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2019年10月

2019年10月15日 (火)

第111回 「身体の健康・心の健康」

「努! 靴!」
「・・・」
「何やってんだよ! 靴のまま上がってくる奴があるかよっ!」
「あっ! そうだっけっ! 日本は家に上がるとき靴脱ぐんだっけね。タハハッ、ついね…。最近靴脱ぐ習慣がないからね」
「あほっ! カッコつけてんじゃないよっ!」
フランスにダンスの勉強に渡って5年、初めて努(つとむ)が帰国したときのことです。もちろん、玄関で靴を脱ぐことなど本気で忘れているわけもなく、ちょっとしたジョーク。マンションの自分の部屋に水槽を持ち込んでその中に長芋の切れ端を植えて部屋中蔓だらけにしたり、毎日フケをノートの上に落としては、1ヶ月分を集めてフケの量を量ったり…。子どものころからそんなことばかりしていました。努っていう子は、いくつになってもそういう子(もちろんこの時にはもう大人と言っていい年齢でしたけど)です。

 5年ぶりに一家が揃っての食事。努がいることで、みんなそれなりに興奮しているので、いつもよりやや大きめな声で話します。帰国した努が主役になることもなく、弘子をはじめ、真、麻耶、翔、それぞれが主役になるべく、一斉に話し始めました。
「ねえ、ねえ、ねえ、今日ねえ…」
「だからさあ、××××がさあ、××だったんだよ」
「これ、美味しいねえ!」
食卓の上を、さまざまな話が飛び交います。誰と誰が話しているのか、全然わかりません。けれども、それなりにみんな話が通じているらしく、なんとなくではありますが、話が展開しているようです。すると突然努が、
「うるさいんだよ! ちょっと黙ってよ! 僕が話しできないじゃないか!」
「・・・」
一瞬、みんな黙りましたが、それもほんの1秒か2秒。その一瞬の沈黙が終わると、また元のようにワイワイガヤガヤ…。
「だから、黙っててっ言ってんの! 話できないじゃないか!」
「??? なんで? 話せばいいじゃん!」
っていうような具合で、みんなの話が一段落して、努の話を聞き始めるまでには30分かかりました。
「まったくなんなんだよ、ここんちは!」
ところが帰国2日目。今度は努の声が食卓の上にいちばん大きく響き渡ります。どうやら5年間のブランクは1日で取り戻したらしく、すっかりわが家のペース。人と人とのほんのわずかな話の隙を突いて、割り込むコツを呑み込んだようでした。

 子どもたちがそれぞれ独立する前のわが家は365日だいたいこんなふう。
妻がフルタイムで働いているわが家にとって、夫婦のコミュニケーション、親子のコミュニケーションはこうして図られていました。夕飯の時間は毎日おおよそ2~3時間。TVもつけずに行われる家族の団らんは、家族が家族として機能していくためには、どうしても必要な時間でしたので、まだ小学校の低学年だった翔でさえ、夜11時過ぎに起きていることもしばしばでした。

 つい先日、あるお母さんに担任から“子どもを9時に寝かせるよう”注意されたという話を聞きました。やはりフルタイムで仕事をしているそのお母さんにしてみれば、9時から10時というのは、子どもとのコミュニケーションには欠かせない時間。コミュニケーションを犠牲にしてまで9時に寝かせることが本当に子どもの健康に配慮することなのか???
 低学年のうちは、やたらと早く寝かせることにこだわっている小学校も、高学年になって塾通いが当たり前の学年になると、10時、11時に塾から帰ってくる子どもたちを個人の問題として容認する。塾通いというのは“学校は勉強を教えてくれない”という保護者や子どもたちからの学校批判の意味も込められているのに…。

 子どもの健康ってなんなのか、よく考えてみるべきなんじゃないのかな? 一律に9時に寝て6時に起きるなんていうのは、もう今の時代にそぐわなくなってきちゃってる。おそらく、そう指導した担任の先生の家も、もし子どもがいる方だとすれば、9時になんて子どもを寝かせてるわけないよね。やっぱりフルタイムで働いているんだもんね。


**5月31日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第110回「安全特区」

5月22日、昨年の夏の甲子園で優勝した常総学院野球部の寮に泥棒が入って、現金6万円と腕時計など17万円相当がなくなったらしい。約60人の部員が生活している11部屋のうち8部屋が荒らされ、28人の現金や腕時計、ダウンジャケットなどが盗まれたという。この日は練習試合で部員全員が朝から夕方まで出かけていて、無人だったのだそうだ。寮の入り口と荒らされた部屋は鍵がかかっていなかった。

 いやいや、ひどいことをする奴がいるよね。一生懸命野球に打ち込んでいる高校生の部屋から金品を盗むなんて。だけどこの泥棒、野球部の事情をけっこう知ってる奴だね。こんなにたくさんの部屋を荒らすにはそれなりの時間がかかったんだろうけど、その間誰も寮に帰ってこないってわかってたわけでしょ? たぶん練習試合だっていうことも知ってたんだろうし、練習試合のときは寮が空になって、途中で誰も帰ってこないっていうことも知ってたんだろうね。さらに施錠がされてないっていうことも…。
たははっ、私が明智小五郎やってもしょうがないね。

 すごくおかしなことなんだけど、こういう事件が起こったときまず最初に非難されるのは、盗んだ奴じゃなくて、盗まれた子どもたちなんだよね。この野球部の部員たちはどうだったんだろう? 親に報告した途端に「おまえ、何で鍵をかけとかなかったんだ! 鍵をかけとかなかったおまえが悪い!」ってね。まさに自己責任論だよね。
だけど、よく考えてみるとどこかおかしい。確かに鍵をかけなかったのはまずかったけど、自分が反省すればいいこと。そのことで怒られることはないよね。
「そういうこともあるから、気をつけないとね」
くらいじゃダメなの?
悪いのは、盗まれた方じゃなくて、盗んだ方なんだから。

 私の実家は40年くらい前まで、和室を囲むように南側と西側に縁側がある和風の建物でした。もちろん縁側には雨戸が付いているけれど、雨戸を開けてしまうと障子だけ。障子に鍵なんてないから、昼間は外から誰だって入れちゃう。それでも泥棒に入られたことなかったからねえ、ずいぶんいい世の中だったんだね。

 真(まこと)が高校のとき、学校のロッカーから金品が盗まれる事件が何件も起きました。でも、その程度のことでは保護者になんの連絡もなくて、子どもたちは、
「施錠していなければ盗まれるのは当たり前だろっ! 盗まれないように自分の責任で管理しろっ!」
って学校から注意されたっていうから、すっかり論理が逆転しちゃってる。
まあ、世の中こんなご時世だから、わからなくはないけれど、せめて学校くらい「安全特区」であってほしい。

 県北のある中学校の総合学習の時間に、池をきれいにしようとして、コンクリートに穴を開けようとしていた子どもたちが、体育の教員に怒られ、校長室に連れて行かれると、校長から「器物損壊だ」と言われ、いきなり殴られた。
一月ほど前に池にヘドロが溜まってとても汚いので、池の一部を壊してきれいな池に生まれ変わらせるという計画書を担任を通して学校に提出してあったという。その計画書には担任をはじめ、管理職の検印があった。

 池をきれいにしようとして、学校の許可をもらって行動しようとした子どもたちが、いきなり校長に殴られたということで、ご両親(お父さんは元中学校の教師)が抗議に行くと、なんと校長は、
「これは器物損壊ですよ、警察を呼んでもいいんですよ。こんな計画書に目を通してないことくらい、お父さんも教員だったんだからわかってるでしょ」
と言ったそうな…
嘘のような本当の話。
残念なことだけど、子どもたちにとって学校っていうところは「危険特区」なのかもね。

 


**5月31日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第109回「ジェンダーフリー その2」

 「専業主夫っていった場合の中身は、やっぱり“子育て”が中心になるんじゃないかなあ。もちろん家事労働って子育てだけじゃないんだけれど、子育てを除いた家事労働だけで主夫っていうのはほとんどあり得ないんじゃない? 家事の量も極めて少ないわけだし…。その程度だと主夫っていう言い方しないよね」
「まあ、そうですよね」
「専業主婦って言っても、子どもに手がかからなくなると徐々にパートに出る時間が増えて、子どもが高校に入るころには教育費のこともあって、ほとんどフルに働いてる人もいますよね。私の場合は、自分で会社をやってるからパートとはちょっと違うけど、状況は同じですよ。だから、一般的に専業主夫っていった場合、皆さんがイメージしてるのは、おそらく“子育て中の家事労働”って考えていいと思うんですけどね」
「そういうことなんでしょうね」
「そういうことで言えば、主夫っていうのは近所との付き合い方みたいなものの中に主夫か主夫じゃないかのひとつの基準があるような気はします。子どもを育てるには、母親同士の関係ってどうしても必要だから。私が翔(かける)を育てているとき、ウチのマンションの隣の公園で翔を遊ばせながら近所のお母さんたちと話をしていたら、ちょうどそこへ妻が帰ってきて、“あなた、ああやって女の人たちとどんな話してるの?”って言われたんですよ。“どんな話って、普通の話だよ。今晩のおかずは何にする?とかどこどこの薬局でトイレットペーパーが安かったとか…”って答えたら、“それで違和感ないの?”って妻は言うんですよね。そう言われても”はあ?”っていう感じで、私全然違和感ないんですよ。そこで、違和感があるようだとなかなか主夫にはなれないんじゃないかなあ?」
「はあ…。それってけっこうすごいかも…」
結局、アンケートの電話は1時間半におよびました。
「いやー、勉強になりました」
「全然アンケートにならなくてすみません」
「とんでもないですよ。こちらで用意したアンケートの中身が勉強不足っていうか…」
「お役に立てなかったけれど、何かあったらまたいつでもご連絡ください」
というわけでアンケートの電話は終わりましたが、全然アンケートにはなりませんでした。

実際に主夫をやってみると、“性差”っていうものを嫌というほど思い知らされます。私がいちばん困ったのは、母乳が与えられないこと。わが家の場合は、妻が教員で職場も近かったこともあり、子育てについてはとても楽な社会的環境を与えられていました。産休もしっかり取れるし、場合によっては育児休暇も取れる。さらに仕事に戻ってからも、授乳時間が取れないわけではない。そんな環境の中ですら、「なんで私は母乳が出ないんだろう!」って何度思ったことか…。“子どもを産む性”と“子どもを産まない性”の違いは厳然とあります。“ジェンダーフリー”という言葉がそこの部分を否定するものなら、それは明らかに間違っていると言わざるを得ません。けれども“ジェンダー”の意味は全然違います。「男らしさ、女らしさは性別がある限りある」という言い方はどう考えても、そこを取り違えているんじゃないのかな?
「男らしさ」という言葉から連想する言葉は、「たくましい」とか「包容力がある」とか「決断力がある」とか、そんな言葉じゃないかと思います。「女らしさ」という言葉からは「優しい」とか「きめ細やか」とか「気配りができる」とかかな?
「女らしい」っていう言葉から物事を肯定的に捉える言葉を見つけるのって意外に難しいね。「女々しい」とか「女の腐ったの」とか「ぐずぐずしてる」とか、けっこうそんな言葉が出てきちゃう。
励ましたりするときに「男でしょ!」とは言うけれど、「女でしょ!」とは、あんまり言わない。「女でしょ!」って言うときは、行動を否定されるときだよね。
常に男は肯定的な存在としてみられているけれど、女は否定的な存在としてみられている。だからそういうことが起こるんだよね。
それが“ジェンダー”っていうことかな? 動物として本来持っているものとは全然関係ないのに…。
でも、それがあたかも生まれたときから違うように感じちゃうのもまさに“ジェンダー”なんだと思うけど…。


**5月17日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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