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2017年5月 3日 (水)

第21回 「競争の原理」と「共生の原理」

 さて、前回お話しした「大関家」と「大沢家」の話。

 妻の育ってきた「大関家」は教育一家。父は身体をこわしてしまったので、若いうちに教壇を去ることになりましたが、父も母も教員。特に母の兄弟は、母も含め女3人、男1人の兄弟皆、教員生活を送ったことがあって、母と一番下の叔父は定年退職するまで教員をしていました。もちろん祖父も教員。2人の叔母の連れ合いも教員です。そして私の妻も教員、妻の妹も教員。まだまだいるけどこれくらいにして・・・。

 かたや私が育った「大沢家」はというと、これがよくわかんない。父の兄弟は男6人、女4人の10人だけれど、妹1人は子どもの頃に亡くなり、県南水道に勤めていた弟も36歳(だったと思うけど)で亡くなって、今は8人。

 父は浦和市役所で、その下の叔父は国鉄、その下は自分で小さな工場をやっていて、その下は・・・。っていう感じだから、強いていえば公務員志向っていうことも言えなくはないけれど、戦後の時代背景を考えれば、公務員がいいって特別に考えていたわけではなくて、もともと地元の人間だし、ただ普通に生きていたら結果的に公務員(県南水道も含めて)のような仕事に就くことになったっていうことだと思います。

 「大関」の父は、男がつくべき職業を、医者・弁護士・公務員・教員くらいのところに限定していて、他の職業につくことをかなり嫌って(とはいえ、私のように何の職業についているんだかわけのわからない婿を認めているんだから、必ずしもそうとは言い切れないところはあるのですが)いて、そのことを公然と孫たちに話したりします。

 「大沢」の父は、「何をやっていても食っていければいいんだ。世の中は義理と人情。人に迷惑をかけるんじゃない」というのが口癖で、職業にはあまりこだわりがないようです。ただ、「人」っていうのが誰かっていうと、どうも私との関係では父自身のことらしく、私と妻の恋愛中は、「そういう人(父自信のこと)に迷惑のかかるようなことをするんじゃない」とよく言われました。

 そんなわけですから、当然大関の方は「学問」が子育ての重要な要素になっていましたし、大沢の方はというと元来農家であったこともあり、「義理と人情」(まるで任侠の世界のようですけど)を基本にした、よく言えば「助け合い」、悪く言えば「もたれ合い」が子育ての重要な要素でした。

 言い換えれば、大関の方は「競争の原理」が生活の中心であり、大沢の方は「共生の原理」が生活の中心になっていたと言ってもいいのではないかと思います。

 「競争の原理」は自己主張が強く常に攻撃的で、それがうまく回転をしているときは獲得するものも多く、社会的にも成功する可能性が高くなります。けれども、ちょっと歯車が狂い出すと傲慢さばかりが鼻につき、社会的にも孤立して、疎外されたりすることにもつながります。

 それに対し「共生の原理」は相手を許容する範囲が広く、人の輪は広がりますが、自己をアピールする力が弱いうえ、意欲のなさにもつながります。

 どちらがいいとも言い難いですが、どうも我が家の子どもたちは、その両方の面を持っているようで、時には突然攻撃的になり、時には突然意欲がなくなり、どちらに転んでも中途半端で、成功する人間は出そうにありません。まあ、もっとも人間にとって何が成功かというのは非常に難しい問題で、最後になって本人の納得のいく人生が送れたかどうかで決まるのだと思いますが、子育て真っ最中の親の気持ちからすれば、社会的に認められる人間になってほしいと考えるのは、自然の摂理なんでしょうか。

 「社会的に認められる」っていうことがどういうことかっていうのも、難しい問題ですけどね。

 さらに つづく・・・。

**7月30日(火)掲載**

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