第166回「言ってはいけないその一言 -甘やかし編-」
さて、今回は「甘やかし編」です。
前回の「先回り」と「甘やかし」は、密接に関係しています。「親の都合」ではなく、「子どものため」と考えている点では、同じです。「先回り」の対応をしている人のほとんどは、「甘やかし」の対応も取っています。そのことを見ると、「先回り」と「甘やかし」の根っこは同じで、親が積極的に子どもに関与しようとした場合に「先回り」になり、受け身になった場合に「甘やかし」になると考えられます。
こうして育った子どもは、「先回り」と「甘やかし」をとてもうまく利用します。自分のやりたくないことはなるべく先送りにし、親がやるのを待つ。自分がやりたいことは、それが実現できるよう積極的に親にねだる。そういう傾向がとても強く、自分の思ったように事が運ばないと「だだ」をこねます。
「うちの子どもはわがままで困ります」なんていう人がいますが、「わがまま」の中身をよく聞いてみると、ただの「だだ」。まるで2~3歳くらいの子がだだをこねるのと同じように、高校生がだだをこねているわけです。もちろん、2~3歳の子のだだなら、聞いてあげてもそれほどのことではないけれど、相手が高校生となるとそうもいきません。「髪の毛を染めたい」「エクステしたい」「ジムに通いたい」「ヴィトンのバッグが欲しい」…。普通に考えれば、そう簡単には聞いてやれない「だだ」のはずなのですが、それを聞いてやらなければならない親子関係を作ってしまうのが、「先回り」であり「甘やかし」なのです。
ここでは、親子の力関係が逆転してしまっています。一般的に言って「子は親の言うことをきくもの」なのですが、「親は子の言うことをきくもの」になってしまっているのです。
わがまま三昧に振る舞い、遊びほうけている娘が、終電近くになって帰ってくる。
「お母さん、駅まで迎えに来てよ」
と言われて、のこのこ車で駅まで迎えに行く母親。
「遅かったねえ。夕飯は? まだ食べてないなら、お前の分は取ってあるよ」
本来なら、「もっと早く帰ってきなさい!」と怒るべきなのに、緩んでしまう。怒られるかもしれないと、内心びくびくしながら帰ってきたのに、母親の緩んだ態度を見透かして、
「うん。お腹空いてるけど、コンビニのお弁当食べたいから、どこかコンビニに寄ってよ」娘のために残しておいたせっかくの夕飯は、無駄になってしまう。
「先回り」や「甘やかし」で育った子どもは、人の気持ちを考えません。相手の親切心や優しさをうまく利用するようになります。
「甘やかし」は「受容」とは違います。子どもを受け入れるという点では似ていますが、「受容」が、子どもの心を受け入れることであるのに対し、「甘やかし」は子どもの都合(主に物欲)を受け入れることです。いったん「甘やかし」の中で育ってしまうと、そこから抜け出すのにはかなりの時間が必要になりますから、「受容」と「甘やかし」の違いをはっきりと意識することはとても重要です。
「先回り」と「甘やかし」に共通しているのは、子どもが親から与えるものがとても多く、子どもが子ども自身の手で獲得するものが少ないということです。自分で獲得することを覚えないと、目標や目的意識というものを持ちにくく、結果的に意欲がなくなり、不登校やニートになったり、また目的が矮小化することにより、創造志向でなく強い消費志向を持ったりするようになります。また、誰かにやってもらおうという意識が強く、責任の伴うことを嫌がるようになります。
子どもの要求に対しては、その要求がその年齢の子どもの要求としてふさわしいのか、いつも検証しながら子育てをするくらいの、慎重さが必要だと思います。
どう考えても必要と思えないような要求に対しては、毅然とした態度で拒否しましょう。
「エクステしたいんだけど」なんていう要求に、「いくらかかるの?」はやめましょう。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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