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2019年11月12日 (火)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第148回】 「学校の安全」

また学校を標的にした事件が起こりました。これまで安全と考えられていた“学校”という聖域が他のあらゆる場所と同化して、学校の安全神話は完全に崩れてしまいました。今回の寝屋川市立中央小学校で起こった事件をきっかけに、校内に警備員を置いたり、校内を警察官に巡回させたりする動きが一気に広がりそうです。

学校という、社会から隔離された特殊な空間は、とても無防備で、悪意を持って侵入してくる犯罪者に対しては、守るすべを持ちません。そういった意味で、安全確保に外部のプロや警察官を導入するというのは、やむを得ないことのように感じます。教職員が防犯の訓練を受けたとしても、それには限界があり、教職員だけで全校児童・生徒の安全を確保することはまず不可能だからです。

けれども、それで本当に安全が確保されるかというと、どうも疑問が残ります。学校というかなり広い空間を考えたとき、いったい何人の警備員、警察官を配置すれば安全が確保されるのでしょう。その有効性というものも検証されなくてはなりません。

“学校”が標的となった事件には、大きく分けて二種類あります。一つは、“無差別に”学校をねらったものであり、もう一つは“特定の”学校をねらったものです。無差別に学校をねらったケースでは、より襲いやすい学校が狙われると考えられるので、ある学校にとっては、警備員や警察官の配置が多少なりとも有効であるということは考えられます。けれども、“学校”という場所が狙われる限り、“どこの学校を襲うか”という比較の問題でしかなく、安全の保証には繋がりません。さらに、特定の学校が狙われるケースでは、一人、二人の警備員や警察官の配置で、広い学校が完全に守られるかというと、どうもそこにも疑問を感じざるを得ません。前者の場合は、学校という単位で安全ということを論じるのではなく、社会全体の安全について論じるべきであろうし、後者の場合は、事件が起こったときの対処療法として安全が語られるべきではなく、“学校”が誰からも信頼される場所であるという観点から、安全が語られるべきです。

“学校”という場所が、本来どういう場所であるべきなのか?
以前にも述べましたが、私は「人を信頼することから始まる場所」であってほしいと願っています。それが失われたところに、教育などという言葉はありません。こういった事件をきっかけとして、警備員や警察官の配置が叫ばれるのも、よくわかります。“もし自分の子どもが被害にあったら”と考えると、当然のことと思います。けれども、私には制服を着て、警棒や拳銃を持った警備員や警察官が巡回している場所で、子どもたちが勉強している姿を想像することはできません。とてもそんな場所に本当の意味の信頼や安心があるとは思えないから。

子どもの命を守るのは当然のことです。どうしてもそこに目を奪われがちですが、子どもの心を守ること、それも当然のことです。そして私は、今の子どもたちの心を守ることこそ、次世代の子どもたちの命を守ることに繋がると信じています。


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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