【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第272回「不登校、再び増加に転じる! 後編」
うちの陶芸教室にも、不登校の子どもたちが何人か通ってきていました。一つは陶芸というものが作業として不登校の子どもたちにも受け入れられ易いこと、もう一つは教室に通ってきている他の会員の皆さん(不登校の子どもたちが訪れる時間帯というのは、ほとんど主婦を中心とした50代後半から上の方たちが中心ですが)が、不登校児というものを意識せず、差別することなく受け入れていること。そんな理由から不登校の子どもたちも居心地がいい(というよりは、他のところよりは居心地が悪くないといったくらいかもしれません)のだろうと思います。
カウンセリングや教育相談といった、カウンセリング研究所における不登校についての直接的な関わりではないので、うちの陶芸教室としては、他の会員の皆さんと同じようなサービスを提供し、それがその子に合えば通ってくるし、合わなければやめていくという単純なことで接するようにしています。もちろんスタッフは陶芸を教えることはできますが、教育やカウンセリングのプロではありませんので、そういう意味ではおそらく扱いは雑です。「不登校児」という扱いではなく、「やや若い陶芸教室の会員さん」という扱いです。日常的に「不登校」であるということを意識し、あるいは意識させられている子どもたちにとっては、陶芸教室にいる時間は「不登校」から意識が離れられるほんのわずかな時間なのかもしれません。おそらくそれが「居心地が悪くない」という状況を作り出しているのだろうと思います。
入会時にあまりプライベートなことには触れませんので、スタッフは不登校かどうかも詳しくは知りません。ただ、なんとなく隠しているようになってしまうのは本人にとっても苦痛でしょうから、私は率直に「学校、行ってないの?」と聞いてしまいます。学校に行けるようになることが目標ではなく、うちとしては陶芸を長く続けてくれさえすればいいことなので、「不登校である」ということを開示してしまってくれれば、こそこそして居心地が悪くなることもないので、率直に聞いてしまった方がいいかなあと考えているわけです。私としては、「いつ続かなくなっちゃうだろう」と常に心配をしているわけですが、そういう事情ではない一般の会員さんより、むしろ定着率がいいようなくらいで、中学校で不登校になった女の子や高校で不登校になった男の子たちが、就職が決まり仕事を始めるまで通ってくる例も少なくありません。まあ、週に1~2回程度ですから、学校に比べればはるかに負担が軽いわけで、そういったことも影響しているんだろうとは思いますが…。
前回も少し触れましたが、不登校が問題として取り上げられ始めたころというのは、「子どもは悪くない」という発想から、子どもたちに対する学校の対応の悪さも指摘され、子どもを救う場所、その子の持っている個性を大切にする場所として、各地に多くのフリースクールができました。これは、子ども自身の持つ内面的な要因は認めながらも、学校の状況や対応の悪さに直接的原因を求め、その原因を取り除くことで、子どもの心を救おうとしたものでした。居場所がないことを実感している子どもたちにとってフリースクールは、自分たちの居場所としての存在を示し、ある一定の大きな成果を生みます。そして、今もそこに通っている子どもたちにとって、大きな存在になっていることは確かです。
けれども、最近の不登校事情を見ると、それだけでは対応できないような不登校が増えているように感じます。
26、7年前、学校が荒れたことがありました。うちの子どもたちの通っていた中学校でも掃除の時間中に「窓から火のついた雑巾が降ってきた」というようなことがありました。暴力がはびこり、授業は成り立たず、当然のことながら不登校も増えました。大きな原因の一つに「管理教育」があったことは間違いありません。その頃、「大学のような高校を作ればいい」(今の単位制高校のような)というのが私の持論で、実際に県から学校設立に関する膨大な資料を取り寄せたりもしました。まだ規制が厳しい時代で、資金繰りにめどが立たず断念するのですが、その数年後、伊奈に公立の単位制高校が開校しました。当時とすると画期的な発想で、荒れた教育に対する救世主的な存在でした。不登校対策というよりは、むしろ中途退学や“やる気”に対する対応策という要素が大きかったと思います。そして、その後規制緩和がどんどん進み、単位制の高校が開校しやすくなりました。私はそれが、不登校に対する考え方を変えなければいけない転機に結びついたのだろうと考えています。
もちろん、その後も「居場所のない子どもたち」は増え続けます。それに対して、多種多様な形態、内容の学校も増えていきました。そしてそこへ少子化の波。当然のことながら、学校間で子どもの取り合いが始まります。その結果、学校が子どもにこびる結果となった。
「ここの学校が嫌ならこっちの学校、こっちの学校が嫌ならあっちの学校」というように、決められた場所に適応しようとせず、今の自分を受け入れてくれるところを探すという状況が生まれます。それは、ある部分では正しいのですが、ある部分では子どものわがままを助長することになります。そこへよく言われる「80年代」世代の子どもたちが、学校に通い出し…。
これからの不登校対策は、以前のような「子どもの居場所」作りではなく、ある一定の閉ざされた(閉じた)場所で、子どもたちがいかに人間関係を築けるよう育てていくかにかかっているんだろうと思います。
県も親を教育することに力を入れはじめたようですが、県のやっていることはどうも復古的過ぎる。社会構造が多様化しているにもかかわらず、父親、母親の役割を限定的に捉え、「昔の親子関係に戻す」的な発想で、進めようとしているように感じます。とは言え、親子関係を見直すことが必要な時期にきているというのは、私も感じていることで、今後の不登校対策は親子関係をどう構築していくのかにかかっていると思います。
親子関係の作り方も、陶芸教室に通ってきた不登校の子どもたちの様子の中に、ヒントがあるような気がするのですが…。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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