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2019年2月

2019年2月21日 (木)

第87回 「知らないおじさんに近づいちゃいけないんだもん」

私が1歩前へ出る。
少女は後ろへ1歩さがる。
私がさらに1歩前へ出る。
少女は後ろへさらに1歩さがる。
「だめだよ、そばに来ようと思っても。知らないおじさんに近づいちゃいけないんだもん」
「???」
「ねえみんな、逃げよっ!」
少女は、周りにいた4、5人の女の子たちと一緒に私の前から逃げていってしまいました。
「ダメだねえ、チラシ配りは。なんか宣伝の方法、考えなきゃ」
「とにかく別な学校へ行って見ようよ」
4年ほど前、毎年、カルチャーセンターでやっている夏休みの親子講座(親子でオカリナづくり)が好評なので、カルチャーセンターばかりでなく私の教室でも「オカリナづくり」を企画しました。夏休み初日の海の日に20~30名くらいを目安に募集をして、オカリナを作ってもらう計画でした。
チラシも作り、いざ宣伝に出かけてみると肩すかし。なんといっても小学生中心の親子講座ですから、小学生の下校途中を捕まえてチラシを渡すのが一番です。ところが、チラシを手渡しする距離まで近づけないのです。
「別な学校に行ってみようよ」
「そうだね」
気を取り直して、別な学校に行ってみましたが、結果は同じ。どんなに近づいても5mくらいまでがやっとです。小学校のPTA会長をやっている時でしたから、もちろんウチの子どもが通う小学校の子どもたちに手渡すことは簡単です。とはいえモラルの問題からいって自分がPTA会長をやっている小学校の子どもたちに露骨に宣伝するわけにもいかず、近所の小学校へチラシを配りに行ったのでした。
ちょうどこのころ、近隣で子どもに声をかける不審者が頻出し、PTA連合会でも「どうやって子どもを守るか」が問題になっているところでした。自分もかかわって立てた対策が、まさか自分に跳ね返ってくるとはね。「おーい、別に怪しいものじゃないよー!」と叫びたい気分でしたが、そんなこと言ったってどうにかなるわけじゃない。結局、男じゃ配れないので、妻や子どもにチラシを配ってもらって、なんとか海の日のオカリナづくりは成功しました。
最近わが家の近くで、小学生を連れ去ろうとする事件が何件か起きました。その数日後には、私の実家の近くでも同様の事件があったと新聞報道されました。川口市は携帯型防犯ブザーを児童に貸与したそうです。
私が子どものころは「鍵っ子」という言葉があったように、自宅の鍵すら子どもには持たせなくてすむ子育て環境だったわけですが、とうとう防犯ブザーまで持たせなくてはいけない時代になってしまったのかと思うととても寂しいですね。真(まこと)が高校生だった時、学校の中で頻繁に盗難が起こりました。学校からの指導は「大金は持つな、鍵を締めろ、しっかり自衛しろ」ということでした。確かにその通りなのですが「他人のものを盗まない」という最も大切な部分が抜け落ちていました。「どうやって守るか」だけでなく、「どうやって事件のない社会を作るか」の議論がなされないと、おそらく今よりももっとエスカレートした事件が起きるのではないかととても心配です。
子どもたちには、安心して遊べる環境を保証してあげたいですね。

**2003年11月17日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第86回 「ペットショップオープン!!」

「風が吹くと桶屋が儲かる」
これって、ことわざ?
なんで「風が吹くと桶屋が儲かる」かっていうと、諸説あるみたいだけど、一般的なやつは、まず、風が吹くと(砂)ほこりが舞う。今ならねえ、あんまり考えられないけれど、昔は道路も舗装じゃなかったし、畑なんかもいっぱいあって、ほんとに風が強い日はほこりがよく舞ってたよね。そういう光景を知らないとちょっと実感がないかも…。あっ、そうそう! 学校の校庭なんかでは今でもよくあるよね。いやいや話がそれた! まあ、いいや。

って言うわけで、そうなると、(砂)ほこりが目に入る人が出てくる。と、運悪く目が不自由になる人が増える。目が不自由になると門付になる。“門付”って“三味線の歌謡流し”らしいけど、なかなかここの部分って風情を感じるでしょ? もっと単純に“目が不自由になると三味線弾きが増える”なんていう言い方もあるみたいだけど、やっぱり“門付”がなくっちゃね。
さて、“門付”は三味線を使う。三味線の需要が増えるから、三味線を作るのに必要な猫の皮がいる。「猫が獲られる→ネズミが増える→ネズミは桶をかじる→あっちこっちの家で桶に穴があく→桶屋が儲かる」というわけです。

さてさて私の会社は「ライフクリエイト」。なぜ「ライフクリエイト」かっていうと、そのまんまなんだけど、“ライフ”(人生)を“クリエイト”(創造)するっていう意味でつけたの。いったいなんのこっちゃ?って感じだけど、要するに“生まれたときから死ぬまでの人生を楽しく豊かに送れるようにお手伝いする”っていうこと。それで今までも生まれる部分で出産のビデオを売ってたり、特に老後っていうわけではないけれど、リタイヤ後の人生の楽しみっていうことも含めて陶芸教室やってたり、その中間ってことで教育のことやってたり…。
それで今度はペットショップを始めることになりました。

今まで全然ペットなんていう話はなかったのに「なんでまた突然ペットなの?」ってよく言われるんだけど、それはまったく「風が吹くと桶屋が儲かる」っていうわけで、ライフクリエイト”って人生を創造するっていうことでしょ、人生には楽しい時もあれば苦しい時もある。楽しい時は陶芸とか文化とか、苦しい時はカウンセリング。カウンセリングは癒しでしょ、癒しにはいろいろなものが必要だけど、今注目されているのは“アニマルセラピー”。だから“ペットショップ”になったわけ。

まあ、“犬だけ”だけど大量の生き物の世話をするなんて、小学校の飼育係で鳥とウサギの世話をして以来やったことないので、ちょっと戸惑ってる。とにかく犬といえば“しつけ”。私も勉強しなきゃ、全然わかんないと思ってすっごく心配してたんだけど、実際にやってみたら、どうもそれがそうでもない。ここ数ヶ月犬を見てきて感じたことは、犬も人間も同じだっていうこと。犬の世話をしたり、しつけをしたりするのは、人間の子どもを育てるのにとってもよく似てる。日々の健康管理は、観察から。吐いたり下したりしたら特によく観察する。糞の色はどうか、動きはどうか、機嫌はどうか…。あまり多くの人と接するとストレスが溜まるので、充分休ませる。ストレスを解消させるために自由にさせる。そして最も大切なのは、愛情を持って優しく、どんな小さな子犬でもただ猫かわいがりせずに、“一人の人間”ならぬ“一頭の犬”として接すること。

ペットの飼育からこんなにいろいろなことを学ぶとは思わなかったね。でもやっぱり人間は複雑で難しいよね。子どもを育ててる時は最後には“親を越えてもらいたい”っていう期待のようなものがあるからね。ペットを飼うのにそんなのないから。そういう意味ではペットって、子どもを育てるっていうより孫と遊んでるっていうのに近いのかなあ…。
でも、“子育ての基本”て何でも同じなんだなあとつくづく感じてます。

**2003年11月10日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年2月16日 (土)

第85回 「ヒャー! 39℃だー!!」

子どもを育てていて、びっくりするのが初めて経験する高い熱。
できれば避けて通りたいけど、そんなことできるわけがない。子育ても2人目、3人目、わが家みたいに5人目ともなれば、熱くらいではたいして驚かないけれど、1人目のときは大パニック。熱よりはむしろ「笑わない」「機嫌が悪い」「食欲がない」「ぐったりしている」とか、「子どもの様子」の方が重要なんだけど、大人は熱に慣れてないし、客観的基準としてはとってもわかりやすいので、熱を計って万が一40℃の世界にでも突入してでもいたら、もう大騒ぎになっちゃう!

こういう時に夫婦2人でいられたらいいんだけど、母親1人だとすごく不安になっちゃって、“なんとかこの場から逃げ出したーい!”なんて思っちゃうんだよね。

そうそう、第45回に書いた、麻耶(まや)が救急車で運ばれた時も熱だった。まあ、単純に風邪だったんだけど、40℃くらい(妻の学校の音楽室へ連れて行ってる時なので、実際に何度くらいだったかはわからないけれど)熱が出て、引きつけ起こしちゃって…。高熱が出ると子どもによっては引きつけを起こすことがあって、これも熱がある時ならそんなに心配することはないんだけれど、カチンカチンになってまるで棒のようだからビックリする。ピーンって突っ張って、白目になって、泡は噴いちゃうし…。

携帯電話なんてまだないころだから、4階の音楽室から1階の公衆電話までどっちが119番に電話をかけに行くかでやり合いになった。こう言うと、
「あなたかけにいってよ」
「おまえかけにいけよ」
っていうやり合いと思うのが普通だけど、この時は違って、
「ちょっと麻耶抱いててよ。私、救急車呼んでくるから」
と妻が言えば、
「エーッ! いやだよ。私が電話かけにいってくるから、抱いててよ」
と私が言う。とてもじゃないけど、白目むき出しにして、口から泡を噴きながら棒みたいになってる麻耶を抱いてるのは、怖いのなんのって。

結局この時は妻が救急車を呼びにいって、私が抱いてることに。
でも、救急車が到着したころには引きつけもほぼ収まって、「ただの熱」になっちゃってたんだけどね。

「ヒャー! 39℃だー!!」
孫の沙羅(さら)が初めて熱を出しました。
どうも熱いと思っていたら、やっぱり熱。
普段とはちょっと違うけれど、でもそんなに元気がないわけじゃなくて、ときどき笑ったりはしています。
「こんなに熱があるのに、この子こんなに元気なのかねえ?」
5人の子どもたちがお世話になった小児科が近くにあるので、娘の麻耶は沙羅を連れて行きました。もちろん熱があるというだけでは、原因が特定されるわけもなく(だいたいは風邪かインフルエンザなんだけど)、対処療法的に症状を緩和する成分(要するに解熱剤)の入った薬をもらって帰ってきました。熱は3日間続き、4日目には36℃台に戻りました。

「あれ、顔とお腹に発疹出てるんじゃないの?」
「ほんとだ!」
「なあんだ、突発性発疹だったんだあ!」
たははっ、もうすっかり忘れちゃってて…。
生後半年過ぎくらいに初めて高熱を出した時は、突発性発疹を疑う。高熱があるのに元気だったらほぼ間違いない。昔はよく「育児の百科」かなんか出してきて、子どもに何かある度に調べてたね。
「ねえ、どこかに『育児の百科』ってなかったっけ?」
「ネットで調べるからいいよ」
突発性発疹についてインターネットで調べたら、
「やっぱりピッタリじゃん。熱は3日間だって。熱が下がると発疹が出る」
「忘れてたねえ…。そうだったよね」

沙羅の熱は、突発性発疹だったという結論になって…。
だけど、ネットで調べたら「熱は3日間」ってけっこう断定的な言い方してるページもあったりして。もちろん個体差はあるけれど、ほんとに3日間が多いのは何でだろっ?ちょっと不思議に思いながら、ホームページを閉じました。あんまり素人判断はよくないので、「元気がなくて様子がおかしい」時は、やっぱり小児科を受診した方がいいよ。

**2003年11月4日(火)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第84回「迷子」

「れーんっ! れーんっ! どこ行っちゃったんだろう???」
娘の麻耶(まや)は、蓮(れん)と沙羅(さら)の二人を連れて、近くのショッピングモールへ出かけました。蓮は2歳3ヶ月、最もチョロチョロする時期で、抽象的なことを除けばほぼ言葉は理解するものの、こちらの話している意図まではわからない年齢。沙羅は生後8ヶ月。かなり自分の意志もはっきりしてきて、ほしいものがあればあっという間に這って行く、とにかく手にしたものは、何でも口の中へという月齢。ちょっと麻耶が沙羅に気を取られているうちに、蓮の姿が見えなくなりました。

遊具がたくさんあり、行き慣れたところなので、麻耶もちょっと気を抜いていたようです。どこかの遊具で遊んでいるのだろうという思い込みが、目を離させたのです。蓮がいなくなったことに気づき、慌てて遊具の周りを探しますがどこにも見あたりません。よく行く別のプレイスペースに行った可能性もあるので、そちらの方も見て回りましたがやはり見つかりませんでした。

どうしようかと困っているところに、
「迷子のお尋ねを申し上げます。ブルーの機関車トーマスの靴を履き、黒の半ズボン、グレーのTシャツを着た3歳くらいのお子さんが迷子になり保護しております。お心当たりの方は…」
「ああっ! 蓮だあーっ!」
麻耶は沙羅を抱いて、急いで引き取りに行きました。ちょっと年輩の女性にだっこされた蓮は、麻耶に気づくと、
「ママーっ!」と声を上げ、手に持ったお菓子を差し出して、
「これ、もらった!」

どうやら最初にいなくなった場所を動かなければよかったようで、麻耶が別な場所に探しに行ってしまったあとに、どこからか戻ってきたらしく、いなくなった場所でべそをかいているところを保護されたようでした。

そういえば最近、めっきり「迷子の放送」が減りました。私が子どものころなんてデパートのようなちょっと大きな施設では、しょっちゅう館内放送が流れていて、「迷子の放送」のない日なんてまずなかったけれど、最近は逆にほとんど「迷子の放送」を聞くことがありません。最近は昔と違ってみんなベビーカーを使っているし、おんぶやだっこをするにもいろいろいいものがあって、親が子どもを身体につけているので、ウロウロ、チョロチョロしてる子がめっきり減ったような気がします。

「今くらい親と子どもの物理的距離が近ければ、迷子なんてないよなあ」と一人で納得して…。
「でもそれってホントにいいのかなあ? 子どもの好奇心や冒険心はいつ養われるんだろう? 親は楽になったけど子どもは縛り付けられてるだけじゃん」と思いつつ、

「そうだ! この前新聞に“学校の帰りに声をかけられたり、車に乗せられそうになったりする事件がさいたま市と川口市であった”って載ってたっけ」と思い出して、ずいぶん子育ては楽になったように見えるけど、実は逆に子育てが難しくなってる時代なんだなあとつくづく感じて、「大人の責任で解決しなくッちゃ」と益々重圧を感じるこのごろでした。マル

**2003年10月27日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第83回「3時半までに行けばいいんだよ」

「ホントにお前の言ってた通り、変なカッコの奴は校門から中に入れなかったよ」
「へーっ、ホントにそうなんだ?」
「何言ってんだよ、お前。自分の学校のことわかんないの?」
「まあね! 僕、その時間にまだ学校にいなかったし…」
「ターッ! 結局何時に行ったんだよ?」
「ん? 何時ごろだったかなあ…? 2時か2時半だったか…。たぶんそんな感じ。」
「ホントに3時半までに行けばよかったの?」
「そうだよ。3時半に出席採るからそれまでに来いって担任に言われてたんだもん」
「それって、朝登校はしてるっていうのが前提で、出席を採るのが3時半っていう意味じゃないの?」
「ん? そんなこと言われてないよ。3時半までに来いって言われただけだもん」
「ゲーッ! “私立”ってみんなそうなん?(「××なん?」っていうのは熊谷弁。けっこうリズムがいいから好き)だけど3時半ってもう学校終わりの時間だろっ?」
「まあね。出席採ったら解散だよ」
「お前、それまで何やってたの?」
「練習場でゴルフやってたよ」
「はぁ…。じゃあ、生徒さん本人は学校にいなくて、親だけ学校に行ってたわけだ?」
「うん、そうだね」
「お前の学校ってどうなってるの? あんなに“格好”のことはうるさいのに遅刻みたいなことはどうでもいいんだ?」
「だって今日のは遅刻じゃないもん。普段もそんなに怒られたりはしないけどさ。だいたいいつも誰がいて誰がいないなんてよくわかんないよ。公欠いっぱいいるから。ゴルフの練習ラウンドだって公欠だもん。でも、遅刻してくる奴なんてほとんどいないよ。文化祭だってそんなにいい加減にやってるわけじゃないよ。ホラッ理事長、彫刻じゃん! 理事長が作った作品、学校の中にいっぱいあるもん」
「うーん、なるほど。じゃあ生徒はわりに自由にやってんだ?」
「まあね。そんな感じじゃん」

文化祭は2時間くらい校内を観て帰ってきました。
「どこか変だな、どこか変だなと思って観てたんだけど、校内を一回りする間にひとりも走っている生徒がいなかったし、声を張り上げて叫んでる生徒がいなかった。文化祭とかだとさあ、けっこう大きな声出して叫んでる子とかいるのにねえ。さっきすれ違った焼きそば売ってた子、たいていああいう子は“焼きそばいかがですかあ~”って叫んでるのに、ぜーんぜん大きな声出してなかったね。それでなんか変に感じたんだね、きっと」

数日後。
「今日さあ、交際がばれて4人停学になった。一組はね、キスしてるとこの写真が先生の手に渡っちゃったんだよ。もう一組はねえ、携帯持ってっちゃいけないことになってるんだけど、見つかっちゃって携帯の中のメールのやりとり先生に見られたんだって。それでバレちゃったんだよ。ガードかけといても全部外させられるからね」
「そこまでやるんだ? かなり徹底してるよなあ…」
「部活でけっこう活躍してた子だから大変なことになってるよ」
「へええ。そういう子でも特別扱いしないんだ?」
「うん。そうみたいよ。全国レベルの子だもん」
「ふーん。おまえは大丈夫なんだろうな?」
「へへっ! ぜんぜん平気。まったく心配無し!」

生徒を見てるとずいぶん伸び伸びしてるように見えるんだけど、この男女交際の問題の徹底ぶりとのギャップはいったい何なのかねえ???
高校生になった息子に女の子の問題について「まったく問題無し!」って言われるのも、ちょっと寂しいよね。

**2003年10月20日(月)掲載**

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第82回 「なんでアタシたち入れないのよぉ!?」

12日、翔(かける)が通う高校の文化祭に行って来ました。いやーっ、10月に入ってからの文化祭なんて久しぶりに聞きました。今や高校の文化祭は、みーんな9月。それもどんどん時期が早くなって、中には「9月第1週の土・日」なんていう学校も…。
「ここの学校って夏休みないのかなあ??? いつ文化祭の準備するんだろっ???」

私が高校のころなんて、6月くらいから準備に入って9月いっぱい準備にかけて、やっと10月に文化祭にこぎ着ける。そんな感じだったから、今の状況にはビックリ!
「いったいどうやって文化祭やってんの?」って感じ。

妻が在職中に、「どういう文化祭にするか」で職員会議で話し合っていたみたいだけれど、職員の中では「文化祭はガス抜き」なあんていう意見が大半だったみたい。「ガス抜きって何?」っていう感じだよね。

要するに、10月になって文化祭やってたら「センター試験」まで間がないのに勉強に身が入らないから、早くエネルギーを発散させちゃって受験体制を整えるってことらしいけど、ガス抜いちゃっていいのかねえ? 車もガス抜いちゃったら走らないし、やっぱりガスは詰まってて初めて意味があるような気がするけど…。その詰まってるガスを利用して自分がどっちの方向に進むかが問題なだけだよね。バックもあれば前進もあるわけだから…。

まあ、文化祭に対する意識がそんなふうだから、年々文化祭の質は下がるばかり。どこの文化祭を見に行っても、ろくな内容のものはない。生徒がやってるものなんて、「お化け屋敷」か「喫茶店」。いつか見たのなんて、「ミスドー」をたくさん仕入れてきて売ってるだけ。こりゃあ、高校生は上手いよ。なにせ普段ホントにやってるわけだから。

結局一番内容の濃いのが保護者の展示コーナーだったりしてね。趣味の域を超えて充分作家でやっていけるような人たちがけっこういるから。そんな文化祭いくつも見たよ。
どっかの高校なんて、文化祭が終わるころになると暴走族みたいな連中のバイクや車で正門前がごった返しちゃってさ。みーんな女の子を迎えにきてるわけ。いやいや悲しい有り様…。
もっとひどい学校なんていうのは、正門のところに「××祭」なんていう看板が立ってるだけで、学校全体がお化け屋敷みたいにシーンと静まりかえってる文化祭なんていうのもあるけどね。どう見てもあれは「静かに文化を楽しんでる」わけじゃなくて、学校自体が死んでるんだね。全然やる気ないの。学校だけの責任とは言わないけれど、私も「文化」に携わってる人間だからもう少し「文化祭」を大事にしてくれないとと思うけどね。

さて、翔の文化祭。
「君たちは入れないよ」
「なんでアタシたち入れないのよぉ!?」
「その金髪じゃあねぇ…」
「どうして?」
「ウチの学校はこういう学校だから、その髪の毛変えてもらわないと」
正門での先生と外部からきた茶髪(というより金髪っていう感じの)の二人の女子高生とのやりとりです。正門の脇に貼ってあるポスターを指さして先生が女子高生に話しています。その女子高生を招待した男子生徒もそこにいましたが、まったく譲らない先生の様子に、
「じゃあ、来年またきてよ」
と女の子に声をかけると、女の子たちも、
「来年だってダメだよ。アタシたち変える気ないもん」

翔に「ひどいカッコの外部生は入れないんだよ」とは言われていました。「男女交際が発覚すると退学」なんていう学校だから、当たり前といえば当たり前だけれど、いやいやその徹底ぶりにはビックリ。こう言うと、すっごく管理の厳しい学校のような感じを受けるんだろうけれど、それがまたそうじゃないからまたビックリ。その辺の話は、また次回。

**10月14日(火)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第81回 「肥満度」

今年、高校に入学した翔(かける)の体育祭は、上尾の陸上競技場で行われました。なかなかの呼び物だったのは、7人の生徒と担任の先生がそれぞれ50mずつ走って400mトラックを2周する、クラス対抗のリレーです。

どうも速さを基準に選抜しているのではないらしく、速い子あり、遅い子あり。学校全体の中には陸上競技で国体級の子たちがぞろぞろいるために、老若男女すべての担任が参加するこの競技はもちろんアトラクション。クラス対抗種目とはいえ、和気あいあい暖かいムードが漂っています。

でも、トラックを走っている人たちにとっては真剣そのもの(でもなかったかな?)。バトンタッチを工夫して、足の速い子の走る距離を長くしたり、遅い子の距離を短くしたり…。一人がたった50m、その上バトンゾーンなんて適当だから、中にはバトンを受け取ってから次走者にバトンを渡すまでに、2、3歩しか走らない子もいて、ちょっとかわいそう(笑)。それでも全員がとっても楽しそうに競技をしていました。

「あーーーっ、転んだ!」
アンカーを務める先生がすごい勢いで転倒しました。次のチームがすぐ後ろに迫っていたため、当然次を走ってきた先生が転倒している先生につまずいて転倒すると誰しもが考えたその瞬間、後ろを走ってきたちょー体格のいい男の先生(あまり背は高くありませんが100㎏はあろうかというような)は頭から前に飛びました。そして“くるっ、バタン”と柔道の受身をやって見せてくれました。
「おおーっ!」
危うく大惨事(?)になるところ、難を逃れた最初にこけた先生もニヤニヤしながら立ち上がりました。
「あの先生、あの体格でとっさに受身ができるなんてすごいねえ」
「柔道部の顧問かねえ? 国体の選手だったりするんじゃないの?!」
「そうかもねえ。今のはすごい! もしつまずいてたら先に転んでた先生が潰されちゃうとこだったね」
いやいやホントに並の体格じゃないのにあの身の軽さにはビックリ。肥満、肥満っていうけれど、ちょっと見、肥満でも肥満ていうことの定義は身長と体重だけじゃないような気がした瞬間でした。

一般に肥満度を測る時ってBMI(body mass index 体重/身長×身長)を使うけど、小学校で使ってるのも同じ?
日本肥満学会では、標準をもっとも疾病の少ないBMI値「22」っていうことにしていて、「26.4」以上を肥満って定義しているらしいけど、真(まこと)も翔も小学校の時なんて肥満度「33」とか「34」(たしか肥満度はBMI値とは違って、BMI値「22」からどれくらい離れているかを%で表したものだと思う)とか書かれた紙をしょっちゅうもらってきて、ちょっと心配してた時があった。確か肥満度「30」以上になると1年に1回、成人病検診に行くよう希望の用紙が配られて、翔を連れて行ったことがありました。身長、体重の他に血圧や血液検査、医師の問診、簡単な栄養指導なんかがあるんだけど、肥満度「30」をはるかに超えている翔の体格を見て、問診にあたったお医者さんが、
「君はなんでここにきてるんだろうねえ? 全然問題ないよ」
って言ってくれました。

「肥満度っていったい何なんだろう?」って思いました。そのころまでは、肥満度に対する指導がとっても厳しかった学校も徐々に指導の仕方が変わってきたような気がします。肥満度「30」をはるかに超えていた真は、中学校で部活動を始めるころにはすっかり痩せて、今では演劇でバクテンをやったりバク宙をやったり…。小学校のころ、数百人の中からあっという間に探し出せるくらいに太っていた翔も高校に入学した今では、グランドの中にいる生徒の中から翔を探し出すことはできませんでした。
翔の話から受身のとっても上手だった体格のいい先生は、どうやらレスリング部の顧問の先生らしいことがわかりました。

私くらいの年齢になるとやっぱり肥満は問題。私もここ半年でずいぶん痩せたんだけど、それでもBMI値「28」、肥満度は「26」。BMI値を「22」にするためには、あと18㎏体重を減らさなきゃいけないんだって。気が遠くなる話だわ。
でも、自分でできる健康管理は自分でしなきゃね。私もガンバロッ!


**2003年10月6日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年2月12日 (火)

第80回「万引き」

「大関さんのお宅ですか? 今、お宅のお嬢さんを警備員室でお預かりしているんですが」
「はっ?」
「こちら丸広百貨店ですが、ちょっと万引きの疑いがありまして、警備員室でお嬢さんからお話を伺っているところなんです」
「…。本当に万引きをしたんですか?」
「お嬢さんは否定しているんですが、その疑いがありまして…」
「そうですか。じゃあ、はっきりしてないんですね?」
「はあ、まあ…。疑いがあるということです」
「わかりました。じゃあ、すぐ伺いますから」

「ウチの子に限って…」なんていうことが言えるわけがない。自分の子どもとはいえ、犯罪を犯すことがある。なんて考えながら、それでもなお「まさか」と思いながら、飯能の丸広百貨店まで出かけていきました。部屋には店長の他、社員が一人、警備員が一人、そして娘の麻耶と麻耶の友達が一人。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。どういう状況だったんでしょうか?」
「お嬢さんとこちらにいらっしゃるお友達が店内をいろいろと回った後、CD売り場の辺りでしばらくしゃがんでいまして、警備員からするとちょっとその様子が不審に思えたので、万引きしたのではないかと…」
「それで、何か商品を持ってたんですか?」
「いえ、そういう物は…」
「持ってなかったんですか?」
「はあ、まあ。一応、荷物は調べさせていただいたんですが…」
「じゃあ、万引きをしたというわけじゃないんですか?」
「はあ、その疑いがあるということで…」
「麻耶! お前しゃがんで何やってたんだ?」
「しゃべってただけだよ」
「何も取ってないんだな!?」
「取ってないよぉ!」
「何も乱暴されてないな?」
「別に…。ここに呼ばれて荷物調べられただけだよ」
「「万引きをした』っていうことじゃなくて、『したかもしれない』っていうことなんですか?」
「はあ、まあそういうことになりますねえ」

店長も歯切れが悪い。警備員としてはかなりの確信を持って連れてきたようなのですが、他に仲間はいない、品物をどこかにおいた形跡はない、荷物の中からも出てこない、というわけで、はっきりとした証拠もなく、双方が謝って店を出てくるという変な結末になりました。娘が高校1年生の時のことです。
麻耶は4歳のころ、スーパーの棚からお金を払わず持ってきたガムをトイレに隠れて食べていたことがあります。便器の陰から何枚もの包み紙が出てきて気づきました。ガムを買い与えるということをしなかったので、お金を払わずに持ってきてしまったことと、普段与えられないガムを食べているということに対する罪悪感のようなものが4歳の麻耶にもあったのでしょう。

9月20日の新聞に「大人の万引き」の記事が出ていました。ホームセンターという限られた店種ではありますが、埼玉県内のある店では「ここ1ヶ月で見つかった万引き犯はすべて40歳以上」というのにはちょっとビックリしました。青少年による犯罪の増加や凶悪化がクローズアップされている中で、お金の価値、労働の価値、犯罪の意味をわかっているはずの大人の万引きが増えていることはとても残念です。30歳以上の万引き犯の比率はどんどん増えて昨年はとうとう50%。未来を担う子どもたちのためにも手本である大人でありたいですね。

万引き犯灰色だった麻耶は、最近ではすっかり「モラリスト」になって、態度の悪い大人や高校生の文句ばかり言っています。
「まったくそこの高校の生徒の交通マナーはなってないんだから! あんまりひどいから学校に文句の電話してやった。そうしたら電話に出たやつの態度も悪いから、『そういう対応してるから生徒も悪くなるんだ』って怒鳴りつけてやった」
なーんていう調子。
やっぱり「ウチの子に限って…」だったかな?
万引き犯が、その場にしゃがみ込んでしゃべってるなんて、普通はないよね!


**2003年9月29日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第79回「戦争で傷ついた子どもたち」

講演会に呼ばれると必ず話すのが、妻と私の育った時代背景だ。
妻は昭和16年(1941年)生まれ、私は昭和32年(1957年)生まれの16歳違い。16年の開きがあると「同じ時代背景」で育つなどということはあり得ないが、ほんのわずかではあるが戦争を知っている世代とまったく戦争を知らない世代ということで、さらに年齢差が増幅されて感じられることがある。

昭和16年といえば、12月8日の真珠湾攻撃による日米開戦の年。義母は日米開戦の報にショックを受け、14日に妻を早産したという。この前後に生まれた子どもには「太平洋」の「洋」を取って「洋子」という名前が多い。

私の生まれた昭和32年は、どういうわけか高度成長を象徴するような巡り合わせの年だ。小学校入学の年(1964年)が東京オリンピック、中学校入学の年(1970年)が万国博覧会。その後何度か聞いているせいもあろうが、「パーン パカパッパッパッ パッパッパッ パーン …」というオリンピックのファンファーレは今でもよく覚えているし、万国博覧会で数時間も並んで入ったソビエト館の記憶もある。

もちろん食べ物の好みも違う。妻の子ども時代は米を食べることが難しかった。最近はだいぶ変わってはきたが、妻は小麦粉を練って作ったようなもの(すいとん、うどん、お好み焼き、ピザ…)は「代用食」と言ってあまり好まなかった。

私の育った時代も、ファミレスもない、ファーストフードもない、我が家のおやつは、さつまいもの蒸かしたものやじゃがいも・里芋の茹でたものなどということが多く、決して今ほど豊かではなかったが、食べ物に困るなどということは想像もつかない。

妻はよく白米のおにぎりのおいしさを語るが、私の知っている「炊き立てのゆげの立っている白米のおにぎり」のおいしさではなく、「真っ暗な防空壕の中で見ず知らずのおじさんからもらった、たった一つの白米のおにぎり」のおいしさなのだ。

ついさっき、「世界ウルルン滞在記」(TBSテレビ)を見た。“東ちづる”さんの行った「ドイツ平和村」の映像が流れた。「平和村」は、戦争で傷ついた子どもたちを収容し、治療し、リハビリし、祖国に帰すことを目的とするところだ。その運営はすべて募金で賄われているそうだ。現在はアフガニスタンの子どもたちが中心で、われわれ日本人からは、想像もつかない惨状がそこにはあった。地雷で両手を失った子、放射能と思われる被害で顔の形状が変わってしまった子、爆弾で全身がただれてしまった子、頭蓋骨のない子、足のない子、筋肉がえぐられた子…。

ある男の子が、祖国に「帰りたいけど、帰りたくない」と言ったのはとても印象的だ。数ヶ月から数年に渡る治療とリハビリがすんで、祖国に帰れることになった子の発表の日、祖国に帰れることになった子の喜びと残って治療を続けなければならない子の悲しみは私の心を強く打った。調査をした上で帰国をさせるようではあったが、その子どもたちが祖国に帰った時、片親だけでも生きているという保証はどこにもない。私は、どこでどう使われるかわからないので、寄付や募金は好きではないのだが、この子たちのために、なにがしかの金額を送ろうと決めた。

何かと批判の矢面に立たされ、政界引退を決めた野中広務氏だが、先日「ニュース23」(TBSテレビ)のインタビューの中で、「二度と戦争への道を歩んではいけない。日本人が傷つくことも、他国の人を殺すこともあってはならない」と強く叫んでいた。イラクに自衛隊を派遣することが本当に国際平和に貢献することなのか、私にはどうしても疑問に思える。まさに自分の手で子どもを抱き上げ、育てたことのある人間の感覚なのかもしれない。今、目の前にいる子どもたちを絶対悲惨な目に合わせたくない。


**2003年9月22日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第78回「学校の規則」

「ダーッ、大変! 7時50分!」
すごい勢いで翔(かける)が起きてきました。いつもなら妻は6時に起きて翔のお弁当を作るのに、さすがに前の晩遅かった(というより寝たのが明け方だった)ために寝過ごしてしまいました。私はというと妻と同じく寝たのが明け方だったので、翔が起きてきたのも気づかずに寝ていました。妻は寝ぼけていて何事が起こったのか、すぐには飲み込めない様子。翔の慌てようにハッと気づいて時計を見ると7時50分。
「大変だあ!」

「家から駅まで自転車、電車を2本乗り継いで、さらに駅から学校まで自転車」の翔は7時10分には家を出ないと8時半の始業に間に合いません。もうとんでもなく遅刻です。ただし授業は9時からなので、授業開始に間に合うか間に合わないか微妙なところ。
「車で送るから」と妻は言うなり、車のキーを持って飛び出しました。翔もあとに続いて飛び出します。(私はまだ寝ていたので、ここまでは妻の話から。タハハッ!)
翔は9月の2学期開始以来、耳の具合が悪くて4日間休んでしまっていました。妻は私立の“厳しさ”を知っているだけにここで遅刻をさせるわけにはいかないという思いがあったのでした。

ちょっと事情があって9月いっぱい私の車を停める自宅の近くの駐車場が借りられていないので、私の車は会社の駐車場に停めてあります。そんなわけで9月中は毎朝浦和の会社まで妻と一緒に出かけているので、目が覚めて妻のいないことに気づいた私は、妻の携帯を鳴らしました。
「どこ?」
「翔を学校まで送ってきたところだよ。今、学校を出たとこ」
「大変だったねえ。あいつ、夜遅くまで起きてるから。まったくしょうがないなあ」
「“寝坊しちゃってごめんね”って謝ったら、“お母さんのせいじゃないよ。僕が起きなかったんだから”だって。まあ、なるべく遅刻しないですむようにと思って学校まで送ったけど、校門のところで部活の先輩見つけたら、昇降口の方へ行かないで反対に先輩の方へ駆け寄って一緒にのろのろ歩いて校舎へ入っていくからさあ。“もう早く行け”ってイライラしたよ」
「“頭髪は耳にかかったら、部活動禁止で床屋に行かせる”“男女交際が発覚したら即退学”なんて言ってる学校が遅刻にはうるさくないのかねえ?」
「校門の辺りに先生がいて、“早くしろ”なんてちょっと頭小突かれたりはするらしいけど、その程度らしいよ。だらしがなくて遅れてくる生徒ってほとんどいないらしい」
「ふーん。運動では全国レベルっていう子が多いから、生徒の行動には一目置いてるのかねえ?」
「まあ、そんなとこなんじゃないの。教師よりもある部分ではずっと能力ある子がたくさんいるわけだから、自主性に任せてるっていうか、怒るんじゃなくて育てるっていうか…」
そんなわけで、ぎりぎり9時に間に合った翔は、それほどひどく怒られることもなくすんだようでした。

そして翌日。
「ったくう!」
毎朝私が仕事に出かける時間は、ちょうど近くにある私立高校の登校の時間と重なります。駅から学校までの線路に沿った道は真っ直ぐで見通しはいいのですが、駅からの距離の3分の1くらいが片側のみ歩車道分離、あとの3分の2くらいはやはり片側のみお義理程度の部分に白線で歩車道の区別をつけています。長女は高校生のころ自転車通学をしていましたが、前から歩いてきた高校生をよけた時に右手を車に引っかけられて軽いけがをしたことがありました。

「また広がってるよ。なんで歩道もあるこんな広いところも車道にはみ出して走ってくるの!?」
「今、校門のとこで教員がメガホン持って通学してくる生徒の方に“遅刻だぞー”って叫んでたから」
「気がつかなかったよ。またやってんだあ。あれっ? 生徒の後ろから自転車に乗った先生がハンドマイクで“急げー!”って叫んでる! 学校って何考えてるんだか…。たかが1分か2分の遅刻をさせないために交通ルールは無視していいのかねえ???そのためにこっちは何度も車停めてんだよ。ここの歩道は広いのに…」

社会のルールを教えるための校則じゃないの?
遅刻指導っていうのはいったい何のためにあるのか、もう一度考えた方がいいような学校っていっぱいあるんじゃないのかあ…。「学校の規則を守らせるために社会のモラルを守らせない」これじゃあどんな大人ができるか恐ろしくなっちゃうよね。そしてそういう指導をしている教員の感覚も恐ろしくなっちゃうね。


**2003年9月16日(火)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第77回「叱り方」

「久しぶりの買い物だねえ。もう10年くらい来てないような気がする」
「ほんとねえ。あなたはここがホームグランドでしょ?」
「そうそう。なんかやっぱりこうやって買い物してると落ち着く。25年もずっとこうしてきたからねえ、こうしてることが普通だもん。買い物してるとやっと自分に戻った気がする。今日はいっぱい買っちゃおうかなあ」

前回も書いたとおり、ここ2ヶ月というもの会社のことが忙しくて、まともな時間に帰ったことがない状態。帰りは毎晩(というか毎朝)2時か3時。その間ウチで食事をすることは全くなくて、外食かコンビニのお弁当。買い物をするっていうことがこんなに気持ちが落ち着いて、幸福を感じるとはね。やっぱり私は根っからの主夫なのかも…。たった2ヶ月が10年に感じるなんて…。

「今晩はカレーにしようか、お刺身にしようか」なんてことを考えながら、幸せな気分で買い物をしていたら、ちょっとコスプレ風の女性が入ってきました。かなりのフレアなミニスカートなので、目を引きます。さらに1歳くらいの子が乗ったベビーカーを押していました。私の近くで買い物をしていたのでしばらく見ていましたが、お母さんはずっと眉間にしわを寄せていて、私のように幸せな気分で買い物をしているようには見えません。そこへお父さんらしき人が合流しました。お母さんのコスプレ風の格好とはまったく正反対の格好のお父さんです。ちょっと不似合いな感じはしましたが、近くに寄ってきたお父さんを見て、お母さんがニコッとしました。

そのあと、私は幸せな気分で買い物を続けました。カレーにしようかお刺身にしようか迷ったあげく、ますます幸せな気分で半額になったお刺身をたくさん買って、カレーは明日にすることにしました。「ちょっと高いけどこのカマンベールも買っちゃおうかなあ。ヨーグルトもこっちの高い方にしちゃおっ」なんていう調子でどんどん買い込んじゃいました。

レジに並んでいると突然後ろの方から赤ちゃんの泣き声が…。買い物をしている間に見かけた子どもは、さっきのコスプレ風のお母さんが押していたベビーカーの子だけ。かなり激しい調子で泣くので、「さっきの子かな?」と思って後ろを振り返ると、ちょうどその瞬間すごい勢いでお母さんが子どもを叩きました。

思わず目を覆いたくなるような瞬間でした。買い物したものをお父さんが袋に詰めている間、お母さんと子どもが出口の近くで待っている様子です。子どもは叩かれることに慣れているらしく、まるで叩かれることが合図のようにピタッと泣きやみました。
「子どもが叩かれるところを見るのはいやだね」
妻が言いました。
「そうだね。今なんてそんなに長く泣いてたわけじゃないし、もう出口のところにいたんだから、ちょっと外へでも出ればよかったのに」

買い物をしている様子にはそんなにせっぱ詰まった様子は感じませんでしたけれど、また逆に叩かなくてすむよう機転を利かす余裕があるようにも映りませんでした。「お母さんが袋に詰めて、お父さんが子どもを見てればよかったのになあ」ちょっとそんなことを感じながら、私はレジを通りました。こんな時は怒らないで、もっと「優しい叱り方」ができたらいいのになあ…。


**2003年9月8日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第76回「学校の子ども?家庭の子ども?」

「翔(かける)、宿題終わったのかよぉ?!」
「ううん」
麻耶(まや)に聞かれた翔は、曖昧に答えます。

「ねえ、お母さん。翔まだ宿題終わってないみたいよ。明日から学校始まるのにあれで学校行けるのかねえ? 2、3日前に聞いたときはまだ宿題終わってないっていってたのに、今日聞いたら終わったっていうような答えだったよ。でもね、あれ怪しいよ。全然やった気配ないし、答え方もなんか曖昧だったもん」
「まあもう高校生なんだから自分で考えるんじゃないの」(笑)

8月31日(昨日)に私の経営してる会社のパーティがあったために、我が家の中はグチャグチャ。「私が社長で妻が副社長、娘が監査役で、あとは無し」なんていうようなちっちゃな会社が、会社の規模に似合わないようなおっきなパーティをやろうとするもんだから、準備が大変。ここ2週間くらい妻はずっと会社に泊まりきり。私は帰るには帰っていたけれど、帰るのはほとんど朝。「翔の顔を見たのは、いつだったっけ?」てな感じ。翔は翔で、高校のゴルフ部なんかに入っているもんだから、朝早かったり夜遅かったり、まともな時間帯で生活しているわけじゃない。こんなに翔の顔を見ないのは、翔が生まれて初めて。そんないい加減な子育てをしている親の代わりに、娘の麻耶がときどき翔を管理していたらしく、昨日パーティの後始末が終わって家に帰ってくると、麻耶から翔についての報告がありました。

翔も高校生になったので、こんな適当な親のやり方でもあまり曲がらずにそれなりの生活はしているけれど、やはり中学生だった去年までは大変でした。夏休みが終わる1週間くらい前から親も子どももピリピリし始めます。長期休業中はどうしても生活が夜型になりぎみ。我が家の場合などは、元もと夜型のところにさらに輪をかけて夜型になるから大変。1週間かけて遅刻をしない時間に起きられるように調整するわけです。これは、よほど生活のリズムを守り通しているお宅以外はどこのお宅でも同じようなんじゃないかな? それともウチだけ?

あるサークルに参加をしていたときのこと。
「夏休み明けは生徒がダレてて、どうしても学校が荒れるんですよ。学校のペースに慣らすのに時間がかかるんです」とある先生。

確かにまあ生活のリズムっていうことについていえばわからなくもない。でも、この先生が言っているのはそういう意味じゃなくて、子どもたちの気持ちっていうか、態度っていうかそういうものについて言っているらしい。

「先生、それちょっと違うんじゃないかなあ? 親の立場からいわせてもらうと、夏休みに入ったばかりのときは大変。子どもが全然自分の子どもじゃないみたいに我が家とペースが違う。1ヶ月ちょっとでやっと我が家の子らしくなったと思ったら、夏休みが明けたとたん、また学校のペースに戻されて我が家の子じゃないような子どもにさせられちゃう。そろそろ子どもを学校に合わせるっていう発想を変えて学校が子どもに合わせてもいいんじゃないかなあ」

よく家庭に戻すなんていう言い方をするけれど、「家庭に戻す」ってどこか変ですよね。確かに学校で生活している時間が長いけど、子どもの基本的な生活の場は家庭なんだから。
その家庭のやり方を曲げてまで学校のやり方に従うのはどこか変。学校と家庭が子どもの取り合いをするんじゃなくて、きっちりとした棲み分けができるといいんだけど…。そうしたら、どっちのペースに合わせるなんていうことはなくなって、子どもは子どもらしくいつも自分のペースで生活できるのにね。


**2003年9月1日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第75回「這えないのに這う沙羅」

深夜2時。
台所。
私は水を飲みに行きました。暗闇の中で、
「ガサッ、ガサガサッ。」
と音がします。ゴキブリのような小さな虫が出す音とは明らかに違います。音がするなどということをまったく予想していなかったので、音の出た場所があまりよくわかりません。あたりをぐるっと見回しますが、視界には何も入ってきません。
「???」
何かいる気配はあるのになんだかわかりません。こっちからは見えなくても、向こうからはこっちが見えているっていうこともあるので、ちょっと不安な気持ちになりながら、
「猫?」
(でもどこも開いてないよなあ…)
以前、玄関を開けていたらリスが入ってきてビックリしたことがあったので、まず「動物」という想像をしました。動物ならこっちの気配を感じれば大きく動きます。
一歩動いてみることにしました。
反応無し。
「ガサッ、ガサガサッ」
また音がしました。今度はこちらも音がするだろうという想像がついていましたので、音の出ている場所がだいたいどの辺か見当がつきました。
どうもダイニングテーブルの下あたりで音がしているようです。ダイニングテーブルを挟んでちょうど私が立っている反対側です。どうやらあまり動きの早くないもののようです。おそるおそる近づいて覗いてみました。
「沙羅ちゃーん!」
そこにいたのは生後6ヶ月になる孫の沙羅(さら)でした。
沙羅は母親の麻耶と一緒に隣の部屋で寝ているはずでした。確かに隣の部屋との境の戸襖が開いてはいましたが、沙羅はまだ這うことができないので、まさかこんなに遠く(5メートルくらいはあるでしょうか)まで移動しているとは夢にも思いませんでした。
「沙羅」
と声をかけるとこっちを向いてニコニコしています。
「こんなところまで来ちゃったんだあ。お母さんのところへ帰ろうね」
そっと抱き上げて、麻耶の隣へ寝かせました。またこっちを見てニコニコしています。そのうちくるっと向きを変えて、母親のおっぱいの辺りに潜り込みました。麻耶は寝ぼけているのか、目をつぶったまま沙羅を胸の中に抱え込みました。
翌日、沙羅の様子を見ているとまだ這うことはできませんが、自分のほしいものがあると、夢中になって手を伸ばし、おなかで滑って移動します。
「こうやって移動しちゃったんだ」
「おとなが眠ってるときは気をつけないとダメだね。うっかりすると、その辺に落ちてるもの、飲んだり食べたりするから、きれいにしておかないと…」
5人の子どもを育てていたときのことは、もうすっかり忘れましたが、この沙羅の様子を見ていて感じたのは、人間はやはり「その気になる」ことが重要なんだなあということです。
沙羅はまだ「這うことができる」という状況にはほど遠いのに、とにかく自分の興味のあるもののところへは必死に手と足を動かして進んでいきます。このときの目の輝きは、普通の状態の時とはまったく違って、キラキラしています。おそらく昨夜もこんな風にして自分の興味のあるものの方へと進んでいったに違いありません。沙羅にとっては相当の大旅行です。こんなに小さな赤ん坊でも、行動するときには「何かを獲得しようとする意志」が重要なんだということを強く感じさせる出来事でした。
おそらく、赤ん坊が這えるようになるには、運動能力はもちろんですが、この自分の興味のあるものを獲得するために「その気になる」ということが最も必要なんだなあと思いました。


**2003年8月25日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第74回 「たった400人の島 その2」

粟島の東側(フェリーが着く港)が内浦、西側が釜谷。私たちが泊まるのは、西側の釜谷。フェリーが泊まる内浦は、それなりに賑やかで(何を基準にいってるのかねえ…。船が着く時を除くと、人なんて誰もいないんだけどね。本土からの船が着く時だけ、民宿のマイクロバスやワゴン車で賑やかになるだけだよ)、何軒かのお店と最近掘り当てた天然温泉の「漁り火温泉 おと姫の湯」なんていうのがある。

釜谷地区はっていうと、民宿が何軒かと食堂(というよりラーメン屋さん)が1軒、お土産屋さんが1軒。お昼はその2軒しか食べるところがないので、食堂で「磯ラーメン」っていうサザエがいっぱい入ったラーメンを食べるか、お土産屋さんでやってる立ち食いそば風のそばかレトルトカレーを700円で食べるか、しかない。そのお土産屋さんで、「ヤマザキパン」みたいなパンは売ってるけどね。

そんな本当に何にもないところなんだけど、何にもないところだからこそ学ぶことがあるんだよね。とにかくそこの人たちはいろいろなものを大切にしてる。小さな島だから土地がない。おそらく木を切り倒して畑を作ればできないこともないんだろうけど、そんなことしたら雨水が山からまともに流れて来ちゃうだろうし、山を通して湧いてくるきれいでおいしい水がなくなっちゃう。だから、ほんのわずかな土地を畑にしていろいろな作物を作ってる。もちろんそれを収穫して民宿で出すわけだけど、畑はけっして民宿の近くじゃなくて、かなり急な坂を上っていった山の上の方にあったりするんだよね。
40代くらいの若い(?)女将さんたちは泊まり客の対応に追われているから、畑仕事をしているのは、どうもそういう若い女将さんたちの親の世代、要するにおばあちゃんの仕事らしい。私でもきついと思えるような悪路をそういうおばあちゃんたちが行ったり来たりして畑仕事をしているんだから、これはすごい! そうやって収穫した食べ物が貴重でないはずがない。

前回、ちょっと触れた「わっぱ煮」。
これが名物なんだけど、まあ簡単に言っちゃえば焼いた魚とネギの入ったみそ汁。どこが変わっているのかっていうと、その日に捕れた魚を入れるので魚の種類が決まっていないっていうことと、「わっぱ」の中のみそ汁に焼いた石を直に入れて、ゴトゴトと「わっぱ」の中で沸騰させること。こう言ったらちょっと失礼だけど、魚をいったん焼くので生臭くはないけれど、「おいしい!」っていう感じじゃない。どっちかって言うと「へーっ!」っていう感じ。

でもそれがまた、どんな雑魚でもとにかく捕れた魚は大事に食べるっていうことを教えてくれる。これが限られた食料の中で生きるっていうことなんだなあ…って。
泊まってる民宿のおばあちゃんが、
「今日は鯛が獲れたから、夕飯はご馳走だよ。やっぱり鯛はうめえよなあ」
って言うんだけど、普段スーパーやデパートの魚売り場を見慣れてる私たちにすると、
「えっ、これが鯛? これは店頭にも並ばないような屑じゃん」
まあ、ちょっと大げさかもしれないけれど、そんな感じ。海だからって、伊豆の旅館やホテルで出るような豪華な食事を想像したら、とんでもないことになっちゃう。
鯛の刺身が出れば、みそ汁が鯛のあら汁になるか鯛のかぶと煮がつくかなんだよね。そういう世界。

今年は、孫の蓮(れん)と沙羅(さら)も連れて、総勢9名。孫を連れてお土産屋さんに行ったら、そこのおばさんがとにかくもう、蓮と沙羅をかわいがってくれるわけ。そこから民宿まで歩っていると、また近所のおばあちゃんたちが寄ってきて二人に触りまくる。これがまたなんとも愛おしそうに触るんだよね。粟島のおばさんやおばあちゃんたちは、みな同じ。ビックリするくらい赤ん坊を大事にしてくれる。粟島には赤ん坊がいないんだよ。

こんなに子どもを大事にしてくれる地域が存在していることに、暖かさと寂しさが入り交じった複雑な気持ちで船に乗りました。
今回の宿泊費は、7人(赤ん坊はもちろんただだよ)、のべ14泊で、なんと9万えーん!「わっぱ煮」だって1杯800円で、全部で10杯頼んだのに、いったいどういう計算になってるんだろっ?
「本当にいいんですか?」って何度も女将さんに確かめて、深々と頭を下げて感謝感謝!でした。
もちろん下船の時は、「蛍の光」が流れていたよ。なんだか、どうもドンキホーテで買った安いハーモニカの音みたいだったけどね。


**2003年8月19日(火)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年2月11日 (月)

第73回「たった400人の島  その1」

新潟県に佐渡島があることはみなさんご存じと思いますけれど、粟島があることをご存じの方は少ないと思います。
粟島は佐渡島よりやや北に位置している周囲約20㎞の小さな島で、人口は約400人(2年前くらいには「440人」て出てたんだけどなあ…。今ネットで調べたら「約400人」になってる)、島全体で粟島浦村という一つの村になっています。2001年に行われた村長選挙で、当時の村長が、立候補をしようとした人の住民票を休日であることを理由に交付せず、選挙妨害で訴えられて、いったんは選挙無効で村長を失職しながら、やり直しの村長選挙で失職した村長が17票差で再び村長に当選したことから、昨年大きく報道されたので、覚えている人もいるんじゃないかな?どうも村長選挙のゴタゴタは対岸の村上市との合併問題が理由で、再び当選した現村長は推進派らしいので、ひょっとするとそう遠くない将来に「粟島浦村」は消滅してしまうかもね。3市合併で「浦和」っていう市がなくなってしまったのとちょっと違った意味で、こういう小さな村が消えていっちゃうのは寂しい気がする。

4年前「ズームイン朝」で島の名物の「わっぱ煮」の紹介をしていたのを見て、私はこの島を初めて知りました。ちょうど夏に義理の両親を連れて行く「海」を探しているところだったので、さらに「粟島」についての情報を収集してその夏は「粟島」に行くことに。義父はちょっと難しい人なんだけどえらく粟島が気に入って、それから毎年「粟島」に出かけています。

そんな小さな島だから、本土からの車の乗り入れはできなくて、対岸の岩船港に車をおいて、フェリー(一般の車両は乗れないんだけど、フェリーなんだよね???地元の人の車は乗れるらしい)で渡ります。55分で渡れる高速船もあるけど、やっぱり船はゆったり行くのが一番。とはいえ、フェリーでもたった1時間半だけど。

汽笛とともに船が出航したときの気分といったら、なんとも言い表しようがない。なっ、なんと去年からハーモニカ持参(これがまた出かける前日の夜に「やっぱり船にはハーモニカが似合う」なーんて言っちゃって、出かけるまでに何時間かしかないのに、夜中にわざわざドンキホーテまで行って買ってきたハーモニカだからね)して、船の上でハーモニカ吹いてるの。もちろん、なるべく他の人の迷惑にならないようにデッキの上の、人のいないところでだよ。
♪はーれた空~ そーぐ風~(もちろんハーモニカだから歌詞はないよ)
とか
♪カモメ飛ぶ あーおい空~ ひかりかがやく 海ばーら 
とかね。
知ってる?
やっぱり船にはハーモニカだね。

そのうち子どもが集まって来ちゃったりして、
そしたら、
♪南の島の大王は その名も偉大なハメハメハ とか♪アーイアイ アーイアイ おさーるさーんだよ~ とかやってるわけ。
北へ行ってるのになんで南の方の曲ばっかりなんだかわかんないけど、そういえば明るい曲って南の方ばっかりだね。北の方へ渡る船って、なんか暗いねえ…。
♪上野発の夜行列車降りたときから -中略- 連絡船に乗り~ とかなっちゃう…

ちょっと話がずれた…。
それでその「粟島」観光のキャッチなんてね、「何にもないを楽しもう!」みたいなやつ。それでほんとに「何にもない」の。それがまた何とも言えないんだよね。船は島の東側に着くんだけど、真ん中の山を越えて西側に行くと携帯電話も全然通じないし…。一昨年まであった公衆電話(島の西側にはそれ一台だけだったんだよ)も去年から撤去されちゃってるし…。
(携帯電話通じないんだから撤去するなっちゅーの!)

海に沈む夕日はとっても美しいけど、やっぱりセンチメンタルになるね。真っ暗になった空を眺めると天の川がくっきり見えるよ。

次回につづく

**2003年8月19日(火)掲載**

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2019年2月10日 (日)

第72回「幼稚園の子にできて、小学校の子にはできないこと」

「あらあら、危ないなあ」
交差点を左折しようとした私の車の前をお母さんの乗った自転車に続いて、5歳くらいの男の子の乗った自転車がヨロヨロしながら横切りました。ヨロヨロはしているけれど、きちんと信号を守ってお母さんに続いています。歩車道の境目のところが若干段になっているので、車輪の小さい子ども用自転車は大人用に比べて大きくハンドルを取られてしまいました。

「おーとっとっと」
ちょっと転びそうになりましたが、なかなか器用にバランスをとって、無事転ばずに私の前を通り過ぎました。
「今の子、とっても上手に自転車に乗っていたけれど、小学校に入学してからも自転車に乗れるのかなあ?」

現在25歳になる真(まこと)が小学校に入学したとき、真が通う小学校には規則があって、3年生になるまで自転車はダメ。変な話だけど、幼稚園に通っていたときには、自由に自転車に乗っていたのに、小学校に入学した途端、親が一緒にいても自転車に乗れなくなっちゃう。
私が小学校のころもやっていたんだけれど、年に1回「交通安全教室」みたいなものがあって、婦警さんと交通安全協会の人かなんかがきて、1、2年生は横断歩道の正しい渡り方、3、4年生は自転車の正しい乗り方とか(5、6年生はなんだか忘れた。3、4年生に手本を示すのが5、6年生だったような気がする)そんな感じで指導をしてくれていたんだよね。交通事情もあるんだろうけど、私のころは「自転車の正しい乗り方」を教わるまで自転車に乗ってはいけないなんていうものはなかったんだけど、息子の学校では学校で「正しい自転車の乗り方」なるものを教えるまでは自転車に乗ってはいけないということになっていたらしい。

変な話でしょ?!

だって、中には3、4歳くらいで自転車に乗ってる子だっているのに、6歳になって小学校に入学すると乗れなくなっちゃうんだから。別にそんな何から何まで学校で教えてくれないとできないなんていうことはなくて、そんなのはもう学校の勝手な主張。

「学校ってそんなに偉いのかよ?!」って感じ。

懇談会でいろいろ意見を言って、とりあえずその年は親と一緒なら乗ってもいいっていうところまで変えてもらって、その次の年だったかなあ?そんな規則は全廃してもらった。学校はそんな規則があることに何の疑問も感じてなかったみたいだけれど、意見を言ったら「そりゃそうだな」って思ったらしくて、それについてはすぐ対応してくれたんだよね。
今住んでいるところの小学校は小規模で、学区の境目の道路に信号が2カ所(一つは押しボタン)あるだけで、学区内にはほとんど地域に住む人の車しか入ってこないようなところだから、当たり前なんだよね。

さいたま市内の小学校でもまだそんな規則があるところもあるんじゃないの? つい数年前まで大宮市内のどこかの小学校はそうだったって聞いたから。(そこも意見を言ったらすぐ変わったらしいけど)幼稚園の子は自由に乗れるんだから、誰が考えてもおかしな話でだもんね。

今日見かけた男の子は、小学校に入学しても自転車に乗れるといいね。とっても自転車の乗り方が上手だったもん!


**2003年8月4日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第71回「特別養護老人ホーム」

今日は困っちゃったなあ…。
都内で越境入学をさせていて学校でトラブルになった話を聞いたので、その話にしようって決めていたんだけれど、昨日(27日)「浦和教育カウンセリング研究所」の仕事で秩父の大滝村まで行って特別養護老人ホーム(特養ホーム)を2カ所見学させてもらったら、あまりにも大きな衝撃を受けて、他のことがすっかり頭のどこかに飛んじゃった。越境のことはまた今度にして、今頭にあること書くしかないかなあ…。

大滝村は埼玉県の一番西に位置し、群馬県、長野県、山梨県、東京都と隣接しています。たった一つの村が4つの都県と接しているなんて、それだけでもすごいね。これまで峠越えだった国道140号線の山梨県へ抜けるルートに平成10年雁坂トンネルが開通して、かなり便利になりました。子どものころの私の印象では、「埼玉県の一番奥の観光地」っていう感じでしたけれど、雁坂トンネルができたことで「秩父から甲府への通り道」っていう印象に変わりました。雁坂トンネルが開通した年に山梨県側から埼玉県側に抜けたことがあるのですが、昨日久しぶりに訪ねてみて、やはり「観光地」というイメージから「通り道」というイメージになったなあと感じました。

大滝村を訪れたのは、NPO法人の方が「教育施設を作る」についての意見を聞かせてほしいということで訪ねたのですが、大滝村を一通り回って見せていただいている中で、2カ所の特別養護老人ホームも見学させてもらいました。

大滝村はかなり激しい過疎化の波にさらされているそうで、人口流失がどこで止められるかが大きな課題だということでした。産業がないため、若年層の流失は深刻で、人口構成における高齢化が進み、子どもがいなくなってしまったため、小学校が廃校になっていました。国の問題として取り上げられている「少子化」の問題とは違った意味での「少子化」問題がここには存在していました。

「過疎」という問題は、車も通らない遠い山奥や海沿いの町の話のように思っていましたが、交通量も比較的多く、ちょっと車で走れば都会というようなところでも深刻な問題になっていることに驚きを感じました。逆に都会の近くの村だからこそ、都会への人口流失がなおさら深刻になるのかもしれません。なんとか子どもを呼び戻して、村を再生させたいという大滝村の方の気持ちがとても強く伝わってきました。
『私たちは林業の世界で生きてきましたからねえ。そんなに目先のことを考えているわけではないんですよ。20年、30年、50年後の大滝村のことを考えているんです』
街の中で生活している私たちとはまったく違う子育ての大切さがここにはあることを感じました。

「特養ホーム」は約50名の方を30名あまりのスタッフで看ているそうです。入居者の方たちは重度の認知症(介護度からいうと重度ではないそうですが、私には重度に見えました)で、「こんにちは」と声をかけても返事が返ってくる人はまれです。中にはニッコリと微笑んではっきりしない言葉で「こんにちは」と返事を返してくれる人もいるにはいますが、多くの人は表情も変えずに車いすに座ったままです。集団で話をするわけでもなく、じっと車いすに座って、時折うつろな視線をこちらに向けてくる老人の方たちに、かなり大きな衝撃を受けました。

階段から落ちないように置かれた衝立、殺伐とした食堂、かなり高い位置に設置されたドアの開閉用ボタン…。何もわからずに集団の中で生きながら、死期のくるのを待っている老人に、私たちができることはなんなのか…
今まで社会を支えてきてくれたその老人たちに何か返せるとしたら、それはこれからの社会をしっかりと支えることのできる次の世代を育てることしかないのではないか、そんなことを考えながらウチに帰ってきました。


**2003年7月28日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第70回「”子育て支援”という名の子どもの受難」

春子の携帯が鳴った。レミからのメールだ。「今日はカレーライスです」

嫁からのメールを最初はうれしく思った。
「リュウ君てとっても優しいしぃ、私、大好き!彼といると癒されるっていうかぁ、ホッとするんです」
ちょっと現代風なところはあるが、おっとりしたいい子だと思った。どちらかというとおっとりしている自分ともうまくやっていけそうだった。

リュウとレミは、俗に言う「できちゃった結婚」で、半年後には子どもが産まれた。それから7ヶ月。
「私仕事が忙しいので、悪いんですけどお母さん“萌”を保育園まで迎えに行っといてもらえます?」
まだこのあたりまではよかった。
「夕飯も作っといてもらえます? 萌にも食べさせて寝かせといてもらえると助かるんですけど…」
最近では当たり前のように、夕飯のメニューがメールで送られてくる。
「今日はカレーライスです」
「今晩はスパゲッティにしてください」
それを作ったら、萌に食べさせて寝かせる、そしてさらにリュウとレミの分も電子レンジで温めて食べられるようにしておけという意味だ。
春子もどこか変だと思う。けれども、自分がしなければ萌の面倒は誰が見るのだろうと思うとやめられない。

「リュウ、飲んできたでしょ!? お酒臭い! 私だって友達と飲みたいと思ったって萌のことあるから我慢して帰ってきてるのにずるーい! リュウはウチのこと何にも手伝わないんだから、私にコーラ買ってきてよ!」
もうそろそろ限界だなあ…。春子は思う。やっぱり子どもは自分たちの手で育てないと…。

20日(日)の朝日新聞朝刊にさいたま市の子育て支援センターオープンの記事が載っていました。場所は「エイペックスタワー」の3F。何の巡り合わせか、私が陶芸教室に借りることになっている部屋の真上です。さいたま市の子育て支援の拠点となるところで、主に2歳児までの保護者らを対象に、子育て不安についての相談や子育てサークルの活動支援、ベビーシッターなどの情報提供をするんだそうです。さらに記事によると、今後は浦和駅を利用する保護者らの出勤時に子どもを一時的に預かって市内の保育園へ送り迎えし、帰宅時に保護者に戻す保育ステーション事業も取り入れるとも。「子育て支援」っていうことにはもちろん賛成ですけれど、これって本当に「子育て支援」なんでしょうか?

まあ、子どもを育てている人を支援するっていうことでいえばその通りなんでしょうけれど、誰のための子育てなのかっていう観点からすると、論理が逆になっているように感じます。本来、保護されなくてはいけないのは、子どものはずなのに「子育て支援」という名のもとに保護されているのは母親だけです。もちろん、遊んでいる人たちばかりではないけれど、最近幼児が被害にあった事件を見てみると、ほとんどの場合が親が子どもから目を離して遊んでいるケースが多くないですか?もう少し基本に立ち返って、父親や母親が子どもと接する時間を十分にもてるような子育て支援をする必要があると思います。

高度成長と急激な核家族化は、家庭から父親を奪いました。ここへきての女性の社会進出は著しいものがあります。父親を家庭に帰すことをせずに今度は母親を家庭から奪ってしまうのでしょうか?私は常々、「女性が男性化する社会ではなく、男性が女性化する社会にするべきだ」と主張してきましたが、まさにそのことが今問われているような気がします。子育て支援という名のもとにますます子どもが見放されるようなことがないといいのですが…。

萌ちゃんは38℃近い熱がなかなか下がらないのだそうです。小児科の先生の診断では「特に悪いところはないので、集団の中にいるためのストレスかなあ?」萌ちゃんは毎朝8時から夜7時まで保育園に預けられています。


**2003年7月22日(火)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第69回「露天風呂」

ギャーア、忙しい、忙しい!!忙し過ぎちゃって寝てる暇がなーい!!
今度、陶芸教室と教育カウンセリング研究所を浦和にできた「エイペックスタワー」に集めることにしちゃった。今は、浦和でしょ、南浦和でしょ、東川口でしょ。私なんか、南浦和から浦和までの定期買っちゃってさあ、南浦和の陶芸教室の駐車場に車停めて、時々浦和までJRで行ってんの。定期買うほど研究所に用があるのかっていうと、そんなにあるわけじゃないけど、お金がないもんだから内装屋さんを頼まないで、一生懸命自分たちでペンキ塗ったり床貼ったりしたんで、愛着があるんだよねえ…。ちょっとかしこまった人と会うときは、浦和で会ったりしてね。食事できるとこもいっぱいあるし…。

でもね、本当の理由は、定期を使ってみたかったの!なんかあの「Suica」の定期ってかっこいいでしょ?! そりゃあもちろん、あのデザインじゃなよ。デザインは“ダッサダサ”。ほらあの、“ピッ”って当てて通るやつ。あれやってみたかったの。定期じゃなくてもいいんだけどさ、定期だったら何回通ってもそれ以上お金かからないでしょ。だから“ピッ”ってやってみたくなったら、何回でも安心して電車乗りに行けばいいわけよ。

こんなこと言ってると、読者のみなさんは「いったい大関っていうやつは何考えてんだ?!」って思うだろうね。でもさあ、誰だって子どものころって、定期にあこがれてたんじゃないの? 昔“サッ”って改札口で見せて通っててさ、切符買わなきゃならない私は、すっごくうらやましくて、やってみたかったよ。その後もサラリーマンやることもなかったから、あんまり定期を使ったことがないんだよね。だから今ごろになってやってみたいんだよね、きっと。

さてそれで、エイペックスタワーなんだけど、中の設計を秋葉原にある会社に頼んでるわけ。それがね、担当の設計士の人と気があっちゃって気があっちゃって…。乗りがいいっていうか、何なんだろうね? 私は仕事柄、スーツを着て仕事をすることがほとんどなかったんだよね。でも、これからは増えそうな気配。スーツを着て動くと汗かくでしょ。だから、どうせ内装を手直しするんだったら、会社の中にシャワーをつけてほしいなって思ったの。ちょうどうまい具合にトイレが2つあって、1つをつぶせば何とかなることになったんだよね。“ヤッター!”って感じ。

でも、シャワーの話してたら、「私、腰の具合もあんまりよくないし、やっぱり湯船がほしいよなあ」ってなってきちゃって、
「花井さん(設計士の人)!やっぱりさあ、湯船も作って!」
「んなことできるわけなーい!」
だって、シャワーにとれるスペースって1坪ないんだもん。そこで私のアイデアがジャンジャーンと登場するわけ。どんなアイデアかっていうと、あのほら、キャンプなんかに持って行くコップ。じゃばらみたいになってて伸びたり縮んだりするやつ。わかる?「あれ、作ってよ」って花井さんに頼んだの。中に入って、シャワーでお湯を貯めてね、だんだんお湯が増えてきたら、上の方に伸ばしていくわけ。そうすると、初めから中に入ってるから身体の分だけお湯の量が少なくすむし、お湯を出すときは、上からだんだん縮めていけばいいでしょ。立って入らなきゃならないのが難点だけどね。

「洗車とか釣りのときに使う布でできたバケツみたいなやつでもいいよ」って言ったら、もう花井さんたら本気になってくれて、陶芸教室の内装と全く同じ次元で手帳にメモしてくれてた。メモし終わると、それまで「社長といると頭を柔らかくしとかなきゃダメですねえ」と言ってた花井さんも、「社長! それいいですよ。特許とったらどうですか?」だって。

それが一週間前。そして昨日また会いました。内装の細かい部分まで詰めたんだけど、「あのー、湯船のことなんですけど、広さの関係でやっぱりシャワーの中につけるのは難しいかもしれないんですよ。それで考えたんですけどぉ、あのベランダがありましたよね。あそこ7階なんで、あんまり外からは見えないので簡単な目隠しをして、ベランダで湯船につかるっていうのはダメですかねえ? まあ、露天風呂っていうことで…。それとぉ、カタログ見てたらいいの見つけたんですけど、壁の中に入っちゃうベッドがあるんですよ。社長、結構忙しそうだし、もし会社で徹夜なんてなったときに、あったら便利ですよねえ?」だって。

もちろん、私の答えは、「それいいねえ! そうして、そうして!」でした。隣で聞いていた妻が、
「ちょっと、あんたたちさあ、何本気で考えてるのよ。全体の内装のことと、シャワーとお風呂のことが同じ次元?」
「そりゃあそうだよ」
妻はあきれていましたが、やっぱり人間て、そういう自由な発想って大事ですよね。みーんな子どものころには持っているのにね。子どものときからぜーんぜん変わらないで大人になっちゃってる私の意見でした!

Hi!原稿終わり!
これで電気を消すと、天井には星が燦々と輝くのでした!(わかる?この部屋の天井は蛍光塗料で星が描いてあるの。だから、電気消すと光るんだよ!ただし、これは妻のアイデア!)


**2003年7月14日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第68回「誰がそんなにお寿司を食べたいんだろう?」

最近メッチャメッチャ忙しくて、夕飯を外ですませることが多いこと、多いこと。1日おきに外食、いやいや、3日に2日は外食っていう感じ。諸々の事情で朝昼ほとんど外食なので、“夕飯くらいはウチで”って思うけど、とてもそんなこと言ってられなくなっちゃいました。

専業主夫をして、ずっと子どもを育ててきたけれど、普通の主婦と同じように、子どもが大きくなるのに合わせて少しずつ仕事の量を増やしてきました。ここ数年、中学校のPTA役員はしていたけれど、一時の“4校(幼稚園、小学校、中学校、高校)かけもち”みたいな状態からは解放されていたので、それなりに仕事の量も増えてはいました。そこへ妻が定年退職、一番下の息子が高校入学と、我が家の生活パターンを大きく変えるような出来事が続いています。

息子は、よりによってゴルフ部なんていうものに入部したので、お金がかかる、かかる。想像をはるかに超えていて、今までと同じだけ仕事をこなしていたのではとても支えきれない。ゴルフなんていうものをちょっとばっかりやらせた(私も妻も全然やらないのに…)ことを後悔しても後の祭。妻は年金生活で、今までの収入は半減。この時期になってもボーナス無し。子どもが5人もいるともちろん蓄えなんてあるわけもなく、妻が退職したことを話すと、誰もが同じように、「じゃあ、これから悠々自適の生活でいいですねえ」という言葉が返ってくるけれど、我が家の台所事情はそんなに甘くない!

「ぎゃー、大変!! 働かなきゃ!!」
というわけで、必死になっているわけです。妻は同級生がみな旅行に行ったり、趣味に時間を使ったりしているにもかかわらず、結局働かなきゃならなくて…。トホホッ…。

もっとも、今までと違って学校という枠にとらわれないで仕事ができるので、かえって生き生きしてはいるけどね。「さーて、ビジネス、ビジネス」なーんて、出かけようとしてタンスを開けると、「あっ! スーツがなーい!」

考えてみたら、Tシャツにジーパンなんていうカッコばかりしていたために、スーツの数が足りない。Yシャツに至っては10年以上も前に買ったやつばかり…。「よし! ここは設備投資と行こう!」と、7月が誕生月なのを利用して、丸井(誕生月は5%割引)にスーツとYシャツを買いに行くことに。たまたま7月はボーナスっていうこともあってどこのお店もセール中。丸井もその例外ではなくて、Yシャツなんて、6,800円、7,800円のものが2枚以上まとめて買うと、なんと1枚1,000円!「ヤッター!」とばかり、まとめて12枚も買ってきちゃった。5%割引も合わさって12枚でたった11,400円也!

今日は丸井の宣伝?
いやいやそうじゃなくて、その丸井に行ったときに、7階にあるお寿司屋さんに行ったんだよね。ここがまた安くて人気のお寿司屋さんで、いっつも行列になってる。土曜日だったこともあって、この日もやっぱり行列。店内の待合い用の椅子はいっぱい。外に並べてある椅子もいっぱい。かなり迷ったけれど、ちょうどお昼時だったし、どこへ行ってもそれなりに混んでいるのは仕方がないと思ったので、30分と言われた待ち時間を我慢して並ぶことに。
5分くらい並んでいると私たちが並んだ後ろにも列ができてきました。私たちより3組後ろは夫婦2人、子ども2人(幼稚園の年長と年少くらいの)、それにおばあさんらしき人の5人。その5人は2,3分並んではいたんだけれど、決心したように列から離れて、別なお店に向かっていきました。そして、しばらくするとまた一番後ろに子ども連れが並びました。一番後ろまでは待合いの席がなくて立って待っています。これが電車の席なら、すぐに立って子どもに席を譲るところだけれど、このときばかりはそうもいきません。おなかは空くわ、後ろは気になるわ…。「誰がお寿司食べたいんだろうね?あの子どもたちが食べ始めるには30分じゃあ、きかないよ。そこまでして、お寿司がいいのかねえ?今日は誰のために出かけてきたんだろう?」

その翌日、950円のYシャツに味を占めて、ふたたび丸井へ靴を買いに。今度は近くの中華料理店でバイキングを食べてきました。やはりここにも親子連れ。まだ1歳くらいの子を連れた夫婦。お父さんが食べてる間はお母さんが子どもを見て、お母さんが食べてる間はお父さんが子どもを見て…。とっても優しそうなお父さんで、見ていて気持ちがホッとしました。あんな小さい子を連れて中華バイキングなんて食べる必要あるのかなあとも思わないではないけれど、あのお父さんの優しさはそんなこと充分にカバーしてあまりありました。それにしても、あのお寿司屋さんで並んでた親子連れは誰がそんなにお寿司を食べたかったんだろう?


**7月7日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第67回 「浦和駅が一番大変だったよ!」

祖母の法事から帰った私と妻を迎えてくれたのは、孫の蓮(れん)の「シュッシュッポッポ、シュッシュッポッポ!」というはしゃいだ声でした。

今朝、娘の麻耶(まや)は、間もなく2歳になる長男“蓮”と生後4ヶ月半の長女“沙羅”(さら)を熊谷から三峰口まで走っているSLに乗せるために出かけていきました。蓮は、生まれて間もないころからわが家の前を走っている高崎線や宇都宮線を見て育ったせいか、電車が大好きです。まだほとんど言葉がわからないうちから電車のことは「ドトンドトン」(これはもっと微妙な響きなのですが文字ではこれ以上表しようがありません)と呼んで、電車が通過するたびに、はしゃいでいました。

そんな蓮の好みに合わせて、麻耶が子守歌代わりに「汽車ポッポ」(汽車 汽車 ポッポポッポ シュッポシュッポシュッポッポ…)を歌って聞かせていたので、最近では電車のことを「シュッシュッポッポ」と呼ぶようになりました。

機関車トーマスのHPも大のお気に入りで、何度か私のノートPCで見せたものだから、ノートPCを持って帰宅したところを見つかったりすると、もう大変!「シュッシュッポッポ、シュッシュッポッポ!」と言いながらノートPC入りのカバンを抱えて離しません。そこで見せなければ見せないで大泣きをするし、見せれば見せたで終わりがない。
結局、やめようとしたところでやっぱり大泣き!ノートPCで機関車トーマスを見せてやったときの蓮の喜びようといったら、周りにいるもの全員が蓮の表情を見て微笑みたくなる(いやいや、大笑いしたくなる)ような喜び方なので、飽きるまで見せてやりたいと思うのですが、なかなかそうもいきません。そんな蓮を、“とにかく本物の機関車に乗せてやりたい”と、麻耶が沙羅も連れて熊谷まで出かけたのです。

「明日さあ、蓮を本物の機関車に乗せてやろうと思うんだ!」
「沙羅も連れて?」
「そうだよ」
「二人連れてじゃ、大変じゃん!?」
「まあね」
「明日は法事があるから、誰も一緒に行ってやれないよ」
「なんとかなるよ。だいぶ蓮も聞き分けよくなってきたし…」
「だけど、機関車に乗っちゃったら、機関車見えなくなっちゃうから、飽きちゃうんじゃないの?」
「ハハハハッ! そうかもね。蓮はグリーンセンター(川口市営の花や緑を中心とした公園。しばしばテレビの撮影に使われる)のちっちゃな機関車でいいのかな???」
みんなで大笑いになりました。

麻耶は機関車に乗っている蓮をカメラ付き携帯で撮って、メールしてきました。
「なにこれ? 全然つまんなそう! 怖いんじゃないの? やっぱりこれじゃあ、機関車なんか見えないじゃん」

法事から帰ると、機関車に乗った蓮はすでにウチにいて、玄関まで走って出てきました。「シュッシュッポッポ、シュッシュッポッポ!」と大騒ぎして、機関車に乗ったことをアピールします。

「こんなに蓮が喜んでて、良かったねえ!」
「うん。運転席にも乗せてくれて、写真も撮れるんだよ。でもね、写真撮りたい子が並んで待ってるから、沙羅を抱えながらで慌てちゃって、いい写真が撮れなかったよ。ビデオもうまく撮れなかった。たぶん、“ほらっ、なにやってんの! 早くこっち向いて!”って言ってる声ばっかりが入ってるよ」(笑)と、自分自身も初めて機関車に乗った麻耶も、興奮気味に話します。

「そういうときは、写真なんか撮ることよりは、その場で楽しんでくればいいんだよ」
「そうだね。でもね、それはあんまり大変じゃなかったの。一番大変だったのは、浦和駅だよ。蓮は寝そうになっちゃってて、ベビーカーもあったから、二人を抱えて、ベビーカー持って…。それで階段上がったんだよ。浦和駅ってエスカレーターもないんだもん。それにそういうのを見たって誰も声かけてくれないの! 秩父はねえ、“ベビーカー、押しましょうか”って言ってくれた人がいた。浦和の人は全然ダメ!」
「おまえ、それはねえ、声をかけちゃ悪いかな?って気を遣ってくれてんだよ。浦和の人はデリケートだから…」
浦和生まれで、浦和育ちの私は、なんだかわけのわからない弁解をして、浦和をかばっちゃいました。

そういう人がいたら、みんなで助け合える浦和の街になるといいですね。それとエスカレーターとエレベーターも早くつけてほしいね。


**6月30日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第66回 「名前」

「名前ランキング1987 男の子のトップは“翔”」
なんていう記事が新聞に載りました。
「うそー!?」
「ホントだよ。一番多いんだって」
「なんで? あんなに考えてつけたのに?」
「世の中、みんな考えることは同じっていうことだよ」
「あぁぁ…。でも待てよ…。これはさあ“ショウ”でしょ? ウチは“カケル”じゃん! だから同じなわけじゃないよ」
「そんなの、大差ないでしょ!? それより、“ショウ”って読まれちゃうんじゃないの?」
「ん~~~。そういうことも考えられる…」

-それから2年後 幼稚園-
「“オオゼキ ショウ”君!」
「あぁ~、呼ばれた…」

-さらに3年後 小学校-
「“オオゼキ ショウ”君!」
「あぁ~~~、またやったぁ…。あいつ、まともに名前呼ばれたことないじゃん」

この「翔」という名前が決まるまでにはいろいろないきさつがありました。16年前、出生届を支所に出しに行った窓口で、「入籍がまだのようなので、“私生児”という扱いになりますが、それで受理してよろしいですか?」

この“私生児”という言葉は正式には使われなくなっていますけれど、窓口でそう言われたときは、さすがに「ああ、籍が入ってないって、そういうことか…」と実感しました。私と妻はそれまで5年間生活していましたが、入籍していませんでした。私と妻にとって入籍してないっていうことが、それほど重大なことかっていうと、それはそうでもなくて、入籍しないっていうことにこだわっているわけでもない。ただ、妻にしてみれば、自分も長女、私も長男で、16歳も歳が違う上、子連れ再婚なんていう状況で、しかもそれまでの生活から私が名前(姓)を変えようしていることはわかっていましたから、「大澤家」(私の実家)に対して申し訳ないっていう気持ちがあったようで、妻はガンとして入籍しようとはしませんでした。
「ん~~~、ちょっと考えさせてください」、いったん帰ってくるしかありませんでした。

「翔」という名前の他にもいくつか候補はありました。私が陶芸をやっていた関係で「炎」とか妻の父が推す「仁」とか…。結局「翔」という名前に決まったのですが、義父は「翔」は「欠ける」と音が同じでよくないとかなり強い調子で反対していました。そんな中での支所でのやり取りは私と妻との心を揺さぶりました。入籍するという決心はほぼついてはいたものの、「翔」という名前もふりだしに近い形に戻ってしまいました。4月13日に翔が生まれて14日が過ぎてもまだ、出生届が出せませんでした。

5月1日、朝日新聞朝刊。
「朝日新聞」という一面の題字の下に「若葉風翔る 三和銀行」という広告が載りました。「うーん、“風”も“翔る”んだねぇ!? やっぱり“翔”にしようよ」。
たった1行の三和銀行の広告は、「翔」という名前と妻と私の入籍という我が家にとってとても大きな仕事をしてくれました。

「どっちを下にして出しますか? 出生届が下ならいったん私生児として受理して、その後婚姻ということになりますし、婚姻届が下ならお二人の嫡出として受理することになりますけど」
「わかりました。それなら婚姻届を下にしてください」
妻と私が知り合って15年。3人目の子どもが生まれたこのとき、初めて正式に婚姻届を出しました。

一昨年生まれた孫は、娘が「蓮」(レン)という名前を付けました。「どこからこんな名前さがしてきたの? 埼玉の人は蓮田の“ハス”って思うんじゃないの???」
ところが年が明けて「名前ランキング2002」が発表になると、2位が「翔」で4位が「蓮」に。結局ウチって“ポピュリスト”なのかなあ?

「それ、ちょっと曲がってるよ。ほら、もっとまっすぐ貼って! もー、何やってんだよ!」
わが家の壁には「命名 沙羅」の文字が…。
「なんだか麻耶(まや)の子どもの名前って、宗教じみてないか? “蓮”の次は“沙羅”?」来年発表される「名前ランキング2004」のベストテンには、きっと「沙羅」の文字があることでしょう!

**2003年6月23日(月)掲載**

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第65回 「エキスを吸い取る」

陶芸を教えていると、いろいろな話になるんですよね。
陶芸の技術的な話はもちろんですけど、例えば「益子に行く」とか「笠間に行く」とかいう話になると、陶芸の話からだんだん離れて近くの観光地の話、さらに花の名所、いい温泉…なんていう風にね。今年はずいぶんお花見の話をしました。そんな話の中にけっこう私のプライベートな話も混ざったりしてね。

たまにTV局なんかから電話があると、「先生、またTV出るんですか?」っていう話になっちゃう。今までのことをよく知っている人はいいんですが、何も知らずに陶芸をやりにきてる人はわけがわからないので、そこで最初から説明をしなくちゃならない。そうすると「あ~、どっかで会ったことあると思ってたんだけど、私TVで見た!」なーんてね。またTVの出演依頼が何本か来ていて、今日も「出るときは教えてください」みたいな話から、「歳の差のある夫婦っていうのは、年上の人が年下の人からエキスを吸い取っちゃう」って言いだした生徒さんがいて、「だから妻は若くいられる」っていうんだよね。もちろんそれは夫婦に限ったことじゃなくて、歳が離れていればそうだって…。

だから、子どももおばあちゃんに育てられるとエキスを吸い取られちゃうので、おばあちゃんは若々しくなるけど、子どもはおとなしい子になっちゃうんだって。「はあ、なるほど…。そういえばウチの翔(かける)は曾祖母と祖母に育てられたから、確かに大人しい…」なーんて、えらく納得しちゃったりして…。

そんな単純なわけないっちゅーの!
でも、一理あるなって思うのは、やっぱり年輩で子育てを経験してきている人たちは子どもとの接し方が落ち着いているんだよね。その「落ち着いている」っていうのが重要で、あんまりせかせかぎゃーぎゃー怒らずに、ゆったり話しかけてあげるとどんなに小さな子どもでも、やっぱり落ち着いてゆったり(テンポだけじゃなくて、もちろん心もね)話すようになるよね。

さっき、7月で2歳になる孫の蓮(れん)と生後5ヶ月の沙羅(さら)、妻と娘と息子、それに私の6人で食事に行きました。孫はまだ小さいので、外食するっていうことはほとんどないんだけれど、今日はいろいろ事情があって迷ったすえにそういうことになっちゃった。ウチにいるときはいつも落ち着きのない蓮が、子ども用の椅子に座ったらビックリするほどおとなしくて、一人で一生懸命食べてるんだよね。「おーっ、いい子に育ってるじゃん」っていう感じ。ちょっと自慢に思ったりなんかしてね。

ちょっと妻と仕事のことで打ち合わせをしたいことがあったので、娘と孫二人は先に家に帰ることに。ちょうど娘が出ていくのと入れ替わりに、蓮とほぼ同い年くらいの男の子を連れた夫婦が入ってきて、私と妻から正面に見える席に座ったんだよね。それが珍しいことにお父さんと子どもが隣に座って、お母さんが子どもの正面に座ってるの。もう少し子どもが大きくなるとそういうこともあるんだけど、ちょっとあの年齢ではね…。食事の間中ずっと、お母さんは子どもに落ち着いてにこやかに接してるんだよね。子どもも一人でとってもおとなしく、食べてるの。「ほっ、ほーっ!」っていう感じ。

とても厳しいしつけをしてるなんていう風には見えなかったけど、あの子どもの落ち着き方を見ると、やっぱり子どもはお母さんの優しさをしっかり受けとめるんだね。もちろん、お父さんもとっても優しく子どもと接していましたよ。
それを見ていた私と妻も、とても優しい気持ちになりました。

孫を見ているおばあちゃんは、必ずしも子育てがうまいっていうわけじゃなくて、「最後は親の責任」っていう気持ちがあるから、ゆったりと孫の面倒を見られるっていうのもあるよね。私も孫に対しては無責任だもんね。

そうそう、話は戻るけど、年上が年下のエキスを吸い取っちゃうっていうのが事実とすれば、私は吸い取られちゃってるわけ???どおりで最近痩せてきたと思ってたら、吸い取られすぎてしぼんじゃってんのかな???


**2003年6月16日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第64回 「怒る」と「叱る」

ちょっと今回は理屈っぽく…
「あなたたち、『怒る』と『叱る』の違いがわかってる?」

ある保育士が保育実習にきている学生たちに言いました。学生たちは、漠然とした違いは感じるものの自信がなかったので、その後の質問の矛先が自分に向けられないように、全員が曖昧に目を伏せました。「あなたたち、そんなこともわからないで子どもたちと接してたの? もっと勉強しなきゃダメよ!」怖い怖~い保育士の一撃が学生たちの上に落ちました。

さて、みなさんは「怒る」と「叱る」の違いがわかりますか?

「怒る」が感情的、「叱る」は理性的っていうような感じがしますよね。怖い怖~い保育士もそういうことが言いたかったんだろうと思うし、学生たちもおそらくその通りに感じていたんじゃないかな?
やっぱりこういうことは、きちっとしなきゃいけないから広辞苑を引くと、

・「怒る」 1)いかる。腹を立てる。 2)叱る。
・「叱る」 (目下の者に対して)声をあらだてて欠点をとがめる。とがめ戒める。

ということになります。さらに、

・「とがめる」 1)気にかける。取り立てて気にする。 2)取り立てて言う。 3)取り立てて問いただす。責める。非難する。
・「戒める」 1)(禁じられていることを)教えさとして、慎ませる。 2)過ちのないように注意する。用心させる。 3)行動を禁止する。とどめる。4)罰する。(「戒める」については、明らかに意味の違うものは省略しました)

こうして意味を調べてくると、目上の者が目下の者に対して「怒った」場合は「叱る」と言えなくもないっていうことがわかってきます。ここで重要なのは、「叱る」という言葉は、常にそこに身分の違い(年齢の上での上下、地位の上での上下といったような)が存在するということです。私も、子どもに対して「教えさとす」ということがあってはいけないとは思いません。けれども、「教えさとす」ということは、「教える」わけだから、その内容が絶対に正しくなくてなりません。子育てにこの「絶対に正しい」っていうことがあるかっていうと、これが難しい。

例えば、食事の時に食べ物をこぼす子がいたとする。あるお母さんは「こぼさないように食べなさい」と叱った。あるお母さんは、子どもの自主性を育てるためにこぼすことを容認した。どちらも間違ってはいないですよね。けれども、目に見える現象はまったく逆の結果になる。結局そこに「絶対に正しい」ということは存在しない。

保育や教育の現場で、「怒る」ことはいけなくて、「叱る」ことはいいように語られることがよくあります。おそらく前出の保育士もそういうことが言いたかったのでしょう。けれども、私はまったくその逆に「叱る」がいけなくて、「怒る」がいいのではないかと思います。
子育てや教育を語るときに「子どもの目線」という言葉をよく使います。私はもう少し踏み込んで、「子どもと対等」とか「子ども扱いしない」とかいう言葉を使います。「叱る」という言葉は、上下関係があるときに成り立つ言葉だから、もし子どもと対等と考えたら「叱る」ということはなくなって「怒る」ということになる。

叱られたら、そこに上下関係が存在するわけですから反論はできませんが、怒られたのなら反論の余地がある。私は子育てや教育にはそれが重要だと思います。子どもにも意見を言う余地があるからこそ、子どもは考えるのであり、自立していくものです。また、それが自分の行動に責任を持つことにもつながっていく。

子どもに腹が立つときがあったら、「しつける」なんていうことは考えずに、しっかりと「怒って」みたらいいんじゃないのかな? それが子どもを一人の人格として認めることになると思うんです。

ただし、自分の力(腕力)の方が強いことを笠に着て「怒った」ら、それは不平等。それはやっちゃいけない。子育てや教育に「正しい」なんていうことはまずあり得ないんだから、やっぱり保育士や教員も「叱っ」ちゃいけないんだよね。


**6月9日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第63回 「スポーツと教育」

昨年のワールドカップ日韓共同開催やJリーグの隆盛によって注目を集めているサッカー。たしか3月4日からだと思いますが、朝日新聞の火曜日の朝刊に『井原正巳の世界』というコラムが連載されています。4月22日のコラムの中で「DFにとって反則は必要なプレーだ。反則の多いチームの方が勝つ確率が高いとも言われる。1点を取られる場面、警告を覚悟して反則で止めるプロフェッショナルファウル。よくその良しあしが議論になるが、それも選択肢だと思う。」と井原氏が述べたところ、多くの反響がありました。反則をしないDFを望む人、反則が必要なときもあると容認する人…、その後5月13日の連載まで反則の是非についての議論が続きます。

ちょうど例の「おやじ子育て大学」と時を同じくしていたので、私は「子育てにおける男の感覚」という意味で、興味深くその議論を見ていました。
私はどちらかと言えば「反則容認派」です。というか「当然」と考えています。私が育ったころの浦和はまさにサッカーの町でした。今ほどサッカー熱が高かったとは思いませんが、とにかく全国で浦和という町は抜きん出ていました。中学の2年先輩に現在ガンバ大阪の監督をしている西野朗さんがいました。よくNHKの解説をしている加藤好男君は中学のクラスメイト、田島幸三君は高校のクラスメイトです。そういった中で育ってきていますから、スポーツという世界が勝たねばならない世界であることをよく知っています。特にプロならなおさらのこと。反則をしないで負けるより、反則をしても勝った方がいいに決まっている。

私も中学に入学しての数ヶ月間、サッカー部に所属していました。そこで先輩からだったか、先生からだったか指導されたのは、「試合が始まったらまず敵のストライカーを蹴飛ばしてこい」ということでした。「まず怯ませる」、これは戦術としてはなかなかいい戦術です。それが勝負です。誰も「参加することに意義がある」なんて思ってやっている人はいませんから、当然です。

スポーツの世界で「フェアプレー」っていうのが高く評価されることがありますが、よく考えてみるとちょっと変ですよね。「フェア」でないことが前提にあるから「フェアプレー」が評価されてる。私はスポーツはそういうものだと思います。特にプロスポーツの世界は…。それが嫌なら、スポーツをやめればいい。

ここで問題になるのは、教育とスポーツの関係だと思います。前述したようにスポーツの指導者が勝つことを教えるのは当然だと思いますが、教師の役割はちょっと違います。よく、スポーツをやることで礼儀が身につくとかモラルが身につくというような言い方をする人がいますが、これは明らかに嘘です(百歩譲って私の知る限りではとしましょうか)。
ここで言う「礼儀」とか「モラル」は、あくまでも指導者への服従という意味しか持っていません。簡単なことでいえば、私が高校の時、放課後掃除をするよう決められていましたが、サッカー部で掃除をしている人は皆無でしたし、ある学校の野球部では万引きをした生徒が処分をされませんでした(明らかに犯罪ですが表に出たら野球部が出場できなくなるからです)。

スポーツの世界の論理を単純に学校教育に持ち込めば、学校のモラルは崩壊します。5月13日の記事の中でセルジオ越後氏は、
「ルールを、ただ守るためにあるとみるか、自分が得するためにあるとみるか。例えばぼくは赤信号を「道路を渡っちゃいけない」でなく、「車にひかれちゃいけない」と考えている。交通違反にいろいろあるように、スポーツの反則にもランクがある。ルールの幅をどう考えるかです。絶対許されないのは、選手生命を絶つようなけがを負わせるものだ」
と言っています。大変わかりやすい話ですが、学校では赤信号を無視してもいいとは教えられませんよね。

子育てや教育には自分だけが得をするといった考えがあってはいけない。また、そんなことはあり得ないんです。「ルールの隙をついて自分が得をする」と考えるのではなくて、「ルールがなくても皆が幸福な生活を送れる」と考える方がより健全な子育てや教育なんだと思います。

スポーツの世界って男的。それもいいけど、あんまり子育てや教育の中にははびこってほしくないですね。


**6月2日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第62回 「求められる父性」

「父親参観」っていう言葉が公立の学校から消えて、ずいぶん経ちます。幼稚園には残っているところも多くて、母の日にはお母さんの絵を描かせたり、父の日にはお父さんになにかプレゼントをさせたり…。そういえば、私も父の日に柄の部分に私の顔が描いてある靴ベラををもらいました。

子どもを持った”シングル”の増加は、子育て観に大きな変化をもたらそうとしています。「母子家庭」という言葉から、以前のような悲愴感は消え、むしろ今は「シングルマザー」と名を変えて、もてはやされそうとしている。

そんな時代ですから、仕事のために父親不在になっている家庭と併せて、子育ての中での父親(あるいは父性)の存在がクローズアップされるのは当然の結果だと思います。そこで重要になってくるのが、子育てにとっての良き父親像。これが一番大切なところで、本来だったら父親の存在が子育てをよりよい方向に導くところなのでしょうが、これが意外に逆な方へと向かってしまう。世の父親たちはあまりにも子育てから遠いところで生活しているんです。そのことが「シングルマザー」の存在を後押ししているとも言えなくはない。まあ、そんなことから「おやじ子育て大学」的な発想が生まれてきたんでしょうね。

土曜日とか日曜日とかに授業参観がある(週5日制の実施でかなり少なくなってしまったようですが)と、数人のお父さんが訪れます。ときに懇談会まで残ってくれて、意見を述べてくれることも。ところがここで発言する内容といったら、
「最近の子どもたちはまったくしつけがなってない。ビシビシやってください」
「先生方は子どもを甘やかしている。ときには殴ったっていいじゃないですか」
と、くる。

本当にそう考えているお父さんは少なくなってきているんでしょうが、そういう場所で発言するお父さんには、どうもそういう傾向がある。一旦そういう方向で話が進んじゃうとそれを軌道修正できるお父さんやお母さんは少なくて、よほど先生が頑張らない限り、「学校では殴ってでもいいから、子どもを厳しく指導してください」というのがなんとなくその場の結論になってしまったりして…。「厳しい」っていうことが子育てにとってある意味で必要だということは私も認めるけれど、「社会はそんなに甘くない!」的な厳しさを子どもに押しつけるのはちょっとね…。あまりにも子育てが見えてない。

子育ての中に必要とされている「父親」とか「父性」っていうものは、子どもに対する暴力的な厳しさじゃなくて、父親自身が持っている「自分自身への厳しさ」なんじゃないのかな…。そこをはき違えて、子どもにだけ厳しくしても、子どもは真っ直ぐ育つわけがない。父親が子育てに参加しようとしたら、まず初めにやらなくちゃいけないのは、自分の生き方の検証でしょうね。自分の生き方と照らして、どう子どもに指導できるかを考えた方がいい。子どもに対してひかない父親である前に、自分の生き方にひかない自分でありたいですね。それが「しっかりと家族を守っている父親の強さ」と子どもに映れば、つまらない子どもとの接し方なんて学ばなくても、きっと子どもに伝わると思うけど…。それがきっと「父性」の本質なんじゃないかな???

「父性」って他人に対する力みたいに言われがちだけど、本来はやっぱり自分に対する「厳しさ」が本質だよね。もちろん父親だけでなく、母親の中にもあるべきものだと思うけどね。


2003年**5月26日(月)掲載**
※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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2019年2月 9日 (土)

第61回「おやじ子育て大学 その3」

「銭湯」っていえば、最近本当に増えていますよね。20年あまり前にいろいろな事情でちょっとだけ水商売をやってたことがあって、その時借りてたビルが「埼浴会館」。このビルは「埼玉県公衆浴場組合」(確かそうだと思うんだけど)っていう団体が持ってるビルだったんです。まあ、柔らかくいえば埼玉県の銭湯を経営している方々の組合です。当時の理事長さんには、とってもお世話になりました。何度か話をさせていただきましたけれど、これからの銭湯は従来の銭湯とは違い、複合型の銭湯(サウナ有り、食堂有り、マッサージ有りのような)でないと生き残れないとおっしゃっていました。経営者はみんなわかっているんだけれど、それには相当の資金がいるから簡単にはいかず、廃業せざるを得ないんだとも…。

私の行ってたころの銭湯っていくらくらいだったかすっかり忘れちゃった(というより母が払っていたので知らないのかも? 確か大人1×0円だったような気がする)けれど、まあそんなにすごーく儲かるっていうような仕事じゃないから、同じ公衆浴場とはいえ改築してまったく違った内容にするのは難しかったんだろうという想像はつきます。今流行りの「××の湯」っていうやつはかなり大規模だからそれなりに大資本じゃないとね。銭湯を経営している側が「番台に座ってるスケベなおじさん」(変な言い方してすみません。昔よく社会全体の中に親近感を込めてそんな言い方が蔓延してたので)から、顔も名前も知ることのない会社の社長になってしまった。

私の実家のある「原山」という地域は、旧越谷街道沿いに現在ドンキホーテがある花月の交差点までずっと商店街がつながっていました。そこに長崎屋ができたことで状況は一変しました。昔あった肉屋さん、魚屋さん、八百屋さん、駄菓子屋さんは一件もなくなり、閑散とした通りに…。実家は長崎屋からそれほど遠くない距離なので、徒歩で買い物に行けない距離ではないけれど、長崎屋に来る買い物客はほとんどが自転車か車。日曜日には駐車場に入る車が狭い越谷街道で渋滞することも…。肉屋のおじさんや魚屋のおじさん、八百屋のおじさんたちと話をすることはなくなり、お金を払うのにもいっさい口をきく必要もなくなり、ときには買い物から帰るまで一度も口を開かなくてすんでしまうなんていうこともあります。

そんな中で子どもたちは育っています。これは父親のせいでも、母親のせいでもない。地域とのコミュニケーションなどというものは、銭湯どころでなく地域のどこを探してもない。

最近の社会情勢を受けて、数年前から緊急時の子どもの避難場所として、「子ども110番の家」(地域によって呼び方が違うとは思いますが)というのを地域のお店あるいは角の目立つ家などにお願いしています。幸い私の住んでいる地域ではほとんど利用されたという例はありませんが、そういうことをお願いしなくてはならないほど、地域との関わりが希薄ということはいえます。

けれどもこれは、誰のせいでもない。社会情勢がそうなったということです。それを父親母親に社会との関わりを持つよう促しても無理です。そういった社会情勢の中での人と人とのコミュニケーションの取り方を子育てという観点に限らず、大人も子どもも考えていく必要があるんじゃないでしょうか。

なんだか、まだ終わらないなあ…。父親の子育て観が言えないうちにこんなに長くなっちゃったので、「おやじ子育て大学」にこだわらずに、次回述べたいと思います。

**2003年5月19日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第60回「おやじ子育て大学 その2」

土屋埼玉県知事が学長としてのあいさつの中で、「お父さん、お母さん。お子さんと話をしていますか。一緒に食事をしていますか。一緒に遊んでいますか。一緒に笑い、泣いていますか。子どもが健やかに育つには、何よりもまず家庭が大切です。子どもにとって、親のあふれんばかりの愛情がなくては、健全な成長は望めません。今の若い方は知らないでしょうが、昔は、お風呂のある家は少なかったので、家族そろって銭湯に行きました。そこには近所のおじさん、おばさんがたくさんいました。文字どおり裸の近所づきあいがありました。子どもは地域社会のみんなで育てていくものではないでしょうか。みなさんも、もっと気軽に周りの人々に声をかけてみてください」と言っています。

確かにその通りです。けれども、これは実行できません。
「一緒に××していますか」と言われても、そんな時間はどこにもないんです。私の周りにお父さんが亡くなってしまったご家庭が何軒かあります。どこのお宅もお父さんが亡くなっても「何も生活は変わらない」と言っています。皆さん、とてもお子さんをかわいがっていたのですが、関わる時間がなかったのです。

昔風の銭湯などというものはどこにもないですよね。今の銭湯は大人の息抜きの場でしかないんです。そして「家族そろって」という部分にもまやかしがある。私は子どものころ銭湯に通っていた時期がありましたが、銭湯に行くのはいつも母親とで、父親と行った記憶はほとんどない。ここでも父親の存在はなかったのです。もちろん他の男の子たちも女湯に入っていました。私は「何歳までは女湯に入っていいんだろう」なんて考えていたこともありました。幼いころの私には、一人で男湯に入るということがとても大きな冒険であったのをよく覚えています。

25年も主夫をやっていると世の中の動きがとてもよくわかります。25年前のスーパーマーケットには、男性の姿は皆無でした。ところが最近は、かなりの数の男性が買い物に来ています。駅周辺の深夜まで営業しているスーパーマーケットなどでは、むしろ男性客の方が多いくらいです。もちろん主夫が増えたわけではなくて、既婚率の低下などから一人暮らしの男性が増え、男性が買い物に来ると考えられますが、そういうことだけではなくて、ここには男性の意識の変化があると思います。スーパーマーケットに来る男性の数だけを単純に比較したら、おそらく私が主夫を始めたころの数百倍くらいにはなると思います。どう考えても、一人暮らしの男性がそんなに増えたとは思えません。要するに、若い男性はスーパーマーケットで買い物をするということに抵抗がないんです。

これは子育てについても同じです。
PTA活動の中でも「父親不在」がよく話題に上ります。けれどもこれは意識の問題というより、PTAの活動時間と父親の自由な時間が重ならないという物理的な問題です。翔の通っていた中学校は、今年から「機械警備」に代わりました。小学校は私の記憶がはっきりしないほど以前から「機械警備」でした。「機械警備」になるとある一定の時間から後は学校に入ることができなくなります。教職員の勤務時間の問題からすると、当然の成り行きなのかもしれませんが、各地でPTAにおける父親参加が一つの問題になっている時に、夜間(といってもせいぜい7時、8時のレベルですが)の学校使用ができにくいとなると、父親の子育て参加という観点から見て矛盾していませんか。

土曜日の休日化にしても然りです。「家庭に帰す」的な発想があったはずなのに、必ずしも土曜日に父親はいない。あわてて受け皿作りを考える。けれども未だに受け皿は作れないまま、子どもたちは宙ぶらりんにされている。父親の「家庭」に対する意識は着実に変化しています。行政の役割は、父親の意識変革を促すことではなくて、父親が子どもと関われる環境整備をすることなのではないかと感じます。

たぶん、今の若いお父さんたちは子どもと関わる父親の方が「普通の父親」と思っているんじゃないのかな?私なんかは、「父親の子育て参加」をことさらに叫んでいる人たちの方が、子育てに参加していないような気がするんだけど、違ってる?子育てに参加したことのない人たちが、「他人」に子育てに参加”しろ、しろ!”ってあんまり言わない方がいいんじゃないのかな? まるで子どものころ勉強しなかった親が自分の子どもに勉強”しろ、しろ!”って言ってるみたいでみっともない!よね。

次回につづく。次回は土屋知事さんの言っている「地域の問題」と「父親の持っている子育て観」についてです。

**2003年5月12日(月)掲載**

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第59回「おやじ子育て大学 その1」

「おやじ子育て大学」なんていうのが埼玉県のHPにあるなんて、ぜ~んぜん知らなかった~!
先日、朝日新聞に紹介されていたので、早速のぞいてみました。(埼玉県の公式HPから簡単にアクセスできるので、皆さんも覗いてみては?)

う~ん、なるほど…
県のHPを開くとすぐに目に付く割には、内容が貧弱? かな???
子育ての中の父親像をどう描くかというのは、とても難しいことです。以前、英語の教科書の挿絵で、「いつも家事をしているのが女性」ということが、問題になったことがありました。男女共同参画の考え方からすると、単に現実を映したような挿絵は好ましくないということだと思います。何気なく触れる教科書の挿絵のようなものが人の潜在意識に大きく影響するのは当然のことなので、子どもの目に触れるものはとても慎重に作られるべきだと思います。
県も男女共同参画社会づくりに、とても積極的に取り組んでいるように見えます。けれども、先日の県立高校の男女別学維持の決定(これにはいろいろ議論のあるところだと思いますが、ここで扱うととんでもないことになるので、別のところでということで。ただし、私は当然のことながら共学支持です)などの例を見れば、それが充分でないことも明らかです。この「おやじ子育て大学」を男女共同参画という観点から見ると、やはり英語の教科書的な部分が見え隠れするというのが、私の印象です。それは、「父親」「母親」の役割を規定してしまっているからです。

数年前に「父性の復権」(林道義著 中央公論新社)という本が話題になったことがありました。これを読んでどこか引っかかるところがあったのですが、検証しないまま読み流しました。もう一度読んでみないとよく整理はできませんが、確か「父性」というものの規定にとても強く抵抗を感じたのを記憶しています。(HP上できっちり反論してくださっている方もいらっしゃいますので、興味がある方は「父性の復権」でネット上を検索してみてください)

「おやじ子育て大学」もややこの嫌いがある。例えば、最初の『おやじ子育て大学とは』の中の「子どもとどうつきあっていいかわからない、あるいは、子どもが何を考えているのかわからないなど、お父さんを中心にとらえたページです」という部分。
「子どもとどうつきあっていいかわからない」「子どもが何を考えているのかわからない」というのは、「父親だから」という悩みではないはず。私が今まで子育てをしてきた経験から言うと、こういった悩みを持っているのは父親ではなく、むしろ母親です。もし、父親がこういった悩みを持っているとしたら、おそらくそのお父さんは、「おやじ子育て大学」を訪れなくてもいい人だと思います。

また、そのすぐあとの「家庭での父親の存在感が薄くなり、社会の善悪のしつけがおろそかになってきたといわれています」のくだり。これは漠然とした社会認識から生まれる考え方で、根底に女性に比べて男性の方が理知的で道徳観に優れているとの暗黙の了解がある。
男性が社会の善悪のしつけをするというのは事実ですか? これを真っ直ぐに受け取れば「男性中心の封建的な古き良き時代」というふうに聞こえますよね。まずこのメッセージを書いている人の意識の中にはっきりと男女の棲み分けが存在してしまっている。
昔、本当に父親がしつけをしていたのでしょうか?私はあまりそう思わないのですが…。昔の父親は、妻に対しても子どもに対しても、ただ自分勝手に振る舞っていただけだったのではないでしょうか?「そのツケが、今来ている」、そう捉えることだってできませんか?
そういう子育てをされてきた世代が父親になっているわけだから…。

このジャンルは私が最も得意(?)なところなので、どうしても長くなっちゃいます。2回で終わるかなあ? 3回くらいになっちゃうかなあ???

とりあえず、次回につづきます。

**2003年5月26日(月)掲載**

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第58回 「ウチの子には小児科医になってもらいたい」

25日の朝日新聞・朝刊に医師国家試験のことが載っていました。ちょっと長い引用になっちゃうけど、あんまり切れるところがなかったので…。

「厚生労働省は24日、今年3月に実施した医師国家試験の合格者を発表した。視覚障害のある男性が初めて合格。最高齢の合格者は66歳の男性で、調査を始めた86年以降で最年長となった。
〈中略〉
心身の障害を理由に資格や免許の取得を制限する法律が政府全体で見直され、医師国家試験は01年7月の法改正で目や耳などが不自由な人の受験が可能になった。厚労省の検討会が昨年11月、問題の読み上げや試験時間の1・5倍までの延長を認める特例受験の方針を決め、3月の試験で初めて3人の視覚障害者が受験した。今後、厚労省は専門家らによる委員会を設置し、合格した男性からどの分野を目指すのかなどを聞き、医師としての業務が可能か判断し、免許を与えるかどうか決める。米国には全盲の精神科医がいるという。
〈中略〉
最高齢の合格者となった66歳の男性は昨年3月に熊本大学医学部を卒業した。これまでの最高齢は62歳の女性だった。」

ヒャー、びっくり!
66歳でお医者さんになるなんて、信じらんなーい!!今までの62歳っていうのも相当すごいと思うけど、それを一気に4歳も上回っちゃうなんて!(スピードを競ってるものとは違うからちょっとこの言い方変かな?)視覚障害があって合格したっていうのもすごい!この人は足と手指にも障害があるんだって。いやいや、世の中にはすごい人がいる。私もまだやれるかなあ???頑張っても、あんまり可能性ないね。

親は子どもにけっこう期待をしてるから、こんな職業についてもらいたいなんていう希望はそれなりに持ってる人が多いですよね。小学生のお子さんを持つお母さんが、「小児科医が足りないでしょ。だから、ウチの子には小児科医になってもらいたいの」と言った。

かなり優秀なお子さん(一浪して今年希望する大学に合格した)を持ったお母さんが言った。「医者はねえ、大変な割に給料が安いでしょ。月に100万くらいじゃあ、商社だって同じ。なるまでにかかるお金を考えたら、医者はねえ…。開業なんて親が開業医じゃないと無理だし」夫が職人で、ある程度成功している(ベンツに乗り、ロレックスの腕時計をしている)奥さんは、なんとか子どもを私立中学に入れようと思ってるけれど、「やっぱり医者の妻になった方がよかったなあ…。子どもがねえ…」

確かに医者ってなるの大変だし、だから一般的に言って社会的身分も高いし…。でも、社会的身分の高い職業に就くのが幸せかっていうとなんか違うし、じゃあ、ベンツに乗ってロレックスして、お金があったら幸せかっていうとそれもなんか違う。結局、何が幸せかっていったら、自分の好きなことをやって自分の生き方を貫くことかなあ???
親が子どもの人生を決めるんじゃなくて、子どもには自分の人生をしっかり作っていける能力を身につけさせてやりたいね。ウチの子どもたちは、長女が油絵、長男がバレエ、次男が演劇、次女が子持ちのバツイチ、三男がゴルフ。みんな勝手なことをやってる割に、あんまり幸せそうには見えないなあ??? 
みんなお金に困ってる。
やっぱりお金も大事かなあ???

66歳のお医者さんも自分の持っている力を存分に発揮して、満足のいく人生が送れるといいね。

**2003年4月28日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第57回 「立候補のちところにより時々あみだくじ」

桜も終わって、いよいよ緑も濃くなってきました。今年はやたらと忙しくて、ゆっくりお花見もできなかった(;_;)
花粉症がひどいので、お花見の季節はどうしても気が重いんだけど、「お花見をしなかった」ってなると、これがまたちょっと寂しい…。人間なんて勝手なもんだね。

90歳を過ぎた義父と、間もなく90歳になろうとしている義母が、未だに二人で暮らしています。普通だったら当然のように介護にあたらなくてはならない年齢なのに、元気でいてくれるのは、とてもありがたいことです。
そんな義父と義母のために私が運転をして、年に数回旅行に出かけます。春のお花見、夏の海、そして秋の紅葉。二人が元気で私に時間がある時は、プラスα。二人とも車に乗ることをおっくうがらないので、かなり遠くまで出かけます。去年のお花見は、「弘前」と「角館」、紅葉は鳴子狭(本当は乳頭温泉に泊まって「八幡平」だったんだけど、父が体調を崩してしまい、松島に泊まって「鳴子狭」になっちゃった)。

今年はわが家の近場でのお花見ができなかったから、残るお花見のチャンスはこの両親を連れてのお花見だけ。ただ、年明けにかなりひどい肺炎を患って“危なかった”義父なので、「今年はあまり無理をせず」なんて、私の都合がつく4月末でもお花見のできる所を一生懸命探していました。そうしたらなんと!「オレは遠くに行けないほど年寄りじゃない」って義父が言ってるっていうから、どうやら今年も「角館」になりそう。

お花見は難しくて、一日ずれても「がっかり」ってなっちゃうので、場所が決まると今度は開花予想と天気予報との“にらめっこ”。今は毎日ネットで「角館」の桜情報を見ては、両親に報告しています。去年は2日くらい遅かったので、“今年は”って思うんだけど、今年もかなり微妙な情勢なんだよね、これが。ちょっと寒い日が続いてくれるといいんだけど…。

前置きがなが~~~~~かったけど、さてこの季節、どこの学校でも懇談会でPTA役員を決めていることと思います。たぶん、どこの学校も同じだろうけど、これが毎年悩みの種。役員になるのがイヤだからって、懇談会に出席しない人までいて…。
だいたいクラスで5、6人の役員を選んでいるんじゃないかと思うけど、2、3人は決まっても、最後の1人、2人になると、これがなかなか決まらない。特に“広報部”なんて残った日には大変なことになっちゃっう。出席した人が損をしないようにって、来てない人も含めて『あみだくじ』なーんてね。

こう言うと、「当たり前ジャン! そうしないと不公平だよ」っていう人も多いんだろうけど、どこか変。PTAなんて“国民の義務”じゃないんだから、そんなにみんながやりたくないPTAなら、なにも無理してやらないでぜーんぶやめちゃえばいいんだよね。『任意』だっていう本質から考えれば、本来は“やらない人が損”ってならなきゃおかしい。どこかで論理が逆転しちゃってるわけだよね。「何のためにPTAがあるのか」って考えた時に、「子どものため」って答えが返ってくるとしたら、役員をやろうとしない人って「子どものことを考えてない人」っていうことになっちゃう。相当ひどい親だよね。

そうは言っても、なんでそんなことになっちゃってるかっていうと、PTA活動の中身が「子どものため」になってないからだよね。それは個々の親にも責任があるし、PTAを引っ張っている人たちにも責任があるし、PTA活動に参加しようとしない教師にも責任がある。
当たり前のことだけど、親は誰だって「自分の子の幸せ」を願って行動する。それは全然悪いことじゃない。でもここで重要なのは「自分の子だけ」が幸せになれるなんていうことがあるかっていうこと。“自分の子はいじめられていなくても、いじめられている子がいる”、“自分の子は元気に学校に行けていても、学校に行けない子もいる”。一見、自分の子にとってはそれでもいいような気はするけれど、そんな環境の中にいる自分の子どもが幸せなわけがない。結局、自分一人の幸せなんてあり得ないんじゃないのかな? ちょっと大げさな言い方をすれば、アフガニスタンや今回のイラクを見てみれば誰だってわかることだよね。一人一人がもう一度「子どものため」っていうことの意味を真剣に考えて行動をするべきなんじゃないのかな。

役員をやることが“義務”だって思っている人もいるんだろうけど、“権利”だっていうことをもう一度考えて、PTAを見てみると“目から鱗”っていうこともあるよ。中には役員を引き受けたいって思っていても、いろいろな事情で引き受けられない人もいる。そういう人に、実にくだらない『PTAの作業』を押しつけたりせずに、そういう人のことも考えてあげられる、そんなPTAにならなくちゃ嘘だよね。『他人(ひと)のことを理解して、助け合える』それがまさに教育の原点でしょ。そんな単純で当たり前のことができないPTAなんて、本当にいらなーーーーい!!

週間予報によると、東北地方はここ一週間あまり天気のいい日はないらしい。出かける予定の29日までなんとか花が保つといいんだけど…。
「今年の役員決めは、立候補のちところにより時々あみだくじ」でした。「来年の役員決めは、ところにより時々立候補のち全域で激しいあみだくじに見舞われるでしょう」なんていう『長期予報』が流れないといいけどね…

**2003年4月21日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第56回「校庭の開放」

「ピッチャー投げました」
「バッター打ちました」
「これは大きい! 大きい、大きい! 大きい、大きい! フェンスを越えました!」
その途端、『ガチャーン!』
「わーっ、やばいよ!」
「どうする?」
「しょうがないよ。みんなで謝りに行こうよ」
先日、ドン・キホーテの近くを通ったら、子どもの頃のこんなシーンを思い出しました。
私が子どもの頃、今はドン・キホーテになっているところのすぐ近くに、ちょっとした空き地があって、よくそこで野球をしていました。野球といってもゴムボールを使ってやってる三角ベースのたわいのないものだけれど、そんなに広いところじゃないので、すぐに塀を飛び越えて、どこかのお宅に飛び込んでしまうわけ。もう35年くらい前の話だから、そこにあるお宅もただのトタンの塀で、ガラスが割れたりしなければ、どんどん入っていってボールを取ってくることはできました。けれどもガラスを割っちゃったとなると、ボールだけ取ってくるわけにもいかなくて、この時はきちんとみんなで謝りました。
でも今考えると、弁償した覚えがないなあ???
年齢が大きくなると、そこの空き地では収まらなくなって、だんだん小学校の校庭で遊ぶようになりました。
私が子どもの頃は、夏はソフトボール、冬はサッカーという季節によっての棲み分けができていました。

「ほら、俺がノックしてやるから、みんなあっち行って取れよ」
時にはラーメン屋のお兄さん、時には小学校の用務員さん(今は校務員さんとかいうけど)が、相手をしてくれました。日曜日は、一人で学校に行っても遊び相手に困ることはありませんでした。子ども同士でぶつかって、鼻血を出しちゃうなんていうこともしょっちゅうありました。もちろん休みの日は保健室なんて入れないので、
「おい、だれかティッシュ!」
なんて言って、鼻にティッシュを詰めて、しばらくじっとしていたものでした。

「このごろさあ、パンダ公園危なくて…」
子どもを二人連れて、近くの公園(小学校の正門の真ん前で、パンダの遊具があるのでパンダ公園と言っています)によく遊びに行く麻耶(まや)が言います。
「なんで?」
「小学生がサッカーやってるんだよ。すごい勢いで走ってきたり、ボールが飛んできたり…。蓮(れん)の他にもやっと歩き出したくらいの子が4、5人はいるんだけど、みんなお母さんがピリピリしてるよ。あんまりひどいから、『ここは小さい子が遊ぶための公園だからボール遊びはやめて』って言ってやった。『はい、はい』とか言ってその時はちょっとおとなしくなるんだけど、5分も経たないうちに元に戻っちゃうんだよ。なんで学校でやらないんだろうねえ?」
「日曜日だから、大人のソフトボールと少年野球で校庭を使っちゃってるんだよ」
「普通の小学生が使えないの変だよねえ。自分の学校なのに…」
これは、以前からずっと問題になっていて、私が小学校のPTA会長をしている時も、校長先生とずいぶんお話をしました。地域への開放が進む小学校は、今では子どもの遊び場というより、大人の遊び場と化しています。うちの地域では、学区内にあるのは幼児が遊ぶための公園が二つだけ。その一つがパンダ公園で、実はそこも半分はゲートボールで使われているのです。
そんな麻耶との会話があって数日後、中学校のPTAの人たちと話をしていた時のこと。
「うちの息子がさあ、小学校の校庭で遊んでたらここで遊んじゃいけないって校務員さんに怒られちゃったんだって。許可をもらってからじゃないとダメだって。もう高校生だからさあ、小学生にケガさせちゃいけないからしかたないとは思うけど、卒業生が校庭の隅の方でちょっとボール蹴るくらいでもダメなのかなあ…」
「違う違う。小学生でもいけないんだよ。土・日は校庭で遊んじゃいけないことになってるし、平日でもいったん学校から家に帰ったら、もう校庭で遊んじゃいけないの。ウチの子なんかそれで怒られたんだから」
これにはビックリ!
いったい誰のための、なんのための学校なんだろう???
今日も小学校の校庭では、ちゃんと許可をもらった大人たちがソフトボールをしていました。

**2003年4月14日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第55回 「学校の桜」

桜満開!!

3月始めに「みんなの掲示板」に桜の名所の問い合わせがあったので、氷川女体神社(さいたま市緑区)と見沼代用水沿いの桜のことを書き込みしといたけど、今日(6日)は私もそこを通っちゃった!(車だったからちょっと残念だったけど…)
いやいや、すごいすごい!!
氷川女体社の周りは人もすごいけど、桜満開!!
今度の日曜日だとちょっと遅そうだけど、まだ6、7分なんていう木もあって、今週半ばくらいまでは充分楽しめそうですよ。

私(わたし)的(たまにはこういう使い方もいいかな?)には、北宿通りからさいたま市立病院の裏を見沼代用水沿いに南へ行くコースがお奨めかな? 時間があるんだったらそのまま「氷川女体社を通って越谷街道まで歩く」なんていうのはいいと思うよ。これは歩くのが得意な人向き。もちろん「途中止まりながら車で」なんていうのも悪くないかな? でも歩ってる人にはちょっと迷惑かけちゃうけどね。

私は実家が「原山」(さいたま市緑区原山)なので、子どものころ、桜と言えば「原中」(原山中学)か「桜並木」の桜だったんだよね。もう30年以上も前の話で、原中の校舎はまだ木造。グランドが上下に分かれていて、そのグランドの周りはぜーんぶ桜。以前敷地の北側にあった校舎は建て替えられて、今では南側に。桜も越谷街道に面したわずかが残るだけになっちゃった。

「桜並木」なんてもっと悲惨。駒場スタジアム(浦和レッズの聖地。私たちは「駒場サッカー場」って言ってるけど)の北側を通って競馬場の方へ流れていた谷田川沿いの通りが「桜並木」(っていう固有名詞になってた)だったんだけど、今では谷田川に蓋をして、桜の木を切ってしまったので桜は全然残ってない…。
やっぱりちょっと寂しいよね。今ごろ残っていれば、どっちも古木でいい桜だったと思うんだけど…。

今、住んでいるのは川口市だけど、さいたま市のすぐ隣で、川口市立芝中学校からそう遠くないところ。この芝中学校は地域では有名な桜の名所で、たしか夜はライトアップしてるんじゃなかったかな? 以前は桜の時期でも学校を開放するっていうことはなかったんだけど、一連の学校開放の流れの中で、数年前から桜の時期はグランドを開放してるんだよね。

妻の埼玉大学の同級生が芝中学校の校長先生をしていた時に、「桜の時期はグランドを開放することにしたんだよ。満開の時はすごいだろ、やっぱり地域の人にも見てもらわなきゃな」って言ってたような気がする。まあ、あんまり定かじゃないけど、そんなことで校庭が開放されたんじゃなかったかな???

今朝、定期点検に車を持っていこうとして、妻と一緒に芝中学校の方向へ向かって家を出たんだけど、妻が「芝中に寄って行こうよ。学校の外を通るだけじゃなくて、校庭まで上がる(坂を上って高いところに校舎とグランドがある)とすごくきれいだよ」って言ったんだよね。
「そうだね」って私は答えたのに、無意識にその手前の道を左折しちゃったわけ。けっこう私は花を見たり、紅葉を眺めたりするのが好きなのに、なんで左折しちゃったんだろう?
そこで考えてみた。
そうしたら、わかった。
「桜並木」は桜を見るために行ったことがあるけど、原中の桜は、生徒として学校の中から見てた桜だったんだよね。特別に桜を見物に行って見たわけじゃない。
たぶん芝中の桜は、見に行くものじゃないって感じたんだよね。それはどうしてかっていうと、なんとなく学校の桜って学校っていう権威の象徴のような感じを受けちゃうから。芝中はね、妻が言うには校門のところに記帳するためのノートがあるらしい。もちろん、それが見物に訪れた人を管理するものじゃないことはわかっているけど(でも、なんのためにあるのかな? 数でもカウントしてるの?)、桜を見るのに記帳は必要ない気がする???
どうしても、「見せてやる」っていう姿勢を感じちゃうんだよね。
考え過ぎかなあ???  やっぱり学校にはどこかそんな姿勢があるんじゃないの???
見沼の桜、すごくきれいですよ。

**2003年4月7日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第54回 「親の役割、教師の役割」

年度替わりで、幼稚園や学校ではいろいろなことがあったんじゃないかなあ???卒園式、卒業式はもちろん、担任の先生やクラスのお別れ会とか、転校する子のお別れ会とか…。

学校全体でやってる学校行事は「学校」がやっているので、内容に不満はあるにしてもそれほど大きな問題はないと思うんですが、「クラス」っていうのはけっこう問題があるんですよね。先生と子どもたちだけでやってる場合はいいんですけど、小学校(特に低学年)はそこにPTAの役員が絡む場合がけっこうあるでしょ?

ある学校で、担任の持ち上がり(最近は1年で替わることがほとんどだけどね)がないことがわかっている学年で、クラスでお別れ会をやったんですって。そこの学校はかなりPTAのお母さんたちが熱心(?)で、各クラスの企画をほとんどお母さんたちがやっちゃうらしいんですよね。特にそこのクラスの役員さんは大いにリーダーシップを発揮する人で、お別れ会の企画から進行まですべてやってたらしい。もともとの発想は「クラスのお別れ会」だったはずなのに、親が企画するんだから当然といえば当然、担任の先生の謝恩会さながらで、感謝の言葉あり、先生に対する別れの歌有り、花束贈呈有り…。

ところがこの先生、親からの評判は最悪だから、もうやらせもいいところ。もちろん、子どもたちにはそんな悪い先生なんていう気持ちはないわけで、「お涙頂戴」の演出で女の子の中には泣き出しちゃう子までいて…。

「ハーイ、みんな立って! 先生にお別れの歌を歌いましょう!」
「××ちゃん、そこじゃあ顔が隠れて映らないから、もっと左によって…」
「一人ずつ順番にお花を渡しましょう!」

ここまでやっちゃうと、もう完全にやり過ぎ。
まあ私立の幼稚園の役員さんには、幼稚園からある程度の委任があると思うんですけど、公立の小学校PTAとなるとちょっと役割が違うんじゃないかな?ここぞとばかり、「お母さんの自己表現の場」になってる。私はいつも「PTAは直接子どもと接しないこと」って言ってきたんですよね。それはなぜかというと、学校や先生に対してはそれぞれ意見が言えるけれど、PTAの役員に対しては言えないでしょ? もし、自分の子どもが誰かのお母さんに、かなり強い口調で怒られたり、指示されたりしたら気分が悪い。教育観が近くてかなり信頼関係のできている親同士ならともかく、「子どもをどう育てるか」という教育観がまったく逆だったりすると、かなりムッとくる。特に文化系的な子育てをしている場合、体育会系ののりで指導されたりすると、子どもも親も拒絶反応を起こす場合がありますよね。

学校の先生だったら、どの子にも同じように接する義務があるし、また実際そうしてる(たまには「えこひいき」っていうのもあるけれど、それはちょっと違う次元の問題だから)と思うのですが、PTAのお母さんたちでそこにいる一人一人の子どもたちの性格や家庭の子育てのありようまで考えて接してる人なんていないんじゃないかな?

どこかの公園で会ったとか、道ばたで会ったとかいうような個人的レベルなら、もちろんかまわないんですよ。学校という組織の中で集団教育というもののやり方のわからない親が、個人的価値観で子どもと接するということは、半ば強制され、欠席することも難しい、文句を言うことも難しいという状況の中では、行事そのものがない方がいい。いつもそう感じます。

翔(かける)の学年は、小学校の時全員でたった43名の学年でしたが、小学校の6年間に一人のお母さんと二人のお父さんが亡くなりました。両親ともいなくて、おばあちゃんが育てていたお子さんもいます。どこのPTAでも、子どものためとか、参加者を増やすためとかいう名目で、親子を対象にした行事をやっていると思いますが、親が参加できない家の子どもたちがどんなに負担を強いられているかなんて、普通に参加できるお母さんたちにはちゃんと理解ができないんじゃないかな?

学校行事はしかたないとしても、会費を払っているのに子どもの心に負担をかけてしまうようなPTA行事なんて本当に必要?自己表現ができるからって、PTA行事をあんまりパフォーマンスの場にしないで、親の役割・教師の役割をふまえて行動した方がいいんじゃないのかな…。

**3月31日(月)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第53回 「教師の話 その3 -優遇される教師-」

午後7時半。
「直隆さん帰ってる?」
「まだだよ。もうちょっと遅くなると思うけど…。食事しちゃってればいいよ」
食事が終わって、午後8時半。
「まだ帰ってこないのかなあ?」
「もうそろそろ帰ってくるんじゃないかなあ。今日はちょっと早く帰ってくるって言ってたから」
「いつもこんなに遅いの?」
「だいたい毎日10時過ぎだよ。9時まで教室やってるでしょ。すぐに生徒さん帰るわけじゃないし、そのあと、片付けして帰ってくればだいたい10時半かな」
「毎日そんなに遅いんだぁ?」
「そうだよ。それから食事だからね」
私に用があった妻の妹は、私の帰りが遅いことにちょっとびっくりした様子。
午後9時。
「ただいま」
普段より1時間以上早く帰ってきた私は、それから義妹と話をしながら食事をしました。話がいろいろな方向へいって、長女(弘子)の結婚のことに。
「弘子が、マンション借りるのにチャコちゃん(義妹)に保証人頼んだんだって?」
「『いいよ』って言ったけど」
「二人立ててくれって不動産屋に言われて、向こうはお父さんがなるって言ってるらしいのに、こっちは叔母でいいのかって言ったんだけど、向こうのお母さんがまだあんまり賛成じゃないらしくて、こっちは親じゃない方がいいとか言ってるから、ちょっと迷惑かけるけどよろしくね」
「不動産屋に教員だったら、全然問題ないって言われたらしいし、私はかまわないから」
そんなわけで、義妹が長女のマンションの賃貸契約の保証人になることになりました。

今回のことはちょっと事情が違うんだけれど、わが家では私が専業主夫をしていたこともあって、不動産関係の保証人になるのはほとんど妻。もちろん今は私にも収入がないわけじゃないから、私が保証人になってもかまわないんだけど、「教員」っていう方が通りがいいんですよね。公務員だから大きく給料が下がるなんていうことは考えにくいし、だいたい教員はかなり高給。妻の退職前の年収は1,100万円くらいだったし、退職金は3,000万円を超えてる。義妹(48歳)も年収800万円を超えてるらしい。弘子も今年の1月で退職するまで公立の養護学校で常勤講師をしていたんですけれど、常勤講師に採用されて2年目なのに600万円もらってて、弘子自身も「こんなにもらっちゃっていいのかなあ?」と言ってました。

賃金が高いか安いかなんていうのは、もちろん金額だけでは決められないけど、いつも「教員は忙しい」って言っていた義妹が実際に私の帰りが午後10時過ぎなのを目の当たりにして、今まで忙しいって言ってたのが嘘のように「忙しい」って言わなくなっちゃたんですよね。私の周りには教員が多いので、小・中・高の教員の勤務実態をかなり知ってるけれど、今の給料で、忙しいって言うのはやめた方がいいんじゃないのかな?

保護者会に行くとよく先生方は言うんですけどね。パートで働いているPTAのお母さんたちと比べれば、フルタイムなんだからそりゃあ確かに忙しいけれど、1,000万円近く取ってるっていうことになればちょっと話は違ってくるんじゃない。妻は市立高校だったこともあって、若干給料は高めだったみたいだけど、そんなに違ってるわけないんだから。その上、長期休業もいっぱいあるしね。本当は「勤務を要する日」なのに誰かに管理されてるわけじゃないから、休み中に行く行かないはほとんど自分の裁量だし…。東京都は夏休みも勤務をさせるっていうことになったらしいけど、まあ当たり前。それにしたって生徒はいないわけだしね。

妻が勤務していた高校では1年生を全員スキーに連れて行っていたんだけど、学年の先生10数人のほとんどがスキーが達者なんですよね。妻も1級で、妻を先頭に先生方でたいまつを持ってV字滑降してきたっていうからすごい! 生徒も感動したらしいからとってもよかったと思うんだけど、教員てそれくらいみんながスキーが滑れるようになる環境で勤務してるんだっていうことを忘れないでほしい! もちろんウチの子どもたちも埼玉に住んでるにしてはスキーは達者な方なんじゃないのかな? 私が一番下手。

つい先日、女性の指導主事の方と話をしていて、妻が教員で私が専業主夫をしていたっていう話をしたら、私が男なのに家事を受け持たなければならないほど「先生って忙しいから大変ですよね」って言われちゃったんですけど、私は「妻を他のお母さんと比較したらフルタイムなので忙しいかもしれないけれど、普通のお父さんと比較したらかなり楽ですから」って言ったら黙っちゃいました。

教員は教員の世界だけを見るんじゃなくて、もう少し社会全体を眺めて自分たちの置かれている立場を考えた方がいいんじゃないのかな?実態を知ってる者からしたら、誰がなんと言っても教員は勤務が楽なのに給料がよすぎる! もう少し勤務実態とか労働条件とかを公にして、その上で社会的論議をしたら学校もよくなるんじゃないかと思います。自分たちの権益だけを守ることに終始して、その負担を子どもたちに押しつけているとすれば、子どもたちが荒れるのは当たり前ですよね。

勤務が楽で給料がいいからって教員になる人を採用するんじゃなくて、本当に子どものために働いてくれる人を採用するような体制に改めないと、ろくな学校はできないよね。

**3月24日(月)掲載**

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第52回 「教師の話 その2 -教師の感覚-」

尾道市立高須小学校の校長先生の自殺は大きな波紋を広げています。インターネットで検索してみたら、高須小学校のHPがあったので、覗いてみましたけれど、相当教育内容に自信のある学校のようですね。ここまできちっとHPを作っている小学校っていうのは少ないんじゃないのかなあ…。(今、「高砂小学校」で検索したら、高砂小はHP持ってないのかな?出てこないや)こういう学校は民間出の校長では誰が考えても無理ですよね。(ぜひHPを見てください)

今の教育界に問われていることは大きくわけて二つあると思います。一つは政治や官僚、病院などにも蔓延しているやる気のなさやモラルの問題、もう一つは先生方の偏った教育観(どういう子どもを育てるか)の問題だと思います。HPを見るだけではやる気やモラルの問題は見えてきませんが、教育観の問題はよく見えます。高須小学校のHPを見る限り、先生方は教師という枠の中での強い教育観を持っていて、教師の価値観、教師の都合で子どもを動かしているんじゃないかということがとても気になりました。おそらく校長先生は、そういった教師の価値観や教育観にかなりの違和感を持っていたんじゃないんでしょうか。このことだけでも言いたいことがいっぱいあるんですけど、また折に触れ述べたいと思います。

さて、『教師の感覚』。
わが家はかなり車に乗る方だと思うんですよね。おもに私が使っている車は年間3万㎞、おもに妻が使っている車も年間1.5万㎞。これくらい乗っているとどうしても事故に遭う回数も多くなります。自分ではぶつけたことがない(いやいや、ちょっとどこかの柱に当てたなんていうことはもちろんありますけど)のに、信号待ちで停車してたら後ろから追突されたとか、駐車場に止めておいたら当てられたとか、そんなたぐいの事故は結構あります。免許を取ってから、何回事故にあったかは定かでないけれど、すごく印象に残っている事故が3件あるんですよね。なぜかというと修理代を払ってもらうのにとっても苦労したからです。1件は私の車も動いていた(駐車場の中ですけどね)んですけど、あとの2件は駐車場で乗っていないときに当てられたんです。3件とも相手は学校の先生。どう見たってどの車がどう当てたかまではっきりわかるのに、「私はぶつけてない」。当てたのを認めたら今度は「これくらい大したことないじゃないですか」。そして見積もりを出したら「私が当てたところ以外の傷も入ってるんじゃないですか」とくる。

オイオイ! お前が当てたんだよ!!!
冗談と思うかもしれないけれど、これ本当ですよ。他の事故ではそんなこと言われたこと1度もないのに…。1件は「払う、払う」って言いながら結局修理代もらうまでに3年かかったし、もう1件は、ちょうどその車を廃車にして買い換えるところだったので、「いいですよ」って私が言っちゃったのも悪かったんだけど、菓子折ひとつ持って来ない。もし修理したら間違いなく20万円以上はかかる傷でですよ。あきれちゃって、あきれちゃって…。教師の常識ってなんなんですかねえ???

教師のセクハラ(というより性犯罪かな?)がよく問題になりますけど、半年くらい前でしたっけ、たしか所沢の方で女子生徒を送っていくって車に乗せて、触りまくっちゃった先生。普通だったら明らかに刑法犯で、社会的に抹殺されちゃうくらいのことなのに、たしか停職3ヶ月(6ヶ月だったかな?)。これで学校に戻られたら、たまったもんじゃない。ある男の音楽の先生。「セクハラ? 何それ? 私なんか女生徒に触り放題だよ」と公言する。子どもが通っていた小学校では、修学旅行で女の子の布団で一緒に寝っちゃった男の先生がいた。

精神的不安定を理由に、校長が担任から降ろした先生がいた。ある時、子どものクラスの一番後ろの机で研修をしてるから、校長に「何であそこにいるんですか」と尋ねたら、「いったんは職員室に引き取ったんですが、子どもと接していないともっと情緒が不安定になって、ナイフでも振り回しそうなので、一応教室に戻したんですよ」。

これはちょっと極端な例だけど、本当に私が経験したことの一例です。しかもまだまだあげればきりがない。もちろん一生懸命おやりになってる先生方もいるわけで、全部が全部ひどい先生ということではないけれど、こういうことが許されているという事実は、私たちもしっかり認識していかないといけないですよね。

さらに「教師の話 その3 -優遇される教師-」につづく

**2003年3月24日(月)掲載**

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第51回 「教師の話 その1 -教師が教師を評価する-」

ただただ批判をするのは、気持ちのいいものじゃないし、「人の悪口」って読者のみなさんも聞きづらいものだから、あんまり露骨な批判は避けてきたけれど、息子も中学を卒業することだし、ここのところ教育界の動きがけっこう急なので、この辺りでちょっと私の思っていることを言っておこうかなあ…。
というわけで、教師の話。

私はニフティを使っているんですけど、ニフティには「ニュース・クリップ」という機能があって、速報ニュースをあらかじめ自分で設定したキーワードが含まれている記事ごとにクリッピングできます。私は「教育」とか「医療」とか「家族」とか、いくつかのテーマを自分で設定したキーワードでクリッピングをしています。これがけっこう便利で、キーワードの設定を変えれば、かなり細かい記事の分類ができるので、無駄を省いて「必要な記事にだけ目を通す」ことができるし、見方を変えると「必要な記事を確実にピックアップ」してくれるとも言えます。

さて、少し前(2月25日)になりますが、毎日新聞の「教員の人事考課」の記事が「教育」のところにピックアップされました。この記事の内容は、「人事考課をする側の管理職は、なぜそのような評価になったのかの説明責任をきちんと果たせ」という内容の記事でした。最近、教員の不祥事や勤務態度不良の教員への風当たりが強くなり、人事考課を実施する自治体が増えてきているそうですが、果たしてどの程度意味があるのやら…。

おそらく、評価をされる教員の中では、評価をする管理職の能力を疑問視する声が多いのだろう(それはもちろんですが)けれど、私はそれよりも評価をする管理職も所詮教員であるということの方が問題だと思っています。教育界というのは非常に閉ざされた世界なので、教員以外の人が教員を評価するというのはとても難しいことではあるけれど、誰のための評価なのかということを考えると、教員同士では難しいのでは? 教師から見ていい教師というのは、多くの場合子どものことを考えているように見えても、教師の権益を守る教師でしかないことが多いと思うからです。

管理職対教諭という関係だけでなく、現場対行政という点でも問題があります。
例えば、学校でトラブルがあったときに、話を教育委員会に上げた(もちろんそんなことをせずに学校の中で解決できる方がいいに決まってはいますが)とします。親の方からすると学校よりも上の機関に上げたのだからなんとかなると思うかもしれませんが、これが難しい。管理職試験に受かって、教頭、校長になる前に教育委員会に勤務することが多いので、自分より先輩に当たる現場の校長を指導することはとても難しいのです。実際、私も教育委員会と話をして、「校長を指導するのは難しいんですよね」と具体的に言われたことがありました。そういった教育界の構成の問題を解決しないと、どんなに人事考課をしたとしても意味があるとは思えないのです。

例の池田小学校の事件が起こる前は「開かれた学校」なんていうことがよく話題になっていました。けれども、あの事件以来「開かれた」という言葉をあまり聞かなくなりました。あの事件の時に、ある学校の校長が「ウチの学校は、開かれた学校ということで塀を取り払ったのですが…」などという話をしていましたが、言葉遊びをしているのではないのだから、そんなくだらないことを言っていないで、本来の意味の「開かれた学校」を目指していかないと子どものための教育は死んでしまうのではないかととても心配です。

ちょうど、この原稿を打ち始めたときに、広島県尾道市で民間から登用の小学校長が学校の非常階段の手すりにロープをかけて首をつって自殺した、というニュースがクリッピングされました。毎日新聞によると「自分の教育理念通りの学校運営ができず、悩みを周囲に漏らしていた」とありましたが、これがきっかけになって「学校って、民間の人間には務まらないほど大変なところなんだ」なんて、ならないといいのですが…。
ずっと教員の夫をやってきた私としては、とてもそんな風には感じていないので。とてもお気の毒です。

次回「教師の話 その2 -教師の感覚-」につづく

**2003年3月10日(月)掲載**

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2019年2月 7日 (木)

第50回 「小澤征爾っていい音?」

妻は音楽、長女は油絵、長男はバレエ(モダンダンス)、次男は演劇、私は陶芸。よく「芸術一家ですねえ」なんていう言われ方をするけれど、そりゃあまったく実態を映していない!要するに、私が勉強嫌いな上に、サラリーマン生活に耐えられないと思ったからこんな生活をしているわけで、それを見て育った子どもたちも、勉強嫌いで、サラリーマンやOL生活に耐えられないと思っている、というのが実のところじゃないのかな???

妻は、音楽といっても38年間教員生活を続けてきたわけだから、かなり健全だけどね。「芸術」(なーんてそんな大げさなことを言いたいわけじゃないけど)ってなかなか難しくて、ホントは何が芸術なんだか全然わかんない。確かにいい絵を見たり、いい陶器を見たりすると、「なーるほど!」なんて思うこともあるけど、「なーにこれ?」なーんて思うこともある。例のゴッホの絵じゃないけれど、その絵そのものがいいか悪いかじゃなくて、誰が書いたかが問題なんだよね。まあ、そこまでに至るには、それなりの評価があるわけだけれど…

もうずいぶん前(20年とかそれくらいかな?)になるけれど、上野の東京文化会館で、小澤征爾が振ったサンフランシスコ交響楽団を聞いたことがあるのね。これにはすごく感動した。なんかこう音がすごくクリアで、爽やかっていうか、すっきりするようなっていうか、そんなような記憶。何の曲だったかも覚えてないんだけどね。アンコールはヨハン・シュトラウスの「ピチカートポルカ」だったと思う。その後何年かして、今度は小澤征爾が埼玉会館で新日フィルを振ったことがあったのね。これには私はがっかりだった。なんか音が沈んでて、のびてこないわけ。「もうちょっと、もうちょっと! もうちょっと、ここまで来てよ!」っていう感じ。

「何、この違い!」と私はがっかりしてホールを出たんだけれど、ホールから出てきた人たちのほとんどが、すごく感動してて、
「やっぱり小澤ねえ!」「感動したわぁ!」
なーんてやってるわけ。
「おいおい、冗談じゃないよ。こんなののどこがいいんだよ! 小澤征爾なら何だっていいわけじゃない。いったいどういう耳してるんだ!」って言ったかどうかは覚えてないけど、私はそんなように感じたのを覚えてる。
でも、音楽の教員をやってた妻は、音がよかったんだか、悪かったんだか全然わからないらしくて、
「あっ、そうなの? 今日のはあんまりよくなかったんだ?」
だって。
困ったもんだよ…

なんていう番組だったかなあ?
値段のまったく違う楽器を弾いたり、ワインを飲んだりして、どっちが高級なものだか当てる番組をやってましたよねえ? けっこう当たらないのね。でも、そんな感じだよね。高いって言われれば、いい音だったり、美味しいような気がするし、安いって言われればいい音じゃなかったり、まずいような気がする。けっこうみんな、小澤征爾って言うだけで、絶対いい音だって思ってる。

少し前(これは何十年も前じゃないよ)に保育園で生演奏を聴かせて保育をしているっていうのをニュースで取り上げてました。泣いたり騒いだりしてる子も、生演奏が始まると落ち着いて静かにしてるんだって。確かにそういうこともあるかもしれないねえ。私も音楽好きだから、「子どもだって音楽聞いたら落ち着く」なんていう気もするけれど、でも、ホントかな?

まだしゃべれないような子にも音楽は通じるんだなんていうようなこと言ってたけど、何かちょっと疑問。演奏家の人たちが中心になってやってるみたいだったけど、演奏してる側の自己満足なんじゃないのかなあ???いい音楽を聴かせたら情操教育になるっていう発想なんだろうけど、音楽としてどうしようもない音楽だったらどうすんだろっ? いいか悪いかなんて、すごく難しいのに…

連れて行ってるお母さんが音楽好きなら、もちろんそれでいいんだけど、そういうふうに育てたら「いい子に育つ」と思ったら、間違いだよね。私も生活の中に音楽があることは賛成。でもそれはあくまで大人の側の自己満足に過ぎないんだと思うけどね。大きくなったら音楽のわかる人になるかもしれないけれど、音楽のわかる大人が「いい大人」っていうわけじゃないし…。音楽やってる人でも、やな奴いっぱいいるよ。ところで、埼玉会館の小澤征爾はみんなが感動してたように「いい音」だったのかなあ?私にはどうしようもなく聞こえたんだけどなあ…

**2003年3月5日(水)掲載**

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第49回 「義務教育、終了間近」

「大関さん、もう学校来なくていいんだ?」
「いやいや、そんなことないよ。卒業式終わっても、懇談会あるでしょ」
「懇談会来るの?」
「教頭先生! 懇談の前にPTA会長のあいさつ、放送で流すんですよねぇ?」
「ええ、流します」
「ほーらね。だから、懇談はなくてもあいさつには来なくちゃならないでしょ。それとも、副会長がやる?」
「原稿書いといてくれればね。あっ、そうだ! 放送なんだから、テープに録音しとけばいいじゃない!」
「そこまでやるぅ? そんなことまでしなくても、5分かそこらのことなんだから来るよ」
つい先日行われたPTAの総務会でのことです。私が仕事でなかなか時間を取るのが大変なことを知っている総務会のメンバー(私の他に副会長2人、幹事3人、教頭先生)が、私に気を遣っての会話です。私が仕事のために、懇談会のあいさつをパスするような性格でないことはよくわかっているメンバーですから、ちょっとジョークも入っているのですが…。こういう話が出てくると、「ああ、もう中学校も終わりだなあ…」なんて実感します。

義務教育が終了するというのは、子どもにとっても、親にとっても、一つの大きな区切りです。子どもの中学校卒業というのは、これで5回目ですが、どの子の時も「うれしさ」と「寂しさ」と、そしてなんとも言えない「ホッとした気持ち」で複雑です。とりあえず、「親としての最低限の責任は果たしたかなあ?」、そんな気持ちが涌いてきます。わが家も翔(かける)が最後の中学生なので、なおさらそんな気持ちが強く涌いてくるのかな???

私自身のPTAとの関わりも、中学校で初めて役員をやらせてもらってから、ちょうど20年になります。PTAでは、ずいぶん多くのことを学ばせてもらいました。初めての役員のときは、私と12歳しか離れていない息子のクラスでしたから、周りのお母さんの中には、私より30歳くらい年上の方もいました。逆に、翔の学年のお母さんの中には、わが家の長女よりも年下のお母さんがいますし、PTA会員全体を見回すと、私よりも20歳くらい年下のお母さんもいます。

この両者の50年の開きは、かなり大きな価値観の違いを生んでいます。そんな中でPTA活動をしてきた私には、「今時の若いお母さんは…」という言い方が、当たっていることも大変よくわかるし、また反対にまったく当たっていないこともよくわかります。けれども、しつけの仕方や子どもとの接し方が大きく変わっても、子どもを大切に思い、愛情を持って接している親の気持ちは、いつの時代もまったく変わりません。

教員を長くしてきた妻が昨年3月で退職したことで、翔の同級生のお母さんたちと関わる時間をずいぶん持てるようになりました。
「いろんなことをお母さんたちから教わったよ」
最近、そんな言葉が妻の口癖のようになっています。今まで教員という立場からしか見られなかった子どもと親の関係が、初めて「子どもを持つ親」という立場で見られるようになったというのです。そして、そういう立場でお母さんたちと付き合ってみると、子どもを大切にするということがどういうことか、よくわかると言っています。

私が経験してきたPTAは、誰もがみんな対等でした(やたら威張ってる人がいるPTAもありますけど。ひょっとすると、私もそう思われてるのかもしれません)。組織上での地位や年齢に関係なく、「子どもに対する愛情」という部分でみんなが手を結べたら、きっと子どもたちにとって幸せな世の中になるんじゃないのかなあと思うのですが…

これで義務教育も終わりかって思うと、やっぱりちょっと寂しいですね。
「大関さん、会則変えて、会員資格を『会費を払った人』ってしたら? そうすれば、まだ会長やれるでしょ?」
「バカなこと言わないでよ。PTAは自分の子どものためにやってるんでしょ。そこにいる人たちがやらなきゃ。うまくいかないことがあっても、試行錯誤の中から必ずなにか生まれてくるよ。みんな、子どもを愛してるんだから…」

3月14日(金)が卒業式です。

**2003年2月25日(火)掲載**

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第48回 「訴えてやるー!!!」

ずいぶん前になりますけれど、ある小学校で子どもの歯が折れたということで訴訟騒ぎになったことがありました。どんなことだったか、はっきり覚えてはいませんが、確か教室の中を歩いている時に、いきなり足を出されて転んだ拍子に机の角に歯があたって、折れてしまったというようなことだったと思います。もちろんお母さんはカンカン。足を出した子にも相当腹を立てていたと思いますが、それにも増して腹を立てていたのは、学校の対応でした。

お母さんは、
「そういう状況を招いた学校の管理責任をはっきりさせろ」
と言っているのに、学校にはまったく通じず、学校は個人的な問題として処理をしようとしているようでした。そんな学校の態度に納得がいかず、訴訟にまで発展してしまったのです。

わが家でも、長男の努(つとむ)が中学校でいじめにあったとき、一番下の翔(かける)が同級生に殴られたとき、ともに学校の対応は同じようで、暴力を振るったお子さんがお母さんと一緒に菓子折を持って謝りにきました。もちろん、暴力を振るうという行為が許される行為でないことは言うまでもありませんから、その子自身の謝罪というのも当然です。けれども、それで問題が解決するわけではありません。暴力を振るおうと思った原因が取り除かれたわけではないのだから…

いじめや暴力が横行するような学校は、雰囲気でわかります。よく言われるような「今の若い親はしつけがなっていない」という問題とは次元が違います。個々の家庭の問題も一つの要因ではありますが、子どもたちが集団としてどのような扱いを受けているかと言うことがかなり大きな要因になっているように感じます。そう考えると、個人的な問題に見える小さな事件も、学校全体の問題なのです。

先日、大阪府は学校での事故に備えて、弁護士を顧問として対処すると発表したようです。その記事は、教員の対応の悪さがさらに事態を不利にする可能性があるので、法律の専門家を前面に出すことで、事が有利に運ぶようにする、という趣旨でした。

これからの日本が、アメリカのような訴訟社会になっていくだろうことは、予測がつきます。教育の現場で何か事件・事故が起きるたびに、訴訟騒ぎになっていることも事実です。けれども、教育は単純に「勝った」「負けた」で判断できるものではありません。訴訟を起こして勝った側も、負けた側も大きな傷を負います。

行政も単純に自分たちの責任を少しでも回避しようとするのではなく、その原因がどこにあって、どうすれば本当の問題の解決ができるのかということを考えてほしいものです。

おそらく、子どもたちが引き起こす事件を想定しているのではなく、学校で起こる事故を中心に考えてのこととは思いますが、この記事を見て寂しい気がしたのは私だけでしょうか…

**2月18日(火)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第47回 「大学に託児所」

何日か前に、車を走らせながらラジオを聞いていたら、託児所を作る大学が増えているという話をしていました。ラジオのスイッチを入れたときには、もうその話をしていたので、若干聞き損なっちゃってるところがあったかもしれないけれど、学生が授業を受けている間、子供を預かる託児所を作る大学が、徐々に増えているという話でした。
昔だったら学生結婚だって白い目で見られちゃってたわけだから、子どもの面倒まで見てくれちゃうなんて。いやーっ、世の中変われば変わるもんですよねえ。
今だってそんな話を聞いたらちょっとビックリしたんだけど、津田塾大なんて20年も前から託児所があったっていうから、これにはホントにビックリ!でも、それって女子大だからだよね?

子育てをしてきた私としてはなんとなく不満!やっぱりこんなところにも性差別ってあるんだね。 実際には女の人が子育てしてるのが多いわけだから仕方ないかなあ???実態が先か、施策が先かっていう問題なんだと思うけど、私としては施策は常に実態の先を行っててほしいんだけどなあ… 
とはいえ、最近の傾向としてシングルマザーなんていうのも増えてるし、性別や年齢に関係なく学びたいなんていう人も増えてるから、これからの時代、そういう人たちにとっては朗報だよね。

少子化問題がしょっちゅう取り上げられている割には、国や地方公共団体の取り組みは後手後手で、保育園や託児所待ちの子どもたちもたくさんいる現状の中で、いち早く(いやいや、早くはないかな?)大学がそういった方向に動きだしたっていうのは意味があるっていうところかな…

でも、ラジオの中の話には落ちがありました!保育料が、だいたいどこも「1時間 1,000円」だって!!!

なにそれっー!
そうすると、9時から5時まで授業に出てたら、8,000円!
20日間授業に出たとすると、16万円!

こりゃー、ダメだ!!
いったい何のための託児所なんだかよくわかんないね。
学生はあんまり授業に出なくていいってこと?それとも、こんなことまで配慮している「いい大学」っていうふりかねえ?まあ、ちょっと変な気はするけど、そういう方向で世の中が動き出したっていうことだけは評価しなくっちゃかな?だけど、20年も続けているらしい津田塾大は、いったいいくらの保育料を取ってるんだろう???これが事実だったら、やっぱり子育てってお金がかかるねえ。これじゃあ、ますます少子化になっちゃうかも…

**2003年2月12日(水)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。
      

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第46回 「そろそろ花粉症の季節ですねえ…」

「先生、もう花粉が飛んでるんですよ。抗アレルギー剤出してもらえますか?」
いかにも怪しそうな顔をして、「ホント?」と先生。看護士さんまで一緒になって、
「こんなに寒いのに花粉なんて飛んでるんですか?」

一昨年の1月半ばの話です。
「だってわかるんだもん。絶対飛んでる! 唇が乾いてヒリヒリするし、喉もガラガラするし、間違いないんだから」
全然信用しないかかりつけの先生を説得して、抗アレルギー剤を出してもらいました。
それから一週間後。
「先生、点鼻薬と点眼薬も出してください」
そこへ先週花粉が飛んでいることを信じなかった看護士さんがきて、
「あの後ね、もうひとり患者さんが来たんですよ。花粉が飛んでるから薬をくださいって。だから、大関さん言ってたのホントかも???」
「だから言ったでしょ! 全然信用してもらえないんだかから、もう!」
花粉症になって10年ほど。だんだん症状がひどくなっているような気がします。

秋にほんのちょっと目がかゆくなったのが花粉症の始まりで、2年くらいそんな症状が出た(もっともそのころは花粉症だなんて思いもしませんでしたけど)と思ったら、3年目からは春先のくしゃみと涙。その後は坂道を転がり落ちるよう(ちょっと比喩が変かな?)に、どんどんどんどん、どんどんどんどん症状が重くなって、1月半ば頃から5月のゴールデンウィーク明けまで地獄のような毎日です。

まず唇がヒリヒリなって、喉が渇いて、目がかゆくなって、くしゃみ・鼻水、喉の痛みに咳、湿疹…。
あのパイナップルを食べたときに舌がピリピリするような目の痛み、まるで唐辛子を鼻につっこんだような鼻の痛み、とても我慢ができるようなレベルではありません。一番ひどい時期には、布団で寝るのが無理になって、お風呂場で湯船に浸かって寝ることもあるくらい。今年はかなりのお金をかけて業務用の空気清浄機を陶芸教室と私の事務所と自宅に入れたので、少しは改善されるかなあと期待してるんですけど、どうですかねえ???

それまでなんのアレルギーもなかった私が、なぜ花粉症になり、その後いろいろとアレルギーで悩まされているかって、ときどき考えるんですけど、どうも東京外郭環状道路(外環)ができたことと無関係じゃない気がします。
10数年前、私が小学校でPTA会長をしていたとき、開通する外環についてPTAの中で不安の声があがった(子どもの通っていた小学校は外環浦和の出口のすぐ脇です)ことがありました。PTA連合会の会長・校長会で私も発言をしましたが、興味を示してくださる校長先生はとても少なく、小学校の窓ガラスを二重にするとか、冷暖房を完備させて窓を開けなくてもすむよう対策を講じるといった噂もありましたが、結局なんの対策も講じられないまま、外環は開通してしまいました。

養護の先生にも排気ガスについての心配を話したことがありましたが、養護の先生は、
「大関さん、ここは車が渋滞するような場所じゃなくて通過するだけだから、そんなに排気ガスの心配はいらないですよ」と言いました。ところが蓋を開けてみると、毎日必ず交通情報に登場するのが「外環浦和」付近。実際に外環を走ってみるとドームの中が真っ暗になるくらいの排気ガス。ドームを越えた排気ガスを毎日吸っているかと思うとそれだけで、咳き込みそう。

年々子どもの花粉症も増えているらしくて、中にはティッシュを箱ごと持っている子もいるとか・・・。私自身がひどいだけによくわかりますが、熱まで出ることもあって風邪よりも辛い花粉症。養護の先生も環境問題をあんまり軽視しないで、真剣に取り組んだ方がいいんじゃないのかな???

シックハウス症候群も含めて、大人の責任で解決しないといけないことが学校の中にはたくさんありますよね。養護の先生って歯みがきばかりが好きだけど、歯みがきなんて家庭の問題だから、家庭でできないもっと大きな問題に目を向けることの方が重要なんじゃないのかと思うんだけど…

**2003年2月4日(火)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もう読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第45回 「救急車」

先週の月曜日のこと。
「蓮(れん)の様子がおかしいんだよ。昼間からちょっと下痢はしていたらしいんだけど、熱はないのに、いま唇の色が急に紫色になって、すごい勢いで吐いた。顔も真っ白だよ。」
「熱がないなら変だよ。とにかく急いで小児科に電話したら…」
妻からの電話でした。

今までの子育ての経験から熱がないのに、顔色が急に悪くなって、チアノーゼを起こしているようなときは、まず何かを飲み込んだのではないかと疑います。例えば、タバコ、コイン、蚊取りマット、洗剤…。そうだとすると、緊急を要する可能性があるので、できる限り速い判断が必要なのはいうまでもありません。

妻と娘(蓮の母親)は急いでかかりつけの小児科に電話をしましたが、夜の8時。もちろん電話は留守電になっています。小児科の当番医を確認しながら、その間にも近くの小児科に電話です。やはり、電話には誰も出ません。小児科の当番医はわかりましたが、わが家からは少し距離があるところで、細かい場所まではわかりません。そこでやむを得ず救急車を呼ぶことに。
「今、救急車呼んだから」
救急車を呼んだ報告を受けて、私は急いで家に戻りました。マンションの入り口には救急車が止まっています。救急車の窓から中を覗くと、妻に抱かれた蓮が私を見つけて、私の方に手を伸ばします。私は妻に替わって娘の麻耶(まや)と蓮と一緒に救急車で病院へ行くことになりました。

救急車はしばらく動きません。受け入れてくれる病院を探しているのです。私が救急車に乗ってから10分くらいが経ったでしょうか。ようやく病院が決まると救急車は病院に向かって走り出しました。病院に着いたとき、蓮の熱が上がっているように感じました。看護士さんが持ってきた体温計で測ってみると、37.9℃の熱がありました。熱があって安心というのも変ですが、こういうときばかりは熱があった方が安心です。
「なあんだ。ただの風邪じゃないの?」
診察したお医者さんは、
「今は吐いたり、下痢をしたりする風邪もはやってますから…。薬を出しておきます」
蓮は無事(?)に、ただの風邪でした。

これまでにも何度か子どものことで救急車を呼んだことがありました。麻耶がひきつけを起こしたとき、翔(かける)が寒冷蕁麻疹のため呼吸が困難になったとき…。そんな時にいつも感じるのは、
「なぜ受け入れ先の病院がなかなか決まらないんだろう?」
ということです。救急車がくるまでにはそんなに長い時間はかからないのですが、救急車に子どもを乗せた後、その場で待機する時間は10分~20分くらいは優にあります。麻耶のひきつけの時などは、相当長い待機時間があった上、さいたま市辻にある浦和南高校から北浦和の中央病院まで運ばれ、さらに20分ほど救急車の中で待たされたあげく「小児科医が食事に出てしまったから」と受け入れを拒否されて、浦和駅近くの開業医まで戻されてしまいました。いったい北戸田の近くから北浦和まで行ったのは何だったのか…。救急車を呼んでから診察を受けるまでには、1時間半以上の時間がかかりました。

もう20年以上も前のことなので、状況が変わっているといいのですが、翔の場合や蓮の場合も待機の時間が長いことはあまり変わっていません。小児科医の絶対数が少ないために夜間や休日の診療のできない地域があることが問題になっていますが、私の住んでいる地域は恵まれているとはいえ、やはり緊急の時には助からないのではないか…。どこの地域でも安心して子育てができるような、医療体制が整うといいですね。

病院で蓮を抱いていた私は、まずシャツとズボンの左側、続いてシャツとズボンの右側に救急車に乗る前に飲んだリンゴジュースをしっかりと吐かれて下着までがびっしょり。家に戻って、シャツとズボンのポケットのものを全部出して洗濯機に入れたはずだったのに、ズボンのポケットに入っていた携帯電話も、とってもきれいに洗われてしまいました。

**2003年1月28日(火)掲載**

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年までの10年間、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もぅ読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第44回 「『子どものため』という名の危険」

わが家もやっとインフルエンザから立ち直り、やや普通な日々を取り戻しつつあります。22日(これをアップした次の日)に翔(かける)の入試が迫っているので、慌ただしさはありますが、とりあえず”入れていただける”という返事だけは、すでにもらっているので、今まで経験した4人の入学試験と比べると、気の抜けたような気分です。上の4人の時はちょうど今頃が追い込みで、子どもの勉強を見ていた私も徹夜も辞さない覚悟で臨んでいました。
「少子化ってこういうことかあ…」
まさにそんな感じです。

10年前はまだまだ「入れていただく」という感じでしたが、なんだか最近では「入ってやるよ」っていうようなイメージです。この急激な変わり様には、本当に驚かされます。私の周りでも、初めて入試を経験するお宅では、かなり追いつめられた気持ちになっているようですが、それほどはっきりとした上位校を望まなければ、なんとかどこかには入れる状況なので、少し気を楽に持って受験に対応した方がいいのかもしれませんね。

私立の学校では、かなり個性の強い学校も出てきているので、入試が易しくなった分、どこの学校を受験するかという受験生側の選択が難しくなってきているとも言えますけれど…

先週の水曜日、さいたま市民会館うらわで、北足立南部地区公立小・中学校PTA役員等研修会がありました。「学校週五日制の完全実施に伴う子どもたちの過ごし方とPTA」というタイトルで、板橋区からわざわざ講師の方が来てくださり、講演(というより事例発表という内容でしたが)をしてくださいました。

子どもたちの休日の受け皿ということで、行政でもなく、PTAでもなく、自治会でもなく、そういう枠を取り払った組織で、自主的に子どもたちにいろいろな体験(料理、スポーツ、伝承文化、アウトドアなど)をさせてくださっているというお話でしたので、まあある部分感心して聞いていたのですが、聞いているうちにだんだん、「これは子どもたちのためと言ってはいるけれど、大人が自分たちの楽しみのためにやっている大人の休日の受け皿なんじゃないか」そんな気がしてきました。会を進めるための会議を居酒屋で開いているからといって、「コミュニケーションではなく、飲みニケーション」と表現したのには、ちょっとがっかりしました。

子どもの能力を信じて、もう少し謙虚に子どもたちと接するべきです。大人の真摯な態度は必ず子どもたちを成長させます。大人の遊びに子どもを利用して、教える教えられるの関係を作る(それはいやというほど学校で経験しているのだから)のではなく、子どもたちが多くのものを自由に獲得できるような環境を整えてやることこそ、私たち大人に課せられた責任だと思うのですが…

全然話は違うのですが、一昨日もデニーズで携帯しまくりのおじさんがいました。高校生も10人以上いたのですが、そんなことしてる子はもちろん誰もいませんでした。テーブルの上にはちゃんと「携帯電話はご遠慮ください」って書いてあるのにね。大人のマナーの悪さにはあきれるばかりです。

2003年1月21日(火)掲載

※カテゴリー「子育てはお好き? ー専業主夫の子育て談義ー」は、2002年より2012年まで、タウン情報サイト「マイタウンさいたま」(さいたま商工会議所運営)に掲載されたものですが、「もぅ読めないんですか?」という読者のご要望にお応えして、転載したものです。

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第43回 「ドタバタの幕開け」

あけましておめでとうございます。
今年は例年になく寒いお正月で、ちょっとビックリ。なんか去年秋くらいの長期予報では、エルニーニョ現象の影響で暖冬になるとか言っていたような???いざ冬になってみるととんでもない寒さで、こんなに寒いお正月なんてあんまり記憶がない! 最近は天気予報の精度も増して、けっこう雨の予報は当たるけど、どうも暑さ・寒さの予報は苦手みたいで、なかなか当たりませんねえ…。その寒さのせいっていうわけではないと思うのだけれど、わが家のお正月は惨憺たるものでした。

まず、始まりは孫の蓮(れん)。なんと12月31日から40度近い熱。そのうち身体にボツボツと赤い発疹が出てきて、
「麻疹だあ!」
と大騒ぎ。12月の半ば過ぎに麻疹の予防接種を受けていて、その予防接種を受けたお医者さんから「10日から2週間くらいしたころに熱を出すかもしれないから」と言われて座薬をもらっていたので、すっかり「麻疹」ということにして、面倒を見ていました。翌日、元旦から蓮の母親の麻耶(まや)が38度を超える熱。蓮の発疹はひどさを増すし、麻耶も寝込むしで大騒動。結局その日は私が蓮を抱えて寝たのですが、どうも40度を超えている様子。いろいろ手を尽くして冷やすのですが、なかなか熱は下がりません。ほとんど一睡もせずに朝になってしまいました。

そして、やっと麻耶だけはなんとか熱が下がりだした翌々日(3日)の夜から、今度は妻が38.6度の高熱。さらに4日からは翔(かける)が38度を超える熱。なんとか持ちこたえているのは私だけになってしまいました。

年が明けて3日までは救急診療の当番医しかやっていないので、4日を待って蓮が予防接種を受けた小児科(内科もやっている)で、蓮と妻が見てもらうことに。てっきり麻疹だと思って受診した蓮は、
「私が犯人じゃない。水疱瘡だよ」
あっじゃー!
ちょうどタイミングがぴったりだったので、すっかり予防接種のせいだと決めつけていたのですが、とんだところに落とし穴が…。そういえばできた発疹のてっぺんにかさぶたができていたので、ちょっとそんな気はしたのですが、人間の先入観というのは恐ろしいものです。

原因が「予防接種」なのに救急診療の当番医のところに行って、かえってインフルエンザでももらってきては、と受診しなかったのに水疱瘡とは…。だったら早く痒み止めだけでももらってやればよかったと大後悔。しかも、妻はインフルエンザときてるから、まったく何をやってるんだか…。もちろん翔もインフルエンザだったので、結局今日(13日)までずるずると寝てる始末。麻耶はなんだったんだか、1日ちょっとで熱は下がってしまいました。私はというと、途中何度か気持ちの悪いことはあったけれど、なんとか持ちこたえて今日まできています。まだこれからですかねえ…。わーっ、恐ろしい!!!

そうそう、今日の朝刊に、志木市の中学が理系・文系に色分けされるという記事が出ていました。それほど強い色分けではないようではありますが、ちょっと安易な決定なんじゃないですかねえ???

果たして小学校6年生に理系・文系の選択なんてできるんでしょうか?
記事によると学区自由化による人気の偏り防止というのが、大きな理由のように書いてありますけれど、だったら自由化そのものをもう少し考えた方がいいような気もするのですが…。記事にある通り、子どものことより学校のことを優先した結果だとしたら大きな問題ですよね。全国に先駆けて25人学級を実現している市なので、その意気込みは買いますが、ただのスタンドプレーにならないことを期待します。あくまでも主役は教育委員会ではなくて、子どもたちなのだから。

**1月28日(火)掲載**

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第42回 「わが家の近くの公園」

娘の麻耶(まや)から電話がかかってきました。
「ねえ、あとどれくらいでこられる?」
「もう、出ようとしてたとこだから10分くらいかな?」
「あ、そう。それくらいだったら、ここにいようかな」
「???」
「またいるんだよ、あの人」
「ああ、そうかあ。周りには誰かいるの?」
「うん。ゲートボールやってる人とかいるよ。だから、10分くらいならいようかなあと思って…。蓮(れん)もよく遊んでるし…」
「わかった。じゃあ、急いでいくよ」
「うん。それまで、少し離れたところにいるよ」

この日は、孫の蓮(麻耶の息子で1歳4ヶ月)をつれて私の実家に行くことになっていたのですが、私と妻が支度をしている間、麻耶が近くの公園まで蓮を遊ばせに連れて行って、私たちが車で蓮を拾うことにしたのです。

ところが、その公園には挙動不審な青年がよくきていて、この日もその青年がいるというのです。麻耶や妻の話ではもう何度も会っていて、これといって攻撃的であったりするわけではないというのですが、滑り台の上でうずくまったまま動かなかったり、ブランコにずっと腰掛けていたり…

ゲートボールをやっているおじいさんやおばあさんは、わりとよく知っているらしく、
「ほーら、赤ちゃんが滑り台やろうとしてるんだから、降りてやんな」とか、
「そこにいたらブランコ乗れないんだから、ちょっとそっちへよけてやんなよ」
と声をかけてくれるのだそうです。

「ほら、あの人だよ」
「ああ、なるほど。あれじゃあ、ちょっと用心するよね」
私はその時初めてその青年を見ました。
危害を加えるようなことはないのでしょうが、かなり体格はいいし、何かあった場合には麻耶や妻ではとても蓮を守りきれるとは思えません。それで麻耶も用心しているのです。
「今さあ、ちょっうどパトカーが回ってきたから、よく巡回してくれるように頼んでおいたんだ」
と麻耶が言いました。

少し前に、確か宮城県だったと思うのですが、精神病患者の「閉鎖病棟」を段階的に減らして、将来はゼロにするという記事を読みました。日本の精神医療はとても遅れていて、閉鎖病棟に入院中の患者数は、先進国の中では抜きん出ているうえ、環境も劣悪なんだそうです。日本では精神病患者がなにか事件を起こすたびに、「地域社会での共生」という世界的な流れにさからって、ますます地域社会からの隔離という意識が広がっているような気さえします。そんな中で、この宮城県の決断は画期的なものだと思いました。

私はもちろん「地域社会での共生」ということを強く支持しますが、子どもを育てている親にとって、「何かあったら」という不安はそう簡単に消すことはできないということも事実です。

どんどん隣との距離が遠くなっていく現代において、そこにいる人間が何者であるかを知ることはとても難しいことです。私が子どものころには、精神病患者の人たちが近所に何人かはいました。けれども、そういった人たちが「どこの誰で、どういう性格の人である」ということを周りはみんな知っていたのもので、そこにはある意味で安心感がありました。

コミュニケーション手段がどんどんパーソナル化して、いつでもどこでも友達と会話ができるようになってきましたが、それがかえって近くを見えなくしているような気がします。子育てはやはり手で触れられる距離での人間関係が重要なのではないか…。子どもは自分の足で歩けるところで育った方がいいのではないか…
そう考えると、私たち親ももっと地域のことを知らなくてはいけないのだなあと痛感しています。

**12月24日(火)掲載**

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第41回 「なにやってんだか、未だに離婚に冷たい行政 その2

前回、「児童福祉手当」の話をしましたが、それに絡んでもう一件。
やっと一歳になったばかりの子どもを抱えた妊婦さんの話。

夫はあちこちから借金をしてあげく、本来は自分が使っていた職人さんに支払うべき給料数十万円を持って、どこかに逃げてしまいました。妊娠7ヶ月を過ぎているので、仕事に就くことも難しく、「児童福祉手当」がもらえないか市役所に相談に行きましたが、婚姻届けが出ていましたので、母子家庭としては認められません。

おそらく市役所の対応も紋切り調であったのではないかということは想像できるのですが、離婚が成立していないので「児童福祉手当」の支給は難しいということ、まず離婚についての相談を家庭裁判所にするようにということで、裁判所の所在地と電話番号の書かれている紙をもらって帰ってきました。

なにぶん赤ん坊を連れた妊婦が非常に後ろ向きなことで、市役所に行くのは大変なことです。さらに裁判所となるとかなりの労力がいるし、私でもそう(もう遙か遙か昔のことだけれど私は法律事務所に勤めていたことがあるので裁判所には行き慣れている)ですが、自分のこととなるとちょっと行きにくいところですよね。

そんなわけで、家裁に行ったことが無駄足にならぬよう「夫が失踪している状況でどのようにしたら離婚ができるのか」の手順を問い合わせるために、家裁に電話をしました。
その時の家裁の返事は、
「電話ではそういう相談には応じられません。電話では答えられないんですよ。とにかく来てもらわないと」
の一点張り。(実際はもっと強い口調だったらしいのですが、家裁の名誉のため?にちょっと内輪に書いておきます)

困っている人間が意を決して家裁にまで電話をしているのに、もうちょっと違う言い方ってできないのかよって思うんですが、これだけでは収まらなくて、
「そりゃあ、まず失踪届を出してもらって7年経たないとダメですね」
と言われたそうです。「とにかく来てもらわないと」と言われたものの、「7年経たないとダメ」って言われてしまえば、大きいお腹を抱えてまで行く意味もないので、とりあえずその時点で家裁に相談するのはやめたというのです。

私はその話を聞いて、「あれっ?」って思ったんですよね。この辺からは民法のことなので、私もいい加減なことを言っちゃいけないのですが、失踪届を出して7年経つと『死亡』と見なされるんじゃなかったっけな?って思ったんです。離婚の調停を申し立てるんなら死亡を認定してもらう必要はないんだから、ちょっと違うんじゃないかなあ???

それで私が家裁に問い合わせをしてあげることになりました。みんな経験があると思うけど、こういうことってちょっとでも知識があった方がいいし、男が問い合わせると相手の態度がまるで違うんですよね。それで私が電話をかけてみると、
「そういうことは電話ではお答えできません。とにかく来ていただかないと・・・」
「××の事情で離婚したいんだけど、どういう手続きをどういう順序ですればいいかって聞いてるだけですよ」
「だから、そういうことには答えられないって言ってるでしょ!」
「どういう方法があるかっていうことだけでもですか?」
「とにかく来てもらわないと・・・」
「そんなことくらい答えられないの?」
「とにかく来てもらわないと・・・」
「あれっ? でも7年経たないとダメだって答えたんでしょ? そういうことは言えるわけ? 7年ていうのもなんかおかしいですよね。失踪宣告してもらうっていう話じゃなくて、離婚の調停の話なんだから。全然違うでしょ?」

そんなやり取りがしばらくつづいて、
「なんで家裁みたいなところが、困って相談をしようっていう人間にろくすっぽ話も聞かないで、いい加減な答えをするんですか! 答えられないって言っておきながら、相手が絶望するようなことをちゃんと言ってるじゃないですか! 別にどっちの味方をしろって言ってるんじゃない! あんたたちも公務員だろっ、弱いものを脅かすようなことをするんじゃないって言ってるんだあ!」
そこまで言ったら、やっと「7年」って言ったことは事実ではないことを認めて、大変申し訳ないって謝りました。だけど、私が電話をしなかったら、「7年」って言ったことがまかり通っちゃったわけで、単純にそれを信じて行動した人はとんでもないことになるところでした。
私も行政書士の資格は持っているんだけど、あんまり法律には詳しくないので、どこか間違っているかなあ、と不安になりながらのやり取りでした。

みんなそうだよね、相手の方が法律のプロだと思って電話してるわけだから。中身のことは弁護士さんに相談するとして、今回問題だったのは中身より『官』の対応の問題だからね、まっ勘弁してもらって・・・。

とにかく行政は、家裁みたいなところも含めて(というよりは家裁みたいに権力を持っているようなところほどかな?)女性に冷たいですよね。

あんまり腹が立ったので長くなっちゃいました。ちょっと話がよく見えないかな?
ぜひ、何かの折に家裁に電話をしてみてください。きっと対応の悪さに腹が立ちますよ。

**12月17日(火)掲載**

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第40回 「なにやってんだか、未だに離婚に冷たい行政」

「児童扶養手当」って聞くと、誰でも漠然と知っていますよね。国の制度として母子家庭に支給される手当で、市(町村の場合は都道府県)が窓口になっています。

「児童扶養手当」を受けようとする人は、まず市役所の担当課の窓口に行き申請をして、審査を経て受給できるようになります。今年の8月から制度が改正されて、これまで受給限度額は2段階に分けられていましたが、今回の改正で収入に応じて小刻みに分けられることになりました。

この辺の制度については、あまり詳しくないので詳しく知りたい方は厚生労働省のHPを見てもらうか、ネット上で「児童福祉手当」あるいは「母子家庭 手当」とかで、検索してみてください。

知り合いの話によると、この「児童扶養手当」の審査っていうやつがどうやら問題で、男性の影があるともらえないっていうんですよね。どうやら民生委員が審査をしていて、たまたま民生委員が訪問してきたときお母さんの知り合いが訪ねてきていて、玄関に男物の靴があったらそれだけで支給を見送られたっていうんです。その「母子家庭」とは直接関わりのある人じゃないのに…
なんかちょっと変でしょ?

この民生委員っていうのが地域に住む年輩の男性で、「離婚」とか「現代風の女性」とかに、ひどく偏見があるようなんです。
とにかく「髪の毛染めてたら男がいる」みたいな…
そんなことって本当かなあって疑ってかかってたんだけど、ついこの前はまったく別な知り合いから、「市役所の窓口に行ったら、相談にのってもらっている男性がいたらダメ」って言われたって聞きました。

世の中には男性と女性が半々にいるのに、母子家庭の母親は女性としか友達になっちゃいけないってこと?
手当をもらうっていうことは「母子家庭」が前提だから、当然再婚っていう可能性だってあるわけなのに、男性と知り合った瞬間から「ダメー!」っていうんじゃ、母子家庭の母親は再婚できないよね。まさか「知り合った瞬間から生活費出してくれる」なんていう人、いるわけないんだから…
もちろんそうなってるのにもわけがあって、実体はほとんど夫婦なのにごまかしてもらってる人がかなりの数いるので、そうなっちゃうらしいんですけど、それにしても髪の毛とか爪に色が付いてようもんなら、それだけで「男がいる」って決めつけちゃうような偏見を持ってる民生委員の独断っていうのはやめた方がいいですよね。

誰が困っている人なのかっていうことをもう少し考えた行政ができないものかなあ…

つづく

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第39回 「高校選びと塾選び」

2週間ほど前、翔(かける)の同級生のお母さんから「中学校との三者面談でなんて言えばいいかなあ?」と相談を受けました。上にもお子さんがいるので、お母さんにとって高校入試は初めての体験ではないのだけれど、あまりにも”ころころ変わる”入試制度にちょっと戸惑っているようでした。それについてはわが家も同じで、翔で5人目とはいえ4番目までとはまったく違う入試制度にちょっとだけ戸惑っています。

一番大きく変わったのは、個別相談のシステム。4番目までは私立高校への合否の打診は中学校がやってくれていましたが、今では個々に対応しなければならないこと。ほとんどの親は、学校との「交渉」なんていうものには慣れていないわけで、戸惑いがあるのは当然です。個別相談を初めてやった私としては、「まあ、こんなもんか」っていうのが正直な感想。基本的に少子化で高校の経営環境は厳しく、今までのような「入れてやる」という姿勢ではなくて、「来てください」といったムードがありありなので、「ずいぶん高校入試も楽になったなあ」という印象です。もちろん学校によっては「入れてやる」というような旧態依然とした学校もあるのでしょうが、そんな時代遅れな学校はやめた方がいいんじゃないのかあ???

それでその相談に来たお母さんですけれど、いろいろ話を聞いてあげて、私の個別相談に対する感想とかを話してあげたら、少しは気が楽になったみたいでしたが、三者面談に行ったら担任の先生からいろいろ「アドバイス」をされて、また迷っちゃったみたいです。

迷ったときはどうすればいいかというと、私はいつも「見てくること」と相談に来た人には答えています。学校選びで一番大切なのは、自分に合った学校を選ぶことだと考えているので、他人の話だけ聞いて「どこがいい、ここがいい」というのではなく、自分の目で確かめてくるのが一番だと思います。もちろん時期にもよりますが、偏差値で「入れる」「入れない」の判断をするのもどうかなあ??? 中学校の姿勢は昔も今も基本的にはそういう姿勢なんでしょうけれど、個別相談になったんだからその利点を生かして、「はいれるところを探す」んじゃなくて、「はいりたいところを探す」でいいんじゃないのかな??? もし成績が足りなければ、「そこに向かってとりあえず頑張る」。それでもまだちょっと足りなければ「交渉する」。そんなのも、どうやら「有り」になってるような感じ。それが個別相談のいいところですよね。「個別」なんだから子どものいいところをしっかりアピールなんかして…

そういえば、小学生の塾のことで悩んでるお母さんもいました。
「どこの塾だったら受験に対応できるか…」
誰だって悩みますよね。でもこれも、見てくるのが一番。
「どこの塾が子どもに合っているのか」、発想は同じですよね。塾に行ったから成績が上がるわけじゃない。小学校での成績を見ればわかります。塾は塾のいいところばっかりいいますけれど、ほんとにそうかな? ちゃんと検証してみないと…。

どこの進学塾でも言うように塾に行っていれば簡単に成績が上がるのなら、小学校での子どもたちの席次(もちろん成績のですよ)は、まず塾に行ってる子たちが塾での成績通りの順番で上位を占める。その後に塾に行っていない子たちが順に並ぶ。となるはずでしょ?でも実際にはそんなことないんじゃない? おそらく上位にいる子は、塾に行っている子というのではなくて、幼稚園くらいのころから「あの子は優秀」って言われてた子じゃないですか? ほんとはちっとも塾の力じゃなくて、その子の持ってる能力ですよね。塾選びも「その子に合った塾」を選ぶことが大切なんだと思います。世間の評判とか人の話にあまり惑わされないで、自分で見て、「いいところ、悪いところ」を判断することだと思います。「××塾っていいよ」なんて友達のお母さんに言われて入れてみたら、いつの間にかそのお友達は別な塾に移ってた、なんて経験ありませんか?

そうそう。それとあまり営業トークに乗せられないでね。高校よりさらに生徒の獲得合戦が熾烈なんだから…。「話半分」じゃなくて、「話、10分の1」くらいに聞かないとね。中学受験のために子どもを塾に入れたら、「合格」という勲章を手に入れられることもまれにあるけれど、間違いなく子どもの時間と心は犠牲になっているのだから…。

**12月3日(火)掲載**

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2019年2月 6日 (水)

第38回 「隣の芝生は青くない!」

わが家はマンションなんですけど1階で専用庭が付いています。もう築20年以上経っているので、売るに売れない値段になっちゃっててすごく困っている(もともと中古で買ったから大した値段じゃなかったけど、やっとローンが減ってきたと思ったらリフォームでローンを組み直して、結局ローン残高は最初に戻っちゃった)んですが、角部屋なので庭が窓側(南東の方向)からグルッと脇の方(南西の方向)にも付いていて、約30坪ありのでいろいろ植木が植えられて、それなりに気に入っています。

最初、ここのマンションに越してきたときは隣の109号室を買いました。ちょうど1年が経ったとき、110号室の大森さんが実家に入るために引っ越すということで、直接譲って貰って現在の110号室(角部屋)に移ったんです。

大森さんはとてもよく庭の手入れをしていました。休みの日ともなると必ず芝刈り機の音がします。芝刈り機が終わると今度はハサミでフェンスの周りの芝をきれいに刈り込みます。土があまりよくなかったので黒土を庭全体に入れて芝の養生をはかったそうで、私が住んでいる109号室とは大違い。しっかりと手入れされた芝がいつも青々としていて、その上でかわいいチック(大森さんが飼っていた猫)がお昼寝。
ところが110号室にわが家が移るとアッという間にはげちょびれの庭に…。20年も経った今では、はげているどころか雑草の生い茂る荒れ野状態。その中で野良猫が昼寝。

そして109号室はというと、これまたウチの後に入った蒲生さんという方がとっても庭をきれいにしている。
「やっぱり隣の芝生は青いなあ…」(本当に青いんだからどうしようもないね)

先日、叔父が亡くなったばかりなのに今度は父の従兄弟が亡くなりました。父の従兄弟とはいえ、すぐ近くに住んでいて父や父の兄弟たちとはまるで実の兄弟のように育った間柄なので、私もとてもお世話になりました。

通夜、告別式には親戚中が集まります。私の従兄弟や再従兄弟(はとこ)もたくさん来ていて、その内の何人かは子どもを連れています。私は従兄弟、再従兄弟の中では一番上なので、ちょっと年齢に開きがあって、私の孫と同じくらいの子どもたちがいました。

わが家に戻ってから、
「××(再従兄弟の子)はボーっとしてるけど、蓮(ウチの孫)はキリッとした顔してやっぱり頭が良さそうだね」
「表情が違うよな。こうなんていうかなあ、いろいろなことに興味があるっていうか…。やっぱり子どもに大事なのは好奇心だから」
「どうしてどこんちの子も落ち着きがないのかねえ。ウチの子たちはこういう席では絶対騒いだりしないのに…」
と、こんな会話に。

そういえば、翔がまだ生まれたばかりのころ、妻の同僚が生まれたばかりのお子さんを連れてわが家にやってきたことがありました。私が子ども好きなせいか、すぐに私になついて私に抱かれたがります。
「ほんとに直隆さんて子ども好きなんですねえ」

確かにそれはその通りだけど、あのとき考えていたのは、「こんな奴に鼻水つけられたら困るなあ」っていうことだったんだけどなあ…。翔の鼻水ならぜーんぜん気にならなかったのに、なんでだろうね。こと子どもに関しては「隣の芝生は青くない」ってことかねえ…。でも、中学3年になった息子を見ていると、やっぱり「隣の芝生は青い」ような気がするのはなんでだろっ!

順序通りじゃない親戚の者の死は、やっぱり悲しいですね。

**11月26日(火)掲載**

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第37回 「門前の小僧…」

そういえば、翔(かける)がまだ幼稚園に入園する前、初めて間もない陶芸教室によく連れて行っていました。今考えると、生徒さんたちには大変失礼なことをしていたなあと思うのですが、陶芸教室の先生が自分の子どもを教室に連れてくるなんて、なんとまあ家族的で暖かい雰囲気の陶芸教室なんだろうなんて勝手に考えていた気もします。そのころは、まだ生徒さんの数も30名ほどで、確かにそんな雰囲気もありました。

6年ほど前、それまで借りていた20坪ほどのビルから、駅前の40坪ほどのビルに移りました。家賃も一気に倍。それはそれは大変な決断でした。場所も格段によくなり、広さも倍になりましたから、生徒さんの数も100人に。主婦と定年後の男性という生徒層から、OLやサラリーマンへも層が広がりました。

そこで私は、「家族出入り禁止令」(そんな大げさなもんじゃないけれど)を出し、教室に子どもを連れて行くことをやめました。それはもちろん、会費を頂戴している教室の質を、落とさないためでした。

教室に出入りしているころの翔は、生徒さんたちにとてもかわいがられていました。もちろん「先生の子ども」ということもあったのでしょうが、邪魔にすることもなく粘土を使わせたり、電動ろくろに座らせたりしてくれました。
私は一度も粘土の扱い方を教えたことがないのに、いつの間にか見よう見まねで覚えたらしく、電動ろくろを使って「茶碗らしきもの」を作り出しました。あるときは、右手に持った粘土を左の手のひらに押し当てて、キノコにそっくりな形のものを作り、「きのこ!」と言って私に見せました。あまりのでき映えに私もうなりました。

そのころ真(まこと)は中学校で、美術の時間に陶芸をやりました。コーヒーカップを2個作ったのですが、まったく美術のダメだった真でしたが、そのコーヒーカップは県の美術展までいきました。
まさに「門前の小僧…」ですよね。

ほんのちょっと話はずれるんだけれど、子どもっていうのはいろいろなことに興味があって、大人が余計なことを言わなくても(というよりは、言わない方が)、いろんなことをやってくれますよね。例えば「書」にしても「絵」にしても、筆の持ち方がどうだこうだ、構図がどうだこうだ言わずに、ただ単純に道具を与えてやれば、一生懸命「書」や「絵」を書(描)くのに、学校の先生なんかはそこのところを勘違いしてる人が多いんじゃないのかな? 先生って妙に 教えるっていうことが重要だと思ってる人が多い。本当に大切なことは 興味を持たせることなのにね。

やっぱり昔の人はうまく言ったもんで「門前の小僧 習わぬ 経を読む」なんだよね。
私たち親も、そこのところを間違わないようにしないとね。

**11月19日(火)掲載**

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第36回 「誰のための学校?」

ある小学校の参観日。
例の池田小学校での殺傷事件があってから、どこの学校も校内に入るためのチェックは厳しくなっているようです。特に小学校は、自分で自分を守ることが難しいので、どうしても親の力を借りることになります。参観日といえども、まず、昇降口でチェック!いたる所にPTAの役員さんがいて、チェック、チェック!例えば、あらかじめ保護者に配られている身分証明のようなカードを首からぶら下げる。忘れた場合は、昇降口で名前を記入して、リボンをもらってつける。教室に行くための廊下の角でも不審者が入ってこないか、役員さんがにらみを利かせている。まあ、あんな事件があると仕方のないことですよね。
でも考えてみると、参観日じゃないときは役員さんが出て警備をしているわけじゃないから、あんまり意味がないような気もするけど…。
確かに参観日は保護者に混じって不審者が入りやすいっていうことも言えるけど、大人がいっぱい来ているわけだから、かえって子どもは安全(?)なんじゃないのかなあ???

さて、その警戒厳重な廊下を通って教室の前まで行くと、廊下の片側には粘土で作った作品がいっぱい!その廊下の反対側の壁には、子どもたちの描いた絵がいっぱい!教室へ入ると、後ろの壁には習字(知り合いの書道の先生は「習字」って言うと怒るんです。「習字」じゃなくて「書道」だって。もっともですよね。私もそうあるべきだと思うけど、ここでは小学校のことだから一応「習字」っていうことにさせてもらって…)の作品が重ねていっぱい貼ってある。もちろん教室の廊下側の壁にも、班でまとめた資料や係りの分担等々…。窓以外の所はぜーんぶ何かで埋まってる。最後に極めつけは、黒板の周り。
「学校の目標」「学年の目標」「クラスの目標」!!!
もう一つおまけに、後ろの壁の一番入り口に近い所には、忘れ物の回数をまとめた表。ぜんぜん壁が見えない!でも、これって誰のためかねぇ???
「ウチの学校はこんなにしっかり教育してますよ」っていうこと?どこか違和感あるよねぇ…。だいたい、気分が落ち着かない。こういう学校に限って、「休み時間は外で元気に遊びましょう」なんて言って、無理やり子どもを外に出しちゃったりしてね。それも、「子どものため」かなあ?
外で遊ぶことも大切なことことではあるけれど、私には、「ウチの学校は、元気な子どもを育ててます」って威張ってる校長先生の顔が浮かんじゃう。外で遊ぶことが義務になっちゃうと遊びじゃないもんね。

教師や親があんまり目立ちすぎない学校の方が学校らしいんじゃないのかな?
たくさんの掲示物を貼ることで「これだけしっかり教育してます」っていう教師の自慢に終わってない?学校に警備に行くことで「私は子どものことを第一に考えてます」っていう親の自己満足に終わってない?そんな学校たくさんあるよね。

来週、「北足立南部地区公立小・中学校PTA役員等研修会」の事例発表者になってるんですけど、最初「特色あるPTA」なんていうテーマでって言われたんで、困っちゃったんです。どこのPTAもみんな子どものためを思ってやってるわけでしょ? そんなに違いがあるわけない。ウチのPTAなんて特色がないっていうことが特色かな??? 特色なんてあったら、やたらPTAが目立っちゃって子どもがどこかにいっちゃいますもんね。

どうやら、「今年PTAで力を入れていること」っていうテーマでいいらしいので、ホッとしましたけどね。

**11月12日(火)掲載**

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第35回 「たまには塾の話」

第35回 「たまには塾の話」 

 最近すっかり「陶芸教室の先生」というか「経営者」をしているので、「親」として子育てとか教育とかを語ることばっかりですけれど、実は私も陶芸教室を始める前は塾をやっていたんです。一時は100人くらいをみていたこともありました。今のところに住むようになってからも、高校受験の子どもたちを中心に、40人くらいの生徒をみていました。そうそう、「男はつらいよ」や「北の国から」ですっかり有名になった吉岡秀隆君も高校受験のとき、ほんの数ヶ月ではありますけれど、みていたことがあるんですよ。彼の場合は、芸能活動を続けていくのにどこの高校を受験したらいいかということで相談にきたんですけれど、私のところに来るほとんどの子どもたちは、夏休み明けの「北辰テスト」(埼玉県内で行われていた高校受験のための偏差値をはかるための業者テスト)の結果が思うようではなくて、相談にきていました。

 偏差値でいうと30台後半から、50台後半くらいまでの子がほとんどです。それくらいの成績の子の偏差値を上げるのにはちょっとした「コツ」があって、すでにある程度理解しているジャンルを除いて勉強のプランを立ててやると、偏差値40台くらいの子では1ヶ月もしないうちに10前後偏差値が上がることもざらにあります。偏差値が高くなればなるほど、偏差値を上げることは難しくなりますが、60くらいの子でも65くらいにはなります。

 あんまり偏差値にこだわった「教育」は好きではないので、今考えるとずいぶんと無謀な「教育」をしていたんだなあと思いますが、受験を控えた親子にとって偏差値は絶対のものなので、「塾」という立場からいえば、それも一つのやり方であったんだとは思います。先日、知り合いから中学受験の塾の話を聞きました。

 某大手塾では、頻繁にテストをやってそのつど結果をクラス分けや着席順に反映していると聞きました。そういうやり方をしてくれると、子どもの席次がどこなのかはっきりわかるので、親にとって確かに安心は手に入ります。けれども、そこでの席次をあげるために、多くの子が別な塾にフォローに行っていると聞いてビックリしました。どうやら、その某大手塾は「教える」ことをあまりしていないらしい…。

 私は塾というものは、そこに通ってきている生徒の学力が上がるように「教える」ところだと思っていたので、ある意味私の塾観は根底からひっくり返されました。いろいろな塾があるんだろうけれど、これにはちょっとあきれました。要するに、頻繁にテストをすることで「中学受験で成功する子」を探しているにすぎない。「家で勉強をしないと成績が上がりませんよ」と言われたといいます。確かにもっともな話ではあります。でも、家には「先生」はいないのですから、家でやったことを塾でフォローしてくれないと塾の意味がない。どうもそういったこともないまま、某大手塾では常に「中学受験で成功する子」を探しているようです。結局、某大手塾に通い続けるには、他の塾でフォローをしてもらうしかなくなっちゃうわけですよね。

 週に3日ないし4日、大手塾に通い、さらにフォローのために数日別な塾に通う。今の子どもたちの忙しさを解消してやるにはどんな手だてがあるんでしょうねぇ???

 大手塾の皆さんも必死に「中学受験に成功する子を探す」んじゃなくて、「中学受験に成功する子を作った」らどうなんでしょうかねぇ…。子どもたちはそれぞれすばらしいものを持っているのだから、すべては教える者の力量にかかっているんですけどね。

**11月5日(火)掲載**

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第34回 「15歳の北朝鮮少女」

 キム・ヘギョンさんとのインタビューが波紋を呼んでいます。
今朝(28日)TVを見ていたら、コメンテーターが「確かにふさわしくない質問もあったかもしれないが、そういうところをカットしてON・AIRすればいいんで…」という 発言をしていました。私はどうしてもそういう気持ちにはなれません。「ON・AIRするかしないかじゃないくて、聞いてしまったことが問題なのに」という気持ちで見ていました。

 「これは北朝鮮の策略だ」とか「滞在延長を決めた5人へのメッセージだ」(家族会の方の中にはこの立場をとっている方もいるようです)という見方も強く、キム・ヘギョンさん自身の気持ちや人権を問題にしているのではなく、「北朝鮮政府に言わされているのだからそういう北朝鮮政府のメッセージを流したことは問題だ」と多くのコメンテーターは言っているようです。

 今回の拉致被害者の一時帰国に端を発した出来事が、今後の日朝交渉を有利に進めようとする北朝鮮の駆け引きであることは間違いないでしょう。けれども、そのことと15歳の少女を政治的な駆け引きの場に引きずり出した上に、答えに窮するような質問をすることは、別な次元の問題です。

 一部のコメンテーターは、北朝鮮がインタビューをさせたという見方をしていて、少女を政治的に利用した北朝鮮を強く非難していました。けれども、フジテレビの話を聞いていると、今回のインタビューはフジテレビ、朝日新聞、毎日新聞という日本のマスコミが主導して行われている。何度もそのことをフジテレビは言っているのに、コメンテーターたちは、まったくそのことには耳を傾けない。

 私はそういった政治的、イデオロギー的なものをすべて除いて今回のインタビューについて考えたときに初めて、「15歳の少女に対するインタビュー」ということの問題点が見えてくると思います。フジテレビの中継車の中でインタビューのVTRを初めて見た横田早紀江さん(キム・ヘギョンさんのおばあさん)は、「見ているのがつらい」とおっしゃって、途中で席を立ってしまわれたと報道されています。複雑な気持ちでおられるのでしょうから、どういうお気持ちで席をお立ちになったのかを正しく推測することは困難ですけれども、もし私の孫だったら、やはり同じようにいたたまれない気持ちになったであろうことは、容易に想像がつきます。

 私もON・AIRされたインタビューを見ましたが、このインタビューで一番強く感じたことは、「これは15歳の少女に対する虐待だ」ということです。

 彼女が15歳とは思えぬほどしっかりしていると感じたのは私だけではないと思います。けれども、しっかりしているから何を聞いてもいいということにはなりません。15歳という何も知らない少女に対し、尋ねていいことと尋ねてはいけないことがあるということは、マスコミも充分に知っているはずです。

 「今回のインタビューには問題はあったかもしれませんが、話の中からまた新たな疑惑が浮かんできたという点で意義はあったと思います」というくだらない発言をしたコメンテーターがいました。ひとりの少女の人権ということにすら配慮できない人間に、拉致という人権侵害をとやかく言えるのかと、とても腹が立ちました。

 子育てという観点でいえば、今回のインタビューが、北朝鮮の責任なのかあるいは日本のマスコミの責任なのか、ということはどうでもいいことです。子どもを育てるものとして、今回のようなインタビューが、たとえどんなに政治的な解決を早めるものだとしても、「子どもの人権だけは犯さないでほしい」と強く感じました。

 「子どもの人権を守ること」まさにそのことが現代の政治に大きな課題なのですから…。

※浦和教育カウンセリング研究所(その後「浦和カウンセリング研究所」に改名)を立ち上げました。学校やPTAでのトラブル、いじめや不登校のことなど、ご相談のある方は048-825-5551までお電話ください。

**10月29日(火)掲載**

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第33回 「ついていい嘘」

第33回 「ついていい嘘」 

 いやー、大したもんですねえ。20日のジェネジャン、前回言ったようにぜーんぜん対決になってなかったのを、あそこまで対決に見せるんだから…。でもやっぱり無理してるから、教師側が本当に言いたかったことが落っこっちゃってて、すべてを見たものからするとちょっと残念でした。(第31回・第32回参照)

 さて、ここのところメディアはノーベル賞と北朝鮮の拉致問題で占領されています。暗い話題ばかりが多かった最近にあって、ノーベル賞の話題は私たちに明るさを取り戻してくれました。拉致問題も大きな問題を残しつつも、帰国した5人の行動や表情などから、帰国前の重苦しい雰囲気からは考えられないほど明るい雰囲気になりつつあります。これこそ「北朝鮮の思う壺」(?)ととらえる人もいるのでしょうけれど、きちっと解決しなくてはいけない政治問題を残しているとはいえ、最初にメディアが報道していたのとは裏腹に明るい方向に向かっているのを見ていると、やはりほっとさせられます。

 小柴さんのノーベル賞は、昨年の野依さんのノーベル賞に続き「超エリートの受賞」といった感じで、私のような一介の主夫からするとはるか彼方の出来事でしたが、田中さんのノーベル賞はなんとなく庶民が受賞したようで、努力さえすれば誰にでもチャンスがあるといった感じを抱かせてくれました。(もちろん田中さんも超エリートなんですが、お人柄というんでしょうか、庶民の代表みたいな感じで…)

 ノーベル賞のような大きな賞を日本人が受賞すると、必ず英才教育がもてはやされます。英才教育が必ずしも悪いとは言いませんけれど、私は競争優先よりも共生優先の方が世の中が平和になると信じている者なので、野依さんや小柴さんの話ではなく、今回受賞した田中さんのインタビューを聞くたびに、どこか暖かい気持ちにさせられました。

 拉致問題は、次から次ぎへと予想に反する展開になって…。帰国前にメディアに登場したコメンテーターたちの発言はなんだったんだっていう感じですよね。ことごとく予想を覆されて、拉致された方々のお子さんを含めた家族の永住帰国さえ、ご本人たちの意志さえあればすんなりいきそうな気配です。もちろん、「これが『北』のやり方」っていう人もいると思いますが、私は真っ直ぐに受け止めたいですね。

 蓮池薫さんが、「子どもたちには旅行だと嘘を言って出てきました」とおっしゃっていました。子どもたちを「朝鮮人」として育ててきたとすれば、当然の配慮です。私のように複雑な家庭を持っていると、「子どもに嘘をついた方がいい」という場面が多々あります。けれどもそんな時、子どもたちには真実を語って乗り越えてきました。「真実を真正面から伝えれば必ず気持ちは通じる」、そう信じて生きてきました。妻が前夫と離婚し、私と暮らすことを告げに義父の元を訪ねたとき、義父がわざわざ墨をすって書いてくれた、「誠者天道也」(誠は天の道なり)の言葉を思い出しました。

 一刻も早く蓮池ご夫妻をはじめ拉致されたら方々が、嘘のない家庭生活を送れるような環境が整うといいですね。本来、子育ての中に「ついていい嘘」などというものがあるわけないのですから。

**10月22日(火)掲載**

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第32回 「だれにとって問題児?」 その2

 タハハッ! ごめんなさい。
 前回「13日放送」なんて言っちゃのに、20日の間違い(9日の水曜日に収録は終わっているので、たぶん今度は大丈夫だと思う)でした。「はっきり言わない日テレが悪い」のか、「よく聞かない私が悪い」のかわからないけれど、とにかくごめんなさい。

 「問題児 VS 教師」っていう予定だったのに、収録してみたらちょっと違っちゃったみたいです。っていうのは、『VS』にならなかったっていうこと。

 私はずっと舞台の裏に置いてあるモニターを見ていたのだけれど、印象でいったら断然「問題児」の勝ちっていう感じでしたが…。

 もちろん2時間にわたって収録したものを担当ディレクターがどう編集するかでだいぶ印象は変わっちゃうんだとは思うけれど、収録中も勝ち負けをつけることができませんでした。

 それは「問題児」に対する学校の対応が、あまりにも学校の身勝手で行われてきていたことを誰しもが認めないわけにいかなかったからです。収録前、スタジオ脇の控え室でスタッフから、「先生方は皆さん立場が違うので、問題児の肩を持ちたくなる場面があるかもしれません。『問題児』の意見に多少は同意してもらってもいいんですが、『問題児 VS 教師』という設定なので、それを崩さないようにお願いします。それと先生方同士の批判はしないようにしてください」という注意がありました。

 ところが蓋を開けてみると、『VS』なんていう姿勢はすっかりどこかに飛んでしまって、スタジオ全体が『問題児』に同情的に。それは『問題児』の発言がほとんどすべて、「先生に注意された通り努力をしたのに認めてくれなかった」という趣旨の内容だったからです。教師サイドとすれば、せいぜい「まだ君の努力が足りなったんじゃないの」くらいにしか言いようがありません。どこかでディレクターが展開を変えるのかなあと思っているうちに、方向はどんどん『問題児』の話を聞いてやるという方向に…。結局、「君たちはずいぶんひどい目に遭ってきたんだなあ」で終わってしまいました。(放送される番組はどんなふうになっているのかわかりませんけれど)

 最初の企画からすると内容が大きく変わってしまい、明らかに失敗です。一緒に議論に加わっているタレントの方たちの影響が強いので、教師と生徒いう構図(権力と非権力という)が明確にされていないと私は感じました。実は、『教師と問題児』という関係の根本は、『権力と非権力』という関係に他なりません。そこを抜きにして、議論を戦わせるのは無理なのに、今回の番組はまったく対等な立場で議論をさせようとしていました。どんなに強がったところで、『問題児』側に教師と対等に戦える力があるわけもなく、開き直って「強い対場」であるはずの『問題児』は、同情される「かわいそうな生徒」となってしまった気がします。

 社会的にいって、『教師』は常に生徒を指導、教育する立場であり、『生徒』はまったくといっていいほど、教師を批判する権利を与えられていません。『教師』に対して自分の意見を表明することのできない環境が、『問題児』を生む一つの大きな要因であることは間違いないのだから、残念ながら『問題児』には教師と対決するだけの力はなかったのでしょう。

 一見、『問題児』側の勝利にも見えましたが、実は『問題児』は土俵にも上げてもらえなかったというのが、私の実感でした。教育のことでバトルを展開したいのなら、”次回は「教師 VS 親」というのをやったらどうですか”と担当ディレクターに進言しておきました。
それだったら間違いなくすごいバトルになるでしょうね。

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第31回 「だれにとって問題児?」

 10月6日の日曜日、日テレに行って来ました。なんでも今度の「ジェネ・ジャン」(13日・日曜日の午前11時40分からの番組)に出てもらえないかということだったのですが、オーディションだとか打ち合わせだとか、なんだかわけのわからないこと言うから、「出るか出ないかを決めるのはTV局だけじゃなくて、こっちも番組選んでる。オーディションやってまでTV出たいなんて思ってないんだから」って偉そうなこと言ってやったんだけど、番組の進行が、堂本光一くんだっていうから、喜んで出ちゃおうかなあなんて考えたりしてね。

 まっ、それは冗談として…。今回は妻だけが出演することになって、私はマネージャー。見たことのない番組だったのでとりあえず日曜日、日テレに行く前に番組を見てみました。芸能人のゲストの他に、対立関係にある人たちが出演して、トークバトルを繰り広げ、それを聞いている100人の人たちが勝ち負けの判定をするっていうわけ(これじゃあ、見たことない人にはよくわかんないかな?)なんですけど、6日のは「嫁vs姑」で、かなり激しいバトルの末に、結局嫁の側に軍配が上がったんだけど、テーマもテーマだったから扱いが乱暴であんまりまじめさが感じられなくてイヤだなっていう感じだったんですよね。

 それで、次回は「問題児(不登校児も含めて)vs教師」なんだそうです。まあ社会的にいって、対等っていうにはほど遠い関係なので、「嫁vs姑」みたいなやり取りにはならないとは思うんだけど、重いテーマなので、まじめに扱ってくれるといいなあと思います。妻は退職して教師じゃなくなっちゃってるので、「元教師・現在は上級教育カウンセラー」っていう立場で出演するんですけど、どっち側に組みするんだろうね??どう考えてもウチの立場は「問題児」側なんだけどね。

 日曜日、日テレでちょっと文句を言ってやったんだよね。なんでかっていうと、「問題児」っていう言葉。もちろんこれは、象徴的にいってる言葉だから他にどんな言葉があるかって言われるとなかなか難しいんだけど、「問題児」っていうのは、誰にとって「問題児」かっていうと当然教師にとってだよね。教師の言うことを聞かない、教師の手を煩わせる、学校の規律を乱す…。ぜーんぶ教師にとって「問題」なんだよね。

 「問題児」側からすれば、いちいち細かいことを言う教師は「問題教師」っていうことになるんだろうけど、「問題教師」っていったらそういう意味じゃなくて、犯罪を犯したとか、生徒に対して暴力をふるったとか、ちょっと意味が違っちゃうでしょ。

 そんなわけだから、生徒の方にだけ「問題児」っていう言葉が存在すること自体、教師と「問題児」との関係を象徴してるなって思うわけ。だから日テレには、「問題児」っていう発想が間違ってるって言ってきてやった!その上不登校についても「不登校になるのはいじめられっ子」って考えてたなんて言ってるんだから、”おいおい”だよね。

 11日に収録だそうだけど、どうなることやら。まじめな議論ができるといいんだけど…。私は出ないけど、13日の日曜日は、ぜひ見てください。

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第30回 「安全な遊び」

 9月24日午後、金沢市の公園で上田竜也君(6)が、うんていの上から鉄棒と鉄棒のすき間に落ち、背負っていたランドセルと首が鉄棒に引っかかって窒息死するという事故が起こりました。お子さんを亡くした親御さんや周囲の方々の悲しみは、幾ばくかと思います。

 どう挟まったんだろうと不思議に思っていると、翌々日のワイドショーでこの事件を取り上げていて、図を使って詳しく説明をしていました。ここで言葉を使って説明するのはちょっと難しいですが、簡単に言えば、ランドセルの下側と竜也君の首が二本の鉄棒にひっかかってしまい、宙づりになってしまったということのようでした。

 普通では考えにくい状況で、まったく運が悪いとしか言いようのない事故でした。この事故はいくつかの原因が考えられます。

第1に、うんていそのものの構造(足がつかない高さであるとか鉄棒と鉄棒の間に人が落ちるだけの空間があるとか)。

第2に、簡単にうんていの上に登れる構造になっていたこと。

第3に、竜也君がうんていの上に登ってしまったこと。

第4に、竜也君がランドセルを背負っていたこと。

 主にこんなところだと思いますが、ワイドショーの中でインタビューに答えていた竜也君のお父さんとおじいさんは、遊具の危険性について非常に声高に訴えていました。お子さん、お孫さんを亡くしたものとして当然のことです。もし私がそういう立場に置かれたら、おそらくまったく同じように訴えただろうと思います。

 当然のことながら事故の場合、テレビ局はまず被害者に同情をする立場から報道をします。そこでワイドショーは何を第一に取り上げたか・・・。なんとランドセルの構造でした。鉄棒に引っかかったランドセルに問題はなかったのか・・・。ランドセルのメーカーにインタビューをしていました。いくらなんでもこれには無理があります。

 続いて周囲の状況を含むうんていの状況。実際に事故が起こっているのだから、問題がないわけはありません。うんていの高さがもっと低かったら・・・。うんていの上に上がりにくい構造になっていたら・・・。鉄棒と鉄棒のすき間がもっと狭かったら・・・。それはまったくその通りで、どれか一つでも状況が違っていればこの事故は起こらなくてすんだはずです。

 金沢市は25日、同種の遊具のある41カ所の公園を調査するとともに、うんていに立ち入り禁止テープを張って使用禁止にしました。けれども、これはちょっと変?私が生きてきた45年の記憶をいくら辿っても、うんていで窒息した事故の記憶はありません。事故のない安全な遊具を作ることも大事ですが、子どもに危険を察知する能力をつけさせることも大事なのでは?私はこういう逆説的な考え方(危険に触れさせて危険を教えるというような)はあまり好きではないのだけれど、ほとんど大きな事故も起きないような遊具が、たった一回の事故で使用禁止になってしまうことには、やはり抵抗があります。

 真(まこと)がまだ3歳だったころ、見沼代用水に落ちたことがありました。運悪くちょうど水かさが多いときで、土手の草の上をずるずると滑って川に落ちた真は、あっという間に水の中に消え、まったく見えなくなってしまいました。まだ1歳にもなっていない麻耶(まや)をおぶっていた私は、隣にいた5歳の女の子に麻耶を預け、川に飛び込もうと思ったまさにその瞬間、川の底を蹴って水面近くまで上がってきた真が見えたのです。やっとの思いで手を伸ばし、引き上げたのでした。今ではそこは護岸工事が終了し、フェンスが張り巡らされています。子どもたちは安全を手に入れたのですが、そこで失ったものは量りしれません。

 本当に危険なものを放置することは、大人の無責任、でも、子どもが大人になるために必要な機会を奪ってしまうことも、やはり大人の無責任。ちょうどワイドショーがこの事件が取り上げた日、新聞ではロープでできた「安全なブランコ」の記事が出ていました。座る部分が板でできた昔のブランコは事故が多かったということだったのでしょう。でも今度は、もしロープで窒息死する子が出てきたら、何でブランコを作るのでしょうか・・・。

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第29回 「若い先生がいなくなった!」

 先週に引き続き運動会でのこと。ある小学校の運動会に行きました。久しぶりに見る小学生はとてもかわいらしくて、一年生や二年生が広い校庭を元気に走っているのを見ると思わず微笑んでしまいます。「同じ運動会でもやっぱり小学校の運動会は温かいなあ!」そんなことを考えながら見ていると、「整列!! 気をつけ!!」と、先生の声がおっきい!もちろん、マイクを通してるんですよ。そんなにおっきい必要があるのかな???

 学校規模がとても小さな学校で、学年によっては30名余りしかいないので、ちょっと違和感を感じます。学年のリレーなんかは全員が出てるのに、30数名を4つに分けて、それをさらに半分に分ける(ひとりが半周ずつ回るので)ので、私の目の前に並んでいるのは、1チームたったの4人。そんな感じですからその場にふさわしくなく、突然マイクを通した大きな声が流れたときは、なんだか勧善懲悪主義の子ども向けテレビドラマ(仮面ライダーのような。ん? ちょっと古い?)の主人公が、「ライダーキック!」とかおっきな声で叫んでいるシーンを思い出しちゃいました。(その声で子どもたちが吹き飛ばされそうな・・・)
少人数の小さな子どもたちの笑顔には、怒鳴るような号令はふさわしくないですよね。翔(かける)の卒業した小学校では、男の先生が、「皆さん、整列しましょう」なんてソフトに号令(?)をかけていて、「ちょっと気合いが入んないんじゃないの」なんて思って見てましたけれど、実際に怒鳴るような号令を聞いてみると、やっぱり小学生には”優しい、ソフトな号令”が合っているんだな、そんな感じを受けました。

 その運動会でもう一つ感じたことがあります。それは”若い先生がいない”っていうこと。これも、すごく違和感がありました。「運動会のイメージ」って若い先生が、明るい色(ピンクとか明るい空色とか)のジャージ姿で走り回っているものって決まっていた(私が勝手に決めたんですけどね)のに、お尻のおっきい中年(私と同じくらいの年ですよ)のおじさん・おばさんがドタバタとかけずり回って(かけずり回るというより、はいずり回るっていう感じ)、叫んでいる運動会に変貌してしまっていました。(と、ここまで書いたところで、ちょっと一息入れて朝刊(9/24付 朝日新聞・埼玉版)を開いたら、昨年度、公立小・中の教員の平均年齢が過去最高になったっていう記事が載っていたのでビックリ!)「ターッ! やっぱり感じてた通りだったんだ!」小学校44.2歳、中学校42.9歳。私立を含めるともっと上がって、小学校45.7歳、中学校44.3歳。

 これって、やっぱり学校と子どもの距離を遠くしてるんじゃないのかな?年齢が高いことがすべて悪いとはいわないけれど、学校にはいろいろな年齢の先生がいてほしいですよね。最近、孫が歩くようになったら、孫についていくのが大変になっちゃったもんね。自分の子どもを育ててるときには、そんなこと感じたこともなかったけど、やっぱり年ですよね。いろんな角度から、子どもと接してくれる先生がいて、それで初めて楽しい学校生活が送れるんじゃないのかな? 県としても対策を考えているみたいですけど、早く若い先生が校庭を走り回るような運動会にしてほしいですね。

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第28回 「やっぱりビリ!」

 ”ドーン、ドドーン、ドドドドドドーン”

 昨日の朝、6時、そんな音が響き渡りました。久しぶりに聞く、花火の音です。どこかで運動会が行われるようです。そう言えば、私の子どもの頃って、運動会の日は必ず6時に花火が上がったものでしたけど、最近はあんまり花火の音、聞きませんねえ。私の住んでいる地域だけかなあ??? 今住んでいるところは、けっこう駅に近くて家は密集してるし、地域は狭い(ウチの子どもの通った小学校は学区の中に信号がない)のにそれでいて大きな団地があるために小学校2校、中学校1校、自治会が3つあるから、もし花火を上げるってなると、この時期の日曜日(今年から学校の運動会は土曜日になりましたけど)は毎週必ず花火が上がることになっちゃうので、それで止めたんですかねえ???

 子どもの頃は、運動会の当日はその花火が上がるのをじっと待っていたものです。その時の緊張感って、なんとも言えないものがあって、ドキドキするっていうのとも違うんですけど、ちょっと気持ちが”ピリッ”とするんですよね。ただこれは、私がたまたま足が速かったからで、ウチの子どもたち(誰ひとり足の速い子はいなくて、いつもビリ争いをしている)に言わせると、”雨が降らないかなあ”ということになるらしいんですけどね。そう言えば、私はプールがあまり好きじゃなかったので、プールの日になると”雨が降らないかなあ”なんて思ってましたもんね。運動会の緊張と興奮を”だれしもが好きだ”なんて考えちゃいけないんですよね。

 今年の運動会(もうウチの子どもは中学生なので体育祭でしたけど)も、やっぱりウチの子どもはビリでした。前回書いた叔父が、まさに前回のその原稿を打っている瞬間に息を引き取ってしまったので、先週の土曜日は、子どもの運動会と告別式が重なってしまいました。私はPTA会長をしているため運動会を外すことができないので、私が運動会、妻が告別式ということになりました。

 さて、どういう風に決めたのか、足の遅い翔(かける)が200m走に出ることになったのですが、翔が言うには”6人中、僕だけが遅くて、あとの5人は学年で早い方から5人選んだような子たちだよ”ということでした。200m走最後のレース。スタートライに立った子どもたちの顔ぶれを見てビックリ!言われていたとはいえ、確かに私の記憶では特別に早い子ばかりを集めたような(運動会最後の呼び物、リレーのときはウチの子を除いた全員がアンカーをやっていました)集団です。

 スタートするなり、5人が団子になって前へ、そしてウチの子だけがひとり後ろに取り残されるという状況です。中学でも最上級学年ですから、その迫力にはすごいものがあります。もちろんその差はどんどん広がってゴールへ。”あ~あ”というより、”カハハッ!”と笑っちゃうような結果でした。

 すぐに妻にメールで、”6人で走って翔はだんとつビリだったよ” と送ったら、”ちょっと可愛そうだね。たぶんいつも一番の人にはわからないだろうけど。でも翔にはそれも栄養にできる力を、あなたがつけておいてくれてあるよ。” と返ってきました。突然、翔の組の応援団が翔の方を向いて、”大関に敬礼!” と大きな声で三回叫びながら、敬礼をしました。”この5人と一緒に走った大関は、よくやった” そんな雰囲気がグラウンド全体に漂いました。

 ”まあ、こういう経験もいいかな”一番もいれば、ビリもいる。そしてそのビリを一生懸命励ましてくれる子どもたちがいる。そんな暖かさの中で育っている翔をとても幸せに思った瞬間でした。家に帰ってきた翔は、「けっこうがんばったでしょ? 思ったより差が開かなかったよね」と興奮気味に話しました。おいおい! 充分差は開いていたんだよ、翔。

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第27回 「叔父」

 あまり明るい話題ではないが、叔父(父の弟)が間もなく息を引き取ろうとしている。叔父は、10人兄弟(男6人、女4人)の8番目で、7番目の叔父と双子だった。3番目か4番目(何度か話を聞いたが私の生まれる前のことなので詳しいことはわからない)の叔母は、10歳くらいの時に赤痢(?)で亡くなったらしい。7番目の叔父は、36歳の時、夜寝ていて突然に亡くなった。そして、8番目の叔父は今こうしているときにも息を引き取るかもしれない。癌である。3時間ほど前、叔父を見舞い帰ってきた。

 私の父は長男で、実家にとっては私が初孫。しばらくの間、叔父、叔母とも同じ家に暮らしていた。8番目の叔父は、妻と同じ年(昭和16年)の生まれで、私とは16違い。とてもよく遊んでもらった。叔父の友人たちにもかわいがってもらった。いまだに、叔父の友人のあだ名を覚えている。

 叔父は秋葉原デパートに勤めていた。叔父のところで生まれて初めてスーツを作ってもらった。チゲ鍋と回鍋肉(もう20年以上も前のことで、そのころはまだ豚肉とキャベツのミソ炒めとメニューには書いてあったのだが)も生まれて初めて食べさせてもらった。すごくおいしかった。そして、秋葉原の電気街も案内してもらった。

 一度目に病院を見舞ったとき、叔父は目に涙をいっぱいためて「元気になったら箱根と鬼怒川にみんなで旅行しよう」と言った。叔父も、周りにいた叔父の家族も、そして私も妻も、二度と旅行に行けないことを知っていた。二度目に見舞ったときは、食堂まで歩いてきてそこで話をした。しばらくして一度退院したが、再び救急車で入院した。三度目は、翔(かける)も連れて行った。今度は、鼻から管を通し、ずっと眠っていた。

 そして今日。朝から呼吸が乱れ、血圧が下がっていたらしい。「お昼くらいまで」と言われたようだが、日付が変わって夜中の1時になったが、まだ何も連絡がない。

 つい先日、叔父の病状のことから、私の幼少の頃の話になった。そこで気付いたことが一つあった。私は、どの叔父にも、どの叔母にも一度も怒られたことがなかったのである。そういえば、お説教をされたこともないということになった。楽しく遊んでもらった記憶だけがあるのである。そのことが、私の子育てに大きく影響を与えているのは、紛れもない事実なのだ。

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