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2021年12月 6日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第210回「お弁当 前編」

私はもちろん給食世代なので、小学校、中学校は完全給食。小学校の時にお弁当を持って行ったなんていうのは、遠足と運動会くらい。中学校では、土曜日にも部活動があったので、土曜日は家に帰ってお昼を食べて改めて出かけるか、お弁当を持って行くか、あるいは近くのパン屋さんかなんかで買って食べるか…。
私は母の作るお弁当が嫌いで、土曜日は毎回学校の近くの“おかめや”(焼きそばや調理パンを作って売ってるお店)でパンを買って食べてました。とにかくその“おかめや”のパンのうまいこと。少ないときで焼きそばパンや餃子パン(餃子を揚げてホットドッグ用のロールパンに挟んだもの)、ハンバーグパンとかを6個、多いときはパン8個と焼きそば1人前。それに牛乳3本か4本。よくあんなに食べられたなあと思うけど、それでも全然太ってなかった(というより痩せてた)んだから、あの年代の子どもたちのエネルギー消費量って半端じゃないんですね。でもそれって、私だけ? 
幼稚園の時はどうだったっけなあって考えると、どうもはっきりは思い出せない。でも、ジャムの塗ってあるサンドイッチが楽しみだったっていうことと、当番がいてパンを配ってたっていうことは記憶があるんだよね。幼稚園のことってほとんど覚えてないのに、どうして当番がパンを配ってたっていうことを覚えてるかっていうと、たぶん休みの子かなんかがいて、配り終わって残ったパンを、廊下にあったパンを運んでくる箱の中にひょいっと投げ入れた私は、怒られてしまったからです! 私を注意した先生は、雨宮先生。カハッ! 幼稚園のことなんてほとんど覚えてないのに、名前まで覚えているんだからね。しかも、雨宮先生は担任じゃなくて、隣の組の先生。まあ、恨んでるっていうわけじゃないけど、いや~な気分になったことだけが、のどに骨が引っかかったときのように心のどこかに引っかかってるんですよ。いやいや、怒り方っていうのは難しいよね。先生が注意をするのは当たり前だし、「パンを投げちゃダメだよ」って言った程度だったのにもかかわらず、“いや~な気分になった”とか言って、50歳近くなっても、記憶の底から湧いてきちゃうんだからね。今覚えてるっていうことは、たぶんもう一生覚えてるっていうことでしょ? こりゃあ、雨宮先生にしてみれば、いい迷惑。誠実に職務を果たしただけなのにね。
雨宮先生、ごめんなさい!
さて、真(まこと)と麻耶(まや)の通った幼稚園はというと、給食というかちっちゃな箱弁でした。お金はかかる(たしか1食240円とかそんな値段で、10円、20円の値上げも親に反対されるかもしれないといって幼稚園側はピリピリしてました。親は平気で1000円以上するようなランチを食べたり、お茶したりしてたんですけどね)けど、親の立場からすると楽ですよね。“おかずは何にしようか”なんて考えるのは、とっても大変。それだけじゃなくて、もちろん買い物もしなくちゃいけないし、朝、実際にお弁当を作らなくちゃいけない。給食なら、一切そんなこと気にしなくていいわけだから、とっても楽。真と麻耶の時にはほんとに楽をさせてもらいました。
でもね、親が楽っていうことは、もしかするとその負担が子どもにかかっているかもしれないって考えてあげないとね。幼稚園のころの真は、けっこう太っていて、とにかく何でもガツガツ食べるやつだったので、給食で困ったことはなかったけれど、麻耶はねぇ…。麻耶はとにかく長いものじゃないと食べない。そば、うどん、スパゲッティ、しらたき、春雨、それにもやし。“もやし”なんて言うと、“なんだそりゃ?”ってな感じだけど、普通の食材よりも長いっていう感じのものなら何でもいいらしくて、炭水化物に交じって“もやし”まで好きなわけ。全然味の違うものなのに、長さで好き嫌いを決めてるんだから、まったく変な娘でしょ!? 
でも給食に長いものばかり出るわけがない。むしろ、今列挙したようなものは、まず出ない。麻耶は、毎日給食の時間が楽しくなかったみたいです。全部食べるとシールがもらえるんだけど、なかなか全部は食べられない。他の子は教室に貼られた表にどんどんシールが貼られていくのに、麻耶はなかなか増えていかない。それでも麻耶はまだましで、なかには1枚もシールの貼られていない子もいて、なんとその子は、先生に無理矢理食べさせられて、吐いちゃったとか…。人間にとって大きな楽しみであるはずの“食”が台無し。
そう考えると、
「ん~、親は大変でも、子どもの好きなものをお弁当に入れてやるっていうのも、いいよなぁ」
翔(かける)の通った幼稚園(今、孫の蓮と沙羅が通っている幼稚園ですが)は、給食なし。毎日お弁当でした。
つづく

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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