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2019年11月

2019年11月24日 (日)

第154回「子どもの自立を助けるもの」

朝。
「じいちゃん、粘土遊びしよっ!?」
孫の蓮(れん)が寄ってきます。
「粘土あるの?」
「うん」
「買ったの?」
「うん」
どうやら昨日、粘土遊びのセットを買ったらしく、粘土のセットが入った袋を持ってきます。母親の麻耶(まや)と遊んだときに、電気コタツの上に置くテーブルを作業台代わりにしたようで、ベンチ型のおもちゃ箱の裏に立てかけてあるコタツのテーブルを出しに行きました。おもちゃ箱の脇にちょうどコンセントがあり、何本かのプラグが刺さっているため、電気のコードが邪魔をして、蓮一人ではうまくテーブルが引き出せません。蓮は粘土遊びをするかしないかの返事をちゃんとしていない私を、粘土遊びの仲間に引き入れることでテーブルを出してもらおうと、私のところへやってきて、
「じいちゃん、粘土あそびしよっ!?」
と再び寄ってきました。
そこへ、たった今、目を覚ました妹の沙羅(さら)がやってきました。沙羅は、蓮が「粘土あそびしよっ!?」と言うのを聞いていたらしく、
「ねんど、ねんど」
と言いながら、私のそばへ寄ってきます。蓮は、私に念を押すように「粘土遊びしよっ!?」ともう一度言うと、またテーブルを出しに行きますが、やはり思うようにいきません。すると、それを見た沙羅が私に向かって「しよっ!?」と粘土遊びの仲間に入ることを促してから、お兄ちゃんを手伝おうとテーブルを一緒に引っ張りに行きました。けれども、二人の力を合わせてもテーブルは引き出せません。
「粘土遊び」の仲間に入るか、入らないかの返事をはっきりしていなかった私が、テーブルを出すのを手伝いにいくと、蓮はとっても嬉しそうにニコッと笑いました。沙羅もよほど粘土遊びがしたかったらしく、両手をあげて、
「ねんど、ねんど!」と飛び跳ねています。
蓮が袋から粘土と粘土遊びの道具をテーブルに出して、いよいよ3人で粘土遊びの始まりです。
「あれっ? 蓮くん、粘土どこ?」
テーブルの上に道具がたくさん広げられましたが、粘土が見当たりません。
「ここに入ってんの」
とフィルムのケースのようなものをいくつか、蓮が私に差し出しました。中を見ると、それぞれのケースに赤や黄色や緑などの粘土が入っています。一色がせいぜい卵1個分くらいでしょうか。
“えーっ、粘土ってこれだけ?”
コタツのテーブルいっぱいに広げられた粘土遊びの道具の多さと、あまりにも小さなケースに収められた主役であるはずの粘土の少なさにびっくりしました。
「じいちゃん、何作ろうかな? お船を作ろう!」
黄色の粘土と船の形の粘土型をとり、ケースに粘土を詰めました。ケースでギュッと粘土を挟むと「お船」のできあがり。こんなに上手に「お船」を作ったのは初めてです。
「今度は車を作ろう!」
今度は緑の粘土を車型のケースに詰めて、ギュッと挟むと、
「ハーイ、車のできあがり!」
下敷きのようなプラスチックの板には、葉っぱや魚や動物といった型がいっぱい付いています。その他にもまるでクッキーの抜き型のようなハートや星といったものがいっぱい。
確かに便利といえば、便利だけれど、船も車も魚も熊も、ぜーんぶ同じ作り方であっという間にできちゃう。“船ってどういう形だっけ?”とか“熊の耳ってどこについてるの?”なんて考える必要なし。やっているうちにちょっとむなしさを感じて、
「おじいちゃん、スパゲッティを作ろっ!」
白い粘土でお皿を作り、オレンジの粘土をながーいヒモにして麺を作りました。お皿に盛った麺の上に、緑の粘土で作ったピーマンとピンクの粘土で作ったハムを乗せて、
「ハーイ、スパゲティのできあがり!」
スパゲティができたところに、おばあちゃんも加わって、4人でとっても美味しくスパゲティを食べました!

つづく


**4月4日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第153回「子どもが無防備でいられる場所」

先日、県立の児童自立支援施設に呼ばれて、性教育についての講演を妻と二人でしてきました。
以前、子どもの非行問題のシンポジウムで、当時ここの寮長をなさっていたS氏と、シンポジストとしてご一緒させていただいたことがあり、その縁で施設を見学させていただいたことがあったので、ここにお邪魔するのは今回で2回目でした。
児童自立支援施設というのは、児童福祉法7条及び44条等によって規定された児童福祉施設で、「不良行為をなし、又はなすおそれがある児童及び家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する」と判断された子どもたちが、親から離れて生活をし、個々の児童の状況に応じた指導を受けることによって、その自立を支援することを目的とした施設です。児童相談所へ相談して入園する場合、家庭裁判所の決定により入園する場合等があります。
全国的に見ると、中学生の入園者が多いようですが、中には4歳という子もいるそうです。児童福祉法によるものなので、下限はありませんが、上限は基本的に18歳まで、事情により20歳まで延長もできます。
「不良行為をなし…」とはいっても、その内容はさまざまで、不良行為に至る原因が親からの虐待であったり、また、被虐待だけという子もいるそうで、保護の側面もあるのだなあという印象を受けました。
もちろん面会や外出等も認められているのですが、面会の多い子もいれば、全くない子もいるそうです。中学校卒業後は、施設から高校に通ったり、仕事に通ったりしている子もいます。

今回の講演は1時間半で、中学1年生と2年生を対象としたものでした。依頼されたときに、妻だけが行って性についての話をするのか、夫婦で行って家族の問題を話すのか、あるいはビデオ(「素敵なお産をありがとう」(日本クラウン発売))を見せて、家族についての話をするのか、とても迷いました。結局講演の前日まで迷ったあげく、施設の方々にも相談させてもらって、ビデオを見てもらうことにしました。
53分のビデオなので、ビデオを見る前に妻が15分、見た後に私が15分話をしました。出産を扱っているとはいえ、大きなテーマは家族です。いろいろな意味で正常な家族関係の中で育っているとは言えない施設の子どもたちが、どういう気持ちでビデオを見てくれるのかという不安もあったのですが、複雑な家族関係を持った子が多い中で、わが家の家族関係も複雑なこと、そして何よりも子どもたちの心がとても素直で純真なこともあって、家族というものを真っ直ぐと受けとめてくれたようでした。
前回、見学させていただいたのは、たしか7、8年前で、今とは社会情勢や子どもたちの状況はずいぶん違っていたと思うのですが、前回も今回も、同じように感じたことがありました。それは、子どもたちがずいぶん“無防備”だなということです。“無防備”というのは、誰に対しても自分の心を開いていて、自分の心を守ろうとしていないという意味です。私がPTA活動などでこれまで接してきた子どもたちは、皆いい子でしたが、それなりに自己防衛の手段を知っていて、ある程度の距離より近づこうとすると、必ず何らかのバリアを張られます。そのバリアを取り除くには、時間と手間をかけて、少しずつ信頼関係を築いていくしかないのですが、ここの施設の子どもたちには、そういったバリアを感じないのです。もちろん、すべての生活を共にしているということはあると思いますが、それにしても、“無防備”だなあと感じます。それがまたそこで生活するこの子たちの純粋さなのだと思いますが、親から痛めつけられ、社会から痛めつけられ、その無防備な心を受けとめてくれるところが他にないという社会は、どこか間違っているような気がしました。
「社会はそんなに甘くない」、よく言われる言葉ですけれど、子どもが無防備でいられる場所、子どもにとって社会全体がそんな場所であったら、どの子もみんな幸せに暮らせるのだろうなあと思います。
もちろん子ども自身が自己防衛できることも重要だけれど、私たちは無防備な子どもを受けとめられる大人でいたいですね。


**3月28日(月)掲載**


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。 


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   Re: 第153回「子どもが無防備でいられる場所」 2005/03/28 12:57:50  
 
                      なっつん

 
  こんにちは。

両親がいて子どもがいて、、、という家庭をもっている人としか普段接する機会がない私は「普通」な子育てを中心に物事をかんがえることに慣れてしまっています。
ので、児童自立支援施設というところで生活している子供がいるということなんて、知ろうとしていませんでしたし、知りませんでした。

普通(だと考える)は家庭で愛情を子供に注ぐことが出来るけれども、愛情を受けることなく育った子供達が愛情を求める欲求が大関さんのおっしゃる「無防備」ということにつながるのだと思いました。
でも愛情、、、って本当にあいまいな表現で子供にとったら迷惑だと思ってることも親にとったら愛情という名のもとに押し付けてしまっていることも沢山あるんでしょうね。。。
子供に愛情を伝えていく簡単な方法、、、おしつけじゃない愛情を伝える方法があれば学びたいなあと思います。
そのヒントにはカウンセリングマインドを親が勉強する、、ということがあるんじゃないかと考えています。
押し付けない、、、子供の気持ちに沿う、、、本当にむつかしいことだけどちょっとしたスキルを教えてくださると子育てにいかせるんじゃないかなあ、、と思うので、是非是非カウンセリングマインドの子育ての特集して欲しいと思います。

質問ですが、具体的に子供達のどういう行動で「無防備」だなあ、と感じられたのか知りたいです。
よろしくお願いします。
 
  
元の文章を引用する
 

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   “無防備”という意味 2005/03/31 17:08:26  
 
                     
                              http://www.ed-cou.com大関直隆

 
  お答えが遅くなってすみません。
“無防備”という言葉は、私の感覚なので、
さらに言葉で説明するのは、とても難しいですね。
同じ子どもたちに会っても、そう感じない人の方が多いのかもしれません。
具体的に、どういうことでそう感じたかというと、
まず、子どもたちの表情です。
子どもたちにとって、そこの施設が生活の場であるということを差し引いても、
外部から入ってきた見ず知らずの私たちを迎えるときの表情に、
警戒の色がない。
2番目に、子どもたちの身のこなしというか、動きというか…
知らない人間とすれ違うにしては、緊張感がなく(悪い意味でなく)、開いている。
3番目に、視聴覚室で私たちを待っていてくれた子どもたちの歓迎ぶりが、
何も語らないうちから、とても親しげである。
言葉にするとそんな感じでしょうか。
なんだか感覚とはちょっと違う気もしますけれど…
あえて私が”無防備”という言葉を使ったのは、
おそらく、そこの子どもたちが、私たちにだけでなく、
そこを訪れる多くの人たちに
同じように接しているのではないかという気がしたからです。
子どもたちが、そういう振る舞いをしているのには、
いろいろな理由があると思います。
「大人からの愛情に飢えている」とか
「施設の職員が子どもたちに対して優しい」とか、
単純に言えるようなものではないと感じました。
子どもたちが元々持っているものが、そうさせているようにも感じますし、
そこの施設がそうさせているようにも感じます。
それは、施設のことや子どもたちのことを
もっとよく知らなくてはわからないのだろうと思います。

>>
押し付けない、、、子供の気持ちに沿う、、、本当にむつかしいことだけどちょっとしたスキルを教えてくださると子育てにいかせるんじゃないかなあ、、と思うので、是非是非カウンセリングマインドの子育ての特集して欲しいと思います。

今、学研の雑誌の編集者とおっしゃっているような本のプロットを立てようか、
なんていう話もちょっと持ち上がっているので、
そんな特集やれたらいいのですが…
ちょっと考えてみます。
 
  
元の文章を引用する
 

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   Re: “無防備”という意味 2005/04/02 18:58:37  
 
                      なっつん

 
  大関様、お返事ありがとうございました。

無防備という言葉の裏側にはさまざまな意味があるのでしょうね。。。

私は無防備というのは普通の子供達の持つ感覚で、非行をおこしたり虐待を受けたりするような子供達が受けた傷のために心にバリアーをはってしまうものだと考えていたので、おっしゃることが理解できませんでした。

しかし、愛情に飢えていたり、やさしくされているから無防備になるわけじゃない、、というところを読んで、考えたことがあります。

今の多くの家庭は核家族な上にお父さんの帰りも遅く子供達に母親の愛情(というか怒りというか押し付け、、というか。。。)が過剰にいってしまうことがあるのかもしれません。
ひとりで子育てをしている私もイライラと声を荒げることもしばしば。。。
こどもにとったらどこか息がつまっているのかもしれないなあ、、と思います。そういう息がつまることを続けることで自分の本当の心を開放することができなくなってしまっているのかもしれませんね。
心の防衛反応は誰にでもあることだけど、その程度はその子の家庭によって違うのだと思います。

施設の子供達はそういう息が詰まる状態に、行政が対処して虐待から救ってくれたり、、非行をおこすことで反抗心をあらわすことができたこどもたちだったのかもしれない、、と思うとそういう子供達は自分を受け入れてくれる施設や人に出会うことで無防備な感覚になっているのかもしれない、、、と私は思いました。

自分が今見えている社会だけとしか関わっていなかった私はいろんな子供達やいろんな親やいろんな背景を知ろうとしていなかったことを反省しました。
見えない世界の子供達も自分が知っている子供達もみんなが幸せになれるように、親の方もいろいろと勉強していかなくてはいけないですね。

 

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2019年11月23日 (土)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第152回】「ゴミ、ゴミ、ゴミにタバコの吸い殻」

いよいよスギ花粉の飛散も本格化。
今年は早いうちから大騒ぎされていた割には、昨年暮れの暖かさが一転、年明けから寒い日が続き、なんだか例年より飛散時期が遅くなったようで、つい最近までは、比較的楽な日が続いていました。
“花粉の飛散量が例年の何十倍とか報道されているけれど、もしかすると花粉症対策グッズを製造販売しているメーカーとマスコミが結託してるんじゃないの? 11月の終わりくらいから、何となくいやな感じがして、抗アレルギー剤をもらって飲んでいたのが、効いてるのかな? いやいやアンテナが狂うはずがない。私の感覚では花粉をほとんど感じないし、街の中でもマスクをしている人の数がそう多くないので、やっぱりあんまり飛んでないんだよね“なんて、いろいろ考えながらいたわけだけれど、先々週くらいから、ドッときた感じ。目は痛い、くしゃみは出る、鼻水は垂れる、顔はかゆい…。とうとう肩こり、頭痛にノドの痛みまで始まっちゃって、“ああ、やっぱりきた~”。

先週の水曜日は、お昼前から孫の蓮(れん)と沙羅(さら)を私が一人でみることになりました。どこに行って遊ぼうかと火曜日の晩から相談です。
「蓮くん、明日はどこへ行く? そうだ、お魚釣り行こうか!」
「うううー、うん。お魚釣りに行く!」
昨年の夏、息子の努(つとむ)が、蓮と沙羅をマス釣り(もちろん釣り堀ですけど)に連れて行ったことがあるのですが、二人ともはねるマスが怖かったらしく、それ以来釣りにはあまり行きたがりません。けれども、怖いところに行くときには、おじいちゃんがいれば安心という意識が蓮と沙羅にはあるようで、「うううー」と迷いながらも、翌日は近所の釣り堀に行くことになりました。
私の実家の近くにある大きな釣り堀は、平日でもおじいさんたちでいっぱい。釣りがどういうものだか理解をしていない蓮と沙羅が周りを駆け回っては大変なので、子ども用の池が別に設けてあるところに行くことにしました。
蓮も沙羅も最初は釣れた魚にびくびくしていましたが、1匹、2匹と釣れるうちに、だんだん慣れてきて、
「今度は蓮くんが釣るう!」
「沙羅ちゃんもぉ、沙羅ちゃんもぉ」
と1本借りた竿が、とりっこ状態。
あっという間に1時間が過ぎ、釣れた魚は真鯉20匹に真っ赤な緋鯉が1匹。
よほど楽しかったらしく、車に乗ると蓮は、
「赤いお魚さんも釣れたね。楽しかったね。明日も来ようね」
おいおい、そんな毎日来ないよ。
あと3時間。どうしようかな?というわけで、まずファミレスでお昼を食べて、その後は見沼田んぼ(今は植木畑だけれど)で、ヨモギを摘むことになりました。
ヨモギなんてどこにでも生えてるもので、しょっちゅう摘んでいたものだから逆にあまり深く考えたことがなかったらしく、「あれ? ぜんぜん生えてない」と、改めて畑の周りにヨモギがないことに気づいたりして。結局、畑の周りではなく芝川の土手で摘むことに。ところが、ヨモギはあったにはあったのですが、周りがとても汚い。とにかくゴミの多さにびっくり。どこまで行ってもゴミ、ゴミ、ゴミ。どこのヨモギだったら摘めるんだろう…。
蓮と沙羅は、珍しいものなら何でも興味を示すので、次から次へとどんどんゴミを拾っては、見せにきます。せっかく興味を持っているものを頭ごなしに怒るわけにもいかず、
「うーん、これなんだろうねえ?」
けれども、5個、10個となると“なんだろうねえ?”も限界。危ないものもあるので、一生懸命、ヨモギに興味を移させて、何とかビニール袋に半分ほどのヨモギを摘んで帰ってきました。
久しぶりに孫に癒された一日でしたが、帰ってくると涙はぼろぼろ、鼻水はだらー。
どうやら蓮も花粉症らしく、目が真っ赤。
「あああ、花粉症は孫との楽しみまで奪っちゃうのかねえ」

20数年前、三室に住んでいたころは、あんなにゴミはなかったのに…。もっと大人はマナーをよくしないと。こんな自然の中からも大人のマナーの悪さから、安全な子どもの遊び場が奪われているんだなあと実感した一日でした。
とっても恥ずかしい話だけれど、うちの庭(マンション1階の専用庭)には、すごい数のタバコの吸い殻が落ちています。道路から投げ込めるようなところではないので、間違いなく我が家の上階に住む誰かがベランダから捨てたものです。明らかに火をつけたまま捨てたと思われるものまであります。とてもじゃないけど許せる範囲のことじゃない。孫たちにとってはとっても大切な遊び場なのに、まさか自分の家の安全な遊び場までが大人のマナーによって奪われちゃうなんてね。今度の日曜日はマンションの管理組合の総会。しっかりと意見を言ってこなくちゃね。
ベランダからタバコの吸い殻を捨てるなんて絶対に許さないぞ!

 


**3月22日(火)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
「見沼田んぼ」「芝川」「三室」はさいたま市、特に浦和近辺に住み人なら誰でも知っているとてもポピュラーな場所です。

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第151回「最近の政治家の発言 その2」

「それは小泉さん、ちょっと違うんじゃない!」
と言いたくなる。
小泉首相は1942年(昭和17年)生まれ。「我々の年代では教えてもらったことはないが、知らないうちに自然に一通りのことは覚える」なんていう発言は、軽々しくするべきじゃない。単純に自分の受けた性教育(まあ受けていないわけだけれど)が正しいということを主張したいなら、教育だけでなく「社会のすべてをその時代に戻してからにしてください」と言いたくなる。

正しいことも、間違ったことも含め性情報が氾濫し、子どもたちは自ら性についての情報を簡単に獲得できるようになっています。ところが、雑誌にしても、インターネットにしても、まず飛び込んでくる情報というのは、風俗産業のものばかり。人が人として持つべき性の知識というものは皆無です。これだけエイズのことが叫ばれているにもかかわらず、正しいエイズの知識を持った人は、少年少女のみならず大人の我々でも、ほとんどいないのでは? しかも、性についての正しくない情報の流布というのは、営利を目的として行われるので、情報を得ようとしていない人間にも入ってくるのに、正しい情報というのは得ようとした人間にのみ獲得できるものであって、自分で獲得しようとしない限り獲得することが難しい。そういう仕組みになっているということを小泉さんにももう少し考えてもらいたい。たしか答弁の中にも「年齢に応じた…」というようなことがありましたが、「知らないうちに自然に一通りのことは覚える」なんていうのは、ちょっと乱暴じゃないの。こんなこと言ってるから、衆議院議員の中からも中西一善容疑者みたいなのが出ちゃう。示談が成立して被害者が告訴を取り下げたらしいですけど、釈放後の会見でも「ぽん引きだと思った」みたいな発言があって、どこまで女性をバカにしたら気が済むんだろうと驚きました。

例の早大生らのサークルの強姦事件の際、太田誠一元総務庁長官が「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」と発言したのにもビックリ。どうも政治家は本質を見ないで発言するらしい。

この連載の第92、93回でも述べたように、性教育に対する考え方は人それぞれなので、今の学校教育における性教育が必ずしも正しいとは思いませんが、少なくとも「知らないうちに自然に一通りのことは覚える」なんていうことではなくて、やはり正しい知識をきちっと教えることが重要だろうと思います。もちろん、それぞれの年齢に応じて。

政治家ではありませんが、極めて政治家に近い猪瀬直樹氏が、先日の寝屋川の事件について、「こういう連中には勉強なんてさせるんじゃなくて、中学を卒業したら働かせればいいんですよ」とコメントしたのも、あまりにも乱暴な言い方でした。あたかも中卒や高校中退の子どもたちが、勉強はしたくなくて、お金を稼ぐことだけを望んでいるような言い方をしていましたが、果たして中卒や高校中退の子どもたちに働くことへの意欲が湧くような、きちっとした働き口があるのかどうか…。「そういう場所を与えろ」ということなのでしょうが、それは学歴のあるものから学歴のないものへの差別でしかなく、そんなものが犯罪の減少に繋がるわけがない。

あまり乱暴な意見や発言に振り回されることなく、常に地に足のついた子育てや学校教育にしたいものですね。


**3月14日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第150回】「最近の政治家の発言」

小泉首相に代表されるように、最近の政治家はパフォーマンスがとても上手になってきましたね。政治はなんといっても支持率だから、これだけメディアが普及した現代では、わかりにくい細々とした政策論議よりは、とにかくわかりやすい大きなジェスチャーとはっきりとしたものの言い方が要求されるんでしょう。田中真紀子、鈴木宗男、辻元清美、小泉純一郎なんていう組み合わせは、“見せ物”としてはとっても面白いものがあった。田中真紀子の父親譲りのあの声と演説の上手さ、鈴木宗男の涙の会見、辻元清美の「総理、総理、総理!」、小泉純一郎の「人生いろいろ…」などなど。加藤紘一、青木幹雄、野中広務といった面々では、ちょっと物足りない。

だいぶ前になりますが、テレビ朝日の午後のワイドショーに生出演したときのこと。生というのは、編集ができないわけだから、こちらの発言が発言した通りにON AIR されるわけです。生出演が初めてだった私は、ちょー緊張。
ADさんの放送開始までのカウントダウンを聞くと、
「どうしよう、どうしよう、どうしよう」っていう感じ。
実際にカメラが回り出しちゃうと覚悟ができちゃうっていうか、開き直っちゃうっていうか、別段普段と変わらない会話はできるんですけど、やっぱりカットができないっていうことは、やり直しっていうのはないわけだから、どうしても言葉が慎重になります。
ところが、他の出演者(いつも出演しているワイドショーのコメンテーターの人たち)の話っぷりはまったく逆で、「そこまで言うか」っていう感じ。とっても過激で乱暴。
「いくらなんでも、そりゃ言い過ぎってもんでしょ!」
なんて番組の間中思いながら、私は私のペースで話をして帰ってきました。
家に戻って、録画してあったVTRを見てみると、なんだか私の言っていることはおとなし過ぎて、インパクトに欠けています。もちろん素人なわけだから、誠実そうに映っていていいと言えば、まったくその通りで、印象としては悪くないのですが、言っていることがいまいち伝わらない。ところが、スタジオではとっても過激で乱暴に聞こえたコメンテーターの人たちの話は、過激に聞こえるどころかとっても歯切れがよくてわかりやすい。
「なるほどTVって、こういうものなんだ」
と改めてTVの非日常性を感じました。

さて、政治家の話ですが、最近の政治家の話は、とってもわかりやすい。とってもマスコミ慣れをしていて、どう行動すればどう取材されて、どう言えばどう映るかっていうことを熟知しているように感じます。イラク問題や郵政民営化みたいな論議は中身がとってもわかりにくいのにもかかわらず、自衛隊がイラクに行って復興作業を行っているところが映像として流れると、なんだかえらくイラク問題がわかったような気がするし、コンビニが郵便局の役割を果たして、宅配業者が郵便物を配達してくれるって言われると郵政民営化問題はすべてわかった気がしちゃう。

教育のこともしかり。
「愛国心を育てるために国旗・国歌に対する教育を徹底する」って言われると「ああその通り」なんて気もするけれど、よく考えてみると「愛国心」ってなんなのか全然わからないし、人によっても国家を愛する愛し方が違ったていいわけだから、“みんな同じに”っていうのもちょっと変な気がするし、つい先日の学力低下の問題から、「ゆとり教育を改める」って言われると「そうですよね」って言いたくなるけれど、本当に「ゆとり教育」で子どもたちに「ゆとり」が与えられていたかっていうと、塾通いが増えただけで、どんどん自由に遊べる時間は減少していて、全然そんなことはないわけだから、ちょっと単純に考えすぎている気がする。

先週、国会で性教育のことがやり玉に挙がりました。小学校3年生の教科書に掲載されている性交についての図解が行き過ぎているというもので、中山文部科学大臣は「子どもたちの発達段階に応じてきちんと教えるべきだ。行き過ぎた性教育は子どものためにも社会のためにもならない」と答弁し、全国調査を検討する考えを示しました。小泉首相は、「性教育は我々の年代では教えてもらったことはないが、知らないうちに自然に一通りのことは覚える。ここまで教える必要があるのか。教育のあり方を考えてほしい」と答弁したのですが、どうもこの答弁も表面だけを見て、中身がわかっていない。

次回につづく。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月14日 (木)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第149回】「学校の対応」

歴史のある大学附属高校とのやりとり。
「うちのクライアントの××さんが内部進学の基準のことで精神的に非常に不安定になっいます。カウンセリングをするに当たって、本人からの情報だけでなく、学校からの情報もお教えいただけないかとお電話をさせていただいたのですが。もちろん、学校のお立場として、お話しいただけないこともあろうかと思いますので、お話しいただける範囲でけっこうなのですが…」

このお嬢さんのことでは、すでに一度修学旅行の件で、お母さんと一緒に学校を訪問したことがありました。リストカット(手首や腕を刃物で傷つける行為)とオーバードーズ(精神安定剤や睡眠導入剤などの薬物を規定量以上に飲んでしまうこと)があるということで、学校は修学旅行へ参加させることを躊躇していましたが、校長先生にお会いして、カウンセリングによる成果と危険がない旨を丁寧にお話しし、なんとか修学旅行に参加することができました。もちろん、なんの事件もなく九州のおみやげを持って無事帰ってきました。
以前から、保健室の利用が頻繁で、学校としても対処の仕方に困っていたところだったらしく、校長先生は“何か問題があったらいつでも学校にご連絡ください”と言ってくださいました。そこで、内部進学の件の電話になったわけです。

最初に電話に出た先生にざっと要件をお話しすると、進路担当の先生に替わってくださいました。
「××のことは私も聞いています。内部進学の基準のことでしたら、学部によって違いますが、人気のある××学部なら評定平均××点(学校から出される各教科の5段階評価を合計し、科目数で割ったもの)以上、人気のない××学部は、年によって変わるのではっきりしたことは言えませんが、おおよそ××点くらいで内部進学できると思います。これは、他の者ではわからないので、進路担当の私しかお話しできないことですから。私、まだ昼食取ってないので、これで失礼します」
“進路担当の私しかお話しできないこと”は、クライアントの××さんから聞いた話以上のものは何もありませんでした。
もう少しこちらの事情をお話ししようと、
「××さんの…」
と言いかけると、
「私、お昼をまだ食べてないので」
と一方的に切られてしまいました。

電話をかけてからほんの2、3分のやり取りで、一方的に話をされただけ。こちらとしては、まだ何も話をしていないのでもう一度かけ直すと、さっきかけたときと同じ先生がまた電話に出て、
「××先生はお忙しいんですよ。まだ、お昼も食べてないんですよ」
と切られてしまいました。この時は12時40分で、当然こちらもお昼を食べていなかったわけですが…。
仕方なくお忙しいとは思いながら、校長先生にお電話をすると、
「××先生はお忙しかったんじゃないですか」
と自分の学校の教員をかばうばかり。
「校長先生も××さんの状況はご存じじゃないですか。何でもお電話くださいということでしたから、お電話をさせていただいているのに、お昼を食べてないということで、こちらが何もお話ししないうちに切られてしまうのでは困ります」
とこちらが話すと、校長先生から返ってきた言葉は、
「私がどうすればいいんですか?」
でした。
おいおい、それはそっちが考えることだろっ!

学校が終わってやってきた××さんに学校とのやり取りを話すと、
「うん。いつもそんな感じ。相談に行ったってしょうがないよ。だから、誰も行かないの。私たちがお昼を食べてなかったりすることはおかまいなしだけど、先生たちはお昼食べてないとだめなんだよ」

あああ、教員との信頼関係はどうなってるんだろう?
相談にも乗ってくれない先生の言うことを聞けと言っても、無理な話ですよね。 


**2月28日(月)掲載**


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
 

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   今の学校は 2005/03/03 14:21:23  
 
                      みっちゃん

 
  みんなそうなんじゃないですか?
先生は当てにならないです。

ほんとに話を聴いてくれないし
見下したような態度だし(生徒を)

うちの子だって、あわや、死に掛かったというのに。

今日は3年生はディズニーランドだそうです。
校外学習?

もっと他にすることあるんじゃないかな。

 

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。     
 
 

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   学校と社会 2005/03/04 9:42:57  
 
                      ちぃまま

 
  先日、小学校の入学説明会に参加したところ、学校と社会の常識は違うということを痛感しました。
配布された書類を確認せずに、話を始めたので驚きました。また説明のない書類が入っていました。
その後、分からないことがあり電話で問い合わせをしたら、担当の教諭がいなかったので、電話口に出られた先生が「(担当の先生に)内容を伝えておきます。2、3日後に電話してください」とおっしゃったので、3日後再び電話をかけると、担当の先生に伝言が何もされていず、驚きました。

「伝言」すらできず「社会と常識が違う」ところだとおもい、通わすのが不安になりました。
子供が学校に通いたくないといいだしても、仕方が無いと思ったほどです。
 
  
元の文章を引用する
 

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   社会とのズレ 2005/03/04 13:28:13  
 
                     
                              http://www.ed-cou.com大関直隆

 
  まったくお二人がおっしゃっている通りだと思います。
学校というところは、社会の中で自分たちが置かれている状況にあぐらをかいて、
威張っている上にちゃらんぽらん。
それで通ってしまうのだから、いろいろな問題が起こってくるのは当然です。
文句を言っていく親がいれば、「非常識な親が増えてきた」と切り返す。
百歩譲って”非常識な親が増えてきた”としても、
そういう親たちを教育してきたのも学校だろって言いたくなる。
もちろんすべての責任が学校にあるなんて思っていないし、
本当によくやっている先生方もたくさんいるんだけれど、
学校の悪さっていうものは、何人かの”いい先生”ではカバーできない。
しかもその俗に言う”いい先生”っていうのが、
生徒や親にカッコをつける目立ちたがり屋のスタンドプレーが好きなだけの、
”ある生徒”にとっては害になる先生のこともある。
学校はもっと自分たちのやっていることに責任を持つべきだし、
それだけ重い仕事であることを真剣に考えてほしい。
こういう言い方をすると、生徒に対する管理を強めるだけになってしまうので、
言い方が難しいですけれど、
要するに教員は楽をするなっていうことです。
”楽じゃない”って切り替えされちゃうので、
こういう言い方も難しいかな?
自分たちの置かれておる立場を理解せずに、
簡単にそう切り返せる教員の感覚が、世間ズレしているんだと思うんですけどね。
もっと社会の現実をきちっと見てほしい。
142回と143回で登場した学校は、
あの話の後、窓ガラスが割られるという被害を受けました。
学校のやり方に反発している子どもたちを、
”病気”として片付けてしまえば、学校の安全は保たれなくなります。
今、本当に学校がしなければいけないことが何なのか、
猛省の上に、よく考える必要があるのではないかと思います。
さっき、ネットに埼玉県の教育委員会が校長研修の際の講師に、
”体罰やわいせつ行為の被害にあった子どもの親を招くことになった”という記事が、
配信されてきました。
やらないよりはいいけれど、被害者がはっきりしているような事件というのは、
かなりひどい先生が起こした特殊な事件であって、
問題なのは、日常的に行われている普通の先生の普通の生徒指導が問題なんだということを、
一刻も早く、教育行政を司っている人たちに知ってもらいたいですね。

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2019年11月12日 (火)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第148回】 「学校の安全」

また学校を標的にした事件が起こりました。これまで安全と考えられていた“学校”という聖域が他のあらゆる場所と同化して、学校の安全神話は完全に崩れてしまいました。今回の寝屋川市立中央小学校で起こった事件をきっかけに、校内に警備員を置いたり、校内を警察官に巡回させたりする動きが一気に広がりそうです。

学校という、社会から隔離された特殊な空間は、とても無防備で、悪意を持って侵入してくる犯罪者に対しては、守るすべを持ちません。そういった意味で、安全確保に外部のプロや警察官を導入するというのは、やむを得ないことのように感じます。教職員が防犯の訓練を受けたとしても、それには限界があり、教職員だけで全校児童・生徒の安全を確保することはまず不可能だからです。

けれども、それで本当に安全が確保されるかというと、どうも疑問が残ります。学校というかなり広い空間を考えたとき、いったい何人の警備員、警察官を配置すれば安全が確保されるのでしょう。その有効性というものも検証されなくてはなりません。

“学校”が標的となった事件には、大きく分けて二種類あります。一つは、“無差別に”学校をねらったものであり、もう一つは“特定の”学校をねらったものです。無差別に学校をねらったケースでは、より襲いやすい学校が狙われると考えられるので、ある学校にとっては、警備員や警察官の配置が多少なりとも有効であるということは考えられます。けれども、“学校”という場所が狙われる限り、“どこの学校を襲うか”という比較の問題でしかなく、安全の保証には繋がりません。さらに、特定の学校が狙われるケースでは、一人、二人の警備員や警察官の配置で、広い学校が完全に守られるかというと、どうもそこにも疑問を感じざるを得ません。前者の場合は、学校という単位で安全ということを論じるのではなく、社会全体の安全について論じるべきであろうし、後者の場合は、事件が起こったときの対処療法として安全が語られるべきではなく、“学校”が誰からも信頼される場所であるという観点から、安全が語られるべきです。

“学校”という場所が、本来どういう場所であるべきなのか?
以前にも述べましたが、私は「人を信頼することから始まる場所」であってほしいと願っています。それが失われたところに、教育などという言葉はありません。こういった事件をきっかけとして、警備員や警察官の配置が叫ばれるのも、よくわかります。“もし自分の子どもが被害にあったら”と考えると、当然のことと思います。けれども、私には制服を着て、警棒や拳銃を持った警備員や警察官が巡回している場所で、子どもたちが勉強している姿を想像することはできません。とてもそんな場所に本当の意味の信頼や安心があるとは思えないから。

子どもの命を守るのは当然のことです。どうしてもそこに目を奪われがちですが、子どもの心を守ること、それも当然のことです。そして私は、今の子どもたちの心を守ることこそ、次世代の子どもたちの命を守ることに繋がると信じています。


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第147回】「親の役割」

12月、不登校のお子さんの進学の相談がありました。成績は中の上、サッカーの実力は地域の選抜チームに入れるくらいの実力とのことでした。

「あのう、うちの子は不登校で中学3年生になってからほとんど学校に行けてないんですけど、どこか入れる学校があるでしょうか?」
「いろいろ方法はあると思いますよ。“どうしても××に入りたい”ということですと難しい面もありますけれど、特別“ここ”というご希望があるわけではないのなら、いろいろと調べてみて、どういう方法で受験するか考えたらいいと思いますが…」
「はあ…」
「お子さんはなんと言っているんですか?」
「サッカーのやれるところならって言ってます。今の中学校はあまり強い学校ではないんです。うちの子はしっかりサッカーがやりたいものですから、周りとの温度差があって…」
「じゃあ、それなりに強い高校に入りたいわけですか?」
「ええ」
「強い高校っていうのはそれなりに厳しいですけど、今の状態で高校が続きますか?」
「サッカーは好きですから続くと思いますが…。サッカーだけやっていればいい学校ってないでしょうか?」
「…」
「成績はそんなに悪くないんですが、勉強はあまり好きじゃないみたいなんです」
「そうは言っても、高校ですからねえ。とにかく、いくつかサッカーの強いところに電話を入れて、現在の状況で受験をして、ある程度点数が取れたら受け入れてくれるか聞いてみましょう」
その場ですぐにいくつかの学校に電話をしてみました。不登校であり、いい内申書が望めないこと、登校していたころの偏差値、サッカーの実力等話しましたが、どこの学校もあまりいい返事をもらえませんでした。
「“サッカーで”っていうのは難しいかもしれませんね。もし、どうしてもっていうことでしたら、ある程度いい点数が取れるよう努力をしてもらわないと…。今の電話の話ですとそれでも確実に受け入れてくれるっていう保証はないみたいですけど」
「勉強するように子どもには言えません。子どもに“××しなさい”っていうのはねえ…。親がなんとかしてあげられないかと思って…。それで今日伺ってるわけです」
「?」
「子どもには負担をかけたくないんです。縁故っていうのはないんでしょうか?」
「はあ? お母さんねえ、学校の理事でもやってないとそんなこと考えられませんよ」
「お金を積んで、裏からっていうのはだめですか?」
「…。それがお子さんのためですか?」
「だめですか?」
「そんな学校ありますか? だいたいそういう学校があったとして、そんな学校に入れるんですか? それが本当にお子さんのためですか!」
「だめですかねえ…。子どもには負担をかけたくないんです」
もう一度、ゼロから考え直すようにお話しをして、帰しました。
お力をお貸しできるところでは、精一杯こちらも努力をしますということをお伝えして帰ってもらったのですが、その後連絡がありません。高校入試も終わりに近づいてきましたけれど、どこか進学先が決まっているといいのですが…。
(プライバシー保護のため若干内容を変えて構成してあります)

 **2月14日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

 


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   おひさしぶりです 2005/02/19 11:17:04  
 
                      みっちゃん

 
  中1の2学期から不登校の娘も今、中3.
今年度は2回しか学校に行ってませんが、
大宮中央高校の通信制に進学することにしました。
明日の午後、英検の3級の2次試験を受けに行きます。
午前中は願書の提出に行きます。
昨年の9月から、英会話をやりたいという娘の気持ちを尊重して
ジオスに通い始めました。
けっこう前向きになりましたが、まだ、心療内科に通院しています。

校長裁量でとは言うものの、卒業出来ることは
うれしいけれど、3年間で習得すべき学力がないことを
本人は気にしています。

来なかった君が悪いと言われればそれまでですが
学校側も努力すべきことはあったんじゃないかと
思ったり。

家庭訪問だって、春にみんなと一緒のがあったきり。
生徒の気持ちを尊重してっていうけれど
何か間違ってるような気がします。

 
  
元の文章を引用する
 

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   前向きになったのですね 2005/02/20 17:54:21  
 
                     
                              http://www.ed-cou.com大関直隆

 
  お久しぶりです。
前向きになれたというのは、とても良かったですね。少しずつでも社会との接点が広がって、楽しい高校生活が送れるといいのですが…。
いろいろなお子さんがいて、いろいろな対応が必要なのだということを、
学校にはもう少しわかってもらいたいですね。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第146回】「男の子もいるのになぜ子女なの?」

毎週木曜日は朝からカルチャーセンターの講師をする日。午前中は春日部、午後は越谷のカルチャーセンターで陶芸を教えています。会社の事務を私がほとんど一人でやっているので、カルチャーセンターで丸一日時間を取られてしまうのはちょっとつらいんだけれど、浦和から春日部、春日部から越谷、越谷から浦和という通勤の時間は、私にとって重要な情報収集の時間になっています。

なーんちゃって!
何が情報収集の手段かっていうと、テレビとラジオなんだから大したことはない。去年まで乗っていた車はテレビなし。ラジオだけだったんだけれど、約20万㎞乗った末(よくここまで乗ったよね。こんなに乗ったの初めて!)買い換えて、今度はナビつきのになりました。ナビにテレビも搭載されているので、私の情報源もラジオだけからラジオとテレビに増えたわけ。純正ナビの欠点(?)で、サイドブレーキをかけないと画像は見られないんだけれど、運転中でもとりあえず音だけは聞こえます。

曜日と時間がほぼ決まっているので、いつも情報収集の番組は同じ。朝はやっぱりニュースやワイドショー系の番組、帰りはラジオの情報番組。お昼はっていうと、そりゃーもう「笑っていいとも」。
カハハッ、“それが情報源かよ!”って感じだよね。ちょっと恥ずかしい…
というわけで、先週の話。

木曜日は視聴者から寄せられた疑問に答えるコーナーがある(なんていうコーナーだったっけ? ちっともそういうところは聞いてないらしくて全然思い出せない。いかにもバラエティらしく、出演者が質問に対するプレゼンやったり趣向を凝らしている)んだけど、先週「“帰国子女”っていうときの“子女”っていう言葉はどうして“子”と“女”で“男”と“女”ではないのか」(ちょっと言葉が違うかもしれないけれど、だいたいそんなような内容)という質問が寄せられました。

回答は文部科学省からもらったということで、「“子女”の“子”が“男の子”という意味で、“子女”で“男子と女子”という意味です」という回答でした。私はここでタモリ(敬称を付けようか迷ったけど、ちょっと失礼して)が、「じゃあ、なんで女子は女っていう文字を使うのに男子は男っていう文字を使わないのか」って突っ込むのかなあと思ったんだけれど、時間が押していたのかフジテレビの意向なのか「ああ、そうなんだあ」で終わってしまったので、ちょっとがっかり。

広辞苑によると「子(し)」は、①こども。特に、むすこ。②男子の敬称。③日本で、女の名に添える語。(光明子・式子内親王)。大辞林によると①こ。こども。②独自の思想・理論をもって一家をなした人。(ともに後略)
大辞林にも接尾語として「読書子」とか「編集子」とかいう場合には「そのことをもっぱら行う男子の意味を表す」とあります。

確かに“男”という意味がないわけじゃないけれど、“女”っていうのに対して“子”が単純に“男”っていうのは無理があるような気がする。素直に考えればやはり“男女”の方がいいんじゃないのっていう感じ。“子”って言葉には“むすこ”っていう意味がないわけではないけれど、やはり素直に考えれば“子”は“子ども”かな? だとすると”男の子が子ども“で“女の子は子どもではない”っていう意味を含んでいる。要するに女は家を継ぐ“子”ではないわけだよね。「子女」っていう言葉がいつできたか、もっと掘り下げて行かなくちゃいけないんだろうけれど、どう考えても、女性を蔑視しているとしか思えない。文化を継承することも大切だけれど、一部の人間にとって都合のいい文化だけが残っていくとしたら問題だよね。

たかが言葉ぐらいでがたがた言いたくないけれど、女性ばかりしかいないPTAで女性の権利が認められていなかったときの「父兄」はやっぱりおかしい。学校の公文書は「保護者」で統一されているのに、未だに(というより以前より最近の方が)先生方の多くが母親に向かって「ご父兄」って言ってる。いくら一般化している言葉だからといって、「父兄」っていう言葉には母親っていう意味が入っているって考えるのは、ちょっと無理がない? 相当言葉が乱れてる。漢字の意味をそこまで壊しちゃうのが文化の継承なのかなあ? 「子女」の“子”には、“女”は入ってないんだもんね。なんだかちぐはぐだし…。

“矛盾した憲法”の改正論議は進んでいくことになりそうな気配だけれど、“矛盾した言葉”の改正論議ももっと真剣にした方がいいんじゃないの? 男女共同参画社会の実現にはかなり時間がかかりそうですね。


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月10日 (日)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第145回】「下の動物園 その2」

「そう言えば、今は“上野”動物園って言うけれど、小さいころ“上野の”動物園って言ってたよ」
「ふーん」
「それってさ、“上野にある”動物園だから、“上野の”動物園って言ってたんだろうけど、私の意識の中ではかなり大きくなるまで“上野の動物園”っていう名前だと思ってた。“上野動物園”っていう名前なんだってわかった時は、カルチャーショックだったよ。今考えると、母の実家に行った時、誰だったかに“上野の動物園にでも行ってくれば”って言われたのがきっかけで、そう言い出したように思うんだよね。母の実家は早稲田にあって、都内のそういうところを“××の動物園”とか“××の交通公園”とか言ってたんだよ」
「へええ。でもそれって、“××の”っていう助詞じゃなくて“血がが”の部類じゃないの?」
「?」
「ほら、子どもって“血”とか“蚊”とか一字の言葉をうまく理解できなくて、“血がが出た”とか“蚊にに刺された”とか言うでしょ」
「ああ、そうだね」
「だから、“上野の”っていうのもそういう類じゃないのって言ってるの」
「“上野の”っていうのはそんなに深い意味(?)があるわけじゃないよ。単純に上野にある動物園の名前が“上野の動物園”って思ってただけだよ。そういえば麻耶(まや)はずいぶん大きくなるまで“血がが出ちゃった”って言ってたね」
「真(まこと)と翔(かける)は“蚊にに”はあったけど、“血がが”はほとんどなかったよね」
「そうそう。麻耶はずいぶん長く“血がが”も“蚊にに”も直らなかったから、何度かよく教えてやったのに結局直らなくて、どこでどう気づいて直したのかわからないけど、自分で直すまで直らなかった」
「はははっ。結局自分で気づかないと直らないんだよね。その劇的な瞬間に立ち会ってみたいけど、どの子も知らないうちに直っちゃった!」
「まったく!」
「努は“血がが”と“蚊にに”だけじゃなくて、“うわら”と“くがまや”と“おつまり”っていうのもあった。“うわらからでんしゃでくがまやのおつまりにいく”(浦和から電車で熊谷のお祭りに行く)って言ってたからね」
「ああ、そうそうそうそう。なつかしいね。それってほんとにそれっぽいからおかしいよね。“うわら”も“くがまや”も“おつまり”も大人が会話の中で使ったら、けっこう気づかないかも…。“くがまや”なんて使ったら、聞いてる方が“あれっ?くがまやだったかな?くまがやだったかな?”ってなりそうだよね」
「ほんと、ほんと。あれも結局知らないうちに直っちゃったね。劇的瞬間には立ち会えなかったよ。熊谷の母がね、努に何度も“くがまやじゃなくてくまがや”って教えてたけど、なんか努は混乱するだけで、ちっとも直らなかった」
「子どもの成長過程ってあんまり無理に教えるんじゃなくて、待ってやることも大切だよね。“時”が解決することもいっぱいある。やっぱり自分で気づくっていうことがないとなかなか直らないもんね。自分自身が“その気になる”っていうことが重要なことだね」
「まあ、そういうことだね」


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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第144回】「下の動物園」

「もしもし、やっと車止められたよ。ぐるぐる回ったけど全然止められるとこなくて、結局鶯谷の駅の先まで来ちゃったよ。これから歩いて行くからもうちょっとかかるよ」
「大変だったね」
「ばかだよね。もうちょっと考えればよかった。お正月だもん、初詣の人もいるし、上野なんて混んでるに決まってるのに…」
「電車で来ればよかったね」
「そうだね。でもまあ、蓮(れん)と沙羅(さら)は車の方が楽だったんじゃないの。私だけちょっと歩けばいいんだから。しばらく歩いてなかったし、ちょうどいい運動だよ。今、どこら辺にいるの?」
「モノレールのとこ。これからイソップ橋渡って、山羊でも触らせてやろうかなと思ってさ」
「わかった。じゃあ、そばまで行ったらもう一度電話するよ」

お正月の上野はとても混んでいました。よく考えればわからないことじゃなかったのに、車で出慣れているので、つい車で上野まで来てしまってから大後悔。上野駅周辺の駐車場はどこも満車で長い列。1歳と3歳の孫を乗せたまま列に並ぶわけにも行かず、妻と孫を国立博物館の前で降ろして、私は駐車場を探しに上野駅周辺を一回り。鶯谷駅の近くにやっと空いている駐車場を見つけて止めました。寛永寺の境内を抜けて芸大の脇を通って、都美館(東京都美術館)の前へ。いやいや上野の広いこと広いこと。行けども行けどもなかなか動物園に着けません。やっとのことで入り口まで辿り着くとチケット売り場が長い列。
あああ~!

「今、入ったけど、どこにいるの?」
「今ねえ、キリンの前のレストランで食事させようとして、レストランに向かってるとこ」
「わかった。急いで行くよ」

私が入ったのは表門で東園の1番東側。キリンがいるのは西園。しかも1番西側ですから、動物園を縦断(横断?)しなくてはなりません。わかったとは言ったものの、
あああ~!
孫と一緒に動物園を楽しむのはなかなか大変。

レストランに着くと蓮と沙羅がちょうど外のショーウインドーを見ながら、何を食べようか選んでいるところ(そんなにしっかり選べるほどメニューはないけど)でした。ホットケーキとハヤシライスを食べることにして、中に入るとこれまた満席。食べ物の乗ったお盆を持ってキョロキョロと席を探している親子連れが何組かいます。私がオーダーに、妻が蓮と沙羅を連れて席を探すことに。
あまり待たずに座れたらしく、私がハヤシライスとホットケーキをお盆に乗せて運んでいくと妻と孫たちは中程の席に座っていました。
「今、大変だったんだよ。大人がみんな席の取りっこしてるから、ぎすぎすしててさ。隣のテーブルに座った人が椅子が足りなくてすごい形相で探してたから、どうぞってここのを回してあげたんだよ。そうしたらそれだけで、この辺の雰囲気がいっぺんに変わってさ。ほんのちょっとのことで楽しくなれるのに、なんで席なんか奪い合うようにしてぎすぎすしちゃうんだろうね」
「そうだよね。せっかく家族で動物園に来てるんだもんね」

食事がすんでから、キリンを見て、サイを見て…。西園を一回りして、帰ることになりました。
「帰りはモノレールに乗せてやろうか?」
「そうだね」
「ここは上野動物園でしょ。今いたのが西園で、サル山の方が東園だよね。小さいころね、東園が上の動物園で、西園は下の動物園だと思ってた。“下の動物園に行こう”って言って笑われたことあるんだよ。なんで笑われてるんだか全然わかんなかった。そうそう、コタツに“強”と“弱”があるでしょ。あれもね、“熱いから“きょう”じゃなくて“あした”にしてって言ってすごく笑われたことがあった」
「あなたっておかしいね」
「そうかなあ? みんなそう思わないの?」

つづく

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第143回】「学習障害と注意欠陥・多動性障害 その2」

ほぼ毎日、学校には行くけれど授業には出ないということの繰り返し。学校に行けない不登校などとは違い、学校からのプレッシャーを感じているわけではないことは話の節々からわかります。なんとこの中学校には同じような生徒が20数名いるとか。1学年が200数十名の学校ですから、まさに約10%がアスペルガー症候群や注意欠陥・多動性障害ということになる。

「いつも帰りが遅いんですよ。一度学校から戻って来るんですけど、“何か食べるんだからお金”って言って、お金を持ってはまた出ていくんです。休みの前の日は帰ってこないこともあります。“どこへ行ってたの?”って聞くと“友達の家”って言うんです」
「夜遅くまでどこにいるんですかねえ?」
「塾のある日はとりあえず塾には行っています。塾の後とかそれ以外の日は学校の隣の公園で友だちと話をしていたり、ゲームセンターに行ったりするみたいです」
「学校の隣の公園ですか?」
「ええ。早い時間は校門のあたりをウロウロしてることもあります」
「じゃあ、学校が嫌なわけじゃないですよねえ?」
「はい。“学校が面白くない”とは言いますけど、“嫌”とは言わないですね」
「そんな風だとすると、友だちもけっこういるわけでしょ?」
「そうですね。そういう種類の子たちばっかりですけど、何人もいて、それなりに仲良くやってるみたいです」
「そうだとすると、“病気”とか“障害”とか言うことじゃなくて、ただの“非行”ですよね」
「ええ。私はそう思うんですけど…」

校外学習を翌日に控えたある日、お母さんは学校から呼び出されました。とても不安だし、どう対応していいかわからないということなので、電話で学校とも話をして、学校とお母さんとの面談に同席することになりました。
教頭先生と担任の先生から、授業中に席に着かずにウロウロしていること、ときに教室を抜け出して近くのコンビニまで買い物に行ったりしていること、他学年の生徒と危うく喧嘩になりそうになったこと、それを止めようとした先生の胸ぐらをつかんだこと等、アスペルガー症候群または注意欠陥・多動性障害と思われるので、学校としてはこれ以上の対処のしようもなく、病院にかかるなり今日のようにカウンセラーに相談するなりしてほしいとまくし立てるように言われました。

「最近のお子さんの学校での様子はだいたいおわかりいただけたと思います。今日お越しいただいたのは、明日の校外学習の件なんですが、現在のお子さんの様子からしますと何が起こってもおかしくない状況なんです。明日は5、6名の班行動ですので、担任がついているわけにもいきませんし…」
「何かあっても学校としては責任が負えないということですか?」
「ええ、まあ。こちらとしては、“行かせないでください”とは言えないんですが、“ご家庭で判断してください”ということです。他にも数人いるんですが、ご家庭で“行かせない”と判断したお宅もありますし、本人が“行かない”と決めた子もあります」
「それじゃあ、学校として“行かせるな”って言ってるわけでしょ?」
「まあ、こちらとしては“行かせるな”とは言えませんから」
「“行かせるな”って言ってるじゃないですか!」

さすがにこの学校の対応にはびっくりしました。約2時間におよぶ学校との話し合いの中で、各教科担任の子どもたちへの対応の悪さ、学年を構成する教師集団のちぐはぐさ等、多くの点で学校の対応に反省すべき点があることを学校も認め、結局全員校外学習に参加させることになりました。

最近の義務教育における子どもたちへの対応は、とても投げやりに感じます。病気や障害を理由に学校としての責任を回避したり、問題が起こるとすぐ警察の力を借りたり…。それを必ずしも間違っているとは言わないけれど、「“集中し続けることが難しい”など、文科相の調査とほぼ同じ約75項目について、担任が3~4段階で点数化し、判定した」などというような、判定することによって責任を回避できる当事者が判定したことにより行政が進んでいくとしたら、こんなばかげたことはありません。
しかも、この判定によって教員数が増員されることもあり得るわけです。充分な教育環境を確保するために教員を増員することには賛成です。けれどもそれが学校の責任を回避するための安易な判定によって、子どもたちに病気や障害のレッテルを貼ることによって実現するのなら、到底受け入れることはできません。
全国平均を大きく上回った調査結果に、「アスペルガー症候群や注意欠陥・多動性障害についての理解が進んだ」なんて言っている人もいるようですが、どうも埼玉県の教育行政は学校という組織に甘くて、子どもたちに厳しいんじゃないか、そんな気がしてなりません。

校外学習に参加した生徒たちは、もちろんまったく何事もなく帰ってきました。


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第142回】「学習障害と注意欠陥・多動性障害」

「県内の小中学校の通常学級に在籍する児童生徒のうち、学習障害(LD)や注意欠陥・多動性障害(ADHD)の可能性があるなど、特別な教育的支援が必要な児童らの割合は10.5%にのぼることが、県教育委員会の調査でわかった。02年に文科省が実施した全国調査の6.3%、03年度に東京都が独自に実施した4.4%を大きく上回っている」(朝日新聞埼玉版)という記事が1月8日掲載されました。

けれども10.5%なんていう数字はにわかに信じがたい。
「調査は、県内すべての公立小・中学校から全児童生徒の32%にあたる18万6180人に実施した。“集中し続けることが難しい”など、文科相の調査とほぼ同じ約75項目について、担任が3~4段階で点数化し、判定した」そうだ。

この数字を信じるとすると、40人学級だとして各クラス4人程度のLDやADHDがいることになります。多いような少ないような微妙な数字だけれど、1学年4クラスだとして学年に16~7人程度。“う~ん”っていう感じ。

調査の結果「知的発達に遅れはないものの学習面や行動で著しい困難があるとされた児童生徒の割合は10.5%だった。特に、じっとしていられないなどの多動性、衝動性については、文科相調査の約2.3倍にあたる5.7%にのぼった。“聞く、話す、読む、書くなどのいずれか複数で困難”な児童生徒は7.2%。対人関係などが著しいとされたのは1.4%だった」んだそうです。

ここまでくると“な~るほど”って感じ。
最近の子どもたちの様子を語るときに、「わがままで、自分勝手」とか「協調性がない」とかいうような言い方をしますよね。「子どもは1人」なんて決めている夫婦があったり、ゲーム機の普及で遊びの形態が変わったりで、家庭の中でコミュニケーションをとる機会が少なくなっているので、無理もないかなと思います。そう考えると、対人関係が上手くとれない児童生徒が多そうな気がするのにそれは1.4%しかない。

昨年の秋、中学校から「お宅のお子さんは、アスペルガー症候群(大まかな言い方をすると軽度の自閉症)か注意欠陥・多動性障害と思われます。学校では手に負えないので、別な機関での対処をお願いします」と宣告されたというお母さんが相談に見えました。はじめは、それなりの障害があるものと思って話を聞いていたのですが、なんとなく話がおかしい。授業中、席に着いていられず教室内をウロウロしたり、教室を出て行ったりしてしまうということなので、私が頭に描いたのは、非常に落ち着きがなく、ぶつぶつ独り言を言ったり、いつも何かをいじっていたり、辺りをきょろきょろ見回してしまうようなそんなイメージでした。当然、人とのコミュニケーションが上手くとれない子を想像します。ところがどうもそういう風ではない。授業はきちんと受けられないのだけれど、友だちも多くて仲がいい。

あとでわかったことですが、現在中学3年生のこの男の子は、1年生のころ偏差値が70くらいあり、現在の偏差値は50台半ばくらいだということでした。
お母さんは「絶対来ないと思う」と言っていたのですが、お母さんとの数回の面談のあと息子さんと直接会うことができました。

どこか話がおかしいと思いながらも、先入観というのは恐ろしいもので、一度“アスペルガー”とか“注意欠陥・多動性障害”という言葉を聞いてしまうと、当然落ち着きがないものとして見てしまいます。私の部屋のソファーに座っても、常に頭はフラフラ、手はもじもじ。「なるほど、こういうことか」とつい納得したりして。
ところが10分もしないうちにぽつりぽつりと話を始めると、とてもしっかりしているではないですか。

「授業、全然面白くないじゃん。あんなの聞いてらんねえよ。教員なんてみんなやる気ないから。特に英語の教員なんて顔も上げないで、ボソボソ言うだけ。何にも聞こえねえし、あんなんじゃあ教室にいても意味ないから、外行くんだよ」
「出ていこうとしても止めないの?」
「“どこ行くんだ?”て一度は言うけど、それだけ。本気じゃないんだ。そのあとは何も言われないよ」
「ふーん」

つづく

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第141回】「世界中のお父さんが苦労してるだろうね」

クリスマス
「キャストはどうする?」
「えっ!? 今年もやるの?」
「そりゃそうだよ」
「だったら翔(かける)がやるしかないよ」
「そうだよね」
「ところで、まだあの服あるの?」
「ちゃんとしまってあるよ」

24年前、中華料理屋さんが廃業したとき、お店で使っていたいろいろなものを引き取ったことがありました。その中に入っていたのがサンタの衣装。子どもの成長とともに、そのサンタの衣装が大活躍。最初は真(まこと)と麻耶(まや)が幼稚園のころ。そして翔が幼稚園のころ。
真っ暗にした部屋の中で子どもたちが布団にもぐっていると、どこからともなく鈴の音が聞こえてきます。枕元に近づいたサンタクロースは、そっとプレゼントを置くと再び鈴の音を鳴らしながら去っていきます。サンタクロースが私だっていうことがわかりそうになるとキャストが替わります。努(つとむ)がやったこともありました。プレゼントをもらう側だった真がやったこともありました。
このサンタクロースは小さなものから大きなものまでいろいろな物を運びました。自転車を運んできたときはサンタクロースの方が大騒ぎ。
「ちゃんと通れるように、ここはあけとかなくちゃだめだよ」
と、ほんの一瞬のことのために、家中の物を大移動したことも。
私の演技が上手かったのか、うちの子どもたちはすっかりサンタクロースの存在を信じてしまったらしく、小学校に上がったあとに「サンタクロースってほんとにいるんだよね」と言われたときはさすがに「ちょっとやり過ぎたかな」って反省したりして…。
そしてとうとう今年は代替わり。翔サンタの登場です。翔サンタが孫の蓮(れん)と沙羅(さら)のところにプレゼントを持ってくることに。
24日は麻耶が朝から蓮、沙羅を連れてプレゼントを買いに行きました。
「ここのお店の店員さんからサンタさんに伝えてもらおうね」
とかなんとか言って、品物をお店に取り置きしてもらったとか。それをあとからおじいさんとおばあさんが取りに行って、そして翔がサンタクロースになるんだから大変です。まったくよくやるよって感じ。
蓮くんと沙羅ちゃんが布団に入ってじっとしていると、
「メリークリスマス!」
とサンタさんがやってきました。
「あっ、かっくんがサンタさんやってる!」
といきなり蓮に叫ばれる始末。まったく何やってんだよ! メチャメチャ演技が下手!
翔は慌てて自分の部屋の布団に潜り込みました。
「そうかなあ? かっくんは部屋で寝てるよ」
翔の部屋まで行って寝たふりをした翔を見た蓮は、ちょっと奇妙な顔をしました。しばらくして、翔がリビングまでやってくると、蓮が翔に向かって、
「サンタさんが来たんだよ」
ちょっと胸をなで下ろして、蓮はあと何年そう思っているのかなあ? いくつになってもそういう気持ちを忘れないでいるといいんだけどね。
サンタクロースを必死で演じた翔は、
「世界中のお父さんが苦労してるだろうね」
と一言。
世界中のお父さんがそう思っていてくれるような、そんな世の中ならいいんだけどね。

お正月
「今年は忙しくておせち料理作れなかったね」
と言うと、孫の蓮が会話に割り込んで、
「蓮くん、たこ作る」
「?」
酢だこを頭に浮かべちゃった私は一瞬何のことか理解できませんでした。
“凧”を“蛸”と思っちゃうようじゃ、ちょっと寂しいね。
凧を作るのはけっこう大変なので、熊谷にある妻の実家に新年の挨拶に行ったとき、蓮に凧を買って帰ってやろうと思いました。実家のすぐ前にある小さなスーパーで、
「凧ありますか?」と聞くと
「置いてないんですよ。今は凧揚げする子いないんじゃないですかねえ」
「そうですよね、場所ないですもんね」
「この辺は荒川の土手に行けば揚げられるんですよ。でも最近の子どもたちはTVゲームじゃないですか」
ああ、そういうことか。うちの近所の様子しか頭に浮かばなかった私は、どうやらとんちんかんなことを言っちゃったみたい。
とりあえずコンビニで洋凧を買って帰ってやったけど、うちの周りに土手はなく、やっぱり凧は揚げられませんでした。
凧を作ろうっていう孫の気持ちに充分に応えてあげられなかったかな? 今度はコンビニの凧じゃなくて、なんとか時間を作って手作りの凧を揚げに土手まで連れって行ってやろうかな…

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月 9日 (土)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第140回】「ゆとり教育の転換」

世界の中学2年生と小学4年生を対象に国際教育到達度評価学会(IEA)が昨年実施した学力調査の結果が15日付で公表されました。中学2年生の数学は前回(1999年調査)と同じ5位、理科は4位から6位、小学4年生の算数は前回(95年調査)と同じ3位、理科は2位から3位に下がりました。7日には高校1年生を対象とする「総合読解力」「科学的応用力」「数学的応用力」の三分野と「問題解決能力」の学習到達度調査の結果がOECDから発表になったばかりで、この調査でも「科学的応用力」は前回と同じく2位を維持したものの、「総合読解力」が8位から14位、「数学的応用力」は1位から6位に下がっていました。今回から加わった「問題解決能力」は4位でした。
マスコミは、「学力が低下した」と大きく扱い、中山成彬文部科学相「二つの調査結果を見ると我が国の子どもの成績には低下傾向が見られる。世界トップレベルとは言えない」とコメントし、「ゆとり教育の転換」を示唆しました。

順位というのは目で見るものではないけれど、とってもビジュアル的でわかりやすいので、センセーショナルに扱われがちですが、よーく見てみるとIEAの調査は中学2年生は46カ国・地域の参加で理科が4位から6位に下がっただけ、小学4年生は25カ国・地域の参加で理科が2位から3位に下がっただけ。まあ、細かい点数まで見ると確かに低下傾向にあることは間違いないんだけれど、「順位について大騒ぎ」して「授業時数の減少」が原因なんて簡単に断じてしまうのはあまりにも浅はかだし、以前にも述べたように学校での授業時数は減っているとはいえ、小学校高学年からの“塾通い”が当たり前になってきているわけだから、もう少し子どもの生活をきちっと把握した上でものを言った方がいいんじゃないかという気がします。
どちらかと言えば問題なのは、OECDの調査の方で、高校生の学力低下はかなり著しい。これはおそらく授業時数の減少が原因というよりは、入試制度に起因する方が大きいんじゃないか…。私の子どもを含め、最近関わりのある中・高生を見ていると少子化の影響で、勉強しなくてもとりあえず入れる高校はあるという意識に加え、個別相談でかなり早い段階から私立高校が合否を本人に伝えるので、合格の確約をもらった生徒は受験に向けての努力をしなくなっている。こういったことは授業時数の減少とはまったく関係がありません。要するに時間の問題ではなく、意欲の問題なわけだから。
一部報道はされましたが、同時に実施された意識調査はあまり注目されませんでした。私は順位云々よりもこちらの方が問題が深刻だと感じました。日本の中学2年生はテレビ・ビデオの平均視聴時間が2.7時間で最長、小学4年生でも2.0時間で米国の2.1時間に次いで2位(これはビデオ・テレビの普及率と密接に関わりがあるので、この数字だけを大きく問題にするわけにはいきませんが)、さらに「理数の勉強が楽しい」と答えた生徒の割合は全体でワースト2~4位。
こういう数字を見ると勉強に対する興味の無さが浮き彫りになります。教育改革でいつも話題になるのは「授業時数」と「指導要領」。けれども、本当に重要なのは「授業時数」でも「指導要領」でもなく、「どう教えるか」。学力を上げることが目的とは言わないけれど、「どう教えるか」ということを抜きにして学力低下を語れるわけがない。
授業参観に行っていつも驚かされるのは授業の質。中学校の地理の授業で“ヨーロッパのオーストリア”を教えるのに「南半球にあってカンガルーがいる国と名前の似た国」じゃあね。オーストリアのことを教えてるはずなのに、教えているのはオーストラリアのこと。こんなこと何時間やっても、何の意味も持たないよね。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」】第139回「子どもに伝えたいこと」

“シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャン”
「よっ!」
“シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャン”
「もいっちょっ!」
“シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャン”
「ありがとうございました。来年も商売繁盛いたしますように!」

今日は調神社の「十二日市(じゅうにんちまち)」。熊手を売るお兄さんの威勢のいい声があたりに響きます。午後6時くらいに出かけたら、神社の一番東側に設けられる熊手を売っている通路は、いつもより少なめな人出。久しぶりの日曜の市とあって、どうやら人出が昼と夜に分散したようです。
わが家では、毎年十二日市で鯉を買います。水槽で泳いでいる太って脂ののっていそうな鯉を選ぶとその場でさばいてくれます。鯉の腹から取り出した肝はお猪口に入れ、お酒と一緒にゴックン。いつも三枚におろしてもらって、家に戻ってから“身は洗い”、“あらは鯉こく”にして食べます。
なんでこんなことが毎年の行事みたいになっているのかなあと考えると、私が子どものころ祖母や父が鯉をさばいていたのが、私の意識の中で鮮明な記憶として残っているからかなあ? とっても大事なことのように…

「あれっ、おじさん。今日、鯉いないの?」
毎年、同じ場所で鯉を売っているおじさんがいるのですが、今年は鯉が見あたりません。「悪いねえ、社長。今年は日曜日だったんで、昼間から売れちゃって、もう売り切れちゃったよ」
「えーっ! 毎年必ず買ってるのに…」
「一人で25匹買ってくれた料理屋の人がいたかんねぇ。さばくの大変だったんだ」
「へーっ、そうなんだ。楽しみにしてたんだけどなあ。でもよかったね、そんなに売れたんじゃ」
「15日は川口。17日は蕨だよ。そっちへ来てよ」
「そうだね。蕨だったら自宅のそばだし」
仕事が忙しいので蕨神社の酉の市に行くわけにはいかないんだけれど、そんな会話を楽しんで鯉のいない鯉屋さんをあとにしました。

「いつもの“じゃがバター”のおじさん来てるかなあ?」
今度は毎年買っているじゃがバターの店へ。
「おじさーん!」
「おー、久しぶり!」
「去年忙しくてさあ、来られなかったんだよねぇ。だから1年空いちゃった」
「2年だよ。一昨年も来なかっただろっ?」
「あれっ、そうだっけ? よく覚えてんねえ」
「覚えてるさあ」

毎年、熊手やかっこめを買っているわけではないので、特別行く必要があるわけではないけれど、子どものころからの年中行事みたいになっていて、よほどのことがない限り酉の市に出かけます。大宮の氷川神社、浦和の調神社、蕨の蕨神社と3カ所行ったことも。
何を伝えるというわけでもなく子どもに見せて、今では孫に見せて。
でも、そんな中に日本の文化があり、お正月を迎える心があるのかなあ…。
友だちと行って帰ってきた翔(かける)は帰ってくるなり、
「じゃがバターのおじさん、今年もいたね」
酉の市でしか会うことのない、たったそれだけの関係のおじさんなのに、そのおじさんに会うことが、わが家にとって今年も一年間無事に過ごせた証のようになっている。子どもに何を伝えるっていうわけではないけれど、そんな中から人と人とが交わること、一年間一生懸命に生きること、平和を守り続けること、きっと子どもたちはそんなことを学んでいるんだろうと思います。

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第138回】「雷さまの作ったかき氷」

「赤ちゃんてどこから生まれてくるの?」という子どもの問いに、真正面から答えず、「ここが割れて生まれてくるんだよ」と盲腸の傷痕を見せて答えたり、「コウノトリが運んでくるの」とか答えたりしてる人はいない?
まさか「橋の下から拾ってくるんだよ」なんて答えちゃう人はいないだろね?
妻の担任してた生徒に、高校1年生まで「盲腸の傷痕から生まれてくる」って思ってた生徒がいたっていうからビックリしちゃった。
冗談みたいな話だけれど、嘘じゃないらしくて、小学生のころにお母さんから聞いた話を信じてたらしいよ。やっぱり嘘はまずいね。心から大人を信用できなくなっちゃう。
子どもって、別に深い意味を持って聞いてるわけじゃなくて、ただ単にどこから生まれてくるんだろうって思ってるだけなんだよね。だからごまかさずに真っ直ぐ答えた方がいい。性交と結びつけて考えるようになるのは第二次性徴のころから。もし、小さいころからそんなニュアンスで質問をしてきたとしたら、そりゃあ「親の教育が悪かった」って反省した方がいいかもね。

先日、福島の二岐(ふたまた)温泉に行ってきました。いろいろな経緯(とってもややこしいのでここでは省略)で、私の両親と私と妻、それに孫の蓮(れん)と沙羅(さら)の5人という変(?)な組み合わせ。
沙羅(1歳9ヶ月)はもちろんのこと、蓮(3歳4ヶ月)もまだ一人で何でもできるという年齢ではないので、いやいや大変大変。行きの高速道のサービスエリアでの食事から大騒動。わがままを言うわけではなく、いい子はいい子なんだけれど、とにかく手がかかる。食べさせようとすれば一人で食べたがる、一人で食べさせればそこら中めちゃくちゃで洋服もダラダラ。
「子育てってこんなに大変だったっけ?」と今までやってきたことなのに今さらながらの感慨(?)にひたりながら、「やっぱり子育ては若いうちに限る」なんて考えちゃったりして…。これで本当に無事一泊してこられるのかなあ???
旅館に着くと蓮も沙羅も大興奮。こわーいママはいないし、優しいじじ・ばばにひいじいちゃん、ひいばあちゃんまでいるわけだから当たり前。もちろん他人に迷惑がかかるようなところでは大騒ぎをするような子たちではないんだけれど、部屋の中では大運動会を繰り広げることに。
それだけならまだしも、もっとたちが悪いのは私のおやじ。旅館に着いた途端に「酒持ってこい」状態。私は全然飲まないのにまったくこのおやじはアル中だよ!
結局、食事になる前に部屋で4合、食事のときに3合飲んじゃってべろんべろん。
孫はチョロチョロ、おやじはべろんべろんで、ゆっくり食事どころじゃない。
ああ、なんということか! 
とにかく部屋を2部屋にしといてよかったよ。

なんとかおやじとおふくろを隣の部屋に押し込んで、ホッとしたのもつかの間、またまた蓮くんと沙羅ちゃんが大暴れ。昼寝をほとんどしていなかったので、すぐおとなしく寝てくれるという予定だったのにとんでもない。布団の周りをぐるぐると走り回る、ちょっと目を離すと冷蔵庫の中の飲み物を全部廊下に並べちゃう。ついに私と妻はダウン。どうやら最後に残ったのは沙羅らしく、気がついてみると沙羅は変なところで寝ていました。
翌朝。
妻が外を指さして騒いで(無言で)います。
「ああ、雪だあ!」
外はすごい雪です。降り始めてそれほどの時間ではなさそうなのに10㎝近く積もっているでしょうか。外を眺めていると蓮も目を覚ましました。外の様子に気づいた蓮は、目をまん丸くして、
「あーっ!」
と声ともつかないような声を発して、じーっと外を眺めています。蓮は雪をまったく見たことがないわけではありませんが、今まで蓮が見た雪は、自宅の近くに降ったほんのわずかな雪。それも果たして記憶にあるかどうか…。
「蓮くん、露天風呂行こうか?」
「うん!」
と露天風呂に行くことに。
 露天風呂は、坂を下って渓流のすぐ脇にあります。とにかく寒いのなんのって。慌てて湯船に浸かり、蓮と二人で雪だるまを作りました。
「雪って冷たいでしょ。でも、お湯の中にはいるとすぐ溶けちゃうんだよ」
「ほんとだ! 雪ってなんでできてるの?」
「雪ってねえ、かき氷なんだよ。ほらっ、食べてごらん」
積もったばかりのきれいな雪を蓮の口の中に入れてやると、
「わーっ、かき氷だ!」
「きっとお空の上で、雷さまがかき氷をいっぱい作ってるんだよ」
蓮は、空から降ってきたかき氷をいっぱい食べました。
「そろそろ朝ご飯だから出ようか?」
「蓮くん、朝ご飯食べないよ。かき氷でお腹いっぱいだもん!」
露天風呂から出てから妻に、
「“かき氷”って言っちゃったのまずかったかなあ? 素材としては嘘じゃないんだけど本当にかき氷なわけじゃないもんね。嘘ついちゃったみたいで…」と言うと、
「“雷さまが作ったかき氷”って確かに嘘だけど、でもそれって嘘じゃなくて夢を与えたんじゃないの?」
「なるほど。それならいいんだけどさ。ちょっと考えちゃった」

家に帰ってくると、食器棚の上に乗っているウルトラマンのかき氷器を見つけて、
「じいちゃん、かき氷作って食べよっ!」という毎日が続いています。
参ったなあ! あんなこと言わなきゃよかった…

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第137回】 「今どきの若い子の国語力」

 今どきの若い子の国語力(日本語力)が相当落ちてるんだって。以前の学生は約3万語の語彙があったらしいけれど、最近は2万語くらいとか(あまり確かな数字じゃないかも…。ちょっとラジオで言ってただけだから)。
う~ん、なるほど。数字で言われるとわかりやすい!
“若者の国語力のなさを感じたことがありますか? ”(ちょっとよく覚えてないので間違っているかも…。だいたい内容はそんな感じだった)というテーマで聴取者からの電話とFAXを受け付けていました。
う~ん、そう言われてみるとそんな感じはわかる。でも、最近カウンセリングに来るちょー若い女の子(まあ、女子高生だけど)たちと話をしていると、あんまり違和感がなくて普通に話ができちゃう。それってもしかすると、私も国語力が落ちてる仲間ってこと?
ダーッ! そうかもしれなーい!
だいたいいつもちょー少ない語彙でこんな文章書いて(打って)るわけだから、当たってるかも? ちょーヤバッ! どうしよっ?!
やっぱ勉強、勉強! それっきゃない!
恥ずかしいことだけれど、この程度の文章を書くにも最近は辞書なしじゃあ書けないんだよね。“漢字は出てこない、意味はよくわからない”っていうわけで、絶対辞書は離せない。もちろんPCで打ってるんだから、漢字は変換されちゃうんだよ。それでも辞書引いてるんだからね。
あ~あ、情けない…。
私の国語力ってその程度のことか…。
そうそうそうそう、そう言えば、そんな私も今どきの若い子の国語力のなさを感じたことがありました。
うちのペットショップのスタッフに、“給料を振り込むので銀行口座を知らせてください”って言ったときのこと。
店の前に出すブラックボードには、なかなかのセンスでとっても上手に書いてくれるスタッフなんですが、
「ねえねえ、“ぎんこう”の“ぎん”の字って、どういう字だっけ? “食へん”だっけ?」と他のスタッフに尋ねているじゃないですか。まさかと思ったけど、本当だったので唖然としました。
いやいやもちろんこの程度の問題は“今どきの若い子”の問題じゃなくて、その子の個人的な漢字力の問題なんだと言ってしまえばそれまでだけれど、ブラックボードにはとてもうまくメッセージを書いているところをみると単純に“漢字が書けない”というふうには片づけられない。もちろんブラックボードに書いているお客様向けのメッセージにも漢字は含まれているわけだから、まんざら書けないわけでもない。文章だって私にはないようなセンスを持っているし、
「おーっ、こういうことうまいじゃん!」
というくらいには、立派なメッセージを書いてくれているのです。どうしても“ぎんこう”の“ぎん”の字がわからないなんて信じられない。いろいろ話をしてみると、どうやら自分たちが普段使っている言葉や文字はわかるけれど、それ以外はわからないということらしい。
“なーるほど”と納得はしたものの、「もうちょっとなんとかならないの?」っていう感じ。

今どきの若い子の国語力が落ちているのにはいろいろ理由はあると思うけれど、よく言われるのは希薄になった子どもたちの人間関係と言葉の乱れ。教育現場では“日記を書け”とか“本を読め”とか言うけれど、本当にそういう問題かな?
教育現場でどういうことが起こっているか、知ってる?
英語教育の重要性が叫ばれて、ずいぶん英語の時間は増えたよね。もちろん国際化ということから考えれば当然のことかもしれないけれど、中学・高校で英語に力を入れているのは受験のため。教育現場には、文系よりも理系の方が優秀という意識があるから、当然のように理系に力が注がれる。なんと受験を乗り切るために高校2年生から国語は無しなんていうのも当たり前。実際、大学受験に国語が必要なところは何割くらいあるの?っていう感じ。こんなことで、今どきの若い子の国語力についてとやかく言える大人はいるの?若い子を責める前に、国語の重要性を考えなくてはいけないのは、大人たちなんじゃないのかな?

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー 第136回】「親子の関係」

 皇太子妃雅子さまの祖母、江頭寿々子さんが亡くなったという報道がありました。新聞には、雅子さまが愛子さまを連れ、お母さまとの間であいさつをかわしている写真が載り、テレビでは、その場面の映像が流れました。なかなか御公務に復帰できない雅子さまですが、「こういう報道に耐えられる程度にはご回復なされたんだなあ」とご不幸のときではありますけれど、ちょっと暖かいものを感じました。
この時の写真や映像を見て強く印象に残ったのは、雅子さまのお母さまが雅子さまと愛子さまに深々と頭を下げるご様子です。
「おい、おふくろ!」とか
「くそばばあ!」とか
「おまえなんか、死んじまえ!」なんてやっている“われわれ平民”とは大違い。
”親子や孫の関係であんな風にしていなくてはならないのはなんなんだろう?”とちょっとお気の毒に映ったりもして…。もっとも、もし雅子さまが皇太子さまとご結婚なさらなかったとしても、まさか「くそばばあ!」なんて言ってたとは思えないけどね。
紀宮さまのご結婚が決まり、間もなく紀宮さまは平民に。結婚前と結婚後で一人の人間の中身が大きく変わってしまうなんていうことはないのに、平民から皇族へ、皇族から平民へとの変化は大きく人の人生を変えてしまいますね。
平民になったからって、まさか紀宮さまが自分の子どもから
「くそばばあ!」なんて言われる日がくるなんていうことは雅子さま同様、ありえないんだろうけど。

さて、親子関係の築き方ってとっても難しいよね。いろいろなことが原因で子どもが危機に瀕したときはなおさら。話を聞いてみると“そこはこう対応すべき”って思う場面がよくあるんだけれど、お父さんもお母さんも、なかなかそう対応しきれない。特に学校が絡んでいる場合は“学校に××って言ったら、××っていう答えが返ってきたのでもう学校には期待しません”ってなっちゃう。
例えばいじめに対する学校の対応が悪いとき(そもそも学校の子どもたちに対する対応が悪いからいじめが起こっているわけで)、“何を言ってもろくな答えが返ってこないので学校には期待しません”ってなっちゃうと、お父さんとお母さんはそれ以上学校と付き合わなくてもすむわけだけれど、子どもはその後も学校に通わなければならないわけだから、子どもはいじめを受けてる環境から逃れられないことになっちゃう。
こういう対応はとっても悪くて、下手をするともっとひどいいじめにも繋がりかねない。それを嫌うお父さんお母さんは、“だからあまり波風立たないように先生に対する攻撃はしないで、軽くいじめがあった事実だけをお話ししてきました”となる。それで学校がきちっとした対応を取れるのならいいけれど、そもそもいじめが起こっちゃうような対応をしている学校なんだから、それですむはずがない。
やはり親がとらなければならない態度は、学校が“いじめが完全になくなるような対応をとってくれるまでは絶対に引かないこと”。ところがこれができる両親はほとんどいない。これは学校に対する対応だけに言えることじゃなくて、子どもに対する対応にも言えることで、こういう両親は概して子どもに対しても同じような甘さがある。“厳しい”っていうことの中身の難しさはあるけれど、やはり子どもに対する厳しさは必要だよね。
“厳しさ”の中身については、また後日。

うちのクライアントの女子高生がお父さんに向かって、「他界しろ!」って言ったそうだけれど(“死ね”じゃないところがこの子のすごさなんだけれど)、愛子さまが皇太子さまにそんな言葉をお吐きになったら、果たして皇太子さまは厳しく対処するのかなあ?
まっ、そんなことはありえないんだろうね。そんな言い方って、やっぱり平民の世界でのことなのかねえ???

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【子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー 第135回】 「権利と義務の逆転」

 11日の朝日新聞に「都立高「奉仕」必修へ」という記事が載りました。

 東京都教育委員会は07年度から、すべての都立高校に「奉仕体験活動」を必修教科として導入する方針を固めた。05年度は単位認定などに関する研究校20校を指定する意向で、新年度予算で300万円を財政当局に要求した。学校教育での奉仕活動を巡っては、森首相当時の私的諮問機関「教育改革国民会議」で義務化が検討されたが、「自発的でないと意味がない」などの反発で義務化を見送った経緯がある。
-中略-
 都教委幹部は導入の狙いについて「内容はボランティア活動と変わらない。生徒がいろいろな人と交流し、活動を通してより広いものの見方ができるようになることを期待する」と話している。

もちろん、奉仕の心を否定するつもりはないけれど、「奉仕」といえば教育改革国民会議が義務化を見送った通り、「自発的」ということが基本なのは当然です。こういった労働が義務化するということは、軽率に行われるべきものじゃなくて、じっくりと議論されるべきものだと思います。
「たかが奉仕くらいのことで何を大げさなことを言っているのか」とお思いの方もあるかもしれないけれど、私が根本的に心配するのは、既成事実の積み上げによって、しだいに権利と義務が逆転してしまうことです。「奉仕」ということを強制してしまうと、大人に科せられた「教育を受けさせる義務」と子どもの持っている「教育を受ける権利」が変質してしまって、本来守られるべき「教育を受ける権利」が「教育をする権利」へといつの間にかすり替えられてしまう恐れがある。実は、末端の教師の意識の中にはそういったものがすでにしっかりと根を張っていて、子どもの教育を受ける権利は、かなりないがしろにされている。
最近うちにお出でになる方からの教育相談で強く感じるのは、「学校のやり方が非常に乱暴で強引になっている」ということです。守られなければいけない「子どもの権利」と果たさなければいけない「教師の義務」がすっかり逆転してしまって、子どもは義務を課せられ、教師が権利を主張している。
「お宅のお子さんは病気なので集団行動には馴染めません。家庭の責任において学校に来させないでください」
「何をしでかすかわからないので修学旅行には連れて行けません」
「危険なので通学班にはいれられませんから保護者の方が学校まで付き添ってきてください」
などなど、学校が保護者を呼びつけて通告のような形で行われています。
けれども、そう“通告”されたお子さんたちに会ってみると、これが全然そんなことを言われるようなお子さんたちではない。要するに指導力のない教師が指導しきれない子どもたちを家庭の責任という名のもとに投げてしまっている。
どうも学校や教師の力量不足を表に出さないために、それに気づいた勘のいい子どもや親たちを切り捨てる方向に学校が動いているとしか思えない。
保護者は素人ですし、“子どもを人質に取られている”という意識がありますから、学校がそういった行動を起こしたときには、もうなすすべがなくなってしまいます。
基本的に権利があるのは子どもで、義務を負っているのは教師なんだから、それをきちっと意識した上で教育は行われるべきです。
今回の都教委の決定がそれとはまったく逆の方向に進むことを助長するようなことにならなければいいのですが…。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第134回】 「薬」

「大関さん、今日はどうしたの?」
「風邪ひいちゃったみたいで…」
「いつから?」
「昨日、一昨日でしょ、えーと3日前かな?」
「で、どんなふう?」
「のどが痛くて、だるくて、肩が張ってます」
「熱は?」
「熱、出ないんですよ。さっきあんまりだるくて熱っぽいんで、計ったんですけど、6度8分。いつもこうなんですよね」
「どうする?」
「まあまだ抗生物質はいいとして、とりあえずペレックスとトランサミン、それととにかくだるくて熱っぽいのでロキソニンも出してください」
「ちょっと鼻声みたいだけど、鼻はいいのかな?」
「まだダン・リッチ飲むほどじゃないです。のどがひどいんで、のどだけ塗ってもらえますか」
この日は、私が希望した3種類の薬を処方してもらって帰ってきました。
確かこのクリニックができたのは15年くらい前だと思うんですが、開業したてのころ私が交通事故にあってひどいむち打ちになりました。ほぼ1年くらい毎日のように理学療法に通ったことでとっても先生と親しくなり、ときには先生と看護師さん全員と一緒にコーヒーを飲んだり…。すごく空いてたんですよね。待ち時間がないというどころか、ほとんど他の患者さんに会ったことがないくらいだったから。今ではとんでもないことですけれど。そんな関係ができていく中で、私がひどいアレルギーだっていうこともあって”この薬は合うけど、この薬は合わない”なんていうことを繰り返しながら、私が薬を選ぶことが多くなりました。

薬って本当はとっても怖い物なんだけれど、なかなかその実感はありませんよね。かかりつけの先生とこんな関係をつくっていたもんだから、ちょっと薬を甘く見ていたっていうか、頭痛がとってもひどかったときにウチにあったセデス(病院からもらったもの)を飲みました。かなりひどい頭痛だったのでなかなか効かなくて、もうどうにも我慢ができない。もう1包飲もうとしたらセデスがない。たまたま薬箱にノーシンが入っていたので、「まあいいか」とそれを飲みました。30分ほどしたら、突然手足はしびれる、吐き気はする。目の前が真っ白になって立っていられなくなりました。1時間くらいそんな感じが続いたでしょうか…。これが薬の副作用かどうかははっきりしませんが、もう死ぬかと思うくらいだったので、その後の薬の服用はとっても慎重になりました。

ウチのカウンセリング研究所を訪れるクライアントさんの中に、精神科に通っていたけれど、あまり状態が改善されないと言っていらっしゃる方がいます。そういう方のお話を伺って驚かされるのは、処方された薬の種類が多いことと量が多いこと。睡眠薬、精神安定剤、抗うつ剤…。いろいろお話を伺うととても薬を飲まなくてはいけないほどの症状とは思えない。1番驚いたのは、自殺願望を持っているという高校生が1ヶ月も服用を続けられるほどの量の睡眠薬を持っていたこと。私もそれほど薬に詳しいわけではないので、その薬がどの程度危険なものかはわかりませんが、まあ素人の常識の範囲では危険なんじゃないのかなあということはわかります。それを”うつ”と診断した高校生の患者に直接渡してしまう危うさ。そうは思いたくないけれど、お金が儲かるなら患者の命はどうでもいいといった発想で薬を出しているのではないかと勘ぐりたくなります。多くの高校生から話を聞いてみると、うつのふりをして薬を手に入れ、みんなで譲り合っているらしいのです。なぜこんなことがまかり通るのか理解に苦しみますけれど、社会をあげて子どもを守ることが必要なのに、子どもに害をまき散らしている大人たちも多いのかもしれませんね。

突然の麻耶(まや)からの電話。
「ねえ、パパ! 机の上に何錠薬あったの?」
「? 3錠かな?」
「ほんとに3錠?」
「たぶん」
「たぶんじゃダメだよ。今、沙羅がパパの机の上にあった薬飲んじゃったかもしれないんだから」
「ええ! 確か、昨日4錠あって1錠飲んだから??? 3錠あって1錠空のやつがあったでしょ?」
「ああよかった! それなら大丈夫だ…。まったくー! あんなところに薬おいとかないでよ!」
「どうもすみません…」
いやいやよかったよかった! 危うく1歳の沙羅が私の薬を飲んでしまうところでした。
反省!!


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月 7日 (木)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第133回】 「学校の水」

「最近、お母さん方の中から学校に水筒を持たせたいという意見が出ているのですが、皆さんの学校ではいかがでしょうか? 中学校ではあまりないのではないかと思いますので、小学校が中心ということになるかと思いますが」
「ウチの学校では、水に限って運動会の日までということで認めています」
「ウチは認めていません。水筒をどこに置くかっていうことがけっこう問題で、まあ机に掛けておくと授業中に飲んだりする心配もあるので。そうなると歯止めがかからなくなっちゃいますから」
「ウチの学校でも運動会までです。お茶くらいはいいのではという人たちもいますが、ジュースを入れてくる子がいるかもしれませんからねえ。やはり“水のみ”ということで限定していますよ」
「ウチの学校は9月いっぱいです。9月いっぱいまでは暑い日もあるので。一応暑さ対策ということで…。学校の水はどうしても生ぬるいんでねえ」
地域のPTA連合会の会長・校長会でのことです。
わが家の地域では、他校との情報交換のために年に数回、地域のPTA連合会主催で会長・校長会が開かれます。会についての世話役である当番校が開催の日時・場所・内容を決め、2学期はじめと3学期の中頃に開かれるのが通例です。当番校を除いて各校出席者はおおよそPTA会長・副会長・校長で、学校とPTAのトップが集まる会合です。
「会長・校長会」という名前の順序が面白いでしょ?! もちろんPTA主催ということもあるけれど、保護者と学校とでは必ず保護者が先。こんな形式的なことだけじゃなくて、学校運営もそういう意識の上で行われるといいんですけどね。

(私と私の隣に座っているウチの学校の校長とのヒソヒソ話)
「なんであんなことを真剣に議論しなくちゃならないんですかねえ? ウチの学校はお茶も認めてますけど、ジュースを持ってきちゃう子なんていないでしょ?」
「そういうことはありませんよ。ほとんどの子は水です」
「もうちょっとおおようでいいんじゃないですか、ウチの学校みたいに。親だってわかってないわけないんだから。何か言わないとまずいでしょうねえ」

私が挙手をして、
「ウチの学校は一応夏だけですけど、特別期限も定めず、お茶も認めていますが、校長先生方のおっしゃるようなジュースを持ってきたり、授業中に飲んだりというような問題は一つも起きていません。基本的には子どもたちを信じて保護者に任せるということでいいのではないですか」

それまでどう規制するかでいろいろと発言をしていた校長先生方も「うっ」と詰まって、何も意見が出なくなってしまいました。司会者が、「自由に持たせているところでも、あまり問題は出ていないようですね」とまとめてくれたので、その話題はそれで終わりになりました。

10月30日の朝日新聞朝刊に「水筒持参登校 ダメ?」という見出しの記事が載りました。「学校の水は安全か」という観点で取り上げられていたようですけれども、「安全でないから水筒持参」というのはどうかな? 本当に安全か安全でないかの検証をする前の議論としてはふさわしくないような気もします。安全でないとしたら、まずやらなくてはならないのは、安全にすることのはずだから。もちろん安全が保証されるまでは水筒持参ということになるんでしょうけれど。
安全性の問題は、それぞれの価値観の問題なので難しい問題ではあるけれど、そこまでいうなら「給食も」ってなってもいい気がします。
私は基本的に「持っていきたい人は持っていったらいいじゃない」と考える方だけれど、水筒持参のことで問題にしたいのは、「水の安全」じゃあなくて、保護者や子どもを信用しない学校の姿勢。そこの部分が変わったら、学校の水に不安を持っている人たちも水筒が持っていけて“安心”ということになるんじゃないのかな?


**11月1日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第132回】 「秋、まっただ中!」

土曜日の地震は大きかったですね。あんなに大きな揺れが続けてきたのなんて経験がなかったので、ビックリしました。31階建てと7階建ての間にある2F通路にかかっている屋根がそれぞれの建物と擦れたらしくて、揺れが続いている間中すごい音を発していたので、恐怖心が増大されました。被害に遭われた新潟の方々には心よりお見舞い申し上げます。これを打ってるたった今も、地震がありました。新潟の方の揺れがそんなに大きくないといいのですが…。

さて、“秋、まっただ中!” 先々週東北へ紅葉狩りに行ってきました。毎年、高齢の義父(92歳)と義母(88歳)を連れて、八幡平周辺(秋田と岩手の県境周辺)をぐるっと回ってくるのが年中行事の1つになっています。若いころ(20代くらいのころ)は、紅葉の良さなんていうものを感じたことはなかったけれど、10年くらい前に初めて八幡平へ行ってからというもの、すっかり紅葉のすばらしさに魅せられて秋の訪れが楽しみになりました。
赤や黄色に染まる山々は、まさに“燃えるよう”という表現がピッタリ。咲き誇る桜の花もきれいだけれど、紅葉のスケールとその色彩のコントラストはさらに心を揺さぶってくるものがあります。たった1枚の葉の中で緑から黄、黄から赤と3色の鮮やかな色を持ったものがあるかと思えば、まるで火のように真っ赤に染まった葉っぱもある。思わず歓声を上げずにはいられません。
例年になく暑かった夏。そして記録を塗り替えた台風の数。やはり今年の紅葉はどこか変でした。例年だと麓が若干早ければ、中腹が見頃。麓が見頃ならば、中腹はやや遅い。そんな原則があるのですが、今年は麓がちょっと早くて中腹は落葉。麓と山の気候の違いが大きかったのか、例年に比べて見頃を迎えている場所が極端に少なく、ちょっとがっかりでした。
この時期の料理はなんといってもキノコ。山のあちこちでキノコを売っています。キノコ好きの私にとっては、もうたまりません。キノコのおいしさはなんといっても新鮮さにあるので、なかなか旅行の最中に生のキノコを買うわけにはいきません(といいながら、実はけっこう買ってくるのですが)が、ビン詰めをよく買ってきます。みそ汁に入れたり、炒めて食べたり…。
“ああ、秋だなあ!”なんてね。

秋になるとスーパーに並ぶものがあります。栗、イチジク、ザクロ、柿、梨…。
イチジクもザクロも柿も好きなんだけれど、どうしても買う気になれないんだよね。妻が柿を買おうとすると、
「そんなものスーパーでお金出して買うもんじゃないよ」
なあんてなっちゃう。
子どものころ、実家の庭にはいろいろ実のなる木がありました。柿の木は3本あったし、イチジク、ザクロ、ビワ、桃、梅、グミ…。どれもたくさんなって、全部食べるなんてことは全然無理。食べたくなったときに、先を割って小枝を挟んだ竹の棒(これ何のこといってるかわからない人の方が多いんだろうね? どう説明したらいいのかなあ? 見せてあげられればなんのことはないんだけれど)で採って食べるだけ。なるべく採って近所に配ったり、なんか工夫して保存したり、いろいろ無駄にしないようにはするけれど、全部無駄にしなくてすむような、そんなレベルの量じゃない。最後まで木に残っている柿を小鳥が食べたりしてね。もちろん熊はいなかったけれど。
果物を見ていると季節を感じるよね。昔は野菜でも季節を感じたでしょ? でも私くらいの世代までかなあ? 夏にはやたらとナス、キュウリ、トマトなんかが多くてね。冬になると白菜と大根。そんな季節感て、日本での子育てにはとっても重要だと思うんだけれど、最近は一年中ほとんど気候の変わらないハワイがいいなんていう人が増えちゃってね。ずいぶん多くのことを四季の変化から学んできた気がするので、それでいいのかなあ?なんてどうしても疑問に思っちゃう。
そろそろ、別所沼公園と大宮公園の銀杏(ぎんなん)が拾えるころだと思うよ。お子さんと一緒に出かけてみたら。ちょっとくさくて、手に汁が付くと手荒れの原因になるからちょっと注意してね。


**10月25日(月)掲載**

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第131回】「幼稚園決定!!」

蓮(れん)を入園させる幼稚園で悩んでいた麻耶(まや)。
「私が出た幼稚園てさあ、そんなに悪い幼稚園じゃなかったよねえ?」
「そうだね。この辺の幼稚園を全部見て回って決めたからね。大きく分けると2つに別れるでしょ。一方はやたらと幼児教育に熱心で、部屋からほとんど出ないで読み書きとか英会話とかばっかりやらせてる幼稚園。もう一方は昔風のっていうか、男の子・女の子っていうみたいなしつけにこだわってるような古い感覚の幼稚園。麻耶が通ってた幼稚園はその中間くらいかな?」
「ああああ、なんかわかる」
「園庭の広さとか、遊具の種類とか、子どもたちの様子とかを見て決めたんだけど、まあまあだったかな。主任の先生が園長先生のお嬢さんでまだ若かったからけっこう柔軟で、保護者の意見も取り入れようっていう感覚があったからね。まあ、それが逆に自信のなさに繋がって変なことになっちゃうこともあったけど」
「なるほどね」
「ただ給食のことにはかたくなで、とにかく残さないで食べるように指導してたよ。全部食べないとシールがもらえないの」
「ああ、覚えてる」
「おまえはレバーを無理やり食べさせらた」
「そうそう。涙流しながら吐いちゃったんだ」
「覚えてるんだ?」
「うん。相当嫌だったんだろうね。でもそれ以外は嫌なことなかったよ。楽しかったことは記憶にあるけど、嫌だったことは全然記憶にないもん。翔(かける)の通ってたところもいいとは思うんだけど、毎日お弁当だし、延長ないし…。ちょっと用事で遅くなるっていうのもできないしなあ」
「あそこは間違いないよ。園長先生の教育に対する理念ははっきりしてるし、子どもたちも伸び伸びしてる。まあ欠点を言えば、ちょっと教育に対する理念を親に押しつけすぎるかな。その理念を信頼して入れてるわけだから仕方ないけどね」
「なるほどねえ。明日ね、説明会があるんだよ。あたしが行ってた幼稚園の願書もらってこようかなって思ってるんだ」
「おまえ、あそこに入れるの? 私は翔の行ってたところに入れてほしいけどなあ…」
「まだわかんないよ。だからそっちも見てくる」
妻と麻耶はそんな会話をしていました。

「麻耶はやっぱり自分の行ってたところがいいみたいよ」
「そりゃあそうでしょ。自分の行ってた幼稚園を悪くは思いたくないし、実際そんなに悪い幼稚園でもなかったし」
「でもねえ、やっぱり幼稚園の姿勢が気に入らなくて翔を途中でやめさせたわけだから」
「まあそうだけど、いくつかの部分で妥協すればね。どこの幼稚園にも問題がないわけじゃないから」
「“パパには相談した?”って聞いたら、“麻耶が決めればいいって言うだけだもん”て言われちゃったよ」
「まあそういうことだね」

蓮はまず麻耶の出た幼稚園に連れて行かれました。3歳児のクラスはすでにいっぱいでしたが、“ここの卒園生なんですけど、息子を入園させたくて”と言うと、とりあえず願書はもらうことができました。
受付で、
「お名前は?」
の問いに蓮は何も答えることができません。
「あれっ? お名前言えないの? お名前言えないと幼稚園に入れないよ」
いきなりこの言葉。その後の園長先生(麻耶が通っていたころの主任)のお話は、“幼稚園は厳しいところ、怖いところって教えないでください。楽しいところ、行きたいところとお話ししてください”。父母の会の会長さんのお話は“ここの幼稚園を出たお子さんは、小学校に行っても何も困ることのない、しっかりとしたお子さんになれます”。受付での対応と園長先生のお話、会長さんのお話、それぞれのギャップを感じながら、翔の出た幼稚園へ。
こちらの園では、年少・年中の子どもたちが園の中をウロウロ。中にはモップを振り回してる子までいて。

「園長先生がそばに立ってるのに、モップ振り回してる子全然注意しないんだよ。危ないっちゅうの。あそこまで徹底してるのってすごいよね。とにかく怒らない。でも、奥の方の部屋の子たちはちゃんと席について静かだったよ。あれ年長さんたちの部屋だよね。あんなにウロウロしてる子たちが年長になるとああなるんだよねえ。それがすごいよね」

この問題にけりをつけたのは蓮自身でした。
「蓮くん、かっくん(翔のこと)の行ってた幼稚園に行く」
それまでそんなことを一度も言ったことのない蓮が、突然そう言いました。受付の先生の対応にちょっと腹を立てていた麻耶も、
「よくわかったよ。ありゃあダメだ、ダメ。やっぱり翔のところだね」
どうやら麻耶は、毎朝お弁当を作る決心をしたようです。

**10月18日(月)掲載**

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第130回】「体力の低下」

子どもの体力がとっても落ちてるそうです。

昨夜(11日)、たまたま見ていたTVで、蕨の塚越小学校での取り組みを取り上げていました。体力の向上に雑巾がけを利用しているというもので、昔ながらの雑巾がけのスタイルで、教室の端から端へと一列に並んで雑巾がけをしている様子が放映されていました。そして雑巾をゆすいだあとは、ギュッと絞らせる。かたく絞れたかどうか先生がチェックします。

最近の子どもたちは、“ギュッと絞る”なんていう行為をすることはほとんどないので、絞れない子もけっこういます。たしか息子が4年生か5年生のときだったと思いますが、PTAの行事で子どもたちとかかわった際に、子どもたちが雑巾を絞るのを見ていたら、まるでおにぎりを握るみたいに雑巾を丸めて絞っている子がいました。

陶芸を教えていると後かたづけのときはもちろんのこと、作品を作っている最中にも、粘土が乾かないように使っていない粘土にかぶせておくため、濡れタオルを必ず使います。今年の夏もカルチャーセンターで親子講座を受け持たせてもらいましたが、きっちり絞れる子は3分の2くらいでしょうか。もっとも粘土が乾かないように使っていない粘土に濡れタオルをかぶせる場合は、おにぎりのように絞ったくらいの濡れ具合がちょうどいいんですが…。

もちろん絞り方自体はちゃんと出来てる子が多いのですが、昨夜TVで見たように、ギュッと絞れる子は少ないような気がします。

雑巾をギュッと絞らせることで、握力が向上するのだそうです。“なるほど、そう言われてみるとそうだよな”と納得して、“誰がそんなこと考えたんだろう”とえらく感心してしまいました。

体力の向上に外での運動を使うのではなく、日常の生活行動の中から体力の向上を図るというのはけっこういい方法かなとは思います。けれども、それを見ていて“今の子どもはかわいそうだなあ”とも思いました。それは、なんだかとっても不自然な感じがしたからです。子どもたちの生活から、体力が向上するような行動を奪ったのは大人たちなのに、今度は体力が低下したといって、子どもたちが普通に生活しているときには必要のない行動を新たにとらされる。子どもたちの生活はどんどん便利になり、そのおかげで日常生活の中から“無駄な時間”はどんどん減っています。例えば、ナイフで削っていた鉛筆は、鉛筆削りで削る(それも手動から電動で)ようになり、さらにシャープペンシルを利用するようになりました。背中を紐で縛っていた給食用のエプロンはマジックテープに取って代わられ、見えないところで紐を縛る必要はなくなりました。おそらく私が子どものころに使っていた“無駄な時間”のほとんどがなくなったんだと思います。

そういえば、昔はよく“ちょっとそこの乾物屋まで片栗粉を買いに行ってきてくれないかい”なんていうのもありましたけれど、最近の買い物は近所の小売店ではなく遠くの大型スーパーになっているので、そんな“無駄な時間”もなくなっていますよね。
そして子どもたちの浮いた時間のほとんどは塾に当てられている。そして“無駄な時間”とともに失われていってしまった体力を向上させるために“雑巾がけと雑巾絞り”が新たに入ることになった…。

体力が落ちていることの原因にTVゲームがよくあげられます。それはそれで、否定はしませんが、遊び場を奪われている子どもたちにとって、TVゲームはとても大切な遊びになっています。子どもの体力が落ちているから、体力向上のために何か工夫をするというのもわからなくはないけれど、子どもの遊び場を大人が奪っているという現状をもっと真剣に考えて、子どもたちが必要最小限(必要最大限かな?)の体力を維持できるように社会全体の構造を考える必要があるのではないかと思います。


**10月12日(火)掲載**

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2019年11月 6日 (水)

【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第129回】「秋はやっぱり幼稚園選び!」

運動会シーズンまっただ中!
娘の麻耶(まや)は、毎週幼稚園の運動会あらし(?)をしています。
「今日はねえ、××幼稚園の運動会へ行ってくる。来週は二つ重なっちゃってるんだよ。どっち行こうかなあと思って…。ほんとにもう、毎週忙しいんだから!」
「何が忙しいんだよ!? たかが幼稚園の運動会だろ!?」
「だって、毎週だよ。それもいっぱいかけ持ちなんだから」
「そんないくつも行くのやめればいいじゃないか」
「そうはいかないよ。走っただけでいろいろもらえる物もあるしさあ、なんと言ってもそこの幼稚園の雰囲気わかるし。もうどこの幼稚園に行くか決めなきゃならないんだよ」
麻耶は、孫の蓮(れん)を来春どこの幼稚園に入れるかとても迷っています。どんな幼稚園なのか行って見てくるのが一番。特に運動会のような行事の時にははっきりとそこの幼稚園の特徴が出るので、毎週幼稚園あらしをしています。
「今日はね、これもらってきたんだけど、なんか蓮は走り足りなかったみたいよ。家に帰ってきてからも運動会ごっこやるって言って、走り回ってた」
「ふーん」
「だってね、普通は園庭を15mくらい走るでしょ。それがさあ、今日のところってウチの廊下くらい(玄関からリビングまでのほんの5mくらい)も走らないの。それもね、人から手渡しされるんじゃなくて、目の前の地面にオモチャがたくさん置いてあるんだよ。それを自分で拾ってくるだけ」
「じゃあ、何を目標に走るの?」
「だから、オモチャだよ。置いてあるオモチャを拾ってくるだけだもん」
「走るっていうか、オモチャを拾ってくるだけなんだ?」
「そうそう。そんな感じ。物をくれればいいと思ってるんじゃん。5、6人ずつ走るんだと蓮は尻込みしちゃって走りたがらないかなあと思って心配だったんだけど、全員がいっぺんに目の前のオモチャを拾うだけだったから、全然問題なかったよ。でも、あの瞬間にここの幼稚園はないなって…」
「それじゃあねえ…。幼稚園がやらなきゃいけない本質からはずれてるもんねえ。本当にオモチャがほしくて走ってると思ってるのかねえ? そんな風に思われてるとしたら残念だね」
「××幼稚園は親から人気があるんだよ。手がかからない幼稚園っていうことで有名なの。この前行ってきたけど、確かにそんな感じ。あんまり親が幼稚園に行くことないらしいよ。だから人気なんだ。けっこう遅くまで延長保育で預かってくれたり、スポーツクラブみたいのがあったりで、親はずいぶん楽だよ。もちろんバスだし、お弁当もないし。園児が何百人って言ったかなあ? かなりいるみたいよ。そんなに広いところじゃない気がするんだけど。たくさんいるっていうことが自慢みたい」
「なんかちょっと違うねえ。“ウチはこういう幼稚園教育してます”っていうのがないんだ?」
「うん、そうだね。それなりの特徴みたいなものはアピールしてるけど、結局親もどこが楽かなんていう基準で見てるし、幼稚園の側も本当のところはどうしたら園児が集まるかで中身を決めてるからね。やっちゃんのお姉ちゃんいるでしょ、ちょうどマンションの玄関のところで会ったから、“お子さんどこ入れるんですか”って聞いてみたの。そうしたら、制服がかわいいから××幼稚園に入れるんだって」

私が今のマンションに越してきた時、真(まこと)と麻耶を幼稚園に入れるためにずいぶんたくさん幼稚園を見て回りました。建物はどうか、園庭はどうか、遊具はどうか、そんな物をまず見て、それから園がおこなってる中身を見て…。そんな風にして決めたんですけど、ちょっと今は基準が違ってきてるのかな?

「翔(かける)が行ってた××幼稚園はバスがないし、お弁当でしょ。送り迎えもお弁当もやってみたい気もするけど、ずっとだって思うと、バスがあってお弁当無しの方がいいかなって思っちゃうよ。あたしが行ってた幼稚園ね、ちょっと外から見たんだけど、園庭とか遊具とかあんまり変わってないみたいで、なんとなく懐かしい感じがしたよ。でも、パパが幼稚園と喧嘩して、翔を途中でやめさせちゃったんでしょ?」(その辺のいきさつはちょっと古いけど、この連載の第3回に掲載しました)
「そうそう。でもそんなに悪い幼稚園じゃなかったよ。いろいろと親の意見も大事にしてくれる部分もあって…」
「ふーん。じゃあ、そこにしようかな(笑)。やっぱり自分の出た幼稚園ってなんとなくイイ感じがしたよ」
「そんなもんかもね。だれだって自分が出た幼稚園をそんなに悪い幼稚園だなんて思いたくないしね」
さて、麻耶はどういう結論を出すんでしょう?


**10月4日(月)掲載**

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第128回】「個性」

「弥生ちゃん、何それ?!」
「まんば」
「???」
「知らないんですか? やまんばメークのことですよ」
「???」
「だからさあ、こういうメークのことをやまんばメークって言うの。最近はねえ、それを“まんば”」
「ガハハハハッ、なるほどね! でもさあ、どうしてそんなふうに塗りたくっちゃうの?」
「だって、この方がかわいいじゃないですかあ!」
「そーおっ?」
「うん、絶対この方がかわいい」
「そうかねえ? なんにもしてない弥生ちゃんの方が弥生ちゃんらしくてかわいいんじゃないの?」
「えーっ?! 全然お化粧しないってことですか? すっぴんなんて恥ずかしいですよ」
「そうかなあ??? 私はそんなことないと思うけどぉ」
「すっぴんなんて、ありえない、ありえない、ありえない! ちょー恥ずかしいもん」
「そうなんだぁ?! なんか“まんば”の方が恥ずかしそうだけどね。弥生ちゃんだかだれだかわかんなくなっちゃうじゃない?」
「そうですかあ? ほらほら、ここの所をこういう風にやって個性出してるんですよ。いろんな風にできるじゃないですかぁ。すっぴんなんて絶対考えられない」
「ずっと“まんば”やってるの?」
「それはないですよ。大人になってこんなことやってたら、今度逆に恥ずかしくないですか? だから今しかできないんですよ。だから、今の高校やめて“まんば”やれるところへ移りたいわけ。ほら、この雑誌に出てる子、××高校って書いてあるでしょ。こっちの子は××高校。ウチの学校だと髪の毛染めるの禁止で、ちょっとでも黒じゃないとちょーうるさいしぃ…。うざい!」

弥生ちゃんは私立高校に通う16歳。“やまんばメーク”をするために高校を替わりたいと言っています。弥生ちゃんと会ってから、テレビの“まんば”の番組を見てみました。“まんば”という1つの風俗は、それ自体かなり強烈な個性を持っているのに、その番組に出ている子たちを見てみると、どの子が誰で誰がどの子かよくわかりません。“まんば”という強い個性がそれぞれの持つ個性を消してしまって、“××さん”という個人が“まんば”という集団に呑み込まれてしまっています。

「私、雑誌に載ったんですよ。ほらっ、このページ。私、どれだかわかります?」
50人あまりのやまんばメークの女の子たちがその雑誌の編集部を訪れたときのスナップ写真と集合写真が見開き2ページにたくさん載っています。
「うーん…」
なかなか見つけられずにいると、早く見つけてほしい彼女が、
「ほらっ、ここ!」
と指をさしてくれました。
「ほんとだ!」
その写真を指さされても、「これえ?」っていう感じだった私は、
「まだ載ってるよ。あとはどこだかわかる?」
という彼女に促されて、指さされた写真と同じ服装をした子を必死に探して、
「見つけた! ほら、これとこれ! あっ、ここにも映ってる!」
すると弥生ちゃんはビックリして、
「あっ、ほんとだ! 気がつかなかった!」
たった見開き2ページの中に映っている自分が見つけられない個性の無さ。自分をアピールしようとして個性をなくしてしまっている矛盾と滑稽さ。
「この前、まんばの番組見たよ。なんだかみんな同じに見えた。まんばの子ってみんな優しいんだなって思ったよ。あんなに個性的なカッコしてるけど、ほんとはみんな自分をさらけ出すのが苦手なんじゃないの? だからきっと自分を隠すためにあんなに塗りたくってるんだよね」
「そうかなあ? でも確かにそういうところはあるかも…」
自己主張をすることでかえって自己主張を消している、そんな状況に弥生ちゃんも考え込んでいました。


**9月27日(月)掲載**

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第127回】「手の届く距離 -物理的距離編-」

「今日ねえ、蓮(れん)がね、マクドナルドでひどい目にあったんだよ!」
娘の麻耶(まや)が興奮気味に話します。
「ちょっと蓮より大きい子なんだけど、蓮のこといきなり叩いたと思ったら、その後蹴ったんだよ。たいした強さじゃなかったから蓮も泣かずに我慢したけど、ひどいでしょ?」
「いきなり?」
「そうだよ。蓮はなんにもしてないのに、いきなりだよ。それなのにそいつの母親なんてたいして謝りもしないんだよ」
「おまえ、守れなかったのか?」
「だって、いきなりだもん!」
「そんなことわかってるよ。だからおまえが守れなかったのかって言ってんの」
「予兆がなかったわけじゃないんだよね。蓮がポテト食べてたときに近づいてきて、勝手に蓮のポテト食べちゃったんだ。もちろん何本かだけどね。その子の母親なんて、ただ見てんだよ。さすがに食べっちゃったところで、一応謝りには来たけど、その子をたいして怒るわけでもなく、蓮に向かって“ボク、ごめんね”だって。そういう問題じゃないだろってゆーの」
「そりゃあ、おまえの言う通りで、その母親はおかしいと思うよ。だけどそれはそれ。なんでそんなことあったあとに、おまえは蓮が叩かれたり、蹴られたりするのを助けられなかったんだっていうの!」
「だっていきなりだったんだからしょうがないじゃん!」
「そりゃあ、全然いきなりじゃないだろ! 今回は相手が小さな子だったからよかったけど、もしもう少し大きな子で刃物でも持ってたらどうするんだよ」
「・・・」
「なんでも人を疑えって言ってるんじゃない。どんなことが起こっても必ず子どもを守れる距離にいなきゃダメだって言ってるんだよ。今回のように相手が子どものこともあれば大人のこともある。犬や猫のことだってあるし、事故や天災のことだってある。いきなりだから守れなかったなんて、言ってられないだろっ。守れなければ取り返しがつかなくなることだってある」
相手の母親のひどさを訴えたくて話を始めた麻耶でしたが、矛先が自分の不注意に向けられたので、気分を悪くしたらしく、ふくれっ面をして黙ってしまいました。

麻耶には前科がありました。
「お母さん、沙羅(さら)が三輪車から落ちて頭打っちゃった! しばらく泣かなかったんだけど、大丈夫かなあ?」
妻の携帯に電話がかかってきました。
「今はどこでどうしてるの!」
「今、パンダ公園で抱いてるんだけど、なんだかぐったりしてるような気がする」
「そういうときは、すぐ救急車呼ばなきゃダメじゃない! 今すぐウチに帰るから!」
妻もかなり慌てた様子で麻耶に指示を出しています。
妻の支持を近くで聞いていた私が、妻を通して麻耶に尋ねました。
「今は泣いてるの?」
「さっきまで泣いてたけど、今は泣きやんでる」
「三輪車から落ちたんだろ?」
「うん」
「どう落ちたの?」
「沙羅が一人で乗っていたら、蓮がハンドルを持っていきなり前に引っ張ったから、そのまま後ろに倒れちゃって後頭部から落ちたんだよ」
「パンダ公園なら下は土だろっ? 大きな石とかなかった?」
「土だよ。大きな石もない」
「今まで泣いてたんだろっ? だったら、バタバタすぐ動かないでもう少し様子を見てみな」
そう言って携帯を切りました。
しばらくするともう一度妻の携帯に麻耶から電話がありました。
「大丈夫みたい。遊び出した。今は笑ってる」
そんなことがあって2週間後、今度は沙羅が公園の滑り台の階段から落ちたと言って電話をかけてきました。ほんの数段だったようですが、ちょうど背中から落ちたらしくしばらく息が出来ずに、泣かなかったと言って慌てていました。その時も、ちょっと様子を見ているうちに元気になって、たいしたことにはならずにすみました。
そして、今回のマクドナルド事件。
麻耶も自分の不注意は充分わかっているので、そのことはあまり言われたくない様子。
とは言え、度重なる不注意に周りも一言言わずにはいられずに、麻耶を非難してしまいました。
小さい子どもがちょっとしたことでケガをすることはよくあるけれど、世話をしている大人が子どもとの距離をどう置くかがとっても大切ですよね。何があっても絶対に救える距離、それは見ている大人によっても違うけれど、自分はどのくらいの距離までだったら子どもにケガをさせずに救えるのか、いつもその距離を考えて子育てをしないとね。


**9月21日(火)掲載**

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第126回】「小学生が留年?!」

どうも義務教育に対する改革のやり方は安易だね。ちょっと怖い。
河村文科相が朝日新聞のインタビューに答えて「義務教育段階でも落第とか原級留め置き(留年)とか基礎基本が身についてから次に進むという考え方を研究しなければならない」と発言したそうだけれど、今の段階でのこういう考え方がそもそも教育界の問題なんだと思う。

何らかの教育改革が必要だとは私も思うんだけれど、どうもその改革の方向が子どもに負担を強いるようなことが多くなってきてるような気がして、ちょっと怖い。6・3制の弾力化の問題にしても「弾力化」をするわけで全国一斉にやるわけじゃないから、6・3制が残っているところとそうでないところができちゃう。地域によって違うっていうことを否定はしないけれど「転校したときどうするか」という疑問に「子どもの適応力は高い。遅れていれば補習すればいい」って片付けちゃうところが気に入らない。なんで制度上の問題を「補習をする」みたいな子どもの負担にすり替えちゃうの?
確かに子どもの適応力は高くて、いろいろな問題を自分の中で消化して成長していくよね。ロシアの学校占拠事件で救出された子どもたちのインタビューには驚いた。あの極限状態の中で事細かに観察したことを正確に話す冷静さ。ああいうものって大人にはなかなかできないことで、子どもの適応力ってすごいと思った。

でもね、そういうものって偶発的に発揮されるもので、それを期待して制度を作ろうとするのはちょっとね。やっぱり適応できない子もいる。

教育相談にくる子どもたちの中には、DVの影響で心を閉ざしてしまった子や免職にしたいような「教職員の対応のまずさ」で不登校になってしまった子もいる。子どもというのは適応力は高いけれど、同時に大人よりももっと純粋で繊細なものも持ってる。
そういう子どもの心を考えたら、「適応力が高いから、補習をすればいい」なんていう言い方になるかねえ???

「落第・留年」も然り。基礎基本が身についてから次に進むっていう考え方がわからないわけじゃない。でも、基礎基本が身につかないのは子どものせい? そんなわけないよね。問題なのは身につかない子どもじゃなくて、身につくような指導ができない大人。「落第・留年」ということになれば、身につかないことの責任をとらされるのは子どもということになる。

まず、教育改革でやらなくてはいけないのは、教員の質の向上。昨日も、2つの高校の文化祭に行ってきたけれど、高校によって違うこと、違うこと。何が違うって、生徒の向いてる姿勢。別に進学に燃えてる学校がいいとは思わない。何に対しても真剣に取り組む姿勢は大事だよね。文化祭みたいな、なんだか騒いでるだけみたいなときでも、やっぱりそこの姿勢は出るもんで、1つの学校はなんだか分けわからないつまらない発表みたいなところ(誰も来る人いないだろうなって誰でも思うような)にも、ちゃんと2人の生徒がいて、「どうぞご覧ください」「ありがとうございました」って声をかけてくれるのに、もう1つの学校は、生物部や地学部みたいな、まさに文化祭の主役にならなくちゃいけないような部の展示のところに行っても、誰もいない。入ろうかな、どうしようかなって迷っちゃうくらい。入ってみたら、生徒がいないんじゃなくて、展示してあるボードの裏で何か食べながら騒いでる。一回り見ている間にも誰も出てこない。

2つの学校の違いはどこにあるんだろうって思ったら、やっぱり一生懸命やってる方は先生の姿が見える。来校する人たちに笑顔で挨拶して、子どもたちとも笑顔で話してる。ところがやる気のない学校は、どこに先生がいるのかもわからない。あれ先生かなって思うとみんなしかめっ面をしてる。

教育を改革しようとしたら、子どもに負担をかけるのではなくて、まず教員の質を向上してほしい。落第・留年なんて差別を招くだけだよ。

**9月13日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第125回】「不登校と校内暴力 その2」

8月28日の朝日新聞朝刊には「小学生の校内暴力1600件 児童間、半数超す」の見出しで、校内暴力についての調査結果が大きく報道された。

03年度に公立の小学校内で児童の起こした暴力行為の件数が前年度比27・7%増の1600件にのぼったとする調査結果は、かなりショッキングでセンセーショナルだ。文科省は「憂慮すべき事態で、感情の抑制についての指導を強めたい」ということのようだが、どうも私には「指導を強めたい」が先にありきで、それに沿った形で調査が進められているような気がしてならない。

さまざまな研修先で、児童の問題行動についての事例発表は多い。「落ち着きがなく、人の話を聞けない」「じっと席に座っていられない」「おとなしくしていた子が突然きれる」「友達の輪に入れない」「些細なことでも教師に助けを求める」など、きりがない。そういった事例がここ数年増えているというのは確かなのだろうとは思う。そういった中で校内暴力が増加傾向にあるというのもわからなくはない。しかし、02年度に比べ03年度の校内暴力件数が突然27.7%増というのも変な話だ。

神奈川県は小中高生が起こした校内外の暴力行為は都道府県別で全国最多の5321件で、なかでも小学校は前年度より80%多い237件だったそうだが、生徒指導の担当者は「一部の子どもが暴力的になっている面はあるかもしれないが、小学生全体で校内暴力が激しくなっているとは考えていない」のだそうだ。

また、沖縄県でも暴力行為件数は605件で前年度より約4割増えた。昨年7月、県内の中学2年生が友人から暴行を受け死亡した事件が発覚した結果、生徒間のいじめが一因との情報もあり、義務教育課は「事件を機に各学校が子どもたちの細かい部分に注意するようになったのに加え、トラブルを表に出すように意識が変わってきた」と件数増の理由を説明しているそうである。

大阪府は以前から些細なトラブルでも報告するよう各校に要請してきたそうである。今回の調査でも「暴言をはいた」「教員の体を触った」といったケースも「暴力行為」に数えた結果、府内の暴力行為は全国ワースト2の4358件で前年より18%増えた。
こういった調査が無意味だとまでは言わないが、調査の基準が曖昧な上、教育課程の改訂や生徒指導の強化といったようなことがまずあって、それをねらってセンセーショナルに扱われるようなことがあってはならないと思う。

この調査ではいじめの発生件数は、5.2%増の2万3351件。全体の約2割にあたる7860校で起きたそうだが、私の感覚ではいじめが全体の5校に1校にしかないなんていうことは信じられない。さらに小学生のいじめは6051件、6.9%増で、学年が上がるほど増える傾向にあるのだそうだが、03年度中に小学校で起きたいじめのうち87.6%は年度内に解消したという。 まさかいじめの9割近くが、数ヶ月で解消するわけがない。

調査結果にケチをつけるのが目的ではないが、雑な調査結果をセンセーショナルに扱っても、校内暴力がなくなるわけではない。佐世保の事件に代表されるようなショッキングな事件が多発する中で、今私たちがやらなければならないのは、子どもたちと丁寧に向き合い、一人一人の心を大切にすることだと思う。大味で派手な政策ばかりを優先するのではなく、学校の中で日々交わされる先生と子どもたちとの会話が、優しさに包まれた会話になるような政策を、ぜひ実行してほしい。

**9月6日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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【「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」第124回】「不登校と校内暴力」

 夏休みの8月、教育現場の状況を捉えた記事が2つ、大きく新聞に載った。1つは03年度の「不登校」(小、中学生)が12万6212人で、前年より5040人少なくなり、2年連続で減少したという記事。もう1つは、03年度に公立の小学校内で児童の起こした暴力行為の件数が前年度比27・7%増の1600件にのぼったという記事。
 文部科学省は、スクールカウンセラーの配置などの効果が表れたのではないかと評価しているが、現場の感覚に「不登校」の児童生徒が2年連続で減ったという実感はないという。91年度から「病気などの理由がなく、学校嫌いで年間30日以上欠席した児童生徒」という基準(90年度までは「学校嫌いで50日以上欠席」)で調査 をしているそうだが、長期欠席の理由として分類している「不登校」「病気」「経済的理由」「その他」の4種類への分類は校長の判断とする県が多く、「不登校」という分類が、私たちの認識よりも少なく報告されているのではないかという疑いが湧く。

 東京都内のある小学校長は「不登校」の児童数を「1」と報告した。長期欠席の子は他にもいる。保健室や特別教室に時々顔を出したり、フリースクールに通ったりしている。だが、いずれも「登校」と見なした。「ケース・バイ・ケース。『不登校』というレッテルをはることも、統計上の数を増やすこともあまりよくない」(朝日新聞)

 ここのところの規制緩和の流れも手伝って、出席に対する基準もかなり甘くなった。多くの学校で子どものとった行動を出来る限り「出席」と見なすような判断をしている。また、長期欠席の理由も多様化し、以前なら「不登校」と報告していたような事例でも、最近では、病院でカウンセリングを受けたり病名がついたりしていれば「病気」とする場合もあるし、私設スクールに通っている場合は、前出のように出席扱いにしたり、欠席の理由を「その他」としたりしているのだそうだ。
 ちなみに埼玉県の不登校児は7478人。児童・生徒1000人に対し12.4人。1クラス40人学級として約2クラスに1人の割合。
 さて皆さんは、この数字を実際より多いと見るか少ないと見るか…
 県内でも都市部だけをとってみると、ちょっと少なく感じるのは私だけ?
 不登校児の受け皿が多様化し、とりあえず家に引きこもるわけではなく、保健室であれ、「さわやか相談室」であれ、フリースクールであれ、子どもたちの行き場があるということは大いにけっこう。しかし、基準の曖昧さをいいことに実態を正確に把握しようとしない姿勢は、問題解決を先送りするだけで、根本的な解決にはほど遠い。
 私のところの教育カウンセリング研究所にも、不登校や「ひきこもり」の相談は多い。きちっとした対応をすれば、早期に解決することも多く、中には3年間引きこもっていた子が、たった2回のカウンセリングで治った例もある。
 責任を回避しようという姿勢を改めて、実態を正確に把握し、問題解決に真摯に向き合う姿勢が子どもを変え、真に不登校の減少に繋がるのではないかと思う。

次回につづく

 


**8月30日(月)掲載**

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第123回 「ペットボトル」

 私の母がTVを見ながら言いました。
「最近みんな、ああやってペットボトルだろ。昔は必ずお茶だったのにねえ。だからお茶なんて売れるわけないよ」
 TVの画面には何かシンポジュームのような場面が映っていて、舞台の上に並んだ人たちの机の上には、一人に1本ずつ500㏄入りのペットボトルが用意されていました。よく見ると、客席の方に並んだ机にも同じようにペットボトルが用意されています。
 「ペットボトルって便利なんだよ。ちょっとした集まりの時だって、はじめに並べておけば、いちいち来た順にお茶を入れる必要ないし、飲まない人はそのまま持って帰ればいいし。それに狭い机の上に資料広げたりしなきゃならないときも、飲んでないときはフタ閉めておけば、こぼす心配もない。湯飲みが置いてあると、資料広げたときにこぼす人けっこういるでしょ。資料にお茶が染みて黄色くなっちゃったりしてね」
 「冷たいのも温かいのもあるしねえ…」
 私の父は市役所に勤める公務員でしたが、退職後お茶屋をしています。道路に面した自宅を改造したほんの小さな店舗で、母が店番、父が配達をしています。どうも商売をして儲けようというよりは、父も母も何もしないでじっとしていられるような性格ではないので、とりあえず“暇つぶしにやっている”といった感じです。
 「会場の中はエアコンが効いてるから、しばらく中にいる人は温かいお茶でもいいけれど、着いたばかりの時に熱いお茶出されてもねえ…。それに温かいお茶を出すのって人手がいるからね。途中で注ぎ足したり、あと片づけが必要だったり…」

 まったくペットボトル文化は、全国を支配していますよね。
 昔は飲み物を持って行くといえば、水筒って決まっていたけれど、飲み物の容器がビンや缶だけでなく、フタの閉められるペットボトルの出現で、最近ではすっかり水筒からペットボトルに取って替わられちゃったみたい。ペットボトルに入っているものがジュースやコーラのような嗜好飲料だけのころには、それほどの広がりは見せなかったけれど、緑茶や水といった飲み物がペットボトル入りで販売されるようになったことで、前出の会議やシンポジュームといった場面、運動会や遠足といった子どもたちの生活の中にもどんどん入り込んでいっています。たぶんお茶や水なら、いつどんな状況でも飲んでいいっていう意識があるからだと思うけれど。

 毎年夏休みに、親子の陶芸講座を開いています。下は幼稚園の年中のお子さんから、上は小学6年生までのお子さんが、お父さんやお母さんと一緒にオカリナを作ったり、カップを作ったりします。基本的には、親が子どもの制作を手伝うということではなく、大人も子どももそれぞれ作品を作ってもらうということで進めているのですが、中にはどうしても“子どもだけで”という人もいます。
 今年も、何組かそういう親子がいました。“親子で”と銘打っているにもかかわらず、“子どもだけで”と言ってくるわけですから、当然それだけでも他の人からはちょっとはずれているわけだけれど、そういう人はよくトラブルを起こします。今年は5年生の親子でしたが、“子どもだけ”ということだったのに、お母さんがずっとそばに付き添っています。確かに作っているのはお子さんだけなのですが、お母さんが最初から最後まで、ずっとそばにいるのです。講座も半分以上が過ぎ、終わりに近づいたころ、お母さんがバックの中からペットボトルを取り出すと、自分の子どもと一緒に来ていた子どもの友達に飲み物を飲ませ始めました。それがまたひどいことに、ストロー付きのフタで、子どもは一切ペットボトルに触れるわけではなく、お母さんがペットボトルを持って、ストローから飲ませているのです。
 子どもだけなら注意するのですが、全体の雰囲気が悪くなってしまうのが嫌だから親子の時にはかなり注意しにくいもので、こういうときは無視するしかありません。5年生の後ろには1年生が2人で作業をしていたので、飲み物を飲んでいることに気づいた1年生2人も当然のことながら「私ものどが渇いた」と言い出してしまいました。終わりも近づいていたので、1年生のお母さんも、子どもの要求には応えず、それでその場は収まったのですが、さすがに私もあきれるばかり。
 必ずしも人と同じにしろとは言わないけれど、もう少しマナーは守らないとね。
 ペットボトルのような便利なものが出てきて、いつでも自由に飲み物を飲んでいられるようになったりすると、人との関わりの中で生活しているっていう意識がだんだん薄れてきてしまうんだよね。
 5年生の子どもたちが飲みたがったわけではなくて、お母さんが自分の子どもにだけ気を遣ってた。そういうことがないように、くれぐれも注意注意!
 気を遣うときは自分の子どもはあとにして、まず周りの子に気を遣わないとね。


**8月30日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月 4日 (月)

第122回「ド・レ・ミ・ファ・トー」

「もう一回やるよ! ド・レ・ミ・ファ・ソー はい!」
「ド・レ・ミ・ファ・トー」
「何やってるの! ゆびー! それじゃあ、ダメでしょ! もう一回!」
「ド・レ・ミ・ファ・トー」
「あーあーあー、そんなんじゃダメ! やる気あんの!? “ド・レ・ミ・ファ・ソー”でしょ! もう一回!」
努(つとむ)の涙が鍵盤の上に落ちました。
「ド・レ・ミ・ファ・トー」
 もともとあまり器用でない努が泣きながらピアノを弾いているのですから、怒られれば怒られるほど、うまく弾けるわけもなく、怒鳴り声だけがむなしく響き、時間が過ぎていきます。毎日行われる1時間のピアノの練習は、5歳の努にとってあまり楽しいものではありません。努はピアノの前に座った途端、身体は硬直し、顔がゆがみます。
努の習っていたピアノの先生は、地域の音楽家の間でも厳しいという評判で、東京芸術大学や桐朋音楽大学のピアノ科といった特別な大学を除けば、音楽大学の受験について、
「××先生についているならピアノは心配いらないですね」
と言われるほどでした。

 努は3歳からピアノを習っていました。親の立場からすると、何歳から習い事をはじめさせるかということは大問題で、職業選択という将来の選択の幅まで考えると、ピアノやバイオリン、バレエのようなものは、かなり早いうちから始めないと間に合わない。けれども3歳、4歳といった時期に、子ども自身にやりたいものがあるわけもなく、結局親の趣味や好みで子どもの習い事を選択することになる。
 私は高校に入ってから合唱を始めて、音楽の道に進もうかなあという気持ちを持ちました。けれども、まったくピアノを習ったことがない。まあ、時代もあったとは思うけれど、男の子がピアノを習うなんて感覚は、私が育った家には全くなかった。ちょうど浦和のサッカーが一番強いころだったこともあって、男の子が何かをやるといえば、決まってサッカー少年団。親から「習ってみれば」と言われたのは、習字にそろばん。そういうものは人生選択に大きな影響を与えるものではなく、ピアノやバレエを習うっていうこととはちょっと意味が違う。
 高校時代は、「なんでピアノくらい習わせておいてくれなかったんだろう」って思ったけれど、もし努のように3歳からピアノを習わせようとしていたとしても、“わが家の環境”“私の性格”からいったら無理だっただろうなあと思います。
 努のピアノの先生(妻や私、わが家の子どもたち全員が習っていたのだけれど)は、
「大関さんねえ、子どもを音楽家にしようとするなら、三代かかるわよ」
と言っていました。音楽家というにはほど遠いけれど、一応、妻も高校で音楽の教員をしていたので、妻から数えても最短で孫の世代。いやいや、大変なことですよね。

 今まさにアテネオリンピックで活躍している人たちの中には、親によって作られた人たちがたくさんいます。例えば、体操の塚原選手、卓球の福原選手、ハンマー投げの室伏選手、レスリングの浜口選手や重量挙げの三宅選手等々。おそらく彼らや彼女らは、生まれた瞬間から人生のレールが敷かれていたわけで、成るべくして成っているわけだけれど、うっかりそれをまねしようとしたなら、失敗しちゃうこともある。実はお父さんがサッカー選手になりたかったのに「子どもがやりたがってる」っていうことにして、中学からサッカー部に入れたけれど、性格が優し過ぎてサッカーが合わなくて、不登校になっちゃった、なんていうことがよくあるから、やっぱり子どもの人生は子ども自身が決めないとね。
 子どもがやりたいこと、あるいはやりたくなるだろうことをしっかりと見極めて、小さいころからフォローしておくのは難しいよね。やっぱり親の責任って重いね。自分が運動神経悪いのに、間違っても”オリンピック選手にしよう”なんて思わないでね。


※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第121回 「誕生日 その2」

  麻耶(まや)が通っていた幼稚園では、毎月1回その月に生まれた子どもたちを舞台に上げて、「お誕生会」をやっていました。
 「お誕生会」には保護者も招かれ、保護者の見守る中、、誕生月を迎えた子どもたちは、舞台の上で園長先生から名前を呼ばれ、「お誕生日おめでとう」と書かれた賞状とプレゼントを一人一人手渡されます。誕生日というのはみんなそれなりに興奮をするものだから、舞台に上がっているという状況も手伝って、
 「××さん」(園長先生は男の子、女の子にかかわらず、みんな“さん”づけで呼んでいました)
 という落ち着いた園長先生の呼名とは対照的に、ほとんど例外なくみんな、
 「ハーイ!」と興奮してうわずった声で返事をします。
 いよいよ麻耶の番です。
「大関麻耶さん」
 という園長先生の声に、圧倒的に低い、まるで大人の男性のような声で、
 「はーい」
 と返事をしたので、思わず会場から笑いが漏れました。
 誕生日を祝ってもらった子どもたちは、このあと園庭で保護者と一緒に記念撮影をします。麻耶は3年間幼稚園に通っていましたが、3年間一緒に「お誕生会」をやった子がいて、誕生月が同じというだけなのに、どういうわけかこの子とは他の子とちょっと違った関係を築いていました。

 「お誕生会」と言えば、幼稚園や学校でやるものばかりじゃないよね。誰でも何回かは自分の家に呼んだり、友達の家に呼ばれたりしたことはあると思うけれど、これがけっこう問題。
 自分が誕生日の時は、誰を呼ぼうか迷っちゃう。そして、友達に呼ばれたときは何をプレゼントに持って行こうか迷っちゃう。結局どっちの場合も迷うんだけれど、一番タチが悪いのは、「××ちゃんは呼ばれたのに、なんで私は呼ばれないんだろう?」っていうやつ。誕生日に誰を呼ぶかなんて、呼ぶ側の自由なんだから、周りがガタガタ言うような性質のものじゃないんだけれど、「私が一番仲のいい友達」なんて思っているのに呼ばれなかったときのショックは大きいよね。自分だけが呼ばれると思っていたら、いつも悪口の対象になってるとんでもない奴まで呼ばれてたりしてね。そんなのも嫌だよね。「なんだ、もしかして他の奴の前では私の悪口言ってるんじゃないの?」なんて疑心暗鬼になっちゃう。誕生会がきっかけで仲が悪くなっちゃたりしてね。そんなことよくあるんじゃない?

 結局ウチの子どもたちは、ほとんど友達を呼んだことがなかったね。上の2人の時には、何度かあったように記憶してるけど、兄弟が多くなってくるとウチの中で誕生会やるだけでけっこうな回数になっちゃうし、プレゼントもそこそこもらえるし…。5人の子どもと私と妻とおじいさん、おばあさんまで誕生会をやってるからね。それだけでも1年に11回。
 まあ、お友達を呼ぶときは、あんまり問題が起きないようにそこそこにね。
 小学校2年生の時、私の「お誕生会」をやったんだけど、母が用意したごちそうは、こんにゃくの煮付け、きんぴらごぼうに赤飯。 飲み物は麦茶。今から40年くらい前の話だから、無理もない部分はあるけれど、友達の家に呼ばれたときは、唐揚げにサラダにケーキにフルーツ、飲み物はカルピスだったよ。さすがに40年経った今でも、この惨めな気持ち、ちゃんと覚えてるんだよね。
 毎年、子どもの誕生日を迎えて一番嬉しいのは、お父さん、お母さん。その気持ちがしっかり子どもに伝わるといいんだけどね。


**8月9日(月)掲載**

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第120回「誕生日 その1」

 「なんでまたよりによってこういう日に事故なんかあるのかなあ。それも川口線入ってすぐのとこだよ。8㎞40分だってよ。しょうがないなあ、川口線やめて池袋線を廻るよ」
 ドイツでモダンダンスのダンサーをしている努(つとむ)が4年ぶりに帰ってくる日。7月28日午前7時50分成田着ということだったので、インターネットで到着時刻が約30分遅れていることを確認して、6時半前にわが家を出ました。妻と私、翔(かける)に沙羅(さら)が私の車、電車が大好きな蓮(れん)は麻耶(まや)と2人でスカイライナーで、成田に向かいました。
 外環の浦和ランプに近いわが家から成田空港までは、高速道路を使って約1時間半。多少の渋滞があっても2時間はかかりません。ところがこの日は外環に乗る直前で事故を察知。自然渋滞ならともかく事故では、どのくらいかかるかも想像ができず、首都高池袋線を廻ることになりました。板橋から中央環状線に入るつもりが運悪く、その先の中央環状線でも事故。
「ダメだこりゃ。箱崎を廻ることにするよ」
というわけで、成田に着いたときには、電車で成田に向かった麻耶と蓮が到着ロビーに出てきた努を出迎えて話をしていました。4年ぶりに見る努はほとんど変わりがなく、元気そうでした。孫の蓮と沙羅はこの時初めて努に会いました。ところが不思議なもので、まるで生まれたときから一緒に暮らしているような懐きよう。蓮も沙羅も努にまとわりついて離れません。おそらく自分たちの母親と努の様子から、安心していい相手だということを瞬間的に感じ取るのでしょう。

 空港で軽く食事をし車に乗り込むと、「努歓迎」のためのスケジュールの確認です。
「とりあえず家に寄って、その後、ペットショップと陶芸教室とカウンセリング研究所を見に行く。今日は真(まこと)が来るって言ってるので夜はお寿司かなんか食べに行こう」
「うん。それでいいよ」
「31日が蓮の3歳の誕生日だから、その日はカウンセリング研究所の研修室で誕生パーティ。麻耶が一生懸命、弘子ちゃんや真に連絡とって人集めしてたよ。“25日がパパの誕生日でしょ、31日が蓮の誕生日でしょ、それにオーちゃん(努のこと)歓迎の合同のパーティやるから”って…」
「わかった! やろう、やろう! あっ、そうそう。今一緒に踊ってるダンサーで、ちょっと仲良くしてる黒人のイギリス人がいるんだけどさあ、その子のお母さんとウチのお母さんと誕生日が同じなんだよ!」
「へーぇ。討ち入りの日なんだあ?」
「そうそう、12月14日」
「いくつくらいの人?」
「だから、誕生日同じなんだよ」
「?」
「同じ日なの!」
「1941年っていうこと?」
「そうそう」
「へーぇ、そりゃあめずらしいねえ。歳まで同じっていう人はあんまり聞いたことない」
「なんだかさあ、直接は全然知らないのにすごく親しい気がするでしょ? それが不思議だよねえ。誕生日が同じっていうだけなのに…」
「なんだか昔っから知ってるような気がするよ」
「タハハッ、そんなわけないのに…」

 人間って、自分の大事なものと同じものを持っている人がいるととっても親近感がわくみたいです。
さて、蓮くんの誕生日。何をプレゼントしようかなあと、妻と一緒に本屋さんに行きました。主人公の魚のひれがキラキラ光ってとってもきれいな本と「泣いたあかおに」(子どものころ読んだ「泣いたあかおに」をどうしても読んでやりたいと麻耶が言うので)、ちょっと変わった作りになっている魚の図鑑、それに沙羅ちゃん用の子熊の絵本です。
小さい子どもの誕生日のプレゼントってとっても困るけど、どれもとてもかわいい本だったので、けっこう喜んでくれているみたいで、昨夜は「本読んで、本読んで!」とずっと騒いでいました。毎晩、この調子で騒がれるとちょっと困るなあと思いつつもなんとなくどこか嬉しいよね。

次回も誕生日の話。


**8月2日(月)掲載**

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第119回「サービスエリア」

「間に合うかなあ?」
「んー、どうだろうねえ…」
「間に合わなかったらバッカみたい。なんで早く出てきたかわかんないじゃん」

妻の両親は熊谷で2人暮らし。父が92歳、母が88歳になりますが、週に数回ヘルパーさんを頼んで、なんとか2人で暮らしています。そんな両親の昼食や夕食の世話をするために、妻があるいは妻と私が、週に一度くらいの割で熊谷を訪れることがあります。この日は、昼食を作りに妻と私で熊谷へ向かっていました。以前は国道17号を使って熊谷まで行っていましたが、ここのところ渋滞がひどく、わが家から熊谷まで、2時間以上もかかってしまうことがあるので、ちょっとお金はかかるけれど、今では東北道を使って加須経由で行くか、関越道を使って東松山経由で行くことにしています。

「どうかなあ? あるかなあ?」

午前10時くらいに家を出て、関越道経由で行くことが多いのですが、この日は30分ほど早く家を出ました。目的は高坂サービスエリアのメロンパン。これが一度食べたらやみつきになっちゃう美味しさ(メロンパンの宣伝をしているわけじゃないんだけどね。カハハッ、とりあえず私の好みだっていうことにしておいてください。どうも妻は私ほどは感動してないみたいだから)ですが、関越道経由で熊谷に向かうときは必ず高坂サービスエリアに寄ることに。ところが人気があるらしく、ちょうど焼き上がったころに行かないと買えないことが多いのです。サービスエリアですから、定時に焼き上がっているというわけでもないらしいのですが、ここのところタイミングが悪く、3回連続して買えなかったので、この日は若干時間をずらして、少し早めに出てきました。

「あああああああ! なーい!」
「・・・」
高ぶっていた気持ちが一気に引いて、頭から首筋にかけてが、なんかこうヒンヤリとしてくるような寂しさ…。
“ダーッ! 今日は絶対買うー!”
「おばさん! 次のメロンパン焼き上がるまでにどれくらいかかります?」
「うーん、まだこれからオーブンに入れるから、40分はかかると思うよ」
「ホーッ、40分…」
妻にむかって
「ねえねえねえ、食事するよ」
「うふふっ、そう言うと思った」

結局メロンパンが焼き上がるまで、レストランで食事をすることに。
ったく、いい大人がそこまでこだわるかねえ?!
なんとかメロンパンをゲットして熊谷に着いたのは正午。これじゃあ、17号を使った方がよっぽど早く着いたかも…。

22日、熊谷うちわ祭りの最終日はちょっと熊谷のウチに顔を出すことになりました。仕事をちょっと早めに切り上げて熊谷に向かった私が着いたのは午後8時半。父と母が食べた夕飯の残りをちょっと食べて帰路に。
この日は、えらく食欲旺盛で、
「ねえねえ、ウチに帰っても御飯ないって言ってるし、これから麻耶に炊かせて食事の支度するのもおっくうだから、ステーキでも食べて行っちゃおうよ」
ところがちょっと時間が遅く、お目当てのステーキやさんはタッチの差で“CLOSE”。加須方面に向かっていたので、
「しかたないから、蓮田のサービスエリアでいいか…」
ここのところ関越道を使うことが多かったので、蓮田のサービスエリアに寄るのは久しぶりです。
「あっ、変わってる! この前工事してたけどこんなにきれいになったんだあ。早く入ってみよう」
ところが、入った途端に愕然!
「なにこれ?! 吉野家じゃん!」
サービスエリアにお店を出していたのは、“らあめん花月”“吉野家”“麺処すいれん”(すいれんていうのはよく知らない)。
「えーっ、なんでこんなんなっちゃったの?! あのローカルな豚汁定食とコロッケ定食でよかったのに…。吉野家で食べるんだったら、なにも高速道路のサービスエリアなんかに寄らないよ。ローカルでいろーんな味のものがあって、その中から美味しいって思うもの探すのが楽しかったのにね。知ってる味のものなんてこんなところで食べたくない。こういうところからもどんどん個性が失われて行っちゃうのって嫌だね。こういう時代だからこそ、どんなところにもいろいろな顔があっていいのにね。人も同じように個性が奪われてっちゃうのかなあ? 安全な方、安全な方ってね。ちょっと寂しいね。なんだかこうなっちゃうとあのまずかったラーメンが懐かしいよね。きーめた! 熊谷に行くときは絶対関越道。あのメロンパンは高坂のサービスエリアにしか売ってないもんね」
(2019年11月4日現在、本文中のメロンパンは販売していません)


**7月26日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。


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   Re: 第119回「サービスエリア」 2004/07/28 3:52:30  
 
                      りんりん

 
  そういえば、北陸道だったか、東北道だったかのS.A.に寄った時、モスバーガーがあったんですよ。私的には、まずい そば かなんかを食べなくてすんだんで、助かったんですけど、大関さんが言うように社会がどんどん画一化されていくことって、子供を画一化することにつながっているんですよね。個性重視って言いながら、大きな部分で反対に向かっているのは心配です。
もっとも、私は吉野家歓迎ですげど・・(笑)
子育てはS.A.にならないように気をつけます。
  
元の文章を引用する
 

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   画一化 2004/07/31 13:31:06  
 
                      大関直隆

 
  ご意見ありがとうございました。
価値観が非常に多様化しているなかで、
S.A.も個性的になりつつあります。
温泉やマッサージ、水族館、スキー場…
そういう意味では、個性化が進んでいる(実はこれも自分がわかっているサービスを求めるという点で画一化なんですけれどね)と言えるのに、
一方で吉野家やモスバーガーのような店舗も増えている。
味がわかっているという安心感や
日頃の自分の行動範囲から出たくないというような
オタク的な発想がそこにはあるのだろうと思います。
本来、高速道路のS.A.などというところは、
子どもたちにとって心が浮き立つ場所であるはずなのに、
そこに子どもの日常と同じものしかないということが、
子どもの無感動を生みはしないかと気になるところです。
小さい頃にはとても表情が豊かなのに、
大きくなるにしたがって、表情が消えていく。
そうかと思うと、異常なまでに陽気になったり、
激しく怒ったりする子がいる。
日常の生活の中から、
”ごく平凡な感動”が消えるだけで、
子どもたちの心は歪んでいってしまうのではないかと思います。
安心を求めて社会の画一化が進んでいくのではなく、
不安な中にも喜びや悲しみや感動がある世の中になったら、
子どもたちも感動の持てる人間に成長していくのでしょうけれど。

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第118回「スイカ」

 あごを引きながら、大きく息を吸ってー、はいっ、止めて!
今度は勢いよく下あごを突き出しながら、吸った息を一気に吐いてー!
「ぷっ!」
さーて、種はどこまで飛んだかな?

何の種が飛ばしやすいか知ってる?
もちろん一番飛ばしやすいのは、“サクランボ”!
種の大きさ、形状、そして重さ、どれを取っても申し分ないよね。
下あごを突き出すタイミングと息を一気に吐き出すタイミングがぴったり合えば、相当遠くまで飛んでいくよ。1m、2mなんていうもんじゃない。5mくらいも夢じゃないかも…。
サクランボの甘酸っぱさは大好き! 特に佐藤錦の美味しさは格別だね。大粒なやつはちょっといい値段はするけれど、小さめで粒があんまり揃ってないやつなら、スーパーでそこそこの値段で買えるから、旬のころにはいつも2パック買ってきて、一気に食べちゃう。最近は、「ぷっ」と飛ばせるような庭もないので、サクランボを食べ終わった私の前は種の山。知らない人が見たら、たぶん10人くらいで食べたと思うだろうね。ハハハッ!
さて、サクランボの次に飛ばしやすいのは、なんだと思う?
ターッ! 知ってるかなあ? “ザ・ク・ロ”
私が子どものころ、実家の庭にザクロの木があって、よく食べました。昔は庭にザクロの木を植えてる家が多かったよね。ザクロの木にはよくアゲハチョウが卵を産みにくるんだよ。最近は夏の終わりから秋にかけてスーパーでもザクロの実を見かけるけれど、スーパーで売ってるやつは大きいのにはじけてなくて、あのはじけた口から見えるルビーのような真っ赤な実が見えないのは残念だね。今考えると、酸っぱくて渋くて決して美味しいとは言えないザクロの実をけっこう夢中になって食べていたのは、一つ一つほぐして口に入れ、いっぱいになったところでその酸っぱくて渋い汁を吸っては、まるで機関銃のように口から、
「ぷっぷっぷっぷっぷっぷっぷっぷっ」
と出す、その“ほき出す行為”そのものが楽しくて、食べていたのかなあ???
そうそう、種のある果物といえば、スイカもあるよね。
スイカには2種類の食べ方(食べ方なーんてそんな大げさなもんじゃないよ)がある。一つはまず種をほぼ全部取ってから食べる方法(この方法は子どもがまだ小さいころ自分で種を出すことができないので、大人が先にとってやってからスイカを渡す方法)、もう一つは適当な大きさに切ったスイカを種を取らずにそのまま食べて、口の中にたまった種をあとから出す(時には“ぷっぷっぷっぷっぷっ”とね)方法。わが家の努(つとむ)は口の中でうまく種がより分けられないらしく、スイカを食べるのが苦手でした。

昨日(19日)は、浦和のお祭りで、わがショップのあるエイペックスタワーも休憩所になっていて、子どもたちが汗びっしょりになりながら、御輿を担いできました。休憩所に用意されたのは、ジュースやラムネ、スイカに唐揚げ。すごい暑さの中を担いできたので、まずジュースやラムネを夢中になって飲みます。私なら、次は当然スイカにいきたいところですが、どうも子どもたちの行動は違いました。スイカは避けて、ほとんどの子が唐揚げへ。食べているのを見るだけでも暑そう。大した量じゃなかったのに結局スイカは余っちゃいました。
どうも最近の子どもたちは種を出すのがおっくうなのかなあ???
ちょっとそんな感じ。確かに舗装された歩道の上に種をほき出すわけにもいかないし、食べたあとに手はベタベタするし、味もはっきりしてないし…。
もしかして、スイカって小さくカットしてパックに入ってるのをフォークで食べるって思ってるのかなあ???

私が子どものころは4分の1に切ったやつをイチョウ切りにして、ほっぺたには汁をつけ、肘からはボタボタと汁を垂らしながらスイカを食べたもんだけど、あんなスタイルで果物を食べるのなんて、今は流行んないンかもね。
そう言えばわが家でも、桃を食べるとき皮を剥いて一気にかじるのは私だけ。みんな上品にナイフでカットして出してやらないと、甘くて美味しい桃でも誰も手を出さないもんね。ちなみに私は桃を食べるときは、“流し”に立って、汁が垂れるのもおかまいなしに、一気にかじっちゃいます。丸かじりするときの幸福感といったらなんとも言えないんだけどなあ…。

 


**7月20日(火)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第117回「夏祭りの季節」

イヤーッ、暑い、暑い!!
今年の梅雨はどこに行っちゃったんでしょう?
なんだか雨らしい雨が降った覚えがない。
雨らしい雨と言えば、この前上陸した台風(何号だったっけ?)のときくらい???
何か最近の天気図を見ると前線が日本列島の上にあることが多くて、「もしや梅雨明け?」っていう感じです。このまま梅雨が明けちゃうと水不足が心配だよね。
さてこの時期って言えば「夏祭り」!
私が子どものころは
♪ピーヒョロ ピッピッピ
ピーヒョロピー …♪
で始まる秩父音頭の笛の音が祭りの象徴的な役割を果たしていたけれど、最近では
♪… うらわ踊りは トトントトント
    トント 手拍子足拍子 ハア トトントねぇ ♪
に、すっかり取って代わられちゃった。
私たちの世代は、運動会でも全校で秩父音頭を踊ってきたので、ちょっと寂しい気もするね。

妻の実家は熊谷なので、7月20日から22日まで開かれる「うちわ祭り」によく行きます。「関東一の祇園」とうたっているだけのことはあって、市内を回る山車の奏でるお囃子は、なんとも言えない情緒・風情があります。山車と山車がお互いに進路をふさぎ合った時に行う叩き合いは、山車が曳かれているときにゆっくり奏でるお囃子とは対照的に、そのテンポ、迫力は圧巻。大きな和太鼓こそありませんが、鼓と鉦を激しく連打する音、相手を威嚇する叩き手の身振りやかけ声には、身震いするほどの迫力を感じます。そして「うちわ祭り」のクライマックスは22日夜に行われる12台すべての山車がお祭り広場に集まっての叩き合い。3日間で約70万人が訪れると合って、最後の叩き合いで興奮は最高潮に達します。

「うちわ祭り」に行くといつも感じるのは、熊谷の人たちの入れ込みよう。やっぱり“土地”のお祭りには特別のものがありますよね。

浦和にはそれほど歴史のある大きなお祭りがあったわけじゃないから、“私のお祭り”といえば、実家のある原山のお祭り。
タハハッ! 「うちわ祭り」のことを言ったあとじゃ、とても恥ずかしくて言えないようなお祭りだけど、子どものころの私にとっては1年に一度の、とても“大きな”お祭りでした。産業道路沿いにある“原山会館”の小さな庭で(ほんの百人もいたらいっぱいになっちゃうような)行われる演芸大会や盆踊り。昼間は汗をいっぱいかきながら、一生懸命山車を曳く。夜は大人の輪に交じって踊りを踊る。夢中になって金魚すくいをしたこともありました。

いろいろあって、実家との関わりが10年以上なかった時期があったり、「うちわ祭り」のようにそのために出かけるほど、“大きな”お祭りではないので、20年くらい原山のお祭りに出かけることはありませんでした。祖母は歌が好きで、お祭りに行われる演芸大会によく参加していました。亡くなる少し前、祖母が演芸大会に参加するというので見に行ったのがきっかけで、その後は何度か子どもを連れて原山のお祭りに出かけました。地域のお祭りというのは何年経っても変わらないもので、かなり長い間地域の人たちとは会っていないのに、みんなが声をかけてくれます。
「元気? ずいぶん太ったんじゃない?」
そんな会話の中にも暖かさを感じます。お祭りの世話人をやっている人たちの顔ぶれを見ると、子どものころと変わらないように見えるんですけど、ちょっと違う。みんなJr.になっているので顔はよく似ているのに、なんとなく雰囲気が違うのがすごくおかしくて、ついつい微笑んじゃう。そんなのが地元っていうか故郷っていうか…(ちょっとおおげさ)

大宮で夏祭りに出かけた人が、中学生の女の子たちがお酒を飲んでいるのを見かけたんだそうです。翌年、子どもが入学する中学校の生徒のようなので心配になり、中学に電話を入れてその女の子たちの様子を話し、現在の中学校の様子を尋ねたそうです。教頭先生は、
「少し荒れてるんですよ。タバコの吸い殻は落ちているので吸っている連中はいるんですが、現場に出くわしていないので指導はしていません。かなりひどい連中は授業にも出ませんから、そんなに心配はないですよ。荒れてるんじゃないかとご心配のようですけど、公立中学に入れるっていうのはそういうことですから」
と言われたそうです。
私立っていう選択もあるけれど、“自分のつながりのある地域”っていう選択もなくてはならないものだと思うんだけれど、学校がこの姿勢じゃあねえ…。これはめずらしいくらいひどい例だと思いますが、“地域との連携”なんて学校が叫んでいる割には根本的なところがわかってないよね。きっと教頭先生はどこか遠くから通ってきてる人なんだね。地域の暖かさの中で子どもを育てることがどんなに大切なことか、しっかりと教員にもわかってほしい。公立・私立の選択の中で公立を選択している人たちは、お金がないから公立を選択しているわけじゃないと思うんだけどね。


**7月13日(火)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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116回「金縛り」

「(うっ! あっ!)」
「(あれっ? 息ができない!)」
「(たっ、たっ、たすけてーっ!)」
「(だめだっ!)」
 必死で息をしようとしますが、まったく空気が気管を通過しないのです。
「(たすけてーっ!)」
 心の中では叫んでいるのに声も出ません。
「た~っう~っえ~っえーっ!」
 やっとのことで息を絞り出しますが、とても声にはならず、ますます息がなくなっただけで、苦しさが増してしまいました。
「(あっ! うっ!)」
 と強く吸い込もうとしてもやっぱりだめです。
「(あれっ? 身体も全然動かない!)」
 右に寝返りを打とうとしても、左に打とうとしてもダメ。手もまったく動きません。目だけは開き、辺りを見回すことはできるのですが、どうしても身体は動きません。とても奇妙な感覚です。
「(金縛りだ!)」
 スーッと自分の顔から血の気が引いていくのがわかります。
「(どうすればいいんだろう? とにかく落ち着かなきゃ!)」
 すると突然、頭の周りで、何か小さな生き物が畳の上を走り回るような音がし始めました。
「(ねずみ?)」
 トコトコトコトコトコトコトコトコ、トコトコトコトコトコトコトコトコ…… どんどんその数が増えていきます。
「ピチプチュパプパピプチュピチプチュプチュ……」
 その生き物はテープレコーダーを早回ししたような声で、しゃべっています。
 その生き物は、ネズミのようなものではなく、どうも人間の子どものようにも感じます。見えているような見えていないような私の意識の中に、とんがり帽子をかぶった体長30センチくらいの人間の子どものような生き物が浮かび上がってきました。
 身体の硬直感は増し、私の恐怖心は最高潮に達しました。
「(だれ!? だれ!?)」
 必死で叫んでも、まったく声が出ません。
 そんなことが5分くらい続いたでしょうか…。
 その私の周りを走り回っていた人間の子どものような生き物は波が引くように一気に減り、一匹もいなくなりました。
 最初に感じた息苦しさはいつの間にかなくなって、それまでまるで石のように堅くなっていた身体からは、スーッと力が抜け気怠い感覚だけが残りました。
 これは、小学校6年生での体験です。中学生になってからも、同じようなことが何度か起こりました。2度、3度と体験するうち、私はそれを楽しむことができるようになりました。
 身体が硬直して、まったく動けない状況の中でも、
「今日はあの子どもたち来るかなあ? 何か話ができないかなあ?」
 と考えるようになり、金縛りに遭う恐怖心が金縛りに遭う楽しみになっていったのです。

 つい先日、筑波大学の調査で小学生の1割が抑うつ傾向にあり、「よく眠れない」「やろうと思ったことがうまくできない」「落ち込むと元気になれない」「何をしても楽しくない」「たいくつ」などという回答が10%を超えたそうです。
 朝から寝るまでを管理されている子どもたちが、自由な創造性の中で生きられるわけもなく、えらく納得させられる結果だなあと思いながら、もし自分が今の子どもたちのように育っていたら、「金縛りを楽しむ」何ていうことはできなくて、身動きができない状況の中で、きっと抑圧され続けて生きなければならないという恐怖心だけが増幅され、恐怖で「夜眠れない」何ていうことが起こったんだろうな、などと考えていました。
 金縛りは睡眠不足や不規則な睡眠、ストレスなどが原因で、浅い眠り(レム睡眠)の時に身体はぐったりと寝た状態なのに脳が目を覚まして起きる現象とか…。別に霊によって引き起こされるものではないのでご心配なく! 一応付け加えておきます。

 


**7月5日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年11月 3日 (日)

第115回「“励ます”“ほめる”」

 私の会社のある「エイペックスタワー浦和」に商店会ができ、私は広報部を担当することになりました。長い長いPTA役員の経験の中で、一度だけとはいえ広報部を経験したことがあるので、広報誌の作り方はおおよそわかります。当時の広報誌を書類の山の中から引っ張り出し、1ページあたりの段数や1段あたりの字数と行数を数えて、とりあえずその体裁に倣ったニュースを作ることにしました。
PTA広報誌は、どちらかというと内部向け。ところが商店会のニュースとなると逆に外部向け。PTAなら新入生の学年を除いて組織自体はわかっているわけだけれど、商店会となるとPTAより任意性が強く、エイペックスタワーのすべての商店、事務所が入会しているわけではありません。創刊号ではまず、すべての会員の紹介から始めることにして、全会員から原稿をもらうことにしました。

 いやいや、これが大変。会員数は30弱。たいしたことないって思ったのが間違いの始まりで、PTAのように“学校”というとてつもなく強い存在の上に成り立っているのではないので、PTAでの原稿依頼よりはどうしても引き気味になっちゃう。店舗名を含めて15字・8行。 本文はたったの6行・90字しかない原稿なのに、
「すみません、商店会の広報部なんですがあ、これほんのちょっとでいいんですけど、原稿お願いできますか? あのそんなに難しいことじゃなくていいんで、申し訳ないんですけど、2週間後の金曜日までっていうことで、よろしいでしょうか?」
なあんて、すっかり嫌なことのお願いモード。考えてみれば、商店会の会費以外無料で、しかもこちらはボランティアで宣伝をしてあげようというわけだから、何もこっちがへりくだる必要はないのに“なんでだろう???”何て考えながら、学校という組織の化け物ぶりを痛感するのでした。
 結局、原稿が全部揃ったのは予定より1ヶ月遅れ。“5月末には印刷屋さんに入稿して遅くとも6月10には発行”なんていうつもりでいたのにとんでもない。「6月に発行」ということで総会を通っているので、何が何でも6月末までにはなんとかしないと…。とりあえず、ニュースに刷り込む日付だけは6月30日にして、つじつま合わせ(トホホッ)。

 いつもウチの会社でお願いしている印刷屋さんに無理を言って、なんとか急いで上げてもらうことに(ウチが出す印刷物は急がないであげてもらったことなんてないんだけどね)。原稿を取りに来てもらうなんていうことはとても頼めるような状況にないので、私が届けに行きました。なんとか打ち合わせをして、校正はFAXでやれば、ぎりぎり30日には上がるかなあ?なんていう感じで、ひとまず“ホッ!”

 印刷屋さんの帰りがけにそこの社長が本棚から数冊の本を出してきて、
「これ参考に読む?」
と本をくれました。
 坂本光男氏(もうけっこうご高齢ですけど、さいたま市在住で教員歴の長い方なのでご存じの方もいらっしゃると思いますが)の本だったんですが、私にいわせると、“もういったい何を言ってるの!”レベル。
「いま親と教師は子どもをもっと励ましてやらなければなりません」というまえがきで始まるこの本は、子どもを「励ますことば」の例をたくさん挙げています。「励ます」こと自体を悪いとは思わないけれど、ここに挙がっている例は、「いろいろ大変なこともあったけど、生んでよかった(母)。やっぱり育ててよかった(父)」「頭が悪いんじゃないよ。時間をかければできる。あきらめずに、くり返し覚えることをしっかりやるといいよ」「まじめに一生けんめい働いているおとなが、いっぱいいるんだよ。その人の方がはるかに多い。暗い部分だけでなく、明るい方をよく見てすすもう」「これができると大きくなっても役にたつよ。さあ、やってみよう。いますぐ無理なら、いつからならやれる?」「いっぱい食べたね。きっと、じょうぶで元気な子になれるよ。またおいしいものをいっぱいつくってあげるからね」等々。
 まず大人が子どもを常に見下しているし、しかもよく内容を考えてみると、大人を“いい大人”と“悪い大人”とに分けて、さらにそこに差別的な見方まで加えている。これじゃあ、励ましているんじゃなくて、単なるお説教でしかない。

 もちろん、“励ます”“ほめる”が子育ての一つの要素であっていいとは思うけれど、“励ます”にも“ほめる”にも、価値観の押しつけが内包されているということを忘れないようにしないとね。私は、“励ます”“ほめる”より、“共感”の方がいいと思う。嬉しいことは一緒に喜ぶ、悲しいことは一緒に悲しむ。そして、時に価値観のぶつかり合いがあるときには、“怒る”っていうことになる。
 小さいうちはある程度しかたがないけれど、ある年齢に達したら、”頭ごなしに怒られた”という感覚よりは“意見がぶつかり合った”って感じられるような関係作り方も重要なんじゃないかな。


**6月28日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第114回「リセット」

なんか違うんじゃない???

 チャットの授業では、まず子どもたちに書き込みを楽しませる。絵文字で表情をつけたり、記号を使ったり。盛り上がると、先生がわざと悪口を書き込む。
 「○○君はいつも授業中遊んでいるよね。ア-ホ」。先生が書いたとはわからない。連動して子どもの言葉が乱れてくる。最後に「どう思った?」とモラルを考えさせる。
 石原教諭は「悪口を書いたらいけないと口で言っても、子どもにはわからない。中傷ばかりを書き込む大人用のチャットに参加している子も少なくない。授業で疑似体験をさせて考えさせることが大切だ」と話す。(朝日新聞 6月13日朝刊より)

佐世保の事件以来、小学校でのネット教育を見直す動きが広がっているけれど、どこか違うんじゃないかなあ?
ネット上でのマナーを教えることに反対ではないけれど、教えている教師の子どもたちに対するマナーは、誰が教えてるんだろう?
ネット上でのエチケットを「ネチケット」と言うんだそうだ。でも、いったい何語?
子どもの通っていた中学校では、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴ると急いで席に着くことを「チャイム席」と言っていました。懇談会に行くと「チャイム席」っていう言葉が何度も出てくるから何かと思っていたら、まあそういう意味。わけのわからない言葉を作り出して、自分たちが喜んでいることをそんなに非難するつもりはないけれど、それを言っている先生の口癖が「子どもたちの言葉が乱れている」だから、ビックリしちゃう。ちょうどそのころは、「チョーむかつく」とか「チョベリバ」とかいう言葉が流行っていたころで、私には子どもたちが独自に作り出す言葉は悪くて、学校が作り出す言葉は悪くないという理屈がどうしても理解できなかった。
今回もちょっとそんな感じ。
「ネチケット」っていう言葉自体が悪いとは思わないけれど、そういう言葉を使って子どもたちを指導している教師の「教育についてのその軽さ」が、どっぷりとネットに浸かっている感覚なんだということを忘れないでほしい。

「悪口を書いちゃいけない」と言いながら、教師が悪口を書いてる。普通の感覚からしたら、書いちゃいけないことはどんな理由があっても書いちゃいけないんだと思うけど…。
「○○君はいつも授業中遊んでいるよね。ア-ホ」と先生が書いた。○○君の気持ちは傷ついた。「ほーら気分悪いだろ? だからやっちゃダメ」と言われたって、「○○君の傷ついた気持ち」はリセットできるわけがない。「○○君はいつも授業中に遊んでいる」と教師が書き込んだとすれば、○○君は教師にいつも「授業中遊んでいる」と評価されていることになっちゃう。たぶん教師は「○○君は授業中に遊んでいる」と本当に思っているんだよね。これって授業を利用した教師の生徒に対する「いじめ」じゃない? そう言うとたぶん先生は「私と子どもとたちの間には信頼関係がありますから」とか言うんだよね。
ゲームの世界は「死のリセット」ができるから、命の尊さが軽んじられると言う。学校という世界は「子どもの言動のリセット」はできないのに「教師の言動のリセット」はできるから、子どもの気持ちが軽んじられる。
6月17日、福岡の高校で40代の男性教師が、授業中に居眠りをした男子生徒にカッターナイフを渡し、この生徒の指の血で「反省文」を書かせていたという事件があった。「本当に血で書くとは思わなかった。驚いてやめさせた」そうだが、もう指を切って書いちゃったんだから、リセットできないんだよね。おそらく、そうせざるを得ないくらいに子どもをせっぱ詰まらせる怒り方をしたんだろうね。
校長曰く「教師として自分の気持ちを伝えようと熱心なあまりの指導だったと思うが、不適切だった。佐世保でナイフを使った事件があったにもかかわらず、教師に対する指導が不足していた」んだって。
こんなことやってて何が「ネチケット」だか…。
教師はしっかり「チャチケット」(チャイルドに対するエチケット)を身につけた方がいいんじゃないのかな???


**6月21日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第113回「素敵なお産をありがとう」

 6月10日(木)~13日(日)(昨日)まで、映画「素敵なお産をありがとう」の上映会を浦和教育カウンセリング研究所(現・浦和カウンセリング研究所)の研修室でやりました。
 この映画は、翔(かける)が生まれる瞬間を当時17歳だった努(つとむ)が撮ったビデオを編集し映画化(現在は映画がさらにDVD化されています)したもので、キネマ旬報ベストテン文化映画部門第6位、日本産業映画ビデオコンクール奨励賞を受賞した作品です。
 1990年から行ってきた講演会「メルヘントーク」の3回目に浦和市民会館(当時)で初めて公開した出産シーンのオリジナルビデオ映像に家族の紹介映像と真(まこと)によるナレーションを加え、再構成し完成しました。
 当時、出産の映像というのはとても珍しくて(今でも珍しいですけど)、しかもそれが子どもたちも含めた家族全員の立ち会い出産ということで、かなり話題になりました。このビデオの最初の公開がきっかけでTVに出演するようになるのですが、TV、週刊誌、新聞といったマスコミの取材が重なって、明け方3時くらいまで取材を受けてるなんていうこともありました。
 もともとただ単に家庭の中の記録として撮ったものでしたが、いろいろな成り行き(この辺のことは長くなっちゃうので割愛)で公開することになり、マスコミに取り上げられてしまうと、貸し出し依頼が殺到して、それにお答えするには内容が内容なだけにビデオという形よりはフィルムという形の方がいいだろうということで、16ミリ映画にしました。
 岩波映像販売(映画化のプロデュースをしてくれたところ)が主催で、六本木の俳優座劇場で2週間の上映会をやったり、その後いろいろな団体に全国各地で上映会を開いていただいたりしました。上映とセットで講演にも行きました。まだ映画化する前に鈴鹿の青年会議所の皆さんに呼んでいただいたり、青少年健全育成関係団体の方や大学、高校、教職員組合などなど、いろいろな方々に上映会、講演会を企画していただきました。
 ウチが企画したのは初めて公開したとき以来、今回で2回目です。今回企画してみて、ずいぶん時代が変わったなあと思いました。十数年前は出産のビデオを公開することはもちろんですが、立ち会い出産そのものがあまりポピュラーとは言えなくて、夫だけでも立ち会える病院はまだまだ少なかったし、ビデオ公開後1年くらいの間の出産の話題が沸騰したときにも、“夫が立ち会うと妻の出産の動物的なグロテスクさに驚愕してすぐ離婚になる”何ていうことが“成田離婚”と一緒に平然と言われていたことがあって驚きました。
 「素敵なお産をありがとう」は、もちろん出産を扱った作品ですけれど、全編に流れているものは、“出産”というよりむしろ“家族が新しい仲間をどう迎えるか”という映画です。母親にとっても父親にとっても、また子どもたちにとっても新しい家族の誕生は、人生の上でとても大きな出来事です。もちろんそれは出産というその瞬間だけにとどまるものではなく、人の一生に大きく影響を与えるものです。
 13年前と比べて今回は、映像そのものによるインパクトよりも、出産が我が家の中でどういう位置づけだったのか、あるいはご覧いただいた方の家庭において、出産がどういう意味を持っていたのか、そういったことを考えながらご覧いただけたのではないかと思いました。
 映画を見るとずいぶん幸せそうな家族に見えますが、わが家も決して順風満帆なわけではなく、しょっちゅうガタガタと揺れているし、せっかく積み上げた積み木がいっぺんに音を立てて崩れることもあります。まあ人生ってそういうものかなって思いながら生きてはいますが、頻発する少年少女の自殺や事件を思い、今回ご覧いただいた方たちは、一つの新しい命の誕生をどんなに周りが愛おしく思い、暖かく迎えるか、何かそんなものを感じていただけたかなあと思いながら、上映会を終えました。


**6月14日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。


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   ありがとうございました 2004/06/15 2:52:56  
 
                      もさく

 
  3歳の息子と参加させていただきました。
上映中、静かにできないようなら退室しますので、なんて言っておきながら
おしゃべりを始めた息子を押さえつけるようにして観つづけてしまいました。
もちろん、幼児はしゃべり続けます。
限界かな、観たいよ、なんでアイツ(夫)は日曜に仕事なんだ、と思ったところへ
「おばちゃんと遊びに行こう」と洋子先生が手を伸ばしてくださいました。
息子は笑顔で退室。別室で大関さんに遊んでいただきました。
ありがとうございました。図々しくて申し訳ありません。
洋子先生のあまりの若さに、娘さん?と思ってしまいました。本当に。

近頃「どうしてナニナニなの?」という質問をしては間髪入れずに
「ナニナニだからなの?」という答えまで用意してくるウチの子供。
「どうして今、おかあちゃんは横を向いたの?僕がうるさいからなの?」
そのとおり。うるさくて、つい適当に答えたり、怒鳴ったり、無視することもあります。

洋子先生の足元で、ヘソの緒をつけて丸まっている翔くんを観て涙がこぼれたのは
3年前の、私と息子を見せてもらえた気がしたからです。
ありがとうございます。本当に素敵でした。

夫は9歳年下。私と舅は15、姑とは14歳違いです。
婚姻届を広げて見たときの姑のゆがんだ顔が忘れられません。
面と向かって年齢差について言われたことはありませんが
嫁として認められていないことは伝わってきます。
「もうすぐ40歳だなんて。子供は産めるの?」てなことを夫に言ったそう。
また夫も正直に私に話しちゃったもんです。
洋子先生は偉いです。私は夫の親に対して「済まない」なんて思いません。
結婚してやったんだ、ばーか、って今この瞬間でも電話してやりたいくらい。
好きになったのは私が先ですけど。
洋子先生のお話を聞きながら泣いたのは少し自分と重ねたからです。

すみません。長くなりました。


 
  
元の文章を引用する
 

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   こちらこそありがとうございました 2004/06/16 4:31:28  
 
                      大関直隆

 
  本当は話を最後まで聞いていただけるとよかったのですが…。
私がもう少し隣の部屋で見ていた方がよかったですね。
お母さんのところへ早く戻してやった方がいいかな?と思ったのがまずかったみたいです。でも、私が見ている間、とてもいい子でしたよ。
年齢差と愛情は関係ないと思いますが、育ってきた環境の違い、世代によるものの見方の違いは厳然と存在します。同世代の結婚と比べて、そういう意味での難しさというのはあると思います。男性が上でも同じことが言えるんでしょうけれど、「男性がリードする」というような発想があるので、女性が上の場合よりは問題が少ないんじゃないかな? もちろんそれは女性の我慢の上に成り立っているのでしょうけれど。
人と人との違いを埋めるには、違いと真摯に向き合い、共通の体験を積み重ねるしかないのだろうと思います。結局わが家の場合には、それが立ち会い出産という形になったわけで、今回見ていただいたビデオの通りです。
また、何かの折りには是非お立ち寄りください。
  
元の文章を引用する
 

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   人と人との違い 2004/06/16 11:05:12  
 
                      もさく

 
  大関さんのお話を読んで、まずは夫との違いを埋めるべきなのかなと初めて思いました。
頭の中が少し明るくなったよう。まねっこして立会い&高齢出産するかもしれません!
ありがとうございました。
   
 

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第112回 「緊急のお願い」

 6月1日、長崎県佐世保市の市立大久保小学校で起きた事件は、日本中を震撼させました。私が最初にこの事件を知ったのは車のラジオでした。ラジオをつけた時ちょうどこのニュースが流れていましたが、次のニュースへ移る直前で、小学生にかかわる事件で何か大変な事件が起きたということしかわかりませんでした。あわてて、あちこちチャンネルを替え、ほぼ事件の概要を理解するのにそれほど時間はかかりませんでした。

 このニュースを聞いた時、大きな衝撃を受けましたが、あまり驚きはありませんでした。翌日の新聞だったかTVだったかの誰かのコメントにも、「いつどこで起きても不思議ではない事件」といったものがあり、事件そのものの悲惨さもさることながら、世の中がそういった方向に進んでいることを、とても悲しく思いました。 
 この事件の原因がどこにあるかは、簡単には言えません。チャットや「バトルロワイヤル」のことが連日大きく取り上げられていますが、単純にそういったものだけが原因のわけもなく、当然のことながら私たち大人の作っている現代社会全体のありようにも目を向けなくてはならないのでしょう。

 事件の翌日、素早い対応で保護者宛にプリントを配った小学校も多かったことと思います。そのこと自体は悪いことではないのですが、あるお母さんから見せられたプリントには、ちょっと違和感を感じました。
 校長名で保護者宛に配られたそのプリントは、「緊急のお願い」というタイトルになっていて、今回の事件を受けての”保護者に対するお願い”という形になっています。
 まず、私が違和感を感じたのは、”新聞・テレビ等の情報で御承知のように、また「あってはならないこと」が、長崎県佐世保市で起こってしまいました”という書き出しでした。何がどう違和感なのかということを説明するのは難しいのですが、私は「あってはならないこと」という言葉の響きに、非常に第三者的な無責任な感じと今回の事件を未熟な子どもと未熟な保護者の問題としてとらえ、子どもたちと保護者に”教師が正しい道を教え諭す”といったような感じを受けたからではないかと思います。
このプリントには「お願い事項」が7項目あります。
1.子どもの発するサインを積極的に受け止め、やさしさと厳しさを持って接してください。
2.刃物など「他人に危害を与えるもの」は、家庭の責任において子どもに持たせないでください。また、学校に持ち込まないようにしてください。



7.「常に一人ではない。困ったら親や先生に相談する」ことを、常に話し共感的態度で子ども達に接してください。
と、こんな感じです。
 一つ一つを見れば、特別間違ったことを言っているというわけではないのですが、こういう事件が起こったあとで、保護者が最も学校から聞きたいことは、子どもたちに対するお説教でもなく、もちろん保護者に対するお説教やお願いでもなく、公教育としての学校の責任ある対応、つまり”学校のこれまでの子どもたちに対する接し方と今回の事件を受けて今後どのような対応を子どもたちにしていくのか”ということです。保護者の立場からすると、「お願い」の1や7などまさに学校に突きつけたい言葉であって、今までどのように実践してきたのか知りたいところです。それを保護者に投げてどうするのでしょう。

 このプリントの中には、朝会をもち、「命の大切さ」を子ども達に訴えたこと、学級で話し合いをもち、指導の徹底を図ったことは書いてありました。が、教師が今回の事件をどうとらえ、学校としてどう対処していくのかはまったく述べられていません。
 学校や保護者がお互いに責任を押しつけ合うのではなく、学校は学校のできることを明らかにし、保護者は保護者のできることを明らかにすることで、現在社会の中で子どもたちにとっての最善の教育はなんなのかを模索していく必要があるのではないでしょうか。

**6月7日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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