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2017年5月12日 (金)

第24回 「遺言」

 日テレから出演の依頼がありました。朝のワイドショーらしいのですが、タレントの「アリとキリギリス」が天使になって家を訪れ、私を遺影として仏壇の中に押し込めて、家族に対し、私の「遺言書」を読むという設定なのだと言います。ご覧になったことがある方は、ここまでで「あーあ、あれね」とおわかりになる方もいると思うのですが、見たことのないものにとって、言葉で聞くテレビ番組の説明というのは、なかなかイメージの沸かないものです。もちろんFAXで企画書ももらって、電話で話を聞いたのですが、私にはまったくイメージが沸きませんでした。

 娘の麻耶(まや)に話したところ、「私、見たことあるよ」とのこと。どんな番組なのかとよく話を聞いてみましたが、いまいち感じがつかめません。出演依頼があったときは、一応番組の内容を吟味して選んでいるつもりの私としては、もう少し内容を理解してから引き受けたかったのですが、翔(かける)も「アリとキリギリス」に会ってみたいなんて言うので、「まっ、いいかっ!」っていうのりで、引き受けるという前提で話を進めることになりました。

 25日のVTR撮りの前に一度予備取材をしたいということなので、私と妻で制作会社のディレクターと会うことに。

 正式に出演を引き受けたわけではないので、引き受けるに当たりまず番組の内容の説明を改めて受けました。ディレクターは、2回分の ON AIR されたVTRを持ってきていて、まずそれを見ました。

 1本目のVTRは、父親が家族に父親名義の土地と家を遺産として残すという設定、2本目は会社を辞めて始めたコンビニの経営権を家族に譲るという設定です。それぞれそういう話の中で、それまで知らなかった父親の考えや気持ちが家族に明かされたり、あるいは突然娘の結婚の告白があったりと、なかなか感動の名場面といった作りになっています。

 ところがこれを見たとき、私の気持ちが引っかかってしまったのです。
 「私には譲るものがない!」

 「いいんですよ、物じゃなくても。子どもたちに伝えておきたいこと、後を託す手紙とか、そんなものでも」

 「それも含めて、何にもないんですよ」

 「??? 何かありません? 子どもたちにこんな風になってほしいとか、奥さんには子どもたちをこんな風に育ててほしいとか・・・。伝えておきたい気持ちでいいんです」

 「いや、やっぱり何にもない」

 こんなやりとりが20~30分くらい続いたでしょうか。私も一生懸命考えたのですが、いくら考えても出てきません。話をしながら、それまでずっと違和感を持っていたのですが、しばらくして私は、「遺言」という形自体に強い抵抗があることがわかりました。

 「男が妻や子どもに何かを残す」ということ自体、自分の生き方とまったく相容れないものを感じていたのです。

 2本のVTRを見るとそこには、家族VS 父親(戦っているという意味ではなくて、家族の中からはみ出している父親という意味で)という構図が見て取れました。残される妻と子どもたちの距離は近いのに、父親と家族にはそれなりの距離がある。それが「父親の威厳」と考える人もいるかもしれませんが、私にはそれまで家族と関わってこなかった父親の寂しい姿しか見ることができませんでした。

 「残すものがある」ということがそもそも関わりが薄ということで、私が「遺言」ということに強い抵抗を感じたのは、”今私の財産になっているものは、すでに家族全員の財産になっているからなんじゃないか”と感じました。

 結局、ディレクターとの話は4時間におよび、ディレクターは「お父さん、おもしろい人ですね」という言葉を残し、帰っていきました。

 「アリとキリギリス」に会いたかった翔は、時々お茶を入れながら、4時間話をじっと聞いていましたが、「アリとキリギリス」会えなくなってしまったことに、一言の文句も言いませんでした。

 やっぱり私は、「残す」「残される」の関係じゃなくて、妻とも子どもたちとも「一緒に作る」関係でいたいな!

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