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2016年1月12日 (火)

第2回「パパの赤が僕の青で、僕の赤がお母さんの黄色???」

「かける、何やってんだよ」
「・・・」
「だから、ふざけんじゃないって言ってんだよ! ちゃんと色別にカード分けろよ」
「???」
「あれ? おまえ、ふざけてんじゃないの?」
「うん。ちゃんと分けてるよ」
「じゃあ、こっちに緑のカードで、こっちに茶色のカード集めてみろよ」
「これは緑でしょ、これは茶色でしょ・・・。んー? これはよくわかんない」
「あれ? おまえ、ホントにそう見えるの?」
「うん、見えるよ」
「ホント?」
「うん」
「ねぇー、お母さん! かける、変だよ! カードの色分けできないの!」
 隣の部屋で弟の翔(かける)とカードゲームをしていた真(まこと)が叫びました。人間て、不思議なもので、言ってることをそのまま受け取れば、全然難しいこと言ってるわけじゃないんだからわからないわけないのに、自分が体験してないことって、ストンと落ちてこないんですよね。それで、妻も私も真が何を言ってるのかよく飲み込めなかったわけ。
 あわててそばまで行って、状況を確認してみると、
「ほら見て! これで翔は緑と茶色に分けたって言うんだよ。本気だったら変でしょ?」
「??? 翔はふざけてるんじゃないよねぇ?」
「うん。ちゃんと分けてるよ」
 それからが大変。あちこちからいろいろなものを持ってきて、”これは何色?””あれは何色?”と翔に聞いてみました。
 ところが、ここで困ったことに気づいちゃったんですよ。
 実は、たとえば緑のものなら緑のものが、他の人には何色に見えているかがわからない。『色』って客観的だと思っていたんだけど、誰か一人が緑のものを茶色って言うと、みんなこれが怪しくなってくる。最初は翔に確かめていたはずだったのに、そのうち全員が全員に確かめるようになっちゃって、
「これって、赤だよねぇ? あれっ? 赤ってこれでしょ? これっ? 緑?」
「たぶん、そうだと思うけど・・・。でも、赤に見えてるのが他の人には緑に見えてるかも?」
「じゃあ、私が子どもの頃から赤だと思ってた色が他の人には緑で、緑だと思っていた色が赤かも・・・。エーッ、うっそー!」
「じゃあ、これは何色だろう? 私は黄色に見えるけど。翔には何色に見える?」
「茶色」
「真には何色に見えるの?」
「僕はこの色は黄色って習ったけど、でもこれは茶色が正しいかもしれない。そうするとこれを黄色って教えた人は、茶色を黄色って教えたことになるよねえ?」
「??? でも、そうかも! これが茶色? ??? よくわかんなくなってきた! 自分の見え方と他人の見え方が必ずしも同じとは限らないよねぇ」
「ホントに同じ色に見えてるものを同じ名前で呼んでるのかねぇ?」
「パパの赤が僕の青で、僕の赤がお母さんの黄色だったりして!」
「げっ! そんなことないだろ? いや、でもあり得るかも・・・。証明できない!」
 一時間くらい、議論が続いて・・・。
 結論・・・私と妻と真は、同じ色を同じ名前で呼んでいるが、どうやら翔だけはみんなと違う呼び方をしているらしい
 情けないことに、客観的であろうとすればするほど、見えている色が何色で、それが間違いなくその色であるという自信がなくなってきちゃうんです。いかに『色』が主観的なものであるか・・・。
 結局、経験の中で自分がそう呼んでいるだけなんだっていうことに気づきました。実は、他の人に何色に見えているかは全くわからないんです。これは、大発見でした。(意味わかった? わかりにくかったでしょ? わからない人は一度一緒に議論すればわかってもらえると思うんだけどね。そうだ! 誰かとこのシナリオで劇をやってみてもらうとわかるかも!)
 すぐ、翔は近くの眼科で検査を受けることに。もちろん、翔が色覚障害だっていうことがわかりました。
 ここ(眼科)でも、おかしかったですよ。お医者さんが、すっごく深刻で暗い顔をして、
「お父さん、お母さん、こっちへ入ってください」
って、別室に連れて行かれて、
「生活にそれほどの支障はないと思いますが、残念ながら就けない職業もありますから、覚悟してください」
「はぁ? はあ」
そんなに深刻なことなわけ?
 病院を出ると思わず妻と顔を見合わせて、私は翔に、
「おまえの目って、パパの目とちょっと違った色に見えてるらしいよ」というと、
「ふーん」という答えが返ってきました。
 どうやら翔の目は、単独で色が存在するような場合(たとえば空の青のような)は、きちんと見えているようなのですが、色が混在しているような場合(特に紅葉のように茶色あるいは朱色と緑とか)は、茶色一色に見えるらしいことがわかりました。
 大議論の末、他人の色の見え方は実は全然わからないということがわかってしまったので、まあ、翔の色の見え方も個性のうちかなあ、なんて考えてます。
 再来年度から、学校での色覚検査が希望者のみになるようですが、人権に配慮をすれば当然のことと思います。眼科医の言う通り、就けない職業もあるかもしれませんが、7歳で気がついてから、まもなく15歳になろうとしていますが、今のところ不自由を感じたことは一度もありませんでした。
 すべての児童を対象にした色覚検査を続けるよう、文部科学省に要望書を提出した、色覚障害の子を持つ親の団体もあったようです。気づかずに成人してしまい、差別を受ける可能性があることから考えると、そういった主張も理解はできますが、それが学校という公の場で必要かというと、私は必要ないと考えています。あくまで、プライベートな問題として対処するべきです。プライベートであるべきことが、プライベートでなくなっているからこそ、差別が生まれているのですから。
 難しいことではあるけれど、親としては、学校より先に子どもの異常に気づく距離にいたいですよね。

**2002年3月19日(火)掲載**

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