【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」】第139回「子どもに伝えたいこと」
“シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャン”
「よっ!」
“シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャン”
「もいっちょっ!」
“シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャン”
「ありがとうございました。来年も商売繁盛いたしますように!」
今日は調神社の「十二日市(じゅうにんちまち)」。熊手を売るお兄さんの威勢のいい声があたりに響きます。午後6時くらいに出かけたら、神社の一番東側に設けられる熊手を売っている通路は、いつもより少なめな人出。久しぶりの日曜の市とあって、どうやら人出が昼と夜に分散したようです。
わが家では、毎年十二日市で鯉を買います。水槽で泳いでいる太って脂ののっていそうな鯉を選ぶとその場でさばいてくれます。鯉の腹から取り出した肝はお猪口に入れ、お酒と一緒にゴックン。いつも三枚におろしてもらって、家に戻ってから“身は洗い”、“あらは鯉こく”にして食べます。
なんでこんなことが毎年の行事みたいになっているのかなあと考えると、私が子どものころ祖母や父が鯉をさばいていたのが、私の意識の中で鮮明な記憶として残っているからかなあ? とっても大事なことのように…
「あれっ、おじさん。今日、鯉いないの?」
毎年、同じ場所で鯉を売っているおじさんがいるのですが、今年は鯉が見あたりません。「悪いねえ、社長。今年は日曜日だったんで、昼間から売れちゃって、もう売り切れちゃったよ」
「えーっ! 毎年必ず買ってるのに…」
「一人で25匹買ってくれた料理屋の人がいたかんねぇ。さばくの大変だったんだ」
「へーっ、そうなんだ。楽しみにしてたんだけどなあ。でもよかったね、そんなに売れたんじゃ」
「15日は川口。17日は蕨だよ。そっちへ来てよ」
「そうだね。蕨だったら自宅のそばだし」
仕事が忙しいので蕨神社の酉の市に行くわけにはいかないんだけれど、そんな会話を楽しんで鯉のいない鯉屋さんをあとにしました。
「いつもの“じゃがバター”のおじさん来てるかなあ?」
今度は毎年買っているじゃがバターの店へ。
「おじさーん!」
「おー、久しぶり!」
「去年忙しくてさあ、来られなかったんだよねぇ。だから1年空いちゃった」
「2年だよ。一昨年も来なかっただろっ?」
「あれっ、そうだっけ? よく覚えてんねえ」
「覚えてるさあ」
毎年、熊手やかっこめを買っているわけではないので、特別行く必要があるわけではないけれど、子どものころからの年中行事みたいになっていて、よほどのことがない限り酉の市に出かけます。大宮の氷川神社、浦和の調神社、蕨の蕨神社と3カ所行ったことも。
何を伝えるというわけでもなく子どもに見せて、今では孫に見せて。
でも、そんな中に日本の文化があり、お正月を迎える心があるのかなあ…。
友だちと行って帰ってきた翔(かける)は帰ってくるなり、
「じゃがバターのおじさん、今年もいたね」
酉の市でしか会うことのない、たったそれだけの関係のおじさんなのに、そのおじさんに会うことが、わが家にとって今年も一年間無事に過ごせた証のようになっている。子どもに何を伝えるっていうわけではないけれど、そんな中から人と人とが交わること、一年間一生懸命に生きること、平和を守り続けること、きっと子どもたちはそんなことを学んでいるんだろうと思います。
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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