2025年4月 8日 (火)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第500回(最終回)「蓮くん、我が家に戻る!」

「蓮はどうしたいの?」
「この前、電話で話した時は、帰るって言ってたよ。でも、まだ気持ちが揺れてるみたいだね。蓮以外の4人の男の子のうち、担任の先生のお子さんは先生の移動でどうなるかわからないんだけど、後の3人の男の子は島に残ることに決めたんだって。それを聞いたら、戻るって決めてた蓮の気持ちも揺れちゃったみたいよ。学年は違うけれど、蓮が一番下で、みんな弟みたいにかわいがってくれてたから。レストランもない、コンビニもない、お店もない、レジャー施設もない、とにかく何にもない中で、島の人たちの心の温かさはどこにもないくらいいっぱいだから、蓮にとっては新鮮で、居心地もよかったんだと思う」
「やっぱり、迷うだろうなあ…」
「そうよね」

昨年の4月に「鹿児島県鹿児島郡十島村平島」(としまむらたいらじま)(http://www.tokara.jp/index.html)に留学した孫の蓮は、1年間の留学を終え、我が家に戻ってくることになりました。留学の仲介をしてくださった十島村教育委員会の教育長さんをはじめ、教育委員会の皆さん、蓮を温かく迎えてくださった平島の皆さん、そして里親を快くお引き受けくださった日高さんご一家にはお礼の言い様もないくらい感謝しています。
1年間、平島小中学校の最上級生として蓮の面倒を見てくれた日高さんのお嬢さんも、無事鹿児島市内の高校に合格し、4月から自宅を離れ新たな生活の一歩を歩み始めたそうです。
まさか孫の蓮がこのような出会いを作ってくれるとは…

「ばあちゃん!? 今、鹿児島に着いたよ。今日帰るからぁ!」
妻と携帯電話で話す蓮の声が、隣にいた私にも聞こえてきました。平島に渡った時、弾んだ声で電話をかけてきた蓮。1年前と同じように、鹿児島からの声は弾んでいましたが、その声の調子からは1年前とはまったく違う、成長した蓮を感じ取ることが出来ました。

3月29日午後8時40分羽田着。
「蓮、おかえりー!」
「ただいまー!」
蓮が帰ってきました。お正月にも戻ってきてはいたのですが、帰宅を決心して戻ってきた蓮には、親元を離れ1年間一人で平島で過ごした自信のようなものがみなぎっていました。
この1年間の経験は、蓮にとっても、母親の麻耶にとっても、妹の沙羅にとっても、そして私たち祖父母にとっても、大切で貴重な経験になりました。

蓮が戻った翌日、妻が食卓の上にあるビニール袋を手にとって、
「これ、なあに?」
と聞きました。
「それ、するめだろ?この前、原山のばあさん(私の母)がよこしたの」
「これがぁ?」
不審そうに妻が袋から取り出したものは、40センチくらいの白い板のようなもので、ラグビーボールをつぶしたような形をしています。
「あれっ? 違う違う。それはどう見てもするめじゃない。それ、何っ?」
と私が言うと、遠くの方から蓮が、
「イカの骨だよ」
イカの骨かあ…。こんなもん、見たことない!
そういえば、平島から釣り上げたイカの写メを送ってきたことあったっけ。
「10キロ以上あるんだよ」
蓮が言いました。
私がしたこともない経験を小学4年の蓮がしてきたんだなあ、とつくづく感心しました。
子どもや孫の成長は私たち大人の想像をはるかに超えています。子どもが自ら育つ力を信じ、そっと見守ることが子育てなんですね。

昨年から我が家にはいろいろな動きがありました。長男の努は、20年間所属していたオーストリアやドイツの市立劇場の舞踊団を退団してフリーになり、三男の翔は、初めて日本アマチュアゴルフ選手権の決勝ラウンドに進み、国体での団体優勝も果たしました。そして、今日、4月1日は、昨年32歳になった娘の麻耶が3月に大学を卒業し、新たな一歩を歩み始め、孫の蓮は前述の通り…。
そして私は、10年、500回を迎えた連載を終え、今日、ペンを置くことにしました。いや、パソコンを閉じることにしました。かな?

ご愛読いただいた皆様、本当に長い間ありがとうございました。
また、違った形でお目にかかれる日が来ることを楽しみにしています。
よしっ! 連載も終わったことだし、明日から長~い旅に出るぞーっ! 
2泊3日ですけどね! 
それでは、(⌒∇⌒)マタネー!!

2012/04/09(月)


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第499回「教育はどこへ行く その3」

2002年3月12日にこの連載を始めて10年あまりが経ち、ちょうど区切りのいい次回第500回で「子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-」を終了することにしました。これだけの字数の文章を毎週更新するというのはけっこう大変で、私の生活にかなり変化を与えましたが、それはそれで、楽しい機会を与えていただいたと思っています。

さて、ちょうど10年目、まさに連載を終えようとしている時に、今後の「教育行政」に大きな影響を与えるかもしれない大阪府の教育基本条例案が可決成立したことは、何か因縁めいたものを感じます。今回まで3回連続で取り上げている「教育はどこへ行く」は、実は朝日新聞の記事を見て、それを基に1回で完結させるつもりだったのですが、「落ちこぼれゼロ法」と「大阪府教育基本条例」をいろいろ調べているうちに、500回にわたる連載の中で、私が述べてきたこととの関わりを強く感じて、だんだん伸びてしまい、とうとう3回目まで来てしまいました。

教育基本条例(私の含め、正しい理解がされているかは甚だ疑問ですが)については、かなり国民の意見も割れているというのが現実だろうと思います。マスコミ各社も割れていて、私がこの問題を取り上げるきっかけになった朝日新聞は反対姿勢、ネットを見ると毎日放送は報道特集で批判的な番組を放送していたらしいですから、毎日新聞、TBSは反対? 産経新聞はこういった条例を全国に広げようという主張をしていますので、賛成。読売がどうなのかは確認していませんが、日の丸・君が代の問題からすれば、当然賛成なんでしょう。朝日新聞は社としては反対なんだろうと思いますが、テレビ朝日の番組の中には連日橋下市長の動向や主張を取り上げている番組があるらしいので、社の方針だけで動いているのではなく、テレビという媒体の性質から、視聴率やプロデューサー、出演者に影響されているものもあるようです。

私は、これまでずっと述べてきたように、教育行政や学校・教師の姿勢、教育の閉鎖性などという問題については、非常に批判的なので、そこを正そうとする教育改革の方向性は理解できます。
既得権益というか、職場の環境を守ろうとする教職員の人たちの中には、この条例に強く反対する人たちが多くいると思いますが、公教育に関わる人たちの感覚と、保護者を中心とする社会一般(もちろん教員も社会一般人ですが、そういった関係の人を除く人という意味で)の人たちの感覚のずれが、今回の条例がそれなりの支持を集める結果につながっているんだろうと思います。
長年、問題を指摘されながら、なかなか状況を変えられない教育現場のツケとも言えるのでしょう。もっとも橋下市長は教職員組合だけをことさら批判していますが、私は組合であろうとなかろうと、全く同じことだろうと思います。

とはいえ、私はこの条例に大きな危惧を抱いている一人です。それは、教育が政治主導で行われていいのかという疑問を強く持っているからです。
憲法に規定する基本的人権の教育を受ける権利を覆すということでないとすれば、政治が教育に深く立ち入るということは、その時々の政党、政治家によって教育が支配されるということで、憲法上許されないと思っています。
法律論でいうとややこしい部分がありますが、まあ今の日本では考えられないことですが、たとえば社民党や共産党が政権を取ったら(市町村レベルなら絶対ないとは言えないかもしれませんが)、全く逆になっちゃっていいのか、教育ってそんなもんなのかということです。公教育は本来、普遍的であるべきと考えるのですが、どうも今回の条例はそうは思えない。それだけではなくて、公教育でどういう子どもを育てるかという部分で、経済優先の人間教育になっているように感じる。
経済優先で教育を考えた場合、たとえば米国の「落ちこぼれゼロ法」のように競争や数値化で教育行政を進めるようなことが起こるんでしょうが、それは「落ちこぼれゼロ」どころか、必ず落ちこぼれを生むという強い確信を持っています。経済優先の教育は、「人」を育てるというより、むしろ経済構造の中の一つの歯車を作ることに他なりません。

私は、教育や子育ては、思春期くらいまでは母性的(女性という意味ではなく男性の中にもある母親的な感覚)な関わりが中心であるべきと考えていますが、競争原理を中心に教育を行えば、それとは全く逆の方向に進んでいってしまいます。今回の条例は、母性的な感覚を排除していると感じてなりません。私の感覚では、それはとても怖いことです。

教育基本条例案の可決により、教育が一歩政治主導の方向に踏み出したことになるのでしょうが、競争や数値ばかりが前面に出て、ぎすぎすとした世の中にならないといいのですが・・・。

政治がこういう方向に舵を切り始めた時だからこそ、家庭の中では優しさいっぱいの子育てをしたいですね。人と人とが関わる時に、他人を思いやる優しさ以上に大切なものはないですから。
2012/03/26(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第498回「教育はどこへ行く その2」

ブッシュ政権で教育調査官を務めたニューヨーク市立大のダイアン・ラビッチ教授による、「すべての子どもたちに基礎学力をつける」と聞いた時は感激したが、現実にはそうはいかず、4年後から反対に転じたといい、「落ちこぼれゼロ法」の失敗の理由を二つあげています。

一つは、学力の低い子ほど、最寄りの学校で家の事情も知る慣れた先生に教えてもらいたがる現実を無視して学校のランク付けをしたことで、下位の子の自尊心を傷つけ、やる気を失わせたこと。
もう一つは、ノルマを果たせなかった学校の改善がうまくいかず、テストのための教育が広がり、自分で考える力を失わせてしまったこと、と言っています。

「落ちこぼれをなくす」という理念について、反対する人はほとんどいないと思います。私もまた、公教育の目指す方向の一つとして、「落ちこぼれをなくす」という理念が重要であると思います。ただ、ここで問題なのは、どんな子どもが落ちこぼれかという「定義」と、どうやって落ちこぼれをなくすかという「方法」です。
当然のことながら、落ちこぼれの「定義」が違えば、それをなくすための「方法」ももちろん違うわけですから、第一義的には「定義」が重要ということになりますね。

子育てをしていると、遺伝的にはとても近い自分の子どもたちでも、子どもによって、それぞれまったく違った個性を持っていることを感じます。遺伝的には近いわけだし、育っている環境もまったく同じ(生まれてきた順序を除けば)なわけだから、他人から見れば多くが似ているのでしょうが、親から見ればそれぞれの子どもによってまったく違った個性を感じます。食べ物の好みですら、正反対なんて感じることだってあります。
子どもたちにはそれぞれ個性があって、向き不向きが全く違うにもかかわらず、それを無視して、「落ちこぼれゼロ法」と「大阪市の教育改革」は、「落ちこぼれ」を考える基準を限りなく「学力」に限定してしまっていることが大きな問題点です。
「落ちこぼれゼロ法」と「大阪市の教育改革」について、「学力とは何か」と問えば、どちらも「テストで何点取れるか」という定義になるのでしょう。橋下市長の発言を聞いていると、「優秀な子=高偏差値な子」ということでほぼ一貫しているように感じます。

「テストでいい点を取れる」ということが、「人間の価値か」ということは、いつの時代も問題になることです。米国の母親が「学校はテストのための勉強ばかり」と言っていることや、ラビッチ教授が「教育技術を学んだ教師を送り、テストの点を上げる反復練習を繰り返した結果、一時的に点は上がった学校もあった。だが、長続きしなかった。テストのための教育が広がり、自分で考える力を失わせてしまった」と言っていることから、どうやら日本も米国も同じことのようです。

私は「テストの点の悪い子」を落ちこぼれの「定義」と考えたくはないのですが、百歩譲ってそう考えたとしても、「落ちこぼれゼロ法」が落ちこぼれをなくすことに適切な法律であるのかといえば、ラビッチ教授の話から、どうやらそうでもなさそうだということがわかります。

中学3年生の中ごろに、偏差値35~40程度に低迷している、俗に言う「落ちこぼれ」という子どもたちに勉強を教えていた経験から言わせてもらうと、明らかに学習障害と言われる子どもを除けば、こちらのアプローチ次第で、1~2ヶ月で全員が偏差値で10、順位で言えば100人中後ろから4、5番だった子がほぼ真ん中くらいまで上がります。
これには、「こつ」、言い換えれば「技術」があるわけですが、実は「技術」よりもっと重要なものがあります。それは教える側と教わる側の「信頼関係」です。信頼関係を築けない子どもは、脅しても、罰を与えても、100%うまくいきません。教える側の空回りに終わるだけです。テストの点を上げるには、本人のやる気が何よりも重要な要素であり、「落ちこぼれ」と言われる子どもたちのやる気は、脅しや罰はもちろん、教えることの技術だけでは到底引き出せないからです。

つづく
2012/03/19(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第497回「教育はどこへ行く その1」

先週の日曜日、朝日新聞朝刊に「学校に競争 米改革不評」との見出しで、10年前にブッシュ政権が作った「落ちこぼれゼロ法」の記事が載っていました。「落ちこぼれゼロ法」というのは、教育から格差をなくすという理念のもと、学校に競争と淘汰を導入するというもの。学力アップにノルマを課し、果たせなかった学校を閉校または民間委託にするというものです。

具体的には、3~8年(日本の小3~中2)に毎年英語と数学のテストを受けさせ、12年後に「良」をとる生徒が100%になるよう目標を設定。2年続けて目標達成ができなければ、保護者は子どもを転校させることができる。4年連続教職員の総入れ替え。5年なら、閉校か民間委託にします。
この方式でいけば、ダメな学校(「良」を取れない子をなくせない学校)はすべて閉校か民間委託となり、ダメな学校は残らないわけだから、落ちこぼれはいなくなる、ということだったようです。
では、実際はどうなったのか・・・。

ニューヨーク州ブルックリンの高校で開かれた教育委員会での市当局の話では、州のテストで「良」を取った子の割合が、この10年で、英語30% → 44%、数学30% → 57%になったとのことですが、教職員組合は、国のテストの成績が横ばいであることを根拠に「達成率が上がったのは州のテストが難易度を下げたから」と主張しています。
このような議論が続く中でも、学校の統廃合は進み、教職員組合によると、市内の公立小中高校の1750校のうち150校が閉校になり、市内の教職員の4分の3に当たる6万6千人が定年に加え、強制的な配置転換や激務によるうつ病で退職したそうです。(朝日新聞参考)

以前から、朝日新聞の教育問題に対する論調は、極端に教職員寄りなので、廃校や退職した教職員の数字の正確さはともかく、閉校の原因が単純に「落ちこぼれゼロ法」による基準によるものであり、教職員の退職の原因が「落ちこぼれゼロ法」による強制的な配置転換や激務によるうつ病であると決めつけることはできません。
とはいえ、格差是正を競争だけに頼って行おうとした、この「落ちこぼれゼロ法」は、まったく教育の本質を見誤ったもので、結果として閉校や教職員の退職が起こったということもかなり真実に近いものである気がします。

ある高校の体育教師は「この10年、市内はテストの数字を基に教師を責めるばかり。貧困家庭の子どもの状況は何も改善されていない」と言い、5人の子どもを持つ母親は「学校はテストの勉強ばかり」と憤る。学校では英語と数学の授業が増え、音楽、美術、体育の授業が減った。毎日同じCDを流して単語書き取りと計算ドリルをやらせる。要するに、点数を追い求めるあまり、機械的な学習を増やしているということです。

日本では、大阪市の橋下市長が打ち出している教育改革が、この「落ちこぼれゼロ法」によく似ていると指摘されています。
たとえば、「学力テスト」をどう利用するかという点では、米国は、「学校別に結果を公表し、保護者はそれを基に学校を選択」、大阪市は「保護者が小中学校を選べるよう、学校別に結果を開示」。
「教員の評価」については、米国は「テストの結果が4年連続で目標に達しない場合、教員を総入れ替えする」、大阪市は「保護者の申し立てや校長の評価で、不適格教員を現場から外して研修」。
「学校の統廃合」については、「5年連続で目標に達しない場合や卒業率が低い学校は閉校」という米国に対し、大阪市は「3年連続で定員割れした府立高校は再整備。
小中学校でも学校選択制により選ばれなかった学校は統廃合も考慮」、児童生徒の「留年」については、米国は「テストの結果が標準に達しない子は低学年から留年させることができる」、大阪市は「小中学校で、学力不足の子の留年を検討する」。
まあ、ここまででもよく似てるんですが、バウチャー制度は、米国は「テストが2年連続で目標に達しない場合、塾や家庭教師に使えるバウチャーを支給」、大阪市は「所得が低い地区のこの保護者に、塾や習い事に使うバウチャーを支給」。所得格差は、学力格差と言われていますから、結果としてはほぼ同じ内容のように思います。
教育委員会の位置づけは、米国は「シカゴ、ニューヨークなどの大都市で市長直属に」、大阪市は「教育の基本計画は首長が教育委員会と協議して作る」となっています。
全体的な方向性としては、ほぼ同じといってもいい内容です。果たして、問題はないのか、教育はこれで変わるのか・・・

つづく
2012/03/12(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第496回「子どもに何を、いつ、どう与えるべきか」

「このテーマで、この振り付けを子どもに踊らせるのは無理がある気がするなあ…。技術的には子どもたちはとっても上手いし、振り付けられた通りに一生懸命踊ってるけど、テーマや振り付けの意味を理解してるかっていうと、どうなんだろっ? たぶん、理解してないんじゃないかなあ? ただ一生懸命踊ってるっていう感じ」
「伸びゆく彩の国さいたまの子供達によるバレエ・モダンダンスフェスティバル」を観ていた時の感想です。

今年は先月行われたローザンヌ国際バレエコンクールで、21人のファイナリストのうち5人が日本人、さらに神奈川県厚木市の高校2年生、菅井円加さんが優勝したということもあって、子どもたちの通うクラッシックバレエあるいはモダンダンスの教室の指導者の皆さんも、かなり熱が入っているようで、とてもハイレベルな舞台を見せてくれました。

とはいえ、いろいろ感じることはあって・・・
「この衣装、踊っている子どもに合わせたっていうより、指導者の好みっていうか趣味っていうか・・・。子どもをかわいいだけの子ども扱いしないっていうことも大事だけれど、衣装も含めて、子どもらしくっていうか、子どもが自分の表現として踊れる次元でっていうことも大事だと思う。今の衣装は子どもの次元に合ってない。たぶん、指導している人が自分自身表現したいことや自分の好みを衣装を使って表現したんだと思う。踊り手が子どもである必然性みたいなものを感じないもん」

自分が指導したり、踊ったりするわけでもないのに、偉そうに勝手な批評ばかりしているわけですから、指導者の皆さんも、たまったもんじゃないですね。
勝手なことばかり言ってすみませんm(_ _)m
プロとして踊っている息子やプロとして演劇をやっている息子にも厳しいので、まあちょっと勘弁してもらって・・・。

金曜日に、TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ」を聴いていると、本日のニュースランキングのコーナーで「子育て支援法案の骨子を政府が決定 総合こども園を創設」という話題を取り上げていました。学習院大学経済学部教授、鈴木亘氏によると、

「当初、消費税値上げにより7000億円の予算を捻出し、すべての幼稚園を総合こども園にすることで待機児童対策とする予定だったのに、今回の決定では、消費税を上げても、あらかじめ7000億円のうち3000億円は待期児童対策に使わないことが決まっている上(消費税を上げることが前提の法案です)、残りの4000億円もすべて待機児童対策に使われるわけではない。しかも、現状の待機児童は0~2歳児が8割を占めているにもかかわらず、幼稚園は幼稚園としての存続を認め、3歳児以上を預かればいいことになっており、保育園を総合こども園にしたところで、待機児童対策にならない骨抜き法案になってしまった。待機児童対策が法案の看板ということになってはいるが、偽りの看板といった方がいいと思う」

とのことでした。なかなかここまで詳しく解説されることはないので、法案の中身が大変よくわかりました。これに関連して、首都大学東京教授、社会学者の宮台真司氏が、「幼稚園が3歳児未満を預からないというのは待機児童対策になっていない」と鈴木氏に同調した上で、幼稚園と保育園の中身の違いに言及し、

「もともと幼稚園が保育をするということだったのに、保育園を幼稚園に近づけるという話になった。私は、保育園とか保育所というところが好き。それは教育をしないから。保育園や保育所のように子どもには、預かって遊ばせるということが大事。ちびっ子に、行儀とか礼儀作法とか、集団行動みたいなうんこみたいなこと(集団行動を金魚の糞にたとえていった言葉だろうと思います)を教えているのは日本だけ。(ここで荒川強啓氏が「(行儀とか礼儀作法も)大切だよ」と言葉を挟むのですが、それを「違います!」と強く否定して)集団行動というのは、実は楽。集団行動が一切なしのところだと、朝、行ったらまず誰と遊ぶかっていうところから考えなければならない、そういうところで社交性も身につくし、依存よりも自律的的メンタリティに近づいていく。幼稚園で教育とか、ちびっ子に教育なんてどうだっていい、そんなの適当でいい。我々(大人)が、子どもたちが集団的に保護されるような社会的責務を果たすということが大事なわけで、子どもをちゃんと保護して親が安心して働けるようにすることが求められている」
と、かなり強い口調で主張していました。

これは、以前から私が主張していたことと重なるわけで、私も、宮台真司氏が子どもを通わせている「まったく集団行動のない幼稚園」とほぼ同様な幼稚園に翔(かける)を通わせていたわけです。
「幼稚園で早期教育をしないと小学校に入学した時、勉強について行けない」という人も多いわけですが、そういう幼稚園に行っていたからといって、小学校での学力が問題になったということは全くなかったわけで、むしろ子どもの発達段階に合わせて、何を子どもに与えるべきかという点で考えれば、幼児教育では、宮台氏が言うように「朝、行ったらまず誰と遊ぶかっていうところから考える。
そういうところで社交性も身につくし、依存よりも自律的的メンタリティに近づいていく」という部分なんだろうと思います。
もちろん、大人が段取りをして与えるということではなく、「教育をしない」というやり方で。逆に言えば、そこが欠けているから行儀や礼儀作法が欠けた人間に育ってしまうと言ってもいいのかもしれません。
子どもが、他者という存在を意識し、理解する前に行儀や礼儀作法をただただ形式的に教えてしまうので、行儀や礼儀作法の本当の意味を理解できない。そんなことが起こってしまうんだろうと思います。部活動でスポーツをやっている子どもたちが礼儀作法やモラルに厳しい教育を受けているにもかかわらず、しばしば事件を起こしてしまうのも似ていますよね。

バレエとモダンダンスの話に戻ると、子どもたちに、今、何を与えるのかと考えた時、振り付けや衣装など、むしろそういった芸術的なものこそ、「依存よりも自律的的メンタリティに近づいていくことが大事」という点において、子どもの発達段階に合わせた対応をしないと、個性のない物まねだけの踊り手になってしまうんだろうと思います。
2012/03/05(月)


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2025年4月 6日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第491回「炭起こし」

一昨日の晩から、孫の沙羅が
「じいちゃん、日曜日学校来て!」と騒いでいました。
「何があるの?」
「七輪で炭起こしてお餅焼いて食べるの」
「ああ。去年だったか一昨年だったか、蓮がやったやつね」
「そう。じいちゃん、来られる?」
母親の麻耶も行くらしいので、私が行く必要もなさそうなんですが、なぜか沙羅は私にこだわっていて、
「ん~、仕事あるしなあ…」と言っても、
「なんとか来られないの?」
そんなこと言われては都合をつけないわけにはいかず、なんとか行ってやることにしました。

沙羅の中では、いろいろなことがそれぞれ誰にふさわしいかという考えがあるようで、「七輪で炭をおこして餅を焼く」ようなこと、要はアウトドア系のことは私ということのようで、「来てね、来てね」と何度も念を押される始末。そういえば、蓮の時も私と麻耶で行きました。みんな炭には慣れていないようで、七輪の中にぎゅうぎゅうに新聞紙と割り箸を突っ込み、さらにその中に炭を突っ込み、まるで火事のように七輪から高い炎を上げて炭起こしをしていたのを覚えています。

その時学校から配られたプリントには、新聞紙と割り箸に火をつけたら、そこへ炭を入れ、七輪の下の方にある空気窓からうちわであおいで風をたくさん送るように書いてありました。実際にやってみればわかるんですけれど、これは大きな間違い。炭が充分赤くなって、上から炭を足す場合は、それでもいいのですが、新聞紙と割り箸を燃やした直後に下の窓からうちわで風を送ると、新聞紙の燃えかすが一気に上に舞い上がってしまいます。
うまく火を起こすには、新聞紙と割り箸にほどよく火が回ったところで炭を入れ、新聞紙と割り箸の火がほぼ消えるくらいまで待って(炎が収まったころには炭の角の部分にはやや火が移っています)、なるべくうちわを七輪に近づけ、一気に上からあおぎます。
この時のこつは、うちわで送った風が効率よくすべて七輪の中に入るように、できるだけうちわを七輪に近づけ、小刻みになるべく強く(腕が痛くなるくらい)あおぐこと。こんなに勢いよくあおいだら消えてしまうんじゃないかと不安になりますが、強くあおげばあおぐほど、炭のはじに着いていた火が広がり、ぱちぱちと音をあげ始めます。
「ぱちぱち」音がし始めたらあおぐのを止め、炭から炎が上がるのを確かめれば炭起こしは終了。七輪の炭を起こすくらいなら、まあ1~2分もあれば充分ですかねえ。
どのグループも配られたプリントを見ながら、その通りやろうとしてなかなかうまくいかず、いくつかのグループは私が手伝いました。

今日は、そのようなプリントはなくて、模造紙様のものに手順が書いてあるだけ。しかも蓮の時に比べれば、炭のおこし方についての説明はおおざっぱ。説明がおおざっぱなことで、どのグループも試行錯誤しながらとはいえ、大人の知識をフルに発揮して炭起こしをしていたので、逆に蓮の時よりはうまくいっているようでした。

今日とてもおかしかったのは、私が新聞紙と割り箸が燃えている中に炭を入れようと、ビニール袋から素手で炭を出したとたん、若い女性の先生に「あぶない」と言われたこと。私に言ったのかどうかは定かではないけれど、うちのグループでその瞬間に何かしようとしていたのは私だけ。沙羅もその先生の言葉が私に向けられたと感じたらしく「じいちゃん、軍手した方がいいよ」と言いました。そんなことから考えると、おそらく私に向けられた言葉かと・・・。先生は「炭はトングでつかむもの」と杓子定規に思っているらしく、素手でつかんでは、何か危険(手を切る? 七輪に入れる時にやけどする?)と感じたのでしょう。

私が炭を素手で持ったのは、素手で持つことでその炭の特徴というか、性質というか、そんなものを感じて、餅を焼くにはどれくらいの炭を七輪に入れるかとか、この炭の火力はどれくらいかといったものを知りたかったわけですが、炭はトングで挟んで入れるものと思っている若い先生にはちょっとそこまではわからなかったようです。

無事、1~2分で炭起こしは終了、あっという間にお餅も焼けて食べ終わりました。うちのグループが片付けに入ろうかというころ、まだ炭を起こしているグループもありましたので、いかに早く作業が済んだか…。でも、こういう作業というのは早く済めばいいというものでもなくて、他のグループと同じような早さで作業を進めることも、ある意味大事なことなので、今日については大成功のような、大失敗のような・・・。

私が子どものころ、まだ学校のストーブは石炭のだるまストーブ。クラスの誰もがストーブ当番というと紙に火をつけ、薪に火をつけ、石炭に火をつけ、という作業をしていたものです。今日も七輪の中にぎゅうぎゅうに新聞紙を突っ込み、その上に牛乳パックをちぎったものを突っ込み、さらに炭を突っ込み、その周りにまるで何かの宗教の儀式のように割り箸をいっぱい直立させているのを見ると、思わず吹き出しそうになりました。あまりに炭を起こしすぎたところは、お餅が真っ黒焦げになってしまったんですよね。
これはなかなか経験がないとわからないことですけど、餅を焼くにはほとんど炭はいらないんです。だからこういう経験をさせているんでしょうけれど、先生方もあまり慣れていないようで、まだまだ皆さん修行が足りないというところでしょうか(笑)

もし、七輪でお餅なり、肉なり、サンマなり、焼いてみたい人は、ぜひ前述のやり方、試してみてください。間違いなく、炭起こしに3分とかかりませんから。
2012/01/30(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第488回「大切なものって・・・」

鹿児島の平島(たいらじま)に留学している蓮は正月を我が家で過ごし、1月6日昼の羽田発鹿児島行きの飛行機で平島に帰って行きました。

とは言っても、当初、鹿児島港を6日夜に出る「フェリーとしま」で、平島に向かう予定でしたが、5日に平島の里親さんから連絡が入り、6日のフェリーは悪天候のため出港が一日延期になり、7日に出港とのこと。
6日鹿児島港発、7日平島港着、8日朝平島港発、8日夜鹿児島港着、9日夜鹿児島空港発羽田空港着という送っていく麻耶と沙羅の予定はすっかり狂ってしまいました。麻耶と沙羅が7日の「フェリーとしま」で平島に渡ってしまうと、悪天候により平島に足止めをされてしまう可能性も高いので、6日昼に羽田を発ったあとは、麻耶、蓮、沙羅で鹿児島に1泊し、7日に出港が延期になった「フェリーとしま」に蓮だけを乗せ、その後麻耶と沙羅は鹿児島に2泊し、元の予定の9日夜の鹿児島空港発の飛行機で帰ってくることになりました。
夏休み明けに送っていった時は、3つの台風の影響で10日以上平島に足止めされてしまい、お金も時間も相当使ってしまったので、今回は送っていった麻耶と沙羅はフェリーには乗らないという選択になったのです。

平島の子どもたちは、夏休みや冬休みをほとんど本土で過ごします。正月も例外ではないようで、ほとんどの子どもたちが本土で過ごしていたようで、平島に向かうのは蓮の乗るフェリーと同じ便。そんなこともあり、安心して一人でフェリーに乗せることができました。娘の麻耶の話では、「港に着いたとたんユウト君を見つけて一緒にどこかに行っちゃったよ」とのこと。
沙羅が言うには「蓮くん“さよなら”も言わないで船に乗っちゃった」らしく、こっちに帰って来ている間は、平島に帰るのはいやだとか言い出すのでは?とずっと心配していたのですが、どうやら蓮の気持ちはまったく違うところにあったようです。
今回はそれほどの荷物があるわけではなかったのですが、麻耶と沙羅の帰宅が、沙羅の小学校の始業式の前日になってしまうこともあり、羽田まで車で迎えに行ってやることにしました。
私はそんなつもりでいたのですが・・・

鹿児島に泊まっている麻耶から妻のところにメールが来ました。
「明日は22時15分の羽田着の予定です。蓮がいないと静かだなあ・・・」
「明日はそんなに遅いんじゃ大変だなあ。じいちゃんは(羽田に)行くと言ってる」
「わざわざ迎え来なくても・・・。蕨までの迎えでいいと思うけど・・・」
「じいちゃんは行く気満々だよ! “その時間じゃ、行くっきゃないだろ”とか言っちゃってさ。玄関に翔にもらったかわいい熊の形したカーシートが置いてあったら、それ見て、“なんだか沙羅思い出しちゃったよ”って夕べ言ってた」
「沙羅は空港まで迎えに来てほしいんだって。じいちゃんも来るつもりなら、来てもらえるかなあ? でもじいちゃんはなんでそんなに来る気満々なんだ? 沙羅を思い出して寂しくなったってこと?」
「そりゃあ、かわいくて仕方ないんだよ、おまえも沙羅も!」
「あたしがしゃべれば文句でしか返してこないのに、かわいいと思ってるとは思えない!」
「腎臓病で助からないかもしれないと虎ノ門病院の赤城先生に言われた時は毎日泣いてた。じいさんがだよ。はははっ!」
「昔はね。今はそんなことないね」
「そしてこれからも愛しているよ!」
「どうだか・・・。そんな態度じゃないし・・・」
「大切なものっておまえや沙羅や蓮たち以外に何もないよ! 誓って言うよ、お母さんもパパも。おやすみ」

妻と麻耶がこんなメールのやり取りをしていたとはねえ・・・
ちょっとどこか私の気持ちとは違うような気もするんだけど、まあいいてことにしとこうかな?!
2012/01/10(火)


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2025年4月 4日 (金)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第480回「幼稚園の送迎バスが押しつぶされた被災地、石巻市門脇町から」

<5月29日掲載 河北新報ニュース抜粋>
(http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1072/20110529_01.htm)

 激震に襲われた門脇小。学校にいた児童約230人は校庭から墓地脇を抜ける階段を使い、日和山に避難した。日頃の避難訓練は津波を想定し、日和山に逃げることを鉄則としてきた。
 校庭にいた佐藤裕一郎教頭(58)は、住宅街の電柱が次々となぎ倒されるのを見た。津波が押し寄せてくることが分かった。校庭に避難していた住民約50人を校舎に誘導。間もなく、焦げた臭いと煙が漂ってきた。
 津波と火の手はすぐ近く。校庭からは逃げられない。職員は教壇を橋のように校舎裏の斜面に立てかけ、日和山方面へ逃げようと試みた。
 2階窓から脱出し、ひさしから教壇を渡した。地上からの高さは約2メートル。お年寄りも多かった。「山側に渡れば助かる。そう信じていた」と佐藤教頭。教職員と住民は手を取り合い、幅約1メートルの教壇を渡った。
 上へ、上へ。住民が安全な場所を求めて日和山へ急ぐさなか、1台のワゴン車が日和山から門脇町、南浜町地区へ向かって走っていた。
 日和幼稚園の園児12人を乗せた送迎バス。地震直後に園を出発し、南浜町などを回り5人の子どもを降ろした後、避難者でごった返す門脇小校庭に停車した。
 「バスを戻せ」。当時の園長、斎藤紘一さん(66)の指示を受け、幼稚園から教員2人が小学校脇の階段を駆け下りた。バスに追いついたが、園児を連れ戻すことはなかった。
 バスは再び出発した。途中、迎えに来た母親に園児2人を引き渡した。日和山に通じる坂の上り口で、バスは津波にのまれ、流された家に押しつぶされた。
 門脇町・南浜町地区一帯はすっかり炎に包まれ、13日午後6時ごろまで燃え続けた。
 14日、バスに乗っていた5人の園児は変わり果てた姿で見つかった。
 蛇田の佐々木純さん(32)は次女明日香ちゃん(6)を亡くした。「奪われずに済む命だった」。現場に行くたび、切なさがこみ上げる。

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今日(11月6日)、宮城県石巻市に来ました。
被災地を訪れるのは初めてです。そしてたった今、上記の石巻市立門脇小学校に行ってきました。
妻が、被災した方々、避難している方々に対する傾聴ボランティアに参加しているため、少しでもその方々のお気持ちに近づけるよう、どうしても被災地が見たいというので、とてもタイトなスケジュールではありますが、1泊2日で仙台から釜石くらいまでを視察してこようということになり、やってきました。
ここ、石巻市門脇町・南浜町地区は、ほとんど家がありません。完全に津波に流され、家の基礎を除けば、残骸すら存在しない家がほとんどで、家のないところを見るとただの空き地と錯覚するくらいの状態です。むしろ、かろうじてすべてを流されずに残った家を見ると、逆に津波の恐ろしさがわかるという奇妙な状態になっています。
多くのところで手を合わせ、黙祷して、写真やビデオを撮りました。この悲惨さを映像でお伝えできないのが残念です。門脇小学校は、津波による破壊だけでなく、津波によって流されてきた自動車などが積み重なり、そこから漏れたガソリンに引火して、火災を起こしました。そして3日間燃え続け全焼しました。その全焼した校舎は、見るも無惨な姿のまま、いまだにそこに残されています。
震災からすでに8ヶ月。たった一つの地域を見ただけでも、「高台移転」などという言葉がむなしく聞こえるほどのおびただしい数の家がなくなってしまったことがわかります。そんなことがいったいどうやって可能になるんだろう…。私たちに出来ることはいったい何なのか、被災地を見ることでますますわからなくなりました。門脇小学校の子どもたちが避難できたことが唯一の救いのように感じます。

明日は、現在釜石にお住まいで被災した、息子の翔が中学校でお世話になったサッカー部の顧問だったK先生のお宅や南三陸町、大槌町などを訪ねる予定です。
2011/11/07(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第479回「学校教育はどこに向かってる?」

「沙羅ちゃん、今日音楽会だって?」
「うん!」
「何時から?」
「1時半から」
「午後からなんだぁ! じゃあ、行けるかもしれない」
「うん、わかった! でもね、演奏中は入れないから、遅れると見られなくなっちゃうよ」
「沙羅ちゃんたちは何番目?」
「1番最初。1時半から校長先生のあいさつとかがあって、それが終わったらすぐ」

おーっ、まるでクラシックの音楽会のよう。
会場の体育館は明るい上、演奏中でも会場内での移動は出来る。もちろん、私語は慎むにしても、保護者の人数分の椅子があるわけではないので、自分の子どもがよく見えるように立ち見の保護者が移動したり、ビデオ撮影、写真撮影もOK。にもかかわらず、演奏中は入場できない? 意味わかんなーい!

私も音楽をやっていたので、演奏中に会場に入られるのが気になることはわからなくはない。舞台上だけが明るく、客席がほぼ真っ暗な状態で後方のドアが開くと、舞台からはけっこう気になるし、演奏の音以外何も聞こえず、咳をしたり、ときに息をしたりするのもはばかられるような緊張感の中では、演奏中の入場が禁止なのは当然です。でも小学校の音楽会の目的は子どもたちが精一杯歌うことにもあるわけだし、それを保護者に見せることにもあるはず。沙羅の言ったことがどこまで本当かは定かではないけれど、とにかく子どもたちにそこまで厳しく感じさせる必要があるのだろうか、要するに子どもたちが騒がないようにするための脅し?と思いながら、沙羅の話を聞きました。

仕事の関係で、行けるとしても1時半ぎりぎり。沙羅の言ったことを信じるとしたら、1分でも遅れるわけにはいかないので、時間を気にしつつ、校長先生の話はどれくらいの長さかわからないので、1時半に間に合うように沙羅の通う小学校へ向かいました。そこまでぴりぴり時間を気にしていなくてはならない自分が、おかしくも思えましたが…。
1時半を目指したおかげで、校長先生の話にも間に合いました。

沙羅の演奏の前に、開会宣言、校長先生の話、教頭先生の話、演奏中の諸注意があったのですが、これがまたわけがわからない。話の内容は理解できるし、それほど変なことを言っているわけではないんですが、どういうわけかやたらと敬語を使う。ところがこの敬語が誰に対して使っている敬語なのかわからない。私も敬語の使い方は下手なので、というかよくわかっていないので、「今のおかしい」と妻にときどき指摘されるくらいなんですけれど、そんな私が聞いていても、かなりひどい。
敬語というのは、敬語を使う立場の人間と、敬語を使われる立場の人間がいて成り立つもの。にもかかわらず、それがはっきりしないものだから、保護者に対して敬語を使い、子どもたちに敬語を使ったと思ったら、今度は教員に対して敬語を使っている。そんな曖昧なしゃべり方をしているものだから、とうとう主語につく助詞までがおかしくなって、「が」なんだか「は」なんだか「を」なんだか、めちゃめちゃになっちゃって…。
演奏中の諸注意だけは子どもたちに対して上から目線だから、立ち位置がはっきりしていたけれど、校長先生の話と教頭先生の話は立ち位置が定まらない。学校の現場の混乱を象徴しているような話っぷり。誰が誰のために何をすべきで、何をしようとしているのか、そこの部分が欠落して、批判されないよう表面だけを取り繕おうとしているんでしょうね。
それが教員の質の低下をごまかそうとしているものなのか、保護者の暴走に歯止めをかけるための戦略なのかは別にして、とても心配なことですが、学校教育が芯のあるしっかりしたものではなく、うわべだけの学校ごっこのようなものに成り下がっているように感じました。
2011/10/31(月)


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第475回「たった7人の運動会」

10月1日、平島(たいらじま)小中学校の運動会が開かれました。
孫の蓮の留学している鹿児島県十島村立平島小中学校は、小学生が3人、中学生が4人の小さな学校です。いったいどんな運動会になるのか楽しみに平島を訪れました。(第465回~第469回参照)

「やあ、やっぱり遠いなあ…」
今回の目的は、運動会だけだったので、9月30日、午後11時50分の“フェリーとしま”に乗り、10月1日、9時前平島着。その日に運動会を見て、翌10月2日午前11時、平島を出て、その日の夜9時前に鹿児島着。その時間だと自宅に向かう手段がないので、鹿児島に1泊して3日朝、自宅に向けて鹿児島を出発するというタイトなスケジュールのため、体の具合で飛行機に乗れない私は新幹線、娘の麻耶と孫の沙羅は、飛行機を利用することになりました。

というわけで、今は鹿児島のホテルでこの原稿を打っています。娘と孫はすでにこのホテルを出て、飛行機です。(現在10月3日午前7時30分)
さて、平島小中学校秋期大運動会の話。

うちも含め、留学生の保護者はみなタイトなスケジュールで平島に向かうため、運動会の開始は、その日の朝到着の“フェリーとしま”の時間に合わせ9時半開会です。教頭先生をはじめ多くの島民の皆さんが、“フェリーとしま”の港湾労働に従事しているため遅めの開始になっています。民宿(といっても、現在、民宿を経営しているご夫妻が鹿児島にいらっしゃるので空き家状態になっているんですが)に荷物を置き、運動会の服装に着替えて、学校の隣にある運動会会場“健康広場”に向かいました。

“健康広場”は7月に訪れた時に子どもたちと野球をやった場所で、そのときはとにかく草が生い茂っていて、ボールがその草の中に入ると探すのにも一苦労するような状態でした。「あそこでほんとにやれるのかなあ?」と家では話しているくらいだったんですが、“健康広場”に行ってビックリ。子どもたちが走るトラックはきっちり整備され、ラインが引いてある。そしてそれ以外の場所は、草が短く刈られ、立派な陸上競技場のよう。グランド中央に建てられたポールからは四方にロープが張られ、万国旗が風にはためいていました。

「えっ! これ島の皆さんでやったんですか?」
蓮の里親のHさんに尋ねると、
「みんなでやりゃあ、たいしたことないよ」
おいおい、こりゃたいしたことだろ!

その一言に、この島で最も大きなイベントである平島小中学校運動会を島民全員で楽しいものにしようという島民の皆さんのお気持ちが現れているように感じました。
入場行進は、子どもたち+島民全員+私たち留学生の関係者+平島小中学校を卒業して現在は鹿児島で高校に通う卒業生(私たちと同じ船で平島に着き、私たちと同じ船で鹿児島に帰ってきました)。

「えっ、入場行進も出るんですか?」
「そうだよ、当たり前じゃない! みんな出るんだよ。競技も全部出るんだからね。大関さんは白組だから、このハチマキして」

と白いハチマキを渡されました。
おーっ! 全員参加型、運動会!
たった7人を赤組、白組に分けてどうやって運動会をやるのかと思ったら、島民全員を赤白に分けて戦います。当たり前といえば当たり前なんですが、ちょー高齢の方までハチマキをしているのには驚きました。

そして始まった開会式は、入場行進に始まり、校旗の掲揚、校長先生のご挨拶、若い力斉唱、準備運動…。昨年優勝の赤組からの優勝旗の返還もありました。厳粛に進む開会式に学校や島の意気込みを感じました。
子どもたちが練習を重ねてきた応援合戦を除いて、ほぼすべての競技が「子どもたち+卒業生+島民の皆さん+保護者」で進行していきます。
「頑張りすぎて、アキレス腱でも切ったら笑えねぇ!ってなっちゃうから気をつけないとね」
そういった矢先、子どもが投げたボールを保護者がキャッチして距離を競う競技に参加した私は、蓮の投げたボールがやや前の方に落ちそうになったので、慌てて前に出てキャッチしようとした瞬間、ビシッという音がして、ふくらはぎに激痛が走りました。ボールは何とかキャッチしたのですが、ふくらはぎは肉離れ。今も腫れが残っていて、そんなこともあろうかとうちから持ってきていた包帯をぐるぐる巻きにしています。
病院がなく、医師のいない平島の人々にとって、病気や怪我は最悪の事態にもつながりかねません。一昨年は、ゴール寸前で転倒し、鎖骨が折れて、鹿児島の病院に入院した人もあったとのことでした。運動会後の大人だけの反省会で、「今年は大関さんを除いて大きなけが人もなく無事運動会を終えることができ…」と教頭先生の挨拶があった時には、穴にも入りたい気持ちでした。

たった7人の運動会はとても盛大な運動会でした。Hさんの話では、
「島民の8割は来てるだろ。今日、鹿児島で運動会があって、出かけちゃってるのもいるから」
島全体で学校を守ろうという気持ちが大変強く伝わってきました。お昼を一緒に食べながら(里親のHさんのお宅でご用意いただいたとても豪華なお弁当です)、
「本当に皆さんいい人たちで、いい島ですよねえ」
と私が言うと、Hさんは、
「ここの島の住人は、みーんな同じなんだよ。平等っていうか…」
そうなんです。私もずっと感じていたことですが、校長も教頭もない、村会議員も自治会長もない、大人も子どもも、みんな平等なんです。もちろん子どもたちにしつけはしますけれど、けっして大人が威張らない。島という特殊な環境が作ってきた伝統なんですね、きっと。

運動会の競技に、ワラで縄を結って長さを競う競技がありました。年配の方の出番です。お年寄りもとても大事にされているのが伝わってきました。私が子どものころ、暮れになると父が神棚に上げる縄をワラで結っていたのを思い出しました。島の皆さんのお心が蓮にもしっかりと伝わっているといいのですが…。

足を引きずりながら、お昼前の新幹線で東京に向かいます。妻には、うちに着くころにはウサイン・ボルトの世界記録を更新できるくらいによくなってると思うと言ってはみたものの、整形外科直行で、松葉杖になりそうです。
2011/10/03(月)


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