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2021年11月

2021年11月25日 (木)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第201回「個性」

せっかく九州まで行ってきたんだから、どこかで「湯布院の感想を」って思っていたのに、真のケガあり、翔の卒業式ありで…。
ずいぶん時間が経っちゃったので、だいぶ気持ちが冷めちゃったけど、湯布院の話。
いやぁ、とにかく遠い! 行きは門司までだったけれど、帰りは湯布院からうちまで直接帰ってきたので、距離が200キロ延びて、約1300キロ。湯布院を昼の12時に出て、軽い食事とトイレと給油でほんの数回、それも10分、20分の単位で休んだだけで走り続けたのに、うちに着いたのはなんと翌日の午前4時。結構いい調子で走ってきたら、そんな時間にもかかわらず、工事で首都高が大渋滞。自分のリズムで走れるっていうことが、長距離の運転には重要で、リズムさえ崩されなければ、かなりの長距離を走っても、それほど疲れは感じないもの。東名までは、本当に快適なドライブで、”ルンルン”なんて調子で走っていたのに、用賀からがどうにもならない。午前3時に着くと思っていたのが、結局4時。一気に往復の疲れが出た感じ。
湯布院での一泊は”期待通り”というわけには行きませんでした。もちろん一つには真のケガ(第199回)のこともあったのだけれど、それよりも宿泊した宿が“う~っ…”。いやいや、こう言うと”そんなにひどい宿だったんだぁ”と感じる人もいるかもしれませんが、いろいろなランキングを見ても常に湯布院で1、2位を争うような宿ですから、まったくそんなことはなくて、“接客よし、食事よし、泉質よし”。全室に露天風呂も付いているし、何と言っても静かだし…。
ところが何かが欠けているんです。“なんだろう、なんだろう”ってずっと考えていたら、わかったんです。
“湯布院”が欠けていたんです。すごくいい宿なのに、そこには“湯布院”がない。
「はぁ?」ってお思いの方もあるかもしれませんが、そこは湯布院にあるけれど、湯布院にじゃなかったんです。大きな露天風呂に入っても、部屋に付いている露天風呂に入っても、おいしい食事を食べても、何をしても“湯布院に来たぁ!”っていう感動がないんです。ここの宿の主人は、造園業とかで、庭はよく手入れをされていて、食材にもこだわりがあるとか。米も自家米だそうです。でも、私が求めていたのは、そういうものじゃなくて、“湯布院だぁ!”っていう満足感。ここの宿にはそういうものがないんですよね。妻に言わせると、「なんだかAさん(三室の知り合いの植木屋さん)ちの庭でお風呂に入っているみたい」。
う~ん、その通り! ここは湯布院だけど湯布院じゃないんだぁ!
宿の持っている個性というのは、その宿だけが持っている個性っていうのも個性なんだけれど、もっと大きなそこの土地(温泉)が持っている個性もないと…。那須には那須の、草津には草津の、箱根には箱根の色がある。そういったものがないと、どんなにサービスの質を高めても本当の満足は得られない。
宿を選ぶとき絶対に必要なのは、その土地の個性。その後に、その宿の個性。
サービスを尽くした湯布院の宿は、とてもいい宿でした。けれどもサービスを尽くすだけなら、それは東京でもできる。むしろ東京の一流ホテルに泊まった方がいいくらい。よく「一流ホテルに来たみたい!」なんていう言い方するけれど、そういうものを望むなら、一流ホテルに泊まればいい。
人間も似てるんじゃないかなあ…。一生懸命勉強して、一流大学に入る。でも勉強だけなら誰でもできる。それで終わったら、ただのサービスのいい宿にしかなれない。もちろん勉強することを否定するわけではないけれど、その前に一人の人としての個性があってほしい。そのことを忘れないで子どもを育てないと、いくら努力をしてもなんの魅力もない人間になっちゃう。子どもたちにどういう個性があるのかゆっくり見てあげられる親の目も重要なんじゃないかな? もちろん先入観と偏見、自分勝手な親の価値観の押しつけはダメだけどね。
いい宿だったんだけどなあ…。でも今度湯布院に泊まるときは、そこにいるだけで“湯布院だぁ!”って感じられる宿に泊まることにしよ!っと。

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第200回「卒業式」

いやぁ、早いもので200回になりました。とにかくこういう連載は“休まない”を基本に考えていましたので、大腸ポリープの手術をしたり、子どもたちの病気やケガがあったり、パソコンのトラブルがあったりといろいろなことがあったけれど、とにかく休まずここまで続けられていることに、ホッとしています。この連載は、テキストファイルをメールに添付して、それを商工会議所の皆さんのお骨折りにより編集していただいているわけですが、メールの本文だけ(“よろしくお願いします”だけですよ)を送って、原稿の添付を忘れてしまったこともあり、いつもいつも商工会議所の皆さんにはご迷惑をかけっぱなしで続けさせていただいているわけです。
月刊誌に2年半ほど連載をしていたこともありますが、活字の媒体に比べると、ネットというのは、掲載してしまってからの訂正もできないわけではないので、ついつい不用意な言葉遣いになったり、わけのわからない文になったり…こちらが多少楽な分、読者の皆様にご迷惑をおかけしている部分もあるのだろうなあと、毎回反省しています。

さて、この連載を始めたときはまだ中学生だった翔(かける)が、今日(3月5日)無事に高校を卒業しました。我が家の場合、中学校までは公立でしたので、中学校の卒業というのも義務教育の終わりあるいは地域との関わりの終わりという意味で、大きな節目ではありましたが、高校の卒業というのは、“親の責任はここまで”という親としての責任からの解放という点では、さらに大きな節目を越えたという気がします。私も妻も全くゴルフをやらないという環境で、小学校4年生からゴルフをやってきた翔は、高校での3年間もゴルフ部で通し、大学でもゴルフを続けるということなので、経済的にぎりぎりの生活の中で、さらに経済的には支えてやらなくてはならない状況は今しばらく続きますが、今日の卒業式を見て、一気に肩の力が抜けて、楽になりました。講演に呼ばれたとき“幸せは探すものではなく、作るもの”とよく話すのですが、高校卒業までは子ども自身の力ではどうにもならない部分もあり、子どもの幸せも親が作ってやらなくてはいけない要素が多くあったけれど、“もう自分で幸せを作れよ”と言ってやれるときがきたのだなあ、そんな気持ちです。

そんな親の気持ちとは裏腹に、うまく社会の一員になれない子どもたちもいます。
茨城県古河市の県道で、3月2日未明高校生3人の乗った乗用車が石塀に衝突し、後部座席に乗っていた18歳の少年が亡くなりました。あとの2人も重傷を負いました。3人は、前日の1日に卒業式を終えたばかりでした。亡くなってしまったお子さんは、大人として社会の一員となることなく、人生を終えてしまいました。
また駒大苫小牧高校の事件も、大変残念な事件でした。第171回に扱った明徳義塾高校野球部の件もありましたが、内容はやや異なっているとはいえ、同じような背景の中で起こった事件と言えます。そしてまた相変わらずの連帯責任論、さらに連帯責任によって選抜大会に出場できなくなった子どもたちがかわいそうという論評。
駒大苫小牧の件については、明徳義塾のときにも述べたので改めて述べませんが、子どもを一人前の大人として社会の一員にすることはとても難しいことだと感じます。「どうにもならない奴らだなあ」と切って捨ててしまうことは簡単ですが、どうしたら一人前の大人として、社会に参加させてやることができるのか、それを考えるのは一人前の大人として社会を構成している私たちの責務なのだと思います。
これから県内の公立高校や中学校でも卒業式を迎えますが、無事卒業式を終えて全員が社会に巣立っていけるといいですね。
ところで、うちの息子はちゃんと帰ってくるだろうなあ…。そんなことを心配しているようじゃあ、子育て失敗?かな。
先週お話ししたアキレス腱を切ってしまった真(まこと)は、金曜日にアキレス腱をつなぐ手術をして、無事成功したようです。なんでも、火曜か水曜に退院とか。やはり息子の年齢は治りが早い! 私なんか、7月にちょっと肘を痛めたと思ったら、治るどころかかえってひどくなってるくらいで未だに毎日整形外科通い。こうしてパソコンを打ってると手が浮腫んできちゃったりして…。やっぱり若い世代にしっかり自立してもらって、うまく世代交代ができるようにしてもらわないとね。
「おーい、翔ぅ! ちゃんと帰って来いよぉ!」

 

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第199回「湯布院から」

-湯布院から-
今日は、一度きてみたいと思っていた湯布院温泉からです。
第181回でちょっとお話しした北九州市立男女共同参画センターの講演会が今日(26日)でした。
“何で来よう(行こう)かなあ”と迷ったあげく、結局“自家用車”。依頼した方は、当然飛行機か新幹線と考えて、「チケットをお取りして送らせていただきます」と連絡してきてくれたんだけれど、耳下腺腫瘍ができたせい(原因はよくわからないんだけれど、約10年前に耳下腺に腫瘍ができてそれの進行に合わせて、気圧が低くなると激しいめまいと吐き気、それに発汗をするようになった)か、手術をして腫瘍を取った今も飛行機に乗るととんでもなくひどい状態になるので、飛行機はダメ。新幹線も速度が速いために気圧が下がって飛行機と同じようになることがあるので、ちょっと躊躇して、「遠いけど、九州まで行くのなら、まだ行ったことのない広島にも寄ってみたいし、湯布院にも行ってみたい。運転もめっぽう好きだし、“えーい、車にしちゃえ!”」。
うちからセンターのある北九州市小倉北区までは、1000キロちょっと。途中休憩や食事をしなければならないことを考えると約12~13時間はかかります。講演は午後1時30分からなので、その日に出たのでは間に合わない。1000キロという長丁場は、何が起こるかわからないので、前日の25日中に門司まで行っていることにして、25日の朝3時半に家を出ました。
いやぁ、やっぱり1000キロは遠い、遠い。一度飲み物を買いたくて、どこだったかのPAで止まって、浜名湖で休んで、大津で朝食。そのあと、一度どこかのPAでトイレ休憩。そして広島へ。やはり原爆ドームと資料館は重かったぁ。子どもたちには見せたいし、世界中の人たちにも核兵器の悲惨さを見てもらいたい。この悲惨さを伝えられるのは唯一の被爆国である日本だけなのだから、私たちが伝えなければいけない、と強く感じました。
門司は、門司港を見下ろす高台に立つ国民宿舎めかり山荘に泊まりました。とにかく値段の安い国民宿舎ということで、子どもの団体が泊まっていて、講演前の緊張感とは裏腹にちょっとわさわさしていたけれど、窓から眺める門司港の夜景は最高でした。
男女共同参画センターの企画した“男のライフセミナー”と題する講演会は、主催者や私たちの予想に反して、来場者は年配の方が圧倒的。“自分らしく生きる”ということをテーマに、“素敵なお産をありがとう”のビデオを見てもらい、私と妻で約30分ずつ話をしました。出産と子育てを通して、家族をどう作るかという話なので、年配の男性がかなりの割合を占める中で、うまく伝わるのかなあという不安はありましたが、九州という土地柄なんでしょうか、とても暖かく受け入れていただけたように感じます。九州の男性といえば、とにかく男尊女卑と思っていたけれど、ちょっと違った側面を見た気がして、九州人の柔軟性というか、人なつっこさというか、少し私の九州観が変わったかな?
今こうして、原稿を打っている湯布院の宿は、温泉街からちょっと離れたところで、とても静かです。耳を澄まして聞こえるのは、時々ONになるエアコンの風の音と部屋に付いている露天風呂にほんのわずかずつ流れ込む源泉の音だけ。パソコンのキーボードを叩く音がこんなに大きかったとは…。
というわけで、講演も終わり、ゆっくり湯布院の夜を満喫しようと思っていた矢先、携帯電話が鳴りました。娘の麻耶からです。
「うちの留守電に入ってたんだけどね、マコちゃん(息子の真)がケガして入院したんだって。SET(真の所属している三宅裕司が主宰する劇団)の人から連絡があったよ。この留守電聞いたら、折り返し携帯に電話してほしいって」
ああぁ~、せっかくの湯布院がぁ~。5人も子どもがいると、しょっちゅうこういうことばかり。まあ、これが子育ての宿命かなあ。どこかに出かけるときはいつも心配はしているんだけど、よりによってこんな遠くにきてる時じゃなくたっていいだろっ、まったく!
真のケガは、バク転の練習中に、アキレス腱を切って踏ん張れず、回転の途中で頭から落ちたらしい。なんでもしばらく意識がなく、肩と手が動かなかったとか…。救急車で運ばれて、入院したらしいけど、まあとりあえず、さっき真とも直接メールのやりとりができて、本人は“たいしたことない”と言っているので、予定通り、明日の朝、チェックアウトをして、帰ることにしました。
まったく、ゆっくり温泉にも浸かってられないよ。

くだらない話で長くなったけど、どうしてももう一つ。
24日の朝日新聞朝刊に「中絶希望者に里親案内」という記事が載りました。新聞の記事をそのまま受け取れば、福島県は「中絶を考えている人に産んでもらい、社会で子育てを担いたい」として、従来の「里親制度」を、人工妊娠中絶を減らし、出生率を高めるための施策として活用していく方針を決めたとか。どうやら、人工妊娠中絶をする人に、里親を紹介し、産んでもらえれば、子育ては里親がするということらしい。
これを見たときは、びっくりしました。生まれた瞬間から捨てられた子どもになっちゃってるわけで、親は子育てを放棄することを前提に出産をする。いったい子どもの人権は、どこに行っちゃったのでしょうか。“中絶して殺すよりはまし”という考えもあるのかもしれませんが、もしそうだとしたら、行政がやらなければいけない施策は、妊娠させないこと。ところが、これはそういう話じゃなくて少子化対策だという。こんな子どもの人権を無視したものが少子化対策になるはずがない。そんな風に育てられた子どもがさらに次の世代の子育てをまともにできると思っているのでしょうか。もちろん里親の子育てが悪いと言っているわけではありません。血のつながりのない子どもを引き取って育てている里親の人たちの善意をも踏みにじるようなことにもなると感じるのです。育てたくない人が育てたい人に子どもを譲る。まるで人身売買のよう。こんな人権感覚で、子どもはまともに育たない。教育より、「産めよ、増やせよ」なんですかねえ。そんなことあるわけないけど、もしそんなことで人口減に歯止めがかかっても、そんな国に未来はなぁーい!

 

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、地域情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第198回「ナンパ族取り締まり路線」

「“ナンパ族取り締まり路線”だって!」
「えっ?」
「ナンパ族取り締まり路線」
「何それ?」
「ここの道だよ」
「?」
「だからー、ここの道が“ナンパ族取り締まり路線”だって!」
「ええっ! なんだそれぇ~?」
「きっとナンパしてたら捕まるんだよ」
「ん? “ナンパ”って法律違反?」
「取り締まられるっていうことは、そうなんじゃないの?」
熊谷駅南口から南へまっすぐ荒川の土手に向かう道には、「ナンパ族取り締まり路線」の標識が。最初は目を疑いました。
「ナンパ族? 取り締まり? はぁ?」
っていう感じ。もちろんそこに書いてある意味が、わからないわけじゃないんだけれど、“ナンパ族”っていう言葉も奇異に感じたし、“ナンパ”って果たして取り締まるようなことなんだろうか、と疑問に感じました。
ところが、これが熊谷っていう町だって考えると納得がいっちゃうので、それもまた不思議なものです。
妻の実家が熊谷なので、昨年亡くなった義父のことがあったり、それ以降一人暮らしをしている義母のことがあったりで、ここのところかなり頻繁に熊谷に行きます。熊谷に行ってまず感じるのが、若者たちが妙に派手なこと。これにはほんとに驚きます。
それぞれの駅にはそれぞれの顔があり、さいたま市周辺を考えれば、浦和には浦和の、大宮には大宮の、あるいは西川口には西川口の、顔があります。住まいを探す場合、いろいろな条件を考慮して探すと思いますが、私は、最寄り駅に行ってその周辺を歩き回ってみるというのも、一つの方法ではないかと思います。駅周辺が持っている顔というのは、それくらい地域の状況を反映していると思うのです。
熊谷というところは、田舎の都会。やけに田舎びた素朴なおじさん、おばさんがいるかと思うと、格好だけが変に派手な若者たちが大勢いる。熊谷駅北口周辺には、そんな若者たちやちょっと派手目なお姉さんたちが身につける洋服やアクセサリーをあつかった店がたくさんあります。駅周辺のスーパーに行くと「ホスト?」と思うような(たぶんほんとにホストだと思うけど)お兄さんたちがうろうろしていたり、メチャメチャど派手な色に髪の毛を染めたコギャルたちもいます。
「ナンパ族取り締まり路線ねぇ。なんか熊谷にあるとわかっちゃうから困っちゃうねえ…」
とは言え、たくさんある道路の一部を取り締まり路線に指定したところで、“ナンパ”がなくなるわけはないし、だいいち“ナンパ”が取り締まりに適するかどうかは大いに疑問がある。
そんなところで大人の価値観の正義を振りかざしたところで、いったい何になるのか…。
青少年の健全育成なんて、そんな大人の“やってるふり”では、果たせるわけがない。毎回言うことだけれど、もし町をあげて“ナンパ族”が悪いと言うなら、ナンパ族を取り締まるなんていうことをしたって、意味がない。誰のせいで“ナンパ族”ができたのか、しっかり反省すべきは、取り締まっている大人の方。
浦和駅周辺に“ナンパ族”が出没しているっていう話は聞かないけれど、それは浦和が“いい町”なんじゃなくて、浦和の若者は都内に行っちゃってるだけかも…。“ナンパ族”がいけないというなら、浦和の大人も事実をしっかり見据えて、大いに反省すべし!かもね。

 

 

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2021年11月24日 (水)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第197回 「メダル候補?」

いやいや、いつものことだけど、オリンピックが始まると眠い毎日が続きます。別にLIVEで見ることはないじゃないって言われそうだけれど、スポーツっていうのは、結果じゃなくて(やってる選手にとっては結果がすべてだけれど)、真剣に勝負をしている人間を見ることのスリルというか、その瞬間のワクワク、ドキドキというか、生であることの迫力があるからこそ見ているのであって、眠い眠いと思いながら、やっぱりLIVEで見ることになっちゃう。
結果を先に知ってしまって見るハイライトくらいしらけてしまっているものはありませんよね。だいたいそういう放送っていうのは、編集されてしまっているので、ハプニングがない。もちろん、NG集に出てくるようなハプニングを期待しているわけではないですよ。上位の人、下位の人、すべての人の競技の中にそれぞれのドラマがあって、成功したり、失敗したり、喜んだり、悔しがったり…。スポーツを見ることの楽しさっていうのは、勝ち負けだけではなくて、そういった人間の姿に共感する楽しさなんだなあって感じます。だから、どうしてもLIVEを追っちゃう。今この瞬間も、ケーブルテレビを含めて、4つのチャンネルで、放送されているんだけど、何の競技かが問題なんじゃなくて、ついついLIVEの中継をしているところにこだわっちゃう。
どうしてもハイライトしかやってないときは、なるべく結果を知らないもの、できるだけレアなもの。
変なこだわりだけど、それが私のオリンピックの楽しみ方。
今もこれから、葛西がノーマルヒルのジャンプを飛ぶよ。
“ああ、ダメだぁ!”
次は伊藤。
“ああ、やっぱりダメだぁ!”
昨日は、原田が失格になっちゃうし、上村も里谷もダメ。残念だねぇ。
「残念ながら、メダルには届きませんでした」
実況のアナウンサーが言ってるよ。
オリンピックになると話題になるのが“メダル候補”。
今、名前を挙げたモーグルの上村、里谷、ジャンプの葛西、伊藤、岡部、原田をはじめ、スピードスケートの加藤、清水、フィギアスケートの荒川、村主、安藤…など、大勢います。マスコミはトリノへ出かける前から、まるで100%メダルは間違いないといった勢い。テレビを見た人たちは、メダルラッシュを期待しているんじゃないかなあ???
ところが、それに反して外国メディアの評価は厳しい。日本のメダル獲得数を2つと予想するところとか、1つと予想するところもあるとか…。そういう予想に対して、ワイドショーのコメンテーターは、
「名前を知ってる人だけあげたんですよ。日本選手の名前を知らないから、そんなこと言ってるんじゃないですか!」だって。
見たこともないんじゃないの?見れば予想も変わるよっていうような言いっぷり。選手の能力じゃなくて、名前を知ってるか知らないかだけで、予想してるっていう意味なんだろうけど、名前が知られてないっていうことは、やっぱり勝つ能力がないっていうことなのにね。世界で一流の人たちは、やっぱり有名だよね。
どうも日本のメディアの評価は、甘すぎる。自国の応援をするのは当たり前なので、それはそれでいいんだけれど、モーグルの中継を全部見ていても、上村が5位に入賞したとはいえ、1位から3位までの選手とは、明らかに滑る早さも技術も違って見える。そう思った人は多いんじゃない? もう少し競技の前から客観的な報道はできないのかなあとも思います。
どうも日本人は、「客観的に物事を見る」ということが苦手。親が自分の子どもを見るときは、最もそういうことが表れます。どの親も自分の子どもの能力を過信します。しかも、“親が子どもに対してこうなってほしい”と期待している部分の能力に対して、能力がある思いがち。それは、けっして子どもにとっていいことではない。
受験期を迎え、塾の前は送り迎えの車でどこもいっぱい。みんな自分の子どもが東大に入れると確信してるんじゃないのかな? だけど、そんなのは夢のまた夢。東大に入れる人なんて、ほんの一握り。しかも、東大に入れればそれだけで幸せなわけじゃない。それは、スポーツの世界もしかり。誰もが野球のイチローや松井、サッカーの中田や中村になれるわけじゃない。子どもの幸せを願うなら、もっと客観的な目を持たないと…。子どもの幸せってもっと違うところにあるかもしれないのに。
オリンピックの報道も、あまりメダルメダルと加熱しないで、もっと客観的でいいと思うんだけどなあ。そうは言っても、モーグルとノーマルヒルのジャンプは残念だったね。もしかしたらって思ってたのに…。
外国メディアの予想に反して、日本のメダルラッシュに終わるといいのになあ!
まだまだ今月いっぱい、眠い日が続きます。

 

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第196回「健康志向」

変なことをする人間が多いわが家にあって、特出して変なことをするのが、今ドイツの劇場でダンサーをしている努(つとむ)。この連載の第111回でもお話ししましたが、19歳でフランスのバレエ学校に留学して、5年後に初めて戻ってきたときは、玄関で靴を脱がずに家の中に上がってきて、みんなに非難されたり、日本ではまだそのころ珍しかったエスプレッソのコーヒーポットをフランスで買ってきて、コーヒーがドロドロになるまで煮詰めては、50CCくらいしかないそのドロドロのコーヒーに、砂糖をスプーン山盛り5杯も入れて飲んでみたりと、まったく訳のわからないことをやりまくり。
みんなから、
「何カッコつけて、フランスかぶれしてるんだよ!」
と非難されても、一向にやめる気配もなく、
「あっ、間違えた!」
と言っては何度も靴で上がってくるし、いつまでたっても山盛り5杯の砂糖はやめない。

結局初めて帰国したときは、1ヶ月の滞在期間中、ずっとそれをやり通してフランスへ帰って行きました。それから3年後。

この時は、靴のまま玄関を上がってくるのも、コーヒーにスプーン山盛り5杯の砂糖を入れるのもすっかり収まっていて、フランスかぶれはなくなっていました。ところが今度は、オートミール。家にいる間中、オートミールを食べまくり。
「お前、何やってんだよ! そんなもの好きだったっけ?」
「いいの、いいの! 栄養のバランスもいいし、食物繊維もいっぱいだからね」
「これどんな味するの? げっ、まずい!」
「いいの、いいの! ダンサーは健康が大事だからね」

さらに2年後。
今度はオートミールに代わって、プロテインが登場!1日に何度もジュースや牛乳に混ぜてはプロテインを飲みます。
「お前、そんなのばっかり飲んでちゃだめだろ!?」
「いいの、いいの! 脂肪をつけないで、筋肉つけなきゃならないんだから」
「ちゃんと食事から摂とらなきゃだめじゃないの?」
「食事は食事で摂ってるよ。だけど、身体をちゃんと作らないと…」
「はぁ? だったら、プロテインの前にスプーンでグルグルかき回して炭酸抜いてコーラを大量に飲むのをやめた方がいいよ」
「へへへへっ!」

最近、イソフラボンが話題になっています。大豆イソフラボンは、骨粗鬆症やガン予防効果があるとか…。

構造が女性ホルモンのエストロゲンによく似ているため、体内でエストロゲンと同様の作用をすることが期待されて、乳がんやエストロゲンの減少で進行する骨粗鬆症などの予防に有効とされています。心臓病による死亡率を下げるという報告もあるそうです。ところが過剰に摂取すれば、ホルモンのバランスを崩す恐れがあり、食品安全委員会の専門調査会は、過剰摂取に注意を促す報告書案をまとめました。それによると、通常の食生活に加え特定保健用食品などで1日に追加的にとる安全な上限量を30㎎、特に、妊婦や乳幼児に対しては「追加摂取は推奨できない」としています。

年々、サプリメントを摂取する人が増えています。受験勉強には、サプリメントを摂るのが効果的と考えている人も多く、子どもたちの間にも広がっています。サプリメントは、医薬品ではなく、栄養補助食品だから副作用はないとか。とはいえ、イソフラボンは、妊婦、乳幼児には「追加摂取は推奨できない」と言う。子どもの健康のためということであれば、サプリメントの前に、やはりきちんとした食事を摂らせることを考えないとね。どちらが大事か順序を間違えないようにしないと…。

副作用はないと言うけれど、私はビタミンCを錠剤や顆粒で飲むと必ず下痢をしちゃいます。レモンやキウイをいくら食べても下痢しないんだけどね。それって副作用じゃないのかなあ?

一昨年、一時帰国した努は、オートミールもプロテインも一切摂らずに、わが家の食事だけを食べて、ドイツに帰っていきました。

 

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第195回「えーっ、これだけぇ!」

28日のオンエアを見てビックリ!
「えーっ、これだけぇ!」
スタジオで収録するときにも、モニターで私たちの紹介VTRとか再現VTRとかがスタジオの全員が見られるように流れて、それを見ながら収録が進むので、つじつまが合わなくならないように通常はスタジオで流れたVTRをすべて使うんですが、今回はぜーんぜん。

孫の蓮(れん)や沙羅(さら)が、私と一緒に掃除機をかけているところとか、キャベツを刻んでいる私のそばで遊んでいるところとか、そんな映像がスタジオでは流れたのに、ぜーんぶカット。幼稚園の先生にまで「蓮が出ますから」なんて言っちゃったのに、“ズコッ!”ってなっちゃいました。
今回はそんな気がしたんですよね。

放送された映像は、実際の収録とは全然順序が違うんです。
放送ではウチの出番は6つのテーマのうち4番目になっていましたが、収録は5番目。子育ての参考に私もずいぶん著書を読ませてもらった、あの有名な小児科医、毛利子来(もうりたねき)氏が最後の6番目。それが放送では、1つずつ繰り上がって、収録時には4番目だった少子化問題が最後になっていました。

それには理由があって、一つは田嶋陽子さんで終わりたかったんだろうなあっていうこと、もう一つはアシスタントをしていた山本モナさんと真鍋かおりさん、自民党の世耕弘成議員と新党大地の鈴木宗男議員が、午後8時半で終わる予定の収録が10時半までかかってしまったことで中座せざるを得なくなったこと。番組の終わりに、それだけの出演者が欠けていたのでは、エンディングの格好がつかないんだろうなと思いました。

ああやって、実際にスタジオ入りしてみると、鈴木宗男氏の存在感というのはすごいんだなあと思います。もう完全に議員の域を出てますね。もちろん国会議員をやっているからこその存在感なんでしょうが、政治的なことは抜きにして、充分タレントでやっていけますね。ほとんど一人で議員側を引っ張っている感じでした。そういう方がいなくなってしまっていたので、制作会社曰く「鈴木宗男さんがいなかったので議員の方々の盛り上がりが欠けちゃって…」。
というわけで、あまりにも短かったのでちょっと残念でしたが、前回お話ししたように、テレ朝とのギャップが全然埋められていなかったので、放送された映像を見て、「課税」という不本意なやり方ではありましたけれど、そのこと以外あまり気にくわない場面が流れなかったので、内心ホッとしました。収録の中で、ウチの法案に賛成してくれた公明党の澤雄二議員が「課税することが重要なんじゃないんですよね。気づかせることが重要なんでしょ? だから課税は100円だっていいんですよね」と言ったんですが、それに対して渡りに舟とばかり「そうです、そうです!」と言ってしまった私の考えは、「罰として課税する」という過激さを求めていたと思われるテレ朝の思惑とはかみ合わなかったということですね。

シナリオなしに自由に語らせてもらうと…。
ニートが生まれるメカニズムは複雑ですが、基本的には現代の社会構造を作っている政治の問題と考えます。一般的によく言われることですが、ライブドアの問題を生み出したような小泉政権の経済政策、政治手法等にも問題があることは否定できません。けれども、「政治の問題」と簡単に片づけてしまうのも大きな誤りです。子育ての質、教育の質の問題を抜きにニートを語れないのも、これまでのカウンセリングの経験から、否定できない事実なのです(もちろん子育ても教育も政治の問題ではあるのですが)。不登校も含め、「どういう子育て」、「どういう教育」がニートを生み出しているのか、私たち親は真剣に考える必要があります。「課税」という手段はともかくとして、親や教師の子どもたちに対する態度が、ニートを生み出す大きな要素になっているということの自覚を、親も教師もしっかりと持つべきです。

子どもの気持ちを聞く前に「××食べる?」「××する?」と何でも先回りしてしまう親、「××先生ってひどいんだよ」という子どもの言い分に、何がどうひどいのかも確かめずに「それはひどいねぇ」と簡単に子どもの言い分を鵜呑みにしてしまう親、仕事にも就かずぶらぶらしている子どもに「やりたい仕事がないんだったら働かなくてもいいのよ」と子どもをかばってしまう親。そうかと思うと、自分たちの力量は棚に上げて、子どもの悪さ、親の悪さばかりを強調する学校や教師。

27日発行の「フライデー」に“「指導力不足教員」の実態と優遇リスト”という表が載っています。東京都83人、神奈川県85人(数字は認定者総数)は特出していますが、埼玉県の14人はちょっと少ないんじゃない? 政令市であるさいたま市は、なんと0人。横浜市27人、北九州市26人、福岡市の20人と比較すると、「ほんとにさいたま市ってそんなにすばらしい教員ばかりなの?」と疑問を感じざるを得ません。どうも親の感覚とは乖離している。

改めて、“ニートは元を絶たなきゃダメ!”

親や教師がもっと自覚を持って責任を果たさなくては、ニートはなくなりません。 

 

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第194回「収録終了!」

19日の金曜日、六本木のアークヒルズで「ドスペ!」の収録してきました。いやー今回の番組は、正直言ってあんまり見て欲しくないなあ…。テレ朝の思惑とウチの主張がぶつかっちゃって、どちらかというとテレ朝の思惑通りに話が展開しちゃったっていう感じ。

2時間番組で、6人(6組)が法案を提出することになっているんですが、皆さんご存じの通りコマーシャルが入るので、2時間番組の放送時間て正味100分くらい。その時間の中には、番組の説明やら出演者の紹介やら、当然そんなものまで入っているので、法案を審議する時間はさらに短くなって全体で90分あるかないか。結局法案1本当たり15分くらいになっちゃう。14日の土曜日にはウチを紹介するためのVTRも撮りに来て、そのVTRも挿入されるし、局が作った法案を提出することになったそもそもの理由のVTRも挿入されるので、VTRが全部その通り流れたとすると、それだけで5分以上。プレゼンと議論の部分て、ほんとにちょっとになっちゃう。スタジオでのウチの持ち時間が挿入VTRも含めて40分程度だったので、30分以上の議論が10分以下になっちゃうっていうことかなあ??? 一番言いたいところがカットされなければいいんだけど…。

さて、そのニート対策。
数ある社会問題の中でテレ朝がニートを取り上げようとしたのは、前回紹介したように、ニートが増加することにより確実に納税者一人ひとりの負担が増えていくこと、さらに多額の対策費を使っているにもかかわらず、まったく効果が現れないことなどからだと思います。

政府が実際に進めているニート対策も含め、多くの人が考えているニート対策というのは、家から出ることのできないニート本人に、人との交流の場を与えたり、職業訓練をしたり、というような本人を対象にしたようなものばかり。そんなことでニートが解決するかっていうと、前回紹介した沖縄の例のように、人とうまく関われないニートに対して、ただ「参加してください」と呼びかけて待っているだけなわけだから、うまくいくはずがない。

ニートの原因はいろいろ考えられます。どんどん広がっていく勝ち組、負け組の格差の問題、教育の荒廃、止まらぬ少子化・・・。すべてがニートと関わっていると言ってもいいと思います。その原因の部分に焦点を当てないとニートはなくならない。ニートに限らずどんな問題でもそうですが、問題を解決するには、元を絶たなきゃダメ。そういう意味で、今回私たちが、提案することになったのは、ニートの原因の一つと考えられる親子の部分に焦点を当てて、「ニートを作り出した親に課税する」というもの。私も本質的には政治の問題と考えているので、「親」を対象にするなんていうことが、正しいニート対策だなんて考えているわけではないけれど、カウンセリングで親子関係の部分でいつも苦労しているっていう話をしたら、どうしてもそこの部分を取り上げてくれって番組のプロデューサーに言われちゃって、親を守っている立場のウチが親を攻撃するような立場になっちゃうのでどうしようかとさんざん迷ったあげく出ることにして、結論を「親を守っているんだ」というところまで最終的には持って行こうとしたんですが、収録時間が予定より2時間も押してしまったこともあり、思ったように話が展開できなくて、誠にウチらしくない惨憺たる結果に終わってしまいました。

とほほっ。
どういう放送になるのかなあ…。勘違いされないといいんだけど。大失態からまだ立ち直れなくて、ちょっと今回の文章は混乱してるね。オンエアを見て、来週もう一度ニート対策について述べようと思います。

 

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年11月22日 (月)

【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第193回「“ドスペ!”出演決定!」

テレビ朝日の土曜夜7時、「ドスペ!」に出まぁーす!
1月28日(土)夜7時からの「ドスペ!」(土曜スペシャルの略?)に出ることになりました。今回は「ザ・法案 ファイト!」とかいうタイトルで、今の政府の政策に欠けている、不満があるということを法案という形でプレゼンして、各党代表の国会議員とタレントとディスカッションするというもの。何人かの提案者がいるようですけど、その中の一人(一組)ということで私と妻と二人で、教育相談を受けているカウンセラーという立場と20数年間主夫という形で子育てに関わってきた立場から「ニート対策」についてプレゼンすることになりました。

テレビというメディアの中で議論慣れした国会議員の先生方とディスカッションするのは初めてなので、果たしてうまく論理立てして、国会議員の先生方を納得させることができますか・・・。テレビの討論番組を見ていると、なんだか訳もわからず反対のための反対をしたり、ただただ目立ちたいばっかりに、やたらと人を攻撃する人たちがけっこういるので、ちょっとドキドキしちゃうなあ。初めての体験なので、楽しそうといえば楽しそうではあるのですが…。

先日、予行演習みたいな形で、実際にテレ朝に行って、丸山弁護士相手にプレゼンをしてきましたけれど、それなりには話せました。が、満足と言うにはほど遠かったので、19日の本番収録までには、もう少しきっちりと話せるようにしなくっちゃね。

さてそのニートですが、政府はやっと本腰を入れて対策を立てようということになってきたようです。少子化に歯止めがかからず、高齢化社会がどんどん進行していく現状では、ニート問題も早急に解決しなければならない問題の一つです(もちろん、ニート問題が即少子化とつながっているという部分もあるのですが)。ニートの数は、15歳から34歳までの学校にも行かず、働きもせず、職業訓練にも参加しない若者という括りで、85万人とも言われています。そして増税論議が行われている現在、本来働いているべき若者がニートになっていることによる税収減が、なんと6,200億円。さらに、政府のニート対策費が756億円。単純に考えて、もしニートがいないとしたら、7,000億円近い金額を増税しなくてすむ計算になります。これには、学校に籍はあっても実際には学校に行かず不登校、あるいは遊び歩って怠学しているといった若者の数はカウントされていないし、ニートを親が扶養している場合の扶養控除分が含まれていないので、その点も含めて試算すれば、さらに減収分は増えることになります。国家財政の健全化を図っている政府にすれば、ニート対策に本腰を入れるのは当然で、今までいったい何をやっていたのかという感も否めません。

ところがです。さらに問題なのは、その対策費の使い方。政府は、「自立支援塾」なるものを各地に作って、ニートを減らそうと考えているようですが、なんと沖縄に作った二つの自立支援塾の一つは利用者ゼロ。もう一つも利用者3名とか。こんな現状を見ると、まったく打つ手なしといった感じです。民主党の主張も「ニートが集まることができる場所を作り、相談、支援を行う」と言うんだからあきれちゃう。人と人との関わりができないからニートになっているのに、どうしてそんなところに行けると思っているのか、とてもニートを理解しているとは思えない。

どんなことでもそうですけど、一番大切なのは「元を絶つこと」。何かの宣伝にあったけど、なんだって同じですよね。そうなってしまった末端の部分だけを何とかしようとしたってうまくいくはずがない。百歩譲って、今現在ニートの人に現状の支援策が有効だとしても、新たに生まれるニートが防げるわけじゃない。もっと根本を考えないと…。
そこで提案をするのですが…。

提案の内容は、次回。

 

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第192回「一生懸命さの空回り」

あけましておめでとうございます。
皆さんにとって去年はどんな年だったかな?満足のいく1年を過ごせたかな?
「一年の計は元旦にあり」というわけで、皆さん今年の目標はしっかり立てましたか?
私は、まあ一応会社をやっているので、「今年は飛躍の年にしよう!」なんて考えているんだけど、果たして飛躍の意味って何なんだって聞かれると、もちろん会社だからよりいっそうの利益を上げることに決まっているのに、仕事柄、利益を上げるということより、ついつい「世界中の子どもたちが幸せな一年を送ること」なんて考えちゃって、「利益」なんていうこととはほど遠いことになっちゃったりするんですよね。

広い意味で言ったら、まあそれも「飛躍」のうちかあ?なんて考えて、それが実現できたら、今年の終わりには「いい一年だった!」っていうことにしちゃおうかな…。だけどどう考えても、「利益を出すこと」より「世界中の子どもたちの幸せ」の方が難しいことですよね。逆に言えば、うちの会社の利益より、そっちの方がよほど大事なことですよね。今年一年、両方を目標に精一杯努力をすることにしましょう!

昨年の11月、妻と二人で義母と叔母(義母の妹)を四万温泉に連れて行きました。以前から、桐生に住んでいる叔母と湯治に行きたいと言っていたので、比較的近場で、部屋からお風呂までに段差がなく、湯治の効果があり、しかも長期滞在でもあまり費用のかからないところという条件で、いろいろ探した結果、四万温泉に行くことになりました。

四万温泉に行くのは初めてでしたが、四万温泉に着いてびっくりしたのは、「街のきれいさ」でした。四万温泉と言えば、そのレトロな雰囲気から様々なロケに使われていることは有名ですが、そのせいもあってか、ゴミが全然落ちていないのです。公衆浴場にも何ヶ所か入りましたが、当番制で清掃をしているとかで、とてもきれいでした。さらに驚いたのは、街のあちこちのお店に、「トイレご自由にご利用ください」の貼り紙が貼ってあること。観光以外何もないところですから、当然と言えば当然のことなのですが、街のきれいさとも重なって、そういった貼り紙に商売っ気を感じるというよりは、むしろその街の持っている優しさを感じるといったふう。義母と叔母は5泊、私と妻は二人を預けた旅館に1泊だけして戻ってきたのですが、四万温泉の印象はとてもいいものでした。

義母も叔母も四万温泉がわりと気に入ったようで、また行きたいということになり、8日の日曜に再び送ってきました。今度は二人を旅館に預けると、私たちは元湯の老舗旅館に1泊してきました。ところが、今度は印象が変わりました。相変わらず街もきれいですし、もちろん貼り紙もあります。泊まった旅館も接客態度に気分の悪くなるようなものはありませんし、部屋や旅館全体も掃除は行き届いている。一生懸命さは伝わってくるんだけれど、どこかちぐはぐ。
「なんでだろう?」とずっと考えていたのですが、朝になって布団を上げにきた従業員が、部屋のドアをノックしたとき、その答えがわかりました。お客に対して一生懸命ではあるんだけれど、お客の気持ちの根っこの部分に寄り添ってないんだと思いました。ノックされたとき私は、部屋にあるユニットバスに入っていました。ユニットバスとは言え、源泉が出ますので充分満足していたのですが、ゆっくりとした落ち着いた時間を買いに行っている私は、ノックの音でいっぺんに興ざめです。そうなってくると、いろいろなことが気になり出します。それほど厳密な意味は持たないのに到着時刻を限定されたこと、最初に部屋に案内されたときトイレットペーパーの先端がきれいにたたんであったにもかかわらず、翌日までは絶対に保たないだろうという量しかなかったこと、今年は源泉の温度が異常に低いとかで露天風呂が使用不能になっているのに、こちらが尋ねるまでそのことが告げられていないこと、料理の量はそれなりに多くて凝ってはいるのにまずい…。サービスをしようという姿勢はよくわかるのに、非常に満足度が低いという奇妙な感覚になってしまいました。

その時ふっと思ったのですが、これって子育ての親子関係とよく似ています。親は子どものためにと思って一生懸命子育てをしています。その気持ちに偽りはないし、そういう親の気持ちは充分に子どももわかっている。ところがそれで子どもが満足しているかというと、子どもの気持ちと親のしていることには開きがあるので、子どもにはよくわからないフラストレーションだけが溜まっていく。結局子どもはどこかにフラストレーションのはけ口を見つけなければならないので、そういった行動を起こして一生懸命子育てをしている親と衝突する。

ああ、四万温泉もそんな感じだぁ!
旅館を出た私の行動は、別な旅館の日帰り入浴をたっぷり利用して、中之条まできてから回転寿司を食べて、沢渡温泉、伊香保温泉とドライブをして、高速道路のSAでパンを買って、かりんとうを買って、運転しながら食べまくり。

ああ…。とほほっ。
子どもたちが、そうならないように気をつけないとね!

 

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第191回「翔サンタ再び登場 “メリー クリスマス 2005”」

今年もやってきました! メリー クリスマス!! 
最近アメリカでは、「Happy Holidays!」と言うそうで、「Merry Christmas!」と言わないブッシュ大統領に一部キリスト教団体が抗議をしているとか。まあ、とりあえず宗教色のない日本ではありますが、“メリー クリスマス!”

株高に煽られたのか、本当に景気がよくなったのか、今年のクリスマスはどこへ行っても人、人、人! 去年までのクリスマスとは、様変わりしたように感じます。

22日は、久しぶりに銀座に行きました。クリスマスがちょうど3連休に当たるということもあって、銀座はとても賑やか。渋谷だろうが新宿だろうが、東京だろうが赤羽だろうが、荒川の向こうへ行くときは、すべて“東京へ行ってくる”とひとくくりにする、ほとんど浦和を出ることのない田舎者の私にとっても、「銀座」だけは別。さすが「銀座」という感じです。東京ミレナリオにはちょっと早かったけれど、すれ違う人は皆ニコニコとやや興奮気味。一目でテンションの高いのがわかります。

この日は、陶芸教室の場所を仲介してくださった不動産屋さんの社長のお招きで、交詢社(福沢諭吉の主唱により創設された日本最古の社交クラブ)に行ってきました。交詢社の名前は知っていたけれど、私などのような者が足を踏み入れられる場所ではないので、当然入るのは初めてです。交詢ビルの入り口に着いたはいいけれど、私が行きたいのは10階。ところがエレベーターは8階までしかない。
「う~ん?」
と困っていると守衛さんのような人を見つけました。
「すいませ~ん! 10階に行きたいんですけど…」
「そこのボタンに触れてください」
「?」
そんなもん、どこにあるんだよ~!
守衛さんの指さしている辺りの壁をよく見ると、確かにそれらしきところがあるにはあります。「まあ、とにかく触ってみよっ」と、そこに触れた途端、まるで「ひらけーゴマ!」とでも言ったかのように壁がガガガガガーッと開くではないですか!(ちょっと大げさ! でも本当にそんな感じでした)専用のエレベーターで9階まで行き、階段で10階まで上がるのですが、階段はすべて赤絨毯貼り。“ドヒャー! なんだここはー!”てな具合で、夕食会。なんだかテンション上がりっぱなし。もちろん男性はスーツにネクタイ着用のこと。クールビズなど無縁の世界。小泉さんて慶応だったよね。ここは福沢諭吉ゆかりの、まさに慶応の砦。ここに小泉さんが来るときは夏でもネクタイするのかなあ?なんてこと考えちゃいました。

そんなところに行ったあとのクリスマスだから、どこですれ違う人を見てもテンションが上がっているように見えるのかなあ? これってもしかして、テンションが上がっているのは私だけ?

イブの日、娘の麻耶(まや)からメールがきて、“長靴買ってきて!”とのこと。「はあ? 長靴ってなんだ?」マジでそう思っちゃうんだから、頭が固いというか…。コルソで“長靴”を買おうとしたら、ペコちゃんの長靴とアンパンマンの長靴と何も付いていないただの長靴があるじゃないですかぁ! さてまたまた困って、「どれにしようかなぁ???」麻耶に電話をしたけれど「任せるよ」の返事。おいおい任すなよぉ!

結局、2,000円もするペコちゃんの長靴と1,600円もするアンパンマンの長靴を一つずつ買って帰ることに。さて帰ろうかなって思ったら、“長靴売り場”のすぐ隣の宝石屋がにわかに賑わっているではありませんか!こうなりゃ勢いだっていうわけで、“ばあちゃん”にもサンタさんが来ちゃおうかな?と妻にも安ーい(これは妻には内緒!)サンタさんのプレゼントを買いました。さらに車で妻を仕事場で拾ってから麻耶と翔にもプレゼントを買っていると「あなたのはどうする?」と妻が言うので、「いやいやいや私のなんていいよ」と言うと、妻はまさか自分の分が用意されてるなんていうことは知らないので、「じゃあ、麻耶と翔のだけにしておこう」ということになりました。

「うちってやり過ぎだよなあ。あれは絶対まこちゃん(翔の兄の真のこと)だって思ったのに家中みんながすごい勢いで否定するでしょ。“違う違う! そんなことないよ! お前何言ってんだよ!”って。なんでサンタクロースからプレゼントもらうのに怒られなくちゃならないんだよぉって、悲しくなっちゃったよ」
と翔は言っています。麻耶は麻耶で、
「あたしなんてさあ、鈴やらされたからね。鈴だよ、鈴! それもさあ、いかにもそりが遠くから近づいてくるように、小さい音からだんだん大きくなるの。帰りは逆に大きい音からだんだん小さくしたりしちゃって。まったくやり過ぎなんだよ」
と言っている二人ですが、今年も去年に引き続き翔サンタが登場(第141回参照)。麻耶もサンタのために髭を用意したりして・・・。文句言ってる割にお前らもしっかりやってるじゃんかよぉ!

昨年はちょっと不審に思った蓮(れん)でしたが、今年はなんの疑問も感じなかったらしく、麻耶が用意した乗り物の図鑑を開いて「サンタさんにもらった」と大喜び。沙羅(さら)ちゃんも本、麻耶ちゃんは歌を歌いながら傘を回して踊る雪だるま、翔くんは手袋、そしてばあちゃんは指輪をサンタさんからもらいました。そしてケーキを切ろうとした瞬間、それまで大はしゃぎしていた蓮が、
「じいちゃんはサンタさんから何ももらってないから、これじいちゃんにあげる!」
と、ケーキに付いていた大好物のパラソルチョコを私にくれようとするではありませんか! そして沙羅が蓮の手からチョコを受け取り、「はい!」と私に差し出しました。
「ありがとう! 蓮くん、沙羅ちゃん!」
あんなに自分がはしゃいでいたのに、私が何ももらってないことに気づいてたんだ!

「だから、あなたの分も買っておけばよかったんだよ」
「いやいや、孫たちの優しさがなによりのサンタさんからの贈り物だよ」
今年も、優しいクリスマスが迎えられてよかった!

 

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第190回「節操」

「じいちゃんとお風呂入るぅ!」
私がお風呂に入ろうとしていると、孫の蓮(れん)が寄ってきて一緒にお風呂に入ると言い出しました。
「蓮くん、じいちゃんとお風呂入るの?」
「うん!」
「じゃあ、じいちゃん先にお風呂に行って、お風呂丁度よくしてくるから、ちょっとしたらおいで」
「うん!」
私が先にお風呂に行って、湯加減を調節しようとしていると、蓮ではなく妹の沙羅(さら)がお風呂の前まできて、どんどん服を脱ぎ始めました。
「あれっ? 沙羅ちゃんかぁ。沙羅ちゃんもじいちゃんとお風呂入るの?」
「うん!」
なかなか湯加減が丁度よくならないのに、そんなことはお構いなし。沙羅はどんどん服を脱いで風呂場に入ってきてしまいました。
「沙羅ちゃん、ちょっと待ってて。まだね、お湯が熱いんだよ」
「うん」
そうこうしているうちに蓮も裸でやってきました。
わが家はマンションで、お風呂はユニットバスなので、狭い狭い。私くらいの体格だと湯船に浸かっても身体全体をお湯に浸けるのはとっても難しくて、肩まで浸かろうとすると膝が出る、膝を入れようとすると肩が出る。なんとか全身を入れるには、全身が浸かった時に湯船からお湯があふれるレベルまでお湯を入れてから、まず肩を入れる、そしてちょっと身体をひねって、湯船から顔を出した膝を横に倒してお湯の中に納めるという順番で入らないと、全身をお湯に浸けることができません。

というわけですから、蓮と沙羅が一緒に入るととにかく狭い。ゆっくり暖まるなんていうことはぜーんぜん無理。私はお腹の上まで入るのがやっとです。
「沙羅ちゃん、お尻よく洗って…。そうそう、上手だね。じゃあ入ろうね。せぇのう!」沙羅はまだ湯船に一人で入れないので、入れてやりました。
「蓮くんもお尻洗ってね。そうそう。蓮くんも上手だねぇ」
蓮は最近やっと台を使わず湯船に入れるようになりました。まるで芋洗いのように3人で湯船に浸かって、ワアワア大騒ぎ。
「じいちゃん、ちょっと出て頭洗うよ」
「うん」
私が湯船から上がると、お湯は一気に半分に。
「あーっ、お湯が小さくなったぁ! じいちゃん出るとお湯が小さくなるぅ!」
沙羅が叫びました。少ないという言葉を知らないわけではないので、沙羅の頭の中では、こぼれてなくなったのではないので、お湯の量が減ったということではなくて、小さくなったと思っているのでしょうか???
「またじいちゃんとお風呂入ろうね!」
「うん!」
元気よく返事をして、二人はお風呂から上がりました。

翌日。
この日は妻と私の帰りが早かったので、私が食事の支度をしている間、妻が蓮と沙羅を遊ばせていました。
「ばあちゃんとお風呂入るぅ!」
蓮が叫ぶと沙羅も続いて
「沙羅ちゃんもぉ!」
「あれっ?じいちゃんと入るんじゃなかったの?」
「じいちゃんとは入んない!ばあちゃんと入るぅ!」
「はぁ?お前、じいちゃんと入るって言ってたじゃん!」
と私が言うと、蓮はニヤッと笑ってどんどんお風呂の方へ行ってしまいました。沙羅もそれに続きます。そしてそれからしばらくの間、お風呂から蓮と沙羅が楽しそうにはしゃぐ声が聞こえていました。

食事になると娘の麻耶(まや)が、
「蓮くんが好きなのはねぇ、まずママでしょ、次が沙羅ちゃん、次がやよいちゃん、次がやよいちゃんのママ、そこまで言ってあとは言わないの。ばあちゃんとじいちゃんはねぇ、その次らしいよ」
と言いました。
「それって麻耶に言ったんだろっ?」
「そうだよ」
妻が、
「この前、私には一番好きなのはばあちゃんって言ってたよ」
と言いました。
「そうそう。すぐ替わるんだよ」
「まったく節操のないやつだなあ!でも麻耶もそうだったもんなあ。誰かに遊んでもらうとすぐ遊んでくれた人が好きって言うの。まあ、子どもなんてみんなそんなもんだよな」
「そうやって自分を保護してくれる人を見つけてるんだよね。そうしないと自分一人じゃ生きていけないからね」
さて、今日は誰とお風呂に入ることになるのかな?

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第189回「危機管理」

スーパーに買い物に行ったら、なんと犬のように胴輪を付けられている2歳くらいの子どもが…。
あぁ~
たぶんその子は慣れているので、特別“いや”という感覚もないのだろうけれど、あの親子の間の距離感は、必ず後になって影響が残るはず。リードを持っていることで、子どもがどこかに行ってしまう危険性は少なくなるのだろうけれど、心が危険な状況になっちゃうよ~。別に胴輪にリードじゃなくたって、手をつなげばいいじゃないの!
見ているだけで、鳥肌が立つような寒気がしてしまって、つい目をそむけてしまいました。

1月までペットショップも経営していたので、犬のかわいらしさもわかるけれど、やはり「犬は犬」、「人は人」。こんな子育てがはびこったら、人間が人間として育つはずがない。オオカミに育てられた「カマラ」と「アマラ」が人間らしい人間にはなれず、死ぬまで獣の習性から脱しきれなかったように、胴輪にリードという人間関係では、人間の優しさや暖かさを身につけられるはずがない。

子育てにとっての「危機管理」っていったい何なのか、しっかり考える必要があるんじゃないかと思います。
確かに親が目を離しているときに、子どもがどこかに行ってしまう危険性はあります。けれども、そういう危険が存在するなら、目を離さなければいい。あるいは直接つないだ手を離さなければいいのです。胴輪とリードを付けて、親と子どもの間に距離をおく必要はない。胴輪とリードという発想は、「大人が自由になりたい」、自分たちが子どもから離れて「自由に買い物がしたい」「ベンチに座ってタバコを吸いたい」そんな発想から生まれてくるのだろうと思います。「あっ!」と思ったその瞬間に子どもを守ろうという発想がない。

「どんなときでも子どもの体と心に手の届く距離にいること」、これは子育てにとって最も重要なことです。
リードを持っていたのはお父さん。そばでお母さんが買い物をしていたけれど、引かれている子どもも含め、3人ともまったく表情がありませんでした。買い物をしているおよそ15分くらいの間、1度も笑うこともなく、子どもに言葉をかけることもなく、私には信じられない光景が繰り広げられていました。普通、2歳くらいの子どもを連れている夫婦って、楽しそうにしてるものだろうと思うのですが…。

でも、胴輪を付けている子どもを見るのは初めてじゃないなあ…。以前、3組くらいの母子が皆胴輪とリードを付けて、グループで買い物をしているのを見たことがあります。そのときも、目を疑いたくなるような大きなショックを受けました。もう5年くらい前になるでしょうか。あれから1度もそういう光景に出くわさなかったのは、それほどお母さんたちに受け入れられてないのかな?
もう2度とあんな光景は目にしたくないですね。

ここのところ、小学生が犠牲になる事件が相次いでいます。この連載の中で、何度となく述べてきたように、教育というのは本来人を信じるところからスタートするべきものなのに、人を疑ってかかるところからスタートするよう教えている現状を、とても心配しています。多くの子どもたちが、人間関係をうまく結べないと言う。人を疑うところから教育しているわけだから、それも当然のことでしょう。そんな中で、うまく人間関係を結べるよう子どもたちにスキルを教えている学校もある。

塾の講師が生徒を刺しました。これは私がずっと心配していたことです。人間関係を結べないのは、子どもたちではなく教師のほう。子どもたちに人間関係の結び方を教える前に、教師の方が学ばなくては…。
12月10日の朝日新聞1面に「親睦から危機管理へ 変わるPTAの役割」という記事が掲載されました。
「おいおい冗談じゃない!PTAの役割は、元々危機管理じゃないか!」
親睦を図るということが、どれほど地域の中での危機管理につながっているか…。朝日新聞ですら、そんなこともわからず記事を書いている現状。

多少のリスクを負ったとしても、人を信じるところから教育をスタートさせることが、20年後、30年後の危機管理につながっていくのだろうと信じます。「人を信じない」という負担を子どもたちに背負わせるのではなく、子どもたちが安心して人を信じられるよう、大人がすべての負担を負わないと、20年後、30年後にはさらなる危機管理が必要になってくるのだろうと思います。
「危険な世の中になるから身を守る術を身につける」ではなくて、「安全な世の中をつくる」という、大人の決意が重要なのでしょう。

 

 

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【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】【子育てはお好き? -専業主夫の子育て談義-】第188回「お母さんの同窓会 その2」

4階に上がると、
「こちらのテーブルです」
ドキドキしながら「Sさん、Sさん」と思っている私には、一番はじにいたSさんがなかなか目に入らなかっただけでなく、Sさんの隣にいた女性が、
「ああぁ! 大関さーん!」
と私に声をかけたのに、それが誰だかすぐには頭が回らず、なお目でSさんを探していました。やっとSさんの顔が私の目に入り、ちょっとホッとして、
「どうもおめでとうございます。久しぶりですねえ。私そこのビルにいるので、招待状もらったんですよ」
「大関さんじゃない! ほらっ、この人Tさん。覚えてる? 今、お嬢さんは弁護士目指してるの」
あっ! やっと最初に私に声をかけた女性の顔が目だけでなく脳を通過し、はっきりと認識できて、
「わーっ、久しぶりですねえ。忘れるわけないよ。Tさんにはすごくお世話になったもん。あの時、男って私一人だったでしょ。それに若かったし…。遠足とか行っても、なかなかお母さんたちの集団には入りづらくて、麻耶と二人でお昼食べようとしてたんだけど、そのとき一緒にお昼食べてくれたのが、Tさん親子だったから。私とTさんとあと子どもたち二人だけでしょ、だからTさんだって、ずいぶん気を遣ったと思うよ。同じリス組の中でも特別なんだから。ほんとに何年ぶりだろっ?」
「20年くらいじゃない? 子どもが26歳だから…。でも、年賀状とかやりとりしてたから…」
「えーっ、20年? そんなかなあ? そのあとどこかで会わなかったっけ? いや、会ってないよねえ??? なんだかついこの間のことみたい。SさんもTさんも、全然変わらないよねえ」
まるで昨日まで子どもが幼稚園に通っていたような、そんな気がして、20年の空白なんてまったく感じられません。
そのうち、同じクラスだったIさんもやってきて、まるで同窓会。年少のリス組はたった11人のクラスで、いつもみんなで行動していました。誰かの家に集まって、学芸会の衣装を縫ったり、サンドイッチパーティーを開いたり…。
「ねえねえ大関さん、知ってる? リス組ってすごいんだよ。東大生も出たし、東北大医学部もいるんだから!」
「ひぇー、そうなんだぁ! Sさんとこみたいに大金持ちか、子どもがちょー優秀かなんだね。うちだけ? どうにもなんないのは…」
「麻耶ちゃん、身体こわしたんだよねえ? でも、今お子さんいるんでしょ?」
「ほんとに死ぬとこだったんだよね。奇跡的に助かって、今は子どもが二人。もう幼稚園だよ」
「大関さん、おじいちゃんなんだよねぇ?!」
「麻耶ちゃんてさぁ、色がすごく白い子でさぁ…。会いたいなあ! 今どこにいるの? 呼んどいでよ!」
「たはっ、今ごろ、子どもお風呂に入れて夕飯食べさせてるよ。もう少しで寝かせるとこじゃないかな?」
「はっ、じゃあダメかぁ」

子どもを育てるという部分での関わりって、普通の関係を超えた何かを感じます。私は男なので、普通の主婦の役割をこなしてきたとはいえ、なかなか普通の主婦でない部分がたくさんあります。けれども、リス組の11人のメンバーは忘れることのできない仲間であり、20年という長い空白があっても、会った瞬間に空白が埋まってしまうそんな関係です。この関係って、自分の小・中・高の同級生のつながりよりも、もっと強いもののように感じます。子どもを育てるということは、一人の力ではなく、こういう仲間に支えられてこそできたことなんだと改めて実感した一日でした。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

 

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第187回「お母さんの同窓会 その1」

「大関さん、幹事やってよ」
「そりゃあいいけど、私なんかじゃない方がいいんじゃないの?」
「いいよぉ、大関さんでぇ!」
「そうそう、大関さん幹事ね! ここでやろっ、ここで!」

なんだか思わぬ展開。
ことの始まりは、うちの会社の近くにある居酒屋チェーンの店長が、会社に訪ねてきて、「工事で大変ご迷惑をおかけいたしましたが、この度新装開店いたします。つきましては、ご招待状をお持ちしましたので、オープンの日にぜひお越しください」と招待状を置いていったこと。

「あそこ、工事でしばらく通れなかったから、それで持ってきたんじゃなの? ここの社長はSさんなんだよね。この前「会社情報」見ててビックリしちゃった。年商70億円くらいなんだよ。お嬢さんが麻耶(まや)と幼稚園で一緒だったでしょ。同じリス組で誕生月が同じなのは2人だけだったから、お誕生会のあと2人で撮った写真があったよね」
「ああ、そうだったね。お店やってるって言われて、ちょっと覗いたことあったっけね。社長かなあとも思ったんだけど、何十店舗も同じお店があるから、“まさかなあ…、フランチャイズかなんかの店長さんかなあ”って…。ほんとに社長だったんだぁ?」
「そうみたいよ。あれから20年。ここまで大きくしたんだよね。すごいねぇ! 会社の所得だって年間6億円以上とか…。招待状ももらったし、とりあえずあいさつにだけは行っとく? すぐ近くなのにほんとにご無沙汰だし…」
「うん、そうだね。お祝い包んで行く?」
「うーん、遠慮するって書いてあるからいらないんだと思うけど、Sさんじゃねぇ…。一応持って行って、雰囲気見て出すか出さないか決めよっかな?」
「そうだね、Sさんじゃぁねぇ」

というわけで、私が新装開店の無料ご招待に出かけることになりました。入り口にいた一番偉そうな人を捕まえて、
「すみません。大関と申しますけど、社長の奥さんいらっしゃいますか?」
「専務ですか?」
「はっ? ええぇ、社長の奥さん」
「はい、ちょっとお待ちください」
「あのう、Yちゃんっていうお嬢さん、いらっしゃいますよねぇ?」
「ええ、いらっしゃいますよ」
一番大柄で偉そうなおじさんは、社長の奥さんを探しに行きました。
専務?おいおいSさんの奧さんが専務?そんな柄じゃないよ。まるっきり人違いなんていうことないよなあと不安がよぎったりもして…。
待つこと数分。どうしよう、大丈夫かなあなんてドキドキしていると、そのおじさんが戻ってきて、
「4階にいらっしゃいますので、このエレベーターでどうぞ」
と4階まで案内してくれました。

つづく

 

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年11月21日 (日)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第186回「子どもと接する時間と質」

「私は上の二人にはいい子育てしてこなかったなあ」
「そんなことないんじゃないの?」
「いやあ、やっぱりよくなかったと思うよ。あなたの子育て見てると、すごく丁寧だし、時間もかけてるし…」
「そうねえ…。主夫っだったからねえ。外で仕事をしてないわけだから、時間はあったよね」
「私なんか、子どもを保育園に預けて、迎えに行くのもいつも最後でしょ。家に戻って、お風呂に入れて、食事をさせて、あとは寝るだけ。毎日それだからね」
「それは、仕事をしていれば仕方がないでしょ。でもそのころの関わり方見ていたら、確かに普通に主婦して子育てしている人と比べて時間は短いけど、ずいぶん密だったと思うよ。働いている時間以外は、すべて子どもとの時間だった。自分のための時間ていうのなかったもんね。子育てにとって重要なのは時間の長さじゃないでしょ。やっぱり重要なのは質だと思うよ。もしね、子どもにとって悪い親だったとしたら、長くいることでかえって子どもは悪くなっちゃうよねぇ。だから、保育園に預けていたっていうだけで、子どもと関わる時間が短くていい親じゃなかったっていうことにはならないよ」
「そうねえ。確かに長さではないと思うけど、生きるためにやらなくちゃならないこと、例えば食べるとか、お風呂に入るとか、寝るとか、トイレに行くとか、そういうことをさせる時間を除くとほとんど時間がなかったんだよね」
「でも問題なのは、その食べるとか、お風呂に入るとか、寝るとか、トイレに行くとか、そういうときにどう子どもと関わるかっていうことだと思うけど。あと、子どもたちと関わりたいって思っているか、思っていないか、関わる時間が取れなくてごめんねっていう気持ちを持っているのか、それとも働いているんだから関われないのは当たり前って開き直っているのか、とかね。子どもに対してどういう気持ちを持って接しているのかっていうことがすごく重要なんだろうって思う」
「そうかもなぁ…。でもやっぱり保育園に入れてると幼稚園に入れてるお母さんと比べて、子どものことを大事にしていないような気持ちになるっていうか、私の場合は負い目になってた」
「そうねぇ、それはわかる気はする。でも最近は傾向が違うんじゃないの? 早く子どもから離れたいから、3歳で幼稚園に入れるお母さん、仕事を持っているからやむを得ず保育園に預けているお母さん。どっちがいいかって言ったら微妙でしょ」
「できるだけ早く子どもを幼稚園に入れて、自分の好きなことをしたいっていうお母さん増えてるよね。っていうか、みんなそう」
「そうだね。保育園もちょっと前までは、働か”ねばならない”から、保育園に預けていたけど、最近は”ねばならない”じゃなくて、”働きたい”から預けるに変わってきた。そのこと自体が悪いとは思わないけれど、”したい”というなら”ねばならない”というよりもっと”子どもに対して申し訳ない”というような意識を持った方がいいと思う。やっぱり重要なのは、そういう気持ちを持っているかどうかにかかっているんじゃないかな? 親が子どもに対して”生んでやった””育ててやってる”って思った瞬間に子育ての質は下がる。親と子はどんなに小さい子でも”対等”でいいと思うけれど、子育てに対する自覚と責任を親は常に持つべきだね。ただし、子どもを囲い込むということではなくて、独り立ちさせるという意味でね。そのためには、やっぱり時間じゃなくて、質なんだろうと思うよ」

 

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

 

 

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第185回「携帯電話のコミュニケーション」

2006年中にも携帯電話会社が3社増えることになるとか…。
これまでNTTドコモ、KDDI、ボーダフォンの3社の寡占状態にあった携帯電話市場に12年ぶりの新規参入で、どう展開していくのかなあ?
新たに参入するのは、BBモバイル、イー・モバイル、アイピーモバイルの3社だそうですが、データ通信の定額制など割安なサービス展開を目指しているらしく、今でもだいぶ下がりつつある携帯電話の料金がさらに下がりそうな気配ですね。
私が携帯電話を使い始めたのは、いつごろだったかなあ? もうはっきりは覚えていないなあ。でもかなり早い方で、今でこそ携帯といえば“090”で始まるんだけれど、私が初めて携帯を使い出したときは、確か“030”だった(?)んですよね。それが途中から”090”が頭に付くようになって”090-3×××-××××”ていう具合に“030”の“3”が“090”の後に付くことになったんです。だから、携帯電話の番号が“090-3×××-××××”っていう人がいると、始め携帯電話を使っていた人はほとんどが仕事上で利用していた人だったので、“この人は仕事上で携帯電話を使ってた人かな?”なんて想像しちゃう。
私が携帯端末(こういう言い方が適切なのかなあ?)に初めて出会ったのは、約27、8年前。そのころ私が勤務していた法律事務所のボスは運転手付きで仕事をしていたので、運転手にポケットベルを持たせていて、出かけるときになるとポケベルを鳴らして、運転手を呼んでいました。ポケベルの番号に電話をかけると”ピーピーピーピー”と音が鳴るだけの今から見れば単純なものですが、初めて見たときはビックリしました。それが呼び出した電話番号の違いにより音が変えられるようになり、さらにディスプレイ表示ができるようになったときは、使いやすさが格段に増しました。
子育て真っ直中だった私は、新しもの好きだったこともあり、ディスプレイ表示のポケベルに飛びつきました。妻と二人でポケベルを持ち合い、子どものことで相手に連絡することがあるときに使います。ちょうどそのころ高校生の間でもポケベルが流行りだし、ベルトモなんていう言葉ができたりして。数字しか表示できないころには、「0840(オハヨウ)」とか「0906(オクレル)」「3341(サミシイ)」こんな感じでコミュニケーションを取っていましたよね。それが文字を送れるようになって、オハヨウなら「*2*2 15 61 85 13」、オクレルなら「*2*2 15 23 94 93」、サミシイなら「*2*2 31 72 32 12」。
今ではすっかり“そんな時代もあったけなぁ”っていう感じ。
それまで大きなバッテリーを持ち歩かなければならなかった携帯電話(そのため携帯電話というよりは自動車電話というものがありました)が小型化し、その携帯電話の普及に火をつけたのは、やはりここでもベルトモを一大ブームにした女子高生でした。
携帯電話は、コミュニケーションの手段としてはかなり優れています。というより、ほとんど究極です。もちろん、さらに大容量の画像が送れるようになったり、インターネットへの接続がこれまで以上に高速で大容量になったり、クレジットカード機能が果たせたりと進化は続け、利便性は増すと思いますが、1対1のコミュニケーションが何処でも簡単にできるという点では、もうこれ以上は進みようがありません。
この連載の181回で、「主婦(主夫)の重要な役割は地域との関わり」ということを述べました。「関わり」というのは、自分がそこから出ることのできない関係(自分の居心地のいい、悪いに関係なくその場を立ち去ることができない関係)の中で出てくる問題です。もちろん人間は究極の選択として、誰にも会わずに一人で山奥に暮らすなんていうことも不可能ではないわけですが、そういった特殊なものは除いて、例えば“地域”“学校”“職場”などでの「関わり」は、”拒否ができない”あるいは”関わらなければならない”関わりです。もちろん、楽しいこともあれば辛いこともあります。けれどもこの関わりこそが、人間の成長には重要で、そこを通過しないと人間としての独り立ちができないし、社会生活も送れない。
そこで携帯電話なのですが、これはまさに“個対個”の関係を成立させてしまいました。しかも自分の気に入らない相手は拒否できる。とても恐ろしいことだなあと思います。「関わり合うということに知恵を絞らなくていい」状況が、多くのニートを生んでいるんだと思います。最近、朝のファミレスには明らかにニートであると思われる親子が何組もいます。うちの研究所にみえるクライエントの方にも、親子の関係ばかりを取っていて、社会との関わりが取れないクライエントの方が多くいます。自分のお気に入りの人としか関わらないという携帯電話社会が、まさに世の中にはびこっているわけで、このままいったらますますニートは増え続けるんだろうなあと思います。やはり重要なのは拒否のできない人間関係の中で、どう関わり合いの知恵を発揮していくかということにかかっているのでしょう。
携帯電話の利便性はしっかりと享受しつつ、携帯電話に人間が振り回されることのないようにしなくては…。

 

携帯電話の新規参入 12年ぶり、申請3社に容認の公算 料金下げ効果に期待
2005.11.08 東京夕刊 2頁 (全414字) 
 携帯電話への新規参入を総務省に申請しているソフトバンク子会社のBBモバイルなど3社が、そろって参入を認められる公算が大きくなった。同省は9日、電波監理審議会(総務相の諮問機関)に3社の参入の是非を諮問し、異論がなければ即日、参入妥当とする答申が出される方向だ。

 総務省は答申に沿って免許を付与する方針で、2006年中にも新規事業者によるサービスが始まる。12年ぶりに新規参入が実現することになり、NTTドコモ、KDDI、ボーダフォンによる寡占状態にある携帯電話市場の活性化が進みそうだ。

 新規参入を巡っては、周波数1.7ギガ・ヘルツ帯でBBモバイルのほか、ADSL(非対称デジタル加入者線)大手イー・アクセス子会社のイー・モバイルが、2ギガ・ヘルツ帯では通信ベンチャーのアイピーモバイルが、それぞれ免許申請している。3社ともデータ通信の定額制など割安なサービス展開を目指しており、携帯電話の料金水準を引き下げる効果も期待されている。

読売新聞社

 

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第184回「やっと出会ったちょっとまともな話」

このところ教育問題への学校の取り組みや行政の施策などが次々と打ち出され、しばしば新聞報道されます。けれども、その中にどうもしっくりくるものがない。それはなぜかと考えてみると、以前からこの連載の中でも何度となく言ってきていることですけれど、教育の荒廃に対する対策として行われることが、ただでさえ負担のかかっている子どもたちにさらに負担を強いることばかりで、学校なり行政なりが自分たちを変えようとする施策になっていないということなのだろうと思います。
例えば最近取り上げられ始めたCAP(キャップ)。これは、犯罪やいじめから子どもを守るためのプログラムを教える団体ですけれど、子どもたちにロールプレイを用いて自己の身の守り方を教えています。あるいはさいたま市が小中学校で進める「人との関わり方」の授業。どちらも、教育の問題点を子ども自身の中に見いだそうとするもので、ロールプレイあるいは授業を受けて変わらなければならないのは、子どもたち自身です。学力が低下したとして大騒ぎされたときにしても、授業時数の増加や家庭学習の増加によって負担を強いられるのは、同じく子どもたち。私は、今の子どもたちが昔と比較して、単純に「荒れている」とは思わないけれど、百歩譲って「荒れている」と考えたとしても、それに対する対策が、子ども自身に向けられたものであっていいはずがないと思います。それは「荒れてる」という原因が、成長していく無垢な子どもたちにあると考えるより、大人たちの子どもたちに対する対応に原因があると考えた方が自然だからです。
11月6日の朝日新聞朝刊に「学力向上七つのカギ」という見出しで、公立小中学校の底上げ策を研究者のグループが調査したという記事が掲載されました。大変長い引用になって申し訳ないのですが、大変わかりやすくよくまとまっている記事なので、一部をそのまま引用させてもらいます。すでにお読みになった方には、申し訳ありません。
「一人ひとり異なる環境にいる子どもたちの学力格差をどう乗り越えるか。公立学校が抱える根本的な課題に取り組むため、8人の研究者が11の公立小中学校に1年近く通った。そこで見えた学力向上策のカギは七つ。”子どもを荒れさせない””チーム力を大切にする学校運営”など、学校づくりの原点が並んだ。計算ドリルだけでは学力の底上げはできない。研究者はそう分析している。」「研究者らは各学校に10カ月通い、授業の様子を詳しく観察、数十時間、教職員をインタビューし、”効果のある学校”の共通点を七つにまとめた。」
①子どもを荒れさせない
②子どもを力づける集団づくり
③チーム力を大切にする学校運営
④実践志向の積極的な学校文化
⑤外部と連携する学校づくり
⑥基礎学力定着のためのシステム
⑦リーダーとリーダーシップの存在
「子どもを荒れさせないは、授業が成立する大前提だ。”効果のある学校”は課題のある子に家庭訪問を重ねたり、休憩時間に子どもと過ごしたりしていた。子どもを力づける集団づくりもあった。”一人ひとりをないがしろにしない”態度を教職員が共有する。グループや班の活動をできるだけ取り入れ、”総合的な学習の時間”の事前学習や校外活動で”自分は必要な人間だ”と実感させようとする学校が目立つ。チーム力を大切にする学校運営も重要だった。成果を上げている学校は教職員の間に信頼関係がある。一人ひとりの力を引き出そうとし、課題を抱える教員をカバーしつつ、責任をおろそかにしない運営をしていた。実践志向の積極的な学校文化は、教職員の”まずやってみよう”という雰囲気を意味している。”効果のある学校”は、”動くときは一斉に、ぱっと”という姿勢があった。他校は、アイデアが出ても、”やってもむだ””負担が増えるだけ”となりがちだった。家庭などの外部と連携する学校づくりでは、家庭学習を促すのに家庭生活アンケートをしたり、家での学習の手引きをつくったりしていた。基礎学力定着のためのシステム。成果を上げた学校は、学力保障部などの校内組織を置き、”学習意欲の向上””家庭学習の習慣づくり”といった理念を掲げて少人数分割、習熟度別授業や補充学習など多様な指導を導入していた。リーダーとリーダーシップの存在も欠かせない。管理職の方針を徹底するというより教務、生徒指導、学年主任が中堅として動き、責任の所在をはっきりさせながら同じ方向に進む”教師集団づくり”を目指していた。」(「」内が朝日新聞よりの引用。「」の中の” ”は原文では「」)
割愛できないので、長くなりましたけれど、この調査の中に、一つの方向性が見えているように思います。この調査は「学力向上」がテーマですが、私は「学力向上」というより「学校運営全般」に渡って言えることだと思います。細かい中身の議論は省きますが、大切なのは、大きな方向性で、「七つのカギ」の中でも指摘しているような、責任の所在をはっきりさせ、責任をおろそかにしないということだろうと思います。学校や行政の至らなさを子どもや親に押しつけるのではなく、しっかりとした施策を実行して欲しいと願います。もちろん親も自分の責任をおろそかにしないことは言うまでもありません。子どもには、何の責任もないのですから。

 

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第183回「駄菓子屋横町 その2」

交番で教えてもらった通りに歩いていくと、“ありました! ありました!”確かに駄菓子屋です。ビルの外まではみ出すように昔ながらの駄菓子が並べられています。
「とりあえず3軒とも覗いてみようかな?」
2階にも上がって、所狭しと並べてある駄菓子の山を一通り全部眺めました。
チョコ、ガム、ラムネ、酢イカ、アンズ…。見る物すべてが懐かしく、
「ああ、そうそう! こんなのあったなあ!」「これも食べた、食べた!」
見ているうちに、どんどん自分が子どもに返っていくような感覚に襲われます。
いくつか候補をあげて、お店のお兄さんに値段を聞いてみました。とにかく種類が多いので選ぶのには一苦労なのですが、手に取る物はどうしても自分が懐かしく思うものばかりになってしまいます。
「最近の子は、どんなものを好んで食べるんだろう?」
と頭の中では考えているのに、気づいてみると手に提げている店内用のかごの中は、自分が昔好きだったもので埋まっています。
「いやいや、これじゃあダメだ!」と自分に言い聞かせながら、
「おにいさん、最近人気があるものってどれですか?」
「そうだねぇ、これなんかよく売れるよ」
おにいさんはそう言いながら、いくつか選んでくれました。
「くじだったらこれなんか良く出るよ。ほら、男の子はこれ。昆虫のでどうだい? まだテレビの影響で昆虫物でいいと思うよ。女の子はこれなんてどう? 一回50円。この昆虫のは80個付いてるから、売値で4000円が3000円だよ。全部売れれば1000円儲かるよ」
「くじってそんなにするの? 全部で予算が7000円くらいなんだよ。くじ2つで6000円いっちゃうと他のものが買えなくなっちゃう。1日限りだから売れ残ると困っちゃうんだよね」
「大丈夫だよ。売れちゃうよ。この昆虫のくじなんて、すごい人気なんだから。くじ以外のものは、そうたいした値段じゃないよ。あと2、3000円あればいいんじゃないの」
おにいさんの言葉につられて、男の用のくじと女の子用のくじ(私は男の子、女の子という区別や差別をしないので、久しぶりに聞いた言葉の響きでした)をとりあえず買い、その他50個、100個くらい入って、1000円でおつりがくるようなチョコやイカなどを買いました。
「以前あった横町に行こうとしたら、分厚い鉄板で覆われて工事してたので、全部なくなっちゃったのかと思いました。交番で聞いてきたんですよ。何かイベントがあると仕入れにきてたんですけどね」
「もうここのビルに入ってる3軒だけになっちゃったんだよ。多いときは150軒くらいあったからね」
そこの店主らしいおばさんが答えてくれました。こういうお店っていうのは不思議なことにどうやら夫婦らしいおじさんとおばさんがやっていて、おじさんも近くにいるんですが、まず話をするのはおばさん。そして、おばさんと話をしていると、「うん、そうなんだよね」とか「懐かしいだろっ」とか合図地を打ったり、かけ声かけたりして、ちょっとだけおじさんが登場する。あれはどういうわけなんだろっ? ここもその例外ではなく、おじさんはちょっと奥の方からにこにことこっちを見ながら合図地を打っています。
「祖母が菓子屋をやっていたので、子どものころ、祖母の仕入れに何度かついてきたんですよ。そうすると帰りに必ずおもちゃを一つ買ってくれて、それが楽しみでね」
「おばあさん、なんていう名前?」
「大澤っていうんですけど」
「大澤さんねぇ。あそこの横町に仕入れにきてた人はね、みんな知ってるんだよ。どこの店のお客さんだかまでみんな知ってるんだ。そういうところだったんだよ」
「そうですかぁ。でも、もう祖母が亡くなって15年くらいになるし、祖母が仕入れにきてたのは、45年くらい前の話ですから」
「わかるかもしれないよ。おばあさんの写真あるだろっ? 今度来るとき、持ってきて見せてよ。顔見ればきっとわかると思うんだ」
毎日フェスタをやっているわけじゃないから、次はいつくるかわからないんだけどと思いながら、
「そうですね。じゃあ今度くるとき、持ってきてみますよ」
結局、仕入れは予算をはるかにオーバーして12,000円ほどになりました。そしてフェスタ当日、訪れた子どもの数はほんのわずか。同じ子が何度もくじをひくというパターンでくじはほとんど売れたものの、駄菓子類は大半が売れ残ってしまいました。
「こんなはずじゃなかったんだけどなぁ…。私だったら、絶対買いたいのに…」

また一つ子どもと大人が交わることのできる大切な場所の灯が消えたような気がしました。


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第182回「駄菓子屋横町」

「あれっ?どこだったっけ?」

私の会社のある浦和駅前のエイペックスタワーで、昨年に続き今年もフェスタを開くことになりました。昨年は1回目ということもあり、”何をやればいいのか”から大議論。結局、メイン会場でバンド演奏やバルーンマジック(細長ーい風船でいろんな形を作るパフォーマンス)、建物の周りではフリーマーケットや各テナントのショップ、医療関係や不動産関係などはそれぞれの店舗内で相談会を開くといった感じで落ち着きました。今年は2回目で、1回目に比べると格段に少ない予算で開くことになりましたが、とりあえず昨年の形は維持して、メイン会場ではバンド演奏、周囲ではフリーマーケットと各テナントのショップということになりました。予算をかけないので、当然のことながら規模は小さくなってしまいます。そこで、何か目玉を作るために、「餅つき」と「エイペックスタワー浦和会ショップ」(この春、組織名を「エイペックスタワー商店会」から「エイペックスタワー浦和会」に改名しました)をやることになりました。
ところが、組織が小さくて慣れてる人間がいない。野菜を仕入れるって言ったって、「どこで仕入れるの?」、餅つきをやるって言ったって、「餅を小さく切るのって、ハサミで切るの?」なんていう、ほとんどお手上げ状態。何とかなるまでには訳のわからない議論の連発。
そんな中で、私はPTAで毎年経験があるので、駄菓子の仕入れに行くことになりました。まず向かったのは、さいたま市桜区の浦和流通センター。何と言っても市場なのでいろんな物が安い。魚、肉、乾物、菓子、雑貨、調理用品、包装用品…。PTAでイベントをやるときは、焼きそばや肉、駄菓子や包装用品をよくここに買いに来ました。今回も、駄菓子やくじの付いたおもちゃを買いに来たのですが、いつも買っていたお店がなくなってしまっていました。
「しょうがないなあ。じゃあ、日暮里まで行こう!」
日暮里といえば、知る人ぞ知るあの有名な「駄菓子屋横町」が東口の駅前にあります。そこは小さな駄菓子の卸問屋が軒を並べているところで、全盛期には150件ほどの問屋があったそうです。40年ほど前、祖母が菓子屋をやっていたので、大きな風呂敷を背中に背負った祖母に連れられ、私も何度か仕入れについていったことがありました。
今回はまさか風呂敷を背負っていったわけではなく、車で行ったのですが、駅前まで行くとロータリー周辺は再開発で背の高いぶ厚い鉄板が立てられていて、その中ではクレーン車やショベルカーといった工事用の重機が盛んに動いているのがわかりました。
「確かこの辺だよなあ。なくなっちゃったのかなあ…」
仕入れができなくて困ると言うより、何かこう寂しさが込み上げてきます。
「とにかく1軒でも探さなきゃ!」
とは言え、その周辺すべてが取り壊されてしまっているので、仕方なく帰ろうとしたのですが、問屋があるかないかは別として、「どうなってしまったのか」だけでも知りたくて、ローターリーの中の交番に寄って確かめることにしました。交番も再開発で新しくなるらしく、仮設のプレハブの建物でした。
「あのー、そこの工事をしてるところにあった駄菓子屋さんはぁ…」
「駄菓子屋横町ね。なくなったんですよ、1年くらい前に。今でも、ビルの中で営業してるところがありますよ。3軒だけだけどね。そこの交差点を左に曲がって、1分くらい行くとガソリンスタンドがあるから、そこの隣のビルの1階と2階で営業してますよ」
と、丁寧に場所を教えてくれました。

つづく


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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第181回「地域との関わり」

先日、北九州市から講演の依頼がありました。どうやら「男女共生」がテーマで、「主夫」の話をして欲しいらしい。ここのところ、主夫のパートが高じて社長になっちゃったので、電話をもらったことで、久しぶりに自分が主夫であることを思い出させてくれました。
まだだいぶ先のことだけれど、「何を話そうかな?」なんて思いながら、「主夫」について考えてみました。
そこで感じたことは、どうも最近「主夫」っていう言葉が簡単に使われすぎている気がする!っていうこと。
私が主夫を始めた27、8年前は、スーパーに買い物に行っても、男なんて私一人だったし、保育園に送り迎えをしているお父さんはいても、幼稚園に送り迎えしているお父さんなんて皆無。1990年ごろから、わが家のことがTVで紹介されるようになって、そういう状態も徐々に変わってきました。
言葉(単語)っていうのは一般化すれば一般化するほど、その言葉の持っている意味がどんどん広がっていってしまって、本来持っている中身が形骸化してきてしまう。そういう意味では「主夫」っていう言葉も「ずいぶん薄まっちゃたなあ」って感じます。あちこちでいろいろな物を読んでいると、「料理をするから主夫」、「掃除・洗濯をするから主夫」「子どもと遊んでやってるから主夫」なんていう記述がどんどん多くなってる。でも考えてみると、かなり昔から「共働き」って言われてた人たちなんかは、男の人も家事の一端を担ってたわけで、そういう人たちは「家事をやってる」とは言ってたけれど、「主夫してる」とか「主夫の仕事をしてる」なんていう言い方はしてこなかった。私が考えるに、「主夫」っていう意味に少し違いがあるんじゃないかと思う。最近の傾向として「主夫」=「炊事・洗濯・子育てをする男」。もっと極端に言うと「炊事・洗濯・子育てをちょっとでもしている男」っていうイメージが広がってきちゃってるらしい。「主夫」=「男の主婦」っていうイメージはどこに行っちゃったんだろう? どう考えても「主婦」というときの仕事の幅より「主夫」っていうときの仕事の幅の方が、小さい。

私が主夫をしてきて最も重要だと感じたのは、「地域との関わり」。これがうまくいかなくて「主婦」(主夫)はあり得ない。「××のスーパーで××が安かったよ」「××さんのおじいちゃん、亡くなったらしいよ」「××さん、旦那さんと別居したんだって」。ちょっと聞くと”男”が嫌う、くだらない噂話に聞こえるかもしれないけれど、そういう中に地域との関わりがある。もちろん、くだらない噂話でしかないこともたくさんあるけれど、そういう情報の中から、地域で助け合ったり、助けられたりっていうことが出てくる。それが、主夫(主婦)の仕事としては大きいんだなって思います。特に子育てをするうえでそれは顕著です。地域との関わり無くして、子どもや家庭は守れない。そうやって女性たちは、子どもや家庭を守ってきたんだなあってつくづく感じます。
最近では、車の利用でどんどん行動範囲が広がり、そういう「主婦」も少なくなってきているから、子どもたちの心も荒れてきちゃうんだろうなって思います。

やっぱり「主夫」も「主婦」としての機能をしっかり果たさないとね。

 

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第180回「運動会の主役」

最近の地球環境の変化に、とうとう晴れの特異日も降参?かな。8日、9日、10日とせっかくの3連休が3日とも雨。8日も9日も運動会を予定していた幼稚園、小学校も多かっただろうに、残念でしたね。わが家の孫も9日が初めての運動会。楽しみにしていた(親とおじいさん、おばあさんだけ?が)のに、9日の朝に電話が鳴って延期。一応順延ということにはなってるけど、順延になった10日も朝から雨で、また電話がかかってきて順延。またまた一応順延になってはいるけど、11日も朝のうちは雨の予報で、さてどうなるのかな? 今、午前5時だけど、今のところ雨は上がってるみたい。ただし、問題はグランドの状態。果たして雨は降っていなくても、使えるような状態なのかなあ? まあいずれにせよ日曜日だった予定が平日にずれ込んじゃったので、見に来られる人は限られちゃう。孫の通っている幼稚園は、自由保育でちょっと普通の幼稚園とは違うので、”運動会、運動会”ってそんなに騒いでいるわけではないけれど、運動会が一大イベントになっている幼稚園では、すごく残念がってるお父さん、お母さんも多いだろうね、きっと。何日も前から”お弁当何にしようかな?”なんて考えて、10人も座れるようなレジャーシートを用意して…。
そうそう、そう言えば、真(まこと)と麻耶(まや)の運動会の時は、敷き詰められたビニールシートにびっくりしたっけ。1人の園児にお父さん、お母さん、お父さんのお父さんお母さん、お母さんのお父さんお母さん、父母、祖父母が応援に来るとそれだけで6人になっちゃうわけだから、すごい数だよね。それに兄弟まで来たら、大変なことになっちゃう。
ビデオなるものが家庭に普及し始めたのは約30年くらい前。出始めのころは、デッキとカメラが別々で、デッキをベルトで肩からぶら下げて、カメラを肩の上に乗せて、まるでテレビや映画の撮影みたい。それがテープ内蔵のカメラになって、その後は記録媒体がどんどん小さくなって、今では手のひらサイズが主流でしょ。しかも録画時間が格段に延びて…。
運動会っていうのは、それにはもってこいの被写体だもんだから、みんな持ってる、持ってる。自分の子どもが出場しているときは、ずっとファインダー覗いて、応援はそっちのけ。結局、運動会が終わるまで一度も生で子どもの姿を見ないで終わっちゃったりしてね。撮るのに夢中で、何が何だか全然わからなくて、家の画面で見て、”へえ、こんな風だったんだあ!?”なあんてね。私にもそんな記憶がある。
真と麻耶が通った幼稚園では、最後の年長組のクラス対抗リレーが呼び物。とにかく、リレーにかける先生方の思いは半端じゃない。子どもたちはトラックの中でしゃがんで応援してるのに、「××君、がんばれー!」、「いけいけー! そうだー! 抜け、抜けー!」なんて立ち上がって黄色い悲鳴を上げているのは先生方。挙げ句の果てに、レースが終わると勝ったクラスの先生も負けたクラスの先生も、感極まって号泣。子どもたちはきょとん。いったい誰が主役だったっけ?なんてことになっちゃって…。
さーて、外はどうかな?
雨は降ってはいないけど、庭の木の葉っぱから雨のしずくがポタポタ垂れてるよ。もうすぐ今日の予定の電話がかかってくるかな? なんだか今日も出来そうもないね。晴れの特異日は、いったいどこへ行っちゃったんだろうね。


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第179回「待つということ」

人の死というものは、たとえそれが93歳という高齢で、”死”が当然予定されたものであったとしても、身近なものにとっては、「そこに存在することがまるで空気のように当然で、”いない”ということが当然には感じられないのだなあ」と徐々に実感がわいてくるものですね。”当然であって当然には感じられない死”ということを悲しむべきなのか、93年という長きに渡る”生”を喜ぶべきなのか、なかなか気持ちの整理がつきません。
義父とはいえ、父には多くのことを学びました。強固な意志、人としての尊厳、生きることへの執着…。
父は人の手を借りることを極端に嫌いました。
数年前の冬、スキー場でのこと。90歳近くになった父は、まだスキー板をつけてリフトに乗っていました。すっかり身体も硬くなり、それほどうまく滑れるわけではありませんでしたが、とりあえずゲレンデを斜めに真っ直ぐ斜滑降で滑り、ゲレンデの端まで行くと、くるっとターンをして、また反対側へ斜滑降で滑るというように、ゲレンデを何度か滑り降りていました。何度目かの時、リフトを降りて、身体を下に向け滑り出そうとした瞬間、スキー板がはずれてしまったことがありました。転びはしませんでしたが、斜面で身体を自由に動かすことはかなり難しいらしく、ブーツをスキーにはめようとしてもなかなかはまりません。父にトラブルがあったとき、すぐに対処できるようそれなりの距離にいた私は、しばらく様子を見ていましたが、あまりにも長時間にわたり苦労している父を見かねて、そばに寄り、手を差し出しました。ところが、すごい勢いで振り払われてしまいました。そして、なんとか一人でスキー板をつけた父は、何食わぬ顔でリフト乗り場を目指し一人で滑っていきました。
父は温泉が好きでしたが、10年ほど前、野沢温泉のペンションでのぼせて倒れてしまったとき以来、父のお風呂には私が必ず同行することになりました。年をとってからは身体が温まるのに時間がかかるらしく、お湯の温度に関係なく、長時間肩まで湯船に浸かります。大きなお風呂の湯船の中を移動するときも、しゃがんで肩を湯船に浸けたまま移動します。一度倒れたにもかかわらず、いつもそんなふうですから、人を頼るのが嫌いな父がうっとうしがらず、しかも万一倒れたときには頭を打つ前に支えられる距離にいるよう心がけるようになりました。
普通なら倒れた経験から、長湯はしないよう気をつけるものですが、頑固な父はそんなことお構いなし。肩まで湯船に浸かると、のぼせない方がおかしいというくらい、肩まで湯船に浸かり、出ようとしません。当然のことながらのぼせるのですが、それからが大変。湯船から出ようという気になっても、一気に出ると野沢温泉の二の舞になってしまうので、まず肩まで浸かっていたものを胸まで湯船から出し、そしてその状態で約10分、そしてお腹、そして膝というふうに約10分ずつかけて、徐々に湯船から上がっていきます。すっかり湯船から出るまでには、ゆうに30~40分を要します。その間、私は例の距離を保ちつつ、父が湯船から出るのをじっと待ちます。つい手を貸したくなるのですが、近くに寄って手を出そうものなら、スキーの時同様、振り払われるので、じっとがまん、がまん。4年ほど前に訪れた乳頭温泉では、膝から下だけを湯船に浸けて、父が上がるの待っていたら、あまりにも長時間温泉に足を浸けていたものだから、湯船に入れていた部分だけが真っ赤にかぶれてかゆくなってしまいました。父が気づかぬよう、脱衣所でこそこそ足をかいていたのですが、食事の時になると父は「なお君(私のこと)はなあ、足がかゆくなっても、わしが風呂から上がるまで、ずっと待っていたんだ」と言いました。いったいどこで見ていたのでしょう?
去年の秋、秋の宮温泉では、湯船から出た途端、気を失って洗い場のタイルの上に倒れて(私がそっと横にしてやった)しまいました。さすがに私も動揺しましたが、息をしていることを確かめて、あとはじっと待ちました。かなりの時間が過ぎたころ、やっと目を開き、珍しく私に向かって「起こしてくれ」と頼みました。この間じっと待つこと2時間。私も気がきではなかったので、そんなに時間が経過しているとは思いませんでした。
子育てにおいても「待つということ」は重要なポイントです。子どもが何かをやろうとしたとき、「早くしなさい」「何するの?」と言うのではなく、ただじっと待ってやること。待ってやることが、子どもを受け入れてやったことになり、子どもの人格を認めてやったことになるからです。大人が子どもに何かを尋ねたとき、次に言葉を発するのは子どもの番。多少時間がかかっても、じっと待ってやる。待ってやることが、自己決定の能力を育て、物事を自分で判断できる子に成長させることにつながるからです。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2021年11月18日 (木)

【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第178回「義父の死」

義父が逝きました。9月23日お彼岸の中日、朝7時、それまで早かった呼吸が徐々にゆっくりになり、静かに止まりました。妻がどんなに大きな声で「おとうさん!」と叫んでも、もう二度と返事をすることはありませんでした。
93歳の大往生でした。義父にとって、妻や娘、孫に囲まれての自宅での穏やかな死は、おそらくこれ以上の幸せはなかったのだろうと思います。
春のお花見、夏の海水浴、秋の紅葉狩りは、毎年欠かすことのない年中行事でした。ここ数年の体力の衰えは急で、毎年出かける距離を縮めることを余儀なくされました。何年か前には春の吉野へ出かけました。弘前城の桜も見ました。それが去年は、山形になり、今年は会津になりました。
八幡平の紅葉が好きでした。2泊3日の八幡平への旅は、走行距離が2000キロにも及びます。以前は初日に八幡平まで行けていましたが、最近では2日目に八幡平を目指すようになりました。それでもやはり八幡平でした。ほとんど限界に近い体力にもかかわらず、何も言わず私の車の助手席に座っていました。田沢湖方面から玉川温泉を通って八幡平の頂上へ向かうルートの美しさ。カーブを曲がるたびに、拍手をしながら、
「おー、うつくしいなあ! おーっ、おーっ!」
と歓声を上げた父。まるで子どものようでした。
もう、父の歓声を聞くことはできなくなりました。
祭壇の奧に飾った父の遺影は、今年の春、会津の鶴ヶ城で撮ったものです。右手を挙げて、カメラを構える私に、「おーっ!」と軽く声をかける仕草は、義父のお気に入りのポーズ。じっと眺めていると、今にも写真を飛び出して、「おーっ!」という声が聞こえてきそうな気がします。

21日の午後、それまで比較的落ち着いていた父の様子が急変しました。母との電話で一人で急いで実家に向かった妻から、「すぐ来て」という連絡が入りました。私は、子どもたちに連絡を取りながら、熊谷の実家へ向かいました。どこを眺めているわけでもない視点の定まらない目は、もうほとんど”死”を予感させていました。
翔(かける)は、死が直前に迫った祖父を見て、涙をぼろぼろ流しながら泣きました。麻耶(まや)、蓮(れん)、沙羅(さら)は、じっと立ったまま、眺めています。まだ幼い蓮と沙羅には、その光景が何を意味するのか、よくわからない様子です。何か、とても不気味なことが起こるといった様子で、母親である麻耶の手をぎゅっと握りしめたり、後ずさったり…。しばらくして、曾祖父の脇に座った蓮と沙羅は、促されて”ひいじいちゃん”の手を取りました。おおよその意味は理解できたのか、もうすでに骨と皮だけになってしまっているやせ細った”ひいじいちゃん”の手を、沙羅がそっと撫でています。
と突然、それまでほとんど反応のなかった義父の手が、「よしよし」と子どもをあやすように、上下に振られました。
「やっぱりわかってるんだ!」
驚きました。
93年間、生を尽くしてきた義父が孫と曾孫に生を託した瞬間でした。
通夜が終わった昨夜、「明日、ひいじいちゃん焼くんだよ」という麻耶の話に、
「食べるの?」と聞き返した蓮は、皆の笑いを誘いました。
きっと、曾孫たちも、義父に守られながら、しっかりと育っていくのだろうと思います。今日の午後、義父は骨になります。

 

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第177回「飲み会」

「麻耶(まや)遅いなあ。早めに帰ってくるてて言ってたろっ?」
「うん。長くなるようなら、早く出てくるようなこと言ってたけどね」
「”そういうのって普通2時間くらいだよねえ?”って言ってたよなあ。でも、”世話人やってる人が言うには、そこのお店11時半くらいまでは全然大丈夫ですからって言ってるから、それくらいまでやるつもりかなあ?”とも」
「うん。そんなようなことも言ってた。飲み会なんて慣れてないから、早く出てくるにも、タイミングっていうのがわからないって言ってたよ。どういうタイミングで出てくればいいんだろって」
「今の電話、おじいちゃん(妻の父)がずっとワアワア騒いでて、一昨日から一睡もできなくて、”もう疲れた!”ってお母さんがパニック寸前になってかけてきたんだよ。お母さん一人じゃ大変そうだから、これからちょっと熊谷まで行ってくる。今11時だから、今出れば12時くらいには着けるだろ。悪いけど蓮(れん)と沙羅(さら)もう少し頼むな」
「わかった」
「6時半から行ってんだから、いくら何でも麻耶もそろそろ帰ってくるだろ」

今年のゴールデンウィーク前までは、会津までお花見に行けるくらい元気だった93歳の義父が、7月くらいから急に弱ってしまい、今では寝たきり状態。88歳の義母と熊谷で二人暮らしなので、しばらくはヘルパーを頼んで凌いできましたが、もうちょっとそういうレベルではなくなって、妻がほとんどずっと付き添っています。自宅で看取るという選択をして、かなり大変ではありますが、現在は妻が介護の合間に仕事をするような生活になっています。いつもなら4歳の蓮と2歳の沙羅の面倒は、妻か私が見るのですが、妻は介護、私もこの日は仕事をはずすことができず、麻耶が出かける6時過ぎには戻れません。結局、翔(かける)がちょうど文化祭ではあったのですが、文化祭が終わり次第、家に戻り、蓮と沙羅の面倒を見ることになりました。
この日麻耶が参加する飲み会は、幼稚園に通う蓮のクラスの懇親会。麻耶から話を聞いたときは、ビックリしました。
「昼間、お茶会をするんじゃないの?」
「うーん、普通はそうだよねえ。6時半からじゃあ、子どもを誰かに頼まなきゃなんないもんね。みんなお父さんが見てるのかなあ?蓮の幼稚園はバスの送迎なし、延長保育なし、しかも毎日お弁当なんていう幼稚園だから、片親なんていう家、まずないからね」
「まあ、そうだろうな。それにしても、父親が仕事で都合がつかない家だってあるだろうし、まだ赤ちゃん抱えたお母さんだっているだろうし、夜6時半からの飲み会っていうのはね。しかも、12時近くまで飲もうっていうんじゃ、本末転倒だね。母親の息抜きっていうレベルも超えてる」

翌日、私は熊谷から仕事に出ました。仕事をしていると、「おじいさんの具合はどう?」と麻耶から電話がありました。
「お前、昨夜は何時に帰ったの?」
「12時半頃になっちゃった!」
「そんなに遅くなったの?」
「うん。もっと早く出ようと思ったんだけど、出ようとすると蓮と仲良しの子のお母さんが隣に来て”これからもよろしく”なんてなっちゃってタイミングをはずしちゃったんだよ。ああいう席って、途中で立つの難しいね。」
「まあちょっとやってることが非常識だね」
「なんか他のクラスのお母さんに”夜、飲み会やる”って言ったらビックリされたらしいよ。そこのクラスは昼間お茶会したんだって」
「そのくらいにしとかないとね。子どものために親同士が親しくなろうとして、子どもをほったらかしにしちゃっては、なんの意味もない。母親に用があるときに父親が子どもの面倒を見るっていうのは当然だけど、度を超しちゃってる。見る人がいるか、いないかの以前の問題」
もちろん幼稚園主導で開かれた会ではなくて、音頭をとったのも役員さんではないようですけど、さすがにちょっとね。親同士が親しくなることはとても大切だし、息抜きをしたいお母さんの気持ちもよくわかるけど、まあほどほどにね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第176回「夏休み明けの問題 その2」

1学期の間はなんとか学校に行っていた子どもたちも、長い夏休みを過ぎるとどうしても学校に行けない子どもが増えます。
今までは”学校に何か行きづらいことがあるのだろう”といじめを疑ったり、学校の厳しい管理を疑ったり、おそらくそんなことで解決してきたんだと思うのですが、最近はどうも傾向が違うようです。
夏休みも終わりに近づいたころ、
「宿題終わった?」とA子に尋ねると、
「うううん、終わってない」
とりあえず宿題の状況を確かめると、まったく手をつけていません。ちょっとやるように促しても、「うん」と返事はするものの、一向にやる気配もない。学力もどちらかと言えば低い方なので、素直に考えれば、「なんとか宿題をやらせないと学校に行きにくくなる」と考えるところですが、どうも違う。
よく話を聞いていくと、”宿題が終わっていないから学校へ行きたくないのではなく、学校へ行きたくないから宿題をやっていないのだ”ということに気づきます。
B子は、過去に学校でいじめにあったから、学校へは行きたくないと主張します。B子の主張を聞く限りでは、確かに許されないようないじめがあり、学校に行きたくないのも当然と思えるのですが、数ヶ月にわたりB子と話をしていると、B子の主張に周りがついて行けないことに気づきます。自分の主張が通らないとまったく人を受け入れないのです。自分勝手というより、もう”だだをこねる”というのに近い。
さて、A子もB子も1学期はなんとか学校へ行っていました。夏休みを迎えた途端、これまで限られていた親子の接触の時間は、格段に増えます。学校という他人との関わりの中では、A子もB子も自分の主張がすべて受け入れられるわけではないことをよく知っているので、A子もB子もあまり目立たぬよう、たいしたわがままも言わずにおとなしく過ごしています。二人とも、部活動や外での活動といったものがないので、夏休みに入ると、人間関係はほとんど親子の関係に限られてしまいます。
A子は、親に対し”学校へ行きたくない”と主張すれば、必ず最後は自分の主張が受け入れられることを、小さいころからの親との関係の中で学んでいるので、いろいろな手を使って”学校へ行きたくない”とアピールするのです。宿題をやらないのもその一つなのです。夏休み前半は、A子にとって平穏な日々でしたが、2学期が近づくにつれ、アピールがひどくなり、両親がわかってくれないとリストカットをする、食べ過ぎたと言ってオーバードラッグする…。これは、学校に通学しているときには親との関係が時間的に制約されているので、あまりひどく起こらないのです。こういう状況になったときに、両親が毅然とした態度で、子どもの言動を拒否できれば、時間はかかってもどの時点かで必ず状況を打破できるのですが、子どものそんな様子に親がストレスを感じ、怒っては甘やかし、怒っては甘やかしを繰り返し、親に限界が来たときには、子どもの主張をすべて認めてしまい、結局子どもの主張通り、宿題はやらない、学校へは行かない、お前は病気だから何もしなくていいよ、ということになっていってしまうのです。A子の場合、まったくそういう負の連鎖になってしまいました。
B子は違いました。休みに入ってからも母親が必死で、子どもと距離を置く(放って置くという意味ではなく、よけいな口出しをしないこと)努力をしたからです。とにかく口出しをしないように、じっと我慢をしていたようです。その結果、B子のエネルギーは、母親に向かわず、外に向かうことになり、親子の感情のぶつかり合いによるストレスはなんとか避けられたようです。もっとも母親は我慢をしていたのでそれなりのストレスを溜めてしまっていたようですが。B子は2学期のはじめから無事に学校に行っています。
夏休みの過ごし方は、親子の関係が近づくだけに、関わり方を間違えると、その後様々な問題を生じます。最近の傾向として、親子関係が著しく近くなる傾向にあるので、夏休みのようにさらに親子関係が近づくような場合には、あえて距離を置く努力が必要なのだろうと思います。これは夏休みに限ったことではないけれど、特に夏休みのような長期の休みに求められる重要なポイントだろうと思います。そこでの失敗は、後々まで尾を引く可能性があるので、ぜひ注意してください。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

500回の連載でしたが、順次公開していますので、ぜひご覧ください。

掲載から、だいぶ時間が経過していますので、若干現在とズレがある部分もありますが、子育ての基本的な部分に触れていますので、現在の子育てにもお役に立つ部分が多いかと思います。

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー】第175回「夏休み明けの問題 その1」

8月下旬にいくつかのフリーペーパーに教育カウンセラー資格取得講座の広告を出しました。その広告を見てか、9月に入ってからかなり多くご相談の方が研究所(浦和教育カウンセリング研究所)を訪れます。やはり夏休み明けというのは、いろいろな問題が一気に吹き出す時期なのです。「学校に行けない」「家で暴れる」「男の子(女の子)と付き合い始めた」等、親子間ではうまく解決できず、研究所を訪れることになるようです。
学校というのは、子どもたちにとって大きなプレッシャーになっているようで 、9月1日の朝には、姫路市の中学2年生の男の子が飛び降り自殺をするという事件も起きました。もちろん私たちが子どものころも、夏休み明けのプレッシャーというものがなかったわけではありません。宿題が終わらなかったり、その後に待ち受ける授業や部活動が嫌だったり、様々な理由で大きなプレッシャーを受けていたものでした。私も中学1年生の夏休み明けに、約1ヶ月不登校を経験しましたので、そのプレッシャーの感じというのはよくわかります。けれども、私たちが子どものころに感じた夏休み明けのプレッシャーというものは、ほとんどの場合1週間もすれば、感じなくなり解決していったものでした。現在もそういったプレッシャーを感じている子どもたちも数多く存在し、相変わらず宿題提出の日を欠席して慌てて家で宿題を終わらせたり、学校に到着するやいなや、「お腹が痛い」「頭が痛い」と保健室に駆け込んだりと、私たちが子どものころとった対応と同じような対応をしているではないかと推察されます。
ところが「夏休み明けの問題」も、最近傾向が変わってきているように感じます。2学期開始と同時に学校に行けないという現象は、昔も今も変わらないのですが、「1週間で解決」などというわけにはいかず、少なくともうちの研究所を訪れる子どもたちの多くは、かなりの長期にわたり「学校に行けない」あるいは「リストカット」あるいは「オーバードラッグ」などという状況を覚悟しなければなりません。これは、おそらく夏休みに原因があるのではなく、夏休みがきっかけとなり、その状況が現れたと考えるべきだからです。
夏休みというのは、学校がある時期と比べて、親子で過ごす時間が圧倒的に増えます。以前であればそういう時期というのは、家庭での生活により、学校でのストレスを解消する時期であったはずなのですが、第161回から7回にわたって述べてきた「言ってはいけないその一言」でも扱ったように、親子の関係が著しく歪み、学校がないということが「ストレス解消」どころか、かえってストレスを生み出すことになってしまっているのです。その結果、夏休みがきっかけとなり、親子関係の悪さを露呈し、長期にわたる苦悩と向き合わなければならなくなるのです。けれども、元々の親子関係が悪かったわけですから、夏休みをきっかけに問題が表面化したことは決して悪いことではありません。どんなことでもそうですが、問題の芽は早く摘んだ方がいいに決まっているのです。
さて次回は、夏休みに表面化した問題を具体的に説明したいと思います。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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