2024年4月14日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第321回「ほんとにメダル候補?」

「今度のコースはね、距離が短いし、ラフも深くないから、それなりのスコアで回れると思うよ」
「いくつくらいで回れば、予選通るんだよ」
「76くらいがカットラインかな」
「それでおまえは、いくつで回れるの?」
「74、5くらいでは回れると思うよ。練習ラウンドはパープレイ(72)だったしね」
ゴルフをやっている翔(かける)が高校生の時の会話です。
ゴルフは1ラウンド18ホールで、おおよそ72打(コースによっては72でない場合もあります)を基準(これをパーと言います)に、72よりも少なければアンダーパー、多ければオーバーパーと言い、打数を競います。もちろん少ない方が勝ちです。
ここで、「76くらい」と言っているカットラインを4オーバーと言います。それよりも少なければ予選通過、多ければ予選落ちということになります。カットラインの決め方は、あらかじめ決められた打数なわけではなく、予選通過者の数が決まっていて、上位からその人数に達したところのスコアで切るので、その日の全員のスコア次第で上下することになります。(ゴルフを知らない人にはわかりにくくてすみません)
試合から帰ってきた翔は、かなり落ち込んでいます。
「ダメだった。カットラインは77だったんだけど、おおたたきしちゃった。アウト(前半)が40、イン(後半)が42で82だった。」
「10オーバーかよ。何やってんだか…」
「ショットは曲がっちゃうし、パットも入らないし…」
翔はすっかりしょげていました。
おそらく翔の実力から言って、そんなものだったんでしょう。人は、どうしても自分の力を持っているもの以上に感じたいので、自分に対する評価は甘くなりがちです。周りの期待も同様ですね。私も予選くらいは当然通るのかと思っていました。
オリンピックが始まりましたが、いつものように報道は過熱するばかり。すべての競技で金メダルがねらえるような報道ですが、これもいつものようにふたを開けてみると惨敗の連続。もともと力が世界のレベルまで達していないことも多く、にもかかわらずマスコミがやたらとメダル奪取を強調するものだから、選手にのしかかる重圧というものはすごいものだともいます。
メダル第1号を目指した女子重量挙げの三宅宏実選手。埼玉栄高校で、翔の2年先輩ということもあり応援していたのですが、メダルを逃し6位に終わってしまいました。とても残念です。私が子どものころ見た三宅義信氏と三宅義行氏は強かった。名門一家の重圧というところでしょうか。テレビ朝日が松岡修造氏をつかって取材をしていましたが、松岡氏の勢いではまるで金メダルを取るのが当然といった様子。確かに応援する側からすれば、金メダルを取ってほしいと思うものですが、優勝した中国の陳選手の実力からすると、他の選手が優勝する可能性は、陳選手にアクシデントがない限りほぼゼロ。視聴率を考えると、「金メダルは陳選手で決まっています」なんて言ったらだれもテレビを見なくなっちゃうので、そういうわけにもいかないのでしょうけれど、朝日新聞の記事によれば、「1カ月前、母育代さんに打ち明けた。「私、最近眠れないの」。2時間おきに目が覚めた。夢の中でもバーベルを持ち上げている。― 中略 ― そのころは、練習も最悪状態だった。自己ベストの80%ぐらいの重さでも落としてしまう。「怖くてシャフトに触れなかった」。練習場の片隅で泣いた。目標の重量に追いつけない焦り。競技を始めてから書き続けてきた練習ノートも1週間、空白が続いた。「話しかけると泣きそうだから」と父でコーチの義行氏が話しかけることもなくなった」そうです。筋肉もそげ落ち、体重も軽くなって1回目の試技の重量を下げざるを得なかったとか。難しいことですけれど、もっと楽な気持ちで力を出し切ってほしかったですね。選手にとってはそれもまた強くなるために必要なことなのかもしれませんが。三宅選手には次を目指して頑張ってほしいです。
スケールは小さいですけれど、これと同じようなことが、受験の時には子どもの心の中で起こっています。「受かってほしい」「受からないわけはない」という親からの重圧。三宅選手のお父様は、「話しかけると泣きそうだから」話しかけなかったそうですが、受験の重圧に負けそうになっている子どもに、普通の親は「そんなことじゃダメ」と叱咤激励しますよね。行き過ぎは禁物。親の期待は親の期待、子どもの実力は子どもの実力。それを冷静に見つめる目が、親には大切ですね。川口の父親殺傷事件は、それがわからなかったのかもしれません。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

| | | コメント (0)

2024年4月13日 (土)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第320回「なくならない高校野球部の不祥事」

先日、かかりつけの整形外科に行ったら、待合室のテレビに、高校野球の入場行進が映し出されていました。
2年生の部員が強制わいせつ事件で逮捕されながら、出場が認められ注目されていた桐生第一高校の入場行進。実況のアナウンサーが何か事件のことを言うかなあと思って聞いていると、アナウンサーの口から出た言葉は、
「ひときわ大きな拍手です」でした。
事件をふまえ、「逆境を乗り越え頑張って!」という応援のメッセージを発したのでしょう。もちろんグラウンドで行進をしている一人ひとりの選手が、事件を起こした部員と同じように悪いというわけでもないし、甲子園出場のため人並み外れた努力をしてきたこともよくわかりますから、グラウンドに立っている子どもたちを事件に巻き込むことをしない、このアナウンサーの言葉も理解できないわけではありません。
けれども、2年生部員が逮捕されるという事件を起こしながら、出場を希望した桐生第一高校の判断、そして出場を認めた高校野球連盟の判断が、正しかったかどうか…。
私は間違っていたと思います。
私も、どちらかと言えば体育会系で、中学校で私の所属していた部が全国大会に出たり(私の代には全国大会出場は実現できなかったのですが)、高校の時はサッカー部が全国制覇をしたり、あるいは浦和学院の職員のときには野球部が全国大会に出たり、今は息子が大学でプロゴルファーを目指していたりもするので、それなりにスポーツの世界のことは理解している方だろうと思います。
そんな風ですから、体育会系の”乗り”や”厳しさ”も人間の成長にとって、あるいは社会生活を営む上で、大事なものだとも思っています。
甲子園を目指すそれぞれの学校の努力、そこで一生懸命部活動に励んでいる生徒たちの努力もよくわかります。
けれどもその陰で、いろいろなことが起こっているということもよく知っています。
レギュラーの子たちの奢り、レギュラーのレベルに達しない子たちに対するいじめや差別、またその子たちによる暴力や非行…。今回の桐生第一高校の事件も、一人の生徒の問題ではなく、そういう事件を生む「部」の体質の問題なのであり、そういう中で起こっている事件であるということを、そこに関わるすべての人たち(高野連も含めて)は、はっきり認識するべきです。いや、逆に認識しているからこそ、出場できないことで心に傷を負う生徒のことを強調して、出場という開き直りとも取れるやり方をするのかもしれませんが。
もちろんすべての学校というわけではないのでしょうが、校内でも全国レベルの部活、特に野球とサッカーは、学校にとっても大きな広告塔であるだけに、何か事件を起こしても、なかったことにする、もみ消すというのが当たり前になっています。
「普通の子なら停学か退学なのに、サッカー部なら万引きをしても何にも処分されないんだよ」「野球部の子がね、カバンからお金盗んだのみんな知ってるのに、先生は見て見ぬふり」。
少子化が進む中、経営優先のため、広告塔としての役割を重視し、教育がないがしろにされているとすればとんでもないことです。
根本的な原因にふたをして、個人の責任として片づけてしまうようでは、今後もこういった事件はなくなりません。事件・事故の厳罰化の流れに呼応して、学校での一般の生徒に対する指導がますます厳しくなっている折り、甲子園に出場する部や生徒だけが特別では、これからの日本を背負って立つ若者の教育としても問題が残ります。
「連帯責任」という問題ではなく、どこに不祥事を生む土壌があったのかということを指導者はきっちり見極め、そこに関わるすべての者(生徒も含め)が責任をとるという姿勢を明確にすることこそ、大切なことなのでしょう。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第319回「公立小中学校に対する親の満足度上がった?」

朝日新聞によると、
「公立の小中学校に満足している保護者は8割近くに達し、先生への評価も上昇-。朝日新聞社とベネッセ教育研究開発センターが共同実施した5千人を超える保護者への意識調査が25日まとまり、そんな結果が出た。4年前の前回、満足度の低かった都市部や高学歴の親で伸びが目立ち、公立学校への信頼回復の兆しがうかがえる。」
んだそうです。
「25都県の小学2、5年生、中学2年生の保護者計6901人に、公立の小学校21校、中学校19校計40校を通じて質問紙を配り、5399人から回答を得た(回収率78・2%)。初調査となる前回は03年末から04年1月に調べ、6288人から回答を得ている。」とのことで、かなり大規模な調査なので、それなりに信頼できる数字なのかなあと思います。
調査結果の詳細(8月末PDFにて公開予定)は、
http://benesse.jp/berd/center/open/report/hogosya_ishiki/2008/soku/index.html
ただ、この数字をどう見るかという部分では、いろいろ意見のあるところで、「開かれた学校が実現しつつある」とか「学習に対する公立学校の取り組みが評価された」という見方もあれば、「公立学校に不満を持っている層がほぼ私立に入学し、その結果として数字を押し上げた」という見方もあるようです。
まあどれも、その通りなんだろうなあと思います。
社会保険庁の年金問題をきっかけに、これまでになく官僚や公務員に対する風当たりは強くなっています。公立学校もある意味でその例外ではなく、その閉鎖性やいい加減さに批判が寄せられていました。たしかこの連載を始めて間もないころに池田小学校の事件が起こり、それまでの「開かれた学校」というスローガンがしぼんでしまい、閉鎖性を助長した時期もありました。ただ、池田小事件以前の「開かれた」というのは、以前にも述べましたが、「誰でも学校(の敷地)に入れる」とか「塀を取り払った」とかいう意味の「開かれた」ということがほとんどで、親の側が期待する「教育の内容が見える」ということとはかけ離れたものでした。「教育の内容が見える」ということは、「開かれた」ということだけではなく「学校、教師の真剣さ」にもつながるわけで、当然親からの評価につながります。学校で繰り返し事件が起こる中、門扉は閉ざされているけれども、そういう状況だからこそ、「教育の内容が見える」ような努力がなされたものとも言えるのでしょう。
とは言え、最近の傾向は、「公立学校の私立化」とも言える状況だろうと思います。そのために受験を意識した親からはある程度の評価を得ているとも言えなくはない。公教育のあるべき姿についての議論がなされたわけではなく、「私立のような教育が良く、それを真似しようとしているから公立学校もいい」ということだとすれば、教育の本質を大きく見失っていることになりはしないか…。
どちらかと言えば、地域密着の公立志向の私としては、公立学校の評価が上がることはいいことだと思うのですが、これが「公立学校が親に媚を売ることを覚えた」結果だとすれば、とんでもないことです。親にとってやや「いい学校」になりつつある公立学校が、今後子どものためにどのような方向に進んでいくのか、真価が問われるところです。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第318回「プチプラ」

大学に入学してすぐ悩むのは、第二外国語を何にするか。私も悩んだんですけど、高校の時音楽部に所属していて、フランス語の曲を歌ったことがあるんです。なんていうタイトルだったか、もう忘れちゃいましたけど、そのときそれなりにフランス語を勉強した(と言っても発音だけで、まったく意味不明。もちろん訳詞はありましたから、全体の意味は概ねわかるんですが、単語の意味なんて全然わかんない。どれが動詞でどれが名詞かなんてさっぱり。歌を歌うのにそんなことじゃいけないんでしょうけどね。
週に2コマを2年間やったわけですけど、音楽部で発音をやったレベルからまったく進歩がなくて、どんな文章でも一応読むには読める(意味がわからないんだから本当は読めるとは言わないんだろうけど、まあおおよそ声に出して発音できるということで…)んですけど、相変わらず意味不明。試験の問題は、長文がダーッと書いてあって、「訳せ」っていうだけなんですけど、文章の頭の「Vingt  ann ées」(ヴァンタァンズ)、「20年間」というところしか訳せなくて、授業には比較的出ていたとはいえ、「ああこれで終わったな」と思いきや、なんとそれで単位をくれちゃったんだから、そのときの担当教官には足を向けて寝られません。
他に覚えた単語が「maison」(メゾン 家)、「petit」(プチ 小さい)、「fille」(フィユ 女性)、「garçon」(ギャルソン 少年)、「salon」(サロン 客間、店…)など
要するにすでに日本語としても扱っていいくらいの単語しか覚えていないっていうことですよね。まったくどうにもならない学生だったっていうことですかねえ。まあそうは言っても、いま経営している陶芸教室は「Salon de flamme」(サロン ドゥ フラム)「炎の部屋」(flamme には「炎」の他に「目の輝き」とか「情熱」なんていう意味もあるし、salon にも「部屋」という以外に「美術展・展覧会」なんていう意味もあるので、陶芸教室にぴったりだと思ってつけたんです。ところが、最初のころは美容室と間違えてくる人がたくさんいてちょっと困りました)なんていうフランス語の名前をつけちゃってるわけだから、フランス語を取ったことがまったく無駄だったわけではないんですけどね。
私がフランス語を習ったのは30年前。そのころは、外来語といってもほとんどが英語で、フランス語なんてほんの一部でしかなかったけれど、今ではけっこう街の中にあふれていますよね。もちろん外来語の中心は英語ですけど、ケーキ屋さんとか花屋さんとか美容室とか、あるいはマンションの名前とか…。うちの名前と同じでよく意味はわからないけど、「なんとなくフランス語だ」なんていうの、結構ありますよね。
若い世代は、そんな外来語を英語だろうがフランス語だろうが、適当にくっつけちゃって「プチプラ」なんていう言葉を作っちゃったりする。どんな意味だかわかりますか? 「プチ」はもちろんフランス語の「petit」で、「小さい」という意味ですね。「プラ」は英語の「price」で、「価格」っていう意味です。これを合わせて「プチ・プライス」。小さい価格、価格が小さいっていうことで、「安価な」とか「少額の」っていうことを表すらしく、「おもに若い女性が購入するファッション・アイテムや化粧品、雑貨などを対象に、高価ではないが素敵なものをさす言葉」なんだそうです。女子中学生や女子高生の買い物のキーワードになっているんだとか。
外来語ではないけれど、略語も氾濫していますよね。「KY」っていったい何かと思っていたら「空気読めない」なんて、こんなのわかります? ただ単に、単語の頭の子音を取っただけでしょ。何にも意味ないわけだから、知らないとまったくわからない。
「オシム」には、びっくりしました。てっきり、サッカーの日本代表のオシム前監督のことかと思ったら、「惜しいけど、無理」なんだそうです。子どもたちの間で使われ出した言葉で、「無理っ」ではちょっと言葉がきついので、「惜しいけど」をつけることで、「無理」をちょっと和らげようというねらいのようです。最近では、子どもが親に向かっても使うとか。「無理っ!」では怒られちゃうけれど、「オシム」って言うことで、「やりたいっていう気持ちもあるんだけど」というニュアンスを加えて、しかも「オシム」ということで「無理」という言葉が消えるので、相手は否定された感じがしない。
子どもの知恵っていうのはすごいですね。
次から次へと新しい言葉を生み出す、子どもたちの想像力には脱帽です。とはいえ、子どもの想像力も「KY」や「オシム」では、今ひとつというところでしょうか。子どもたちもしっかり英語やフランス語でも勉強すれば、もっとモダンな造語が生まれるかもしれませんね。
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第317回「続・教員採用試験をめぐる贈収賄」

大分県の教員採用試験をめぐる贈収賄事件は、新人採用の試験にとどまらず管理職認容の試験にまで広がり、次々と逮捕者を出し、多くの学校で教頭、校長が不在という前代未聞の事態に陥ってしまいました。
私は、この問題には3つの大きなポイントがあると考えています。まず、採用(新人、管理職ともに)についての不透明性の問題、二つ目は、教育界のモラルハザードの問題、3つ目は、教員という職業の社会的ポジションの問題です。それぞれの問題が複雑に絡み合っているので、きっちりとした線引きはできませんが、「不透明性の問題」というのは前回も述べたように、行政における「教育」という部署の重要な部分が身内(教員)で占められていること。「あの先生は子どものことを全然見ないで、上ばかり見ている」とか「上に取り入るのがうまい」などという言い方をすることがありますが、要は先輩の教員にゴマばかりすっているということですね。民間でもないわけではないでしょうが、民間で昇進するには成果が伴わないと難しいのに比べ、教育というのは成果の判断がとても難しいので、その分ゴマをすることが利いてしまうわけです。利いてしまうから、また行う。行き着く先が賄賂ということになる。これは、明らかに行政を仲間うちに担わせている組織の問題です。
二つ目のモラルハザードは、今に始まったことではありません。いい意味でも、悪い意味でも、学校というところは閉鎖的なところです。私は「次代を担う子どもを育てる」という観点からすれば、ある意味閉鎖性があることは当然(大人社会の持っている悪い部分から子どもを守るという点で)と考えていますが、それを子どものためでなく、教員のために利用して、学校を「何でもあり」(教員にとって)の社会にしてしまっている。先日、「痴漢行為をした都立高の副校長の処分が、“接触は極めて短時間で、悪質であるとはいえない”という理由で、懲戒免職から6ヶ月の停職に軽減され、教員として復職していた」という報道には皆さんびっくりしたことと思います。痴漢を働くような教員に自分の子どもの教育を任せるわけにはいかないと考えるのは当たり前です。私の知っている例でも、暴力行為で処分の言い渡しを受ける際、教育委員会に呼ばれた先生が、「一応、処分という形を取らないわけにはいかないので、こういう形を取りましたが、“まあ、こっちの部屋にどうぞ”と別室でお茶を飲むことを促され、お茶だけ飲んで帰ってきた」なんていう例がありました。それなりの実績を残していた先生なので、何をしてもいいということなのでしょう。今、問題になっている厚労省の業務外HP閲覧なんていうものは、学校にもよるとは思いますがまったく野放し。「教育に必要」といえば、ほぼ何でも通ってしまいます。
そして3つ目。なぜ贈収賄が起こったのかという部分では、「地方と都市部の格差」ということがクローズアップされています。それも原因の一つではあると思いますが、それよりも教員の間では、子どもの教員採用について100万円の賄賂を贈ってもあまりある職業と考えられているということだろうと思います。大分県だからということはあったにせよ、都市部でも教員の子どもに教員が多いことを考えれば、教員の多くがそう考えていることは間違いありません。これほど教員の苦労ばかりが報道されているときになぜ?と思った方も多いのでは…。教員がどんな仕事をして、どんな待遇なのかといったことの公開が大変遅れているので、教員以外には、民間の職業との比較が正確にできていないという現状があります。調査をしても、申告をするのが教員では、とても正確な情報とはいえません。
そのあたりが、今回の事件につながったのではないかと思います。身内(教員)に甘く他人(子ども)に厳しい教育の現場をきちんと検証していくことが求められています。
子どもたちに関わる重要な職業だけに、学校では何が行われ、どんな待遇で教員が働いているのかをもっと明らかにして、その上で誰もが平等に教員採用試験に臨めるよう制度を確立していく必要があるのでしょう。
 
一部報道によると、教職員組合との癒着も指摘され、組合枠があったのではないかとの疑惑も浮上しています。
なぜ100万円ものお金を使っても我が子を採用試験に合格させたかったのか。
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

2024年4月 9日 (火)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第315回「気づかぬうちのゼロトレランス方式の浸透」

文部科学省が日本での「ゼロトレランス方式」導入の調査研究を検討という報道がなされて、2年以上が経ちました。
「ゼロトレランス」とは、「トレランス(寛容)がゼロ(ない)」、「不寛容」という意味で、教育現場では「ゼロトレランス方式」を「毅然とした対応方式」などとも言っています。具体的には、学校が規則とその規則を破ったときの罰則を定め、例外なく遵守するということです。1970年代頃から深刻化した、学級崩壊や生徒による銃や薬物などによる様々な事件に対処するため1990年代にアメリカで導入された方式で、例えば「喫煙は保護者呼び出し」「万引きは停学一週間」とか、とにかく決めた規則は例外なく実行するというもので、守らないと即処分ということになります。
私立の高校などでは、かなり前からはっきりと導入されているところも多く、ある一定の成果は上げています。「毅然とした対応」ということ自体は私も反対ではありません。けれどもそれは、あくまでルールを破ったことにより処罰の対象となる生徒に対しても、教育の対象としての立場をその後も保証するという条件の下で、反対ではないのであって、処罰をするということが、単純に処罰の対象となる生徒の排除が目的であるとすれば、とても賛成できるものではありません。それは、まだ善悪の判断がすべて正しくできるとは言えない教育の対象足るべき子どもたちから、成長する機会を奪ってしまうだけでなく、疎外感、孤独感といった感情を持った子供たちを増やしてしまうという結果を生むことになるからです。
とはいえ、私立高校での「ゼロトレランス方式」導入というのは、入学試験での合格、不合格がある以上、ある意味、生徒がその学校に在籍できるのか、できないのかの裁量は高校側にあるわけで、私立高校が導入に前向きであったとしても、ある程度はやむを得ないのだろうとも思います。逆に、「ゼロトレランス方式」を導入しているからということで、その高校を選ばないという子ども側の選択もあり得るわけですから。
先日孫の授業参観と給食試食会に娘の代わりに参加して、びっくりしました。まだ小学校に入学して3ヶ月にもなっていないこの時期に「ゼロトレランス方式」とも取れる指導方法が取られていたからです。見ているそういう指導法をとっている先生方が圧倒的で、まだ6歳にしかならない子どもたちに、まるで犬や猫をしつけるように細かいことまでことごとく大声で注意し、立たせない、歩かせな、しゃべらせない(給食の最中も一切私語は許さない)ということを徹底しているのです。
「できない子は外へ出てもらいますからね」
もちろん、高校ではないので停学、退学ということではありませんが、「まじめに授業を受けようとしている他の子どもたちに配慮して、問題行動を起こす子どもたちを寛容度ゼロで排除する方式」をとっているわけです。先生方が「ゼロトレランス方式」で臨んでいるという意識を持っているかというと、どうもその辺ははっきりしませんが、子どもたちに行われていることは、まさにゼロトレランス方式。本来の目的は、まじめにやろうとしている子どもたちの権利を守ることなのに、怒鳴ることでかえって怒鳴られている子どもたちに焦点を当ててしまって、まじめにやろうとしているおとなしい子どもたちが、その怒鳴り声に萎縮し、隅に追いやられているという感じ。
私たちが知らないうちに、こんなところまでゼロトレランス方式が浸透してきているんだと大きな危惧を感じました。6歳の子どもたちには、まだまだ心の教育が必要。一律にゼロトレランス方式で排除するのではなく、むしろ寛容度100%で、優しく見守ってあげることこそ6歳の子どもたちには必要なことなのにと強く感じた2日間でした。
 
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

2024年4月 5日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第314回「危機管理 その2」

ある日の小学校の懇談会。
「何日か前なんですけど、ベランダで洗濯物を干していたら、K社の社宅の屋上に子どもたちが上がっていました」
「Yさんのところのベランダからだったら、ちょうど正面だもんね」
「それがね、屋上に柵がないんですよ。だから、屋上の端まで行けば、下が見える状態」
「えーっ、うっそー!」
「本当だよ。Mさん知ってた? 4,5人だったかな? 屋上を走り回ってるからもし落ちたら大変だと思って。柵がない屋上に子どもたちが上がれるっていうことにびっくりしました」
するとK社の社宅に住んでいるMさんが、
「そうなんです。屋上には柵はないんです。前にも上がっている子どもたちがいて、注意はしたんですが…」
「屋上って、子どもたちだけで簡単に上がれちゃうんですか? 普通、屋上に通じる扉には鍵がかけてあって、上がれないようになってますよね」
「うちの建物はそういう構造じゃなくて、屋上は工事関係の人しか上がれないように、扉で通じてないんです。屋上に上がるには、最上階の廊下から壁に取り付けてある鉄のはしごで上がるんです。屋上に居住者が入るっていうことを想定していないので、柵がないんです」
「へぇ、なるほどね。でも誰でもそのはしご、上がれるんですか?」
「一応、はしごの先が床から120センチくらいは浮いていて、昇りにくくはなっているんですけど…」
「それくらいじゃあ、子どもたちは簡単に昇っちゃうんですね、きっと。K社の社宅のことだし、建物の構造の問題だから、小学校の懇談会で話し合ったからってどうっていうことじゃないけれど、Yさんの話で、子どもたちが危険な状況にさらされているっていうことはわかったから、そういう危険な場所が学区内にどれくらいあるのか、PTAで調査してもらえるよう、提案しましょうよ。K社の社宅の屋上の話は“屋上に子どもたちが上がっていた”っていうことを、Mさんから社宅の皆さんに伝えてもらえばいいんじゃないかな」
「そうですね」
この話は後日PTAの役員会に報告され、PTAで学区内の危険箇所の洗い出しと点検をすることになり、実際に何カ所か危険な箇所が指摘され、地域にも呼びかけて対策を取ってもらうことになりました。
次の懇談会のとき、K社の社宅に住むMさんから、
「社宅の最上階に設置されていた鉄のはしごの件ですが、子どもの手が届かない高さまで切ってもらうことになりました。今は、脚立を利用しないと屋上に上がれないようになっています」
懇談会全体にホッとしたという空気が流れました。
杉並区の小学校で、児童が屋上に取り付けられた採光用のドーム方カバーを破り、吹き抜けを1階まで転落するという事故がありました。普段は屋上に通じる扉には鍵がかけられ、児童だけでは、屋上に入れないようになっていたにもかかわらず、事故にあった児童以外の足跡が他のドーム型のカバーにも付いていたそうです。建築に関わった業者は、児童は屋上に入らないと聞いていたと言い、ドームの周りに柵は設けていなかったそうです。
杉並区和田にある小学校で事故があったとこのニュースが流れたとき、「あれっ?」と思ったのは私だけでしょうか。例の「夜スペ」や「PTAの廃止」で一躍脚光を浴びた「杉並区和田」だったからです。私に言わせると「何かあるんじゃないかなあと思っていたら、やっぱり」という感じ。小学校での事故ですから、直接は関係ないと思うかもしれませんが、大人たちがどっちの方向を向いて子どもたちと関わっているかということは子どもを守る上で大変重要なことです。大人が外に向けて何かを発信することに夢中になっているときは、こういうことはよく起こるものです。
K社の社宅の場合も一歩間違えば大変な事故につながったわけですが、「子どもを守る」というただそれだけの視点が末端の一人ひとりの保護者のところまで浸透していたため、大きな事故につながる前に対策が取れました。「他がやっていない何かをやる」ということではなく、日常の何でもない生活をどう過ごすか、そんなところに視点を当てた危機管理が重要なのだろうと思います。
事故にあった子どもの行動を責めるのではなく、何人もの子どもたちがドームに乗っていたことに気づかなかった学校や教育委員会の気のゆるみを厳しく糾弾すべきだと思います。
 
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第313回「危機管理」

秋葉原連続殺傷事件、岩手・宮城内陸地震とまったくその性質は違うけれど、連続して多くの人が犠牲になる事件、事故が起こりました。
秋葉原の事件が第一報として伝えられたとき、思春期以降のお子さんを持つ親の誰もが、「うちの子は巻き込まれていないだろうか」と心配になったのではないかと思います。うちの翔(かける)の通う大学も秋葉原からすぐ近くなので、「翔は大丈夫だろうか」そんな心配がまず頭をよぎりました。亡くなった叔父が、生前秋葉原デパート(駅から直接入れるので大変便利なデパートでしたが、時代の流れというのでしょうか、秋葉原の急激な変化の中で、惜しまれつつ閉店しました)に勤めていたので、私自身何度も秋葉原を訪れ、叔父のところでスーツを作ってもらったり、一緒に食事をしたりと、身近なところだけにその驚きは大きいものでした。陶芸の生徒のKさんも「お茶のお稽古にしょっちゅう行ってるところなのよね。事件の前の日もあそこの交差点を通ったので、テレビに現場の映像が流れたとき“あっ、あの交差点知ってる”ってびっくりしたのよね。私が巻き込まれた可能性だってあったんだもんね」とおっしゃっていました。
さらに時間が経つにつれ、被害者の身元がわかってくると、その被害者のお一人である「宮本直樹」さんが、蕨市北町の人であることがわかりました。蕨市北町というのは、我が家のある川口市芝富士とは、道路一本隔てたお隣。とても小さな地域なので、毎日のように買い物に行くところです。しかも報道によると葬儀もさいたま市内で行われたとか。そんな身近な地域の若者が亡くなったということが、この事件をますます身近なものに感じさせることになりました。
「あれっ、地震じゃない?」
岩手・宮城内陸地震は、そんな朝の会話から始まりました。布団の上に転がりながら、パソコンをいじっていた私が、ベランダで洗濯物を干している妻に声をかけました。
「そう?」
「めまいがしたのかと思ったけど、ほらっ!蛍光灯が揺れてるから地震じゃない?」
隣の部屋からやってきた孫の蓮(れん)が、
「ばあちゃん、地震だよ。だって、向こうの部屋も電器が揺れてるよ」
そのときは、そんな会話で終わっていました。いつもなら、地震が来るとすぐ「テレビつけて」と各地の震度を確かめるのですが、今回の地震はちょうど朝の忙しいときだったこともあり、それほど大きな地震という意識もなく、「このごろ地震が多くない?」などと話をしただけで、そのまま仕事に出てしまいました。インターネットでニュース速報を見たとき、その地震の規模に驚きました。そして、母が13日(地震の前日)から1泊で、盛岡のつなぎ温泉に泊まっていたことを思い出しました。震源は岩手県南部のようで、どうやら盛岡は被害がない様子。旅館の連絡先もはっきりと聞いていなかったし、携帯も持たない母に連絡のしようもなく、「何も連絡がないということは、何でもなかったんだろう」と勝手に解釈をして、ニュースに耳を傾けていると、お昼前に深谷に住んでいる妹から「お母さん、なんか言ってきた? どこに泊まってるか、知ってる?」と電話がかかってきました。「盛岡のつなぎ温泉って言ってたから、大丈夫だろっ。なんかあれば連絡入るよ」と電話を切ると、しばらくして今度は実家に母と住んでいる弟から、「今、おふくろから連絡あって、大丈夫だって。でも電車が動いてないから、駅で足止めくってるんだって」と電話がありました。今回の地震は、毎年妻の両親と紅葉狩りに出かけて、何度も通ったよく知る場所。やはりそういった場所の映像が流れると人ごととは思えず、「もし紅葉シーズンだったら巻き込まれていたかも」と考えてしまいます。しかもたまたま母が混乱に巻き込まれ、駅で待っていると聞かされるとなおさらです。一日中、カウンセリングと教育相談で地震の情報を夜まで知らなかった妻に仕事が終わった後、地震の被害を伝えると、夜遅くなってしまっていましたが、岩手に住む従兄弟と知り合いに電話をして、無事を確かめていました。
子どもが事件や事故に巻き込まれる可能性というのはそう多くはないけれど、ゼロということはありません。身近で事件や事故が起こったときには、そういったことを意識するけれど、どうしても「人ごと」で終わりがち。そうかと思えば最近では、心配するあまり子どもをがんじがらめにしてしまう親も見かけます。度を超さない危機管理を普段からしっかりしておくことは重要ですね。とは言え、いきなり事件に巻き込まれるという事態から、どう身を守ればいいのか、私自身できる自信もなく、子どもたちに教えることの難しさを感じる毎日です。
昨日(地震の翌日)の朝、実家に電話をしても留守。お昼過ぎに母から電話があり、結局新幹線が動かなかったので、前の晩に泊まった旅館に連絡をしてもう一晩泊まったそうです。「一晩余計にゆっくりできてよかったよ。地震の時は8階の部屋にいたからちょっと怖かったけどね」と母はケロッとしたもんでした。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第307回「何が何でも厳罰化の流れ その1」

少年の凶悪事件が増えていると言われる中で、ここのところ少年法が話題となっています。特に4月22日に広島高裁において、差し戻し控訴審判決が言い渡された「光市母子殺害事件」は記憶に新しいところで、頻繁にマスコミに登場し、極刑を求め続けた本村洋氏の意に沿う形での死刑判決ということになりました。本村氏のお気持ちを考えたとき、死刑だから納得がいく、満足がいくということではないということだろうと思いますが、今後この判決が最高裁で確定する可能性を考えたとき、これまでの判例からは一歩踏み出し、少年に対する厳罰化の流れを加速させる結果を生むかもしれない重大な判決であったのだろうと思います。
私たちは、法律の下で生活しているわけですが、あまりにもその実感がありません。そこで、少年に対する厳罰化ということをふまえ、以下に少年法の一部を抜粋してみました。
 
(この法律の目的)
第1条 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。
(少年、成人、保護者)
第2条 この法律で「少年」とは、20歳に満たない者をいい、「成人」とは、満20歳以上の者をいう。
2 この法律で「保護者」とは、少年に対して法律上監護教育の義務ある者及び少年を現に監護する者をいう。
(調査の方針)
第9条 前条の調査は、なるべく、少年、保護者又は関係人の行状、経歴、素質、環境等について、医学、心理学、教育学、社会学その他の専門的智識特に少年鑑別所の鑑別の結果を活用して、これを行うように努めなければならない。
(審理の方針)
第50条 少年に対する刑事事件の審理は、第9条の趣旨に従つて、これを行わなければならない。
(死刑と無期刑の緩和)
第51条 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する。
2 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、無期刑をもつて処断すべきときであつても、有期の懲役又は禁錮を科することができる。この場合において、その刑は、10年以上15年以下において言い渡す。
 
少年法の主旨は、少年の健全な育成にあります。教育の意義に十分配慮して構成されているもので、日本の未来を担う少年を社会の責任において育てていくんだという強い意志が感じられる法律です。18歳未満についてはその罪を本人にのみ問えるのかと、成人では認められている死刑を回避しています。ここのところの厳罰化の流れの中では「絶対に死刑にはならないんだから、人を殺したっていいんだと考える少年がいるかもしれないから死刑適用の年齢を下げろ」という議論までなされています。しかしそれは、少年法第1条の規定から考えて、あまりにも乱暴な議論であり、その目的を大きく逸脱したものだと言わざるを得ません。果たして少年にそこまでの責任を問えるのかどうか…。
「光市母子殺害事件」は、元少年が18歳になって30日しか経っていないときの犯行であり、それが一つの争点となりました。犯行時には18歳ではあったわけで、少年法の規定から死刑を言い渡せない年齢ではありません。されど「たった30日」そこをどう判断するのか、裁判所の判断が注目されていました。
次回につづく
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義】 第305回「東大の入学式」

東大の入学式が11日、日本武道館で開かれ、新入生の数を大幅に上回る保護者らで埋まった客席を前に、建築家で特別栄誉教授の安藤忠雄氏が「親離れをしてほしい」と新入生、保護者双方に自立を促すよう祝辞を送ったそうです。安藤氏の前の小宮山学長の式辞でも「新入生の幼いころを思い返し感慨もひとしおと思うが、入学式は親離れをして独立し、自らの道を切り開く旅立ちの日。温かく見守ってほしい」と保護者に呼びかける場面があったとか。日本人にとって、東大という特別な響きを持つ大学の入学式とは言え、あまりにも多い家族の出席希望に、「新入生一人に対し関係者二人まで」という制限を設けたにもかかわらず、「3人以上で行きたい」という問い合わせが、数十件も寄せられるほどの異常ぶり。そんな過保護な親子関係に一石を投じたということなのでしょうか。入学式の会場は新入生3200人の周囲を5000人の保護者が取り囲んだということだそうですから、東大側にしてみれば、いったい誰のための入学式なのかということになるのは当然。安藤氏は「自己を確立しない限り独創心は生まれない」「自立した個人をつくるため親は子どもを切り、子は親から離れてほしい」と言ったそうですが、まったくその通りです。(東京新聞webサイト参考)
入学式に参加した新入生、保護者の人たちは、この話をどう聞いたんでしょう。
ネット上のYahoo!知恵袋に、「大学になっても入学式に親が同伴するのは、おかしいですか?」との内容の質問があり、ベストアンサーに選ばれたのは「息子さんが反対しているなら、行かなくてもいいのでは?? -中略- 特に男子だと親が一緒だと…、ちょっと…ね。 -中略- それくらい自立心があった方がいいですよ。」
というものでしたが、あとの10人の解答のうち、「出ない」を支持したのはたった一人(それも附属高校からのエスカレーターらしく、ちょっと状況が違う)、あとは全員「出たっていいじゃない!」「出て何が悪い!」というスタンスの回答ばかり。ところがYhoo!サイト内のクリックリサーチでは、「大学の入学式に親が出席するのは過保護だと思う?」との質問に、64,558人中37,993人(59%)が「過保護」と答えています。知恵袋に回答を寄せた人たちは、自分が親として入学式に出たことのある人たちなので、出ることへの支持は当然として、全体としては、「過保護」というふうに考えている人たちが多いということなんですね。けれども、クイックリサーチは、「親」でない人の数が圧倒的で、もし子どもがいる人だけを対象に同じ質問を向けたとすると、「過保護ではない」と考える人の方がかなり多いのではないでしょうか。
私は以前から述べているように、今の「子育て・教育」の問題というのは、「親子の距離が近すぎること」と考えていますので、基本的には「過保護」だろうと思います。
まもなく成人を迎えようとしている(あるいは成人を迎えた)子どもたちが、ある意味親をうっとうしいと感じるのは自然で、それがないということになると、安藤氏の言う「自己を確立しない限り独創心は生まれない」ということになってしまいます。本来だったら、思春期に通り越していなければならないことが、最近の傾向として、大学になっても、社会人になっても通り越せていない。
うちのカウンセリング研究所のスタッフ募集の面接に、お父さんが付いてきたというケースが2人ありました。「娘が働くところがどんなところか確かめたかった」というお父さんの気持ちがわからないではないですが、面接をして雇う側として考えた場合、お父さんが付いてこなければ面接にこられないような大人だとしたら、採用するのは困難です。仕事で難しい局面を迎えたとき、しっかりと自分で解決していく能力があるかどうか、疑わしいからです。
親は皆、子どもの幸せを考えるものです。安藤氏や小宮山学長に言われるまでもなく、本当の子どもの幸せとは何なのか、そろそろ見つめ直すときがきているのではないでしょうか。
 
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
 

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧