【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第321回「ほんとにメダル候補?」
さてさて今年もやってきました「エイペックスフェスタ」。
私の陶芸教室とカウンセリング研究所が入居している浦和駅西口、高砂小学校前にある「エイペックスタワー浦和」の商店会「エイペックス浦和会」では、毎年、この時期に「フェスタ」を開いています。年に一度のお祭りで、今年で4回目。
テナントのほとんどが事務所と医院という大変苦しい商店会事情はあるのですが、外部のリサイクル運動市民の会にフリーマーケットをお願いしたり、あちこちからバンドや芸人を呼んだりして、なんとかこれまでやってきました。1回目こそ、かなりの予算をつぎ込みましたが、2回目からはとんでもない低予算。なんとかやりくりはしてきたものの、予算だけでなく、とにかく人手が足りない。一昨年から始めた餅つきは、つくのが間に合わないくらいの大好評ですが、浦和会のメンバーだけではつき手が足りず、昨年からは、「エイペックスタワー」居住者の管理組合の皆さんにまでお手伝いをしていただいているのが実情です。テナントと居住者の皆さんとの交流という点では、その餅つきが大変大きな役割を果たしているので、それなりに意味のあることではあるのですが。
浦和第一女子高校マンドリン部の皆さんにも、第1回目より演奏をお願いしているのですが、定期試験や校外模試の日程と重なり、なかなか実現できませんでした。今年は、やっと実現し、フェスタにお越しいただいた皆さんにも、大変楽しんでいただきました。
各テナントのショップや「浦和会」による地場産野菜の販売、子どもコーナー(お菓子の販売や簡単なゲームなど)、フリーマーケットなど…。これまでメインのアトラクションだったのは、バンドの生演奏でした。バンド演奏を取りやめた今年、メインは「空手の演武」に取って代わった感じです。
たまたま1年半ほど前に極真空手の道場が、テナントとして入居し、昨年のフェスタから、メイン会場として使っている1階広場で、演武を行っています。子どもから大人まで、かなりの人数が参加してくれるので、それなりに賑やかです。昨年、圧巻だったのは、氷割り。分厚い大きな氷を素手で割るのにはビックリしました。今年は氷割りはありませんでしたが、塀に使うブロックを素手で割ったり、野球のバットを割ったり。
「なんか、トリックでもあるのかなあ?」
と思ってしまうほどです。今年、ビックリしたのは、4本の束ねたバットを一蹴り(正確にいうと、ひと蹴り目で1本が割れ、ふた蹴り目で全部割れた)で割ってしまったこと。目の前で割られると、
「おーっ!」
という感じにさせられます。
小さな子どもたちの演武もあります。数十人の小さな子どもたちが並んで、板を割るのもなかなかのものです。とてもかわいらしかったのは、かけ声も勇ましく、
「おーっ!」(だったかな?)
と板を拳で殴ったとたん、
「痛ぇー!」
と叫んだ子がいたこと。思わず微笑んでしまいます。
「やっぱり、痛いよなあ」
バット割りを見事成功した大人でも、しばらくびっこを引いていましたから。
バット割りを失敗して、何度も蹴っていた少年もいたのですが、さすがにこれ以上やらせるとケガをすると思ったのか、司会をしていたW氏が、止めました。
実は前日、W氏と打ち合わせの会議で同席した際、高砂小学校でその日行われた「高砂祭り」でも演武を行い、ブロックが湿気ていたせいかW氏がブロック割りに失敗してしまったという話を聞いていました。手に相当なケガをしていました。
あまりにも痛そうなので思わず、
「私にはできないなあ。痛いのは嫌です。痛いのになんでやるんですかねえ?」
と言ったら、W氏はニヤニヤしていました。
子どものころサッカーをやっていた私は、自分ではそれなりにやれていた方ではあったのだろうと思うのですが、中学の時、サッカー部に入り、「サッカーは向いてないなあ」とつくづく思いました。あの激しさにどうも性格がついて行けなかったみたいです。
息子がサッカーをやりたいと言い出したとき、性格的に無理じゃないかなあと思いました。スポーツには、体力や技術だけではない性格的な向き不向きがあります。結局、私はバレーボール、子どもたちはバドミントン、ゴルフということに。
板を割っている子どもたちを見て、
「いやーっ、大したもんだ」
と思いましたが、「やっぱりうちの子どもたちには無理だなあ」
そんなことを考えながら、子どもたちの演武を応援している、エイペックスフェスタでした。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
亀田親子のことがこれほど大きくなるとは…。
揺れに揺れた大相撲問題もどこへやら。すっかり影が薄くなって、そのかわりに亀田大毅と内藤大介の世界タイトルマッチ問題が大きな問題になっています。
2005年7月1日、野村克也楽天監督(当時はシダックス監督)の古稀を祝うパーティが赤坂プリンスホテルで開催されたとき、たまたま私も出席させていただいていて、そこに来ていた亀田興毅を間近に見ました。パーティには、中曽根康弘氏をはじめ、亀井静香氏、中川秀直氏などの政治家や原辰徳氏、細川たかし氏といったスポーツ選手や芸能人など、多くの有名人が出席しており、大盛況でした。
そういう中だったせいか、亀田興毅は、すでにかなりの注目を集めてはいましたが、昨今のような不遜な言動はまったくなく、スポーツ界の先輩たちにあいさつをして回っている彼に対する私の印象は、今ではすっかり定着した感のある「悪役」のイメージではなく、プロのアスリートを目指す少年という印象でした。どちらが彼の真実の姿かということは別にして、なぜ彼や弟・大毅があそこまで「悪役」になってしまったのかというと、スポーツにやたらといらない演出を施す民放各社の責任もとても大きいと思いますが、私は父親の存在があったからだと思います。
「誰が見たってそうだろっ」とお思いになるかもしれませんが、私の言っているのは、よく世間で言われている「父・史郎氏のひどさ」のせいということではありません。私は、史郎氏がどんな父親であったにしろ、おそらく「何らかの形で亀田兄弟には問題が起こった」という意味で、「父親の存在があったから」と言っているのです。たまたま史郎氏のキャラが“ああいう人”でしたし、TBSや世の中が求めた親子像、ボクサー像というものが、“ああいうもの”だったのでしょう。政治の世界で小泉氏や安倍氏が支持されたのとも呼応しているのだろうと思います。もし、世の中の流れが違えば、もっといい“キャラ”はだったかもしれませんが、いずれにしろ亀田家には、何らかの「挫折」や「スランプ」といったものが待ちかまえていたのだろうと思うのです。
米国女子ゴルフツアー公式戦(国内女子ゴルフツアー第33戦)の「ミズノクラシック」は、上田桃子のアルバトロス(1ホールをパーより3打少ないスコアで回ること)を含む6アンダー(通算13アンダー)の活躍で、米国ツアー初優勝で終わりました。
激しく賞金女王争いをしていた横峯さくらは、スコアが伸びず24位タイ、注目の宮里藍は、ここのところのドライバーの不調を引きずり、通算8オーバーで、78人中68位タイとこれまでの宮里からすると考えられないような結果に終わりました。
ゴルフというスポーツは非常にメンタルな部分が影響を与えるスポーツなので、宮里くらい技術が優れている選手でも、一度調子を崩すとなかなか立ち直れません。ここのところの宮里の不調の原因はどこにあるのか…。わが家では、宮里のスランプを、力を出し切れずに終わった全英女子オープンのインタビューの時から予想していました。
宮里の言葉を一語一句はっきりと覚えているわけではありませんが、
「あまりいい結果は残せなかったけれど、何よりもこの一週間、お父さん、お母さんと一緒に過ごせたことがよかった」という内容の話をしました。
「宮里は、さくらとは違うと思って期待してたのに、あんなこと言っているようじゃ、もうダメだね。きっとスランプになるよ」
日大でゴルフをやっている翔(かける)とそんな会話をしていました。
宮里のインタビューからは、それまでの闘争心にあふれた“強い宮里”のイメージがすっかり消え、ただの“いいお嬢さん”になってしまっていました。
横峯さくらも一時、父・義郎氏に甘えているようなそぶりが気になったことがあり、ややスランプに陥っているようにも見受けられましたが、義郎氏が参議院議員となり、その後の不倫騒動を経て父娘関係に変化があったようで、精神的なダメージがなかったわけはないと思うのですが、かえって成績が向上し、賞金女王争いをしています。
亀田兄弟にしろ、宮里藍にしろ、ここのところの大きな試練は既定路線。親が“いい親”であろうと“悪い親”であろうと、問題は“いい”か“悪い”かではなく、「親子関係にどうけりをつけるか」です。
子育ての問題点の多くは、親子の距離のとり方です。それが、自営業者の跡取りでも、サラリーマンでも、スポーツ選手でも、まったく関係ありません。親子の距離がしっかり取れ、子どもが自立してこそ活躍できるのであり、またその逆に、距離が近過ぎれば、どんなに非凡な能力を持っていたとしても潰れてしまいます。
亀田兄弟や宮里藍、横峯さくらも、しっかりと親子の距離を保って、非凡な才能を発揮してもらいたいものです。(プロ選手の敬称略)
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
最近、腹立たしいことがたくさん起こります。“不正免除にはとどまらず、払ったものまでもが未払いにされているという社会保険庁の年金問題”、“紙幣やコインまでをも燃やしたり、ゴミとして処分をしたという岐阜県の裏金問題”、“ふじみ野市のずさんな管理が明るみに出たプール事故”、“パロマやトヨタの企業倫理を疑いたくなるような無責任、隠蔽体質”、“まだまだ氷山の一角と思える教員の生徒に対するセクハラやわいせつ事件”、そして“どうしてあれで勝ちなのかまったくわからない亀田興毅のタイトルマッチ”。これだけ、許し難いことが連続して起こると、もう感覚が麻痺してしまって、多少の悪事では、悪事には見えなくなりそう。
今回のプール事故は、なんとすぐお隣?(すぐ合併しちゃうので、どこが隣でどこが隣じゃないかよくわからなくなっちゃった)のふじみ野市での事故。しかもそのプールを管理していたのがさいたま市の会社ということでは、どうしても一言言いたくなるよね。
その前に、さいたま市のプールの管理ってどこの会社がやってるんだろう? まさかあのずさんな会社? 私はよく知らないけど、すごく不安で、市民プールなんて行けなくなりそうだ!
プールの監視員にはいっぱい言いたいことがあって、ちょうど去年の今ごろ、第173回でも触れたけれど、思った通りというか、不安が的中してしまったというか、やっぱり悲惨な事故が起こってしまいました。公営のプールを利用したことがある人なら、みんな感じているんじゃないかと思うけれど、どこのプールの監視員も、ほとんどが高校生。そしてその高校生たちは、安全管理ということの本質をまったくわかってない! もちろん、その高校生たちに責任があるわけじゃなくて、その上に立つ者が“安全管理”ということをまったく理解していないから、高校生も訳のわからないことをやってる。
どこのプールも皆同じように、監視員がやっているのは、プールに入りに来ている人たちに対する管理。それが絶対いらないとは言わないけれど、母親がついててやらせていることまで、「××はしないでください!」と怒鳴りまくってる。そりゃあ、確かに自分の子どもを殺しちゃう母親も多くいるから、何をするかわからないと言えば確かにそうかもしれないけれど、基本的にはプールに子どもを連れてきているような親が、そんなに子どもを邪険に扱うわけがない。子どもが安全に楽しめるように注意を払いながら、その上で親が子どもにやらせていることにでも、とにかく大声で注意をする。多くの人が楽しむ場所では、自分勝手な行動は、厳に慎まなくてはならないのは当然で、最近マナーの悪い人が多いのは確かだけれど、監視員がそのマナーにだけに目を光らせて、やたらと威張ってばかりいたのでは、本来監視員も含めた管理者側が、市民に対して保証しなければならない安全が、保証されたとは言えない。プールの安全管理を司る者が、誰に対して厳しくなくてはいけないかと言えば、それは市民に対してではなく、自分たちに対してなのだ。そんな原則すらわからずに、管理を請け負っている会社、そんな会社が何をしているか確かめもしないで安全管理が充分だと思っている市。まさか、そんなずさんな管理しかなされていないなどと、少しも思わない市民の信頼を裏切るものです。
人と権力との関係というのは、もともと信用の上に成り立っている関係です。「権力を持つ者は誠実に物事を進めている」という大前提の基、権力を持たない側は行動しているわけです。例えば、教師と生徒の関係。これも、教師は誠実に子どもたちに接しているという前提で、教育は成り立っている。ところがその信頼を裏切る教師がたくさんいる。例えば、親と子の関係。まさか自分の親に虐待されたり、殺されるなどと考えている子どもはいない。子どもたちは、教師にも親にも限りなく無防備なのです。それが最近崩れ始めて、子どもは自分を自分で守らなくてはならなくなった。寂しいことですよね。信用の上に成り立っている社会ほど、平和で優しい社会はないと思うんだけれど…。
全然話は違うようだけれど、亀田興毅のタイトルマッチも、レフェリーやジャッジに対する信用の上に成り立っていたことの一つです。それなのに、あんなことになっちゃって…。あれだけ派手なパフォーマンス、派手な演出の結末があれではね。誰も勝ったと思ってなかったんじゃないかな? 解説をしていた竹原、畑山といった元世界チャンピオンたちも、最後の方はほとんど“亀田が負け”という前提で解説をしていたにもかかわらず、勝ってしまったから、亀田興毅の名前がアナウンスされた後、しばらく沈黙しちゃってたよね。勝ちを宣言された瞬間のお父さんの顔。喜んでいるというより“ハッ?”という表情。これまで一生懸命やってきた亀田興毅がかわいそうに感じました。
社会全体に信用できないことが充満してきたこのごろだから、スポーツだけはって見てたのに…。
少なくとも子どもに関わる部分だけでも、信用の上に成り立っている社会を守りたいですね。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
サッカーW杯が終わっちゃったら、なんとなく寂しくなっちゃいました。あの心地良い(?)眠さ。予選リーグから決勝トーナメントまで、とにかく放送がある試合は、全部見た(つもり。実は画面の方に顔を向けたまま、寝たり起きたりと言うより、寝たり寝たりしていたので、気がついたら試合が終わってニュースが流れたりしてたこともあったんだよね。ドイツvsイタリア戦なんて最悪。延長後半12分まで見てて、「ああ、もうこれはPK戦だぁ」と思った瞬間、ふっと意識が遠くなったらしくて、気づいたら2対0になってた。?????てな具合で、ハイライトシーンで状況を飲み込んだ始末)ので、W杯の開催中は、とにかく眠くて眠くて、「ああ、サラリーマンじゃなくてよかったなあ」なんて考えたりしてね。
W杯は、日本戦があった予選リーグがおもしろかったって言う人もいるみたい。でも私はやっぱり決勝リーグがおもしろかったなあ…。こんな言い方をすると、日本代表を必死で応援していたサッカーファンに怒られちゃうかもしれないけれど、日本敗戦後あちこちで言われているように、「日本の実力なんてあんなもんでしょ」と正直私も思います。予選の組み合わせが決まったとき、日本の決勝トーナメント進出はないなあと感じていたので、あの初戦のオーストラリア戦以降は、すでに興味は決勝トーナメントに移っていて、いったいどことどこが、決勝トーナメントに進んで、最後にはどこが勝つんだろうと、興味津々でした。
どこを応援するでもなく、ただ単にサッカーを楽しみたいという思いで見ていたけれど、私が買っていたのは、ドイツとポルトガル。ゴール前でのクローゼの強さとバラックの何となく知的な表情(勝手に私が思っている)。「ドイツがいい線行くんじゃないの」と思わせたし、ポルトガルも、予選からフィーゴの良さが際立っていて、デコの切れの良さやコマーシャルでおなじみのクリスチアーノ・ロナルドのドリブルの早さもなかなか他にはないものを感じていたので、決勝までは勝ち進めないにしても、「なんかやってくれそうじゃん」と楽しみに見ていました。
とは言え、イタリアの優勝は、納得でした。あの守りの良さはすばらしい! 決しておもしろいサッカーとは言えないけれど、やはり守れないチームは勝てない。その証明みたいな終わり方でした。「攻撃は最大の防御」という言葉があるけれど、「防御は最大の攻撃」(これはちょっと変かな? まあ、武器というとこかな?)なんですね。
ジダンもすごかった。MVPは当然でしょ! 確かにブラジルのロナウジーニョのテクニックやベッカムのフリーキックもすごい。でも一人のテクニックではなく、チームでやるサッカーとしてみた場合、やはりジダンはすごかった。試合をまとめる巧みさは、一枚も二枚も上に感じました。「人間、一人でできることはたかがしれてる」そんなことさえ思わせるジダンの活躍でした。あれで引退? そんなことってあるのかなあ…。もうちょっと見たいなあ…。ああいうプレーを見ていると、やっぱりそう思っちゃう。
あの頭突きで退場のシーンも”ライブ”(カメラはプレーを追っていて、画面には映っていなかったので、実際はVTRだったんですけど)で見ました。突然のことで、驚きました。マテラッティがあれだけ飛ばされたんだから、相当すごい頭突きだったんでしょうね。あの頭突きがきっかけで、世界中が大騒ぎになっています。「ジダンが悪い」「ジダンがあそこまでやるには、マテラッティがひどいことを言ったに違いない」。真相はまだはっきりしませんが、どうやらマテラッティがジダンの家族について、人種差別的な挑発をしたらしい。サッカーというスポーツにそういうものが似つかわしいのか、似つかわしくないのか…。いろいろな報道を見たり聞いたりしていると、サッカーに挑発はつきものとのこと。では勝つために何はしてもよくて、何はしてはいけないのか…。どこで線を引くかは難しい問題のようだけれど、どうもこれまでの流れでは、”言葉の暴力は許されるけれど、手や足(もちろん頭も)を出してはいけない。ただし、人種差別については別”ということかな?
私は、かなり体育会系なので、スポーツは大好きです。野球、サッカー、ラグビー、バスケットボール、バレーボール、卓球、陸上、水泳、スキー、体操、柔道、剣道…。とにかく何でも見ます。息子も娘も学校の部活動でバドミントンをやったり、サッカーやゴルフをしたり…。ずいぶん遠くまで応援に行って、楽しませてもらいました。今年大学に入学した一番下の翔(かける)はゴルフでプロを目指していますが、どうなることやら…。
が、ちまたでよく言われる「スポーツをやっているから、いい子」というのは錯覚です。スポーツをとことん突き詰めれば、勝たねばならないので、今回のマテラッティとジダンのようなことは当たり前。たまたまW杯で、しかも決勝戦。さらに延長後半で残り時間は10分。さらにさらにジダンにとっても現役の残り時間は10分。だから、こんなに大きく取り上げられているけれど、これがもうちょっと注目度の低い試合だったら、スポーツ新聞の片隅に載る程度で、なんでもなく通り過ぎちゃう。もちろんそんな大事な試合に、なぜジダンがあんなことを…ということはあるけれど、それにしてもユニフォームを引っ張ってビリビリにしたり、ひじ鉄を食らわせて相手にケガをさせたり、挑発をしたり…。それがサッカー。果たして、そういうことをするような人間に育てることが、子育て・教育として正しいことなのか…。
この連載でも、何度も言ってきたけれど、スポーツと教育は、相容れないものを持っています。私もスポーツが好きだから、はっきり言うけれど、「うちの子はサッカー(あるいは野球、あるいはラグビー、あるいは柔道…)をやっているから、礼儀正しい」なんていう言い方は、やめた方がいい。私は、人間の楽しみとして、スポーツはとてもすばらしいものだなあと思います。勝つために戦っているあの真剣さ。ああいうものが、人生の中で重要なんだということも否定しません。でも、人間の成長にとって「スポーツ万能」みたいな錯覚は、やめた方がいい。子育ての中にスポーツのようなもの(物事に真剣に打ち込むということ)が必要なのは、わかります。でも、それで充分なわけではない。人と人とが結びつけるような、みんながお互いに支え合えるような心の優しさ、そういうものは、スポーツとは別な形で養ってほしいと思います。それが、未来を担う子どもたちを育てる親の役目かなあ。
高校で同じクラスだった田嶋幸三君はたびたびテレビに登場するし、中学で同じクラスだった加藤好男君も、オシムジャパンのコーチとして働くらしい。いやあ、やっぱりあのころの浦和はすごかったんだなあ…。ガンバ大阪の西野監督も含め、浦和出身の人たちが今の日本のサッカー界を背負って立ってるんですよね。4年後のW杯は、浦和パワー爆発で、ぜひ決勝トーナメントに進んでほしいですね。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
いやいや、いつものことだけど、オリンピックが始まると眠い毎日が続きます。別にLIVEで見ることはないじゃないって言われそうだけれど、スポーツっていうのは、結果じゃなくて(やってる選手にとっては結果がすべてだけれど)、真剣に勝負をしている人間を見ることのスリルというか、その瞬間のワクワク、ドキドキというか、生であることの迫力があるからこそ見ているのであって、眠い眠いと思いながら、やっぱりLIVEで見ることになっちゃう。
結果を先に知ってしまって見るハイライトくらいしらけてしまっているものはありませんよね。だいたいそういう放送っていうのは、編集されてしまっているので、ハプニングがない。もちろん、NG集に出てくるようなハプニングを期待しているわけではないですよ。上位の人、下位の人、すべての人の競技の中にそれぞれのドラマがあって、成功したり、失敗したり、喜んだり、悔しがったり…。スポーツを見ることの楽しさっていうのは、勝ち負けだけではなくて、そういった人間の姿に共感する楽しさなんだなあって感じます。だから、どうしてもLIVEを追っちゃう。今この瞬間も、ケーブルテレビを含めて、4つのチャンネルで、放送されているんだけど、何の競技かが問題なんじゃなくて、ついついLIVEの中継をしているところにこだわっちゃう。
どうしてもハイライトしかやってないときは、なるべく結果を知らないもの、できるだけレアなもの。
変なこだわりだけど、それが私のオリンピックの楽しみ方。
今もこれから、葛西がノーマルヒルのジャンプを飛ぶよ。
“ああ、ダメだぁ!”
次は伊藤。
“ああ、やっぱりダメだぁ!”
昨日は、原田が失格になっちゃうし、上村も里谷もダメ。残念だねぇ。
「残念ながら、メダルには届きませんでした」
実況のアナウンサーが言ってるよ。
オリンピックになると話題になるのが“メダル候補”。
今、名前を挙げたモーグルの上村、里谷、ジャンプの葛西、伊藤、岡部、原田をはじめ、スピードスケートの加藤、清水、フィギアスケートの荒川、村主、安藤…など、大勢います。マスコミはトリノへ出かける前から、まるで100%メダルは間違いないといった勢い。テレビを見た人たちは、メダルラッシュを期待しているんじゃないかなあ???
ところが、それに反して外国メディアの評価は厳しい。日本のメダル獲得数を2つと予想するところとか、1つと予想するところもあるとか…。そういう予想に対して、ワイドショーのコメンテーターは、
「名前を知ってる人だけあげたんですよ。日本選手の名前を知らないから、そんなこと言ってるんじゃないですか!」だって。
見たこともないんじゃないの?見れば予想も変わるよっていうような言いっぷり。選手の能力じゃなくて、名前を知ってるか知らないかだけで、予想してるっていう意味なんだろうけど、名前が知られてないっていうことは、やっぱり勝つ能力がないっていうことなのにね。世界で一流の人たちは、やっぱり有名だよね。
どうも日本のメディアの評価は、甘すぎる。自国の応援をするのは当たり前なので、それはそれでいいんだけれど、モーグルの中継を全部見ていても、上村が5位に入賞したとはいえ、1位から3位までの選手とは、明らかに滑る早さも技術も違って見える。そう思った人は多いんじゃない? もう少し競技の前から客観的な報道はできないのかなあとも思います。
どうも日本人は、「客観的に物事を見る」ということが苦手。親が自分の子どもを見るときは、最もそういうことが表れます。どの親も自分の子どもの能力を過信します。しかも、“親が子どもに対してこうなってほしい”と期待している部分の能力に対して、能力がある思いがち。それは、けっして子どもにとっていいことではない。
受験期を迎え、塾の前は送り迎えの車でどこもいっぱい。みんな自分の子どもが東大に入れると確信してるんじゃないのかな? だけど、そんなのは夢のまた夢。東大に入れる人なんて、ほんの一握り。しかも、東大に入れればそれだけで幸せなわけじゃない。それは、スポーツの世界もしかり。誰もが野球のイチローや松井、サッカーの中田や中村になれるわけじゃない。子どもの幸せを願うなら、もっと客観的な目を持たないと…。子どもの幸せってもっと違うところにあるかもしれないのに。
オリンピックの報道も、あまりメダルメダルと加熱しないで、もっと客観的でいいと思うんだけどなあ。そうは言っても、モーグルとノーマルヒルのジャンプは残念だったね。もしかしたらって思ってたのに…。
外国メディアの予想に反して、日本のメダルラッシュに終わるといいのになあ!
まだまだ今月いっぱい、眠い日が続きます。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
最近の地球環境の変化に、とうとう晴れの特異日も降参?かな。8日、9日、10日とせっかくの3連休が3日とも雨。8日も9日も運動会を予定していた幼稚園、小学校も多かっただろうに、残念でしたね。わが家の孫も9日が初めての運動会。楽しみにしていた(親とおじいさん、おばあさんだけ?が)のに、9日の朝に電話が鳴って延期。一応順延ということにはなってるけど、順延になった10日も朝から雨で、また電話がかかってきて順延。またまた一応順延になってはいるけど、11日も朝のうちは雨の予報で、さてどうなるのかな? 今、午前5時だけど、今のところ雨は上がってるみたい。ただし、問題はグランドの状態。果たして雨は降っていなくても、使えるような状態なのかなあ? まあいずれにせよ日曜日だった予定が平日にずれ込んじゃったので、見に来られる人は限られちゃう。孫の通っている幼稚園は、自由保育でちょっと普通の幼稚園とは違うので、”運動会、運動会”ってそんなに騒いでいるわけではないけれど、運動会が一大イベントになっている幼稚園では、すごく残念がってるお父さん、お母さんも多いだろうね、きっと。何日も前から”お弁当何にしようかな?”なんて考えて、10人も座れるようなレジャーシートを用意して…。
そうそう、そう言えば、真(まこと)と麻耶(まや)の運動会の時は、敷き詰められたビニールシートにびっくりしたっけ。1人の園児にお父さん、お母さん、お父さんのお父さんお母さん、お母さんのお父さんお母さん、父母、祖父母が応援に来るとそれだけで6人になっちゃうわけだから、すごい数だよね。それに兄弟まで来たら、大変なことになっちゃう。
ビデオなるものが家庭に普及し始めたのは約30年くらい前。出始めのころは、デッキとカメラが別々で、デッキをベルトで肩からぶら下げて、カメラを肩の上に乗せて、まるでテレビや映画の撮影みたい。それがテープ内蔵のカメラになって、その後は記録媒体がどんどん小さくなって、今では手のひらサイズが主流でしょ。しかも録画時間が格段に延びて…。
運動会っていうのは、それにはもってこいの被写体だもんだから、みんな持ってる、持ってる。自分の子どもが出場しているときは、ずっとファインダー覗いて、応援はそっちのけ。結局、運動会が終わるまで一度も生で子どもの姿を見ないで終わっちゃったりしてね。撮るのに夢中で、何が何だか全然わからなくて、家の画面で見て、”へえ、こんな風だったんだあ!?”なあんてね。私にもそんな記憶がある。
真と麻耶が通った幼稚園では、最後の年長組のクラス対抗リレーが呼び物。とにかく、リレーにかける先生方の思いは半端じゃない。子どもたちはトラックの中でしゃがんで応援してるのに、「××君、がんばれー!」、「いけいけー! そうだー! 抜け、抜けー!」なんて立ち上がって黄色い悲鳴を上げているのは先生方。挙げ句の果てに、レースが終わると勝ったクラスの先生も負けたクラスの先生も、感極まって号泣。子どもたちはきょとん。いったい誰が主役だったっけ?なんてことになっちゃって…。
さーて、外はどうかな?
雨は降ってはいないけど、庭の木の葉っぱから雨のしずくがポタポタ垂れてるよ。もうすぐ今日の予定の電話がかかってくるかな? なんだか今日も出来そうもないね。晴れの特異日は、いったいどこへ行っちゃったんだろうね。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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