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2024年3月30日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第292回「殺害される親と尊敬される親」

今日(14日)は、一番下の息子、翔(かける)の成人式。去年は1月8日で最も早い成人式、今年は14日で最も遅い成人式。昔は15日と決まっていたわけですが、第2月曜日なんていう変な法律が出来てから、以前に比べると、やや成人式に対する意識が薄くなったようには感じます。
最も新成人の数が多かったのは、第一次ベビーブーム期の49年生まれが成人した70年の246万人、逆に最も少なかったのは、1966年の丙午(ひのえうま)生まれが成人した87年の136万人。今年はそれをさらに下回って135万人なんだそうです。
子どもが成人式を迎えるっていうのは、何とも言えない気分です。幼稚園への入園、小学校への入学、中学卒業、高校への入学・卒業などというのが、私の感じる子育ての節目ですが、成人式もその一つです。「保護者」ではなくなる(法的に言えば、20歳の誕生日ということになるわけですが)ということで言えば、子育ての最後の節目ということになるのでしょうか。
「子育て」という言い方を離れて、「親子」という関係で捉えれば、おそらく就職、結婚、出産と続くのでしょうが、子どもの選択にかかわらずやってくるという点では、成人というのはやはり、大きなことですね。さっき、ニュースで流れた成人式のインタビューの映像では、涙を流しているお母さんがいました。
「おいおい、子どもの成人式に親がついて行くなよ」
と思って見ていましたが、「感無量です」(だったかな?)と言った感想には、頷けました。子どもが成人するというのは、そんな感じですね。
ところが最近、そんな親子関係がうまくいかず、悲しい事件になるケースが相次いでいます。9日には八戸で長男が母親と弟、妹を殺害し放火するという事件が、そして今日(14日)は徳島で、長女が母親と弟を殺害し、妹に重傷を負わせるという事件が起こりました。「親殺し」という言葉で思い出されるのは、1980年、予備校生が父親に叱責され、就寝中の両親を金属バットで撲殺したという川崎の「金属バット殺人事件」。この事件は、社会に与えた影響も大きくその後映画化されました。そして、2006年6月の奈良家族3人放火殺人事件。この奈良の事件も衝撃的な事件で、ご記憶の方も多いのではないかと思います。そして、昨年5月の会津若松の頭部切断母親殺害事件。9日の事件、そして今日の事件も、その事件だけ取ってみれば、そうとう衝撃的な事件であるはずなのに、「ああ、またかぁ」という感じで、それほどもショックを受けない自分がいることに愕然とします。とてもひどい世の中になったものです。
そんな中で、新成人の尊敬できる人の第1位は、男女ともに「親」なんだそうです。特に男性では父親、女性では母親だとか。昔のように歴史的な偉人を上げる人は少なくなったようで、第2位は学校の先生、第3位は友人(女性)、イチロー(男性)と続きます。(オリコンの調査による)
親の立場からすると、子どもから尊敬されるというのは、嬉しいような気もするのですが、そこには家族以外に目が向かない人間関係が存在して、「親を越える」という意識が希薄になっているようにも感じます。人間関係が狭くなればなるほど、そこでのストレスは大きく蓄積していきます。そして、ストレスを逃がす手だてがない。尊敬される親、殺される親、それはまったく同一線上で起こっていることで、一歩間違えれば、それまで尊敬されていた親が殺されるということが起こるのではないかという気さえします。人に自立において、本来外に向くべき目が、内に向いていることこそ問題で、子育ての方向性として、子どもの目が外を向くような子育てを考えていかなければ、本来あるべき親子関係は築けないのではないかと思います。
うちの息子が親を尊敬していると答えるかどうかはわかりませんが、私はあんまり尊敬される親にはなりたくありませんね。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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