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2021年12月 6日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第212回「ドイツのバレエ事情 前編」

ドイツのミュンスターでバレエ(正確に言うとモダンダンス)を踊っている長男・努(つとむ・36歳)がお世話になった、藤井公先生と利子先生率いる東京創作舞踊団が、創立45周年記念の公演「観覧車」を行うことになりました。藤井先生ご夫妻には、努、真(まこと)、麻耶(まや)の3人が、大変お世話になりました。
藤井先生との出会いは、24年前。1982年のちょうど今ごろの季節でした。詳しい話をするととんでもなく長くなってしまうので省略しますが、現在浦和駅西口にあるライブハウス「ナルシス」を私が始めた(ほんの短い期間でしたが、当時はB1が喫茶店、4Fがパブというかクラブというかそんな形態のお店で、2フロアで営業していました)とき、前衛芸術家の皆さんの作品を店内装飾にお借りしていました。お借りした芸術家のお一人から「とってもおもしろい舞台を作る舞踊家がいるから」と紹介されたのが、藤井公先生でした。私の印象は、「? この人が舞踊家? ただのおじさんじゃん!」というような印象でした。後で知ることになるのですが、公先生の二人のお嬢さんのうち、上のお嬢さんは私の妹と中学で同級生、下のお嬢さんは従妹と同級生、私と妹は2つ違いですから、上のお嬢さんは、私とも1年間中学校で重なっているんだということがわかりました。

「麻耶にね、バレエ習わせようと思うんだけど、どうかなあ? どこか、いいバレエ教室ない?」
妻は、自分が幼いころ習いたかったバレエの夢を、麻耶を使って実現しようとしました。「う~ん、バレエねぇ…。あっ、そうだ! いつか大野さんに紹介された藤井さん、確か藤井舞踊研究所って看板出して、教室やってなかったっけ?」
「ああ、そうだねぇ。とにかく行ってみようか?」
それから藤井先生のところとの関係が始まりました。妻が麻耶にやらせたかったのは、トーシューズを履いて、チュチュを着て踊るクラシックバレエ。藤井先生のところでやっているのは、モダンバレエ(モダンダンス)。どこがどう違うんだか、違いがよくわからず、とにかくトーシューズを履くかはかないかの違いなんだということだけは、何とか理解して、麻耶を藤井先生のところに通わせることにしました。真にその話をすると、まんざらでもない様子。そのころかなり太っていた真を、何とか痩せさせるには、バレエっていうのはいいんじゃないか、そんな気持ちで真にも習わせることに。そして最後は努。
「努はさぁ、今のまま自由の森学園を卒業させても、そんなに学力もないし、特別何かの才能があるわけでもないし、進路に困っちゃうでしょ。真と麻耶が通ってる藤井先生のところでバレエやらせるっていうのはどうかなあ? バレエの世界なら、まだまだ男は足りないし、何とかなるかもしれないよ」
まさか、努がプロのダンサーになるなんていうことを、本気で考えていたわけではありませんでした。高校2年生、17歳になった努には、まだ“これ”っというものが見つかっていませんでした。バレエが何か努の人生のきっかけにでもなればというつもりで、
「おまえも、公先生のところへ行ってみない?」
と声をかけたところ、
「うん。見に行ってみようかなあ」
と努が乗ってきたのです。
そのころ努は、飯能にある自由の森学園のそばに下宿をしていました。藤井先生のところは浦和ですから、我が家からなら自転車で10分、15分の距離。けれども努の下宿先からは所沢、秋津と2回乗り換えがあって、2時間近くかかります。努はその距離を週に2回ずつ通っていました。努は高校生ですから、稽古はもちろん夜です。家にはちっとも帰ってこない努でしたが、夜9時前に終わることのないレッスンには、休まず通ってきていたのですから、驚きです。
つづく

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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