2022年6月11日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第282回「幸せのレシピ」

10月10日にパルコがオープンして、浦和の映画館が復活!
特に映画ファンというわけではないけれど、近くで簡単に映画が観られると思うと、ちょっと嬉しいです。
毎日、忙しい生活を余儀なくされているので、上映時間に合わせて、行き帰りの時間を含め3~4時間を確保するのは至難の業。パルコの中にユナイテッド・シネマが入ってくれたおかげで、シネマの入り口まで5分弱。「見たい映画に合わせて」というのはもちろんですけれど、「ちょっと時間が空いたから」という映画の見方が可能になりました。
子どものころから「映画は好き」という意識はありましたが、実際に映画を見たのは、中学、高校のころに、テレビの深夜番組で見たというのがほとんど。映画館で見たなんていうのは、学生だったころ「授業が休講になったから」観た経験くらいしかないので、「ちょっと時間が空いたから」なんていう映画の楽しみ方ができるというのは、私の人生の中で、とても画期的なことです。
20歳前後から子育てに追われていたので、喫茶店や映画館でデートなどというのは皆無。なんだか人生ががらっと変わったような(ちょっと大げさ?)気さえします。
というわけで、オープン翌日の11日に「エディット・ピアフ」、そして26日に「幸せのレシピ」を観てきました。
いやぁ、何年ぶりかで観た映画は、やっぱり楽しいですね。エディット・ピアフは、シャンソン歌手で、皆さんご存じの
♪あなたの 燃える手で あたしを抱きしめて♪(訳・岩谷時子)の「愛の讃歌」で有名ですね。テレビのコマーシャルでも、「愛の讃歌」が流れていたので、「愛の讃歌」を歌うシーンが出てくるのかなと思いきや「愛の讃歌」はたった2回(?)バックに流れるだけで、むしろ「La vie en rose」(ラヴィアンローズ)(タイトルからはわからない人が多いかもしれませんが、聞けば“この曲かぁ”ってなる有名な曲です。音が出ないので、うまく説明できなくてすみません。http://edith-piaf.narod.ru/piaf1950.html でダウンロードできます)の方が強く印象に残りました。この映画の見所は、たくさんありますが、子どものころのピアフの生活には、インパクトがありました。
「幸せのレシピ」は、完璧主義の料理長、ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が、突然の姉の死により一緒に暮らすことになった9歳の姪ゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)との関係を必死で作ろうとしていく中で、ケイトとは正反対な性格の陽気で自由奔放な副料理長、ニック・パーマー(アーロン・エッカート)と恋に落ちるというストーリー。
ドイツ映画「マーサの幸せレシピ」をハリウッド・リメイクしたものです。
まったく意表を突くことのない真っ直ぐな展開で、楽に観られます。映画マニアの間では「ベタ」と言われて、あまり高い評価を得ていないようですが、私はとても楽しく観ました。
「子育て」から、とても遠いところで生きてきたケイトが、ゾーイとの関係を築いていこうとする中に、子育てのとても大事な部分を見た気がしました。高級レストランの料理長であるケイトは、自分の料理に対する価値観で、ゾーイに食事を作りますが、ゾーイはまったく口にしません。高級食材を使った一流の料理より、素朴で飾らない魚のフライやスパゲッティがいいのです。ケイトもニックとの関係の中でそれに気付いていきます。子どもの人格を認めること、大人の価値観を押しつけないこと、子どもの自主性を尊重すること…。様々な子育ての要素をこの映画中にはありました。
涙がこぼれそうになる場面もたくさんありましたが、オペラ好きなニックのおかげで、バックに流れるヴェルディの歌劇「椿姫」の「乾杯の歌」や1961年にトーケンズの歌で大ヒットした「ライオンは寝ている」などもとても楽しく聞けました。はまり過ぎていて、これも「ベタ」の一部なんだろうと思います。

もちろん子育ての映画ではありません。けれども、こんなところにも子育てのヒントはあるんですね。私はそんなところも気にしながら見ていましたけれど、こういう映画をそんなふうに見ていると、おもしろさも半減しちゃうかもしれませんが…。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年4月29日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第261回「父と子」

たった今、東京芸術劇場から戻ったところです。
真(まこと)が初めてプロデュースと演出をしたスーパー・エキセントリック・シアター ジェネレーションギャップvol.1 「NO BOEDER」を観てきました。
「統一か分断か… 第二次大戦後、アメリカとソ連の侵攻により東西に分断された日本。戦後まもなくソ連統治下から独立した東日本は、2007年に建国60周年を迎える。そんな時代に娘は言った。「トウサンハフルイ」父は言った。「オマエハヌルイ」東西統一を主張する娘。分断継続を主張する父。ちょっとだけすれ違ってしまった、親子の物語。」だそうです。
「う~ん、なるほど」
確かにそんな感じのわかりやすいストーリーでした。もちろんおわかりの通り、朝鮮半島問題をもじったものですが、ちょうど折しも国政の世界でもいろいろなことが起きているさなか、「国家評議会議長」「官房長官」「広報宣伝大臣」という役柄は、観ていた人たちも、劇そのものの出来はともかくとして、それなりに興味を持って観られたんじゃないかと思います。初めての演出ということで、ちょっと心配はしていたのですが、“杉野なつ美”さん(広報宣伝大臣の役も好演でした)の脚本にも助けられた上、千秋楽ということもあってか、会場の拍手もとても暖かく、「まあ、よかったなあ」とホッとしました。
確かにシナリオ自体はしっかりしているし、演出もそんなに悪いとは思わなかった。
が、パンフレットのコメントはなんだぁ!


 親父と酒を飲むのが僕の夢です。
 うちの親父は酒が飲めません。
 昔から家事をやっているのは親父でした。
 (多分「主夫」ってやつの先駆けだと思う)
 だから昔気質の親父ってのを知りません。
 もしかしたらこの作品はそんな親父像への憧れかもしれません。

 本日はご来場頂きありがとうございます。
 観劇後、ちょっとだけ家族のことを
 思い出してもらえたら幸いです…
 どうぞごゆっくりお楽しみください。

 あ、酒飲めないのは僕もでした…夢叶わず…


今年30歳にもなるのに、親を越えてなーい!
劇に出てくる小学校が「さいたま市立…」であったり、待ち合わせの場所が蕨駅であったり…。
「初めての演出作品がこれ?」
そろそろ、そんなところからは抜け出てほしいと思うのですが…。
昨日、真から電話があり「最近TVの取材を受けてて、終わったあと親のコメントがほしいって言われてるんで、終わったあとほんのちょっとでいいんだけど、残っててくれる?」
なんで親?とは思いましたが、「あっ、そう」
そしてついさっきのインタビュー(どうもTVではないみたいだけど、とりあえずTVカメラみたいなものを向けられましたが)では、
「クライマックスが、父親が死んで『おとうさん、起きてよ。起きてよ、おとうさん!』っていうのはどうかなあ…。まあ一般受けはするかもしれないけれど、子どもは親を越えていかなくちゃいけないんだから、次に創る劇は、親を踏みつけても乗り越えて成長していくっていうサクセスストーリーかなんかにしてほしいですね」
と答えておきました。

つい先日、読売新聞のコラムに、「『王子の育て方』 斎藤家・石川家共著」というのが、出ていました。早稲田大学野球部の「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹君、国内男子プロゴルフツアーで史上最年少優勝を果たした「はにかみ王子」こと石川遼君のことを題材にしたジョークです。
ここのところマスコミは、すっかり「親子(特に父子)」ブーム。特にスポーツ界では宮里、横峰、亀田等々、有名なスポーツ選手の育て方や父親を取り上げています。その影響で、第2の宮里、横峰、亀田を目指して夢中になっている父親も少なくないのでは…? けれどもそれは、スポーツ界だけをとってみても稀の稀。うまく育たず潰れてしまうのが落ちです。
もちろん、今のスポーツ界で有名になっている親子関係はある意味では成功でしょう。けれども、それは非常に特殊な世界での、さらに特殊なことであって、すべての家庭での子育てに当てはまるわけではありません。「親に育てられた子」というのが、どうやって「親を乗り越える」のか…。
どの子も思春期があり、反抗期があり、親と対抗することで、一つの成長を遂げます。「親に育てられた子」には、それがない。これは、スポーツの世界ばかりでなく、受験競争の世界にも言えることです。ずっと親の庇護の下で育っていった子どもたちは、いったいどんな人間になってしまうのか…。
ニートや引きこもりといった子どもたち、また大きな事件を引き起こしてしまう子どもたち…。子育ての大きな方向を見誤らぬよう、マスコミに踊らされるのではなく、一人の人間として自立できる子育てをしたいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第260回「会津 母親惨殺事件について思うこと」

ここのところ毎日のようにニュースを賑わしているのは、殺人事件。その中でも、とりわけ私たちに大きな衝撃を与えたのは、5月15日未明に会津若松市で起こった、17歳の少年による母親惨殺事件でしょう。
「母親殺し」というだけでも、私たちに充分なショックを与えるのに、母親の首を黒いショルダーバッグに入れ、警察署に自首をしたという事実は、私たち子どもを持つ親にとっては、身の毛がよだつような衝撃を与えました。
私がこの事件を知ったのは、インターネット上に配信される文字だけのニュースでした。「“母を殺した”17歳少年が生首を持って出頭」といったニュースの見出しを見ても、文字だけ、特にネット上に流れる文字だけというのは、次から次へと流れて去っていく情報に、あまり大きく心を動かしません。とはいえ、私にとって「文字だけ」ではあったにしても、それなりのインパクトのある事件ではありましたが、その後のテレビのニュースを見たときの印象というものは、インターネット上での文字とは、比べものにならないものがありました。
私がテレビでニュースを見たのは夕方で、すでに第一報ではありません。当然、マスコミには多くの情報が寄せられ、「殺害後の少年の異常行動」として、「インターネットカフェでDVDを観た」「タクシーに乗って出頭」「黒いショルダーバッグに母親の頭部を入れて…」というようなことが伝えられ、少年が出頭したという会津若松署の玄関の映像や少年の通う高校の記者会見の様子、少年を知る近所の人たちのコメントなどが、どの放送局からも流れていました。
「生首」を持っての自首ですから、事件の状況は、警察の記者会見などを通じて、早い段階からある程度明らかになります。事件の状況が詳しくわかればわかるほど、事件の凄惨さとは対照的に、少年の行動の冷静さが際立ってきます。マスコミにより「異常行動」という報道のされ方をした「インターネットカフェ」や「タクシー」のことも、私には異常とは感じられず、母親を殺して首を切断したあとの人間の行動としては、この少年の人間像からすると「普通の行動」だったように感じます。「わぁー」と冷静さを失い、衝動的に人を殺したというようなこととは違い、今回のように冷静さの中で進んでいった殺人の場合、自首をするという行動を考えるなら、高揚した気持ちを一旦収めるための時間的、空間的余裕というものが、少年には必要であったのだろうと思います。
この事件の内容とは別に、とても気になったことがありました。それは、少年の通っていた高校の会見です。
こういう状況下での会見は、その学校の持っている本質を非常によく表します。今回の記者会見は、学校側があまりにも冷静で、とても冷たいものを感じました。当然のことながら、記者の質問は編集で切られているので、具体的にどんな質問をされているのかはわかりませんが、学校の発言は、あまりにも「事件を起こした」ということに沿った内容になっており、しかもとても簡単に少年の学校での行動が公開されていく。個人情報にはうるさくなった世の中にもかかわらず…。
「普段はおとなしく、一人でいることを好んでいるようだった」「国公立大学の理系学部を志望」「科学部に所属していたが活動にはまったく参加していなかった」「昨年9月の修学旅行は、出発当日、少年本人から体調不良を理由に参加しないという連絡があった」「2年生の9月以降の欠席は計20日間。今年度に入って4月以降、登校したのは始業日の9日から5日間」。
私には、テレビから流れる会見の様子が、まるで教室にいる生徒たちにその日の連絡事項を伝えるホームルームのように見えました。

「ここの学校は、自校の生徒をこんなふうに扱っているんだ!?」

まだ事件の概要しかつかめず、具体的なことは何一つはっきりしていないわけだから、こういう時の学校の発言というのは、言葉を選び、少年のプライバシーに配慮をしたものでなくてはならないはずです。それがどう聞いても、ワイドショーや週刊誌の興味を奮い立たせるような内容にしかなっていない。警察の詳しい取り調べもこれからなわけだから、
「わが校の生徒が世間をお騒がせいたしましたこと、大変申し訳ございません」
それ以上のことは、「ただ今、警察での取調中ですので、全面的に警察に協力させていただきます」
せいぜいそんなところではないかと思います。
まさか事件の原因のすべてが学校にあるなどという言い方をするつもりはないけれど、もし事件の原因の一端が「少年の孤独」という部分にあるとすれば、学校のこうした姿勢にも責任はあるように思います。
少年は「特殊で変な子」という言い方の高校に対して、少年を知る近所の人たちが、口を揃えて「いい子ですよ」と言うのが印象的でした。
この事件は、「特殊な事件」ではなく、誰の身近にも起こりうる「普通の事件」なのかもしれません。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年12月 6日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第204回 「大倉浩弁護士来る!」

ここのところほぼ月1回のペースで行っている「カウンセリング特別講座」に地元浦和で弁護士としてご活躍の“大倉浩”先生にご登場願いました。
大倉先生のご実家と私の実家はすぐそば。大倉先生の方が私より1歳年上ですが、赤ん坊のころからの関係で、原山中学校でもバレー部の先輩、後輩でした。もちろん家族ぐるみで親しくさせていただいていたわけですが、大倉先生のお父上が浦和市の総務部長をなさったあと、私の父も総務部長をさせていただいたという関係もあってか、父もプライベートなことでいろいろとお世話になっているようです。
つい先日まで、私の会社と清水建設との間で争っていた、研究所(エイペックスタワー浦和西館7階)の雨漏りによる損害賠償請求事件でも、私の会社の代理人になっていただきました。
少年事件を数多く手がけていらっしゃる関係もあり、研究所開設当初より、特別講師としてお名前を連ねていただいていましたが、やっと今回講座をお願いすることができました。

たはっ、どうも大倉さんの話を一生懸命敬語を使って話そうとすると、頭が混乱してきちゃうなあ。子どものころから“ヒロシくん”“なおちゃん”の関係だったので、中学校で先輩、後輩になったときも、かなり混乱はあったんですけど、今回も結構混乱しちゃってます。
まっ、そういうわけで、大倉さんに講師をお願いしたわけです。
弁護士という立場で、少年事件に関わった話を聞く機会というのは、そう多くはないので、今回の講座はとても有意義なものになりました。大倉さんの人柄ということもあるのかなあ???子どものころからとにかく真面目で、熱血漢。正義感はめっぽう強いし、しかも涙もろいときてる。今回も、2時間の話の中で何度涙を流したことか。
おもしろかったのは、映画「戦場のピアニスト」を見たときの話。なんと、映画の中の主人公が撃たれそうになったとき、思わず「あぶない!」と叫んじゃったとか…。たぶんどこかの映画館での話じゃないかと思うけど、普通の人じゃあ考えられない。でも、講座に参加してた人たちは、ぼろぼろ涙を流す大倉さんを見て、おそらくすごく納得がいったんじゃないかな。小さいころから彼をよく知っている私としては、“いやーっ、ヒロシくんらしいなあ”と思うわけです。
そんな大倉弁護士が、少年事件について強く語っていたのは、“事件は子どもたちのせいじゃない”っていうこと。事件の責任は、事件を起こした子どもたちを取り巻く大人の責任であるということを力説していました。もし、事件を起こした子どもたちが、違った親、違った環境で育てられていたら、事件は起こさなかった。愛情のない家庭の中で育てられて、事件を起こしてしまった子どもたちも、愛情のある家庭の中で生活することで、更生できる。実際に少年事件に関わっている大倉さんの話には、大きく心に響くものがありました。
うちの研究所を訪れる多くの子どもたちも、皆とても優しく、いい子たちです。そういう子どもたちが、問題を抱えて苦しんでいる。そんな苦しんでいる子どもたちにさらに負担を掛けるのでなく、周囲の大人が責任を負ってあげることでどれだけ子どもたちが楽になることか。
人間は他の動物に比べて未熟で生まれてくる。未熟で生まれてくるからこそ、人間なんだ。オオカミに育てられたという“カマラ”と“アマラ”のことを思い出しました。
う~ん、親は親としてきちっと責任を全うしなくては…。
親の責任、大人の責任を痛感させられる大倉弁護士のお話でした。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年11月24日 (水)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第194回「収録終了!」

19日の金曜日、六本木のアークヒルズで「ドスペ!」の収録してきました。いやー今回の番組は、正直言ってあんまり見て欲しくないなあ…。テレ朝の思惑とウチの主張がぶつかっちゃって、どちらかというとテレ朝の思惑通りに話が展開しちゃったっていう感じ。

2時間番組で、6人(6組)が法案を提出することになっているんですが、皆さんご存じの通りコマーシャルが入るので、2時間番組の放送時間て正味100分くらい。その時間の中には、番組の説明やら出演者の紹介やら、当然そんなものまで入っているので、法案を審議する時間はさらに短くなって全体で90分あるかないか。結局法案1本当たり15分くらいになっちゃう。14日の土曜日にはウチを紹介するためのVTRも撮りに来て、そのVTRも挿入されるし、局が作った法案を提出することになったそもそもの理由のVTRも挿入されるので、VTRが全部その通り流れたとすると、それだけで5分以上。プレゼンと議論の部分て、ほんとにちょっとになっちゃう。スタジオでのウチの持ち時間が挿入VTRも含めて40分程度だったので、30分以上の議論が10分以下になっちゃうっていうことかなあ??? 一番言いたいところがカットされなければいいんだけど…。

さて、そのニート対策。
数ある社会問題の中でテレ朝がニートを取り上げようとしたのは、前回紹介したように、ニートが増加することにより確実に納税者一人ひとりの負担が増えていくこと、さらに多額の対策費を使っているにもかかわらず、まったく効果が現れないことなどからだと思います。

政府が実際に進めているニート対策も含め、多くの人が考えているニート対策というのは、家から出ることのできないニート本人に、人との交流の場を与えたり、職業訓練をしたり、というような本人を対象にしたようなものばかり。そんなことでニートが解決するかっていうと、前回紹介した沖縄の例のように、人とうまく関われないニートに対して、ただ「参加してください」と呼びかけて待っているだけなわけだから、うまくいくはずがない。

ニートの原因はいろいろ考えられます。どんどん広がっていく勝ち組、負け組の格差の問題、教育の荒廃、止まらぬ少子化・・・。すべてがニートと関わっていると言ってもいいと思います。その原因の部分に焦点を当てないとニートはなくならない。ニートに限らずどんな問題でもそうですが、問題を解決するには、元を絶たなきゃダメ。そういう意味で、今回私たちが、提案することになったのは、ニートの原因の一つと考えられる親子の部分に焦点を当てて、「ニートを作り出した親に課税する」というもの。私も本質的には政治の問題と考えているので、「親」を対象にするなんていうことが、正しいニート対策だなんて考えているわけではないけれど、カウンセリングで親子関係の部分でいつも苦労しているっていう話をしたら、どうしてもそこの部分を取り上げてくれって番組のプロデューサーに言われちゃって、親を守っている立場のウチが親を攻撃するような立場になっちゃうのでどうしようかとさんざん迷ったあげく出ることにして、結論を「親を守っているんだ」というところまで最終的には持って行こうとしたんですが、収録時間が予定より2時間も押してしまったこともあり、思ったように話が展開できなくて、誠にウチらしくない惨憺たる結果に終わってしまいました。

とほほっ。
どういう放送になるのかなあ…。勘違いされないといいんだけど。大失態からまだ立ち直れなくて、ちょっと今回の文章は混乱してるね。オンエアを見て、来週もう一度ニート対策について述べようと思います。

 

 

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2021年11月22日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第193回「“ドスペ!”出演決定!」

テレビ朝日の土曜夜7時、「ドスペ!」に出まぁーす!
1月28日(土)夜7時からの「ドスペ!」(土曜スペシャルの略?)に出ることになりました。今回は「ザ・法案 ファイト!」とかいうタイトルで、今の政府の政策に欠けている、不満があるということを法案という形でプレゼンして、各党代表の国会議員とタレントとディスカッションするというもの。何人かの提案者がいるようですけど、その中の一人(一組)ということで私と妻と二人で、教育相談を受けているカウンセラーという立場と20数年間主夫という形で子育てに関わってきた立場から「ニート対策」についてプレゼンすることになりました。

テレビというメディアの中で議論慣れした国会議員の先生方とディスカッションするのは初めてなので、果たしてうまく論理立てして、国会議員の先生方を納得させることができますか・・・。テレビの討論番組を見ていると、なんだか訳もわからず反対のための反対をしたり、ただただ目立ちたいばっかりに、やたらと人を攻撃する人たちがけっこういるので、ちょっとドキドキしちゃうなあ。初めての体験なので、楽しそうといえば楽しそうではあるのですが…。

先日、予行演習みたいな形で、実際にテレ朝に行って、丸山弁護士相手にプレゼンをしてきましたけれど、それなりには話せました。が、満足と言うにはほど遠かったので、19日の本番収録までには、もう少しきっちりと話せるようにしなくっちゃね。

さてそのニートですが、政府はやっと本腰を入れて対策を立てようということになってきたようです。少子化に歯止めがかからず、高齢化社会がどんどん進行していく現状では、ニート問題も早急に解決しなければならない問題の一つです(もちろん、ニート問題が即少子化とつながっているという部分もあるのですが)。ニートの数は、15歳から34歳までの学校にも行かず、働きもせず、職業訓練にも参加しない若者という括りで、85万人とも言われています。そして増税論議が行われている現在、本来働いているべき若者がニートになっていることによる税収減が、なんと6,200億円。さらに、政府のニート対策費が756億円。単純に考えて、もしニートがいないとしたら、7,000億円近い金額を増税しなくてすむ計算になります。これには、学校に籍はあっても実際には学校に行かず不登校、あるいは遊び歩って怠学しているといった若者の数はカウントされていないし、ニートを親が扶養している場合の扶養控除分が含まれていないので、その点も含めて試算すれば、さらに減収分は増えることになります。国家財政の健全化を図っている政府にすれば、ニート対策に本腰を入れるのは当然で、今までいったい何をやっていたのかという感も否めません。

ところがです。さらに問題なのは、その対策費の使い方。政府は、「自立支援塾」なるものを各地に作って、ニートを減らそうと考えているようですが、なんと沖縄に作った二つの自立支援塾の一つは利用者ゼロ。もう一つも利用者3名とか。こんな現状を見ると、まったく打つ手なしといった感じです。民主党の主張も「ニートが集まることができる場所を作り、相談、支援を行う」と言うんだからあきれちゃう。人と人との関わりができないからニートになっているのに、どうしてそんなところに行けると思っているのか、とてもニートを理解しているとは思えない。

どんなことでもそうですけど、一番大切なのは「元を絶つこと」。何かの宣伝にあったけど、なんだって同じですよね。そうなってしまった末端の部分だけを何とかしようとしたってうまくいくはずがない。百歩譲って、今現在ニートの人に現状の支援策が有効だとしても、新たに生まれるニートが防げるわけじゃない。もっと根本を考えないと…。
そこで提案をするのですが…。

提案の内容は、次回。

 

 

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2020年1月 5日 (日)

「男はつらいよ お帰り寅さん」観てきました!

明けましておめでとうございます!

12月31日(木) 浦和PARCOにあるユナイテッドシネマで「男はつらいよ」シリーズ50作目の「男はつらいよ お帰り寅さん」を観てきました。

渥美清さんが1996年8月4日、68歳で亡くなり、その後「渥美さんなしに寅さんは撮れない」という山田洋次監督の言葉通り、シリーズの新作は発表されずに来ました。

それが今回、渥美さんの映像をCGで織り交ぜながら、これまでの作品を切り貼りしてつなぐという手法(アイディアやコンセプトについては横尾忠則氏が「私の発案」としてトラブルに発展しているのですが)で1つの作品として発表されました。

「お帰り寅さん」は、さくら(倍賞千恵子さん)の息子、満男と光男の高校時代の同級生で、かつて結婚の約束までした初恋の人・イズミ(後藤久美子さん)を中心に展開していきます。

満男役の吉岡秀隆君は、高校受験の際、公立高校を受験したいということで私のところに相談に来て、半年ほど勉強を教えていた時期がありました。結局、公立高校では俳優としての活動が制約を受けてしまうということで、前年に飯能に開校した「自由の森学園」(息子が1回生として在学していて、当時山田洋次監督も教育研究協力者に名を連ねていました)を勧めたという経緯があります。

その自由の森学園に在学していた現在ドイツ在住の息子が、たまたま帰国中だったので、一緒に観に行くことになったんです。

映画は、ちょうど吉岡君がウチに通ってきていた直後、高校生だったころの回想シーンが多く、とても懐かしく観ることができました。

「寅さん」の発する言葉は、長い年月を経ても、心にしみるものがあります。人の生き方の本質をついた言葉だからでしょう。今回(以前に語られた言葉ですが)も、「困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ。おじさん、どっからでも飛んできてやるから」「何と言うかな、あー生まれてきてよかった。そう思うことが何べんかあるだろう。そのために生きてんじゃねえか」「思っているだけで何もしないんじゃな、愛してないのと同じなんだよ。愛してるんだったら、態度で示せよ」等々、有名なメロン騒動も出てきます。

「古いけど、古くない」
そんな寅さんでした!

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2019年11月12日 (火)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第146回】「男の子もいるのになぜ子女なの?」

毎週木曜日は朝からカルチャーセンターの講師をする日。午前中は春日部、午後は越谷のカルチャーセンターで陶芸を教えています。会社の事務を私がほとんど一人でやっているので、カルチャーセンターで丸一日時間を取られてしまうのはちょっとつらいんだけれど、浦和から春日部、春日部から越谷、越谷から浦和という通勤の時間は、私にとって重要な情報収集の時間になっています。

なーんちゃって!
何が情報収集の手段かっていうと、テレビとラジオなんだから大したことはない。去年まで乗っていた車はテレビなし。ラジオだけだったんだけれど、約20万㎞乗った末(よくここまで乗ったよね。こんなに乗ったの初めて!)買い換えて、今度はナビつきのになりました。ナビにテレビも搭載されているので、私の情報源もラジオだけからラジオとテレビに増えたわけ。純正ナビの欠点(?)で、サイドブレーキをかけないと画像は見られないんだけれど、運転中でもとりあえず音だけは聞こえます。

曜日と時間がほぼ決まっているので、いつも情報収集の番組は同じ。朝はやっぱりニュースやワイドショー系の番組、帰りはラジオの情報番組。お昼はっていうと、そりゃーもう「笑っていいとも」。
カハハッ、“それが情報源かよ!”って感じだよね。ちょっと恥ずかしい…
というわけで、先週の話。

木曜日は視聴者から寄せられた疑問に答えるコーナーがある(なんていうコーナーだったっけ? ちっともそういうところは聞いてないらしくて全然思い出せない。いかにもバラエティらしく、出演者が質問に対するプレゼンやったり趣向を凝らしている)んだけど、先週「“帰国子女”っていうときの“子女”っていう言葉はどうして“子”と“女”で“男”と“女”ではないのか」(ちょっと言葉が違うかもしれないけれど、だいたいそんなような内容)という質問が寄せられました。

回答は文部科学省からもらったということで、「“子女”の“子”が“男の子”という意味で、“子女”で“男子と女子”という意味です」という回答でした。私はここでタモリ(敬称を付けようか迷ったけど、ちょっと失礼して)が、「じゃあ、なんで女子は女っていう文字を使うのに男子は男っていう文字を使わないのか」って突っ込むのかなあと思ったんだけれど、時間が押していたのかフジテレビの意向なのか「ああ、そうなんだあ」で終わってしまったので、ちょっとがっかり。

広辞苑によると「子(し)」は、①こども。特に、むすこ。②男子の敬称。③日本で、女の名に添える語。(光明子・式子内親王)。大辞林によると①こ。こども。②独自の思想・理論をもって一家をなした人。(ともに後略)
大辞林にも接尾語として「読書子」とか「編集子」とかいう場合には「そのことをもっぱら行う男子の意味を表す」とあります。

確かに“男”という意味がないわけじゃないけれど、“女”っていうのに対して“子”が単純に“男”っていうのは無理があるような気がする。素直に考えればやはり“男女”の方がいいんじゃないのっていう感じ。“子”って言葉には“むすこ”っていう意味がないわけではないけれど、やはり素直に考えれば“子”は“子ども”かな? だとすると”男の子が子ども“で“女の子は子どもではない”っていう意味を含んでいる。要するに女は家を継ぐ“子”ではないわけだよね。「子女」っていう言葉がいつできたか、もっと掘り下げて行かなくちゃいけないんだろうけれど、どう考えても、女性を蔑視しているとしか思えない。文化を継承することも大切だけれど、一部の人間にとって都合のいい文化だけが残っていくとしたら問題だよね。

たかが言葉ぐらいでがたがた言いたくないけれど、女性ばかりしかいないPTAで女性の権利が認められていなかったときの「父兄」はやっぱりおかしい。学校の公文書は「保護者」で統一されているのに、未だに(というより以前より最近の方が)先生方の多くが母親に向かって「ご父兄」って言ってる。いくら一般化している言葉だからといって、「父兄」っていう言葉には母親っていう意味が入っているって考えるのは、ちょっと無理がない? 相当言葉が乱れてる。漢字の意味をそこまで壊しちゃうのが文化の継承なのかなあ? 「子女」の“子”には、“女”は入ってないんだもんね。なんだかちぐはぐだし…。

“矛盾した憲法”の改正論議は進んでいくことになりそうな気配だけれど、“矛盾した言葉”の改正論議ももっと真剣にした方がいいんじゃないの? 男女共同参画社会の実現にはかなり時間がかかりそうですね。


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2019年11月 3日 (日)

第113回「素敵なお産をありがとう」

 6月10日(木)~13日(日)(昨日)まで、映画「素敵なお産をありがとう」の上映会を浦和教育カウンセリング研究所(現・浦和カウンセリング研究所)の研修室でやりました。
 この映画は、翔(かける)が生まれる瞬間を当時17歳だった努(つとむ)が撮ったビデオを編集し映画化(現在は映画がさらにDVD化されています)したもので、キネマ旬報ベストテン文化映画部門第6位、日本産業映画ビデオコンクール奨励賞を受賞した作品です。
 1990年から行ってきた講演会「メルヘントーク」の3回目に浦和市民会館(当時)で初めて公開した出産シーンのオリジナルビデオ映像に家族の紹介映像と真(まこと)によるナレーションを加え、再構成し完成しました。
 当時、出産の映像というのはとても珍しくて(今でも珍しいですけど)、しかもそれが子どもたちも含めた家族全員の立ち会い出産ということで、かなり話題になりました。このビデオの最初の公開がきっかけでTVに出演するようになるのですが、TV、週刊誌、新聞といったマスコミの取材が重なって、明け方3時くらいまで取材を受けてるなんていうこともありました。
 もともとただ単に家庭の中の記録として撮ったものでしたが、いろいろな成り行き(この辺のことは長くなっちゃうので割愛)で公開することになり、マスコミに取り上げられてしまうと、貸し出し依頼が殺到して、それにお答えするには内容が内容なだけにビデオという形よりはフィルムという形の方がいいだろうということで、16ミリ映画にしました。
 岩波映像販売(映画化のプロデュースをしてくれたところ)が主催で、六本木の俳優座劇場で2週間の上映会をやったり、その後いろいろな団体に全国各地で上映会を開いていただいたりしました。上映とセットで講演にも行きました。まだ映画化する前に鈴鹿の青年会議所の皆さんに呼んでいただいたり、青少年健全育成関係団体の方や大学、高校、教職員組合などなど、いろいろな方々に上映会、講演会を企画していただきました。
 ウチが企画したのは初めて公開したとき以来、今回で2回目です。今回企画してみて、ずいぶん時代が変わったなあと思いました。十数年前は出産のビデオを公開することはもちろんですが、立ち会い出産そのものがあまりポピュラーとは言えなくて、夫だけでも立ち会える病院はまだまだ少なかったし、ビデオ公開後1年くらいの間の出産の話題が沸騰したときにも、“夫が立ち会うと妻の出産の動物的なグロテスクさに驚愕してすぐ離婚になる”何ていうことが“成田離婚”と一緒に平然と言われていたことがあって驚きました。
 「素敵なお産をありがとう」は、もちろん出産を扱った作品ですけれど、全編に流れているものは、“出産”というよりむしろ“家族が新しい仲間をどう迎えるか”という映画です。母親にとっても父親にとっても、また子どもたちにとっても新しい家族の誕生は、人生の上でとても大きな出来事です。もちろんそれは出産というその瞬間だけにとどまるものではなく、人の一生に大きく影響を与えるものです。
 13年前と比べて今回は、映像そのものによるインパクトよりも、出産が我が家の中でどういう位置づけだったのか、あるいはご覧いただいた方の家庭において、出産がどういう意味を持っていたのか、そういったことを考えながらご覧いただけたのではないかと思いました。
 映画を見るとずいぶん幸せそうな家族に見えますが、わが家も決して順風満帆なわけではなく、しょっちゅうガタガタと揺れているし、せっかく積み上げた積み木がいっぺんに音を立てて崩れることもあります。まあ人生ってそういうものかなって思いながら生きてはいますが、頻発する少年少女の自殺や事件を思い、今回ご覧いただいた方たちは、一つの新しい命の誕生をどんなに周りが愛おしく思い、暖かく迎えるか、何かそんなものを感じていただけたかなあと思いながら、上映会を終えました。


**6月14日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。


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   ありがとうございました 2004/06/15 2:52:56  
 
                      もさく

 
  3歳の息子と参加させていただきました。
上映中、静かにできないようなら退室しますので、なんて言っておきながら
おしゃべりを始めた息子を押さえつけるようにして観つづけてしまいました。
もちろん、幼児はしゃべり続けます。
限界かな、観たいよ、なんでアイツ(夫)は日曜に仕事なんだ、と思ったところへ
「おばちゃんと遊びに行こう」と洋子先生が手を伸ばしてくださいました。
息子は笑顔で退室。別室で大関さんに遊んでいただきました。
ありがとうございました。図々しくて申し訳ありません。
洋子先生のあまりの若さに、娘さん?と思ってしまいました。本当に。

近頃「どうしてナニナニなの?」という質問をしては間髪入れずに
「ナニナニだからなの?」という答えまで用意してくるウチの子供。
「どうして今、おかあちゃんは横を向いたの?僕がうるさいからなの?」
そのとおり。うるさくて、つい適当に答えたり、怒鳴ったり、無視することもあります。

洋子先生の足元で、ヘソの緒をつけて丸まっている翔くんを観て涙がこぼれたのは
3年前の、私と息子を見せてもらえた気がしたからです。
ありがとうございます。本当に素敵でした。

夫は9歳年下。私と舅は15、姑とは14歳違いです。
婚姻届を広げて見たときの姑のゆがんだ顔が忘れられません。
面と向かって年齢差について言われたことはありませんが
嫁として認められていないことは伝わってきます。
「もうすぐ40歳だなんて。子供は産めるの?」てなことを夫に言ったそう。
また夫も正直に私に話しちゃったもんです。
洋子先生は偉いです。私は夫の親に対して「済まない」なんて思いません。
結婚してやったんだ、ばーか、って今この瞬間でも電話してやりたいくらい。
好きになったのは私が先ですけど。
洋子先生のお話を聞きながら泣いたのは少し自分と重ねたからです。

すみません。長くなりました。


 
  
元の文章を引用する
 

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   こちらこそありがとうございました 2004/06/16 4:31:28  
 
                      大関直隆

 
  本当は話を最後まで聞いていただけるとよかったのですが…。
私がもう少し隣の部屋で見ていた方がよかったですね。
お母さんのところへ早く戻してやった方がいいかな?と思ったのがまずかったみたいです。でも、私が見ている間、とてもいい子でしたよ。
年齢差と愛情は関係ないと思いますが、育ってきた環境の違い、世代によるものの見方の違いは厳然と存在します。同世代の結婚と比べて、そういう意味での難しさというのはあると思います。男性が上でも同じことが言えるんでしょうけれど、「男性がリードする」というような発想があるので、女性が上の場合よりは問題が少ないんじゃないかな? もちろんそれは女性の我慢の上に成り立っているのでしょうけれど。
人と人との違いを埋めるには、違いと真摯に向き合い、共通の体験を積み重ねるしかないのだろうと思います。結局わが家の場合には、それが立ち会い出産という形になったわけで、今回見ていただいたビデオの通りです。
また、何かの折りには是非お立ち寄りください。
  
元の文章を引用する
 

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   人と人との違い 2004/06/16 11:05:12  
 
                      もさく

 
  大関さんのお話を読んで、まずは夫との違いを埋めるべきなのかなと初めて思いました。
頭の中が少し明るくなったよう。まねっこして立会い&高齢出産するかもしれません!
ありがとうございました。
   
 

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2012年1月 1日 (日)

長渕剛さんが歌っていた門脇小学校

あけましておめでとうございます!

昨年は大変な一年でしたね。

特に東北の被災者の皆さんにとってはとても厳しい年になりました。

釜石の知り合いのお宅にお邪魔したときは、

私も大きなショックを受けました。

年が明けるちょっと前、

NHKの紅白歌合戦を見ていました。

長渕剛さんが、石巻の被災地から中継で参加するということは知っていたので、

もしかするととは思っていたのですが、

中継場所は、あの幼稚園の送迎バスががれきに押しつぶされた場所からすぐ近くの「門脇小学校」の校庭でしたね(たぶん)。

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私は絶望的な気分になったところです。

ほんのわずか映った周囲も、

全然変わっていませんでした。

早く復興への1歩が出せるといいですが…

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