2022年6月13日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第289回「インフルエンザの予防接種を初めて打ってみました」

今年、初めてインフルエンザの予防接種を受けてみました。インフルエンザの予防接種は、副作用の危険がある上、効かないというもっぱらの定説で、大阪赤十字病院小児科医師の山本英彦氏や子どもの健康相談などでも有名な毛利子来(たねき)氏を始め、予防接種そのものの中止を求めている方々や団体も数多くあります。
(http://www.ne.jp/asahi/kr/hr/vtalk/infl_appeal0311.htm)
医療に関する考え方は、人それぞれで、発熱の場合でも、どの程度の熱がどれくらいの期間続いたら、薬を使って下げるかという判断も、医師によってもまちまちです。もちろん、名のあるような重病がはっきりしている場合は別として、風邪やインフルエンザといった症状の場合は、とても難しい判断を迫られます。脳炎や脳症も、インフルエンザそのものより、圧倒的に解熱剤が原因ということも言われており、子どもへの薬の使用は、極力慎重であるべきことは言うまでもありません。
11月28日配信のロイター通信の記事でも、ワクチンよりも手洗い、マスクの有効性を伝えており、ネット上のフリー百科事典『ウィキペディア』にも、
「一般的な方法として最も効果が高いのはワクチンの接種であると言われていた。しかし2007年11月28日、ロイター通信社の配信ではインフルエンザや新型肺炎(SARS)などの呼吸器系ウイルスの感染を予防するには、薬よりも手洗いやマスクの着用といった物理的な方法が効果的との可能性を示す研究結果が明らかになった。国際的な科学者チームが51の研究結果を精査。所見を英医学会会報で発表した。研究チームでは「山のような証拠は、ワクチンや抗ウイルス薬がインフルエンザの感染を予防するのに不十分であることを示した」として、国の流行病対策プランはより簡単で安価な物理的手段に重点を置くべきだと提言している。」と記載されています。
そういうことを考えると、インフルエンザ予防接種の有効性といったものに対しては、疑いを持たざるを得ませんね。もちろん、有効性を示すデータというのは存在するわけですが、データの採り方そのもの(作為があるという意味で)に疑問を呈している人たちも多く、やはり少なくとも子どもには打たない方が無難ということでしょうか。
そんな考えの中で私が今年予防接種を受けたのは、「もし、効いたらラッキー!」という程度のことです。ある意味、人体実験とも言えなくはないですが、私の仕事も妻の仕事も身体が資本。特に妻のやっているカウンセリングは、妻でないとできないことがほとんどで、もし、インフルエンザで何日か寝込むことになれば、その分売上に響くのはもちろん、万一クライエントさんやカウンセラー資格取得講座にお見えの研修生の皆さんに移してしまったら大変です。私の陶芸教室の方はと言えば、私自身のインフルエンザが妻ほど売上に影響することはありませんが、70代、80代の会員さんも多く、年輩の会員さんが重いインフルエンザや肺炎とかいうことにでもなれば、命にも関わってしまうことだってあります。そんな状況の中でも、基本的に休みはないし、私がいないと困ることもあるので、去年や一昨年などは、点滴をしながら仕事をしていたなんていうこともありました。
有効性を信じていないにもかかわらず、「もし効いたら…」なんて、矛盾だらけですが、ほんのわずかな期待を込めて、打ってみたというわけです。
問診票の裏を読んでサインをするよう書いてあるので、問診票の裏に目を通すと、とにかく副作用のことが延々と書いてある。これだけのことを読んでも、あなたは予防接種をしますか?ということなんでしょう。副作用については充分に説明はしましたよ、それでも打つって決めたのはあなたですよっていうことなんですね。私は、そこをビクビクしながらクリアして打ったわけですが、とりあえず私には副作用は出なかったようです。
卵とゼラチンにアレルギーのある方は要注意とか。私はいろいろなアレルギーを持っていますが、卵とゼラチンは大丈夫なんですよね、幸いなことに。
もし家族中が罹っても私がインフルエンザにならなければ、来年は妻も打つことになるのかな? まあ、人体実験はあまりしない方がいいですよね。もし効いたとしても、孫たちに打つことはないと思います。
ドイツでバレエダンサーをしている努がまだ小さいころ、ペニシリンの注射を打ったことがありました。アレルギーがあるとはまったく思えなかったにもかかわらず、腕は腫れ、大きなしこりがかなり長い間消えませんでした。私も、まったくアレルギーはないと思っていたのに、10数年前に花粉症が発症してからというもの、スギ、ヒノキはもちろん、切り花もダメ、ポプリ、アロマ、ハーブもダメ。アレルギーの怖さは充分に知り尽くしたので、今年は大変なリスクを冒してしまいましたが、孫たちにだけは、大きなリスクは背負わせたくありません。
肝炎訴訟の解決が長引く中、国には製薬会社の利益を優先させることなく、国民の安全に対する最大限の配慮をしてほしいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第288回「異住所交流会」

「そちらに中山紀正(仮名)さんが入院していると思うんですが、何号室ですか?」
「そういうことにはお答えできないんですよ」
「えっ、親戚のものなんですが…」
「規則ですから」
「すぐそばまで来ているので、これから伺おう思うんですが、入院はしてるんですよね?」
「それもお答えしかねるんですが…」
「えーっ!入院してるかどうかも教えてもらえないの?」
「はい、規則なので…。どなたかご親戚の方にご確認ください」
「だからぁ、私がその親戚だっちゅーの!」
水戸の近くの病院に義理の弟(正確に言うと元義理の弟)が癌で入院し、放射線治療を受けていると甥から聞いて、お見舞いに行こうとしたときの病院との電話のやり取りです。「元」なので、正確には親戚ではないし、普通だったら「お見舞い」でもないのですが、義父の通夜にもわざわざ水戸から駆けつけてくれて、義母が「今までもお世話になったし、孫の父親なんだからこれからも孫のことではお世話になるんだし」と言うので、婿と元婿というやや関係の遠い私が、病院を訪ねることになったのでした。
「どうしようかなあ?」と思いましたが、わざわざ水戸まできて、用も足さずに帰るわけにもいかないので、ややこしい関係でお見舞いに行く前から甥に負担をかけるのは嫌だなあと思いつつ、甥に電話をかけて、確かめることにしました。
個人情報保護法が施行されてから、こんなことがよく起こります。
先日、病院内で人違いから射殺されるという事件が起きました。あの場合は確認ができていれば、事件に巻き込まれなくてすんだケースでしたが、他人に教えてしまったことで、事件に巻き込まれるということも考慮してのことなんでしょうか。
あまりそういった事件を聞いた覚えはないのですが…。
私の住んでいるマンションの管理組合の定時総会で、「名簿に電話番号を記載しないでほしい」という意見が出されたことがありました。個人情報保護法が制定される前のことで、管理組合では、毎年部屋番号と電話番号が記載された居住者名簿を作成して、全戸に配布していました。売られた名簿を元に頻繁に電話がかかってくるということが社会問題化していたときで、名簿の問題に敏感な人たちが出始めたころのことです。総会では、様々な意見が出ましたが、それまで、名簿があっていろいろな連絡やコミュニケーションが取れていたということもあり、電話番号はそれまで通り載せるということで決着しました。
その後、個人情報保護法が施行となり、現在では電話番号だけでなく、名簿そのものを作らないことになっています。
今年も、そろそろ年賀状の季節。孫の通う幼稚園では「異業種交流会」ならぬ「異住所交流会」(そんなもの本当にあるわけはないですが)があるらしく、なにやら住所を書いた名刺のようなものを作っては、年賀状のやり取りをする人に渡しているようです。
私も会社をやっている関係で、生命保険会社やこのエッセイでもお世話になっている商工会議所の「異業種交流会」には、何度か出席させていただいていて、名刺を交換することの意味・意義は充分に理解しているつもりですが、幼稚園までそんなことをしなくてはならなくなっているとは…。
どうやら、電話の連絡網だけはあるらしく、運動会や遠足といった行事の時には、電話がかかってくることはありますが、住所がわからない。そのため、年賀状を出すには、住所の書いてある名刺様のものを交換しておくのが手っ取り早いということなのでしょう。昔は名簿を見ては、「この人とはあまり関係がよくないから、年賀状を出しておこうかな?」なんて、関係改善を図ったりもしていたんですけれど、いまでは仲のいい人とだけのやり取りになっているんでしょうね。
確かに住所や電話番号が漏れるということのリスクもありますが、それが行き過ぎると「地域社会の崩壊」につながります。うちは10階建てマンションの1階にあるので、たまに上の階から物が落ちてくることがあります。さすがに下着が落ちてきたりしたときには、何も言ってこないこともありましたが、これまではほとんどの場合落とした本人か管理人室から連絡があり、取りに来ていました。ところが、名簿がなくなってからは、連絡があることが少なくなりました。これまでだったら、管理人室を通して連絡があったような場合でも、たいていは、直接謝罪の電話くらいはあったものですが、今では各階に1人いる理事を通さなくては連絡が取れないので、「落とした」という連絡そのものもなくなりましたし、謝罪の電話があることもなくなりました。
もちろん、「どこの部屋にどんな人が新たに越してきた」などということもわからないので、廊下や駐車場で顔を合わせ、「こんにちは!」なんて声をかけても、「あれっ?あんな人いたっけ?」ということも…。「これで不審者を見分けられるのかなあ?」と不安になることさえあります。
以前小学校での防災訓練では、電話が通じないという想定で、家から家へ直接伝えるという方法で、安否の確認や避難の仕方、誘導などを行うという訓練を行っていました。ところが、ここまで住所が非公開になってしまうと、ごく限られた、しかも普段自分に心地のいい人間関係しか存在しなくなっているので、地域の連携などまったく考えられません。
行き過ぎた個人情報の保護を改めようという動きもあるようですが、子どもを守るという観点から考えれば、何が本当に重要なのか、もう一度考え直す必要があるのではないかと思います。
つい先日、
「年賀ハガキ、買ったよねぇ? 何枚かもらってもいい?」と娘の麻耶が私に聞きました。
今年も娘と孫は「異住所交流会」で名刺(?)交換をしたお友だちと年賀状のやり取りをすることになるんでしょうね、きっと。

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2022年4月30日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第266回「曾孫の威力 後編」

7月6日午前4時7分、父は永眠しました。通夜は実家の近くにあるお寺の会館を借りて行うことになりました。これから通夜へ向かうところです。まだ父は、実家にいます。たった今、曾孫の蓮と沙羅が自宅から実家へやってきて、お線香を上げました。

父は第2次大戦当時、海軍甲種飛行予科練習生として、霞ヶ浦の航空隊にいました。今でも毎年、同期の方々の集まりを行っているのですが、今年は6月17日に会津東山温泉で行われました。数年前から歯茎の状態が悪く、形状がどんどん変わってしまうため、入れ歯を何度作り直してもうまく合わなかったこと、目先の具現化された生き甲斐がなかったこと等もあって、「食べる」という「欲」がなくなり、痩せ細り、体力も限界に来ていました。会津までの数時間が果たして耐えられるのか、甚だ疑問ではありましたが、数ヶ月前からそれに参加することを一つの糧として生きてきたという父の状況もあり、全く大げさではなく、それに伴う疲労のための「死」も覚悟で、連れて行きました。

「同期の会」では、精一杯の気力と体力を振り絞って、宴会に参加しました。自分がそこにいることの意味や参加している同期の皆さんのことが果たして理解できているのか・・・、それもよくわかりませんが、すでに亡くなってしまった戦友の皆さんに黙祷し、そして全員で「同期の桜」を歌い出すと、父も精一杯「同期の桜」を歌っていました。

残念ながら、会の皆さんと最後まで同行することはできませんでしたが、一泊して無事帰ってきました。午後1時頃には自宅に戻りましたが、その日の父はいつになく興奮しているようで、普段だと夜9時過ぎくらいには自室に戻り寝てしまうのに、この日ばかりは深夜0時くらいまで起きていて、曾孫と遊んだり、話をしたりしていました。

けれども、やはりそれが引き金となり、とうとう食べることに対する「欲」だけでなく、体力もなくなり、6日に亡くなったのです。

何度か大きな手術は経験しましたが、「俺はどこも悪いところがない」と本人が言うように、確かに病名がつくようなものは一切ありませんでした。しかしそれは、「治療」という範疇のものが一切できないということであり、父の「生」は、父の生きる意欲次第ということでもあります。

会津から帰宅して2日目、体力も限界に来たと判断し、救急車を呼んだこともありましたが、父は断固拒否。「俺はどこも悪くないんだ! やることがないから、ここで寝てるんだ!」と言う父を入院させることはできませんでした。「やることがない」父の、唯一の「やること」が曾孫と食事をし遊ぶことでした。我々がいくら呼んでも部屋から出て来ようとしない父も、
「ひいじいちゃん、ご飯だよ!」
という曾孫の呼びかけにだけは反応し、必ず食卓までやって来ます。もうすでに立つことすらままならなかった死の2日前は、這って食卓までやって来ました。

曾孫たちはそれを見て、「ひいじいちゃん、赤ちゃんみたい!」と言うのですが、それは父をバカにしているのではなく、むしろ、よだれを垂らし、紙おむつをし、悪臭を放っている「ひいじいちゃん」をまったく差別の対象として扱っていないことの表れでした。大人なら、手を触れることすらはばかりたくなるような状態の父に、頬摺りすらするのです。そんな曾孫たちと食事をし、遊ぶこと、それが父の唯一の生への絆だったのです。

7月5日、私と蓮と沙羅で、「七夕飾り」を作りました。蓮は、まだすべてのひらがなが書けるわけではありませんが、「またひこうきとばそうね」と書きました。沙羅は、ひいじいちゃんの絵を一生懸命描きました。大人が声をかけると強く手を振り拒否をするのに、「ひいじいちゃん!」と声をかけながらおでこや頬をツンツンと突っつく曾孫たちには、時に笑顔すら浮かべ、握った手を握り返したりするのです。

死の直前、大人の呼びかけには応えなかった義父が、義父の手をそっと撫でた沙羅に対し、縦に手を振り「よしよし」という仕草をしたのにそっくりだと感じました。人間の生命の継承はこうして行われているんだ、とつくづく感じる瞬間です。

父のいなくなった部屋の時計をじっと見ていた蓮が、
「(ひいじいちゃんは動かなくなっちゃったけど)時計は動いてるね」
と言いました。


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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2022年4月29日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第259回「再び、赤ちゃんポスト」

毎週日曜日になると、どんな話題を取り上げようかと迷います。基本的に、月曜日の朝8時半までに原稿をテキストファイルで商工会議所の担当者の方にお送りしているのですが、何らかの事情で遅れてしまう(ある時は外出先で電波の状態が悪く送信できなかったり、ある時はメールに原稿のファイルを添付し忘れたり…ということがこれまでにもあったんですけど)と穴があいてしまうことになるので、極力入稿の遅れだけはしないようにしています。以前に「一週間前に送ってほしい」(来週の分を今週に)というお話もあったのですが、毎週の連載エッセイという性質上、話題はできるだけタイムリーにと思い、結局、月曜日の入稿直前に原稿を仕上げることにしています。
ここのところ、取り上げたいことがたくさんあり過ぎて困ります。その都度取り上げてはきているつもりですが、教育改革、代理出産、離婚後300日問題、少年犯罪、いじめ・不登校、子どものうつ、子どもの自殺、子どもの虐待、赤ちゃんポスト…。
明るい話題がないことがとても残念です。本来なら一つ一つを丁寧に取り上げ、数回にわたって述べた方がいいのかもしれないのですが、そういう余裕もないくらい様々なことが起こります。ここ数日でも、赤ちゃんポストへの3歳児の遺棄、母親殺害事件。それと時を同じくして教育改革関連3法案が衆議院を通過したのも何かの巡り合わせでしょうか。
母親殺害事件にも触れてみたいのですが、まだ事件の概要がはっきりしてこないので、あらためて。
今日は再び、赤ちゃんポスト。
赤ちゃんポストへの3歳児の遺棄は、慈恵病院にとっても想定外のことだったようですが、この程度のことが想定外であったということが、そもそも問題なのだろうと思います。私は、この連載の第248回で『ポストがなければ捨てられないのに、ポストがあるから捨てられるということは起こるでしょう。それを「ポストのせいだ」と証明するのは難しいことですけれど。慈恵病院は「ポストがなければ、この子は死んでいたかもしれない」というような言い方をして、ポストに入れられる子が多ければ多いほど、ポストの正当性を主張するのだろうと思います。ポストがなかったら、捨てられないですんでいたかもしれない赤ちゃんなのに…。』と述べました。3歳児というのは、この時点での私にとってもちょっと「想定外」ではあったのですが、今回の件は、「ポストがなければ捨てられない」というのは、ほぼ間違いなかったのではないかと思います。そして、“言葉をしゃべれる”3歳児であったために、「ポストがなければ、死んでいたかもしれない」といういかにも正当なような慈恵病院の主張もできませんでした。
もちろん「育てられないと思っている両親に育てられることが幸せか」という議論はあるでしょう。けれどもそれでは、「両親に捨てられて育ったということが幸せか」ということになってしまいます。
私たちが考えなくてはいけないのは、「両親の元で育てられるような環境を社会がどう提供するか」ということです。私は、どこまでもどこまでもそういう方向で努力をすること以外に、社会の取るべき道はないと考えています。「それでは死んでいく子どもは救えない」という人がいるかもしれませんが、だからといって「子どもを棄てる」という行為が正当化されるわけではないのです。「子どもを死なせない努力」というのは結局のところ「子どもを棄てさせない努力」なのです。だとすれば、「棄てる場所」が必要なわけはありません。
ドイツで暮らしている息子が6月か7月に一時帰国することになっています。ドイツでは「赤ちゃんポスト」が社会的にどう見られているのかを聞いてみようとは思いますが、先日見たテレビの報道は、慈恵病院の認可の前の報道とはかなり隔たりのあるものだったのに、びっくりしました。認可前には、ドイツではあたかも赤ちゃんポストが社会的に受け入れられているような報道(慈恵病院の会見での内容がそうなっていたということかもしれませんが)が先行していましたが、3歳児がポストに入れられてからのドイツでの街頭インタビューでは、設置自体を知っている人がほとんどおらず、しかも設置についての意見も賛成、反対で2分しているようでした。さらに、ポスト設置を周知させるためのキャンペーンを賛成派のグループが企画したところ、遺棄を助長するということでキャンペーン自体が中止に追い込まれたという報道もありました。
どちらが正しいのか息子によく聞いてみようとは思います。まあ、ドイツの状況がどうであれ、私の考えが変わるわけではないのですが…。
安易に救いの手を差しのべることで、生まれなくてもすむ不幸な子どもたちを増やすのではなく、本来私たちが行わなければならない救いの手を差しのべて、一人でも不幸な境遇に置かれる子どもたちを減らしたいものです。

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2022年3月21日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第255回「代理出産」

最近の出産医療の現場にはとても強い懸念を持っています。
大きく取り上げられるようになったのは、やはり高田延彦、向井亜紀夫妻の代理出産の件からだと思います。
つい先日も、最高裁判決がありました。
「タレントの向井亜紀さん(42)夫妻が米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子の男児(3)について、夫妻を両親とする出生届けを東京都品川区が受理しなかったことの是非が問われた裁判で、最高裁第2小法廷は23日、受理を区に命じた東京高裁決定を破棄し、出生届受理は認められないとする決定をした。
 古田佑紀裁判長は「現行の民法では、出生した子の母は懐胎・出産した女性と解さざるを得ず、代理出産で卵子を提供した女性との間に母子関係は認められない」とする初判断を示した。向井さん夫妻側の敗訴が確定した。(3月24日 読売新聞)

もう少し最高裁判決を詳しく見てみると、
「実親子関係は,身分関係の中でも最も基本的なものであり,様々な社会生活上の関係における基礎となるものであって,単に私人間の問題にとどまらず,公益に深くかかわる事柄であり,子の福祉にも重大な影響を及ぼすものであるから,どのような者の間に実親子関係の成立を認めるかは,その国における身分法秩序の根幹をなす基本原則ないし基本理念にかかわるものであり,実親子関係を定める基準は一義的に明確なものでなければならず,かつ,実親子関係の存否はその基準によって一律に決せられるべきものである。したがって,我が国の身分法秩序を定めた民法は,同法に定める場合に限って実親子関係を認め,それ以外の場合は実親子関係の成立を認めない趣旨であると解すべきである。以上からすれば,民法が実親子関係を認めていない者の間にその成立を認める内容の外国裁判所の裁判は,我が国の法秩序の基本原則ないし基本理念と相いれないものであり,民訴法118条3号にいう公の秩序に反するといわなければならない。」
と述べています。
最高裁判所としては、「単に私人間の問題にとどまらず,公益に深くかかわる事柄であり,子の福祉にも重大な影響を及ぼすものである」ということが大変重要なわけで、大変良識的な判決であったと思います。
私のように子どもがいたり、孫がいたりするような者には、不妊の問題を語るのは大変難しいのですが、生殖医療の問題も含め、強く懸念しているのは、代理出産や生殖医療が、大きくお金と関わっていること、子どもができるということばかりが前面に出て、危険を伴うことだという報道が非常に少ないこと、子どもができないということがまるで犯罪被害者や交通事故の被害者のように「かわいそう」といった悲劇のヒロインに祭り上げられている(今は「かわいそうな女性」となっていますが、これが行き過ぎると「子どもを産めない女は女ではない」となりかねないと心配しています。1月の「女性は産む機械」という柳沢発言などとも重なって…)ことなどです。
最近の生殖医療の報道を見ていると、産む側あるいは親になる側の権利というか選択というか、そういうことを大きく報じ、「かわいそうだから救ってあげよう」という雰囲気を必要以上に演出しているように感じます。もちろん報道にだけ言えることではなく、世論の方向もそちらに傾きかけている。けれども、子どもが生まれ育つということの中心は、子どもであって、親の満足ではないはず。どうもそこの根幹部分が抜け落ちて、まるでペットを飼うとか、ぬいぐるみや人形をかわいがるというような感覚で、子どものことが語られているようにさえ感じます。
昨日(15日)、「体外受精による妊娠は妊娠異常が多い」という報道がありました。産婦人科学会でもさまざまな意見がある中、何が正確で、何が公平な発表・報道なのかということも、われわれには判断しにくい部分はありますが、単純に感情に惑わされることなく、子育ての本質を忘れないようにしたいものだと思います。
やはり、出産・子育ての主役は親ではなく、あくまで子どもなのですから。

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2022年2月 1日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第248回「赤ちゃんポスト」

熊本市の慈恵病院が、「赤ちゃんポスト」の設置を市に申請している問題で、厚生労働省は、市に対し「医療法や児童福祉法などに違反しない」として設置を認める見解を示したそうです。
厚労省の辻哲夫事務次官は22日の定例会見で、「赤ちゃんの遺棄はあってはならないが、遺棄されて死亡するという事件が現実にある。今回は十分な配慮がなされてポストがつくられれば、認めないという理由はない」と述べたということです。
刑法施行当時のことから考えると、「子どもを捨てる」ということは想定内、「子どもを捨てさせる」ということは想定外ということだったのでしょう。だから、「捨てる」という行為は罰せられても、慈恵病院の行為のように「救う」ということが前提の「捨てさせる」という行為に対しては認めない理由がないと…。
そうは言っても、専門家の中には、保護責任者遺棄幇助に当たると考える人たちもいるようです。子どもの捨て場所を作るという行為が、「救う」なのか、「捨てさせる」なのか、いずれ法の場で裁かれることになるかもしれません。
多くの赤ちゃんポストが設置されているドイツがよく引き合いに出されますが、歴史も宗教観も違うところを単純に引き合いに出すことは、どうかと思います。
テレビを見ていると、この問題について、ニュースキャスターやコメンテーターが、様々な意見を言っています。おおかたの意見は、「反対だけれど、捨てられて死んでしまう子どもを救うためって言われると…。難しい問題ですね」というような感じでしょうか。
賛成という人たちの考え方というのは、「ポストの設置によって一人でも赤ちゃんが救えるのなら」ということでしょう。そして反対という人たちの気持ちの中にも、「遺棄を助長するから」という気持ちはあるけれど、「死んでしまうよりはまだましかも」という迷いがある、「じゃあ遺棄されて死んじゃってもいいの?!」と言われると、なかなか有効な手段が提示できないだけに、「絶対反対」とは言いづらい。
私は、こういった議論の中に、決定的に欠けていることがあると思います。それは、「子どもが死んでしまうような遺棄の仕方をする人が、わざわざポストまで行って子どもをそこに入れるのか」という議論です。これまでの赤ちゃんの遺棄事件を考えたとき、「もしポストがあったら救えた」というような事例があったでしょうか。いくら考えても、押し入れの中の段ボールに生まれたばかりの赤ちゃんを入れてしまうような人や道端に赤ちゃんを放置してしまうような人たちが、果たしてポストまで赤ちゃんを入れに行くのか、という疑問にぶつかってしまいます。
「捨てる側」と「救う側」の意識のずれは、相当大きなものなのではないか…。
赤ちゃんが死んでしまうような捨て方をする人たちの中に、「子どもを助けて!」という叫びがあるのだろうか、と疑問を抱かずにはいられません。
おそらく、今回のポスト設置で、殺される子どもたちは減りません。私が懸念しているのは、むしろ「赤ちゃんをポストに捨てる」ということを国が認めるということで、命を軽んじる風潮が広がり、殺される子どもが増えるかもしれないということです。多くの人が心配しているように、ポストがなければ捨てられないのに、ポストがあるから捨てられるということは起こるでしょう。それを「ポストのせいだ」と証明するのは難しいことですけれど。慈恵病院は「ポストがなければ、この子は死んでいたかもしれない」というような言い方をして、ポストに入れられる子が多ければ多いほど、ポストの正当性を主張するのだろうと思います。ポストがなかったら、捨てられないですんでいたかもしれない赤ちゃんなのに…。以前、病院やお寺の前などに子どもが置き去りにされるということがよくあった。もしかすると、子どもが死んでしまうかもしれない、でも死なせたくない、そういう葛藤の中で、子どもが生き延びられる可能性が高いところを選んで遺棄した。そこには、「子どもが死んでしまうかもしれない」という遺棄に対する歯止めがあった。絶対死なないとわかっていたら、かなり遺棄はたやすくなる。
子どもは、「社会のもの」、「地域や国の宝」という考え方があります。私もそれには賛成です。子どもは夫婦が育てるというより、国民すべての総掛かりで育てるといった方が正しいのだろうと思います。けれどもそれは、子育てのすべてを地域や国といった社会が負うという意味ではありません。子育ての責任を負っているのは、当然のことながらまず第一に両親です。親が親として子どもを育てられるよう援助していく、それが政治や行政や国民すべてに負わされた負担だと考えるべきです。
ポストの設置によって守られるのは、いったい誰の権利なのか。一見、「死から子どもを守っている」ように見えるけれど、仮にポストで子どもを死から守れた(私はそう考えませんが)としても、やはり犠牲になっているのは子どもに他ならないのです。結局保護されるのは、親の無責任とエゴだけです。
社会全体に、「辛くて苦しいことはイヤ!」という風潮が蔓延している現在、また一つ「大人が楽をする」という流れを作ってしまうことがとても心配です。親が親としての責任をしっかり背負って、それでも楽しく子育てができるよう援助をするのが、あらゆる社会資源の責任。対処療法的スタンドプレイに走るのではなく、遺棄される子どもを守るために、もっと子どもの立場に立った、地に足の付いた援助の仕方を真剣に考えるべきだろうと思います。赤ちゃんポストの設置以外に子どもの命を救う方法がないというほど、日本の子育てに対する支援がやり尽くされているとは、到底思えないのですが…。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年12月28日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第231回「命の重さ」

また悲惨な事件が起きてしまいました。
さっきテレビのニュースを見ていたら、流れてきてのは横須賀の小学5年生が自殺したというニュースでした。まだ、はっきり自殺と断定されたわけではないようでしたが、警察は「自殺した可能性があるとみて調べている」とか。地上約1.8メートルの電柱を支えるワイヤのプラスチックカバーの上から自転車のチェーン錠をかけ、首をつっていたらしい。発見される直前に、自宅のある団地施設内で焼き芋を焼こうとたき火をしているところを帰宅した母親に叱られ、自転車で家を出たということのようなので、母親に叱られたことが原因ではないかと見られているとのことでした。
日常的な母親と子どもの関係がどんなふうにあるにせよ、たったそれだけのきっかけで命を絶つ必要があるのだろうか…。とても信じられない気持ちでニュースを見ました。
先日の北海道滝川市の小学6年女児の自殺の問題は、当初「いじめの事実は確認できない」としていた滝川市教育委員会に、遺書の内容が報道されて以来抗議が殺到し、とうとう教育長が辞任するという事態にまでなりました。
10月2日、毎日新聞北海道版の記事によると、遺書は次のようなものでした。

■女児の遺書の内容 ※一部抜粋、かな遣いなどは原文のまま
◇学校のみんなへ
この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう
私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から「キモイ」と言われてとてもつらくなりました。
6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。何度か自殺も考えました。
でもこわくてできませんでした。
でも今私はけっしんしました。(中略)
私は、ほとんどの人が信じられなくなりました。でも私の友だちでいてくれた人には感謝します、「ありがとう。」それから「ごめんね。」 私は友だちと思える人はあまりいませんでしたが今まで仲よくしてくれて「ありがとう。」「さよなら」。(後略)
◇6年生のみんなへ
6年生のことを考えていると「大嫌い」とか「最てい」と言う言葉がうかびます。(中略)
みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました。(後略)

報道によると「私が死んだら読んでください」とのメモ書きとともに計7通の遺書が教壇の上に置いてあるのが見つかったそうですが、すべてを鵜呑みにするということではないにしても、なぜここまで追い詰められた少女の気持ちを真っ直ぐに受け止めようとしなかったのか…。
横須賀の5年生の問題のあとには、11日に自殺した福岡の中学2年生の男子の問題が、子ども同士のいじめだけではなく、教師からのいじめを受けていたというニュースが流れてきました。本日(16日)の朝刊に大きく報道されているようなので教師の言動については触れませんが、教師の言動としてというより、人としてまったく信じられない言動が繰り返されていたことに、あきれるばかりです。
人が人として生きていく上での倫理観は、いったいどこに行ってしまったのか…。
先日、向井亜紀・高田延彦夫妻の代理出産による双子の出生届の受理について、品川区長に対し出生届の受理を命じる決定が、東京高裁から出されました。
昨日(15日)は、娘夫婦の受精卵を50代後半の実母の子宮に戻し出産した事例があると、長野県の産婦人科医師から発表がありました。
私には実子がいるので、子どもができない人たちの苦しみが充分にわかるとは言えませんが、正直言ってここのところの報道や世の中の動きには、かなりエゴイスティックなものを感じ、違和感があります。向井・高田夫妻の双子の出生届が受理されないという状況も、実際に子どもは生まれてしまっているわけですから、高裁の判断というのは妥当かなとは思います。けれども代理出産自体、あまりにも子どもを親の立場からだけ見てはいないか。科学の進歩とともに、いろいろな形での出産が可能になりました。私が子どものころ、妹が「小麦粉をこねこねして赤ちゃんを作る」と言ったことがありましたが、最近の命の誕生は、まるでこういった表現が当てはまるようにすら感じます。代理出産の是非を頭ごなしに非とするつもりはありませんが、もっと子どもの人権という立場での議論が必要なのではないか…。
そういう議論をどこかに置き去りにして、世の中が進んでいる現状が、倫理観の欠如を助長し、子どもの自殺にもつながっているように感じてなりません。子どもは親のものではなく、社会全体のものなんだという意識を社会が共有したとき、初めて子どもたちが大切にされる世の中が来るように思うのですが…。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年12月14日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第228回「義母の死 後編」

義母の手を取っても、握り返す力もありませんでした。ここに妻と私がいるということはわかっているようですが、義母にはすでに自分の意志を伝えるだけのエネルギーが残っていないように見えました。すっかり変わり果てた義母をじっとそばで見つめているのはとても辛くて、私は義母の足の方に下がりました。
しばらくすると、看護師が、先生が話をしたいと言っていると伝えに来ました。日曜日ということで、病院の体制も平日とは違い、看護師の数もほんのわずか、医師も当直の医師でしたが、前回の検査入院の時に撮ったきれいな胸のレントゲン写真と、ほんのちょっと前救急車で運ばれた直後に撮った、胸に水が溜まりすっかり白くなってしまったレントゲン写真を2枚並べて、救急隊からの連絡の時点ではそれほど深刻な状況だと思わなかったということ、ところが病院に着いたときには自分で呼吸ができる状態ではなかったこと、心筋梗塞との判断で取れる限りの処置をしたこと、あと10分到着が遅れたらその時点で亡くなっていただろうということ、そしてここ1~2日くらいが山、それを持ちこたえられるかどうかで、どちらの方向に進むかが決するであろうということを、丁寧に説明してくれました。
娘の麻耶(まや)が、孫の蓮(れん)と沙羅(さら)を連れて病院に来ました。麻耶は、昨年義父が亡くなる前の晩、蓮と沙羅を連れて熊谷から川口の自宅に戻っていました。ところが、その日の晩、父の容体が悪化し、急いで麻耶が熊谷の家に来たときには、、すでに義父が亡くなった後だったので、今回はどうしても義母の臨終の瞬間には、自分も立ち会いたいし、蓮や沙羅も立ち会わせたいと、急いで飛んできたのです。そして努を除く、子どもたち全員が、ほんのわずかな間に集まり、それぞれ義母に声をかけました。どうやら義母には、その様子がわかっているようで、それまでただ苦しそうだった義母の顔が、やや柔和な表情になったように感じられました。
月曜、火曜と一旦は義母の状態も改善に向かい、口から人工呼吸器の管を入れているので、しゃべれはしないものの、点滴をしている手をゆっくりと動かし、画用紙にサインペンで字を書いて、意志を伝えられるようにはなりました。
「今の(看護師)は、(処置が)ヘタ」とか「主治医を呼べ」とか「それは何の薬?」とか、声ではなくサインペンで書かれた文字ではあるけれど、いつもの義母らしい会話が戻ってきたので、“ここ1~2日の山”が、もしかしたらいい方向に越えられたのかな?と期待をさせたのですが、結局火曜日の深夜(水曜日の夜明け前)、息を引き取りました。
最後に画用紙に書いた言葉は、「生か死か?」という言葉でした。とても親切で優しい男性の看護師さんが、義母のベッドでの姿勢を替えに来たとき、義母は、自分が生の方向に進んでいるのか死の方向に進んでいるのかを看護師さんに尋ねたのでした。
「生か死か?」
看護師さんは、義母からサインペンを受け取ると、画用紙に書かれた「生」の文字をはっきりと強いタッチで、何重にも丸で囲みました。義母は小さく頷きました。
結局、その日の晩、義母の異変はその男性看護師さんに伝えられ、医師の必死の心臓マッサージの甲斐もなく、義母は息を引き取りました。義母を見つめる看護師さんの目には、私たち同様涙がいっぱい溜まっていました。
義父もそうであったように、義母の最期も孫や曾孫から何かをもらい、そして何かを伝えているようでした。それまで誰に対しても何の反応も示さなかった義父は、蓮と沙羅が手を撫でた瞬間、「よしよし」とひ孫をなだめるように手を振りました。苦しそうにほとんど何もできないでいた状態の義母も、蓮と沙羅に手を撫でられると、しっかりと蓮と沙羅の手を撫で返していました。一人一人の孫たちにも、自分は死んでいくんだということを、しっかり伝えているようにも見えました。娘や孫、そして曾孫たちに囲まれて息を引き取った義母の顔は、これですべてが終わったというような、今までに見たどんなにきれいな義母の顔よりも、さらにきれいで優しく、穏やかな顔でした。
義母の臨終に立ち会うことができた麻耶や蓮や沙羅は、きっと何かを義母から受け取ったことと思います。昨年、義父を火葬にする話を聞いたとき、「食べるの?」と聞いた蓮は、今回は黙っていました。そして、義母の骨をしっかりと箸で挟んで、骨壺に収めていました。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第227回「義母の死 前編」

義父の一周忌を目前にした先週5日(火)、90歳の義母が亡くなりました。
その電話は、先週の日曜日、9月3日、ちょうどこの連載の原稿を打っているときにかかってきました。
「母が救急車を呼んで入院したっていうんだけど、今カウンセリング中であと20分くらいかかるから、終わったときにすぐ出られるように支度してて」
慌てていましたが、ちょっと面倒くさそうな妻の声。
「またぁ?」
「ヘルパーが付き添って救急車で運ばれたって、ヘルパーステーションから電話があった」
「ふーん。じゃあ、そのころ車を取りに行って下にいるから」(駐車場が仕事場からちょっと歩ったところにあるので、急いでいるときはどちらかが先に車を取りに行きビルの下で待機しているのです)

義母は、昨年9月23日に93歳で義父が亡くなってから、一人暮らし。何度も「わが家へ来てください」と話したのですが、「もう少し家の中の整理をしたいから」と言って、朝昼晩と食事の支度にヘルパーに入ってもらって、わが家にはきませんでした。毎週欠かさず1度か2度は妻と私が熊谷の実家へ行き、夕飯の支度をして一晩泊まってくる。ここ1年間、ずっとそんな生活でした。義父が生きているころから5、6回あったでしょうか、義父の面倒を見るのがつらくなったり、こちらにちょっと甘えたくなったりしたときは、「これから救急車を呼んで入院するから」とこちらを驚かせる電話がかかってくるのです。もちろん昼夜かまわずかかってきて、夜中の3時なんていうこともありました。
「わかりました。それで今、どんな具合なんですか?」
と様子を聞き、場合によっては「こちらから飛んで行きますから」と救急車を呼ぶことを待たせたり、あるいは救急車を呼ばせたり…。「今行きますから、待っていてください」と言ったのに、熊谷に着く前に病院から「今、救急車で病院に来ましたから」と連絡が入ることもありました。
しかも一週間ほど前に胸から背中にかけて痛いからと言って検査入院し、一応心臓の様子も見てもらいましたが、結局「肋間神経痛」という診断で、8月27日(月)にたった一週間の入院で退院してきたばかり。それも、いつもだったら大したことがなくても長く入院したがるのに、今回は「もう一週間くらい入院してれば」とこちらから言ったにもかかわらず、どうも同室のメンバーが気に入らなかったのか、看護師が気に入らなかったのか、土曜日くらいから「出たい、出たい」と大騒ぎ。それで退院したいきさつがあったので、またいつもの入院騒動と高をくくっていたのです。

「ヘルパーステーションに電話して、様子聞いといて」
妻との電話を切って、すぐにいつも義母がお世話になっているヘルパーステーションに電話を入れましたが、ちょうどそのとき実家にいたヘルパーが救急車に同乗してくれたこと、そこの会社の専務さんが病院に向かっていて、こちらが到着するまで付き添っていてくれることはわかりましたが、義母の様子はわかりませんでした。病院に電話をすることも考えましたが、救急車で運ばれて間もないので、少し待つことにして、それまで打っていた原稿をそこまでにして、荷物をまとめ、車を取りに行きました。
妻が車から病院に電話を入れると、返ってきた言葉は「心筋梗塞」。義母が自分で救急車を呼び、しかも病院は実家から車で2、3分という距離なのにもかかわらず、病院に到着したときは、自分で呼吸ができなかったと…。
「意識はありますが、人工呼吸器を付けて点滴をしています。どなたが来られますか?」
妻と私は、やっと事の重大さを飲み込み、子どもたち全員に連絡をとり、義母の状態を伝えました。
1時間ほどで病院に着きましたが、そこで見た義母は、いつもの母ではなく、人工呼吸器のリズムと一緒に胸がふくらみ、やっとのことで息をしている、まったく動かない義母でした。
「お母さん、来たよ!」
妻の言葉に、ぴくっと身体が反応しました。
「あなたに会いたがっていたんだから、声かけてやってよ。わかるよ」
「お義母さん、遅くなってすみません。今来ました」
と手を取ると、義母はゆっくりとそして小さく頷きました。

つづく

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第225回「企業の倫理と親の責任」

幼児がシュレッダーに指をつっこみ、指を切断するという事故が起こったという報道がありました。シュレッダーは紙を細かく裁断する機械なので、歯と歯の隙間が狭い上、複雑な動きをするので、指が潰れてしまい、縫合することはできないとか。ということは、事故にあったお子さんは、一生指がない状態で生きていかなければならないということ? 交通事故のように、1つの事故が生死に関わるような大きな事故ではなく、周りから見ればほんの些細な事故なのに、一人の人間の人生を大きく左右してしまうような結果を招いてしまう。そんなこともあるんですよね。
一生のうちのすべての瞬間を、身体のすべてが健康な状態でいるというのは至難の業で、前にも触れたように、わが家の子どもたちも、麻耶(まや)は腎臓と血管の血液をやり取りする腎杯が半分くらい壊れてしまっていて、爆弾を抱えているような状態だし、翔(かける)は、色弱で複雑に色が混ざったものはうまく見分けがつかないので、ゴルフコースに出たとき、キャディーさんから見えないピンを狙う目標について「グリーンの奥に丸く刈り込んである赤い木が3本あるでしょ。その真ん中の木を狙えばいいですよ」と言われて、翔曰く「色なんて言われたって全然わからないから、一生懸命丸い形の木を探しちゃったよ」という具合で、おそらく紅葉なんてただの枯れた木がいっぱいに見えているんだろうなって思います。私にしても、気圧が下がると目が回るので、飛行機はもちろん、高度の高い峠道は車の運転ですら気をつけないと目が回って危険な状態。海外に出るなんて、船で行くしかないので、韓国、中国を除けば、夢のまた夢。旅費も半端じゃなくかかるし、なかなか長期で休みを取るなんていうことは難しいし、いつになったらいけることやら…。
わが家の子どもたちや私が背負っているハンデに比べたら、指がないというハンデは、もっと根源的に“生活する”ということに直接関わる大きなハンデなので、とても気の毒に思うけれど、しっかりとそれを受け止めて、明るく生きていってほしいと願うばかりです。
今回のシュレッダーの事故の報道を見ていると、企業の責任が大きく取り上げられています。雪印や三菱自動車などから露見した企業倫理の欠如は、とどまる気配もなく、最近ではトヨタ自動車のリコール隠しが明らかになったり、パロマ工業製湯沸かし器の欠陥から死亡事故が起こったり、ついには行政のずさんなプール管理までが明るみに出て、われわれのものつくりや安全管理に対する信頼はずたずたになっています。けれども私は、今回のシュレッダーによる事故を、こうした企業や行政の倫理の欠如と単純に同一化して考えることは、間違いだと思います。
製造メーカーとして、どのようにしてものを作るかと考えた場合、より安全性の高いものを作るというのは、当然のことです。しかし、ものを作る側は、ものを使う側の要求にどう応えるかということも重要な要素なので、シュレッダーのようなものでは、安全性を取って挿入口を狭くするか、大量な紙を一度に処理できるよう挿入口を広くするかとか、安全性という付加価値を追求して高く売るか、付加価値は必要最低限に抑えて安く売るかとか、そういった点で何を選択するかは、まず企業が経営戦略的に選ぶものであって、その後に消費者がどんな製品を選ぶかという問題であると思います。
今回事故が発覚したシュレッダーは、事務機器メーカーのものだそうですが、家電メーカーの製造したシュレッダーは、もう少し安全性が高かったとも聞きました。私も小さな手回しのシュレッダーは時々使いますが、それほど危険を感じたことはありません。メーカーが、幼児が触るということを想定していなかったのは、落ち度と言えなくもありませんが、もともと私たちの意識の中にもシュレッダーを幼児の触るところに置くという意識はない。その辺のところは、子どもがいるとすれば、利用者の注意義務の範囲内ではないか…。
もちろんメーカーには、より高い安全性を求めます。けれども私は、子育てをしてきた者として、それを利用する親たちには、さらに高い安全管理を求めます。
パチンコ店の従業員が、炎天下の駐車場に止めてある車の中に乳幼児が置き去りにされていないか見回っているところが報道されました。店側にすれば、自分の店の駐車場で、子どもが死亡したということにでもなれば、相当なイメージダウンになりますから、当然といえば当然ですが、もともと炎天下の車の中に子どもを置き去りにするということが当然ではないのです。
私が子どもを育てていたころは、まず子どもの手が届く範囲の観葉植物をどかしました。土が見えないように飾ってあった石を子どもが飲み込んでしまう可能性があったからです。子どもが簡単にコンセントの近くに行けないよう、家具でコンセントの周りを囲んだり、余計なものはコンセントに差さないようにしました。家庭の中にも危険はたくさんあるのです。包丁、アイロン、針、はさみ…。大人がなんでもなく使っている箸やフォーク、ボールペンや鉛筆も、とても危険です。とは言え、まさか切れない包丁や熱くならないアイロンを作るわけにはいかない。
仕事の形態の変化により、家庭の中にどんどん仕事が入り込んできています。当然、子どもにとっては危険が増しているわけで、親にとってはより多くの注意が必要になってきています。ほんのちょっとの気配り、それが子どもを守るのです。メーカーの安全対策もさることながら、メーカーにだけ責任を押しつけるのではなく、私たち親も、もっと子どもの安全に対する認識を高め、負わなくてもいい負担を子どもに負わせないよう、できる限りの注意を払う必要があるのではないでしょうか。

 

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