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2019年2月10日 (日)

第62回 「求められる父性」

「父親参観」っていう言葉が公立の学校から消えて、ずいぶん経ちます。幼稚園には残っているところも多くて、母の日にはお母さんの絵を描かせたり、父の日にはお父さんになにかプレゼントをさせたり…。そういえば、私も父の日に柄の部分に私の顔が描いてある靴ベラををもらいました。

子どもを持った”シングル”の増加は、子育て観に大きな変化をもたらそうとしています。「母子家庭」という言葉から、以前のような悲愴感は消え、むしろ今は「シングルマザー」と名を変えて、もてはやされそうとしている。

そんな時代ですから、仕事のために父親不在になっている家庭と併せて、子育ての中での父親(あるいは父性)の存在がクローズアップされるのは当然の結果だと思います。そこで重要になってくるのが、子育てにとっての良き父親像。これが一番大切なところで、本来だったら父親の存在が子育てをよりよい方向に導くところなのでしょうが、これが意外に逆な方へと向かってしまう。世の父親たちはあまりにも子育てから遠いところで生活しているんです。そのことが「シングルマザー」の存在を後押ししているとも言えなくはない。まあ、そんなことから「おやじ子育て大学」的な発想が生まれてきたんでしょうね。

土曜日とか日曜日とかに授業参観がある(週5日制の実施でかなり少なくなってしまったようですが)と、数人のお父さんが訪れます。ときに懇談会まで残ってくれて、意見を述べてくれることも。ところがここで発言する内容といったら、
「最近の子どもたちはまったくしつけがなってない。ビシビシやってください」
「先生方は子どもを甘やかしている。ときには殴ったっていいじゃないですか」
と、くる。

本当にそう考えているお父さんは少なくなってきているんでしょうが、そういう場所で発言するお父さんには、どうもそういう傾向がある。一旦そういう方向で話が進んじゃうとそれを軌道修正できるお父さんやお母さんは少なくて、よほど先生が頑張らない限り、「学校では殴ってでもいいから、子どもを厳しく指導してください」というのがなんとなくその場の結論になってしまったりして…。「厳しい」っていうことが子育てにとってある意味で必要だということは私も認めるけれど、「社会はそんなに甘くない!」的な厳しさを子どもに押しつけるのはちょっとね…。あまりにも子育てが見えてない。

子育ての中に必要とされている「父親」とか「父性」っていうものは、子どもに対する暴力的な厳しさじゃなくて、父親自身が持っている「自分自身への厳しさ」なんじゃないのかな…。そこをはき違えて、子どもにだけ厳しくしても、子どもは真っ直ぐ育つわけがない。父親が子育てに参加しようとしたら、まず初めにやらなくちゃいけないのは、自分の生き方の検証でしょうね。自分の生き方と照らして、どう子どもに指導できるかを考えた方がいい。子どもに対してひかない父親である前に、自分の生き方にひかない自分でありたいですね。それが「しっかりと家族を守っている父親の強さ」と子どもに映れば、つまらない子どもとの接し方なんて学ばなくても、きっと子どもに伝わると思うけど…。それがきっと「父性」の本質なんじゃないかな???

「父性」って他人に対する力みたいに言われがちだけど、本来はやっぱり自分に対する「厳しさ」が本質だよね。もちろん父親だけでなく、母親の中にもあるべきものだと思うけどね。


2003年**5月26日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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