2024年4月14日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第322回「親の態度が子どもを決める」

「あなた、この間から鰻が食べたいって言ってたでしょ?」
「そうそう。この前も近くの鰻屋へ行ったんだけど、満席で入れなかったんだよ。お昼の混みそうな時間はちょっと外して行ったんだけどね。ここのところ2回続けてだよ。やっぱり夏は鰻っていう人多いのかねえ??? さすが(鰻消費量日本一の)浦和って感じだね」
「じゃあ、食べに行く? とにかく今お座敷取れるか訊いてみようか?」
というわけで、行きつけの鰻屋さんへ電話を入れると、今日はお座敷が取れないとの返事。今日は、孫もいないのに椅子席の食堂というのも風情がないから、お座敷で食べられるところということで、普段はあまり行かないちょっと離れた鰻屋さんへ行くことになりました。
入り口を入ると右側に伸びている広い長方形の和室にテーブルが5台。片一方の長辺に3台、もう一方の長辺は入り口があるため2台。私と妻は入り口側長辺の奥のテーブルに座りました。
ここは浦和近辺では最も安い(私の感覚ではそうだと思う)鰻屋です。私たちが行ったときには、私たちが座ったテーブルとちょうど対角の位置のテーブルに3人連れのお客が入っていただけで、あとのテーブルは空いていました。
「この鰻が2匹入ってる鰻重でいいよ。数量限定だし、2匹入って2千円以下ってかなり安いじゃん。たぶん鰻が小さいんだと思うけど」
「でもちっちゃい鰻じゃ脂乗ってないんじゃないの?」
前にも一度取ったらあまり美味しくなかったような気がしてやや迷いながらも、結局二人ともそれを取ることにして、鰻重が来るのを待っていると、小さい子どもを連れた夫に初老のおじいさんという4人のお客が入ってきて、隣の席に着きました。
そろそろ食べ終わるというころ、妻が私に、
「隣のおじいさん、あの夫婦のどっちの親だと思う?」
と聞きます。私は、それとなく隣の家族を見る(おじいさんは私のちょうど真横に座っているので横顔だけで表情がよく見えないのですが)と、おじいさんの鼻と女性の鼻がよく似ているので、一旦
「女の人のお父さんじゃないの」
と言ってはみたものの、ちょっと観察してみると、おじいさんの左隣に座っているのが男性、その男性の前に座っているのが女性、そしておじいさんの前には小さい孫。しかも女性は、食事の間中足を崩さず正座をしていることから、
「違う、違う。あれは男性の方のお父さん。お父さんの鼻が女の人の鼻に似てるからそうかなって思ったんだけど、もし女の人が娘さんならお父さんの隣に座るよね。それにあの女の人ずっと正座してるし、姿勢を崩してないからあれは男の人のお父さん」
と言いました。
「そうそう、そうだよね。私も男の人とお父さん、似てないなって思った。きっとお母さん似なんだね。さっき話してる声が聞こえてきたら、“~です”ってお父さんに対して全部丁寧語使ってたから、男の人のお父さんだよね」
「たぶん、そうだと思う」
「あのお子さんもおとなしいよね。2歳くらいかなあ? あんなに小さいのに声もしないよ」
「そうだね。お母さんが正座して、姿勢を崩してないから、そういうせいもあるんじゃないかな。お母さんがおじいさんにも丁寧に接してるしね。さっき帰ったけど、あっちのテーブルに3人連れのお客(対角の位置にいた客)いたでしょ。つい立てがあるから体全部は見えないけど、座布団2枚使って足を通路の方に伸ばして座ってて、つい立ての脇から素足が見えてたの。つい立てがあるから他のお客にあまり気を遣わないんだと思うけど、さすがに裸足が見えるとあんまり感じのいいもんじゃないね。もし、あのグループに小さい子どもがいたら、騒がしかったかもよ。たぶん、隣の子どもみたいじゃないと思う」
「そうだね」
小さい子どもはいなかったので、何とも言えないけれど、たぶんその通りになるんじゃないかな???
子どもは親を見て育つもの。親がどういう態度で、生きているかは子どもに忠実に反映します。子どもがどうにもならないとき、ただ子どもを叱るのではなく、一番反省しなくてはいけないのは親ということですね。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第321回「ほんとにメダル候補?」

「今度のコースはね、距離が短いし、ラフも深くないから、それなりのスコアで回れると思うよ」
「いくつくらいで回れば、予選通るんだよ」
「76くらいがカットラインかな」
「それでおまえは、いくつで回れるの?」
「74、5くらいでは回れると思うよ。練習ラウンドはパープレイ(72)だったしね」
ゴルフをやっている翔(かける)が高校生の時の会話です。
ゴルフは1ラウンド18ホールで、おおよそ72打(コースによっては72でない場合もあります)を基準(これをパーと言います)に、72よりも少なければアンダーパー、多ければオーバーパーと言い、打数を競います。もちろん少ない方が勝ちです。
ここで、「76くらい」と言っているカットラインを4オーバーと言います。それよりも少なければ予選通過、多ければ予選落ちということになります。カットラインの決め方は、あらかじめ決められた打数なわけではなく、予選通過者の数が決まっていて、上位からその人数に達したところのスコアで切るので、その日の全員のスコア次第で上下することになります。(ゴルフを知らない人にはわかりにくくてすみません)
試合から帰ってきた翔は、かなり落ち込んでいます。
「ダメだった。カットラインは77だったんだけど、おおたたきしちゃった。アウト(前半)が40、イン(後半)が42で82だった。」
「10オーバーかよ。何やってんだか…」
「ショットは曲がっちゃうし、パットも入らないし…」
翔はすっかりしょげていました。
おそらく翔の実力から言って、そんなものだったんでしょう。人は、どうしても自分の力を持っているもの以上に感じたいので、自分に対する評価は甘くなりがちです。周りの期待も同様ですね。私も予選くらいは当然通るのかと思っていました。
オリンピックが始まりましたが、いつものように報道は過熱するばかり。すべての競技で金メダルがねらえるような報道ですが、これもいつものようにふたを開けてみると惨敗の連続。もともと力が世界のレベルまで達していないことも多く、にもかかわらずマスコミがやたらとメダル奪取を強調するものだから、選手にのしかかる重圧というものはすごいものだともいます。
メダル第1号を目指した女子重量挙げの三宅宏実選手。埼玉栄高校で、翔の2年先輩ということもあり応援していたのですが、メダルを逃し6位に終わってしまいました。とても残念です。私が子どものころ見た三宅義信氏と三宅義行氏は強かった。名門一家の重圧というところでしょうか。テレビ朝日が松岡修造氏をつかって取材をしていましたが、松岡氏の勢いではまるで金メダルを取るのが当然といった様子。確かに応援する側からすれば、金メダルを取ってほしいと思うものですが、優勝した中国の陳選手の実力からすると、他の選手が優勝する可能性は、陳選手にアクシデントがない限りほぼゼロ。視聴率を考えると、「金メダルは陳選手で決まっています」なんて言ったらだれもテレビを見なくなっちゃうので、そういうわけにもいかないのでしょうけれど、朝日新聞の記事によれば、「1カ月前、母育代さんに打ち明けた。「私、最近眠れないの」。2時間おきに目が覚めた。夢の中でもバーベルを持ち上げている。― 中略 ― そのころは、練習も最悪状態だった。自己ベストの80%ぐらいの重さでも落としてしまう。「怖くてシャフトに触れなかった」。練習場の片隅で泣いた。目標の重量に追いつけない焦り。競技を始めてから書き続けてきた練習ノートも1週間、空白が続いた。「話しかけると泣きそうだから」と父でコーチの義行氏が話しかけることもなくなった」そうです。筋肉もそげ落ち、体重も軽くなって1回目の試技の重量を下げざるを得なかったとか。難しいことですけれど、もっと楽な気持ちで力を出し切ってほしかったですね。選手にとってはそれもまた強くなるために必要なことなのかもしれませんが。三宅選手には次を目指して頑張ってほしいです。
スケールは小さいですけれど、これと同じようなことが、受験の時には子どもの心の中で起こっています。「受かってほしい」「受からないわけはない」という親からの重圧。三宅選手のお父様は、「話しかけると泣きそうだから」話しかけなかったそうですが、受験の重圧に負けそうになっている子どもに、普通の親は「そんなことじゃダメ」と叱咤激励しますよね。行き過ぎは禁物。親の期待は親の期待、子どもの実力は子どもの実力。それを冷静に見つめる目が、親には大切ですね。川口の父親殺傷事件は、それがわからなかったのかもしれません。
 
 
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2024年4月13日 (土)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第320回「なくならない高校野球部の不祥事」

先日、かかりつけの整形外科に行ったら、待合室のテレビに、高校野球の入場行進が映し出されていました。
2年生の部員が強制わいせつ事件で逮捕されながら、出場が認められ注目されていた桐生第一高校の入場行進。実況のアナウンサーが何か事件のことを言うかなあと思って聞いていると、アナウンサーの口から出た言葉は、
「ひときわ大きな拍手です」でした。
事件をふまえ、「逆境を乗り越え頑張って!」という応援のメッセージを発したのでしょう。もちろんグラウンドで行進をしている一人ひとりの選手が、事件を起こした部員と同じように悪いというわけでもないし、甲子園出場のため人並み外れた努力をしてきたこともよくわかりますから、グラウンドに立っている子どもたちを事件に巻き込むことをしない、このアナウンサーの言葉も理解できないわけではありません。
けれども、2年生部員が逮捕されるという事件を起こしながら、出場を希望した桐生第一高校の判断、そして出場を認めた高校野球連盟の判断が、正しかったかどうか…。
私は間違っていたと思います。
私も、どちらかと言えば体育会系で、中学校で私の所属していた部が全国大会に出たり(私の代には全国大会出場は実現できなかったのですが)、高校の時はサッカー部が全国制覇をしたり、あるいは浦和学院の職員のときには野球部が全国大会に出たり、今は息子が大学でプロゴルファーを目指していたりもするので、それなりにスポーツの世界のことは理解している方だろうと思います。
そんな風ですから、体育会系の”乗り”や”厳しさ”も人間の成長にとって、あるいは社会生活を営む上で、大事なものだとも思っています。
甲子園を目指すそれぞれの学校の努力、そこで一生懸命部活動に励んでいる生徒たちの努力もよくわかります。
けれどもその陰で、いろいろなことが起こっているということもよく知っています。
レギュラーの子たちの奢り、レギュラーのレベルに達しない子たちに対するいじめや差別、またその子たちによる暴力や非行…。今回の桐生第一高校の事件も、一人の生徒の問題ではなく、そういう事件を生む「部」の体質の問題なのであり、そういう中で起こっている事件であるということを、そこに関わるすべての人たち(高野連も含めて)は、はっきり認識するべきです。いや、逆に認識しているからこそ、出場できないことで心に傷を負う生徒のことを強調して、出場という開き直りとも取れるやり方をするのかもしれませんが。
もちろんすべての学校というわけではないのでしょうが、校内でも全国レベルの部活、特に野球とサッカーは、学校にとっても大きな広告塔であるだけに、何か事件を起こしても、なかったことにする、もみ消すというのが当たり前になっています。
「普通の子なら停学か退学なのに、サッカー部なら万引きをしても何にも処分されないんだよ」「野球部の子がね、カバンからお金盗んだのみんな知ってるのに、先生は見て見ぬふり」。
少子化が進む中、経営優先のため、広告塔としての役割を重視し、教育がないがしろにされているとすればとんでもないことです。
根本的な原因にふたをして、個人の責任として片づけてしまうようでは、今後もこういった事件はなくなりません。事件・事故の厳罰化の流れに呼応して、学校での一般の生徒に対する指導がますます厳しくなっている折り、甲子園に出場する部や生徒だけが特別では、これからの日本を背負って立つ若者の教育としても問題が残ります。
「連帯責任」という問題ではなく、どこに不祥事を生む土壌があったのかということを指導者はきっちり見極め、そこに関わるすべての者(生徒も含め)が責任をとるという姿勢を明確にすることこそ、大切なことなのでしょう。
 
 
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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第319回「公立小中学校に対する親の満足度上がった?」

朝日新聞によると、
「公立の小中学校に満足している保護者は8割近くに達し、先生への評価も上昇-。朝日新聞社とベネッセ教育研究開発センターが共同実施した5千人を超える保護者への意識調査が25日まとまり、そんな結果が出た。4年前の前回、満足度の低かった都市部や高学歴の親で伸びが目立ち、公立学校への信頼回復の兆しがうかがえる。」
んだそうです。
「25都県の小学2、5年生、中学2年生の保護者計6901人に、公立の小学校21校、中学校19校計40校を通じて質問紙を配り、5399人から回答を得た(回収率78・2%)。初調査となる前回は03年末から04年1月に調べ、6288人から回答を得ている。」とのことで、かなり大規模な調査なので、それなりに信頼できる数字なのかなあと思います。
調査結果の詳細(8月末PDFにて公開予定)は、
http://benesse.jp/berd/center/open/report/hogosya_ishiki/2008/soku/index.html
ただ、この数字をどう見るかという部分では、いろいろ意見のあるところで、「開かれた学校が実現しつつある」とか「学習に対する公立学校の取り組みが評価された」という見方もあれば、「公立学校に不満を持っている層がほぼ私立に入学し、その結果として数字を押し上げた」という見方もあるようです。
まあどれも、その通りなんだろうなあと思います。
社会保険庁の年金問題をきっかけに、これまでになく官僚や公務員に対する風当たりは強くなっています。公立学校もある意味でその例外ではなく、その閉鎖性やいい加減さに批判が寄せられていました。たしかこの連載を始めて間もないころに池田小学校の事件が起こり、それまでの「開かれた学校」というスローガンがしぼんでしまい、閉鎖性を助長した時期もありました。ただ、池田小事件以前の「開かれた」というのは、以前にも述べましたが、「誰でも学校(の敷地)に入れる」とか「塀を取り払った」とかいう意味の「開かれた」ということがほとんどで、親の側が期待する「教育の内容が見える」ということとはかけ離れたものでした。「教育の内容が見える」ということは、「開かれた」ということだけではなく「学校、教師の真剣さ」にもつながるわけで、当然親からの評価につながります。学校で繰り返し事件が起こる中、門扉は閉ざされているけれども、そういう状況だからこそ、「教育の内容が見える」ような努力がなされたものとも言えるのでしょう。
とは言え、最近の傾向は、「公立学校の私立化」とも言える状況だろうと思います。そのために受験を意識した親からはある程度の評価を得ているとも言えなくはない。公教育のあるべき姿についての議論がなされたわけではなく、「私立のような教育が良く、それを真似しようとしているから公立学校もいい」ということだとすれば、教育の本質を大きく見失っていることになりはしないか…。
どちらかと言えば、地域密着の公立志向の私としては、公立学校の評価が上がることはいいことだと思うのですが、これが「公立学校が親に媚を売ることを覚えた」結果だとすれば、とんでもないことです。親にとってやや「いい学校」になりつつある公立学校が、今後子どものためにどのような方向に進んでいくのか、真価が問われるところです。
 
 
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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第318回「プチプラ」

大学に入学してすぐ悩むのは、第二外国語を何にするか。私も悩んだんですけど、高校の時音楽部に所属していて、フランス語の曲を歌ったことがあるんです。なんていうタイトルだったか、もう忘れちゃいましたけど、そのときそれなりにフランス語を勉強した(と言っても発音だけで、まったく意味不明。もちろん訳詞はありましたから、全体の意味は概ねわかるんですが、単語の意味なんて全然わかんない。どれが動詞でどれが名詞かなんてさっぱり。歌を歌うのにそんなことじゃいけないんでしょうけどね。
週に2コマを2年間やったわけですけど、音楽部で発音をやったレベルからまったく進歩がなくて、どんな文章でも一応読むには読める(意味がわからないんだから本当は読めるとは言わないんだろうけど、まあおおよそ声に出して発音できるということで…)んですけど、相変わらず意味不明。試験の問題は、長文がダーッと書いてあって、「訳せ」っていうだけなんですけど、文章の頭の「Vingt  ann ées」(ヴァンタァンズ)、「20年間」というところしか訳せなくて、授業には比較的出ていたとはいえ、「ああこれで終わったな」と思いきや、なんとそれで単位をくれちゃったんだから、そのときの担当教官には足を向けて寝られません。
他に覚えた単語が「maison」(メゾン 家)、「petit」(プチ 小さい)、「fille」(フィユ 女性)、「garçon」(ギャルソン 少年)、「salon」(サロン 客間、店…)など
要するにすでに日本語としても扱っていいくらいの単語しか覚えていないっていうことですよね。まったくどうにもならない学生だったっていうことですかねえ。まあそうは言っても、いま経営している陶芸教室は「Salon de flamme」(サロン ドゥ フラム)「炎の部屋」(flamme には「炎」の他に「目の輝き」とか「情熱」なんていう意味もあるし、salon にも「部屋」という以外に「美術展・展覧会」なんていう意味もあるので、陶芸教室にぴったりだと思ってつけたんです。ところが、最初のころは美容室と間違えてくる人がたくさんいてちょっと困りました)なんていうフランス語の名前をつけちゃってるわけだから、フランス語を取ったことがまったく無駄だったわけではないんですけどね。
私がフランス語を習ったのは30年前。そのころは、外来語といってもほとんどが英語で、フランス語なんてほんの一部でしかなかったけれど、今ではけっこう街の中にあふれていますよね。もちろん外来語の中心は英語ですけど、ケーキ屋さんとか花屋さんとか美容室とか、あるいはマンションの名前とか…。うちの名前と同じでよく意味はわからないけど、「なんとなくフランス語だ」なんていうの、結構ありますよね。
若い世代は、そんな外来語を英語だろうがフランス語だろうが、適当にくっつけちゃって「プチプラ」なんていう言葉を作っちゃったりする。どんな意味だかわかりますか? 「プチ」はもちろんフランス語の「petit」で、「小さい」という意味ですね。「プラ」は英語の「price」で、「価格」っていう意味です。これを合わせて「プチ・プライス」。小さい価格、価格が小さいっていうことで、「安価な」とか「少額の」っていうことを表すらしく、「おもに若い女性が購入するファッション・アイテムや化粧品、雑貨などを対象に、高価ではないが素敵なものをさす言葉」なんだそうです。女子中学生や女子高生の買い物のキーワードになっているんだとか。
外来語ではないけれど、略語も氾濫していますよね。「KY」っていったい何かと思っていたら「空気読めない」なんて、こんなのわかります? ただ単に、単語の頭の子音を取っただけでしょ。何にも意味ないわけだから、知らないとまったくわからない。
「オシム」には、びっくりしました。てっきり、サッカーの日本代表のオシム前監督のことかと思ったら、「惜しいけど、無理」なんだそうです。子どもたちの間で使われ出した言葉で、「無理っ」ではちょっと言葉がきついので、「惜しいけど」をつけることで、「無理」をちょっと和らげようというねらいのようです。最近では、子どもが親に向かっても使うとか。「無理っ!」では怒られちゃうけれど、「オシム」って言うことで、「やりたいっていう気持ちもあるんだけど」というニュアンスを加えて、しかも「オシム」ということで「無理」という言葉が消えるので、相手は否定された感じがしない。
子どもの知恵っていうのはすごいですね。
次から次へと新しい言葉を生み出す、子どもたちの想像力には脱帽です。とはいえ、子どもの想像力も「KY」や「オシム」では、今ひとつというところでしょうか。子どもたちもしっかり英語やフランス語でも勉強すれば、もっとモダンな造語が生まれるかもしれませんね。
 
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2024年4月 9日 (火)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第315回「気づかぬうちのゼロトレランス方式の浸透」

文部科学省が日本での「ゼロトレランス方式」導入の調査研究を検討という報道がなされて、2年以上が経ちました。
「ゼロトレランス」とは、「トレランス(寛容)がゼロ(ない)」、「不寛容」という意味で、教育現場では「ゼロトレランス方式」を「毅然とした対応方式」などとも言っています。具体的には、学校が規則とその規則を破ったときの罰則を定め、例外なく遵守するということです。1970年代頃から深刻化した、学級崩壊や生徒による銃や薬物などによる様々な事件に対処するため1990年代にアメリカで導入された方式で、例えば「喫煙は保護者呼び出し」「万引きは停学一週間」とか、とにかく決めた規則は例外なく実行するというもので、守らないと即処分ということになります。
私立の高校などでは、かなり前からはっきりと導入されているところも多く、ある一定の成果は上げています。「毅然とした対応」ということ自体は私も反対ではありません。けれどもそれは、あくまでルールを破ったことにより処罰の対象となる生徒に対しても、教育の対象としての立場をその後も保証するという条件の下で、反対ではないのであって、処罰をするということが、単純に処罰の対象となる生徒の排除が目的であるとすれば、とても賛成できるものではありません。それは、まだ善悪の判断がすべて正しくできるとは言えない教育の対象足るべき子どもたちから、成長する機会を奪ってしまうだけでなく、疎外感、孤独感といった感情を持った子供たちを増やしてしまうという結果を生むことになるからです。
とはいえ、私立高校での「ゼロトレランス方式」導入というのは、入学試験での合格、不合格がある以上、ある意味、生徒がその学校に在籍できるのか、できないのかの裁量は高校側にあるわけで、私立高校が導入に前向きであったとしても、ある程度はやむを得ないのだろうとも思います。逆に、「ゼロトレランス方式」を導入しているからということで、その高校を選ばないという子ども側の選択もあり得るわけですから。
先日孫の授業参観と給食試食会に娘の代わりに参加して、びっくりしました。まだ小学校に入学して3ヶ月にもなっていないこの時期に「ゼロトレランス方式」とも取れる指導方法が取られていたからです。見ているそういう指導法をとっている先生方が圧倒的で、まだ6歳にしかならない子どもたちに、まるで犬や猫をしつけるように細かいことまでことごとく大声で注意し、立たせない、歩かせな、しゃべらせない(給食の最中も一切私語は許さない)ということを徹底しているのです。
「できない子は外へ出てもらいますからね」
もちろん、高校ではないので停学、退学ということではありませんが、「まじめに授業を受けようとしている他の子どもたちに配慮して、問題行動を起こす子どもたちを寛容度ゼロで排除する方式」をとっているわけです。先生方が「ゼロトレランス方式」で臨んでいるという意識を持っているかというと、どうもその辺ははっきりしませんが、子どもたちに行われていることは、まさにゼロトレランス方式。本来の目的は、まじめにやろうとしている子どもたちの権利を守ることなのに、怒鳴ることでかえって怒鳴られている子どもたちに焦点を当ててしまって、まじめにやろうとしているおとなしい子どもたちが、その怒鳴り声に萎縮し、隅に追いやられているという感じ。
私たちが知らないうちに、こんなところまでゼロトレランス方式が浸透してきているんだと大きな危惧を感じました。6歳の子どもたちには、まだまだ心の教育が必要。一律にゼロトレランス方式で排除するのではなく、むしろ寛容度100%で、優しく見守ってあげることこそ6歳の子どもたちには必要なことなのにと強く感じた2日間でした。
 
 
 
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2024年4月 5日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第313回「危機管理」

秋葉原連続殺傷事件、岩手・宮城内陸地震とまったくその性質は違うけれど、連続して多くの人が犠牲になる事件、事故が起こりました。
秋葉原の事件が第一報として伝えられたとき、思春期以降のお子さんを持つ親の誰もが、「うちの子は巻き込まれていないだろうか」と心配になったのではないかと思います。うちの翔(かける)の通う大学も秋葉原からすぐ近くなので、「翔は大丈夫だろうか」そんな心配がまず頭をよぎりました。亡くなった叔父が、生前秋葉原デパート(駅から直接入れるので大変便利なデパートでしたが、時代の流れというのでしょうか、秋葉原の急激な変化の中で、惜しまれつつ閉店しました)に勤めていたので、私自身何度も秋葉原を訪れ、叔父のところでスーツを作ってもらったり、一緒に食事をしたりと、身近なところだけにその驚きは大きいものでした。陶芸の生徒のKさんも「お茶のお稽古にしょっちゅう行ってるところなのよね。事件の前の日もあそこの交差点を通ったので、テレビに現場の映像が流れたとき“あっ、あの交差点知ってる”ってびっくりしたのよね。私が巻き込まれた可能性だってあったんだもんね」とおっしゃっていました。
さらに時間が経つにつれ、被害者の身元がわかってくると、その被害者のお一人である「宮本直樹」さんが、蕨市北町の人であることがわかりました。蕨市北町というのは、我が家のある川口市芝富士とは、道路一本隔てたお隣。とても小さな地域なので、毎日のように買い物に行くところです。しかも報道によると葬儀もさいたま市内で行われたとか。そんな身近な地域の若者が亡くなったということが、この事件をますます身近なものに感じさせることになりました。
「あれっ、地震じゃない?」
岩手・宮城内陸地震は、そんな朝の会話から始まりました。布団の上に転がりながら、パソコンをいじっていた私が、ベランダで洗濯物を干している妻に声をかけました。
「そう?」
「めまいがしたのかと思ったけど、ほらっ!蛍光灯が揺れてるから地震じゃない?」
隣の部屋からやってきた孫の蓮(れん)が、
「ばあちゃん、地震だよ。だって、向こうの部屋も電器が揺れてるよ」
そのときは、そんな会話で終わっていました。いつもなら、地震が来るとすぐ「テレビつけて」と各地の震度を確かめるのですが、今回の地震はちょうど朝の忙しいときだったこともあり、それほど大きな地震という意識もなく、「このごろ地震が多くない?」などと話をしただけで、そのまま仕事に出てしまいました。インターネットでニュース速報を見たとき、その地震の規模に驚きました。そして、母が13日(地震の前日)から1泊で、盛岡のつなぎ温泉に泊まっていたことを思い出しました。震源は岩手県南部のようで、どうやら盛岡は被害がない様子。旅館の連絡先もはっきりと聞いていなかったし、携帯も持たない母に連絡のしようもなく、「何も連絡がないということは、何でもなかったんだろう」と勝手に解釈をして、ニュースに耳を傾けていると、お昼前に深谷に住んでいる妹から「お母さん、なんか言ってきた? どこに泊まってるか、知ってる?」と電話がかかってきました。「盛岡のつなぎ温泉って言ってたから、大丈夫だろっ。なんかあれば連絡入るよ」と電話を切ると、しばらくして今度は実家に母と住んでいる弟から、「今、おふくろから連絡あって、大丈夫だって。でも電車が動いてないから、駅で足止めくってるんだって」と電話がありました。今回の地震は、毎年妻の両親と紅葉狩りに出かけて、何度も通ったよく知る場所。やはりそういった場所の映像が流れると人ごととは思えず、「もし紅葉シーズンだったら巻き込まれていたかも」と考えてしまいます。しかもたまたま母が混乱に巻き込まれ、駅で待っていると聞かされるとなおさらです。一日中、カウンセリングと教育相談で地震の情報を夜まで知らなかった妻に仕事が終わった後、地震の被害を伝えると、夜遅くなってしまっていましたが、岩手に住む従兄弟と知り合いに電話をして、無事を確かめていました。
子どもが事件や事故に巻き込まれる可能性というのはそう多くはないけれど、ゼロということはありません。身近で事件や事故が起こったときには、そういったことを意識するけれど、どうしても「人ごと」で終わりがち。そうかと思えば最近では、心配するあまり子どもをがんじがらめにしてしまう親も見かけます。度を超さない危機管理を普段からしっかりしておくことは重要ですね。とは言え、いきなり事件に巻き込まれるという事態から、どう身を守ればいいのか、私自身できる自信もなく、子どもたちに教えることの難しさを感じる毎日です。
昨日(地震の翌日)の朝、実家に電話をしても留守。お昼過ぎに母から電話があり、結局新幹線が動かなかったので、前の晩に泊まった旅館に連絡をしてもう一晩泊まったそうです。「一晩余計にゆっくりできてよかったよ。地震の時は8階の部屋にいたからちょっと怖かったけどね」と母はケロッとしたもんでした。
 
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第310回「公園ということの意味 その2」

前回、お話しした「ゴリラ公園」と京浜東北線の線路を挟んで反対側には「文蔵(ぶぞう)フィットネス広場」という公園があります。この公園もゴリラ公園同様、一般的な公園とはやや趣を異にしていて、アスレチック用の遊具がいくつかあり、その周りにランニングコースのようなコースが作られています。
朝日が昇り、明るくなると、毎日10名ほどの大人たちが、ランニングをしたり、ウォーキングをしたり、遊具を使ってストレッチをしたり…。
朝ではなく、夜利用する人たちもいます。人通りがあまりないので、夜の利用にはやや怖さもありますが、何人かグループでランニングをしたり、高校生がバットを振ったり、ラケットを振ったり…。外環の下ですから、多少の雨なら濡れることなく利用できるので、雨の日にも利用している人もいます。
ところが昼間行ってみるとほとんど人を見かけません。昼間の公園利用者といえば子どもたち。一応、子どもが遊ぶための遊具も少しは設置してあるのですが、ほんのお義理という程度。子どもが遊ぶための公園というにはほど遠く、子どもの利用はほとんどありません。
実際にその場に行ってみるとわかることなのですが、24時間日が差さない公園というものは、どことなく不気味で、怖ささえ感じます。日が差さないために木がないということも、そういった感情を抱かせる一因になっているかもしれません。公園ということの役割が、人々の心を和ませるものだとすれば、「この公園はいったい何なんだろう?」という疑問が湧いてきます。
沙羅の通っている幼稚園のそばには、さくら公園ともみじ公園(正式な名前は定かではありませんが、子どもたちはそう呼んでいます)という二つの公園があります。
「じいちゃん、今日はさくら公園で遊んでいこっ!」という日もあれば、「今日は、もみじ公園で遊んでいこっ!」という日もあります。
つい先日、そのさくら公園にある桜の木にサクランボが熟し、管理をしているおじさんが、収穫したサクランボを子どもたちに配ってくれました。1ヶ月ちょっと前には、八重桜の花びらが絨毯のように公園中を敷き詰め、まるでピンクの海を泳いでいるような気持ちになりました。
そんなとき人間は、自然と笑顔になるものです。子どもたちの楽しそうな歓声が、大人の心も和ませます。
公園で遊ばない子どもたちの事情は、公園側だけにあるわけではなく、子どもたちを取り巻く、社会的状況によるものも大ですが、外環の下の公園を見たとき、「果たしてこれが公園と言えるんだろうか?」どうしてもそんな気持ちが湧いてきてしまいます。
1992年11月、外環の和光IC~三郷JCT間が開通して今年で16年。私の花粉症が発症して今年で15年。外環を通ったときのあの排気ガスの真っ黒い様子を見るたびに、私の花粉症と外環の開通を関連づけて考えてしまいます。
日の当たらない外環の下の公園。北京オリンピックの環境問題が叫ばれる中、公園の環境はこれでいいのか…。
遊ばない子どもたち、遊ばせない親たち、もしかすると子どもの健康を守るための「動物的勘」を持っているのかもしれません。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第309回「公園ということの意味 その1」

四月に小学校に上がった孫の蓮(れん)の自転車が小さくなり、先日少し大きいものに買い換えてやりました。大人だって車を買い換えるとすぐに乗ってみたくなるものですが、子どもだって同様(いや順序が逆かな? 子どもが乗りたくなると同様に大人も乗りたくなる? 私は車を買い換えると夜中でも首都高の環状線を2、3周して来ちゃうので私中心の言い方になってます。地球温暖化が問題になっている折、不必要に車を乗り回すのはやめた方がいいですね。)で、新しい自転車に買い換えると乗ってみたくなるものですよね。私も小学校5年生の時、それまで乗っていた22インチの自転車が小さくなり、スポーツタイプの新しい自転車を買ってもらって、ほんのちょっとのつもりでその辺を乗り回しているうちにだんだん遠くまで行っちゃって、とうとう草加まで行ってしまったこと(うちは駒場のサッカー場の近くですから、往復で20キロくらいあります)ありました。私にとっては、初めての大冒険でした。新しい乗り物を手に入れるっていうことは、新しい自分になれたような、そんな気分になるものです。子どもにとっては、1ランク上の自転車に乗り換えると言うことが成長の証なんですね。
道路を乗り回すのは、ちょっと危険を伴いますが、幸いなことに、我が家の近くには、公園全体がマウンテンバイクのコースになっている「ゴリラ公園」があります。新しい自転車もマウンテンバイク風の5段変速。思う存分乗れるように、「ゴリラ公園」に行きました。
この「ゴリラ公園」は、東京外郭環状線ができたとき、道路下の用地を何にするかで、地元と道路公団の話し合いのもと、作られた公園です。まあよくある、「公園にしてやるから道路建設に反対するな」式のやり方によって、できた公園です。私の知り合いもどんな公園にするかの話し合いに加わっていて、当時は自転車用の公園ということで珍しかったことやイベントを開いたりしていたこともあり、子どもたちがけっこう集まってきていました。
「ゴリラ公園」という名前は、ゴリラ(キングコング?)が時計のポールを曲げている大きな像が建っていることから、つけられた名前です。子どもたちにとっては、その命名もよかったんでしょう。うちの子どもたちも、よく遊びに行っていました。
ところが先日行ってみると、人っ子一人いない状態。「シルバー」のおじさん(?)が整備をしていて、ホコリが立たないよう水を撒いたらしく、自転車コースのあちこちに水たまりができていました。上が道路のために雨がかからず、いつも乾燥しているので、水を撒かないとホコリがひどいんです。しかも、風が吹けばその乾燥したホコリが近隣のお宅にまで迷惑をかけるし、公園の土もどんどん減ってしまって、いまでは表層の土がほとんどなくなり、その下に入っていた大きな石がかなり顔を出している始末。とは言え、「ちょっと撒きすぎだろっ!」という感じです。
蓮と一緒に行った沙羅の自転車は小さいので、マウンテンバイクのコースには不向き。一生懸命こいだところで、どうしてもコースに負けてしまって、何度も足を着いたり、転んだり。そのうちぬかるんだところで足を着いてしまったために、靴はどろどろ、自転車もどろどろ。べそをかきかき、自転車を引きずりながら私のところへやってきました。新しい自転車で颯爽とコースを回っていた蓮はというと、泥を跳ね上げ背中が泥だらけ。二人ともそのまま自転車でピアノのレッスンに行く予定で、楽譜も持ってきていたので、かなり困った状態になってしまいました。
一生懸命水を撒いてくれた「シルバー」のおじさんに、文句を言うわけにもいかず、公園の水道で、泥を落としてピアノのレッスンに向かいました。
つづく
 
 
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第308回「何が何でも厳罰化の流れ その2」

少年に対する死刑判決というのはいくつかあるわけですが、これまで判決の基準となっていたのは、「警察庁広域重要指定108号事件」、通称「永山則夫連続射殺事件」(文末参照)の判決で、永山基準と言われるものです。
永山基準とは、1983年、最高裁での第1次上告審判決のもので、最高裁は以下の9項目を提示、そのそれぞれを総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合に許されるとしました。
1.犯罪の性質 
2.犯行の動機 
3.犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性 
4.結果の重大性、特に殺害された被害者の数 
5.遺族の被害感情 
6.社会的影響 
7.犯人の年齢 
8.前科 
9.犯行後の情状
 
永山基準では、「誰が見ても死刑以外に選択肢がない場合だけ死刑に出来る」という基準によっていましたが、今回の光市母子殺害事件判決では「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」とし、原則・死刑、例外・死刑回避という判断の枠組みを示したと言えます。単に少年というだけでなく、前回も述べたように「18歳になってわずか30日」ということを考えると、永山基準からはかなり踏み込んだ判決であったと言えるのではないでしょうか。
被害者感情を強く意識するようになり、裁判所の判例はもちろん、法律も、年々厳罰化の傾向にあります。マスコミも、そういった傾向に大きな役割を果たしてきました。先日見ていたテレビ番組の中で、来年度から導入される裁判員制度に関し、「あなたは死刑判決を下せますか」との問いに、「下せる」という人の割合が増えているというアンケート結果を放送していました。厳罰化の流れの中で、果たしてそう簡単に死刑判決を下していいのか…、私がもし裁判員に選ばれたとしたら、死刑という決断はできないのではないかと思います。
ほんの数ヶ月前、「20歳成人」の年齢を「18歳」に引き下げたらどうかということが話題になりました。街頭のインタビューを見ていると、かなりの人たち(成人も未成年も)が、「引き下げるべきではない」と答えていました。その理由は、「18歳はまだ子ども。判断能力に欠けている」というものでした。18歳では、責任能力が備わっていないと考えている人が相当多いわけで、その意味で大人は、「20歳を過ぎなければ権利はやらない」と考えているということです。
そういった意識と、今回のような少年事件への厳罰化の流れとの間の整合性をどう取るのか…。あまりにも安易に「厳罰化」の方向に流れているように感じます。単純に事件を事件として捉えるのではなく、その事件の背景にある大人の責任、子どもの権利をしっかりと見据え、将来の日本のためにとるべき方法はいかなるものなのか、真剣に考える必要があるのだろうと思います。
 
 
※永山事件
1968年に東京、京都、函館、名古屋で起きた4名の連続殺人事件で、いずれもアメリカ海軍横須賀基地から盗んだピストルによる犯行で、金銭目的のものであった。永山則夫は犯行時19歳であったが、犯行の連続性から指名手配されたこともあり、当初から実名報道された。1969年4月、予備校に金銭目的で侵入したところを警備員に発見され、発砲して逃走したが、緊急配備中のパトカーに発見され、逮捕された。
1979年、東京地方裁判所の1審の審議では死刑判決を受けたが、1981年、2審の東京高等裁判所では家庭環境・生育状況が劣悪であった事を減刑の理由として、無期懲役に減刑された。しかし、1983年、最高裁は東京高裁の判決を破棄して審理を差し戻し、その後の東京高裁(1987年)、最高裁(1990年)では「永山則夫が極貧の家庭で出生・成育し、両親から育児を放棄され、両親の愛情を受けられず、自尊感情を形成できず、人生の希望を持てず、学校教育を受けず、識字能力を獲得できていなかったなどの、家庭環境の劣悪性は確かに同情・考慮に値するが、永山則夫の兄弟姉妹たち7人は犯罪者にならず真面目に生活していることから、生育環境の劣悪性は永山則夫が4人連続殺人を犯した決定的な原因とは認定できない」と判断して、死刑判決が確定した。
永山は両親から育児を放棄され、学校教育を受けておらず、逮捕時は読み書きも困難な状態だったが、獄中での独学し、執筆活動を開始した。1971年の手記「無知の涙」をはじめ多くの文学作品を発表し、1983年には小説「木橋」で第19回新日本文学賞を受賞するなど創作活動を通して自己の行動を振り返るという、死刑囚としては稀な存在であった。また、それらの印税を4人の被害者遺族へ支援者を通して渡している(受け取りを拒否した遺族もいる)。
1997年8月1日、東京拘置所において死刑執行。享年48。
 
 
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