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2019年11月24日 (日)

第153回「子どもが無防備でいられる場所」

先日、県立の児童自立支援施設に呼ばれて、性教育についての講演を妻と二人でしてきました。
以前、子どもの非行問題のシンポジウムで、当時ここの寮長をなさっていたS氏と、シンポジストとしてご一緒させていただいたことがあり、その縁で施設を見学させていただいたことがあったので、ここにお邪魔するのは今回で2回目でした。
児童自立支援施設というのは、児童福祉法7条及び44条等によって規定された児童福祉施設で、「不良行為をなし、又はなすおそれがある児童及び家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する」と判断された子どもたちが、親から離れて生活をし、個々の児童の状況に応じた指導を受けることによって、その自立を支援することを目的とした施設です。児童相談所へ相談して入園する場合、家庭裁判所の決定により入園する場合等があります。
全国的に見ると、中学生の入園者が多いようですが、中には4歳という子もいるそうです。児童福祉法によるものなので、下限はありませんが、上限は基本的に18歳まで、事情により20歳まで延長もできます。
「不良行為をなし…」とはいっても、その内容はさまざまで、不良行為に至る原因が親からの虐待であったり、また、被虐待だけという子もいるそうで、保護の側面もあるのだなあという印象を受けました。
もちろん面会や外出等も認められているのですが、面会の多い子もいれば、全くない子もいるそうです。中学校卒業後は、施設から高校に通ったり、仕事に通ったりしている子もいます。

今回の講演は1時間半で、中学1年生と2年生を対象としたものでした。依頼されたときに、妻だけが行って性についての話をするのか、夫婦で行って家族の問題を話すのか、あるいはビデオ(「素敵なお産をありがとう」(日本クラウン発売))を見せて、家族についての話をするのか、とても迷いました。結局講演の前日まで迷ったあげく、施設の方々にも相談させてもらって、ビデオを見てもらうことにしました。
53分のビデオなので、ビデオを見る前に妻が15分、見た後に私が15分話をしました。出産を扱っているとはいえ、大きなテーマは家族です。いろいろな意味で正常な家族関係の中で育っているとは言えない施設の子どもたちが、どういう気持ちでビデオを見てくれるのかという不安もあったのですが、複雑な家族関係を持った子が多い中で、わが家の家族関係も複雑なこと、そして何よりも子どもたちの心がとても素直で純真なこともあって、家族というものを真っ直ぐと受けとめてくれたようでした。
前回、見学させていただいたのは、たしか7、8年前で、今とは社会情勢や子どもたちの状況はずいぶん違っていたと思うのですが、前回も今回も、同じように感じたことがありました。それは、子どもたちがずいぶん“無防備”だなということです。“無防備”というのは、誰に対しても自分の心を開いていて、自分の心を守ろうとしていないという意味です。私がPTA活動などでこれまで接してきた子どもたちは、皆いい子でしたが、それなりに自己防衛の手段を知っていて、ある程度の距離より近づこうとすると、必ず何らかのバリアを張られます。そのバリアを取り除くには、時間と手間をかけて、少しずつ信頼関係を築いていくしかないのですが、ここの施設の子どもたちには、そういったバリアを感じないのです。もちろん、すべての生活を共にしているということはあると思いますが、それにしても、“無防備”だなあと感じます。それがまたそこで生活するこの子たちの純粋さなのだと思いますが、親から痛めつけられ、社会から痛めつけられ、その無防備な心を受けとめてくれるところが他にないという社会は、どこか間違っているような気がしました。
「社会はそんなに甘くない」、よく言われる言葉ですけれど、子どもが無防備でいられる場所、子どもにとって社会全体がそんな場所であったら、どの子もみんな幸せに暮らせるのだろうなあと思います。
もちろん子ども自身が自己防衛できることも重要だけれど、私たちは無防備な子どもを受けとめられる大人でいたいですね。


**3月28日(月)掲載**


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。 


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   Re: 第153回「子どもが無防備でいられる場所」 2005/03/28 12:57:50  
 
                      なっつん

 
  こんにちは。

両親がいて子どもがいて、、、という家庭をもっている人としか普段接する機会がない私は「普通」な子育てを中心に物事をかんがえることに慣れてしまっています。
ので、児童自立支援施設というところで生活している子供がいるということなんて、知ろうとしていませんでしたし、知りませんでした。

普通(だと考える)は家庭で愛情を子供に注ぐことが出来るけれども、愛情を受けることなく育った子供達が愛情を求める欲求が大関さんのおっしゃる「無防備」ということにつながるのだと思いました。
でも愛情、、、って本当にあいまいな表現で子供にとったら迷惑だと思ってることも親にとったら愛情という名のもとに押し付けてしまっていることも沢山あるんでしょうね。。。
子供に愛情を伝えていく簡単な方法、、、おしつけじゃない愛情を伝える方法があれば学びたいなあと思います。
そのヒントにはカウンセリングマインドを親が勉強する、、ということがあるんじゃないかと考えています。
押し付けない、、、子供の気持ちに沿う、、、本当にむつかしいことだけどちょっとしたスキルを教えてくださると子育てにいかせるんじゃないかなあ、、と思うので、是非是非カウンセリングマインドの子育ての特集して欲しいと思います。

質問ですが、具体的に子供達のどういう行動で「無防備」だなあ、と感じられたのか知りたいです。
よろしくお願いします。
 
  
元の文章を引用する
 

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   “無防備”という意味 2005/03/31 17:08:26  
 
                     
                              http://www.ed-cou.com大関直隆

 
  お答えが遅くなってすみません。
“無防備”という言葉は、私の感覚なので、
さらに言葉で説明するのは、とても難しいですね。
同じ子どもたちに会っても、そう感じない人の方が多いのかもしれません。
具体的に、どういうことでそう感じたかというと、
まず、子どもたちの表情です。
子どもたちにとって、そこの施設が生活の場であるということを差し引いても、
外部から入ってきた見ず知らずの私たちを迎えるときの表情に、
警戒の色がない。
2番目に、子どもたちの身のこなしというか、動きというか…
知らない人間とすれ違うにしては、緊張感がなく(悪い意味でなく)、開いている。
3番目に、視聴覚室で私たちを待っていてくれた子どもたちの歓迎ぶりが、
何も語らないうちから、とても親しげである。
言葉にするとそんな感じでしょうか。
なんだか感覚とはちょっと違う気もしますけれど…
あえて私が”無防備”という言葉を使ったのは、
おそらく、そこの子どもたちが、私たちにだけでなく、
そこを訪れる多くの人たちに
同じように接しているのではないかという気がしたからです。
子どもたちが、そういう振る舞いをしているのには、
いろいろな理由があると思います。
「大人からの愛情に飢えている」とか
「施設の職員が子どもたちに対して優しい」とか、
単純に言えるようなものではないと感じました。
子どもたちが元々持っているものが、そうさせているようにも感じますし、
そこの施設がそうさせているようにも感じます。
それは、施設のことや子どもたちのことを
もっとよく知らなくてはわからないのだろうと思います。

>>
押し付けない、、、子供の気持ちに沿う、、、本当にむつかしいことだけどちょっとしたスキルを教えてくださると子育てにいかせるんじゃないかなあ、、と思うので、是非是非カウンセリングマインドの子育ての特集して欲しいと思います。

今、学研の雑誌の編集者とおっしゃっているような本のプロットを立てようか、
なんていう話もちょっと持ち上がっているので、
そんな特集やれたらいいのですが…
ちょっと考えてみます。
 
  
元の文章を引用する
 

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   Re: “無防備”という意味 2005/04/02 18:58:37  
 
                      なっつん

 
  大関様、お返事ありがとうございました。

無防備という言葉の裏側にはさまざまな意味があるのでしょうね。。。

私は無防備というのは普通の子供達の持つ感覚で、非行をおこしたり虐待を受けたりするような子供達が受けた傷のために心にバリアーをはってしまうものだと考えていたので、おっしゃることが理解できませんでした。

しかし、愛情に飢えていたり、やさしくされているから無防備になるわけじゃない、、というところを読んで、考えたことがあります。

今の多くの家庭は核家族な上にお父さんの帰りも遅く子供達に母親の愛情(というか怒りというか押し付け、、というか。。。)が過剰にいってしまうことがあるのかもしれません。
ひとりで子育てをしている私もイライラと声を荒げることもしばしば。。。
こどもにとったらどこか息がつまっているのかもしれないなあ、、と思います。そういう息がつまることを続けることで自分の本当の心を開放することができなくなってしまっているのかもしれませんね。
心の防衛反応は誰にでもあることだけど、その程度はその子の家庭によって違うのだと思います。

施設の子供達はそういう息が詰まる状態に、行政が対処して虐待から救ってくれたり、、非行をおこすことで反抗心をあらわすことができたこどもたちだったのかもしれない、、と思うとそういう子供達は自分を受け入れてくれる施設や人に出会うことで無防備な感覚になっているのかもしれない、、、と私は思いました。

自分が今見えている社会だけとしか関わっていなかった私はいろんな子供達やいろんな親やいろんな背景を知ろうとしていなかったことを反省しました。
見えない世界の子供達も自分が知っている子供達もみんなが幸せになれるように、親の方もいろいろと勉強していかなくてはいけないですね。

 

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