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2020年1月25日 (土)

第159回「学校の復権」

昨年、公表された国際教育到達度評価学会(IEA)の学力調査結果で、日本の子どもたちの学力が低下していると公表されて以来、「ゆとり教育」を見直す方向で、文部科学省を始め各地方自治体すべてが、ほぼ足並みをそろえて進んでいます。その後、“ゆとり教育後”の子どもたちの学力が、“ゆとり教育以前”の子どもたちの学力を、ほぼすべての教科で上回っているという調査結果も発表されましたが、こちらには文部科学省や各地方自治体は反応薄。これは、中山文部科学大臣の“詰め込みというよりはたたき込み”という教育観と子どもたちにゆっくりと時間を過ごすことを許さず、隙のないスケジュールの中で何かを学ばせようとする社会的状況が大きく影響しているものだと思います。
ゆとり教育で実際に子どもたちがゆとりを得ていたかというと、必ずしもそうとは言えません。家庭の状況により、学校以外の時間をすべて自由な時間にしている子もあれば、それとは逆に学校以外の時間を塾や習い事といった別な管理形態の中に置く子もいます。ゆとり教育が当初考えられていたゆとりを子どもたちに与えたわけではなく、その是非は別として、少しずれた形で子どもたちに変化をもたらしたと言えるのではないかと思います。
埼玉県の場合、“ゆとり教育”以前に、中学校における“脱偏差値教育”があり、子どもたちに対する学校の影響力は、かなり低下していたと言えます。そこに“ゆとり教育”が追い打ちをかけるような形で実施され、保護者の学校に対する信頼が大きく揺らいだ上、子どもや保護者に対する学校の影響力は、さらに低下することになりました。その結果として、子どもに対する教育が“学校という公権力”から、保護者自身の手に移るという現象も起こりました。
けれども私は、“脱偏差値”や“ゆとり”自体が、即そういう結果を招いたとは考えていません。その間、教員の不祥事は相次ぎ、学校を標的とした事件も数多く起こりました。そして今も起こり続けています。教員に対するこれまでの信頼や学校の安全神話はすっかり崩壊してしまいました。雪印や三菱自動車、そしてJR西日本といった民間企業が起こす不祥事と何ら変わることがない性質の問題に、私たちが抱く公権力に対する不安と憤り。そういったものも含めた教育の状況が、今の結果をもたらしているのでしょう。
先日、埼玉県教育委員会が、子どもだけでなく親をも教育する方針を打ち出したという報道がなされました。子どもをどう育てていいかわからない親を支援するということなら、わからなくはありませんが、低下した学校の影響力を回復させることが目的なら、傲慢としかいいようがありません。
どちらかというと私は、学校教育に対して保守的な考えを持っているので、“学校はない方がいい”などと考えているわけではなく、学校に対する社会の信頼を回復することが大切だと考えています。学校が保護者や子どもからの信頼を回復するためには、親への教育をするなどということではなく、絶大なる権力を持つ学校の綱紀粛正から始めないと、本当の意味での信頼は獲得できないのだろうと思います。
親の教育力の低下を否定するものではありませんが、まず行政がしなければならないのは、学校が本来持たなければならない教育力を向上させること。そのことなくして学校への信頼回復はあり得ません。学校が現状から“復権”を果たすには、学校自ら傲慢さを捨て、謙虚になることが重要なのではないかと思います。


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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