2024年4月14日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第321回「ほんとにメダル候補?」

「今度のコースはね、距離が短いし、ラフも深くないから、それなりのスコアで回れると思うよ」
「いくつくらいで回れば、予選通るんだよ」
「76くらいがカットラインかな」
「それでおまえは、いくつで回れるの?」
「74、5くらいでは回れると思うよ。練習ラウンドはパープレイ(72)だったしね」
ゴルフをやっている翔(かける)が高校生の時の会話です。
ゴルフは1ラウンド18ホールで、おおよそ72打(コースによっては72でない場合もあります)を基準(これをパーと言います)に、72よりも少なければアンダーパー、多ければオーバーパーと言い、打数を競います。もちろん少ない方が勝ちです。
ここで、「76くらい」と言っているカットラインを4オーバーと言います。それよりも少なければ予選通過、多ければ予選落ちということになります。カットラインの決め方は、あらかじめ決められた打数なわけではなく、予選通過者の数が決まっていて、上位からその人数に達したところのスコアで切るので、その日の全員のスコア次第で上下することになります。(ゴルフを知らない人にはわかりにくくてすみません)
試合から帰ってきた翔は、かなり落ち込んでいます。
「ダメだった。カットラインは77だったんだけど、おおたたきしちゃった。アウト(前半)が40、イン(後半)が42で82だった。」
「10オーバーかよ。何やってんだか…」
「ショットは曲がっちゃうし、パットも入らないし…」
翔はすっかりしょげていました。
おそらく翔の実力から言って、そんなものだったんでしょう。人は、どうしても自分の力を持っているもの以上に感じたいので、自分に対する評価は甘くなりがちです。周りの期待も同様ですね。私も予選くらいは当然通るのかと思っていました。
オリンピックが始まりましたが、いつものように報道は過熱するばかり。すべての競技で金メダルがねらえるような報道ですが、これもいつものようにふたを開けてみると惨敗の連続。もともと力が世界のレベルまで達していないことも多く、にもかかわらずマスコミがやたらとメダル奪取を強調するものだから、選手にのしかかる重圧というものはすごいものだともいます。
メダル第1号を目指した女子重量挙げの三宅宏実選手。埼玉栄高校で、翔の2年先輩ということもあり応援していたのですが、メダルを逃し6位に終わってしまいました。とても残念です。私が子どものころ見た三宅義信氏と三宅義行氏は強かった。名門一家の重圧というところでしょうか。テレビ朝日が松岡修造氏をつかって取材をしていましたが、松岡氏の勢いではまるで金メダルを取るのが当然といった様子。確かに応援する側からすれば、金メダルを取ってほしいと思うものですが、優勝した中国の陳選手の実力からすると、他の選手が優勝する可能性は、陳選手にアクシデントがない限りほぼゼロ。視聴率を考えると、「金メダルは陳選手で決まっています」なんて言ったらだれもテレビを見なくなっちゃうので、そういうわけにもいかないのでしょうけれど、朝日新聞の記事によれば、「1カ月前、母育代さんに打ち明けた。「私、最近眠れないの」。2時間おきに目が覚めた。夢の中でもバーベルを持ち上げている。― 中略 ― そのころは、練習も最悪状態だった。自己ベストの80%ぐらいの重さでも落としてしまう。「怖くてシャフトに触れなかった」。練習場の片隅で泣いた。目標の重量に追いつけない焦り。競技を始めてから書き続けてきた練習ノートも1週間、空白が続いた。「話しかけると泣きそうだから」と父でコーチの義行氏が話しかけることもなくなった」そうです。筋肉もそげ落ち、体重も軽くなって1回目の試技の重量を下げざるを得なかったとか。難しいことですけれど、もっと楽な気持ちで力を出し切ってほしかったですね。選手にとってはそれもまた強くなるために必要なことなのかもしれませんが。三宅選手には次を目指して頑張ってほしいです。
スケールは小さいですけれど、これと同じようなことが、受験の時には子どもの心の中で起こっています。「受かってほしい」「受からないわけはない」という親からの重圧。三宅選手のお父様は、「話しかけると泣きそうだから」話しかけなかったそうですが、受験の重圧に負けそうになっている子どもに、普通の親は「そんなことじゃダメ」と叱咤激励しますよね。行き過ぎは禁物。親の期待は親の期待、子どもの実力は子どもの実力。それを冷静に見つめる目が、親には大切ですね。川口の父親殺傷事件は、それがわからなかったのかもしれません。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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2024年4月13日 (土)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第320回「なくならない高校野球部の不祥事」

先日、かかりつけの整形外科に行ったら、待合室のテレビに、高校野球の入場行進が映し出されていました。
2年生の部員が強制わいせつ事件で逮捕されながら、出場が認められ注目されていた桐生第一高校の入場行進。実況のアナウンサーが何か事件のことを言うかなあと思って聞いていると、アナウンサーの口から出た言葉は、
「ひときわ大きな拍手です」でした。
事件をふまえ、「逆境を乗り越え頑張って!」という応援のメッセージを発したのでしょう。もちろんグラウンドで行進をしている一人ひとりの選手が、事件を起こした部員と同じように悪いというわけでもないし、甲子園出場のため人並み外れた努力をしてきたこともよくわかりますから、グラウンドに立っている子どもたちを事件に巻き込むことをしない、このアナウンサーの言葉も理解できないわけではありません。
けれども、2年生部員が逮捕されるという事件を起こしながら、出場を希望した桐生第一高校の判断、そして出場を認めた高校野球連盟の判断が、正しかったかどうか…。
私は間違っていたと思います。
私も、どちらかと言えば体育会系で、中学校で私の所属していた部が全国大会に出たり(私の代には全国大会出場は実現できなかったのですが)、高校の時はサッカー部が全国制覇をしたり、あるいは浦和学院の職員のときには野球部が全国大会に出たり、今は息子が大学でプロゴルファーを目指していたりもするので、それなりにスポーツの世界のことは理解している方だろうと思います。
そんな風ですから、体育会系の”乗り”や”厳しさ”も人間の成長にとって、あるいは社会生活を営む上で、大事なものだとも思っています。
甲子園を目指すそれぞれの学校の努力、そこで一生懸命部活動に励んでいる生徒たちの努力もよくわかります。
けれどもその陰で、いろいろなことが起こっているということもよく知っています。
レギュラーの子たちの奢り、レギュラーのレベルに達しない子たちに対するいじめや差別、またその子たちによる暴力や非行…。今回の桐生第一高校の事件も、一人の生徒の問題ではなく、そういう事件を生む「部」の体質の問題なのであり、そういう中で起こっている事件であるということを、そこに関わるすべての人たち(高野連も含めて)は、はっきり認識するべきです。いや、逆に認識しているからこそ、出場できないことで心に傷を負う生徒のことを強調して、出場という開き直りとも取れるやり方をするのかもしれませんが。
もちろんすべての学校というわけではないのでしょうが、校内でも全国レベルの部活、特に野球とサッカーは、学校にとっても大きな広告塔であるだけに、何か事件を起こしても、なかったことにする、もみ消すというのが当たり前になっています。
「普通の子なら停学か退学なのに、サッカー部なら万引きをしても何にも処分されないんだよ」「野球部の子がね、カバンからお金盗んだのみんな知ってるのに、先生は見て見ぬふり」。
少子化が進む中、経営優先のため、広告塔としての役割を重視し、教育がないがしろにされているとすればとんでもないことです。
根本的な原因にふたをして、個人の責任として片づけてしまうようでは、今後もこういった事件はなくなりません。事件・事故の厳罰化の流れに呼応して、学校での一般の生徒に対する指導がますます厳しくなっている折り、甲子園に出場する部や生徒だけが特別では、これからの日本を背負って立つ若者の教育としても問題が残ります。
「連帯責任」という問題ではなく、どこに不祥事を生む土壌があったのかということを指導者はきっちり見極め、そこに関わるすべての者(生徒も含め)が責任をとるという姿勢を明確にすることこそ、大切なことなのでしょう。
 
 
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2024年4月 5日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第313回「危機管理」

秋葉原連続殺傷事件、岩手・宮城内陸地震とまったくその性質は違うけれど、連続して多くの人が犠牲になる事件、事故が起こりました。
秋葉原の事件が第一報として伝えられたとき、思春期以降のお子さんを持つ親の誰もが、「うちの子は巻き込まれていないだろうか」と心配になったのではないかと思います。うちの翔(かける)の通う大学も秋葉原からすぐ近くなので、「翔は大丈夫だろうか」そんな心配がまず頭をよぎりました。亡くなった叔父が、生前秋葉原デパート(駅から直接入れるので大変便利なデパートでしたが、時代の流れというのでしょうか、秋葉原の急激な変化の中で、惜しまれつつ閉店しました)に勤めていたので、私自身何度も秋葉原を訪れ、叔父のところでスーツを作ってもらったり、一緒に食事をしたりと、身近なところだけにその驚きは大きいものでした。陶芸の生徒のKさんも「お茶のお稽古にしょっちゅう行ってるところなのよね。事件の前の日もあそこの交差点を通ったので、テレビに現場の映像が流れたとき“あっ、あの交差点知ってる”ってびっくりしたのよね。私が巻き込まれた可能性だってあったんだもんね」とおっしゃっていました。
さらに時間が経つにつれ、被害者の身元がわかってくると、その被害者のお一人である「宮本直樹」さんが、蕨市北町の人であることがわかりました。蕨市北町というのは、我が家のある川口市芝富士とは、道路一本隔てたお隣。とても小さな地域なので、毎日のように買い物に行くところです。しかも報道によると葬儀もさいたま市内で行われたとか。そんな身近な地域の若者が亡くなったということが、この事件をますます身近なものに感じさせることになりました。
「あれっ、地震じゃない?」
岩手・宮城内陸地震は、そんな朝の会話から始まりました。布団の上に転がりながら、パソコンをいじっていた私が、ベランダで洗濯物を干している妻に声をかけました。
「そう?」
「めまいがしたのかと思ったけど、ほらっ!蛍光灯が揺れてるから地震じゃない?」
隣の部屋からやってきた孫の蓮(れん)が、
「ばあちゃん、地震だよ。だって、向こうの部屋も電器が揺れてるよ」
そのときは、そんな会話で終わっていました。いつもなら、地震が来るとすぐ「テレビつけて」と各地の震度を確かめるのですが、今回の地震はちょうど朝の忙しいときだったこともあり、それほど大きな地震という意識もなく、「このごろ地震が多くない?」などと話をしただけで、そのまま仕事に出てしまいました。インターネットでニュース速報を見たとき、その地震の規模に驚きました。そして、母が13日(地震の前日)から1泊で、盛岡のつなぎ温泉に泊まっていたことを思い出しました。震源は岩手県南部のようで、どうやら盛岡は被害がない様子。旅館の連絡先もはっきりと聞いていなかったし、携帯も持たない母に連絡のしようもなく、「何も連絡がないということは、何でもなかったんだろう」と勝手に解釈をして、ニュースに耳を傾けていると、お昼前に深谷に住んでいる妹から「お母さん、なんか言ってきた? どこに泊まってるか、知ってる?」と電話がかかってきました。「盛岡のつなぎ温泉って言ってたから、大丈夫だろっ。なんかあれば連絡入るよ」と電話を切ると、しばらくして今度は実家に母と住んでいる弟から、「今、おふくろから連絡あって、大丈夫だって。でも電車が動いてないから、駅で足止めくってるんだって」と電話がありました。今回の地震は、毎年妻の両親と紅葉狩りに出かけて、何度も通ったよく知る場所。やはりそういった場所の映像が流れると人ごととは思えず、「もし紅葉シーズンだったら巻き込まれていたかも」と考えてしまいます。しかもたまたま母が混乱に巻き込まれ、駅で待っていると聞かされるとなおさらです。一日中、カウンセリングと教育相談で地震の情報を夜まで知らなかった妻に仕事が終わった後、地震の被害を伝えると、夜遅くなってしまっていましたが、岩手に住む従兄弟と知り合いに電話をして、無事を確かめていました。
子どもが事件や事故に巻き込まれる可能性というのはそう多くはないけれど、ゼロということはありません。身近で事件や事故が起こったときには、そういったことを意識するけれど、どうしても「人ごと」で終わりがち。そうかと思えば最近では、心配するあまり子どもをがんじがらめにしてしまう親も見かけます。度を超さない危機管理を普段からしっかりしておくことは重要ですね。とは言え、いきなり事件に巻き込まれるという事態から、どう身を守ればいいのか、私自身できる自信もなく、子どもたちに教えることの難しさを感じる毎日です。
昨日(地震の翌日)の朝、実家に電話をしても留守。お昼過ぎに母から電話があり、結局新幹線が動かなかったので、前の晩に泊まった旅館に連絡をしてもう一晩泊まったそうです。「一晩余計にゆっくりできてよかったよ。地震の時は8階の部屋にいたからちょっと怖かったけどね」と母はケロッとしたもんでした。
 
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第312回「喫煙」

最近、「禁煙」あるいは「分煙」の動きが加速しています。公共の施設はもちろんレストランや喫茶店、果ては路上まで、あらゆるところで喫煙者は肩身の狭い思いをする羽目に。
うちの陶芸教室が現在の浦和駅前のエイペックスタワーに移ったのが5年前。それまでの南浦和の教室では、教室内につい立てで仕切った喫煙場所が決められていて、たばこを吸う人は、そのつい立ての陰で吸っていました。一応、窓のそばに設置してあったので、たばこを吸うときは窓を開けて吸います。とは言え、煙は上に上がりますから、天井を伝わって教室全体に広がるし、風の向きによっては、窓の外に出るどころか、逆に教室の中に入ってくることもあります。会員全体の割合からいうと、圧倒的に吸わない人が多いにもかかわらず、どちらかというと「吸わない人が我慢をしている」という感じ。
ところが、エイペックスタワーに移ってからはというと、建物も新しい上、教室の内装も真っ白。特に「禁煙」ということを私の方から強く指示した覚えはありませんが、何となく自然に「禁煙」の流れができて、たばこを吸う人は教室を出て、タワーの通路で吸うようになりました。もちろん通路にも屋根はありますが、冬になると北風は吹くし、時にはまるで台風のような突風も吹きます。そんなことで今は、すっかり「吸う人が我慢している」という感じ。そういう状況なのに、吸う人にとってはさらに逆風が吹いて、まずエイペックスタワー敷地内の共用スペースはすべて禁煙に。さらにさらに、駅周辺の道路も「路上喫煙禁止地域」に指定されて、歩きたばこはできなくなってしまいました。皆さんなんとかどこかで吸ってくるようですが、人目をはばかりながらの何とも「まずい」たばこを吸っていることだろうと思います。
私はもともとたばこを吸いませんが、15年ほど前から花粉症になり、その後はとにかくひどいアレルギー症状が出て、ちょっとたばこの煙を吸っただけでも喉は痛くなる、くしゃみは出る。電車に乗れば洋服や髪の毛についたたばこの臭いが気になって、帰宅した途端、頭からシャワーを浴びて臭いを落とさないといられない始末。昔はここまでたばこを拒否してたわけではないんだけどなあ…。
さてつい先日、たばこ自動販売機成人識別ICカード「taspo」(タスポ)を福岡のたばこ販売の自営業者が、家族名義のカードを自動販売機にぶら下げ、誰でも購入できるようにしていたことが問題になりました。未成年者の喫煙をなくすという「taspo」導入の目的をまったく無視するやり方で、非難されるのも当然のことと思います。ただ、自営業者側にいわせると、「taspo」導入以来、売り上げが激減し、経営が成り立たない状況と言い、経営を維持するための最終手段ということのようです。もっとも、もともと対面販売を中心に行ってきた一部店舗やコンビニエンスストアといったところでは、逆に売り上げが何倍にも伸びているそうですが。
「たばこ」というのは、子どもから見ると大人の象徴です。成長過程で親離れをしようとする年齢になると、自然に「大人」にあこがれ、何でも大人の真似をしてみたくなります。「たばこ」もその一つで、たばこを吸うことの意味(そんなものがあるかどうかはわかりませんが、私が以前勤めていた法律事務所の弁護士は、「相手方と話をしていて間が持たなくなったり、間を取りたくなるときがあるんだよな。そういうときにたばこは都合がいいんだ」と言っていました)もわからないまま、とにかく吸ってみる、そんな時期があるものです。もう時効ということでお話しすると、実は私も、中学3年生の時に1箱だけ吸ったことがあります。それ以来たばこはまったく吸うことはありませんが、ちょうどその頃は、一人で喫茶店(今はなくなってしまった浦和駅西口の「tomorrow」に毎週通っていました)に行っては「モカ」を飲んでみたりしていた時期で、思春期まっただ中というところでしょうか。誰しもそんな時期があったのではないかと思います。
未成年者に、健康に害のあるたばこを吸わせないのは大人の責任。とは言え、一日も早く大人になりたいと思うのは、子どもの常。19歳11ヶ月29日と20歳とのたった1日の差で、身体に与える害に違いがあるわけもなく、「taspo」で未成年者の喫煙を防ぐというような発想ではなく、まず率先して大人が禁煙の努力をすることが未成年者の喫煙を防ぐ最良の手段なんだろうと思います。
 
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第307回「何が何でも厳罰化の流れ その1」

少年の凶悪事件が増えていると言われる中で、ここのところ少年法が話題となっています。特に4月22日に広島高裁において、差し戻し控訴審判決が言い渡された「光市母子殺害事件」は記憶に新しいところで、頻繁にマスコミに登場し、極刑を求め続けた本村洋氏の意に沿う形での死刑判決ということになりました。本村氏のお気持ちを考えたとき、死刑だから納得がいく、満足がいくということではないということだろうと思いますが、今後この判決が最高裁で確定する可能性を考えたとき、これまでの判例からは一歩踏み出し、少年に対する厳罰化の流れを加速させる結果を生むかもしれない重大な判決であったのだろうと思います。
私たちは、法律の下で生活しているわけですが、あまりにもその実感がありません。そこで、少年に対する厳罰化ということをふまえ、以下に少年法の一部を抜粋してみました。
 
(この法律の目的)
第1条 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。
(少年、成人、保護者)
第2条 この法律で「少年」とは、20歳に満たない者をいい、「成人」とは、満20歳以上の者をいう。
2 この法律で「保護者」とは、少年に対して法律上監護教育の義務ある者及び少年を現に監護する者をいう。
(調査の方針)
第9条 前条の調査は、なるべく、少年、保護者又は関係人の行状、経歴、素質、環境等について、医学、心理学、教育学、社会学その他の専門的智識特に少年鑑別所の鑑別の結果を活用して、これを行うように努めなければならない。
(審理の方針)
第50条 少年に対する刑事事件の審理は、第9条の趣旨に従つて、これを行わなければならない。
(死刑と無期刑の緩和)
第51条 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する。
2 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、無期刑をもつて処断すべきときであつても、有期の懲役又は禁錮を科することができる。この場合において、その刑は、10年以上15年以下において言い渡す。
 
少年法の主旨は、少年の健全な育成にあります。教育の意義に十分配慮して構成されているもので、日本の未来を担う少年を社会の責任において育てていくんだという強い意志が感じられる法律です。18歳未満についてはその罪を本人にのみ問えるのかと、成人では認められている死刑を回避しています。ここのところの厳罰化の流れの中では「絶対に死刑にはならないんだから、人を殺したっていいんだと考える少年がいるかもしれないから死刑適用の年齢を下げろ」という議論までなされています。しかしそれは、少年法第1条の規定から考えて、あまりにも乱暴な議論であり、その目的を大きく逸脱したものだと言わざるを得ません。果たして少年にそこまでの責任を問えるのかどうか…。
「光市母子殺害事件」は、元少年が18歳になって30日しか経っていないときの犯行であり、それが一つの争点となりました。犯行時には18歳ではあったわけで、少年法の規定から死刑を言い渡せない年齢ではありません。されど「たった30日」そこをどう判断するのか、裁判所の判断が注目されていました。
次回につづく
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第306回「海軍飛行予科練習生」

「おい、俺が死んだらなあ、ヘリコプターで鹿島灘に骨を撒くんだぞ。おまえたちに頼んでおくからな!」
昨年亡くなった父は、何度も私と妻にそう告げていました。
海軍飛行予科練習生(予科練)に志願して、土浦海軍航空隊にいた父としては、特別攻撃隊(特攻隊)として鹿島灘に散った多くの仲間たちのところへ行きたいという気持ちが、ずっと消えなかったんでしょう。土浦から三沢(青森県)に移動になった直後、土浦が爆撃を受け、三沢でも同じように、移動の命令を受け三沢を出た直後に、三沢も爆撃に遭いました。父はたまたま難を逃れた数少ない生き残りなんです。(第266回参照)
「俺の人生は、余生なんだ。あの戦争で、俺の人生は終わったんだ」
と口癖のように言っていました。
そして昨日(20日)、先に逝った戦友たちのそばに父(ほんの一部だけですが)を葬ってきました。強い風で大きく荒れた海は、細かい粉になった父の遺骨を、戦友たちの眠る遙か鹿島灘の沖に、運んでいってくれたことと思います。
父の骨を撒く前に、父が予科練時代を過ごした土浦海軍航空隊跡を訪ねました。現在は陸上自衛隊武器学校となっており、中には、予科練記念館「雄翔館」、記念庭園「雄翔園」、予科練の碑「予科練二人像」などがあります。物心が付いて間もないころ、一度だけ父に連れられて来たことがありました。小さいながらもそのときの印象は強烈で、敷地内におかれた戦車、死んでいった若者たちの遺品の数々が、未だに記憶の中にあります。今回は、それを確認するように見学してきました。
入り口で簡単な受付をすれば、誰でも入れます。(平日、土・日とも午前9時~午後4時30分 茨城県稲敷郡阿見町大字青宿121-1 陸上自衛隊武器学校内)
予科練の卒業生は約24,000名。そのうちの約8割、18,564名が戦死しました。「雄翔館」には、戦死した若者の遺品や家族宛の手紙(遺書)などが、展示されています。両親に宛てたもの、叔父や親戚に宛てたもの、どの手紙を見ても、しっかりとしたとてもきれいな字で、これまで育ててくれた感謝の気持ちが綴られています。まだ二十歳にもならない若者の手紙を見ると、とても心が痛みます。
「長い間育ててくれた…」「これが最後の…」といった言葉の数々。この若者たちに「長い間」「最後の」などという言葉を誰が言わせたのだろうと怒りがこみ上げてきました。
「戦争の時は、みんなこう考えてたのっ」「戦争だから仕方ないの」という母の言葉が、まるで人ごとのようで(もちろん母も戦時中の大変な時代を生きていたわけですが)、父の「鹿島灘に骨を撒くんだぞ」という言葉とは、遙か遠いところの言葉のように感じました。
「もし、これが私の子どもたちだったら…」そんな思いが、涙をにじませます。
父がお酒を飲むたび歌っていた、「四面海なる帝国を 守る海軍軍人は 戦時平時の別ちなく 勇み励みて勉べし」という「艦船勤務」や「若い血潮の 予科練の 七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でかい希望の雲が湧く」という「若鷲の歌」が自然に口をついて出てきます。
日本は、平和を取り戻しましたが、世界各地で多くの若者や幼い命が戦争によって奪われていることを思うと、平和のために何が出来るだろうかと考えさせられます。
雄翔館の入り口に二人の男性が椅子に座っていました。父と同じ予科練第14期だそうです。父同様、戦死はしなかったけれど、このお二人も戦争が人生のすべてだったんだなあと、なんだか寂しい気持ちになりました。
 
 
 
 
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2024年4月 3日 (水)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第301回「達成感 その2」

第298回でも取り上げた通り、2月24日に藤井舞踊研究所(モダンダンス)の発表会がさいたま芸術劇場でありました。この連載にも何度(第212、213回)か登場していただいています(私が勝手に登場させたわけです)が、藤井舞踊研究所を主宰する、藤井公先生と利子先生には、20年以上にわたり子どもたち、そして今では孫たちがお世話になっています。前回の発表会では参加した全員の中で、蓮が唯一の男の子、沙羅が最も年少(しかも同い年の子の中でもとても背が小さい)で、蓮と沙羅が舞台に登場したとたん、踊りが始まっているにもかかわらず、男の子が出てきたということ、そして舞台の広さや周りで踊っている子どもたちに比べてあまりにも沙羅が小さいことに、観客席のあちこちから「男の子だ!」とか「かわいい!」とかいう押し殺した歓声が上がりました。
今年の発表会で、蓮と沙羅が最初に舞台に登場したのは、踊りではなく、プログラムが始まる前の、皆勤賞の表彰式でした。皆勤賞をもらう全員が舞台に上がり、演台の向こう側で賞状を読み上げる公先生から、ひとりずつ手渡しで賞状を受け取ります。中学生、小学生と受け取り、いよいよ蓮と沙羅の番。舞台衣装を着て並んでいるので、蓮が男の子であるということはそれほど目立たなかったのですが、公先生が賞状を読むとき、小声で「男かぁ」とつぶやいた声をマイクが拾ったので、「おっ」という雰囲気が会場全体を包みました。100名ほどの門下生の中で唯一の男の子ですからそんな会場の反応もうなずけます。去年に比べるとずいぶんと成長して、他の子どもたちと並んでいるときにはそれほど小ささが際だっている感じもしなかった沙羅も、演台の前に進むと、なんと頭すら演台の上に出ません。公先生が演台から身を乗り出すように沙羅を見ると、「かわいい」という声と笑いが混ざったような歓声が客席に響きました。私からすると沙羅は、ここのところ生意気な口をきき出して、ちっとも言うことを聞かなくなってきたので、「あんなにちっちゃかったっけ?!」、そんな感じです。
どうやら今年は、沙羅より下の子どもたちが入所したらしく、その子たちが6~7名で群舞を踊ったので、演台の前に立ったとき以外は、それほど沙羅の小ささが際だつこともなく、だいぶ緩和されて見えました。
蓮も沙羅もこの日の舞台のために、休まず稽古に通いました。そして母親の麻耶は、「天使のお使い」というタイトルの踊りのために、夜中までミシンをかけて大きな大根と人参を作っていました。
去年の舞台では周りのお姉さんたちや蓮を見ながらやっとまねをしているという感じで、まだまだ「おみそ」でしかなかった沙羅は、今年はすっかり一人前に踊りきり、むしろ蓮よりもしっかり踊っていました。小さな子どもでも、張り詰めた緊張感と大きな集中力を持って、物事をやり遂げられるということに感心をし、びっくりもしました。
その日は、伊勢崎の病院に入院している叔母を見舞うため、急いで会場をあとにしたので、舞台後、蓮と沙羅と顔を合わせたのは、夜遅くなって自宅ででした。大きな舞台を終えて、さぞ興奮して話したいことがいっぱいあるんだろうと、「蓮くん、沙羅ちゃん、上手だったねえ」と話を向けると、返ってきた応えは「うん」の一言だけ。そのあとも、どんな気持ちだったのかと、いろいろと声をかけてみますが、返ってくるのは素っ気ない返事ばかり。しっかりやり尽くしてしまうと、もう子どもは前を向いてしまって、後ろは振り返らないものなんですね。
それと時をほぼ同じくして開かれた幼稚園の発表会。モダンダンスは振り付けが決まっていて、舞台に立っている全員が心を一つにすることを求められますが、蓮と沙羅の通っている幼稚園は、それとは対照的に、無理矢理教え込むのではなく、子どもの内面からわき出てくるものを大切にしようという教育方針もあって、発表会といっても特別に覚えたものではなく、教室で普段展開されている子どもたちの遊びを「普段のまま」舞台で見せます。これには、子どもの心に大きな負担がかからないといういい点もありますが、何かを作り上げるといった努力と達成感や人に見せるということの緊張感や表現力が育たないという欠点もあります。
発表会が終わってうちに帰ってきた蓮と沙羅は、発表会で使ったお面や剣を放さず、うちの中でもそれぞれが発表会で演じた役をそのまま演じています。それはしばらくの間続きました。
役になりきっている蓮と沙羅を見ていると、一見豊かな想像力に包まれているようにも見えますが、モダンダンスの発表会での二人の緊張感とその後の二人の言動を知っているだけに、お面をかぶり、剣を振り回している二人からは、「幼稚園の発表会では、達成感がなかったのかな?」そんな気持ちが湧いてきました。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2024年4月 2日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第300回「達成感 その1」

どういうわけか理由はわからないんですが、1月の終わりころから今月にかけて、陶芸教室の入会者が増えています。陶芸教室のような仕事は、どうしても季節に左右されがちなので、例年だと入会者が多いのは春と秋。もっと細かく言うと、一番多いのが10月で、次に5月、4月、11月っていうような感じ。(あくまでもうちの教室はっていうことですけれど)
大人の習い事というのは仕事や子どもの生活に影響を受けるので、「就職が決まった」「転勤で越してきた」「子どもが入学した」「子どもが卒業した」等々の理由で、ほぼ毎年同じような動静になります。4月よりもむしろ10月、5月が多いのは、4月に生活が変わって半年が過ぎ、生活が落ち着いてきて、夏休み明けの旅行気分も抜けた時期ということ、子どもの生活が変わり、学校の諸行事も一段落、自分のことに目を向けられる時期ということ、なんていうあたりが、その大きな理由だと思います。仕事にしろ、子どもの学校にしろ、4月は行事が目白押し、9月はまだまだ気分は夏休み、しかも夏にお金を使ってしまい懐が寂しい。誰もがそんな事情を抱えているからなんでしょう。
ところが、今年はなぜか年明けの1月から今日までの入会者が例年になく多い。いつもだと今ごろから、タウン誌に広告を打って、4、5月に備えるっていうところなのに、すでに続々と体験レッスンに押し寄せて、多くの方に入会していただきました。
「ん~、なんでだろう?」
と考えてみるに、広告媒体の変化と労働形態の変化かな?という気がします。これまでは、時期を見てこちらが打ったタウン誌への広告に反応して入会したということが多かったけれど、最近はいつでも自分から見られるインターネットの広告媒体が主流になってきたこと、そして労働形態も4月入社の正社員という形から、時期に関係のない契約社員、派遣社員という形が増えてきたこと。そんなことから、今までとは動静が著しく変わってきたのだろうと想像されます。
そして、もう一つ大きな理由があります。それは、私の気合い。
これまで、ほとんどスタッフに任せてきた体験レッスンに、私もかかわるようにしました。すると、スタッフだけで体験レッスンを行った場合の入会率はおおよそ10~15%といったところだったのに、私がかかわった場合は、90%超えに。経営上のことで言えば、それはとってもまずいことで、私も経営者として、スタッフにきちっと指導をしなければなりません。いったい、どこがそんなに違うのか???
体験レッスンに訪れた人に対するスタッフの対応をよく観察してみました。すると、いくつか気付いたことがありました。一つは、全体の手順。入会するための体験レッスンなんだから、本来ならどこかベストなタイミングで、入会についての説明がなくてはならないのに、まず焼き上がった作品を取りに来てもらうことありき(当然、入会した人には関係ないわけですが)で、「焼き上がったら、ご連絡いたしますので、取りに来てください」なんて説明ばかりしていて、入会についての説明が後回しにされている。もう一つは、体験レッスンの人に座ってもらう場所。もちろん、現会員の皆さんもいらっしゃるわけなので、最も適した場所は、うちの教室の場合なら、入り口を入ってすぐの所(全ての会員の皆さんを回った場合のちょうど中心点で、しかも教室全体が見渡せる)に決まっているのに、最も奥の一番適さない場所に座ってもらったりしている。
そして、最悪なのが教え方。(結局全て悪いわけですよね。まったく今まで経営者として何をやってきたのか…)人が何かを始めて、それを継続するのに大切なのは、そのことが楽しいということ。楽しいということは、どういうことかというと、もちろん好きか嫌いかということも重要な要素ではありますが、「達成感」を感じられるかどうかが、楽しいか楽しくないかの鍵です。「達成感」というのは、「出来なかったことが出来た」という喜びです。どんなことにも器用・不器用はありますので、陶芸を教えていると初めから上手に作る人もあれば、下手な人もいます。体験レッスンをしていて、上手に作る人が入会するのかと言えば、そういうわけでもなく、それではうまくできなかった人が入会するのかと言えば、もちろんそれも違います。入会に絶対に必要な要素が「達成感」なんです。「教わったことで、それまで出来なかったことが出来た」と感じてもらうことが最も大切です。「教わったら出来た」「教われば出来るんだ」という感覚は、安心感を生みます。そして、さらに将来の「自分像」(どれくらい先にどんな自分になれるのか)を示してあげることで、その安心感は高まります。
そんなことが感じられる体験レッスンなら、かなりの確率で入会してもらえるというわけです。大人が陶芸のようなことを習おうとする場合、その後の自分の生活設計や経済的要素なども加わるので、単純に達成感やその後の自分像だけで、継続するかしないかが決まるわけではありませんが、これが子どもの場合であれば、陶芸に限らず、全てのことについて言えることですね。
陶芸教室に入会するか・しないかの要素が、上手い・下手ではなく、達成感を感じられるか・感じられないかだとすれば、子どもの意欲を育てるのも、偏差値が高いか・低いかではなく、いかに達成感を感じさせることができるか・できないかということですね。
たった今、孫の蓮(れん)が目の前で、パンにマーガリンを塗っていますが、「ひとりでパンにマーガリンが塗れた」、たったそれだけのことにも、達成感はあるわけです。日々の繰り返しの中で、子どもの心は育っていきます。そんななんでもない日々の達成感が、子育ての勘所なのかもしれません。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第299回「子ども監視団」

「うちの子の通っている中学校、荒れてるんですよ」
そんな話をあるお父さんから聞きました。そのお父さんの話によると、授業中、子どもたちを監視するため、校内を巡回している人たちがいるらしい。
 
その話を聞いて、思い出しました。この連載の142回、143回で取り上げた「学習障害と注意欠陥・多動性障害」に登場した学校。その学校にも子どもたちを監視する保護者がいました。毎時間、廊下に置いてある椅子に2名ずつ保護者が座って、子どもたちを監視しています。学年の1割の生徒が「アスペルガー症候群」あるいは「注意欠陥・多動性障害」という学校の判断で、保護者を廊下に座らせ、子どもたちを監視させている(すでにあれから3年以上経っているので現在の状況はわかりません)のですが、その目的はというと、「生徒を教室から出さない」あるいは「出て行かないように注意をする」(確かに保護者が注意するというのは難しいと思います)ということではなく、「授業中に教室を出て行ってしまう生徒が多いという状況を保護者に見せるため」だというので、学校と保護者の関係の悪さ、信頼関係のなさにびっくりしました。学校と直接話をした時の、「生徒が教室を抜け出し、授業が成り立たないのは、あなたたち(保護者)のせいなんですよ」という露骨な態度にあきれもしました。
生徒が悪いのか、学校が悪いのかという問題は、どちらが先かという問題にもなるので何とも言えない部分はあるのですが、子どもたちに言わせると「授業がおもしろくない(先生がえこひいきをする、まともな授業じゃない)」ということになるのですが…。
 
さて、最初の話に戻りますが、そのお父さんの言うところの「荒れている学校」は、PTAのOBが巡回しているとのこと。これは、おそらく最近流行の「地域との連携」ということなのでしょうが、学校の中に子どもを見張る「監視団」がいるというのもどんなもんなんでしょうか。私の感覚では、子どもは「見守る」もので、「見張る」ものじゃない。
前述の話とは違い、私が直接学校と話をしたり、直接見たわけではないので、その話から私が受けた感覚と事実との間には、ひょっとするとやや開きがあるのかもしれませんが、
事実とすれば、寂しい話です。うちの弘子と努が中学生だったころ(80年代前半)、浦和近辺の中学校は大変荒れていました。あちこちでいじめがあったり、暴力事件が起こったり…。弘子と努の通っていた中学校でも、火のついた雑巾が窓から降ってきたり、窓ガラスが割れたりすることもありました。とても大変な時期でしたが、それをなんとかしようと努力したのは、先生方でした。先生方がしっかり生徒と向き合う、そこからスタートです。もちろん、先生と生徒の間だけで解決できないこともありますが、そんなときは、しっかり親とも向き合ったものです。
時は流れ、大きく社会情勢は変わりました。4分の1世紀以上も前の話が、そのまま通用するわけではないにしても、まず向き合わなければならないのは教師と生徒、そして保護者。そんな基本的な部分が変わるわけはありません。どうも最近は、いきなり当事者を飛び越え、外部へという傾向が強まっているようで、とても心配です。他人事ではなく、もっとしっかり現実と向き合い、自分たちの問題として捉えること無しに、荒れる学校の解決はありません。
子どもを「見張る」ための監視団なんていうのは、子どもたちの学校に対する不信感を増すだけです。すぐにやめて、教師と生徒の信頼関係を構築してほしいものですね。
 
※アスペルガー症候群
言語発達や認知発達といった知的発達に遅れのない自閉症。高機能自閉症と同じ(研究者により異なります)意味に使われることが多く、特徴として①他社との関わりの中で浮いてしまうことが多い ②会話のやり取りが長続きしない ③特定のものへの興味 などが上げられます。その数は、200~300人に1人程度と言われています。
 
※注意欠陥・多動性障害(AD/HD)Attention Deficit / Hyperactivity Disorderの略
一般的に「落ち着くがなく、授業中にあちこち動き回る子ども」と理解されています。①物事に集中することができず、忘れ物が多い ②落ち着きがなく、じっとしていることができない ③思いついた行動を唐突に行う などの状況が見られます。学齢期の子どもで3~7%、成人で1~3%程度の人が何らかの傾向を持つと考えられています。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第298回「あの子たちの未来が予見できるんだよねぇ」

今日(24日)は、孫の蓮と沙羅が通っている藤井舞踊研究所の発表会がありました。藤井舞踊研究所は、以前紫綬褒章を受章した藤井公(ふじい こう)・利子ご夫妻が主宰するモダンダンスの研究所で、今ドイツで踊っている努もそこの門下生です。蓮と沙羅は、藤井ご夫妻の次女、香さんの開いているスタジオに2年弱ほど通っています。今日は蓮と沙羅にとって、2回目の発表会でした。
そして、その発表会が終わり、私と妻がうちで食事をしている時こと。
 
「私ねえ、あの子たちの未来が見えちゃうんだよねぇ」
「はははっ、それはわかる!」
「毎日、何人ものクライエントさんたちと会ってるでしょ。そうすると”こういう時に、こういう表情する人は、こういう人生になる”ってわかるんだよね。声と同じだよ。ほらっ、似てる顔の人って声も似てるでしょ。骨格が似てるから、声の響き方も似てる」
「そうそう、あの埼玉大学の合唱団の団長さんに会いに行った時。電話で声しか聞いたことなかったのに、”絶対メガネかけてる”とか言っちゃって、100人以上はいた食堂の中で、”あの人だから”って、つかつか寄っていって、”××さんですか?”って言ったら当たってたってやつね。あれだけ大勢の中からピッタリ当てたのはびっくりだったけど、確かに顔で声もだいたい想像つくし、声から顔も想像つくよね。”表情と人生”も”声と顔”の関係と同じってことね」
「そう。だからね、細木数子さんが将来を予言するのもわかる。私はカウンセラーだから、占いだとかスピリチュアルなんとかだとかいうのは信じないけど、ああいう人たちって、人を見る目っていうか、人を判断する力っていうか、そういう勘のいい人たちなんだろうね。そういう人って、いるんだよ。私もたぶんそういう勘が働くのかもしれない。”私も細木数子にならなれる!”」
「たはっ、何言ってんだか! いつだったか、年の差夫婦の悩みを細木さんに相談するっていうことで、細木さんの番組に出てくれっていう話がテレビ局からあったでしょ。”カウンセラーが占い師に相談するなんて出来るわけないでしょ!”って断ったけど、細木さんがカウンセラーに相談するって言うんだったら、出てやったのにね。”細木さん、あなたの表情からあなたの将来は××です”なんてね(笑)」
「そうだね。それならおもしろかったかも。まあ、そんなことはどうでもいいけど、今日のあの舞台の子どもたち。あの子たちの表情を見ただけで、あの子たちの将来が見えちゃうんだよね。舞台で踊ってるのを見てると、まるで人生が踊ってるみたいに、その子の将来の姿が目に浮かんで来ちゃう!」
「まったく、大げさな言い方! でも、確かにそうかも…」
「だからぁ、ほんとに見えるんだって! ”あの子は不登校になる”とかさ”あの子はうつになって仕事が続かない”とかさ…」
「うーん、確かに舞台で踊ってる時の表情って、あんな小さな幼稚園くらいの子どもでもみんな違うよね。明るくやる気を感じる子もいれば、なんとなく暗い子、ボーッと表情のない子もいる。子どもっていうのは邪念っていうか、ずるさっていうか、そういうものがないから、ああいう舞台でその子の正直な表情が出ていることが多いくて、それがあの子たち自身だとすれば、その表情と人生が劇的に違うなんていうことは少ないんだよね。だとすれば、もう人生は決まっちゃってるっていうことだね」
「まあ、大げさに言えばそうかも。だから、幼児期に親がどう子どもに接して、どういう人格形成をするかっていうことが、大事なんだよね」
 
教員時代に「大関先生の顔占いは当たる!」と評判で、行列が出来るほどの顔占い師・大関洋子は、自分の孫の将来がどう見えたのか、結局”見える””見える”と言いながら自分の孫の将来のことは、一言も語りませんでした。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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