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2022年4月29日 (金)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第258回「花を愛する心、虫を愛する心」

先日、車で出かけたときのこと。
赤信号で停車すると、ちょうど止まったところのお宅のフェンスに、プランターがたくさんかけてありました。
「ここのお宅って、季節に合わせていつもいろいろな花が飾ってあるよなあ」
けっこう頻繁に通る道なので、花が飾ってあるのを知らなかったわけではありませんが、信号が青だとスーッと通過してしまうだけなので、この日のようにちょうど赤信号で花の前で止まったりしない限り、なかなか花が飾ってあるということに意識がいきません。けれども、かけてあるプランターの数も一つ二つではないので、花が飾ってあるということに意識がいきさえすれば、
「へえ、きれいだなあ」
「ずいぶんたくさん花が飾ってあるなあ」
というふうに、花にかなり強い印象を受けます。
この日はしっかりと花に意識がいったので、かなり丁寧に一つ一つのプランターを眺めることに。
すると、プランターに貼り紙がしてあることに気付きました。
『花を持っていかないでください。ここの花を勝手に持っていくのは犯罪です』
と書いてあります。たくさんかけてあるプランターのきれいな花たちとは、似つかわしくない言葉です。「きれいだなあ」という感情が急に萎えて、しらけた気分になってしまいました。
「なんでこんな貼り紙するんだろう? せっかく花を飾ってるんだから、こんな貼り紙やめればいいのに…」
一旦はそういう感情が湧いてきて、そのお宅のことを非難するような気持ちになったのですが、その貼り紙をするまでのそのお宅の苦悩というか、苦労というか、そういったものが少なからず見えてきて、今度は花を持っていってしまう「花泥棒」に対する憤りを強く感じるようになりました。

陶芸教室で会員の皆さんとお茶を飲んでいるとき、「門の前に飾った鉢植えの花が3回も持っていかれてしまった」という話が出たことがありました。
「1回ならともかく、2回も3回もなくなるってことはね、ただの通りすがりの人っていうより、近くに住んでる人だと思うのよね。まったく許せない! 人の心っていったいどうなっちゃったんでしょう。盗んだ花を自分の家に飾って、気分いいわけないと思うんだけど。いったいどういう気持ちなんだろっ!」
「私も持っていかれたことあるよ。それもプランター。どうやって持っていっちゃうのかしらねえ。まさか歩きの人じゃないでしょ、あんなもん持って歩けないもん。車のトランクにでも乗せてっちゃうのかしらねえ。それも昼間なんだから、びっくり!」

ゴールデンウィークの見沼自然公園でのこと。
広い公園を、ずっと奥の方まで散歩していくと、演歌が流れてきました。
「なんでこんな公園で演歌なんか流してるんだろ? なんか全然合ってないよね」
もっと奥まで歩いていくとその音量は、どんどん大きくなっていきます。演歌の流れてくる方向に目をやると、どうも公園の敷地の中ではなく、公園に隣接している洋ラン販売のハウスから聞こえてきます。その音量といったら半端じゃない。話をするのにも不自由を感じるくらいの騒音。よく見ると、大きなスピーカーが二つ、しっかりと公園の方に向けられています。公園に来た人に注目をしてもらうための宣伝のつもりらしいのです。
「こんな大きな音で、しかも演歌なんて流して、宣伝になると思ってるのかねえ?」
「洋ラン」というイメージからはほど遠いその雰囲気に驚くと同時に、「花を育て、花を飾るという心」はどこに行ってしまったんだろうと思いました。
公園をさらに奥まで行くと、今度は5、6人で夢中になって土を掘り返している家族を見かけました。おおよそ20坪くらいの広さが掘り起こされていたでしょうか。それぞれの手に園芸用のスコップを持って、どんどん掘り起こしているので、最初何をしているのかわかりませんでしたが、どうやらカブトの幼虫を採っているようなのです。しかも、一番夢中になって掘っているのは子どもではなく、お父さんとお母さん。公園という公共の場所で、果たして許される行為なのか/…。そんなことまったく考えていないんでしょうね。
大人が子どもたちに伝えなくてはならないのは、「花がある」「カブトを飼っている」という単純な「状態」ではなく、「花やカブトを飼ったときの安らかな心」であったり、「自然を愛する心」であったりするはずなのに、そういった心はすっかりどこかに行ってしまって、残ったものは人の傲慢な欲だけになってしまったように感じました。

教育再生に一番必要なのは、競争心を煽ることでも、大人から子どもへのしつけでも、ましてや国家から国民への価値観の押しつけでもなく、「人としての優しさ」の大切さを子どもたちに伝えることです。無駄な税金を使って「子守歌を聞かせ、母乳で育児」などという笑っちゃうような提言を国民に押しつける前に、大人が「人としての優しさ」を取り戻せるよう、政策らしい政策を打ち出してもらいたいものです。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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