« 2022年2月 | トップページ | 2022年4月 »

2022年3月

2022年3月21日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第256回「選挙」

「今日ね、ダイアモンドシティに行ったら、あそこの川のところでKさんが選挙カー止めて演説してたよ。だからね、車の中から手を振ってあげたら、“お車の中からのご声援、ありがとうございます”って言われた」
「あれっ、おまえ、直接知らないんだっけ? 降りていって声かけてあげれば喜ぶのに。“大関の娘です”って言えばわかるだろっ」
「だって、川の反対側で、こっちとあっちだったんだもん」
「そうかぁ。じゃあしょうがないな」

Kさんと初めて会ったのは、旧浦和で市会議員をしていたAさんが中心となって開いた環境保全の市民運動の会でした。そしてその後、たびたびAさんの事務所で顔を合わせるようになりました。妻が、浦和市立南高校で長年教師をしていたことや浦和市立三室小学校でPTA会長をしたとき、かなりマスコミから注目されたこともあり、Aさんの会では、妻も私もよく意見を聞かれたり、話をしたりすることが多かったので、Kさんは私たちのことをよく知ってはいたようでしたが、私たちはと言えば、あまり自分から口を開かないKさんのことは、顔を知っているという程度で、視線が合えば軽く会釈くらいはしますが、それ以上の関係でもなく、話をしたこともありませんでした。
今考えれば、Kさんは川口在住だったので、浦和のAさんの会では一歩引いていたということだったんでしょうね。
私にとって、Kさんの存在がクローズアップされたのは、突然私の地域の小学校のPTA会長になったときでした。私は、すでに真(まこと)、麻耶(まや)が在校中にPTA会長をしていたのですが、Kさんの存在はまったく知らず、KさんがPTA会長になったとき初めて、「ああ、あの人、Aさんのところでよく見かけた人だ! 同じ地域に住んでたんだぁ」というような具合でした。
翔(かける)の学年で再びPTAの役員をやることになり、その後何年間か、K・PTA会長の下、私は学年委員長をやらせてもらいました。Aさんのところで、よく顔を合わせていたとはいえ、実際に具体的な活動をやってみると、考え方ややり方にかなり違いがあり、ぶつかることもしばしばでした。そしてKさんは市会議員に。当選後もPTA会長を続け、お子さんの卒業後、再び私がPTA会長を引き受けることになりました。
Kさんとの関係は、それにとどまらず、なんと今度は息子さんが妻の教え子に。妻の元の職場も含め、狭い地域に住んでいるので、麻耶の担任だった先生の息子さんが妻の教え子になったり、私がPTA会長をしていたときの副会長や専門部長のお子さんが妻の教え子になったりと、よくあることではあるのですが、ちょっとビックリしました。
ところが、昨年、妻の教え子であったKさんの息子さんが、交通事故で亡くなってしまったのです。今回の選挙は、その息子さんの一周忌前。先日、ポストに入っていたKさんの出陣式のお知らせには、「息子さんの死」についての心境も語られていました。
金曜の朝、選挙事務所に陣中見舞いに行き、Kさんご夫妻と話をしていると、やはり一緒にPTAで役員をやっていたSさんがやってきました。手には、Kさんの出陣式のチラシを握っています。
「犬の散歩してたらさぁ、こんなのが小学校の前の掲示板のポスターの上に貼ってあったから剥がしてきた」
チラシには、赤いマジックで書き込みがしてあります。文章の細かい部分にいちいち文句が書いてあり、息子さんについて触れた部分には、「選挙の具にするな!」というような書き込みがしてありました。確かに一つの主張として、言っていることもわからなくはないですが、「こんな書き込みをして、わざわざ掲示板のポスターの上に貼るかなあ」という感じ。1丁目、2丁目しかない本当に小さな地域ですから、町会の広報誌にKさんの息子さんが亡くなったことは載っていました。Kさんの市会議員という立場からすれば、町会内では周知の事実。Kさんは、「字を見れば、誰だかわかるんですよ」とは言っていましたが、まだ癒えない息子さんのことに触れられたのには、やや参った様子でした。
選挙で誰を推すかは、それぞれの考え方もあるので、違うのは当然。けれども、地方選挙での誹謗中傷のやり合いは、溝を作るだけで何も生まれません。
かなり昔のことですが、旧浦和市のある学校では、PTA会長が保守系の市会議員、副会長が共産党の市会議員ということがあったり、PTA会長選が市議選の前哨戦になるというようなことがありました。PTAを政治に利用するのも「いかがなものか」(もちろんどこのPTA会則にも政治的中立を謳った文言があると思います)と思いますが、どちらを指示するということではなく、政治的意識が必要なこともまた確かです。政治的に相容れない部分はあるでしょうが、思想信条の違いだけがクローズアップされ、誹謗中傷のやり合いから、教育現場の混乱や不信感を増大させるのではなく、違いを認め合い、違いを越えた部分で地域の教育を進めたいものです。
朝9時ごろ、孫の蓮(れん)を連れて、選挙に行ってきました。投票用紙に名前を書き、投票箱に入れた瞬間、蓮が小さな声で、
「捨てちゃうの?」
と聞きました。私は思わず「ぷっ」と吹き出してしまいましたが、蓮の言葉に「確かに!」とえらく納得がいきました。立会人の皆さんは、いつも地域の集まりでご一緒させていただいていた方々なので、大声で笑うわけにもいかず、私の顔を見てニコニコしています。一応説明はしましたが、蓮は投票所を出るまで、ずっといぶかしげな表情を浮かべていました。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第255回「代理出産」

最近の出産医療の現場にはとても強い懸念を持っています。
大きく取り上げられるようになったのは、やはり高田延彦、向井亜紀夫妻の代理出産の件からだと思います。
つい先日も、最高裁判決がありました。
「タレントの向井亜紀さん(42)夫妻が米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子の男児(3)について、夫妻を両親とする出生届けを東京都品川区が受理しなかったことの是非が問われた裁判で、最高裁第2小法廷は23日、受理を区に命じた東京高裁決定を破棄し、出生届受理は認められないとする決定をした。
 古田佑紀裁判長は「現行の民法では、出生した子の母は懐胎・出産した女性と解さざるを得ず、代理出産で卵子を提供した女性との間に母子関係は認められない」とする初判断を示した。向井さん夫妻側の敗訴が確定した。(3月24日 読売新聞)

もう少し最高裁判決を詳しく見てみると、
「実親子関係は,身分関係の中でも最も基本的なものであり,様々な社会生活上の関係における基礎となるものであって,単に私人間の問題にとどまらず,公益に深くかかわる事柄であり,子の福祉にも重大な影響を及ぼすものであるから,どのような者の間に実親子関係の成立を認めるかは,その国における身分法秩序の根幹をなす基本原則ないし基本理念にかかわるものであり,実親子関係を定める基準は一義的に明確なものでなければならず,かつ,実親子関係の存否はその基準によって一律に決せられるべきものである。したがって,我が国の身分法秩序を定めた民法は,同法に定める場合に限って実親子関係を認め,それ以外の場合は実親子関係の成立を認めない趣旨であると解すべきである。以上からすれば,民法が実親子関係を認めていない者の間にその成立を認める内容の外国裁判所の裁判は,我が国の法秩序の基本原則ないし基本理念と相いれないものであり,民訴法118条3号にいう公の秩序に反するといわなければならない。」
と述べています。
最高裁判所としては、「単に私人間の問題にとどまらず,公益に深くかかわる事柄であり,子の福祉にも重大な影響を及ぼすものである」ということが大変重要なわけで、大変良識的な判決であったと思います。
私のように子どもがいたり、孫がいたりするような者には、不妊の問題を語るのは大変難しいのですが、生殖医療の問題も含め、強く懸念しているのは、代理出産や生殖医療が、大きくお金と関わっていること、子どもができるということばかりが前面に出て、危険を伴うことだという報道が非常に少ないこと、子どもができないということがまるで犯罪被害者や交通事故の被害者のように「かわいそう」といった悲劇のヒロインに祭り上げられている(今は「かわいそうな女性」となっていますが、これが行き過ぎると「子どもを産めない女は女ではない」となりかねないと心配しています。1月の「女性は産む機械」という柳沢発言などとも重なって…)ことなどです。
最近の生殖医療の報道を見ていると、産む側あるいは親になる側の権利というか選択というか、そういうことを大きく報じ、「かわいそうだから救ってあげよう」という雰囲気を必要以上に演出しているように感じます。もちろん報道にだけ言えることではなく、世論の方向もそちらに傾きかけている。けれども、子どもが生まれ育つということの中心は、子どもであって、親の満足ではないはず。どうもそこの根幹部分が抜け落ちて、まるでペットを飼うとか、ぬいぐるみや人形をかわいがるというような感覚で、子どものことが語られているようにさえ感じます。
昨日(15日)、「体外受精による妊娠は妊娠異常が多い」という報道がありました。産婦人科学会でもさまざまな意見がある中、何が正確で、何が公平な発表・報道なのかということも、われわれには判断しにくい部分はありますが、単純に感情に惑わされることなく、子育ての本質を忘れないようにしたいものだと思います。
やはり、出産・子育ての主役は親ではなく、あくまで子どもなのですから。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第254回「砂場の檻」

4月8日(日)は、統一地方選。私の住んでいる川口市では、埼玉県議会議員選挙が実施されました。投票所は、子どもたちが通った小学校の隣にある公民館。
小学校と公民館の敷地は、小さな鉄の扉でつながっていて、行き来は自由。公民館で何か行事が開催され、子どもたちが公民館に集まっているときなどは、その小さな扉を行ったり来たりしながら、子どもたちは遊んでいました。
「蓮、沙羅。おまえたちも、一緒に選挙に行く?」
「うん!」
いよいよ来年の4月には、孫の蓮も小学生。最近、小学校に強い関心を示すので、「選挙にでも連れて行きがてら、小学校も見せてやろうかな」などと老婆心を働かせ、一緒に公民館まで連れて行くことになりました。
投票が終わって、投票所になっているホールを出たあと、公民館の庭から小さな鉄の扉を通って、小学校の校庭に入ってみました。扉を入ったところは、プールになっていて、フェンス越しにプールに貯めてある水も見えます。
蓮、沙羅の母親の麻耶は、
「懐かしいなあ。ママはこのプールに入ったんだよ」
と、蓮と沙羅に話しかけます。少し前からスイミングスクールに通い始めた蓮と沙羅は、最近ではなんとか水に顔をつけられるようになり、ほんのちょっとだけ自信が付いたらしく、
「このプール入りたい!」
「蓮くん、このプールに入りたいんだぁ?」
「うん!」
「そうかぁ。今は入れないけど、来年は、蓮くんも小学生だから、来年の夏は、このプールに入れるよ。沙羅ちゃんも、その次の年には入れるからね」
「うん!」
「さて、来た道を帰るんじゃあおもしろくないから、こっちの道から帰る?」
と私が言ったときには、蓮はもうすでに来た道をどんどん戻りはじめていました。
「私と自転車で買い物に来るときは、いつも行きも帰りも今来た道を通るんだよ。だから、蓮は、他の道で帰れるって知らないんじゃないかなあ? ほら、来年ね、通学路をよく知ってる方がいいかなって。だから、いつも同じ道を通ることにしてるんだよ」と麻耶が言いました。
「ああ、そういうことね。じゃあいいよ、来た道を帰れば」
小学校の正門の前を右に曲がると、あとはわが家のマンションまで真っ直ぐです。
蓮は、私たちよりもはるか前を、どんどん家に向かって歩いています。
「蓮くーん! パンダ公園で少し遊んでいこうか?」
妻が前を行く蓮に声をかけました。
「うーん!」
元気な返事が返ってきました。
小学校の正門の前にあるパンダ公園には、おじいさんが3人、子どもが3人遊んでいました。おじいさんたちは、ゲートボールの練習をしています。子どもたちは、自転車にまたがり、話をしていました。公園の入り口の正面には、大人の腰くらいの高さに焦茶色のフェンスで囲んだたたみ2畳分ほどの場所がありました。久しぶりにパンダ公園に来た私は、その囲いを初めて見ました。
『ペットの糞害から守るため、フェンスをしてあります。中に入ったとき、外に出たときは、入り口を閉めてください』
とあります。
中に入った沙羅が、
「じいちゃん、お山作ろう!」
と言いました。幼稚園のお迎えに行ったとき、幼稚園の近くの公園で、よく一緒に「お山」を作ります。沙羅は、それと同じように、私と一緒に「お山」を作ろうとしたのですが、とても私が一緒に入って「お山」を作るスペースはありません。
「じいちゃんも作りたいけど、じいちゃん入るには、ちょっと狭いんだよ、沙羅ちゃん」
沙羅が「お山」を作るしばらくの間、動物園で動物をフェンス越しに見るように、沙羅を眺めていました。
孫と一緒に家を出、投票をし、公園に来るまでの間、とても温かい心でいたのですが、フェンスの中にいる沙羅の姿を見たとたん、まるで大きな氷を飲み込んだときのように、私の体の中をとても冷たいものが上から下へと広がっていくのがわかりました。
「夕方になると、犬を連れてきて、放す人がいるんだよ。そりゃあ、確かに大きな犬じゃないよ。それに飼い主は、噛まないと思ってるんだろうけど、小さい子どもたちは、遊べなくなっちゃうんだよ。噛まないまでも、小さい子に飛びつくことだってあるし…」
沙羅は、とっても楽しそうに「お山」を作って、フェンスから出てきました。
蓮は、ブランコに乗っています。
「じぃーちゃーん! ほらっ、一人でこげるようになったんだよぉ!」
大きく揺れるブランコの上で、蓮は得意そうに笑っていました。
我が家のあるマンションの前まで来ると、蓮と沙羅が言いました。
「じいちゃん、またパンダ公園、行こうね!」
「うん、行こうね」
私は、答えました。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第253回「日本の親と中国・韓国の親 その3」

さて、3回目でやっと各論まで行き着きました。
「その1」でも述べたとおり、産経新聞の意図は、「日本の子どもたちは親のしつけがなっていなくて、子どもたちの中にいじめを容認する風土がある」っていうことですよね。もちろんそれは、日本青少年研究所の調査の意図ともつながるわけです。
「日本の小学生は中国や韓国に比べて家庭で注意を受ける割合が際立って低い」「家庭での教育力の低さが浮き彫りになっている」「最近の日本の親は、親と子は別個の存在と考える米国型の価値観に変化してきているため、子供に注意をしないのではないか」「「先生・親の言うことをよく聞きなさい」とよく言われる子供は2割前後で、両国の半分。先生と親の権威低下がうかがえた」などなど、日本は子どもを甘やかしている、と…。
私は、必ずしもそうは言えないと思うんです。注目する質問の項目がどこかということ、加えてその結果をどう見るかということで、それに対する評価が違ってきます。典型は「先生・親の言うことをよく聞きなさい」なんていう項目ですよね。「注意を受ける割合」ということを考えると、文化の違いによる「善」と「悪」の価値観はどうか、そしてその価値観に照らして「子どもたちは注意を受けるようなことをしているのか」が問題になります。まあ、ちょっと皮肉った言い方をすれば、「日本の子どもは、先生からも、親からも注意をされないくらい、いい子なのかもしれない」ということだって言えるわけでしょ。もっとも、「全体的な回答を見て判断しているんだ」といわれるかもしれませんが…。
ここで、調査項目をすべて挙げるわけにはいかないけれど、私はこの調査の結果わかったことは「中国」vs「日本・韓国」という構図だと思います。かたや今まさに経済発展をしようとしている超大国、かたや発展がある程度なされて持続的発展をどうするかという段階の、国土の小さな国という構図ですから、そういう区分けになることは当然です。
とはいえ、それも文化の違いや現在置かれている政治的状況等に埋没して、確実に言えることではないように感じますが。
教育や子育ての根底に儒教的精神が共通して流れている、日・中・韓だけを比べようというところから、すでに世界標準ということにはまったく当てはまらない、つまらない調査なわけです。もし世界的な基準で考えるとすれば、少なくとも、ヨーロッパ、北米、南米、アジア、アフリカというような比較がまずあるべきで、どうしても日・中・韓で比較をしたいのなら、それをふまえてその後に、儒教的精神に基づいた日・中・韓があるべきなんでしょうね。誰だって、今の中国の教育が厳しい国家管理の中に置かれていると感じているのではないでしょうか。今まさに、大きな経済発展を成し遂げようとしている国ということを考えれば、ある意味当然なことです。そこに、日本の教育を戻そうとしている意図が強く感じられますよね。教育の参入への規制は緩和しつつ、教育の中身への関与は強くしていこうという政府の意図までが見え見えです。教育基本法の改正や、つい先日、報道された「道徳」の教科への格上げ問題など、こういう調査に対する発表が、布石になっているわけですね。
さて具体的に調査の結果で私がおもしろいと思ったのは、「朝、洗顔をする」という問いに、「いつもする」という回答が、日本・66.9%に対し、中国・92.8%、韓国・93.7%。ところが、「その1」でもあげましたが、「朝ごはんを食べる」との問いに「いつもする」は、日本・86.3%、中国・84.7%、韓国・62.5%。単純に生活習慣と捉えていることが意外にそうでもない。
日本では、「朝食抜き」の問題が、学力低下の原因の一つとして取り上げられることがよくあります。ところが、この数字を見ると、日本が一番朝食を摂っているわけで、韓国では3分の1以上の子どもが「朝食抜き」ということになる。これを見る限りでは、「日本の子どもの学力が落ちている」ということと、「朝食抜き」は学力低下の原因というのは、矛盾してますよね。しかも「朝食抜き」の原因は、「朝食さえ作らない最近の母親」という問題になっている。
帰宅時間もおもしろい。韓国は15時前が51.4%、15時~16時が33.3%、日本は15時~16時が51.8%、16時~17時が37.0%、中国は16時~17時が44.0%、17時~18時が20.5%。この結果からすると、学校での授業時間が短いという最近の学校教育に対する批判が、必ずしも当たっていないことになる。もっとも、帰宅の時間は質問項目にあるのに、登校の時間はないのですが。
学校への遅刻についても、かなり開きがあります。日本と中国は、「全くない」が過半数なのに、韓国では、「たまにある」「ほとんどない」「全くない」で3分されています。
家庭での生活で興味深いのは、男女の役割。
家事は、日本・韓国で、ほとんど母親の負担であるのにもかかわらず、中国では「ほとんど母親」という回答は、家事のすべてにおいて約半数。どうしてこういうところを産経新聞は取り上げないんですかねえ。これは、家庭での生活を端的に表していると思うんですが。
項目数が多すぎて、すべてを取り上げるわけにはいきませんが、どこを見るかでずいぶん印象が違うもんですよね。
私は、この調査ではっきり言えることはあまりないと思いますが、強いて私流に解釈すれば、国家的な管理の中に置かれている中国に対し、もっとも自由なのが韓国。日本はというと、学校の管理が家庭にまで入り込んでいる部分があること(最近ではさらにそれを推し進めようとしているわけですが)、中国・韓国に比べて、資本主義が成熟していて、消費志向が強いということは言えるのではないかと思います。この結果から、直ちに母親や教師を批判することは到底無理。むしろ、批判されるべきは、教育や子育てにまで入り込んでいる国家の管理や子どもの心を無視した利益優先の財界主導の教育改革だと思うのですが、もしお時間があったら、すべての調査項目に目を通し、皆さんなりの判断をしてみてはいかがでしょうか。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第252回「日本の親と中国・韓国の親 その2」

さて、前回の調査です。
「日本青少年研究所」は、1975年設立の団体で、青少年の意識調査、国際交流、さまざまなコンクールなどを行っています。所長は教育畑の出身の方ではなく、検事出身の千石保氏で、設立時から現在まで、ずっと所長を務めています。大変多くの大企業から協賛を受けており、これまでの調査でも、客観的とは言えないような、かなり大企業に都合のいい調査結果を発表してきています。
日本青少年研究所が調査の目的を発表していますので、ちょっと長くなりますが、ご紹介します。
「中国の北京、韓国のソウル、それに日本の東京は、3ヶ国の首都である。それぞれの小学4・5・6年生を対象にする調査は、これまでに実施されたことはない。
北京の子どもたちは、勉強漬けで大変な毎日を送っている、と伝え聞く。またソウルの子どもたちも、日本以上に激しい受験勉強を戦っているという。なにしろ、親の厳しさは、とても日本の比ではないとも言われている。
もっとも日本の小学生たちも例外ではないらしい。小学生たちは、とても忙しいといわれている。子どもが忙しいとは、どんなことなのか、大人にはよく分からないものがある。子どもの忙しさは、なんとなく勉強をめぐってのことと想像できるものの、不透明である。
次の時代を引き継ぐ子どもたちの日常生活を掴んでおくことは、大人たちの責任だろう。やがてどんな社会になるのか、どんな子どもに育てるかは、基本的な生活習慣がはっきりしないため、調査する必要がある。
子どもたちは、大きくなったら、どんな人間になりたいと思っているのか。仲好しの友達がいるのか。学校外ではどれほど勉強しているのか。放課後や休み時間は何をしているのか。
日本では、親と先生の権威がとても低下したといわれている。親と先生の関係はどうなのか。頑張ろうという気持ちがどれほどあるのか。物事に対する「やる気」はどうなのか。親のしつけは、時代とともに変わっているのか。しつけの理念というものがあるのだろうか。食べるのに困らない時代のしつけは、どんな目的があるのか。
こういったことを想像してみると、不透明さが次第にふくらんでくる。
まず、生活習慣の調査からはじめねばならない。起床時間、就寝時間、食事や生活習慣、親のしつけ、家事の手伝いなど子どもたちの日常生活の実態を把握するのはこの調査の目的である。」
これを読んだとき、ちょっと私の中に驚きが広がりました。
「この日本青少年研究所というのは、民? それとも官?」というような驚きです。前回、ご紹介した産経新聞の記事を読んだとき、財団法人としか冠が付いていないので、民間の研究機関かなあとは思ったのですが、産経新聞の記事の書きっぷり(「調査報告書で分かった」とか「家庭での教育力の低さが浮き彫りになっている」)から、民間だとしても当然何か学術的に調査をしているところなんだろうと想像しました。
ところが、この目的を読んでみると、なんだか最初から前提があるように感じる。小さな規模ではありますけれど、私も何度かアンケートを採ろうと思って、アンケートの案を作ったことがあります。一番気をつけるのは、自分が描いた目標に対し「誰に対して、どのような内容のアンケートを実施したら、より正確な結果が得られるか」ということです。そのあと、アンケートの結果をふまえ何かをやろうとすればなおさらのこと、内容を丁寧に精査します。
ところが、今回の日本青少年研究所の調査は、どうもその辺から、乱暴に見える。冒頭の「中国の北京、韓国のソウル、それに日本の東京は、3ヶ国の首都である。それぞれの小学4・5・6年生を対象にする調査は、これまでに実施されたことはない」というあたり、子どもの生活を比較するのに、なぜ中国、韓国、日本なのかが見えてこないし、あたかも国際的な比較のような雰囲気を醸し出してはいるのに、それぞれの首都の子どもたちを選んだことが、どうしてその国を代表する一般的な子どもたちを選んだことになるのかの説明もない。この目的だけを読んだだけでは、わかりにくいかもしれませんが、研究所の「最近の日本の親は、親と子は別個の存在と考える米国型の価値観に変化してきているため、子供に注意をしないのではないか」というコメントと合わせて読むと、疑問がふくらみます。米国の子どもが標本にないにもかかわらず、「日本の親は米国型価値観」と決めつけている。
また、今回の調査は、昔のデータは含まれないのに「日本では、親と先生の権威がとても低下したといわれている」「親のしつけは、時代とともに変わっているのか」と時代の流れにより変化したという日本の状況だけを取り上げ強調することで、中国、韓国に比べ、日本は「親と教師の権威の低下している」「しつけがあまい」ということを引き出そうという意図が見えます。
こんなふうに子どもたちに対する調査が進められていて、それがいかにも客観的事実であるかのようにマスコミを通して報道されている現実に、驚くとともに怖さを感じました。

前提をきっちり把握してもらいたくて、またまた、引用が長くなり、具体的内容まで入れませんでした。
次回こそ、内容を細かく見ていきます。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第251回「日本の親と中国・韓国の親 その1」

産経新聞(ネット上の配信記事を読んだので、紙面ではどうなっていたのかはわかりません)によると、

日本の小学生は中国や韓国に比べて家庭で注意を受ける割合が際立って低いことが7日、財団法人「日本青少年研究所」の調査報告書で分かった。家庭でよく言われる注意事項23項目のうち21項目について3カ国中最下位で、家庭での教育力の低さが浮き彫りになっている。同研究所は「最近の日本の親は、親と子は別個の存在と考える米国型の価値観に変化してきているため、子供に注意をしないのではないか」とみている。
昨年10~11月、東京、北京、ソウルの3都市の小学4~6年生を対象に、各学校で書面形式で生活習慣を調査。計5249人から回答を得た。同研究所によると、同種の調査は初めてという。
親のしつけに関する設問では、家庭でよく言われる注意事項23項目のうち21項目で、日本の子供は中韓より注意される割合が低かった。特に「先生・親の言うことをよく聞きなさい」とよく言われる子供は2割前後で、両国の半分。先生と親の権威低下がうかがえた。
「よく勉強すれば、将来いい仕事がある」も17・8%と低く、中国(53・8%)、韓国(41・7%)と対照的。「好き嫌いしないで全部食べなさい」「嘘(うそ)をついてはいけない」「友達と仲良くしなさい」なども大幅に低かった。
一方、日常的な生活習慣では、毎朝歯磨きをする比率が63・9%、毎朝洗顔するのが66・9%にとどまり、それぞれ中韓より2割下回った。テレビを見ながら食事するのは46・0%と半数弱を占め、いずれも11%台だった中韓の4倍に達し、「ながら食事」の浸透ぶりをうかがわせた。
友人関係では、親友の有無や友人の数では3カ国とも大差はなかった。だが、「友人の喧嘩(けんか)を止めるか」との質問に、「必ずする」と回答したのは15・9%と中韓より10~15ポイント低く、「しない」(22・5%)は5~15ポイント上回った。

「へぇー、そうなんだぁ!?」
と興味深く読んでいたんですが、調査の集計結果がすべて掲載されているページ(http://www1.odn.ne.jp/youth-study/reserch/2007/tanjyun.pdf)があったので、アクセスしてみたら、
「???」
確かに、上の数字はその通りなんだけれど、大きな設問の中の小問も含めると120問を超える質問の中で、どこを取り上げるかで感じ方が全然違ってきてしまいます。
例えば、起床時間なら中国の子どもたちは、おおむね6時~7時の間、日本は6時半~7時半、韓国は7時~8時の間です。「朝ごはんを食べる」との問いに「いつもする」は、日本・86.3%、中国・84.7%、韓国・62.5%。「寝る前に、歯磨きをする」は、日本・74.3%、中国・74.3%、韓国・69.2%。おもしろいものでは、「家から学校まで何で通っていますか」との質問に、「歩いて」が日本・96.0%、韓国・81.0%、中国・38.2%。中国では、「親の車で」という回答が23.7%(日本・0.3%、韓国・3.9%)もあるのです。
「友人」ということで見てみると、「喧嘩を止める」という日本の子どもは少ないことになっているけれど、「仲よしの友だちの人数」ということでは、「1~2人」「3~5人」「6~10人」「11~15人」(この上は5人刻みで30人までとそれ以上に分類)という括りで、中・韓は「3~5人」と「6~10人」に山が来るのに対し、日本は「6~10人」「11~15人」に山が来る。
産経新聞の意図は、日本の子どもたちは親のしつけがなっていなくて、子どもたちの中にいじめを容認する風土があるっていうことを強調したかったんだろうけれども、全体的に見て、文化の違いはあるけれど、親のしつけがなっていないとか、いじめを容認する風土があるなんていうことは、とても言えるものではありません。驚くなかれ、学校に行くのがとても楽しいと答えている割合は、韓国の22.4%に対し、日本は36.9%(もっとも中国は59.2%ですが)。

産経新聞の最後に付いている「親からしつけを受けていない「団塊ジュニア」が親になり、子どもに何を伝えればいいのかがわからなくなっているのではないか。学力は重視するが、人格形成はおろそかになっている。子どものうちにきちんとしつけないと、将来の自立を妨げることになりかねない。親だけでなく、社会全体でしつけていく視点も必要だ。」という斉藤哲瑯(てつろう)・川村学園女子大教授(教育社会学)のコメントに至っては、
「?????????????????」
「団塊の世代」って言うのは1947~49年(場合によっては1952年、55年生まれまで含めることも)に生まれた人たちのことを言うんだけれど、今年58~60歳になる人たち。この調査は小学校4年生(9~10歳)から6年生(11~12歳)を対象に行ったものだから、出産した年齢を25~30歳として、母親の年齢はと言えば、一番若い人は25歳で出産した4年生の母親ということになるから34歳、一番高齢の人は、30歳で出産した6年生の母親ということになるから42歳。斉藤教授の話によれば、「団塊ジュニア」(1971~74年の第2次ベビーブームに生まれた子を指すのが一般的ですが、おそらくここでは団塊の世代から生まれた子という意味で使っているものと思われる)が親になり、子どもに何を伝えればいいのかがわからなくなっているのだそうだから、34~42歳の母親(父親の場合は一般的に言ってもっと年上。私のようなのは滅多にいないので)の親たちが58~60歳?微妙なところだけれど、ちょっと無理があるんじゃないかなあ?
だいたい、“子どものしつけ”をしていなかったのは「団塊の世代」なんだぁ!?
「う~ん、なるほどぉ」
そうなると「今どきの若い親は…」と最近の子育て事情を批判している「団塊の世代」の人たちは、自分たちの責任を痛感しなくてはいけないことになる。
こんなこと言っちゃっていいのかな? 私のエッセイじゃないんだから、感覚ではなく、学者は学者らしく、もう少し裏付けのあることを言ってほしいと思うんだけどなあ…。

報道をどう見るかっていうのもなかなか難しいですよね。この調査をした「日本青少年研究所」っていうところも、どうも意図的にいろいろなことをやっているところのようで、調査自体にもやや問題はあるようですが、調査結果を見るとなかなかおもしろい部分もあるので、次回は調査の内容について、もう少し深く掘り下げて、「大関直隆の感覚で見る日本、中国、韓国の子育て事情」について述べたいと思います。

つづく

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

2022年3月 2日 (水)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第250回「誰の子?」

民法772条により「戸籍がない状態になっている子」が問題になっています。
最近、テレビのニュースなどで大きく取り上げられたので、ご存じの方も多いと思います。
民法772条【嫡出の推定】には、
①妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。 
②婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。
と規定されています。
第1項により、婚姻中に懐胎した子は嫡出子と推定され、さらに第2項により、婚姻成立の日から200日経過後、または婚姻の解消もしくは取消の日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定するわけです。
752条で、「夫婦は同居し、互に協力し扶助しなければならない」と定めていますから、夫婦は、同居して共同生活を営むというのが通常であり、さらに、第770条【 裁判上の離婚原因 】で、夫婦の一方から離婚の訴を提起できる理由を、
①配偶者に不貞な行為があつたとき。
②配偶者から悪意で遺棄されたとき。
③配偶者の生死が三年以上明かでないとき。
④配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込がないとき。
⑤その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
という5項目に限っていることを考えると、民法は、婚姻関係が継続している状態での夫婦以外の性的関係をかなり厳格に規定しているものと言えるわけです。
これは、「誰の子であるか」という問題が、ことさら財産権の問題である以上、やむを得ないのだろうと思います。
「夫婦は不貞をはたらかない」という前提のもと、それぞれの財産に関わる権利、養育の義務等を規定しようとすれば、妊娠期間を考慮して、表現としてこんな形になるのでしょう。今は、出生届を受理されず、「戸籍のない状態の子」が取りざたされていますが、よく考えてみると、実は”前夫”の子ではないにもかかわらず、養育費を払い続けさせられている”前夫”というケースも多いのではないかと思います。そういった意味では、不利益を被っているのは、女性や子どもだけとは言い難い部分もあります。
772条は、第1項、第2項ともに、「推定する」となっています。民法の規定には、「推定する」という表現の他に「看做す」(みなす)という表現があります。「看做す」という表現は、「性質を異にする事物について、法律上これを同一視する」「実際はどうであるかにかかわらず、こういうものだとして扱う」という意味で、「同一視する」「こういうものだとして扱う」というわけですから、基本的にはそれをひっくり返す余地はないわけです。772条は「推定する」となっているので、嫡出子ではないと証明されれば、夫の子ではないと判断がひっくりかえる可能性を含んでいます。そういう意味では、ひっくり返すこともそう難しくないということでもあるわけです。
それでは何が問題なのかと言うと、772条ではなくむしろその後の、
第773条【 父を定める訴え 】
第733条第1項(前婚の解消または取り消し後6ヶ月以内は結婚できない)の規定に違反して再婚をした女が出産した場合において、前条の規定によつてその子の父を定めることができないときは、裁判所が、これを定める。
第774条【 嫡出の否認 】
第772条の場合において、夫は、子が嫡出であることを否認することができる。
第775条【 嫡出否認の訴え 】
前条の否認権は、子又は親権を行う母に対する訴によつてこれを行う。親権を行う母がないときは、家庭裁判所は、特別代理人を選任しなければならない。
という3条です。
どの条文を見ても、母親からは訴えを起こせない。
科学技術の進歩により、誰の子であるかがほぼ確定できる今日において、果たして、事実関係を曲げて戸籍を作ることや事実関係が明らかになるのにもかかわらず、形式を重んじて出生届を受理しないということが正しいのか…。
長勢法相は9日の閣議後の会見で「考える点、見直すべき点があるだろうと思う。どういう方策がよいか考えている」「きちんとやっている人が、あの条文のためにいろいろ支障を生じることがあるという話を聞いている」と述べて、法の運用を見直す考えを明らかにし、前夫との離婚成立後に妊娠したことが明らかなケースなどを念頭に置いて、救済策を講じる意向を示唆したそうです。事実関係がわからないならともかく、「わかる」という状況がある以上、どんな場合でも事実関係に基づいた処理ができるよう、法の運用を柔軟にすべきだろうと思います。
おそらく法相の発言の中には、「不貞をはたらいた女性まで保護する必要があるのか」という含みがあるものと思われますが、少なくとも前夫による婚姻中の不貞による「慰謝料請求」という道が閉ざされるわけではないわけだから、「親子関係不存在確認の訴え」や「嫡出否認の訴え」といった後ろ向きの訴えだけではなく、たとえ前夫の協力が得られないとしても、母親なり子どもあるいは新たな夫なりが、どんな形にせよ証明することで、「親子関係存在確認の訴え」が認められるよう配慮すればいいと思います。
事実を事実として真っ直ぐに捉える、それでこそ「推定する」という条文が生きてくるように思うのですが…。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第249回「ディズニーとマクドナルド」 第249回「ディズニーとマクドナルド」

「あれっ? また夕飯食べた形跡がない」
「??? ほんとだ! 何食べたんだろっ?!」
私と妻が家に帰るのは、ほぼ毎日10時過ぎ。この日も家に帰ってみると、朝、食事をしたときの形跡がやや残っているけれど、昼、夜を食べた形跡がありません。娘の麻耶が、二人の子ども(孫)たちに夕飯を食べさせると、いつもだったら食べさせたものが何か食卓やガスコンロの上に、多少は残っているもの。麻婆豆腐であったり、サラダであったり、カレーやシチューであったり…。カレーやシチューの時なんて、半端じゃない。
「これで、明後日の朝まですませるんだから」
なんて横着なことを言って、大きな鍋に20人前くらいのカレーやシチューが作ってあることもあります。
孫の蓮と沙羅は、まったく給食のない幼稚園に行っているため毎朝お弁当。朝、ご飯を炊いて、麻耶と孫たちが夕飯で食べてちょうどご飯がなくなり、私たちが帰るころまでにご飯が炊けるように炊飯器がセットしてあることもよくあります。私と妻の夕飯の分まで、おかずを作っておくようには言ってないので、カレーやシチューの時のように、麻耶の作ったもので充分におかずが足りてしまうこともあれば、仕事帰りにスーパーで買い物をして、私が何かおかずを作って食べることもあり、夕飯のパターンもいろいろ。ただ、どんなパターンの時でも、麻耶と孫たちが家で夕飯を食べたときは、何か形跡があって、麻耶と孫たちの食べたものがなんだか、おおよそ見当がつきます。ところがこの日はまったく形跡がない。
私がおかずを作って、夕飯を食べ始めようとしていると、娘の麻耶が寝室からリビングへ出てきました。
「おまえたち、どこか外で食べてきたの?」
「うううん。うちで食べたよ」
「? 何食べたんだよ?! 食べた形跡がないじゃん」
「まあね。買ってきてうちで食べたんだよ」
「はっ? またマクドナルド?!」
「へへへっ、そう!」
「おまえさぁ、別にそんなに時間がないわけじゃないだろっ?! 自分の子どもに食べさせるおかずくらい作ってやれよ」
「今日はいろいろ忙しかったんだよ。幼稚園で役員会があったでしょ、その後、スイミングでしょ」
「なんだよ、そのくらいのことでマクドナルドになっちゃうのかよっ!」
「へへへっ、まあね。蓮も沙羅も“マックがいい”って言うんだもん」
「まったく、これだよ。“いい”って言ったんじゃなくて、言わせたんだろ?!」
「まあ、そういうこと!」
食べた形跡がないときは、だいたいホカ弁かマクドナルド。今の子どもたちの生活は、私が子どもを育てていたころに比べると、ちょー多忙。孫の蓮と沙羅を見ていても、やたらと習い事が多いので、時間に追いまくられている。その分いろいろ外食産業やファーストフード店などが発達して、便利にもなっている。
先日、チャールス英皇太子が訪問先のアラブ首長国連邦で、マクドナルドは禁止すべきだと発言して、物議を醸しているそうです。皇太子は有機食品の熱心な提唱者として知られ、英メディアによると、皇太子はアブダビの糖尿病センターを訪れ、栄養学者と糖尿病対策について話をしている最中に、「マクドナルドを禁止しようとしたことはありますか? それが重要です」と語ったと言いますから、かなりはっきりマクドナルド批判をしたのでしょう。
それに関連にして、ウォルト・ディズニーが、これまでのマクドナルドとの契約を契約期間満了を機に切るというような報道もありました。これまでは、ディズニーのキャラクターをおまけにつけることで、マクドナルドは子どもへの販売を伸ばし、ディズニーは映画の宣伝などをしてきたわけですが、ディズニーによると子どもの健康面への配慮から、ファーストフードとの提携は打ち切ることにしたのだそうです。
日本では、子どもに対する食の安全は、子どもの将来の健康ということも含めて、非常に無頓着。アトピーや花粉症といったアレルギーが増加する中、もっと“食”ということを大切に考えた方がいいのではないかと思います。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

| | | コメント (0)

« 2022年2月 | トップページ | 2022年4月 »