2022年6月11日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第286回「物の見え方」

またまた笠間の楞厳寺(りょうごんじ)、ヒメハル工房の穴窯(薪で焚く比較的原始的な窯)で窯焚きです。これで穴窯焼成は4回目。だいぶ慣れてはきましたが、作品を窯から出してみるまでは、出来映えはわかりません。
1回目は、そのヒメハル工房を所有している橋本電炉工業の橋本さんにT氏を紹介していただき、T氏の指導のもとで焚いたせいか、窯焚きの途中、何度かトラブルに見舞われたものの、参加した会員さん(参加費用を払って作品を出した人)は大満足。
「次はいつやるんですか?」
の大合唱で、参加した人も、参加しなかった人も、次回穴窯焼成が待ち遠しいという状況になりました。
1回目の大成功のおかげで、2回目は参加希望者が続出。ヒメハル工房の穴窯の容量(18リッターの一斗缶で、約70スペース)があっという間に参加希望者で埋まり、結局2回焚くことに。薪の手配や私の負担も相当なものなので、続けてすぐというわけにも行きませんでしたが、1回目の3月に続いて、11月と翌年3月ということで、2回目、3回目の窯焚きをすることになりました。今後は11月に毎年1回、穴窯焼成をしていく予定です。
2回目以降は、T氏の指導を仰がずに自分たちだけで、なんとかしました。2回目は、まだまだ不慣れということもあり、T氏の教えを忠実に守っていたので、途中温度が上がらずに困ったことはありましたが、1回目よりさらにいい出来映えでした。3回目は2回目の自信が奢りにつながったのか、窯焚きの途中のドタバタやトラブルはなくなったものの、出来映えはあまり満足のいくものではありませんでした。
最後は作為ではなく窯任せ、炎任せという要素が強いので、さて今回はどうなりますか。
とりあえず、今のところ順調に進行しています。前回までの反省点をうまくクリアして、うまく焚けるといいのですが…。
陶芸というのは、「一窯、二土、三つくり」という言い方があるように、作品にとって最も重要なのが釉薬も含めた最後の行程である窯焚き。どんなに優れた形のものでも、窯焚きを失敗すれば台無しになってしまいます。その次が土。土が形よりも重要とされるのは、釉薬の発色というものが、土により大きく変わるということもあるのだろうとは思いますが、それよりも、やきものの風合いというものは、土の感じ、要するに柔らかいとか、堅いとかいうイメージで決まると言ってもいいからだと思います。
そして、最後がつくりです。つくりは最後とは言え、うちのような陶芸教室で陶芸をやろうとすれば、素地に施す装飾も含め、形を作るということは、「生徒」としてはほとんど陶芸の全てと言っても過言ではないほど重要な作業ですし、皆さんそれを楽しんでいます。
入会したての初心者の方には、まず湯呑みや小鉢といった日用雑器を作ってもらいます。特にカリキュラムを定めているわけではありませんが、身近で誰でも形をよく理解していること、そしてあまりうまくいかなかったとしても、とりあえず使えるだろうということで作ってもらっています。その次に作ってもらうものにカップがあります。コーヒーカップ、フリーカップ、どんな用途でもかまわないのですが、一つの技法として「取っ手をつける」ということを覚えてもらうために、作ってもらっています。
ところがここで、ほぼ100%、とてもおもしろい現象が起こります。皆さん、取っ手が大きすぎるんです。通常市販されているものの倍くらいの大きさの取っ手をつけてしまう人がほとんどです。取っ手が大きすぎると、取っ手を持ったときに指と器の間に隙間ができてしまうため、器の重心が大きく前に離れてしまって、かなりの重さを感じてしまいます。器を持っただけでも、持ちにくさを感じますので、飲み物を入れたときにはさらに持ちにくいということになります。
人は、自分が意識をしたもの、よく見たものをその形の重要な要素として捉えます。コーヒーカップを持つとき、一番強い意識を持って見るのが、取っ手。どうしても取っ手に指をかけなくてはならないので当然のことですが、それが大きな取っ手につながっていると推測されます。
それと同じような現象を、幼児の描く絵に感じました。幼児の描く人の絵はどうかというと、まず100%実物より顔が大きい。それに加えて、手の位置が肩よりはるかに低い位置から伸びていることが多い。幼児は、人を意識するとき、その人の身体はあまり意識しません。顔を見て物事を訴えたり、その人の感情を理解しようとします。それが、あの独特な絵につながっていると考えられます。
そう考えると、コーヒーカップの取っての不思議な現象にも納得がいきます。これは、子どもの感覚を大人になっても失わない数少ない現象ですね。
子どもたちが強く持っているそうした現象、感覚を大人はしっかりと理解した上で子どもたちと接しないと、間違った接し方になるかもしれませんね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第282回「幸せのレシピ」

10月10日にパルコがオープンして、浦和の映画館が復活!
特に映画ファンというわけではないけれど、近くで簡単に映画が観られると思うと、ちょっと嬉しいです。
毎日、忙しい生活を余儀なくされているので、上映時間に合わせて、行き帰りの時間を含め3~4時間を確保するのは至難の業。パルコの中にユナイテッド・シネマが入ってくれたおかげで、シネマの入り口まで5分弱。「見たい映画に合わせて」というのはもちろんですけれど、「ちょっと時間が空いたから」という映画の見方が可能になりました。
子どものころから「映画は好き」という意識はありましたが、実際に映画を見たのは、中学、高校のころに、テレビの深夜番組で見たというのがほとんど。映画館で見たなんていうのは、学生だったころ「授業が休講になったから」観た経験くらいしかないので、「ちょっと時間が空いたから」なんていう映画の楽しみ方ができるというのは、私の人生の中で、とても画期的なことです。
20歳前後から子育てに追われていたので、喫茶店や映画館でデートなどというのは皆無。なんだか人生ががらっと変わったような(ちょっと大げさ?)気さえします。
というわけで、オープン翌日の11日に「エディット・ピアフ」、そして26日に「幸せのレシピ」を観てきました。
いやぁ、何年ぶりかで観た映画は、やっぱり楽しいですね。エディット・ピアフは、シャンソン歌手で、皆さんご存じの
♪あなたの 燃える手で あたしを抱きしめて♪(訳・岩谷時子)の「愛の讃歌」で有名ですね。テレビのコマーシャルでも、「愛の讃歌」が流れていたので、「愛の讃歌」を歌うシーンが出てくるのかなと思いきや「愛の讃歌」はたった2回(?)バックに流れるだけで、むしろ「La vie en rose」(ラヴィアンローズ)(タイトルからはわからない人が多いかもしれませんが、聞けば“この曲かぁ”ってなる有名な曲です。音が出ないので、うまく説明できなくてすみません。http://edith-piaf.narod.ru/piaf1950.html でダウンロードできます)の方が強く印象に残りました。この映画の見所は、たくさんありますが、子どものころのピアフの生活には、インパクトがありました。
「幸せのレシピ」は、完璧主義の料理長、ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が、突然の姉の死により一緒に暮らすことになった9歳の姪ゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)との関係を必死で作ろうとしていく中で、ケイトとは正反対な性格の陽気で自由奔放な副料理長、ニック・パーマー(アーロン・エッカート)と恋に落ちるというストーリー。
ドイツ映画「マーサの幸せレシピ」をハリウッド・リメイクしたものです。
まったく意表を突くことのない真っ直ぐな展開で、楽に観られます。映画マニアの間では「ベタ」と言われて、あまり高い評価を得ていないようですが、私はとても楽しく観ました。
「子育て」から、とても遠いところで生きてきたケイトが、ゾーイとの関係を築いていこうとする中に、子育てのとても大事な部分を見た気がしました。高級レストランの料理長であるケイトは、自分の料理に対する価値観で、ゾーイに食事を作りますが、ゾーイはまったく口にしません。高級食材を使った一流の料理より、素朴で飾らない魚のフライやスパゲッティがいいのです。ケイトもニックとの関係の中でそれに気付いていきます。子どもの人格を認めること、大人の価値観を押しつけないこと、子どもの自主性を尊重すること…。様々な子育ての要素をこの映画中にはありました。
涙がこぼれそうになる場面もたくさんありましたが、オペラ好きなニックのおかげで、バックに流れるヴェルディの歌劇「椿姫」の「乾杯の歌」や1961年にトーケンズの歌で大ヒットした「ライオンは寝ている」などもとても楽しく聞けました。はまり過ぎていて、これも「ベタ」の一部なんだろうと思います。

もちろん子育ての映画ではありません。けれども、こんなところにも子育てのヒントはあるんですね。私はそんなところも気にしながら見ていましたけれど、こういう映画をそんなふうに見ていると、おもしろさも半減しちゃうかもしれませんが…。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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2022年6月 6日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第281回「鳥取県倉吉市から その2」

この道の駅は、1階が売店、2階がレストランになっています。
1階の売店には、よくあるお土産品、地場産の野菜や手作りのお菓子や味噌といったものの他、山陰の海らしい魚介類が、生けすで泳いでいました。
2階のレストランは、刺身定食、天ぷら定食など、海の幸中心のメニューです。
中に入ってメニューを見ながら注文をしようしたのですが、メニューに載っているのにないものばかり。いちいち口元に付けたマイクで厨房に確認しています。
結局「イカの刺身定食」に落ち着きました。
そんな有様でしたが、出てきた料理には大満足。見ただけで活きのよさがわかります。「要するに、その日によって捕れる魚が違うので、メニューはあってないようなもの」ということのようでした。

その晩は、三朝(みささ)温泉に泊まり、翌日の午前中、倉吉の町を散策しました。
倉吉という町は、けっして大きな都市ではありませんが、山名氏が最初に居城した地で、南総里見八犬伝の発祥の地でもあり、その歴史の重さを充分に感じることのできる町です。現在も打吹山(うつぶきやま)に城趾があります。
観光に大変力を入れており、「倉吉レトロ」をキャッチフレーズに、白壁土蔵群の保存に力を入れたり、「赤瓦」(あかがわら)と称する9つの建物で、様々な特色あるレトロなショップを展開しています。(http://www.apionet.or.jp/kankou/index.htm)
私が訪ねた日は、午前中ではありましたが、土曜日ということもあり、ちらほら観光客の姿も見受けられました。
「観光のお客様無料」と書かれた契約車両とのスペースが混在した未舗装の駐車場に車を止め、町のなかを散策しました。
ミニ鯛焼きを売っている店の前で、買おうか買うまいかと見ていると、店の主人らしき人が「どうぞ、試食してみて」と鯛焼きを差し出します。餡の種類が何種類もあるので、次から次へと違った種類の鯛焼きを試食させてくれました。
「今買っちゃうと、持って歩かなきゃならないので帰りに寄ります」と約束し、さらに町の散策を続けていると、醤油を製造販売しているところを見つけました。
中に入るとセンサーで「ピンポン、ピンポン」と音がしました。ところが、しばらく待っても人が出てくる気配がありません。再び入り口付近まで下がって「ピンポン、ピンポン」。
店に並んだ商品を見ながら、どれくらい経ったでしょうか。まったく出てくる気配がありません。「すいませーん!」店の奥に向かって声をかけましたが、なんの返事もありません。
「誰もいないのかねえ? これじゃあ、盗まれてもわからないよねぇ」
再び、「ピンポン、ピンポン」。ようやく、おばさんが奥から出てきましたが、まるでスローモーションを見ているよう。
なんとか、薄口醤油を買って、再び散策。
今度は、造り酒屋があったので、時季外れとは思ったのですが、酒粕を買いたいと店の中へ。
ところが、またまた、誰も出てきません。ここでもどれくらいの時間が経ったでしょうか。何度も何度も店の奥に向かって声をかけ、ようやくおばあさんが出てきました。
「今は漬物用しかないんですよ」
その返事を聞くために、どれくらいの時間を要したか…。
道を歩いていると、車庫から車が出てきました。のろのろしているわけではないのでしょうが、とにかくもたもたしています。じっと待って、車を先に出してやりました。
もし、東京やさいたまでこんなことが起こったら、腹が立ってしようがないのでしょうが、不思議とこの倉吉では腹が立たちません。それどころか「倉吉っていいところだなあ」、そんな気持ちが湧いてきました。
午後からは講演です。翔誕生の出産ビデオ「素敵なお産をありがとう」を見てもらい、その後私が30分、妻が30分話をしました。私の話は、ほぼいつも「それぞれの違いは違いとして認めること、そしてその違いを乗り越えるため時間と体験を共有すること、主夫としてこれまで私がやってきたこと」、そんな話が中心です。ところがこの日は、「倉吉っていいところですね。午前中に町のなかを探索したら、醤油屋さんで…」。そんな話をしているうちにあっという間に30分が経ってしまいました。講演が終わると妻が、
「あなたの話、いつもと全然違うから、どうフォローしようか困っちゃったじゃない!」
講演会後、主催者の皆さんと喫茶店で1時間ほどお話をしました。講演の時よりも詳しく醤油屋さんの話をすると、みんな大声で笑いました。
酒屋さんの話をすると、さらに大笑い。皆さんが言うには、「倉吉ってそんなところですよ。のんびりしていて。ちょっと出かけるのに鍵なんてかけませんから。悪い人なんていません」。
その話を聞いて、倉吉という町が、なぜ私の心をくすぐったかがわかりました。今では、なかなか感じることのできなくなった「人を信じるという心がここにはあるからだ」そんな気がしました。
講演会の前に控え室を訪ねてくださった倉吉市の教育長さんもとても腰の低い方でした。その腰の低さも「市民を信じる」そんなところにあるのかなあと思います。
「倉吉ってのんびりしていて、ぎすぎすしていない、すごく住みやすいところじゃないですか?」
「ええ、とっても住みやすいところです。なんにもないですけどね」
「なんにもない?とんでもないですよ、歴史と文化があるじゃないですか、そして何よりも地域社会が崩壊していない。貴重なところだと思いますよ」
こんなところで子育てをしたら、子どもはずいぶんのびのび育つんだろうなあと、強く感じる2日間でした。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第280回「鳥取県倉吉市から その1」

今日は、倉吉に来ています。
倉吉と言えば、つい先日市長が、舛添厚労大臣に一首長の立場で噛みついたところ。地方のそれほど大きくない、けれども歴史のある個性を持った町が、さいたま市のような首都圏のそれほどはっきりとした特徴のない大都市とどう違うのか、ほんの短い時間ではありましたが、観光地や倉吉の町のなかを散策したり、また教育長さんとお話をさせていただいたり、PTA連合会でご活躍の皆さんと交流させていただいたりしましたので、鳥取というところ、倉吉というところで、私が感じた文化の違い、子どもとの関わりの違いを2回にわたって、皆さんにお伝えしたいと思います。

少し前のことになりますが、月刊「教育ジャーナル」(学研)に、映画「あしたの私のつくり方」の原作者、真戸香さんと妻との対談が載りました。それをご覧になった教頭先生の推薦で、倉吉市のPTA連合会の方々が中心となり、講演会にお招きいただきました。
当初、カウンセラーとしての妻への講演依頼でした。子育てについてのスキルを主な内容とした講演会というお話だったのですが、幅広い年齢層のお子さんを持つ方が対象とのことでした。
子育てについてのスキルを中心に据えると、どうしてもある程度年齢層の絞り込みをしなくてはならないので、むしろ映画「素敵なお産をありがとう」の上映と私と妻の話ということではどうですかとこちらからご提案をさせていただき、上映会と講演という形で、行うことになりました。
担当の方から、丁寧に飛行機の時間までメモでお送りいただいたのですが、私の身体の関係(気圧が急に下がると、座席にも真っ直ぐ座っていられないくらい目が回って、汗が噴き出し、吐き気がする)で、飛行機には乗れないので、車で向かうことにしました。運転はちょっと大変ですが、自由に動き回れるので、初めての山陰で、見てみたいところもたくさんありましたし、その土地の人たちと交流のできることを、とても楽しみにしていました。
800キロ近い距離なので、10時間以上はかかります。昨年車で行った北九州に比べればかなり近いとは言え、朝出ても夜になってしまう距離。鳥取砂丘も行ってみたいし、大山(だいせん)、出雲大社にも行ってみたい。近くに多くの有名な美術館もある。
朝、3時くらいに家を出て、お昼過ぎには鳥取砂丘にという計画でしたが、それでは砂丘以外を見て回る余裕はなさそうだったので、前の晩仕事から帰ると、「このまま出ちゃおうか」ということになり、夜11時に家を出ました。
わかっていたこととは言え、東名高速道路の集中工事のためかなり長い区間が一車線通行になっており、予定通りには行きません。中央高速にすればよかったと悔いても後の祭り。早く出たにもかかわらず、結局出雲大社と大山は次の機会にということになってしまいました。
鳥取砂丘を初めて訪れた人の感想は様々だと思います。期待はずれとがっかりする人、期待通りと思う人、期待以上と感動する人…。
私は、だいたい期待通りでしたけれど、予想以上に感動したかな。
砂の色、砂の感触、そして何よりも砂と海と空とが織りなすコントラスト。思わず走り出したくなるような高揚感…。
広い砂丘の上に靴を置き去りにして、裸足で頂上まで登りました。そして目の前に広がる大きな海。
周りにいる人たちも、すっかり子どもに返ったようでした。ただ、残念だったのは、砂丘にとてつもなく大きな落書きがあったことです。
少し前にニュースでも取り上げていましたが、砂丘の持つ価値、公共性を無視したとても悲しい行為だと感じました。
陶芸教室の生徒さんから、「砂丘にいるラクダと並んで写真を撮ろうとしたら、乗ろうとしたわけじゃないのにお金を要求された」という話を聞いていたので、「本当かよ?」と思いましたが、それも想定してラクダにはあまり近づかず、遠くの方から写真を撮りました(笑)
売店で、孫に買うおみやげをあれこれ選びながら、「この砂時計(砂丘の砂が入っている)、どうかな?」と妻と話をしていると、まだ決めたわけでもないのに、売店のおばさんがすでに包装紙に包みかかっていたのにはビックリ。
「なるほど。ラクダの写真は遠くからにしといてよかった!」と納得がいきました。
そして、もう1カ所立ち寄ったのが、あの大黒様とワニ鮫に皮を剥がれてしまった因幡の白ウサギの話で有名な白兎海岸です。海岸に面して道の駅があり、その道の駅から山側には白兎神社があります。昼食をこの道の駅で取ることになりました。

つづく

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2022年5月20日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第273回「習熟度別って効果ない?」

8月26日、朝日新聞朝刊に「習熟度分けても英語成績伸びず」との見出しで、全教・教研集会での和歌山県の県立高校教諭からの報告の記事が掲載されていました。
03,04年度に普通科2年生2クラス80人を対象に「英語Ⅱ」で上位2つと下位1つの3グループに分け、習熟度別授業を試みたそうです。全国模試の平均偏差値で見ると、03年度、04年度も大きな変化はなく、習熟度別の効果は確認できなかったとか。ちなみに04年度に行われた7,11,1月の3回の模試の結果は、上位が「48.7→48.0→47.7」、下位が「46.1→44.5→45.6」。
この結果を見る限り、7月より1月の方が模試の結果が悪いので、確かに習熟度の結果が出ていないようにも見えますが、標本が2クラス80名と少ないこと、そして習熟度別クラスとそうでないクラスの比較ではなく、習熟度別クラスの時間的経過だけが比較対象になっていることなどを考えれば、実際にはほとんど意味のない調査になってしまっていると言わざるを得ません。(新聞報道が、比較対象を時系列的偏差値のみに絞った可能性もあるので、すべてが無駄とは言えないのですが、新聞報道を読む限り、調査としてあるいは記事として、とても稚拙と言えると思います)
調査をした先生に、「効果がないのではないか」あるいは「効果があるはずがない」という考えがもともとあって、そういう結論を導き出すための調査であったのかなという気もしなくもないのですが。(あくまでも「報道の内容がすべて」という前提でですが)
とは言え、私も「習熟度別授業」を単純に支持するものではないので、「教師を増やした割には効果が見られなかった。同じレベルが集まると生徒は安心してしまい、成績の引き上げ効果が失われているようだ」という、この先生の後半部分のコメントにはある程度納得できます。塾をやっていた経験から言うと、短期間に特定の子の成績を上げようとすれば「習熟度別」というのは、絶対に必要です。「先に進む」あるいは「さらに難易度の高い問題をこなす」ということであれば、当然それについてこられない子どもたちは「足手まとい」になります。「足手まとい」になった子どもたちを切り捨てずに、なんとかしようとすれば、クラスを分けるしかない。一般的に言って、個別指導でない塾はそれを実践しているわけで、成績の順にクラス分けを行っています。塾の目的は、ただ単に少しでも多くの生徒の学力を、できる限り現状より良くすることが目的なので、上下の学力格差が広がり差別が助長され、ある程度の落ちこぼれが生まれようと、そんなことはお構いなしです。もっとも、経営上、低学力の子どもたちを切り捨ててしまっては「もったいない」ですから、簡単に切り捨てようとはせず、丁寧に面倒を見ているように装いますが…。
それを即公立の学校に当てはめてうまくいくかというと、そうはいきません。「習熟度別」に分けるということ自体、学力格差による「差別」という議論もあると思いますが、その後、分けることによって、さらに学力格差が広がってしまい、「差別を生む」ということをどうするのかというのが大きな問題です。
どうも日本人は、文化として、格差を広げることを好まない傾向があるように思います。今回の参議院選挙の結果を見ても、相次ぐ閣僚の不祥事や安倍さん個人のキャラクターの問題はあったにしても、やはり根本的にくすぶっていたのは、格差の問題です。置き去りにされた地方の氾濫というのは、もちろんありますが、都市部でも格差については、はっきり「ノー」です。
和歌山県の先生の言う「同じレベルが集まると生徒は安心してしまい、成績の引き上げ効果が失われているようだ」というコメントも、日本の文化として捉えた場合、とても良く理解でき、おそらくこれからも、それを打ち破るのは並大抵のことではないのではないかと感じます。単純に成績順に「習熟度別に分ける」ということではなく、もっと日本の風土にあった「新たな習熟度別」が必要なのかもしれません。

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2022年4月29日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第261回「父と子」

たった今、東京芸術劇場から戻ったところです。
真(まこと)が初めてプロデュースと演出をしたスーパー・エキセントリック・シアター ジェネレーションギャップvol.1 「NO BOEDER」を観てきました。
「統一か分断か… 第二次大戦後、アメリカとソ連の侵攻により東西に分断された日本。戦後まもなくソ連統治下から独立した東日本は、2007年に建国60周年を迎える。そんな時代に娘は言った。「トウサンハフルイ」父は言った。「オマエハヌルイ」東西統一を主張する娘。分断継続を主張する父。ちょっとだけすれ違ってしまった、親子の物語。」だそうです。
「う~ん、なるほど」
確かにそんな感じのわかりやすいストーリーでした。もちろんおわかりの通り、朝鮮半島問題をもじったものですが、ちょうど折しも国政の世界でもいろいろなことが起きているさなか、「国家評議会議長」「官房長官」「広報宣伝大臣」という役柄は、観ていた人たちも、劇そのものの出来はともかくとして、それなりに興味を持って観られたんじゃないかと思います。初めての演出ということで、ちょっと心配はしていたのですが、“杉野なつ美”さん(広報宣伝大臣の役も好演でした)の脚本にも助けられた上、千秋楽ということもあってか、会場の拍手もとても暖かく、「まあ、よかったなあ」とホッとしました。
確かにシナリオ自体はしっかりしているし、演出もそんなに悪いとは思わなかった。
が、パンフレットのコメントはなんだぁ!


 親父と酒を飲むのが僕の夢です。
 うちの親父は酒が飲めません。
 昔から家事をやっているのは親父でした。
 (多分「主夫」ってやつの先駆けだと思う)
 だから昔気質の親父ってのを知りません。
 もしかしたらこの作品はそんな親父像への憧れかもしれません。

 本日はご来場頂きありがとうございます。
 観劇後、ちょっとだけ家族のことを
 思い出してもらえたら幸いです…
 どうぞごゆっくりお楽しみください。

 あ、酒飲めないのは僕もでした…夢叶わず…


今年30歳にもなるのに、親を越えてなーい!
劇に出てくる小学校が「さいたま市立…」であったり、待ち合わせの場所が蕨駅であったり…。
「初めての演出作品がこれ?」
そろそろ、そんなところからは抜け出てほしいと思うのですが…。
昨日、真から電話があり「最近TVの取材を受けてて、終わったあと親のコメントがほしいって言われてるんで、終わったあとほんのちょっとでいいんだけど、残っててくれる?」
なんで親?とは思いましたが、「あっ、そう」
そしてついさっきのインタビュー(どうもTVではないみたいだけど、とりあえずTVカメラみたいなものを向けられましたが)では、
「クライマックスが、父親が死んで『おとうさん、起きてよ。起きてよ、おとうさん!』っていうのはどうかなあ…。まあ一般受けはするかもしれないけれど、子どもは親を越えていかなくちゃいけないんだから、次に創る劇は、親を踏みつけても乗り越えて成長していくっていうサクセスストーリーかなんかにしてほしいですね」
と答えておきました。

つい先日、読売新聞のコラムに、「『王子の育て方』 斎藤家・石川家共著」というのが、出ていました。早稲田大学野球部の「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹君、国内男子プロゴルフツアーで史上最年少優勝を果たした「はにかみ王子」こと石川遼君のことを題材にしたジョークです。
ここのところマスコミは、すっかり「親子(特に父子)」ブーム。特にスポーツ界では宮里、横峰、亀田等々、有名なスポーツ選手の育て方や父親を取り上げています。その影響で、第2の宮里、横峰、亀田を目指して夢中になっている父親も少なくないのでは…? けれどもそれは、スポーツ界だけをとってみても稀の稀。うまく育たず潰れてしまうのが落ちです。
もちろん、今のスポーツ界で有名になっている親子関係はある意味では成功でしょう。けれども、それは非常に特殊な世界での、さらに特殊なことであって、すべての家庭での子育てに当てはまるわけではありません。「親に育てられた子」というのが、どうやって「親を乗り越える」のか…。
どの子も思春期があり、反抗期があり、親と対抗することで、一つの成長を遂げます。「親に育てられた子」には、それがない。これは、スポーツの世界ばかりでなく、受験競争の世界にも言えることです。ずっと親の庇護の下で育っていった子どもたちは、いったいどんな人間になってしまうのか…。
ニートや引きこもりといった子どもたち、また大きな事件を引き起こしてしまう子どもたち…。子育ての大きな方向を見誤らぬよう、マスコミに踊らされるのではなく、一人の人間として自立できる子育てをしたいものですね。

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2022年2月 1日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第246回「地球温暖化」

「夜、一人で窯焚きをしてるとね、薪が話しかけてくるんだよ」
「???」
「だからさ、薪がね、“フニャララ フニャララ、チャクチャクチャクチャク…”ってね、しゃべるの! だからさぁ、ほら、こうやって耳に手を当てて、よく聞いてみたんだよ」
「???」
「あぁ~、もう! だからさぁ、こうやってぇ、耳に手を当てるでしょ、それで薪がしゃべってるのを聞いたんだって!」
「言葉?」
「そうだよぉ! 薪が何かしゃべってるんだってばぁ!」
「はぁ? 大関さん、やばいよ!」
「なんで?!」
「ちょっとさぁ、あんまり寝てないんで、おかしくなってんじゃないのぉ?」
「何言ってんの! 薪もしゃべるのぉ! それだけじゃないからねっ! そこのほらっ、煙突の後ろのとこ、赤い大きな光がすーっと登っていったんだからぁ!」
「ほらほら、きたきたっ! そのうち“でた~!”とか言うんでしょ?!」
「えっ? 私は幽霊なんて信じてないもん! 無神論者だし。でも、薪はしゃべるの!」
3回目の穴窯焼成。(第203回参照)四晩の徹夜を覚悟しましたが、空気が乾燥していたせいか、温度の上昇も順調で、大きなトラブルもなく4日目の夜、火を止めて、一晩早く帰ってくることができました。窯の火以外まったく意識させない、文明から隔絶された真っ暗な闇は、人間の弱さと孤独を感じさせます。普段人間社会の中で生きていると、世界は人間で回っているとばかり思っているのですが、この笠間の楞厳寺(りょうごんじ)での窯焚きの時間は、人間は大きな自然の中のほんの小さな生命なんだということを実感せずにはいられません。温暖化の影響でしょうか、2月というのにとても暖かく、窯焚きの間一度も北風が吹きませんでした。昼は暖かく、夜中には夕立のような雨が降る。すぐ近くに落雷があったようで、ものすごい閃光と雷鳴が、孤独感を一層強くさせました。なすすべもない自分を強く意識し、孤独感は増大します。人間なんて、自然界の前では何もできない存在なんだ。
「もしこの雨が強くなって山が崩れたら、私は助かるだろうか?」そんな疑問は、疑問にもなっていません。答えは明らかなのだから。
そんなとき、自分が人間であることを止めて、自然の中に入ってしまうと、ずいぶんと気が楽になります。薪が出すさまざまな音に耳を傾け、屋根をうつ雨の音や木の葉を擦る風の音とも会話をする。自分のすべてを自然にゆだねる。
温室効果ガスの影響で、地球の温暖化が進んでいます。まるで、自然に勝ったように誇らしげに生きる人間。けれども、自然の驚異の前に人間には為す術がありません。自然に勝とうとどんなに立ち向かっても、人間の微力さを痛感するだけです。人間は、一刻も早く自然と対話をし、謙虚に自然と向き合う必要があるのではないかと思います。
子どもたちにどんな地球を残せるのか、私たち大人は少しでも世代間の不平等を埋める努力をしなければならない時がきています。
車の排ガス規制が一段と厳しくなろうとしています。これまでの文明をさらに文明を進化させることで自然を守ろうとしているのです。それもとても大切なことですが、一人ひとりがもっと自然を大切にし、人間も自然界の一員なんだという自覚を持つこと、そして自然に対して謙虚になること、そういうことが求められているんだろうと思います。
地球温暖化は、待ったなしです。異常気象が年々ひどくなっていく中、子どもたち、そしてその子どもたち、そしてさらにその子どもたちにも、平等な地球環境を渡すために、真剣な取り組みをしなければならないということを実感した、自然とのふれあいの4日間でした。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年12月14日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第220回「うちわ祭(まつり)」

一昨年の夏(第117回)ちょっと触れた熊谷の「うちわ祭」。昨年は、義父の具合が悪くて行けなかったんだけれど、今年は孫を連れて行ってきました。
どういうわけか、娘の麻耶(まや)が、どうしても4歳の蓮(れん)と3歳の沙羅(さら)を“叩き合い”(http://www.city.kumagaya.saitama.jp/kanko/kumagayautiwamaturi/index.html を参照)の中に入れるんだと張り切っていたので、
「しょうがないなあ、じゃあ肩車でもしてやるか」
というわけで、先に叩き合いが行われる“お祭り広場”(“広場”と言うけれど、ここは普通に言う“広場”ではなく、大きな十字路なんですが、毎年そこで各地区から12台の山車が集まり、交差点の中央に向かって、祭り最後のお囃子の叩き合いをする場所になっていることから、“お祭り広場”と呼ばれています)に行っていた麻耶(蓮、沙羅つき)と連絡をとり、お祭り広場のそばで合流しました。
お囃子の叩き合いは、祭りが行われる3日間を通して場所を変え、毎日行われるのですが、最後に行われる叩き合い以外は、基本的に12台の山車を扇形に並べて行います。うちわ祭最後の叩き合いだけは、中央に舞台が設営された十字路、お祭り広場を、四方向から山車が囲んで、360度を山車が囲んだ状態での叩き合いですから、その中にはいると、とにかく圧巻です。
問題は、山車に囲まれた中にいる人の数。“山車に囲まれたい”と、早くから人が集まっているところに、さらに四方向の道から広場に向かって山車が迫ってくるわけですから、交差点内ではなく、四方向のそれぞれの道にいた人たちまでもが、山車に押されるように交差点の中に“ギューッ”と圧縮、詰め込まれてくるわけです。初めから中にいた人間は、押されて倒されないように、かなり踏ん張らないと危険です。
広場からかなり遠くで、待機していた山車が、こちらに向かって動き出したのが見えました。天気がはっきりしなかったせいか、例年よりは人手が内輪な気がしたので、蓮と沙羅を連れていても、それほど危険はないと判断して、頭の中で押し込まれたときのシミュレーションを展開して、一応広場の中心で、山車が来るのを待つことにしました。
「もうじき山車が来るぞ! 準備はいいかっ!? 蓮、気合い入れろっ! しっかりつかまってろよっ!」
もちろん、半分くらいは演技で、肩の上に乗っている蓮に声をかけると、
「おーっ、おーっ、おーっ!」
と蓮も、両手をやや下に広げて、気合いを入れて見せました。もちろん、それも蓮の演技なんですが、その仕草がいかにも本当に気合いを入れているようで、とてもおかしいので、思わず、
「ぷっ!」
と吹き出してしまいました。なかなか、蓮も演技派のようです。
山車が広場の直前まで来たとき、どういうわけかそのすごい人混みの中に、救急車がサイレンを鳴らして入ってきました。
「救急車が通過します。道をあけてください」
警備の人たちは、必死で道をあけようとしますが、とにかく危険なくらいの人混みですから、そう簡単にはいきません。けれども、そこに集まっている人たちもなんとか救急車の通る道をあけようと、精一杯後ろに下がり、なんとか無事救急車は通過することができました。自分だって危険にさらされているにもかかわらず、一生懸命道をあけて救急車を通そうとする人々の優しさ。協力して道をあけた、近くにいた人たちとは、言葉こそ交わしませんが、妙な連帯感が生まれたのがわかりました。
いよいよ山車が迫ってきます。人の波は、すごい力で外から内へ、外から内へと押してきます。その波の力を、まるで水をかくように両手で脇へ逃がし、なんとかやり過ごします。「もうちょっと。もう山車が止まるよ。ほーら、止まったあっ!」
思った通り例年よりずいぶん人出が少ないようでした。それほど危険を感じることもなく、12台の山車が止まり、叩き合いが始まりました。
交差点の中心で待つこと1時間。すごい音、すごい熱気。汗が容赦なく首筋を伝わります。そのとき、肩車をしている蓮が急に動いたように感じました。
「れーん!」
「寝ちゃってるぅ! こんなにすごい音の中でも寝られるんだぁ!」
明るいうちから、麻耶に連れ回され、大興奮の蓮と沙羅。普段歩いたこともないような距離を歩かされ、しかも今はいつもならもう眠りについている午後9時です。手には、露店で買ったおもちゃをしっかりと握りしめ、コックリコックリし始めてしまいました。
「おりたいよぉ! だっこぉ!」
仕方なく、肩からおろして、だっこしてやりました。
さすがに、蓮もぐっすり眠るわけにはいかないらしく、なんとか最後まで持ちこたえました。お祭り広場で待ち始めてから、2時間あまり。蓮君も沙羅ちゃんもご苦労様でした。さすがに大興奮ではあるようで、実家までの2キロ近くの道のりを、一言もぐずらずに、蓮も沙羅も歩き通しました。
熊谷中が大興奮のうちわ祭。とっても楽しい時間を過ごしましたが、ただ一つしらけたことがありました。それは、何人ものあいさつがあった後、ほとんど最後に近くなってからあった県知事のあいさつ。毎年県知事がみえていて、来賓代表であいさつをするのですが、なんと上田知事は「うちわ祭(まつり)」を「うちわ祭(さい)」と発音したあげく、熱気というかその情熱というかそういうものを表現しようとしたんだと思うんですけれど、「涼しいぞ、熊谷! 熱いぞ、熊谷!」と叫んじゃったんですよね。知事のいた席は、来賓用にしつらえたかなり高い舞台の上。人混みの中の暑さなどまったく、感じ取っていなかったようで、「うちわ祭(さい)」と気候の涼しさを言った「涼しいぞ、熊谷!」で、お祭り広場は、一瞬シーンとなりました。あいさつが終わった後も拍手はまばら。行政を司る人は、もっと県民の気持ちに寄り添えないとね。
お祭り広場での叩き合いが終わり、各地区へ帰っていく山車とすれ違うたび、蓮も沙羅も大きな声で「バイバーイ」とちぎれんばかりに山車の上で鉦や太鼓を叩いているお兄さん、お姉さんに手を振っていました。
もう来年は、蓮君を肩車するのは、勘弁勘弁!

 

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2021年12月 6日 (月)

第213回「ドイツのバレエ事情 後編」

努(つとむ)は2年間、飯能から藤井先生のところへ通い続けました。習い始めのころのダラダラとした練習態度からすると、まったく信じられないことでした。レッスン中の努の態度を見ると、怒鳴りつけたくなることもしばしばでした。にもかかわらず、2年間も飯能から通い続けるなんて…。
努の卒業が迫ったとき、その後の進路について藤井先生に相談しました。
「本人ももう少し本気でバレエを続けたいようなのですが、どこか卒業後の受け皿はないでしょうか?」
「う~ん、なかなかねぇ。どこか進学した方がいいんじゃないかなあ。大学で何か勉強しながら、今まで通り週に2回くらいレッスンに来たらどうですか。昼間、毎日通ってレッスンをするようなところっていうのはねえ…。日本には、バレエで生活できるような受け皿はないんですよ」
藤井先生から、期待するような答えは、返ってきませんでした。
バレエを本格的にやりたいという努の気持ちは、宙に浮きました。卒業後の努は、毎日ベッドでゴロゴロしてばかり。週に2回、藤井先生のところのレッスンに通ってはいましたが、昼間は特にやることもなく、やっと2歳になった翔(かける)をたまに公園で遊ばせるくらいなもの。結局、そんな生活のまま1年が過ぎてしまいました。
ちょうど1年経ったころ、転機が訪れました。その年たまたまローザンヌ・バレエコンクールが日本であり、その審査やダンサーの指導にフランスから訪れていたエドワード・クックという指導者にレッスンを受けることができたのです。それは、藤井先生が中心になって企画してくださった、セミナーでした。
身体は硬いし、特別センスがいいというわけでもない努の、どこがクックの目にとまったのか未だに謎ですが、クックは努に“カンヌのバレエ学校に来ないか”と誘ってくれたのです。しかもスカラシップで3年間授業料は一切かからないというのです。後でわかったのですが、フランスのバレエ学校というのは、小さなカンパニー(舞踊団)をいくつか持っていて、そのカンパニーで踊ることを条件に、授業料を免除しているらしいのです。もちろん国籍を問われることもなく、カンパニーの指導者の推薦だけで入学が許可されるのです。バレエで生計を立てようと考えていた努にとって、願ってもないことでしたが、突然のことで、さらに自信もなかったらしく、努は躊躇していました。これを逃してはと、親として背中をほんのちょっと押してやりました。
あれから18年。カンヌの学校で3年間を過ごした後も紆余曲折があり、一時は“闘牛士になる”とか言い出したこともありましたが、ハンガリー、イスラエル、オーストリア、そしてドイツと、とりあえずずっと向こうで踊っています。
現在のミュンスターは、ドイツでは2カ所目。ミュンスターの前は、ダルムシュタットで踊っていました。日本から見るとヨーロッパは、芸術を大切にする憧れの地。けれども実際は、そうとも言えません。基本的にダンサーは、スポーツ選手と同じような存在です。ずっと踊り続けられるわけではない。まあ、頑張って踊ったとしても、熊川哲也君のような世界のトップダンサーは別として、40歳まで踊り続けるのはかなり難しい。当然のことながら、故障も多くなるし、下には故障もしない、身体も利く若いダンサーがたくさんいる。
日本でも最近増えてきましたが、ヨーロッパでは劇場がそれぞれオーケストラや歌劇団、舞踊団などを持っていて、それらが交代で公演をします。もちろん給料もちゃんともらっていて、公演のない日も毎日稽古をしているわけです。努が言うには、劇場の舞台に立っている人間は、町の中でも特別な存在らしく、時々声をかけられたりするそうです。ドイツの場合、今はサッカーワールドカップで盛り上がっていますが、経済的には東ドイツの統合によりかなり厳しい状況にあります。劇場の予算はどんどん削られ、劇場そのものの維持が困難になるところもあるとか。つい先日かかってきた努からの電話でも、去年削られてしまいそうになった舞踊団を無理に残してもらったので、給料が大幅に下がって、今年は休暇になっても日本に帰る旅費がないと言っていました。
努は今年の12月で37歳。そろそろ舞台に立つのも限界です。ヨーロッパのダンサーは、多くが別の資格(たとえば弁護士とか医師とか)を持っていて、ある程度の年齢になるとダンサーをやめ、別な仕事に就くそうです。
日本のピアノ普及率が、他の先進国に比べて抜きん出ているのは、有名な話です。先日、日本楽器製造が現在のヤマハへと成長していった変遷を取り上げている番組を見ました。日本のピアノ普及率の高さは、ヤマハによってもたらされたものです。そして「ヤマハ音楽教室」という形態が、現在の「××教室」という形態に大きな影響を与えています。
ダンサーとして踊れなくなった努が、ドイツで「バレエ教室」を開くことは、かなり困難なことです。バレエを習うのは、努がお世話になったカンヌのバレエ学校のようなところであり、町中にある「バレエ教室」ではないから。給料をもらって、いかにも恵まれた環境の中で踊っているように見える努は、日本のように子どもたちに教えることで、一生バレエと関わっていくことは難しいのです。
どうやら努は、日本に帰ってバレエと関わって生きていくか、それともドイツに残って生きていくか、相当悩んでいるようです。
「この前ね、お祭りみたいなところで焼き鳥売ってみたんだよ。結構人気でね、200本がすぐ売れちゃった。ドイツで焼鳥屋っていうのも何とかなるかも」
と、妹の麻耶(まや)にだけは、話したそうです。
さて、いよいよ今日(6月5日)は、東京創作舞踊団創立45周年記念公演です。藤井先生のところでバレエを習っている子どもたちの将来はいかに!
どんな道に進むにも、バレエを習っていたことが、人生を豊かにしてくれるといいですね。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第212回「ドイツのバレエ事情 前編」

ドイツのミュンスターでバレエ(正確に言うとモダンダンス)を踊っている長男・努(つとむ・36歳)がお世話になった、藤井公先生と利子先生率いる東京創作舞踊団が、創立45周年記念の公演「観覧車」を行うことになりました。藤井先生ご夫妻には、努、真(まこと)、麻耶(まや)の3人が、大変お世話になりました。
藤井先生との出会いは、24年前。1982年のちょうど今ごろの季節でした。詳しい話をするととんでもなく長くなってしまうので省略しますが、現在浦和駅西口にあるライブハウス「ナルシス」を私が始めた(ほんの短い期間でしたが、当時はB1が喫茶店、4Fがパブというかクラブというかそんな形態のお店で、2フロアで営業していました)とき、前衛芸術家の皆さんの作品を店内装飾にお借りしていました。お借りした芸術家のお一人から「とってもおもしろい舞台を作る舞踊家がいるから」と紹介されたのが、藤井公先生でした。私の印象は、「? この人が舞踊家? ただのおじさんじゃん!」というような印象でした。後で知ることになるのですが、公先生の二人のお嬢さんのうち、上のお嬢さんは私の妹と中学で同級生、下のお嬢さんは従妹と同級生、私と妹は2つ違いですから、上のお嬢さんは、私とも1年間中学校で重なっているんだということがわかりました。

「麻耶にね、バレエ習わせようと思うんだけど、どうかなあ? どこか、いいバレエ教室ない?」
妻は、自分が幼いころ習いたかったバレエの夢を、麻耶を使って実現しようとしました。「う~ん、バレエねぇ…。あっ、そうだ! いつか大野さんに紹介された藤井さん、確か藤井舞踊研究所って看板出して、教室やってなかったっけ?」
「ああ、そうだねぇ。とにかく行ってみようか?」
それから藤井先生のところとの関係が始まりました。妻が麻耶にやらせたかったのは、トーシューズを履いて、チュチュを着て踊るクラシックバレエ。藤井先生のところでやっているのは、モダンバレエ(モダンダンス)。どこがどう違うんだか、違いがよくわからず、とにかくトーシューズを履くかはかないかの違いなんだということだけは、何とか理解して、麻耶を藤井先生のところに通わせることにしました。真にその話をすると、まんざらでもない様子。そのころかなり太っていた真を、何とか痩せさせるには、バレエっていうのはいいんじゃないか、そんな気持ちで真にも習わせることに。そして最後は努。
「努はさぁ、今のまま自由の森学園を卒業させても、そんなに学力もないし、特別何かの才能があるわけでもないし、進路に困っちゃうでしょ。真と麻耶が通ってる藤井先生のところでバレエやらせるっていうのはどうかなあ? バレエの世界なら、まだまだ男は足りないし、何とかなるかもしれないよ」
まさか、努がプロのダンサーになるなんていうことを、本気で考えていたわけではありませんでした。高校2年生、17歳になった努には、まだ“これ”っというものが見つかっていませんでした。バレエが何か努の人生のきっかけにでもなればというつもりで、
「おまえも、公先生のところへ行ってみない?」
と声をかけたところ、
「うん。見に行ってみようかなあ」
と努が乗ってきたのです。
そのころ努は、飯能にある自由の森学園のそばに下宿をしていました。藤井先生のところは浦和ですから、我が家からなら自転車で10分、15分の距離。けれども努の下宿先からは所沢、秋津と2回乗り換えがあって、2時間近くかかります。努はその距離を週に2回ずつ通っていました。努は高校生ですから、稽古はもちろん夜です。家にはちっとも帰ってこない努でしたが、夜9時前に終わることのないレッスンには、休まず通ってきていたのですから、驚きです。
つづく

 

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