【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第238回「いじめ問題への緊急提言」
今回は前々回からつづきの「最近の親子事情 その3」の予定でしたが、教育再生会議より「いじめ問題への緊急提言」が発表され、いろいろと議論になっていますので、「最近の親子事情」は次回に送って、緊急提言に対するコメントを述べることにしました。
教育再生会議の構成メンバーは、果たして教育のことがわかっているのだろうかと疑問を感じます。教育を語る人間には、いじめる子、いじめられる子を問わず、どんな子もかけがえのない一つの大切な命として、平等に扱う感覚が要求されていると思うのですが、果たしてそういった委員がどれだけ存在するのだろうと大変不安になります。
例のヤンキー先生こと義家弘介氏が主張する「出席停止」が、見送られたことは一応評価はしますが、「見て見ぬふりも加害者」としたり、毅然とした対応の例示が、社会奉仕、個別指導、別教室での教育などと、加害という概念が非常に広く解釈されていたり、いわゆるいじめた側を一方的加害者と断ずるような提言には、到底納得しがたいものがあります。飲酒運転や少年事件への厳罰化という政治の流れをくむものですが、子育てや教育は、厳罰化では対応できないことは明白です。
筑紫哲也をはじめとするニュースキャスター(フジTVはやや違ったニュアンスですが)が、提言に対してもっぱら批判的なコメントを発しているのも、当然のことと思います(ワイドショーのコメンテーターの中には、「来させなければいい」などといった発言を非常に安易にする人がいますが)。
よく言われるように、いじめる側といじめられる側は紙一重。それを現場に求めるのは無理があります。いじめられた子が、いじめる側に回ることも少なくなく、はっきりした線引きは容易ではありません。「いじめ」という行為が、なぜ起こったかを深く掘り下げていけば、「いじめ」という行為自体は、許し難い行為だとしても、いじめた子を、単に厳罰に処したり、他の子と差別化を図ったりすることだけでは、「いじめ」という行為の本質に何ら迫っていないことに気付くはずです。
もちろん、いじめが起こっているまさにその時には、毅然とした態度で接することが必要であることはもちろんですが、それはあくまで緊急避難的措置(先日、テレビ放送(日テレ?)の中で他のコメンテーターが出席停止は当然といったコメントを連発する中、精神科医の香山リカだけ「緊急避難といじめ対策は別」というようなコメントをしていました)であって、そうした措置が「いじめる子」「いじめられる子」の差別化を助長し、かえってマイナスになる可能性も大であることを充分に意識しながらの措置でなければなりません。「いじめる子」になる原因の一つに、「疎外感」が考えられますが、差別化こそ疎外感を助長するものだからです。
いじめに対する対応としては、いじめられた子の心のケアはもちろんとして、いじめた子にも心のケアをすることが大切です。何よりもまずいじめた子の心を理解し、癒してやること。どうしていじめたくなるのかを追求し、そこに効果的な手を打つ以外に、いじめをなくす有効手段はありません。
提言の中には、地域という言葉が何度か登場しますが、委員諸氏はどれだけ地域に密着した生活を送っているのでしょう。地域がどのような状況になっているかを検証もせず、安易に地域を持ち出しても、何の意味も持ちません。「おじいちゃんやおばあちゃん、地域の人たちも子どもたちに声をかけ、子どもの表情や変化を見逃さず、気付いた点を学校に知らせるなどサポートを積極的に行う」というくだりがありますが、大人の地域社会が崩壊寸前の現状で、しかも多くの学校で、「声をかけてくる見ず知らずの人間を不審人物として扱っている」ことを考えれば、地域社会の力を利用しようとするのには、現状のままでは無理があります。公園もない、学校も開放されていない、地域に存在した駄菓子屋はコンビニに取って代わり、駅前の塾まで自転車や親の運転する自家用車で通う。日々の買い物ですら地域からはほど遠い大型店。そういった状況の中で、大人も子どももどんどん地域との関わりを失っているのです。もし、地域の力を活用しようというなら、もっと地域を活性化させるような政治的施策を施さないと…。
まず大切なのは、いじめている子への厳罰ではなく、いじめている子の心にどれだけ寄り添えるかということです。どんなにひどいいじめっ子だとしても、「生まれながらにいじめっ子」などということはあり得ないのだから。
ちょっと長くなりますが、以下「いじめ問題への緊急提言」全文です。
すべての子どもにとって学校は安心、安全で楽しい場所でなければなりません。保護者にとっても、大切な子どもを預ける学校で、子どもの心身が守られ、笑顔で子どもが学校から帰宅することが、何より重要なことです。学校でいじめが起こらないようにすること、いじめが起こった場合に速やかに解消することの第1次的責任は校長、教頭、教員にあります。さらに、各家庭や地域の一人一人が当事者意識を持ち、いじめを解決していく環境を整える責任を負っています。教育再生会議有識者委員一同は、いじめを生む素地をつくらず、いじめを受け、苦しんでいる子どもを救い、さらに、いじめによって子どもが命を絶つという痛ましい事件を何としても食い止めるため、学校のみに任せず、教育委員会の関係者、保護者、地域を含むすべての人々が「社会総がかり」で早急に取り組む必要があると考え、美しい国づくりのために、緊急に以下のことを提言します。
(1)学校は、子どもに対し、いじめは反社会的な行為として絶対許されないことであり、かつ、いじめを見て見ぬふりをする者も加害者であることを徹底して指導する。<学校に、いじめを訴えやすい場所や仕組みを設けるなどの工夫を><徹底的に調査を行い、いじめを絶対に許さない姿勢を学校全体に示す>
(2)学校は、問題を起こす子どもに対して、指導、懲戒の基準を明確にし、毅然とした対応をとる。<例えば、社会奉仕、個別指導、別教室での教育など、規律を確保するため校内で全教員が一致した対応をとる>
(3)教員は、いじめられている子どもには、守ってくれる人、その子を必要としている人が必ずいるとの指導を徹底する。日ごろから、家庭・地域と連携して、子どもを見守り、子どもと触れ合い、子どもに声をかけ、どんな小さなサインも見逃さないようコミュニケーションを図る。いじめ発生時には、子ども、保護者に、学校がとる解決策を伝える。いじめの問題解決に全力で取り組む中、子どもや保護者が希望する場合には、いじめを理由とする転校も制度として認められていることも周知する。
(4)教育委員会は、いじめにかかわったり、いじめを放置・助長した教員に、懲戒処分を適用する。<東京都、神奈川県にならい、全国の教育委員会で検討し、教員の責任を明確に>
(5)学校は、いじめがあった場合、事態に応じ、個々の教員のみに委ねるのではなく、校長、教頭、生徒指導担当教員、養護教諭などでチームを作り、学校として解決に当たる。生徒間での話し合いも実施する。教員もクラス・マネジメントを見直し、一人一人の子どもとの人間関係を築き直す。教育委員会も、いじめ解決のサポートチームを結成し、学校を支援する。教育委員会は、学校をサポートするスキルを高める。
(6)学校は、いじめがあった場合、それを隠すことなく、いじめを受けている当事者のプライバシーや二次被害の防止に配慮しつつ、必ず、学校評議員、学校運営協議会、保護者に報告し、家庭や地域と一体となって、解決に取り組む。学校と保護者との信頼が重要である。また、問題は小さなうち(泣いていたり、寂しそうにしていたり、けんかをしていたりなど)に芽を摘み、悪化するのを未然に防ぐ。<いじめが発生するのは悪い学校ではない。いじめを解決するのがいい学校との認識を徹底する。いじめやクラス・マネジメントへの取り組みを学校評価、教員評価にも盛り込む>
(7)いじめを生まない素地をつくり、いじめの解決を図るには、家庭の責任も重大である。保護者は、子どもにしっかりと向き合わなければならない。日々の生活の中で、ほめる、励ます、しかるなど親としての責任を果たす。おじいちゃんやおばあちゃん、地域の人たちも子どもたちに声をかけ、子どもの表情や変化を見逃さず、気付いた点を学校に知らせるなどサポートを積極的に行う。子供たちには「いじめはいけない」「いじめに負けない」というメッセージを伝えよう。
(8)いじめ問題については、一過性の対応で終わらせず、教育再生会議としてもさらに真剣に取り組むとともに政府が一丸となって取り組む。
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