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2021年12月 6日 (月)

第213回「ドイツのバレエ事情 後編」

努(つとむ)は2年間、飯能から藤井先生のところへ通い続けました。習い始めのころのダラダラとした練習態度からすると、まったく信じられないことでした。レッスン中の努の態度を見ると、怒鳴りつけたくなることもしばしばでした。にもかかわらず、2年間も飯能から通い続けるなんて…。
努の卒業が迫ったとき、その後の進路について藤井先生に相談しました。
「本人ももう少し本気でバレエを続けたいようなのですが、どこか卒業後の受け皿はないでしょうか?」
「う~ん、なかなかねぇ。どこか進学した方がいいんじゃないかなあ。大学で何か勉強しながら、今まで通り週に2回くらいレッスンに来たらどうですか。昼間、毎日通ってレッスンをするようなところっていうのはねえ…。日本には、バレエで生活できるような受け皿はないんですよ」
藤井先生から、期待するような答えは、返ってきませんでした。
バレエを本格的にやりたいという努の気持ちは、宙に浮きました。卒業後の努は、毎日ベッドでゴロゴロしてばかり。週に2回、藤井先生のところのレッスンに通ってはいましたが、昼間は特にやることもなく、やっと2歳になった翔(かける)をたまに公園で遊ばせるくらいなもの。結局、そんな生活のまま1年が過ぎてしまいました。
ちょうど1年経ったころ、転機が訪れました。その年たまたまローザンヌ・バレエコンクールが日本であり、その審査やダンサーの指導にフランスから訪れていたエドワード・クックという指導者にレッスンを受けることができたのです。それは、藤井先生が中心になって企画してくださった、セミナーでした。
身体は硬いし、特別センスがいいというわけでもない努の、どこがクックの目にとまったのか未だに謎ですが、クックは努に“カンヌのバレエ学校に来ないか”と誘ってくれたのです。しかもスカラシップで3年間授業料は一切かからないというのです。後でわかったのですが、フランスのバレエ学校というのは、小さなカンパニー(舞踊団)をいくつか持っていて、そのカンパニーで踊ることを条件に、授業料を免除しているらしいのです。もちろん国籍を問われることもなく、カンパニーの指導者の推薦だけで入学が許可されるのです。バレエで生計を立てようと考えていた努にとって、願ってもないことでしたが、突然のことで、さらに自信もなかったらしく、努は躊躇していました。これを逃してはと、親として背中をほんのちょっと押してやりました。
あれから18年。カンヌの学校で3年間を過ごした後も紆余曲折があり、一時は“闘牛士になる”とか言い出したこともありましたが、ハンガリー、イスラエル、オーストリア、そしてドイツと、とりあえずずっと向こうで踊っています。
現在のミュンスターは、ドイツでは2カ所目。ミュンスターの前は、ダルムシュタットで踊っていました。日本から見るとヨーロッパは、芸術を大切にする憧れの地。けれども実際は、そうとも言えません。基本的にダンサーは、スポーツ選手と同じような存在です。ずっと踊り続けられるわけではない。まあ、頑張って踊ったとしても、熊川哲也君のような世界のトップダンサーは別として、40歳まで踊り続けるのはかなり難しい。当然のことながら、故障も多くなるし、下には故障もしない、身体も利く若いダンサーがたくさんいる。
日本でも最近増えてきましたが、ヨーロッパでは劇場がそれぞれオーケストラや歌劇団、舞踊団などを持っていて、それらが交代で公演をします。もちろん給料もちゃんともらっていて、公演のない日も毎日稽古をしているわけです。努が言うには、劇場の舞台に立っている人間は、町の中でも特別な存在らしく、時々声をかけられたりするそうです。ドイツの場合、今はサッカーワールドカップで盛り上がっていますが、経済的には東ドイツの統合によりかなり厳しい状況にあります。劇場の予算はどんどん削られ、劇場そのものの維持が困難になるところもあるとか。つい先日かかってきた努からの電話でも、去年削られてしまいそうになった舞踊団を無理に残してもらったので、給料が大幅に下がって、今年は休暇になっても日本に帰る旅費がないと言っていました。
努は今年の12月で37歳。そろそろ舞台に立つのも限界です。ヨーロッパのダンサーは、多くが別の資格(たとえば弁護士とか医師とか)を持っていて、ある程度の年齢になるとダンサーをやめ、別な仕事に就くそうです。
日本のピアノ普及率が、他の先進国に比べて抜きん出ているのは、有名な話です。先日、日本楽器製造が現在のヤマハへと成長していった変遷を取り上げている番組を見ました。日本のピアノ普及率の高さは、ヤマハによってもたらされたものです。そして「ヤマハ音楽教室」という形態が、現在の「××教室」という形態に大きな影響を与えています。
ダンサーとして踊れなくなった努が、ドイツで「バレエ教室」を開くことは、かなり困難なことです。バレエを習うのは、努がお世話になったカンヌのバレエ学校のようなところであり、町中にある「バレエ教室」ではないから。給料をもらって、いかにも恵まれた環境の中で踊っているように見える努は、日本のように子どもたちに教えることで、一生バレエと関わっていくことは難しいのです。
どうやら努は、日本に帰ってバレエと関わって生きていくか、それともドイツに残って生きていくか、相当悩んでいるようです。
「この前ね、お祭りみたいなところで焼き鳥売ってみたんだよ。結構人気でね、200本がすぐ売れちゃった。ドイツで焼鳥屋っていうのも何とかなるかも」
と、妹の麻耶(まや)にだけは、話したそうです。
さて、いよいよ今日(6月5日)は、東京創作舞踊団創立45周年記念公演です。藤井先生のところでバレエを習っている子どもたちの将来はいかに!
どんな道に進むにも、バレエを習っていたことが、人生を豊かにしてくれるといいですね。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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