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2019年3月

2019年3月 7日 (木)

第93回 「性教育の難しさ その2」

前回からのつづき。

森泉先生(仮名)のお話で、保護者会の会場は一瞬ざわつき、すぐにシーンと静まりかえりました。

当時「素敵なお産をありがとう」は文化映画として高い評価を得、多くのマスコミにも取り上げられ、ビデオ化がなされたばかりの時でした。全国各地から上映会や講演の依頼が相次ぎ、幼稚園に通うお子さんから70代、80代のご年輩の方まで、幅広い年齢の方々に観ていただいていました。森泉先生とのやり取りの中で私が述べたように、このビデオは出産を取り上げてはいますが、「家族」がテーマのビデオです。「性」をどう捉えるのかによって扱い方が大きく変わってしまいます。滋賀県の青少年育成会議から上映依頼があった時には「子どもが生まれてくる瞬間だけ早送りしてはだめか」というビックリするような問い合わせがありました。最終的にはもちろん早送りなどせずに上映されましたが…。

マスコミがセンセーショナルに取り上げれば取り上げるほど、「出産」ということだけが一人歩きし、本来のテーマは置き去りにされてしまいます。それがまさに「性」ということがかかえる大きな問題なのでしょう。

それまでの性教育の授業参観で「どうすると赤ちゃんができるのか」というところまでを扱っています。今回の授業はそれを受けて「どうやって赤ちゃんが生まれてくるのか」というテーマです。

森泉先生によって、受精から出産までの胎児の様子について淡々と説明がありました。子どもたちがいるわけではないのに、保護者の反応を気にしてか、ちょっと緊張気味に、
「お母さんがこうやって産んでくれたということを子どもたちに伝え、ここで出産のビデオを見せます」と森泉先生は説明をしました。

ほんの数分間、子ども(翔)が生まれてくる瞬間の映像が流れました。お母さんたちの緊張した息づかいが聞こえてきます。
「ビデオを見せた後、出産の感動や生命の尊さなどを子どもたちに伝えたいと思います。こんな形で次回の性教育の授業は進めたいと思いますが、何かご意見がございましたらお聞かせください」

一瞬の間があって、その後数人の手が勢いよくあがりました。
「私は出産の場面を子どもに見せるのは反対です。きちっと性教育をしようとする先生方のお考えはわかりますけど、なにもここまで見せる必要はないんじゃないですか。まだ家庭の中でそんな話したことないし、子どもがショックを受けるだけだと思います」
「私はこういうものは見せたいとは思いません。だれかから教わらなくたっていずれわかることだし、もし教えるんだとしたら興味を持った時に話をすればいいんじゃないですか」

見せたくないという意見のお母さんたちの勢いに押されながらも、一人のお母さんが、
「ウチは男の子しかいないので、母親がこんなに苦しい思いをして赤ちゃんを産むんだということを教えてもらえたらとてもうれしいです」
「母親が息子に性や出産のことを教えるのはとても難しいので、これくらいの年齢から学校で性教育をしてもらいたいと思います」

顔を上げず黙ってじっとしている人も多くいましたが、意見はほぼ半々か、やや賛成の人が多いように感じられました。けれどもこういう時は反対の人たちのトーンが高いもの。反対の人たちの意見はどんどんヒートアップして、声も大きくなりました。私は黙って聞いていましたが、意見がほぼ出尽くしたところで手をあげて、
「わが家のビデオなので意見はちょっといいにくいんですけれど、今見ていただいたビデオは出産がテーマではなく家族をテーマに作ったビデオです。出産というところだけを取り上げて見てしまうとテーマが大きくずれてしまいます。私としては部分的に見ていただくよりも全編を見ていただきたかった。今ここでも意見が割れているように、性についてはそれぞれの家庭で考え方が大きく違います。そのことをよく考えていただき、先生方にお任せするということではどうですか」
と言いました。それを受けて森泉先生が、
「こういう問題は全員の方に納得していただけないと進めにくいものなので、今回はビデオは見せないことにします」

結局そういう結論になりました。
性に対する考え方は人それぞれなので、一様に学校で性教育を行うことはとても難しいことです。性に対する価値観を教えたり押しつけたりするのではなく、事実を客観的、科学的に教えることが重要なのではないかと考えます。もっとも何を客観的、科学的と捉えるかというところで考え方が違っているから東京都のようなことが起こるんでしょうけどね。

そうそう、おかしなことだけど、そのビデオを見せることに最も反対ですごく大きな声を張り上げていたお母さんは、その後のPTA活動でとっても仲良しになりました。子どもたちもとっても仲良し。「あのときすごく反対してたんだよね」って言ったら、「ワッハッハッ!」だって。今は自分の子どもにわが家のビデオを最も見せたい側の一人なんじゃないのかな?


**2003年1月19日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第92回「性教育の難しさ」

「東京都内の養護学校や小中学校の性教育に都教育委員会が不当な介入をし、子どもの教育を受ける権利や教師の教育の自由などが侵されたとして、教職員や保護者、研究者らが東京弁護士会に人権救済を近く申し立てる。代理人の弁護士によると、申立人には、映画監督の山田洋次さんや脚本家の小山内美江子さん、東京大教授の上野千鶴子さんも含まれ、千人を超える」(21日付 朝日新聞朝刊)という記事が新聞に載りました。

「申立書などによると、都教委は、体の名前を並べた歌や人形を使った都立七生養護学校(日野市)の性教育を問題視して、教材や教具を没収。30人を超す指導主事を派遣して教師から教育内容など異例の聞き取りをしたという。さらに盲・ろう・養護学校を調査し、学級編成や性教育などで「不適正な実態」があったとして、校長ら116人を処分した。他の小中学校にも「性交を授業で扱わない」などの指導をし、教師を委縮させたという。申し立てでは、教材などを返すよう石原慎太郎知事と都教委に勧告し、教師らに圧力を加えないよう警告することなどを求めている」とのことです。

性教育はそれぞれの家庭で考え方が違うので、とても難しいですよね。“正解”みたいなものがあるわけではないので、どういうふうな授業をするかはいつも手探りです。一般的感覚からあまりにずれたことをすれば批判を浴びる。かといって保守的になれば性に対する意識は育たない。性に対して「誰が、どこで、どういう役割を果たすか」、それが問われているんだと思います。

それにしても東京都の処置は、わけわかんない。これは価値観の問題だから“処分”じゃなくて、どこまでも“話し合い”なのに…。こういう強権的な政治はちょっと怖いね。ただ、授業をやる側にも生徒に対するそういう強権性があったんじゃないのかなあ?ちょっとそういう気はするよ。

「ビデオを授業で使わせてもらおうかと思うんですけどいいですか?」
翔(かける)が小学校2年生のときのこと。担任の森泉先生(仮名)から電話がかかってきました。
「どうぞ」
「ビデオは50分以上かかるんですよねえ。授業時間が45分なので、前後の休み時間を加えても、全部見せるのは無理かなあと思うんですよ。“見せて終わり”っていうわけにもいかないので…。それにまだ2年生っていうことを考えると長いかなって…。それで、授業としては“出産”ていうことの事前学習を充分にやって、出産の場面だけ使おうと思うんですけど、よろしいですか?」
「…。確かに53分なんで、授業時間に納めるのが難しいことはわかるんですけど、単純に“出産”がテーマのビデオじゃないですから。それだと曲がっちゃうなあ…」
「となりの増山先生(仮名)とも相談したんですけど、“赤ちゃんはこういうふうに産まれてくる”っていうことで使わせてもらおうかなって」
「んー… どうしても出産の場面のインパクトが強いんで、そうお考えになるのはわかるんですけど、“家族”がテーマのビデオですから…。どうしても全部っていうのは無理なんですかねえ? 2コマでやるとか…」
「そこまでやって理解できるかと…。まだ2年生ですから」
「私は逆に“まだ2年生だからなんの偏見もなく映像を真っ直ぐに受け止められる”と。まあ授業をやるのは先生方なんで、お任せするしかないですけど…。私としては全部見せてもらいたいっていう気持ちです。前後がないと全然違うものになっちゃうので…」
「大関さんのお気持ちはよくわかるんですけど…。もう一度増山先生と相談してみます」
「わかりました。ぜひ全部見せてもらいたいんですけどねえ」
「それと、内容が内容なんで使うっていうことになったら今度の保護者会で事前に保護者の皆さんにも見てもらおうと思うんですけど、いいですか?」
「そうですね。ウチとしてもその方がありがたいです。いろんなご家庭がありますから」

数日後の保護者会。
「増山先生と相談したんですが、やっぱり出産の場面だけということで」
「そうですか。わかりました」
「一応今日は、授業とまったく同じようにやって見せようかと思うんですけど。一応皆さんに了解していただくということで」
「ビデオの中で産まれてくる翔がいるわけだから、ウチも立場が難しいのでお任せしますよ。あんまり口を挟むわけにもいかないし…」
「すみません」

「皆さん、こんにちは。以前に性教育の授業を参観していただきましたが、今日の保護者会は今度行う性教育の授業をあらかじめ皆さんに見ていただくことにしました。幸い大関さんから“素敵なお産をありがとう”というビデオをお借りできましたので、それを取り入れた授業展開にしたいと思います。出産という内容のこともありますので、お考えがさまざまだと思います。今日見ていただいて、ご意見をいただければと思いますのでよろしくお願いいたします」

**2003年12月22日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年3月 6日 (水)

第91回「教員のセクハラ防止策」

おいおいおいおい! 冗談じゃないよ!
数年前までは「教育先進県」なんていう感じで、いろいろ施策を打ってきた県教委も、最近はすっかり形無しだね。新聞を見てると、どうも埼玉県の教員の不祥事が多いような気がするよ。
こんなこと言うと「統計を取ったのか!?」なんて、県教委の人に怒られちゃいそうだから「いいわけ」しておくと、地方版に載ってるのは当然のことながら埼玉県のことだけだから、その分埼玉県の不祥事が多く感じるのかなあ?なんていうことにしておこうかな…。
私は見なかったんだけど、つい数日前にTVのワイドショーで、県教委が県内の教員向けに配った「セクハラ防止」用の啓発パンフレットのことが話題になったらしい。これがなんとセクハラやわいせつ行為をした時の処分の内容ばかりがクローズアップされているとか…。それがまた笑いものにされている。
その番組を見ていた妻なんて、私がトイレに入っているのに、
「ねえねえねえねえ、また県教委が変なパンフ作ったんだってよ!」
とわざわざトイレの前までやって来る始末。どうやらコメンテーターも一様に批判的らしい。
トイレの中から、
「ふーん。なんでまたセクハラとかわいせつ行為の事の本質とか、被害者に与える心の傷とかを言わないで、処分ばかりを強調するのかねえ? 処分が厳しいからやっちゃいけないっていうわけじゃないだろうに…。なんか発想が変だよね。刑法で定められた刑の重さが持っている犯罪抑止力みたいなものを全面的に否定するわけじゃないけれど、教育委員会が教員向けにそんな意味でパンフレットを作ったんだとしたら、生徒のことはどこかに飛んじゃってて、とても教育の世界で行われてることとは思えないね。でも、今まさに教育の世界が問題だらけなのは、まったくそこの部分の“生徒不在”で、教員の立場からしか教育行政が行われていないことだろうね。しかもそれがもっとひどいことになってるのは、行政も現場も自分たちの施策が“子どもたちのための施策”になっていると勘違いして、謙虚さを失ってることだろうね」

昨日(14日)の朝日新聞朝刊に、その啓発パンフのことが載っていました。あんまり詳しい内容は載っていなかったんだけれど、「県教委によると懲戒処分の大半は交通事故、体罰、わいせつの三つが占めるという。交通事故と体罰のパンフレットは配布済み。これで“3部作”が完成した」んだって。その記事は、「県教委は、教職員によるセクハラやわいせつ行為の増加を受け、これにストップをかけるための啓発パンフレットを作った。わいせつ行為の事例や、懲戒処分を受けた場合の給与の損失額を掲載するなど、具体的で踏み込んだ内容だ」とおおむね好意的。
タハハッ、購読者に教員が多い朝日新聞らしい書き方だね。ウチもずーっと朝日新聞だから、こういう朝日新聞の感覚よくわかるよ。でもちょっと県教委の立場を「好意的に取りすぎ」に感じちゃったなあ。
懲戒処分ていうのとはちょっと違うけど、「罰があるからやっちゃいけない」って感覚って、教育の世界ではよくあるよね。例えば「忘れ物したら掃除」とか「××ができなかったらグランド3周」みたいな…。そういうふうに掃除とかグランドを走ることとかを罰にしちゃうと、なんだか掃除やグランドを回ることが“悪いこと”や“嫌なこと”になっちゃう。掃除だってグランド回るんだって、別に罰だからやるわけじゃないよね。“掃除をしたらきれいになって気持ちがいいよ”とか“ジョギングするのってとっても心地よいものだよ”とか教えるのが筋だと思うけど、違うかなあ???
これじゃあ、みんな掃除や走ることが嫌いになっちゃう。

セクハラやわいせつ行為の問題も、行為自体の卑劣さや被害者に与える心の傷をしっかりと認識することから始めないといけないと思うね。学校で罰を与えられる子どもたちだって、どうやって罰を逃れようとするかっていえば、“真面目にやろうとする”んじゃなくて、“見つからないようにやろう”とするのは、誰だって知ってるよね。
カハハッ!  ここだけの話だけど、私にも記憶がある。
先生方のセクハラやわいせつ行為が“より見つからないように”なーんてなっちゃったら、恐ろしいね。絶対にそんな先生は雇わないでほしいもんだね。


**2003年12月15日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第90回「いいお産 その2」

前回のつづき。

「お産」ていうのは医療なのか医療じゃないのかは難しいね。5番目の息子を妊娠した時、妻は44歳だった。近くの病院に通ってはいたけれど、とにかく三森助産院以外で産むなんていうことは考えられなかったので、三森先生に連絡を取った。かなり高齢っていうことで、妻も私も神経質になっていて、三森先生にお願いするにも「大丈夫でしょうか?」みたいな聞き方になる。そのとき返ってきた三森先生の言葉は「妊娠したっていうことは産めるってことよ」だった。三森先生のその言葉を聞いてどんなに安心したことか…。それから先は、お産のことより生まれてくる子どものことに気持ちは移ったんだよね。

ところがその後、三森先生に知り合いの32歳で初産の人を紹介したら「30歳以上で初産の人は引き受けてないの」ってきっぱり断られてしまった。後になって考えてみると、そのころの三森先生は肝臓癌の末期で、もう手の施しようもない状態。ウチの子が生まれる半年ほど前に開腹手術をしたけれどどうにもならなくて、ほとんど手を打てないまま閉じたとか…。まあ、そういう事情もあったのかもしれない。それにしても、三森先生は30歳を線引きに使ってた。要するに30歳を過ぎた初産は、「医療の分野」ってお考えになっていたのかもしれない。

妻の親戚に産婦人科医がいるんだけど、産婦人科は訴訟になるケースがとっても多いんだって。そう言われてみれば「そうかも」って感じ。「お産」て当たり前のことなのか医療なのか、よくわかんない。当たり前のことって思ってるのに事故が起こることも多い。それで訴訟になっちゃうらしい。なんでもなく生まれてくれば医療じゃないけど、ちょっとでもドクターが手を加えれば医療になる。それで逆に故意に手を加えて、治療費を稼ぐ。三森先生曰く「だからすぐ(会陰を)切っちゃうのよねえ。病院はほとんどが異常産」。

出産をするお母さんや家族のほうも揺れていて、「いいお産」の定義が難しくなってるんだと思う。なるべく自然にお産をするのか、それとも「安心」を中心に据えるのか、それともお母さんの「私、産んじゃった」的な感覚でお産をするのか…。

どんな人から出産の経験話を聞くかによっても変わるよね。安産だった人から話を聞けば、「出産は安全」って感じるだろうし、難産だった人から話を聞けば「出産は危険」って感じるだろうし…。私も出産についての講演をするような立場になっちゃったので、いろいろな人から話を聞く機会があるけれど、どうも出産っていうのは、ことの性質上あまり公にはなってない。だから、ある意味病院のやりたい放題っていうことも言える。

普通にいったらそんなに危険なはずはないのに、やたら危険を強調することで「ウチの病院は安全ですよ」って言って妊婦を集める病院、あるいは前回登場させたようなお産をすっかりイベント化させて、外から見える部分だけをやたらきれいに見せている病院…。そこの病院の看護師や助産師が言うには「最近のお母さんは自分で産もうとしないで、産ませてもらおうと思ってる」んだって。その通りだと思う。でもね、それは病院がそうさせてるか、あるいはそういうお母さんばかりを集めてるんだよね。

やっぱり本当に「いいお産」をしようと思ったら、客観的にいろいろな情報を集めないとね。何となくの評判も悪くはないけれど、基本的に出産をした人は、よほどひどいお産じゃなければ、自分がしたお産が「いいお産」だったって言うのは当たり前。だれだって一生に何度もない出産はいいものであったって思いたいに決まってるんだから。

お産についての評判がとてもいい産婦人科医を何人か知っているけれど、よくインターネットで流れている情報と私の知っているドクターの人柄とは全然違うよね。だからそこが悪い病院っていうことじゃないけれど、「いいお産」をするには、自分の目で見て、耳で聞いて、たくさん情報を集めた方がいいよ。そして何より大切なことは、何が「いいお産」なのか、しっかり夫婦なり家族なりで話し合うことだよね。

看護師さんから、お産に立ち会った話を聞いたので、2回つづきでお産の話になっちゃった。なんだかすっかり自分の子どもも赤ん坊に戻ったような気がしてきちゃった!


**2003年12月8日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第89回「いいお産」

ある評判のいい産婦人科の話。
ビックリしちゃうけど、出産して退院の時にはフランス料理のフルコースが出るんだって。こんなことにビックリしてると「そんなの当たり前じゃん」なんて笑われちゃうのかな?そこの病院、産後のエステもあってえらく評判がいいらしい。そんなことって、どう「いいお産」と関係があるのかなあ? ウチの子なんて、上の二人は私の子じゃないけど、妻に話を聞くと、ごくごく普通の産婦人科の病院だった(普通ってなんだかよくわかんないけど、何となくは通じてる? 今から35年も前の話だから普通で当たり前だけどね)らしいけど、3番目は自宅分娩でしょ、4番目と5番目は今や伝説的助産婦(師)の三森孔子(よしこ)先生の助産院。

初めて三森先生のお宅を訪ねたときは、三森先生がそんなに有名な方だなんて、なーにも知らなかった。上の子どもたちが立ち会える病院を探していたところ、たまたま妻の同僚が機関誌のような誌面に三森先生の記事を見つけて、紹介してくれたことがきっかけだった。三森孔子助産婦は、日本でのラマーズ法の普及に努めた方で、助産婦(師)をしている人なら知らない人がいないくらい有名な人物。聞くところによると、お亡くなりになってから16年になるにもかかわらず、未だに看護学校の出産の授業で教材に使われているのは三森さんのビデオだとか…。確かにラマーズ法を取り入れている病院の呼吸法は若干のバリエーションはあるにしても、どこも「ヒッヒッヒッ フー」という三森式をベースにしたもの。まあせいぜい「フー ウン」が「ハー アン」になってたりするレベル。いやこの話は、ラマーズ法での出産を経験してない人は、よくわかんないかな?

ちょっと話を戻すけど、その三森助産院なんてただの普通のお宅だし、料理は三森先生が作ってくれる普通の家庭料理。入院してる部屋だって何用に作ったかわからないような普通の和室。それと比べて考えると、前出の病院はすごい! そこの病院は毎日3~4人の出産があるんだってよ。でもね、妊娠中の管理はあまりやってないらしく、太りすぎの妊婦が多い(実は三森先生のところもそんなの喧しくなかったので、妻はだいぶ太っちゃったんだけどね)から、生まれてくる赤ちゃんも大きくて分娩も大変らしい。その上、ラマーズ法をまったく導入してないから、妊婦が痛がって叫んじゃうんだって。叫んじゃうと力がうまく入らないから分娩にも時間がかかって、なお悲惨なことになっちゃう。

そんな病院だから当然帝王切開も多くて、けっこうすぐに切っちゃうことにするとか…。それがね、切り口の痕があまり残らないように、ほんのちょっとだけ切って、小さい穴から無理やり赤ちゃんを引っ張り出す。でも、こういうのを上手な帝王切開って言うんだよね。もちろん傷口は縦じゃなくて横だから、何年かするとほとんどわからなくなるらしい。これぞ名医! 分娩中に異常があれば、近くの日赤と提携していて、すぐ日赤に運んでくれる。安心だよねえ。だから救急車の出入りが頻繁にある。

次回につづく


**2003年12月1日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第88回「しつけ」

変な話だけど、犬との関わりの中ですっごくいっぱい「子育ての基本の基本」を学んでいます。もう5人の子どもを育てちゃったわけで、必要ないっていえば必要ないけれど、自分がやってきた子育てを「犬のしつけに重ね合わせながら、考えて理論的に解釈する」っていう作業を毎日やっているような感じです。

ペットを飼う上で一番問題になるのが「しつけ」。「無駄吠えをする」「噛みつく」「トイレの場所を覚えない」などなど。悩んでる人も多いんじゃない?

悩みを解消するにはきっちりとした「しつけ」をするしかないわけだけれど、これにはちょっとした“こつ”がいるから、訓練士なんかに話を聞くのが簡単。ウチのショップにももちろん訓練士はいるけれど、本を読んだりして、その通り実行してみるのもいいかも…。

つい先日、訓練を専門に商売にしているグループの一人が訪ねてきて、店内にチラシを置かせてほしいっていうわけ。それが「置かせてほしい」って頼みにきてる割には威張ってるんだよね。「私らみたいな優秀な訓練士のチラシをあんたのショップに置いてやる」みたいな…。正直言って「なんだこいつ?」って思ったけど、まあ一応話は聞くことにして、もしビジネスとして組めることがあれば協力しようかなって…。

ところがとんでもない。オーストラリアかどっかに留学して犬の訓練について学んできたとかいうことで、やたら自信がある。確かにアメリカやオーストラリアっていう国は日本と比べてペットの先進国。しつけについてきっちりとしたマニュアルがあって、その通りに訓練すれば従順な犬ができる。それは私も認めるけれど、この人との話の中で、「従順な犬をつくることが犬を愛していることか」って、かえって疑問がでてきちゃった。

この人たちは、「欧米流にしつけをする」ことが犬を愛していることだって主張するわけだけれど、私はちょっと違うと思う。私は犬も含めて動物を愛するっていうことは「共生」だと考えてる。その中にしつけがあるんであって、「まずしつけありき」じゃない。「犬との共生」って言ったら「共生って何ですか?」って答えが返ってきたのにはビックリした。「共生」っていう言葉を知らないんだよね。オーストラリアでいったい何を学んできたんだろう? 私は「しつける」っていうより、「共生」って考えてるんだけどなあ…。

人間も同じで、「しつけ」の基本は、やっぱり相手を本当に愛しているかだと思う。それがどんなに小さな子であろうときっちりと一人の人格として見る。これはずっと述べてきていることだけれど、「大人の都合に合わさせる」は最悪だよね。そんなの「しつけ」じゃない。

「泣いてる子を抱いてやると抱き癖がつくから放っておけ」っていう人がよくいるよね。確かに泣いている時に抱かないでいれば、泣いても抱いてくれないって学習するから泣かなくはなるかもしれない。「いつまでも母乳を飲んでいないように」って、乳首にカラシを塗ってなめさせたりする人がいるよね。これも確かに母乳は飲まなくなるかもしれない。でももっと大切なものを失っているんじゃないかなあ?

犬はもともと集団で生活する動物なのでリーダーを見極めます。そういう意味で人間が毅然とした態度で接することは重要です。(でもこれだって人間の親子関係と同じだよね)マンションで「吠えられるのが困る」といって無駄吠えをしないようにしつける。それはその通りだけれど、時には発想の転換をはかって「吠えても人の迷惑にならないところに引っ越す」なんていう考え方もあっていいんじゃないのかな?

犬にばかり共生の負担を強いるんじゃなくて、たまには人間が負担を背負ってあげられる優しさもあった方がいいよね。犬だってバカじゃない。そんな優しさこそ「リーダーの強さ」って感じることがあるはずだよ。

「しつけ」っていう言葉はあんまり響きがよくないね。訪ねてきた訓練士に「しつけっていう言葉は好きじゃない」って言ったら「じゃあ教育って言えばいいですか」だって。
う~ん???
やっぱり「共生」だね。


**2003年11月25日(火)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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