2025年4月 8日 (火)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第500回(最終回)「蓮くん、我が家に戻る!」

「蓮はどうしたいの?」
「この前、電話で話した時は、帰るって言ってたよ。でも、まだ気持ちが揺れてるみたいだね。蓮以外の4人の男の子のうち、担任の先生のお子さんは先生の移動でどうなるかわからないんだけど、後の3人の男の子は島に残ることに決めたんだって。それを聞いたら、戻るって決めてた蓮の気持ちも揺れちゃったみたいよ。学年は違うけれど、蓮が一番下で、みんな弟みたいにかわいがってくれてたから。レストランもない、コンビニもない、お店もない、レジャー施設もない、とにかく何にもない中で、島の人たちの心の温かさはどこにもないくらいいっぱいだから、蓮にとっては新鮮で、居心地もよかったんだと思う」
「やっぱり、迷うだろうなあ…」
「そうよね」

昨年の4月に「鹿児島県鹿児島郡十島村平島」(としまむらたいらじま)(http://www.tokara.jp/index.html)に留学した孫の蓮は、1年間の留学を終え、我が家に戻ってくることになりました。留学の仲介をしてくださった十島村教育委員会の教育長さんをはじめ、教育委員会の皆さん、蓮を温かく迎えてくださった平島の皆さん、そして里親を快くお引き受けくださった日高さんご一家にはお礼の言い様もないくらい感謝しています。
1年間、平島小中学校の最上級生として蓮の面倒を見てくれた日高さんのお嬢さんも、無事鹿児島市内の高校に合格し、4月から自宅を離れ新たな生活の一歩を歩み始めたそうです。
まさか孫の蓮がこのような出会いを作ってくれるとは…

「ばあちゃん!? 今、鹿児島に着いたよ。今日帰るからぁ!」
妻と携帯電話で話す蓮の声が、隣にいた私にも聞こえてきました。平島に渡った時、弾んだ声で電話をかけてきた蓮。1年前と同じように、鹿児島からの声は弾んでいましたが、その声の調子からは1年前とはまったく違う、成長した蓮を感じ取ることが出来ました。

3月29日午後8時40分羽田着。
「蓮、おかえりー!」
「ただいまー!」
蓮が帰ってきました。お正月にも戻ってきてはいたのですが、帰宅を決心して戻ってきた蓮には、親元を離れ1年間一人で平島で過ごした自信のようなものがみなぎっていました。
この1年間の経験は、蓮にとっても、母親の麻耶にとっても、妹の沙羅にとっても、そして私たち祖父母にとっても、大切で貴重な経験になりました。

蓮が戻った翌日、妻が食卓の上にあるビニール袋を手にとって、
「これ、なあに?」
と聞きました。
「それ、するめだろ?この前、原山のばあさん(私の母)がよこしたの」
「これがぁ?」
不審そうに妻が袋から取り出したものは、40センチくらいの白い板のようなもので、ラグビーボールをつぶしたような形をしています。
「あれっ? 違う違う。それはどう見てもするめじゃない。それ、何っ?」
と私が言うと、遠くの方から蓮が、
「イカの骨だよ」
イカの骨かあ…。こんなもん、見たことない!
そういえば、平島から釣り上げたイカの写メを送ってきたことあったっけ。
「10キロ以上あるんだよ」
蓮が言いました。
私がしたこともない経験を小学4年の蓮がしてきたんだなあ、とつくづく感心しました。
子どもや孫の成長は私たち大人の想像をはるかに超えています。子どもが自ら育つ力を信じ、そっと見守ることが子育てなんですね。

昨年から我が家にはいろいろな動きがありました。長男の努は、20年間所属していたオーストリアやドイツの市立劇場の舞踊団を退団してフリーになり、三男の翔は、初めて日本アマチュアゴルフ選手権の決勝ラウンドに進み、国体での団体優勝も果たしました。そして、今日、4月1日は、昨年32歳になった娘の麻耶が3月に大学を卒業し、新たな一歩を歩み始め、孫の蓮は前述の通り…。
そして私は、10年、500回を迎えた連載を終え、今日、ペンを置くことにしました。いや、パソコンを閉じることにしました。かな?

ご愛読いただいた皆様、本当に長い間ありがとうございました。
また、違った形でお目にかかれる日が来ることを楽しみにしています。
よしっ! 連載も終わったことだし、明日から長~い旅に出るぞーっ! 
2泊3日ですけどね! 
それでは、(⌒∇⌒)マタネー!!

2012/04/09(月)


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第499回「教育はどこへ行く その3」

2002年3月12日にこの連載を始めて10年あまりが経ち、ちょうど区切りのいい次回第500回で「子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-」を終了することにしました。これだけの字数の文章を毎週更新するというのはけっこう大変で、私の生活にかなり変化を与えましたが、それはそれで、楽しい機会を与えていただいたと思っています。

さて、ちょうど10年目、まさに連載を終えようとしている時に、今後の「教育行政」に大きな影響を与えるかもしれない大阪府の教育基本条例案が可決成立したことは、何か因縁めいたものを感じます。今回まで3回連続で取り上げている「教育はどこへ行く」は、実は朝日新聞の記事を見て、それを基に1回で完結させるつもりだったのですが、「落ちこぼれゼロ法」と「大阪府教育基本条例」をいろいろ調べているうちに、500回にわたる連載の中で、私が述べてきたこととの関わりを強く感じて、だんだん伸びてしまい、とうとう3回目まで来てしまいました。

教育基本条例(私の含め、正しい理解がされているかは甚だ疑問ですが)については、かなり国民の意見も割れているというのが現実だろうと思います。マスコミ各社も割れていて、私がこの問題を取り上げるきっかけになった朝日新聞は反対姿勢、ネットを見ると毎日放送は報道特集で批判的な番組を放送していたらしいですから、毎日新聞、TBSは反対? 産経新聞はこういった条例を全国に広げようという主張をしていますので、賛成。読売がどうなのかは確認していませんが、日の丸・君が代の問題からすれば、当然賛成なんでしょう。朝日新聞は社としては反対なんだろうと思いますが、テレビ朝日の番組の中には連日橋下市長の動向や主張を取り上げている番組があるらしいので、社の方針だけで動いているのではなく、テレビという媒体の性質から、視聴率やプロデューサー、出演者に影響されているものもあるようです。

私は、これまでずっと述べてきたように、教育行政や学校・教師の姿勢、教育の閉鎖性などという問題については、非常に批判的なので、そこを正そうとする教育改革の方向性は理解できます。
既得権益というか、職場の環境を守ろうとする教職員の人たちの中には、この条例に強く反対する人たちが多くいると思いますが、公教育に関わる人たちの感覚と、保護者を中心とする社会一般(もちろん教員も社会一般人ですが、そういった関係の人を除く人という意味で)の人たちの感覚のずれが、今回の条例がそれなりの支持を集める結果につながっているんだろうと思います。
長年、問題を指摘されながら、なかなか状況を変えられない教育現場のツケとも言えるのでしょう。もっとも橋下市長は教職員組合だけをことさら批判していますが、私は組合であろうとなかろうと、全く同じことだろうと思います。

とはいえ、私はこの条例に大きな危惧を抱いている一人です。それは、教育が政治主導で行われていいのかという疑問を強く持っているからです。
憲法に規定する基本的人権の教育を受ける権利を覆すということでないとすれば、政治が教育に深く立ち入るということは、その時々の政党、政治家によって教育が支配されるということで、憲法上許されないと思っています。
法律論でいうとややこしい部分がありますが、まあ今の日本では考えられないことですが、たとえば社民党や共産党が政権を取ったら(市町村レベルなら絶対ないとは言えないかもしれませんが)、全く逆になっちゃっていいのか、教育ってそんなもんなのかということです。公教育は本来、普遍的であるべきと考えるのですが、どうも今回の条例はそうは思えない。それだけではなくて、公教育でどういう子どもを育てるかという部分で、経済優先の人間教育になっているように感じる。
経済優先で教育を考えた場合、たとえば米国の「落ちこぼれゼロ法」のように競争や数値化で教育行政を進めるようなことが起こるんでしょうが、それは「落ちこぼれゼロ」どころか、必ず落ちこぼれを生むという強い確信を持っています。経済優先の教育は、「人」を育てるというより、むしろ経済構造の中の一つの歯車を作ることに他なりません。

私は、教育や子育ては、思春期くらいまでは母性的(女性という意味ではなく男性の中にもある母親的な感覚)な関わりが中心であるべきと考えていますが、競争原理を中心に教育を行えば、それとは全く逆の方向に進んでいってしまいます。今回の条例は、母性的な感覚を排除していると感じてなりません。私の感覚では、それはとても怖いことです。

教育基本条例案の可決により、教育が一歩政治主導の方向に踏み出したことになるのでしょうが、競争や数値ばかりが前面に出て、ぎすぎすとした世の中にならないといいのですが・・・。

政治がこういう方向に舵を切り始めた時だからこそ、家庭の中では優しさいっぱいの子育てをしたいですね。人と人とが関わる時に、他人を思いやる優しさ以上に大切なものはないですから。
2012/03/26(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第498回「教育はどこへ行く その2」

ブッシュ政権で教育調査官を務めたニューヨーク市立大のダイアン・ラビッチ教授による、「すべての子どもたちに基礎学力をつける」と聞いた時は感激したが、現実にはそうはいかず、4年後から反対に転じたといい、「落ちこぼれゼロ法」の失敗の理由を二つあげています。

一つは、学力の低い子ほど、最寄りの学校で家の事情も知る慣れた先生に教えてもらいたがる現実を無視して学校のランク付けをしたことで、下位の子の自尊心を傷つけ、やる気を失わせたこと。
もう一つは、ノルマを果たせなかった学校の改善がうまくいかず、テストのための教育が広がり、自分で考える力を失わせてしまったこと、と言っています。

「落ちこぼれをなくす」という理念について、反対する人はほとんどいないと思います。私もまた、公教育の目指す方向の一つとして、「落ちこぼれをなくす」という理念が重要であると思います。ただ、ここで問題なのは、どんな子どもが落ちこぼれかという「定義」と、どうやって落ちこぼれをなくすかという「方法」です。
当然のことながら、落ちこぼれの「定義」が違えば、それをなくすための「方法」ももちろん違うわけですから、第一義的には「定義」が重要ということになりますね。

子育てをしていると、遺伝的にはとても近い自分の子どもたちでも、子どもによって、それぞれまったく違った個性を持っていることを感じます。遺伝的には近いわけだし、育っている環境もまったく同じ(生まれてきた順序を除けば)なわけだから、他人から見れば多くが似ているのでしょうが、親から見ればそれぞれの子どもによってまったく違った個性を感じます。食べ物の好みですら、正反対なんて感じることだってあります。
子どもたちにはそれぞれ個性があって、向き不向きが全く違うにもかかわらず、それを無視して、「落ちこぼれゼロ法」と「大阪市の教育改革」は、「落ちこぼれ」を考える基準を限りなく「学力」に限定してしまっていることが大きな問題点です。
「落ちこぼれゼロ法」と「大阪市の教育改革」について、「学力とは何か」と問えば、どちらも「テストで何点取れるか」という定義になるのでしょう。橋下市長の発言を聞いていると、「優秀な子=高偏差値な子」ということでほぼ一貫しているように感じます。

「テストでいい点を取れる」ということが、「人間の価値か」ということは、いつの時代も問題になることです。米国の母親が「学校はテストのための勉強ばかり」と言っていることや、ラビッチ教授が「教育技術を学んだ教師を送り、テストの点を上げる反復練習を繰り返した結果、一時的に点は上がった学校もあった。だが、長続きしなかった。テストのための教育が広がり、自分で考える力を失わせてしまった」と言っていることから、どうやら日本も米国も同じことのようです。

私は「テストの点の悪い子」を落ちこぼれの「定義」と考えたくはないのですが、百歩譲ってそう考えたとしても、「落ちこぼれゼロ法」が落ちこぼれをなくすことに適切な法律であるのかといえば、ラビッチ教授の話から、どうやらそうでもなさそうだということがわかります。

中学3年生の中ごろに、偏差値35~40程度に低迷している、俗に言う「落ちこぼれ」という子どもたちに勉強を教えていた経験から言わせてもらうと、明らかに学習障害と言われる子どもを除けば、こちらのアプローチ次第で、1~2ヶ月で全員が偏差値で10、順位で言えば100人中後ろから4、5番だった子がほぼ真ん中くらいまで上がります。
これには、「こつ」、言い換えれば「技術」があるわけですが、実は「技術」よりもっと重要なものがあります。それは教える側と教わる側の「信頼関係」です。信頼関係を築けない子どもは、脅しても、罰を与えても、100%うまくいきません。教える側の空回りに終わるだけです。テストの点を上げるには、本人のやる気が何よりも重要な要素であり、「落ちこぼれ」と言われる子どもたちのやる気は、脅しや罰はもちろん、教えることの技術だけでは到底引き出せないからです。

つづく
2012/03/19(月)


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2025年4月 7日 (月)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第493回「誕生日プレゼント」

「沙羅の誕生日のプレゼント、どうする?」
「うん、まだ何も考えてない」
「もう持ってないものがないんだよねぇ・・・」
「バッグとか財布は?」
「いっぱい持ってるよ」
「そうかぁ・・・。困っちゃったなぁ」
プレゼントに困っちゃうようならやめればいいんだけれど、5人の子どもたちにもそうしてきたように、孫たちにも機会あるごとにプレゼントをやってきたので、そろそろネタが尽きてきたっていう感じ。「不思議の国のアリス」の本の中に「お誕生日じゃない日、おめでとう!」なんていう台詞があって、我が家ではそれが口癖のようになっていて、誰かの誕生日じゃない日に何かご馳走を作ったりすると、
「お誕生日じゃない日、おめでとう!」
なんて冗談を言っては乾杯したりしています。
でも今日は、孫の沙羅の本当の誕生日。「お誕生日じゃない日、おめでとう!」なんていう冗談では済まされなくて、とにかく何かプレゼントを用意しなくっちゃ!

5人も子どもがいて、さらに孫となるとこれが意外と難しい。なぜかというと、1番上の弘子の時は、2番目の努が生まれるまではプレゼントの対象は弘子一人。弘子にプレゼントをやるのも、両親だけ。ん?1歳の弘子にはプレゼントはやらないかな? 私と長女の弘子は11歳しか違わないので、私はこの状況を経験していないわけだけれど、まあ一般的にいって、1歳の子どもに何か物でプレゼントをするということはあまりないかな? むしろ、夫婦で子どもが1歳になったことを喜ぶというか・・・。
弘子と努は年子なので、努が生まれてもこの状況にさほど大きな変化はなし。ところが何年かして、弘子と努が自分の誕生日というものを理解するようになり、誕生日にプレゼントをもらうということが特別なんだということがわかるようになると、誕生日というものが本人にとっても、周りにとっても意味を持ってきます。

3番目の真が生まれた時、弘子は9歳、努は8歳。真の1歳の誕生日は、それぞれ10歳と9歳。この頃になると、真の誕生日というものが、親だけでなく弘子と努にも弟の誕生日を祝うという意味を持ってきて(真本人にはまだほとんど意味がないんですけれど)、弘子も努も真にプレゼントをあげたいということになってくるわけです。子どもが5人ということは、これが延々と繰り返されることになります。
1番下の翔の1歳の誕生日には、弘子20歳、努19歳、真11歳、麻耶9歳。そろそろ、親が考えるプレゼントと、弘子や努の考えるプレゼントは、同じようなものになってきて、そこからさらに10年、20年を経過すると、それぞれ少しはお金を使えるようになるので、小さいころのように折り紙をプレゼントするとか、画用紙に似顔絵を描いてプレゼントするなんていうものは全くなくなり、とにかくお金をかけて何かを買ってくるということになって、誰かとかぶらないようにするのに一苦労。
誕生日は毎年同じ日にあるわけだから、たとえば妻の誕生日なら、12月14日。ちょうど寒さも厳しくなってくる時期で、すぐ頭に浮かぶのは、手袋とかマフラーといった防寒具。これまでのべ何人の子どもたちから手袋とマフラーをプレゼントされたことか・・・。

「お母さんの誕生日、何プレゼントするか決めた?」
と誰かとプレゼントがかぶらないように周りの状況を確かめます。平たく言えば、贈る物の取りっこになるわけです。その結果として全員が、その時の年齢にふさわしい物は別として、ほとんど持ってない物はないくらい、様々な物を持っていることに。
最近、麻耶は母親の誕生日にはストッキングと決めているようで、使ったお金が無駄にならないようにしています。それはそれで、一つの工夫であって、妻も喜んでいるのですが、誕生日プレゼントのサプライズ感は全くなくなってしまいました。
なかなか難しいですね。

で、孫の沙羅のこととなると、さすがにもう限界。ドイツにいる努からもプレゼントが届く(ほとんどかぶる心配はないのですが)ので、プレゼントを渡す方のプレゼント選びは過酷の極み。結局今日は、伊勢丹、パルコを1時間以上ウロウロして決まらず、午後6時から会合があり、8時には終わるだろうから、急いでドン・キホーテでも行こうかと考えていたら、会合が10時過ぎまでかかってしまって・・・。
本当の誕生日だというのに、一緒に食事やケーキを食べてやることもできず、
「沙羅ちゃん、ごめんね。今日はプレゼント用意する暇がなかったんだ。じいちゃんともう一回誕生日やろうね」
誕生日プレゼント探しの試練は、まだ明日も続くことになってしまいました。
2012/02/13(月)


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2025年4月 6日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第491回「炭起こし」

一昨日の晩から、孫の沙羅が
「じいちゃん、日曜日学校来て!」と騒いでいました。
「何があるの?」
「七輪で炭起こしてお餅焼いて食べるの」
「ああ。去年だったか一昨年だったか、蓮がやったやつね」
「そう。じいちゃん、来られる?」
母親の麻耶も行くらしいので、私が行く必要もなさそうなんですが、なぜか沙羅は私にこだわっていて、
「ん~、仕事あるしなあ…」と言っても、
「なんとか来られないの?」
そんなこと言われては都合をつけないわけにはいかず、なんとか行ってやることにしました。

沙羅の中では、いろいろなことがそれぞれ誰にふさわしいかという考えがあるようで、「七輪で炭をおこして餅を焼く」ようなこと、要はアウトドア系のことは私ということのようで、「来てね、来てね」と何度も念を押される始末。そういえば、蓮の時も私と麻耶で行きました。みんな炭には慣れていないようで、七輪の中にぎゅうぎゅうに新聞紙と割り箸を突っ込み、さらにその中に炭を突っ込み、まるで火事のように七輪から高い炎を上げて炭起こしをしていたのを覚えています。

その時学校から配られたプリントには、新聞紙と割り箸に火をつけたら、そこへ炭を入れ、七輪の下の方にある空気窓からうちわであおいで風をたくさん送るように書いてありました。実際にやってみればわかるんですけれど、これは大きな間違い。炭が充分赤くなって、上から炭を足す場合は、それでもいいのですが、新聞紙と割り箸を燃やした直後に下の窓からうちわで風を送ると、新聞紙の燃えかすが一気に上に舞い上がってしまいます。
うまく火を起こすには、新聞紙と割り箸にほどよく火が回ったところで炭を入れ、新聞紙と割り箸の火がほぼ消えるくらいまで待って(炎が収まったころには炭の角の部分にはやや火が移っています)、なるべくうちわを七輪に近づけ、一気に上からあおぎます。
この時のこつは、うちわで送った風が効率よくすべて七輪の中に入るように、できるだけうちわを七輪に近づけ、小刻みになるべく強く(腕が痛くなるくらい)あおぐこと。こんなに勢いよくあおいだら消えてしまうんじゃないかと不安になりますが、強くあおげばあおぐほど、炭のはじに着いていた火が広がり、ぱちぱちと音をあげ始めます。
「ぱちぱち」音がし始めたらあおぐのを止め、炭から炎が上がるのを確かめれば炭起こしは終了。七輪の炭を起こすくらいなら、まあ1~2分もあれば充分ですかねえ。
どのグループも配られたプリントを見ながら、その通りやろうとしてなかなかうまくいかず、いくつかのグループは私が手伝いました。

今日は、そのようなプリントはなくて、模造紙様のものに手順が書いてあるだけ。しかも蓮の時に比べれば、炭のおこし方についての説明はおおざっぱ。説明がおおざっぱなことで、どのグループも試行錯誤しながらとはいえ、大人の知識をフルに発揮して炭起こしをしていたので、逆に蓮の時よりはうまくいっているようでした。

今日とてもおかしかったのは、私が新聞紙と割り箸が燃えている中に炭を入れようと、ビニール袋から素手で炭を出したとたん、若い女性の先生に「あぶない」と言われたこと。私に言ったのかどうかは定かではないけれど、うちのグループでその瞬間に何かしようとしていたのは私だけ。沙羅もその先生の言葉が私に向けられたと感じたらしく「じいちゃん、軍手した方がいいよ」と言いました。そんなことから考えると、おそらく私に向けられた言葉かと・・・。先生は「炭はトングでつかむもの」と杓子定規に思っているらしく、素手でつかんでは、何か危険(手を切る? 七輪に入れる時にやけどする?)と感じたのでしょう。

私が炭を素手で持ったのは、素手で持つことでその炭の特徴というか、性質というか、そんなものを感じて、餅を焼くにはどれくらいの炭を七輪に入れるかとか、この炭の火力はどれくらいかといったものを知りたかったわけですが、炭はトングで挟んで入れるものと思っている若い先生にはちょっとそこまではわからなかったようです。

無事、1~2分で炭起こしは終了、あっという間にお餅も焼けて食べ終わりました。うちのグループが片付けに入ろうかというころ、まだ炭を起こしているグループもありましたので、いかに早く作業が済んだか…。でも、こういう作業というのは早く済めばいいというものでもなくて、他のグループと同じような早さで作業を進めることも、ある意味大事なことなので、今日については大成功のような、大失敗のような・・・。

私が子どものころ、まだ学校のストーブは石炭のだるまストーブ。クラスの誰もがストーブ当番というと紙に火をつけ、薪に火をつけ、石炭に火をつけ、という作業をしていたものです。今日も七輪の中にぎゅうぎゅうに新聞紙を突っ込み、その上に牛乳パックをちぎったものを突っ込み、さらに炭を突っ込み、その周りにまるで何かの宗教の儀式のように割り箸をいっぱい直立させているのを見ると、思わず吹き出しそうになりました。あまりに炭を起こしすぎたところは、お餅が真っ黒焦げになってしまったんですよね。
これはなかなか経験がないとわからないことですけど、餅を焼くにはほとんど炭はいらないんです。だからこういう経験をさせているんでしょうけれど、先生方もあまり慣れていないようで、まだまだ皆さん修行が足りないというところでしょうか(笑)

もし、七輪でお餅なり、肉なり、サンマなり、焼いてみたい人は、ぜひ前述のやり方、試してみてください。間違いなく、炭起こしに3分とかかりませんから。
2012/01/30(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第490回「子どもを怖がらせないで歯を抜く方」

「じいちゃん、見て! 昨日から歯が抜けそう。ほらっ、こんなにぐらぐらしてるでしょ」
孫の沙羅がニコニコしながら私の近くに寄ってきて、左の人差し指でやや左寄りの下の歯を揺すって見せました。指で押さえて歯を揺すられても、歯が指で隠れて見えません。
「どれどれ?」
「ほら!」
今度は沙羅が指を歯の先端に引っかけて前に倒したので、歯の裏側が歯茎から浮いて、そのぐらぐら加減がよくわかりました。
私の見立てでは、ちょっと引っ張れば取れてしまいそう。それほど痛さも感じず、抜ける(というより取れる?)はずです。

「ほんとだ! もう簡単に抜けそうだよ。抜いてやろうか?」
「う~~~」
「嫌なの?」
「抜いてほしいとも思うんだけど・・・。触ると痛いんだもん。舌で奥から押しても痛い」
「そりゃそうだよ、それだけ抜けそうなんだからぁ。抜いちゃえば痛くなくなるんだよ」
「う~、そう思うんだけどさぁ・・・。でも怖い」
「ほらっ、ちっちゃいペンチあっただろっ? あれで挟んで自分で抜いちゃえばいんだよ」
「ペンチって何? こうやって挟むやつ?」
「それはピンセット。ほらっ、こうやって挟むやつで先っちょが細いラジオペンチっていうやつのこと。そこの引き出しに入ってるだろっ」
「ふーん。でもいいや。今は抜かない」
「じゃあ、じいちゃん仕事行って帰ってくるまでに抜けてなかったら、抜いてやる!」
「うん! あのさあ、歯が抜けるとたくさん血が出るでしょ。それでぇ・・・、血が出た時、ギュッて噛んでる綿ってどっかにあるよねえ?」
「薬箱に入ってるよ」
「うん、わかった」

沙羅は私に抜いてもらえば、絶対痛くないという気持ちがあるようなのですが、まだ決心がつかないようで、結局、沙羅の抜けそうな歯をそのままに、私は仕事に出かけました。

子どもや孫の歯を抜いたことは何度かあります。私が子どものころは、「抜けそうな歯に糸を巻き付けて引っ張る」なんて言われましたが、実際にやろうとすると、子どもの歯は小さくて、巻き付けるのに一苦労。案外うまくいかないものです。たいていの場合、自分で何度もいじっているうちに、面倒くさくなり、どこかの段階で「えいっ、やーっ!」とばかり力を入れて抜いてしまったりします。
私も何回かそうした経験がありました。去年だったか、今、平島(たいらじま)に留学している孫の蓮の歯を抜いてやったことが2回ほどありました。一度は手で、もう一度はラジオペンチで。手で抜くにしても、ラジオペンチを使うにしても、しっかり歯を挟んで、一気に抜かないととても痛い思いをさせることになりますから、失敗は許されません。こちらも気合いが入る一瞬です。

では、どういう風に抜けば、子どもや孫からの信頼を勝ち取ることができるかというと、とにかく一瞬で歯茎から引きちぎるということ。子どもが恐怖心から力んでしまうと、歯をうまくつかめなくなって、失敗してしまうので、子どもが力む前の一瞬の隙に引っ張るか、すでに力んでしまった場合は、その力みが緩んだ瞬間に引っ張る。
以前TVのコマーシャルで、メタボ診断で胴囲を測る場面で、測られる方は少しでも細くしようとお腹を引っ込めているんですが、測ったと思って気を許し、お腹の力が抜けた瞬間に、「はい、今測りました!」っていうやつがありましたよね。
まあ、あんな要領です。「1、2、3」で抜くことにしておいて、実際は「1、2」で抜いてしまうような・・・。でも、私は、数を数えたり、かけ声をかけることはしません。「3で抜く」みたいな約束事をしておいて、「2で抜く」っていうのは、いかにも子どもを騙すみたいで嫌なんです。なので、とりあえず、子どもと話をしながら、歯をつかみ、しっかりと持ったら、「持てた!」と思った瞬間に、私のタイミングで一気に抜いてしまいます。
まだ一度も失敗したことがないので、もしそんな機会があったら試してみてください。失敗しないためには、抜かれる側よりも抜く側の躊躇しない勇気が大事ですね。

昨夜、妻と沙羅は、仕事のために浦和駅近くに借りているワンルームマンションに泊まりました。その時から歯が抜けそうだったようで、妻が言うには「抜けそう、抜けそうってうるさかった」そうです。

「沙羅ったらねえ、いつもあんなにあなたに怒られてるのに、“ああ、ここにじいちゃんがいてくれたらなあ”って言うんだよ。よほどあなたを信頼してるらしい」
「へえ。そりゃ嬉しいね」
そんな話をしながら家に帰ってくると、
「じいちゃーん、歯抜けた!」
「よかったねえ。どうやったら抜けたの?」
「舌で押したら取れた!」
やっぱりなあ・・・。朝見た時、歯茎にくっついていたのはほんの皮一枚みたいな感じだったもんなあ(笑)
2012/01/23(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第489回「子どもの興味は個性の扉」

「あんまり怒んないでやってよ。怒るから沙羅だってあんな風になるんだと思うよ」
「それはそう思うよ。怒らないで丁寧に対応すれば、沙羅だっていい子でいるんでしょ、おそらく」
「そうだよ」
「それはそうだと思うけど、じゃあ今の段階で怒らなきゃならないようなことしたらどうするのかってことでしょ。どう考えても、今のまま“絶対怒らない”なんてことできないでしょ。怒るべき場面では怒らないと、沙羅はそれでいいと思って勘違いしちゃう」
「・・・」
「“卵が先か、鶏が先か”みたいな問題なんだけど。問題は、じいちゃん、ばあちゃんってことじゃなくて、母親の麻耶が沙羅にどう接するかってことでしょ。怒ってばかりってことももちろんだけど、むしろそうなる前の段階で、ずーっと指示しまくってる。あれをやめないと・・・。沙羅も指示ばっかりされて、自分の考えで行動できないから必死でそれに抵抗してるってとこだよね。沙羅にしてみれば、それでバランスとってる」
「麻耶は待てないのかねえ・・・。朝、沙羅が玄関出て行くまで、ずっと何か言ってる。“ハンカチ持った? ティッシュは? 鍵は? 靴のかかと踏むなあ。ランドセルの蓋ちゃんと締めて。帽子は?”」
「だから、沙羅だって麻耶の話をまともに聞かなくなってる。夜は夜で、“明日の用意しなさい”って怒鳴るように沙羅に言って、沙羅がやっと用意し始めると、今度は用意してる最中に“歯を磨いてないでしょ”だからね。沙羅にしてみれば、どっちをやれって言われてるのかわかんなくなっちゃう。どうやっても文句を言われると思うから、“だったらやらない”って沙羅に開き直られてる。そういうせいかわからないけど、大人の言うこと聞かないで、自分の世界で行動してるようなことが多いよね」
「沙羅の通知表見た?」
「見てない」
「“色々なことに興味がある”って書いてあった」
「それはいい意味かねえ?」
「ん~、まあ他に書きようがなかったっていうか、“落ち着きがなくてどうしようもない”って書きたいところを一生懸命別な言葉で書いたってとこじゃないの。担任としては“ついて行けない”ってことだよ、たぶん」
「確かに沙羅の物事に対する興味っていうのはビックリするほどすごいから、学校の先生くらいじゃついて行けないだろうね。自分の孫だと思っても、なかなか大変。夜もなかなか寝ないでしょ。布団に入っても“じいちゃん、眠れない”とか言って起きて来ちゃう。何か考えてるんだよね。やりたいこともいっぱいあるから、寝たくない。まだ、そのやりたいことっていうのが漫画を読んだり、テレビを見たりっていう、そんな次元だけど、この前も“蓮くんに取ってる子ども新聞取って”って言ってたし、“スキーがやりたい”“スケートがやりたい”“バイオリンが弾きたい”“宝塚を見に行きたい”とか、まったく何の脈絡もなくなんでもやりたいって言ってた。あれ、ただ遊びに行きたいってことじゃなくて、ほんとに何にでも興味があるんだよね」
「そうそう。だからその興味を大事にして、ちゃんと対応してやれば、私たちの言うことにただ逆らうんじゃなくて、自分でやりたいことを見つけて、自分の行動にも責任を持つようになるよね、きっと。様々なものへの興味って、結局個性だから」

孫の沙羅は、私から見ても個性の強い子で、いつも目をぎょろぎょろさせて、何かを見つけています。一見、落ち着きがないように見えるときもあるのですが、二人でゆっくり話をしたり、出かけてみたりすると、決して落ち着きがないわけではありません。沙羅の口癖は「じいちゃん、××してもいい」。とにかくなんでもやってみたい子です。大人から見ると、多少無謀と思えるようなこと(危険なことは危険とわかっているようで、そういうことをやりたいとは言いませんが)にも、意欲的です。

ところが、それに大人が付いていくのが大変で、ついこちらが面倒くさくなると、怒鳴ってしまうことが多くなります。子どもの個性を伸ばすことと、社会性を身につけさせることとは、紙一重な部分があって、どちらか一方を取れば一方が潰れてしまったり・・・。
子どもたちが、油絵、ダンス、俳優、幼児教育、ゴルフと、それぞれまあ、勝手なことをやっている我が家にとっても、孫の二人はさらにスケールアップをしているようで、今後どのように育っていくのか、楽しみでもあり、不安でもあります。
さて今年一年、どんな年になりますか・・・。
2012/01/16(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第488回「大切なものって・・・」

鹿児島の平島(たいらじま)に留学している蓮は正月を我が家で過ごし、1月6日昼の羽田発鹿児島行きの飛行機で平島に帰って行きました。

とは言っても、当初、鹿児島港を6日夜に出る「フェリーとしま」で、平島に向かう予定でしたが、5日に平島の里親さんから連絡が入り、6日のフェリーは悪天候のため出港が一日延期になり、7日に出港とのこと。
6日鹿児島港発、7日平島港着、8日朝平島港発、8日夜鹿児島港着、9日夜鹿児島空港発羽田空港着という送っていく麻耶と沙羅の予定はすっかり狂ってしまいました。麻耶と沙羅が7日の「フェリーとしま」で平島に渡ってしまうと、悪天候により平島に足止めをされてしまう可能性も高いので、6日昼に羽田を発ったあとは、麻耶、蓮、沙羅で鹿児島に1泊し、7日に出港が延期になった「フェリーとしま」に蓮だけを乗せ、その後麻耶と沙羅は鹿児島に2泊し、元の予定の9日夜の鹿児島空港発の飛行機で帰ってくることになりました。
夏休み明けに送っていった時は、3つの台風の影響で10日以上平島に足止めされてしまい、お金も時間も相当使ってしまったので、今回は送っていった麻耶と沙羅はフェリーには乗らないという選択になったのです。

平島の子どもたちは、夏休みや冬休みをほとんど本土で過ごします。正月も例外ではないようで、ほとんどの子どもたちが本土で過ごしていたようで、平島に向かうのは蓮の乗るフェリーと同じ便。そんなこともあり、安心して一人でフェリーに乗せることができました。娘の麻耶の話では、「港に着いたとたんユウト君を見つけて一緒にどこかに行っちゃったよ」とのこと。
沙羅が言うには「蓮くん“さよなら”も言わないで船に乗っちゃった」らしく、こっちに帰って来ている間は、平島に帰るのはいやだとか言い出すのでは?とずっと心配していたのですが、どうやら蓮の気持ちはまったく違うところにあったようです。
今回はそれほどの荷物があるわけではなかったのですが、麻耶と沙羅の帰宅が、沙羅の小学校の始業式の前日になってしまうこともあり、羽田まで車で迎えに行ってやることにしました。
私はそんなつもりでいたのですが・・・

鹿児島に泊まっている麻耶から妻のところにメールが来ました。
「明日は22時15分の羽田着の予定です。蓮がいないと静かだなあ・・・」
「明日はそんなに遅いんじゃ大変だなあ。じいちゃんは(羽田に)行くと言ってる」
「わざわざ迎え来なくても・・・。蕨までの迎えでいいと思うけど・・・」
「じいちゃんは行く気満々だよ! “その時間じゃ、行くっきゃないだろ”とか言っちゃってさ。玄関に翔にもらったかわいい熊の形したカーシートが置いてあったら、それ見て、“なんだか沙羅思い出しちゃったよ”って夕べ言ってた」
「沙羅は空港まで迎えに来てほしいんだって。じいちゃんも来るつもりなら、来てもらえるかなあ? でもじいちゃんはなんでそんなに来る気満々なんだ? 沙羅を思い出して寂しくなったってこと?」
「そりゃあ、かわいくて仕方ないんだよ、おまえも沙羅も!」
「あたしがしゃべれば文句でしか返してこないのに、かわいいと思ってるとは思えない!」
「腎臓病で助からないかもしれないと虎ノ門病院の赤城先生に言われた時は毎日泣いてた。じいさんがだよ。はははっ!」
「昔はね。今はそんなことないね」
「そしてこれからも愛しているよ!」
「どうだか・・・。そんな態度じゃないし・・・」
「大切なものっておまえや沙羅や蓮たち以外に何もないよ! 誓って言うよ、お母さんもパパも。おやすみ」

妻と麻耶がこんなメールのやり取りをしていたとはねえ・・・
ちょっとどこか私の気持ちとは違うような気もするんだけど、まあいいてことにしとこうかな?!
2012/01/10(火)


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2025年4月 5日 (土)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第487回「北風小僧の寒太郎」

「ほんとに軽井沢のアウトレット行くの?」
「行くよ」
「やめた方がいんじゃないの?!」
「なんで?」
「半端じゃなく寒いよ」
「何言ってんの! 平気、平気。このコートあるから」

鹿児島県鹿児島郡十島村の平島(たいらじま)に留学中の孫の蓮が、冬休みの間、帰宅するので、23日に母親の麻耶と妹の沙羅が平島まで迎えに行き、2人が蓮を連れて戻ってくるのは26日ということになりました。
それじゃあその間に軽井沢にでも泊まりに行こうということになり、今日(25日)は軽井沢です。3人が明日午後の飛行機で羽田に到着するので、明日はチェックアウト後、我が家を通り越して羽田まで迎えに行きます。まあ、ちょっとハードスケジュールですけど、タイトなスケジュールはいつものこと。雪大丈夫かなあ、と思いつつ、北軽井沢までやってきました。

23日にタイヤをノーマルからスタッドレスに替えて、「雪はどうですか?」と何度も何度もホテルに問い合わせて、少し前に着いたところです。
ちょうどクリスマスや年末ということもあり、軽井沢とは言ってもスキー場以外にほとんど行くところも思いつかなかったので、妻はホテルに行く前にアウトレットに行くと言って張り切っていました。
もっとも、何かを買おうというわけではなく、カウンセリング研究所のクライエントさんやカウンセラー養成講座の研修生の皆さんの間で何かと話題になるアウトレットというものを見ておこうというようなことなのですが。
そんな話を妻が息子の翔に話すと、最初の会話の通り、翔は寒いからやめろ、と…。

妻は誰かのお古の毛皮のコートを着て、「これがあるから平気」と啖呵を切っていたのですが、いざ軽井沢のアウトレットに着いてみるとあまりの寒さに悲鳴を上げて、
「もう無理! 他の店はいいから、ここに入って入って!」
と大騒ぎする始末。確かに北風が強く、建物の陰になっているところはまだましなのですが、建物の切れ目では、首をすくめてコートの襟で風を遮っても震えてしまう寒さです。それでも私は、高速道路のサービスエリアでホットドッグを食べてきたからいいようなものの、妻はこんにゃく玉の串刺ししか食べなかった(しかも一月ちょっとで10キロ以上体重を落としたせいもあって)ので、体の芯が暖まっていないらしく、人から見たら相当暖かそうなコートを着ているにもかかわらず、「寒い、寒い」の大騒ぎでした。
結局アウトレットはそこそこに、ホテルに向かうことに…。

軽井沢の市街地を抜け、浅間山の方へ向かうと、雪がちらちらと舞い始め、あっという間に吹雪の様相。
12月初旬までは暖かい日が続いていましたが、半ば過ぎくらいから寒い日が多くなり、ここ数日はすっかり真冬になりました。こんな季節になるといつも思い出すのが「北風小僧の寒太郎」という曲。

♪北かぜ~ 小僧の寒太郎~
今年も~ 町までやってきた~♪

この歌、11月5日の朝日新聞の紙面(beの「歌の旅人」)で松原湖(長野県南佐久郡小海町にある湖)の紅葉の写真と共に紹介されていました。
この歌、大好きなんです。演歌のようなこぶし回しで歌うとちょっと雰囲気が出るのですが、やっぱり子どもの歌なんですよね。1972年、NHKテレビ「うたのえほん」という番組の担当だった近藤康弘さんが「子どもの演歌があってもいいよね」と作詞家の井出隆夫さんと作曲家の福田和禾子(わかこ)さんに声をかけて、できたのがこの曲なんだそうです。作詞をした井出さんは風の通り道になっている松原湖周辺で育ちました。それがこの歌の「今年も町までやってくる」ところにつながっていたんですね。

当初、うたのお兄さんだった田中星児さんが歌っていて、「北かぜ~ 小僧の寒太郎~」と歌うとうたのお姉さんだった小鳩くるみさんが「カンタロさ~ん」と合いの手を入れていました。その後は堺正章さんや北島三郎さんに引き継がれていったのです。田中星児さんが歌っていたのをよく覚えているので、一番最初の時から知っていたんですね。もっと古くからある曲だとばかり思っていました。よく考えてみれば、曲の作りはかなり新しいものでしたけれど。

吹雪の中を♪北かぜ~ 小僧の寒太郎~ 今年も~ 町までやってきた~ と歌っていたら、あっという間に今夜泊まるホテルに着きました。
なんだかすっかり子どもに返ったようで、雪道でちょっと怖かったけれど、とても楽しいドライブでした。
北風は寒いけれど、寒太郎と遊んでいると思うと冬も楽しくなりますね。
2011/12/26(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第486回「飲食店でのマナーと子どもの権利」

ここはそれなりに高級な中華料理店。ランチコースでも3000円以上。ディナーなら8000円くらいが最低のところ。サンダル、短パンのような軽装はNG。子どもなんてまずいないところだけれど、3歳か4歳くらいの女の子とお母さん、それにちょっと年配、そう50過ぎくらいの男性が3人で食事をしていました。

子どもが「ママ」と呼んでいたので、女性は間違いなくお母さん。男性は子どもから「じぃーじ」と呼ばれていたので、たぶんお祖父さん。女性との距離も近そうなので、女性の実のお父さんでしょうか。大人二人はランチコース、子どもはお子様メニューを頼んでいました。
とても楽しそうに食事をしていて、幼児にしてはおとなしく、好き嫌いも言わずに何でも食べている様子です。お母さんも優しくて、子ども用の取り皿に食べやすいようにいろいろなものを取り分けてやっています。
「ママー、ワカメもっと!」
うちの子どもたちもそうでしたけれど、何で子どもってワカメが好きなんですかねえ?
もちろん嫌いな子もいるでしょうけれど、野菜は食べないのにワカメを食べる子をよく見かけます。
「ブロッコリーは?」
「食べるー!」
おお、ブロッコリーもこんなに積極的に食べるんだぁ?!
子ども用の焼きそばを食べているんですが、焼きそばに入っている野菜やキノコやエビなどの具や、お母さんの前菜に出たクラゲや鶏肉など、何でも取り皿に乗せてやっていました。

私も経験がありますが、幼児を連れてコース料理を食べるのはけっこう大変なんですよね。コース料理は前の料理を食べ終わらないと次の料理が出て来ない。前菜から始まって、スープ、主菜、ご飯(またはパンや麺など)、デザート、よほど早く食べないと、軽く1時間を超えます。3、4歳の幼児だと、食べる量も少ないし、いろいろ話をしながら味わって食べるなんていうことはないので、もってもせいぜい30~40分というところ。子ども用の料理はもう全て出てしまっているので、男性が店員さんに、「コースの料理もどんどん持って来ちゃってください」と頼んでいました。

お母さんもお祖父さんもかなり気を遣っているのがわかりました。店内はそれなりに空いていて、私の見える範囲にテーブルが十数卓あるんですが、私とその3人の他には、一人で食べている男性と女性ばかり5人のグループしか見えません。見えていないところに、もう一組か二組いたようには思うのですが、私のところからはわかりません。
どうやら子どもはお腹いっぱい食べたらしく、お母さんの隣からお祖父さんの隣に移動したりし始めました。子どもが席から立って、ホールをウロウロしないように、お祖父さんが子どもと手遊びをしています。子どもが喜んで、ちょっと大きな声を立ててしまいました。
女性の店員さんがすっと近寄って、
「申し訳ありませんが、少しボリュームを落としていただけますか」
とニコニコしながら言いました。
あああ、よく見てれば、周りにすごく気を遣っている人たちだっていうことがわかるのに…。
定員さんも「ボリューム」という言葉を使って、柔らかく注意したつもりなんでしょうけれど、黙ってほんの10秒か20秒見ていれば、お母さんかお祖父さんが注意して、静かになったのに…。
サービス業っていうのはなかなか難しいですね。

私がうるさくて気になったのは、その3人ではなく、ずっと同じような甲高いトーンで切れ目なく話し続ける5人の女性(60歳代くらいの)のグループったんです。
店員さんが注意したあとは、まったく子どもの声は聞こえないくらい静かになりました。もちろんマナーを守れず騒ぐ子どもはまずいですけれど、「子どもの入店お断り」じゃないんだから、子どもにだって楽しく話をしながら食事をする権利を与えてもいんじゃないでしょうか。
2011/12/19(月)


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