【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第275回「警察官の平手打ち」
事件そのものはたいした事件ではないのに、先週大きく取り上げられたのが、「警察官の平手打ち」事件です。
「神奈川県警大和署の巡査長(33)が拳銃の形をしたライターを持っていた高校2年の男子生徒(16)を平手打ちし傷害容疑で現行犯逮捕された」(毎日新聞)という事件ですが、県警監察官室の当初の発表は、巡査長は生徒が周囲の注意を受け入れてライターをしまったのに「反省の色がみえない」と顔を3回平手打ちしていたとし、「警察官の行動としてふさわしくなかった」とコメントしながらも、生徒からの事情聴取が終わらない段階で「生徒がライターをもてあそんでいたため、巡査長が注意しようとして口論になったと思われる」と説明していました。
そして、この事件については「注意できる大人がいない中、きちんとしかるという行動は安心できる」「あまり厳しく処分しないで」など巡査長の行為をたたえる電話やメールが神奈川県警に殺到、約2000件にもなったといいます。
ところがその後、注意された高校生の母親から「報道は事実と違う」というクレームがあり、県警は担当記者を集めて当初の説明を変える異例の釈明を行いました。
「各紙によると、相鉄本線二俣川駅で停車中の普通電車内で拳銃型ライターを持って悪ふざけをしていた男子高校2年生(16)は、小磯巡査長ではなく、車掌から注意された。すると、高校生は、「分かりました」と従い、ライターをカバンにしまったという。小磯巡査長は、隣の車両からこの様子を見ていたが、車掌が去った後に高校生が友人と談笑しているのをみて「反省していない」と思い込んだ。
高校生が次の鶴ヶ峰駅で降り、改札を出て階段を下ると、小磯巡査長は、高校生の髪の毛とカバンをいきなりつかみながら路上に連れ出し、「カバンの中のものを出せ」と言って、顔を3回平手打ちにした。高校生は、「怖かったので口答えもしなかった」という。神奈川県警では、小磯巡査長は「注意したというより、因縁をつけて殴った状況」としている。
-中略-
高校生は、友人と2人で二俣川駅に停車中の電車に駆け込んできた。そして、友人が座席に寝転がり、高校生は扉付近でホームに向けて例の拳銃型ライターを構えていた。そこに、たまたま、車内巡回中の車掌が通りがかり、「止めて下さい」と声をかけた。高校生は、「すいませんでした」と車掌に謝り、ライターをバックにしまい、友人も起き上がった。特に口論などはなかったという。」(J-CASTニュースより)
高校生が乗っていた車両には、高校生2人以外には乗客はなく、ホームにもほとんど人影はなかったとか…。
この事件は、今の社会的状況をとてもよく映しています。
・公的機関の身内に甘い対応
・今の若者はマナーがなっていないという先入観
・マスコミ報道により形成される短絡的な世論
・悪事に対する報復的処罰の容認
J-CASTニュースの取材によれば、この高校生2人の行動で問題だったのは、「座席に寝転がったこと」「拳銃型ライターを構えて遊んでいた(持っていた)こと」の2点です。けれどもそれは2人以外には乗客がいない車両という特別な状況下で、しかも車掌の注意に素直に謝り、すぐに起き上がり、ライターをバッグにしまった行動を考えれば、むしろ今の高校生の中では、ある程度のモラルを持った高校生とも言えなくもない。この事件の本質は、高校生の行動ではなく、酔って絡んだ巡査長の行動であり、事情はどうあれ、何かの解決の手段として暴力を許すかどうかということです。
飲酒運転事故をきっかけに、最近、司法における厳罰化というのが大きな流れになっています。もちろん、私も飲酒運転にはもっと正しく法を適用すべきだと思いますが、法というのはちょっと使う方向を間違えると、正義と悪が入れ替わってしまうことにもなります。今回のこの事件も、酔った巡査長が暴力を振るったわけで、その点からすれば厳罰に処せられなくてはならないのは巡査長側ですが、事実を真っ直ぐに見ないと、高校生が悪くなってしまう。
いろいろな子どもがいるにせよ、基本的に、社会の中で子どもたちは弱者です。その子どもたちの行動を正確に見聞きしないで、何らかの処罰をすることはとても危険なことです。子どもに対し、常に大人は権力であるということを忘れずに、力によるしつけや教育は厳に慎まなくてはなりません。
子どもたちに対する教育が、単なる厳罰化の流れの中に埋没しないよう、子育て、教育の場は進んでいくといいのですが…。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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