2020年2月 9日 (日)

第171回「明徳義塾高校野球部の連帯責任」

名門、明徳義塾高校野球部の一部部員による喫煙行為、下級生に対する暴力行為が明るみに出て、全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)開幕直前に、出場を辞退するということになりました。
こういった問題は、賛否両論あって、とても取り上げにくい問題なのですが、あえて取り上げることにしました。
出場辞退が報道されると、さずがにここ数年甲子園を湧かせ続けてきた学校だけに、大きな社会問題となり、「一生懸命努力してきた3年生に、連帯責任はかわいそう」という連帯責任反対派から、「部活動も教育なのだから連帯責任は当然」という連帯責任賛成派まで、テレビやラジオなど、さまざまなマスコミで取り上げられています。
私は、基本的に「連帯責任」という考え方は、間違っていると思います。「連帯責任」という考え方は、管理をするために存在するものであって、子どものため、生徒のために存在するものではないからです。小学校でよく行われている班別の行動は、連帯責任という名の下に、管理の道具として使われています。例えば、“班員の1人が忘れ物をしたために、全員が怒られた”、“班員の1人が掃除をさぼったために、全員がもう1度掃除をさせられた”…。おそらく、皆さんもそんな経験があるでしょうし、皆さんのお子さんも、今まさにそういう経験をしているのではないかと思います。
これは、とてもひどいことです。“自治を教える”ことを理由に、本来教員が一人一人の子どもたちにしなければならない指導の手を抜いているだけで、教育になっていません。教育の現場で行われている連帯責任というのは、責任を取らされる子どもたちに、まったく責任を取らされるいわれはないのです。
では、今回の明徳義塾高校野球部の問題はどうか。
この問題は、小学生の班の連帯責任とは少し違います。班の中で、忘れ物をしたり掃除をさぼったりした子は、その原因が班の中にはないのに比べ、明徳義塾野球部の問題は、その事件の原因が、野球部自身の中に存在すると考えられるからです。
私が以前講師をしていた専門学校の生徒の中に、甲子園の常連校から来た生徒が何人かいました。その生徒たちが口を揃えて言うのは、「普通の生徒が万引きをすれば、即停学か退学になるのに、野球部の生徒がやるともみ消されるんだよ」ということ。これは、別にこの生徒たちが通っていた高校だけの問題ではありません。明徳義塾高校も全く同じことをしようとしたわけだけれども、結果的にうまくいかなかった。そういった意味では、出場辞退というのは、連帯責任という言葉をもって片づけられようとしているけれど、問題を起こした生徒に起因する連帯責任としての対処ではない。
もう一つ見落としてはいけないのは、本当に問題を起こした生徒個人の問題なのかということ。1年生部員8人と2年生部員3人の計11人が喫煙していたと報道されていますが、一般的に言って上下関係が厳しい野球部やサッカー部のような部の部員で、3年生が喫煙していないのに、寮内で1、2年生が喫煙できるわけがない。暴力行為にしてもしかりです。これは私の想像の域を出ませんけれど、おそらくこの問題を放置すると、さらに別な問題が表面化した可能性があるのではないかと思います。そういうところに目を向けないで、連帯責任論だけで、この問題を片付けることはできません。
ある高校で、サッカー部員が万引きをしたことが発覚しました。以前は全国高校サッカー選手権にもたびたび出場していた高校ですが、この年は県予選で敗退してしまっていたので、出場辞退などと大げさなことにはなりませんでしたが、万引きで校内処分を受けたサッカー部員は部員全体の3分の1を超える30数名に上りました。こういうことはよくあることです。こういう問題は、万引きをやった生徒個人の問題ではなく、サッカー部全体の体質の問題だからです。
明徳義塾高校にも、そういった体質の問題はなかったのか。
今回の辞退という状況に一番納得しているのは、明徳義塾高校の野球部員かもしれません。私は、今回の辞退は当然のことと考えますが、今こそ問い直されなくてはならないのは、事件を起こした生徒たちではなく、大志を持った子どもたちの夢をかなえるべき指導者の質だと思います。教育の名の下に行われている部活動の指導者に一番求められているのは、単に勝負に勝つことではなく、人として成長していく子どもたちに何を伝えるのかということです。果たして明徳義塾の馬淵監督にそういったものがあったのかどうか…
出場を辞退した生徒たちの未来が、辞退したことで失われないことを願っています。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第168回「さわやか相談室の限界」

ある中学校のさわやか相談室からの通信を手に、とても憤慨しているお母さんがいらっしゃいました。その通信を見てびっくり。
「子どもの心をどうひらくか」という見出しが付けられた部分で、どうやら精神分析か何かの本を引用しているようなのです(ちょっとそれも曖昧)が、
★問題児のお母さんに共通して言えることは
①いつでも自分本位で、子どもが勉強したくない時にさせようとし、子どもが勉強をがんばりたい時に心配してやめさせようとすることです。→若いのだから当人が自発的にやりたくてする時は、一晩や二晩徹夜したって大丈夫です…と言わざるを得ない。
②親がきちんと自我を育てて、本能を無理なく後退(我慢)させておけば→社会の厳しさに十分対応できる子供になる。
③自我をしっかり大きく育てるために→親は寛容と忍耐に裏づけられた一貫性をもつことが親として必要なことである。
『まとめ』★理屈も何もない無知な母親に、しっかりした良い子が育ち、高学歴の母親に自我の弱い問題児を育てたりするようになるのは、そのあたりの事情によるものと考える。子供の精神育成は→叱り方、ほめ方等の技術ではない。口先や小手先でうまくやれるような簡単なものではない。
と記載されていました。
これはいったい何を目的に配っているのでしょう?
前回まで数回にわたって述べてきたカウンセリングマインドということからはほど遠い内容です。「問題児のお母さん」とか「一晩や二晩徹夜したって大丈夫」とか、何を根拠に言っているのかまったくわからない。「問題児」という決めつけも、誰にとってどう問題児なのかが不明確な上、保護者に対して配るものとしては言い方がとても不適切。
『まとめ』の部分の「理屈も何もない無知な母親」「高学歴の母親に…」に至っては、もうあきれて言葉もない。こんなものを母親に対して配っておいて、学校と家庭との関係がよくなるわけがない。
上記はあえて原文のまま載せたものですが、文法的にもおかしいと思うようなところが数カ所あります。私も文法を大切に文章を書く方ではないので、あまりそういう批判はしたくないのだけれど、そんなお粗末な文章にしては内容が強すぎる。
これはプリントの後半部分ですが、プリントの前半部分には「生徒」「1年男子」「2年男子」「保護者」という言い方をしておきながら「スクールカウンセラーさん」「スクールカウンセラーの××先生」という言い方をしている部分があります。プリントを発行している立場からすると明らかに敬語の間違いです。
こういうものを取り上げて、重箱の隅を突っつくような批判をすることは、あまり気分のいいものではないし、建設的なこととも思えないのだけれど、今学校で何が行われているのか、これからの学校はどうあるべきなのかという、一つの問題提起としてあえて取り上げて批判をしました。学校との関わりの中では、「何か変だなあ」「どうも気分が悪い」「納得がいかない」、そんなことがよくあるはずです。そういう時は、納得がいくまで学校と話をすることが大切です。今回のことは、「さわやか相談室」という、まさにそういう悩みを解決するべきところで起こっていることです。
うちの研究所にも、さわやか相談員を目指して、教育カウンセラー資格を取得するため学んでいる人たち(採用の要件ではありません)がたくさんいますが、さわやか相談員の皆さんには、カウンセリングマインドをしっかり学んでいただき、少しでも質の高い相談員になっていただきたいものです。
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2020年1月26日 (日)

第165回「言ってはいけないその一言 -先回り編-」

今日は言葉だけでなく、行動も大きなポイントになります。
今まで述べてきた「脅迫」や「取引」というのは、「親が自分の都合で子どもを動かす」という「親のため」という側面が、はっきりと見えているので、それに気づくことはそう難しいことではありませんし、親が気づいてすぐその行動を変えれば、目に見えて子どもの様子も変わります。ところが、これから扱おうとしている「先回り」というのは、一見「子どものため」に映ったり、親の意識の中に「子どものため」という明確な意識があるので、教育相談やカウンセリングで指摘をしても、なかなかその意識を変えることは難しく、とてもやっかいです。しかも、子どもも親の言動(おもに行動)によって自分が楽になるので、その親子関係を拒否しません。昔は反抗期があるのが当然だったわけですが、うちの研究所を訪れるクライアントさんを見る限り、最近では親の「先回り」が子どもの自立へのエネルギーを奪ってしまい、反抗期をも飲み込んでしまうほどです。子どもが拒絶をしないので、親もその状況になかなか気づきません。「深く潜行し、一気に出る」という感じでしょうか。何か問題が表面化したときには症状が深刻なので、“人間としての存在の回復”(自立)にはかなりの時間(回復の方向に向かっていたとしても、長ければ10年とか20年とか)を要します。大きな問題は、親の子どもに対する姿勢が簡単には変えられないということです。今とても問題になっている「ニート」という状況にも深く関わっていると言えます。
「先回り」の場合の多くは、子どもも親も「被害者意識」を持ちます。「いじめを訴えてはいるけれど、周りにそういった事実が確認できない」、「他人の悪さを強調して自分の非は認めない」、そういった場合は、幼児期からの親の「先回り」が影響している場合がよくあります。本来、一刻も早い対応が求められる深刻な「いじめ」のようなケースを、親の「先回り」による過剰な被害者意識と取り違えてしまう場合もある(学校のような場所ではなるべく問題が公の問題ではない方がいいと考えるので、いじめの問題を「親子の問題」ととらえる傾向にあります)ので、「いじめ」を訴えられる立場(教員とか各種相談機関に従事している人など)の人たちは、充分な検証が必要です。

 

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2020年1月25日 (土)

第161回「言ってはいけないその一言 概論」

いやいや、翔(かける)は大変なことになってしまいました。どうやらおたふくで抵抗力が弱くなっているところへ溶連菌感染があったようで、結局土曜日から4日間40度以上の熱と吐き気で、何も食べられない日が続きました。アレルギー体質で、使える抗生物質が限られているため、点滴による水分補給と座薬による解熱が中心。主治医曰く「消去法で残ったペニシリンをいちかばちかで使ったら、副作用も出ずに効いてくれました」ということで、水曜日からはなんとか熱も下がり、「はら減った」を連発。病院の食事では足りないと、近くのコンビニで買ったおにぎりやお弁当を病院の食事の後に食べています。木曜日には血液検査をしましたが、“まだまだ”の数値だったようで、金曜日には退院をしたかった本人の希望はかなわず、この原稿がアップされる月曜日に退院ということになりそうです。
長男の努(つとむ)はアレルギー性紫斑病、次女の麻耶(まや)は腎臓病、そして翔が溶連菌感染症と、内科的な病気での子どもの入院は3回目。子どもの数が多いっていうことは、それだけ心配も多くなりますね。
23日から始まった高校の中間試験は、追試期間にも間に合わず、“どうなるんだろう”と心配していたら、試験期間に公欠ということはあったけれど、出席停止だったということは学校にも例がないとかで、現在保留中。どうやら、期末試験の一発勝負で今学期の成績をつけるということに落ち着きそうです。『出席停止』という意味を考えると、まあ妥当な線なのかなっていう感じ。当然のことながら、追試扱いだと何点取っても本試験の8割とか。推薦基準のこともあり、だいぶ気にしていた本人も少しほっとしたらしく、“2週間後の試合に向けて、どうやって体力を回復しようか”ということに意識が向き始めたようです。
さて、2ヶ月ほど前に、なっつんさんから“カウンセリングマインドの子育ての特集”というお話がありました。“主夫”という立場でなく、“教育カウンセリング研究所を主宰する者”として、少しお話をしたいと思います。
現在の日本のカウンセリングに最も影響を与えたのは、カール・ランサム・ロジャースという心理学者です。以前の日本におけるカウンセリング(相談)とは、お説教や説得という概念でしたが、ロジャースの唱える非指示的カウンセリング(後に来談者中心療法)によって、大きく変わることになります。
ロジャースは、カウンセリングに必要な要素は、技術よりも態度であり、そして、その基本的態度は、受容的態度、共感的態度、誠実さであると言っています。来談者中心療法でのカウンセラーの役割は、クライアント自身が自己の内面や現在の事態を理解し、自ら決定していくのを助けることと考えられます。それは、クライアント自身が自分の力でよくなっていくという考えに基づいたものです。
この考え方は、そのまま子育てにも当てはまります。そしてこれを基に、極端な言い方をすれば、親が何もしなければ、子どもはまっすぐ育つことになります。もちろん実際は、子どもに影響を与えているのは、親だけではないので、そうはいかないわけですが…。けれども、こういった発想は重要です。どこまで親が子どもに関わるかという、その距離感と、どういう関わり方をするかというその内容によって、子どもは大きく変わってしまいます。子ども自身の成長していこうとする力をまず信じることです。ですから、まさに技術より態度なのであって、その態度を学んで(学問的に学ぶというよりは、自分の感性を研ぎ澄まし、自分自身が謙虚になる。そしてその中から気づくこと)、実践することが、子育てのポイントなのだと思います。
次回は、具体的なことを述べたいと思います。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第160回「病院から」

いやいや、とほほっ。
こんなことになるなんて…。
今日は、病院からです。なっ、なんと158回のつづき。まさかつづきがあるとは思わなかったんだけど…。
すでに免疫を持っているかと思った翔(かける)がついにおたふくに。ちょうど前回の原稿を送ろうとしていた16日の朝、この日はゴルフの試合だったのですが、前日から身体がだるいと訴えていたので、試合が行われる狭山と川越の境にあるゴルフ場まで送っていってやることにしていました。
「なんか耳の下が痛くて、しこりがあるみたいなんだけど」
と言って翔が起きてきました。見てわかるほどではないのですが、触ってみると確かに耳下腺がしこっていて、さほどの力を加えていないのにかなり痛がります。
「んー、はっきりはしないけど、おたふくかもしれないなあ。だけど、今これくらいだったら、今日1日くらいは保つだろっ」
そうは言ってはみたものの、本当におたふくだったら、ちょっとうつむくだけでも、耳下腺が痛いから、いい結果を出すのは難しいだろうなと思いながら、帰りも私か妻が迎えに来てやるということにして、ゴルフ場で翔を車から降ろしました。
予定より1時間ほど遅れて翔から連絡があり、妻が迎えに行くことに。戻ってきた翔の顔は、明らかにおたふくの様相です。麻耶(まや)のことがあったので、小さい子どものようなわけにはいかないことは覚悟していました。思春期を過ぎた男性にとっては、無精子症の原因にもなる睾丸炎でも併発しようものなら、なおさら大変です。またまたネットを駆使していろいろと調べた結果、万一睾丸炎を併発したとしても、両方の睾丸が炎症を起こすことはまれで、世間でよく言われるように無精子症になることはほとんどないということがわかって一安心。
翔は麻耶とほぼ同じような経過をたどりました。月曜の晩から熱が高くなり、火曜日、水曜日と39度くらいの熱が続きました。それが木曜日になるとすっと引いて、36度台に。これで終わると思ったのに、金曜日のお昼からまた38度6分の発熱。土曜日になるととうとう39度を超えてしまいました。対処療法以外有効な治療法がないとは言え、一応火曜日に受診して薬を飲んでいたのですが、もらった抗生物質が合わなかったらしく、身体中に発疹ができたりもしたので、土曜日に再び受診しました。
「入院も考えないとね。隔離できる部屋を持ってないと受けてもらえないところもあるからね」と先生に言われ、そうならないように祈りつつ、自宅で様子を見ていたのですが、夜になるにつれ熱は上がるばかり。39度3分、6分、40度3分。もらった解熱剤で何とかなるようなレベルを遙かに超えてしまって、結局入院させることに。土曜日の8時過ぎに近くの公立病院に運んで入院させました。病院で計ったら40度9分。小さな赤ん坊ではないので、さすがにびっくりしました。
そして、今日は日曜日。今、私が一人で付き添っています。本来は付き添いは認められないのですが、熱がかなり高いので、付き添ってもいいとか。あまり歓迎すべきことではないですね。やや落ち着いてはきましたが。
こういうときにいつも腹が立つのは、学校と病院の対応。今までほとんど腹が立ったことのない翔の高校ですが、今回はちょっと。明らかにおたふくとわかった16日、23日(月)から中間テストなので、
「熱が下がってもすぐには学校に出られないから、家で勉強しなきゃね」と翔に言うと、教科書が学校だとか。担任とも懇談会で顔を合わせただけで話をしたことがなかったので、教科書を取りに行きがてら話をしてこようかなと学校まで出かけていくと、おたふくだという連絡はすでに入れてあったのに「具合はいかがですか」の一言がない。
「3年生は1学期の成績で評定平均を出すので、今度の試験は大事な試験ですから」
「はあ。本人もだいぶやる気になっていて、学校の勉強はおもしろいって言っています」
「なんとか受けてもらわないと。まあそう言っても、おたふくは学校に来てはいけないっていう病気なので、もう行ってもいいっていう証明をお医者さんからもらってもらわないといけないんですがね」
“何言ってんだ、こいつ。そんなことわかってるから、こうして1時間近くもかけて親がわざわざ学校まで教科書取りに来てるんだろうが!”。
さらに、「私もおたふくやってないので、うつされると困るんですがね」
“いったい早く来させたいのか、来させたくないのかようっ!”って感じ。
病院は、土曜日なので時間外になってしまうことも考えて、朝のうちにベッドさえ空いていれば入院は可能ということを確かめてはおいたんですが、夜になってしまったので、来院する前に改めて電話を入れて、これまでの経過と入院させたい旨を伝えると、
「とにかく来ていただいて、受診していただかないと。入院するかしないかを決めるのは、こちらの医者ですから」
“当たり前だろうが!”。何分ぐらいで来られますかというから、10分くらいと答えておいたのに、病院に着いてから30分も待たされる。そんなうちにも、熱はどんどん上がって40度9分に。
“時間を聞いたのはいったいなんだったんだよぉ!”
当直の医者は医者で、ほとんど立っているのが不可能なくらいの息子を、背もたれもない丸椅子に座らせたまま、長時間経過を聞いている。
「ベッドが空いていれば入院できるって誰が言ったんですか? 看護師? 医者? 医者がそう言ったの? そう言うことは医者と話さないとね」
“ふざけんじゃねえ! こんな総合病院の外来に電話をかけたって、電話口に医者が出るわけねえだろっ!”
みるみるうちに真っ青な顔になり、汗びっしょりの息子の様子に、妻が、
「外の待合いのベンチに横にさせていいですか?」
と聞くと、近くで様子を見ていた小児科の当直医が、
「汗びっしょりで、つらそうですね」
とやっとベッドで診察してくれることになりました。いったい、医者も何を考えているんだか…。
「熱もかなり高いようだし、ご家族も希望しているっていうことで、入院してもらうことにしますから。隔離しなきゃいけないので、個室になるのでちょっと高くなりますがいいですか?」
“だからぁ、最初からそうしてくれって言ってんだろっ!”
今のところ、何か重大な病気があるっていうことではないんだけれど、早くよくなるといいんですが。
翔の世代は、おたふく風邪の予防接種の有効性と副作用(髄膜炎になる可能性がある)が問題になっていた時期で、どちらかというといろいろなものにアレルギーが強く表れる翔は、予防接種を受けていませんでした。もう、今となっては手遅れ。私の判断でそうしたわけだけれど、翔には申し訳ないことをしてしまいました。ただただ、反省です。

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第159回「学校の復権」

昨年、公表された国際教育到達度評価学会(IEA)の学力調査結果で、日本の子どもたちの学力が低下していると公表されて以来、「ゆとり教育」を見直す方向で、文部科学省を始め各地方自治体すべてが、ほぼ足並みをそろえて進んでいます。その後、“ゆとり教育後”の子どもたちの学力が、“ゆとり教育以前”の子どもたちの学力を、ほぼすべての教科で上回っているという調査結果も発表されましたが、こちらには文部科学省や各地方自治体は反応薄。これは、中山文部科学大臣の“詰め込みというよりはたたき込み”という教育観と子どもたちにゆっくりと時間を過ごすことを許さず、隙のないスケジュールの中で何かを学ばせようとする社会的状況が大きく影響しているものだと思います。
ゆとり教育で実際に子どもたちがゆとりを得ていたかというと、必ずしもそうとは言えません。家庭の状況により、学校以外の時間をすべて自由な時間にしている子もあれば、それとは逆に学校以外の時間を塾や習い事といった別な管理形態の中に置く子もいます。ゆとり教育が当初考えられていたゆとりを子どもたちに与えたわけではなく、その是非は別として、少しずれた形で子どもたちに変化をもたらしたと言えるのではないかと思います。
埼玉県の場合、“ゆとり教育”以前に、中学校における“脱偏差値教育”があり、子どもたちに対する学校の影響力は、かなり低下していたと言えます。そこに“ゆとり教育”が追い打ちをかけるような形で実施され、保護者の学校に対する信頼が大きく揺らいだ上、子どもや保護者に対する学校の影響力は、さらに低下することになりました。その結果として、子どもに対する教育が“学校という公権力”から、保護者自身の手に移るという現象も起こりました。
けれども私は、“脱偏差値”や“ゆとり”自体が、即そういう結果を招いたとは考えていません。その間、教員の不祥事は相次ぎ、学校を標的とした事件も数多く起こりました。そして今も起こり続けています。教員に対するこれまでの信頼や学校の安全神話はすっかり崩壊してしまいました。雪印や三菱自動車、そしてJR西日本といった民間企業が起こす不祥事と何ら変わることがない性質の問題に、私たちが抱く公権力に対する不安と憤り。そういったものも含めた教育の状況が、今の結果をもたらしているのでしょう。
先日、埼玉県教育委員会が、子どもだけでなく親をも教育する方針を打ち出したという報道がなされました。子どもをどう育てていいかわからない親を支援するということなら、わからなくはありませんが、低下した学校の影響力を回復させることが目的なら、傲慢としかいいようがありません。
どちらかというと私は、学校教育に対して保守的な考えを持っているので、“学校はない方がいい”などと考えているわけではなく、学校に対する社会の信頼を回復することが大切だと考えています。学校が保護者や子どもからの信頼を回復するためには、親への教育をするなどということではなく、絶大なる権力を持つ学校の綱紀粛正から始めないと、本当の意味での信頼は獲得できないのだろうと思います。
親の教育力の低下を否定するものではありませんが、まず行政がしなければならないのは、学校が本来持たなければならない教育力を向上させること。そのことなくして学校への信頼回復はあり得ません。学校が現状から“復権”を果たすには、学校自ら傲慢さを捨て、謙虚になることが重要なのではないかと思います。


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2019年11月24日 (日)

第153回「子どもが無防備でいられる場所」

先日、県立の児童自立支援施設に呼ばれて、性教育についての講演を妻と二人でしてきました。
以前、子どもの非行問題のシンポジウムで、当時ここの寮長をなさっていたS氏と、シンポジストとしてご一緒させていただいたことがあり、その縁で施設を見学させていただいたことがあったので、ここにお邪魔するのは今回で2回目でした。
児童自立支援施設というのは、児童福祉法7条及び44条等によって規定された児童福祉施設で、「不良行為をなし、又はなすおそれがある児童及び家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する」と判断された子どもたちが、親から離れて生活をし、個々の児童の状況に応じた指導を受けることによって、その自立を支援することを目的とした施設です。児童相談所へ相談して入園する場合、家庭裁判所の決定により入園する場合等があります。
全国的に見ると、中学生の入園者が多いようですが、中には4歳という子もいるそうです。児童福祉法によるものなので、下限はありませんが、上限は基本的に18歳まで、事情により20歳まで延長もできます。
「不良行為をなし…」とはいっても、その内容はさまざまで、不良行為に至る原因が親からの虐待であったり、また、被虐待だけという子もいるそうで、保護の側面もあるのだなあという印象を受けました。
もちろん面会や外出等も認められているのですが、面会の多い子もいれば、全くない子もいるそうです。中学校卒業後は、施設から高校に通ったり、仕事に通ったりしている子もいます。

今回の講演は1時間半で、中学1年生と2年生を対象としたものでした。依頼されたときに、妻だけが行って性についての話をするのか、夫婦で行って家族の問題を話すのか、あるいはビデオ(「素敵なお産をありがとう」(日本クラウン発売))を見せて、家族についての話をするのか、とても迷いました。結局講演の前日まで迷ったあげく、施設の方々にも相談させてもらって、ビデオを見てもらうことにしました。
53分のビデオなので、ビデオを見る前に妻が15分、見た後に私が15分話をしました。出産を扱っているとはいえ、大きなテーマは家族です。いろいろな意味で正常な家族関係の中で育っているとは言えない施設の子どもたちが、どういう気持ちでビデオを見てくれるのかという不安もあったのですが、複雑な家族関係を持った子が多い中で、わが家の家族関係も複雑なこと、そして何よりも子どもたちの心がとても素直で純真なこともあって、家族というものを真っ直ぐと受けとめてくれたようでした。
前回、見学させていただいたのは、たしか7、8年前で、今とは社会情勢や子どもたちの状況はずいぶん違っていたと思うのですが、前回も今回も、同じように感じたことがありました。それは、子どもたちがずいぶん“無防備”だなということです。“無防備”というのは、誰に対しても自分の心を開いていて、自分の心を守ろうとしていないという意味です。私がPTA活動などでこれまで接してきた子どもたちは、皆いい子でしたが、それなりに自己防衛の手段を知っていて、ある程度の距離より近づこうとすると、必ず何らかのバリアを張られます。そのバリアを取り除くには、時間と手間をかけて、少しずつ信頼関係を築いていくしかないのですが、ここの施設の子どもたちには、そういったバリアを感じないのです。もちろん、すべての生活を共にしているということはあると思いますが、それにしても、“無防備”だなあと感じます。それがまたそこで生活するこの子たちの純粋さなのだと思いますが、親から痛めつけられ、社会から痛めつけられ、その無防備な心を受けとめてくれるところが他にないという社会は、どこか間違っているような気がしました。
「社会はそんなに甘くない」、よく言われる言葉ですけれど、子どもが無防備でいられる場所、子どもにとって社会全体がそんな場所であったら、どの子もみんな幸せに暮らせるのだろうなあと思います。
もちろん子ども自身が自己防衛できることも重要だけれど、私たちは無防備な子どもを受けとめられる大人でいたいですね。


**3月28日(月)掲載**


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。 


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   Re: 第153回「子どもが無防備でいられる場所」 2005/03/28 12:57:50  
 
                      なっつん

 
  こんにちは。

両親がいて子どもがいて、、、という家庭をもっている人としか普段接する機会がない私は「普通」な子育てを中心に物事をかんがえることに慣れてしまっています。
ので、児童自立支援施設というところで生活している子供がいるということなんて、知ろうとしていませんでしたし、知りませんでした。

普通(だと考える)は家庭で愛情を子供に注ぐことが出来るけれども、愛情を受けることなく育った子供達が愛情を求める欲求が大関さんのおっしゃる「無防備」ということにつながるのだと思いました。
でも愛情、、、って本当にあいまいな表現で子供にとったら迷惑だと思ってることも親にとったら愛情という名のもとに押し付けてしまっていることも沢山あるんでしょうね。。。
子供に愛情を伝えていく簡単な方法、、、おしつけじゃない愛情を伝える方法があれば学びたいなあと思います。
そのヒントにはカウンセリングマインドを親が勉強する、、ということがあるんじゃないかと考えています。
押し付けない、、、子供の気持ちに沿う、、、本当にむつかしいことだけどちょっとしたスキルを教えてくださると子育てにいかせるんじゃないかなあ、、と思うので、是非是非カウンセリングマインドの子育ての特集して欲しいと思います。

質問ですが、具体的に子供達のどういう行動で「無防備」だなあ、と感じられたのか知りたいです。
よろしくお願いします。
 
  
元の文章を引用する
 

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   “無防備”という意味 2005/03/31 17:08:26  
 
                     
                              http://www.ed-cou.com大関直隆

 
  お答えが遅くなってすみません。
“無防備”という言葉は、私の感覚なので、
さらに言葉で説明するのは、とても難しいですね。
同じ子どもたちに会っても、そう感じない人の方が多いのかもしれません。
具体的に、どういうことでそう感じたかというと、
まず、子どもたちの表情です。
子どもたちにとって、そこの施設が生活の場であるということを差し引いても、
外部から入ってきた見ず知らずの私たちを迎えるときの表情に、
警戒の色がない。
2番目に、子どもたちの身のこなしというか、動きというか…
知らない人間とすれ違うにしては、緊張感がなく(悪い意味でなく)、開いている。
3番目に、視聴覚室で私たちを待っていてくれた子どもたちの歓迎ぶりが、
何も語らないうちから、とても親しげである。
言葉にするとそんな感じでしょうか。
なんだか感覚とはちょっと違う気もしますけれど…
あえて私が”無防備”という言葉を使ったのは、
おそらく、そこの子どもたちが、私たちにだけでなく、
そこを訪れる多くの人たちに
同じように接しているのではないかという気がしたからです。
子どもたちが、そういう振る舞いをしているのには、
いろいろな理由があると思います。
「大人からの愛情に飢えている」とか
「施設の職員が子どもたちに対して優しい」とか、
単純に言えるようなものではないと感じました。
子どもたちが元々持っているものが、そうさせているようにも感じますし、
そこの施設がそうさせているようにも感じます。
それは、施設のことや子どもたちのことを
もっとよく知らなくてはわからないのだろうと思います。

>>
押し付けない、、、子供の気持ちに沿う、、、本当にむつかしいことだけどちょっとしたスキルを教えてくださると子育てにいかせるんじゃないかなあ、、と思うので、是非是非カウンセリングマインドの子育ての特集して欲しいと思います。

今、学研の雑誌の編集者とおっしゃっているような本のプロットを立てようか、
なんていう話もちょっと持ち上がっているので、
そんな特集やれたらいいのですが…
ちょっと考えてみます。
 
  
元の文章を引用する
 

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   Re: “無防備”という意味 2005/04/02 18:58:37  
 
                      なっつん

 
  大関様、お返事ありがとうございました。

無防備という言葉の裏側にはさまざまな意味があるのでしょうね。。。

私は無防備というのは普通の子供達の持つ感覚で、非行をおこしたり虐待を受けたりするような子供達が受けた傷のために心にバリアーをはってしまうものだと考えていたので、おっしゃることが理解できませんでした。

しかし、愛情に飢えていたり、やさしくされているから無防備になるわけじゃない、、というところを読んで、考えたことがあります。

今の多くの家庭は核家族な上にお父さんの帰りも遅く子供達に母親の愛情(というか怒りというか押し付け、、というか。。。)が過剰にいってしまうことがあるのかもしれません。
ひとりで子育てをしている私もイライラと声を荒げることもしばしば。。。
こどもにとったらどこか息がつまっているのかもしれないなあ、、と思います。そういう息がつまることを続けることで自分の本当の心を開放することができなくなってしまっているのかもしれませんね。
心の防衛反応は誰にでもあることだけど、その程度はその子の家庭によって違うのだと思います。

施設の子供達はそういう息が詰まる状態に、行政が対処して虐待から救ってくれたり、、非行をおこすことで反抗心をあらわすことができたこどもたちだったのかもしれない、、と思うとそういう子供達は自分を受け入れてくれる施設や人に出会うことで無防備な感覚になっているのかもしれない、、、と私は思いました。

自分が今見えている社会だけとしか関わっていなかった私はいろんな子供達やいろんな親やいろんな背景を知ろうとしていなかったことを反省しました。
見えない世界の子供達も自分が知っている子供達もみんなが幸せになれるように、親の方もいろいろと勉強していかなくてはいけないですね。

 

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2019年11月23日 (土)

第151回「最近の政治家の発言 その2」

「それは小泉さん、ちょっと違うんじゃない!」
と言いたくなる。
小泉首相は1942年(昭和17年)生まれ。「我々の年代では教えてもらったことはないが、知らないうちに自然に一通りのことは覚える」なんていう発言は、軽々しくするべきじゃない。単純に自分の受けた性教育(まあ受けていないわけだけれど)が正しいということを主張したいなら、教育だけでなく「社会のすべてをその時代に戻してからにしてください」と言いたくなる。

正しいことも、間違ったことも含め性情報が氾濫し、子どもたちは自ら性についての情報を簡単に獲得できるようになっています。ところが、雑誌にしても、インターネットにしても、まず飛び込んでくる情報というのは、風俗産業のものばかり。人が人として持つべき性の知識というものは皆無です。これだけエイズのことが叫ばれているにもかかわらず、正しいエイズの知識を持った人は、少年少女のみならず大人の我々でも、ほとんどいないのでは? しかも、性についての正しくない情報の流布というのは、営利を目的として行われるので、情報を得ようとしていない人間にも入ってくるのに、正しい情報というのは得ようとした人間にのみ獲得できるものであって、自分で獲得しようとしない限り獲得することが難しい。そういう仕組みになっているということを小泉さんにももう少し考えてもらいたい。たしか答弁の中にも「年齢に応じた…」というようなことがありましたが、「知らないうちに自然に一通りのことは覚える」なんていうのは、ちょっと乱暴じゃないの。こんなこと言ってるから、衆議院議員の中からも中西一善容疑者みたいなのが出ちゃう。示談が成立して被害者が告訴を取り下げたらしいですけど、釈放後の会見でも「ぽん引きだと思った」みたいな発言があって、どこまで女性をバカにしたら気が済むんだろうと驚きました。

例の早大生らのサークルの強姦事件の際、太田誠一元総務庁長官が「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」と発言したのにもビックリ。どうも政治家は本質を見ないで発言するらしい。

この連載の第92、93回でも述べたように、性教育に対する考え方は人それぞれなので、今の学校教育における性教育が必ずしも正しいとは思いませんが、少なくとも「知らないうちに自然に一通りのことは覚える」なんていうことではなくて、やはり正しい知識をきちっと教えることが重要だろうと思います。もちろん、それぞれの年齢に応じて。

政治家ではありませんが、極めて政治家に近い猪瀬直樹氏が、先日の寝屋川の事件について、「こういう連中には勉強なんてさせるんじゃなくて、中学を卒業したら働かせればいいんですよ」とコメントしたのも、あまりにも乱暴な言い方でした。あたかも中卒や高校中退の子どもたちが、勉強はしたくなくて、お金を稼ぐことだけを望んでいるような言い方をしていましたが、果たして中卒や高校中退の子どもたちに働くことへの意欲が湧くような、きちっとした働き口があるのかどうか…。「そういう場所を与えろ」ということなのでしょうが、それは学歴のあるものから学歴のないものへの差別でしかなく、そんなものが犯罪の減少に繋がるわけがない。

あまり乱暴な意見や発言に振り回されることなく、常に地に足のついた子育てや学校教育にしたいものですね。


**3月14日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第150回】「最近の政治家の発言」

小泉首相に代表されるように、最近の政治家はパフォーマンスがとても上手になってきましたね。政治はなんといっても支持率だから、これだけメディアが普及した現代では、わかりにくい細々とした政策論議よりは、とにかくわかりやすい大きなジェスチャーとはっきりとしたものの言い方が要求されるんでしょう。田中真紀子、鈴木宗男、辻元清美、小泉純一郎なんていう組み合わせは、“見せ物”としてはとっても面白いものがあった。田中真紀子の父親譲りのあの声と演説の上手さ、鈴木宗男の涙の会見、辻元清美の「総理、総理、総理!」、小泉純一郎の「人生いろいろ…」などなど。加藤紘一、青木幹雄、野中広務といった面々では、ちょっと物足りない。

だいぶ前になりますが、テレビ朝日の午後のワイドショーに生出演したときのこと。生というのは、編集ができないわけだから、こちらの発言が発言した通りにON AIR されるわけです。生出演が初めてだった私は、ちょー緊張。
ADさんの放送開始までのカウントダウンを聞くと、
「どうしよう、どうしよう、どうしよう」っていう感じ。
実際にカメラが回り出しちゃうと覚悟ができちゃうっていうか、開き直っちゃうっていうか、別段普段と変わらない会話はできるんですけど、やっぱりカットができないっていうことは、やり直しっていうのはないわけだから、どうしても言葉が慎重になります。
ところが、他の出演者(いつも出演しているワイドショーのコメンテーターの人たち)の話っぷりはまったく逆で、「そこまで言うか」っていう感じ。とっても過激で乱暴。
「いくらなんでも、そりゃ言い過ぎってもんでしょ!」
なんて番組の間中思いながら、私は私のペースで話をして帰ってきました。
家に戻って、録画してあったVTRを見てみると、なんだか私の言っていることはおとなし過ぎて、インパクトに欠けています。もちろん素人なわけだから、誠実そうに映っていていいと言えば、まったくその通りで、印象としては悪くないのですが、言っていることがいまいち伝わらない。ところが、スタジオではとっても過激で乱暴に聞こえたコメンテーターの人たちの話は、過激に聞こえるどころかとっても歯切れがよくてわかりやすい。
「なるほどTVって、こういうものなんだ」
と改めてTVの非日常性を感じました。

さて、政治家の話ですが、最近の政治家の話は、とってもわかりやすい。とってもマスコミ慣れをしていて、どう行動すればどう取材されて、どう言えばどう映るかっていうことを熟知しているように感じます。イラク問題や郵政民営化みたいな論議は中身がとってもわかりにくいのにもかかわらず、自衛隊がイラクに行って復興作業を行っているところが映像として流れると、なんだかえらくイラク問題がわかったような気がするし、コンビニが郵便局の役割を果たして、宅配業者が郵便物を配達してくれるって言われると郵政民営化問題はすべてわかった気がしちゃう。

教育のこともしかり。
「愛国心を育てるために国旗・国歌に対する教育を徹底する」って言われると「ああその通り」なんて気もするけれど、よく考えてみると「愛国心」ってなんなのか全然わからないし、人によっても国家を愛する愛し方が違ったていいわけだから、“みんな同じに”っていうのもちょっと変な気がするし、つい先日の学力低下の問題から、「ゆとり教育を改める」って言われると「そうですよね」って言いたくなるけれど、本当に「ゆとり教育」で子どもたちに「ゆとり」が与えられていたかっていうと、塾通いが増えただけで、どんどん自由に遊べる時間は減少していて、全然そんなことはないわけだから、ちょっと単純に考えすぎている気がする。

先週、国会で性教育のことがやり玉に挙がりました。小学校3年生の教科書に掲載されている性交についての図解が行き過ぎているというもので、中山文部科学大臣は「子どもたちの発達段階に応じてきちんと教えるべきだ。行き過ぎた性教育は子どものためにも社会のためにもならない」と答弁し、全国調査を検討する考えを示しました。小泉首相は、「性教育は我々の年代では教えてもらったことはないが、知らないうちに自然に一通りのことは覚える。ここまで教える必要があるのか。教育のあり方を考えてほしい」と答弁したのですが、どうもこの答弁も表面だけを見て、中身がわかっていない。

次回につづく。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月14日 (木)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第149回】「学校の対応」

歴史のある大学附属高校とのやりとり。
「うちのクライアントの××さんが内部進学の基準のことで精神的に非常に不安定になっいます。カウンセリングをするに当たって、本人からの情報だけでなく、学校からの情報もお教えいただけないかとお電話をさせていただいたのですが。もちろん、学校のお立場として、お話しいただけないこともあろうかと思いますので、お話しいただける範囲でけっこうなのですが…」

このお嬢さんのことでは、すでに一度修学旅行の件で、お母さんと一緒に学校を訪問したことがありました。リストカット(手首や腕を刃物で傷つける行為)とオーバードーズ(精神安定剤や睡眠導入剤などの薬物を規定量以上に飲んでしまうこと)があるということで、学校は修学旅行へ参加させることを躊躇していましたが、校長先生にお会いして、カウンセリングによる成果と危険がない旨を丁寧にお話しし、なんとか修学旅行に参加することができました。もちろん、なんの事件もなく九州のおみやげを持って無事帰ってきました。
以前から、保健室の利用が頻繁で、学校としても対処の仕方に困っていたところだったらしく、校長先生は“何か問題があったらいつでも学校にご連絡ください”と言ってくださいました。そこで、内部進学の件の電話になったわけです。

最初に電話に出た先生にざっと要件をお話しすると、進路担当の先生に替わってくださいました。
「××のことは私も聞いています。内部進学の基準のことでしたら、学部によって違いますが、人気のある××学部なら評定平均××点(学校から出される各教科の5段階評価を合計し、科目数で割ったもの)以上、人気のない××学部は、年によって変わるのではっきりしたことは言えませんが、おおよそ××点くらいで内部進学できると思います。これは、他の者ではわからないので、進路担当の私しかお話しできないことですから。私、まだ昼食取ってないので、これで失礼します」
“進路担当の私しかお話しできないこと”は、クライアントの××さんから聞いた話以上のものは何もありませんでした。
もう少しこちらの事情をお話ししようと、
「××さんの…」
と言いかけると、
「私、お昼をまだ食べてないので」
と一方的に切られてしまいました。

電話をかけてからほんの2、3分のやり取りで、一方的に話をされただけ。こちらとしては、まだ何も話をしていないのでもう一度かけ直すと、さっきかけたときと同じ先生がまた電話に出て、
「××先生はお忙しいんですよ。まだ、お昼も食べてないんですよ」
と切られてしまいました。この時は12時40分で、当然こちらもお昼を食べていなかったわけですが…。
仕方なくお忙しいとは思いながら、校長先生にお電話をすると、
「××先生はお忙しかったんじゃないですか」
と自分の学校の教員をかばうばかり。
「校長先生も××さんの状況はご存じじゃないですか。何でもお電話くださいということでしたから、お電話をさせていただいているのに、お昼を食べてないということで、こちらが何もお話ししないうちに切られてしまうのでは困ります」
とこちらが話すと、校長先生から返ってきた言葉は、
「私がどうすればいいんですか?」
でした。
おいおい、それはそっちが考えることだろっ!

学校が終わってやってきた××さんに学校とのやり取りを話すと、
「うん。いつもそんな感じ。相談に行ったってしょうがないよ。だから、誰も行かないの。私たちがお昼を食べてなかったりすることはおかまいなしだけど、先生たちはお昼食べてないとだめなんだよ」

あああ、教員との信頼関係はどうなってるんだろう?
相談にも乗ってくれない先生の言うことを聞けと言っても、無理な話ですよね。 


**2月28日(月)掲載**


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
 

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   今の学校は 2005/03/03 14:21:23  
 
                      みっちゃん

 
  みんなそうなんじゃないですか?
先生は当てにならないです。

ほんとに話を聴いてくれないし
見下したような態度だし(生徒を)

うちの子だって、あわや、死に掛かったというのに。

今日は3年生はディズニーランドだそうです。
校外学習?

もっと他にすることあるんじゃないかな。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。     
 
 

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   学校と社会 2005/03/04 9:42:57  
 
                      ちぃまま

 
  先日、小学校の入学説明会に参加したところ、学校と社会の常識は違うということを痛感しました。
配布された書類を確認せずに、話を始めたので驚きました。また説明のない書類が入っていました。
その後、分からないことがあり電話で問い合わせをしたら、担当の教諭がいなかったので、電話口に出られた先生が「(担当の先生に)内容を伝えておきます。2、3日後に電話してください」とおっしゃったので、3日後再び電話をかけると、担当の先生に伝言が何もされていず、驚きました。

「伝言」すらできず「社会と常識が違う」ところだとおもい、通わすのが不安になりました。
子供が学校に通いたくないといいだしても、仕方が無いと思ったほどです。
 
  
元の文章を引用する
 

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   社会とのズレ 2005/03/04 13:28:13  
 
                     
                              http://www.ed-cou.com大関直隆

 
  まったくお二人がおっしゃっている通りだと思います。
学校というところは、社会の中で自分たちが置かれている状況にあぐらをかいて、
威張っている上にちゃらんぽらん。
それで通ってしまうのだから、いろいろな問題が起こってくるのは当然です。
文句を言っていく親がいれば、「非常識な親が増えてきた」と切り返す。
百歩譲って”非常識な親が増えてきた”としても、
そういう親たちを教育してきたのも学校だろって言いたくなる。
もちろんすべての責任が学校にあるなんて思っていないし、
本当によくやっている先生方もたくさんいるんだけれど、
学校の悪さっていうものは、何人かの”いい先生”ではカバーできない。
しかもその俗に言う”いい先生”っていうのが、
生徒や親にカッコをつける目立ちたがり屋のスタンドプレーが好きなだけの、
”ある生徒”にとっては害になる先生のこともある。
学校はもっと自分たちのやっていることに責任を持つべきだし、
それだけ重い仕事であることを真剣に考えてほしい。
こういう言い方をすると、生徒に対する管理を強めるだけになってしまうので、
言い方が難しいですけれど、
要するに教員は楽をするなっていうことです。
”楽じゃない”って切り替えされちゃうので、
こういう言い方も難しいかな?
自分たちの置かれておる立場を理解せずに、
簡単にそう切り返せる教員の感覚が、世間ズレしているんだと思うんですけどね。
もっと社会の現実をきちっと見てほしい。
142回と143回で登場した学校は、
あの話の後、窓ガラスが割られるという被害を受けました。
学校のやり方に反発している子どもたちを、
”病気”として片付けてしまえば、学校の安全は保たれなくなります。
今、本当に学校がしなければいけないことが何なのか、
猛省の上に、よく考える必要があるのではないかと思います。
さっき、ネットに埼玉県の教育委員会が校長研修の際の講師に、
”体罰やわいせつ行為の被害にあった子どもの親を招くことになった”という記事が、
配信されてきました。
やらないよりはいいけれど、被害者がはっきりしているような事件というのは、
かなりひどい先生が起こした特殊な事件であって、
問題なのは、日常的に行われている普通の先生の普通の生徒指導が問題なんだということを、
一刻も早く、教育行政を司っている人たちに知ってもらいたいですね。

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