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2021年12月 1日 (水)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第202回「卒業」

20年前のことです。
息子の努は飯能にある自由の森学園に通っていました。自由の森学園は、三鷹にある明星学園の先生方何人かが中心となって設立した学校で、努はそこの第1回生です。1つ下には「寅さん」や「北の国から」で有名になった吉岡秀隆君がいます。校長は遠藤豊氏(故人)で、その人脈を生かし教育研究協力者には教育界だけでなく様々なジャンルの有名人が数多く名を連ねていました。
努は中学生の頃、いじめに遭っていました。身体にアザができたり、ケガをしたりしたようなときでも、親には何も話さず、自分の中で処理していたようです。ある時、ワイシャツに付いた血を洗面所で洗っているのに妻が気づき、いじめに遭っていることがわかりました。まじめでおとなしい子だったので、トイレで一人で掃除をしていると、トイレにたばこを吸いにきた同級生に“邪魔だ”と言われ、その辺にある掃除用具で殴られたり、先生に頼まれてOHP(授業で使うスクリーンに映像を映写する機械)を運んでいると、手がふさがっていることをいいことに、すれ違いざまに頭をこづかれたりしていたようでした。気づいてからは、何度も学校に足を運び、短期間で解決はしたのですが、そういう子ですから、進路については、どうしても慎重になります。いろいろと悩んでいたときに、TBSラジオの「子ども電話相談室」で長い間回答者を務めていた無着成恭氏の講演会が蕨であり、その話の中で自由の森学園が開講することを聞いたわけです。
設立の趣旨や取りたい生徒像などが、努にも適しているのではないかということになり、全く未知の学校で不安はありましたが、まだ建設中の現場を飯能まで見学に行ったり、設立に関わっている先生方の話を聞きに行ったりと、様々な手を尽くして学校の情報を手に入れ、自由の森学園に決めました。
それがきっかけになって、舞台の道を選び、現在の努があるわけですから、それはそれで正しい選択だったのだろうと思いますが、自由の森学園では設立当初の混乱と親や子どもたちの個性の強さから、多くの問題が起こりました。自由の森学園での3年間は、いい意味でも悪い意味でも、いろいろなことを学ばせてもらったなあと思います。
S君は努と同級生で、まだ始まって間もなかったピースボート(NPO法人が世界の人々との交流を目的に1983年より行っているクルーズ)にも参加したことのあるような子で、学校の自治や政治については、大人顔負けの論を展開する高校生でした。3年生の夏休み明けになって、その子の卒業が問題になりました。はっきりとした理由もなく、校長が「S君を留年させる」と言い出したからです。遠藤校長という人は、校長という立場にもかかわらず、子どもたちとよく関わっていました。S君と遠藤校長は、明星学園からのつながりで、校長はS君のことをよく知っていました。お母さんも遠藤校長とは、長く関わっていましたので、よく知っています。そういう中でのことでしたが、S君の留年という話は、S君にとってもお母さんにとっても、そして私たち保護者にとっても唐突で、納得のいくものではありませんでした。それは、自由の森学園の理念が、生徒の個性を大切にし、徹底的なテストの排除と自主的学習を尊重することにあり、そのためには教師も生徒も時間と精力を惜しまないという前提があったからです。
学校が留年や退学を生徒や保護者に突きつけることは、たやすいことです。けれども、それは最後の最後の手段であって、そこに至るには、切り捨ててしまう学校側の相当の努力があって初めて認められるべきです。S君の場合、それがなかったと思われたので、私は納得がいかなかったのです。留年を突きつけられたS君のお母さんは、とても謙虚な方で、ただただ困り果てていました。
私は遠藤校長と何度も話をしました。校長は「自由の森の卒業生としてこのまま社会に出すわけにはいかない」と言いました。私は、「3年間で(高校を)出すという前提がなくて、“3年間で出せない状況なら留年させればいい”という発想で考えているのなら、それは学校の教育の放棄だ」と言って、校長と議論しました。
自由の森学園の場合は、卒業させられないと考える生徒の「抱え込み」でしたが、最近、これとは逆に、生徒を「切り捨てる」というケースが増えています。やり方は逆ですが、どちらも生徒を自校の卒業生として社会に出さないということでは共通しています。学校が生徒を切り捨てることについてどれだけの努力をしたか、常にそれを明確にし、最大限切り捨てないことが、学校には求められるのだと思います。。
数ヶ月に及ぶ話し合いの結果、S君は留年せず、無事卒業することができました。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

 

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