【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第145回】「下の動物園 その2」
「そう言えば、今は“上野”動物園って言うけれど、小さいころ“上野の”動物園って言ってたよ」
「ふーん」
「それってさ、“上野にある”動物園だから、“上野の”動物園って言ってたんだろうけど、私の意識の中ではかなり大きくなるまで“上野の動物園”っていう名前だと思ってた。“上野動物園”っていう名前なんだってわかった時は、カルチャーショックだったよ。今考えると、母の実家に行った時、誰だったかに“上野の動物園にでも行ってくれば”って言われたのがきっかけで、そう言い出したように思うんだよね。母の実家は早稲田にあって、都内のそういうところを“××の動物園”とか“××の交通公園”とか言ってたんだよ」
「へええ。でもそれって、“××の”っていう助詞じゃなくて“血がが”の部類じゃないの?」
「?」
「ほら、子どもって“血”とか“蚊”とか一字の言葉をうまく理解できなくて、“血がが出た”とか“蚊にに刺された”とか言うでしょ」
「ああ、そうだね」
「だから、“上野の”っていうのもそういう類じゃないのって言ってるの」
「“上野の”っていうのはそんなに深い意味(?)があるわけじゃないよ。単純に上野にある動物園の名前が“上野の動物園”って思ってただけだよ。そういえば麻耶(まや)はずいぶん大きくなるまで“血がが出ちゃった”って言ってたね」
「真(まこと)と翔(かける)は“蚊にに”はあったけど、“血がが”はほとんどなかったよね」
「そうそう。麻耶はずいぶん長く“血がが”も“蚊にに”も直らなかったから、何度かよく教えてやったのに結局直らなくて、どこでどう気づいて直したのかわからないけど、自分で直すまで直らなかった」
「はははっ。結局自分で気づかないと直らないんだよね。その劇的な瞬間に立ち会ってみたいけど、どの子も知らないうちに直っちゃった!」
「まったく!」
「努は“血がが”と“蚊にに”だけじゃなくて、“うわら”と“くがまや”と“おつまり”っていうのもあった。“うわらからでんしゃでくがまやのおつまりにいく”(浦和から電車で熊谷のお祭りに行く)って言ってたからね」
「ああ、そうそうそうそう。なつかしいね。それってほんとにそれっぽいからおかしいよね。“うわら”も“くがまや”も“おつまり”も大人が会話の中で使ったら、けっこう気づかないかも…。“くがまや”なんて使ったら、聞いてる方が“あれっ?くがまやだったかな?くまがやだったかな?”ってなりそうだよね」
「ほんと、ほんと。あれも結局知らないうちに直っちゃったね。劇的瞬間には立ち会えなかったよ。熊谷の母がね、努に何度も“くがまやじゃなくてくまがや”って教えてたけど、なんか努は混乱するだけで、ちっとも直らなかった」
「子どもの成長過程ってあんまり無理に教えるんじゃなくて、待ってやることも大切だよね。“時”が解決することもいっぱいある。やっぱり自分で気づくっていうことがないとなかなか直らないもんね。自分自身が“その気になる”っていうことが重要なことだね」
「まあ、そういうことだね」
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
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