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2022年6月

2022年6月13日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第289回「インフルエンザの予防接種を初めて打ってみました」

今年、初めてインフルエンザの予防接種を受けてみました。インフルエンザの予防接種は、副作用の危険がある上、効かないというもっぱらの定説で、大阪赤十字病院小児科医師の山本英彦氏や子どもの健康相談などでも有名な毛利子来(たねき)氏を始め、予防接種そのものの中止を求めている方々や団体も数多くあります。
(http://www.ne.jp/asahi/kr/hr/vtalk/infl_appeal0311.htm)
医療に関する考え方は、人それぞれで、発熱の場合でも、どの程度の熱がどれくらいの期間続いたら、薬を使って下げるかという判断も、医師によってもまちまちです。もちろん、名のあるような重病がはっきりしている場合は別として、風邪やインフルエンザといった症状の場合は、とても難しい判断を迫られます。脳炎や脳症も、インフルエンザそのものより、圧倒的に解熱剤が原因ということも言われており、子どもへの薬の使用は、極力慎重であるべきことは言うまでもありません。
11月28日配信のロイター通信の記事でも、ワクチンよりも手洗い、マスクの有効性を伝えており、ネット上のフリー百科事典『ウィキペディア』にも、
「一般的な方法として最も効果が高いのはワクチンの接種であると言われていた。しかし2007年11月28日、ロイター通信社の配信ではインフルエンザや新型肺炎(SARS)などの呼吸器系ウイルスの感染を予防するには、薬よりも手洗いやマスクの着用といった物理的な方法が効果的との可能性を示す研究結果が明らかになった。国際的な科学者チームが51の研究結果を精査。所見を英医学会会報で発表した。研究チームでは「山のような証拠は、ワクチンや抗ウイルス薬がインフルエンザの感染を予防するのに不十分であることを示した」として、国の流行病対策プランはより簡単で安価な物理的手段に重点を置くべきだと提言している。」と記載されています。
そういうことを考えると、インフルエンザ予防接種の有効性といったものに対しては、疑いを持たざるを得ませんね。もちろん、有効性を示すデータというのは存在するわけですが、データの採り方そのもの(作為があるという意味で)に疑問を呈している人たちも多く、やはり少なくとも子どもには打たない方が無難ということでしょうか。
そんな考えの中で私が今年予防接種を受けたのは、「もし、効いたらラッキー!」という程度のことです。ある意味、人体実験とも言えなくはないですが、私の仕事も妻の仕事も身体が資本。特に妻のやっているカウンセリングは、妻でないとできないことがほとんどで、もし、インフルエンザで何日か寝込むことになれば、その分売上に響くのはもちろん、万一クライエントさんやカウンセラー資格取得講座にお見えの研修生の皆さんに移してしまったら大変です。私の陶芸教室の方はと言えば、私自身のインフルエンザが妻ほど売上に影響することはありませんが、70代、80代の会員さんも多く、年輩の会員さんが重いインフルエンザや肺炎とかいうことにでもなれば、命にも関わってしまうことだってあります。そんな状況の中でも、基本的に休みはないし、私がいないと困ることもあるので、去年や一昨年などは、点滴をしながら仕事をしていたなんていうこともありました。
有効性を信じていないにもかかわらず、「もし効いたら…」なんて、矛盾だらけですが、ほんのわずかな期待を込めて、打ってみたというわけです。
問診票の裏を読んでサインをするよう書いてあるので、問診票の裏に目を通すと、とにかく副作用のことが延々と書いてある。これだけのことを読んでも、あなたは予防接種をしますか?ということなんでしょう。副作用については充分に説明はしましたよ、それでも打つって決めたのはあなたですよっていうことなんですね。私は、そこをビクビクしながらクリアして打ったわけですが、とりあえず私には副作用は出なかったようです。
卵とゼラチンにアレルギーのある方は要注意とか。私はいろいろなアレルギーを持っていますが、卵とゼラチンは大丈夫なんですよね、幸いなことに。
もし家族中が罹っても私がインフルエンザにならなければ、来年は妻も打つことになるのかな? まあ、人体実験はあまりしない方がいいですよね。もし効いたとしても、孫たちに打つことはないと思います。
ドイツでバレエダンサーをしている努がまだ小さいころ、ペニシリンの注射を打ったことがありました。アレルギーがあるとはまったく思えなかったにもかかわらず、腕は腫れ、大きなしこりがかなり長い間消えませんでした。私も、まったくアレルギーはないと思っていたのに、10数年前に花粉症が発症してからというもの、スギ、ヒノキはもちろん、切り花もダメ、ポプリ、アロマ、ハーブもダメ。アレルギーの怖さは充分に知り尽くしたので、今年は大変なリスクを冒してしまいましたが、孫たちにだけは、大きなリスクは背負わせたくありません。
肝炎訴訟の解決が長引く中、国には製薬会社の利益を優先させることなく、国民の安全に対する最大限の配慮をしてほしいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第288回「異住所交流会」

「そちらに中山紀正(仮名)さんが入院していると思うんですが、何号室ですか?」
「そういうことにはお答えできないんですよ」
「えっ、親戚のものなんですが…」
「規則ですから」
「すぐそばまで来ているので、これから伺おう思うんですが、入院はしてるんですよね?」
「それもお答えしかねるんですが…」
「えーっ!入院してるかどうかも教えてもらえないの?」
「はい、規則なので…。どなたかご親戚の方にご確認ください」
「だからぁ、私がその親戚だっちゅーの!」
水戸の近くの病院に義理の弟(正確に言うと元義理の弟)が癌で入院し、放射線治療を受けていると甥から聞いて、お見舞いに行こうとしたときの病院との電話のやり取りです。「元」なので、正確には親戚ではないし、普通だったら「お見舞い」でもないのですが、義父の通夜にもわざわざ水戸から駆けつけてくれて、義母が「今までもお世話になったし、孫の父親なんだからこれからも孫のことではお世話になるんだし」と言うので、婿と元婿というやや関係の遠い私が、病院を訪ねることになったのでした。
「どうしようかなあ?」と思いましたが、わざわざ水戸まできて、用も足さずに帰るわけにもいかないので、ややこしい関係でお見舞いに行く前から甥に負担をかけるのは嫌だなあと思いつつ、甥に電話をかけて、確かめることにしました。
個人情報保護法が施行されてから、こんなことがよく起こります。
先日、病院内で人違いから射殺されるという事件が起きました。あの場合は確認ができていれば、事件に巻き込まれなくてすんだケースでしたが、他人に教えてしまったことで、事件に巻き込まれるということも考慮してのことなんでしょうか。
あまりそういった事件を聞いた覚えはないのですが…。
私の住んでいるマンションの管理組合の定時総会で、「名簿に電話番号を記載しないでほしい」という意見が出されたことがありました。個人情報保護法が制定される前のことで、管理組合では、毎年部屋番号と電話番号が記載された居住者名簿を作成して、全戸に配布していました。売られた名簿を元に頻繁に電話がかかってくるということが社会問題化していたときで、名簿の問題に敏感な人たちが出始めたころのことです。総会では、様々な意見が出ましたが、それまで、名簿があっていろいろな連絡やコミュニケーションが取れていたということもあり、電話番号はそれまで通り載せるということで決着しました。
その後、個人情報保護法が施行となり、現在では電話番号だけでなく、名簿そのものを作らないことになっています。
今年も、そろそろ年賀状の季節。孫の通う幼稚園では「異業種交流会」ならぬ「異住所交流会」(そんなもの本当にあるわけはないですが)があるらしく、なにやら住所を書いた名刺のようなものを作っては、年賀状のやり取りをする人に渡しているようです。
私も会社をやっている関係で、生命保険会社やこのエッセイでもお世話になっている商工会議所の「異業種交流会」には、何度か出席させていただいていて、名刺を交換することの意味・意義は充分に理解しているつもりですが、幼稚園までそんなことをしなくてはならなくなっているとは…。
どうやら、電話の連絡網だけはあるらしく、運動会や遠足といった行事の時には、電話がかかってくることはありますが、住所がわからない。そのため、年賀状を出すには、住所の書いてある名刺様のものを交換しておくのが手っ取り早いということなのでしょう。昔は名簿を見ては、「この人とはあまり関係がよくないから、年賀状を出しておこうかな?」なんて、関係改善を図ったりもしていたんですけれど、いまでは仲のいい人とだけのやり取りになっているんでしょうね。
確かに住所や電話番号が漏れるということのリスクもありますが、それが行き過ぎると「地域社会の崩壊」につながります。うちは10階建てマンションの1階にあるので、たまに上の階から物が落ちてくることがあります。さすがに下着が落ちてきたりしたときには、何も言ってこないこともありましたが、これまではほとんどの場合落とした本人か管理人室から連絡があり、取りに来ていました。ところが、名簿がなくなってからは、連絡があることが少なくなりました。これまでだったら、管理人室を通して連絡があったような場合でも、たいていは、直接謝罪の電話くらいはあったものですが、今では各階に1人いる理事を通さなくては連絡が取れないので、「落とした」という連絡そのものもなくなりましたし、謝罪の電話があることもなくなりました。
もちろん、「どこの部屋にどんな人が新たに越してきた」などということもわからないので、廊下や駐車場で顔を合わせ、「こんにちは!」なんて声をかけても、「あれっ?あんな人いたっけ?」ということも…。「これで不審者を見分けられるのかなあ?」と不安になることさえあります。
以前小学校での防災訓練では、電話が通じないという想定で、家から家へ直接伝えるという方法で、安否の確認や避難の仕方、誘導などを行うという訓練を行っていました。ところが、ここまで住所が非公開になってしまうと、ごく限られた、しかも普段自分に心地のいい人間関係しか存在しなくなっているので、地域の連携などまったく考えられません。
行き過ぎた個人情報の保護を改めようという動きもあるようですが、子どもを守るという観点から考えれば、何が本当に重要なのか、もう一度考え直す必要があるのではないかと思います。
つい先日、
「年賀ハガキ、買ったよねぇ? 何枚かもらってもいい?」と娘の麻耶が私に聞きました。
今年も娘と孫は「異住所交流会」で名刺(?)交換をしたお友だちと年賀状のやり取りをすることになるんでしょうね、きっと。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2022年6月11日 (土)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第287回「就学前検診」

最近のランドセル販売戦線は相当過酷ですね。塾や私立校というようなものは、単純に子どもの数が減ったから、経営が厳しくなるというものでもなくて、これまで塾や私立校に通っていなかった子どもたちをなんとか通わさせることができれば、これまで通りの経営は成り立つわけです。ここのところの公立学校離れというか、公立学校不信というか、もしかして、政府もぐるになって塾や私立校を後押ししているのではないかと思うくらいひどいものがあるので、受験熱が上がって、塾や学校によっては、むしろ経営状況がいいと言っても過言ではないのかもしれません。
ところが、ランドセルの業者は、少子化がもろに経営に響きますよね。私立小学校、中学校の台頭というようなものも、これまでのランドセルや学生カバンといったものとは違った指定カバンになったりするので、厳しい状況にさらに拍車をかけているのかもしれません。
娘の麻耶の話では、ランドセルの業者が幼稚園近くの集会所を借りて、予約会を開いているとか。ちょうどそれくらいのお子さんをお持ちの皆さんは、別になんとも思わずそういった予約会に参加していらっしゃるのかもしれませんけれど、私くらいの年齢の者からすると、大変驚きです。予約会そのものは、あったような気がするのです(たしか中学校入学前には、小学校で制服とカバンの販売会があったので)が、驚くのはその中身というか、戦略というか…。

「麻耶ぁ、お前もう蓮(れん)のランドセル買ったの?」
「買わないよ」
「だってここに、ランドセル背負ってる蓮の写真あるじゃないか」
「あっ、それね、幼稚園のそばの集会所でね、ランドセルの予約会があったんだけど、予約しなくても写真撮ってくれるんだよ。子どもが“これ”って言えば好きなランドセル背負わせて、写真を撮って、そういう皮のスタンドに入れてくれるの」
「へぇーっ。これ、スタンドだけだって、けっこう高そうじゃないか」
「まあね。でも、ランドセル屋さんて、皮は専門でしょ」
「なるほどぉ。そう言われてみればそうだな。ランドセルを作った切れ端ってことかな?」

その写真には恐れ入りました。なんというか、祖父母としては、そういう写真を見せられては、早速買ってやろうかなという気持ちになってしまうというか…。
とは言え、私が麻耶に言った言葉は、「4月近くなれば、もっと安くなるだろっ!」だったんですが。
とまあ、そんな具合に孫の蓮本人も、娘の麻耶も、そして妻も私も、蓮の入学を楽しみにしているわけです。そしてこれはきっと、どこのうちでも同じなんじゃないかと思います。
ところが、あるお母さんから、就学前検診のこんな話を聞きました。

まず受付時間に昇降口に行く。先生と5年生のお兄さんが「こんにちは!」と元気に声をかけてくれる。次にお姉さんが親子を控え室まで連れて行ってくれる。ここまではいい感じ。
ところが教室に入った途端、年輩の女の先生が、「皆さ~ん、いいですかぁ!椅子にはお母さんが座ってください!子どもを座らせないでください!5年生、いいですかぁ!」と何度も大声で叫ぶ。「いいですかぁ!机の上の封筒に書類が入っています、中身を確認してください!ありましたかぁ!いいですかぁ!わからない人は手を挙げて!」これで子どもが小学校に上がるというワクワクした楽しい気分がいっぺんに冷めてしまった。この「いいですかぁ!」というのは、どうやら「静かにしろ!」という合図らしい。途中で5年生の男の子が入ってきて、「○○さんという人いらっしゃいますか?」とお母さんたちに呼びかけると「“○○さんという方”と言いなさい!」と注意する。
それでもこれくらいは序の口。問診票に予防接種のことを書くと、保健室の先生らしき人(何も紹介がないのでわからない)が、「エッ、お母さん、この回まだしてないんですか!?これは1回では意味ないんですよ!」と強い口調で言う。「そんなことはわかってるけど、2回ほどあったちょうどその接種の日に熱を出してしまってできなかった」という事情を話す暇も与えない。さらに、配られた紙に「学校へのご要望や心配事などありましたら、どんなことでもお書きください」と書いてあったので、「子どもは学校は楽しいところだと思っているので、入学後もその思いが続くよう、よろしくお願いします」と書いて先生に渡すと、その場で読んで「お母さん、最初が大事です。お母さんが潰さないように気をつけてくださいね。お母さんが学校を嫌いにさせないよう気をつけてください」と逆に注意されてしまった。なんでも要望を書けって言うから、書いたのに!

お母さんは、とにかく教えてやろう、学校に従わせようという、その凄い勢いに腹が立ったそうですが、検診を終えて帰ってくる子どもが、「私の感情を察知してしまうと心配してしまうだろう」と気を取り直して「子どもは小学校に入学することをとても楽しみにしています。朝の散歩も小学校の通学時間に合わせてしているくらいですので、よろしくお願いします」と再度頭を下げてきたんだそうです。
いやいやいや、全ての先生が悪いわけではないけれど、学校というところがどれくらい子どもや保護者にプレッシャーをかけているのかということを充分理解して、親が学校と張り合わなければならないような関係にならないためにも、先生方には子どもや保護者の立場にたった声のかけ方をしてほしいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第286回「物の見え方」

またまた笠間の楞厳寺(りょうごんじ)、ヒメハル工房の穴窯(薪で焚く比較的原始的な窯)で窯焚きです。これで穴窯焼成は4回目。だいぶ慣れてはきましたが、作品を窯から出してみるまでは、出来映えはわかりません。
1回目は、そのヒメハル工房を所有している橋本電炉工業の橋本さんにT氏を紹介していただき、T氏の指導のもとで焚いたせいか、窯焚きの途中、何度かトラブルに見舞われたものの、参加した会員さん(参加費用を払って作品を出した人)は大満足。
「次はいつやるんですか?」
の大合唱で、参加した人も、参加しなかった人も、次回穴窯焼成が待ち遠しいという状況になりました。
1回目の大成功のおかげで、2回目は参加希望者が続出。ヒメハル工房の穴窯の容量(18リッターの一斗缶で、約70スペース)があっという間に参加希望者で埋まり、結局2回焚くことに。薪の手配や私の負担も相当なものなので、続けてすぐというわけにも行きませんでしたが、1回目の3月に続いて、11月と翌年3月ということで、2回目、3回目の窯焚きをすることになりました。今後は11月に毎年1回、穴窯焼成をしていく予定です。
2回目以降は、T氏の指導を仰がずに自分たちだけで、なんとかしました。2回目は、まだまだ不慣れということもあり、T氏の教えを忠実に守っていたので、途中温度が上がらずに困ったことはありましたが、1回目よりさらにいい出来映えでした。3回目は2回目の自信が奢りにつながったのか、窯焚きの途中のドタバタやトラブルはなくなったものの、出来映えはあまり満足のいくものではありませんでした。
最後は作為ではなく窯任せ、炎任せという要素が強いので、さて今回はどうなりますか。
とりあえず、今のところ順調に進行しています。前回までの反省点をうまくクリアして、うまく焚けるといいのですが…。
陶芸というのは、「一窯、二土、三つくり」という言い方があるように、作品にとって最も重要なのが釉薬も含めた最後の行程である窯焚き。どんなに優れた形のものでも、窯焚きを失敗すれば台無しになってしまいます。その次が土。土が形よりも重要とされるのは、釉薬の発色というものが、土により大きく変わるということもあるのだろうとは思いますが、それよりも、やきものの風合いというものは、土の感じ、要するに柔らかいとか、堅いとかいうイメージで決まると言ってもいいからだと思います。
そして、最後がつくりです。つくりは最後とは言え、うちのような陶芸教室で陶芸をやろうとすれば、素地に施す装飾も含め、形を作るということは、「生徒」としてはほとんど陶芸の全てと言っても過言ではないほど重要な作業ですし、皆さんそれを楽しんでいます。
入会したての初心者の方には、まず湯呑みや小鉢といった日用雑器を作ってもらいます。特にカリキュラムを定めているわけではありませんが、身近で誰でも形をよく理解していること、そしてあまりうまくいかなかったとしても、とりあえず使えるだろうということで作ってもらっています。その次に作ってもらうものにカップがあります。コーヒーカップ、フリーカップ、どんな用途でもかまわないのですが、一つの技法として「取っ手をつける」ということを覚えてもらうために、作ってもらっています。
ところがここで、ほぼ100%、とてもおもしろい現象が起こります。皆さん、取っ手が大きすぎるんです。通常市販されているものの倍くらいの大きさの取っ手をつけてしまう人がほとんどです。取っ手が大きすぎると、取っ手を持ったときに指と器の間に隙間ができてしまうため、器の重心が大きく前に離れてしまって、かなりの重さを感じてしまいます。器を持っただけでも、持ちにくさを感じますので、飲み物を入れたときにはさらに持ちにくいということになります。
人は、自分が意識をしたもの、よく見たものをその形の重要な要素として捉えます。コーヒーカップを持つとき、一番強い意識を持って見るのが、取っ手。どうしても取っ手に指をかけなくてはならないので当然のことですが、それが大きな取っ手につながっていると推測されます。
それと同じような現象を、幼児の描く絵に感じました。幼児の描く人の絵はどうかというと、まず100%実物より顔が大きい。それに加えて、手の位置が肩よりはるかに低い位置から伸びていることが多い。幼児は、人を意識するとき、その人の身体はあまり意識しません。顔を見て物事を訴えたり、その人の感情を理解しようとします。それが、あの独特な絵につながっていると考えられます。
そう考えると、コーヒーカップの取っての不思議な現象にも納得がいきます。これは、子どもの感覚を大人になっても失わない数少ない現象ですね。
子どもたちが強く持っているそうした現象、感覚を大人はしっかりと理解した上で子どもたちと接しないと、間違った接し方になるかもしれませんね。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第285回「痛さをこらえる子どもたち」

さてさて今年もやってきました「エイペックスフェスタ」。
私の陶芸教室とカウンセリング研究所が入居している浦和駅西口、高砂小学校前にある「エイペックスタワー浦和」の商店会「エイペックス浦和会」では、毎年、この時期に「フェスタ」を開いています。年に一度のお祭りで、今年で4回目。
テナントのほとんどが事務所と医院という大変苦しい商店会事情はあるのですが、外部のリサイクル運動市民の会にフリーマーケットをお願いしたり、あちこちからバンドや芸人を呼んだりして、なんとかこれまでやってきました。1回目こそ、かなりの予算をつぎ込みましたが、2回目からはとんでもない低予算。なんとかやりくりはしてきたものの、予算だけでなく、とにかく人手が足りない。一昨年から始めた餅つきは、つくのが間に合わないくらいの大好評ですが、浦和会のメンバーだけではつき手が足りず、昨年からは、「エイペックスタワー」居住者の管理組合の皆さんにまでお手伝いをしていただいているのが実情です。テナントと居住者の皆さんとの交流という点では、その餅つきが大変大きな役割を果たしているので、それなりに意味のあることではあるのですが。
浦和第一女子高校マンドリン部の皆さんにも、第1回目より演奏をお願いしているのですが、定期試験や校外模試の日程と重なり、なかなか実現できませんでした。今年は、やっと実現し、フェスタにお越しいただいた皆さんにも、大変楽しんでいただきました。
各テナントのショップや「浦和会」による地場産野菜の販売、子どもコーナー(お菓子の販売や簡単なゲームなど)、フリーマーケットなど…。これまでメインのアトラクションだったのは、バンドの生演奏でした。バンド演奏を取りやめた今年、メインは「空手の演武」に取って代わった感じです。
たまたま1年半ほど前に極真空手の道場が、テナントとして入居し、昨年のフェスタから、メイン会場として使っている1階広場で、演武を行っています。子どもから大人まで、かなりの人数が参加してくれるので、それなりに賑やかです。昨年、圧巻だったのは、氷割り。分厚い大きな氷を素手で割るのにはビックリしました。今年は氷割りはありませんでしたが、塀に使うブロックを素手で割ったり、野球のバットを割ったり。
「なんか、トリックでもあるのかなあ?」
と思ってしまうほどです。今年、ビックリしたのは、4本の束ねたバットを一蹴り(正確にいうと、ひと蹴り目で1本が割れ、ふた蹴り目で全部割れた)で割ってしまったこと。目の前で割られると、
「おーっ!」
という感じにさせられます。
小さな子どもたちの演武もあります。数十人の小さな子どもたちが並んで、板を割るのもなかなかのものです。とてもかわいらしかったのは、かけ声も勇ましく、
「おーっ!」(だったかな?)
と板を拳で殴ったとたん、
「痛ぇー!」
と叫んだ子がいたこと。思わず微笑んでしまいます。
「やっぱり、痛いよなあ」
バット割りを見事成功した大人でも、しばらくびっこを引いていましたから。
バット割りを失敗して、何度も蹴っていた少年もいたのですが、さすがにこれ以上やらせるとケガをすると思ったのか、司会をしていたW氏が、止めました。
実は前日、W氏と打ち合わせの会議で同席した際、高砂小学校でその日行われた「高砂祭り」でも演武を行い、ブロックが湿気ていたせいかW氏がブロック割りに失敗してしまったという話を聞いていました。手に相当なケガをしていました。
あまりにも痛そうなので思わず、
「私にはできないなあ。痛いのは嫌です。痛いのになんでやるんですかねえ?」
と言ったら、W氏はニヤニヤしていました。
子どものころサッカーをやっていた私は、自分ではそれなりにやれていた方ではあったのだろうと思うのですが、中学の時、サッカー部に入り、「サッカーは向いてないなあ」とつくづく思いました。あの激しさにどうも性格がついて行けなかったみたいです。
息子がサッカーをやりたいと言い出したとき、性格的に無理じゃないかなあと思いました。スポーツには、体力や技術だけではない性格的な向き不向きがあります。結局、私はバレーボール、子どもたちはバドミントン、ゴルフということに。
板を割っている子どもたちを見て、
「いやーっ、大したもんだ」
と思いましたが、「やっぱりうちの子どもたちには無理だなあ」
そんなことを考えながら、子どもたちの演武を応援している、エイペックスフェスタでした。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第284回「子育ては都会、それとも田舎?」

今朝(11月11日)の朝日新聞に俳優の柳葉敏郎氏が、昨年春から故郷の秋田で暮らすようになったという記事が掲載されていました。「子育ては秋田で」というのが、ずっと夢だったとのことで、小学校2年生のお嬢さんのPTAの学年部長も務めているそうです。
柳葉氏は、秋田県の中央よりやや南に位置する、仙北郡西仙北町(2005年、大曲市などの1市、6町、1村との合併により現在は大仙市)の農家の長男として生まれました。その後、小学校、中学校、高校と地元で育ちます。秋田県立角館高校卒後、18歳の頃に日本テレビの『スター誕生』に応募しますが落選。それがきっかけで上京して、劇団ひまわりに入団しました。その後は皆さんご存じの通り、「一世風靡セピア」のメンバーとしてデビューし、'88年以降、トレンディドラマに数多く出演し、「元祖トレンディ俳優」と呼ばれるようになりました。「踊る大捜査線」シリーズの室井慎次役は、一番の当たり役で、彼の俳優としての地位を確固たるものにしたと言えると思います。(ウィキペディア参考)
俳優という職業なので、仕事の中心は東京ということになるのでしょうが、1年の半分以上を秋田で過ごしている(逆に俳優だからできるということなのでしょうが)とか。その話からも、柳葉氏の「子育ては秋田で」のこだわりがわかるような気がします。
今から、25年ほど前、「田舎暮らし」を考えたことがありました。今でこそ、ポピュラーになった「田舎暮らし」ですが、当時はまだそれほど注目されていたわけではなく(というより、むしろ田舎暮らしは敬遠されていた)、月刊だったか、季刊だったかの「田舎暮らし」を扱った本と機関誌が数種類あっただけでした。そういう刊行物を見ると、「借り賃 0円」とかいう家や、数百坪の土地と家屋(かなり老朽化はしていますが)で「売値 20万円」なんていう物件がたくさんあって、心がときめいたものです。過疎地の物件がほとんどですから、中には廃校になった校舎や元旅館なんていうものまであります。私が一番心を動かされたのは、1,800万円はするものの、敷地6,000坪で、宿泊施設あり、工房(一度に10人くらいが電動ロクロで作陶ができる)あり、竹藪あり、雑木林あり、なんていう物件でした。しかも、庭には小川が流れているんです。
少子高齢化が進み、今では退職後にそういったところで生活する人たちが増えてきて、生活に適した格安の物件というのは、手に入りにくくなりました。ある程度の年金がもらえていれば、生活に困ることはありませんが、若いうちに「田舎暮らし」をしようとすれば、収入の確保と子育てをどうするかで悩みます。妻が高校の教員でしたので、「埼玉県内であれば」と、秩父音頭で有名な皆野町やさらにそこから北側になる児玉郡神泉村(現在は合併により神川町)に、実際に物件を見に行ったこともありました。結局、収入よりも、子育てのことで断念(学校まで徒歩で1~2時間なんていう感じでしたので)しました。
柳葉氏の生活は、PTA役員の話や野球チームの話、町内会の話などが登場するので、それほどの「田舎暮らし」ではないのだろうと思いますが、「子育ては秋田で」という意味は、都会のあわただしい生活ではなく、ゆっくりと時が流れていく、人と人とのふれあいが残る、伸び伸びとした子育てがしたかったということなのだろうと思います。「友達を5人も6人も連れてきたり、自転車で出かけて日が暮れるまで遊んできたり。秋田の子どもは東京より100倍元気だ」という表現から、柳葉氏の目指す子育ての方向が見えてきます。
あわただしく流れる時間の中で、塾に通わせ詰め込み教育をするのも一つの子育て、ゆっくりと流れる時間の中で、のびのび育てるのも一つの子育てです。学力向上のため、ゆとり教育が見直されている今、「ゆとり」ということが目指したものはなんだったのかもう一度じっくり考え、子どもを大切に育てていきたいものですね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第283回「興毅と大毅、藍とさくら」

亀田親子のことがこれほど大きくなるとは…。
揺れに揺れた大相撲問題もどこへやら。すっかり影が薄くなって、そのかわりに亀田大毅と内藤大介の世界タイトルマッチ問題が大きな問題になっています。
2005年7月1日、野村克也楽天監督(当時はシダックス監督)の古稀を祝うパーティが赤坂プリンスホテルで開催されたとき、たまたま私も出席させていただいていて、そこに来ていた亀田興毅を間近に見ました。パーティには、中曽根康弘氏をはじめ、亀井静香氏、中川秀直氏などの政治家や原辰徳氏、細川たかし氏といったスポーツ選手や芸能人など、多くの有名人が出席しており、大盛況でした。
そういう中だったせいか、亀田興毅は、すでにかなりの注目を集めてはいましたが、昨今のような不遜な言動はまったくなく、スポーツ界の先輩たちにあいさつをして回っている彼に対する私の印象は、今ではすっかり定着した感のある「悪役」のイメージではなく、プロのアスリートを目指す少年という印象でした。どちらが彼の真実の姿かということは別にして、なぜ彼や弟・大毅があそこまで「悪役」になってしまったのかというと、スポーツにやたらといらない演出を施す民放各社の責任もとても大きいと思いますが、私は父親の存在があったからだと思います。
「誰が見たってそうだろっ」とお思いになるかもしれませんが、私の言っているのは、よく世間で言われている「父・史郎氏のひどさ」のせいということではありません。私は、史郎氏がどんな父親であったにしろ、おそらく「何らかの形で亀田兄弟には問題が起こった」という意味で、「父親の存在があったから」と言っているのです。たまたま史郎氏のキャラが“ああいう人”でしたし、TBSや世の中が求めた親子像、ボクサー像というものが、“ああいうもの”だったのでしょう。政治の世界で小泉氏や安倍氏が支持されたのとも呼応しているのだろうと思います。もし、世の中の流れが違えば、もっといい“キャラ”はだったかもしれませんが、いずれにしろ亀田家には、何らかの「挫折」や「スランプ」といったものが待ちかまえていたのだろうと思うのです。
米国女子ゴルフツアー公式戦(国内女子ゴルフツアー第33戦)の「ミズノクラシック」は、上田桃子のアルバトロス(1ホールをパーより3打少ないスコアで回ること)を含む6アンダー(通算13アンダー)の活躍で、米国ツアー初優勝で終わりました。
激しく賞金女王争いをしていた横峯さくらは、スコアが伸びず24位タイ、注目の宮里藍は、ここのところのドライバーの不調を引きずり、通算8オーバーで、78人中68位タイとこれまでの宮里からすると考えられないような結果に終わりました。
ゴルフというスポーツは非常にメンタルな部分が影響を与えるスポーツなので、宮里くらい技術が優れている選手でも、一度調子を崩すとなかなか立ち直れません。ここのところの宮里の不調の原因はどこにあるのか…。わが家では、宮里のスランプを、力を出し切れずに終わった全英女子オープンのインタビューの時から予想していました。
宮里の言葉を一語一句はっきりと覚えているわけではありませんが、
「あまりいい結果は残せなかったけれど、何よりもこの一週間、お父さん、お母さんと一緒に過ごせたことがよかった」という内容の話をしました。
「宮里は、さくらとは違うと思って期待してたのに、あんなこと言っているようじゃ、もうダメだね。きっとスランプになるよ」
日大でゴルフをやっている翔(かける)とそんな会話をしていました。
宮里のインタビューからは、それまでの闘争心にあふれた“強い宮里”のイメージがすっかり消え、ただの“いいお嬢さん”になってしまっていました。
横峯さくらも一時、父・義郎氏に甘えているようなそぶりが気になったことがあり、ややスランプに陥っているようにも見受けられましたが、義郎氏が参議院議員となり、その後の不倫騒動を経て父娘関係に変化があったようで、精神的なダメージがなかったわけはないと思うのですが、かえって成績が向上し、賞金女王争いをしています。
亀田兄弟にしろ、宮里藍にしろ、ここのところの大きな試練は既定路線。親が“いい親”であろうと“悪い親”であろうと、問題は“いい”か“悪い”かではなく、「親子関係にどうけりをつけるか」です。
子育ての問題点の多くは、親子の距離のとり方です。それが、自営業者の跡取りでも、サラリーマンでも、スポーツ選手でも、まったく関係ありません。親子の距離がしっかり取れ、子どもが自立してこそ活躍できるのであり、またその逆に、距離が近過ぎれば、どんなに非凡な能力を持っていたとしても潰れてしまいます。
亀田兄弟や宮里藍、横峯さくらも、しっかりと親子の距離を保って、非凡な才能を発揮してもらいたいものです。(プロ選手の敬称略)

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第282回「幸せのレシピ」

10月10日にパルコがオープンして、浦和の映画館が復活!
特に映画ファンというわけではないけれど、近くで簡単に映画が観られると思うと、ちょっと嬉しいです。
毎日、忙しい生活を余儀なくされているので、上映時間に合わせて、行き帰りの時間を含め3~4時間を確保するのは至難の業。パルコの中にユナイテッド・シネマが入ってくれたおかげで、シネマの入り口まで5分弱。「見たい映画に合わせて」というのはもちろんですけれど、「ちょっと時間が空いたから」という映画の見方が可能になりました。
子どものころから「映画は好き」という意識はありましたが、実際に映画を見たのは、中学、高校のころに、テレビの深夜番組で見たというのがほとんど。映画館で見たなんていうのは、学生だったころ「授業が休講になったから」観た経験くらいしかないので、「ちょっと時間が空いたから」なんていう映画の楽しみ方ができるというのは、私の人生の中で、とても画期的なことです。
20歳前後から子育てに追われていたので、喫茶店や映画館でデートなどというのは皆無。なんだか人生ががらっと変わったような(ちょっと大げさ?)気さえします。
というわけで、オープン翌日の11日に「エディット・ピアフ」、そして26日に「幸せのレシピ」を観てきました。
いやぁ、何年ぶりかで観た映画は、やっぱり楽しいですね。エディット・ピアフは、シャンソン歌手で、皆さんご存じの
♪あなたの 燃える手で あたしを抱きしめて♪(訳・岩谷時子)の「愛の讃歌」で有名ですね。テレビのコマーシャルでも、「愛の讃歌」が流れていたので、「愛の讃歌」を歌うシーンが出てくるのかなと思いきや「愛の讃歌」はたった2回(?)バックに流れるだけで、むしろ「La vie en rose」(ラヴィアンローズ)(タイトルからはわからない人が多いかもしれませんが、聞けば“この曲かぁ”ってなる有名な曲です。音が出ないので、うまく説明できなくてすみません。http://edith-piaf.narod.ru/piaf1950.html でダウンロードできます)の方が強く印象に残りました。この映画の見所は、たくさんありますが、子どものころのピアフの生活には、インパクトがありました。
「幸せのレシピ」は、完璧主義の料理長、ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が、突然の姉の死により一緒に暮らすことになった9歳の姪ゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)との関係を必死で作ろうとしていく中で、ケイトとは正反対な性格の陽気で自由奔放な副料理長、ニック・パーマー(アーロン・エッカート)と恋に落ちるというストーリー。
ドイツ映画「マーサの幸せレシピ」をハリウッド・リメイクしたものです。
まったく意表を突くことのない真っ直ぐな展開で、楽に観られます。映画マニアの間では「ベタ」と言われて、あまり高い評価を得ていないようですが、私はとても楽しく観ました。
「子育て」から、とても遠いところで生きてきたケイトが、ゾーイとの関係を築いていこうとする中に、子育てのとても大事な部分を見た気がしました。高級レストランの料理長であるケイトは、自分の料理に対する価値観で、ゾーイに食事を作りますが、ゾーイはまったく口にしません。高級食材を使った一流の料理より、素朴で飾らない魚のフライやスパゲッティがいいのです。ケイトもニックとの関係の中でそれに気付いていきます。子どもの人格を認めること、大人の価値観を押しつけないこと、子どもの自主性を尊重すること…。様々な子育ての要素をこの映画中にはありました。
涙がこぼれそうになる場面もたくさんありましたが、オペラ好きなニックのおかげで、バックに流れるヴェルディの歌劇「椿姫」の「乾杯の歌」や1961年にトーケンズの歌で大ヒットした「ライオンは寝ている」などもとても楽しく聞けました。はまり過ぎていて、これも「ベタ」の一部なんだろうと思います。

もちろん子育ての映画ではありません。けれども、こんなところにも子育てのヒントはあるんですね。私はそんなところも気にしながら見ていましたけれど、こういう映画をそんなふうに見ていると、おもしろさも半減しちゃうかもしれませんが…。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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2022年6月 6日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第281回「鳥取県倉吉市から その2」

この道の駅は、1階が売店、2階がレストランになっています。
1階の売店には、よくあるお土産品、地場産の野菜や手作りのお菓子や味噌といったものの他、山陰の海らしい魚介類が、生けすで泳いでいました。
2階のレストランは、刺身定食、天ぷら定食など、海の幸中心のメニューです。
中に入ってメニューを見ながら注文をしようしたのですが、メニューに載っているのにないものばかり。いちいち口元に付けたマイクで厨房に確認しています。
結局「イカの刺身定食」に落ち着きました。
そんな有様でしたが、出てきた料理には大満足。見ただけで活きのよさがわかります。「要するに、その日によって捕れる魚が違うので、メニューはあってないようなもの」ということのようでした。

その晩は、三朝(みささ)温泉に泊まり、翌日の午前中、倉吉の町を散策しました。
倉吉という町は、けっして大きな都市ではありませんが、山名氏が最初に居城した地で、南総里見八犬伝の発祥の地でもあり、その歴史の重さを充分に感じることのできる町です。現在も打吹山(うつぶきやま)に城趾があります。
観光に大変力を入れており、「倉吉レトロ」をキャッチフレーズに、白壁土蔵群の保存に力を入れたり、「赤瓦」(あかがわら)と称する9つの建物で、様々な特色あるレトロなショップを展開しています。(http://www.apionet.or.jp/kankou/index.htm)
私が訪ねた日は、午前中ではありましたが、土曜日ということもあり、ちらほら観光客の姿も見受けられました。
「観光のお客様無料」と書かれた契約車両とのスペースが混在した未舗装の駐車場に車を止め、町のなかを散策しました。
ミニ鯛焼きを売っている店の前で、買おうか買うまいかと見ていると、店の主人らしき人が「どうぞ、試食してみて」と鯛焼きを差し出します。餡の種類が何種類もあるので、次から次へと違った種類の鯛焼きを試食させてくれました。
「今買っちゃうと、持って歩かなきゃならないので帰りに寄ります」と約束し、さらに町の散策を続けていると、醤油を製造販売しているところを見つけました。
中に入るとセンサーで「ピンポン、ピンポン」と音がしました。ところが、しばらく待っても人が出てくる気配がありません。再び入り口付近まで下がって「ピンポン、ピンポン」。
店に並んだ商品を見ながら、どれくらい経ったでしょうか。まったく出てくる気配がありません。「すいませーん!」店の奥に向かって声をかけましたが、なんの返事もありません。
「誰もいないのかねえ? これじゃあ、盗まれてもわからないよねぇ」
再び、「ピンポン、ピンポン」。ようやく、おばさんが奥から出てきましたが、まるでスローモーションを見ているよう。
なんとか、薄口醤油を買って、再び散策。
今度は、造り酒屋があったので、時季外れとは思ったのですが、酒粕を買いたいと店の中へ。
ところが、またまた、誰も出てきません。ここでもどれくらいの時間が経ったでしょうか。何度も何度も店の奥に向かって声をかけ、ようやくおばあさんが出てきました。
「今は漬物用しかないんですよ」
その返事を聞くために、どれくらいの時間を要したか…。
道を歩いていると、車庫から車が出てきました。のろのろしているわけではないのでしょうが、とにかくもたもたしています。じっと待って、車を先に出してやりました。
もし、東京やさいたまでこんなことが起こったら、腹が立ってしようがないのでしょうが、不思議とこの倉吉では腹が立たちません。それどころか「倉吉っていいところだなあ」、そんな気持ちが湧いてきました。
午後からは講演です。翔誕生の出産ビデオ「素敵なお産をありがとう」を見てもらい、その後私が30分、妻が30分話をしました。私の話は、ほぼいつも「それぞれの違いは違いとして認めること、そしてその違いを乗り越えるため時間と体験を共有すること、主夫としてこれまで私がやってきたこと」、そんな話が中心です。ところがこの日は、「倉吉っていいところですね。午前中に町のなかを探索したら、醤油屋さんで…」。そんな話をしているうちにあっという間に30分が経ってしまいました。講演が終わると妻が、
「あなたの話、いつもと全然違うから、どうフォローしようか困っちゃったじゃない!」
講演会後、主催者の皆さんと喫茶店で1時間ほどお話をしました。講演の時よりも詳しく醤油屋さんの話をすると、みんな大声で笑いました。
酒屋さんの話をすると、さらに大笑い。皆さんが言うには、「倉吉ってそんなところですよ。のんびりしていて。ちょっと出かけるのに鍵なんてかけませんから。悪い人なんていません」。
その話を聞いて、倉吉という町が、なぜ私の心をくすぐったかがわかりました。今では、なかなか感じることのできなくなった「人を信じるという心がここにはあるからだ」そんな気がしました。
講演会の前に控え室を訪ねてくださった倉吉市の教育長さんもとても腰の低い方でした。その腰の低さも「市民を信じる」そんなところにあるのかなあと思います。
「倉吉ってのんびりしていて、ぎすぎすしていない、すごく住みやすいところじゃないですか?」
「ええ、とっても住みやすいところです。なんにもないですけどね」
「なんにもない?とんでもないですよ、歴史と文化があるじゃないですか、そして何よりも地域社会が崩壊していない。貴重なところだと思いますよ」
こんなところで子育てをしたら、子どもはずいぶんのびのび育つんだろうなあと、強く感じる2日間でした。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第280回「鳥取県倉吉市から その1」

今日は、倉吉に来ています。
倉吉と言えば、つい先日市長が、舛添厚労大臣に一首長の立場で噛みついたところ。地方のそれほど大きくない、けれども歴史のある個性を持った町が、さいたま市のような首都圏のそれほどはっきりとした特徴のない大都市とどう違うのか、ほんの短い時間ではありましたが、観光地や倉吉の町のなかを散策したり、また教育長さんとお話をさせていただいたり、PTA連合会でご活躍の皆さんと交流させていただいたりしましたので、鳥取というところ、倉吉というところで、私が感じた文化の違い、子どもとの関わりの違いを2回にわたって、皆さんにお伝えしたいと思います。

少し前のことになりますが、月刊「教育ジャーナル」(学研)に、映画「あしたの私のつくり方」の原作者、真戸香さんと妻との対談が載りました。それをご覧になった教頭先生の推薦で、倉吉市のPTA連合会の方々が中心となり、講演会にお招きいただきました。
当初、カウンセラーとしての妻への講演依頼でした。子育てについてのスキルを主な内容とした講演会というお話だったのですが、幅広い年齢層のお子さんを持つ方が対象とのことでした。
子育てについてのスキルを中心に据えると、どうしてもある程度年齢層の絞り込みをしなくてはならないので、むしろ映画「素敵なお産をありがとう」の上映と私と妻の話ということではどうですかとこちらからご提案をさせていただき、上映会と講演という形で、行うことになりました。
担当の方から、丁寧に飛行機の時間までメモでお送りいただいたのですが、私の身体の関係(気圧が急に下がると、座席にも真っ直ぐ座っていられないくらい目が回って、汗が噴き出し、吐き気がする)で、飛行機には乗れないので、車で向かうことにしました。運転はちょっと大変ですが、自由に動き回れるので、初めての山陰で、見てみたいところもたくさんありましたし、その土地の人たちと交流のできることを、とても楽しみにしていました。
800キロ近い距離なので、10時間以上はかかります。昨年車で行った北九州に比べればかなり近いとは言え、朝出ても夜になってしまう距離。鳥取砂丘も行ってみたいし、大山(だいせん)、出雲大社にも行ってみたい。近くに多くの有名な美術館もある。
朝、3時くらいに家を出て、お昼過ぎには鳥取砂丘にという計画でしたが、それでは砂丘以外を見て回る余裕はなさそうだったので、前の晩仕事から帰ると、「このまま出ちゃおうか」ということになり、夜11時に家を出ました。
わかっていたこととは言え、東名高速道路の集中工事のためかなり長い区間が一車線通行になっており、予定通りには行きません。中央高速にすればよかったと悔いても後の祭り。早く出たにもかかわらず、結局出雲大社と大山は次の機会にということになってしまいました。
鳥取砂丘を初めて訪れた人の感想は様々だと思います。期待はずれとがっかりする人、期待通りと思う人、期待以上と感動する人…。
私は、だいたい期待通りでしたけれど、予想以上に感動したかな。
砂の色、砂の感触、そして何よりも砂と海と空とが織りなすコントラスト。思わず走り出したくなるような高揚感…。
広い砂丘の上に靴を置き去りにして、裸足で頂上まで登りました。そして目の前に広がる大きな海。
周りにいる人たちも、すっかり子どもに返ったようでした。ただ、残念だったのは、砂丘にとてつもなく大きな落書きがあったことです。
少し前にニュースでも取り上げていましたが、砂丘の持つ価値、公共性を無視したとても悲しい行為だと感じました。
陶芸教室の生徒さんから、「砂丘にいるラクダと並んで写真を撮ろうとしたら、乗ろうとしたわけじゃないのにお金を要求された」という話を聞いていたので、「本当かよ?」と思いましたが、それも想定してラクダにはあまり近づかず、遠くの方から写真を撮りました(笑)
売店で、孫に買うおみやげをあれこれ選びながら、「この砂時計(砂丘の砂が入っている)、どうかな?」と妻と話をしていると、まだ決めたわけでもないのに、売店のおばさんがすでに包装紙に包みかかっていたのにはビックリ。
「なるほど。ラクダの写真は遠くからにしといてよかった!」と納得がいきました。
そして、もう1カ所立ち寄ったのが、あの大黒様とワニ鮫に皮を剥がれてしまった因幡の白ウサギの話で有名な白兎海岸です。海岸に面して道の駅があり、その道の駅から山側には白兎神社があります。昼食をこの道の駅で取ることになりました。

つづく

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第279回「子どもの声は騒音か」

西東京市の「西東京いこいの森公園」の近くに住む女性が、噴水で遊ぶ子どもの歓声やスケートボードの音がうるさいとして、公園を管理する市に騒音差し止めの仮処分を申請した事件で、東京地裁八王子支部が、女性の訴えを認める決定を出しました。都環境確保条例の騒音規制では、この地域の午前8時~午後7時の基準値を静かな事務所内に相当する50デシベルと定めているんだとか。そんな基準を子どもが遊ぶ公園に当てはめようとするのはとても無理な話です。
心臓などの病気療養中で、「子どもの声などで精神的な苦痛を受け、不眠に悩んでいる」と訴えていた女性に対し、市は「基準は超えても受忍限度を超える騒音には当たらない」と主張したそうです。

この公園は、旧東大原子核研究所の跡地を利用して、2005年4月に市が開設したもので、敷地面積は4万4000平方メートル、噴水は遊具などが置かれた広場の中にあって、複数の噴水口から水が断続的に噴き出す仕組みで、水の間を縫って遊べるようになっています。こういった公園の状況を想像しただけで「キャーキャー」はしゃぐ、子どもの声が聞こえてくるようです。
司法は、公共の福祉論を展開し、個人の権利(特に土地所有権などにおいては)を制限的に解釈する場合が多いように思うのですが、子どもの遊ぶ権利については、公共の福祉論を展開せず、かなり制限的に法解釈をするということのようですね。もちろん、裁判官によっても、違いがあるわけですが…。
とは言え、公共の福祉に鑑み、女性の権利が認められなくてもいいのかと言えば、それも違います。私の立場は、常に「何をおいても子ども優先」の立場なので、「なにも子どもの声くらいで…」という気持ちも強いのですが、条例という根拠があるわけだから、女性が訴える正当性もあるわけです。(女性側が勝っているわけだから、当然ですが)
ここで考えなくてはいけないのは、「もし、基準となる条例がなかったらどうだったか」ということです。私は、おそらく、女性が訴えを起こしていなかったのではないかと思います。
万一、訴えを起こしたとしても、条例がないことで、騒音の基準が曖昧だったとすれば、市が主張する「受忍限度を超える騒音には当たらない」という主張が裁判官に受け入れられる可能性がかなり高くなってきます。そうなった場合には、おそらく今回の結果とは逆の決定が下っていたのではないでしょうか。
今回の事件で、私が一番問題だと感じたのは、2つの行政の無責任さです。
その1つは、ただ単に住宅街だということで単純に決められたと思われる都環境保全条例の50デシベルという騒音基準。
2つ目は、環境保全条例があるにもかかわらず、なんの対策も講じることなく作られた公園。
裁判所も、「騒音は受忍限度を超えている。設計段階から騒音は予測できたのに対策をとらず、配慮が全く欠如している」と市の姿勢を批判して、決定を下しているのです。そういう意味では、子どもたちの遊ぶ権利は「行政の怠慢の犠牲になった」とも言えなくもありません。
多くの子どもが遊ぶような住環境で、50デシベルという基準が適切か。もし適切であるとすれば、子どもが遊ぶ権利を都はどう保障するのか。
また「設計段階から騒音は予測できた」ということですから、噴水を住宅に影響のないところに設置するとか、最も近い住宅との間に防音壁の役目をするような遊具なり、トイレのような建物の設置をするといった対策を、西東京市はなぜとらなかったのか。
子どもの権利という公共性と女性個人の権利とのバランスをどう取るかということはもちろんのこと、少子高齢化が大きな問題となっているにもかかわらず、産婦人科、小児科医療に対する無策が問題になっている今日、子どもの権利に対するあまりにもお粗末な行政の対応が明らかになった事件でした。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第278回「子どもを信用するということ その2」

ポニー乗馬コーナーを離れようとすると、大きなカメを持ったお姉さんがやってきました。かなり重そうです。甲羅の直径は、50~60㎝はあるでしょうか。甲羅の脇に手をあてがって、やっとの思いで腰の辺りにぶら下げ、おっちらやっこら持っているという感じ。
そしてそのカメを、高さ1mくらいの木の柵で囲まれた10畳ほどの細長いスペースに入れると、今度はどこからともなく草のいっぱい入ったバケツを持ってきて、小学生の女の子を従え、柵の中に入っていきました。
「××さん、今度はお食事ね。この草をカメにやってね」
(ああ、そう言うことね。この草って、カメのエサなんだぁ)
お姉さんはそう言うと、まず自分でカメにエサをやって見せました。そして、小学生の女の子がそれに続き、エサをやっています。
その光景をずっと見ていたので、気づかなかったのですが、いつの間にか柵の周りには、小学生の女の子のお父さん・お母さんらしき人と、おじいちゃん・おばあちゃんらしき人がカメラを構えて立っていました。その後ろには、「副園長」というプレートをつけた男の人も立っていました。
「カメって、こんな草を食べるんですね」
私が、カメを抱えてきた動物園の係らしいお姉さんに声をかけると、
「ええ。このカメは陸に住んでいるカメで、こういう草も食べるんです」
と答え、柵の中でその大きなカメの背中に今にも乗りそうなくらいの勢いで、まったく怖がることもなく、平然とエサをやっている小学生の女の子を不思議そうに見ていた私たちに対し、
「今、この子が甲羅をタワシで洗ってくれたんです。今日は、この子が一日このカメの面倒を見てくれるんですよ」
と言いました。
「へぇーっ?!」
私たちが、びっくりしたような顔をすると、
「この子はイベントの当選者なんですよ。この子の“願いごと”が、カメの世話をすることだったので、今日は一日カメの世話をしてもらっているんです」
と続けました。
「へぇーっ?!」
こんなところ(公立の動物園)が、イベントの当選者に『豪華(?)賞品』を出すということに、まずびっくりして、そして目の前のとってもおとなしそうな小学生の女の子が、その『豪華賞品』に「カメの世話」を選ぶとは!
エサをやり終わった女の子とカメは、お父さんカメラマンとおじいちゃんカメラマンのモデルになって、たくさん写真を撮ってもらっていました。
次に、回ったのは「なかよしコーナー」です。ここには、どこの動物園でも触れ合うことのできるモルモットやウサギといった小動物がたくさんいます。そして、ここもまたカブトやクワガタと同じように、たくさんの子どもや大人に囲まれた台の上にモルモットやウサギが無造作にたくさん放されています。
係の人はそれぞれの台に一人ずつ。どう見ても、子どもたちすべてを管理するには、人数が足りません。
「勝手に抱いちゃっていいのかなあ?」
「自由に」ということに慣れていない私たち大人は、係員によって管理をされないといろいろな場面で躊躇します。
子どもたちは、とても順応性が高く、すぐその雰囲気を察知するのか、どんどん自由にいろいろな動物をだっこしていました。
ここは、基本的に子どもたちがいたずらや悪いことをしないという前提で運営されているということが、伝わってきます。
動物園にいる間、禁止や注意をする職員の声を一度も聞きませんでした。そして、子どもたちもそれに応えて、とても丁寧に動物を扱っています。「子どもを信用すること」、そういうところから子どもたちの優しい心は生まれるんだということを目の前で見た気がしました。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第277回「子どもを信用するということ その1」

「ああ、疲れたぁ! これって仕事で疲れてるわけじゃないよね?」
「たぶん、違うんじゃない?!」
「そうだよね、足とかだるいもんね」
「あそこ行くと疲れるんだよ、広いから。坂ばっかりだしね」
「やっぱり、年寄りにはきついかな? 若いうちじゃないと全部一日で回るなんて無理だね」

ちょうど昨年、第229回で扱った「埼玉県子ども動物自然公園」に再び行って来ました。昨年も9月25日にその話題をアップしてもらったのですが、今年再び9月25日のアップになるとは…。

今日(24日)は、午後から東松山の浄土真宗・西照寺で、本堂建立の記念講演に妻が講師として招かれていたので、そのついでに午前中は、孫たちを「子ども動物自然公園」に連れて行くことになりました。午前中は、私と妻が孫の面倒を見、その間、娘の麻耶が講演会の資料作成をしてくれることに。9時過ぎに、私たちは「子ども動物自然公園」に向かいました。麻耶も資料作成が終わり次第、公園に向かい、お昼前には麻耶に子どもたちを引き渡す計画です。
天気はあまりはっきりしませんでしたが、3連休ということもあってか、車はやや多め。それでも、渋滞というほどのことはなく、途中、三芳のパーキングエリアに寄りましたが、家を出て1時間ほどした10時過ぎには、公園に着きました。麻耶との交代までは、おおよそ1時間半。園内をゆっくり見て回る余裕はないので、入り口近くで開催されている昆虫展、ポニー乗馬コーナー、なかよしコーナー、乳牛コーナーに絞って回ることにしました。
まず最初に行ったのは、昆虫展です。孫の蓮(れん)は、家を出る前から昆虫を見たがっていて、以前「森林公園」でカブト虫を見たことがあったので、「子ども動物自然公園」よりはむしろ森林公園に行きたがっていました。今日は時間的に余裕がないこともあり、「森林公園」はやめ、蓮を説得して「子ども動物自然公園」に行ったのでしたが、偶然開催されていた昆虫展のおかげで、蓮も大満足の結果になりました。
昆虫展の会場には、世界各国から集めたカブトやクワガタがいます。もちろんケースに入っているのですが、一部の場所では生きているカブト虫やクワガタに触ることができます。私たちが、会場に入っていくとTシャツを着た小学3年生くらいの男の子がわざわざ寄ってきて、嬉しそうに室内を眺めている蓮に、
「あっちで生きてるやつに触れるよ」
と教えてくれました。あまりにも珍しい(私にとってだけかもしれません。蓮は名前をよく知っていました)虫たちが、とても無造作に置いてあるので、近くにいた係のお兄さんに、
「これ、こんなに子どもたちが触って死なないんですか?」
と聞いてみると、
「ええ、大丈夫ですよ」
という答えが返ってきました。
その、お兄さんの様子を見ていると、台の上に放されたカブトやクワガタたちには、ほとんど意識がいっていません。虫たちを興味深そうに眺めたり、触ったりしている子どもたちにすべてを任せているのです。蓮も、納得のいくまで自分のお気に入りのカブトやクワガタに触って、大満足で昆虫展の会場を出ました。
ポニー乗馬コーナーでは、乗ると言ってチケットを買った沙羅(さら)が、ポニーにまたがるための台のところで立ち往生。そこでポニーを引いてくれているお姉さんは、沙羅の様子を見て無理に乗せることはせず、かなり長い間、黙って待っていてくれました。そして、もう1頭の小さいポニーを連れてきて、檻越しに顔を出させ、触らせてくれようとしました。
「こっちのポニーさんとお友だちになろうか?」
そう言われても、沙羅はポニーの顔を撫でることもできません。沙羅は、手にしっかりとチケットを握りしめてはいるので、乗る気はあるようなのですが、どうも恐怖心が取り除けないようで、結局ポニーに乗ることは断念。もうすでに一度乗った蓮が、沙羅の分も乗ることになりました。

つづく

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