2020年2月 9日 (日)

第171回「明徳義塾高校野球部の連帯責任」

名門、明徳義塾高校野球部の一部部員による喫煙行為、下級生に対する暴力行為が明るみに出て、全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)開幕直前に、出場を辞退するということになりました。
こういった問題は、賛否両論あって、とても取り上げにくい問題なのですが、あえて取り上げることにしました。
出場辞退が報道されると、さずがにここ数年甲子園を湧かせ続けてきた学校だけに、大きな社会問題となり、「一生懸命努力してきた3年生に、連帯責任はかわいそう」という連帯責任反対派から、「部活動も教育なのだから連帯責任は当然」という連帯責任賛成派まで、テレビやラジオなど、さまざまなマスコミで取り上げられています。
私は、基本的に「連帯責任」という考え方は、間違っていると思います。「連帯責任」という考え方は、管理をするために存在するものであって、子どものため、生徒のために存在するものではないからです。小学校でよく行われている班別の行動は、連帯責任という名の下に、管理の道具として使われています。例えば、“班員の1人が忘れ物をしたために、全員が怒られた”、“班員の1人が掃除をさぼったために、全員がもう1度掃除をさせられた”…。おそらく、皆さんもそんな経験があるでしょうし、皆さんのお子さんも、今まさにそういう経験をしているのではないかと思います。
これは、とてもひどいことです。“自治を教える”ことを理由に、本来教員が一人一人の子どもたちにしなければならない指導の手を抜いているだけで、教育になっていません。教育の現場で行われている連帯責任というのは、責任を取らされる子どもたちに、まったく責任を取らされるいわれはないのです。
では、今回の明徳義塾高校野球部の問題はどうか。
この問題は、小学生の班の連帯責任とは少し違います。班の中で、忘れ物をしたり掃除をさぼったりした子は、その原因が班の中にはないのに比べ、明徳義塾野球部の問題は、その事件の原因が、野球部自身の中に存在すると考えられるからです。
私が以前講師をしていた専門学校の生徒の中に、甲子園の常連校から来た生徒が何人かいました。その生徒たちが口を揃えて言うのは、「普通の生徒が万引きをすれば、即停学か退学になるのに、野球部の生徒がやるともみ消されるんだよ」ということ。これは、別にこの生徒たちが通っていた高校だけの問題ではありません。明徳義塾高校も全く同じことをしようとしたわけだけれども、結果的にうまくいかなかった。そういった意味では、出場辞退というのは、連帯責任という言葉をもって片づけられようとしているけれど、問題を起こした生徒に起因する連帯責任としての対処ではない。
もう一つ見落としてはいけないのは、本当に問題を起こした生徒個人の問題なのかということ。1年生部員8人と2年生部員3人の計11人が喫煙していたと報道されていますが、一般的に言って上下関係が厳しい野球部やサッカー部のような部の部員で、3年生が喫煙していないのに、寮内で1、2年生が喫煙できるわけがない。暴力行為にしてもしかりです。これは私の想像の域を出ませんけれど、おそらくこの問題を放置すると、さらに別な問題が表面化した可能性があるのではないかと思います。そういうところに目を向けないで、連帯責任論だけで、この問題を片付けることはできません。
ある高校で、サッカー部員が万引きをしたことが発覚しました。以前は全国高校サッカー選手権にもたびたび出場していた高校ですが、この年は県予選で敗退してしまっていたので、出場辞退などと大げさなことにはなりませんでしたが、万引きで校内処分を受けたサッカー部員は部員全体の3分の1を超える30数名に上りました。こういうことはよくあることです。こういう問題は、万引きをやった生徒個人の問題ではなく、サッカー部全体の体質の問題だからです。
明徳義塾高校にも、そういった体質の問題はなかったのか。
今回の辞退という状況に一番納得しているのは、明徳義塾高校の野球部員かもしれません。私は、今回の辞退は当然のことと考えますが、今こそ問い直されなくてはならないのは、事件を起こした生徒たちではなく、大志を持った子どもたちの夢をかなえるべき指導者の質だと思います。教育の名の下に行われている部活動の指導者に一番求められているのは、単に勝負に勝つことではなく、人として成長していく子どもたちに何を伝えるのかということです。果たして明徳義塾の馬淵監督にそういったものがあったのかどうか…
出場を辞退した生徒たちの未来が、辞退したことで失われないことを願っています。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2020年1月25日 (土)

第159回「学校の復権」

昨年、公表された国際教育到達度評価学会(IEA)の学力調査結果で、日本の子どもたちの学力が低下していると公表されて以来、「ゆとり教育」を見直す方向で、文部科学省を始め各地方自治体すべてが、ほぼ足並みをそろえて進んでいます。その後、“ゆとり教育後”の子どもたちの学力が、“ゆとり教育以前”の子どもたちの学力を、ほぼすべての教科で上回っているという調査結果も発表されましたが、こちらには文部科学省や各地方自治体は反応薄。これは、中山文部科学大臣の“詰め込みというよりはたたき込み”という教育観と子どもたちにゆっくりと時間を過ごすことを許さず、隙のないスケジュールの中で何かを学ばせようとする社会的状況が大きく影響しているものだと思います。
ゆとり教育で実際に子どもたちがゆとりを得ていたかというと、必ずしもそうとは言えません。家庭の状況により、学校以外の時間をすべて自由な時間にしている子もあれば、それとは逆に学校以外の時間を塾や習い事といった別な管理形態の中に置く子もいます。ゆとり教育が当初考えられていたゆとりを子どもたちに与えたわけではなく、その是非は別として、少しずれた形で子どもたちに変化をもたらしたと言えるのではないかと思います。
埼玉県の場合、“ゆとり教育”以前に、中学校における“脱偏差値教育”があり、子どもたちに対する学校の影響力は、かなり低下していたと言えます。そこに“ゆとり教育”が追い打ちをかけるような形で実施され、保護者の学校に対する信頼が大きく揺らいだ上、子どもや保護者に対する学校の影響力は、さらに低下することになりました。その結果として、子どもに対する教育が“学校という公権力”から、保護者自身の手に移るという現象も起こりました。
けれども私は、“脱偏差値”や“ゆとり”自体が、即そういう結果を招いたとは考えていません。その間、教員の不祥事は相次ぎ、学校を標的とした事件も数多く起こりました。そして今も起こり続けています。教員に対するこれまでの信頼や学校の安全神話はすっかり崩壊してしまいました。雪印や三菱自動車、そしてJR西日本といった民間企業が起こす不祥事と何ら変わることがない性質の問題に、私たちが抱く公権力に対する不安と憤り。そういったものも含めた教育の状況が、今の結果をもたらしているのでしょう。
先日、埼玉県教育委員会が、子どもだけでなく親をも教育する方針を打ち出したという報道がなされました。子どもをどう育てていいかわからない親を支援するということなら、わからなくはありませんが、低下した学校の影響力を回復させることが目的なら、傲慢としかいいようがありません。
どちらかというと私は、学校教育に対して保守的な考えを持っているので、“学校はない方がいい”などと考えているわけではなく、学校に対する社会の信頼を回復することが大切だと考えています。学校が保護者や子どもからの信頼を回復するためには、親への教育をするなどということではなく、絶大なる権力を持つ学校の綱紀粛正から始めないと、本当の意味での信頼は獲得できないのだろうと思います。
親の教育力の低下を否定するものではありませんが、まず行政がしなければならないのは、学校が本来持たなければならない教育力を向上させること。そのことなくして学校への信頼回復はあり得ません。学校が現状から“復権”を果たすには、学校自ら傲慢さを捨て、謙虚になることが重要なのではないかと思います。


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月23日 (土)

第151回「最近の政治家の発言 その2」

「それは小泉さん、ちょっと違うんじゃない!」
と言いたくなる。
小泉首相は1942年(昭和17年)生まれ。「我々の年代では教えてもらったことはないが、知らないうちに自然に一通りのことは覚える」なんていう発言は、軽々しくするべきじゃない。単純に自分の受けた性教育(まあ受けていないわけだけれど)が正しいということを主張したいなら、教育だけでなく「社会のすべてをその時代に戻してからにしてください」と言いたくなる。

正しいことも、間違ったことも含め性情報が氾濫し、子どもたちは自ら性についての情報を簡単に獲得できるようになっています。ところが、雑誌にしても、インターネットにしても、まず飛び込んでくる情報というのは、風俗産業のものばかり。人が人として持つべき性の知識というものは皆無です。これだけエイズのことが叫ばれているにもかかわらず、正しいエイズの知識を持った人は、少年少女のみならず大人の我々でも、ほとんどいないのでは? しかも、性についての正しくない情報の流布というのは、営利を目的として行われるので、情報を得ようとしていない人間にも入ってくるのに、正しい情報というのは得ようとした人間にのみ獲得できるものであって、自分で獲得しようとしない限り獲得することが難しい。そういう仕組みになっているということを小泉さんにももう少し考えてもらいたい。たしか答弁の中にも「年齢に応じた…」というようなことがありましたが、「知らないうちに自然に一通りのことは覚える」なんていうのは、ちょっと乱暴じゃないの。こんなこと言ってるから、衆議院議員の中からも中西一善容疑者みたいなのが出ちゃう。示談が成立して被害者が告訴を取り下げたらしいですけど、釈放後の会見でも「ぽん引きだと思った」みたいな発言があって、どこまで女性をバカにしたら気が済むんだろうと驚きました。

例の早大生らのサークルの強姦事件の際、太田誠一元総務庁長官が「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」と発言したのにもビックリ。どうも政治家は本質を見ないで発言するらしい。

この連載の第92、93回でも述べたように、性教育に対する考え方は人それぞれなので、今の学校教育における性教育が必ずしも正しいとは思いませんが、少なくとも「知らないうちに自然に一通りのことは覚える」なんていうことではなくて、やはり正しい知識をきちっと教えることが重要だろうと思います。もちろん、それぞれの年齢に応じて。

政治家ではありませんが、極めて政治家に近い猪瀬直樹氏が、先日の寝屋川の事件について、「こういう連中には勉強なんてさせるんじゃなくて、中学を卒業したら働かせればいいんですよ」とコメントしたのも、あまりにも乱暴な言い方でした。あたかも中卒や高校中退の子どもたちが、勉強はしたくなくて、お金を稼ぐことだけを望んでいるような言い方をしていましたが、果たして中卒や高校中退の子どもたちに働くことへの意欲が湧くような、きちっとした働き口があるのかどうか…。「そういう場所を与えろ」ということなのでしょうが、それは学歴のあるものから学歴のないものへの差別でしかなく、そんなものが犯罪の減少に繋がるわけがない。

あまり乱暴な意見や発言に振り回されることなく、常に地に足のついた子育てや学校教育にしたいものですね。


**3月14日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第150回】「最近の政治家の発言」

小泉首相に代表されるように、最近の政治家はパフォーマンスがとても上手になってきましたね。政治はなんといっても支持率だから、これだけメディアが普及した現代では、わかりにくい細々とした政策論議よりは、とにかくわかりやすい大きなジェスチャーとはっきりとしたものの言い方が要求されるんでしょう。田中真紀子、鈴木宗男、辻元清美、小泉純一郎なんていう組み合わせは、“見せ物”としてはとっても面白いものがあった。田中真紀子の父親譲りのあの声と演説の上手さ、鈴木宗男の涙の会見、辻元清美の「総理、総理、総理!」、小泉純一郎の「人生いろいろ…」などなど。加藤紘一、青木幹雄、野中広務といった面々では、ちょっと物足りない。

だいぶ前になりますが、テレビ朝日の午後のワイドショーに生出演したときのこと。生というのは、編集ができないわけだから、こちらの発言が発言した通りにON AIR されるわけです。生出演が初めてだった私は、ちょー緊張。
ADさんの放送開始までのカウントダウンを聞くと、
「どうしよう、どうしよう、どうしよう」っていう感じ。
実際にカメラが回り出しちゃうと覚悟ができちゃうっていうか、開き直っちゃうっていうか、別段普段と変わらない会話はできるんですけど、やっぱりカットができないっていうことは、やり直しっていうのはないわけだから、どうしても言葉が慎重になります。
ところが、他の出演者(いつも出演しているワイドショーのコメンテーターの人たち)の話っぷりはまったく逆で、「そこまで言うか」っていう感じ。とっても過激で乱暴。
「いくらなんでも、そりゃ言い過ぎってもんでしょ!」
なんて番組の間中思いながら、私は私のペースで話をして帰ってきました。
家に戻って、録画してあったVTRを見てみると、なんだか私の言っていることはおとなし過ぎて、インパクトに欠けています。もちろん素人なわけだから、誠実そうに映っていていいと言えば、まったくその通りで、印象としては悪くないのですが、言っていることがいまいち伝わらない。ところが、スタジオではとっても過激で乱暴に聞こえたコメンテーターの人たちの話は、過激に聞こえるどころかとっても歯切れがよくてわかりやすい。
「なるほどTVって、こういうものなんだ」
と改めてTVの非日常性を感じました。

さて、政治家の話ですが、最近の政治家の話は、とってもわかりやすい。とってもマスコミ慣れをしていて、どう行動すればどう取材されて、どう言えばどう映るかっていうことを熟知しているように感じます。イラク問題や郵政民営化みたいな論議は中身がとってもわかりにくいのにもかかわらず、自衛隊がイラクに行って復興作業を行っているところが映像として流れると、なんだかえらくイラク問題がわかったような気がするし、コンビニが郵便局の役割を果たして、宅配業者が郵便物を配達してくれるって言われると郵政民営化問題はすべてわかった気がしちゃう。

教育のこともしかり。
「愛国心を育てるために国旗・国歌に対する教育を徹底する」って言われると「ああその通り」なんて気もするけれど、よく考えてみると「愛国心」ってなんなのか全然わからないし、人によっても国家を愛する愛し方が違ったていいわけだから、“みんな同じに”っていうのもちょっと変な気がするし、つい先日の学力低下の問題から、「ゆとり教育を改める」って言われると「そうですよね」って言いたくなるけれど、本当に「ゆとり教育」で子どもたちに「ゆとり」が与えられていたかっていうと、塾通いが増えただけで、どんどん自由に遊べる時間は減少していて、全然そんなことはないわけだから、ちょっと単純に考えすぎている気がする。

先週、国会で性教育のことがやり玉に挙がりました。小学校3年生の教科書に掲載されている性交についての図解が行き過ぎているというもので、中山文部科学大臣は「子どもたちの発達段階に応じてきちんと教えるべきだ。行き過ぎた性教育は子どものためにも社会のためにもならない」と答弁し、全国調査を検討する考えを示しました。小泉首相は、「性教育は我々の年代では教えてもらったことはないが、知らないうちに自然に一通りのことは覚える。ここまで教える必要があるのか。教育のあり方を考えてほしい」と答弁したのですが、どうもこの答弁も表面だけを見て、中身がわかっていない。

次回につづく。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月12日 (火)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第148回】 「学校の安全」

また学校を標的にした事件が起こりました。これまで安全と考えられていた“学校”という聖域が他のあらゆる場所と同化して、学校の安全神話は完全に崩れてしまいました。今回の寝屋川市立中央小学校で起こった事件をきっかけに、校内に警備員を置いたり、校内を警察官に巡回させたりする動きが一気に広がりそうです。

学校という、社会から隔離された特殊な空間は、とても無防備で、悪意を持って侵入してくる犯罪者に対しては、守るすべを持ちません。そういった意味で、安全確保に外部のプロや警察官を導入するというのは、やむを得ないことのように感じます。教職員が防犯の訓練を受けたとしても、それには限界があり、教職員だけで全校児童・生徒の安全を確保することはまず不可能だからです。

けれども、それで本当に安全が確保されるかというと、どうも疑問が残ります。学校というかなり広い空間を考えたとき、いったい何人の警備員、警察官を配置すれば安全が確保されるのでしょう。その有効性というものも検証されなくてはなりません。

“学校”が標的となった事件には、大きく分けて二種類あります。一つは、“無差別に”学校をねらったものであり、もう一つは“特定の”学校をねらったものです。無差別に学校をねらったケースでは、より襲いやすい学校が狙われると考えられるので、ある学校にとっては、警備員や警察官の配置が多少なりとも有効であるということは考えられます。けれども、“学校”という場所が狙われる限り、“どこの学校を襲うか”という比較の問題でしかなく、安全の保証には繋がりません。さらに、特定の学校が狙われるケースでは、一人、二人の警備員や警察官の配置で、広い学校が完全に守られるかというと、どうもそこにも疑問を感じざるを得ません。前者の場合は、学校という単位で安全ということを論じるのではなく、社会全体の安全について論じるべきであろうし、後者の場合は、事件が起こったときの対処療法として安全が語られるべきではなく、“学校”が誰からも信頼される場所であるという観点から、安全が語られるべきです。

“学校”という場所が、本来どういう場所であるべきなのか?
以前にも述べましたが、私は「人を信頼することから始まる場所」であってほしいと願っています。それが失われたところに、教育などという言葉はありません。こういった事件をきっかけとして、警備員や警察官の配置が叫ばれるのも、よくわかります。“もし自分の子どもが被害にあったら”と考えると、当然のことと思います。けれども、私には制服を着て、警棒や拳銃を持った警備員や警察官が巡回している場所で、子どもたちが勉強している姿を想像することはできません。とてもそんな場所に本当の意味の信頼や安心があるとは思えないから。

子どもの命を守るのは当然のことです。どうしてもそこに目を奪われがちですが、子どもの心を守ること、それも当然のことです。そして私は、今の子どもたちの心を守ることこそ、次世代の子どもたちの命を守ることに繋がると信じています。


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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第146回】「男の子もいるのになぜ子女なの?」

毎週木曜日は朝からカルチャーセンターの講師をする日。午前中は春日部、午後は越谷のカルチャーセンターで陶芸を教えています。会社の事務を私がほとんど一人でやっているので、カルチャーセンターで丸一日時間を取られてしまうのはちょっとつらいんだけれど、浦和から春日部、春日部から越谷、越谷から浦和という通勤の時間は、私にとって重要な情報収集の時間になっています。

なーんちゃって!
何が情報収集の手段かっていうと、テレビとラジオなんだから大したことはない。去年まで乗っていた車はテレビなし。ラジオだけだったんだけれど、約20万㎞乗った末(よくここまで乗ったよね。こんなに乗ったの初めて!)買い換えて、今度はナビつきのになりました。ナビにテレビも搭載されているので、私の情報源もラジオだけからラジオとテレビに増えたわけ。純正ナビの欠点(?)で、サイドブレーキをかけないと画像は見られないんだけれど、運転中でもとりあえず音だけは聞こえます。

曜日と時間がほぼ決まっているので、いつも情報収集の番組は同じ。朝はやっぱりニュースやワイドショー系の番組、帰りはラジオの情報番組。お昼はっていうと、そりゃーもう「笑っていいとも」。
カハハッ、“それが情報源かよ!”って感じだよね。ちょっと恥ずかしい…
というわけで、先週の話。

木曜日は視聴者から寄せられた疑問に答えるコーナーがある(なんていうコーナーだったっけ? ちっともそういうところは聞いてないらしくて全然思い出せない。いかにもバラエティらしく、出演者が質問に対するプレゼンやったり趣向を凝らしている)んだけど、先週「“帰国子女”っていうときの“子女”っていう言葉はどうして“子”と“女”で“男”と“女”ではないのか」(ちょっと言葉が違うかもしれないけれど、だいたいそんなような内容)という質問が寄せられました。

回答は文部科学省からもらったということで、「“子女”の“子”が“男の子”という意味で、“子女”で“男子と女子”という意味です」という回答でした。私はここでタモリ(敬称を付けようか迷ったけど、ちょっと失礼して)が、「じゃあ、なんで女子は女っていう文字を使うのに男子は男っていう文字を使わないのか」って突っ込むのかなあと思ったんだけれど、時間が押していたのかフジテレビの意向なのか「ああ、そうなんだあ」で終わってしまったので、ちょっとがっかり。

広辞苑によると「子(し)」は、①こども。特に、むすこ。②男子の敬称。③日本で、女の名に添える語。(光明子・式子内親王)。大辞林によると①こ。こども。②独自の思想・理論をもって一家をなした人。(ともに後略)
大辞林にも接尾語として「読書子」とか「編集子」とかいう場合には「そのことをもっぱら行う男子の意味を表す」とあります。

確かに“男”という意味がないわけじゃないけれど、“女”っていうのに対して“子”が単純に“男”っていうのは無理があるような気がする。素直に考えればやはり“男女”の方がいいんじゃないのっていう感じ。“子”って言葉には“むすこ”っていう意味がないわけではないけれど、やはり素直に考えれば“子”は“子ども”かな? だとすると”男の子が子ども“で“女の子は子どもではない”っていう意味を含んでいる。要するに女は家を継ぐ“子”ではないわけだよね。「子女」っていう言葉がいつできたか、もっと掘り下げて行かなくちゃいけないんだろうけれど、どう考えても、女性を蔑視しているとしか思えない。文化を継承することも大切だけれど、一部の人間にとって都合のいい文化だけが残っていくとしたら問題だよね。

たかが言葉ぐらいでがたがた言いたくないけれど、女性ばかりしかいないPTAで女性の権利が認められていなかったときの「父兄」はやっぱりおかしい。学校の公文書は「保護者」で統一されているのに、未だに(というより以前より最近の方が)先生方の多くが母親に向かって「ご父兄」って言ってる。いくら一般化している言葉だからといって、「父兄」っていう言葉には母親っていう意味が入っているって考えるのは、ちょっと無理がない? 相当言葉が乱れてる。漢字の意味をそこまで壊しちゃうのが文化の継承なのかなあ? 「子女」の“子”には、“女”は入ってないんだもんね。なんだかちぐはぐだし…。

“矛盾した憲法”の改正論議は進んでいくことになりそうな気配だけれど、“矛盾した言葉”の改正論議ももっと真剣にした方がいいんじゃないの? 男女共同参画社会の実現にはかなり時間がかかりそうですね。


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2019年11月10日 (日)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第143回】「学習障害と注意欠陥・多動性障害 その2」

ほぼ毎日、学校には行くけれど授業には出ないということの繰り返し。学校に行けない不登校などとは違い、学校からのプレッシャーを感じているわけではないことは話の節々からわかります。なんとこの中学校には同じような生徒が20数名いるとか。1学年が200数十名の学校ですから、まさに約10%がアスペルガー症候群や注意欠陥・多動性障害ということになる。

「いつも帰りが遅いんですよ。一度学校から戻って来るんですけど、“何か食べるんだからお金”って言って、お金を持ってはまた出ていくんです。休みの前の日は帰ってこないこともあります。“どこへ行ってたの?”って聞くと“友達の家”って言うんです」
「夜遅くまでどこにいるんですかねえ?」
「塾のある日はとりあえず塾には行っています。塾の後とかそれ以外の日は学校の隣の公園で友だちと話をしていたり、ゲームセンターに行ったりするみたいです」
「学校の隣の公園ですか?」
「ええ。早い時間は校門のあたりをウロウロしてることもあります」
「じゃあ、学校が嫌なわけじゃないですよねえ?」
「はい。“学校が面白くない”とは言いますけど、“嫌”とは言わないですね」
「そんな風だとすると、友だちもけっこういるわけでしょ?」
「そうですね。そういう種類の子たちばっかりですけど、何人もいて、それなりに仲良くやってるみたいです」
「そうだとすると、“病気”とか“障害”とか言うことじゃなくて、ただの“非行”ですよね」
「ええ。私はそう思うんですけど…」

校外学習を翌日に控えたある日、お母さんは学校から呼び出されました。とても不安だし、どう対応していいかわからないということなので、電話で学校とも話をして、学校とお母さんとの面談に同席することになりました。
教頭先生と担任の先生から、授業中に席に着かずにウロウロしていること、ときに教室を抜け出して近くのコンビニまで買い物に行ったりしていること、他学年の生徒と危うく喧嘩になりそうになったこと、それを止めようとした先生の胸ぐらをつかんだこと等、アスペルガー症候群または注意欠陥・多動性障害と思われるので、学校としてはこれ以上の対処のしようもなく、病院にかかるなり今日のようにカウンセラーに相談するなりしてほしいとまくし立てるように言われました。

「最近のお子さんの学校での様子はだいたいおわかりいただけたと思います。今日お越しいただいたのは、明日の校外学習の件なんですが、現在のお子さんの様子からしますと何が起こってもおかしくない状況なんです。明日は5、6名の班行動ですので、担任がついているわけにもいきませんし…」
「何かあっても学校としては責任が負えないということですか?」
「ええ、まあ。こちらとしては、“行かせないでください”とは言えないんですが、“ご家庭で判断してください”ということです。他にも数人いるんですが、ご家庭で“行かせない”と判断したお宅もありますし、本人が“行かない”と決めた子もあります」
「それじゃあ、学校として“行かせるな”って言ってるわけでしょ?」
「まあ、こちらとしては“行かせるな”とは言えませんから」
「“行かせるな”って言ってるじゃないですか!」

さすがにこの学校の対応にはびっくりしました。約2時間におよぶ学校との話し合いの中で、各教科担任の子どもたちへの対応の悪さ、学年を構成する教師集団のちぐはぐさ等、多くの点で学校の対応に反省すべき点があることを学校も認め、結局全員校外学習に参加させることになりました。

最近の義務教育における子どもたちへの対応は、とても投げやりに感じます。病気や障害を理由に学校としての責任を回避したり、問題が起こるとすぐ警察の力を借りたり…。それを必ずしも間違っているとは言わないけれど、「“集中し続けることが難しい”など、文科相の調査とほぼ同じ約75項目について、担任が3~4段階で点数化し、判定した」などというような、判定することによって責任を回避できる当事者が判定したことにより行政が進んでいくとしたら、こんなばかげたことはありません。
しかも、この判定によって教員数が増員されることもあり得るわけです。充分な教育環境を確保するために教員を増員することには賛成です。けれどもそれが学校の責任を回避するための安易な判定によって、子どもたちに病気や障害のレッテルを貼ることによって実現するのなら、到底受け入れることはできません。
全国平均を大きく上回った調査結果に、「アスペルガー症候群や注意欠陥・多動性障害についての理解が進んだ」なんて言っている人もいるようですが、どうも埼玉県の教育行政は学校という組織に甘くて、子どもたちに厳しいんじゃないか、そんな気がしてなりません。

校外学習に参加した生徒たちは、もちろんまったく何事もなく帰ってきました。


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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第142回】「学習障害と注意欠陥・多動性障害」

「県内の小中学校の通常学級に在籍する児童生徒のうち、学習障害(LD)や注意欠陥・多動性障害(ADHD)の可能性があるなど、特別な教育的支援が必要な児童らの割合は10.5%にのぼることが、県教育委員会の調査でわかった。02年に文科省が実施した全国調査の6.3%、03年度に東京都が独自に実施した4.4%を大きく上回っている」(朝日新聞埼玉版)という記事が1月8日掲載されました。

けれども10.5%なんていう数字はにわかに信じがたい。
「調査は、県内すべての公立小・中学校から全児童生徒の32%にあたる18万6180人に実施した。“集中し続けることが難しい”など、文科相の調査とほぼ同じ約75項目について、担任が3~4段階で点数化し、判定した」そうだ。

この数字を信じるとすると、40人学級だとして各クラス4人程度のLDやADHDがいることになります。多いような少ないような微妙な数字だけれど、1学年4クラスだとして学年に16~7人程度。“う~ん”っていう感じ。

調査の結果「知的発達に遅れはないものの学習面や行動で著しい困難があるとされた児童生徒の割合は10.5%だった。特に、じっとしていられないなどの多動性、衝動性については、文科相調査の約2.3倍にあたる5.7%にのぼった。“聞く、話す、読む、書くなどのいずれか複数で困難”な児童生徒は7.2%。対人関係などが著しいとされたのは1.4%だった」んだそうです。

ここまでくると“な~るほど”って感じ。
最近の子どもたちの様子を語るときに、「わがままで、自分勝手」とか「協調性がない」とかいうような言い方をしますよね。「子どもは1人」なんて決めている夫婦があったり、ゲーム機の普及で遊びの形態が変わったりで、家庭の中でコミュニケーションをとる機会が少なくなっているので、無理もないかなと思います。そう考えると、対人関係が上手くとれない児童生徒が多そうな気がするのにそれは1.4%しかない。

昨年の秋、中学校から「お宅のお子さんは、アスペルガー症候群(大まかな言い方をすると軽度の自閉症)か注意欠陥・多動性障害と思われます。学校では手に負えないので、別な機関での対処をお願いします」と宣告されたというお母さんが相談に見えました。はじめは、それなりの障害があるものと思って話を聞いていたのですが、なんとなく話がおかしい。授業中、席に着いていられず教室内をウロウロしたり、教室を出て行ったりしてしまうということなので、私が頭に描いたのは、非常に落ち着きがなく、ぶつぶつ独り言を言ったり、いつも何かをいじっていたり、辺りをきょろきょろ見回してしまうようなそんなイメージでした。当然、人とのコミュニケーションが上手くとれない子を想像します。ところがどうもそういう風ではない。授業はきちんと受けられないのだけれど、友だちも多くて仲がいい。

あとでわかったことですが、現在中学3年生のこの男の子は、1年生のころ偏差値が70くらいあり、現在の偏差値は50台半ばくらいだということでした。
お母さんは「絶対来ないと思う」と言っていたのですが、お母さんとの数回の面談のあと息子さんと直接会うことができました。

どこか話がおかしいと思いながらも、先入観というのは恐ろしいもので、一度“アスペルガー”とか“注意欠陥・多動性障害”という言葉を聞いてしまうと、当然落ち着きがないものとして見てしまいます。私の部屋のソファーに座っても、常に頭はフラフラ、手はもじもじ。「なるほど、こういうことか」とつい納得したりして。
ところが10分もしないうちにぽつりぽつりと話を始めると、とてもしっかりしているではないですか。

「授業、全然面白くないじゃん。あんなの聞いてらんねえよ。教員なんてみんなやる気ないから。特に英語の教員なんて顔も上げないで、ボソボソ言うだけ。何にも聞こえねえし、あんなんじゃあ教室にいても意味ないから、外行くんだよ」
「出ていこうとしても止めないの?」
「“どこ行くんだ?”て一度は言うけど、それだけ。本気じゃないんだ。そのあとは何も言われないよ」
「ふーん」

つづく

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月 9日 (土)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第140回】「ゆとり教育の転換」

世界の中学2年生と小学4年生を対象に国際教育到達度評価学会(IEA)が昨年実施した学力調査の結果が15日付で公表されました。中学2年生の数学は前回(1999年調査)と同じ5位、理科は4位から6位、小学4年生の算数は前回(95年調査)と同じ3位、理科は2位から3位に下がりました。7日には高校1年生を対象とする「総合読解力」「科学的応用力」「数学的応用力」の三分野と「問題解決能力」の学習到達度調査の結果がOECDから発表になったばかりで、この調査でも「科学的応用力」は前回と同じく2位を維持したものの、「総合読解力」が8位から14位、「数学的応用力」は1位から6位に下がっていました。今回から加わった「問題解決能力」は4位でした。
マスコミは、「学力が低下した」と大きく扱い、中山成彬文部科学相「二つの調査結果を見ると我が国の子どもの成績には低下傾向が見られる。世界トップレベルとは言えない」とコメントし、「ゆとり教育の転換」を示唆しました。

順位というのは目で見るものではないけれど、とってもビジュアル的でわかりやすいので、センセーショナルに扱われがちですが、よーく見てみるとIEAの調査は中学2年生は46カ国・地域の参加で理科が4位から6位に下がっただけ、小学4年生は25カ国・地域の参加で理科が2位から3位に下がっただけ。まあ、細かい点数まで見ると確かに低下傾向にあることは間違いないんだけれど、「順位について大騒ぎ」して「授業時数の減少」が原因なんて簡単に断じてしまうのはあまりにも浅はかだし、以前にも述べたように学校での授業時数は減っているとはいえ、小学校高学年からの“塾通い”が当たり前になってきているわけだから、もう少し子どもの生活をきちっと把握した上でものを言った方がいいんじゃないかという気がします。
どちらかと言えば問題なのは、OECDの調査の方で、高校生の学力低下はかなり著しい。これはおそらく授業時数の減少が原因というよりは、入試制度に起因する方が大きいんじゃないか…。私の子どもを含め、最近関わりのある中・高生を見ていると少子化の影響で、勉強しなくてもとりあえず入れる高校はあるという意識に加え、個別相談でかなり早い段階から私立高校が合否を本人に伝えるので、合格の確約をもらった生徒は受験に向けての努力をしなくなっている。こういったことは授業時数の減少とはまったく関係がありません。要するに時間の問題ではなく、意欲の問題なわけだから。
一部報道はされましたが、同時に実施された意識調査はあまり注目されませんでした。私は順位云々よりもこちらの方が問題が深刻だと感じました。日本の中学2年生はテレビ・ビデオの平均視聴時間が2.7時間で最長、小学4年生でも2.0時間で米国の2.1時間に次いで2位(これはビデオ・テレビの普及率と密接に関わりがあるので、この数字だけを大きく問題にするわけにはいきませんが)、さらに「理数の勉強が楽しい」と答えた生徒の割合は全体でワースト2~4位。
こういう数字を見ると勉強に対する興味の無さが浮き彫りになります。教育改革でいつも話題になるのは「授業時数」と「指導要領」。けれども、本当に重要なのは「授業時数」でも「指導要領」でもなく、「どう教えるか」。学力を上げることが目的とは言わないけれど、「どう教えるか」ということを抜きにして学力低下を語れるわけがない。
授業参観に行っていつも驚かされるのは授業の質。中学校の地理の授業で“ヨーロッパのオーストリア”を教えるのに「南半球にあってカンガルーがいる国と名前の似た国」じゃあね。オーストリアのことを教えてるはずなのに、教えているのはオーストラリアのこと。こんなこと何時間やっても、何の意味も持たないよね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月 7日 (木)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第133回】 「学校の水」

「最近、お母さん方の中から学校に水筒を持たせたいという意見が出ているのですが、皆さんの学校ではいかがでしょうか? 中学校ではあまりないのではないかと思いますので、小学校が中心ということになるかと思いますが」
「ウチの学校では、水に限って運動会の日までということで認めています」
「ウチは認めていません。水筒をどこに置くかっていうことがけっこう問題で、まあ机に掛けておくと授業中に飲んだりする心配もあるので。そうなると歯止めがかからなくなっちゃいますから」
「ウチの学校でも運動会までです。お茶くらいはいいのではという人たちもいますが、ジュースを入れてくる子がいるかもしれませんからねえ。やはり“水のみ”ということで限定していますよ」
「ウチの学校は9月いっぱいです。9月いっぱいまでは暑い日もあるので。一応暑さ対策ということで…。学校の水はどうしても生ぬるいんでねえ」
地域のPTA連合会の会長・校長会でのことです。
わが家の地域では、他校との情報交換のために年に数回、地域のPTA連合会主催で会長・校長会が開かれます。会についての世話役である当番校が開催の日時・場所・内容を決め、2学期はじめと3学期の中頃に開かれるのが通例です。当番校を除いて各校出席者はおおよそPTA会長・副会長・校長で、学校とPTAのトップが集まる会合です。
「会長・校長会」という名前の順序が面白いでしょ?! もちろんPTA主催ということもあるけれど、保護者と学校とでは必ず保護者が先。こんな形式的なことだけじゃなくて、学校運営もそういう意識の上で行われるといいんですけどね。

(私と私の隣に座っているウチの学校の校長とのヒソヒソ話)
「なんであんなことを真剣に議論しなくちゃならないんですかねえ? ウチの学校はお茶も認めてますけど、ジュースを持ってきちゃう子なんていないでしょ?」
「そういうことはありませんよ。ほとんどの子は水です」
「もうちょっとおおようでいいんじゃないですか、ウチの学校みたいに。親だってわかってないわけないんだから。何か言わないとまずいでしょうねえ」

私が挙手をして、
「ウチの学校は一応夏だけですけど、特別期限も定めず、お茶も認めていますが、校長先生方のおっしゃるようなジュースを持ってきたり、授業中に飲んだりというような問題は一つも起きていません。基本的には子どもたちを信じて保護者に任せるということでいいのではないですか」

それまでどう規制するかでいろいろと発言をしていた校長先生方も「うっ」と詰まって、何も意見が出なくなってしまいました。司会者が、「自由に持たせているところでも、あまり問題は出ていないようですね」とまとめてくれたので、その話題はそれで終わりになりました。

10月30日の朝日新聞朝刊に「水筒持参登校 ダメ?」という見出しの記事が載りました。「学校の水は安全か」という観点で取り上げられていたようですけれども、「安全でないから水筒持参」というのはどうかな? 本当に安全か安全でないかの検証をする前の議論としてはふさわしくないような気もします。安全でないとしたら、まずやらなくてはならないのは、安全にすることのはずだから。もちろん安全が保証されるまでは水筒持参ということになるんでしょうけれど。
安全性の問題は、それぞれの価値観の問題なので難しい問題ではあるけれど、そこまでいうなら「給食も」ってなってもいい気がします。
私は基本的に「持っていきたい人は持っていったらいいじゃない」と考える方だけれど、水筒持参のことで問題にしたいのは、「水の安全」じゃあなくて、保護者や子どもを信用しない学校の姿勢。そこの部分が変わったら、学校の水に不安を持っている人たちも水筒が持っていけて“安心”ということになるんじゃないのかな?


**11月1日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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