【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第201回「個性」
せっかく九州まで行ってきたんだから、どこかで「湯布院の感想を」って思っていたのに、真のケガあり、翔の卒業式ありで…。
ずいぶん時間が経っちゃったので、だいぶ気持ちが冷めちゃったけど、湯布院の話。
いやぁ、とにかく遠い! 行きは門司までだったけれど、帰りは湯布院からうちまで直接帰ってきたので、距離が200キロ延びて、約1300キロ。湯布院を昼の12時に出て、軽い食事とトイレと給油でほんの数回、それも10分、20分の単位で休んだだけで走り続けたのに、うちに着いたのはなんと翌日の午前4時。結構いい調子で走ってきたら、そんな時間にもかかわらず、工事で首都高が大渋滞。自分のリズムで走れるっていうことが、長距離の運転には重要で、リズムさえ崩されなければ、かなりの長距離を走っても、それほど疲れは感じないもの。東名までは、本当に快適なドライブで、”ルンルン”なんて調子で走っていたのに、用賀からがどうにもならない。午前3時に着くと思っていたのが、結局4時。一気に往復の疲れが出た感じ。
湯布院での一泊は”期待通り”というわけには行きませんでした。もちろん一つには真のケガ(第199回)のこともあったのだけれど、それよりも宿泊した宿が“う~っ…”。いやいや、こう言うと”そんなにひどい宿だったんだぁ”と感じる人もいるかもしれませんが、いろいろなランキングを見ても常に湯布院で1、2位を争うような宿ですから、まったくそんなことはなくて、“接客よし、食事よし、泉質よし”。全室に露天風呂も付いているし、何と言っても静かだし…。
ところが何かが欠けているんです。“なんだろう、なんだろう”ってずっと考えていたら、わかったんです。
“湯布院”が欠けていたんです。すごくいい宿なのに、そこには“湯布院”がない。
「はぁ?」ってお思いの方もあるかもしれませんが、そこは湯布院にあるけれど、湯布院にじゃなかったんです。大きな露天風呂に入っても、部屋に付いている露天風呂に入っても、おいしい食事を食べても、何をしても“湯布院に来たぁ!”っていう感動がないんです。ここの宿の主人は、造園業とかで、庭はよく手入れをされていて、食材にもこだわりがあるとか。米も自家米だそうです。でも、私が求めていたのは、そういうものじゃなくて、“湯布院だぁ!”っていう満足感。ここの宿にはそういうものがないんですよね。妻に言わせると、「なんだかAさん(三室の知り合いの植木屋さん)ちの庭でお風呂に入っているみたい」。
う~ん、その通り! ここは湯布院だけど湯布院じゃないんだぁ!
宿の持っている個性というのは、その宿だけが持っている個性っていうのも個性なんだけれど、もっと大きなそこの土地(温泉)が持っている個性もないと…。那須には那須の、草津には草津の、箱根には箱根の色がある。そういったものがないと、どんなにサービスの質を高めても本当の満足は得られない。
宿を選ぶとき絶対に必要なのは、その土地の個性。その後に、その宿の個性。
サービスを尽くした湯布院の宿は、とてもいい宿でした。けれどもサービスを尽くすだけなら、それは東京でもできる。むしろ東京の一流ホテルに泊まった方がいいくらい。よく「一流ホテルに来たみたい!」なんていう言い方するけれど、そういうものを望むなら、一流ホテルに泊まればいい。
人間も似てるんじゃないかなあ…。一生懸命勉強して、一流大学に入る。でも勉強だけなら誰でもできる。それで終わったら、ただのサービスのいい宿にしかなれない。もちろん勉強することを否定するわけではないけれど、その前に一人の人としての個性があってほしい。そのことを忘れないで子どもを育てないと、いくら努力をしてもなんの魅力もない人間になっちゃう。子どもたちにどういう個性があるのかゆっくり見てあげられる親の目も重要なんじゃないかな? もちろん先入観と偏見、自分勝手な親の価値観の押しつけはダメだけどね。
いい宿だったんだけどなあ…。でも今度湯布院に泊まるときは、そこにいるだけで“湯布院だぁ!”って感じられる宿に泊まることにしよ!っと。
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