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2024年4月

2024年4月14日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第322回「親の態度が子どもを決める」

「あなた、この間から鰻が食べたいって言ってたでしょ?」
「そうそう。この前も近くの鰻屋へ行ったんだけど、満席で入れなかったんだよ。お昼の混みそうな時間はちょっと外して行ったんだけどね。ここのところ2回続けてだよ。やっぱり夏は鰻っていう人多いのかねえ??? さすが(鰻消費量日本一の)浦和って感じだね」
「じゃあ、食べに行く? とにかく今お座敷取れるか訊いてみようか?」
というわけで、行きつけの鰻屋さんへ電話を入れると、今日はお座敷が取れないとの返事。今日は、孫もいないのに椅子席の食堂というのも風情がないから、お座敷で食べられるところということで、普段はあまり行かないちょっと離れた鰻屋さんへ行くことになりました。
入り口を入ると右側に伸びている広い長方形の和室にテーブルが5台。片一方の長辺に3台、もう一方の長辺は入り口があるため2台。私と妻は入り口側長辺の奥のテーブルに座りました。
ここは浦和近辺では最も安い(私の感覚ではそうだと思う)鰻屋です。私たちが行ったときには、私たちが座ったテーブルとちょうど対角の位置のテーブルに3人連れのお客が入っていただけで、あとのテーブルは空いていました。
「この鰻が2匹入ってる鰻重でいいよ。数量限定だし、2匹入って2千円以下ってかなり安いじゃん。たぶん鰻が小さいんだと思うけど」
「でもちっちゃい鰻じゃ脂乗ってないんじゃないの?」
前にも一度取ったらあまり美味しくなかったような気がしてやや迷いながらも、結局二人ともそれを取ることにして、鰻重が来るのを待っていると、小さい子どもを連れた夫に初老のおじいさんという4人のお客が入ってきて、隣の席に着きました。
そろそろ食べ終わるというころ、妻が私に、
「隣のおじいさん、あの夫婦のどっちの親だと思う?」
と聞きます。私は、それとなく隣の家族を見る(おじいさんは私のちょうど真横に座っているので横顔だけで表情がよく見えないのですが)と、おじいさんの鼻と女性の鼻がよく似ているので、一旦
「女の人のお父さんじゃないの」
と言ってはみたものの、ちょっと観察してみると、おじいさんの左隣に座っているのが男性、その男性の前に座っているのが女性、そしておじいさんの前には小さい孫。しかも女性は、食事の間中足を崩さず正座をしていることから、
「違う、違う。あれは男性の方のお父さん。お父さんの鼻が女の人の鼻に似てるからそうかなって思ったんだけど、もし女の人が娘さんならお父さんの隣に座るよね。それにあの女の人ずっと正座してるし、姿勢を崩してないからあれは男の人のお父さん」
と言いました。
「そうそう、そうだよね。私も男の人とお父さん、似てないなって思った。きっとお母さん似なんだね。さっき話してる声が聞こえてきたら、“~です”ってお父さんに対して全部丁寧語使ってたから、男の人のお父さんだよね」
「たぶん、そうだと思う」
「あのお子さんもおとなしいよね。2歳くらいかなあ? あんなに小さいのに声もしないよ」
「そうだね。お母さんが正座して、姿勢を崩してないから、そういうせいもあるんじゃないかな。お母さんがおじいさんにも丁寧に接してるしね。さっき帰ったけど、あっちのテーブルに3人連れのお客(対角の位置にいた客)いたでしょ。つい立てがあるから体全部は見えないけど、座布団2枚使って足を通路の方に伸ばして座ってて、つい立ての脇から素足が見えてたの。つい立てがあるから他のお客にあまり気を遣わないんだと思うけど、さすがに裸足が見えるとあんまり感じのいいもんじゃないね。もし、あのグループに小さい子どもがいたら、騒がしかったかもよ。たぶん、隣の子どもみたいじゃないと思う」
「そうだね」
小さい子どもはいなかったので、何とも言えないけれど、たぶんその通りになるんじゃないかな???
子どもは親を見て育つもの。親がどういう態度で、生きているかは子どもに忠実に反映します。子どもがどうにもならないとき、ただ子どもを叱るのではなく、一番反省しなくてはいけないのは親ということですね。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第321回「ほんとにメダル候補?」

「今度のコースはね、距離が短いし、ラフも深くないから、それなりのスコアで回れると思うよ」
「いくつくらいで回れば、予選通るんだよ」
「76くらいがカットラインかな」
「それでおまえは、いくつで回れるの?」
「74、5くらいでは回れると思うよ。練習ラウンドはパープレイ(72)だったしね」
ゴルフをやっている翔(かける)が高校生の時の会話です。
ゴルフは1ラウンド18ホールで、おおよそ72打(コースによっては72でない場合もあります)を基準(これをパーと言います)に、72よりも少なければアンダーパー、多ければオーバーパーと言い、打数を競います。もちろん少ない方が勝ちです。
ここで、「76くらい」と言っているカットラインを4オーバーと言います。それよりも少なければ予選通過、多ければ予選落ちということになります。カットラインの決め方は、あらかじめ決められた打数なわけではなく、予選通過者の数が決まっていて、上位からその人数に達したところのスコアで切るので、その日の全員のスコア次第で上下することになります。(ゴルフを知らない人にはわかりにくくてすみません)
試合から帰ってきた翔は、かなり落ち込んでいます。
「ダメだった。カットラインは77だったんだけど、おおたたきしちゃった。アウト(前半)が40、イン(後半)が42で82だった。」
「10オーバーかよ。何やってんだか…」
「ショットは曲がっちゃうし、パットも入らないし…」
翔はすっかりしょげていました。
おそらく翔の実力から言って、そんなものだったんでしょう。人は、どうしても自分の力を持っているもの以上に感じたいので、自分に対する評価は甘くなりがちです。周りの期待も同様ですね。私も予選くらいは当然通るのかと思っていました。
オリンピックが始まりましたが、いつものように報道は過熱するばかり。すべての競技で金メダルがねらえるような報道ですが、これもいつものようにふたを開けてみると惨敗の連続。もともと力が世界のレベルまで達していないことも多く、にもかかわらずマスコミがやたらとメダル奪取を強調するものだから、選手にのしかかる重圧というものはすごいものだともいます。
メダル第1号を目指した女子重量挙げの三宅宏実選手。埼玉栄高校で、翔の2年先輩ということもあり応援していたのですが、メダルを逃し6位に終わってしまいました。とても残念です。私が子どものころ見た三宅義信氏と三宅義行氏は強かった。名門一家の重圧というところでしょうか。テレビ朝日が松岡修造氏をつかって取材をしていましたが、松岡氏の勢いではまるで金メダルを取るのが当然といった様子。確かに応援する側からすれば、金メダルを取ってほしいと思うものですが、優勝した中国の陳選手の実力からすると、他の選手が優勝する可能性は、陳選手にアクシデントがない限りほぼゼロ。視聴率を考えると、「金メダルは陳選手で決まっています」なんて言ったらだれもテレビを見なくなっちゃうので、そういうわけにもいかないのでしょうけれど、朝日新聞の記事によれば、「1カ月前、母育代さんに打ち明けた。「私、最近眠れないの」。2時間おきに目が覚めた。夢の中でもバーベルを持ち上げている。― 中略 ― そのころは、練習も最悪状態だった。自己ベストの80%ぐらいの重さでも落としてしまう。「怖くてシャフトに触れなかった」。練習場の片隅で泣いた。目標の重量に追いつけない焦り。競技を始めてから書き続けてきた練習ノートも1週間、空白が続いた。「話しかけると泣きそうだから」と父でコーチの義行氏が話しかけることもなくなった」そうです。筋肉もそげ落ち、体重も軽くなって1回目の試技の重量を下げざるを得なかったとか。難しいことですけれど、もっと楽な気持ちで力を出し切ってほしかったですね。選手にとってはそれもまた強くなるために必要なことなのかもしれませんが。三宅選手には次を目指して頑張ってほしいです。
スケールは小さいですけれど、これと同じようなことが、受験の時には子どもの心の中で起こっています。「受かってほしい」「受からないわけはない」という親からの重圧。三宅選手のお父様は、「話しかけると泣きそうだから」話しかけなかったそうですが、受験の重圧に負けそうになっている子どもに、普通の親は「そんなことじゃダメ」と叱咤激励しますよね。行き過ぎは禁物。親の期待は親の期待、子どもの実力は子どもの実力。それを冷静に見つめる目が、親には大切ですね。川口の父親殺傷事件は、それがわからなかったのかもしれません。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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2024年4月13日 (土)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第320回「なくならない高校野球部の不祥事」

先日、かかりつけの整形外科に行ったら、待合室のテレビに、高校野球の入場行進が映し出されていました。
2年生の部員が強制わいせつ事件で逮捕されながら、出場が認められ注目されていた桐生第一高校の入場行進。実況のアナウンサーが何か事件のことを言うかなあと思って聞いていると、アナウンサーの口から出た言葉は、
「ひときわ大きな拍手です」でした。
事件をふまえ、「逆境を乗り越え頑張って!」という応援のメッセージを発したのでしょう。もちろんグラウンドで行進をしている一人ひとりの選手が、事件を起こした部員と同じように悪いというわけでもないし、甲子園出場のため人並み外れた努力をしてきたこともよくわかりますから、グラウンドに立っている子どもたちを事件に巻き込むことをしない、このアナウンサーの言葉も理解できないわけではありません。
けれども、2年生部員が逮捕されるという事件を起こしながら、出場を希望した桐生第一高校の判断、そして出場を認めた高校野球連盟の判断が、正しかったかどうか…。
私は間違っていたと思います。
私も、どちらかと言えば体育会系で、中学校で私の所属していた部が全国大会に出たり(私の代には全国大会出場は実現できなかったのですが)、高校の時はサッカー部が全国制覇をしたり、あるいは浦和学院の職員のときには野球部が全国大会に出たり、今は息子が大学でプロゴルファーを目指していたりもするので、それなりにスポーツの世界のことは理解している方だろうと思います。
そんな風ですから、体育会系の”乗り”や”厳しさ”も人間の成長にとって、あるいは社会生活を営む上で、大事なものだとも思っています。
甲子園を目指すそれぞれの学校の努力、そこで一生懸命部活動に励んでいる生徒たちの努力もよくわかります。
けれどもその陰で、いろいろなことが起こっているということもよく知っています。
レギュラーの子たちの奢り、レギュラーのレベルに達しない子たちに対するいじめや差別、またその子たちによる暴力や非行…。今回の桐生第一高校の事件も、一人の生徒の問題ではなく、そういう事件を生む「部」の体質の問題なのであり、そういう中で起こっている事件であるということを、そこに関わるすべての人たち(高野連も含めて)は、はっきり認識するべきです。いや、逆に認識しているからこそ、出場できないことで心に傷を負う生徒のことを強調して、出場という開き直りとも取れるやり方をするのかもしれませんが。
もちろんすべての学校というわけではないのでしょうが、校内でも全国レベルの部活、特に野球とサッカーは、学校にとっても大きな広告塔であるだけに、何か事件を起こしても、なかったことにする、もみ消すというのが当たり前になっています。
「普通の子なら停学か退学なのに、サッカー部なら万引きをしても何にも処分されないんだよ」「野球部の子がね、カバンからお金盗んだのみんな知ってるのに、先生は見て見ぬふり」。
少子化が進む中、経営優先のため、広告塔としての役割を重視し、教育がないがしろにされているとすればとんでもないことです。
根本的な原因にふたをして、個人の責任として片づけてしまうようでは、今後もこういった事件はなくなりません。事件・事故の厳罰化の流れに呼応して、学校での一般の生徒に対する指導がますます厳しくなっている折り、甲子園に出場する部や生徒だけが特別では、これからの日本を背負って立つ若者の教育としても問題が残ります。
「連帯責任」という問題ではなく、どこに不祥事を生む土壌があったのかということを指導者はきっちり見極め、そこに関わるすべての者(生徒も含め)が責任をとるという姿勢を明確にすることこそ、大切なことなのでしょう。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第319回「公立小中学校に対する親の満足度上がった?」

朝日新聞によると、
「公立の小中学校に満足している保護者は8割近くに達し、先生への評価も上昇-。朝日新聞社とベネッセ教育研究開発センターが共同実施した5千人を超える保護者への意識調査が25日まとまり、そんな結果が出た。4年前の前回、満足度の低かった都市部や高学歴の親で伸びが目立ち、公立学校への信頼回復の兆しがうかがえる。」
んだそうです。
「25都県の小学2、5年生、中学2年生の保護者計6901人に、公立の小学校21校、中学校19校計40校を通じて質問紙を配り、5399人から回答を得た(回収率78・2%)。初調査となる前回は03年末から04年1月に調べ、6288人から回答を得ている。」とのことで、かなり大規模な調査なので、それなりに信頼できる数字なのかなあと思います。
調査結果の詳細(8月末PDFにて公開予定)は、
http://benesse.jp/berd/center/open/report/hogosya_ishiki/2008/soku/index.html
ただ、この数字をどう見るかという部分では、いろいろ意見のあるところで、「開かれた学校が実現しつつある」とか「学習に対する公立学校の取り組みが評価された」という見方もあれば、「公立学校に不満を持っている層がほぼ私立に入学し、その結果として数字を押し上げた」という見方もあるようです。
まあどれも、その通りなんだろうなあと思います。
社会保険庁の年金問題をきっかけに、これまでになく官僚や公務員に対する風当たりは強くなっています。公立学校もある意味でその例外ではなく、その閉鎖性やいい加減さに批判が寄せられていました。たしかこの連載を始めて間もないころに池田小学校の事件が起こり、それまでの「開かれた学校」というスローガンがしぼんでしまい、閉鎖性を助長した時期もありました。ただ、池田小事件以前の「開かれた」というのは、以前にも述べましたが、「誰でも学校(の敷地)に入れる」とか「塀を取り払った」とかいう意味の「開かれた」ということがほとんどで、親の側が期待する「教育の内容が見える」ということとはかけ離れたものでした。「教育の内容が見える」ということは、「開かれた」ということだけではなく「学校、教師の真剣さ」にもつながるわけで、当然親からの評価につながります。学校で繰り返し事件が起こる中、門扉は閉ざされているけれども、そういう状況だからこそ、「教育の内容が見える」ような努力がなされたものとも言えるのでしょう。
とは言え、最近の傾向は、「公立学校の私立化」とも言える状況だろうと思います。そのために受験を意識した親からはある程度の評価を得ているとも言えなくはない。公教育のあるべき姿についての議論がなされたわけではなく、「私立のような教育が良く、それを真似しようとしているから公立学校もいい」ということだとすれば、教育の本質を大きく見失っていることになりはしないか…。
どちらかと言えば、地域密着の公立志向の私としては、公立学校の評価が上がることはいいことだと思うのですが、これが「公立学校が親に媚を売ることを覚えた」結果だとすれば、とんでもないことです。親にとってやや「いい学校」になりつつある公立学校が、今後子どものためにどのような方向に進んでいくのか、真価が問われるところです。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第318回「プチプラ」

大学に入学してすぐ悩むのは、第二外国語を何にするか。私も悩んだんですけど、高校の時音楽部に所属していて、フランス語の曲を歌ったことがあるんです。なんていうタイトルだったか、もう忘れちゃいましたけど、そのときそれなりにフランス語を勉強した(と言っても発音だけで、まったく意味不明。もちろん訳詞はありましたから、全体の意味は概ねわかるんですが、単語の意味なんて全然わかんない。どれが動詞でどれが名詞かなんてさっぱり。歌を歌うのにそんなことじゃいけないんでしょうけどね。
週に2コマを2年間やったわけですけど、音楽部で発音をやったレベルからまったく進歩がなくて、どんな文章でも一応読むには読める(意味がわからないんだから本当は読めるとは言わないんだろうけど、まあおおよそ声に出して発音できるということで…)んですけど、相変わらず意味不明。試験の問題は、長文がダーッと書いてあって、「訳せ」っていうだけなんですけど、文章の頭の「Vingt  ann ées」(ヴァンタァンズ)、「20年間」というところしか訳せなくて、授業には比較的出ていたとはいえ、「ああこれで終わったな」と思いきや、なんとそれで単位をくれちゃったんだから、そのときの担当教官には足を向けて寝られません。
他に覚えた単語が「maison」(メゾン 家)、「petit」(プチ 小さい)、「fille」(フィユ 女性)、「garçon」(ギャルソン 少年)、「salon」(サロン 客間、店…)など
要するにすでに日本語としても扱っていいくらいの単語しか覚えていないっていうことですよね。まったくどうにもならない学生だったっていうことですかねえ。まあそうは言っても、いま経営している陶芸教室は「Salon de flamme」(サロン ドゥ フラム)「炎の部屋」(flamme には「炎」の他に「目の輝き」とか「情熱」なんていう意味もあるし、salon にも「部屋」という以外に「美術展・展覧会」なんていう意味もあるので、陶芸教室にぴったりだと思ってつけたんです。ところが、最初のころは美容室と間違えてくる人がたくさんいてちょっと困りました)なんていうフランス語の名前をつけちゃってるわけだから、フランス語を取ったことがまったく無駄だったわけではないんですけどね。
私がフランス語を習ったのは30年前。そのころは、外来語といってもほとんどが英語で、フランス語なんてほんの一部でしかなかったけれど、今ではけっこう街の中にあふれていますよね。もちろん外来語の中心は英語ですけど、ケーキ屋さんとか花屋さんとか美容室とか、あるいはマンションの名前とか…。うちの名前と同じでよく意味はわからないけど、「なんとなくフランス語だ」なんていうの、結構ありますよね。
若い世代は、そんな外来語を英語だろうがフランス語だろうが、適当にくっつけちゃって「プチプラ」なんていう言葉を作っちゃったりする。どんな意味だかわかりますか? 「プチ」はもちろんフランス語の「petit」で、「小さい」という意味ですね。「プラ」は英語の「price」で、「価格」っていう意味です。これを合わせて「プチ・プライス」。小さい価格、価格が小さいっていうことで、「安価な」とか「少額の」っていうことを表すらしく、「おもに若い女性が購入するファッション・アイテムや化粧品、雑貨などを対象に、高価ではないが素敵なものをさす言葉」なんだそうです。女子中学生や女子高生の買い物のキーワードになっているんだとか。
外来語ではないけれど、略語も氾濫していますよね。「KY」っていったい何かと思っていたら「空気読めない」なんて、こんなのわかります? ただ単に、単語の頭の子音を取っただけでしょ。何にも意味ないわけだから、知らないとまったくわからない。
「オシム」には、びっくりしました。てっきり、サッカーの日本代表のオシム前監督のことかと思ったら、「惜しいけど、無理」なんだそうです。子どもたちの間で使われ出した言葉で、「無理っ」ではちょっと言葉がきついので、「惜しいけど」をつけることで、「無理」をちょっと和らげようというねらいのようです。最近では、子どもが親に向かっても使うとか。「無理っ!」では怒られちゃうけれど、「オシム」って言うことで、「やりたいっていう気持ちもあるんだけど」というニュアンスを加えて、しかも「オシム」ということで「無理」という言葉が消えるので、相手は否定された感じがしない。
子どもの知恵っていうのはすごいですね。
次から次へと新しい言葉を生み出す、子どもたちの想像力には脱帽です。とはいえ、子どもの想像力も「KY」や「オシム」では、今ひとつというところでしょうか。子どもたちもしっかり英語やフランス語でも勉強すれば、もっとモダンな造語が生まれるかもしれませんね。
 
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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第317回「続・教員採用試験をめぐる贈収賄」

大分県の教員採用試験をめぐる贈収賄事件は、新人採用の試験にとどまらず管理職認容の試験にまで広がり、次々と逮捕者を出し、多くの学校で教頭、校長が不在という前代未聞の事態に陥ってしまいました。
私は、この問題には3つの大きなポイントがあると考えています。まず、採用(新人、管理職ともに)についての不透明性の問題、二つ目は、教育界のモラルハザードの問題、3つ目は、教員という職業の社会的ポジションの問題です。それぞれの問題が複雑に絡み合っているので、きっちりとした線引きはできませんが、「不透明性の問題」というのは前回も述べたように、行政における「教育」という部署の重要な部分が身内(教員)で占められていること。「あの先生は子どものことを全然見ないで、上ばかり見ている」とか「上に取り入るのがうまい」などという言い方をすることがありますが、要は先輩の教員にゴマばかりすっているということですね。民間でもないわけではないでしょうが、民間で昇進するには成果が伴わないと難しいのに比べ、教育というのは成果の判断がとても難しいので、その分ゴマをすることが利いてしまうわけです。利いてしまうから、また行う。行き着く先が賄賂ということになる。これは、明らかに行政を仲間うちに担わせている組織の問題です。
二つ目のモラルハザードは、今に始まったことではありません。いい意味でも、悪い意味でも、学校というところは閉鎖的なところです。私は「次代を担う子どもを育てる」という観点からすれば、ある意味閉鎖性があることは当然(大人社会の持っている悪い部分から子どもを守るという点で)と考えていますが、それを子どものためでなく、教員のために利用して、学校を「何でもあり」(教員にとって)の社会にしてしまっている。先日、「痴漢行為をした都立高の副校長の処分が、“接触は極めて短時間で、悪質であるとはいえない”という理由で、懲戒免職から6ヶ月の停職に軽減され、教員として復職していた」という報道には皆さんびっくりしたことと思います。痴漢を働くような教員に自分の子どもの教育を任せるわけにはいかないと考えるのは当たり前です。私の知っている例でも、暴力行為で処分の言い渡しを受ける際、教育委員会に呼ばれた先生が、「一応、処分という形を取らないわけにはいかないので、こういう形を取りましたが、“まあ、こっちの部屋にどうぞ”と別室でお茶を飲むことを促され、お茶だけ飲んで帰ってきた」なんていう例がありました。それなりの実績を残していた先生なので、何をしてもいいということなのでしょう。今、問題になっている厚労省の業務外HP閲覧なんていうものは、学校にもよるとは思いますがまったく野放し。「教育に必要」といえば、ほぼ何でも通ってしまいます。
そして3つ目。なぜ贈収賄が起こったのかという部分では、「地方と都市部の格差」ということがクローズアップされています。それも原因の一つではあると思いますが、それよりも教員の間では、子どもの教員採用について100万円の賄賂を贈ってもあまりある職業と考えられているということだろうと思います。大分県だからということはあったにせよ、都市部でも教員の子どもに教員が多いことを考えれば、教員の多くがそう考えていることは間違いありません。これほど教員の苦労ばかりが報道されているときになぜ?と思った方も多いのでは…。教員がどんな仕事をして、どんな待遇なのかといったことの公開が大変遅れているので、教員以外には、民間の職業との比較が正確にできていないという現状があります。調査をしても、申告をするのが教員では、とても正確な情報とはいえません。
そのあたりが、今回の事件につながったのではないかと思います。身内(教員)に甘く他人(子ども)に厳しい教育の現場をきちんと検証していくことが求められています。
子どもたちに関わる重要な職業だけに、学校では何が行われ、どんな待遇で教員が働いているのかをもっと明らかにして、その上で誰もが平等に教員採用試験に臨めるよう制度を確立していく必要があるのでしょう。
 
一部報道によると、教職員組合との癒着も指摘され、組合枠があったのではないかとの疑惑も浮上しています。
なぜ100万円ものお金を使っても我が子を採用試験に合格させたかったのか。
 
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2024年4月 9日 (火)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第316回「教員採用試験をめぐる贈収賄」

「大分県の現職の校長や教頭らが、わが子の採用を求めて教委幹部にわいろを贈った」という、ショッキングなニュースが流れてきました。5人の逮捕者を出したこの事件はその後、校長・教頭になるための管理職認容試験にも拡大。さらなる逮捕者が出るかもしれません。
一時、下火になっていた教員の不祥事も、市立川口高校の校長が元教え子にしつこく関係を迫った事件や武蔵村山市教育相談室相談員で武蔵村山市立第五中の元校長が所沢のマクドナルド店内で女子高生にわいせつ行為をした事件、川越市立福原中学の教諭が生徒の積立金825万円を横領した事件(比較的最近起きた埼玉県と関わりのある事件からピックアップしています)など、ここにきて教員の不祥事のニュースが頻繁に報道されるようになりました。
それぞれあきれた事件ばかりですが、これまで報道されていた事件が、一個人の事件であったのに比べ、今回報道のあった大分の事件は、教育委員会幹部までを巻き込んだ行政のまっただ中で起こった事件であるという点で、社会に与えるインパクトは大きいのではないかと思います。
毎日新聞によると、
「大分県の教員採用を巡り現金100万円を受け取ったとして県警は4日、当時県教委審議監だった由布市教委教育長、二宮政人容疑者(61)を100万円の収賄容疑で逮捕した。県教委義務教育課参事、矢野哲郎容疑者(52)=別の贈賄容疑で逮捕=から、07年度の採用試験に矢野容疑者の子どもを合格させる見返りに現金を受け取った疑い。
(中略)
 この事件を巡って矢野容疑者は妻で小学校教頭の矢野かおる容疑者(50)=贈賄容疑で逮捕=とともに、小学校校長の浅利幾美容疑者(52)=同=の長男と長女を合格させるため、当時県教委義務教育課人事班主幹だった同課参事、江藤勝由容疑者(52)=収賄容疑で逮捕=に働きかけ、現金や商品券計400万円を贈った疑いで先月、逮捕されている。」
と報道されています。
大きな問題ではありますが、「よくあること」という印象です。これまでなかなか踏み込めなかった教育界にようやく司法のメスが入ったということでしょうか。どこから明るみに出たのかはわかりませんが、それなりの額のお金が絡んでいるようなので、そのあたりが一つの突破口になったものと思います。
教育行政は、他の部署と違って大きな特徴があります。それは管理・監督をする側が、管理・監督をする側と同一人物(配置転換によってある時は管理・監督をする側、ある時は管理・監督をされる側になるという意味)であるということです。特に「指導課」の部分では、管理職試験に合格したものを一旦指導主事に採用し、その後教頭、校長として各学校に配属させるというケースがほとんどで、組織として見た場合、教育委員会が学校を管理・監督しているように見えますが、内実はといえば、管理・監督をするはずの委員会の主事が各学校の教頭・校長の後輩なんていうことばかりで、組織としての管理・監督体制がまったく機能していないという状況です。そんなわけですから、例えばどうにもならない校長に対するクレームを教育委員会に言ったとしても、こちらが行政について多少知識があると思うと「校長の指導はできないんですよ」という正直な返事が返ってくる。それが現実です。
教頭・校長ともなれば、採用試験の採点を誰がしているかなんていうことはわかっているわけで、そこに不正が起こる余地は充分にあります。お金が動いているかどうかは別として、校長先生のお子さんで、教員採用試験に落ちたという話を聞いた記憶がありません。
 
 
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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第315回「気づかぬうちのゼロトレランス方式の浸透」

文部科学省が日本での「ゼロトレランス方式」導入の調査研究を検討という報道がなされて、2年以上が経ちました。
「ゼロトレランス」とは、「トレランス(寛容)がゼロ(ない)」、「不寛容」という意味で、教育現場では「ゼロトレランス方式」を「毅然とした対応方式」などとも言っています。具体的には、学校が規則とその規則を破ったときの罰則を定め、例外なく遵守するということです。1970年代頃から深刻化した、学級崩壊や生徒による銃や薬物などによる様々な事件に対処するため1990年代にアメリカで導入された方式で、例えば「喫煙は保護者呼び出し」「万引きは停学一週間」とか、とにかく決めた規則は例外なく実行するというもので、守らないと即処分ということになります。
私立の高校などでは、かなり前からはっきりと導入されているところも多く、ある一定の成果は上げています。「毅然とした対応」ということ自体は私も反対ではありません。けれどもそれは、あくまでルールを破ったことにより処罰の対象となる生徒に対しても、教育の対象としての立場をその後も保証するという条件の下で、反対ではないのであって、処罰をするということが、単純に処罰の対象となる生徒の排除が目的であるとすれば、とても賛成できるものではありません。それは、まだ善悪の判断がすべて正しくできるとは言えない教育の対象足るべき子どもたちから、成長する機会を奪ってしまうだけでなく、疎外感、孤独感といった感情を持った子供たちを増やしてしまうという結果を生むことになるからです。
とはいえ、私立高校での「ゼロトレランス方式」導入というのは、入学試験での合格、不合格がある以上、ある意味、生徒がその学校に在籍できるのか、できないのかの裁量は高校側にあるわけで、私立高校が導入に前向きであったとしても、ある程度はやむを得ないのだろうとも思います。逆に、「ゼロトレランス方式」を導入しているからということで、その高校を選ばないという子ども側の選択もあり得るわけですから。
先日孫の授業参観と給食試食会に娘の代わりに参加して、びっくりしました。まだ小学校に入学して3ヶ月にもなっていないこの時期に「ゼロトレランス方式」とも取れる指導方法が取られていたからです。見ているそういう指導法をとっている先生方が圧倒的で、まだ6歳にしかならない子どもたちに、まるで犬や猫をしつけるように細かいことまでことごとく大声で注意し、立たせない、歩かせな、しゃべらせない(給食の最中も一切私語は許さない)ということを徹底しているのです。
「できない子は外へ出てもらいますからね」
もちろん、高校ではないので停学、退学ということではありませんが、「まじめに授業を受けようとしている他の子どもたちに配慮して、問題行動を起こす子どもたちを寛容度ゼロで排除する方式」をとっているわけです。先生方が「ゼロトレランス方式」で臨んでいるという意識を持っているかというと、どうもその辺ははっきりしませんが、子どもたちに行われていることは、まさにゼロトレランス方式。本来の目的は、まじめにやろうとしている子どもたちの権利を守ることなのに、怒鳴ることでかえって怒鳴られている子どもたちに焦点を当ててしまって、まじめにやろうとしているおとなしい子どもたちが、その怒鳴り声に萎縮し、隅に追いやられているという感じ。
私たちが知らないうちに、こんなところまでゼロトレランス方式が浸透してきているんだと大きな危惧を感じました。6歳の子どもたちには、まだまだ心の教育が必要。一律にゼロトレランス方式で排除するのではなく、むしろ寛容度100%で、優しく見守ってあげることこそ6歳の子どもたちには必要なことなのにと強く感じた2日間でした。
 
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2024年4月 5日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第314回「危機管理 その2」

ある日の小学校の懇談会。
「何日か前なんですけど、ベランダで洗濯物を干していたら、K社の社宅の屋上に子どもたちが上がっていました」
「Yさんのところのベランダからだったら、ちょうど正面だもんね」
「それがね、屋上に柵がないんですよ。だから、屋上の端まで行けば、下が見える状態」
「えーっ、うっそー!」
「本当だよ。Mさん知ってた? 4,5人だったかな? 屋上を走り回ってるからもし落ちたら大変だと思って。柵がない屋上に子どもたちが上がれるっていうことにびっくりしました」
するとK社の社宅に住んでいるMさんが、
「そうなんです。屋上には柵はないんです。前にも上がっている子どもたちがいて、注意はしたんですが…」
「屋上って、子どもたちだけで簡単に上がれちゃうんですか? 普通、屋上に通じる扉には鍵がかけてあって、上がれないようになってますよね」
「うちの建物はそういう構造じゃなくて、屋上は工事関係の人しか上がれないように、扉で通じてないんです。屋上に上がるには、最上階の廊下から壁に取り付けてある鉄のはしごで上がるんです。屋上に居住者が入るっていうことを想定していないので、柵がないんです」
「へぇ、なるほどね。でも誰でもそのはしご、上がれるんですか?」
「一応、はしごの先が床から120センチくらいは浮いていて、昇りにくくはなっているんですけど…」
「それくらいじゃあ、子どもたちは簡単に昇っちゃうんですね、きっと。K社の社宅のことだし、建物の構造の問題だから、小学校の懇談会で話し合ったからってどうっていうことじゃないけれど、Yさんの話で、子どもたちが危険な状況にさらされているっていうことはわかったから、そういう危険な場所が学区内にどれくらいあるのか、PTAで調査してもらえるよう、提案しましょうよ。K社の社宅の屋上の話は“屋上に子どもたちが上がっていた”っていうことを、Mさんから社宅の皆さんに伝えてもらえばいいんじゃないかな」
「そうですね」
この話は後日PTAの役員会に報告され、PTAで学区内の危険箇所の洗い出しと点検をすることになり、実際に何カ所か危険な箇所が指摘され、地域にも呼びかけて対策を取ってもらうことになりました。
次の懇談会のとき、K社の社宅に住むMさんから、
「社宅の最上階に設置されていた鉄のはしごの件ですが、子どもの手が届かない高さまで切ってもらうことになりました。今は、脚立を利用しないと屋上に上がれないようになっています」
懇談会全体にホッとしたという空気が流れました。
杉並区の小学校で、児童が屋上に取り付けられた採光用のドーム方カバーを破り、吹き抜けを1階まで転落するという事故がありました。普段は屋上に通じる扉には鍵がかけられ、児童だけでは、屋上に入れないようになっていたにもかかわらず、事故にあった児童以外の足跡が他のドーム型のカバーにも付いていたそうです。建築に関わった業者は、児童は屋上に入らないと聞いていたと言い、ドームの周りに柵は設けていなかったそうです。
杉並区和田にある小学校で事故があったとこのニュースが流れたとき、「あれっ?」と思ったのは私だけでしょうか。例の「夜スペ」や「PTAの廃止」で一躍脚光を浴びた「杉並区和田」だったからです。私に言わせると「何かあるんじゃないかなあと思っていたら、やっぱり」という感じ。小学校での事故ですから、直接は関係ないと思うかもしれませんが、大人たちがどっちの方向を向いて子どもたちと関わっているかということは子どもを守る上で大変重要なことです。大人が外に向けて何かを発信することに夢中になっているときは、こういうことはよく起こるものです。
K社の社宅の場合も一歩間違えば大変な事故につながったわけですが、「子どもを守る」というただそれだけの視点が末端の一人ひとりの保護者のところまで浸透していたため、大きな事故につながる前に対策が取れました。「他がやっていない何かをやる」ということではなく、日常の何でもない生活をどう過ごすか、そんなところに視点を当てた危機管理が重要なのだろうと思います。
事故にあった子どもの行動を責めるのではなく、何人もの子どもたちがドームに乗っていたことに気づかなかった学校や教育委員会の気のゆるみを厳しく糾弾すべきだと思います。
 
 
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第313回「危機管理」

秋葉原連続殺傷事件、岩手・宮城内陸地震とまったくその性質は違うけれど、連続して多くの人が犠牲になる事件、事故が起こりました。
秋葉原の事件が第一報として伝えられたとき、思春期以降のお子さんを持つ親の誰もが、「うちの子は巻き込まれていないだろうか」と心配になったのではないかと思います。うちの翔(かける)の通う大学も秋葉原からすぐ近くなので、「翔は大丈夫だろうか」そんな心配がまず頭をよぎりました。亡くなった叔父が、生前秋葉原デパート(駅から直接入れるので大変便利なデパートでしたが、時代の流れというのでしょうか、秋葉原の急激な変化の中で、惜しまれつつ閉店しました)に勤めていたので、私自身何度も秋葉原を訪れ、叔父のところでスーツを作ってもらったり、一緒に食事をしたりと、身近なところだけにその驚きは大きいものでした。陶芸の生徒のKさんも「お茶のお稽古にしょっちゅう行ってるところなのよね。事件の前の日もあそこの交差点を通ったので、テレビに現場の映像が流れたとき“あっ、あの交差点知ってる”ってびっくりしたのよね。私が巻き込まれた可能性だってあったんだもんね」とおっしゃっていました。
さらに時間が経つにつれ、被害者の身元がわかってくると、その被害者のお一人である「宮本直樹」さんが、蕨市北町の人であることがわかりました。蕨市北町というのは、我が家のある川口市芝富士とは、道路一本隔てたお隣。とても小さな地域なので、毎日のように買い物に行くところです。しかも報道によると葬儀もさいたま市内で行われたとか。そんな身近な地域の若者が亡くなったということが、この事件をますます身近なものに感じさせることになりました。
「あれっ、地震じゃない?」
岩手・宮城内陸地震は、そんな朝の会話から始まりました。布団の上に転がりながら、パソコンをいじっていた私が、ベランダで洗濯物を干している妻に声をかけました。
「そう?」
「めまいがしたのかと思ったけど、ほらっ!蛍光灯が揺れてるから地震じゃない?」
隣の部屋からやってきた孫の蓮(れん)が、
「ばあちゃん、地震だよ。だって、向こうの部屋も電器が揺れてるよ」
そのときは、そんな会話で終わっていました。いつもなら、地震が来るとすぐ「テレビつけて」と各地の震度を確かめるのですが、今回の地震はちょうど朝の忙しいときだったこともあり、それほど大きな地震という意識もなく、「このごろ地震が多くない?」などと話をしただけで、そのまま仕事に出てしまいました。インターネットでニュース速報を見たとき、その地震の規模に驚きました。そして、母が13日(地震の前日)から1泊で、盛岡のつなぎ温泉に泊まっていたことを思い出しました。震源は岩手県南部のようで、どうやら盛岡は被害がない様子。旅館の連絡先もはっきりと聞いていなかったし、携帯も持たない母に連絡のしようもなく、「何も連絡がないということは、何でもなかったんだろう」と勝手に解釈をして、ニュースに耳を傾けていると、お昼前に深谷に住んでいる妹から「お母さん、なんか言ってきた? どこに泊まってるか、知ってる?」と電話がかかってきました。「盛岡のつなぎ温泉って言ってたから、大丈夫だろっ。なんかあれば連絡入るよ」と電話を切ると、しばらくして今度は実家に母と住んでいる弟から、「今、おふくろから連絡あって、大丈夫だって。でも電車が動いてないから、駅で足止めくってるんだって」と電話がありました。今回の地震は、毎年妻の両親と紅葉狩りに出かけて、何度も通ったよく知る場所。やはりそういった場所の映像が流れると人ごととは思えず、「もし紅葉シーズンだったら巻き込まれていたかも」と考えてしまいます。しかもたまたま母が混乱に巻き込まれ、駅で待っていると聞かされるとなおさらです。一日中、カウンセリングと教育相談で地震の情報を夜まで知らなかった妻に仕事が終わった後、地震の被害を伝えると、夜遅くなってしまっていましたが、岩手に住む従兄弟と知り合いに電話をして、無事を確かめていました。
子どもが事件や事故に巻き込まれる可能性というのはそう多くはないけれど、ゼロということはありません。身近で事件や事故が起こったときには、そういったことを意識するけれど、どうしても「人ごと」で終わりがち。そうかと思えば最近では、心配するあまり子どもをがんじがらめにしてしまう親も見かけます。度を超さない危機管理を普段からしっかりしておくことは重要ですね。とは言え、いきなり事件に巻き込まれるという事態から、どう身を守ればいいのか、私自身できる自信もなく、子どもたちに教えることの難しさを感じる毎日です。
昨日(地震の翌日)の朝、実家に電話をしても留守。お昼過ぎに母から電話があり、結局新幹線が動かなかったので、前の晩に泊まった旅館に連絡をしてもう一晩泊まったそうです。「一晩余計にゆっくりできてよかったよ。地震の時は8階の部屋にいたからちょっと怖かったけどね」と母はケロッとしたもんでした。
 
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第312回「喫煙」

最近、「禁煙」あるいは「分煙」の動きが加速しています。公共の施設はもちろんレストランや喫茶店、果ては路上まで、あらゆるところで喫煙者は肩身の狭い思いをする羽目に。
うちの陶芸教室が現在の浦和駅前のエイペックスタワーに移ったのが5年前。それまでの南浦和の教室では、教室内につい立てで仕切った喫煙場所が決められていて、たばこを吸う人は、そのつい立ての陰で吸っていました。一応、窓のそばに設置してあったので、たばこを吸うときは窓を開けて吸います。とは言え、煙は上に上がりますから、天井を伝わって教室全体に広がるし、風の向きによっては、窓の外に出るどころか、逆に教室の中に入ってくることもあります。会員全体の割合からいうと、圧倒的に吸わない人が多いにもかかわらず、どちらかというと「吸わない人が我慢をしている」という感じ。
ところが、エイペックスタワーに移ってからはというと、建物も新しい上、教室の内装も真っ白。特に「禁煙」ということを私の方から強く指示した覚えはありませんが、何となく自然に「禁煙」の流れができて、たばこを吸う人は教室を出て、タワーの通路で吸うようになりました。もちろん通路にも屋根はありますが、冬になると北風は吹くし、時にはまるで台風のような突風も吹きます。そんなことで今は、すっかり「吸う人が我慢している」という感じ。そういう状況なのに、吸う人にとってはさらに逆風が吹いて、まずエイペックスタワー敷地内の共用スペースはすべて禁煙に。さらにさらに、駅周辺の道路も「路上喫煙禁止地域」に指定されて、歩きたばこはできなくなってしまいました。皆さんなんとかどこかで吸ってくるようですが、人目をはばかりながらの何とも「まずい」たばこを吸っていることだろうと思います。
私はもともとたばこを吸いませんが、15年ほど前から花粉症になり、その後はとにかくひどいアレルギー症状が出て、ちょっとたばこの煙を吸っただけでも喉は痛くなる、くしゃみは出る。電車に乗れば洋服や髪の毛についたたばこの臭いが気になって、帰宅した途端、頭からシャワーを浴びて臭いを落とさないといられない始末。昔はここまでたばこを拒否してたわけではないんだけどなあ…。
さてつい先日、たばこ自動販売機成人識別ICカード「taspo」(タスポ)を福岡のたばこ販売の自営業者が、家族名義のカードを自動販売機にぶら下げ、誰でも購入できるようにしていたことが問題になりました。未成年者の喫煙をなくすという「taspo」導入の目的をまったく無視するやり方で、非難されるのも当然のことと思います。ただ、自営業者側にいわせると、「taspo」導入以来、売り上げが激減し、経営が成り立たない状況と言い、経営を維持するための最終手段ということのようです。もっとも、もともと対面販売を中心に行ってきた一部店舗やコンビニエンスストアといったところでは、逆に売り上げが何倍にも伸びているそうですが。
「たばこ」というのは、子どもから見ると大人の象徴です。成長過程で親離れをしようとする年齢になると、自然に「大人」にあこがれ、何でも大人の真似をしてみたくなります。「たばこ」もその一つで、たばこを吸うことの意味(そんなものがあるかどうかはわかりませんが、私が以前勤めていた法律事務所の弁護士は、「相手方と話をしていて間が持たなくなったり、間を取りたくなるときがあるんだよな。そういうときにたばこは都合がいいんだ」と言っていました)もわからないまま、とにかく吸ってみる、そんな時期があるものです。もう時効ということでお話しすると、実は私も、中学3年生の時に1箱だけ吸ったことがあります。それ以来たばこはまったく吸うことはありませんが、ちょうどその頃は、一人で喫茶店(今はなくなってしまった浦和駅西口の「tomorrow」に毎週通っていました)に行っては「モカ」を飲んでみたりしていた時期で、思春期まっただ中というところでしょうか。誰しもそんな時期があったのではないかと思います。
未成年者に、健康に害のあるたばこを吸わせないのは大人の責任。とは言え、一日も早く大人になりたいと思うのは、子どもの常。19歳11ヶ月29日と20歳とのたった1日の差で、身体に与える害に違いがあるわけもなく、「taspo」で未成年者の喫煙を防ぐというような発想ではなく、まず率先して大人が禁煙の努力をすることが未成年者の喫煙を防ぐ最良の手段なんだろうと思います。
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第310回「公園ということの意味 その2」

前回、お話しした「ゴリラ公園」と京浜東北線の線路を挟んで反対側には「文蔵(ぶぞう)フィットネス広場」という公園があります。この公園もゴリラ公園同様、一般的な公園とはやや趣を異にしていて、アスレチック用の遊具がいくつかあり、その周りにランニングコースのようなコースが作られています。
朝日が昇り、明るくなると、毎日10名ほどの大人たちが、ランニングをしたり、ウォーキングをしたり、遊具を使ってストレッチをしたり…。
朝ではなく、夜利用する人たちもいます。人通りがあまりないので、夜の利用にはやや怖さもありますが、何人かグループでランニングをしたり、高校生がバットを振ったり、ラケットを振ったり…。外環の下ですから、多少の雨なら濡れることなく利用できるので、雨の日にも利用している人もいます。
ところが昼間行ってみるとほとんど人を見かけません。昼間の公園利用者といえば子どもたち。一応、子どもが遊ぶための遊具も少しは設置してあるのですが、ほんのお義理という程度。子どもが遊ぶための公園というにはほど遠く、子どもの利用はほとんどありません。
実際にその場に行ってみるとわかることなのですが、24時間日が差さない公園というものは、どことなく不気味で、怖ささえ感じます。日が差さないために木がないということも、そういった感情を抱かせる一因になっているかもしれません。公園ということの役割が、人々の心を和ませるものだとすれば、「この公園はいったい何なんだろう?」という疑問が湧いてきます。
沙羅の通っている幼稚園のそばには、さくら公園ともみじ公園(正式な名前は定かではありませんが、子どもたちはそう呼んでいます)という二つの公園があります。
「じいちゃん、今日はさくら公園で遊んでいこっ!」という日もあれば、「今日は、もみじ公園で遊んでいこっ!」という日もあります。
つい先日、そのさくら公園にある桜の木にサクランボが熟し、管理をしているおじさんが、収穫したサクランボを子どもたちに配ってくれました。1ヶ月ちょっと前には、八重桜の花びらが絨毯のように公園中を敷き詰め、まるでピンクの海を泳いでいるような気持ちになりました。
そんなとき人間は、自然と笑顔になるものです。子どもたちの楽しそうな歓声が、大人の心も和ませます。
公園で遊ばない子どもたちの事情は、公園側だけにあるわけではなく、子どもたちを取り巻く、社会的状況によるものも大ですが、外環の下の公園を見たとき、「果たしてこれが公園と言えるんだろうか?」どうしてもそんな気持ちが湧いてきてしまいます。
1992年11月、外環の和光IC~三郷JCT間が開通して今年で16年。私の花粉症が発症して今年で15年。外環を通ったときのあの排気ガスの真っ黒い様子を見るたびに、私の花粉症と外環の開通を関連づけて考えてしまいます。
日の当たらない外環の下の公園。北京オリンピックの環境問題が叫ばれる中、公園の環境はこれでいいのか…。
遊ばない子どもたち、遊ばせない親たち、もしかすると子どもの健康を守るための「動物的勘」を持っているのかもしれません。
 
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第309回「公園ということの意味 その1」

四月に小学校に上がった孫の蓮(れん)の自転車が小さくなり、先日少し大きいものに買い換えてやりました。大人だって車を買い換えるとすぐに乗ってみたくなるものですが、子どもだって同様(いや順序が逆かな? 子どもが乗りたくなると同様に大人も乗りたくなる? 私は車を買い換えると夜中でも首都高の環状線を2、3周して来ちゃうので私中心の言い方になってます。地球温暖化が問題になっている折、不必要に車を乗り回すのはやめた方がいいですね。)で、新しい自転車に買い換えると乗ってみたくなるものですよね。私も小学校5年生の時、それまで乗っていた22インチの自転車が小さくなり、スポーツタイプの新しい自転車を買ってもらって、ほんのちょっとのつもりでその辺を乗り回しているうちにだんだん遠くまで行っちゃって、とうとう草加まで行ってしまったこと(うちは駒場のサッカー場の近くですから、往復で20キロくらいあります)ありました。私にとっては、初めての大冒険でした。新しい乗り物を手に入れるっていうことは、新しい自分になれたような、そんな気分になるものです。子どもにとっては、1ランク上の自転車に乗り換えると言うことが成長の証なんですね。
道路を乗り回すのは、ちょっと危険を伴いますが、幸いなことに、我が家の近くには、公園全体がマウンテンバイクのコースになっている「ゴリラ公園」があります。新しい自転車もマウンテンバイク風の5段変速。思う存分乗れるように、「ゴリラ公園」に行きました。
この「ゴリラ公園」は、東京外郭環状線ができたとき、道路下の用地を何にするかで、地元と道路公団の話し合いのもと、作られた公園です。まあよくある、「公園にしてやるから道路建設に反対するな」式のやり方によって、できた公園です。私の知り合いもどんな公園にするかの話し合いに加わっていて、当時は自転車用の公園ということで珍しかったことやイベントを開いたりしていたこともあり、子どもたちがけっこう集まってきていました。
「ゴリラ公園」という名前は、ゴリラ(キングコング?)が時計のポールを曲げている大きな像が建っていることから、つけられた名前です。子どもたちにとっては、その命名もよかったんでしょう。うちの子どもたちも、よく遊びに行っていました。
ところが先日行ってみると、人っ子一人いない状態。「シルバー」のおじさん(?)が整備をしていて、ホコリが立たないよう水を撒いたらしく、自転車コースのあちこちに水たまりができていました。上が道路のために雨がかからず、いつも乾燥しているので、水を撒かないとホコリがひどいんです。しかも、風が吹けばその乾燥したホコリが近隣のお宅にまで迷惑をかけるし、公園の土もどんどん減ってしまって、いまでは表層の土がほとんどなくなり、その下に入っていた大きな石がかなり顔を出している始末。とは言え、「ちょっと撒きすぎだろっ!」という感じです。
蓮と一緒に行った沙羅の自転車は小さいので、マウンテンバイクのコースには不向き。一生懸命こいだところで、どうしてもコースに負けてしまって、何度も足を着いたり、転んだり。そのうちぬかるんだところで足を着いてしまったために、靴はどろどろ、自転車もどろどろ。べそをかきかき、自転車を引きずりながら私のところへやってきました。新しい自転車で颯爽とコースを回っていた蓮はというと、泥を跳ね上げ背中が泥だらけ。二人ともそのまま自転車でピアノのレッスンに行く予定で、楽譜も持ってきていたので、かなり困った状態になってしまいました。
一生懸命水を撒いてくれた「シルバー」のおじさんに、文句を言うわけにもいかず、公園の水道で、泥を落としてピアノのレッスンに向かいました。
つづく
 
 
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第308回「何が何でも厳罰化の流れ その2」

少年に対する死刑判決というのはいくつかあるわけですが、これまで判決の基準となっていたのは、「警察庁広域重要指定108号事件」、通称「永山則夫連続射殺事件」(文末参照)の判決で、永山基準と言われるものです。
永山基準とは、1983年、最高裁での第1次上告審判決のもので、最高裁は以下の9項目を提示、そのそれぞれを総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合に許されるとしました。
1.犯罪の性質 
2.犯行の動機 
3.犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性 
4.結果の重大性、特に殺害された被害者の数 
5.遺族の被害感情 
6.社会的影響 
7.犯人の年齢 
8.前科 
9.犯行後の情状
 
永山基準では、「誰が見ても死刑以外に選択肢がない場合だけ死刑に出来る」という基準によっていましたが、今回の光市母子殺害事件判決では「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」とし、原則・死刑、例外・死刑回避という判断の枠組みを示したと言えます。単に少年というだけでなく、前回も述べたように「18歳になってわずか30日」ということを考えると、永山基準からはかなり踏み込んだ判決であったと言えるのではないでしょうか。
被害者感情を強く意識するようになり、裁判所の判例はもちろん、法律も、年々厳罰化の傾向にあります。マスコミも、そういった傾向に大きな役割を果たしてきました。先日見ていたテレビ番組の中で、来年度から導入される裁判員制度に関し、「あなたは死刑判決を下せますか」との問いに、「下せる」という人の割合が増えているというアンケート結果を放送していました。厳罰化の流れの中で、果たしてそう簡単に死刑判決を下していいのか…、私がもし裁判員に選ばれたとしたら、死刑という決断はできないのではないかと思います。
ほんの数ヶ月前、「20歳成人」の年齢を「18歳」に引き下げたらどうかということが話題になりました。街頭のインタビューを見ていると、かなりの人たち(成人も未成年も)が、「引き下げるべきではない」と答えていました。その理由は、「18歳はまだ子ども。判断能力に欠けている」というものでした。18歳では、責任能力が備わっていないと考えている人が相当多いわけで、その意味で大人は、「20歳を過ぎなければ権利はやらない」と考えているということです。
そういった意識と、今回のような少年事件への厳罰化の流れとの間の整合性をどう取るのか…。あまりにも安易に「厳罰化」の方向に流れているように感じます。単純に事件を事件として捉えるのではなく、その事件の背景にある大人の責任、子どもの権利をしっかりと見据え、将来の日本のためにとるべき方法はいかなるものなのか、真剣に考える必要があるのだろうと思います。
 
 
※永山事件
1968年に東京、京都、函館、名古屋で起きた4名の連続殺人事件で、いずれもアメリカ海軍横須賀基地から盗んだピストルによる犯行で、金銭目的のものであった。永山則夫は犯行時19歳であったが、犯行の連続性から指名手配されたこともあり、当初から実名報道された。1969年4月、予備校に金銭目的で侵入したところを警備員に発見され、発砲して逃走したが、緊急配備中のパトカーに発見され、逮捕された。
1979年、東京地方裁判所の1審の審議では死刑判決を受けたが、1981年、2審の東京高等裁判所では家庭環境・生育状況が劣悪であった事を減刑の理由として、無期懲役に減刑された。しかし、1983年、最高裁は東京高裁の判決を破棄して審理を差し戻し、その後の東京高裁(1987年)、最高裁(1990年)では「永山則夫が極貧の家庭で出生・成育し、両親から育児を放棄され、両親の愛情を受けられず、自尊感情を形成できず、人生の希望を持てず、学校教育を受けず、識字能力を獲得できていなかったなどの、家庭環境の劣悪性は確かに同情・考慮に値するが、永山則夫の兄弟姉妹たち7人は犯罪者にならず真面目に生活していることから、生育環境の劣悪性は永山則夫が4人連続殺人を犯した決定的な原因とは認定できない」と判断して、死刑判決が確定した。
永山は両親から育児を放棄され、学校教育を受けておらず、逮捕時は読み書きも困難な状態だったが、獄中での独学し、執筆活動を開始した。1971年の手記「無知の涙」をはじめ多くの文学作品を発表し、1983年には小説「木橋」で第19回新日本文学賞を受賞するなど創作活動を通して自己の行動を振り返るという、死刑囚としては稀な存在であった。また、それらの印税を4人の被害者遺族へ支援者を通して渡している(受け取りを拒否した遺族もいる)。
1997年8月1日、東京拘置所において死刑執行。享年48。
 
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第307回「何が何でも厳罰化の流れ その1」

少年の凶悪事件が増えていると言われる中で、ここのところ少年法が話題となっています。特に4月22日に広島高裁において、差し戻し控訴審判決が言い渡された「光市母子殺害事件」は記憶に新しいところで、頻繁にマスコミに登場し、極刑を求め続けた本村洋氏の意に沿う形での死刑判決ということになりました。本村氏のお気持ちを考えたとき、死刑だから納得がいく、満足がいくということではないということだろうと思いますが、今後この判決が最高裁で確定する可能性を考えたとき、これまでの判例からは一歩踏み出し、少年に対する厳罰化の流れを加速させる結果を生むかもしれない重大な判決であったのだろうと思います。
私たちは、法律の下で生活しているわけですが、あまりにもその実感がありません。そこで、少年に対する厳罰化ということをふまえ、以下に少年法の一部を抜粋してみました。
 
(この法律の目的)
第1条 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。
(少年、成人、保護者)
第2条 この法律で「少年」とは、20歳に満たない者をいい、「成人」とは、満20歳以上の者をいう。
2 この法律で「保護者」とは、少年に対して法律上監護教育の義務ある者及び少年を現に監護する者をいう。
(調査の方針)
第9条 前条の調査は、なるべく、少年、保護者又は関係人の行状、経歴、素質、環境等について、医学、心理学、教育学、社会学その他の専門的智識特に少年鑑別所の鑑別の結果を活用して、これを行うように努めなければならない。
(審理の方針)
第50条 少年に対する刑事事件の審理は、第9条の趣旨に従つて、これを行わなければならない。
(死刑と無期刑の緩和)
第51条 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する。
2 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、無期刑をもつて処断すべきときであつても、有期の懲役又は禁錮を科することができる。この場合において、その刑は、10年以上15年以下において言い渡す。
 
少年法の主旨は、少年の健全な育成にあります。教育の意義に十分配慮して構成されているもので、日本の未来を担う少年を社会の責任において育てていくんだという強い意志が感じられる法律です。18歳未満についてはその罪を本人にのみ問えるのかと、成人では認められている死刑を回避しています。ここのところの厳罰化の流れの中では「絶対に死刑にはならないんだから、人を殺したっていいんだと考える少年がいるかもしれないから死刑適用の年齢を下げろ」という議論までなされています。しかしそれは、少年法第1条の規定から考えて、あまりにも乱暴な議論であり、その目的を大きく逸脱したものだと言わざるを得ません。果たして少年にそこまでの責任を問えるのかどうか…。
「光市母子殺害事件」は、元少年が18歳になって30日しか経っていないときの犯行であり、それが一つの争点となりました。犯行時には18歳ではあったわけで、少年法の規定から死刑を言い渡せない年齢ではありません。されど「たった30日」そこをどう判断するのか、裁判所の判断が注目されていました。
次回につづく
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第306回「海軍飛行予科練習生」

「おい、俺が死んだらなあ、ヘリコプターで鹿島灘に骨を撒くんだぞ。おまえたちに頼んでおくからな!」
昨年亡くなった父は、何度も私と妻にそう告げていました。
海軍飛行予科練習生(予科練)に志願して、土浦海軍航空隊にいた父としては、特別攻撃隊(特攻隊)として鹿島灘に散った多くの仲間たちのところへ行きたいという気持ちが、ずっと消えなかったんでしょう。土浦から三沢(青森県)に移動になった直後、土浦が爆撃を受け、三沢でも同じように、移動の命令を受け三沢を出た直後に、三沢も爆撃に遭いました。父はたまたま難を逃れた数少ない生き残りなんです。(第266回参照)
「俺の人生は、余生なんだ。あの戦争で、俺の人生は終わったんだ」
と口癖のように言っていました。
そして昨日(20日)、先に逝った戦友たちのそばに父(ほんの一部だけですが)を葬ってきました。強い風で大きく荒れた海は、細かい粉になった父の遺骨を、戦友たちの眠る遙か鹿島灘の沖に、運んでいってくれたことと思います。
父の骨を撒く前に、父が予科練時代を過ごした土浦海軍航空隊跡を訪ねました。現在は陸上自衛隊武器学校となっており、中には、予科練記念館「雄翔館」、記念庭園「雄翔園」、予科練の碑「予科練二人像」などがあります。物心が付いて間もないころ、一度だけ父に連れられて来たことがありました。小さいながらもそのときの印象は強烈で、敷地内におかれた戦車、死んでいった若者たちの遺品の数々が、未だに記憶の中にあります。今回は、それを確認するように見学してきました。
入り口で簡単な受付をすれば、誰でも入れます。(平日、土・日とも午前9時~午後4時30分 茨城県稲敷郡阿見町大字青宿121-1 陸上自衛隊武器学校内)
予科練の卒業生は約24,000名。そのうちの約8割、18,564名が戦死しました。「雄翔館」には、戦死した若者の遺品や家族宛の手紙(遺書)などが、展示されています。両親に宛てたもの、叔父や親戚に宛てたもの、どの手紙を見ても、しっかりとしたとてもきれいな字で、これまで育ててくれた感謝の気持ちが綴られています。まだ二十歳にもならない若者の手紙を見ると、とても心が痛みます。
「長い間育ててくれた…」「これが最後の…」といった言葉の数々。この若者たちに「長い間」「最後の」などという言葉を誰が言わせたのだろうと怒りがこみ上げてきました。
「戦争の時は、みんなこう考えてたのっ」「戦争だから仕方ないの」という母の言葉が、まるで人ごとのようで(もちろん母も戦時中の大変な時代を生きていたわけですが)、父の「鹿島灘に骨を撒くんだぞ」という言葉とは、遙か遠いところの言葉のように感じました。
「もし、これが私の子どもたちだったら…」そんな思いが、涙をにじませます。
父がお酒を飲むたび歌っていた、「四面海なる帝国を 守る海軍軍人は 戦時平時の別ちなく 勇み励みて勉べし」という「艦船勤務」や「若い血潮の 予科練の 七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でかい希望の雲が湧く」という「若鷲の歌」が自然に口をついて出てきます。
日本は、平和を取り戻しましたが、世界各地で多くの若者や幼い命が戦争によって奪われていることを思うと、平和のために何が出来るだろうかと考えさせられます。
雄翔館の入り口に二人の男性が椅子に座っていました。父と同じ予科練第14期だそうです。父同様、戦死はしなかったけれど、このお二人も戦争が人生のすべてだったんだなあと、なんだか寂しい気持ちになりました。
 
 
 
 
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義】 第305回「東大の入学式」

東大の入学式が11日、日本武道館で開かれ、新入生の数を大幅に上回る保護者らで埋まった客席を前に、建築家で特別栄誉教授の安藤忠雄氏が「親離れをしてほしい」と新入生、保護者双方に自立を促すよう祝辞を送ったそうです。安藤氏の前の小宮山学長の式辞でも「新入生の幼いころを思い返し感慨もひとしおと思うが、入学式は親離れをして独立し、自らの道を切り開く旅立ちの日。温かく見守ってほしい」と保護者に呼びかける場面があったとか。日本人にとって、東大という特別な響きを持つ大学の入学式とは言え、あまりにも多い家族の出席希望に、「新入生一人に対し関係者二人まで」という制限を設けたにもかかわらず、「3人以上で行きたい」という問い合わせが、数十件も寄せられるほどの異常ぶり。そんな過保護な親子関係に一石を投じたということなのでしょうか。入学式の会場は新入生3200人の周囲を5000人の保護者が取り囲んだということだそうですから、東大側にしてみれば、いったい誰のための入学式なのかということになるのは当然。安藤氏は「自己を確立しない限り独創心は生まれない」「自立した個人をつくるため親は子どもを切り、子は親から離れてほしい」と言ったそうですが、まったくその通りです。(東京新聞webサイト参考)
入学式に参加した新入生、保護者の人たちは、この話をどう聞いたんでしょう。
ネット上のYahoo!知恵袋に、「大学になっても入学式に親が同伴するのは、おかしいですか?」との内容の質問があり、ベストアンサーに選ばれたのは「息子さんが反対しているなら、行かなくてもいいのでは?? -中略- 特に男子だと親が一緒だと…、ちょっと…ね。 -中略- それくらい自立心があった方がいいですよ。」
というものでしたが、あとの10人の解答のうち、「出ない」を支持したのはたった一人(それも附属高校からのエスカレーターらしく、ちょっと状況が違う)、あとは全員「出たっていいじゃない!」「出て何が悪い!」というスタンスの回答ばかり。ところがYhoo!サイト内のクリックリサーチでは、「大学の入学式に親が出席するのは過保護だと思う?」との質問に、64,558人中37,993人(59%)が「過保護」と答えています。知恵袋に回答を寄せた人たちは、自分が親として入学式に出たことのある人たちなので、出ることへの支持は当然として、全体としては、「過保護」というふうに考えている人たちが多いということなんですね。けれども、クイックリサーチは、「親」でない人の数が圧倒的で、もし子どもがいる人だけを対象に同じ質問を向けたとすると、「過保護ではない」と考える人の方がかなり多いのではないでしょうか。
私は以前から述べているように、今の「子育て・教育」の問題というのは、「親子の距離が近すぎること」と考えていますので、基本的には「過保護」だろうと思います。
まもなく成人を迎えようとしている(あるいは成人を迎えた)子どもたちが、ある意味親をうっとうしいと感じるのは自然で、それがないということになると、安藤氏の言う「自己を確立しない限り独創心は生まれない」ということになってしまいます。本来だったら、思春期に通り越していなければならないことが、最近の傾向として、大学になっても、社会人になっても通り越せていない。
うちのカウンセリング研究所のスタッフ募集の面接に、お父さんが付いてきたというケースが2人ありました。「娘が働くところがどんなところか確かめたかった」というお父さんの気持ちがわからないではないですが、面接をして雇う側として考えた場合、お父さんが付いてこなければ面接にこられないような大人だとしたら、採用するのは困難です。仕事で難しい局面を迎えたとき、しっかりと自分で解決していく能力があるかどうか、疑わしいからです。
親は皆、子どもの幸せを考えるものです。安藤氏や小宮山学長に言われるまでもなく、本当の子どもの幸せとは何なのか、そろそろ見つめ直すときがきているのではないでしょうか。
 
 
 
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2024年4月 4日 (木)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】 第304回「巨人と楽天」

野球の話題は初めて?
巨人のあまりの不甲斐なさと楽天のあまりの絶好調ぶりに、今日は野球の話題。もっとも直近は巨人が阪神に大勝、楽天は西武に3連敗して、勝率5割に戻っちゃいましたが…。
 
以前、サッチーこと沙知代夫人とテレビの番組でご一緒したことがあり、その後、妻が年に数回、季節の挨拶程度ではありますが、夫人とハガキのやりとりをしているので、2005年7月1日に開かれた克也氏の古稀を祝う会のご招待状をいただき、出席しました。克也氏は、まだシダックスの監督をしていましたが、次期楽天監督に就任するのではとの噂がありました。パーティでは、沙知代夫人の「この人は生涯監督が似合う。理想はカツノリ(当時は楽天の選手。2006年に現役引退。現楽天コーチ)がサヨナラホームランを打った試合で、ベンチの中でバンザーイって言ってバタッと倒れること」(日刊スポーツ参考)との楽天監督を意識したような発言もあって、どうやらまんざらでもない様子。さらにこのときお祝いに駆けつけていた原辰徳氏(現巨人軍監督)に対して、克也氏から「次期巨人軍監督」というような話もあり、すでに2人の監督就任は、ほぼ確実視されていました。
実際その通りになって現在を迎えているわけですが、今日(4月6日)現在、巨人が2勝7敗で首位阪神と5ゲーム差の5位(横浜と同率で最下位)、楽天が7勝7敗で首位西武と1.5ゲーム差の3位(日本ハムと同率)という成績。楽天の成績がいいのか悪いのか、普通のチームだとして考えれば、微妙なところではあります。もしこれが、巨人や阪神、中日といったチームの成績であったとしたら、おそらく7勝7敗の五分という星も、まだまだ「不振」と言われる星勘定ということになるのでしょう。けれどもチーム発足すら危ぶまれ、万年最下位ではないかと言われたチームであることを考えると、わずか4年で、シーズン当初ではあるとは言え、初の7連勝(これまでの連勝は5)を果たし、一旦は首位に立ったことは、ニュースです。昨日(土曜日)のTBS「ブロードキャスター」でも、野村監督が生出演(オフでない時期に、会見ではなく長時間の生出演というのには驚きました)し、大きく取り上げられていました。今の楽天の強さは、それほどのニュースということなんでしょう。
「ブロードキャスター」で取り上げていたスターティングメンバーの年俸比較にもビックリ。ちょっとはっきりした数字は忘れましたが、巨人が26億何千万円だか28億何千万円だかで、楽天が6億何千万円だか、だったように思います。にもかかわらず、巨人は弱くて、楽天は強い。
そのわけはどこにあるのか…
誰もが言うことですが、それはやはり監督の采配です。采配というのは、その試合にどういう戦術で戦うかということではなく、キャンプ(もっと言えば昨シーズンが終わってどんな補強をするかから。もっとも野村監督は「補強はフロントの仕事で、監督の仕事は与えられた選手でどう戦うかだ」と言っていましたが)からどうチームを作っていくかというビジョンです。今の巨人と楽天には、おそらくそこに大きな違いがある。選手一人ひとりが、自分自身の中に明確な目標を持つこと、そしてそれをチームとして全員が共有すること。さらに監督が選手の能力を引き出すこと。どうもそのあたりに違いがあるように思います。
楽天が球団新記録の6連勝を飾った4月2日、好投しながら最終回に2点を失い完投できなかった永井怜投手が、試合終了後ベンチからロッカールームに引き上げようと野村監督の前を通ったとき、監督が永井投手の背中を“ポーン”と勢いよく叩きました。そこから見て取れたのは、監督と選手の信頼関係、まさに「育てる」ということです。「使うのは俺だけど、実際にやるのはお前だぞ」と言っているように見えました。
それに対して、今の巨人には「育てる」ということがありません。今日、満塁ホームランを放った坂本勇人内野手(19歳)。こういう選手を育てて、初めて巨人も強さが発揮できるようになるんじゃないですかね。
教育の本質もそんなところにあるのでしょうか。できあがったものを与えるのではなく、ゼロからゆっくりでもいい、一つ一つ自ら獲得して育っていく。そういうふうにして獲得したものは、失うことがない。だから本物になっていく。それが子どもの教育にも必要なんだろうと思います。
 
楽天優勝?
あるかもしれませんね!
 
 
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第303回「誤字には気をつけて!」

娘の麻耶は、4月から大学に通うことになりました。おなじく4月から小学校に入学する息子と幼稚園の年長になる娘を持っている28歳。幼児教育を学ぶんだそうですが、果たしてどんな学園生活になることでしょう。
入試の面接では、
「あなた、その年齢になって幼児教育を学んだって、就職は難しいですよ」
と露骨に言われたとかで、合格発表があるまで不安になっていましたが、何とか合格。私に言わせれば、少子高齢化のこんなご時世。潰れてしまう大学がある中で、ごく一部の大学を除けば、学生の質はどんどん下がっているわけだから、幼児教育を学ぶ学科にとって、子どもがいて高齢(大学で学ぶという点については)で、それでも大学で学ぼうなんていう学生は、むしろ歓迎。わざわざ幼稚園、保育園に行って実習をしなければ聞けない保護者の話が、毎日だって聞けるわけだし、教材としても最適。「受からないわけないだろ」ということになるわけなんです。推薦入試だったので、まあ最終的には、大学側の選択ですから、当然「そんな遠回りをした学生はいらない」ということになれば、落ちることだってあったのですが、なんとか合格しました。
 
大学に入学すると“遊んでしまう”学生が多いからなんでしょうかねえ、まだ入学しないうちから論文提出。1本提出するとしばらくして添削されたものが返却され、それと同時に次の課題が出題されるという具合で、計3本の論文を書かされていました。
「おまえ論文なんて書けんの?」
「書けるわけないでしょ! だから代わりに書いてよ」
「いきなりそれかよぉ。おまえねえ、大学でだって書かされるんだよ。家で書いて提出するやつだけ手伝ったって、大学で書くやつはどうすんだよ!?」
「女装でもして書いてきてよ。そうしないと“あれっ、こいつ、この前の文章とずいぶん違うなあ…”って変に思われちゃう!」
「バカ言ってんじゃないよ! だから、最初から全部おまえが書けばいいだろっ!」
「まあ、しょうがないか…」
というわけで、麻耶が3本の論文を書くことになりました。(当たり前のことなんですが)
それでも一応提出前には、妻と私に「これでいいかなあ?」と見せるので、適当に目を通しては、「はぁ、まあいんじゃん」なんてやっていたのですが、「あれっ、割と書けるんだぁ」とちょっと意外な感じも受けました。妻もそう思ったらしく、「おまえ、私よりうまいかも」なんて、麻耶に言っていました。
3本ともEメールのコミュニケーションについての論文で、麻耶なりに自分の経験を織り交ぜながら、書いていました。1本目も、2本目も「大変よくできました!」みたいな評価をもらったので、3本目もそれなりの期待があったのだと思うのですが、3本目は「誤字には気をつけて! ~中略~ 図書館の本を読破してください」なんていう評が書いてあるものだから、麻耶は「字も書けないようじゃあ、図書館行って勉強しろっ!だってさ」とちょっとがっかりしたような、「やっぱりなあ」というような微妙な様子。
「へーっ、字が違ってたんだぁ。でも、図書館の本を読破しろなんていうのは、褒めてんじゃないの」
なんて言いながら、私が答案を見ていると、誤字というのは麻耶が息子の蓮をつれて小学校に「就学時健診」に行ったくだりのその「健診」という言葉。「健診」に×がつけられて、その脇に「検診」と書き加えられています。その瞬間は何も考えず、
「ふーん、“検診”を間違えちゃったんだぁ」
と麻耶に答案を返しながら、
「でも、おまえ、最初にパソコンで打ってなかったっけ? 何で間違っちゃったんだろうな? 写し間違ったのかねえ?」
「それはないと思うよ。だって“けんしん”って言われたって、私全然漢字なんて書けないから、健康の“健”なんて思いつかないもん」
それで私が“はっ!”として、もう一度答案を眺めながら、
「就学時“けんしん”て、健康診断だよなぁ? だったら“検診”じゃなくて“健診”でいんじゃないの?」
すぐにモバイルサイトの広辞苑を開いて確かめてみると、「検診」は「胃検診」とか「胸部検診」のように病気を発見するための「けんしん」で、やはり健康診断は「健診」。麻耶は麻耶で、そのときの資料を持ってきて、「就学時健康診断」と書いてあるのを確かめると、
「やっぱり“健診”でいんだぁ! 変と思ったよ、パソコンが間違うなんてさぁ」
「大学始まったら、その人のところ行ってこいよ。“先生! これ、やっぱり健診でいいんですけどぉ”って」
「なんて言うかねえ? 真っ赤になっちゃうかねぇ? ×つけて書き直してある程度ならともかく、“健診”だけなのに“誤字には気をつけて!”なんて書いちゃったからね」
まるで鬼の首を取ったような大騒ぎ。
たまたま間違ってしまった准教授(らしい)には、申し訳ないけれど、そんなつまらないことから、28歳にもなる子持ちの娘が、大学に行くということの意義や学ぶということの意義を、肌で感じているように思います。
「目当て」を見失い、事件を起こしてしまう少年少女が増える中、家庭の果たす役割と同時に学校の果たす役割も重大です。教師と生徒の関係が、血の通った人間対人間の関係になり、信頼関係を取り戻すよう、強く願っているこの頃です。
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2024年4月 3日 (水)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第302回「パパ検定」

へぇーっ、パパ検定なんていうのができたんですねぇ。
ケーブルテレビのニュースで見て、ついさっき知りました。私の場合、「パパ」という立場をずいぶん前に卒業して、今やるとすれば「じじ検定」というところでしょうが、ちょっと興味を持って見ました。ネット上で検索してみたら、検定は終わってしまったんですけれども、模擬テストがあったので、早速やってみました。
ところがこれが難しい。確かに、テレビの中でやっていた問題も、内容が多岐にわたっていて難しいなあとは思いましたが、11題しかない模擬テスト(http://www.kentei-uketsuke.com/practice_guide.asp?exercise_id=papa001)も一般的な知識というだけではまったく足りず、様々な知識がないとできません。
「育児休業を取得した父親の割合」とか「ソフトバンクグループの出産祝い金の金額」とか「桃から生まれた桃太郎の別バージョンはどれか」とか、これはもう「パパ」に必要な知識というより、完全に雑学の部類ですね。中には、「離乳食に不適な食材」なんていう質問もあるので、役に立つものもあるにはあるのですが…。本当に必要な知識として聞くとすれば、「不適」というよりは、「適したもの」というような訊き方の方がいい気もするので、まあ遊びというところですね。
ニュースの中でインタビューされていた主催者側の女性も、検定の点数がどうのというよりは、「子育てに関する父親の意識を高める」というようなことが目的と話していたので、要は報道(宣伝)されればいいということなのでしょう。
いろいろよく調べていくとNPO法人ファザーリング・ジャパンというところの主催で、経済産業省、東京都、兵庫県が後援となってはいるけれど、代表の安藤哲也氏は、元々は出版社出身で、町中書店の復活の取り組みで有名で、オンライン書店を立ち上げたり、楽天ブックに関わってきた人。検定も「パパ検定」だけでなく、「ロック検」「地理検」「馬検」「メディカルハーブ検」「CAR検」「フードアナリスト検」「CMアイドル検」「猫検」「ミリタリー検」…。こうなってくると、まじめに「父親の育児参加」を考えているというよりは、「ビジネスのいいネタということか」と穿った見方になって来ちゃいます。それぞれに検定のための公式テキストが出ていたりするので、まさにメディアに取り上げてもらうための戦術といったところなのでしょう。検定ブームを利用した、とてもうまい商法だなあと感心してしまいます。
最近、父親の育児参加を呼びかけるものが多くなってきました。基本的には、私も賛成ですが、父親が子育てにどう関わるかということがとても大切です。ついさっきネット上に進学塾講師による有料受験対策「夜スペ」でも有名になった杉並区立和田中学校が、今度はPTAを廃止し、保護者をこれまで取り組んできた地域住民やボランティアで構成している「地域本部」の活動に組み入れるというニュースが流れてきました。これも男性を教育に参加させるという取り組みの一つです。校長の藤原和博氏は、リクルート出身で、次から次へと新しい試みを行ってきました。今回のPTA廃止もマンネリ化し活動に陰りが見えているPTA活動にある一定の影響を与えるだろうということは言えると思いますが、とても危険な要素を含んでいます。一つは、はっきりとした序列もなく、女性がリーダーシップを発揮することの多い、何となく曖昧で、だからこそソフトで優しいPTA活動のようなものが、体系化された組織という規格化のために男性社会のようなさめたものになり、さらに男女の役割が規定されかねないということ、もう一つは、これまでもずっと述べてきたことですが、「地域本部」のような活動は、「子どものため」ということを前面に出してはいるけれど、実はその陰に「行き場のない大人の受け皿」ということがあるということです。子どもと地域社会の関わりを語るとき、「昔はいろいろな人が子どもを叱った」という例をよく出します。私もそのあり方には賛成です。この話の根本は、まず子どもの行動があり、それがある大人のモラルに抵触した場合に怒られるという構図なわけですが、和田中学校に代表されるような地域社会再生の取り組みは、まず大人の行動があり、団体・集団としてのモラルができあがる。そしてそのできあがったモラルに子どもをはめ込み、それに反した子どもは怒られるという構図であり、そこには多様な価値観が入りにくい。この順序の逆転は子どもの成長にとって致命的です。大人の活動が先にありますから、何か活動に関わったという大人にとっての充実感は残るのですが、子どもは大人の価値観の中で行動させられるのであり、その結果、子どもは大人を越えられない上、そこの枠組みからはみ出るものも出てしまいます。大人はそのことを充分に意識するべきです。
「パパ検定」にしても和田中学校の取り組みにしても、大人の価値観の中で子どもを動かそうとする大人に焦点が当たった活動に見えてなりません。
子どもの中から湧いてくる考えや行動を待てない大人のための弊害で苦しむ子どもたち。毎日そういう子どもたちに接していると、あまりにも乱暴なこうした取り組みには疑念を抱かざるを得ません。経済を最優先にした小泉内閣以来、子育て・教育の中の優しさはどんどん失われ、少年の凶悪事件は増加しました。そろそろそれにはピリオドを打ち、経済とは切り離した、もっと丁寧で優しい子育て・教育に切り替えるときが来ているのだろうと思います。
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第301回「達成感 その2」

第298回でも取り上げた通り、2月24日に藤井舞踊研究所(モダンダンス)の発表会がさいたま芸術劇場でありました。この連載にも何度(第212、213回)か登場していただいています(私が勝手に登場させたわけです)が、藤井舞踊研究所を主宰する、藤井公先生と利子先生には、20年以上にわたり子どもたち、そして今では孫たちがお世話になっています。前回の発表会では参加した全員の中で、蓮が唯一の男の子、沙羅が最も年少(しかも同い年の子の中でもとても背が小さい)で、蓮と沙羅が舞台に登場したとたん、踊りが始まっているにもかかわらず、男の子が出てきたということ、そして舞台の広さや周りで踊っている子どもたちに比べてあまりにも沙羅が小さいことに、観客席のあちこちから「男の子だ!」とか「かわいい!」とかいう押し殺した歓声が上がりました。
今年の発表会で、蓮と沙羅が最初に舞台に登場したのは、踊りではなく、プログラムが始まる前の、皆勤賞の表彰式でした。皆勤賞をもらう全員が舞台に上がり、演台の向こう側で賞状を読み上げる公先生から、ひとりずつ手渡しで賞状を受け取ります。中学生、小学生と受け取り、いよいよ蓮と沙羅の番。舞台衣装を着て並んでいるので、蓮が男の子であるということはそれほど目立たなかったのですが、公先生が賞状を読むとき、小声で「男かぁ」とつぶやいた声をマイクが拾ったので、「おっ」という雰囲気が会場全体を包みました。100名ほどの門下生の中で唯一の男の子ですからそんな会場の反応もうなずけます。去年に比べるとずいぶんと成長して、他の子どもたちと並んでいるときにはそれほど小ささが際だっている感じもしなかった沙羅も、演台の前に進むと、なんと頭すら演台の上に出ません。公先生が演台から身を乗り出すように沙羅を見ると、「かわいい」という声と笑いが混ざったような歓声が客席に響きました。私からすると沙羅は、ここのところ生意気な口をきき出して、ちっとも言うことを聞かなくなってきたので、「あんなにちっちゃかったっけ?!」、そんな感じです。
どうやら今年は、沙羅より下の子どもたちが入所したらしく、その子たちが6~7名で群舞を踊ったので、演台の前に立ったとき以外は、それほど沙羅の小ささが際だつこともなく、だいぶ緩和されて見えました。
蓮も沙羅もこの日の舞台のために、休まず稽古に通いました。そして母親の麻耶は、「天使のお使い」というタイトルの踊りのために、夜中までミシンをかけて大きな大根と人参を作っていました。
去年の舞台では周りのお姉さんたちや蓮を見ながらやっとまねをしているという感じで、まだまだ「おみそ」でしかなかった沙羅は、今年はすっかり一人前に踊りきり、むしろ蓮よりもしっかり踊っていました。小さな子どもでも、張り詰めた緊張感と大きな集中力を持って、物事をやり遂げられるということに感心をし、びっくりもしました。
その日は、伊勢崎の病院に入院している叔母を見舞うため、急いで会場をあとにしたので、舞台後、蓮と沙羅と顔を合わせたのは、夜遅くなって自宅ででした。大きな舞台を終えて、さぞ興奮して話したいことがいっぱいあるんだろうと、「蓮くん、沙羅ちゃん、上手だったねえ」と話を向けると、返ってきた応えは「うん」の一言だけ。そのあとも、どんな気持ちだったのかと、いろいろと声をかけてみますが、返ってくるのは素っ気ない返事ばかり。しっかりやり尽くしてしまうと、もう子どもは前を向いてしまって、後ろは振り返らないものなんですね。
それと時をほぼ同じくして開かれた幼稚園の発表会。モダンダンスは振り付けが決まっていて、舞台に立っている全員が心を一つにすることを求められますが、蓮と沙羅の通っている幼稚園は、それとは対照的に、無理矢理教え込むのではなく、子どもの内面からわき出てくるものを大切にしようという教育方針もあって、発表会といっても特別に覚えたものではなく、教室で普段展開されている子どもたちの遊びを「普段のまま」舞台で見せます。これには、子どもの心に大きな負担がかからないといういい点もありますが、何かを作り上げるといった努力と達成感や人に見せるということの緊張感や表現力が育たないという欠点もあります。
発表会が終わってうちに帰ってきた蓮と沙羅は、発表会で使ったお面や剣を放さず、うちの中でもそれぞれが発表会で演じた役をそのまま演じています。それはしばらくの間続きました。
役になりきっている蓮と沙羅を見ていると、一見豊かな想像力に包まれているようにも見えますが、モダンダンスの発表会での二人の緊張感とその後の二人の言動を知っているだけに、お面をかぶり、剣を振り回している二人からは、「幼稚園の発表会では、達成感がなかったのかな?」そんな気持ちが湧いてきました。
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2024年4月 2日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第300回「達成感 その1」

どういうわけか理由はわからないんですが、1月の終わりころから今月にかけて、陶芸教室の入会者が増えています。陶芸教室のような仕事は、どうしても季節に左右されがちなので、例年だと入会者が多いのは春と秋。もっと細かく言うと、一番多いのが10月で、次に5月、4月、11月っていうような感じ。(あくまでもうちの教室はっていうことですけれど)
大人の習い事というのは仕事や子どもの生活に影響を受けるので、「就職が決まった」「転勤で越してきた」「子どもが入学した」「子どもが卒業した」等々の理由で、ほぼ毎年同じような動静になります。4月よりもむしろ10月、5月が多いのは、4月に生活が変わって半年が過ぎ、生活が落ち着いてきて、夏休み明けの旅行気分も抜けた時期ということ、子どもの生活が変わり、学校の諸行事も一段落、自分のことに目を向けられる時期ということ、なんていうあたりが、その大きな理由だと思います。仕事にしろ、子どもの学校にしろ、4月は行事が目白押し、9月はまだまだ気分は夏休み、しかも夏にお金を使ってしまい懐が寂しい。誰もがそんな事情を抱えているからなんでしょう。
ところが、今年はなぜか年明けの1月から今日までの入会者が例年になく多い。いつもだと今ごろから、タウン誌に広告を打って、4、5月に備えるっていうところなのに、すでに続々と体験レッスンに押し寄せて、多くの方に入会していただきました。
「ん~、なんでだろう?」
と考えてみるに、広告媒体の変化と労働形態の変化かな?という気がします。これまでは、時期を見てこちらが打ったタウン誌への広告に反応して入会したということが多かったけれど、最近はいつでも自分から見られるインターネットの広告媒体が主流になってきたこと、そして労働形態も4月入社の正社員という形から、時期に関係のない契約社員、派遣社員という形が増えてきたこと。そんなことから、今までとは動静が著しく変わってきたのだろうと想像されます。
そして、もう一つ大きな理由があります。それは、私の気合い。
これまで、ほとんどスタッフに任せてきた体験レッスンに、私もかかわるようにしました。すると、スタッフだけで体験レッスンを行った場合の入会率はおおよそ10~15%といったところだったのに、私がかかわった場合は、90%超えに。経営上のことで言えば、それはとってもまずいことで、私も経営者として、スタッフにきちっと指導をしなければなりません。いったい、どこがそんなに違うのか???
体験レッスンに訪れた人に対するスタッフの対応をよく観察してみました。すると、いくつか気付いたことがありました。一つは、全体の手順。入会するための体験レッスンなんだから、本来ならどこかベストなタイミングで、入会についての説明がなくてはならないのに、まず焼き上がった作品を取りに来てもらうことありき(当然、入会した人には関係ないわけですが)で、「焼き上がったら、ご連絡いたしますので、取りに来てください」なんて説明ばかりしていて、入会についての説明が後回しにされている。もう一つは、体験レッスンの人に座ってもらう場所。もちろん、現会員の皆さんもいらっしゃるわけなので、最も適した場所は、うちの教室の場合なら、入り口を入ってすぐの所(全ての会員の皆さんを回った場合のちょうど中心点で、しかも教室全体が見渡せる)に決まっているのに、最も奥の一番適さない場所に座ってもらったりしている。
そして、最悪なのが教え方。(結局全て悪いわけですよね。まったく今まで経営者として何をやってきたのか…)人が何かを始めて、それを継続するのに大切なのは、そのことが楽しいということ。楽しいということは、どういうことかというと、もちろん好きか嫌いかということも重要な要素ではありますが、「達成感」を感じられるかどうかが、楽しいか楽しくないかの鍵です。「達成感」というのは、「出来なかったことが出来た」という喜びです。どんなことにも器用・不器用はありますので、陶芸を教えていると初めから上手に作る人もあれば、下手な人もいます。体験レッスンをしていて、上手に作る人が入会するのかと言えば、そういうわけでもなく、それではうまくできなかった人が入会するのかと言えば、もちろんそれも違います。入会に絶対に必要な要素が「達成感」なんです。「教わったことで、それまで出来なかったことが出来た」と感じてもらうことが最も大切です。「教わったら出来た」「教われば出来るんだ」という感覚は、安心感を生みます。そして、さらに将来の「自分像」(どれくらい先にどんな自分になれるのか)を示してあげることで、その安心感は高まります。
そんなことが感じられる体験レッスンなら、かなりの確率で入会してもらえるというわけです。大人が陶芸のようなことを習おうとする場合、その後の自分の生活設計や経済的要素なども加わるので、単純に達成感やその後の自分像だけで、継続するかしないかが決まるわけではありませんが、これが子どもの場合であれば、陶芸に限らず、全てのことについて言えることですね。
陶芸教室に入会するか・しないかの要素が、上手い・下手ではなく、達成感を感じられるか・感じられないかだとすれば、子どもの意欲を育てるのも、偏差値が高いか・低いかではなく、いかに達成感を感じさせることができるか・できないかということですね。
たった今、孫の蓮(れん)が目の前で、パンにマーガリンを塗っていますが、「ひとりでパンにマーガリンが塗れた」、たったそれだけのことにも、達成感はあるわけです。日々の繰り返しの中で、子どもの心は育っていきます。そんななんでもない日々の達成感が、子育ての勘所なのかもしれません。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第299回「子ども監視団」

「うちの子の通っている中学校、荒れてるんですよ」
そんな話をあるお父さんから聞きました。そのお父さんの話によると、授業中、子どもたちを監視するため、校内を巡回している人たちがいるらしい。
 
その話を聞いて、思い出しました。この連載の142回、143回で取り上げた「学習障害と注意欠陥・多動性障害」に登場した学校。その学校にも子どもたちを監視する保護者がいました。毎時間、廊下に置いてある椅子に2名ずつ保護者が座って、子どもたちを監視しています。学年の1割の生徒が「アスペルガー症候群」あるいは「注意欠陥・多動性障害」という学校の判断で、保護者を廊下に座らせ、子どもたちを監視させている(すでにあれから3年以上経っているので現在の状況はわかりません)のですが、その目的はというと、「生徒を教室から出さない」あるいは「出て行かないように注意をする」(確かに保護者が注意するというのは難しいと思います)ということではなく、「授業中に教室を出て行ってしまう生徒が多いという状況を保護者に見せるため」だというので、学校と保護者の関係の悪さ、信頼関係のなさにびっくりしました。学校と直接話をした時の、「生徒が教室を抜け出し、授業が成り立たないのは、あなたたち(保護者)のせいなんですよ」という露骨な態度にあきれもしました。
生徒が悪いのか、学校が悪いのかという問題は、どちらが先かという問題にもなるので何とも言えない部分はあるのですが、子どもたちに言わせると「授業がおもしろくない(先生がえこひいきをする、まともな授業じゃない)」ということになるのですが…。
 
さて、最初の話に戻りますが、そのお父さんの言うところの「荒れている学校」は、PTAのOBが巡回しているとのこと。これは、おそらく最近流行の「地域との連携」ということなのでしょうが、学校の中に子どもを見張る「監視団」がいるというのもどんなもんなんでしょうか。私の感覚では、子どもは「見守る」もので、「見張る」ものじゃない。
前述の話とは違い、私が直接学校と話をしたり、直接見たわけではないので、その話から私が受けた感覚と事実との間には、ひょっとするとやや開きがあるのかもしれませんが、
事実とすれば、寂しい話です。うちの弘子と努が中学生だったころ(80年代前半)、浦和近辺の中学校は大変荒れていました。あちこちでいじめがあったり、暴力事件が起こったり…。弘子と努の通っていた中学校でも、火のついた雑巾が窓から降ってきたり、窓ガラスが割れたりすることもありました。とても大変な時期でしたが、それをなんとかしようと努力したのは、先生方でした。先生方がしっかり生徒と向き合う、そこからスタートです。もちろん、先生と生徒の間だけで解決できないこともありますが、そんなときは、しっかり親とも向き合ったものです。
時は流れ、大きく社会情勢は変わりました。4分の1世紀以上も前の話が、そのまま通用するわけではないにしても、まず向き合わなければならないのは教師と生徒、そして保護者。そんな基本的な部分が変わるわけはありません。どうも最近は、いきなり当事者を飛び越え、外部へという傾向が強まっているようで、とても心配です。他人事ではなく、もっとしっかり現実と向き合い、自分たちの問題として捉えること無しに、荒れる学校の解決はありません。
子どもを「見張る」ための監視団なんていうのは、子どもたちの学校に対する不信感を増すだけです。すぐにやめて、教師と生徒の信頼関係を構築してほしいものですね。
 
※アスペルガー症候群
言語発達や認知発達といった知的発達に遅れのない自閉症。高機能自閉症と同じ(研究者により異なります)意味に使われることが多く、特徴として①他社との関わりの中で浮いてしまうことが多い ②会話のやり取りが長続きしない ③特定のものへの興味 などが上げられます。その数は、200~300人に1人程度と言われています。
 
※注意欠陥・多動性障害(AD/HD)Attention Deficit / Hyperactivity Disorderの略
一般的に「落ち着くがなく、授業中にあちこち動き回る子ども」と理解されています。①物事に集中することができず、忘れ物が多い ②落ち着きがなく、じっとしていることができない ③思いついた行動を唐突に行う などの状況が見られます。学齢期の子どもで3~7%、成人で1~3%程度の人が何らかの傾向を持つと考えられています。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第298回「あの子たちの未来が予見できるんだよねぇ」

今日(24日)は、孫の蓮と沙羅が通っている藤井舞踊研究所の発表会がありました。藤井舞踊研究所は、以前紫綬褒章を受章した藤井公(ふじい こう)・利子ご夫妻が主宰するモダンダンスの研究所で、今ドイツで踊っている努もそこの門下生です。蓮と沙羅は、藤井ご夫妻の次女、香さんの開いているスタジオに2年弱ほど通っています。今日は蓮と沙羅にとって、2回目の発表会でした。
そして、その発表会が終わり、私と妻がうちで食事をしている時こと。
 
「私ねえ、あの子たちの未来が見えちゃうんだよねぇ」
「はははっ、それはわかる!」
「毎日、何人ものクライエントさんたちと会ってるでしょ。そうすると”こういう時に、こういう表情する人は、こういう人生になる”ってわかるんだよね。声と同じだよ。ほらっ、似てる顔の人って声も似てるでしょ。骨格が似てるから、声の響き方も似てる」
「そうそう、あの埼玉大学の合唱団の団長さんに会いに行った時。電話で声しか聞いたことなかったのに、”絶対メガネかけてる”とか言っちゃって、100人以上はいた食堂の中で、”あの人だから”って、つかつか寄っていって、”××さんですか?”って言ったら当たってたってやつね。あれだけ大勢の中からピッタリ当てたのはびっくりだったけど、確かに顔で声もだいたい想像つくし、声から顔も想像つくよね。”表情と人生”も”声と顔”の関係と同じってことね」
「そう。だからね、細木数子さんが将来を予言するのもわかる。私はカウンセラーだから、占いだとかスピリチュアルなんとかだとかいうのは信じないけど、ああいう人たちって、人を見る目っていうか、人を判断する力っていうか、そういう勘のいい人たちなんだろうね。そういう人って、いるんだよ。私もたぶんそういう勘が働くのかもしれない。”私も細木数子にならなれる!”」
「たはっ、何言ってんだか! いつだったか、年の差夫婦の悩みを細木さんに相談するっていうことで、細木さんの番組に出てくれっていう話がテレビ局からあったでしょ。”カウンセラーが占い師に相談するなんて出来るわけないでしょ!”って断ったけど、細木さんがカウンセラーに相談するって言うんだったら、出てやったのにね。”細木さん、あなたの表情からあなたの将来は××です”なんてね(笑)」
「そうだね。それならおもしろかったかも。まあ、そんなことはどうでもいいけど、今日のあの舞台の子どもたち。あの子たちの表情を見ただけで、あの子たちの将来が見えちゃうんだよね。舞台で踊ってるのを見てると、まるで人生が踊ってるみたいに、その子の将来の姿が目に浮かんで来ちゃう!」
「まったく、大げさな言い方! でも、確かにそうかも…」
「だからぁ、ほんとに見えるんだって! ”あの子は不登校になる”とかさ”あの子はうつになって仕事が続かない”とかさ…」
「うーん、確かに舞台で踊ってる時の表情って、あんな小さな幼稚園くらいの子どもでもみんな違うよね。明るくやる気を感じる子もいれば、なんとなく暗い子、ボーッと表情のない子もいる。子どもっていうのは邪念っていうか、ずるさっていうか、そういうものがないから、ああいう舞台でその子の正直な表情が出ていることが多いくて、それがあの子たち自身だとすれば、その表情と人生が劇的に違うなんていうことは少ないんだよね。だとすれば、もう人生は決まっちゃってるっていうことだね」
「まあ、大げさに言えばそうかも。だから、幼児期に親がどう子どもに接して、どういう人格形成をするかっていうことが、大事なんだよね」
 
教員時代に「大関先生の顔占いは当たる!」と評判で、行列が出来るほどの顔占い師・大関洋子は、自分の孫の将来がどう見えたのか、結局”見える””見える”と言いながら自分の孫の将来のことは、一言も語りませんでした。
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2024年4月 1日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第297回「またまた救えなかった児童虐待」

16日午後、寝屋川市のマンションに住む成川裕子さん(29)方から、「長女の様子がおかしい。具合を見てほしい」と、119番があり、救急隊員が駆けつけたところ、美琴ちゃん(6)がぐったりしていて、病院に搬送したものの意識不明の重体で、美琴ちゃんの全身に殴られたような跡があったことから、同居していた無職大山貴志容疑者(21)が殺人未遂容疑で逮捕されました。
 寝屋川署の調べでは、大山容疑者は昨秋ごろから、成川さんとその長男(9)、美琴ちゃんの3人と同居。成川さんはパート勤務をしており、この日は午前8時ごろ出勤。自宅には、大山容疑者と子ども2人がいたとのことです。調べに対し大山容疑者は、「言うことを聞かないので、体を前後に10回ほど揺すった。その後、様子がおかしくなった」と供述しているそうですが、それに対し9歳の長男は「妹が何回も殴られているのを見た」と証言しているようで、美琴ちゃんの体には殴られたような古いあざもあり、寝屋川署は大山容疑者が日常的に虐待していた可能性があるとみているようです。
この事件は、17日になって、寝屋川市が昨年10月から4回、長女にあざがあるのを把握し、虐待を疑いながら、保護しなかったことがわかりました。市の家庭児童相談室によると、昨年10月17日、長女が通う保育所の職員が長女のほおと太ももにあざを発見。長女が「うそをついたり、早く寝なかったりしてパパに怒られた」と話したため、女性に「しつけでもけがやあざがあれば、虐待と見なされる」と警告しました。その後、保育所は逮捕された大山容疑者と女性に、子供との接し方について指導しましたが、昨年11月に2回、今月1回、長女のひざや額などに軽いあざを確認したにもかかわらず、保護は見送ってしまいました。家庭児童相談室は、「府にも相談したが、保護が必要なひどい虐待だと判断しなかった。結果として事件が起こり残念だ」といっています。
家庭児童相談室は何を根拠に「ひどい虐待」と判断しなかったんでしょうか。私は、本来子育ての責任は、まず親にあるべきと考えていますので、行政や学校が個々の子育てに関わることには慎重でなければならないと思います。けれども、そう思う私でさえ、これだけの状況を把握しながら虐待を防げないというのは行政の怠慢ではないかと感じます。以前、うちの研究所に、児童相談所についての相談に訪れた方がいました。その方のケースでは、学校が児童相談所に連絡をし、学校から児童相談所が保護をしたというケースでしたが、これは今回とはまったく逆のケースで、私から言わせると、一時的とは言え保護が適切であったか疑問です。こういう問題は、個々のケースによって問題が様々なので、同じような対応をすることには難しさがあります。だからこそ、2005年に、厚生労働省虐待防止対策室が専門家による研究会で1年かけてまとめた児童虐待の兆候チェック指針を発表したものだと思いますが、その最低限のマニュアルすら生かされていなかったのではないか。
社会保険庁の無責任体質が問題になっていますが、子どもの虐待についても、なるべく”こと”を小さく解釈し、行動を起こさないという行政の方向が見えてきて、とても心配です。前述したように、子育てに対する行政の安易な介入は慎むべきと考えますが、だからこそ、個々のケースについての精査が必要なわけで、それを怠ったときのツケは大きなものになってしまいます。もちろん、行政の力だけで虐待が防げるものではありませんが、今回のケースのように、行政が状況を把握しているものについては、もっと丁寧な対応をすることで、必ず虐待は防げるものだろうと思います。
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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第295回「久しぶりに触れた人の温かさ」

2月3日は節分!
昔から豆まきをするよね。
でも、「節分」って2月3日だけじゃないって知ってた?
「節分」は「季節を分ける」っていう意味だから、それぞれの季節の分かれ目にあって、立春、立夏、立秋、立冬の前日のこと。言われてみれば、「ああなるほど…」っていう感じだけれど、あんまり考えたことないよね。
「豆まき」は、もともと宮中の年中行事の一つで大晦日に行われる悪気を払い疫病を除く儀式「追儺」(ついな)から生まれたものと言われていて、近代になり、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、鬼打豆と称して炒った大豆をまいたりするようになったんだそうです。季節の変わり目には、邪気が生じると考えられているので、それを追い払うための行事ということなんですね。豆まき自体は、寺社が行った邪気を払うための豆打ちの儀式が起源なんだそうですが、「鬼は外」「福は内」のかけ声にも色々あるらしく、鬼を祭神や神の使いとしている神社や「鬼塚」「鬼頭」など「鬼」の付く姓のお宅では、「鬼は内」にしていたりするんだそうです。(Wikipedia、広辞苑を参考)
文化というのはおもしろいものですね。
 
今日(2月3日)は、成田山川越別院の「節分会追儺豆まき式」に行って来ました。寺社がやる豆まきに行くのは初めてでしたが、雪なのにかなりの人手で、びっくりしました。前述のごとく「追儺」とは宮中の行事(っていうことは多分神道の行事)なのにも関わらず、お寺の行事に「節分会追儺豆まき式」という名称がついているのも、ちょっとおもしろいですね。
さて、その成田山川越別院の「節分会追儺豆まき式」でのこと。
最近知り合った方から「わしが豆をまくから来ないか」とお声をかけていただき、節分会なるものがどんなものかもわからず、とにかく行ってみようということで、妻と孫の蓮と沙羅を連れて、出かけてみることにしました。あいにくの雪で、出かけるときから大変。豆だけでなく、お餅やお菓子を投げるというので、どう考えても傘をさしているわけにはいかないだろうと、寒くないようしっかり着込んだ上に、帽子の用意。道路はそれほど積もっているようではないけれど、万一に備えチェーンを巻けるように軍手の準備。以前は、年に数回、車でスキーに出かけていたので、雪といってもそれほど苦にはなりませんでしたが、最近はスキーにも出かけなくなり、雪道の運転はちょっとおっくう。
「まったくよりによってこんな日に雪なんだから」
と愚痴りながら出かけました。
幸い「わしの名前を言って境内に車を止めていいからな」ということだったので、あちこち駐車場を探すこともなく、遠くから歩くこともなく、大変楽をさせてもらってしまったのですが、それが気のゆるみを生んで(ちょっと大げさ!)、蓮は持って行ったジャンパーも着ず、とても軽装で車から降りてしまいました。さすがに寒そうなので、
「蓮! ダメだよ、上着着なきゃ」
ということで、ジャンパーを着せ、傘をささせて、豆まきの会場へ。1時からというので、ちょうど1時から豆まきが始まるのかと思っていたら、1時からは護摩で、豆まきはその後。待つこと20分。その間に、何度も「傘は危険なので、豆まきの時はたたんでください」という注意がありました。いよいよ「間もなく豆まきが始まりますので、傘はたたんでください」の指示。私はフード付きのスキーウエア、妻はフード付きのジャンパー、沙羅は襟巻きを頭にぐるぐる巻きと、とりあえず3人は頭が濡れないようにしているのに、蓮は頭に何もかぶっていないではありませんか。さっき車から降りるときにあまりに軽装で降りたので、着るものに注意を奪われ、頭のことはすっかり抜けていました。車まで行けば、タオル地で出来た帽子がのっているのですが、境内に止めてあるとはいえ、間もなく豆まきが始まりそうな状況で、すごい人混みをかき分けながら車まで行くの無理そうです。妻がポケットからハンカチを取り出し、蓮の頭に乗せました。ところが気温がそれほど低くないせいか、みるみるハンカチはびしょ濡れに。するとすぐ後ろに立っていた女性が「これどうぞ」と、蓮の頭からハンカチを取って、自分がかぶっていた毛糸の帽子を蓮の頭にかぶせてくれました。
「それじゃあ、ご自分が濡れてしまうでしょうから、結構ですよ」と何度も遠慮したのですが、
「私は服にフードが付いていますから」
と、結局蓮に帽子を貸してくださいました。殺気というほどではありませんでしたが、壇上から「小さいお子さんに危険ですから押さないで下さい」という注意が何度もある状況の中、気持ちがフッと和らぐ出来事でした。その帽子を貸してくださる様子がわざとらしくもなく、嫌みもなく、とても気持ちよく帽子をお借りすることが出来たのです。こういう気持ちで人の好意を受け入れられることって少ないなあと、とても温かい気持ちになりました。
たくさんお菓子を拾おうとレジ袋を何枚も持って行ったのですが、とにかくすごい人で、蓮と沙羅はほとんど拾えませんでした。もっとも私はかなり拾ったのですが…。
帰りの車の中で、「豆まき、おもしろかったねえ。おばさんが帽子貸してくれたんだよね」と蓮が言いました。とても寒い雪の日に、蓮にとっても「帽子」は、とても温かいことだったようでした。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第294回「はじめてのお使い」

「おまえんちはいつも誰か風邪ひいてるなあ」
「まったくうるさいんだよ! 子どもがたくさんいれば、どこかから風邪でもインフルエンザでももらってくるんだよ!」
「気をつければいいだろ」
「一旦誰かが風邪ひけば、狭いうちん中だし、子どもの面倒見てれば、移るに決まってるだろっ! 麻耶や翔(かける)なら自分の部屋から出てこないようにして一人で寝かしておくってことも出来るけど、蓮(れん)とか沙羅じゃあ、そうもいかないの!」
うちで誰か風邪をひいたという話をすると、母は決まり文句のように、
「おまえんちはいつも誰か風邪ひいてるなあ」
と言います。
父は一人を好んだので、生前も自分の部屋以外で寝ることはなかったし、父と母の寝室は、その間に台所があり、リビングがあり、廊下があり…。台所もリビングもけっこう広い家なので、どれくらい離れているかなあ???
しかもその間には4カ所ドアがついているから、一旦部屋に入ってしまえば、全くの隔離状態。父は人に面倒を見てもらうことを極端に嫌う人だった(どういうわけかうちの家族だけは別で、妻と私の子どもと孫たちにはいろいろとさせたのですが)ので、風邪をひこうがお腹をこわそうが、とにかく何でも自分でやってしまって、人には見てもらわない。
もちろん、母が風邪をひいたって父が見てやるわけじゃない。そんなんだから、移るわけないじゃん。
わが家はまったくその逆。誰かが風邪をひこうものなら、とことん面倒を見る。やれおかゆだ、やれうどんだ、プリンにゼリー、アイスクリームにジュース…。まったくやり過ぎ。年明けに翔がインフルエンザにかかったから、私と麻耶が「食べ物だけ置いたら、出来るだけ早く翔の部屋を出た方がいい」って妻に忠告したにもかかわらず、全然いうことを聞かずに部屋で長い時間翔の様子を見ているものだから、結局妻もインフルエンザにかかっちゃって…。そりゃそうだよね。翔は一日だけ40度近い熱が出たけれど、翌日にはある程度下がって、4~5日でほぼ全快。移った妻は、熱はそれほど出ないのに二週間以上ダラダラと調子が悪くて、結局三度も病院で薬をもらう始末。
そして、3人目の犠牲者は孫の沙羅。39度も熱が出て、一旦下がって元気になったのに、幼稚園に行きたがるから、熱も下がったし「まあ、いいかぁ」と幼稚園に出したらぶり返しちゃって、38度。
年明けから、散々だよね。
でもそのせいで、今年小学校に上がる”蓮くん”は大活躍!
大人が具合が悪くなる中、まったく移る気配無し。うがい、手洗い、食器の煮沸(とにかく大きな鍋にお湯を沸かして、多少食べ残しがあってもそのまま食器をお湯の中へ入れちゃう。これは絶大なる効果があります)、それに徹底した隔離をしたのが功を奏したのかなあ???
そして、元気な”蓮くん”は、昨日”沙羅ちゃん”のために、はじめてのお使いに行きました。
蓮が一人で行けるほど近くにお店はないので、麻耶の話では、一番近い自動販売機までだったそうだけれど、蓮にとってはよほど大きなことだったらしく、今朝起きてくると、
「昨日ねえ、自動販売機でジュース買ったんだよ! 一人で行ったんだよ」
と大興奮。うちのマンションの駐車場を抜けて、ほんの数十歩の所までなのに、子どもにとっては”ひとり”ということは大冒険なんですよね。
麻耶の話だと、300円を持たせて、150円のペットボトルを2本頼んだら、いきなり300円を入れたらしく、「150円おつりが出てきた」と騒いでいたらしいです。自分で物を買うということをまったく教えてこなかったので、「おつりが150円出てきた」ということを、蓮が麻耶に話せたということに、私はビックリしました。
ついこの間まで、赤ん坊と思っていた孫も、ずいぶん成長したものです。今朝は、沙羅の熱も下がり、明日(月曜日)からは、幼稚園に行けるかなあ…。沙羅の熱が下がったのも、”蓮くん”のはじめてのお使いのおかげかもしれませんね。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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