2022年6月11日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第285回「痛さをこらえる子どもたち」

さてさて今年もやってきました「エイペックスフェスタ」。
私の陶芸教室とカウンセリング研究所が入居している浦和駅西口、高砂小学校前にある「エイペックスタワー浦和」の商店会「エイペックス浦和会」では、毎年、この時期に「フェスタ」を開いています。年に一度のお祭りで、今年で4回目。
テナントのほとんどが事務所と医院という大変苦しい商店会事情はあるのですが、外部のリサイクル運動市民の会にフリーマーケットをお願いしたり、あちこちからバンドや芸人を呼んだりして、なんとかこれまでやってきました。1回目こそ、かなりの予算をつぎ込みましたが、2回目からはとんでもない低予算。なんとかやりくりはしてきたものの、予算だけでなく、とにかく人手が足りない。一昨年から始めた餅つきは、つくのが間に合わないくらいの大好評ですが、浦和会のメンバーだけではつき手が足りず、昨年からは、「エイペックスタワー」居住者の管理組合の皆さんにまでお手伝いをしていただいているのが実情です。テナントと居住者の皆さんとの交流という点では、その餅つきが大変大きな役割を果たしているので、それなりに意味のあることではあるのですが。
浦和第一女子高校マンドリン部の皆さんにも、第1回目より演奏をお願いしているのですが、定期試験や校外模試の日程と重なり、なかなか実現できませんでした。今年は、やっと実現し、フェスタにお越しいただいた皆さんにも、大変楽しんでいただきました。
各テナントのショップや「浦和会」による地場産野菜の販売、子どもコーナー(お菓子の販売や簡単なゲームなど)、フリーマーケットなど…。これまでメインのアトラクションだったのは、バンドの生演奏でした。バンド演奏を取りやめた今年、メインは「空手の演武」に取って代わった感じです。
たまたま1年半ほど前に極真空手の道場が、テナントとして入居し、昨年のフェスタから、メイン会場として使っている1階広場で、演武を行っています。子どもから大人まで、かなりの人数が参加してくれるので、それなりに賑やかです。昨年、圧巻だったのは、氷割り。分厚い大きな氷を素手で割るのにはビックリしました。今年は氷割りはありませんでしたが、塀に使うブロックを素手で割ったり、野球のバットを割ったり。
「なんか、トリックでもあるのかなあ?」
と思ってしまうほどです。今年、ビックリしたのは、4本の束ねたバットを一蹴り(正確にいうと、ひと蹴り目で1本が割れ、ふた蹴り目で全部割れた)で割ってしまったこと。目の前で割られると、
「おーっ!」
という感じにさせられます。
小さな子どもたちの演武もあります。数十人の小さな子どもたちが並んで、板を割るのもなかなかのものです。とてもかわいらしかったのは、かけ声も勇ましく、
「おーっ!」(だったかな?)
と板を拳で殴ったとたん、
「痛ぇー!」
と叫んだ子がいたこと。思わず微笑んでしまいます。
「やっぱり、痛いよなあ」
バット割りを見事成功した大人でも、しばらくびっこを引いていましたから。
バット割りを失敗して、何度も蹴っていた少年もいたのですが、さすがにこれ以上やらせるとケガをすると思ったのか、司会をしていたW氏が、止めました。
実は前日、W氏と打ち合わせの会議で同席した際、高砂小学校でその日行われた「高砂祭り」でも演武を行い、ブロックが湿気ていたせいかW氏がブロック割りに失敗してしまったという話を聞いていました。手に相当なケガをしていました。
あまりにも痛そうなので思わず、
「私にはできないなあ。痛いのは嫌です。痛いのになんでやるんですかねえ?」
と言ったら、W氏はニヤニヤしていました。
子どものころサッカーをやっていた私は、自分ではそれなりにやれていた方ではあったのだろうと思うのですが、中学の時、サッカー部に入り、「サッカーは向いてないなあ」とつくづく思いました。あの激しさにどうも性格がついて行けなかったみたいです。
息子がサッカーをやりたいと言い出したとき、性格的に無理じゃないかなあと思いました。スポーツには、体力や技術だけではない性格的な向き不向きがあります。結局、私はバレーボール、子どもたちはバドミントン、ゴルフということに。
板を割っている子どもたちを見て、
「いやーっ、大したもんだ」
と思いましたが、「やっぱりうちの子どもたちには無理だなあ」
そんなことを考えながら、子どもたちの演武を応援している、エイペックスフェスタでした。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第283回「興毅と大毅、藍とさくら」

亀田親子のことがこれほど大きくなるとは…。
揺れに揺れた大相撲問題もどこへやら。すっかり影が薄くなって、そのかわりに亀田大毅と内藤大介の世界タイトルマッチ問題が大きな問題になっています。
2005年7月1日、野村克也楽天監督(当時はシダックス監督)の古稀を祝うパーティが赤坂プリンスホテルで開催されたとき、たまたま私も出席させていただいていて、そこに来ていた亀田興毅を間近に見ました。パーティには、中曽根康弘氏をはじめ、亀井静香氏、中川秀直氏などの政治家や原辰徳氏、細川たかし氏といったスポーツ選手や芸能人など、多くの有名人が出席しており、大盛況でした。
そういう中だったせいか、亀田興毅は、すでにかなりの注目を集めてはいましたが、昨今のような不遜な言動はまったくなく、スポーツ界の先輩たちにあいさつをして回っている彼に対する私の印象は、今ではすっかり定着した感のある「悪役」のイメージではなく、プロのアスリートを目指す少年という印象でした。どちらが彼の真実の姿かということは別にして、なぜ彼や弟・大毅があそこまで「悪役」になってしまったのかというと、スポーツにやたらといらない演出を施す民放各社の責任もとても大きいと思いますが、私は父親の存在があったからだと思います。
「誰が見たってそうだろっ」とお思いになるかもしれませんが、私の言っているのは、よく世間で言われている「父・史郎氏のひどさ」のせいということではありません。私は、史郎氏がどんな父親であったにしろ、おそらく「何らかの形で亀田兄弟には問題が起こった」という意味で、「父親の存在があったから」と言っているのです。たまたま史郎氏のキャラが“ああいう人”でしたし、TBSや世の中が求めた親子像、ボクサー像というものが、“ああいうもの”だったのでしょう。政治の世界で小泉氏や安倍氏が支持されたのとも呼応しているのだろうと思います。もし、世の中の流れが違えば、もっといい“キャラ”はだったかもしれませんが、いずれにしろ亀田家には、何らかの「挫折」や「スランプ」といったものが待ちかまえていたのだろうと思うのです。
米国女子ゴルフツアー公式戦(国内女子ゴルフツアー第33戦)の「ミズノクラシック」は、上田桃子のアルバトロス(1ホールをパーより3打少ないスコアで回ること)を含む6アンダー(通算13アンダー)の活躍で、米国ツアー初優勝で終わりました。
激しく賞金女王争いをしていた横峯さくらは、スコアが伸びず24位タイ、注目の宮里藍は、ここのところのドライバーの不調を引きずり、通算8オーバーで、78人中68位タイとこれまでの宮里からすると考えられないような結果に終わりました。
ゴルフというスポーツは非常にメンタルな部分が影響を与えるスポーツなので、宮里くらい技術が優れている選手でも、一度調子を崩すとなかなか立ち直れません。ここのところの宮里の不調の原因はどこにあるのか…。わが家では、宮里のスランプを、力を出し切れずに終わった全英女子オープンのインタビューの時から予想していました。
宮里の言葉を一語一句はっきりと覚えているわけではありませんが、
「あまりいい結果は残せなかったけれど、何よりもこの一週間、お父さん、お母さんと一緒に過ごせたことがよかった」という内容の話をしました。
「宮里は、さくらとは違うと思って期待してたのに、あんなこと言っているようじゃ、もうダメだね。きっとスランプになるよ」
日大でゴルフをやっている翔(かける)とそんな会話をしていました。
宮里のインタビューからは、それまでの闘争心にあふれた“強い宮里”のイメージがすっかり消え、ただの“いいお嬢さん”になってしまっていました。
横峯さくらも一時、父・義郎氏に甘えているようなそぶりが気になったことがあり、ややスランプに陥っているようにも見受けられましたが、義郎氏が参議院議員となり、その後の不倫騒動を経て父娘関係に変化があったようで、精神的なダメージがなかったわけはないと思うのですが、かえって成績が向上し、賞金女王争いをしています。
亀田兄弟にしろ、宮里藍にしろ、ここのところの大きな試練は既定路線。親が“いい親”であろうと“悪い親”であろうと、問題は“いい”か“悪い”かではなく、「親子関係にどうけりをつけるか」です。
子育ての問題点の多くは、親子の距離のとり方です。それが、自営業者の跡取りでも、サラリーマンでも、スポーツ選手でも、まったく関係ありません。親子の距離がしっかり取れ、子どもが自立してこそ活躍できるのであり、またその逆に、距離が近過ぎれば、どんなに非凡な能力を持っていたとしても潰れてしまいます。
亀田兄弟や宮里藍、横峯さくらも、しっかりと親子の距離を保って、非凡な才能を発揮してもらいたいものです。(プロ選手の敬称略)

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2021年12月14日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第222回「信用の上に成り立っていること」

最近、腹立たしいことがたくさん起こります。“不正免除にはとどまらず、払ったものまでもが未払いにされているという社会保険庁の年金問題”、“紙幣やコインまでをも燃やしたり、ゴミとして処分をしたという岐阜県の裏金問題”、“ふじみ野市のずさんな管理が明るみに出たプール事故”、“パロマやトヨタの企業倫理を疑いたくなるような無責任、隠蔽体質”、“まだまだ氷山の一角と思える教員の生徒に対するセクハラやわいせつ事件”、そして“どうしてあれで勝ちなのかまったくわからない亀田興毅のタイトルマッチ”。これだけ、許し難いことが連続して起こると、もう感覚が麻痺してしまって、多少の悪事では、悪事には見えなくなりそう。
今回のプール事故は、なんとすぐお隣?(すぐ合併しちゃうので、どこが隣でどこが隣じゃないかよくわからなくなっちゃった)のふじみ野市での事故。しかもそのプールを管理していたのがさいたま市の会社ということでは、どうしても一言言いたくなるよね。
その前に、さいたま市のプールの管理ってどこの会社がやってるんだろう? まさかあのずさんな会社? 私はよく知らないけど、すごく不安で、市民プールなんて行けなくなりそうだ!
プールの監視員にはいっぱい言いたいことがあって、ちょうど去年の今ごろ、第173回でも触れたけれど、思った通りというか、不安が的中してしまったというか、やっぱり悲惨な事故が起こってしまいました。公営のプールを利用したことがある人なら、みんな感じているんじゃないかと思うけれど、どこのプールの監視員も、ほとんどが高校生。そしてその高校生たちは、安全管理ということの本質をまったくわかってない! もちろん、その高校生たちに責任があるわけじゃなくて、その上に立つ者が“安全管理”ということをまったく理解していないから、高校生も訳のわからないことをやってる。
どこのプールも皆同じように、監視員がやっているのは、プールに入りに来ている人たちに対する管理。それが絶対いらないとは言わないけれど、母親がついててやらせていることまで、「××はしないでください!」と怒鳴りまくってる。そりゃあ、確かに自分の子どもを殺しちゃう母親も多くいるから、何をするかわからないと言えば確かにそうかもしれないけれど、基本的にはプールに子どもを連れてきているような親が、そんなに子どもを邪険に扱うわけがない。子どもが安全に楽しめるように注意を払いながら、その上で親が子どもにやらせていることにでも、とにかく大声で注意をする。多くの人が楽しむ場所では、自分勝手な行動は、厳に慎まなくてはならないのは当然で、最近マナーの悪い人が多いのは確かだけれど、監視員がそのマナーにだけに目を光らせて、やたらと威張ってばかりいたのでは、本来監視員も含めた管理者側が、市民に対して保証しなければならない安全が、保証されたとは言えない。プールの安全管理を司る者が、誰に対して厳しくなくてはいけないかと言えば、それは市民に対してではなく、自分たちに対してなのだ。そんな原則すらわからずに、管理を請け負っている会社、そんな会社が何をしているか確かめもしないで安全管理が充分だと思っている市。まさか、そんなずさんな管理しかなされていないなどと、少しも思わない市民の信頼を裏切るものです。
人と権力との関係というのは、もともと信用の上に成り立っている関係です。「権力を持つ者は誠実に物事を進めている」という大前提の基、権力を持たない側は行動しているわけです。例えば、教師と生徒の関係。これも、教師は誠実に子どもたちに接しているという前提で、教育は成り立っている。ところがその信頼を裏切る教師がたくさんいる。例えば、親と子の関係。まさか自分の親に虐待されたり、殺されるなどと考えている子どもはいない。子どもたちは、教師にも親にも限りなく無防備なのです。それが最近崩れ始めて、子どもは自分を自分で守らなくてはならなくなった。寂しいことですよね。信用の上に成り立っている社会ほど、平和で優しい社会はないと思うんだけれど…。
全然話は違うようだけれど、亀田興毅のタイトルマッチも、レフェリーやジャッジに対する信用の上に成り立っていたことの一つです。それなのに、あんなことになっちゃって…。あれだけ派手なパフォーマンス、派手な演出の結末があれではね。誰も勝ったと思ってなかったんじゃないかな? 解説をしていた竹原、畑山といった元世界チャンピオンたちも、最後の方はほとんど“亀田が負け”という前提で解説をしていたにもかかわらず、勝ってしまったから、亀田興毅の名前がアナウンスされた後、しばらく沈黙しちゃってたよね。勝ちを宣言された瞬間のお父さんの顔。喜んでいるというより“ハッ?”という表情。これまで一生懸命やってきた亀田興毅がかわいそうに感じました。
社会全体に信用できないことが充満してきたこのごろだから、スポーツだけはって見てたのに…。
少なくとも子どもに関わる部分だけでも、信用の上に成り立っている社会を守りたいですね。

 

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2021年12月 9日 (木)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第219回「ジダン」

サッカーW杯が終わっちゃったら、なんとなく寂しくなっちゃいました。あの心地良い(?)眠さ。予選リーグから決勝トーナメントまで、とにかく放送がある試合は、全部見た(つもり。実は画面の方に顔を向けたまま、寝たり起きたりと言うより、寝たり寝たりしていたので、気がついたら試合が終わってニュースが流れたりしてたこともあったんだよね。ドイツvsイタリア戦なんて最悪。延長後半12分まで見てて、「ああ、もうこれはPK戦だぁ」と思った瞬間、ふっと意識が遠くなったらしくて、気づいたら2対0になってた。?????てな具合で、ハイライトシーンで状況を飲み込んだ始末)ので、W杯の開催中は、とにかく眠くて眠くて、「ああ、サラリーマンじゃなくてよかったなあ」なんて考えたりしてね。
W杯は、日本戦があった予選リーグがおもしろかったって言う人もいるみたい。でも私はやっぱり決勝リーグがおもしろかったなあ…。こんな言い方をすると、日本代表を必死で応援していたサッカーファンに怒られちゃうかもしれないけれど、日本敗戦後あちこちで言われているように、「日本の実力なんてあんなもんでしょ」と正直私も思います。予選の組み合わせが決まったとき、日本の決勝トーナメント進出はないなあと感じていたので、あの初戦のオーストラリア戦以降は、すでに興味は決勝トーナメントに移っていて、いったいどことどこが、決勝トーナメントに進んで、最後にはどこが勝つんだろうと、興味津々でした。
どこを応援するでもなく、ただ単にサッカーを楽しみたいという思いで見ていたけれど、私が買っていたのは、ドイツとポルトガル。ゴール前でのクローゼの強さとバラックの何となく知的な表情(勝手に私が思っている)。「ドイツがいい線行くんじゃないの」と思わせたし、ポルトガルも、予選からフィーゴの良さが際立っていて、デコの切れの良さやコマーシャルでおなじみのクリスチアーノ・ロナルドのドリブルの早さもなかなか他にはないものを感じていたので、決勝までは勝ち進めないにしても、「なんかやってくれそうじゃん」と楽しみに見ていました。
とは言え、イタリアの優勝は、納得でした。あの守りの良さはすばらしい! 決しておもしろいサッカーとは言えないけれど、やはり守れないチームは勝てない。その証明みたいな終わり方でした。「攻撃は最大の防御」という言葉があるけれど、「防御は最大の攻撃」(これはちょっと変かな? まあ、武器というとこかな?)なんですね。
ジダンもすごかった。MVPは当然でしょ! 確かにブラジルのロナウジーニョのテクニックやベッカムのフリーキックもすごい。でも一人のテクニックではなく、チームでやるサッカーとしてみた場合、やはりジダンはすごかった。試合をまとめる巧みさは、一枚も二枚も上に感じました。「人間、一人でできることはたかがしれてる」そんなことさえ思わせるジダンの活躍でした。あれで引退? そんなことってあるのかなあ…。もうちょっと見たいなあ…。ああいうプレーを見ていると、やっぱりそう思っちゃう。
あの頭突きで退場のシーンも”ライブ”(カメラはプレーを追っていて、画面には映っていなかったので、実際はVTRだったんですけど)で見ました。突然のことで、驚きました。マテラッティがあれだけ飛ばされたんだから、相当すごい頭突きだったんでしょうね。あの頭突きがきっかけで、世界中が大騒ぎになっています。「ジダンが悪い」「ジダンがあそこまでやるには、マテラッティがひどいことを言ったに違いない」。真相はまだはっきりしませんが、どうやらマテラッティがジダンの家族について、人種差別的な挑発をしたらしい。サッカーというスポーツにそういうものが似つかわしいのか、似つかわしくないのか…。いろいろな報道を見たり聞いたりしていると、サッカーに挑発はつきものとのこと。では勝つために何はしてもよくて、何はしてはいけないのか…。どこで線を引くかは難しい問題のようだけれど、どうもこれまでの流れでは、”言葉の暴力は許されるけれど、手や足(もちろん頭も)を出してはいけない。ただし、人種差別については別”ということかな?
私は、かなり体育会系なので、スポーツは大好きです。野球、サッカー、ラグビー、バスケットボール、バレーボール、卓球、陸上、水泳、スキー、体操、柔道、剣道…。とにかく何でも見ます。息子も娘も学校の部活動でバドミントンをやったり、サッカーやゴルフをしたり…。ずいぶん遠くまで応援に行って、楽しませてもらいました。今年大学に入学した一番下の翔(かける)はゴルフでプロを目指していますが、どうなることやら…。
が、ちまたでよく言われる「スポーツをやっているから、いい子」というのは錯覚です。スポーツをとことん突き詰めれば、勝たねばならないので、今回のマテラッティとジダンのようなことは当たり前。たまたまW杯で、しかも決勝戦。さらに延長後半で残り時間は10分。さらにさらにジダンにとっても現役の残り時間は10分。だから、こんなに大きく取り上げられているけれど、これがもうちょっと注目度の低い試合だったら、スポーツ新聞の片隅に載る程度で、なんでもなく通り過ぎちゃう。もちろんそんな大事な試合に、なぜジダンがあんなことを…ということはあるけれど、それにしてもユニフォームを引っ張ってビリビリにしたり、ひじ鉄を食らわせて相手にケガをさせたり、挑発をしたり…。それがサッカー。果たして、そういうことをするような人間に育てることが、子育て・教育として正しいことなのか…。
この連載でも、何度も言ってきたけれど、スポーツと教育は、相容れないものを持っています。私もスポーツが好きだから、はっきり言うけれど、「うちの子はサッカー(あるいは野球、あるいはラグビー、あるいは柔道…)をやっているから、礼儀正しい」なんていう言い方は、やめた方がいい。私は、人間の楽しみとして、スポーツはとてもすばらしいものだなあと思います。勝つために戦っているあの真剣さ。ああいうものが、人生の中で重要なんだということも否定しません。でも、人間の成長にとって「スポーツ万能」みたいな錯覚は、やめた方がいい。子育ての中にスポーツのようなもの(物事に真剣に打ち込むということ)が必要なのは、わかります。でも、それで充分なわけではない。人と人とが結びつけるような、みんながお互いに支え合えるような心の優しさ、そういうものは、スポーツとは別な形で養ってほしいと思います。それが、未来を担う子どもたちを育てる親の役目かなあ。
高校で同じクラスだった田嶋幸三君はたびたびテレビに登場するし、中学で同じクラスだった加藤好男君も、オシムジャパンのコーチとして働くらしい。いやあ、やっぱりあのころの浦和はすごかったんだなあ…。ガンバ大阪の西野監督も含め、浦和出身の人たちが今の日本のサッカー界を背負って立ってるんですよね。4年後のW杯は、浦和パワー爆発で、ぜひ決勝トーナメントに進んでほしいですね。

 

 

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2021年11月24日 (水)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第197回 「メダル候補?」

いやいや、いつものことだけど、オリンピックが始まると眠い毎日が続きます。別にLIVEで見ることはないじゃないって言われそうだけれど、スポーツっていうのは、結果じゃなくて(やってる選手にとっては結果がすべてだけれど)、真剣に勝負をしている人間を見ることのスリルというか、その瞬間のワクワク、ドキドキというか、生であることの迫力があるからこそ見ているのであって、眠い眠いと思いながら、やっぱりLIVEで見ることになっちゃう。
結果を先に知ってしまって見るハイライトくらいしらけてしまっているものはありませんよね。だいたいそういう放送っていうのは、編集されてしまっているので、ハプニングがない。もちろん、NG集に出てくるようなハプニングを期待しているわけではないですよ。上位の人、下位の人、すべての人の競技の中にそれぞれのドラマがあって、成功したり、失敗したり、喜んだり、悔しがったり…。スポーツを見ることの楽しさっていうのは、勝ち負けだけではなくて、そういった人間の姿に共感する楽しさなんだなあって感じます。だから、どうしてもLIVEを追っちゃう。今この瞬間も、ケーブルテレビを含めて、4つのチャンネルで、放送されているんだけど、何の競技かが問題なんじゃなくて、ついついLIVEの中継をしているところにこだわっちゃう。
どうしてもハイライトしかやってないときは、なるべく結果を知らないもの、できるだけレアなもの。
変なこだわりだけど、それが私のオリンピックの楽しみ方。
今もこれから、葛西がノーマルヒルのジャンプを飛ぶよ。
“ああ、ダメだぁ!”
次は伊藤。
“ああ、やっぱりダメだぁ!”
昨日は、原田が失格になっちゃうし、上村も里谷もダメ。残念だねぇ。
「残念ながら、メダルには届きませんでした」
実況のアナウンサーが言ってるよ。
オリンピックになると話題になるのが“メダル候補”。
今、名前を挙げたモーグルの上村、里谷、ジャンプの葛西、伊藤、岡部、原田をはじめ、スピードスケートの加藤、清水、フィギアスケートの荒川、村主、安藤…など、大勢います。マスコミはトリノへ出かける前から、まるで100%メダルは間違いないといった勢い。テレビを見た人たちは、メダルラッシュを期待しているんじゃないかなあ???
ところが、それに反して外国メディアの評価は厳しい。日本のメダル獲得数を2つと予想するところとか、1つと予想するところもあるとか…。そういう予想に対して、ワイドショーのコメンテーターは、
「名前を知ってる人だけあげたんですよ。日本選手の名前を知らないから、そんなこと言ってるんじゃないですか!」だって。
見たこともないんじゃないの?見れば予想も変わるよっていうような言いっぷり。選手の能力じゃなくて、名前を知ってるか知らないかだけで、予想してるっていう意味なんだろうけど、名前が知られてないっていうことは、やっぱり勝つ能力がないっていうことなのにね。世界で一流の人たちは、やっぱり有名だよね。
どうも日本のメディアの評価は、甘すぎる。自国の応援をするのは当たり前なので、それはそれでいいんだけれど、モーグルの中継を全部見ていても、上村が5位に入賞したとはいえ、1位から3位までの選手とは、明らかに滑る早さも技術も違って見える。そう思った人は多いんじゃない? もう少し競技の前から客観的な報道はできないのかなあとも思います。
どうも日本人は、「客観的に物事を見る」ということが苦手。親が自分の子どもを見るときは、最もそういうことが表れます。どの親も自分の子どもの能力を過信します。しかも、“親が子どもに対してこうなってほしい”と期待している部分の能力に対して、能力がある思いがち。それは、けっして子どもにとっていいことではない。
受験期を迎え、塾の前は送り迎えの車でどこもいっぱい。みんな自分の子どもが東大に入れると確信してるんじゃないのかな? だけど、そんなのは夢のまた夢。東大に入れる人なんて、ほんの一握り。しかも、東大に入れればそれだけで幸せなわけじゃない。それは、スポーツの世界もしかり。誰もが野球のイチローや松井、サッカーの中田や中村になれるわけじゃない。子どもの幸せを願うなら、もっと客観的な目を持たないと…。子どもの幸せってもっと違うところにあるかもしれないのに。
オリンピックの報道も、あまりメダルメダルと加熱しないで、もっと客観的でいいと思うんだけどなあ。そうは言っても、モーグルとノーマルヒルのジャンプは残念だったね。もしかしたらって思ってたのに…。
外国メディアの予想に反して、日本のメダルラッシュに終わるといいのになあ!
まだまだ今月いっぱい、眠い日が続きます。

 

 

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2021年11月21日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第180回「運動会の主役」

最近の地球環境の変化に、とうとう晴れの特異日も降参?かな。8日、9日、10日とせっかくの3連休が3日とも雨。8日も9日も運動会を予定していた幼稚園、小学校も多かっただろうに、残念でしたね。わが家の孫も9日が初めての運動会。楽しみにしていた(親とおじいさん、おばあさんだけ?が)のに、9日の朝に電話が鳴って延期。一応順延ということにはなってるけど、順延になった10日も朝から雨で、また電話がかかってきて順延。またまた一応順延になってはいるけど、11日も朝のうちは雨の予報で、さてどうなるのかな? 今、午前5時だけど、今のところ雨は上がってるみたい。ただし、問題はグランドの状態。果たして雨は降っていなくても、使えるような状態なのかなあ? まあいずれにせよ日曜日だった予定が平日にずれ込んじゃったので、見に来られる人は限られちゃう。孫の通っている幼稚園は、自由保育でちょっと普通の幼稚園とは違うので、”運動会、運動会”ってそんなに騒いでいるわけではないけれど、運動会が一大イベントになっている幼稚園では、すごく残念がってるお父さん、お母さんも多いだろうね、きっと。何日も前から”お弁当何にしようかな?”なんて考えて、10人も座れるようなレジャーシートを用意して…。
そうそう、そう言えば、真(まこと)と麻耶(まや)の運動会の時は、敷き詰められたビニールシートにびっくりしたっけ。1人の園児にお父さん、お母さん、お父さんのお父さんお母さん、お母さんのお父さんお母さん、父母、祖父母が応援に来るとそれだけで6人になっちゃうわけだから、すごい数だよね。それに兄弟まで来たら、大変なことになっちゃう。
ビデオなるものが家庭に普及し始めたのは約30年くらい前。出始めのころは、デッキとカメラが別々で、デッキをベルトで肩からぶら下げて、カメラを肩の上に乗せて、まるでテレビや映画の撮影みたい。それがテープ内蔵のカメラになって、その後は記録媒体がどんどん小さくなって、今では手のひらサイズが主流でしょ。しかも録画時間が格段に延びて…。
運動会っていうのは、それにはもってこいの被写体だもんだから、みんな持ってる、持ってる。自分の子どもが出場しているときは、ずっとファインダー覗いて、応援はそっちのけ。結局、運動会が終わるまで一度も生で子どもの姿を見ないで終わっちゃったりしてね。撮るのに夢中で、何が何だか全然わからなくて、家の画面で見て、”へえ、こんな風だったんだあ!?”なあんてね。私にもそんな記憶がある。
真と麻耶が通った幼稚園では、最後の年長組のクラス対抗リレーが呼び物。とにかく、リレーにかける先生方の思いは半端じゃない。子どもたちはトラックの中でしゃがんで応援してるのに、「××君、がんばれー!」、「いけいけー! そうだー! 抜け、抜けー!」なんて立ち上がって黄色い悲鳴を上げているのは先生方。挙げ句の果てに、レースが終わると勝ったクラスの先生も負けたクラスの先生も、感極まって号泣。子どもたちはきょとん。いったい誰が主役だったっけ?なんてことになっちゃって…。
さーて、外はどうかな?
雨は降ってはいないけど、庭の木の葉っぱから雨のしずくがポタポタ垂れてるよ。もうすぐ今日の予定の電話がかかってくるかな? なんだか今日も出来そうもないね。晴れの特異日は、いったいどこへ行っちゃったんだろうね。


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2020年2月 9日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第171回「明徳義塾高校野球部の連帯責任」

名門、明徳義塾高校野球部の一部部員による喫煙行為、下級生に対する暴力行為が明るみに出て、全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)開幕直前に、出場を辞退するということになりました。
こういった問題は、賛否両論あって、とても取り上げにくい問題なのですが、あえて取り上げることにしました。
出場辞退が報道されると、さずがにここ数年甲子園を湧かせ続けてきた学校だけに、大きな社会問題となり、「一生懸命努力してきた3年生に、連帯責任はかわいそう」という連帯責任反対派から、「部活動も教育なのだから連帯責任は当然」という連帯責任賛成派まで、テレビやラジオなど、さまざまなマスコミで取り上げられています。
私は、基本的に「連帯責任」という考え方は、間違っていると思います。「連帯責任」という考え方は、管理をするために存在するものであって、子どものため、生徒のために存在するものではないからです。小学校でよく行われている班別の行動は、連帯責任という名の下に、管理の道具として使われています。例えば、“班員の1人が忘れ物をしたために、全員が怒られた”、“班員の1人が掃除をさぼったために、全員がもう1度掃除をさせられた”…。おそらく、皆さんもそんな経験があるでしょうし、皆さんのお子さんも、今まさにそういう経験をしているのではないかと思います。
これは、とてもひどいことです。“自治を教える”ことを理由に、本来教員が一人一人の子どもたちにしなければならない指導の手を抜いているだけで、教育になっていません。教育の現場で行われている連帯責任というのは、責任を取らされる子どもたちに、まったく責任を取らされるいわれはないのです。
では、今回の明徳義塾高校野球部の問題はどうか。
この問題は、小学生の班の連帯責任とは少し違います。班の中で、忘れ物をしたり掃除をさぼったりした子は、その原因が班の中にはないのに比べ、明徳義塾野球部の問題は、その事件の原因が、野球部自身の中に存在すると考えられるからです。
私が以前講師をしていた専門学校の生徒の中に、甲子園の常連校から来た生徒が何人かいました。その生徒たちが口を揃えて言うのは、「普通の生徒が万引きをすれば、即停学か退学になるのに、野球部の生徒がやるともみ消されるんだよ」ということ。これは、別にこの生徒たちが通っていた高校だけの問題ではありません。明徳義塾高校も全く同じことをしようとしたわけだけれども、結果的にうまくいかなかった。そういった意味では、出場辞退というのは、連帯責任という言葉をもって片づけられようとしているけれど、問題を起こした生徒に起因する連帯責任としての対処ではない。
もう一つ見落としてはいけないのは、本当に問題を起こした生徒個人の問題なのかということ。1年生部員8人と2年生部員3人の計11人が喫煙していたと報道されていますが、一般的に言って上下関係が厳しい野球部やサッカー部のような部の部員で、3年生が喫煙していないのに、寮内で1、2年生が喫煙できるわけがない。暴力行為にしてもしかりです。これは私の想像の域を出ませんけれど、おそらくこの問題を放置すると、さらに別な問題が表面化した可能性があるのではないかと思います。そういうところに目を向けないで、連帯責任論だけで、この問題を片付けることはできません。
ある高校で、サッカー部員が万引きをしたことが発覚しました。以前は全国高校サッカー選手権にもたびたび出場していた高校ですが、この年は県予選で敗退してしまっていたので、出場辞退などと大げさなことにはなりませんでしたが、万引きで校内処分を受けたサッカー部員は部員全体の3分の1を超える30数名に上りました。こういうことはよくあることです。こういう問題は、万引きをやった生徒個人の問題ではなく、サッカー部全体の体質の問題だからです。
明徳義塾高校にも、そういった体質の問題はなかったのか。
今回の辞退という状況に一番納得しているのは、明徳義塾高校の野球部員かもしれません。私は、今回の辞退は当然のことと考えますが、今こそ問い直されなくてはならないのは、事件を起こした生徒たちではなく、大志を持った子どもたちの夢をかなえるべき指導者の質だと思います。教育の名の下に行われている部活動の指導者に一番求められているのは、単に勝負に勝つことではなく、人として成長していく子どもたちに何を伝えるのかということです。果たして明徳義塾の馬淵監督にそういったものがあったのかどうか…
出場を辞退した生徒たちの未来が、辞退したことで失われないことを願っています。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2020年1月 5日 (日)

第157回「19歳コンビ大活躍!」

「来週からスクールに通うことにしたから」
と翔(かける)に告げると、
「ほんとにやんの?」
と信じられない様子。
「やるよ」
「ほんとに?」
「やるって言ってるだろ!」

翔がゴルフを始めたのは小学校4年生の時。家から車で15分程のところにあるゴルフ練習場へ週に1、2度送ってやっていました。娘の麻耶(まや)が一時やっていた時期はあったのですが、私も妻も全くゴルフをやりません。「まあ、たまには一緒に付き合ってやるか」とゴルフショップで安物のアイアンのセットと中古のドライバーを買って、ちょっと練習場の打席に立つくらいなもの。翔がゴルフを始めて8年も経つのに、打席に立って今までに打った球の数なんて、よく思い出せば数えられるかも…。ラウンドといえば、翔が小学生だったころ、青木功ジュニアクラブ(プロゴルファーの青木功が主宰する誰でも入会できるジュニアクラブ。年に数回全国各地で合宿があり、青木功本人のワンポイントレッスンが受けられる。ただし、合宿は参加多数の場合、参加経験のない人が優先)の会員特典(子どもと一緒ならばハーフラウンドが1000円)で、翔と一緒にハーフラウンド(9ホール)を2回、それとは別に伊豆で行われたジュニア合宿について行って、待ち時間(寝泊まりも子どもとは別なので、2日間ずっと待ち時間)に1ラウンドしたことがあるだけ。そんなわけだから、翔にしても今さら父親がゴルフスクールに入るということが信じられなかったのでしょう。
翔は現在、高校3年生でゴルフ部に入っています。親がゴルフをやらないなんていうのはウチくらいなもの。中にはレッスンプロもいれば、トーナメントプロもいる。詳しくは知らないけれど、ゴルフ場を持ってるなんていう人もいるらしい。なんかもう私には想像を絶する世界。
高校ももう最後の年になって、翔もあと数回の公式戦を残すのみ。なんとか関東大会までは出場したことがあるものの、あと1歩というところで全国大会の出場経験はなし。いつも最後のところで甘さが出ちゃって崩れちゃう。やっぱりこれがゴルフを知らない家庭の限界かなあ? もし翔が本気でプロを目指そうとするのなら、このままではちょっと…。そこで、私が立ち上がったわけです。(ちょっと手遅れかも…)
女子ゴルフ界は19歳コンビが大活躍。今やゴルフを知らない人も知っている宮里藍。そろそろじゃないかと言われて、その通り先週優勝を果たした横峯さくら。それに1歳年下のアマチュア、諸見里しのぶも加わって、今年はますます女子ゴルフの人気が沸騰しそう。
先週のトーナメントで優勝した横峯さくらは、お父さんがキャディーを務めることで有名でした。ワイドショーでも何度も取り上げられ、親子関係の手本としてコメンテーターたちも褒め称えています。宮里藍もお父さんが師。競技は違うけれど、卓球の福原愛やレスリングの浜口京子も親子関係が度々報道されました。どの親子を見ても、親と子の関係がとても近くて、親が子どもにすべてを掛けたことで成功した例。
横峯さくらが優勝したあと、お父さんもマスコミに引っ張りだこ。あるラジオ番組で、翌日ゲストで横峯さくらのお父さんが出演することを予告していました。司会をしている荒川強啓が「最近、親子関係が希薄な中で、横峯家の親子関係を見習ってほしい」旨のコメントを述べていましたけれど、ちょっと気になりました。
スポーツの世界で親子が力を合わせて、優秀な成績を収めることはよくあります。けれどもそれは、父親や母親が親という立場を超えた非常に優れた指導者(コーチ)であったからであって、普通の家庭の親子関係と同じ次元で語られるべきではない。横峯さくらのお父さんはプロのゴルファーではないけれど、コースの攻め方やパットのラインの読み方などとても優れていて、横峯さくらを知り尽くした誰よりも優秀なキャディーとして、優勝に貢献したわけです。
うちの研究所に相談に訪れる人の大半は、親子関係が近すぎる相談です。子育ての放棄や虐待など、子どもとの距離がとても遠くなっている親子が増えていることも事実ですが、まったく逆に親子関係が近すぎる親子も増えているということもまた事実です。
子どもとの距離を縮めたいなら、親自身が優秀な指導者になること。ただ、ベタベタと友達感覚だけで甘やかしている親子はほとんどの場合子どもの自立がうまくいきません。
さて、我が家の場合、親が優秀な指導者になりうるんでしょうか? どうも、その辺が怪しいので、翔がプロゴルファーとして成功するのは並大抵のことじゃないかもね。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月 4日 (月)

第122回「ド・レ・ミ・ファ・トー」

「もう一回やるよ! ド・レ・ミ・ファ・ソー はい!」
「ド・レ・ミ・ファ・トー」
「何やってるの! ゆびー! それじゃあ、ダメでしょ! もう一回!」
「ド・レ・ミ・ファ・トー」
「あーあーあー、そんなんじゃダメ! やる気あんの!? “ド・レ・ミ・ファ・ソー”でしょ! もう一回!」
努(つとむ)の涙が鍵盤の上に落ちました。
「ド・レ・ミ・ファ・トー」
 もともとあまり器用でない努が泣きながらピアノを弾いているのですから、怒られれば怒られるほど、うまく弾けるわけもなく、怒鳴り声だけがむなしく響き、時間が過ぎていきます。毎日行われる1時間のピアノの練習は、5歳の努にとってあまり楽しいものではありません。努はピアノの前に座った途端、身体は硬直し、顔がゆがみます。
努の習っていたピアノの先生は、地域の音楽家の間でも厳しいという評判で、東京芸術大学や桐朋音楽大学のピアノ科といった特別な大学を除けば、音楽大学の受験について、
「××先生についているならピアノは心配いらないですね」
と言われるほどでした。

 努は3歳からピアノを習っていました。親の立場からすると、何歳から習い事をはじめさせるかということは大問題で、職業選択という将来の選択の幅まで考えると、ピアノやバイオリン、バレエのようなものは、かなり早いうちから始めないと間に合わない。けれども3歳、4歳といった時期に、子ども自身にやりたいものがあるわけもなく、結局親の趣味や好みで子どもの習い事を選択することになる。
 私は高校に入ってから合唱を始めて、音楽の道に進もうかなあという気持ちを持ちました。けれども、まったくピアノを習ったことがない。まあ、時代もあったとは思うけれど、男の子がピアノを習うなんて感覚は、私が育った家には全くなかった。ちょうど浦和のサッカーが一番強いころだったこともあって、男の子が何かをやるといえば、決まってサッカー少年団。親から「習ってみれば」と言われたのは、習字にそろばん。そういうものは人生選択に大きな影響を与えるものではなく、ピアノやバレエを習うっていうこととはちょっと意味が違う。
 高校時代は、「なんでピアノくらい習わせておいてくれなかったんだろう」って思ったけれど、もし努のように3歳からピアノを習わせようとしていたとしても、“わが家の環境”“私の性格”からいったら無理だっただろうなあと思います。
 努のピアノの先生(妻や私、わが家の子どもたち全員が習っていたのだけれど)は、
「大関さんねえ、子どもを音楽家にしようとするなら、三代かかるわよ」
と言っていました。音楽家というにはほど遠いけれど、一応、妻も高校で音楽の教員をしていたので、妻から数えても最短で孫の世代。いやいや、大変なことですよね。

 今まさにアテネオリンピックで活躍している人たちの中には、親によって作られた人たちがたくさんいます。例えば、体操の塚原選手、卓球の福原選手、ハンマー投げの室伏選手、レスリングの浜口選手や重量挙げの三宅選手等々。おそらく彼らや彼女らは、生まれた瞬間から人生のレールが敷かれていたわけで、成るべくして成っているわけだけれど、うっかりそれをまねしようとしたなら、失敗しちゃうこともある。実はお父さんがサッカー選手になりたかったのに「子どもがやりたがってる」っていうことにして、中学からサッカー部に入れたけれど、性格が優し過ぎてサッカーが合わなくて、不登校になっちゃった、なんていうことがよくあるから、やっぱり子どもの人生は子ども自身が決めないとね。
 子どもがやりたいこと、あるいはやりたくなるだろうことをしっかりと見極めて、小さいころからフォローしておくのは難しいよね。やっぱり親の責任って重いね。自分が運動神経悪いのに、間違っても”オリンピック選手にしよう”なんて思わないでね。


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2019年10月15日 (火)

第110回「安全特区」

5月22日、昨年の夏の甲子園で優勝した常総学院野球部の寮に泥棒が入って、現金6万円と腕時計など17万円相当がなくなったらしい。約60人の部員が生活している11部屋のうち8部屋が荒らされ、28人の現金や腕時計、ダウンジャケットなどが盗まれたという。この日は練習試合で部員全員が朝から夕方まで出かけていて、無人だったのだそうだ。寮の入り口と荒らされた部屋は鍵がかかっていなかった。

 いやいや、ひどいことをする奴がいるよね。一生懸命野球に打ち込んでいる高校生の部屋から金品を盗むなんて。だけどこの泥棒、野球部の事情をけっこう知ってる奴だね。こんなにたくさんの部屋を荒らすにはそれなりの時間がかかったんだろうけど、その間誰も寮に帰ってこないってわかってたわけでしょ? たぶん練習試合だっていうことも知ってたんだろうし、練習試合のときは寮が空になって、途中で誰も帰ってこないっていうことも知ってたんだろうね。さらに施錠がされてないっていうことも…。
たははっ、私が明智小五郎やってもしょうがないね。

 すごくおかしなことなんだけど、こういう事件が起こったときまず最初に非難されるのは、盗んだ奴じゃなくて、盗まれた子どもたちなんだよね。この野球部の部員たちはどうだったんだろう? 親に報告した途端に「おまえ、何で鍵をかけとかなかったんだ! 鍵をかけとかなかったおまえが悪い!」ってね。まさに自己責任論だよね。
だけど、よく考えてみるとどこかおかしい。確かに鍵をかけなかったのはまずかったけど、自分が反省すればいいこと。そのことで怒られることはないよね。
「そういうこともあるから、気をつけないとね」
くらいじゃダメなの?
悪いのは、盗まれた方じゃなくて、盗んだ方なんだから。

 私の実家は40年くらい前まで、和室を囲むように南側と西側に縁側がある和風の建物でした。もちろん縁側には雨戸が付いているけれど、雨戸を開けてしまうと障子だけ。障子に鍵なんてないから、昼間は外から誰だって入れちゃう。それでも泥棒に入られたことなかったからねえ、ずいぶんいい世の中だったんだね。

 真(まこと)が高校のとき、学校のロッカーから金品が盗まれる事件が何件も起きました。でも、その程度のことでは保護者になんの連絡もなくて、子どもたちは、
「施錠していなければ盗まれるのは当たり前だろっ! 盗まれないように自分の責任で管理しろっ!」
って学校から注意されたっていうから、すっかり論理が逆転しちゃってる。
まあ、世の中こんなご時世だから、わからなくはないけれど、せめて学校くらい「安全特区」であってほしい。

 県北のある中学校の総合学習の時間に、池をきれいにしようとして、コンクリートに穴を開けようとしていた子どもたちが、体育の教員に怒られ、校長室に連れて行かれると、校長から「器物損壊だ」と言われ、いきなり殴られた。
一月ほど前に池にヘドロが溜まってとても汚いので、池の一部を壊してきれいな池に生まれ変わらせるという計画書を担任を通して学校に提出してあったという。その計画書には担任をはじめ、管理職の検印があった。

 池をきれいにしようとして、学校の許可をもらって行動しようとした子どもたちが、いきなり校長に殴られたということで、ご両親(お父さんは元中学校の教師)が抗議に行くと、なんと校長は、
「これは器物損壊ですよ、警察を呼んでもいいんですよ。こんな計画書に目を通してないことくらい、お父さんも教員だったんだからわかってるでしょ」
と言ったそうな…
嘘のような本当の話。
残念なことだけど、子どもたちにとって学校っていうところは「危険特区」なのかもね。

 


**5月31日(月)掲載**

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