【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第227回「義母の死 前編」
義父の一周忌を目前にした先週5日(火)、90歳の義母が亡くなりました。
その電話は、先週の日曜日、9月3日、ちょうどこの連載の原稿を打っているときにかかってきました。
「母が救急車を呼んで入院したっていうんだけど、今カウンセリング中であと20分くらいかかるから、終わったときにすぐ出られるように支度してて」
慌てていましたが、ちょっと面倒くさそうな妻の声。
「またぁ?」
「ヘルパーが付き添って救急車で運ばれたって、ヘルパーステーションから電話があった」
「ふーん。じゃあ、そのころ車を取りに行って下にいるから」(駐車場が仕事場からちょっと歩ったところにあるので、急いでいるときはどちらかが先に車を取りに行きビルの下で待機しているのです)
義母は、昨年9月23日に93歳で義父が亡くなってから、一人暮らし。何度も「わが家へ来てください」と話したのですが、「もう少し家の中の整理をしたいから」と言って、朝昼晩と食事の支度にヘルパーに入ってもらって、わが家にはきませんでした。毎週欠かさず1度か2度は妻と私が熊谷の実家へ行き、夕飯の支度をして一晩泊まってくる。ここ1年間、ずっとそんな生活でした。義父が生きているころから5、6回あったでしょうか、義父の面倒を見るのがつらくなったり、こちらにちょっと甘えたくなったりしたときは、「これから救急車を呼んで入院するから」とこちらを驚かせる電話がかかってくるのです。もちろん昼夜かまわずかかってきて、夜中の3時なんていうこともありました。
「わかりました。それで今、どんな具合なんですか?」
と様子を聞き、場合によっては「こちらから飛んで行きますから」と救急車を呼ぶことを待たせたり、あるいは救急車を呼ばせたり…。「今行きますから、待っていてください」と言ったのに、熊谷に着く前に病院から「今、救急車で病院に来ましたから」と連絡が入ることもありました。
しかも一週間ほど前に胸から背中にかけて痛いからと言って検査入院し、一応心臓の様子も見てもらいましたが、結局「肋間神経痛」という診断で、8月27日(月)にたった一週間の入院で退院してきたばかり。それも、いつもだったら大したことがなくても長く入院したがるのに、今回は「もう一週間くらい入院してれば」とこちらから言ったにもかかわらず、どうも同室のメンバーが気に入らなかったのか、看護師が気に入らなかったのか、土曜日くらいから「出たい、出たい」と大騒ぎ。それで退院したいきさつがあったので、またいつもの入院騒動と高をくくっていたのです。
「ヘルパーステーションに電話して、様子聞いといて」
妻との電話を切って、すぐにいつも義母がお世話になっているヘルパーステーションに電話を入れましたが、ちょうどそのとき実家にいたヘルパーが救急車に同乗してくれたこと、そこの会社の専務さんが病院に向かっていて、こちらが到着するまで付き添っていてくれることはわかりましたが、義母の様子はわかりませんでした。病院に電話をすることも考えましたが、救急車で運ばれて間もないので、少し待つことにして、それまで打っていた原稿をそこまでにして、荷物をまとめ、車を取りに行きました。
妻が車から病院に電話を入れると、返ってきた言葉は「心筋梗塞」。義母が自分で救急車を呼び、しかも病院は実家から車で2、3分という距離なのにもかかわらず、病院に到着したときは、自分で呼吸ができなかったと…。
「意識はありますが、人工呼吸器を付けて点滴をしています。どなたが来られますか?」
妻と私は、やっと事の重大さを飲み込み、子どもたち全員に連絡をとり、義母の状態を伝えました。
1時間ほどで病院に着きましたが、そこで見た義母は、いつもの母ではなく、人工呼吸器のリズムと一緒に胸がふくらみ、やっとのことで息をしている、まったく動かない義母でした。
「お母さん、来たよ!」
妻の言葉に、ぴくっと身体が反応しました。
「あなたに会いたがっていたんだから、声かけてやってよ。わかるよ」
「お義母さん、遅くなってすみません。今来ました」
と手を取ると、義母はゆっくりとそして小さく頷きました。
つづく
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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