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2022年5月

2022年5月20日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第275回「警察官の平手打ち」

事件そのものはたいした事件ではないのに、先週大きく取り上げられたのが、「警察官の平手打ち」事件です。
「神奈川県警大和署の巡査長(33)が拳銃の形をしたライターを持っていた高校2年の男子生徒(16)を平手打ちし傷害容疑で現行犯逮捕された」(毎日新聞)という事件ですが、県警監察官室の当初の発表は、巡査長は生徒が周囲の注意を受け入れてライターをしまったのに「反省の色がみえない」と顔を3回平手打ちしていたとし、「警察官の行動としてふさわしくなかった」とコメントしながらも、生徒からの事情聴取が終わらない段階で「生徒がライターをもてあそんでいたため、巡査長が注意しようとして口論になったと思われる」と説明していました。
そして、この事件については「注意できる大人がいない中、きちんとしかるという行動は安心できる」「あまり厳しく処分しないで」など巡査長の行為をたたえる電話やメールが神奈川県警に殺到、約2000件にもなったといいます。
ところがその後、注意された高校生の母親から「報道は事実と違う」というクレームがあり、県警は担当記者を集めて当初の説明を変える異例の釈明を行いました。
「各紙によると、相鉄本線二俣川駅で停車中の普通電車内で拳銃型ライターを持って悪ふざけをしていた男子高校2年生(16)は、小磯巡査長ではなく、車掌から注意された。すると、高校生は、「分かりました」と従い、ライターをカバンにしまったという。小磯巡査長は、隣の車両からこの様子を見ていたが、車掌が去った後に高校生が友人と談笑しているのをみて「反省していない」と思い込んだ。
高校生が次の鶴ヶ峰駅で降り、改札を出て階段を下ると、小磯巡査長は、高校生の髪の毛とカバンをいきなりつかみながら路上に連れ出し、「カバンの中のものを出せ」と言って、顔を3回平手打ちにした。高校生は、「怖かったので口答えもしなかった」という。神奈川県警では、小磯巡査長は「注意したというより、因縁をつけて殴った状況」としている。
-中略-
高校生は、友人と2人で二俣川駅に停車中の電車に駆け込んできた。そして、友人が座席に寝転がり、高校生は扉付近でホームに向けて例の拳銃型ライターを構えていた。そこに、たまたま、車内巡回中の車掌が通りがかり、「止めて下さい」と声をかけた。高校生は、「すいませんでした」と車掌に謝り、ライターをバックにしまい、友人も起き上がった。特に口論などはなかったという。」(J-CASTニュースより)
高校生が乗っていた車両には、高校生2人以外には乗客はなく、ホームにもほとんど人影はなかったとか…。

この事件は、今の社会的状況をとてもよく映しています。
・公的機関の身内に甘い対応
・今の若者はマナーがなっていないという先入観
・マスコミ報道により形成される短絡的な世論
・悪事に対する報復的処罰の容認

J-CASTニュースの取材によれば、この高校生2人の行動で問題だったのは、「座席に寝転がったこと」「拳銃型ライターを構えて遊んでいた(持っていた)こと」の2点です。けれどもそれは2人以外には乗客がいない車両という特別な状況下で、しかも車掌の注意に素直に謝り、すぐに起き上がり、ライターをバッグにしまった行動を考えれば、むしろ今の高校生の中では、ある程度のモラルを持った高校生とも言えなくもない。この事件の本質は、高校生の行動ではなく、酔って絡んだ巡査長の行動であり、事情はどうあれ、何かの解決の手段として暴力を許すかどうかということです。
飲酒運転事故をきっかけに、最近、司法における厳罰化というのが大きな流れになっています。もちろん、私も飲酒運転にはもっと正しく法を適用すべきだと思いますが、法というのはちょっと使う方向を間違えると、正義と悪が入れ替わってしまうことにもなります。今回のこの事件も、酔った巡査長が暴力を振るったわけで、その点からすれば厳罰に処せられなくてはならないのは巡査長側ですが、事実を真っ直ぐに見ないと、高校生が悪くなってしまう。
いろいろな子どもがいるにせよ、基本的に、社会の中で子どもたちは弱者です。その子どもたちの行動を正確に見聞きしないで、何らかの処罰をすることはとても危険なことです。子どもに対し、常に大人は権力であるということを忘れずに、力によるしつけや教育は厳に慎まなくてはなりません。
子どもたちに対する教育が、単なる厳罰化の流れの中に埋没しないよう、子育て、教育の場は進んでいくといいのですが…。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第274回「携帯電話のリスク」

第185回(2005年11月)で、「携帯電話」を取り上げました。携帯電話の進化の速度は、きわめて速く、たった2年の間に、携帯電話が抱える問題の質も、大きく変わってきました。
第185回で取り上げたのは、“個対個”のコミュニケーション手段が集団としてのコミュニケーションを阻害するおそれがあるということでした。避けることのできない人間関係の中で、それぞれが“関わり合いの智恵”を絞ることで、築いてきたコミュニティー。そういったものが、携帯電話が生み出す“個対個”の人間関係によって破壊され、地域社会の存在が壊れようとしている。さらにそれが、引きこもりやニートという問題にもつながっている。というような内容でした。
ところが最近、携帯電話にまつわる問題は“個対個”のコミュニケーションの問題ではなく、ネット上に氾濫する様々な情報の取得あるいは情報の発信という問題になってきました。これまで、インターネットといえば、PCというのが一般的でしたが、最近では携帯電話(モバイルサイト)に取って代わられようとしています。インターネット上にホームページを持っている企業、店舗の多くはモバイルサイトにもページを持っています。うちですらカウンセリング、教育相談のモバイルサイトを持っていて、そのサイトから直接カウンセリングの予約ができるようになっています。
ここであらためて言うほどのことでもありませんが、モバイルの利点は、何と言っても双方向の情報のやり取りにあります。もちろんPCでも双方向の情報のやり取りは可能ですが、携帯電話はPCのように準備をして構えなくてはならないものと違い、常に持ち歩いていて、スタンバイ状態なので、情報が届いた瞬間にそれを確認することができます。しかも、その大きさから場所を問わず、どこでも簡単に使うことができるので、その情報のやり取りを秘密裏に行うことも簡単です。
9月2日朝日新聞朝刊に、携帯電話についてのアンケート結果が公表されていました。これは、朝日新聞の無料会員サイト「アスパラクラブ」が8月に行ったもので、10,936件の回答をもとにまとめたものだそうです。
それによると、はじめて携帯を持たせた年齢は、小学校入学前/1%、小学生/15.4%、中学生/24.6%、高校生になってから/38.3%、高校を卒業してから/20.8%(記事では小~中学生までは、学年ごとの統計になっています)。アンケート対象の年齢幅が広いため、かなり以前に子育てが終わった人の数字もカウントしていると思われ、そのために「高校生になってから」「高校を卒業してから」の割合が多くなっていると考えられます。もし、今小学生の子どもたちが成人したときにアンケートを実施したとしたら、「高校生になってから」「高校を卒業してから」の割合がかなり減るのではないかと思われます。年齢層を切ることによって、アンケートの数字はかなり違ってくるように思います。したがって、皆さんの感覚では、アンケートの数字よりかなり低年齢化が進んでいるという感覚ではないでしょうか。
子どもの携帯電話のメリット、デメリットの比較については、「メリットの方が大きいと感じている人」が41.6%、「デメリットの方が大きい」と感じている人が、26.9%、「わからない」が31.5%。この結果を見る限り、携帯電話に対する親の見方はかなり割れています。おそらく、親がどのように携帯電話を利用しているかによって、評価が割れていると思われます。
このアンケートで、私が最も注目したのは、「お子さんの携帯電話に“フィルタリング”をつけていますか?」という質問です。フィルタリング(携帯電話会社がオプションとして行っている有害サイトへのアクセス制限)がどの程度効果があるかについては、私は懐疑的(サイトとしての体裁をしていない有害な情報も氾濫しているから)な考えを持っていますが、「つけている」10.6%、「つけていない」58.6%、「わからない」17.9%、「フィルタリングについてよく知らない」12.9%という結果は、あまりにも無防備と言わざるを得ません。
私自身は、基本的な考え方として、子育て・教育における「制限」「規制」ということを好みませんので、もし今私に、小・中・高校生の子どもがいたとして、フィルタリングを利用するかと聞かれれば、答えは”ノー”です。が、それはあくまで、モバイルサイトの有害性(興味本位に走った誤った性情報や出会い系サイトなどの誘惑など)を理解した上での判断であって、有害サイトから子どもを守るには、それなりの知識を子どもに教える必要があります。それ無しに、子どもがモバイルサイトをすべて利用することは、大変リスキーなことです。けれども、アンケートの結果からすると、そこまでモバイルサイトの危険性を認識している人はそう多くはない。
山谷えり子氏が、首相補佐官に就任して以来、男女共同参画や性教育は大きく後退してしまい、学校ではほとんどまともなジェンダーに対する教育や性教育をしなくなってしまいました。ネット上に氾濫するいかがわしい性情報から、子どもたちを守る手段は、詰まるところ、正しい性の知識、性に対する感覚を子どもたちに、身につけてもらうしかありません。フィルタリングさえ、浸透しているとは言えない状況ですが、どんどん便利にそして危険になっていく携帯電話から、子どもたちを守り、さらにうまく利用していくためには、「フィルタリング」や「携帯電話の使い方」などという“規制”や“HOW TO” ばかりに頼るのではなく、子どもたちの持つ根本的な知識や意識から変えていく必要があるのはないでしょうか。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
10年以上前の内容なので、今では当てはまらない部分がほとんどかと思います。ここでいう“携帯電話”は、スマホではなく“ガラケイ”のことです。

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埼玉県の観光名所「ポピー・ハッピースクエア」

埼玉県には、けっこう日本一をうたった観光名所(いろいろな名所に行ってみると、この言い方はちょっと大げさな気もする)があります。

昨日は、仕事の帰りに少しだけ遠回りをして、埼玉県鴻巣市の「ポピー・ハッピースクエア」に寄ってきました。盛りをちょっと過ぎたところですかねえ (゚´Д`゚)

荒川河川敷へのゴミの不法投棄防止と「花のまちこうのす」をアピールする事を目的として、約125,000平方メートルの敷地に約3,000万本が栽培されている日本一広いポピー畑です。
 花の見頃となる5月には、市内外から多くの方が訪れる花の名所となっています。また、この花畑は「日本一の川幅」を誇る荒川の御成橋下に広がり、ここから望む富士山(富士見百景にも選定された)は絶景です。 鴻巣市のHPより)

 

ここを訪れるのは2回目で、とても綺麗でしたけれど、天気もいまいちだったこと、2度目ということもあり、感動が薄れた感じはします(笑)

雲間からちょっとだけ覗く夕日とポピーのコラボレーションは、充分感動に値しますけどね。

一部、ピンクの「ムギナデシコ」の畑もあります。

5月22日まで、「第12回こうのす花まつり」を開催しています。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第273回「習熟度別って効果ない?」

8月26日、朝日新聞朝刊に「習熟度分けても英語成績伸びず」との見出しで、全教・教研集会での和歌山県の県立高校教諭からの報告の記事が掲載されていました。
03,04年度に普通科2年生2クラス80人を対象に「英語Ⅱ」で上位2つと下位1つの3グループに分け、習熟度別授業を試みたそうです。全国模試の平均偏差値で見ると、03年度、04年度も大きな変化はなく、習熟度別の効果は確認できなかったとか。ちなみに04年度に行われた7,11,1月の3回の模試の結果は、上位が「48.7→48.0→47.7」、下位が「46.1→44.5→45.6」。
この結果を見る限り、7月より1月の方が模試の結果が悪いので、確かに習熟度の結果が出ていないようにも見えますが、標本が2クラス80名と少ないこと、そして習熟度別クラスとそうでないクラスの比較ではなく、習熟度別クラスの時間的経過だけが比較対象になっていることなどを考えれば、実際にはほとんど意味のない調査になってしまっていると言わざるを得ません。(新聞報道が、比較対象を時系列的偏差値のみに絞った可能性もあるので、すべてが無駄とは言えないのですが、新聞報道を読む限り、調査としてあるいは記事として、とても稚拙と言えると思います)
調査をした先生に、「効果がないのではないか」あるいは「効果があるはずがない」という考えがもともとあって、そういう結論を導き出すための調査であったのかなという気もしなくもないのですが。(あくまでも「報道の内容がすべて」という前提でですが)
とは言え、私も「習熟度別授業」を単純に支持するものではないので、「教師を増やした割には効果が見られなかった。同じレベルが集まると生徒は安心してしまい、成績の引き上げ効果が失われているようだ」という、この先生の後半部分のコメントにはある程度納得できます。塾をやっていた経験から言うと、短期間に特定の子の成績を上げようとすれば「習熟度別」というのは、絶対に必要です。「先に進む」あるいは「さらに難易度の高い問題をこなす」ということであれば、当然それについてこられない子どもたちは「足手まとい」になります。「足手まとい」になった子どもたちを切り捨てずに、なんとかしようとすれば、クラスを分けるしかない。一般的に言って、個別指導でない塾はそれを実践しているわけで、成績の順にクラス分けを行っています。塾の目的は、ただ単に少しでも多くの生徒の学力を、できる限り現状より良くすることが目的なので、上下の学力格差が広がり差別が助長され、ある程度の落ちこぼれが生まれようと、そんなことはお構いなしです。もっとも、経営上、低学力の子どもたちを切り捨ててしまっては「もったいない」ですから、簡単に切り捨てようとはせず、丁寧に面倒を見ているように装いますが…。
それを即公立の学校に当てはめてうまくいくかというと、そうはいきません。「習熟度別」に分けるということ自体、学力格差による「差別」という議論もあると思いますが、その後、分けることによって、さらに学力格差が広がってしまい、「差別を生む」ということをどうするのかというのが大きな問題です。
どうも日本人は、文化として、格差を広げることを好まない傾向があるように思います。今回の参議院選挙の結果を見ても、相次ぐ閣僚の不祥事や安倍さん個人のキャラクターの問題はあったにしても、やはり根本的にくすぶっていたのは、格差の問題です。置き去りにされた地方の氾濫というのは、もちろんありますが、都市部でも格差については、はっきり「ノー」です。
和歌山県の先生の言う「同じレベルが集まると生徒は安心してしまい、成績の引き上げ効果が失われているようだ」というコメントも、日本の文化として捉えた場合、とても良く理解でき、おそらくこれからも、それを打ち破るのは並大抵のことではないのではないかと感じます。単純に成績順に「習熟度別に分ける」ということではなく、もっと日本の風土にあった「新たな習熟度別」が必要なのかもしれません。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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