お茶の水女子大附属高校在学中に、オクラホマ州の高校に交換留学したのを契機に、高校卒業後はそのままアーカンソー大学に進学、心理学を学んだ。将来は、「英語を母国語としない学生向けの英語教育カリキュラムの作成などにかかわりたい」(友子さん)という。
 友子さんは帰国子女ではなく、ネイティブスピーカーでもない。小6まで本格的に英語を勉強したことはなく、セサミストリートのビデオを見て楽しんでいた程度だ。印刷会社に勤める父・啓一さん(53)、専業主婦だった母・幸枝さん(49)ともに海外生活経験は皆無だ。

「早期教育効果は小学生で消える」(本誌4月26日号)を読み、「うちの子育てが参考になれば」と投書を寄せた、若菜さん一家。早くから英語を教えたわけでも、特別な家庭教師をつけたわけでもない。子どもの自発性を最大限尊重する幼児期の家庭教育とは──
のあとに続く記事です。

これだけでは、中身がよくわからないかもしれないけれど、要するに、「早期教育」に夢中になる母親に向けた「教育は早期教育ばかりではないですよ」という啓蒙記事。
若菜さんのお宅の教育は、「早期教育」には無縁。

 家では英語も、ひらがなも教えたことはない。幸枝さんさんが大切にしたのは「五感を使って親子で楽しむこと」。童謡を一緒に歌い、歌に合わせてピアノの鍵盤を叩き、挿絵にすべて色を塗る、買い物の途中では、道すがら、「昨日と違うもの」を見つける「今日探し」に親子で熱中したり、具体的にものの名前を覚えさせるということよりは、幼い友子さんの目に映る「新しい世界」を大切にする。
「ただ娘と一緒に遊ぶことが目的でした。私自身が、非常に楽しかったんです」と幸枝さんはおっしゃっているんだそうです。近所の図書館で月20冊の貸し出し限度いっぱいの絵本を借りてきて、読み聞かせをし、さらに登場人物になりきって、二人で歌い、体を使って演技をする。
そんな中から、友子さんの感性が磨かれ、自主性が育っていったんだと思います。「母に『勉強しなさい』と言われたことは一度もないです」(友子さん)。

すごいですねえ。
埼玉大教育学部附属小学校に入学後は、講談社の「青い鳥文庫」などを次々と読破していった。小学校時代の得意科目は国語。小3で「小説」を書き、自作の連載マンガをノート30冊分も描きためた。
もう、驚くことばかり。

私が塾をやっていたころですから、今から25年くらい前、テレビで中学受験塾を取り上げた番組があり、その中で取り上げられていた塾に入塾は小学校4年生から、漢字書き取りしか教えないのに圧倒的合格率を誇っていて、希望者殺到で入塾するのも大変という塾がありました。若菜さんの例とは少し違いますが、他の教科は教えないんですから、単純な「知識の詰め込みでない教育」が効果を発揮するという例だと思います。ちょうど「見える学力、見えない学力」(岸本裕史著 大月書店)なんていう本が流行ってたころです。「見えない学力」ってこんなことをいうんだと思います。

さて、若菜さん親子は本当にすごいと思います。私もそういう方向の子育てを目指すのなら、ぜひ見習いたい。子どもをハーバードの大学院に入れたいと思っている人は、ぜひこのAERAの記事を読んでみてください。『娘はハーバード 母の「千冊読破」教育』で検索すれば見つかるかな?

で、私はこの若菜さん親子には感心しつつ、いったいAERA(朝日新聞)は何を言いたいの?と思っちゃったわけです。「早期教育」に疑問を呈しつつ、結局は「どうすればハーバード大に入れるか」に終始している。「子育て」の本質に迫りたいなら、ハーバード大に入る方法論ではなく、「人の幸せって何?」というところに行き着かないといけない。
「AERAの記者の人生の目標はハーバード大に入ること? 朝日新聞の方向性っていつもこういう方向なんだよなあ…。所詮エリートの書く記事」(エリートじゃない者のひがみに聞こえるかな? ちょっとあるかも…)と強く感じたのでした。
もちろん友子さんの目標も「エリートになること」ではないはずなのに、記事自体はどう読んでも「エリートがいい」としか読めなくて…。

エリートを目指して“大きな幸せ”を手にするも善し、エリートではなくて“ささやかな幸せ”を手にするも善し。それぞれの人生の方向性があって初めて「早期教育」の是非を語るべきなんじゃないかなあと思うわけ。
「幸せって何?」、これこそが一生の命題ですよね。
2010/06/28(月)


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2025年3月29日 (土)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第405回「自分自身を”愚かな総理”と言ったけれど、あれは“誤訳”?」

4月15日の読売新聞にこんな記事が掲載されました。
「14日付の米ワシントン・ポスト紙は人気コラムの中で、13日に終わった核安全サミットに出席した36人の各国首脳たちがオバマ米大統領との近さを競い合ったとしたうえで、「このショーの最大の敗北者は断然、哀れでますますいかれた日本の鳩山由紀夫首相だった」と鳩山首相を酷評した。
~中略~
さらに、「ますますいかれた」との表現は、「オバマ政権高官たちの評価」だとした。」
これはワシントンポストの看板記者、アル・カーメン氏の執筆によるコラムなんだそうです。この記事を巡っては、のちに日本のメディアは、
「米紙ワシントン・ポストは28日付(電子版)で、さきの核安全保障サミットで、鳩山由紀夫首相を「最大の敗者」と皮肉ったコラムニスト、アル・ケイマン氏が、首相を「ルーピー(loopy)」とした真意は、「愚か」や「いかれた」ではなく「現実から変に遊離した人」が真意だとするコラムを掲載した。

ケイマン氏は、今回のコラムで、島根大学の教授が日本のメディアがルーピーの意味を「愚かな」と「いかれた」の2通りに解釈していると指摘し、真意はどちらなのだと問い合わせてきたことを紹介。ルーピーの意味について「組織の意思決定について十分な情報を得ているという意味での『輪の中に入っている』状態とは正反対の意味」だと釈明した。」(産経新聞 他社も同様の記事)
と続報を掲載しています。そしてさらに5月1日、
「米紙ワシントン・ポストのコラムニストが〈いかれた鳩山首相〉とこき下ろした問題で、同紙は28日付で続報コラムを掲載した。「言いたかったのは『現実離れ』という意味だ」と“説明”、日本の新聞はあたかも同紙が釈明、謝ったように伝えていたが、真実はまったく違う。そもそも今回の混乱は、コラムにあった「loopy(ルーピー)」という英単語を、日本のメディアが「いかれた」「愚か」と“誤訳”したことにあるのだ。
~中略~
コラムニストが2度目のコラムできちんと説明したように「現実離れ」というニュアンスなのだ。
~中略~
〈いかれた鳩山首相〉と最初に訳したのは読売新聞だった。悪意丸出しの“誤訳”である。」(日刊ゲンダイ)

私は英語が大の苦手なので、「loopy」を本来どう訳すべきかはよくわからないけれど、一連の流れからすると、悪意か善意かは別として、読売新聞の訳が誤訳であったというのは事実らしいということは想像できます。政権交代後の政治を巡る報道は、自民党時代とは正反対に、政権支持の朝日新聞に、不支持の読売、産経新聞といった様相。それに週刊誌や月刊誌も加わっていますから見ていておもしろい。毎週月曜日に新聞紙上に掲載される週刊現代と週刊ポストの見出しも対照的で、見る度にメディアというのはずいぶん適当なものだなあとおかしくなってしまいます。

現在のカウンセリングの基礎を築いたカール・ロジャーズは、「私たち一人ひとりが見ている「世界」は、私たち一人ひとりが目で見える世界をどのように受け取っているかによって決定されている」と考えました。
この現象学的な考え方から、ロジャーズはカウンセリングにおいて「内的照合枠からの理解」が重要であると言いました。「内的照合枠からの理解」とは、一人ひとりが認知している世界を、その人の認知の仕方で理解することです。
つまり、その個人の世界の受け取り方を理解して、その人を取り巻く様々な関係を内側から理解していこうとすることです。これは、ロジャーズ以前の個人を外側からある基準に従って判断する“診断”の考え方と大きく異なっています。

子育てで重要なのは、この「内的照合枠からの理解」です。人は、自分の価値基準で判断するものなので、前述の誤訳が生まれるわけですが、親も同じですよね。皆さんも経験したことありませんか。先日、私もやってしまいました。

いつもコップや飯碗に飲み物や食べ物を残す癖のある孫の蓮(れん)の前の皿に1つだけ残っているおかずを見て、
「お前、またそんな1つだけ残してだめだろっ。あと1つなんだから食べちゃいなさい!」
と怒ったら、蓮がモジモジ何か言いたそうにしていました。はっきりしないので、さらに、
「グズグズしてないで、早く食べちゃいなさい!」と怒ると、
「だってこれ、じいちゃんの分が1つもなかったから、じいちゃんの分に残しておいたんだもん」

どひゃーっ! こりゃダメだ!
頭からスーッと血の気が引いていくのがわかりました。今度は私がモジモジ。
「おーっ、そうか。ありがとな。どれどれ食べてみるか」
おいおい、食べてみるかじゃないよ。孫の気持ちもわからなくて…。
私の意識の中には、いつもほんのちょっと食べ残す蓮という意識しかなかったので、私のために残しておいたという発想がありませんでした。

こんな経験ありません? 私は私が認知している世界からしか蓮を見ていなかったわけです。カウンセリングにおいては、クライエントの内的照合枠からの理解ということが重要なわけですが、人は一人ひとりに内的照合枠があり、子育てをする場合も、親は自分の内的照合枠から子どもを見ているということをしっかり意識して子育てをしないとダメですね。
反省!
2010/05/10(月)


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2025年3月28日 (金)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第397回「『科学と学習』とうとう休刊」

『科学と学習』と言えば、学研の代名詞。その『科学と学習』の『学習』は2009年度冬号(2010年1月1日発行)、『科学』は2009年度3月号(2010年3月1日発行)をもって休刊しました。

『科学と学習』の歴史は古く、『学習』の創刊は、1946年(昭和21年)、『科学』の創刊は1957年(昭和32年。私の生まれた年)。

各学年ごとに出版された本の中身は、比較的堅いものにもかかわらず、読んでいて楽しく、スッと頭に入ってくる内容。そして、毎号付いてくる工夫された付録の楽しさ。私も小学生のころ、一時期『科学』も『学習』も購読していました。
科学好きだった私は、『学習』の購読は途中でやめてしまいましたが、『科学』は中身もさることながら、とにかく付録が楽しみで、ずっと購読していました。次号の付録がどんなものなのか、前号の予告ではわかるものの、付録を使って実際にやってみる実験の楽しさは格別で、発行日が近づくとワクワクしたものでした。

中学生のころは、マニアックというわけではありませんが、めっぽう理科好きな少年でした。家で教科書、参考書、問題集など、全く開いた記憶がないのに、どういうわけか理科の成績だけはいい。100点とまではいきませんけれど、ほとんどがそれに近い点だったと記憶しています。
それはなぜか?
それは『科学』の力に負うところが大きかったんだと思います。
付録を開けて、まず組み立てる(組み立てのいらないものもありますが)。そして解説を読み実験を進めていく。ところが子どもですから、付録の作り方、実験の進め方、なかなかうまくいかないこともあります。ここで、教えてくれる人がいれば、あるいは手伝ってくれる大人がいれば、わけなく付録作りと実験は成功するわけですが、どういうわけか『科学』は人に見せたくない、見られたくない。

自分ひとりが知っている秘密にしておきたい気分になるんです。実験が成功して、「××はね、××なんだよ」と大人に対して知ったかぶる快感。そんなものを感じていたのかもしれません。日常生活の中に「あるようでない」「ないようである」、そんなことが科学の実験にはつきものなので、大人でも知っていそうなのに、ちゃんとは知らない。そういうことがおそらく子どもの心を揺さぶったのでしょう。

そんなわけで、人にはあまり知られたくないので、近くに大人がいたとしても、あまり味わうことのできない大人に対する子どもの優越感が、大人に教わることをさせなかったんだと思います。

結局、誰にも頼らず自分ひとりで最後までやり通すしかなくなります。簡単に「実験終了!」となることもありますが、中には手こずる付録もあって、そんな場合は試行錯誤をくり返して、何とか実験が成功する。うまくいかなくても、大人に教わりたくないのですから、何度でもくり返しやるしかない。

自分ができるまでやる、自分が納得のいくまでやる、そういった姿勢が理科に対する興味や考え方を育てたのだろうと思います。
最近、理科の実験教室があちこちで開かれていますが、どうもあれは「科学の付録」とは違う気がします。それはなぜかと言えば、子どもの中に驚きはあっても、試行錯誤が少ないから。

確かに実験を体験しないよりはよほどいいとは思いますが、そこにはあまり失敗ということがないので、基本的には会得や体得ではなく記憶でしかない。そう考えると『科学』の力はすごかったんだなあと思います。

日本のライフサイエンス誌は、次から次へと休刊に追い込まれているそうです。資源のない日本にとって、「科学技術立国」というのが一つの目指す方向だったはず。完全に黄色信号が灯っている状態のようですね。知識としてではなく、子どもの生活の中に自然な形で科学が根付いていくような方向性が求められているのだと思います。
2010/03/08(月)

 

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2025年3月20日 (木)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第356回「ゴールデンウィークの出来事」

ゴールデンウィークが挟まり、だいぶ間が空きました。この間、高速道路の大渋滞あり、新型インフルエンザあり、株価の急騰ありと様々なことがありました。

残念ながら私も妻も、基本的には休み無し。何とか仕事のやり繰りをして、4日(月)だけは休むことにしました。連休も中日だったらそれほど渋滞もないだろうと高をくくって出かけたのですが、イヤイヤとんでもない。早く出た方が空いていたのか、遅く出た方が空いていたのか…。
8時半くらいに家を出て、東京外環から関越道で本庄・児玉インターまで行き、鬼石(おにし)を通って神川町へ。目指すは神川町営の矢納フィッシングパークだったんですが、大誤算。
外環は混んでいなかったものの、関越道の所沢インターを過ぎたあたりからのろのろになり、三芳パーキングエリアから先は、ちょっと動いては止まり、ちょっと動いては止まり…。結局、本庄・児玉まで高速で行くのはあきらめて、圏央道の鶴ヶ島インターで降り、一般道で小川、寄居を抜けて、神川町へ向かいました。
「高速道のサービスエリアかどこかの道の駅で朝食を取り、11時前には到着。お昼は釣ったニジマスを炭火で焼いてもらい、おにぎり片手にニジマスの塩焼きを食べる」つもりだったのに、朝食を取るうまい具合のところも見つけられず、朝はマクドナルドのドライブスルー。
やっとお昼過ぎに着いたフィッシングパークもこれまた大混雑。魚が疲れているのかなかなか釣れなかったけれど、なんとか1人1,000円で4匹のノルマを果たし、4人で計16匹也。ところがこのあとがまたまた大誤算。魚をさばいてもらって、炭火で焼いてもらうのにも長時間(それほどでもなかったけれど、さばいて、焼いて、食べてで2時間くらいかかりました)の順番待ち。
秩父の日帰り温泉でゆっくりして、竹の子掘り、イチゴ狩りという予定だったんですが、日帰り温泉はパスになってしまいました。

それでも何とか、竹の子掘りとイチゴ狩りはやったんですよ。秩父市街をちょっと外れた観光農園で竹の子(筍)掘りをやらせてくれるところがあり、そこでイチゴ狩りもできました。ここは大正解。客は我が家以外に無し。農園のお孫さんが、ちょうどうちの孫と同い年だったということもあり、すぐに仲良くなって、一緒に竹の子を掘ったり、イチゴ狩りをしたり…。
とても楽しい時間を、リーズナブルな値段(竹の子6キロを掘って、食べ放題のイチゴ狩りを5人で楽しんで、さらに家で留守番の娘の麻耶にイチゴを1パック詰めて、ジャスト7,000円也。もっとも孫の蓮はイチゴが苦手で摘んだイチゴを1つしか食べなかったんですが…)で過ごすことができました。

まあ、ちょっと渋滞に巻き込まれはしたけれど、近場の秩父へ孫たちと出かけたのは、正解だったということでしょうか。竹藪にニョキニョキ出ている竹の子に、大学生の翔も大興奮。孫たちだけでなく大人も楽しめた1日でした。もちろん帰ってすぐ、竹の子ご飯を炊きましたよ。堀り立ての竹の子は、味も香りも最高です。ぬかを入れて茹でた竹の子は、翌日近所にお裾分けしました。皆さんどんな風にして食べていただけたんでしょうか。

大型連休に入る前の4月28日、熊本県天草市(旧本渡市)の市立小学校で平成14年、臨時教員の男性が当時2年生だった男児の胸元をつかんで叱責した行為が、学校教育法の禁じる体罰に当たるかどうかが争われた訴訟の上告審があり、最高裁第3小法廷は、「教員の行為は体罰に当たらない」との判断を下し、体罰と認定して損害賠償を命じた1、2審判決を破棄して、原告側の請求を棄却しました。
これにより男児側の逆転敗訴が確定したことになります。具体的には、男性の臨時教員が「休み時間に女子児童をけった男児らを注意。男児が教員の尻もけったため、胸元をつかんで壁に押しつけ、もう、すんなよと怒った」ことにより、その後男児がPTSDを発症したということで、損害賠償を請求し、争われていました。報道の範囲内で考えれば、男児の行為も到底認められる行為ではなく、体罰が認められるかは微妙な事例でした。
ただ、1、2審判決で体罰が認められていただけに、それが逆転したことで、体罰の許容範囲が著しく広くなり、明らかに体罰と言えるようなことまでもが是認されるようなことが起こるかもしれません。とても心配です。

この件について、私の私的なブログ「専業主夫 大関直隆の“Live and let live.”」で取り上げたところ、@niftyのブログサイト「ココログニュース」(http://news.cocolog-nifty.com/cs/article/detail/blog-200905071657/1.htm)に私のブログが紹介されました。ご興味のある方は、ぜひ一読してみてください。

例年になく何かと騒がしい大型ゴールデンウィークでしたが、皆さんはどんな過ごし方をしましたか。大人にとってはちょっと疲れたゴールデンウィークだったかもしれないけれど、子どもたちとふれ合うとてもいい機会になったんじゃないでしょうか。

2009/05/11(月)


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2025年3月 5日 (水)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第334回「泰葉の離婚騒動」

今日は「泰葉(林家三平・海老名香葉子夫妻の次女)騒動」についてのコメントがほしいということで、女性自身の記者のK氏がやってきました。
今回の春風亭小朝と泰葉の離婚騒動の泰葉の行動についての分析ということでした。すでにほぼ書き上がっているK氏の記事を読ませてもらうと、海老名家(林家三平一家)の 子育てが浮かび上がります。
戦争で家族を亡くしてしまった香葉子さんの生い立ちや子どもを必死で育てる様子が、詳細に述べられているのですが、私の印象としては、ご自身が不幸な生い立ちを持っている分、子どもたちに入れ込んでしまって、親の期待を押しつけてしまっていたのかな、という印象です。もちろん芸能界のこと、何が真実で何が真実でないのかを判断することは難しいし、様々な要素で今回の騒動が持ち上がっているのは確か。子育て論だけで論じるわけにはいきませんけれど、記事の内容から香葉子夫人の子育てということに絞って、K氏と話をしました。

K氏とは旧知(というのか、17年前に取材を受けたことがきっかけで、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいています)の間柄。ご家族でうちに来ていただいたときに、小学生(たしか2年生か3年生だったと記憶していますが)ながら、ピアノを音楽性豊かに(どんな曲でも即興で転調するわ、アレンジするわで)弾いてくれた息子さんも今では24歳になり、某少年少女合唱団の指導者として活躍中とか。「泰葉」の取材が終わった後、久しぶりに一緒に食事をし、子育ての話やライブに夢中になっているというK氏の近況など、話に花が咲きました。

K氏は「私は好きなことやってるから」と楽しそうに何度もおっしゃっていましたが、基本的にはそれを子育てにも生かしているようで、お子さんも「朝から晩まで音楽三昧で、好きなことやってるから」との話。

海老名家はそこが違ったのかなあ???
記事を読む限り、海老名家の子育ては、子どもを「しむけた」、子どもに「させた」というのがほとんどの感じ。最近子育てに悩んでいる親たちが抱えている問題と共通しているように感じます。子どもをかわいがるあまり、子どもとの距離の取り方がうまくいかない。その適度な距離が子育てには大事で、距離があって初めて、子どもは自立していくわけです。ところがその距離がない。しかも、親自身が自分の人生に満足していないと、自己の欲求を子どもに肩代わりさせようとしたり、自分の要求を子どもに突きつけたり…。
時に子どもの失敗を親が尻ぬぐいして、子ども自身の責任感は消失する。親は、子どもをかわいがり一生懸命子育てをやっているつもりなので、虐待や放任と違い、親の悪さが際だたない。結果として、批判されるどころか、むしろ「いい親」、「仲のいい親子」と見られがちで、なかなか悪さに気づかない。
そんなふうに「泰葉」は、形成されていったのかな?
あくまでも、報道をそのまま解釈し、「泰葉」の行動が悪いという前提に立って分析すればという意味ですが。
海老名家とも親交があるというK氏は、「やっぱり香葉子さんも反省した方がいいのかなあ」と言って、帰って行きました。

どんな場合でも、子どもの行動には、親の育て方が反映するもの。子どもの行動に問題を感じたら、子どもの行動を批判する前に、まず自分の子育てを反省することが必要かも…。ここのところ同じようなことをずっと述べてきているけれど、子どもと親は別なもの。自己実現を子どもに求めるのはやめて、子どもには子どもの人生を歩ませたいものですね。

2008/11/17(月)

 

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2022年4月29日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第262回「父子家庭の増加」

「おまえ、今どんな生活してんの?」
「ん、オレ? オレはね、息子と二人暮らし。高校生の息子と二人で住んでんだよ。息子ってかわいいよなあ。ほんと、もうかわいくってさあ!」
「!? ほんとに高校生の息子と二人で住んでるの?」
「ん、そうだよ。ずっと。もう10年かな」
「父子家庭?」
「そう」
「なんで?」
「んー、なんでって言われてもなあ…。別れちゃったからさあ。子ども渡すのイヤじゃん。やっぱさあ、育てたいじゃん。オレの子だよ。それに、なんかさあ、奥さん、子ども育てたくなさそうだったんだよなあ。だから、引き取ったんだ。でもね、最近親離れって言うかなあ、そろそろもう大人だろっ。ちょっと寂しいよ。けっこう仲のいい親子なんだぜ」
「へーっ! おまえってさあ、高校時代から変なやつだったけど、ますます変なやつになってるなあ!」
「そう? オレはオレ。昔からそうだったんじゃん。あんまり、変わってねえよ」
今から4年ほど前のことです。20数年ぶりに会った同級生のK君から、一人で息子を育てているという話を聞きました。彼は、高校1年生の時のクラスメイトで、特別仲がいいというほどの関係かと言えば、そういうわけではありませんが、どういうわけか話をしていると、気持ちがスッと通じるところがあると言うか、そんな感じの変な友人です。私は、自分から積極的に“友達を作りにいく”というような性格ではないので、男友達と一緒に何かをしたという経験は皆無なのですが、このK君とだけは、高校1年生の時参加した伊豆大島への地学巡検(火山や地質、地層などの学習のため、地学の授業の一環として1年生の希望者が参加して毎年行われていた学校行事)で、丸3日というもの自由に行動できる時間は、すべて二人で行動していたという経験があります。牧場で牛乳を飲んだり、整髪に使う椿油を買ったり、三原山を二人で駆け下りたり、溶岩の色が反射して真っ赤に染まった雲を眺めたり…。今から30年以上も前のことですが、私はあまりそういう付き合い方をする方ではないだけに、大島で過ごした3日間は今でもよく覚えています。
その頃は、別にそれほど仲がいいというわけではないのに、どうして気持ちが通じるのかよくわかりませんでしたが、父子家庭で長く過ごしているという彼の話を聞いて、「子どもに対する思い」という点で、かなり価値観の近い部分があって、そういうところが私と彼をつなげているんだなあと、えらく納得がいきました。
彼の話は4年前のことですが、昨日(10日)ネットに、「『シングルファーザー』急増のわけ」というタイトルのニュースが流れてきました。総務省のデータによると、幼い子どもを抱える49歳までのシングルファザーは、05年に20万3000人で、00年からの5年間で、1万2000人も増えたそうです。
理由は、離婚が15万7000人、死別2万7000人、未婚1万9000人。もちろん離婚が最も多いわけですが、“未婚の父”がこの5年間で4割以上も増えたそうです。
“未婚の母”っていう言葉はよく使うけれど、“未婚の父”とは…。
シングルファザー支援に取り組む横須賀市議の藤野英明氏は、
「育児放棄が社会問題となっているように、子育てできない女性が増えているのが大きい。私がかかわった共働きの公認会計士とスッチー夫婦は、妻が『子育てにのめり込めない』と言い出したため離婚した。また、男性にも『パートナーはいらないけど、子どもはほしい』という考えが広がっているせいもあるでしょう」と言っているそうです。
私のあまり好きではない本に「父性の復権」なんていうのがあったけれど、近いうちに「母性の復権」なんていう本が登場するかも…。いやいや、もしかして、もうある?
今、ネットで調べたらもうありました! もっとも、「父性の復権」も「母性の復権」も“林道義”著でしたが。
私は、母親が失ってしまった母性を父親が補うのは大いにけっこうと思います。けれども、子どもを一人の人間として扱わず、まるでペットのように扱う母親のように、子どもを一人の人間として扱わず、まるでペットのように扱う父親が増えてしまうことを懸念しています。両親揃って子育てができることに越したことはないけれど、様々な事情で一人親家庭になってしまった場合でも、大人のエゴによって、子どもが不幸になることがないよう子どもの権利をしっかりと守った子育てをしたいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年12月 6日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第204回 「大倉浩弁護士来る!」

ここのところほぼ月1回のペースで行っている「カウンセリング特別講座」に地元浦和で弁護士としてご活躍の“大倉浩”先生にご登場願いました。
大倉先生のご実家と私の実家はすぐそば。大倉先生の方が私より1歳年上ですが、赤ん坊のころからの関係で、原山中学校でもバレー部の先輩、後輩でした。もちろん家族ぐるみで親しくさせていただいていたわけですが、大倉先生のお父上が浦和市の総務部長をなさったあと、私の父も総務部長をさせていただいたという関係もあってか、父もプライベートなことでいろいろとお世話になっているようです。
つい先日まで、私の会社と清水建設との間で争っていた、研究所(エイペックスタワー浦和西館7階)の雨漏りによる損害賠償請求事件でも、私の会社の代理人になっていただきました。
少年事件を数多く手がけていらっしゃる関係もあり、研究所開設当初より、特別講師としてお名前を連ねていただいていましたが、やっと今回講座をお願いすることができました。

たはっ、どうも大倉さんの話を一生懸命敬語を使って話そうとすると、頭が混乱してきちゃうなあ。子どものころから“ヒロシくん”“なおちゃん”の関係だったので、中学校で先輩、後輩になったときも、かなり混乱はあったんですけど、今回も結構混乱しちゃってます。
まっ、そういうわけで、大倉さんに講師をお願いしたわけです。
弁護士という立場で、少年事件に関わった話を聞く機会というのは、そう多くはないので、今回の講座はとても有意義なものになりました。大倉さんの人柄ということもあるのかなあ???子どものころからとにかく真面目で、熱血漢。正義感はめっぽう強いし、しかも涙もろいときてる。今回も、2時間の話の中で何度涙を流したことか。
おもしろかったのは、映画「戦場のピアニスト」を見たときの話。なんと、映画の中の主人公が撃たれそうになったとき、思わず「あぶない!」と叫んじゃったとか…。たぶんどこかの映画館での話じゃないかと思うけど、普通の人じゃあ考えられない。でも、講座に参加してた人たちは、ぼろぼろ涙を流す大倉さんを見て、おそらくすごく納得がいったんじゃないかな。小さいころから彼をよく知っている私としては、“いやーっ、ヒロシくんらしいなあ”と思うわけです。
そんな大倉弁護士が、少年事件について強く語っていたのは、“事件は子どもたちのせいじゃない”っていうこと。事件の責任は、事件を起こした子どもたちを取り巻く大人の責任であるということを力説していました。もし、事件を起こした子どもたちが、違った親、違った環境で育てられていたら、事件は起こさなかった。愛情のない家庭の中で育てられて、事件を起こしてしまった子どもたちも、愛情のある家庭の中で生活することで、更生できる。実際に少年事件に関わっている大倉さんの話には、大きく心に響くものがありました。
うちの研究所を訪れる多くの子どもたちも、皆とても優しく、いい子たちです。そういう子どもたちが、問題を抱えて苦しんでいる。そんな苦しんでいる子どもたちにさらに負担を掛けるのでなく、周囲の大人が責任を負ってあげることでどれだけ子どもたちが楽になることか。
人間は他の動物に比べて未熟で生まれてくる。未熟で生まれてくるからこそ、人間なんだ。オオカミに育てられたという“カマラ”と“アマラ”のことを思い出しました。
う~ん、親は親としてきちっと責任を全うしなくては…。
親の責任、大人の責任を痛感させられる大倉弁護士のお話でした。

 

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2019年11月 6日 (水)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第128回】「個性」

「弥生ちゃん、何それ?!」
「まんば」
「???」
「知らないんですか? やまんばメークのことですよ」
「???」
「だからさあ、こういうメークのことをやまんばメークって言うの。最近はねえ、それを“まんば”」
「ガハハハハッ、なるほどね! でもさあ、どうしてそんなふうに塗りたくっちゃうの?」
「だって、この方がかわいいじゃないですかあ!」
「そーおっ?」
「うん、絶対この方がかわいい」
「そうかねえ? なんにもしてない弥生ちゃんの方が弥生ちゃんらしくてかわいいんじゃないの?」
「えーっ?! 全然お化粧しないってことですか? すっぴんなんて恥ずかしいですよ」
「そうかなあ??? 私はそんなことないと思うけどぉ」
「すっぴんなんて、ありえない、ありえない、ありえない! ちょー恥ずかしいもん」
「そうなんだぁ?! なんか“まんば”の方が恥ずかしそうだけどね。弥生ちゃんだかだれだかわかんなくなっちゃうじゃない?」
「そうですかあ? ほらほら、ここの所をこういう風にやって個性出してるんですよ。いろんな風にできるじゃないですかぁ。すっぴんなんて絶対考えられない」
「ずっと“まんば”やってるの?」
「それはないですよ。大人になってこんなことやってたら、今度逆に恥ずかしくないですか? だから今しかできないんですよ。だから、今の高校やめて“まんば”やれるところへ移りたいわけ。ほら、この雑誌に出てる子、××高校って書いてあるでしょ。こっちの子は××高校。ウチの学校だと髪の毛染めるの禁止で、ちょっとでも黒じゃないとちょーうるさいしぃ…。うざい!」

弥生ちゃんは私立高校に通う16歳。“やまんばメーク”をするために高校を替わりたいと言っています。弥生ちゃんと会ってから、テレビの“まんば”の番組を見てみました。“まんば”という1つの風俗は、それ自体かなり強烈な個性を持っているのに、その番組に出ている子たちを見てみると、どの子が誰で誰がどの子かよくわかりません。“まんば”という強い個性がそれぞれの持つ個性を消してしまって、“××さん”という個人が“まんば”という集団に呑み込まれてしまっています。

「私、雑誌に載ったんですよ。ほらっ、このページ。私、どれだかわかります?」
50人あまりのやまんばメークの女の子たちがその雑誌の編集部を訪れたときのスナップ写真と集合写真が見開き2ページにたくさん載っています。
「うーん…」
なかなか見つけられずにいると、早く見つけてほしい彼女が、
「ほらっ、ここ!」
と指をさしてくれました。
「ほんとだ!」
その写真を指さされても、「これえ?」っていう感じだった私は、
「まだ載ってるよ。あとはどこだかわかる?」
という彼女に促されて、指さされた写真と同じ服装をした子を必死に探して、
「見つけた! ほら、これとこれ! あっ、ここにも映ってる!」
すると弥生ちゃんはビックリして、
「あっ、ほんとだ! 気がつかなかった!」
たった見開き2ページの中に映っている自分が見つけられない個性の無さ。自分をアピールしようとして個性をなくしてしまっている矛盾と滑稽さ。
「この前、まんばの番組見たよ。なんだかみんな同じに見えた。まんばの子ってみんな優しいんだなって思ったよ。あんなに個性的なカッコしてるけど、ほんとはみんな自分をさらけ出すのが苦手なんじゃないの? だからきっと自分を隠すためにあんなに塗りたくってるんだよね」
「そうかなあ? でも確かにそういうところはあるかも…」
自己主張をすることでかえって自己主張を消している、そんな状況に弥生ちゃんも考え込んでいました。


**9月27日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
 

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