2022年6月13日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第289回「インフルエンザの予防接種を初めて打ってみました」

今年、初めてインフルエンザの予防接種を受けてみました。インフルエンザの予防接種は、副作用の危険がある上、効かないというもっぱらの定説で、大阪赤十字病院小児科医師の山本英彦氏や子どもの健康相談などでも有名な毛利子来(たねき)氏を始め、予防接種そのものの中止を求めている方々や団体も数多くあります。
(http://www.ne.jp/asahi/kr/hr/vtalk/infl_appeal0311.htm)
医療に関する考え方は、人それぞれで、発熱の場合でも、どの程度の熱がどれくらいの期間続いたら、薬を使って下げるかという判断も、医師によってもまちまちです。もちろん、名のあるような重病がはっきりしている場合は別として、風邪やインフルエンザといった症状の場合は、とても難しい判断を迫られます。脳炎や脳症も、インフルエンザそのものより、圧倒的に解熱剤が原因ということも言われており、子どもへの薬の使用は、極力慎重であるべきことは言うまでもありません。
11月28日配信のロイター通信の記事でも、ワクチンよりも手洗い、マスクの有効性を伝えており、ネット上のフリー百科事典『ウィキペディア』にも、
「一般的な方法として最も効果が高いのはワクチンの接種であると言われていた。しかし2007年11月28日、ロイター通信社の配信ではインフルエンザや新型肺炎(SARS)などの呼吸器系ウイルスの感染を予防するには、薬よりも手洗いやマスクの着用といった物理的な方法が効果的との可能性を示す研究結果が明らかになった。国際的な科学者チームが51の研究結果を精査。所見を英医学会会報で発表した。研究チームでは「山のような証拠は、ワクチンや抗ウイルス薬がインフルエンザの感染を予防するのに不十分であることを示した」として、国の流行病対策プランはより簡単で安価な物理的手段に重点を置くべきだと提言している。」と記載されています。
そういうことを考えると、インフルエンザ予防接種の有効性といったものに対しては、疑いを持たざるを得ませんね。もちろん、有効性を示すデータというのは存在するわけですが、データの採り方そのもの(作為があるという意味で)に疑問を呈している人たちも多く、やはり少なくとも子どもには打たない方が無難ということでしょうか。
そんな考えの中で私が今年予防接種を受けたのは、「もし、効いたらラッキー!」という程度のことです。ある意味、人体実験とも言えなくはないですが、私の仕事も妻の仕事も身体が資本。特に妻のやっているカウンセリングは、妻でないとできないことがほとんどで、もし、インフルエンザで何日か寝込むことになれば、その分売上に響くのはもちろん、万一クライエントさんやカウンセラー資格取得講座にお見えの研修生の皆さんに移してしまったら大変です。私の陶芸教室の方はと言えば、私自身のインフルエンザが妻ほど売上に影響することはありませんが、70代、80代の会員さんも多く、年輩の会員さんが重いインフルエンザや肺炎とかいうことにでもなれば、命にも関わってしまうことだってあります。そんな状況の中でも、基本的に休みはないし、私がいないと困ることもあるので、去年や一昨年などは、点滴をしながら仕事をしていたなんていうこともありました。
有効性を信じていないにもかかわらず、「もし効いたら…」なんて、矛盾だらけですが、ほんのわずかな期待を込めて、打ってみたというわけです。
問診票の裏を読んでサインをするよう書いてあるので、問診票の裏に目を通すと、とにかく副作用のことが延々と書いてある。これだけのことを読んでも、あなたは予防接種をしますか?ということなんでしょう。副作用については充分に説明はしましたよ、それでも打つって決めたのはあなたですよっていうことなんですね。私は、そこをビクビクしながらクリアして打ったわけですが、とりあえず私には副作用は出なかったようです。
卵とゼラチンにアレルギーのある方は要注意とか。私はいろいろなアレルギーを持っていますが、卵とゼラチンは大丈夫なんですよね、幸いなことに。
もし家族中が罹っても私がインフルエンザにならなければ、来年は妻も打つことになるのかな? まあ、人体実験はあまりしない方がいいですよね。もし効いたとしても、孫たちに打つことはないと思います。
ドイツでバレエダンサーをしている努がまだ小さいころ、ペニシリンの注射を打ったことがありました。アレルギーがあるとはまったく思えなかったにもかかわらず、腕は腫れ、大きなしこりがかなり長い間消えませんでした。私も、まったくアレルギーはないと思っていたのに、10数年前に花粉症が発症してからというもの、スギ、ヒノキはもちろん、切り花もダメ、ポプリ、アロマ、ハーブもダメ。アレルギーの怖さは充分に知り尽くしたので、今年は大変なリスクを冒してしまいましたが、孫たちにだけは、大きなリスクは背負わせたくありません。
肝炎訴訟の解決が長引く中、国には製薬会社の利益を優先させることなく、国民の安全に対する最大限の配慮をしてほしいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第288回「異住所交流会」

「そちらに中山紀正(仮名)さんが入院していると思うんですが、何号室ですか?」
「そういうことにはお答えできないんですよ」
「えっ、親戚のものなんですが…」
「規則ですから」
「すぐそばまで来ているので、これから伺おう思うんですが、入院はしてるんですよね?」
「それもお答えしかねるんですが…」
「えーっ!入院してるかどうかも教えてもらえないの?」
「はい、規則なので…。どなたかご親戚の方にご確認ください」
「だからぁ、私がその親戚だっちゅーの!」
水戸の近くの病院に義理の弟(正確に言うと元義理の弟)が癌で入院し、放射線治療を受けていると甥から聞いて、お見舞いに行こうとしたときの病院との電話のやり取りです。「元」なので、正確には親戚ではないし、普通だったら「お見舞い」でもないのですが、義父の通夜にもわざわざ水戸から駆けつけてくれて、義母が「今までもお世話になったし、孫の父親なんだからこれからも孫のことではお世話になるんだし」と言うので、婿と元婿というやや関係の遠い私が、病院を訪ねることになったのでした。
「どうしようかなあ?」と思いましたが、わざわざ水戸まできて、用も足さずに帰るわけにもいかないので、ややこしい関係でお見舞いに行く前から甥に負担をかけるのは嫌だなあと思いつつ、甥に電話をかけて、確かめることにしました。
個人情報保護法が施行されてから、こんなことがよく起こります。
先日、病院内で人違いから射殺されるという事件が起きました。あの場合は確認ができていれば、事件に巻き込まれなくてすんだケースでしたが、他人に教えてしまったことで、事件に巻き込まれるということも考慮してのことなんでしょうか。
あまりそういった事件を聞いた覚えはないのですが…。
私の住んでいるマンションの管理組合の定時総会で、「名簿に電話番号を記載しないでほしい」という意見が出されたことがありました。個人情報保護法が制定される前のことで、管理組合では、毎年部屋番号と電話番号が記載された居住者名簿を作成して、全戸に配布していました。売られた名簿を元に頻繁に電話がかかってくるということが社会問題化していたときで、名簿の問題に敏感な人たちが出始めたころのことです。総会では、様々な意見が出ましたが、それまで、名簿があっていろいろな連絡やコミュニケーションが取れていたということもあり、電話番号はそれまで通り載せるということで決着しました。
その後、個人情報保護法が施行となり、現在では電話番号だけでなく、名簿そのものを作らないことになっています。
今年も、そろそろ年賀状の季節。孫の通う幼稚園では「異業種交流会」ならぬ「異住所交流会」(そんなもの本当にあるわけはないですが)があるらしく、なにやら住所を書いた名刺のようなものを作っては、年賀状のやり取りをする人に渡しているようです。
私も会社をやっている関係で、生命保険会社やこのエッセイでもお世話になっている商工会議所の「異業種交流会」には、何度か出席させていただいていて、名刺を交換することの意味・意義は充分に理解しているつもりですが、幼稚園までそんなことをしなくてはならなくなっているとは…。
どうやら、電話の連絡網だけはあるらしく、運動会や遠足といった行事の時には、電話がかかってくることはありますが、住所がわからない。そのため、年賀状を出すには、住所の書いてある名刺様のものを交換しておくのが手っ取り早いということなのでしょう。昔は名簿を見ては、「この人とはあまり関係がよくないから、年賀状を出しておこうかな?」なんて、関係改善を図ったりもしていたんですけれど、いまでは仲のいい人とだけのやり取りになっているんでしょうね。
確かに住所や電話番号が漏れるということのリスクもありますが、それが行き過ぎると「地域社会の崩壊」につながります。うちは10階建てマンションの1階にあるので、たまに上の階から物が落ちてくることがあります。さすがに下着が落ちてきたりしたときには、何も言ってこないこともありましたが、これまではほとんどの場合落とした本人か管理人室から連絡があり、取りに来ていました。ところが、名簿がなくなってからは、連絡があることが少なくなりました。これまでだったら、管理人室を通して連絡があったような場合でも、たいていは、直接謝罪の電話くらいはあったものですが、今では各階に1人いる理事を通さなくては連絡が取れないので、「落とした」という連絡そのものもなくなりましたし、謝罪の電話があることもなくなりました。
もちろん、「どこの部屋にどんな人が新たに越してきた」などということもわからないので、廊下や駐車場で顔を合わせ、「こんにちは!」なんて声をかけても、「あれっ?あんな人いたっけ?」ということも…。「これで不審者を見分けられるのかなあ?」と不安になることさえあります。
以前小学校での防災訓練では、電話が通じないという想定で、家から家へ直接伝えるという方法で、安否の確認や避難の仕方、誘導などを行うという訓練を行っていました。ところが、ここまで住所が非公開になってしまうと、ごく限られた、しかも普段自分に心地のいい人間関係しか存在しなくなっているので、地域の連携などまったく考えられません。
行き過ぎた個人情報の保護を改めようという動きもあるようですが、子どもを守るという観点から考えれば、何が本当に重要なのか、もう一度考え直す必要があるのではないかと思います。
つい先日、
「年賀ハガキ、買ったよねぇ? 何枚かもらってもいい?」と娘の麻耶が私に聞きました。
今年も娘と孫は「異住所交流会」で名刺(?)交換をしたお友だちと年賀状のやり取りをすることになるんでしょうね、きっと。

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2022年6月11日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第283回「興毅と大毅、藍とさくら」

亀田親子のことがこれほど大きくなるとは…。
揺れに揺れた大相撲問題もどこへやら。すっかり影が薄くなって、そのかわりに亀田大毅と内藤大介の世界タイトルマッチ問題が大きな問題になっています。
2005年7月1日、野村克也楽天監督(当時はシダックス監督)の古稀を祝うパーティが赤坂プリンスホテルで開催されたとき、たまたま私も出席させていただいていて、そこに来ていた亀田興毅を間近に見ました。パーティには、中曽根康弘氏をはじめ、亀井静香氏、中川秀直氏などの政治家や原辰徳氏、細川たかし氏といったスポーツ選手や芸能人など、多くの有名人が出席しており、大盛況でした。
そういう中だったせいか、亀田興毅は、すでにかなりの注目を集めてはいましたが、昨今のような不遜な言動はまったくなく、スポーツ界の先輩たちにあいさつをして回っている彼に対する私の印象は、今ではすっかり定着した感のある「悪役」のイメージではなく、プロのアスリートを目指す少年という印象でした。どちらが彼の真実の姿かということは別にして、なぜ彼や弟・大毅があそこまで「悪役」になってしまったのかというと、スポーツにやたらといらない演出を施す民放各社の責任もとても大きいと思いますが、私は父親の存在があったからだと思います。
「誰が見たってそうだろっ」とお思いになるかもしれませんが、私の言っているのは、よく世間で言われている「父・史郎氏のひどさ」のせいということではありません。私は、史郎氏がどんな父親であったにしろ、おそらく「何らかの形で亀田兄弟には問題が起こった」という意味で、「父親の存在があったから」と言っているのです。たまたま史郎氏のキャラが“ああいう人”でしたし、TBSや世の中が求めた親子像、ボクサー像というものが、“ああいうもの”だったのでしょう。政治の世界で小泉氏や安倍氏が支持されたのとも呼応しているのだろうと思います。もし、世の中の流れが違えば、もっといい“キャラ”はだったかもしれませんが、いずれにしろ亀田家には、何らかの「挫折」や「スランプ」といったものが待ちかまえていたのだろうと思うのです。
米国女子ゴルフツアー公式戦(国内女子ゴルフツアー第33戦)の「ミズノクラシック」は、上田桃子のアルバトロス(1ホールをパーより3打少ないスコアで回ること)を含む6アンダー(通算13アンダー)の活躍で、米国ツアー初優勝で終わりました。
激しく賞金女王争いをしていた横峯さくらは、スコアが伸びず24位タイ、注目の宮里藍は、ここのところのドライバーの不調を引きずり、通算8オーバーで、78人中68位タイとこれまでの宮里からすると考えられないような結果に終わりました。
ゴルフというスポーツは非常にメンタルな部分が影響を与えるスポーツなので、宮里くらい技術が優れている選手でも、一度調子を崩すとなかなか立ち直れません。ここのところの宮里の不調の原因はどこにあるのか…。わが家では、宮里のスランプを、力を出し切れずに終わった全英女子オープンのインタビューの時から予想していました。
宮里の言葉を一語一句はっきりと覚えているわけではありませんが、
「あまりいい結果は残せなかったけれど、何よりもこの一週間、お父さん、お母さんと一緒に過ごせたことがよかった」という内容の話をしました。
「宮里は、さくらとは違うと思って期待してたのに、あんなこと言っているようじゃ、もうダメだね。きっとスランプになるよ」
日大でゴルフをやっている翔(かける)とそんな会話をしていました。
宮里のインタビューからは、それまでの闘争心にあふれた“強い宮里”のイメージがすっかり消え、ただの“いいお嬢さん”になってしまっていました。
横峯さくらも一時、父・義郎氏に甘えているようなそぶりが気になったことがあり、ややスランプに陥っているようにも見受けられましたが、義郎氏が参議院議員となり、その後の不倫騒動を経て父娘関係に変化があったようで、精神的なダメージがなかったわけはないと思うのですが、かえって成績が向上し、賞金女王争いをしています。
亀田兄弟にしろ、宮里藍にしろ、ここのところの大きな試練は既定路線。親が“いい親”であろうと“悪い親”であろうと、問題は“いい”か“悪い”かではなく、「親子関係にどうけりをつけるか」です。
子育ての問題点の多くは、親子の距離のとり方です。それが、自営業者の跡取りでも、サラリーマンでも、スポーツ選手でも、まったく関係ありません。親子の距離がしっかり取れ、子どもが自立してこそ活躍できるのであり、またその逆に、距離が近過ぎれば、どんなに非凡な能力を持っていたとしても潰れてしまいます。
亀田兄弟や宮里藍、横峯さくらも、しっかりと親子の距離を保って、非凡な才能を発揮してもらいたいものです。(プロ選手の敬称略)

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2022年6月 6日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第280回「鳥取県倉吉市から その1」

今日は、倉吉に来ています。
倉吉と言えば、つい先日市長が、舛添厚労大臣に一首長の立場で噛みついたところ。地方のそれほど大きくない、けれども歴史のある個性を持った町が、さいたま市のような首都圏のそれほどはっきりとした特徴のない大都市とどう違うのか、ほんの短い時間ではありましたが、観光地や倉吉の町のなかを散策したり、また教育長さんとお話をさせていただいたり、PTA連合会でご活躍の皆さんと交流させていただいたりしましたので、鳥取というところ、倉吉というところで、私が感じた文化の違い、子どもとの関わりの違いを2回にわたって、皆さんにお伝えしたいと思います。

少し前のことになりますが、月刊「教育ジャーナル」(学研)に、映画「あしたの私のつくり方」の原作者、真戸香さんと妻との対談が載りました。それをご覧になった教頭先生の推薦で、倉吉市のPTA連合会の方々が中心となり、講演会にお招きいただきました。
当初、カウンセラーとしての妻への講演依頼でした。子育てについてのスキルを主な内容とした講演会というお話だったのですが、幅広い年齢層のお子さんを持つ方が対象とのことでした。
子育てについてのスキルを中心に据えると、どうしてもある程度年齢層の絞り込みをしなくてはならないので、むしろ映画「素敵なお産をありがとう」の上映と私と妻の話ということではどうですかとこちらからご提案をさせていただき、上映会と講演という形で、行うことになりました。
担当の方から、丁寧に飛行機の時間までメモでお送りいただいたのですが、私の身体の関係(気圧が急に下がると、座席にも真っ直ぐ座っていられないくらい目が回って、汗が噴き出し、吐き気がする)で、飛行機には乗れないので、車で向かうことにしました。運転はちょっと大変ですが、自由に動き回れるので、初めての山陰で、見てみたいところもたくさんありましたし、その土地の人たちと交流のできることを、とても楽しみにしていました。
800キロ近い距離なので、10時間以上はかかります。昨年車で行った北九州に比べればかなり近いとは言え、朝出ても夜になってしまう距離。鳥取砂丘も行ってみたいし、大山(だいせん)、出雲大社にも行ってみたい。近くに多くの有名な美術館もある。
朝、3時くらいに家を出て、お昼過ぎには鳥取砂丘にという計画でしたが、それでは砂丘以外を見て回る余裕はなさそうだったので、前の晩仕事から帰ると、「このまま出ちゃおうか」ということになり、夜11時に家を出ました。
わかっていたこととは言え、東名高速道路の集中工事のためかなり長い区間が一車線通行になっており、予定通りには行きません。中央高速にすればよかったと悔いても後の祭り。早く出たにもかかわらず、結局出雲大社と大山は次の機会にということになってしまいました。
鳥取砂丘を初めて訪れた人の感想は様々だと思います。期待はずれとがっかりする人、期待通りと思う人、期待以上と感動する人…。
私は、だいたい期待通りでしたけれど、予想以上に感動したかな。
砂の色、砂の感触、そして何よりも砂と海と空とが織りなすコントラスト。思わず走り出したくなるような高揚感…。
広い砂丘の上に靴を置き去りにして、裸足で頂上まで登りました。そして目の前に広がる大きな海。
周りにいる人たちも、すっかり子どもに返ったようでした。ただ、残念だったのは、砂丘にとてつもなく大きな落書きがあったことです。
少し前にニュースでも取り上げていましたが、砂丘の持つ価値、公共性を無視したとても悲しい行為だと感じました。
陶芸教室の生徒さんから、「砂丘にいるラクダと並んで写真を撮ろうとしたら、乗ろうとしたわけじゃないのにお金を要求された」という話を聞いていたので、「本当かよ?」と思いましたが、それも想定してラクダにはあまり近づかず、遠くの方から写真を撮りました(笑)
売店で、孫に買うおみやげをあれこれ選びながら、「この砂時計(砂丘の砂が入っている)、どうかな?」と妻と話をしていると、まだ決めたわけでもないのに、売店のおばさんがすでに包装紙に包みかかっていたのにはビックリ。
「なるほど。ラクダの写真は遠くからにしといてよかった!」と納得がいきました。
そして、もう1カ所立ち寄ったのが、あの大黒様とワニ鮫に皮を剥がれてしまった因幡の白ウサギの話で有名な白兎海岸です。海岸に面して道の駅があり、その道の駅から山側には白兎神社があります。昼食をこの道の駅で取ることになりました。

つづく

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第279回「子どもの声は騒音か」

西東京市の「西東京いこいの森公園」の近くに住む女性が、噴水で遊ぶ子どもの歓声やスケートボードの音がうるさいとして、公園を管理する市に騒音差し止めの仮処分を申請した事件で、東京地裁八王子支部が、女性の訴えを認める決定を出しました。都環境確保条例の騒音規制では、この地域の午前8時~午後7時の基準値を静かな事務所内に相当する50デシベルと定めているんだとか。そんな基準を子どもが遊ぶ公園に当てはめようとするのはとても無理な話です。
心臓などの病気療養中で、「子どもの声などで精神的な苦痛を受け、不眠に悩んでいる」と訴えていた女性に対し、市は「基準は超えても受忍限度を超える騒音には当たらない」と主張したそうです。

この公園は、旧東大原子核研究所の跡地を利用して、2005年4月に市が開設したもので、敷地面積は4万4000平方メートル、噴水は遊具などが置かれた広場の中にあって、複数の噴水口から水が断続的に噴き出す仕組みで、水の間を縫って遊べるようになっています。こういった公園の状況を想像しただけで「キャーキャー」はしゃぐ、子どもの声が聞こえてくるようです。
司法は、公共の福祉論を展開し、個人の権利(特に土地所有権などにおいては)を制限的に解釈する場合が多いように思うのですが、子どもの遊ぶ権利については、公共の福祉論を展開せず、かなり制限的に法解釈をするということのようですね。もちろん、裁判官によっても、違いがあるわけですが…。
とは言え、公共の福祉に鑑み、女性の権利が認められなくてもいいのかと言えば、それも違います。私の立場は、常に「何をおいても子ども優先」の立場なので、「なにも子どもの声くらいで…」という気持ちも強いのですが、条例という根拠があるわけだから、女性が訴える正当性もあるわけです。(女性側が勝っているわけだから、当然ですが)
ここで考えなくてはいけないのは、「もし、基準となる条例がなかったらどうだったか」ということです。私は、おそらく、女性が訴えを起こしていなかったのではないかと思います。
万一、訴えを起こしたとしても、条例がないことで、騒音の基準が曖昧だったとすれば、市が主張する「受忍限度を超える騒音には当たらない」という主張が裁判官に受け入れられる可能性がかなり高くなってきます。そうなった場合には、おそらく今回の結果とは逆の決定が下っていたのではないでしょうか。
今回の事件で、私が一番問題だと感じたのは、2つの行政の無責任さです。
その1つは、ただ単に住宅街だということで単純に決められたと思われる都環境保全条例の50デシベルという騒音基準。
2つ目は、環境保全条例があるにもかかわらず、なんの対策も講じることなく作られた公園。
裁判所も、「騒音は受忍限度を超えている。設計段階から騒音は予測できたのに対策をとらず、配慮が全く欠如している」と市の姿勢を批判して、決定を下しているのです。そういう意味では、子どもたちの遊ぶ権利は「行政の怠慢の犠牲になった」とも言えなくもありません。
多くの子どもが遊ぶような住環境で、50デシベルという基準が適切か。もし適切であるとすれば、子どもが遊ぶ権利を都はどう保障するのか。
また「設計段階から騒音は予測できた」ということですから、噴水を住宅に影響のないところに設置するとか、最も近い住宅との間に防音壁の役目をするような遊具なり、トイレのような建物の設置をするといった対策を、西東京市はなぜとらなかったのか。
子どもの権利という公共性と女性個人の権利とのバランスをどう取るかということはもちろんのこと、少子高齢化が大きな問題となっているにもかかわらず、産婦人科、小児科医療に対する無策が問題になっている今日、子どもの権利に対するあまりにもお粗末な行政の対応が明らかになった事件でした。

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2022年5月20日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第275回「警察官の平手打ち」

事件そのものはたいした事件ではないのに、先週大きく取り上げられたのが、「警察官の平手打ち」事件です。
「神奈川県警大和署の巡査長(33)が拳銃の形をしたライターを持っていた高校2年の男子生徒(16)を平手打ちし傷害容疑で現行犯逮捕された」(毎日新聞)という事件ですが、県警監察官室の当初の発表は、巡査長は生徒が周囲の注意を受け入れてライターをしまったのに「反省の色がみえない」と顔を3回平手打ちしていたとし、「警察官の行動としてふさわしくなかった」とコメントしながらも、生徒からの事情聴取が終わらない段階で「生徒がライターをもてあそんでいたため、巡査長が注意しようとして口論になったと思われる」と説明していました。
そして、この事件については「注意できる大人がいない中、きちんとしかるという行動は安心できる」「あまり厳しく処分しないで」など巡査長の行為をたたえる電話やメールが神奈川県警に殺到、約2000件にもなったといいます。
ところがその後、注意された高校生の母親から「報道は事実と違う」というクレームがあり、県警は担当記者を集めて当初の説明を変える異例の釈明を行いました。
「各紙によると、相鉄本線二俣川駅で停車中の普通電車内で拳銃型ライターを持って悪ふざけをしていた男子高校2年生(16)は、小磯巡査長ではなく、車掌から注意された。すると、高校生は、「分かりました」と従い、ライターをカバンにしまったという。小磯巡査長は、隣の車両からこの様子を見ていたが、車掌が去った後に高校生が友人と談笑しているのをみて「反省していない」と思い込んだ。
高校生が次の鶴ヶ峰駅で降り、改札を出て階段を下ると、小磯巡査長は、高校生の髪の毛とカバンをいきなりつかみながら路上に連れ出し、「カバンの中のものを出せ」と言って、顔を3回平手打ちにした。高校生は、「怖かったので口答えもしなかった」という。神奈川県警では、小磯巡査長は「注意したというより、因縁をつけて殴った状況」としている。
-中略-
高校生は、友人と2人で二俣川駅に停車中の電車に駆け込んできた。そして、友人が座席に寝転がり、高校生は扉付近でホームに向けて例の拳銃型ライターを構えていた。そこに、たまたま、車内巡回中の車掌が通りがかり、「止めて下さい」と声をかけた。高校生は、「すいませんでした」と車掌に謝り、ライターをバックにしまい、友人も起き上がった。特に口論などはなかったという。」(J-CASTニュースより)
高校生が乗っていた車両には、高校生2人以外には乗客はなく、ホームにもほとんど人影はなかったとか…。

この事件は、今の社会的状況をとてもよく映しています。
・公的機関の身内に甘い対応
・今の若者はマナーがなっていないという先入観
・マスコミ報道により形成される短絡的な世論
・悪事に対する報復的処罰の容認

J-CASTニュースの取材によれば、この高校生2人の行動で問題だったのは、「座席に寝転がったこと」「拳銃型ライターを構えて遊んでいた(持っていた)こと」の2点です。けれどもそれは2人以外には乗客がいない車両という特別な状況下で、しかも車掌の注意に素直に謝り、すぐに起き上がり、ライターをバッグにしまった行動を考えれば、むしろ今の高校生の中では、ある程度のモラルを持った高校生とも言えなくもない。この事件の本質は、高校生の行動ではなく、酔って絡んだ巡査長の行動であり、事情はどうあれ、何かの解決の手段として暴力を許すかどうかということです。
飲酒運転事故をきっかけに、最近、司法における厳罰化というのが大きな流れになっています。もちろん、私も飲酒運転にはもっと正しく法を適用すべきだと思いますが、法というのはちょっと使う方向を間違えると、正義と悪が入れ替わってしまうことにもなります。今回のこの事件も、酔った巡査長が暴力を振るったわけで、その点からすれば厳罰に処せられなくてはならないのは巡査長側ですが、事実を真っ直ぐに見ないと、高校生が悪くなってしまう。
いろいろな子どもがいるにせよ、基本的に、社会の中で子どもたちは弱者です。その子どもたちの行動を正確に見聞きしないで、何らかの処罰をすることはとても危険なことです。子どもに対し、常に大人は権力であるということを忘れずに、力によるしつけや教育は厳に慎まなくてはなりません。
子どもたちに対する教育が、単なる厳罰化の流れの中に埋没しないよう、子育て、教育の場は進んでいくといいのですが…。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第274回「携帯電話のリスク」

第185回(2005年11月)で、「携帯電話」を取り上げました。携帯電話の進化の速度は、きわめて速く、たった2年の間に、携帯電話が抱える問題の質も、大きく変わってきました。
第185回で取り上げたのは、“個対個”のコミュニケーション手段が集団としてのコミュニケーションを阻害するおそれがあるということでした。避けることのできない人間関係の中で、それぞれが“関わり合いの智恵”を絞ることで、築いてきたコミュニティー。そういったものが、携帯電話が生み出す“個対個”の人間関係によって破壊され、地域社会の存在が壊れようとしている。さらにそれが、引きこもりやニートという問題にもつながっている。というような内容でした。
ところが最近、携帯電話にまつわる問題は“個対個”のコミュニケーションの問題ではなく、ネット上に氾濫する様々な情報の取得あるいは情報の発信という問題になってきました。これまで、インターネットといえば、PCというのが一般的でしたが、最近では携帯電話(モバイルサイト)に取って代わられようとしています。インターネット上にホームページを持っている企業、店舗の多くはモバイルサイトにもページを持っています。うちですらカウンセリング、教育相談のモバイルサイトを持っていて、そのサイトから直接カウンセリングの予約ができるようになっています。
ここであらためて言うほどのことでもありませんが、モバイルの利点は、何と言っても双方向の情報のやり取りにあります。もちろんPCでも双方向の情報のやり取りは可能ですが、携帯電話はPCのように準備をして構えなくてはならないものと違い、常に持ち歩いていて、スタンバイ状態なので、情報が届いた瞬間にそれを確認することができます。しかも、その大きさから場所を問わず、どこでも簡単に使うことができるので、その情報のやり取りを秘密裏に行うことも簡単です。
9月2日朝日新聞朝刊に、携帯電話についてのアンケート結果が公表されていました。これは、朝日新聞の無料会員サイト「アスパラクラブ」が8月に行ったもので、10,936件の回答をもとにまとめたものだそうです。
それによると、はじめて携帯を持たせた年齢は、小学校入学前/1%、小学生/15.4%、中学生/24.6%、高校生になってから/38.3%、高校を卒業してから/20.8%(記事では小~中学生までは、学年ごとの統計になっています)。アンケート対象の年齢幅が広いため、かなり以前に子育てが終わった人の数字もカウントしていると思われ、そのために「高校生になってから」「高校を卒業してから」の割合が多くなっていると考えられます。もし、今小学生の子どもたちが成人したときにアンケートを実施したとしたら、「高校生になってから」「高校を卒業してから」の割合がかなり減るのではないかと思われます。年齢層を切ることによって、アンケートの数字はかなり違ってくるように思います。したがって、皆さんの感覚では、アンケートの数字よりかなり低年齢化が進んでいるという感覚ではないでしょうか。
子どもの携帯電話のメリット、デメリットの比較については、「メリットの方が大きいと感じている人」が41.6%、「デメリットの方が大きい」と感じている人が、26.9%、「わからない」が31.5%。この結果を見る限り、携帯電話に対する親の見方はかなり割れています。おそらく、親がどのように携帯電話を利用しているかによって、評価が割れていると思われます。
このアンケートで、私が最も注目したのは、「お子さんの携帯電話に“フィルタリング”をつけていますか?」という質問です。フィルタリング(携帯電話会社がオプションとして行っている有害サイトへのアクセス制限)がどの程度効果があるかについては、私は懐疑的(サイトとしての体裁をしていない有害な情報も氾濫しているから)な考えを持っていますが、「つけている」10.6%、「つけていない」58.6%、「わからない」17.9%、「フィルタリングについてよく知らない」12.9%という結果は、あまりにも無防備と言わざるを得ません。
私自身は、基本的な考え方として、子育て・教育における「制限」「規制」ということを好みませんので、もし今私に、小・中・高校生の子どもがいたとして、フィルタリングを利用するかと聞かれれば、答えは”ノー”です。が、それはあくまで、モバイルサイトの有害性(興味本位に走った誤った性情報や出会い系サイトなどの誘惑など)を理解した上での判断であって、有害サイトから子どもを守るには、それなりの知識を子どもに教える必要があります。それ無しに、子どもがモバイルサイトをすべて利用することは、大変リスキーなことです。けれども、アンケートの結果からすると、そこまでモバイルサイトの危険性を認識している人はそう多くはない。
山谷えり子氏が、首相補佐官に就任して以来、男女共同参画や性教育は大きく後退してしまい、学校ではほとんどまともなジェンダーに対する教育や性教育をしなくなってしまいました。ネット上に氾濫するいかがわしい性情報から、子どもたちを守る手段は、詰まるところ、正しい性の知識、性に対する感覚を子どもたちに、身につけてもらうしかありません。フィルタリングさえ、浸透しているとは言えない状況ですが、どんどん便利にそして危険になっていく携帯電話から、子どもたちを守り、さらにうまく利用していくためには、「フィルタリング」や「携帯電話の使い方」などという“規制”や“HOW TO” ばかりに頼るのではなく、子どもたちの持つ根本的な知識や意識から変えていく必要があるのはないでしょうか。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
10年以上前の内容なので、今では当てはまらない部分がほとんどかと思います。ここでいう“携帯電話”は、スマホではなく“ガラケイ”のことです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第273回「習熟度別って効果ない?」

8月26日、朝日新聞朝刊に「習熟度分けても英語成績伸びず」との見出しで、全教・教研集会での和歌山県の県立高校教諭からの報告の記事が掲載されていました。
03,04年度に普通科2年生2クラス80人を対象に「英語Ⅱ」で上位2つと下位1つの3グループに分け、習熟度別授業を試みたそうです。全国模試の平均偏差値で見ると、03年度、04年度も大きな変化はなく、習熟度別の効果は確認できなかったとか。ちなみに04年度に行われた7,11,1月の3回の模試の結果は、上位が「48.7→48.0→47.7」、下位が「46.1→44.5→45.6」。
この結果を見る限り、7月より1月の方が模試の結果が悪いので、確かに習熟度の結果が出ていないようにも見えますが、標本が2クラス80名と少ないこと、そして習熟度別クラスとそうでないクラスの比較ではなく、習熟度別クラスの時間的経過だけが比較対象になっていることなどを考えれば、実際にはほとんど意味のない調査になってしまっていると言わざるを得ません。(新聞報道が、比較対象を時系列的偏差値のみに絞った可能性もあるので、すべてが無駄とは言えないのですが、新聞報道を読む限り、調査としてあるいは記事として、とても稚拙と言えると思います)
調査をした先生に、「効果がないのではないか」あるいは「効果があるはずがない」という考えがもともとあって、そういう結論を導き出すための調査であったのかなという気もしなくもないのですが。(あくまでも「報道の内容がすべて」という前提でですが)
とは言え、私も「習熟度別授業」を単純に支持するものではないので、「教師を増やした割には効果が見られなかった。同じレベルが集まると生徒は安心してしまい、成績の引き上げ効果が失われているようだ」という、この先生の後半部分のコメントにはある程度納得できます。塾をやっていた経験から言うと、短期間に特定の子の成績を上げようとすれば「習熟度別」というのは、絶対に必要です。「先に進む」あるいは「さらに難易度の高い問題をこなす」ということであれば、当然それについてこられない子どもたちは「足手まとい」になります。「足手まとい」になった子どもたちを切り捨てずに、なんとかしようとすれば、クラスを分けるしかない。一般的に言って、個別指導でない塾はそれを実践しているわけで、成績の順にクラス分けを行っています。塾の目的は、ただ単に少しでも多くの生徒の学力を、できる限り現状より良くすることが目的なので、上下の学力格差が広がり差別が助長され、ある程度の落ちこぼれが生まれようと、そんなことはお構いなしです。もっとも、経営上、低学力の子どもたちを切り捨ててしまっては「もったいない」ですから、簡単に切り捨てようとはせず、丁寧に面倒を見ているように装いますが…。
それを即公立の学校に当てはめてうまくいくかというと、そうはいきません。「習熟度別」に分けるということ自体、学力格差による「差別」という議論もあると思いますが、その後、分けることによって、さらに学力格差が広がってしまい、「差別を生む」ということをどうするのかというのが大きな問題です。
どうも日本人は、文化として、格差を広げることを好まない傾向があるように思います。今回の参議院選挙の結果を見ても、相次ぐ閣僚の不祥事や安倍さん個人のキャラクターの問題はあったにしても、やはり根本的にくすぶっていたのは、格差の問題です。置き去りにされた地方の氾濫というのは、もちろんありますが、都市部でも格差については、はっきり「ノー」です。
和歌山県の先生の言う「同じレベルが集まると生徒は安心してしまい、成績の引き上げ効果が失われているようだ」というコメントも、日本の文化として捉えた場合、とても良く理解でき、おそらくこれからも、それを打ち破るのは並大抵のことではないのではないかと感じます。単純に成績順に「習熟度別に分ける」ということではなく、もっと日本の風土にあった「新たな習熟度別」が必要なのかもしれません。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年4月30日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第272回「不登校、再び増加に転じる! 後編」

うちの陶芸教室にも、不登校の子どもたちが何人か通ってきていました。一つは陶芸というものが作業として不登校の子どもたちにも受け入れられ易いこと、もう一つは教室に通ってきている他の会員の皆さん(不登校の子どもたちが訪れる時間帯というのは、ほとんど主婦を中心とした50代後半から上の方たちが中心ですが)が、不登校児というものを意識せず、差別することなく受け入れていること。そんな理由から不登校の子どもたちも居心地がいい(というよりは、他のところよりは居心地が悪くないといったくらいかもしれません)のだろうと思います。
カウンセリングや教育相談といった、カウンセリング研究所における不登校についての直接的な関わりではないので、うちの陶芸教室としては、他の会員の皆さんと同じようなサービスを提供し、それがその子に合えば通ってくるし、合わなければやめていくという単純なことで接するようにしています。もちろんスタッフは陶芸を教えることはできますが、教育やカウンセリングのプロではありませんので、そういう意味ではおそらく扱いは雑です。「不登校児」という扱いではなく、「やや若い陶芸教室の会員さん」という扱いです。日常的に「不登校」であるということを意識し、あるいは意識させられている子どもたちにとっては、陶芸教室にいる時間は「不登校」から意識が離れられるほんのわずかな時間なのかもしれません。おそらくそれが「居心地が悪くない」という状況を作り出しているのだろうと思います。
入会時にあまりプライベートなことには触れませんので、スタッフは不登校かどうかも詳しくは知りません。ただ、なんとなく隠しているようになってしまうのは本人にとっても苦痛でしょうから、私は率直に「学校、行ってないの?」と聞いてしまいます。学校に行けるようになることが目標ではなく、うちとしては陶芸を長く続けてくれさえすればいいことなので、「不登校である」ということを開示してしまってくれれば、こそこそして居心地が悪くなることもないので、率直に聞いてしまった方がいいかなあと考えているわけです。私としては、「いつ続かなくなっちゃうだろう」と常に心配をしているわけですが、そういう事情ではない一般の会員さんより、むしろ定着率がいいようなくらいで、中学校で不登校になった女の子や高校で不登校になった男の子たちが、就職が決まり仕事を始めるまで通ってくる例も少なくありません。まあ、週に1~2回程度ですから、学校に比べればはるかに負担が軽いわけで、そういったことも影響しているんだろうとは思いますが…。
前回も少し触れましたが、不登校が問題として取り上げられ始めたころというのは、「子どもは悪くない」という発想から、子どもたちに対する学校の対応の悪さも指摘され、子どもを救う場所、その子の持っている個性を大切にする場所として、各地に多くのフリースクールができました。これは、子ども自身の持つ内面的な要因は認めながらも、学校の状況や対応の悪さに直接的原因を求め、その原因を取り除くことで、子どもの心を救おうとしたものでした。居場所がないことを実感している子どもたちにとってフリースクールは、自分たちの居場所としての存在を示し、ある一定の大きな成果を生みます。そして、今もそこに通っている子どもたちにとって、大きな存在になっていることは確かです。
けれども、最近の不登校事情を見ると、それだけでは対応できないような不登校が増えているように感じます。
26、7年前、学校が荒れたことがありました。うちの子どもたちの通っていた中学校でも掃除の時間中に「窓から火のついた雑巾が降ってきた」というようなことがありました。暴力がはびこり、授業は成り立たず、当然のことながら不登校も増えました。大きな原因の一つに「管理教育」があったことは間違いありません。その頃、「大学のような高校を作ればいい」(今の単位制高校のような)というのが私の持論で、実際に県から学校設立に関する膨大な資料を取り寄せたりもしました。まだ規制が厳しい時代で、資金繰りにめどが立たず断念するのですが、その数年後、伊奈に公立の単位制高校が開校しました。当時とすると画期的な発想で、荒れた教育に対する救世主的な存在でした。不登校対策というよりは、むしろ中途退学や“やる気”に対する対応策という要素が大きかったと思います。そして、その後規制緩和がどんどん進み、単位制の高校が開校しやすくなりました。私はそれが、不登校に対する考え方を変えなければいけない転機に結びついたのだろうと考えています。
もちろん、その後も「居場所のない子どもたち」は増え続けます。それに対して、多種多様な形態、内容の学校も増えていきました。そしてそこへ少子化の波。当然のことながら、学校間で子どもの取り合いが始まります。その結果、学校が子どもにこびる結果となった。
「ここの学校が嫌ならこっちの学校、こっちの学校が嫌ならあっちの学校」というように、決められた場所に適応しようとせず、今の自分を受け入れてくれるところを探すという状況が生まれます。それは、ある部分では正しいのですが、ある部分では子どものわがままを助長することになります。そこへよく言われる「80年代」世代の子どもたちが、学校に通い出し…。
これからの不登校対策は、以前のような「子どもの居場所」作りではなく、ある一定の閉ざされた(閉じた)場所で、子どもたちがいかに人間関係を築けるよう育てていくかにかかっているんだろうと思います。
県も親を教育することに力を入れはじめたようですが、県のやっていることはどうも復古的過ぎる。社会構造が多様化しているにもかかわらず、父親、母親の役割を限定的に捉え、「昔の親子関係に戻す」的な発想で、進めようとしているように感じます。とは言え、親子関係を見直すことが必要な時期にきているというのは、私も感じていることで、今後の不登校対策は親子関係をどう構築していくのかにかかっていると思います。
親子関係の作り方も、陶芸教室に通ってきた不登校の子どもたちの様子の中に、ヒントがあるような気がするのですが…。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第270回「定員割れ大学のターゲット」

先日テレビを見ていたら、少子化により定員割れの大学が、今春4割を超えたというニュースが流れていました。
読売新聞によると、
「今春の入試で、入学者が定員に満たなかった4年制私立大学の割合が前年度の29・5%から40・4%に急増し、過去最高となったことが24日、日本私立学校振興・共済事業団の調べで分かった。私立短大の定員割れも前年度比10・2ポイント増の51・7%に達した。同事業団では、18歳人口が減る一方、大学設置認可の緩和などで大学や学部の新設が相次ぎ、定員自体は増えているためと分析している。少子化に伴い、私学経営が厳しさを増している状況が、改めて裏付けられた」そうです。
大学の生き残りをかけた営業活動も活発化していて、営業活動の矛先は、受験生本人ではなく、授業料を負担する親に向かっているとか。テレビの映像でも、受験生本人と学校説明会に参加する母親の姿が映し出されていました。
その映像を見ていて、おもしろいなあと思ったのは、どの親子も必死になっているように見えるのは受験生本人ではなく母親の方。何組かの親子の映像が流れていましたが、私の見る限り、どの親子にも共通して言えるので、見ているうちにだんだん滑稽に見えてきました。
「あの子は大学に入って何を学びたいのかねえ?」
と私が思わず疑問を投げかけると、娘の麻耶(まや)が、
「別にやりたいことなんて、ないんじゃないの」
「やっぱりそう見えるよなあ。じゃあ、何で大学行くんだろう?」
「学生でいたいんじゃない?! 親にお金出してもらって、遊んでいられて、楽だし…。すごく無責任でいられるしさあ」
「まったく」
そんな会話をしていたら、その親子のインタビュー映像が流れました。
「息子は何をやりたいかはっきりしていないんです」
という母親。“だから私が決めてやってる”と言わんばかりです。
「僕は、まだ何をやりたいかよくわからないんです」
“だから母親に決めてもらってる”と言わんばかりの息子。
“何をやりたいか”はさておき、とにかく“大学”というところに入れたい母親、“何をやりたいか”はさておき、親が言うから“大学”というところに入りたいと思っている息子。そんな様子がとてもよく表れていました。
昔も今も“大学”というところを目指す理由に、いい会社に入社(難しい資格を取得)し、より多くの収入を得、いい暮らしがしたい(させたい)というのがあると思いますが、テレビのニュースで流れていたのは、定員割れに悩む不人気の大学が、定員割れ対策として親をターゲットに営業戦略を立てているというもの。どう考えても、最終的に“いい暮らし”という目標を持てるとは思えない。とうとう“大学”までもが、消費志向を満たすための商品になってきてしまったんだなあ、という印象です。
そして、親が子どもを自分の元に縛っておくために大学を利用し、子どもは子どもで、親の傘の下から出ないための道具として大学を利用し始めたということのように感じます。そうした親子のニーズと定員割れに追い込まれている大学のニーズとがピッタリとマッチしたということのなのでしょう。
けれども、大学本来の目的やあるべき姿を見失ったこうした状況は、未来に大きなツケを残すことになる気がしてなりません。

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