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2021年12月

2021年12月28日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第231回「命の重さ」

また悲惨な事件が起きてしまいました。
さっきテレビのニュースを見ていたら、流れてきてのは横須賀の小学5年生が自殺したというニュースでした。まだ、はっきり自殺と断定されたわけではないようでしたが、警察は「自殺した可能性があるとみて調べている」とか。地上約1.8メートルの電柱を支えるワイヤのプラスチックカバーの上から自転車のチェーン錠をかけ、首をつっていたらしい。発見される直前に、自宅のある団地施設内で焼き芋を焼こうとたき火をしているところを帰宅した母親に叱られ、自転車で家を出たということのようなので、母親に叱られたことが原因ではないかと見られているとのことでした。
日常的な母親と子どもの関係がどんなふうにあるにせよ、たったそれだけのきっかけで命を絶つ必要があるのだろうか…。とても信じられない気持ちでニュースを見ました。
先日の北海道滝川市の小学6年女児の自殺の問題は、当初「いじめの事実は確認できない」としていた滝川市教育委員会に、遺書の内容が報道されて以来抗議が殺到し、とうとう教育長が辞任するという事態にまでなりました。
10月2日、毎日新聞北海道版の記事によると、遺書は次のようなものでした。

■女児の遺書の内容 ※一部抜粋、かな遣いなどは原文のまま
◇学校のみんなへ
この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう
私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から「キモイ」と言われてとてもつらくなりました。
6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。何度か自殺も考えました。
でもこわくてできませんでした。
でも今私はけっしんしました。(中略)
私は、ほとんどの人が信じられなくなりました。でも私の友だちでいてくれた人には感謝します、「ありがとう。」それから「ごめんね。」 私は友だちと思える人はあまりいませんでしたが今まで仲よくしてくれて「ありがとう。」「さよなら」。(後略)
◇6年生のみんなへ
6年生のことを考えていると「大嫌い」とか「最てい」と言う言葉がうかびます。(中略)
みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました。(後略)

報道によると「私が死んだら読んでください」とのメモ書きとともに計7通の遺書が教壇の上に置いてあるのが見つかったそうですが、すべてを鵜呑みにするということではないにしても、なぜここまで追い詰められた少女の気持ちを真っ直ぐに受け止めようとしなかったのか…。
横須賀の5年生の問題のあとには、11日に自殺した福岡の中学2年生の男子の問題が、子ども同士のいじめだけではなく、教師からのいじめを受けていたというニュースが流れてきました。本日(16日)の朝刊に大きく報道されているようなので教師の言動については触れませんが、教師の言動としてというより、人としてまったく信じられない言動が繰り返されていたことに、あきれるばかりです。
人が人として生きていく上での倫理観は、いったいどこに行ってしまったのか…。
先日、向井亜紀・高田延彦夫妻の代理出産による双子の出生届の受理について、品川区長に対し出生届の受理を命じる決定が、東京高裁から出されました。
昨日(15日)は、娘夫婦の受精卵を50代後半の実母の子宮に戻し出産した事例があると、長野県の産婦人科医師から発表がありました。
私には実子がいるので、子どもができない人たちの苦しみが充分にわかるとは言えませんが、正直言ってここのところの報道や世の中の動きには、かなりエゴイスティックなものを感じ、違和感があります。向井・高田夫妻の双子の出生届が受理されないという状況も、実際に子どもは生まれてしまっているわけですから、高裁の判断というのは妥当かなとは思います。けれども代理出産自体、あまりにも子どもを親の立場からだけ見てはいないか。科学の進歩とともに、いろいろな形での出産が可能になりました。私が子どものころ、妹が「小麦粉をこねこねして赤ちゃんを作る」と言ったことがありましたが、最近の命の誕生は、まるでこういった表現が当てはまるようにすら感じます。代理出産の是非を頭ごなしに非とするつもりはありませんが、もっと子どもの人権という立場での議論が必要なのではないか…。
そういう議論をどこかに置き去りにして、世の中が進んでいる現状が、倫理観の欠如を助長し、子どもの自殺にもつながっているように感じてなりません。子どもは親のものではなく、社会全体のものなんだという意識を社会が共有したとき、初めて子どもたちが大切にされる世の中が来るように思うのですが…。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第230回「保育園の責任」

先日、駐車場に車を止めて、ニュースを見ようとテレビのスイッチを入れると、
「今朝、10時ごろ、埼玉県川口市で、散歩中の保育園児の列に乗用車が突っ込み、保育園児2名が死亡…」
というニュースが流れてきました。
「どこだろう?」と詳しく見ていると、私の経営する東川口陶芸教室のすぐそばとわかりました。映し出される映像もなんとなく見覚えがあるように感じます。自分の知っていると思われるところで、事故があるというのはとても気になるもので、小鳩保育園という名前から、場所を確かめてみました。カーナビに示された場所を見て、「ああ、あそこかぁ!」と思い出しました。ときどき買い物をしたり、食事をしたりするために、車でうろうろしている一角にある保育園です。緑区大門から東川口駅前を通って鳩ヶ谷に向かう旧道と、オープン間もない美園のショッピングモールから川口市安行へ向かうけやき通りに挟まれた住宅街。けやき通りは道幅も広く、両側には商店が建ち並び、美園のショッピングモールができて以来、もともとそれなりには多かった交通量がますます多くなって、土・日ともなれば、ちょっとした渋滞を招くほどです。その南北に走っているけやき通りを東西に突っ切るように何本かの幹線道路が走っていますが、それ以外の路地はまったく住宅街の中の、交通量の少ない静かな通り。小鳩保育園はそんな住宅街の中にあります。所々に公園や畑があり、散歩を楽しむ人たちもたくさんいます。今回の事故はそんな中で起こりました。
ただ、私には不思議に思えたことがありました。それは、小鳩保育園の所在地は「川口市戸塚」なのに、事故が起こった場所は「川口市戸塚東」だったということです。たかが”東”がつくかつかないかの違いじゃないかと思うかもしれませんが、あの辺りの地理に詳しい人なら、”東”というのが、かなり交通量の多い「けやき通り」の東側で、「戸塚」というのは「けやき通り」の西側。「戸塚」から「戸塚東」に行くには、その「けやき通り」を横断しなければならないということに気づきます。2歳児から5歳児までの30人を超える集団が、道幅が広く交通量の多い「けやき通り」をなぜ渡らなければならなかったのか…。
実際に事故の現場を見てきました。現場に供えられたたくさんの花を見ると、悲しさが込み上げてきます。そこは、けやき通りに面したホームセンターの近くで、ホームセンターから北へ向かう路地。私もときどき通る道ですが、道幅は狭く、対向車とすれ違うのに、充分な道幅があるとは言えないくらい、交通量はそれほど多くはなさそうに見えますが、ホームセンターの駐車場があったり、小規模ではありますが、倉庫や工場のようなものがあって、そこそこ車は通ります。
「どうしてわざわざこんな道を、保育士が大きなカートを押しながら30人以上の園児が列を作って通らなくちゃならないんだろう?」
どうしても私には納得がいきませんでした。保育園のある場所は、事故現場に比べて交通量の少ない場所で、「けやき通り」を横切って東へ向かうより、保育園から西に向かった方が道幅は広く、交通量も少ないのです。

ここまで打ったところで、保育園の周りの状況をもう一度確認しておこうと思って、小鳩保育園のHPを開いてみたら、「えーっ!」とびっくりしました。小鳩保育園て、南浦和にもあったんですね。どこかで聞いたような名前だと思ったら、私の陶芸教室が南浦和にあったころ、毎日のように小鳩保育園の前を通っていたんでした。それが東川口の保育園と同じ経営とはね。ニュースの報道か何かにもあったんですかね? 私はたった今知りました。
事故があった日、娘の麻耶(まや)と話をしました。
「南浦和にも散歩させてる保育園があるよね。駅のそばのすごく交通量の多いところをカートを押しながら散歩してるから、いつも”危ない危ない”と思ってたんだけど、やっぱりあれって危ないよね」
「そうだよなぁ。陶芸教室が南浦和だったころよく見かけたけど、なんでこんなところ散歩させてんだろうって思ったよ。車が多くて、大人だって渡るの大変なようなところをカートを押しながら渡ったりしてるんだからね」
という、まさにその保育園が今回事故にあった小鳩保育園だったのです。
いやー、びっくりしました。「これは、まったくの偶然ではないな」。ますます保育園の責任は重大だと思いました。
小鳩保育園のHPの中に「保育士を目指す人のページ」というコーナーがあります。理事長が「保育士は斯くあるべき」ということを述べているのですが、はっきり言って幼児教育に携わるものとしては失格です。子どもを一人の人格ある人間としてとらえていない。子どもたちに対するそうした園の姿勢が、今回の事故を招いたのではないか。私は強くそう思います。事故を起こした運転手の責任は語るに及ばず、園は自分たちの姿勢を猛省すべきです。
川口市は、保育園の散歩コースをチェックすることにしたようです。もう二度とこのような痛ましい事故が起こらないよう、幼児教育に携わるすべての者が、子どもの安全とは何か、幼児教育とは何かということを考えてほしいと思います。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第230回「政治の責任」

車を止めて、テレビのスイッチを入れると、自民党衆議院議員で元文部大臣の鳩山邦夫氏の顔が、アップで大きく映し出されていました。
「教育の現状についてどうお考えですか?」
「今の子どもたちは幸せそうじゃないね」
「教育改革については、どう思われますか?」
「私が週休2日制を導入したので、ずいぶん悪く言われましたよ。子どもにとって、大事なのは、いろいろなことを学ぶこと、体験が大事なんじゃないかな。教科のことばかり教えていてもね。”やろう!”っていう意欲が湧くような教育をしないとダメですよ。”再チャレンジできる世の中を作る”といったって、それには”やろう!”っていう意欲が必要なわけで、それがないから今のようにニートが増える。子どもにはいろいろな体験をさせて、意欲を育てたいですね」(記憶をたどっているので、少し言葉が違うかもしれません。ニュアンスだけ取ってください)
そんなことを語っていました。基本的には大賛成です。子育て・教育における体験の欠如は、”やる気”が育ちません。”やる気”というのは、もちろん教科における学力とも密接に関係するわけで、どんなに教え方のうまい教師が”教える”というテクニックだけを駆使して教えても、子どもに意欲がなければ学力もつきません。しかも、”競争”ということを”エサ”にやる気を引き出したのでは、競争に負けたときや勝ってしまって先がなくなってしまったときの反動が大きい。”競争”というのは、目先有効であっても、目的が非常に矮小化しているので、それだけではそう長くは意欲が持続できない。もっと人間の根本の部分から意欲を引き出さなくては…。
鳩山氏の考え方は、そういったものだと受け止めました。
文部科学省はゆとり教育を改めようと、大きく舵を切りました。ここ1、2年の方向転換は、まさに180度。教育現場の混乱もかなり大きなものになっています。
長期にわたった小泉内閣から、阿部内閣にバトンが渡されました。経済界からは、「改革なくして成長無し」の言葉の元、構造改革の継続を望む声が数多く出されているようです。現在政府が進めている”改革”の是非はともかくとして、経済政策の継続性はとても重要なことです。誰が考えても当然のことです。
教育に継続性は無用なのか。
阿部内閣の発足により、今度は小学校における英語教育の方向性が180度変えられようとしています。前任の小坂大臣は「柔軟な児童が、英語教育に取り組むのは否定すべきことではない」と、必修化に前向きな姿勢を示していました。ところが今回就任した伊吹大臣は、「私は必修化する必要は全くないと思う。美しい日本語ができないのに、外国の言葉をやったってダメ」と話し、否定的な見解を示しました。小学校の英語の授業をめぐっては、文科相の諮問機関である中央教育審議会の専門部会が今年3月、5年生から週1時間程度の必修化を提言、中教審で議論が進められています。にもかかわらず、大臣が替わる度にこんなことが起こっていいのでしょうか。
必修ということに限って言えば、私はどちらかというと伊吹氏指示ですが、それはともかくとして、教育行政の変わり様は、いつも180度。これで、健全な教育が行われていると言えるのか、はなはだ疑問です。
教育行政の中身が、文部科学相の個人的な好みによって左右されている現状は、とても憂うべきことです。何が子どもたちにとって最善か、もっと現場を重視し、長期的なビジョンをもって政治が進められることを強く望みます。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第229回「子ども動物自然公園」

昨日(23日)何年ぶりかで、東松山にある「埼玉県子ども動物自然公園」に行ってきました。25年ほど前に妻と私が生活を始めたころ、子どもを連れてよく遊びに行ったところで、私たち家族にとっては、他の場所とはちょっと違う特別に思い出深いところ、聖地です。娘の麻耶(まや)は、孫の蓮(れん)と沙羅(さら)を連れて何度か訪れているようですが、私が最後に行ったのは、いつだったかもう忘れてしまって思い出せないくらい前(確か今19歳になる翔が、お弁当を食べているときに近くにやってきたクジャクを怖がって、お弁当を食べるのを止めて逃げ回った時が最後のような気がするので、たぶん15、6年前? そのあとに一度行ったような気もするけど、よく覚えていない)です。
関越自動車道の東松山インターを出て、鳩山方面に向かうと10分ほどで公園に着きます。駐車所に入ったとたん、
「ああ、ここだ、ここだぁ!」
と何とも言えない気持ちが込み上げてきました。ちょっと大げさに思うかもしれないけれど、ここにはそれくらいの思い入れがあります。当時の写真がアルバムに貼ってありますが、まだまだ経済的にも生活は不安定、夫婦の年齢は16歳も違う、その上私とは血のつながりのない子どもがいる、普通の家族と比べると、そうとう危なっかしい船出をした私と妻にとって、浦和レッズにとっての駒場スタジアム(レッズファンには怒られそうですが)のような、わが家の歴史はここから始まったと言ってもいいくらいの、そんな場所です。
入り口を入ってすぐの水の流れの中に建つ動物のモニュメント。
「ここで撮った写真あるよね」
そこから真っ直ぐ進むと、左側にポニーの乗馬コーナー。
「真(まこと)も麻耶も怖がって乗らなかったんだよね」
さらに真っ直ぐ進むと大きくそびえる「天馬の塔」。
「ここで翔とお弁当食べてたら、クジャクがそばに寄って来て、翔が逃げ回ったっけ」
行く先々で思い出がよみがえってきます。
牛の乳搾りができる乳牛コーナー、実物大のモニュメントがある恐竜コーナー、中に入っていろいろと楽しめるこどもの城。初めて訪れたときには、まだなかった東園。20年ほど前に、そのころ日本ではまだ珍しかったコアラが来て、見に行きました。
当時と比べると、動物の種類も増えて、ずいぶん整備されたなあという感じ。カンガルーコーナーでは、放し飼いの状態で、手の届くところにカンガルーがいるし、園内全域にマーラ(げっ歯目 テンジクネズミ科)とクジャクが放してあるので、「動物を見る」という動物園とは違い、「動物と共存」するということを肌で感じることのできる動物園だと思います。
昨日は、園で孫と待ち合わせをして、一回りしてきました。とにかく広い広い。ひとつのコーナーから別のコーナーまで相当な距離があるので、コアラとカンガルーを見て、恐竜コーナーへ行って、こどもの城、乳牛コーナーと回ると、数キロを歩くことになります。そんな広い園内に、まだまだ人の数なんてまばら。以前、平日に行ったときは一回りしても数人の人にしか出会うことがなかったのですが、昨日の祭日があの様子だと、今も昔とそれほど変わっていないのでは?
「こどもの城」の内部はずいぶん変わっていました。時代の流れのせいでしょうか、以前は子どもの力で動かすもの(手で回すとか、ペダルをこぐとか)が多かったのに、手で触れると画面が変わる、マウスをクリックしながら画面に映る質問に答えるといった”画面を見る”というタイプのものが増えていました。
昨日は、久しぶりにずいぶん長い距離を歩きました。とても懐かしく、楽しい3時間あまりでしたが、今日は床に入ってもとにかく足がだるい。日頃の運動不足が露呈した感じです。以前もこんなにだるかったっけなあ??? やっぱり年の流れを感じますねえ。きっと、私の他にも自分の歴史を刻んでいってる人がいるんでしょうね。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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2021年12月14日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第228回「義母の死 後編」

義母の手を取っても、握り返す力もありませんでした。ここに妻と私がいるということはわかっているようですが、義母にはすでに自分の意志を伝えるだけのエネルギーが残っていないように見えました。すっかり変わり果てた義母をじっとそばで見つめているのはとても辛くて、私は義母の足の方に下がりました。
しばらくすると、看護師が、先生が話をしたいと言っていると伝えに来ました。日曜日ということで、病院の体制も平日とは違い、看護師の数もほんのわずか、医師も当直の医師でしたが、前回の検査入院の時に撮ったきれいな胸のレントゲン写真と、ほんのちょっと前救急車で運ばれた直後に撮った、胸に水が溜まりすっかり白くなってしまったレントゲン写真を2枚並べて、救急隊からの連絡の時点ではそれほど深刻な状況だと思わなかったということ、ところが病院に着いたときには自分で呼吸ができる状態ではなかったこと、心筋梗塞との判断で取れる限りの処置をしたこと、あと10分到着が遅れたらその時点で亡くなっていただろうということ、そしてここ1~2日くらいが山、それを持ちこたえられるかどうかで、どちらの方向に進むかが決するであろうということを、丁寧に説明してくれました。
娘の麻耶(まや)が、孫の蓮(れん)と沙羅(さら)を連れて病院に来ました。麻耶は、昨年義父が亡くなる前の晩、蓮と沙羅を連れて熊谷から川口の自宅に戻っていました。ところが、その日の晩、父の容体が悪化し、急いで麻耶が熊谷の家に来たときには、、すでに義父が亡くなった後だったので、今回はどうしても義母の臨終の瞬間には、自分も立ち会いたいし、蓮や沙羅も立ち会わせたいと、急いで飛んできたのです。そして努を除く、子どもたち全員が、ほんのわずかな間に集まり、それぞれ義母に声をかけました。どうやら義母には、その様子がわかっているようで、それまでただ苦しそうだった義母の顔が、やや柔和な表情になったように感じられました。
月曜、火曜と一旦は義母の状態も改善に向かい、口から人工呼吸器の管を入れているので、しゃべれはしないものの、点滴をしている手をゆっくりと動かし、画用紙にサインペンで字を書いて、意志を伝えられるようにはなりました。
「今の(看護師)は、(処置が)ヘタ」とか「主治医を呼べ」とか「それは何の薬?」とか、声ではなくサインペンで書かれた文字ではあるけれど、いつもの義母らしい会話が戻ってきたので、“ここ1~2日の山”が、もしかしたらいい方向に越えられたのかな?と期待をさせたのですが、結局火曜日の深夜(水曜日の夜明け前)、息を引き取りました。
最後に画用紙に書いた言葉は、「生か死か?」という言葉でした。とても親切で優しい男性の看護師さんが、義母のベッドでの姿勢を替えに来たとき、義母は、自分が生の方向に進んでいるのか死の方向に進んでいるのかを看護師さんに尋ねたのでした。
「生か死か?」
看護師さんは、義母からサインペンを受け取ると、画用紙に書かれた「生」の文字をはっきりと強いタッチで、何重にも丸で囲みました。義母は小さく頷きました。
結局、その日の晩、義母の異変はその男性看護師さんに伝えられ、医師の必死の心臓マッサージの甲斐もなく、義母は息を引き取りました。義母を見つめる看護師さんの目には、私たち同様涙がいっぱい溜まっていました。
義父もそうであったように、義母の最期も孫や曾孫から何かをもらい、そして何かを伝えているようでした。それまで誰に対しても何の反応も示さなかった義父は、蓮と沙羅が手を撫でた瞬間、「よしよし」とひ孫をなだめるように手を振りました。苦しそうにほとんど何もできないでいた状態の義母も、蓮と沙羅に手を撫でられると、しっかりと蓮と沙羅の手を撫で返していました。一人一人の孫たちにも、自分は死んでいくんだということを、しっかり伝えているようにも見えました。娘や孫、そして曾孫たちに囲まれて息を引き取った義母の顔は、これですべてが終わったというような、今までに見たどんなにきれいな義母の顔よりも、さらにきれいで優しく、穏やかな顔でした。
義母の臨終に立ち会うことができた麻耶や蓮や沙羅は、きっと何かを義母から受け取ったことと思います。昨年、義父を火葬にする話を聞いたとき、「食べるの?」と聞いた蓮は、今回は黙っていました。そして、義母の骨をしっかりと箸で挟んで、骨壺に収めていました。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第227回「義母の死 前編」

義父の一周忌を目前にした先週5日(火)、90歳の義母が亡くなりました。
その電話は、先週の日曜日、9月3日、ちょうどこの連載の原稿を打っているときにかかってきました。
「母が救急車を呼んで入院したっていうんだけど、今カウンセリング中であと20分くらいかかるから、終わったときにすぐ出られるように支度してて」
慌てていましたが、ちょっと面倒くさそうな妻の声。
「またぁ?」
「ヘルパーが付き添って救急車で運ばれたって、ヘルパーステーションから電話があった」
「ふーん。じゃあ、そのころ車を取りに行って下にいるから」(駐車場が仕事場からちょっと歩ったところにあるので、急いでいるときはどちらかが先に車を取りに行きビルの下で待機しているのです)

義母は、昨年9月23日に93歳で義父が亡くなってから、一人暮らし。何度も「わが家へ来てください」と話したのですが、「もう少し家の中の整理をしたいから」と言って、朝昼晩と食事の支度にヘルパーに入ってもらって、わが家にはきませんでした。毎週欠かさず1度か2度は妻と私が熊谷の実家へ行き、夕飯の支度をして一晩泊まってくる。ここ1年間、ずっとそんな生活でした。義父が生きているころから5、6回あったでしょうか、義父の面倒を見るのがつらくなったり、こちらにちょっと甘えたくなったりしたときは、「これから救急車を呼んで入院するから」とこちらを驚かせる電話がかかってくるのです。もちろん昼夜かまわずかかってきて、夜中の3時なんていうこともありました。
「わかりました。それで今、どんな具合なんですか?」
と様子を聞き、場合によっては「こちらから飛んで行きますから」と救急車を呼ぶことを待たせたり、あるいは救急車を呼ばせたり…。「今行きますから、待っていてください」と言ったのに、熊谷に着く前に病院から「今、救急車で病院に来ましたから」と連絡が入ることもありました。
しかも一週間ほど前に胸から背中にかけて痛いからと言って検査入院し、一応心臓の様子も見てもらいましたが、結局「肋間神経痛」という診断で、8月27日(月)にたった一週間の入院で退院してきたばかり。それも、いつもだったら大したことがなくても長く入院したがるのに、今回は「もう一週間くらい入院してれば」とこちらから言ったにもかかわらず、どうも同室のメンバーが気に入らなかったのか、看護師が気に入らなかったのか、土曜日くらいから「出たい、出たい」と大騒ぎ。それで退院したいきさつがあったので、またいつもの入院騒動と高をくくっていたのです。

「ヘルパーステーションに電話して、様子聞いといて」
妻との電話を切って、すぐにいつも義母がお世話になっているヘルパーステーションに電話を入れましたが、ちょうどそのとき実家にいたヘルパーが救急車に同乗してくれたこと、そこの会社の専務さんが病院に向かっていて、こちらが到着するまで付き添っていてくれることはわかりましたが、義母の様子はわかりませんでした。病院に電話をすることも考えましたが、救急車で運ばれて間もないので、少し待つことにして、それまで打っていた原稿をそこまでにして、荷物をまとめ、車を取りに行きました。
妻が車から病院に電話を入れると、返ってきた言葉は「心筋梗塞」。義母が自分で救急車を呼び、しかも病院は実家から車で2、3分という距離なのにもかかわらず、病院に到着したときは、自分で呼吸ができなかったと…。
「意識はありますが、人工呼吸器を付けて点滴をしています。どなたが来られますか?」
妻と私は、やっと事の重大さを飲み込み、子どもたち全員に連絡をとり、義母の状態を伝えました。
1時間ほどで病院に着きましたが、そこで見た義母は、いつもの母ではなく、人工呼吸器のリズムと一緒に胸がふくらみ、やっとのことで息をしている、まったく動かない義母でした。
「お母さん、来たよ!」
妻の言葉に、ぴくっと身体が反応しました。
「あなたに会いたがっていたんだから、声かけてやってよ。わかるよ」
「お義母さん、遅くなってすみません。今来ました」
と手を取ると、義母はゆっくりとそして小さく頷きました。

つづく

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第225回「企業の倫理と親の責任」

幼児がシュレッダーに指をつっこみ、指を切断するという事故が起こったという報道がありました。シュレッダーは紙を細かく裁断する機械なので、歯と歯の隙間が狭い上、複雑な動きをするので、指が潰れてしまい、縫合することはできないとか。ということは、事故にあったお子さんは、一生指がない状態で生きていかなければならないということ? 交通事故のように、1つの事故が生死に関わるような大きな事故ではなく、周りから見ればほんの些細な事故なのに、一人の人間の人生を大きく左右してしまうような結果を招いてしまう。そんなこともあるんですよね。
一生のうちのすべての瞬間を、身体のすべてが健康な状態でいるというのは至難の業で、前にも触れたように、わが家の子どもたちも、麻耶(まや)は腎臓と血管の血液をやり取りする腎杯が半分くらい壊れてしまっていて、爆弾を抱えているような状態だし、翔(かける)は、色弱で複雑に色が混ざったものはうまく見分けがつかないので、ゴルフコースに出たとき、キャディーさんから見えないピンを狙う目標について「グリーンの奥に丸く刈り込んである赤い木が3本あるでしょ。その真ん中の木を狙えばいいですよ」と言われて、翔曰く「色なんて言われたって全然わからないから、一生懸命丸い形の木を探しちゃったよ」という具合で、おそらく紅葉なんてただの枯れた木がいっぱいに見えているんだろうなって思います。私にしても、気圧が下がると目が回るので、飛行機はもちろん、高度の高い峠道は車の運転ですら気をつけないと目が回って危険な状態。海外に出るなんて、船で行くしかないので、韓国、中国を除けば、夢のまた夢。旅費も半端じゃなくかかるし、なかなか長期で休みを取るなんていうことは難しいし、いつになったらいけることやら…。
わが家の子どもたちや私が背負っているハンデに比べたら、指がないというハンデは、もっと根源的に“生活する”ということに直接関わる大きなハンデなので、とても気の毒に思うけれど、しっかりとそれを受け止めて、明るく生きていってほしいと願うばかりです。
今回のシュレッダーの事故の報道を見ていると、企業の責任が大きく取り上げられています。雪印や三菱自動車などから露見した企業倫理の欠如は、とどまる気配もなく、最近ではトヨタ自動車のリコール隠しが明らかになったり、パロマ工業製湯沸かし器の欠陥から死亡事故が起こったり、ついには行政のずさんなプール管理までが明るみに出て、われわれのものつくりや安全管理に対する信頼はずたずたになっています。けれども私は、今回のシュレッダーによる事故を、こうした企業や行政の倫理の欠如と単純に同一化して考えることは、間違いだと思います。
製造メーカーとして、どのようにしてものを作るかと考えた場合、より安全性の高いものを作るというのは、当然のことです。しかし、ものを作る側は、ものを使う側の要求にどう応えるかということも重要な要素なので、シュレッダーのようなものでは、安全性を取って挿入口を狭くするか、大量な紙を一度に処理できるよう挿入口を広くするかとか、安全性という付加価値を追求して高く売るか、付加価値は必要最低限に抑えて安く売るかとか、そういった点で何を選択するかは、まず企業が経営戦略的に選ぶものであって、その後に消費者がどんな製品を選ぶかという問題であると思います。
今回事故が発覚したシュレッダーは、事務機器メーカーのものだそうですが、家電メーカーの製造したシュレッダーは、もう少し安全性が高かったとも聞きました。私も小さな手回しのシュレッダーは時々使いますが、それほど危険を感じたことはありません。メーカーが、幼児が触るということを想定していなかったのは、落ち度と言えなくもありませんが、もともと私たちの意識の中にもシュレッダーを幼児の触るところに置くという意識はない。その辺のところは、子どもがいるとすれば、利用者の注意義務の範囲内ではないか…。
もちろんメーカーには、より高い安全性を求めます。けれども私は、子育てをしてきた者として、それを利用する親たちには、さらに高い安全管理を求めます。
パチンコ店の従業員が、炎天下の駐車場に止めてある車の中に乳幼児が置き去りにされていないか見回っているところが報道されました。店側にすれば、自分の店の駐車場で、子どもが死亡したということにでもなれば、相当なイメージダウンになりますから、当然といえば当然ですが、もともと炎天下の車の中に子どもを置き去りにするということが当然ではないのです。
私が子どもを育てていたころは、まず子どもの手が届く範囲の観葉植物をどかしました。土が見えないように飾ってあった石を子どもが飲み込んでしまう可能性があったからです。子どもが簡単にコンセントの近くに行けないよう、家具でコンセントの周りを囲んだり、余計なものはコンセントに差さないようにしました。家庭の中にも危険はたくさんあるのです。包丁、アイロン、針、はさみ…。大人がなんでもなく使っている箸やフォーク、ボールペンや鉛筆も、とても危険です。とは言え、まさか切れない包丁や熱くならないアイロンを作るわけにはいかない。
仕事の形態の変化により、家庭の中にどんどん仕事が入り込んできています。当然、子どもにとっては危険が増しているわけで、親にとってはより多くの注意が必要になってきています。ほんのちょっとの気配り、それが子どもを守るのです。メーカーの安全対策もさることながら、メーカーにだけ責任を押しつけるのではなく、私たち親も、もっと子どもの安全に対する認識を高め、負わなくてもいい負担を子どもに負わせないよう、できる限りの注意を払う必要があるのではないでしょうか。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第224回「初めての富士登山 後編」

翌々日のお昼過ぎ、娘の麻耶(まや)から、携帯電話に画像が添付されたメールが送られてきました。
[今、6合目にいます]
というメッセージと一緒に送られてきた写真は、孫の蓮(れん)と沙羅(さら)が携帯電話のカメラの方を向いて、ニコニコ笑っているものでした。
どうもあまり天気はよくないらしく、二人の後ろの方には、霧らしきものが見えます。けれども蓮も沙羅もまったく天気など気にしていない様子で、とにかく嬉しそうです。それまで写真でしか見たことのなかった富士山が“足の下にある”という実感があるらしく、ただ単純にニコニコしているというより、幼いながらも“何か達成感のようなものを感じている”、そんな表情をしています。
[蓮も沙羅も楽しそうだね。雲は取れそうか!?]
と返事を送ると、
[取れないって(笑)]
と返ってきました。
[それは残念。どんな雲が来るか楽しみだったんだけどなあ…]
[今、取ろうとしてるけど取れないって(笑)]
[あんまり無理をしなくていいよって言っといて。蓮くんのおなかにいっぱいためといてって]
しばらくすると、
[また困ってるよ(笑)]
とメールがきました。
富士山の6合目で雲と格闘している蓮の姿がとてもリアルに目に浮かんできて、思わず吹き出しそうになっている自分を感じて、さらにまたおかしさがこみ上げてきました。
そこまで私とメールのやり取りをした麻耶は、今度は妻に、
[まったくじいさん、変なこと言うんだから困っちゃうよ(笑)。ウチって、いつからそんな非科学的なこと、子どもに教えるようになったんだよ!? “雲って何?”って蓮に聞かれたって私にはうまく答えられないんだから、そういうことを科学的にちゃんと教えてやってくれっちゅーの! よけいなこと言うから、大変なことになっちゃうじゃないか! 今、必死で息吸い込んで、“口開けると雲が出ちゃう”って困ってるよ(笑)]
とメールが送られてきました。
蓮とのほんの些細な会話が、どうやら大変なことを巻き起こしちゃったみたいです。

3人が富士山から帰ってくる日は、昨年亡くなった義父の新盆の準備に、熊谷の妻の実家に行かなくてはならないので、3人を家で迎えてやることができませんでした。
麻耶から、“家に着いた”というメールがきました。
[今、着いたよ。蓮が口を開けると、雲が出ちゃうって言って、息を止めて真っ赤な顔になってるんだけど…(笑)]
家に着いてから、息を止めたってなんにもならないのにね。富士山から家まで、どうやって息止めてたんだろ?
翌日、3人も熊谷にやってきました。私の方にやってきた蓮はにやにやしています。
「じいちゃん! 雲さん出すからね!」
と言うと、“ふーっ!”と私の目の前に息を吹き出して見せました。
「あーっ! 雲さんだぁ!」
と私と妻が調子に乗って言うと、今度は、
「はぁーっ!」
と息を吹き出してにやにやしています。蓮は、雲が持ってこられないものだったことをちゃんと知っているのです。取れないものを取れると思っていた自分に対する照れと、取れないものを取ってこいと言った私に対する非難と、そして何よりも本物の雲の中に立ち、雲というものがどういうものなのかということを自分自身で悟った満足感が入り交じった複雑な表情、私には蓮の表情がそんな風に見えました。いつからこんな俳優さながらの“ごっこ”ができるようになったんでしょう。

新聞の一面に、血だらけの子どもがお父さんに抱えられているレバノンの写真が載りました。その写真をかなり長い間見ていた蓮は、なんの脈絡もなく突然、
「蓮くん、大人になったらお医者さんになって、この子を治してあげる!」
と言いました。世界のあちこちで戦争や紛争が起こり、多くの子どもたちが犠牲になっています。世界中の子どもたちが、みな幸せに、楽しく暮らせるよう、今に日本の平和を世界に広げたいなあ、つくづくそう感じました。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第223回「初めての富士登山 前編」

娘の麻耶(まや)が突然
「夏休み中にね、蓮(れん)と沙羅(さら)を富士山に連れて行こうと思うんだ」
「ん? なんで?」
「なんでってこともないんだけど、やっぱり富士山は日本一高い山じゃん。観光名所っていうか、とにかく有名でしょ。そういうとこって、小さいうちに一度見せてやった方がいいかなって」
「ふーん」
「日光とか京都とかさ…。日光はもう行ったでしょ。京都は、ちょっと遠いしね。だから、今年は富士山かなって」
「ふーん。そういうもんかねえ」
「何歳くらいからだったら、富士登山できるかなあ?」
「はっ? 蓮と沙羅を富士山に登らせようとしてる?」
「そうだよ。せっかくだもん、登らなきゃ!」
「おまえだって登ったことないのに…」
「だから、経験させてやりたいんだよ」
「かっ! まだ無理だろっ、幼稚園の年中と年少じゃあ!? せいぜい、小学校の5、6年生くらいにならないとぉ」
「やっぱりそうだよねえ…」
「あたりまえだろっ!」
「でも登らせてみたいんだよ。頂上までっていうことじゃなくて、いけるとこまででいいからさ」
「ふーん。まあ、登らせたけりゃ登らせればいいけど、おまえが大変だぞ」
「まあね。それはわかってるんだけど、登らせてみたいんだよ。もし、どうしても途中でダメになっちゃったら、私がひっ背負ってやる!」
「はあ、すごい気合いだなあ。そこまで登らせたいかねえ?!」

いよいよ富士山に出かける前日。あいにく台風が来ていて、明日の天気が心配されました。
朝、私がパソコンを開いていると、蓮が近くにやってきました。
「蓮くん、今度富士山登るんだって?」
「そだよ」
「いいねえ」
「うん」
「蓮くん、どっか山登ったことある?」
「うん、あるよ。この前、森林公園のお山、登ったよ」
「?(森林公園に山なんてあったっけ?) ふーん。じゃあ、富士山も登れるかな?」
「うん、登れるよ! じいちゃん、富士山の写真見せてよ!」
「いいよ!」
インターネット上で、“富士山”で検索し、写真をパソコンの画面に表示してやりました。しばらく富士山の写真を眺めていた蓮が、何を基準に言ったかはわかりませんが、
「うーん、高いなあ…。登れないかもしれない」
と急にトーンダウンして言うので、ちょうど中腹あたりにかかっている雲を指さして、
「これが雲だよ」
と説明すると、
「んー」
と言いながら、何度も首をかしげています。と、突然、
「蓮くん、じいちゃんに雲さんを取ってきてあげる!」
と言いました。
「うん、そうだね。じゃあ、じいちゃん楽しみに待ってるからね。お天気、いいといいねぇ」
「うん!」
そして、娘の麻耶と孫の蓮と沙羅は、三人で富士山に出かけていきました。

つづく

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第222回「信用の上に成り立っていること」

最近、腹立たしいことがたくさん起こります。“不正免除にはとどまらず、払ったものまでもが未払いにされているという社会保険庁の年金問題”、“紙幣やコインまでをも燃やしたり、ゴミとして処分をしたという岐阜県の裏金問題”、“ふじみ野市のずさんな管理が明るみに出たプール事故”、“パロマやトヨタの企業倫理を疑いたくなるような無責任、隠蔽体質”、“まだまだ氷山の一角と思える教員の生徒に対するセクハラやわいせつ事件”、そして“どうしてあれで勝ちなのかまったくわからない亀田興毅のタイトルマッチ”。これだけ、許し難いことが連続して起こると、もう感覚が麻痺してしまって、多少の悪事では、悪事には見えなくなりそう。
今回のプール事故は、なんとすぐお隣?(すぐ合併しちゃうので、どこが隣でどこが隣じゃないかよくわからなくなっちゃった)のふじみ野市での事故。しかもそのプールを管理していたのがさいたま市の会社ということでは、どうしても一言言いたくなるよね。
その前に、さいたま市のプールの管理ってどこの会社がやってるんだろう? まさかあのずさんな会社? 私はよく知らないけど、すごく不安で、市民プールなんて行けなくなりそうだ!
プールの監視員にはいっぱい言いたいことがあって、ちょうど去年の今ごろ、第173回でも触れたけれど、思った通りというか、不安が的中してしまったというか、やっぱり悲惨な事故が起こってしまいました。公営のプールを利用したことがある人なら、みんな感じているんじゃないかと思うけれど、どこのプールの監視員も、ほとんどが高校生。そしてその高校生たちは、安全管理ということの本質をまったくわかってない! もちろん、その高校生たちに責任があるわけじゃなくて、その上に立つ者が“安全管理”ということをまったく理解していないから、高校生も訳のわからないことをやってる。
どこのプールも皆同じように、監視員がやっているのは、プールに入りに来ている人たちに対する管理。それが絶対いらないとは言わないけれど、母親がついててやらせていることまで、「××はしないでください!」と怒鳴りまくってる。そりゃあ、確かに自分の子どもを殺しちゃう母親も多くいるから、何をするかわからないと言えば確かにそうかもしれないけれど、基本的にはプールに子どもを連れてきているような親が、そんなに子どもを邪険に扱うわけがない。子どもが安全に楽しめるように注意を払いながら、その上で親が子どもにやらせていることにでも、とにかく大声で注意をする。多くの人が楽しむ場所では、自分勝手な行動は、厳に慎まなくてはならないのは当然で、最近マナーの悪い人が多いのは確かだけれど、監視員がそのマナーにだけに目を光らせて、やたらと威張ってばかりいたのでは、本来監視員も含めた管理者側が、市民に対して保証しなければならない安全が、保証されたとは言えない。プールの安全管理を司る者が、誰に対して厳しくなくてはいけないかと言えば、それは市民に対してではなく、自分たちに対してなのだ。そんな原則すらわからずに、管理を請け負っている会社、そんな会社が何をしているか確かめもしないで安全管理が充分だと思っている市。まさか、そんなずさんな管理しかなされていないなどと、少しも思わない市民の信頼を裏切るものです。
人と権力との関係というのは、もともと信用の上に成り立っている関係です。「権力を持つ者は誠実に物事を進めている」という大前提の基、権力を持たない側は行動しているわけです。例えば、教師と生徒の関係。これも、教師は誠実に子どもたちに接しているという前提で、教育は成り立っている。ところがその信頼を裏切る教師がたくさんいる。例えば、親と子の関係。まさか自分の親に虐待されたり、殺されるなどと考えている子どもはいない。子どもたちは、教師にも親にも限りなく無防備なのです。それが最近崩れ始めて、子どもは自分を自分で守らなくてはならなくなった。寂しいことですよね。信用の上に成り立っている社会ほど、平和で優しい社会はないと思うんだけれど…。
全然話は違うようだけれど、亀田興毅のタイトルマッチも、レフェリーやジャッジに対する信用の上に成り立っていたことの一つです。それなのに、あんなことになっちゃって…。あれだけ派手なパフォーマンス、派手な演出の結末があれではね。誰も勝ったと思ってなかったんじゃないかな? 解説をしていた竹原、畑山といった元世界チャンピオンたちも、最後の方はほとんど“亀田が負け”という前提で解説をしていたにもかかわらず、勝ってしまったから、亀田興毅の名前がアナウンスされた後、しばらく沈黙しちゃってたよね。勝ちを宣言された瞬間のお父さんの顔。喜んでいるというより“ハッ?”という表情。これまで一生懸命やってきた亀田興毅がかわいそうに感じました。
社会全体に信用できないことが充満してきたこのごろだから、スポーツだけはって見てたのに…。
少なくとも子どもに関わる部分だけでも、信用の上に成り立っている社会を守りたいですね。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第221回「カブト虫」

「今日は、森林公園に行ってきちゃった。今度はじいちゃんが連れてってよ」
「なんで!? そんなの母親の役目だろっ!」
「だって、カブト虫見つからないんだもん。じいちゃんと行って見つけてもらうしかないよ。じいちゃんなら見つけられるでしょ? あたしじゃダメだった。いくら探しても、頭のとこだけ折れて、死んじゃってるやつしか見つからないんだよ」
「どこ探してんだか」
「いっぱい見つけたって言ってる人もいたのに…」
「去年からあんなにたくさん飼ってて、卵だってふ化させたんだから、どういう所にいて、どんな風に行動するか知ってるんだろっ? おまえがずっと世話してたじゃないか」
「だって、ケースの中だよ。それに、ほんとは世話したくないのに、無理に世話してたんだもん、そんなことわかんないよ。触れないんだよ、ほんとは。蓮(れん)君、今度はじいちゃんとばあちゃんと行くんだよね!?」
「うん! じいちゃんにカブト虫見つけてもらう!」
「おやおや」
「だから連れてってやってよぉ!」
「しょうがないなあ。うまく時間がとれたらね」
一昨日、突然東松山の森林公園に行ってきたという麻耶(まや)が騒いでいます。どうもこの雲行きだと、近いうちに孫二人を連れて、私が森林公園へ行くことになりそうですね。

これがアップされる31日は、孫の蓮の誕生日。去年の私からのプレゼントは、カブト虫のオス3匹とメス3匹。それに飼育ケース2つでした。私が蓮にプレゼントをした直後、中古車センターのキャンペーンで、さらにメス5匹をもらってきて、わが家で暮らすカブト虫は全部で11匹に。まだ4歳の蓮に一人で世話ができるわけもなく、もちろん本当に世話をするのは娘の麻耶。虫が嫌いな麻耶は、なんだかんだ文句を言いながら、なんとか蓮と沙羅(さら)の三人で、産卵から成虫になるまでの一年間、世話をしてきました。
「あーっ、幼虫がいるよ!」
「ひえーっ、でっかーい!」
「こんなにたくさんいるよー!」
「じいちゃん、昆虫マット替えてよっ!」
「あーっ、さなぎになったぁ!」
「見た見た、じいちゃーん? ほらっ、カブト虫になったよっ!」
飼育ケースの中で、何か変化があるたびに大騒ぎ。
カブト虫っていうものが、お店に売ってるものと思われたり、家の中の飼育ケースで育つものだと蓮や沙羅に思われてしまうのも困るけれど、とにかく一年間、卵を産んで、それがまた幼虫、さなぎ、成虫となっていく姿を見られたことは、孫の二人にとっても、娘の麻耶にとっても、いい経験だったように思います。
「じいちゃん、成虫になったやつが、オスとメス一緒に入ってるから、ちょっと分けてよ」
「それくらいおまえがやればいいだろっ!」
「ムリムリ。だって、ビニールの手袋、もうなくなっちゃったんだもん。直接手でなんて触れないよ」
こんなんでよく一年間育ててきたもんだよ。私が子どものころは、カブト虫は育てるものじゃなくて、採るものだったんだけどね。
「じいちゃん、カブト虫ってどうやって育てればいいの?」
と去年聞かれたとき、
「そんなもん知らないよ。インターネットで調べればいいだろ!」
と答えた私。今年はどうやら、
「カブト虫見つけてよ」
ということのようなので、うまく仕事の都合がつけば、見つけてやることにしましょうかね。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第220回「うちわ祭(まつり)」

一昨年の夏(第117回)ちょっと触れた熊谷の「うちわ祭」。昨年は、義父の具合が悪くて行けなかったんだけれど、今年は孫を連れて行ってきました。
どういうわけか、娘の麻耶(まや)が、どうしても4歳の蓮(れん)と3歳の沙羅(さら)を“叩き合い”(http://www.city.kumagaya.saitama.jp/kanko/kumagayautiwamaturi/index.html を参照)の中に入れるんだと張り切っていたので、
「しょうがないなあ、じゃあ肩車でもしてやるか」
というわけで、先に叩き合いが行われる“お祭り広場”(“広場”と言うけれど、ここは普通に言う“広場”ではなく、大きな十字路なんですが、毎年そこで各地区から12台の山車が集まり、交差点の中央に向かって、祭り最後のお囃子の叩き合いをする場所になっていることから、“お祭り広場”と呼ばれています)に行っていた麻耶(蓮、沙羅つき)と連絡をとり、お祭り広場のそばで合流しました。
お囃子の叩き合いは、祭りが行われる3日間を通して場所を変え、毎日行われるのですが、最後に行われる叩き合い以外は、基本的に12台の山車を扇形に並べて行います。うちわ祭最後の叩き合いだけは、中央に舞台が設営された十字路、お祭り広場を、四方向から山車が囲んで、360度を山車が囲んだ状態での叩き合いですから、その中にはいると、とにかく圧巻です。
問題は、山車に囲まれた中にいる人の数。“山車に囲まれたい”と、早くから人が集まっているところに、さらに四方向の道から広場に向かって山車が迫ってくるわけですから、交差点内ではなく、四方向のそれぞれの道にいた人たちまでもが、山車に押されるように交差点の中に“ギューッ”と圧縮、詰め込まれてくるわけです。初めから中にいた人間は、押されて倒されないように、かなり踏ん張らないと危険です。
広場からかなり遠くで、待機していた山車が、こちらに向かって動き出したのが見えました。天気がはっきりしなかったせいか、例年よりは人手が内輪な気がしたので、蓮と沙羅を連れていても、それほど危険はないと判断して、頭の中で押し込まれたときのシミュレーションを展開して、一応広場の中心で、山車が来るのを待つことにしました。
「もうじき山車が来るぞ! 準備はいいかっ!? 蓮、気合い入れろっ! しっかりつかまってろよっ!」
もちろん、半分くらいは演技で、肩の上に乗っている蓮に声をかけると、
「おーっ、おーっ、おーっ!」
と蓮も、両手をやや下に広げて、気合いを入れて見せました。もちろん、それも蓮の演技なんですが、その仕草がいかにも本当に気合いを入れているようで、とてもおかしいので、思わず、
「ぷっ!」
と吹き出してしまいました。なかなか、蓮も演技派のようです。
山車が広場の直前まで来たとき、どういうわけかそのすごい人混みの中に、救急車がサイレンを鳴らして入ってきました。
「救急車が通過します。道をあけてください」
警備の人たちは、必死で道をあけようとしますが、とにかく危険なくらいの人混みですから、そう簡単にはいきません。けれども、そこに集まっている人たちもなんとか救急車の通る道をあけようと、精一杯後ろに下がり、なんとか無事救急車は通過することができました。自分だって危険にさらされているにもかかわらず、一生懸命道をあけて救急車を通そうとする人々の優しさ。協力して道をあけた、近くにいた人たちとは、言葉こそ交わしませんが、妙な連帯感が生まれたのがわかりました。
いよいよ山車が迫ってきます。人の波は、すごい力で外から内へ、外から内へと押してきます。その波の力を、まるで水をかくように両手で脇へ逃がし、なんとかやり過ごします。「もうちょっと。もう山車が止まるよ。ほーら、止まったあっ!」
思った通り例年よりずいぶん人出が少ないようでした。それほど危険を感じることもなく、12台の山車が止まり、叩き合いが始まりました。
交差点の中心で待つこと1時間。すごい音、すごい熱気。汗が容赦なく首筋を伝わります。そのとき、肩車をしている蓮が急に動いたように感じました。
「れーん!」
「寝ちゃってるぅ! こんなにすごい音の中でも寝られるんだぁ!」
明るいうちから、麻耶に連れ回され、大興奮の蓮と沙羅。普段歩いたこともないような距離を歩かされ、しかも今はいつもならもう眠りについている午後9時です。手には、露店で買ったおもちゃをしっかりと握りしめ、コックリコックリし始めてしまいました。
「おりたいよぉ! だっこぉ!」
仕方なく、肩からおろして、だっこしてやりました。
さすがに、蓮もぐっすり眠るわけにはいかないらしく、なんとか最後まで持ちこたえました。お祭り広場で待ち始めてから、2時間あまり。蓮君も沙羅ちゃんもご苦労様でした。さすがに大興奮ではあるようで、実家までの2キロ近くの道のりを、一言もぐずらずに、蓮も沙羅も歩き通しました。
熊谷中が大興奮のうちわ祭。とっても楽しい時間を過ごしましたが、ただ一つしらけたことがありました。それは、何人ものあいさつがあった後、ほとんど最後に近くなってからあった県知事のあいさつ。毎年県知事がみえていて、来賓代表であいさつをするのですが、なんと上田知事は「うちわ祭(まつり)」を「うちわ祭(さい)」と発音したあげく、熱気というかその情熱というかそういうものを表現しようとしたんだと思うんですけれど、「涼しいぞ、熊谷! 熱いぞ、熊谷!」と叫んじゃったんですよね。知事のいた席は、来賓用にしつらえたかなり高い舞台の上。人混みの中の暑さなどまったく、感じ取っていなかったようで、「うちわ祭(さい)」と気候の涼しさを言った「涼しいぞ、熊谷!」で、お祭り広場は、一瞬シーンとなりました。あいさつが終わった後も拍手はまばら。行政を司る人は、もっと県民の気持ちに寄り添えないとね。
お祭り広場での叩き合いが終わり、各地区へ帰っていく山車とすれ違うたび、蓮も沙羅も大きな声で「バイバーイ」とちぎれんばかりに山車の上で鉦や太鼓を叩いているお兄さん、お姉さんに手を振っていました。
もう来年は、蓮君を肩車するのは、勘弁勘弁!

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年12月 9日 (木)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第219回「ジダン」

サッカーW杯が終わっちゃったら、なんとなく寂しくなっちゃいました。あの心地良い(?)眠さ。予選リーグから決勝トーナメントまで、とにかく放送がある試合は、全部見た(つもり。実は画面の方に顔を向けたまま、寝たり起きたりと言うより、寝たり寝たりしていたので、気がついたら試合が終わってニュースが流れたりしてたこともあったんだよね。ドイツvsイタリア戦なんて最悪。延長後半12分まで見てて、「ああ、もうこれはPK戦だぁ」と思った瞬間、ふっと意識が遠くなったらしくて、気づいたら2対0になってた。?????てな具合で、ハイライトシーンで状況を飲み込んだ始末)ので、W杯の開催中は、とにかく眠くて眠くて、「ああ、サラリーマンじゃなくてよかったなあ」なんて考えたりしてね。
W杯は、日本戦があった予選リーグがおもしろかったって言う人もいるみたい。でも私はやっぱり決勝リーグがおもしろかったなあ…。こんな言い方をすると、日本代表を必死で応援していたサッカーファンに怒られちゃうかもしれないけれど、日本敗戦後あちこちで言われているように、「日本の実力なんてあんなもんでしょ」と正直私も思います。予選の組み合わせが決まったとき、日本の決勝トーナメント進出はないなあと感じていたので、あの初戦のオーストラリア戦以降は、すでに興味は決勝トーナメントに移っていて、いったいどことどこが、決勝トーナメントに進んで、最後にはどこが勝つんだろうと、興味津々でした。
どこを応援するでもなく、ただ単にサッカーを楽しみたいという思いで見ていたけれど、私が買っていたのは、ドイツとポルトガル。ゴール前でのクローゼの強さとバラックの何となく知的な表情(勝手に私が思っている)。「ドイツがいい線行くんじゃないの」と思わせたし、ポルトガルも、予選からフィーゴの良さが際立っていて、デコの切れの良さやコマーシャルでおなじみのクリスチアーノ・ロナルドのドリブルの早さもなかなか他にはないものを感じていたので、決勝までは勝ち進めないにしても、「なんかやってくれそうじゃん」と楽しみに見ていました。
とは言え、イタリアの優勝は、納得でした。あの守りの良さはすばらしい! 決しておもしろいサッカーとは言えないけれど、やはり守れないチームは勝てない。その証明みたいな終わり方でした。「攻撃は最大の防御」という言葉があるけれど、「防御は最大の攻撃」(これはちょっと変かな? まあ、武器というとこかな?)なんですね。
ジダンもすごかった。MVPは当然でしょ! 確かにブラジルのロナウジーニョのテクニックやベッカムのフリーキックもすごい。でも一人のテクニックではなく、チームでやるサッカーとしてみた場合、やはりジダンはすごかった。試合をまとめる巧みさは、一枚も二枚も上に感じました。「人間、一人でできることはたかがしれてる」そんなことさえ思わせるジダンの活躍でした。あれで引退? そんなことってあるのかなあ…。もうちょっと見たいなあ…。ああいうプレーを見ていると、やっぱりそう思っちゃう。
あの頭突きで退場のシーンも”ライブ”(カメラはプレーを追っていて、画面には映っていなかったので、実際はVTRだったんですけど)で見ました。突然のことで、驚きました。マテラッティがあれだけ飛ばされたんだから、相当すごい頭突きだったんでしょうね。あの頭突きがきっかけで、世界中が大騒ぎになっています。「ジダンが悪い」「ジダンがあそこまでやるには、マテラッティがひどいことを言ったに違いない」。真相はまだはっきりしませんが、どうやらマテラッティがジダンの家族について、人種差別的な挑発をしたらしい。サッカーというスポーツにそういうものが似つかわしいのか、似つかわしくないのか…。いろいろな報道を見たり聞いたりしていると、サッカーに挑発はつきものとのこと。では勝つために何はしてもよくて、何はしてはいけないのか…。どこで線を引くかは難しい問題のようだけれど、どうもこれまでの流れでは、”言葉の暴力は許されるけれど、手や足(もちろん頭も)を出してはいけない。ただし、人種差別については別”ということかな?
私は、かなり体育会系なので、スポーツは大好きです。野球、サッカー、ラグビー、バスケットボール、バレーボール、卓球、陸上、水泳、スキー、体操、柔道、剣道…。とにかく何でも見ます。息子も娘も学校の部活動でバドミントンをやったり、サッカーやゴルフをしたり…。ずいぶん遠くまで応援に行って、楽しませてもらいました。今年大学に入学した一番下の翔(かける)はゴルフでプロを目指していますが、どうなることやら…。
が、ちまたでよく言われる「スポーツをやっているから、いい子」というのは錯覚です。スポーツをとことん突き詰めれば、勝たねばならないので、今回のマテラッティとジダンのようなことは当たり前。たまたまW杯で、しかも決勝戦。さらに延長後半で残り時間は10分。さらにさらにジダンにとっても現役の残り時間は10分。だから、こんなに大きく取り上げられているけれど、これがもうちょっと注目度の低い試合だったら、スポーツ新聞の片隅に載る程度で、なんでもなく通り過ぎちゃう。もちろんそんな大事な試合に、なぜジダンがあんなことを…ということはあるけれど、それにしてもユニフォームを引っ張ってビリビリにしたり、ひじ鉄を食らわせて相手にケガをさせたり、挑発をしたり…。それがサッカー。果たして、そういうことをするような人間に育てることが、子育て・教育として正しいことなのか…。
この連載でも、何度も言ってきたけれど、スポーツと教育は、相容れないものを持っています。私もスポーツが好きだから、はっきり言うけれど、「うちの子はサッカー(あるいは野球、あるいはラグビー、あるいは柔道…)をやっているから、礼儀正しい」なんていう言い方は、やめた方がいい。私は、人間の楽しみとして、スポーツはとてもすばらしいものだなあと思います。勝つために戦っているあの真剣さ。ああいうものが、人生の中で重要なんだということも否定しません。でも、人間の成長にとって「スポーツ万能」みたいな錯覚は、やめた方がいい。子育ての中にスポーツのようなもの(物事に真剣に打ち込むということ)が必要なのは、わかります。でも、それで充分なわけではない。人と人とが結びつけるような、みんながお互いに支え合えるような心の優しさ、そういうものは、スポーツとは別な形で養ってほしいと思います。それが、未来を担う子どもたちを育てる親の役目かなあ。
高校で同じクラスだった田嶋幸三君はたびたびテレビに登場するし、中学で同じクラスだった加藤好男君も、オシムジャパンのコーチとして働くらしい。いやあ、やっぱりあのころの浦和はすごかったんだなあ…。ガンバ大阪の西野監督も含め、浦和出身の人たちが今の日本のサッカー界を背負って立ってるんですよね。4年後のW杯は、浦和パワー爆発で、ぜひ決勝トーナメントに進んでほしいですね。

 

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第218回「“どうして××なんだろう?”という心のゆとり」

「子育て・教育」の勘所というか、とても重要なことのひとつに、「どうして××なんだろう?」という問いがあります。もちろん、子どもに「どうして××なの!?」と詰問するという意味ではなくて、親なり、教師なりが、子どもの様子や行動を見て、(この子は)「どうして××なんだろう?」と自分自身に問いかけるという意味です。
「おまえはどうして××なの!?」という子どもに対する問いかけは、実は子どもに対して問いを発しているわけではなく、大人の価値観に照らして、「なんでこんなことくらいができないのか」とか「なんでそんなことをするのか」などと大人が腹を立てて、子どもを非難しているのだということは、皆さんご理解していることと思います。
「どうして××なんだろう?」という大人の自分に対する問いかけは、これとはまったく違って、客観的事実の観察等から生まれてくる子どもに対する疑問を、自分に対して問いかけたものです。そしてその答えを見出すには、さらに細かい観察をしなければなりません。
今朝も娘の麻耶(まや)が、孫の沙羅(さら)に
「どうしておまえは牛乳に醤油とケチャップを混ぜちゃうの!」
と怒鳴っていました。どういう意味で「どうして…」と言っているのかというと、もちろん、「牛乳に醤油とケチャップを混ぜるのはなぜか」なんて言うことを沙羅に尋ねているわけではなく、「牛乳に醤油とケチャップを混ぜるんじゃありません」と言っているわけです。
「どうして…」という言葉に沙羅は答えるすべを知りませんし、また答える気もありません。麻耶と沙羅の間に残ったものは、”麻耶が沙羅に対して怒鳴った”ということだけです。「××すると怒られる」という次元では、沙羅は学習するので、何回も同じパターンを繰り返すうち、いずれは牛乳に醤油とケチャップを混ぜることはしなくなるのでしょうが、ひとつひとつの事例ごとにこのような学習をさせていたのでは、とんでもない期間と労力を必要としてしまいます。しかも、怒鳴ったり叱ったりして育てるリスクは絶大で、子どもは次第に親の顔色を窺うようになってしまいます。
「どうして…」という言葉を“問い”として、麻耶が自分に向けていれば、状況はまったく違います。
「どうして沙羅は、牛乳に醤油とケチャップを混ぜてしまうんだろう?」
と麻耶が自分自身に問いを発すれば、その後麻耶は沙羅の行動を事細かに観察して、麻耶の感じた「どうして…」を解決すべく、努力をすることになります。そうすることは、子どもを理解することにもつながりますし、子どもも怒鳴られないわけですから、親との関係にも”顔色を窺う”ような不安定要因を残しません。そのうち麻耶は沙羅がどういう性格の子で、どういう思考パターンを取るのか、観察をすることによって客観的事実の積み上げの上に学び、当然のことながら麻耶と沙羅との相互理解は深まります。
これは、教育の現場でも言えることです。保育園や幼稚園、学校で、保育士や教員が子どもとどう接しているかと言えば、「どうして…」を詰問に使っていることが圧倒的に多く、自分に対する問いとして、答えを見つけようとすることは少ないのではないかと思います。子どもの行動に対し、「どうして××なんだろう?」と考えるゆとりを大人が持つことこそ、子育てであり、教育です。子どもと同じ土俵に立って、子どもを怒るのではなく、一歩下がって子どもを客観的に見る余裕、それが子育て・教育の勘所のひとつです。

 

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2021年12月 7日 (火)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第217回 「親が子どもを、子どもが親を… 後編」

ついさっき、ネットのニュースを見ていたら、滋賀県で妹が姉を2階から突き落とす事件が起きたと流れてきました。
幸い突き落とされた姉さんは、玄関上のひさしに当たってコンクリートの地面に落ちたため、腰を打っただけで軽傷だったようですが、突き落とした方の無職の17歳の妹は、姉さんに対し、「死んでもかまわないと思った」と話したらしく、警察は殺意があったと判断し、殺人未遂の現行犯で逮捕したそうです。
 これが「マイタウンさいたま」にアップされるころにはもう少し詳しい情報が報道されていることと思いますが、両親とは別の棟で生活しているという姉妹が「無断外泊をしたことなどを巡り、言い争いになった」とのことなので、現段階の情報から推察すると、“親に自分の生活を注意されて、親に対して殺意を抱く子ども”という構図の“親”の部分が、“姉”に置き換えられたのかな、という気がします。
もう何度となく述べてきているように、一番大きな問題は、子どもに対する過干渉です。普通に考えれば、干渉するのは親、干渉されるのは子どもということになりますが、もしその干渉を“是”とする姉と、“否”とする妹がいたとして、姉が母親の代わりをしてしまえば、そこには親子間に存在する問題とまったく同じ問題が、姉妹間に存在するであろうことは、容易に想像できます。
さて、それでは過干渉を“否”とすることが問題で、“是”とすることは問題ではないのでしょうか? 
一見、過干渉を“是”として、受け入れている子どもは従順でおとなしく、いい子に映ります。また、“否”として受け入れていない子は、反抗的でひねくれた、悪い子に映ります。問題は、過干渉そのものであって、子どもが過干渉を“是”とするか“否”とするかにあるのではありません。一般的に言って“是”とする場合、子どもは不登校やひきこもり、ニートなどになりやすく、“否”とする場合には、非行や暴力という状況に陥りやすくなります。しかも、子どもの態度が“是”か“否”か、どちらか一方という場合ばかりでなく、ある時期、ある瞬間で、どちらかに大きく振れるという場合もよくあるので、普段は過干渉を“是”として親に従順で、母親と腕を組んで買い物をしているような娘が、ある時ある瞬間、ほんの些細なことをきっかけに、過干渉を“否”として親に反抗し、父親や母親に罵声を浴びせたり、暴力を振るったりするということが起こるのです。
事件を起こした親子を知る人たちのインタビューに、「優しいご両親、おとなしくていいお子さんでしたよ」などという評価が多くあるのは、そういったせいだと考えられます。もちろん「親が子どもを、子どもが親を…」ということが、そういった事情だけで引き起こされているわけではありませんが、“子どもの虐待死”ということを除けば、かなりの割合で、“過干渉”が問題の根源にあるのではないかと思います。
過干渉を生む原因は、いろいろあると考えられます。相談の事例から考えると、一つは少子化、一つは受験志向の高まり、そしてもう一つは夫婦の不仲です。少子化により、これまで何人かの子に振り分けられていた親の意識を、すべて一人の子に振り向けることになりました。私が子どものころは、「一人っ子」というものを批判的に見る風潮がありました。「一人っ子はかわいそう」「一人っ子だからわがまま」、そういった見方が一般的でした。最近、若いお母さんたちと話をすると、「私の愛情を二人に分けたらかわいそう」とか「二人も三人も子どもがいたら、好きなものも買ってやれないでしょ」と、むしろ「一人っ子」に肯定的で、溺愛タイプのお母さんが増えてきているように感じます。手のかかる子どもが一人しかいないわけですから、親の愛情は薄まることなく一人の子どもに注がれ、過干渉にもなりやすくなります。
受験志向の高まりも、非常に危険です。過度な期待を子どもに寄せ、自分の分身として子どもに自分の夢を押しつける。また、子どもの安全の観点から、塾への送り迎えをする母親をよく目にしますが、それが母親の生活の一部としてしっかりと根を張ってしまうと、塾への送り迎えの必要がなくなっても、何か新たな子どもとの関わりを探して、”子どもから離れられない親になる”なんていうのはよくあるパターンです。
夫婦が不仲で、自分たちの愛情の受け皿がなく、子どもに向かってしまうというのもよくあります。“子どもが生きがい”と平然と言える親も過干渉になりがちです。
いずれにせよ、「親が子どもを、子どもが親を…」という裏には、自立できない親、自立できない子の影が見え隠れします。そういった状況を作り出すのは、政治に大きな責任があると思いますが、「親が子どもを、子どもが親を…」という状況を人ごととは思わず、自分たちの子育てを今一度振り返って、過干渉の芽を摘む必要があるのではないでしょうか。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第216回「親が子どもを 子どもが親を…  前編」

ほぼ毎日、仕事の帰りに近くのスーパーに寄って、夕飯の買い物をします。午後10時閉店のスーパーに、ぎりぎりで飛び込んで、家に帰るのは10時過ぎ。ちょうどテレビ朝日のニュースステーションの時間です。食事の支度をし、食事をする間は、私にとって1日の情報収集の時間。ゆっくり食事をして、お茶を飲みながら、ニュースステーションの後は、TBSのニュース23。それがほぼ家に帰ってからの日課です。
最近は、この夕飯がまずいこと、まずいこと。ニュースで流れてくるのは、テロや拉致、殺人や子どもの虐待といった暗い話題ばかり。たまに明るい話題といえば、本来4つ足の動物が2本足で立ったとか、アザラシだったか何だったかが、水族館の水槽の中で逆立ちしただとかいうような、別にどうでもいいような極端にくだらない話ばかり。久しく美味しく食事をしたことがありません。
私がカウンセリングをしているわけではないけれど、カウンセリングとか教育相談とか、そういう仕事に関わっていると、どうしても頭が硬直化したり、ネガティブになりがちで、どこかの段階で頭をほぐしたり、気分をガラッと切り替える必要が生じるんです。テレビのようにこちらが積極的に頭を動かさなくていいようなものは好都合なはずなのに、最近テレビから流れてくる話題は、カウンセリングや教育相談に訪れる皆さんの相談内容を象徴するような出来事が多く、かえって頭を硬直化させ、気分が変わるどころか、テレビを見ることで、逆に頭が仕事モードに戻されてしまうこともしばしばです。唯一スポーツは、何も考えずに観戦できるものだから、気分転換にはもってこいなんですが、サッカーW杯はあんなことになってしまって…。特別熱狂的サポーターというわけでもないし、日本の実力なんてあんなもんとは思っていたけれど、浦和に生まれ、浦和のサッカー全盛期に育った人間としては、やっぱりちょっと気が抜けてしまいますよね。もちろん、充分に世界のサッカーを楽しませてもらってはいるのですが…。まあ、サッカーの話題は、「燃える闘魂! サッカー命!」のPIDE氏に譲るとして…。
先日の「奈良・放火殺人事件」は大変ショッキングでした。ああいう事件が起こると、マスコミが家庭環境を事細かに調べ上げ、ワイドショーや週刊誌がそれをやたらと大げさに取り上げて、あたかもそれが事件の大きな原因かのように扱いますが、それだけに目を奪われると、事件の裏に潜む根源的な原因を見失ってしまうことにもなりかねません。
今回の事件も、母親が継母であったり、3人兄弟のうち、事件を起こした長男だけが先妻の子であることが報道されていますが、それだけに囚われることなく、もっと大きな視点で事件を見ることが必要なのではないかと思います。
最近の「子殺し」「親殺し」事件の増加は、個々の事件の個別的要因だけで説明するには、あまりにも事件の増加が急激であり、やはり社会的要因をその裏に見出さずには、説明がつきません。以前にも述べたように、うちの研究所に相談に訪れる人たちの直接的な訴えは、不登校であったり、非行であったり、リストカット・オーバードラッグであったりですが、ほとんどの場合、実はその背景にうまく築けない親子関係の悩みがあります。
次回、その親子関係について改めて取り上げ、事件の背景にあると思われる社会的要因についても考察したいと思います。
つづく

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第215回 「子育て・教育のコーディネイト 後編」

壁紙や床の前にペンキを塗れば、養生の必要がないので、古いものを取り去った後のリフォーム工事は、まずペンキ塗りからです。ペンキ屋さんの邪魔をして、文句を言われるのも嫌だったので、まずペンキ屋さんに3色のペンキを塗ってもらい、そのあと翔(かける)と残りの4色のペンキ塗りです。これから貼られる壁紙を想像してのペンキ塗りはとても楽しいもの。塗り進むにつれて、どんどんその部屋のイメージが湧いてきます。リフォームで私が一番大切に考えたのは、「楽しさと落ち着きの調和」。ペンキを7色も使ったり、店舗用の壁紙を貼ってもらったり、業者さんから言わせると、私の指示は「バラバラで無茶苦茶」ということになるのかもしれませんが、私に言わせれば、全体の統一はとれているのです。
リビングの壁紙(壁紙屋さんが言うには、スナックには使ったことがあるけれど、一般の住宅では使ったことがないという黄色味がかったベージュに柔らかい四角の模様が入った和紙でできている壁紙)を疑心暗鬼に貼り始めた壁紙屋さんが、リビングの3分の1ほど貼り終わったところで、
「これ、いいなあ…。こういう使い方もできるんだねえ。考えたことなかった」
何言ってんだか、全体を想像して考えたんだから、当然だっちゅーの!
なーんちゃって、そんな偉そうなこと言える立場じゃないし、たまたまうまくいっただけだけど、壁紙屋さんが言う通り、最終的にリビングダイニングの雰囲気は、壁紙といい、システムキッチンの色合いといい、ペンキの色といい、家具との調和といい、申し分のないものになりました。他の部屋もリビングほどではないけれど、まあまあ満足のいく仕上がりで、あとはカーテンや照明器具、時計など、それぞれの部屋のインテリアを決めるだけ。
ところがこれが意外に難しい。リフォームのようにすべての部屋のイメージを考えながら、インテリアを決めようとしても、すべて一度に考えられるようなカタログもなければ、全体のコーディネイトをしてくれる業者もいない。住宅雑誌を見たり、TVなどでちょっとしゃれたものの情報を得たりすると、わざわざ国立や立川の方まで出かけていったり、時には骨董市などを訪ねてみたりと、内装工事自体よりもむしろそっちの方が大変なくらい。こだわり過ぎかもしれないけれど、カーテンと照明器具を決めるだけで、3ヶ月もかかっちゃいました。とうとう最後は食器まで替えちゃったりして…。

先週、朝日新聞の朝刊に「朝ご飯給食」の見出しで、学校で「朝食」を出す動きが広がっているという記事が載っていました。朝食の補完として町が予算化して1時間目の終了後乳製品を摂らせている学校。食堂で朝ご飯を出している学校。給食の残りをおにぎりにして冷凍しておき、朝食を家で摂ってこなかった子に温めて食べさせている養護教諭…。なんだかとても違和感がありました。学校っていうところはいったい何をするところなんだろう? やむにやまれずとは言うけれど、まず「学校の仕事」の整理が必要なんじゃないのかなあ。学校と家庭の境がまるっきりなくなっちゃってる。パブリックとプライベートの境がなくなってしまうと、精神的な疲労度は増しちゃうと思うんだけど…。
それとは別に気になったのは、「給食の残りをおにぎりにして…」の話。わが家の子どもたちが学校に行っていたころ、給食の残りのパンをすべて残飯にしている光景にびっくりしたことがありました。私が小・中学生のころは、残ったパンはもらっておいて、部活動の前に食べたり、家に持って帰って食べたりしていたものなので、先生に聞いてみたら、給食の時間以降に食べて食中毒になると大変なので、給食の時間内で処理をさせているとか。確かに食中毒は怖いけど、別にパンまで捨てることはないと思うけどね。おにぎりの話は、その給食のパンの話と逆さまなので、ちょっと不思議に思いました。学校の中でも校務分掌(学校の中での先生方の役割分担)によって、考え方が違うのかなあ? 「食」には養護教諭が関わってると思うんだけど…。
ある保健師が、育児相談に答えて、「子どもは9時前に寝かせましょう」と言いました。「子どもにとっての睡眠というのは、大人にとっての睡眠というものより、とても大切なものなので、父親の帰りを待って9時過ぎにお風呂に入れてもらったり、一緒に食事をさせるなどということはもってのほか。とにかく決まった時間にきちっと寝かせてください」
ある講演会に行きました。子どもと父親とのふれあいについての重要性を得々と語っておられました。「できる限り、一緒に食事をしましょう。お風呂に入れてやったり、一緒に遊んでやったりすることも大切です。ちょっと遅くなってもお父さんの帰りを待ってあげるのもいいんじゃないですか」
最近、子どもを巻き込んだ事件が頻発しているため、各地で子ども自身が自己防衛できるよう指導が行われています。
「知らない人が近づいてきたら逃げなさい」
「声をかけられても知らんぷりして、そばに寄っちゃダメですよ」
かたやあちこちに「あいさつ通り」なるものがどんどんとでき、PTAや町会・自治会などでは、率先して子どもたちに声をかけるよう運動しています。
ゆとり教育が見直されているとはいえ、教育行政の言っているのは、「基礎・基本の徹底」かたや塾はと言えば、受験のための詰め込み。
子育て・教育で大切なのは全体のコーディネイトです。私がリフォームの時に困ったのは、すべてを仕切ってくれる人がいないことでした。誰に言っても返ってくる答えはバラバラ。それを自分でつながなければなりません。点や線をつないで面や立体にするのはとても大変なこと。全体の相談に乗ってくれる人がどんなにほしかったか…。
最近の教育のドタバタを見ていると、リフォームとまったく同じことを感じます。それぞれの立場の人間が、それぞれの立場で主張し、指導している。それに振り回されるのは、子どもや親です。うちにカウンセリングに訪れるご両親やお子さんたちは、ほとんどの場合そこの狭間で揺れています。“子どもに関わる大人”の立場で、ものを言うのではなく、その子の性格、能力、おかれている環境すべてを考慮して、子育て・教育をコーディネイトすることが、いい子育てにつながるんだと思うのですが…。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第214回「子育て・教育のコーディネイト 前編」

最近では“リフォーム詐欺”という言葉が新聞を賑わすほどポピュラーになったリフォーム。私が今住んでいるマンションの部屋をリフォームした9年ほど前は、まだまだリフォームだけを専業で行っている業者もそれほど多くはなく、わが家は知り合いで地元の建設業者にお願いしました。
知り合いの業者は、元々は解体業から出発し、不動産業、建設業と業種を広げ、うちが知り合ったころは、1店舗で経営しているさほど大きくない有限会社だったのに、あっという間に県内にいくつもの営業所を抱える大きな株式会社になりました。
そういう会社ですから、そのころはもちろん下請けも数多く、リフォームはお手の物。すべてお任せすることにして、担当の監督さんをわが家に呼び、相談することになりました。もちろん私はリフォームについては素人ですが、ちょうどそのころ専門学校の“デザインアート科”という科で教えていたり、陶芸という職業柄というか、主夫柄というか、インテリア等のコーディネートにはそれなりのこだわりがありました。
「新聞でコルクの床っていうのを見たんですけど、フローリングと比べてどうですかねえ?」
「キッチンはシステムキッチンで、私の身長に合わせて台を高く。ガス台はそれぞれ火力が違う3つ口で。リビングが油で汚れちゃうので、換気扇も大きい方がいいなあ」
「お風呂は浴槽をもう少しゆったり取りたいんですけど、ユニットで可能ですかねえ?」
「壁紙も白のビニールクロスだけっていうのはねえ。少しモダンな感じにしたいんだけど…」

「だいたいわかりました。それぞれの業者を大関さんのところに来させますから、相談してもらえますか」

そして翌日から、それぞれの業者と細かい打ち合わせです。まず壁紙と床の業者さん。
「リビングはこのコルク。子ども部屋はこれとこれで。壁紙は…、カタログってこれしかないんですか? もうちょっと派手目なっていうか、もうちょっと色の付いてるっていうか大きな柄があるっていうか…」
「それじゃあこのカタログにはないから、今度店舗用のカタログ持ってきますよ」
壁紙は店舗用の壁紙から選ぶことになって、
「この部屋はこれね。ここは子ども部屋なので楽しそうなやつがいいなあ。あれっ?この壁紙って、電気消すと光るの? へーっ、楽しそうじゃん! じゃあ、この部屋の天井はこれね。ここはエスニックっていうか、アラビアンっていうかそんな感じでしょ。こっちの部屋は純和風、洗面所は海かなあ。ああ、いいの見つけちゃった! このヨットの絵がついてるやつ」
そして次はシステムキッチンとユニットバスの業者さん。
「リビングダイニングの壁紙はこの色なので、そうだなあ…、キッチンはこの色かなあ。お風呂はこの大きさのものが付きますかねえ? 混合栓もこのタイプかなあ…」
そして最後は、ペンキ屋さん。
「それぞれの部屋の壁紙が、全然雰囲気が違うので、部屋ごとにペンキの色も替えてほしいんですよ。ここは青、ここはこげ茶かな。ここはちょっと濃いめのクリーム。全部で7色」
「大関さんねぇ、普通のお宅は、これくらいのマンションだったら3色くらいなんですよ。そんなちょっとの量をうちも仕入れられないし、こういうのって特殊な色だから、残っても他のお宅に使えないでしょ。7色は無理ですよ」
私はムッと来て、
「あなた塗装屋さんでしょ、そんな難しいこと頼んでないじゃない! 別にどこのどういうペンキ使ってくれっていってるわけじゃないんだから、ドイトだってエッサンだって買ってきて塗ってくれればいんだよ。ちっちゃい缶一つあればいいんだし、コストが上がった分なんて、うちが払うでしょ! 数百万のリフォーム代のうち、たかが数百円だよ」
「…」
「じゃあ、何色だったら塗ってくれるわけ?」
「なんとか3色以内に納めてもらえませんかねえ…」
「わかった。じゃあ、もういいよ。3色だけ塗ってください。後は私が自分で塗るから」
結局、7色のうち面積の広い3色をペンキ屋さんに塗ってもらうことにして、残りの4色は、私と翔(かける)の二人で塗ることになりました。

 

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2021年12月 6日 (月)

第213回「ドイツのバレエ事情 後編」

努(つとむ)は2年間、飯能から藤井先生のところへ通い続けました。習い始めのころのダラダラとした練習態度からすると、まったく信じられないことでした。レッスン中の努の態度を見ると、怒鳴りつけたくなることもしばしばでした。にもかかわらず、2年間も飯能から通い続けるなんて…。
努の卒業が迫ったとき、その後の進路について藤井先生に相談しました。
「本人ももう少し本気でバレエを続けたいようなのですが、どこか卒業後の受け皿はないでしょうか?」
「う~ん、なかなかねぇ。どこか進学した方がいいんじゃないかなあ。大学で何か勉強しながら、今まで通り週に2回くらいレッスンに来たらどうですか。昼間、毎日通ってレッスンをするようなところっていうのはねえ…。日本には、バレエで生活できるような受け皿はないんですよ」
藤井先生から、期待するような答えは、返ってきませんでした。
バレエを本格的にやりたいという努の気持ちは、宙に浮きました。卒業後の努は、毎日ベッドでゴロゴロしてばかり。週に2回、藤井先生のところのレッスンに通ってはいましたが、昼間は特にやることもなく、やっと2歳になった翔(かける)をたまに公園で遊ばせるくらいなもの。結局、そんな生活のまま1年が過ぎてしまいました。
ちょうど1年経ったころ、転機が訪れました。その年たまたまローザンヌ・バレエコンクールが日本であり、その審査やダンサーの指導にフランスから訪れていたエドワード・クックという指導者にレッスンを受けることができたのです。それは、藤井先生が中心になって企画してくださった、セミナーでした。
身体は硬いし、特別センスがいいというわけでもない努の、どこがクックの目にとまったのか未だに謎ですが、クックは努に“カンヌのバレエ学校に来ないか”と誘ってくれたのです。しかもスカラシップで3年間授業料は一切かからないというのです。後でわかったのですが、フランスのバレエ学校というのは、小さなカンパニー(舞踊団)をいくつか持っていて、そのカンパニーで踊ることを条件に、授業料を免除しているらしいのです。もちろん国籍を問われることもなく、カンパニーの指導者の推薦だけで入学が許可されるのです。バレエで生計を立てようと考えていた努にとって、願ってもないことでしたが、突然のことで、さらに自信もなかったらしく、努は躊躇していました。これを逃してはと、親として背中をほんのちょっと押してやりました。
あれから18年。カンヌの学校で3年間を過ごした後も紆余曲折があり、一時は“闘牛士になる”とか言い出したこともありましたが、ハンガリー、イスラエル、オーストリア、そしてドイツと、とりあえずずっと向こうで踊っています。
現在のミュンスターは、ドイツでは2カ所目。ミュンスターの前は、ダルムシュタットで踊っていました。日本から見るとヨーロッパは、芸術を大切にする憧れの地。けれども実際は、そうとも言えません。基本的にダンサーは、スポーツ選手と同じような存在です。ずっと踊り続けられるわけではない。まあ、頑張って踊ったとしても、熊川哲也君のような世界のトップダンサーは別として、40歳まで踊り続けるのはかなり難しい。当然のことながら、故障も多くなるし、下には故障もしない、身体も利く若いダンサーがたくさんいる。
日本でも最近増えてきましたが、ヨーロッパでは劇場がそれぞれオーケストラや歌劇団、舞踊団などを持っていて、それらが交代で公演をします。もちろん給料もちゃんともらっていて、公演のない日も毎日稽古をしているわけです。努が言うには、劇場の舞台に立っている人間は、町の中でも特別な存在らしく、時々声をかけられたりするそうです。ドイツの場合、今はサッカーワールドカップで盛り上がっていますが、経済的には東ドイツの統合によりかなり厳しい状況にあります。劇場の予算はどんどん削られ、劇場そのものの維持が困難になるところもあるとか。つい先日かかってきた努からの電話でも、去年削られてしまいそうになった舞踊団を無理に残してもらったので、給料が大幅に下がって、今年は休暇になっても日本に帰る旅費がないと言っていました。
努は今年の12月で37歳。そろそろ舞台に立つのも限界です。ヨーロッパのダンサーは、多くが別の資格(たとえば弁護士とか医師とか)を持っていて、ある程度の年齢になるとダンサーをやめ、別な仕事に就くそうです。
日本のピアノ普及率が、他の先進国に比べて抜きん出ているのは、有名な話です。先日、日本楽器製造が現在のヤマハへと成長していった変遷を取り上げている番組を見ました。日本のピアノ普及率の高さは、ヤマハによってもたらされたものです。そして「ヤマハ音楽教室」という形態が、現在の「××教室」という形態に大きな影響を与えています。
ダンサーとして踊れなくなった努が、ドイツで「バレエ教室」を開くことは、かなり困難なことです。バレエを習うのは、努がお世話になったカンヌのバレエ学校のようなところであり、町中にある「バレエ教室」ではないから。給料をもらって、いかにも恵まれた環境の中で踊っているように見える努は、日本のように子どもたちに教えることで、一生バレエと関わっていくことは難しいのです。
どうやら努は、日本に帰ってバレエと関わって生きていくか、それともドイツに残って生きていくか、相当悩んでいるようです。
「この前ね、お祭りみたいなところで焼き鳥売ってみたんだよ。結構人気でね、200本がすぐ売れちゃった。ドイツで焼鳥屋っていうのも何とかなるかも」
と、妹の麻耶(まや)にだけは、話したそうです。
さて、いよいよ今日(6月5日)は、東京創作舞踊団創立45周年記念公演です。藤井先生のところでバレエを習っている子どもたちの将来はいかに!
どんな道に進むにも、バレエを習っていたことが、人生を豊かにしてくれるといいですね。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第212回「ドイツのバレエ事情 前編」

ドイツのミュンスターでバレエ(正確に言うとモダンダンス)を踊っている長男・努(つとむ・36歳)がお世話になった、藤井公先生と利子先生率いる東京創作舞踊団が、創立45周年記念の公演「観覧車」を行うことになりました。藤井先生ご夫妻には、努、真(まこと)、麻耶(まや)の3人が、大変お世話になりました。
藤井先生との出会いは、24年前。1982年のちょうど今ごろの季節でした。詳しい話をするととんでもなく長くなってしまうので省略しますが、現在浦和駅西口にあるライブハウス「ナルシス」を私が始めた(ほんの短い期間でしたが、当時はB1が喫茶店、4Fがパブというかクラブというかそんな形態のお店で、2フロアで営業していました)とき、前衛芸術家の皆さんの作品を店内装飾にお借りしていました。お借りした芸術家のお一人から「とってもおもしろい舞台を作る舞踊家がいるから」と紹介されたのが、藤井公先生でした。私の印象は、「? この人が舞踊家? ただのおじさんじゃん!」というような印象でした。後で知ることになるのですが、公先生の二人のお嬢さんのうち、上のお嬢さんは私の妹と中学で同級生、下のお嬢さんは従妹と同級生、私と妹は2つ違いですから、上のお嬢さんは、私とも1年間中学校で重なっているんだということがわかりました。

「麻耶にね、バレエ習わせようと思うんだけど、どうかなあ? どこか、いいバレエ教室ない?」
妻は、自分が幼いころ習いたかったバレエの夢を、麻耶を使って実現しようとしました。「う~ん、バレエねぇ…。あっ、そうだ! いつか大野さんに紹介された藤井さん、確か藤井舞踊研究所って看板出して、教室やってなかったっけ?」
「ああ、そうだねぇ。とにかく行ってみようか?」
それから藤井先生のところとの関係が始まりました。妻が麻耶にやらせたかったのは、トーシューズを履いて、チュチュを着て踊るクラシックバレエ。藤井先生のところでやっているのは、モダンバレエ(モダンダンス)。どこがどう違うんだか、違いがよくわからず、とにかくトーシューズを履くかはかないかの違いなんだということだけは、何とか理解して、麻耶を藤井先生のところに通わせることにしました。真にその話をすると、まんざらでもない様子。そのころかなり太っていた真を、何とか痩せさせるには、バレエっていうのはいいんじゃないか、そんな気持ちで真にも習わせることに。そして最後は努。
「努はさぁ、今のまま自由の森学園を卒業させても、そんなに学力もないし、特別何かの才能があるわけでもないし、進路に困っちゃうでしょ。真と麻耶が通ってる藤井先生のところでバレエやらせるっていうのはどうかなあ? バレエの世界なら、まだまだ男は足りないし、何とかなるかもしれないよ」
まさか、努がプロのダンサーになるなんていうことを、本気で考えていたわけではありませんでした。高校2年生、17歳になった努には、まだ“これ”っというものが見つかっていませんでした。バレエが何か努の人生のきっかけにでもなればというつもりで、
「おまえも、公先生のところへ行ってみない?」
と声をかけたところ、
「うん。見に行ってみようかなあ」
と努が乗ってきたのです。
そのころ努は、飯能にある自由の森学園のそばに下宿をしていました。藤井先生のところは浦和ですから、我が家からなら自転車で10分、15分の距離。けれども努の下宿先からは所沢、秋津と2回乗り換えがあって、2時間近くかかります。努はその距離を週に2回ずつ通っていました。努は高校生ですから、稽古はもちろん夜です。家にはちっとも帰ってこない努でしたが、夜9時前に終わることのないレッスンには、休まず通ってきていたのですから、驚きです。
つづく

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第210回「お弁当 後編」

朝起きてきた翔(かける)は、妻に言いました。
「今日はお弁当いいや」
「なんで持って行かないの?」
「…」
「ご飯も今炊いたんだから、持って行けばいいじゃない」
「いいよ」
「なんで?」
「だって、おふくろの作った弁当って、あれ弁当じゃないよ」
「はぁ?」
「だってさあ、“そのものだけ”しか入ってないじゃん! おれが好きって言うとそればっかりずっと続くし…」
「おまえの好きなもを入れてやろうとしてるんじゃないか!」
「そりゃ、わかるよ。だけど、いなり寿司がうまかったって言ったからって、一週間もいなり寿司が続いたら、いい加減やんなるよ。しかもだよ、弁当箱のふた開けたら、いなり寿司が8個、ドンドンドンって入ってるだけだろっ。あんなの弁当って言えるかよ!」
「じゃあ、どういうのが弁当って言うんだよ!?」
「弁当っていうのはさあ、ちゃんと何種類かのおかずがきれいな仕切りとかケースで仕切ってあってさあ、ふた開けたときに“わーっ、美味しそう!”って思えるようなのが弁当。そりゃあ、毎日そうしてくれとは言わないよ。だけどさぁ、昨日はいなり寿司だけドンドンドン、今日は弁当箱いっぱいカツ丼が詰まってて、あとは何も無しって言うんじゃ、みっともなくて、友達にも見せられないよ。それに何だよ、あの仕切り。ただのアルミホイルをちぎっただけじゃん。あれって、汁が周りに流れて、全部同じ味になっちゃうんだよ。なんで汁が出るようなものをあんな仕切りで入れるかねぇ…。もっときれいな仕切りとかしっかりしたケースとか売ってんじゃん!」
「おまえが贅沢なんだよ。好きなものがいっぱい入ってて何が悪い!? あたしが子どものころなんて、ご飯だけでおかずが何も入ってないなんていうのはましな方。中にはふたを開けても中が空、水だけ飲んでおなかをふくらませた子だっていたんだよ。それでも、みんなにお弁当を持ってきてないことがわからないように、空の弁当箱を持ってきてたんだ」
「何言ってんだよ! それは次元が違うだろ!」
「わかった。じゃあ、もう弁当は作らないからな!」
「いいよっ、食堂で食うからぁ!」

この「弁当いらない事件」のあと約半年間、翔は妻の作ったお弁当を持っていきませんでした。半年くらい経ったある日、翔は私に、お弁当のことについて話しました。
「お母さん、“弁当作って”って言ったら、作ってくれるかなあ?」
「う~ん、どうかなあ…。基本的には作りたいんだから、作ってくれるんじゃないの」
妻と翔がどのように和解をしたのか、私は知りませんが、なんとか和解が成立したらしく、その後、翔はおにぎりを持って行くようになりました。けれども、弁当箱に入った弁当を持っていかないところから察するに、妻の作った弁当が“弁当ではない”と言ったことに対して全面的に謝罪をしたというよりは、お互いの妥協点を探って、適当なところで和解をしたということなのでしょう。

孫の蓮(れん)の幼稚園もゴールデンウィーク明けからお弁当が始まりました。娘の麻耶(まや)は、
「入園するときは、“毎日お弁当といっても、負担にならないように、できる範囲でいいんです”っていう幼稚園の話をそのまま聞いてさぁ、食パンにジャムとバターを塗ったやつとか、肉まん半分とかね、そんなことでもいいのかなって思ってたんだけど、やっぱりそうはいかないよね。去年はお母さんにもずいぶんやってもらっちゃったけど、今年はあたしも一生懸命作ろうと思うんだ。もうちょっとすると沙羅(さら)もお弁当が始まって、二人分になるしね」
と話しました。そして、なにやらいろいろな道具を買い込んできて、でんぶでご飯の上にアンパンマンの顔を描いたり、ウインナーをカニのように切ってみたり、いろいろ工夫をしては、蓮が喜びそうなお弁当を作っています。モミの木の形に切られたハムを持って、蓮が私のところに飛んできました。
「じいちゃん、これ何だかわかる?」
「う~ん、何だろうなあ?」
「これはねえ、ハムでしたぁ!」
なんだよ、形のことじゃなくて、素材のことかぁ…。てっきり形のことかと思ったぁ。
お弁当箱にきれいに飾り付けられたお弁当を見て、妻が言いました。
「ああ、これがお弁当かぁ。これがお弁当なら、私の作ってたのは、確かにお弁当じゃなかったかもなあ…」
かくして、「弁当いらない事件」は、決着したのでした。
まだお弁当の始まらない沙羅は、空のお弁当箱を幼稚園のカバンに詰めては、
「沙羅ちゃん、幼稚園でお弁当食べるぅ!」
と大騒ぎ。
「沙羅ちゃんも、もうすぐお弁当が始まるねぇ! 楽しみだねぇ!」
「うーん!」
〈了〉

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第210回「お弁当 前編」

私はもちろん給食世代なので、小学校、中学校は完全給食。小学校の時にお弁当を持って行ったなんていうのは、遠足と運動会くらい。中学校では、土曜日にも部活動があったので、土曜日は家に帰ってお昼を食べて改めて出かけるか、お弁当を持って行くか、あるいは近くのパン屋さんかなんかで買って食べるか…。
私は母の作るお弁当が嫌いで、土曜日は毎回学校の近くの“おかめや”(焼きそばや調理パンを作って売ってるお店)でパンを買って食べてました。とにかくその“おかめや”のパンのうまいこと。少ないときで焼きそばパンや餃子パン(餃子を揚げてホットドッグ用のロールパンに挟んだもの)、ハンバーグパンとかを6個、多いときはパン8個と焼きそば1人前。それに牛乳3本か4本。よくあんなに食べられたなあと思うけど、それでも全然太ってなかった(というより痩せてた)んだから、あの年代の子どもたちのエネルギー消費量って半端じゃないんですね。でもそれって、私だけ? 
幼稚園の時はどうだったっけなあって考えると、どうもはっきりは思い出せない。でも、ジャムの塗ってあるサンドイッチが楽しみだったっていうことと、当番がいてパンを配ってたっていうことは記憶があるんだよね。幼稚園のことってほとんど覚えてないのに、どうして当番がパンを配ってたっていうことを覚えてるかっていうと、たぶん休みの子かなんかがいて、配り終わって残ったパンを、廊下にあったパンを運んでくる箱の中にひょいっと投げ入れた私は、怒られてしまったからです! 私を注意した先生は、雨宮先生。カハッ! 幼稚園のことなんてほとんど覚えてないのに、名前まで覚えているんだからね。しかも、雨宮先生は担任じゃなくて、隣の組の先生。まあ、恨んでるっていうわけじゃないけど、いや~な気分になったことだけが、のどに骨が引っかかったときのように心のどこかに引っかかってるんですよ。いやいや、怒り方っていうのは難しいよね。先生が注意をするのは当たり前だし、「パンを投げちゃダメだよ」って言った程度だったのにもかかわらず、“いや~な気分になった”とか言って、50歳近くなっても、記憶の底から湧いてきちゃうんだからね。今覚えてるっていうことは、たぶんもう一生覚えてるっていうことでしょ? こりゃあ、雨宮先生にしてみれば、いい迷惑。誠実に職務を果たしただけなのにね。
雨宮先生、ごめんなさい!
さて、真(まこと)と麻耶(まや)の通った幼稚園はというと、給食というかちっちゃな箱弁でした。お金はかかる(たしか1食240円とかそんな値段で、10円、20円の値上げも親に反対されるかもしれないといって幼稚園側はピリピリしてました。親は平気で1000円以上するようなランチを食べたり、お茶したりしてたんですけどね)けど、親の立場からすると楽ですよね。“おかずは何にしようか”なんて考えるのは、とっても大変。それだけじゃなくて、もちろん買い物もしなくちゃいけないし、朝、実際にお弁当を作らなくちゃいけない。給食なら、一切そんなこと気にしなくていいわけだから、とっても楽。真と麻耶の時にはほんとに楽をさせてもらいました。
でもね、親が楽っていうことは、もしかするとその負担が子どもにかかっているかもしれないって考えてあげないとね。幼稚園のころの真は、けっこう太っていて、とにかく何でもガツガツ食べるやつだったので、給食で困ったことはなかったけれど、麻耶はねぇ…。麻耶はとにかく長いものじゃないと食べない。そば、うどん、スパゲッティ、しらたき、春雨、それにもやし。“もやし”なんて言うと、“なんだそりゃ?”ってな感じだけど、普通の食材よりも長いっていう感じのものなら何でもいいらしくて、炭水化物に交じって“もやし”まで好きなわけ。全然味の違うものなのに、長さで好き嫌いを決めてるんだから、まったく変な娘でしょ!? 
でも給食に長いものばかり出るわけがない。むしろ、今列挙したようなものは、まず出ない。麻耶は、毎日給食の時間が楽しくなかったみたいです。全部食べるとシールがもらえるんだけど、なかなか全部は食べられない。他の子は教室に貼られた表にどんどんシールが貼られていくのに、麻耶はなかなか増えていかない。それでも麻耶はまだましで、なかには1枚もシールの貼られていない子もいて、なんとその子は、先生に無理矢理食べさせられて、吐いちゃったとか…。人間にとって大きな楽しみであるはずの“食”が台無し。
そう考えると、
「ん~、親は大変でも、子どもの好きなものをお弁当に入れてやるっていうのも、いいよなぁ」
翔(かける)の通った幼稚園(今、孫の蓮と沙羅が通っている幼稚園ですが)は、給食なし。毎日お弁当でした。
つづく

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第209回「そして鯉のぼりはなくなった」

ほぼ毎日夕飯の買い物をする近所のスーパーマーケットに、大・中・小、3種類の鯉のぼりが並んでいました。
「これ、蓮(れん)に買ってってやろうよ」
「まだいんじゃないの。あんまり早く買っていっても、気持ちも保たないし、壊しちゃってもしょうがないし…」
「でも、なくならないかなあ?」
「だいじょぶでしょ。まだあんなにあるから」
「私、あの中くらいの鯉のぼりがいいと思うんだけど、どう?」
「そうだね。一昨年麻耶(まや)が買って、ベランダに付けといたやつは、風で破れちゃったからね。外に出さないで家の中に飾るんなら、あの真ん中のやつだろうね。来年も使おうっていうわけじゃないよね? 今年限りっていうことなら、あれでいんじゃないの」
「まっ、1,000円だしね」
「ん? じゃあ、あの大きい方だったら来年までとっとくわけ?」
「まっ、1,500円だからね。もったいないでしょ? もし破れちゃったりしたら、来年また買ってもいいけどね」
「当たり前でしょ! 1,500円だからって、あんなの来年までとっとく気!?」
「まあ今年1年でもいいかなぁ。とうとう鯉のぼりも使い捨て時代到来かぁ…。寂しいもんだね」
「ん~、確かに。昔は、男の子のいる家は、どこの家も庭に鯉のぼり用の棒が立っててさぁ。あれって、抜いたり立てたりした覚えないから、1年中立ってんだよね」
「あ~、そうだねえ。女の子しかいない家は、肩身が狭かったんだろうね。あんまりそんなこと考えたことなかったけど。うちなんて、女二人だから普通だったら肩身が狭い思いしてたんだろうけど、母なんてそういう行事に疎い人だったからね。父は男の子がほしかったみたいで、だから私を男みたいに育てようとしたんだよ」
「今は、棒を立てとく庭がなくなったおかげで、“うちには男の子がいます!”みたいじゃなくなって、そういう意味では昔よりよくなったとも言えるのかな?」
「ん~? いいのか悪いのか…。確かに差別はなくなったって言えるかもしれないけど、自分の家に子どもがいることを外に公表しない分、昔みたいに子どもが大事にされてないような気もする。一人っ子を大事にするっていうのとは違った意味で、すべての子どもが地域の中で大事にされてたよね、誰のうちの子どもっていうことではなく」
「そうだね。それは、その通りだと思う。鯉のぼりにしても、ひな人形にしても、それ自体その子のものっていうよりは、むしろそういうものを飾ることで、社会に対して“こういう宝がうちにはいますよ”ってアピールしてるわけでしょ。それを社会も受け入れてた。飾っている方は飾っている方で、“一人前の大人に育てますよ”って、社会に対して宣言してるわけだよね。そういう意識が、“自分の子”っていう意識から“次世代を担う社会の子”っていう意識を養うんだと思うな。家の中にちっちゃな鯉のぼり飾ったり、ガラスのケースに入ったひな人形じゃあ、そういう意識は生まれないよね。隣の家に子どもがいるかいないかすら知らない、なんてことになりかねない」
「ん~、まったく」
その日は結局、鯉のぼりを買わずに帰りました。2日後、そのスーパーマーケットを訪れると、
「あ~っ、やっぱりな~い!! だから言ったじゃない! もう大きいのしか残ってない!」
「まあ、いいじゃん。その大きいの買っていけばぁ」
「1,000円だから買おうとしたのに!」
「1,500円だと買わないわけ?」
「そういうわけにいかないでしょ! いいよ、それでぇ!」
鯉のぼりをもらった蓮くんは大喜び。
果たしてこの鯉のぼりは、来年までとっておくことになるのでしょうか。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第208回「お子様ランチ」

「回転寿司行こうよ」
「どこの?」
「17号沿いのだよ」
「えーっ! あそこはいやだよ」
「なんで?」
「“なんで”って言われてもなあ…。なんかね、落ち着かないの。子ども連れなら、テーブル席で周りに気兼ねしなくてすむからまあいいんだけど、二人でカウンターはねぇ…」
「ふーん」
「たぶん、目の前が狭いからだよ。なんだか壁に向かって一人で食べてるみたいで、楽しくないし、圧迫感はあるし。何でもいいから“腹一杯になればいい”ってもんじゃないでしょ。やっぱり食事は楽しくないと! 会話も無しに目の前に流れてきた皿をどんどん取って食べるっていうのもねえ…」
「あーっ! それってわかる、わかる! しかも“寿司っていうほど寿司じゃない”しね」
「ははっ、あれは“寿司”じゃないよ。“回転寿司”っていう新種の食べ物。でも、あれはあれでいいんじゃないのって思うこともある。寿司って言えば、板前さんと言葉を交わしながら握ってもらうのが本当なんだと思うけど、最近寿司をおいしく食べさせてくれるような会話ができる板前さんが少なくなって、“なんでお客が板前のご機嫌取りながらお金払って寿司食わなくちゃいけないの!”っていう店多くなってる。そう考えると、回転寿司は気楽でいいっていうことも言えなくはないんだよね」
「そうだね。でも、“おいしい寿司をおいしく食べる”それが王道だよね。そうそう、そう言えばドイツにも回転寿司があるの。けっこう人が入ってる。日本人じゃなくてドイツ人がね。あれを食べてあなたがなんて言うか、食べてみてもらいたいよ。驚いたことに生ものはそんなに高くないんだけど、いなり寿司が一皿に2個乗ってなんと600円! 考えてみれば、海があれば魚はどこだって捕れるんだろうから、いなり寿司みたいなものが高いのは当たり前なんだろうけど、やっぱりびっくりするよね。それがさぁ、とにかくまずいの。翔(かける)なんてね、“こんなの寿司じゃねえ! ドイツ人がこれが寿司だなんて思ったら困る”って言ってたよ。確かにそれくらいまずかったけど。なんか違うんだよね、日本のお寿司とは」
「米も違うだろうし、ネタとかもやっぱり違うんだろうね。ドイツの人にも本物の寿司をを食べてみてもらいたいね」

私なんかは、やっぱり本物にこだわっちゃいますよね。とは言え全然セレブなわけじゃないので、“本物”なんて言ったら、セレブな人たちには笑われちゃうんだろうけど、そんなに高くない寿司屋でいいから、カウンターに座って板前さんに握ってもらって…。
いやー、だんだんうまい寿司が食いたくなってきたあ!
食べ物の偽物って言えば、思い出すのは“お子様ランチ”。どうも私、あれには抵抗があるんです。かたくなに“絶対子どもに食べさせない”っていうことはないんだけど、長い子育ての経験の中で、何度も失敗したことがあるので、あんまり取りたくないんですよね。ついこの前、孫と行ったファミレスでも、お子様ランチに付いてきたライスにかちかちのところが混ざってて、孫が長い間噛んでたと思ったら、ペッっと出しちゃった。もうほとんど食べ終わってたので、まあいいかなと思ったんだけど、よく行く店なので、ちょっとお店の人に話したら、ぜーんぶ取り替えてくれちゃって、孫はもうほとんど満腹だったので、私が食べちゃった!
それにしても、お子様ランチに付いてくるあのハンバーグ、あのスパゲッティは何だ! あのゼリーは何だ! 子どもだと思ってばかにしてんのか! 何度真っ黒で石のようなハンバーグが出てきたことか。何度ひからびてフォークを入れても形が変わらないで持ち上がってしまうスパゲッティが出てきたことか。
子どもには発達段階に応じて、それにふさわしいものを与えることは重要なことだと思います。でもね、小さいからってまずいもの食わせることないよね。それは発達段階に合わせたんじゃなくて、「子どもなんかこんなもんでいいや」っていう発想でしょ。おもちゃにつられてる子どもに、あんなまずいものを食べさせちゃ、かわいそう。だから私はなるべく大人のものを分けてやってた。まあ、どうしてもおもちゃにつられちゃうこともあるけど…。
やっぱりドイツの人にも、子どもたちにも本物の味を味わってほしいなあ。
でも、私は回転寿司に行くけどね。あれは、寿司の偽物じゃなくて、本物の回転寿司だからね!

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第207回「送り迎えは自転車で」

「かっくん!」
「はい!」
「かっくん!」
「はい!」
 ・
 ・
 ・
「かっくん、眠くない?」
「うん!」
「お歌、うたおうかあ?」
「うん!」
「♪南の島の大王は その名も偉大なハメハメハ…♪」
「♪あんなこといいな できたらいいな あんな夢こんな夢 いっぱいあるけど~♪」
「かっくん!」
「…」
「かっくん!」
「…」
後ろへ手を回してみると、翔(かける)の頭はすっかり下に垂れ、自転車の荷台に取り付けてある椅子で、ぐっすりと寝てしまっています。
「ああ、一生懸命、楽しそうな歌うたったのに、やっぱり寝ちゃった」
翔の通った幼稚園は、送迎バスがありません。送り迎えはいつも自転車。自転車で10分ほどの距離を、朝は元気に二人で歌を歌いながらいくものの、幼稚園でよく遊んでくるらしく、帰りは疲れて、家に着くまでに寝てしまうこともしばしばです。一応、椅子に着いているベルトで留めてはありますが、あまりにも深く前に頭を垂れるか、前後左右に頭をコックリコックリさせるので、取り付けた椅子からいつか落ちてしまうのではないかとヒヤヒヤです。あまりにも姿勢が悪いときには、一旦止まって座り直させたり、もっとどうにもならないときは、降りて自転車を引っ張ったり。
それでも後ろに乗せられるようになってからは、まだましです。もっと小さいころは、ハンドルからぶら下げるほんの小さな椅子で、寝てしまうこともよくあって、これは前なので、見えているとは言え、頭が前にうなだれて、ハンドルに付きそうになるのを見ると、とてもそのまま走り続けることはできなくて、必死で片手を離し、頭を持ち上げたり、あるいはハンドルを両手で握ったまま、両肘を中に絞り込んで、肘と肘の間に小さな頭を挟み込んだり。
兄弟二人を、前と後ろに乗せるなどというときはもっと悲惨。前も後ろも寝られてしまうと、もう手の出しようがない。“なんとか家にたどり着くまでに落ちませんように、落ちませんように”なんて祈っちゃう。まあ、ほんとに落ちたら大変なことになっちゃうわけで、“祈ってないで自転車止めろよ”って感じですが、いつも祈ってるだけで、とにかく自転車は走らせてました。
“ああ、恐ろしや恐ろしや”
孫の沙羅(さら)も入園し、娘の麻耶(まや)も蓮(れん)と沙羅の二人を自転車に乗せて、幼稚園に送り迎えすることに。自転車を買おうと麻耶はパンフレットをもらってきたり、あちこち見て回ったりしていました。昔と比べるとずいぶんと安全に配慮され、乗りやすく設計されているもんだと思ったのですが、一つ気になったことがありました。ハンドルに引っかける椅子は、太ももの中に子どもを挟み込むように乗るので、自転車がこぎにくい(女の人はなおさらだと思いますが)のですが、逆に足にも腕にも包まれる形になるので、親と子どもの一体感はある。最近の自転車は、子どもも乗りやすく、大人もこぎやすくはなっているのだけれど、親と子どもの距離が遠い。実際に乗ってみてどんな感じになるのかは、注文をした自転車がまだ届いていないので、何とも言えないのだけれど、親と子どもの間に隙間があるのは、どうなのかなあ…。何かあったときに守りにくいということももちろんだけど、心がなあ…。
思春期を過ぎて、もう成人と言えるような年齢になって、腕を組んで歩いている親子はよく見かけるけれど、以前にも紹介したように、幼児とは手をつながずリードをつけて、まるで犬のように、引っ張っている親子がいる。幼児期の親と子どもの物理的距離って大事なのに…。どちらかっていうと、私は新しい安全な自転車より、多少危険でも子どもの頭を必死で支えながら乗る、昔の自転車の方が好きかも…。
さて、新しい自転車の乗り心地はいかに…。もちろん孫を乗せるのは、娘なんだけどね。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第206回「お花さんがね…」

「じいちゃーん、いってきまーす!」
「いってきまーす! じいちゃん、バイバーイ!」
「ハーイ! 行ってらっしゃーい!」
孫の蓮(れん)と沙羅(さら)は、毎朝楽しそうに幼稚園に出かけていきます。昨年まで一人で年少組に通っていた蓮は、自分が年中組になり、沙羅が年少組に入ったことで、今まで以上に幼稚園が楽しくなったらしく、昨年の何倍も何十倍も楽しそうに出かけていきます。沙羅は沙羅で、蓮の参観や懇談のときに麻耶(まや)に連れられ、必ず幼稚園を訪れていたので、この4月に入園したとは思えない大きな態度で、幼稚園での時間を過ごしているようです。
入園式の翌日、幼稚園から戻った蓮は言いました。
「沙羅ちゃんのことが心配だから、今日は沙羅ちゃんのお部屋まで見にいってきた!」
そしてその翌日は、今度は沙羅が、
「ねえねえ、沙羅ちゃんねえ、今日ねえ、蓮くんのお部屋へいって、蓮くんのお友達と遊んできたあ!」
いやいや、こりゃどっちもどっちだ!

沙羅の入園式には、何とか時間の都合をつけて、私も妻も参加しました。
この幼稚園は、翔(かける)が卒園した幼稚園で、自由保育の幼稚園です。園服、帽子、カバンは一応決まっていますが、バスがない、給食がない、延長保育がない。当然のことですが、近所での評価は、「だから入れる」という人と「だから入れない」という人に分かれます。確かに翔のときも大変でした。毎朝必ず園まで送っていく。そして必ず園まで迎えに行く。しかも毎日お弁当。とは言え、苦になるということは全然なくて、かえって楽しい幼稚園児の親業をさせてもらったなあと思います。食物アレルギーのあるお子さんや障害のあるお子さんもいて、そういうお子さんにとっては、なくてはならない幼稚園だなあと思います。
私が思う欠点と言えば、園長先生を始め、園の先生方の話が長いこと。沙羅の入園式の園長先生の話も、
「園長先生がね、花壇の方へ行ったらね、赤いお花さんがね、“園長先生、園長先生!”って、園長先生を呼ぶの。そしてね、“今度タンポポ組さんには、どんなお友達が入ってくるのかなあ?”ってお話しするの。それでね、園長先生がね…」
ってな具合に、赤いお花さんから、黄色いお花さん、紫のお花さんまで続くわけだから、まあ結構長い。これは、園児に対するお話で、その後当然保護者に対するお話も続くわけで、3歳児がいるっていうことを考えれば、とにかく長い。さらにそれに追い打ちを掛けるように、先生方全員(規模の小さい幼稚園なので、8人だったかな?)のあいさつ(まあ、それはほんの一言ではあるけれど)、おばあちゃん先生(園長先生の奥さん)のあいさつがあるんだから、ますます長い。みなさん、一生懸命子どもたちに語りかけてくださっているので、3歳児たちもまあ何とか保つには保ったけど、
“いやあここの先生方は翔のころと変わらず、話し好きだあ!”
「お花さんがね、お話しするの」っていう園長先生のお話を聞いていたら、「おいおい大丈夫かなあ? 幼稚園児じゃあ本気にしちゃうよ」と文学の世界だけじゃなくて、自然科学の世界も教えてほしいなあとか思ったけれど、その後の蓮と沙羅の「いってきまーす!」という元気な声を聞いていると、何がどうだろうと、子どもたち全員が、登園拒否にならず、楽しく幼稚園に通えるということが一番大切なことだよなあと、改めて先生方の話の長さにも納得するのでした。
さて、そろそろ今朝も「ばあちゃん! じいちゃん! おはよう!」と蓮と沙羅が起きてくるぞっ!

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第205回「命の価値」

「ケイちゃん、こんばんは!」
「かっくんは?」
「今日は来てないんだよ」
ケイちゃんは、その答えに満足できなかったらしく、
「かっくんは?」
と再び聞きました。
「来てないけど、元気だよ。今日はおうちでお留守番してるよ。ケイちゃんと一緒に遊べなくて、ごめんね」
ダウン症のケイちゃんは複雑な表情を見せながらも、ニッコリと笑いました。ケイちゃんは、うちの翔(かける)を「かっくん」と呼びます。
ケイちゃんは、私と妻が月に2回通っていた大田堯氏(元教育学会会長、元都留文科大学学長、東大名誉教授)のご自宅で開かれるサークルに、お母さんと一緒にたびたび来ていました。サークルは、午後6時から8時まで。誰でも参加でき、大田先生のお話を聞いたり、参加者同士の情報交換をしたり…。今の私にとって、子育て・教育の原点となっているサークルです。いつも1階の書斎で開かれていて、サークルの開かれている間、ケイちゃんやかっくんは、お亡くなりになられた大田先生の奥様が2階で見てくださっていたのです。
ケイちゃんは、年下の翔の面倒をよく見てくれていました。幼い翔にも、ケイちゃんの状況は飲み込めていましたが、翔にとってケイちゃんはいいお友達。会えば必ず楽しそうに遊んでいます。ケイちゃんと私たちとは、あまり会話が成立するとは言えないのですが、翔と私たちの関係はちゃんと理解していて、大田先生のお宅はもちろん、他の場所で会ったときにも、私と妻には、必ず、
「かっくんは?」
と翔のことを尋ねます。ケイちゃんにとっても翔の存在は、いいお友達だったのかもしれません。
先日、朝日新聞の夕刊に
『「健常者並み」勝ち取る 障害ある息子交通死、逸失利益求め両親提訴 』
という記事が載りました。ちょっと長くなりますが、どうしても状況を皆さんに伝えたいので、お読みになった方もいらっしゃるかとは思うのですが、ほぼ全文(一部省略しています)をご紹介します。

 階上町の田代文雄さん(47)、祐子さん(46)夫妻は、交通事故で亡くなった次男の尚己(なおき)君(当時8)への「死後の差別」と戦ってきた。損害賠償を求めた民事訴訟で、死ななければ将来得られたはずの逸失利益を、ダウン症の障害を理由に「発生しない」と反論されたからだ。2月に和解が成立するまで、息子の尊厳を守る闘いが続いた。
 加害者に損害賠償を求める民事訴訟を地裁八戸支部に起こしたのは事故2年後の命日。他の事故遺族から「もっとつらくなる」と止められ、弁護士には「障害をつかれますよ」と助言されたが踏み切った。
 求めた総額約5700万円のうち、逸失利益は3156万円。18歳から67歳まで働けたと推定し、男性の全国平均年収約565万円から生活費5割を引いて計算式にあてはめた。
 対する被告側の主張は「逸失利益は発生しない」だった。
 ダウン症は、ほかの病気になりやすいとする説や、知能の遅れが年とともに進み平均寿命も健常者より10~20年短いという説を提示。その上で、尚己君の通った病院や通所施設などからIQ判定や保育記録を取り寄せ、「健常者と同等の就労ができ、収入を得ることができる可能性は認めがたい」と主張した。
 「尚己を否定され、悔しかった」と祐子さん。地域の子と同じ保育園、小学校に通学し、成長を促す発達の訓練にも通わせていた。成長を記録したビデオを法廷に提出した。保育園で縫った布袋や編んだ縄跳びなども示し、健常児と比べて見劣りしないと訴えた。
 ダウン症を持ちながら活躍する人たちを探した。ピアニストや画家、俳優、飲食店従業員など国内外49人分の活動記録を提出した。「色々な可能性があったと感じ、つらい作業でした」
 昨年6月、裁判官から和解案が示された。青森県の健常者の平均給与で計算し、労働可能な年限も67歳。計1800万円弱を認める内容だった。和解は今年2月9日、成立した。
 原告側の西村武彦弁護士(札幌弁護士会)は「うまく能力を伸ばせれば、将来の可能性があると裁判官がみたのだろう」。被告側は「ダウン症の未就労児の将来をどうみるか、先例は少ない。客観的データに基づき裁判官の見解を求めるには、立場上、障害に踏み込まざるをえない」と話す。

私も法律事務所の勤務経験があるので、司法の考え方は理解しています。けれども、こういう状況を見聞きすると、「人の平等」をうたった憲法は、どう生かされているんだろうと憤ります。加害者も平等であるという論理に基づくのだろうけれど、人そのものの価値が差別されていいのだろうかと、どうしても疑問に思います。翔もかけがえのない命、ケイちゃんもかけがえのない命。二人の命の重さは何ら変わりません。そして二人は「お友達」なのです。
今回の和解が前例となることを祈ります。

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第204回 「大倉浩弁護士来る!」

ここのところほぼ月1回のペースで行っている「カウンセリング特別講座」に地元浦和で弁護士としてご活躍の“大倉浩”先生にご登場願いました。
大倉先生のご実家と私の実家はすぐそば。大倉先生の方が私より1歳年上ですが、赤ん坊のころからの関係で、原山中学校でもバレー部の先輩、後輩でした。もちろん家族ぐるみで親しくさせていただいていたわけですが、大倉先生のお父上が浦和市の総務部長をなさったあと、私の父も総務部長をさせていただいたという関係もあってか、父もプライベートなことでいろいろとお世話になっているようです。
つい先日まで、私の会社と清水建設との間で争っていた、研究所(エイペックスタワー浦和西館7階)の雨漏りによる損害賠償請求事件でも、私の会社の代理人になっていただきました。
少年事件を数多く手がけていらっしゃる関係もあり、研究所開設当初より、特別講師としてお名前を連ねていただいていましたが、やっと今回講座をお願いすることができました。

たはっ、どうも大倉さんの話を一生懸命敬語を使って話そうとすると、頭が混乱してきちゃうなあ。子どものころから“ヒロシくん”“なおちゃん”の関係だったので、中学校で先輩、後輩になったときも、かなり混乱はあったんですけど、今回も結構混乱しちゃってます。
まっ、そういうわけで、大倉さんに講師をお願いしたわけです。
弁護士という立場で、少年事件に関わった話を聞く機会というのは、そう多くはないので、今回の講座はとても有意義なものになりました。大倉さんの人柄ということもあるのかなあ???子どものころからとにかく真面目で、熱血漢。正義感はめっぽう強いし、しかも涙もろいときてる。今回も、2時間の話の中で何度涙を流したことか。
おもしろかったのは、映画「戦場のピアニスト」を見たときの話。なんと、映画の中の主人公が撃たれそうになったとき、思わず「あぶない!」と叫んじゃったとか…。たぶんどこかの映画館での話じゃないかと思うけど、普通の人じゃあ考えられない。でも、講座に参加してた人たちは、ぼろぼろ涙を流す大倉さんを見て、おそらくすごく納得がいったんじゃないかな。小さいころから彼をよく知っている私としては、“いやーっ、ヒロシくんらしいなあ”と思うわけです。
そんな大倉弁護士が、少年事件について強く語っていたのは、“事件は子どもたちのせいじゃない”っていうこと。事件の責任は、事件を起こした子どもたちを取り巻く大人の責任であるということを力説していました。もし、事件を起こした子どもたちが、違った親、違った環境で育てられていたら、事件は起こさなかった。愛情のない家庭の中で育てられて、事件を起こしてしまった子どもたちも、愛情のある家庭の中で生活することで、更生できる。実際に少年事件に関わっている大倉さんの話には、大きく心に響くものがありました。
うちの研究所を訪れる多くの子どもたちも、皆とても優しく、いい子たちです。そういう子どもたちが、問題を抱えて苦しんでいる。そんな苦しんでいる子どもたちにさらに負担を掛けるのでなく、周囲の大人が責任を負ってあげることでどれだけ子どもたちが楽になることか。
人間は他の動物に比べて未熟で生まれてくる。未熟で生まれてくるからこそ、人間なんだ。オオカミに育てられたという“カマラ”と“アマラ”のことを思い出しました。
う~ん、親は親としてきちっと責任を全うしなくては…。
親の責任、大人の責任を痛感させられる大倉弁護士のお話でした。

 

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k【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第203回「ゆっくりと過ぎる時間」

1280℃。
穴窯に挿した温度計が、目標であった温度に達しました。ここまで来るのに3日間、ずっと薪をくべ続けました。けれども、これで終わるわけではなく、ほぼこの温度を保ちながら、さらに丸1日薪をくべ続ける予定です。しかも、これまでは前面にある焚き口からのみ大割にした薪をくべていたのですが、最後の一日は、窯の両脇にそれぞれ2つずつあいた直径15㎝ほどの穴からも小割にした薪をくべる予定になっています。
「やったぁ! 1280℃になったぁ!」
窯焚きの要領は、焚く人や中に入れた作品の種類によって変わります。今回の穴窯焼成は、いったん素焼き(粘土で作った作品をうわぐすりを掛けやすくするためや本焼きの際破損しにくくするために、約700℃くらいで一旦焼成すること)した作品をうわぐすりを掛けずに窯に詰めたので、比較的破損しにくいとは言え、作品にたっぷり薪の灰が被り、趣のある作品になるよう4日間焚く予定でスタートしました。最初の1日で約700℃。2日目で1200℃。3日目は1200℃前後をほぼキープしながら、脇の穴から薪を差し始める4日目までに、目標の1280℃まで温度を上げて、できるだけその温度を保つという予定でした。
陶芸教室を始めて19年間、会員の皆さんがそれぞれどこかの穴窯焼成に作品を入れてもらって焼成するということはこれまでもあったのですが、うちの教室が単独で穴窯焼成をするのは今回が初めて。私も穴窯焼成を手伝ったという程度の経験はありましたが、最初から最後まで私の責任で穴窯を焚くのは初めてです。諸々の経費を入れると50万円を優に超える今回の窯焚きでは、参加した会員が約70名、窯に詰めた作品の数も約400個に上ります。未知の経験と責任の重さで、緊張の連続でした。
「そろそろ、脇から薪を差しましょうか」
脇の穴から細い薪を差すと、一気に火が噴き出します。“ボォー”というより“ゴォー”という窯の叫び声は、私たちを威圧し、そのあまりの熱さに仰け反ることもしばしばです。
「お疲れ様でしたぁ! それでは止めます!」
薪をくべることを止め、それまで焚き口として利用していた穴をすべて密閉し、窯焚きを終えました。教室としての初めての窯焚きは、上々の出来で終えることができました。窯から作品を出すのは、1週間後の土曜日。果たしてどんな作品になっていることでしょうか。
この穴窯は、茨城県笠間市の楞厳寺(りょうごんじ)というお寺の境内にあります。楞厳寺は禅宗の寺で、山門や所蔵の千手観音像は国指定重要文化財にもなっています。笠間から益子に向かっていく途中の仏頂山にあり、とても静かなところです。山の陰ということなのか、携帯電話はほとんど通じず、窯の隣にある小屋の中には10円を入れるとかかる公衆電話のようなものがあるにはあるのですが、窯のそばにいると薪のパチパチという音や炎のゴーッという音で、気づかないことも多く、まったくと言っていいほど、外の世界とは隔絶された世界。薪をくべるという行為は、火をつけてから火を止めるまで、ずっと続く行為なので、温度が下がらないように窯に薪を入れ続けるためには窯から離れられる時間というのもトイレに行くのがやっとというくらい。差し入れられた食べ物を食べるのも窯の前。4日間で横になって寝たのは10時間にも満たず、よく身体が保ったなあという感じ。けれども、いつも電話に追われ、食事を摂る時間すらあまりない浦和での生活とは別世界で、そこで流れる時間というものは、まるで時計が止まったような速度。夜になれば、窯の周りに点った灯り以外、漆黒の闇。懐中電灯無しに歩くことはまず不可能。聞こえる音といえば薪のはじける音、炎の音、窯と煙突が膨張してきしむ音。時折やってくる蛾の羽音にもびっくりするくらいの静けさ。朝はウグイスが鳴き、キツツキが木をつつく音が聞こえたりもします。夜中に一人で窯焚きをしている私の足下に、一匹のアカガエルがやってきました。小さなアカガエルにさえ“こんばんは”と声を掛けてしまうような心の優しさ。そこのスピードには、そういう優しさがありました。まだ稲を植える前の枯れた田んぼや畦道で、セリやヨモギを摘むおじさん、おばさん、おじいさん、おばあさん。ちょっと声を掛けると、“窯焚きが終わったら摘んでいけば。いくらでも摘めるし、うまいぞう”と返ってくる。
“こういう、ゆったりとした平和な時間は、都会の生活にはないなあ”
子どもたちには、こういった時を過ごすことが絶対に必要だと強い確信を持ちました。大人に準備されたものではない、自らが何かをしないと何も起こらない、まるで時間が止まったような空間。そういうものを子どもたちに与えられたら、きっと子どもたちの心も優しくて暖かいものになるのだろうと思いました。
窯焚きという私にとっては仕事でしたが、思わずまったくそれとは別な優しい時間をもらいました。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年12月 1日 (水)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第202回「卒業」

20年前のことです。
息子の努は飯能にある自由の森学園に通っていました。自由の森学園は、三鷹にある明星学園の先生方何人かが中心となって設立した学校で、努はそこの第1回生です。1つ下には「寅さん」や「北の国から」で有名になった吉岡秀隆君がいます。校長は遠藤豊氏(故人)で、その人脈を生かし教育研究協力者には教育界だけでなく様々なジャンルの有名人が数多く名を連ねていました。
努は中学生の頃、いじめに遭っていました。身体にアザができたり、ケガをしたりしたようなときでも、親には何も話さず、自分の中で処理していたようです。ある時、ワイシャツに付いた血を洗面所で洗っているのに妻が気づき、いじめに遭っていることがわかりました。まじめでおとなしい子だったので、トイレで一人で掃除をしていると、トイレにたばこを吸いにきた同級生に“邪魔だ”と言われ、その辺にある掃除用具で殴られたり、先生に頼まれてOHP(授業で使うスクリーンに映像を映写する機械)を運んでいると、手がふさがっていることをいいことに、すれ違いざまに頭をこづかれたりしていたようでした。気づいてからは、何度も学校に足を運び、短期間で解決はしたのですが、そういう子ですから、進路については、どうしても慎重になります。いろいろと悩んでいたときに、TBSラジオの「子ども電話相談室」で長い間回答者を務めていた無着成恭氏の講演会が蕨であり、その話の中で自由の森学園が開講することを聞いたわけです。
設立の趣旨や取りたい生徒像などが、努にも適しているのではないかということになり、全く未知の学校で不安はありましたが、まだ建設中の現場を飯能まで見学に行ったり、設立に関わっている先生方の話を聞きに行ったりと、様々な手を尽くして学校の情報を手に入れ、自由の森学園に決めました。
それがきっかけになって、舞台の道を選び、現在の努があるわけですから、それはそれで正しい選択だったのだろうと思いますが、自由の森学園では設立当初の混乱と親や子どもたちの個性の強さから、多くの問題が起こりました。自由の森学園での3年間は、いい意味でも悪い意味でも、いろいろなことを学ばせてもらったなあと思います。
S君は努と同級生で、まだ始まって間もなかったピースボート(NPO法人が世界の人々との交流を目的に1983年より行っているクルーズ)にも参加したことのあるような子で、学校の自治や政治については、大人顔負けの論を展開する高校生でした。3年生の夏休み明けになって、その子の卒業が問題になりました。はっきりとした理由もなく、校長が「S君を留年させる」と言い出したからです。遠藤校長という人は、校長という立場にもかかわらず、子どもたちとよく関わっていました。S君と遠藤校長は、明星学園からのつながりで、校長はS君のことをよく知っていました。お母さんも遠藤校長とは、長く関わっていましたので、よく知っています。そういう中でのことでしたが、S君の留年という話は、S君にとってもお母さんにとっても、そして私たち保護者にとっても唐突で、納得のいくものではありませんでした。それは、自由の森学園の理念が、生徒の個性を大切にし、徹底的なテストの排除と自主的学習を尊重することにあり、そのためには教師も生徒も時間と精力を惜しまないという前提があったからです。
学校が留年や退学を生徒や保護者に突きつけることは、たやすいことです。けれども、それは最後の最後の手段であって、そこに至るには、切り捨ててしまう学校側の相当の努力があって初めて認められるべきです。S君の場合、それがなかったと思われたので、私は納得がいかなかったのです。留年を突きつけられたS君のお母さんは、とても謙虚な方で、ただただ困り果てていました。
私は遠藤校長と何度も話をしました。校長は「自由の森の卒業生としてこのまま社会に出すわけにはいかない」と言いました。私は、「3年間で(高校を)出すという前提がなくて、“3年間で出せない状況なら留年させればいい”という発想で考えているのなら、それは学校の教育の放棄だ」と言って、校長と議論しました。
自由の森学園の場合は、卒業させられないと考える生徒の「抱え込み」でしたが、最近、これとは逆に、生徒を「切り捨てる」というケースが増えています。やり方は逆ですが、どちらも生徒を自校の卒業生として社会に出さないということでは共通しています。学校が生徒を切り捨てることについてどれだけの努力をしたか、常にそれを明確にし、最大限切り捨てないことが、学校には求められるのだと思います。。
数ヶ月に及ぶ話し合いの結果、S君は留年せず、無事卒業することができました。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

 

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