« 2022年6月 | トップページ | 2024年4月 »

2024年3月

2024年3月31日 (日)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第293回「i=愛のあるメール」

DoCoMo「iのあるメール大賞」の第6回受賞作品が20日付の新聞紙上に載りました。
仕事柄、広告には結構敏感に反応する方だと思うのですが、全体のイメージばかりに気をとられているせいか、こんな内容のコンテストあったっけなあ?と、この「iのあるメール大賞」のことはまったく記憶にありませんでした。受賞作品の内容から言って、もちろん「i」=「愛」ですよね?こんなことを言っているようじゃ、どうしようもないですね。
「今年も消えることのない20,039通もの感動が集まりました。」という文面や審査員を務める秋元康氏の「回を重ねるごとに、この『iのあるメール大賞』の認知度が高まり、今まで、こういうコンテストに応募したことのない方の作品も集まったので、審査をしながら、とても新鮮な感動を覚えました。」というコメントを見ると、結構定着しかかっているんですかねえ?
まあ、それはさておき、今回私がこの「iのあるメール大賞」の広告に引っかかったのは、受賞作品の内容でした。このコンテストに応募した人には、それぞれ感動があり、その感動を伝えるためにメールを使ったということはよくわかります。生活のスタイルも人それぞれだし、何に感動するかも人それぞれです。夫と妻の関係、親と子どもの関係もまったく人それぞれ。どういう関係が良くて、どういう関係が悪いなんていうことも軽々には言えません。ただ、何度か連載の中でも言ってきたように、うちのカウンセリング研究所にカウンセリングや教育相談に訪れるクライエントさんの多くは、幼児期から成長過程において親子の距離が近すぎて、結果として成人後の自立を妨げ、社会参加がうまくできなかったり、職場の中での人間関係がうまくいかなかったり、あるいは恋愛・結婚という中で、相手との距離がうまく取れなかったりというものです。
今回の受賞作を見ても、親子間のメールはどうもその距離感に違和感があります。もちろん、応募者にはそれぞれの関係があり、それぞれの感動があるわけですから、それはそれでいいのですが、「距離が近すぎる」と感じるものが目立ち、受賞作全てが、同じ距離感であることがとても気になりました。おそらく、応募作品の中には違った距離感のものも相応に含まれているとは思いますが、そういったものが表に出てこないということは、社会一般で考えられている「いい親子関係」(これこそがいい親子関係という)という概念における親子の距離感がすでに近すぎるということに他なりません。
(DoCoMoのホームページに受賞作が掲載されています。携帯電話で「メール大賞」で検索するか、ドコモのケータイから「iMenu→お知らせ→「第6回iのあるメール大賞」)
R25.jp(http://r25.jp/magazine/ranking_review/10004000/1112007062107.html)というフリーマガジンで、「メール人格」について取り上げられていたことがありました。メールでは、「リアル人格」(本来の自分が持っている人格)とは違う「メール人格」が出やすいというもので、例えば送られてきたメールが、本来の相手のキャラと違って、妙に明るかったり、暗くて怖かったりとリアル人格とメール人格とではギャップがあるのではないかというもので、メールを受け取る側もメールに表現されている内容以上に深読みしてしまい、勝手に先入観を持ってしまったりするとも述べています。確かに自分のことを考えても思い当たる節があります。
そういう「メール人格」が、面と向かってでは言いにくい親子の会話や普通だったら気軽に話が出来ないような人間関係でも、コミュニケーションを取らせている。本来、距離が遠い関係であったり、上下の関係であったりしたものの距離をぐっと近づけ、これまでとは違った人間関係を生み出してしまった。それはメールのいいところでもあるけれど、悪いところでもあって、人間関係から「厳しさ」という1つの要素を奪い取ってしまったように感じます。
「iのあるメール大賞」はDoCoMoの宣伝。「愛のある」メールももちろん受け手に感動を与えるものではありますが、リアルタイムの面と向かったリアルな感動をもっと大切にして、緊張感のある人間関係を築きたいものですね。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

2024年3月30日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第292回「殺害される親と尊敬される親」

今日(14日)は、一番下の息子、翔(かける)の成人式。去年は1月8日で最も早い成人式、今年は14日で最も遅い成人式。昔は15日と決まっていたわけですが、第2月曜日なんていう変な法律が出来てから、以前に比べると、やや成人式に対する意識が薄くなったようには感じます。
最も新成人の数が多かったのは、第一次ベビーブーム期の49年生まれが成人した70年の246万人、逆に最も少なかったのは、1966年の丙午(ひのえうま)生まれが成人した87年の136万人。今年はそれをさらに下回って135万人なんだそうです。
子どもが成人式を迎えるっていうのは、何とも言えない気分です。幼稚園への入園、小学校への入学、中学卒業、高校への入学・卒業などというのが、私の感じる子育ての節目ですが、成人式もその一つです。「保護者」ではなくなる(法的に言えば、20歳の誕生日ということになるわけですが)ということで言えば、子育ての最後の節目ということになるのでしょうか。
「子育て」という言い方を離れて、「親子」という関係で捉えれば、おそらく就職、結婚、出産と続くのでしょうが、子どもの選択にかかわらずやってくるという点では、成人というのはやはり、大きなことですね。さっき、ニュースで流れた成人式のインタビューの映像では、涙を流しているお母さんがいました。
「おいおい、子どもの成人式に親がついて行くなよ」
と思って見ていましたが、「感無量です」(だったかな?)と言った感想には、頷けました。子どもが成人するというのは、そんな感じですね。
ところが最近、そんな親子関係がうまくいかず、悲しい事件になるケースが相次いでいます。9日には八戸で長男が母親と弟、妹を殺害し放火するという事件が、そして今日(14日)は徳島で、長女が母親と弟を殺害し、妹に重傷を負わせるという事件が起こりました。「親殺し」という言葉で思い出されるのは、1980年、予備校生が父親に叱責され、就寝中の両親を金属バットで撲殺したという川崎の「金属バット殺人事件」。この事件は、社会に与えた影響も大きくその後映画化されました。そして、2006年6月の奈良家族3人放火殺人事件。この奈良の事件も衝撃的な事件で、ご記憶の方も多いのではないかと思います。そして、昨年5月の会津若松の頭部切断母親殺害事件。9日の事件、そして今日の事件も、その事件だけ取ってみれば、そうとう衝撃的な事件であるはずなのに、「ああ、またかぁ」という感じで、それほどもショックを受けない自分がいることに愕然とします。とてもひどい世の中になったものです。
そんな中で、新成人の尊敬できる人の第1位は、男女ともに「親」なんだそうです。特に男性では父親、女性では母親だとか。昔のように歴史的な偉人を上げる人は少なくなったようで、第2位は学校の先生、第3位は友人(女性)、イチロー(男性)と続きます。(オリコンの調査による)
親の立場からすると、子どもから尊敬されるというのは、嬉しいような気もするのですが、そこには家族以外に目が向かない人間関係が存在して、「親を越える」という意識が希薄になっているようにも感じます。人間関係が狭くなればなるほど、そこでのストレスは大きく蓄積していきます。そして、ストレスを逃がす手だてがない。尊敬される親、殺される親、それはまったく同一線上で起こっていることで、一歩間違えれば、それまで尊敬されていた親が殺されるということが起こるのではないかという気さえします。人に自立において、本来外に向くべき目が、内に向いていることこそ問題で、子育ての方向性として、子どもの目が外を向くような子育てを考えていかなければ、本来あるべき親子関係は築けないのではないかと思います。
うちの息子が親を尊敬していると答えるかどうかはわかりませんが、私はあんまり尊敬される親にはなりたくありませんね。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第291回「2007年から2008年へ」

明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。
まず新年1回目は、昨年から今年への変わり目の話。
 
12月31日
妻と戸田のそば店で生のそばを買い、板橋で一人暮らしをしている叔母(一昨年他界した義母の妹)の家へ(「私はアレルギーでそばは食べないんだよ」と叔母に言われ、なんとなくそんな気はしたんだけど、あまりにも叔母のことがわかっていない自分に愕然としました)。その後、私の実家へ行き、紅白歌合戦(これという見所、聞き所はなかったけれど、鶴瓶の司会でやや雰囲気が変わったかなと率直に思いました。でも、小林幸子の衣装?にはもう飽きました)を見ながら、年越しそばを食べる。年が明けて、除夜の鐘が鳴る中、自宅へ。
 
1月1日
普段よりはゆっくり起きて、雑煮(浦和近辺の雑煮は醤油味のシンプルなもの。こういうところに育ってきた環境が出るもので、私の作る雑煮は、鶏肉、小松菜、なると、八頭を入れた醤油味。餅はもちろん角餅の焼いたものを入れます。四国かどこかで、あんこの入った大福を雑煮に入れているのを見てびっくりしたことがありました)を食べる。カウンセリング研究所と陶芸教室を一応覗いて(どちらももちろん休みですが、陶芸教室がまだ南浦和にあったころ、ビル荒らしにあって数万円を盗まれたことがあったので)、調神社へ初詣。午後調神社へ行ったのは初めてでしたが、あまりの混み方にビックリ。夜中ももちろん込みますが、あれほど長い行列を見たのは初めてでした。孫も連れていたので、結局、遠くから拝んで、公園で孫を遊ばせて、おしまい。その後、再び私の実家へ。
実家でも雑煮が出てきたけれど、母曰く「お父さんがいなくなったから、東京の(「東京」というのは早稲田にある母の実家のことで、祖母が富山の人なので、大根や人参、そしてブリの入った具だくさんの雑煮)にしたんだ」ということで、いつもの年とは違った雑煮になっていました。深谷から来ていた妹の家族と母と一緒に実家にいる弟はすでに食べたらしく、「みんなよく食べたからもうあんまりないけど」と言いながら母は私に「東京の雑煮」を勧めました。実は私は魚が入った汁物というのは、あまり好きではなく、ほとんど食べないということを母は知らないみたいでした。一時いろいろあって家を出ていたとはいえ、「おいおい、もう50歳になる息子だぜ」という感じです。おそらく母の意識の中では「自分が食べてきた雑煮が一番美味しい」という勝手な論理が働いていて、私が浦和で生まれ、浦和で育った、根っからの浦和っ子なんだということを理解できていないんでしょう。私と父とはずいぶん仲が悪いように周りには映っていたようですが、そういう点では、ことごとく父のやり方というか、好みというか、踏襲しているように思います。父は、ブリの入った雑煮を「生臭い」と言って好みませんでした。2年くらい前から父がやや呆け始め、昨年父を亡くしてみると、何につけても父のやり方を踏襲している自分に気付きます。それが文化ということなんでしょうね。もちろん雑煮の具と味付けは譲れないものがあります。妻は、母に勧められ母の作った東京の雑煮を「美味しいですねえ」とお世辞(?)を言いながら食べていましたが、私はまったく食べませんでした。「自分が食べてきた雑煮が一番美味しい」と思っている母には、なぜ私が雑煮を食べなかったかなんて、まったくわかっていないと思います。
2007年から2008年にかけてはそんな具合でした。毎年毎年、同じようなことをしているわけですけれど、何で毎年同じようなことをやっているのかなあとつくづく考えてみると、こういうこと全てが親から子へ、子から孫へという文化の伝承なのだと思います。特別、文化を大事にしようという意識があるわけではないけれど、何気ない日常の中に文化の伝承はあるんですよね。そういったものが消えていってしまう世の中は、子どもの心から優しさを奪ってしまうのだろうと思います。
2007年は子どもが絡んだ暗い事件がたくさんありました。2008年は、どうか子どもたちが幸せに暮らせる1年でありますように!
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第290回「学力日本一の秋田県」

第290回「学力日本一の秋田県」
 
19日付朝日新聞は「もっと知りたい! 学力日本一 秋田の秘密 早寝・早起き・復習、当たり前」という記事を掲載しました。
そう言えば、全国学力調査で小学6年の全科目が1位だったのは、秋田県だったっけなあ…。
ん? そんなことどこかに飛んじゃってたけど、11月12日にアップした第284回「子育ては都会、それとも田舎?」の柳葉敏郎氏の話も秋田だったっけ。
19日の朝日新聞の記事を見て、やっと全国学力テストのことと柳葉氏の田舎暮らしのことが結びつきました。
トホホッ。。。。。です。朝日新聞にしてやられたという感じ。
偶然の一致かもしれないんですけど、(いやいや、そんなわけはない!)最近の朝日新聞の傾向として、「子どもの心や優しさより学力」、「親の意見より学校の意見」といった傾向が強いので、全国学力調査の結果、「日本一が秋田だった」ということを考えると、「教育のために東京を捨てて秋田に住む」という柳葉氏の行動をさりげなく取り上げたわけは、一見子どもの「心や優しさ」を取り上げたように見せかけて、本当は「学力」だったんじゃないの?なんて考えちゃいます。実に朝日新聞らしいやり方です。おそらく、学力日本一が秋田になったので、「秋田、秋田」って秋田に関係している人を探したら柳葉氏にぶつかった、そんなところじゃないですかねえ?
もちろん柳葉氏が秋田に移ったのは調査の前だし、もし調査結果が出たあとだとしても、彼の意識の中に「学力日本一」があったなんていうことは考えられませんが…。
うちは、ずっと朝日新聞(うちでも取って、カウンセリング研究所でも取って、陶芸教室でも取っているので、毎日同じものを3部も取っている)なので、まあ批判をしても仕方ないんだけれど、ちょっと最近の朝日新聞の記事ややり方には、そういうところが目について辟易とする部分があるので、ちょっと苦言を呈しておきます。
 
まあ、それはさておき、学力日本一の話。
秋田県が学力日本一になってから、全国各地から秋田県に視察団が訪れているんだそうですね。
この全国学力調査に関する記事で、毎日新聞は10月25日に「トップ秋田と最下位沖縄、経済格差も影響」という見出しで沖縄県が置かれた状況に目を向け扱いました。けれども、この見出しの付け方には、とても問題があったと思います。どう読んでも、秋田と沖縄との経済的格差のように取れてしまいます。おもしろいことに12月19日の朝日新聞の記事の中には『前東大学長の佐々木毅・学習院大教授(65)は「経済的・地理的な格差論議がさかんな中、これをひっくり返す結果だ」と驚く。出身の美郷町は県平均より良かった。「人口が減っている地域だけど、先生の目が行き届く環境なのではないか」』という部分がありました。誰が考えたって、秋田も豊かではないんですよね。「豊かだから学力が向上し、貧しいから学力が低下する」というシナリオは崩れているんです。学力上位の県には、富山県、福井県などが上げられています。首都圏の豊かさから考えれば、けっして豊かとは言えない地域です。
この調査には、私立学校の大半が不参加ではありましたが、私は、この調査の結果を見る限り、学校での学習と家庭での学習の大切さが浮き彫りになったと見ています。というと、秋田の多くの学校が取り組んでいる「家庭学習ノート」をまねて、宿題を多くだそうといった短絡的方向に行く学校や先生が多いのでしょうけれど、よく考えなければならないのは、そんな些細なことではなく、子どもを取り巻く社会環境だろうと思います。朝日新聞の記事の中の『(三種町立湖北小)研究主任の金田咲子先生は「遊ぶ所も少ないから、家族みんなが規則正しい生活を送っている」と言う』という部分はとても興味深い部分です。ここで言う「遊ぶ所」というのは、都会の「射幸心を煽る遊び場」(遊ぶところだけでなく、買い物をするところであったり、飲食をするところであったり)という意味だろうと思いますが、逆に秋田には柳葉氏が考えるような伸び伸びとした子どもを作る「遊び場」がたくさんある。かたや「射幸心を煽る遊び場」をたくさん作り、かたや勉強をやらせる「塾」をたくさん作る。子どものやることはどんどん増えて、忙しさの中に子どもたちは疲労する。本当の意味の子どもの遊び場はどっちが多いのか…。
来年孫が入学する小学校(私が子どもたちを通わせた小学校ですが)は、とても小さな学校で、とうとう隣の小学校と合併することになりました。それでも、おそらく一学年2クラスです。娘が説明会に行ってみると、どうも隣の地域の全ての子どもたちが入学するわけではないらしい。一部のお母さんたちが小さな学校の教育環境を心配して、もっと設備の整った規模の大きい蕨市内の学区へ移るらしいというのです。秋田県知事が言うには、「郡部の小さな学校が強く、教育環境が整っていると思われている秋田市が弱い」ということのようなのですが…。
子どもたちの置かれている状況をしっかり見つめ、学力の面でも心の面でも、真に子どもたちに与えなければならないのは何なのか、私たち大人が地に足をつけて考えなければならないときなのではないかと思います。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

« 2022年6月 | トップページ | 2024年4月 »